FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - - - - 12
3 4 5 6 7 89
10 11 12 13 14 1516
17 18 19 20 21 2223
24 25 26 27 28 2930
- - - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

24日のイベントに参加してください


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


リーダーが自分のやってることややってきたことに疑問や反省がないと、考えや行動を変えられず、間違った道をとにかく闇雲に進まざるを得なくなる。
でも、すぐに行動を変えるリーダーも困る。
といって、初動の段階でいつだって正解なんかできない。
そして、おそらく初動の間違いをずっと意見され続けなければならない。

そう考えると、リーダーになんかなるもんじゃない。と思う。

生徒会長だって、学級委員長だって、PTA会長だって、なんだって、なんで好き好んでやる人がいるのか不思議だった。

ま、それでもPTAの役員はくじ引きでやることになって、まあそりゃ大変だった。
だいたい、PTA自体がもう形骸化してて、硬直化してるから、やるもやらないももうそもそも「参加して損」のレベルなんですよ。

そこで、例えばなんかのイベントの意見を出したところで、もうなにやってもダメなんですね。
必ず反発が出る。

もちろん、最善の策を考えはするけれど、それでもそれはある程度「この集団で何をかしよう」みたいな一体感があって最善、ということであって、ソレがない場所では、何を言っても最善は最悪にしかなりません。

だから、俺は何も聞かないようにしました。
とにかく、初動で通そう、と。
で、「参加したくない人は参加しなくていいです。俺が一人でもやります」と言いました。

なんにしても、やらなきゃ終わらないんですね、PTA。
PTAバザーとか、PTAの行事も、やる必要があるのかどうか、ということから話し合いを始めるほど、時間も気力もありませんでした。
本当は、そこから話を始めなければならなかった。

でも、それはもう放棄したんです。
とにかく、任期を終わることだけを考えた。

でもまあ、そんな中でも、いろいろと参加してくれるお父さんやお母さんがいたので、最後はまあ、大団円で終わりましたけど、まあ彼らも「バザーが必要かどうか」までは話し合いたくはなかったんだと思います。
ソレをやってしまえば、逆に、子どもが卒業した後も、未来にも責任を負うことになってしまうから。


てなことでね。
ま、リーダーになんかなるもんじゃないし、なりたくもない。
俺にはそんなに野望もなければ、思いもない。

けど、まあ俺もここでは専従の最古参になってしまったので、それなりに毎日の中で何かを決めなければならない場面も多い。
決めなければならないから、決める。
でも、ソレが間違ってたな、と思うコトもある。
そういうときは、もう「間違ってた」という人になろうと思っている。

そういう最古参は頼りないかもしれないが、でも、しょうがない。
俺にはそんなに自信がないし、実力がない。

ま、多くの人に支えられて、なんとか毎日はやってるけれど、俺が何をかできているともあまり思えない。


だからまあ、藤井を失ったのは小さくない。

ま、藤井のことだけど、藤井がどう自身のことを思っていたかは知らない。
俺に言っていたことが彼の本音だったかどうかはわからないからだ。
でも、おそらくは、彼が俺を失っていたら、同じように、「小さくない」と言っただろう。
おそらくではなく、ほぼ100%。

ただまあ、彼は障害当事者であって、俺とはまた立場が違う。
彼は何があっても闘い続けなければならなかったわけで、それは俺とは違う。
俺は、別にここから去ることは可能だ。
どこに行っても、おそらく生きていくことはできる。
彼は、まあソレができない立場にあった。

