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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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反強硬派が生まれる背景


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この前、例の伊是名さんのJR乗車拒否された件について書いたけれど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5511.html)。

先日この件で取材があったらしく、自身も車椅子を使っていて、JRで乗車拒否的なことがあったハトミがそのことについて内部でメールで報告してくれていたんだけど。
ま、彼自身のそのことがあったから、JRの駅無人化問題に取り組むことになったんだけれど。

そこにこんなことが書かれていました。
とても重要な指摘だと思ったので、加筆修正してココに載せますが、こんな感じ。

結局のところ、この問題は、私が池袋から南与野までを拒否というか、1時間待てという対応をされたことと同じだよねという話をしました。
それが私より名の知れた伊是名さんがブログに書いたから、多くの目に入って非難を受けたんだって。
私は、この件について、健体者がまたどうせ何か言っているのでしょ、とそれぐらいに捉えていたのだけれど、実際に蓋を開けてみると、障害者からの怒り、お礼も言えないなんて同じ障害者として恥ずかしい・同じように見られて迷惑・怖くて外を歩けない、などの声が多くてショックだったと、それは言いたいと思っていてそれが話せてよかったです。
しかし、健体者の枠に入りたい・入れてもらいたい障害者が凄く増えたなと感じます。
本来は、どんどん障害者が当たり前の権利を訴え健体者の枠を開かせて行かなければならないのに。駅で電車に乗るのに感謝の気持ちを述べたり、毎回すみませんなんて言っていたらそれは、自分は障害者はお荷物ですって自ら差別されに行っている。首を絞めてるだけなのに、分からないのかなって。
それに伊是名さんのことを怒るのはお門違いも良いところで、どうして障害者は降りたい駅で降りれないのか?と、怒らなきゃいけないのはソコでしょって。
障害なんて明日は我が身なのに、想像力が無さすぎるよなって。
伊是名さんは、今回の件で良くも悪くも、障害者は乗りたい駅で乗れない・降りれない。ということを可視化してくれたことはよかったと話しました。

以上。

この、「健体者の枠に入れてください」ってのは、すごく俺も感じることがあって。
ただまあ、俺自身は障害者ではない、というか、そういう手帳を持ってるわけじゃないので、あまりそれについてどうこう発言するのもどうかと思うところもあって、書いてないわけじゃないけど、強くそれを主張することはなんかしっくりこなくて。

でもまあ、なんか彼が書くとスッキリする感じがして。
それで紹介したかったんです。

実際、青い芝は俺のちょっと前の世代ということになるけれど、路線バスへの抗議とか、すごいじゃないですか。
俺はその後の世代で、いわゆる「ああいう抗議の仕方はいかがなもんか」みたいな論議も出てきた感じの世代、ってコトになるんだけど。
いわゆる、一般的なことで言うと、強硬派と反強硬派、みたいなことか。
ま、正しくはないけど、そういう方がわかりやすいかと思って書きました。

で、ウチの初代会長さんはどっちかというと、反強硬派だったと思います。
いや、それも正しくなくて、本心はどうだったかというとそれはかなり怪しくて。
つまりは表向きそうだった、という。
恐らくは、時代が軽薄短小の方に向かっていて、俺の学生時代ってのはそもそもバブルだったし、オールナイトフジが絶好調で。
そういう学生たちを「ボランティア」として引き入れるために、それを装っていたのではないか、という風にオレは思っています。
当時、介助はたいがいをボランティアでやっていたから、ボランティアが集まらないというのは「とりあえず日々が送れない」ってことだったんだよね。

「装っていたんじゃないか?」というのは、彼女の晩年、というか自宅で意識を失ってそのまま病院で死んじゃうんだけど、その意識を失う週に、俺は彼女と話をする時間がたまたまあって、「このままじゃダメだと思ってる」「何も変わらない」という話をしているからだ。
「多分、私も長くない」「その間になんとかしたい。力を貸してくれないか」と。
俺がそれに本気で答える前に彼女は死んじゃったわけだけれど。

