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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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志は現場が創り出す


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人って、どうしても同じコトをしようとするんだろうか。
いや、例えば、イベントとかがあるとする。
去年、似たようなことをやったとする。
それをどうしても踏襲してしまう傾向があるように思う。

まあ、スペース的に「それしかない」というのならわかる。
わかるが、じゃない場合でも、まあ前回と同じでもいいってことには確かになる。
それに、大事なのは中身で、スペースをどう使うか、じゃなかったりすることもある。

けれども、俺はこの「前と同じ」がとにかく大嫌い。
何が嫌いと言われたら、牛乳と「前と同じ」が嫌いと答えますね。

これ、なんで嫌いなのか、というと、PTAの役員やってた経験というか、そういうのも入ってきますけど、ま、つまりね、PTAのバザーとか子どもたちの卒業を祝う会とか、いろいろあるわけですが、そういうの、たいがいもう去年のを下敷きに同じことやるんです。
つまりね、もう「やっつけ仕事」なんですよ。

例えば去年、「こう変えた方がイイのではないか?」というコトがあったとしても、PTAってのは持ち上がりだから、そうそうそのことが次の人に伝わらない。
だから、同じ失敗をします。

で、まあ、おそらく参加してたみなさんも自分の仕事場のことだったら「こうした方がイイ」「ここは変えた方がイイ」というのはあるんだと思うんだけど、PTAではそれを一切言いません。
なぜなら、「言ったらやらなきゃならなくなる」からです。
だから、勢い、もう一部失敗するのがわかっていても去年と同じコトをします。

まったく、これ、面白くないんです。
やめちゃったらいいと思うんですよ、PTAのバザーなんか。
けどまあ、「変える」の最上級である「やめる」という意見は、もちろん誰もがそう思っていても出しません。

俺も出しませんでした。
ま、もう我慢して3年やれば済むと思っていたので、苦痛な時間を過ごしました。
そうやって、苦痛がずっと続いていくわけです。
たぶん、今でも続いているんだと思います。


俺、この感じがすごくイヤなんです。
だから、ウチのイベントとかで「前回と同じでイイヤ」というのは、一番イヤなんですね。
PTAを思い出す。

少しでも変えたいし、どっかでもいいから変えたい。


つまりですね、PTAのバザーなど、みんなやめたらいいのに、と思っているのに、続ける、ってのは、やっぱ組織が腐っていくんですよ。
「実際に何をやるか」、ということがダメな場合、どんな崇高な理想があっても、俺はやっぱダメだと思います。
腐っていくと思うんです。

しかも、それって、「前に倣え」ってことだから、前の人が今の人にいろいろ「教える」みたいな感じになっていきますね。
そうなると、前の人も前に倣ってるわけだから、実際にそこに「どんな理想があったか」はもう伝わらないんです。
いや、伝える努力は必要だとは思いますが、現場レベルでは、やっぱ「やる」ってことに一辺倒になりますから。
どうしたって、理想が消えていってしまいます。

このテーブルを横にするか縦にするか、そんなことはどうでもいいわけです。
その時にやってる人の思いでどっちにしてもいい。
けれども、それが「楯にしなきゃいけない」となったら、もう前の人だけでやれや、って話になると俺は思っています。
クソつまらないことで、人に教えを請わなきゃいけない、って状況はバカバカしいです。


それでも人ってのは、想像力の限界があるのか、前回と同じ、ことを知らず知らずのうちにやってしまっていたりする。
もうそうなると、組織を腐らせるだけだぞ!と俺は思うんだけど、そういう意識はそういう人たちには働かない。

俺は、とにかく同じことをやり続けていたら、腐ると思っています。
ダメになると思っています。
崇高な志があるなら、それこそしっかりと違う事をする方がわかりやすいと思います。
その時にいる人たちと、毎回新しいモノを作った方がイイ。
というか、じゃなければ、組織はやっぱりいつまでも硬直するし、盛り上がりに欠けてしまう。