腹の据わり具合も違ってはいたと思う。

ただ逆に言えば、俺のそういう立場からすると、そういう男を失ったという穴は小さくない。
大きいとは言わないが。


何が書きたいのかだんだんわからなくなってきたけれど、俺はでも、証明しなきゃいけないと思ってて。
リーダーになる、のではなく、少なくとも最古参で居続けることを。

そしてそれはトンネルの中に放置されたような気分だ。


んなわけで、24日に、みなさんとお会い出来ますよう。


24日の藤井の遺作を見る会の詳細→ http://www.nijirock.com/blog/?p=11368







(BGM:フィーバー「悪魔に口づけ」fromYOUTUBE)
→いや、もうね、女の子三人組ってのがさ、どういう女の子の組み合わせにするか、ってことなんだな、ってのがよくわかる。
可愛言っていっても、同じようなタイプでは意味がないというか、3倍売れたい、というか、「どっかに引っかかってくれ」的な感じなのか、三者三様にかわいい、という。
しかし、この振り付けはなんだか、サビになると急にキビキビしてるので、ちょっとひく…。
スポンサーサイト

それでも悩みは続く ★ 「聲の形」


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


「聲の形」ってのをアキとテレビで見たんだけど。

24TVの裏でやっていたらしいアニメ映画。
耳の聞こえない子をヒロインに据えたドラマ。

主人公は男の子で、小学校の時、耳の聞こえない女の子、西宮をいじめてた。
が、西宮は転校、今度は主人公の男の子がいじめられることになる。

そんなことがあって、で、この話は、その後、彼らが高校生になってからの物語。
高校で主人公は西宮をいじめていた過去、その後いじめられていた過去から逃れられず、一人カラにこもる。
学校に行っても話す人はいない、誰が話している声も聞こえない。
独りぼっち。
「俺なんか死んだ方がいい」「いらない人間だ」という思いを強くしていく。

で、まあ西宮に一言謝りたいというのか、謝るとも違うんだけど、とにかく一度会おうとする、みたいな。
そこからまあ西宮と主人公の恋愛ドラマが始まります。

まあ、自分をいじめてたヤツを好きになるかどうか?という意見はあろうかと思いますが、これ、やっぱ耳が聞こえない、という事情もあるような気がする。
つまり、彼女にとっては、「自分にとって何もない人」が結局いじめてる人なんだわな。
イジメを、関わってくれる、という意味でとらえたら、どうなんだろう。
って、まあけっこうひどくいじめてるし、イジメをそうやって肯定するのはよくないですけど。

とまあ、そんな流れの中、これが重要なんだけど、主人公の後ろの席に座ってた男の子がとある事件をきっかけに主人公の「親友」になる。
同時に、西宮の妹もあらわれて、言葉少なな主人公と西宮の距離は縮まっていきます。


これ、まあヒロインが耳が聞こえない、という設定にする必要があったかどうか、ちょっと疑問はあります。
「他人の声が聞こえない」みたいな、独りぼっちの世界、みたいなのを表現するために必要だったのかしら。

確かにこの話、都合はいいと思います。
主人公に都合がいいというか、いじめてた側にとって都合がいいというか。
そもそも、いじめられてた女の子がいじめてた子を好きになっちゃうんだから。

とはいえ、これ、完全な形で決着する話じゃなくて、明確にハッピーエンドでもないんだよな。
「これからの人生も悩み悩みやっていきます」みたいな宣言でしかなく、登場人物誰もが完全に「変わった」みたいなこともない。
それぞれの思いを抱えて、苦しい中、生きていかなきゃいけない、みたいな。


ま、高校生ですからね。
正直、この恋がそのまま続いていくとも思わない。
思えない、んじゃなくて、思わない。

逆に、大いに恋をして、大いにまた破れ、悩みながら生き抜いて欲しい。
主人公も、西宮も。

ま、そんなお話。
ちょっと否定的に書いたかもしれないけど、いや、ちょっと泣いたし、感情移入しちゃって、ものすごくはらはらもした。


で、この「思い悩む高校生」みたいな設定。
独りぼっちで、休み時間も自分の席に突っ伏している、みたいな。
このタイプ、よく映画には出てきます。
そして、主役だったり、重要な役回りだったりする。

「まわりとあわない」というのは、確かに主役級の、ひとかどの人物という気はします。
まわりにあわせてわーわー言ってるのは、脇役でしかないんですから。
それは映画だけじゃなくて、人生においても。