つまりですね、反強硬派に「ならざるを得ない状況」ってのがあったんだと、オレは思っています。
それは、健体者の社会の問題。
障害者の問題の解決のためではなく。

今回のこのことも、「障害者はいつも感謝しろ」とか、「電車に乗るなら乗せてやってもいいが、俺たちの決めたルールに従え」という言葉が跋扈する中、「装わざるを得ない」ということなんだろう。
つまりは、誰だって戦場になんか行きたくないのに、国を挙げての「戦争するぞ!」に巻き込まれる心理と同じですよね。
ナチスがおかしいと思っても、誰も意見が言えない、みたいな。

ネイクドに、「障害者が自由に電車に乗れない」という単純な権利の問題なのに、社会の圧迫によって、「障害者も感謝しようよ」みたいな意見が障害者自身から変換されて出てくる。
まあ、そういう構図なんだとオレは思っています。

本当に初代会長の福嶋さんが言いたかったことはなにか。
あの後、一年でも二年でも「この状況をぶっ壊そう」と一緒に動いていたら、彼女は何を言っただろうか。
今も時々考えますが、それってたぶん、「社会を反転させよう」ってことだったんじゃないかと思っています。

今の健体者社会に「入れてください」って頭下げたいですか?
ブラック企業が跋扈して、非正規が半分いるような状況。
そんな社会で、生きたいんですか?

俺は障害者の皆さんから見たら健体者でしょうが、俺はごめんですね。
もう次に行きたい。
この状況はぶっ壊したい。

障害者問題がそもそも社会の問題であるという以上、社会そのものの問題が常にそこにはつきまとうわけです。
障害者だけの問題などこの世には存在しない。

そのことを俺はしっかり考えなきゃいけないと思います。







(BGM:DE DE MOUSE「east end girl」from「east end girl」)
→東洋風のメロディラインがいい。
ポップであるし、リズムもなんか楽しい。
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逆流してみて


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人ってやっぱ流されがちじゃないですか。
特に俺はそうで。
保守的というかなんというか。
今やってるモノがなかなかやめられない、とかそういう。

例えば俺を例に取ると、まあ学生時代にここにボランティアに来ていた彼女に連れられて当時の会長だった故福嶋さんに会って。
その後、彼女は在学中に死んじゃうわけだけれど、なんやかんやあって、虹の会は続けようってなって。
当時、確かに俺は「もう終わりにしよう派」だったんだけど、なんか会議でそうなっちゃって。
で、そうなっちゃったのに、なんかまあ教育学部だったこともあって、一緒にボランティアとかしてた人たちは教職試験とか受けて受かってたりしてて。
う~ん、しょうがないなあ、じゃあ受けてないし、別に就職考えてない俺が中心に進めるしかないのか、みたいな。

それで今日に至る。

というと、大ざっぱだけど、たぶん自分の人生を変えるきっかけってのは、要所要所であったと思うんですよ。
辞めようと思ったことも一度ではないし。
というか、最初の頃はけっこうずっとやめたかったし。
でもなんだか、結局続けちゃったんだよな。

その辺、まあもう流されてる感じというか。
今思えば、しょうがなかったなあ、としか思わないけど、まあ流されやすい性格なんだと思う。

まあ、なんだろう、俺のことをすごく信念があって頑張ってる人、みたいなことを言う人がいるし、そういう勘違いもあのテレビが増幅した感じもある。
でも、そんなんじゃなくて、まあ毎日なんとなく流され流されやってる、というか。
もちろん、時に流れは急になったり、分かれそうになったり、いろいろあるんだけど、でもまあ、「そんなに大したことはできないし」ってことで、その場でなんとかやってるんだろう、俺。
もっと言うと、日常は、「ズボンのお尻破けたみたいだから、市丸見てくれる?」といって市丸めがけてオナラしてます。