大事なコトは、確かに中身であって、「どうするか」ではないのもわかります。
が、「どうするか」を安直に考えてしまうと、ロクなことが無い、と俺は思っています。

実践こそが理念を作る。
現場こそが理念を作るのですから、そこはしっかり考えていきたいと思っています。




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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:いしだあゆみ「喧嘩のあとでくちづけを」from「青春歌年鑑 '70 DISC02」)
→結局、男の浮気を容認する女、という。
ま、こういうのがこの時代のムード歌謡のテーマです。
たいがい、このパターン。
なんでかわからないけど、これなんだなあ。
そしてまあ、物語としてはこういうの嫌いじゃない。
実際こういう女の人が近くにいたら「イイカゲン気づいたら?」と言いたくなりますけど。
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みんなもやってると思ってた


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そういえば、俺にはちょっと小さいときからクセがあって。

それは、「言葉」なんだけど。
呪文のような言葉、を自分で作って、それをアタマの中で繰り返す、みたいな。
小さいときに作った言葉を、今でもソラで言えますね。

あ、呪文といってもかなり長いんです。
意味がない五十音を並べただけなので、中身はないし、かといって語感がいいわけでもないと思うんだけどそれをよく繰り返していた。

こういうのは、けっこう誰でも同じだと思っていたけれど、そうでもないらしい。
でも、これは人に喋ったらかっこ悪い、と思ってたのも事実。
だから、誰しもが、「人には言わないけど、自分の呪文を持っている」と思っていた。

同時に、どっか俺は言葉を組み替えたりするのが好きで、近所のスーパーとか、なんでもそうなんだけど、すぐに組み替えちゃう。
他人に言えば、「なに言ってるの?」といわれて、とても恥ずかしい、と思っていたので、誰にも言わなかったんだけど、アキ坊と再婚して、アキ坊には最近ふつうに言う。

アキ坊は、「俺語」だって言って楽しんでくれるので、今は二人で遊べる。
その流れでその呪文のことも話したけど、一生の中でアキ坊以外の人にはこの呪文は言わないまま死ぬだろうな、と思っています。


言葉ってやっぱ面白くて、前にもチンチンタタセル地帯のことを書いたけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4304.html)、俺はそういう言葉遊び、いや、そんな上等なもんじゃなくて、もっとくだらないヤツですけど、好きですね。

市丸のことは、ふだん「いちまる」と呼びます。
ま、普通ですけど。
でも、まあ市丸は「調子いいぞう」なので、ほぼなんと呼んでも「はーい!」と返事が返ってくる。
「はじまる!」と呼んでも「はーい!」。
「洞爺丸!」と呼んでも「はーい!」
しまいには、「カマンベール」と呼んだりするんだけど、それでも「はーい!」と満面の笑みで返事が返ってくる。
ま、要は最後が「る」ならいいようだ。
それが面白ければ面白いほど、その場の雰囲気に合えばあうほど、その場も盛り上がる。

こうなると、もう最後が「る」の言葉を必死に俺も捜す感じになります。
ラップのライム、歌詞を作ってる人の気分です。

一時、オグラが「おまんま食い上げ」って言ってることがあって。
何年に生まれたの?と聞いたときに「おまんま食い上げの年に生まれたんです」と。
…わからない。
意味がわからない。

聞けば、「28年に一度、おまんま食い上げの年がくるんですけど、その時に生まれたんです」と。
なにそれ?と。
もうそれから、オグラのことは「おまんま食い上げ」って呼んでました。
彼の妄想か、なんなのか、「おまんま食い上げ」ってのがどこから来たのかさっぱりわからないけど、まあ面白い。
語感が面白い。
なんとなく貧相な姿勢のオグラに似合ってる感じがする。
みんなもそんな語感で笑うから、ウケてると思うのかオグラもまあ楽しそうになる。

なんだかんだ、市丸もオグラも、みんなの真ん中になりたい。
だからウケると嬉しいし、まあ、そもそも悪口とかじゃないしね。
みんなもプラスの感情で笑ってくれる。


で、ついこの前、その「おまんま食い上げ」を忘れてたんですよ。
オグラはなにか「自分の名前を言う」とかを避ける傾向があって、「下の名前は?」とか聞くと、「なんだっけなあ」とか笑いながらふざける感じがある。
必要があって誕生日とかを聞いても、「12月だっけなあ」とかふざける。
さっさと言えよ、と思うんだけど、そういうやりとりの最中に「おまんま食い上げなんです」と言ってきて、ああ、そのムーブあったなあ、と思い出して爆笑したんだけど。