俺は学校をそんなにイヤだと思ったことがないので、この「突っ伏している気持ち」はよくわからない。
というか、憧れるところもある。
でも、それはそれで生きるには苦しいんだよな、ということもわかる。

人は、特別でありたい、でも、普通でありたい。
集団を動かしたい、でも、イジメを傍観してる側でもいたい。
自分が矢面に立つのはごめん。

…つまり、人は都合がいいんだよね。
どれをも兼ね備えている人などいない。
思いは矛盾してるんだから。

突っ伏してる人は、突っ伏してない人を幸せなんだと錯覚し、自分を不幸だと思い込む。
突っ伏してるヤツを「確固たる自分の世界を持ってるヤツだ」と憧れ、流されて多勢の中の一人であることにいらだちを持つヤツが突っ伏してるヤツをいじめる。

共通しているのは「自分は不幸である」「自分の今に満足していない」という点だ。


子どもの時はそういう思いがまた強い。
なにせ、仕事がない。
考える時間が山ほどある。
自分とはナニモノか、自分はこのままでいいのか、そして毎日ボッと見ているテレビからは理想の人生像が流れてくる。
そして、これから大人になる過程で、「自分はナニモノにもなれる」と思える時間が、少なくとも大人に比べて、ある。

結局、人間はないものねだりなのかもしれない。
自分にないものを欲する。
今の自分じゃない立場になりたい。

だから常に人生の悩みは解決はしない。

でも、そういうもんなんだよね。
違う立場になったとしても、それでもやっぱり悩みは続く。

だから、どういう自分でいたいか、ってことだろうな。
いろいろな悩みやあこがれや、不幸はともかく、どういう自分でありたいか。
どういう不幸を背負って、どういう人間になりたいか。
どういう悩みを背負って、どういう人間になりたいか。









(BGM:ザ・タックスマン「恋よ恋よ恋よ」fromYOUTUBE)
→タックスマン、カップリングが「恋の片道切符」。
なかなかに、当時を表していると思います。
しかしなあ、タックスマン、って税務署員みたいなことだろ…。
それはどうか…。

9/24の藤井の遺作を見る会


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


藤井の遺作、動画を彼はいろいろ作っていたので、それを上映しようという会を行うことになりました。

9/24の月祝ですね。
17時から与野駅前のライブハウスホレホレ。

まあ、ここも縁の深い場所で、ウチがワンマンをやりたいということで、駅沿線で、天井の低い会場はないだろうか?と探していたところ、藤井の方で見つけてきてくれた、みたいな流れだったと記憶しています。

トイレが狭く、使えない、みたいなこともあるんですが、ゆかりの深いこの場所で開催することにしました。
みなさんには、ご迷惑ですが、よろしくお願いします。


虹の会としては、藤井がいなくなっても活動は続けていかねばならないわけですから、元日から今日まで、まあいろいろなことをやってきました。

彼自身、個人プレーが多かったのもあって、「なにがどうなってるのかわからない」というところからスタートしたんですが、まあ、会計などはなんとか復旧はしました。
まだ、HPやパソコンのサーバーの関係などは完全に復旧はできていません。

行政との関わりも多くは彼が現実の折衝の場にあたっていたのですが、まあそれはいる人間が未来に向かって交渉を続けていけばいいことなので、それはそれでいいんですけど。

問題はその大量に残されたデジタル関係の処理、ですね。


とはいっても、もうその復旧を目指していてもしょうがないのかもしれない、ということに思い至り。
自分たちのできる感じでの再スタートを、つまりデジタル関係をリセットをしていく時期に来ているようにも思います。

飛び抜けたデジタルアタマの藤井ですから、彼に追いつこうとするのがそもそも間違いのような気がします。
彼の作ったシステムに追いつきたい気持ちはあるし、それがここまでの自分たちを作ってきたわけですが、でもそのシステムを残したところで、藤井が戻ってくるわけでもない。