もちろん、小難しいことを考えたりもします。
でも、それも「考えなきゃならない側面」であるから考えてるわけで、どうにもこうにも、一部の人が考えるような人ではない。

で、まあ子どもができて結婚して、子どもが生まれて、なんやかんや三人の親になって、PTAのくじ引きで負けて役員やったり、学童のオヤジの会とかでなんか集まったり、そういうのもあったけど、それも「やりたくてやった」というよりは、くじで負けた、みたいなことですし。
オヤジの会とかは、まあ俺は他のお父さんとかに比べて若かったんだよねかなり。
そういうこともあって、「まあ、若い人頼むよわっはっは」みたいな。
「そうっすか、わかりました」みたいな。

まあ、ウチで言えば、目の前でやっぱ問題は起こるわけですから。
それに対してどうしようか、こうしようか、ってやるわけだから、流されていると言えば流されているというのが必然ということもあったりするわけだけれど。
目の前で困ってる人がいて、どうしましょう、みたいな。

ああ、俺がすごい流されてる人なんだな、と自覚したのはおそらく一番下の子が生まれた後かな。
でも別にそういうもんか、とも思っていたし、毎日はしょうがなく流れていくし問題は起きるから、どうにもならなくて。
なんかここまでくると「辞めらんないな」というのもあるわけで。

でも、一回だけ、流れに逆らったな、と思うのは離婚なんだよね。

流されてそのまま生きていくのもアリなんだろうけど、どうしてもその先の人生を考えた時に、「ここで流されてはいけない」という風に思ったわけ。
後で絶対に後悔する、って。

だから、そこからだよね。
俺の人生が始まったのがそこからというか。
そしてまあアキと再婚して、「この人と飲みに行きたい」とかってのがけっこう俺の中でムクムクと大きくなってきて。
前からそういうのはあったんだとは思うんだけどね。
あまり実現までは行かなかったことが多かった。
それまでは、まあ、みんなで打ち上げです、とか、虹の会最初から一緒にやってきた三原や竹脇やよしをと飲みに行こうとか、その程度だったんだけど、いろいろ欲が出てきたというか。

アオテツと出会ったのもデカくて、そもそもアキがプロレスラーだった時にプロレスを見に来ていたのがアオテツで、なんやかんやあって今に至るわけだけれど、今もなんやかんや事務所のパソコン見てもらう流れで毎週は飲んでるからな。
「あ、こうやってみんな自分の飲みたい人と飲んでるんだ。そうだったんだ…」みたいな。
そういう当たり前の発見をしたというか。

で、その一回の逆流を経て今に至るわけです。

というわけで、いろんな人と飲みに行きたいんだけど。
よく「ブログ読んでます」とか言われることがあったりますが、照れくさいので「いやいや、どうもすいません」とかってすぐに目をそらしちゃいますが、コロナが終わったら一緒に飲みに行きましょう。
そんなあなたと出会いたいと思っています。
ま、ブログに書いてることは表向き、ってとこもありますし。

俺の人生がやっとなんか動き始めている感じ。
まあ、うまくいくのかどうかは知らないけど。

でもまあ、アキと暮らしていて、なんかうまくいくと根拠のない自信はある。









(BGM:進藤 克己「La Siesta」from「一輪の花」)
→キーボーディストの方なんですね。
たまたま手に取っただけので、特に思い入れはないんですが、ジャケットが森の中でキーボードを弾いていて、なんかちょっと気になった。

世界を広げるために


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おしっこが出る時の「もう出ちゃうわ!」というのを、おしっこ警報10としましょう。
まあ、たいがいギリギリまで我慢する、てのはだから9くらいの時、ってことになります。
で、トイレに駆け込んだところで10になって、おしっこをする、と。

これ、まあどういうことかというと、おしっこはトイレでしないとちょっと具合が悪い。
具合が悪いというか、かっこ悪い。
漏らしちゃうのはあまりよろしくない。
そもそも、掃除しなきゃならなくなる可能性もあるし、着替えなきゃならないし、そうそう簡単にその場から去れない。

ちょっとまあ、今後「漏らした人」として認定さてしまう要素がかなりある。
秘密裏に漏らす、というのは至難の業である。
つまり、社会的に見て、漏らすというのは、「不名誉」である、ということなのだ。