つまりは、たぶん、「おまんま食い上げ」は、オグラの中の呪文だったのかもしれない。
他人にとってはどうでもいいワケのわからない言葉なんだけど、彼にとっては大事な言葉で、でも意味のない言葉、みたいな。

俺の呪文と一緒だよなあ、と。


どうですか。
言葉って有限なように見えて、実は無限だよなあ、と思う。
誰しもが風呂に入って「ふ~じこちゃ~ん」とか言ったことがあると思います。
「あい~ん」とか。
同じように、なんとなく「ミラ・ジョヴォヴィッチ」とか言ったこともあるでしょう。
それらはまあ、人の名前とかだけれど、そうじゃなくて、なんの脈絡もない五十音の組み合わせをみなさんも口ずさんでみたらけっこう楽しいですよ。

というか、みんなもやってるもんだと思ってたよ。




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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:女子高生みゆき VS 淫獣皐月殺助「魔女っ子メグちゃんAV」from「大熊小鹿馬場鶴田山田康雄」)
→これね、替え歌くると思うじゃないですか。
けど、歌は変えない、という。
でも充分タイトル通りの歌として成り立ってるという恐ろしさ。
途中に語り?があるということをさっ引いたとしても、これ、なかなかすごい発明。

素朴に思う


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ちょっと気になって、京アニの事件をネットで見てまして。
まあ、痛ましい事件。
犯人には怒りしか覚えませんけども。

ま、なんで気になったかというと、いわゆるNHKの取材が当日はいる事になってた、みたいな話で、偶然ではあるんでしょうけど、その辺のまあネットで広まる陰謀論みたいなのがどうなっておるのか?という。
結果としては偶然としか思えませんけど、まあ偶然が必然のように広まってしまうくらいだから、衝撃の事件だったということだと思います。

犯人はもうどうしようもないし、再建のために賠償もすべきとは思いますが、実際は難しいでしょう。
賠償できるほどの余裕があれば、おそらくこの事件を起こさなかったとも思えますし。

京アニの人たちにとっては、もう急に、青天の霹靂というか、そんな事件でありました。

俺自身はアニメには興味がなく、この京アニというのが何を描いていて、どんな重要なアニメの会社なのかはよく知りません。
けど、アニメのファンの人にいわせれば、かなり偉大な会社だったようで。
募金活動とか、そういうのもあったようです。
安倍首相もなんか言ったとか言わなかったとか。


ちょっと話変わりますけど、台風の災害とかがあって。
まあ自然災害故避けられない。
そもそも台風に被害に遭おうと思って家を建てる人などいない。
台風の進路は予測され、住人は逃げたとしても、家が崩壊した、浸水した、ということになってしまった。
家まで避難はできない。

これはもう自己責任なんていうレベルの話ではない。
自然災害を自分の責任で避けられる人がいるとしたら、まあ神しかいない。
誰しもが災害からは逃れられない。

先の京アニも、まあ社員の人からしたら同じようなことで、そんな形で会社に火を付けるヤツがいるなんてのは想像もしてないわけで。


しかしまあ、どこか今の日本、災害や犯罪が立て続けに起きてますが、建て直すのは自分なんですね。
これまで、災害に遭ってなかったから知りませんでしたね。

というか、考えもしなかった。

家がもし壊れたら、それを直すのも自分。
その分の金も自分で調達しなきゃいけないんだな。

避難所にいようと思ってもプライバシーのない雑魚寝生活。
海外に目をやれば、そんな避難所はそうそうなく、日本の避難所は難民キャンプより劣悪だとか。


単純な話、我々は税金をなんのために納めてるんでしょうか。
自然災害、誰がどうあがいても、神以外が決めることができない被害、だれしもに平等に災害はやってくるわけです。
おまえが悪いから台風が来た、なんてことはないわけです。

こういう時のために俺たちは税金を納めているんじゃなかったんでしょうか。
こういう時こそ、出し合った税金をみんなで使うべきなんじゃないでしょうか。
それが、本当に「助け合い」なんじゃないでしょうか。


災害になると、ボランティアが足らない、という話をよく聞きます。
確かに、ボランティアの行動は尊い。
しかし、それに頼らなきゃ復興ができないというのはちょっとおかしな話じゃないでしょうか?