もう藤井はいないのだ、ということに、我々はそろそろ真剣に向き合わなきゃいけないのかな、と思っています。


今回の企画は、そもそも、彼の急逝のあとすぐに話はなかったわけではないのですが、流れるかな、とも思っていました。
パートナーだったチャビエが手術することが決まっていたりもしたから、その状況でやるというのもどうなのか?というのもありました。

が、葬儀代がなかったということが発覚したのが、葬儀が終わって数週間経って、葬儀屋さんと支払いの話をしたところだったわけです。

彼自身にあるはずだった貯金がなかった。
パートナーが言うんだから、あるはずだったんですけど。

考えれば、デジタルに溶かしているのかもしれないので、まあよくはわからないのですが、でも、考え得る範囲に金がなく、いろいろな要因が重なって、百万近い金が不足しました。

で、まあどうしようか、かなり悩んだんです。
虹の会から補完する方法もないわけではなかった。
けれども、ちょっと待て、と。


今回のコトは、「あるはずだった金がなかった」のが発端ですが、つまり、なきゃ葬式もできない、って話なんですね。
もちろん、福祉葬?という方法もあるんでしょう。

でも、たくさんの人が彼の最後を大きく見送ってやりたい、と思ったとしたら、それはやっぱりどうしたらいいのか?
どうやったらよかったのか?

まあ、はじめから金がないことがわかっていたとしたら、オレらもそれを考えたんだと思います。


彼の存在を、金ではかることはできませんが、彼が死んだということは、彼がいない虹の会になる、ということで、そのことを、やっぱりもっと多くの人に応援してもらいたい、という身勝手な思いが、今回のイベントをやる決断に至りました。

彼が死んだのは、一人の男が死んだ、一人障害者が死んだ、という簡単なことじゃなかったんだ、というのは、オレたちももっと言っていいんじゃないか、と。


個人的には、マジメに、正直に、藤井にはクソ野郎、といいたい。
死んだ状況も含めて、彼にはもっと「生きる」ことへの執着があるべきだったと思っているし、それがその後、我々仲間にどういう影響を与えるのか、もっと考えてほしかった。

彼は、きっと過信していたんだと思う。
年末に電話で話したときに、「ちょっと身体がキツイ」とは言っていた。
自分がお願いしたデジタル処理も、ギリギリになる、みたいな話だった。

なのに、なんで状況を変えなかったのか。
介助者の問題しかり、他の利用者の先頭に立って、どう介助者を使うべきかを論じていた男が、なぜこのような最後になったのか。


怒りは、おさまらない。


でも、この日を最後に、その怒りも封印しようと思う。
いつか、天国で会ったら、その封印を解き、また、昔やったように、大いにつかみ合いのケンカをしようと思う。

その日まで、封印する。

そのための日だとオレは思っています。


みなさんも、その封印にお手伝いをしに来てください。
なんか、脅迫みたいになっちゃうけど、たくさん来ていただければ、きっとなんかオレの気持ちも収まるような気がします。
というか、それがホント、正直な気持ちです。


イベントの詳細 http://www.nijirock.com/blog/?p=11368






(BGM:ラブ・ウインクス「ジミーディーンみたいなあなた」fromYOUTUBE)
→女の子三人組。
キャンディーズ路線で一発いきますか、みたいな感じがすごく、これ、曲までキャンディーズじゃん…。
「暑中お見舞い申し上げます」のフレーズが冒頭に丸ママ出てくるので、いや、完敗だよ。
というか、こういうの好きだよ。
ハーモニーの作り方もキャンディーズでしょ、これ。
◯◯風に曲をつくる、みたいなのって俺、すごく好き。
なんか聞いてて楽しい。
売れはしないだろうけど。

男が死んでいくときに (創作)


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


俺はけっこうモテていたと思っていた。
けど、今改めて考えると、自分にちょっとなびいてるというか、好意を持ってくれている人を見分ける嗅覚があったんだと思う。
そこを一押しすれば、大概の女は俺と寝た。

