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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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kaijosha.jpg



これまで、台風だ、大雪だ、といっても、にじ屋とかを休みにしたことはありませんでした。
だから、井上達も休みになったことはありません。

まず、これ、大枠で見たら、あまりほめられた対応ではないと思います。
だって、台風だけどやる!仕事だ!みたいなことってのは、どっかやっぱブラック企業のようで、正しい方向性とは言えません。

けれども、世の中がまずもってブラック方向であった、というか、今もそうだけど、そういうのがあって、その流れの中で、「障害者だけは休んでいい」というのは、どうにも納得が出来なかった、というのがあります。

そもそも、井上達は、自分たちのことを「健体者よりも劣る人間だ」と思っています。
ま、それは計算が出来ない、漢字が読めない、わけですから、その部分では確かに劣ってはいるのでしょう。
ただ、人間としてどうか?ということについてはまた論が違うわけだし、例えば「にじ屋のやり方」についてだって、それを知らない人と彼らだったら、彼らの方がよくわかってるわけです。
毎日やってるわけだから。

でも、それでも、彼らはにじ屋のやり方の何も知らない健体者にすら従ってしまうところがある。
後になって、「それ、いつもやってるじゃない。なんでそのことをその時に言わなかったの?」と聞いても、そうだよねえ、という苦笑いが返ってくる、みたいな。

つまりはまあ、そういう「感じ」が普段からある。
これについては、とても俺は忸怩たる思いがある。
でもまあ、そうやって彼らは生きてきたし、それが処世術なんだろう、とも思う。
それが更に俺を悔しくさせる。

この中で、ブラック華やかなる世の中で、「君たち休みでいい」、つまりそれは彼らには「障害者だから休んでいい」と聞こえるわけですが、それは、ちょっとやっぱり言えなかったところがあります。
「世の中まあ頑張ってるんだから、俺たちも頑張って開店しよう」みたいな。
そういう風な方向にありました。

けどまあ、本来のことを考えれば、それは正しくはないわけですよ。
そんなことも百も承知ではあったんだけど。
でも、井上達の「大人としての誇り」というのを、まあそんな形で、ある意味歪んではいるんですけど、尊重しよう、と思った部分がありました。

我々のレパートリーで、「聞け万国の労働者」があります。
トラディッショナルな労働歌ですが、替え歌にしています。
その中に、「(俺たちも)派遣切りにあってみたい」という歌詞があります。
これは、派遣でも雇われない、いや、そもそも雇われない、という現実を皮肉ったつもりなんですけど、この感覚は、確かに間違ってはいるとは思うけれど、でも、肌感覚としては彼らの中にあるんです。

「俺だって大人なのに」「俺だって客なのに」「俺だって働けるのに」という思いは、あちこちで彼らの中に澱のようにたまっている。
子ども扱いされる、そもそも存在がないモノにされる、という現実。
それを何度も何度もされていけば、オグラがここに来た時のように廃人になって、自分から「子ども扱いされる」ように行動するようになっていきます。
存在を消すようになっていく。

けれども、井上達には、「そうじゃない」と言い続けてきました。
だから、井上やミツなんかはそういう世の中への反発がすごく大きくあります。
「俺だって大人なんだ」という彼らの思いを、どうやって潰さないか、ということだけを俺たちは考えてきた、それをどうやって尊重してやるか、ということだけを考えて来たと言っても過言ではない。
ここを外してしまうと、彼らは「廃人」になってしまう。
それは、多くの作業所や施設をみてきて思っていました。

だから、こっちは親から連絡があってわかっていても知らんぷりもしてきたし、「本来俺が知らないはずのこと」は、知らないふりを押し通してきました。
そういう演技をするのも、彼らのそれをツブしたくないからです。
そのことがまず第一義だから。
そうしないと、彼らは自分の人生に希望が持てなくなる。
自分の知らないところで、親と職員が連絡取り合って自分の予定が決まるような、幼稚園のママの人生がこれからもずっと続くと思ったら、そりゃ、人は腐ります。
この台風だとか大雪だとかにおいての「休み」の問題もこの流れの中にありました。