だから人は、まあ9まで行ったらトイレに行く。
なんなら、9ではトイレが混んでいた時に、並んでいる間に10になる可能性がある。
つまり出ちゃう、不名誉、ということになるから、たいがい7くらいの段階でトイレに行く。

これ、子どもとかだとけっこう10まで気づかない、ということがあって。
例えば、遊びに夢中になってる、とか。
まあトイレでおしっこができるようになってのち、保育園くらいの子という感じかな。
で、漏らしちゃう、ということはよくある。
これは子育て中とかによくあった。

親としては片付けがめんどくさいし、しつけ的なこともあって、「もっと早くトイレに行きなさいな」ということを言うことになる。
その親の苦言に効果があったのかどうなのかはわからないが、とにかくたいがい小学生くらいになると、7くらいで行くようになる。

ま、これは感覚の問題で、膀胱の感覚というか。
それが鈍っていると、そもそも10がわからないから、トイレに行くも何もない。
もう亡くなったけど、前会長のかおるさんとかは半身まひだったから、それがわからないので、いわゆる「管を入れる」ということをしていた。

しかしまあ、そういう機能的な問題はちょっと置いておいて、そうじゃなくて感覚があれば、たいがいの場合は今トイレ警報が1なのか、7なのか、9なのか、というのはわかるようになる。
恐らく、子どもの頃、赤ん坊の頃とかは、その警報を感じる感覚が弱い、ということなのだろう。
その上、興味があることが世の中には広がっているから、どうしてもおしっこ警報が後回しになる、という構造があるのだと思う。

で、その上に社会的な「不名誉」という問題があるから、そもそも小学生とか中学生、いわゆる自我の成長というか、思春期的なことになると、もうおしっこ警報がキチンと機能しなければ、一大事件になる。
機能的に膀胱の感覚が研ぎ澄まされていくのと同時に、その社会的抑圧というか、そういうのでおしっこをトイレでできるようになるわけだ。

今思い出すと、オグラがここに来たばかりの時、漏らすようなことがよくあった。
いわゆる入所施設からここに来たばかりの頃だ。
今、誰かと喋っているのに、そこで漏らす、みたいな。
まあまず疑ったのは、膀胱の感覚ないんじゃないか?みたいなことですね。
でもまあ、トイレに行く時もあるからなあ、と。

ま、オグラの名誉のために言っておくと、オグラは今は漏らすようなことはなくなったけど、つまりですね、機能はちゃんとしてたんだ、たぶん。
でも、「社会的抑圧」の方が弱かったんじゃなかろうか、という推理が成り立つ。

入所施設にいれば、人と会わない、いや、職員や入ってる仲間?利用者?とは会うけど、そもそもオグラは一緒の部屋だった人の名前も覚えてないくらいだから、そもそもそれを「人としてカウントする」というのは違ったのかもしれない。
職員も、嫌いだった人は思い出せるけど、そうじゃない人は思い出せないみたいだから、そもそもそれも人としてカウントできない人だったのかもしれない。
まあ、社会に開いてる場所じゃないから、名誉も不名誉も、社会の抑圧自体がなかったのかもしれない、という推論が成り立つ。

で、そうなると、もう膀胱の感覚もだんだん退化していたのではなかろうか?と。
「どうでもいいや」てなっちゃってるというか。
もちろん無意識に。
一日やることがなくて、ボケッとして、話す仲間もいなかったらそうなろう、というのも推理できる。

だから、膀胱の感覚の問題と社会的な抑圧というのがセットになっていて、社会的な抑圧が外れてしまえば、膀胱の感覚も鈍っていって、結局漏らす、という。
オグラの場合はそれでも社会的な抑圧が効いたのか、膀胱の感覚も戻って、まあ今なんとか不名誉な事態はそこそこ避けられている、という感じか。

カイは発作が起きると漏らすけれど、それはおそらくてんかんの発作で、感覚がおかしくなってる、というか、「おしっこしろ」みたいな指令を脳が出しちゃってる可能性があるわけですね。
だからもうこれはしょうがない。
なんかもう、本人にどう言ってもどうなるもんでもない、というか。