簡単なことだった。

けれど、自分になびいてる女をモノにしてしまうと、正直、もうそれはそこで終わり。
愛を感じることもなかったし、もっと言えば、自分の経験人数を増やすためだけのコマで、それで俺は自分はモテていると勘違いをしたかったんだ。

一度寝た女と、また寝るのは、それは簡単なことだし、性欲のはけ口としては毎日のように利用した。
それだけのことだから、その女とは一緒に愛をはぐくむ気は全くなかった。

もっと言えば、自分が望む女性じゃないんだ。
あくまで、向こうが俺になびいてるから。
もっといえば、なびいてくるそんな女が疎ましくもあった。
でも、性欲は彼女を必要としていたし、それ以上に、「俺はモテているんだ」という幻想のために彼女は必要だったのだ。

まあ、若い頃はそれでもよかった。
でも、広い世界に出ると、自分よりすごい人はたくさんいて。

自分になびく女も少なくなる。
これまでだったら、「この女、俺になびくな」と思った女も、俺にはなびかなくなる。
俺は、そこで「俺はモテないんだから」「もっと男を磨くか」とか、いやいや、そうじゃなくて、自分がもっと愛す人を探すべきだった。

いや、でも、自分が愛する、ってことがもうわからなくもなっていた。
俺は誰が好きなのか、好きってなんなのか?

きっと、「俺はモテるんだ」を捨てればよかったんだよな。
あんな女と寝た、あんな女と付き合った、そんな武勇伝など、よくよく考えれば、今の幸せには何の意味もない。

今になってそれに気づいても、もう遅かったんだ。

俺は、「あの女をモノにしたい」と思っても、その女にチャレンジすることができなくなっていた。

傷つくのがイヤだったんだ。
「あなたとは寝ません」と言われるのは俺のプライドが許さなかった。

そうなった時、俺は、唯一俺になびいてると思われる女に手を出してしまった。

それは、手を出しちゃいけない相手だった。
仕事上も、日常のことを考えても、それをしちゃいけなかった。
もちろん、その時、愛を感じていたわけじゃなかった。

けど、「こいつなら、俺のそばにいてくれる」と思ったんだ。
それは、今考えれば、愛というモノなのかもしれないけど。

でも、それは俺の理想ではなかった。
だから、彼女には腹を立てることが多かった。

本当は自分のプライドが邪魔なだけだったのに。
俺は彼女を責め立てたりすることが多くなった。

それでも、まあ最初のウチは彼女はついてきた。

でも、十年もたってしまえば、彼女も言い返してくるようになる。
それが俺には腹立たしくて、ケンカになった。

でも、彼女がもうこの関係をやめる、と言い出すと、俺は焦った。

彼女に出て行かれたら、俺の全ては終わってしまう。
そんな気持ちにもなった。

俺は自分を騙して彼女と付き合っていたんだ。
彼女のことも騙していた。

そして、彼女を騙している、ということを自分のプライドの礎として、彼女との関係を続けた。
ごめんと謝りもした。
口車に乗せて、一緒にいようと言った。

「口車に乗って、バカが」、と思うのが、俺の中での精一杯の抵抗だったんだと思う。
そうやって、彼女を馬鹿にすることが、俺を支えてくれてきた。

でも、だからって、二人の関係がどうなるもんでもない。
俺は都合よく彼女に甘えたい時には甘え、しゃぶらせた。

でもね、今になって思うんだよ。
彼女、それ、わかってたよね。

わかってたから、そんな俺が哀しくて、付き合ってくれてたんだよな、って思う。

愛ではない。
愛ではなく、哀してくれたんだ。
彼女の長い時間の人生をかけて。

ありがとう。
本当にありがとう。

そして、今になって思うよ。
俺は君を愛していたような気がする。






(BGM:ザ・スウィング・ウエスト「雨のバラード」fromYOUTUBE)
→ボーカルに湯原昌幸さんを配する名バンドですね。
これね、とにかく演奏がイイし、歌が上手い。
やっぱ音楽って強弱だよね、という。
カッコいいですよ、スウィングウエスト。