けど、今回、史上最大級の台風、ということもありましたが、「自宅待機」ということにしました。
「携帯はいつでも出れるように」ということにして。

とはいえ、実際にはみんな近くに住んでいたりするし、そうしなくてもよかったのかもしれないけど、なんか、「もうこの肩肘を張った感じをやらなくても、井上達は大丈夫だな」という思いもあったんです。

つまり、やっと正常に戻ったかな、という。
ま、そうなるに至る状況としては、「つらい時は休む」、「頑張るだけがのうじゃない」、というような雰囲気が生まれつつあることもあります。
今のにじ屋、ネットの目標は、「頑張ってラクをする」ですからね。
なかなかイイと思ってるんだけど。

そんなこともあって、今は先の「聞け万国の労働者」は歌わなくなりました。

無茶をすることが大人、自分を殺すのが大人。
確かにそういう風に生きていかねば食うにも困るのが今の日本の状況かと思います。

けれども、俺たちは一歩抜けよう、と。
そして、多くのみんなにも、「もっともっとラクしよう」と言いたいし、俺たちがその先頭で世の中変えちゃる、みたいな感じになりつつある。

こう変わってきたのにはいろいろ要因はあるけれど割愛するけど、でも、俺たちが目指すのは、市丸が生きやすい世の中、ってコトでしょ。
それって、俺たちだけがパラダイスじゃダメなんだよね。
世の中がそうなってくれないと。
そして、そういう風に世の中を変えるのが俺たちの仕事なんだよね。

その本質に、やっとたどり着けた、というか。
そんな気がしています。





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(BGM:れいわ新選組 山本太郎 with people「山本太郎、愛を叫ぶ」from「憂国烈士の宴 其の弐」)
→これは、山本太郎さんの演説というか、スピーチに音を重ねたトラック。
重ねたといっても、聞きにくくしてるのではなく、あくまで山本太郎さんの話を聞きやすくするための重ねている、です。
全編入っているので、13分弱あります。
これ聞くと、ホント「普通のことしか言ってない」のよね、彼。
WITH PEOPLE、というのもいいし、そもそもアルバムタイトルに沿ったトラックだと思う。
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いいわけを考えるムダ


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義理の弟は、なかなかの腕のあるなんとか療法士さんで、たくさんのお客さんもついていて、海外でもその腕を買われて講演会などを行うなど大活躍の日々を送っているんですけど。
で、まあ数年前だったか独立したんですね。
都内の中心地に大きなところを借りて開業、というか、やっています。

その彼と先だって会った時に、「よく独立しようと思ったね」という話をしてたんだけど。
俺だったらなんかできないなあ、というか。
そこまで自信もない、というか。
でもまあ、彼は腕に自信があったんだと思うし、すばらしい技術を持っているからこそそう決断したんだと思うんですけど。

その彼が、「独立してまずよかったのは、いいわけを考えなくてよくなったことですね」と言っていて。

つまりどういうことかというと、ボスがいるとしますと、例えば今月施術に来た人が少なかったとします。
講演会の依頼も少なかった、と。
そういう場合に、やっぱ「なんでそうなったか」の「いいわけ」を考えなきゃならない、って。
今は、自分が自分でやってるから、営業が足らないと思ったら営業やるし、そういう風にまあ自分で判断してやれるからラクだ、と。

なるほど、と思いました。

結局、まあ「なんで客足が減ったか」というのは、いくら考えても結果としては客側の問題だし、もちろん、こちらに問題があればそれは改善する。
例えば、先に書いたように営業が足らなかったかもしれない、とか。