オグラの場合は、「かっこ悪いなあおまえ」みたいなことは言ったんですよ。
そもそも養護学校の高等部の頃には生徒会長までやった人だからね。
戻るはずだと信じて。

でも、まあカイのはそういう部類のことではない、というか。

なかなかこの辺難しいところで、やっぱ「漏らしちゃう」ってのは、出かけられなかったりするんですよ。
飲みに行ってもお店に迷惑をかけちゃうし、ライブでもプロレスでもそれは同じで。
だから、漏らさないに超したことはない。
カイの先例のような場合は別として、例えばオグラだったりとかそういう風に「漏らさないことを意識的に作り出せる可能性」がある場合は、やっぱそれについては努力したい。
というかして欲しい。
彼が努力できるための努力はしたいと思う。
ま、あくまで社会的な抑圧と膀胱の感覚に相関性がある、という前提で考えてるわけですけど。

ただまあ、「知的障害者は漏らして当たり前」みたいな流れとか、そういうのも一方であるわけじゃないですか。
そりゃ、カイのような場合についてはそうなんだけれど、もう発作という機能的な問題だから。
でも、全員が全員そうじゃない。
そうじゃないんだけど、「知的障害者」という網にかけられて、「おまえは漏らしてもいい人」ってレッテルが貼られると、まあ社会的抑圧が弱まっちゃうわけです。
一回どっかの施設に入っていたとか、一時期オムツをしたとか、そういうことによって、「私は漏らしてもいい」という風になってしまうというか、「そういうことなんじゃねえかな?」と思う例は他にもあります。

まあ、そもそも社会的抑圧からフリーになってる感じの場合(つまりはまあ、もう「まわりは関係ない」、まわりを認識できない、みたいな場合)はまた違うんだけど、少なくともオグラとか、意識が高いのに漏らしちゃう(ちゃっていた)ような場合、そしてさらに機能的にまひしてるとかじゃなければ、やっぱちょっとその努力をしてみたい、と思う。
やっぱ、漏らさなければ、出かけられるところが増えて、世界は確実に広がるから。










(BGM:Sheena Easton「You've Learnd To Live Without Me」from「My Cherie」)
→今ザッとネットで見てみたら、シーナイーストンさん、80年にデビューなんだな。
もっと前かと思っていたが、もしかしたら記憶の中でオリビアニュートンジョンさんと混じってるかもしれん。

あっさいウソ


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ま、冬服から夏の服へ変えるのはなかなか難しい、って話をちょっと前に書いたんですけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5506.html)。

コバがやっぱりジャンパーを着てきてまして。
ま、作業は半袖というか、まあ長袖Tシャツか、そんな感じでしたが、朝着てきていて。
「もういらなくない?」という話をして。

そしたら、「朝寒かったから」というようなことを言っていて。
いや、それにしたって、真冬に着ていたジャンパーじゃねえだろ、という話なんだけど。
コバはもっといろいろ薄手のジャンパーとか引っかけるような服とか持ってたよな、と思いまして。
で、「朝のいつ寒いと思ったわけ?」と聞くと、「外に出たら寒いと思った」というので、「じゃあ外に出て寒いと思って、一回家の中に戻ってジャンパーを着たのだな?」という話になるわけですが、そういうことでもない。

つまりですね、簡単に言うと、もう「何も考えていない」んです。
だから、そのまま、昨日着ていたモノを着る。
ま、そんだけの話なんだけど、コバとしては「寒かったから」と言う。

つまり、まあ「何も考えていない」というのは、ちょっと前に書いたモトミ先輩と同じ感じになっちゃうわけですね。
それがとにかくコバはイヤなわけです。
「同じにしてくれるな」と思っている。
思ってはいるが、現実には一緒なんです。
そのことは俺もよくわかっている。