まあ、こんなことは誰しもが思ってるし、言ってる話だとは思います。
でも、そのストレートな疑問を、やっぱ社会にぶつけなきゃいけないと思います。


ちょっと話を戻しますけど、京アニはすばらしいアニメを作ってきたから援助する、とか、まあ善意の募金はそれでもイイけど、募金したら税率を軽減する、とかってのはどうなんでしょうかね。
まあ、それで募金をする人が増えるのは悪いことじゃないと思いますが、だとしたら、天災の募金とかはどうなんでしょうかね。
あれも軽減の対象なんですか?

すごい人だろうが、そうじゃなかろうが、自然災害からは逃れられない。
そういう人には、税の軽減とかもあるでしょうが、もっとちゃんと税金を分配して欲しい。
等しく。


なんだろう。
ボランティアが活躍すればするほど、なんか問題はズレていく。
本来は、やっぱ税金で元通りにできないのならおかしい。

いや、財源の問題があるんだよ、というのなら、税金の使い方におかしいところがあるんだろう。
そりゃ甚大な金額になるだろうから、全額は難しかったとしても、自然災害をカバーしようともしない政府ってのは、どうなんだろう。
いや、もちろん補助とかはあるんだろうけど、それでも家を作り直すのに数百万かかるという。

正直、簡単に出せる金額じゃないよ。






2020もち

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(BGM:KEITH & Friends「ハラ立つだろ !!」from「晴者 II」)
→歌詞含めて、ストレートなロックですな。
「道徳道徳、どう説く?」みたいなアナグラムもいい。

俺たちは被害者ではない


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やまゆり園の事件の公判とかがありまして。
ちょっとまた事件を振り返るような雰囲気がありました。

そんな中、こんなツイートが流れてきまして。
だいたいの意訳ですが、こんな感じ。

津久井やまゆり園で起きた事件で1番考えないといけないことは、生きる尊厳で、施設環境のこととかはそれから。施設環境を理由にして、「起きてもおかしくない事件」なんて言っちゃいけない。

う~む…。


ま、まず、あれは「起きてもおかしくない事件」ではないと思います。
いや、起きてもおかしくない、という原因は彼らにはない、という意味で。
施設に入っていた彼らは、とにかく被害者でしかない。
それは、二重の被害を受けているように見えるんです。

つまり、現在の施設環境を「中心軸」とすれば、「ああいう毎日をおくってるんだから死んでも同じ」ということは成り立つかもしれないが、いやいやいや、そうじゃないじゃん。
施設環境の問題は、前々から前時代的って指摘を受けてるじゃん、ということなんですよ。

高度経済成長期に顕著だった、巨大コロニーを中心とする障害者政策、つまりは大量収容政策は、障害者の日常を、被告の言葉に代えれば「家畜」にした。
これは、前々から指摘されている問題である。
そのことになんの反省もなく、その後もその政策は維持され、あろうことか、現在でも夜間の職員の配置は、数十人に一人、ということらしい。

それで、果たして人間らしい生活ができるかというとそりゃ無理だ。
そもそも、障害者に豊かな生活など必要なのか?という問いが生じる背景には、こうした大量収容政策がある。

だって、実際に「オムツさせられて寝かせられる毎日」を過ごしていたら、そりゃ人間クサる。
おかしくもなる。
しかも、そこから脱出できる見込みはないのだ。

埼玉県にある巨大コロニーの昨年の退所者7人のうち、一人は病院へ、一人が親元に戻り、そして残り五人は「死亡」だという。


高校まで生徒会長をつとめていたオグラが施設の十年間を経てここに来たとき、そもそも話が成り立たなかった。
何を考えているのかもわからなかったし、楽しみもないように見えた。
今でもそういうところはあるけれど、あの時に比べたら格段に話が通じるようになった。
大日の後楽園大会に出かけて、選手の名前を覚え、「俺は伊東選手が好きですね」とか言うようになった。
歴史が好きってのもわかったし、戦国時代のなんかの年号とか聞くと答えるのもわかった。
まあ、天正●年、とか言われてもあってるかどうかはわからないが、とにかく興味はあるようだ。