でも、まあ反省ってのは、「次になにをやるか」と常にセットであるわけですよね。
反省→次の行動、ということですから。
そのための反省であって。

とはいえ、次の行動、つまり自分のやれること、ってのは限られているんですよね。
自分がやりたいコト、と言い換えてもイイ。
でも、「反省を山ほど出すのがイイこと」のような雰囲気ってのが世の中にはあって。
その反省を「ひねり出す」っていう行動ほどムダなことはないわけです。
だって、次に自分がやれることはそんなにひねり出すほどたくさんはないんだから。
それにだんだん反省は、その場しのぎのいいわけになっていく。

とりあえず、次は●●をやる、と決めれば、もうそれを一生懸命やるしかない。
で、それでダメなら、△△をやるしかない、という風になっていくのが、まあ自分が最も納得する進め方なのかな、と思います。

若い人の中には、よくいいわけを言ったりする人がいて。
ウチではあまりそれを推奨していない雰囲気を作ってることもあるからか、そんなにはないんだけど。
他のところを経験した人は、ベテランになんか言われると、みんなとりあえずその場しのぎのイイワケする、と。
もちろん、ベテランに歯向かうための一石ならどんどんやるべきだと思うんだけど、それはちょっと「いいわけ」という範疇とは違うかと思います。

ウチの若い子たちも、どんどん反論はして欲しいと思うんですよね。
だから、いいわけも、その場をしのぐためのことじゃなかったら、どんどんしてもらってもイイと思うんだけど。


まあこの話を聞いていろいろ反省したところがありました。

例えば若い子に「そのやり方は違う」と言う場合、「なんでそんなやり方をしたの?」という聞き方をすれば、やっぱ「だって云々」という風に答えが返ってきます。
確かに、コッチとしては「どういう考えでそういうことをしたのか?」というのを聞きたいところはあるんですよね。
そしたら、歩み寄れる部分があるかもしれないし、細かく「そこの考え方が違うんだ、そこをこう考えたらどうかな」という風になるかも知れない。

でも、まあこれなかなか難しいんだよね。
やっぱ、「なんでそんなやり方を云々」というのは、若い子にしてみれば、こっちが責めるための何かを探しているようにしか見えないんだろうな。

だからまあ、俺はあまり何も聞くことなく俺の考えを言うようにしてるんだけど。
「俺は●●した方がイイと思う。なぜなら云々」ということですね。
結局、その考えを聞いてもらって、どう本人がそれを取り込んで判断するか、行動するか、というのはもうその本人に任せるしかない、というか。
それが俺と違う考えだったとしても、まあしょうがないんだよね。
行動をあまりジャッヂしちゃいけないんだろうな、というか。

やっぱ、俺みたいに、何もなかったところからやってきた人と、今来た若い子が同じような考えに至るわけがないんですよね。
それはどっちが偉いというのではなく、ゼロを一にすることと、一を二にすることは、進歩の度合いは一緒だけど、決定的に中身が違うんだから。
中身が違う事を「同じ考えでやれ」というのはやっぱ無理がある。


ああ、ダメだなあ、と思うことは確かにたくさんある。
なんでこんなコトを考えないのだろう、行動しないだろう、という思いは確かに下の子に対してあります。
けど、「なんでやらないの?」は馬鹿馬鹿しいんだよね、きっと。
やらないことに意味なんかないだろうし、いや、あるならそれはそれでいいけど、備品を整理しておく、みたいなコトに関しては意味はないだろうし。
いいわけを考えさせるくらいなら、何も言わない方がイイ。

でも、何かがあった時に、効果的に伝わるだろうな、という時に、やっぱきちんと俺の考えを伝える場面は作った方がいいな、とも思っていて。

まあ難しいよね、って話。







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(BGM:モンド・ボンゴ・ジャパン「チャイニーズ・キング・ロブスター」from「ZKサンプラーズ」)
→どういう人たちなのか、いかしてるなこれは。
曲名もいい。