でも、「一緒にしてくれるな」と思っているコバは、「朝寒かったから」とウソをつく、というのが、まあココまでの流れですね。


養護学校とかで、みんな仲良くやっているかと思うかもしれないが、その中では厳然と「能力の差」というのがあって、それがまた知的障害の程度に合致してる感じがあってとてもイヤなんですけど。
つまり、本来はみんなで手を取り合って社会に、差別に対して行かなきゃならないのに、そうならない。
集まったら集まったで、またその中でイジメみたいなコトが起きるんですよね。
実際、井上なんかは中学までは普通学校でいじめられていたけど、高校では養護学校に行っていじめる側に回った、みたいなことらしいし。

まあ、そういうのがある。
そういうのを引きずってきてるんでしょうね。
コバとしては、「一緒にしてくれるな」となる。

なるけれども、もう浅いわけです。
というか、あっさいわけです。
この辺なんですよね。

彼らの中から、そういう「能力に従ったヒエラルキー」みたいなモノは排除したいわけです。
モトミにはモトミのいいところがあるし、オグラもそうだし、カイもそう。
そういうところで、みんなで社会に対して行きたい、と思うわけです。

でも、そこを、いわゆる「障害の重さ」みたいなことで彼らは簡単に仲間を「下に見る」わけです。
とはいえ、そういうことを我々も考えてますから、表面的な部分でそういうのは出てこなくはなってきているけれど、でも、こういう時にちょいちょい出るんだな。
というか、コバはそもそもよくそれもよくわかってない感じもあって、コバに関してはこの感じがまだねっとりとまとわりついている感じがある。

まあ、強烈なイジメられ体験がそうしている感じもあるんだが、同時に、彼の場合はお父さんへの恐怖心もすごくて。
まあ、そういうのもあって家出してきた経緯もあるんだけど(この家出の話はこちら→https://youtu.be/9ZDOB9BzGYo)。

なんかこう、なんだろうな、「わかんない」「考えてなかった」と認めることができない。
まあ、どっか井上やノブたちの「グループにいたい」、というか、「そこにいたいんだ」という感じがすごいというか。
もちろん、ある程度の力の差はあるし、そこの中でリーダー格の人間が生まれるのもそうだと思うし、逆にそれはうまく使っていきたいな、とは思ところだけれど、コバを見ていると、まあ「井上にいいように使われてる」という感じもするわけです。

その辺、まあ井上はハヤテを殴る事件があって、井上に対しての逆風が昨今、すごくありまして。
いわゆる「いじめっ子への逆襲」みたいなことが始まっているというか。
というか、そう仕向けているところもあるワケですが、まあそういう。

いやね、まあだからコバのこの「ウソ」をどうしてくれようかな、という。
まあ、「ウソでしょ?」というのは簡単だけれど、このヒエラルキーの中である意味では「おびえて暮らす」ことへの恐怖心を取り除くまではなかなか難しい。

まあ、そんなわけで、この「一緒にしてくれるな」という。
これ、健体者と言われる人たちが市丸に対して言ったとしたら、「あんたそりゃ違うだろ」と簡単に言えるんだけど、彼らの中にもあると言うね。
そして、それがなかなか理解するには難しい、というところもあって、同時に、そういうヒエラルキーの中で強烈にいじめられてきた彼らには、なかなかそれが入っていかない、という話でした。







(BGM:Red Hot Chili Peppers「Tear」from「By The Way」)
→もう世界的なバンドということになりますか。
いやいや、聞いてみれば確かに爽快。
いい音楽ですよね。
まあ、俺なんかは、レッドホットチリペッパーズ言うくらいだから、もっとメチャクチャな音楽かと期待してたんですけど、ま、上質なポップですわ。

境界線を越えるな ★ 映画 「モンスターハンター」


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「もんはん」ですか。
聞いたことはありましたね。
モンスターハンター、というゲームらしい。
けっこう売れたというか、人気があるらしい。

俺はゲームをやらないのでよくわからないんだけど、みなさんはどうですか?
もんはんしてますか?