オレらの毎日は、他の施設とはずいぶん違う。
酒を飲んだりもするし、遊びにも行ったりする。
ストリップにも行くし、敬語もなしだ。
コッチの携帯の番号もアドレスも教えるし、毎晩メールを出すのにがんばってるヤツもいる。

その中で、やっと人間らしい生活を、仲間を獲得していく様を俺は毎日見ている。
だから、彼らが「家畜と同じ状態」に置かれているのは許せない。
そもそも障害者は豊かに生活できる能力がない人ではないのだ。

そうなった要因の一つに、大量収容というモノがあることは間違いない。


そもそも、殺された井上達の仲間は、施設に入れられるという被害に遭った上に、あの事件でまた被害を受け、殺された。

何を言いたいかというと、巨大収容を軸とする施設政策そのものが、彼らを被害者にしてるじゃないか、ってことです。
つまり、我々は「加害者」じゃないか。
彼らを閉じ込めている加害者は俺たち自身じゃないか。
この日本の世の中じゃないか。

あの犯人は、その施設の状況の中でしか井上達を見ていない。
そして「死んでるも同じ」という結論に達してしまった。
バカだ。
話にならないくらいバカだ。
一度ウチに来てくれたら良かったのに。


俺は、あの事件こそ施設政策に異を唱える分岐点だと思っていたが、それは上がらなかった。
彼らにも生きる権利があったのだ、などという論調が目立った。

いやいやいや、そりゃそうだ。
だとしたら、それを大量収容してオムツさせてることを許してる俺たちはどうなんだ?
彼らの生きる権利を、豊かに生活する権利を奪ったのは俺たちじゃないか。
間違った策の上に、いくら人権を叫ぼうが、そんなのは寝言じゃないか?


こういうことを書くと、「虹の会は特別だ」とか言う人がいる。
「あそこには意思をちゃんと表現できる人がいるから」とか。

いやいやいや、例えば先にも書いたがオグラだって最初はそうじゃなかった。
はじめから彼らを「意思を持たない人間」って断じてるのはあなたの方じゃないか、と俺は思う。
「俺のところと虹の会は違う」。
そう思い込んでいること自体が、あの犯人と同じじゃないか?


俺たちは加害者なのだ。
だから、今それを反省し、どう取り返すか、を考えるべきだと俺は思ってる。
彼らの尊厳を奪ったのは誰なんだ。
そして、生き残った彼らが、我々がそれを取り戻すために、俺たちは何ができるんだ?
そのことを忘れちゃダメだと思う。






2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:ニュートラル「ちびとふとっちょ」from「誰も知らない泣ける歌 2」)
→ちびとふとっちょが恋に落ちました。
という。
まあそういうこともあるでしょうが、どうでしょう。
お互いのいいところを好きあいました、と。
ふむ。
ま、泣ける人もいるのかもしれない。

コミカルにならないコミカル ★ 映画 「パラサイト」


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「パラサイト・半地下の家族」を見てきましたけど。
ネタバレしちゃうんで、ネタバレがイヤな人は読まない方がイイかも。

半地下の家族、そして高台の家族、これを貧富の差というコトで言えば、半地下の家族の敵は高台の家族そのものなんだけど、それに「パラサイト」して生きる半地下の家族。
しかし、実は半地下どころか、地下に住む男も登場。
地下に落ちれば、いいかげん高台に怒りを燃やしてもいいのかと思うけど、最後までその男は高台の社長に「リスペクト!」を叫ぶ。

この諦念感を諦念とせず、パラサイトしようとする半地下の家族は、コメディではないのだが、どこかコメディに見える。
底抜けに明るいわけでもなく、底抜けに希望を持ってるわけでもなく、しかし、地下で蠢く虫のように、ひたすらに「生きよう」とだけする。

高台の社長一家の家庭教師を頼まれるところから話は始まるが、その後、運転手を解雇させ、お手伝いさんを解雇させ、一家はこの高台の家族に養われることになる。
解雇させるには、いろいろと作を労するのだが、どこかそのやり方も浅い。
浅いけれど、高台の奥様は、そんな彼らの「たくらみ」にはまったく気づかない。
まったくの「お嬢様」なのである。