秋ヶ瀬フェスまで一週間となりました


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スーパー猛毒ちんどんを、知的障害者がやってるバンド、という風に捉えてもらうのは間違っていない。
ただ、おそらく、そこから発想されるイメージを、「どうやってぶっ壊せるか?」というのが俺たちのテーマ、ということになる。

人にはいろいろな感情があって、いろいろな麺がある。
いや、面がある。
いい感情、黒い感情、ずるい感情、楽しい感情、まあ、なんやかんやいろいろな毎日を誰だって過ごしている。

それは市丸たちも同じで、別に特別なことではない。
アタマが多少悪かったとして、字がうまく書けなかったとして、そういうこととは全く別に、そういう「感情」の中で毎日が流れていく。

しかし、知的障害者を音楽の表現の上に上げた時、どうしても、プラスの感情をどうやって出すか?ということにおそらく舞台監督は気を使う。
そこには、「この人達もこんなに頑張って生きているのだ」だから、「この人達にも偏見の目を持たずに接してください」といったようなメッセージがある。

なにも考えていないわけじゃなくて、自然にそうなるのではなく、そういう「ステージ」を監督はおそらく考えている。
その線に沿って、まあ、曲や動きや衣装を考える。

まあ、これが無意識だと恐ろしいんだが、おそらくは、そういうことを「なんだかんだ」メッセージとして持つことは、今の世の中とても重要なことだし、否定すべきコトではない。


大昔に、「かやの木コンサート」という素晴らしい舞台があって、それで俺は何度も泣いた。
いいステージであった。
それは、そのステージを作っていた人に聞けば、もちろんそれを想定して、舞台を作っていた。
俺は、それにまんまとはまっていたことになる。

蛇足だが、かやの木コンサートは、YOUTUBEにもあがってない(というか、そんなのがない時代だった)ようなので、誰かアップしてくれると嬉しいんだけど。
あれは、障害者運動界において、性器の、いや、世紀の発明だったと思ってる。
多くの人に、今、見て欲しい舞台だ。
今もやってるのかな?よくわからないけど。

ま、つまり、舞台を作るというのは、そういうことだ。
うまくそれが伝わればいいし、じゃなければ、演出がダメだった、ということになる。

で、俺はかやの木コンサートを自分がやるとしたらどうするか?ということを考えた結果、「スーパー猛毒ちんどん」のステージを、「コンポーズ」している。
ま、バンマス、という言い方でもいいけど、ちょっとコンポーザーという言い方をしている。
というのは、バンマスというと、やっぱ「音楽寄り」に聞こえてしまうから。
そうじゃなくて、舞台装置、衣装、そういうことを含めてどうお客さんに感じてもらうか?が勝負だと思うから。

かやの木コンサートに最大限リスペクトしてる。
その上で、それを、どう自分たちのフィールドでトリビュートするか、ということである。


それを考えた時に、ただ、「差別しないでください」というのは、ちょっと違うな、と。
そも、かやの木コンサートの魅力は、「ネイクド」だったと思う。
彼らの思いをストレートに歌う。
彼らの毎日をストレートに歌う。
結婚したい、仕事がもっとしたい、座ってできる仕事がしたい、そんなことをとうとうと歌った後、そして、最後「廃品回収の唄」で大盛り上がりで終わる、という構成。
これは、誰が聞いても泣く。

ストレートに「俺は頑張ってる」とはいわないし、「差別しないで仲間に入れてください」ともいわないが、客サイドは「なんか協力したい」という気持ちになる。
つまり、早すぎたんだ、かやの木コンサートは。

そして、それを一歩進めて、市丸たちの日常にある「黒い感じ」「ずるい感じ」をどうミックスできるか、ということを、やっぱ俺たちは考えた。
同時に、井上なんかは、健体者中心の社会の中で、「メニューが読めない」「店員さんが怖い」という思いがあって、それに対し、ミツなんかは「あのコンビニの店員は俺をバカにしてるからアタマにくる」ということだってある。
昔に引き戻れば、ウチの多くの連中は、小学中学で壮絶なイジメに遭っている。
それに対して、「今だったらなんて言うか?」ということを、よくみんなで話し合ったりする。