というわけで、モンスターハンターの映画を見てきたわけですけど。
ま、なんで?というご指摘ごもっともなんだけど、時間がね、ちょうどありまして。

別にもんはんやってたわけでも、ゲームに興味があるわけでもないことには変わりない。

とはいえ、どっかミラジョボビッチさんに惹かれる俺はいる。
そもそも、こういう「女性が闘う」という映画は基本好きなんだな。
どうしてかはわからない。
たいがい、もうタンクトップで泥だらけになって闘う、みたいなことかと思いますが、そのラインがなぜか好き。
そう言われれば、どっちかというと背が高いとか、たくましい感じの女性が好きなのかもしれない。
ま、それは性癖的なことだけれど。

というわけで、映画ですが。
もうこれは、ミラジョボビッチさんを見る映画です。
それ以外にまったく見るべき点がない。

いや、もう一点、CGがすごい。
もうそこに恐竜的なモノがいるかの如くです。
完全にどうですか、もういますよね、これ。

昔はどっか「合成っぽい」という感じがあった感は否めない。
しかしもう、完全にいます、そこに。
そして、それとミラジョボビッチさんが闘う、という。

それだけであります。
スジとかそういうのもあるようでないようで、よくわかんないというか、まあゲームやってたらわかるんだろうか。

後から出てきた人たちは何だったのか?
その人たちと最初の彼は仲間なのかどうなのか、いろんなことについて、まったくわからないままとにかく闘う、という。
相手の弱点もよくわかったようなわかんないような、何をやったら勝てるのかもよくわかったようなわかんないような。
ま、わかんないんですけど。

でもまあ、ミラジョボビッチさんが勝てばいいんじゃないですか。

ま、いいんじゃないですかね、こういう映画も。
もう何も考えなくていいし。

どんなに地面にたたきつけられようが、ミラジョボビッチさんは死なない。
そして、なんと一回心肺も止まっている。
けど、死なない。
生き返る。
多分ですけど、一回お腹のあたりなんか刺さったような感じもありましたけど、でも死なない。
こうなってくると、誰がモンスターなのか?という問いに対して、ミラジョボビッチさんがモンスター?という感じもしてきます。

感じもしてきますが、でもいいんです。
そういう映画だから。

そもそも、世界観もよくわからないんだけど、たぶんなんだろう、時間を越えているのか、時空を越えているのか、次元を越えているのか?まあ、そのモンスターたちのいる世界に行っちゃう、という。
そしてなんか、行き来もできそうな感じもある。
そのとっかかりはどうも雷である、ということはわかりました。

ま、そもそも時間も時空も次元も意味わかんないですけどね。
どう違うか?と問われれば、まったくわかりません。
でも、わからなくていいんです。
ミラジョボビッチさんが勝てばいいんだから。

というような話をしてたら、アキが「でも、それで死なない、ってのは、ゲームの話だからさ。現実には死ぬからさ、なんかゲームに熱中するあまりその辺がわからなくなる人が増えるんじゃないかと思うと怖いよね」と言っていて。
そうだよなあ、と。

いわゆる、マリオが流行した時もそうだけど、「リセットしたかった」とかさ、「ライフがなくなる」とか、命について、人生について、なんだか「ゲームだったらいいのに」と思ってるだけならいいけど、なんかその境界線があやふやになったら、そりゃダメだよね。

超人に憧れる気持ちは誰にもあるけれど、それは超人だからできるんであって、「ドント・トライ・ディス・アット・ホーム」なわけです。
プロレスとかでも同じだけれど、アレは鍛えてるからできるんであって、それを極限の「肉体芸」として我々は見てるわけで、そこのところの境界線を越えちゃいけない。






(BGM:元ちとせ「詠みびと知らず」from「ハナダイロ」)
→この「母音を残しながら歌う」という感じがこの人、よくある気がするけど気のせいなのだろうか。
そんなに聞いたことないけど、聞いたいくつかはそういう感じというか。
どっかジャパンルーツの歌い方のような感じがするし。
なんかちょっと調べたら、奄美の出身の方なんだな。
そう考えると、確かにその感じをしっかりと歌謡曲に残そうとしている感じなのかも。

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