高台の家族も、半地下の家族に興味もなく、なぜそうした生活が同じ時代、同じ時間、同じ国の中にあるのか、ということになんの疑問も持っていない。
半地下の家族も、パラサイトはするものの、「高台を乗っ取ろう」とはまったく思っていない。
二つの種類の違う「生活」がそこにはあって、互いに侵略しない。
いい具合に利用し合っているだけである。

その上、半地下の家族は、他の半地下の家族(というか地下の家族)を蹴落とすことで成り立っているのだが、そのことにも半地下の家族は興味を示さない。
とにかく、自分が生きることにしか興味がない。
これは高台の家族も同じである。

総じて、ここに出てくる人たちは、全員がバカなのである。
というか、想像力がまったく欠如している。
今を生きるだけ、野良犬のように生きてるだけで、その先などどこにもない。
半地下の家族の父親が「計画なしが計画だ」といってるのがそれを象徴している。

計画してもうまくいくはずがない、ということを積み重ねていく人生をおくるのなら、それは計画を立てること自体をやめてしまう。
計画がないから、明日のことが想像できないから、今、目の前の食事にありつけることだけが重要なことになる。

こうした映画の場合、たいがい、この半地下の家族の中に秀でた頭脳を持つ人がいて、高台を乗っ取ろう、とするんだが、それがこの映画にはない。
だから、この映画は「諦念」なのだと思うが、そもそも計画のない人にとっては、「諦念が存在しない」ということも同時に描いている。
その、野良犬のように今日の飯にありつくために這いずり回る人たちを、この映画はコミカルにも描かない。

そういう意味では、突破もしない、コミカルにもいかない、中途半端な映画ではあると思う。

が、リアルだ。
貧困をリアルに表現した映画と言えば、最近は「万引き家族」ということになるけれど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4495.html)、確かにあれもコミカルでありながらコミカルではない。
突き放せばコミカルな映画に仕上がるのだろうが、作る側が半地下の家族に軸足があるので、コミカルにならないのである。
ただひたすらに「リアル」なのである。

翻って、自分たちの生活も、おそらくはコミカルだ。
政権を盲信し、生活保護受給者を責め、生活保護以下の生活をする者は、この半地下の家族そのものじゃないか。
にもかかわらず、誰も笑わない。
いや、笑えない。
神様がいるとして、俺たちを見ているとしたら、こんなのはコミカルだろう。

そういう意味で、これは韓国の今なのだろうし、いや、日本の今のリアルを、そのまま切り取った映画と言える。

そして迎えるラストの惨殺劇。
これはある意味映画的で、いちおうやっぱヤマ場を作ろうという感じではあるんだけれど。
これはパラサイトが宿主を攻撃する場面なのだが、その理由が「お前は臭い」という、小学生レベルの「イジメ」を発端にしていて、そこには格差の問題、自分が高台を乗っ取らなきゃならない、そうしなければ半地下から抜け出せない、というようなことではまったくない。
このあたりも、格差を象徴している。
半地下の家族は、ただひたすらに、最後までバカなのである。
いや、最後まで、想像力を奪われたままなのである。

さて、臭い、ということを書いたけど、この映画、とにかく最初から最後まで臭いがすごい。
最初の半地下の家の場面から、なんだかすごい臭いがする。
そして、その「臭い」は、人間の臭い、そのものなんだけど、高台の家にはそれはまったくない。
この辺の対比は、どこか見てる側を「半地下の家族」に感情移入させていく。


そんなわけで、俺はこの妹役、パク・ソダムさん、好きだわ。
なんかの映画で見たと思うけど思い出せません。
大雨で下水が逆流する場面、トイレが逆流する中、その上にフタをして座る妹がそこでタバコを吸う場面、なんかすげえかっこよかった。
半地下に肝が据わってる感がすごい。
その場面だけでもなんかこの映画見る価値があるくらいの。







2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:駄菓子菓子「テルシゲが斬り刻むRemix – E.Shima Terushige」from「駄喰」)
→こういうの好きだな。
ギターが弾けるのならこういうの一人で作りたい。

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