それを唄にすることにした。

ブラックを出す。
市丸たちは、ただただ、感動ポルノよろしく、24TVよろしく、健体者に感動と上から目線の「協力」をお願いする存在ではない。

俺たちは聖人ではない。
むしろ性人だ、と。
AV大好きだ、と。
今晩も誰か誘って飲みに行こう、と。


そして、それをどうやったら表現できるか。
もちろん、歌詞もある。
けどまあ、覚えられない、というハードルがそこにはあるので、それでは足らない。
曲もある。
そういう曲を作る。
同時に、衣装もある。
衣装も、もう、かやの木コンサートの時代ではないんだから、「差別しないでください」を逆手にとってもいいだろう。
エンタメとはそういうモノでもある。
舞台装置も、彼らのブラックの部分の表現の延長に、それを補完するモノにしなければならない。

ただ与えられたステージで、大人しく歌っていたんでは、井上に、ミツに、市丸に渦巻く「道の端っこを歩いて来た思い」を表現するに足らない。


いや、ワンマンとかだったらまだアレだけれど、フェスともなると、いろいろな人がいるわけだから。
そこにどうやって伝えるか。
どうやって、見てる人の「障害者観」をぶっ壊すか?

そういう舞台装置を秋ヶ瀬フェスではやります。
次回、出れなくなるかもしれないので、今回、必ず来て下さい。





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(BGM:SAKURA「ロックンロール・ウィドウ」from「あろは」)
→これカッコイイと思う。
なかなかセンスのある人たちだな、って思う。

最恐のデキ ★ 映画 「コンジアム」


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先日工藤さんちで「コンジアム」という韓国ホラーを見たんですけど。

コンジアムとは精神病院のことで、今は廃墟になっています、と。
そこが最強の心霊スポットになっているとかで、そこにユーチューバー的な人たちが侵入する。
それを配信して視聴数を稼ごう、と。

ま、よくある設定ではあるモノの、これはなかなかに最凶最恐。
ユーチューバー自身が持っているカメラでの映像になるので、どこかフェイクドキュメンタリ―風ではありますが、機材がしっかりしすぎているので、他のフェイクドキュメンタリーとは一線を画している感があります。

テレビ番組を作る、という感じといったらいいか、だから先に入って監視カメラみたいな俯瞰できるカメラも設置したりしているから、見やすいっちゃあ見やすい。

なんですかね、この映画。
この単純な設定ながら最恐、というのはどこなんだろうか、と考えた時に、役者さんがいいのではないか?という風に思い至ったんですけど。
なかなか怖がる演技がよろしい。
もう一つはですね、自分に向けたカメラが各々に装着されている。
なんで、表情が近いんですよね。
これ、単純に怖いのよ。
顔が大写しになるだけで、なんだか恐怖感が増す。
このあたりのことが大きくプラスに作用しましたね、これ。

スジとしてはまあ、あってないようなモノではあるけど、この映画がイイと思うのは、説明してるようで説明してない、というか。
おおまかに心霊スポットとしての「いわれ」は説明されるんだけど、出てくる霊一つ一つにあまり説明がないし、怖くて廃墟から出ていったレポーターが、同じところをグルグル回っちゃって、最終的に廃墟に戻ってしまう、というのも特に説明がないだけに怖い。
逆に言えば、「何が出てくるかわからない」んだよね。
これ、なかなか怖い。

特に、その廃墟を脱出した子たちが山の頂上にあるベーステントを目指すんだけど、途中でその山の中に、廃墟と同じように医療器具がちらばっているところに遭遇するんだ。
同じよう、というか、まったく同じなの。
廃墟の中が山の中に展開されている、という。
これ、わけわかんなくて怖い。

完全に登場人物達はこの廃墟に「呑まれている」んだよね。
仲間は次々おかしくなっちゃうし、でもそれも「おかしくなりすぎない」というか。
おかしくなっちゃうと、「その人は霊側の人になったのでなんか助かる」みたいな感じも受けるんだけど、そういう感じでもない。
結局は、37564方向。

とにかく最近のホラーの中では屈指のデキだと思います。
ので、もうみなさんに見て欲しいんですけどね。


しかしどうですかね、そんなに心霊スポットとか、みなさん行きたいですか?

俺なんかはホラー大好きだし、実話系怪談の本ばかりをものすごい数読んでいるので、行きたい方面の人なんじゃないか?と思われるかもしれませんが、行かないですね。

行っちゃダメだと思います。

霊を信じるか信じないか、というのは確かに難しい問題ですが、結論はともかく、俺としては霊は人の心の中にいる、と思っています。
だから、霊がいると思えばいるし、取り憑かれたと思えば取り憑かれているんです。
おかしな行動を取ったとしても、それはもうしょうがないんです。
取り憑かれているんですから。

そう考えれば、やっぱ「霊はいる」にはいるんです。
だから、心霊スポットなんていう「人間が作ったところ」に行くのはダメだと思います。
なぜなら、霊は人の心の中にいて、心霊スポットも人が作ったモノ、であるからして、それは最恐の事態を引き起こさないとは限らないからです。

これがまあ、人が作ったとはいえ、霊が集まるための場所として作られた墓とか神社仏閣とかだったら、別にイイと思うんですけど、本来霊を集めるために作られた場所じゃないところを「霊が集まる」などと人が言い出すのは、やっぱどっかおかしいんですよ。

わざわざそんなところに行って、自分の心の中に幽霊を作り出す必要はないと思いますね。

霊に取り憑かれれば、日常生活がおぼつかなくなります。
これはまあ、実話としてもいくつかあります。
それを「狐憑き」とかって片づけてしまうのが科学、みたいに思われているけれど、霊が取り憑いていると本人が言うなら、霊を祓うしか方法はありません。
それもうまくいくとは限りません。

なんで、心霊スポットなどに行って、日常生活を棒に振る必要はないのです。
だって、「心霊スポットに行こう」「霊を見てやろうじゃないか」と思った時点で、霊はあなたの心の中にいるんだから。
それを暴れさせる必要はありませんよ。







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(BGM:MILKEES「LOVE IS LIKE A HEAT WAVE」from「YO !! COVER」)
→このアルバム好きですね。
スタンダートのスカカバーと言ったらイイかしら。
このトラックは、すげえキュート感があってステキ。

恥ずかしい話


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まあ、実際に俺はそういう境遇に置かれたことがないのでわからないと言えばわからない、ということはまあ最初に書いておいて。

売春、ってのが、援助交際、みたいになったのはおそらくバブルの頃だったか。
つまりはまあ、「援助する余裕ができましたバブルのおかげで」(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4090.html)って話なんだろうけど。
同時に、「奔放な女子高生」みたいなおそらく「作られた」女子高生ブームもあって、「誰だってやってる」という雰囲気もできあがりまして。
それによって、売春は「援助交際」って言葉に変わって、カラダを売るというハードルは下がりました。

「カラダを売って何が悪いの?」みたいな言説もネットニュースとかで流れてきますが、アレも恐らく「作られた意見」って気がしますね。
実際にはそういう人もいるでしょうが、その一つを取り上げることで、「そういう女子高生とか大学生がいる」、ってことが「オトコ」に夢を与える。
そういうニュースの一つだと思います。

最近は、その上「援助専用アプリ」だとか「不倫専用アプリ」みたいなのもあるとかの流れになって。
こうなると、「みんなやってるんだから」という「雰囲気」はさらにアップ。
ハードルはどんどん下がっていきます。

ま、これですね、オトコの欲望をどう満たすか?というコトに沿って進められている陰謀のようなモノだと思いませんか?。
欲望だけじゃなくて、願望も満たしてくれる、というか、実際にコトに及ばなくても、「そういうオンナが普通にいるんだなあ」「あのオンナも?」「俺にもチャンスあるかも?」「興奮するなあ」みたいな。


自分の若い頃のことを考えると、あまりこういう偉そうなことを言えないんだけど。
けっこう若い頃はかっこよかったので、モテる、と自分で思っていました。
実際、まあそういうモテる経験というのはあった。

まあ、今考えると恥ずかしいですけど。
なぜ恥ずかしいかというと、確かに女性側から「抱いて」と言われるのはまあ、いいとして、そういう経験が増えていくと、「誰でも俺に抱かれたがってる」という風に「勘違い」してしまうのよね。
それがなんか肥大していくと、「なんでお前は俺と寝ないんだ!」みたいなことになっていってしまう。

まあ、もうこれは懺悔ですけど。

ある時に、「この流れだと寝れるな」と思っていた、…それがもう思い込みで恥ずかしいんだけど、それができなかった時、「あ、俺、勘違いしてたわ」って素直に思えまして。
百戦錬磨の達人が(と書くのも恥ずかしいのだが)、一度の躓きでそう思えたのはありがたかったな、と今は感謝しているところで。

今、けっこうお酒に睡眠薬を混ぜて無理矢理セックスしちゃう、みたいなことがよくツイートでも流れてきて。
「なんで俺と寝ないんだ」みたいなことが肥大した結果なのかもしれないよな、とか思ったりするわけですが。
つまりはまあ、女性を同じ人間と思ってない、セックスする「モノ」のように考えている感じ、というか。

そういうことに今、嫌悪感を抱けるようになったのは、その時の「あ、俺、勘違いしてたわ」に集約されるので、その時の出来事はとてもありがたいと思ってまして。


愛してる、愛してない、というのは確かに感情の問題として存在するんだけど、それとは別に「セックスする」というのはあるんだと思う。
それを否定するモノでもない。
動物の本能だし。

とはいえ人間ですから。
セックスに至る過程というのがあるわけで、そこにまあ意味があるというか、そこに駆け引きとかがあって重要だったというか、そういう部分があるわけで、それを薬物でなんとかしちゃう、ってのが、正直意味分からない。
何が楽しい?のかわからない。
それは勲章でも何でもないではないか?
勲章は薬物であって、君は関係ないじゃん、みたいな。


まあ、ちょっと話が飛びましたけど、カラダを売る、って話に戻すと、結局ですね、この手のコトって、「オトコ目線での論議」でしかないように思うんですよ。
先の「カラダを売って何が悪い」という女性がいたとして、それが表に出て意見を言えない、という状況がそもそもオトコ優位を証明してる感じがあります。

で、結局は、オトコの欲望を満たすような論議にしかなってない。
薬物で強姦したのが無罪だとか、結局それが肥大した結果にも見える。


なんか、だから、何が言いたいかというと、援助交際アプリだとか「みんなやってる」とかって、オトコが作り出した、オトコに都合のいい「雰囲気」だ、ってこと。
「そういう時代なんだ」「そういうオンナもいるんだから」というのも、オトコに都合のいい「時代」ってことでしかなくて。

根本的に日本というのはオトコ社会でできているんだ、ということをもっとみんな理解した方がいいよな、って話です。
「女性活躍」だとか言うけど、それもなんか、オトコ社会のなんらかの「作為」を疑った方がいいのかも。





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(BGM:chicken Killers「13 FRIDAY NIGHT」from「ROOKIE」)
→終始ボーカルがずれてんのよね。
で、それがかっこいいのよ。
全体としては、初期ルースターズっぽいサウンドに仕上がってまして。

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