テレビは「千に一つの正解」を映さない


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


先日、工藤さんちで「ほんとうにあった怖い話」を見たんだけど。

ま、地上波でやってましたやつです。
稲垣吾郎さんが出てます。
イワコデジマとか言ってるアレですね。

この番組、長寿番組と言ってイイかと思いますが、昔やってたと思うんだけど「霊に取り憑かれた人の霊を祓う」とかって部分がなくなって、全部再現ドラマになって、よくなりましたね。

正直、「霊に取り憑かれた人」ってのをやっぱテレビには出しちゃダメだと思うんです。
なぜなら、やっぱそれは「取り憑かれてないから」ですね。
いや、取り憑かれてないかどうかは証明ができないんですが、正直、そうじゃない人の方が多いと思われ。

つまりですね、藁にもすがる思いでテレビに出演する、って人はやっぱいないですよ。
できれば隠したい。
表には出たくない、という部分の正気を保ってる人じゃないと、やっぱテレビには出しちゃいけないと思うんだな。
で、まあそういう人は出ない、ということなので、やっぱテレビには出しちゃダメだと思う。

テレビって、やっぱ「正解の装置」なんですよ。
「テレビでやってたんだからいいことなんだ」とか。
「テレビでやってたから本当なんだ」とか。

だから、霊に取り憑かれてない人が「霊に取り憑かれた」って信じ込んでテレビに出たとしたら、(もちろん、自薦ではなく、恐らく他薦、つまり霊能者とかのプッシュとか、テレビ局側の「絵になる」って人を選んでいるんだろうけど。つまりその「憑かれた」って人自身が悪いわけでもないんだけど)それが、「霊に取り憑かれることがあるんだ」という「正解」を流布してることになってしまう。

といって、「この人は霊に取り憑かれてません」と霊能者が言ったところで、それは霊能者を正解にしているわけですから、もう出さない方がいいんです。

ま、オカルト好きな俺ですから、憑かれることがない、とか、霊がいない、とは思わないんですが、霊はテレビと相容れないのではないか、と。


でもまあ、再現ドラマはやってるわけで、どうなんだ?という気はしますが、まああれはまだ役者さんがやってる以上、「ドラマ」として見るコトができます。
「んなわけないじゃん」と突っ込める。
実際にあったかどうかは別として、そういう風に見るコトができる。

恐怖におののいている本人を前に、「んなわけないじゃん」とはやっぱ言えないけど、それを台本でやってる役者にはそれが言えるじゃないですか。

ので、まあセーフかな、というか、「オカルトを楽しむ」ということにはなるかな、と思ったりするわけです。

そう考えると、オカルトを楽しむ文化、ってのは、かなり民度が高くないと難しい、って話で、「狐憑きとはなんだったのか」、「開かずの間とはなんだったのか」「魔女狩りってなんだったのか」とかそういう知識がやっぱ多少必要になります。


オウム事件の時に、この手のオカルト番組は一掃されました。
「信じ込んじゃう若者がいる」というのが理由ですね。
テレビはそもそも「正解を指し示す装置ではない」ということを、テレビ側が自ら証明してるような流れだったんだけど、そこで、「オカルト番組は視聴率がとれるから、霊がいるかどうかわからないけどとりあえず合成の心霊写真ってわかってても、なんでもやっちゃってます」って言えばよかったのに、そこを明確にせず「やらない」という選択で済ませてしまった。

このことは、改めて霊の存在を認めるようなことになってしまったとも言えるのよね。


あのね、オカルトは本気で信じ込んじゃったら負け。
本気で楽しむモノだから。
とか言うと、本気で霊障に悩んでいる人もいる、とか言われそうですけど、いやいや、霊障以外の要因をまずきちんと考えませんか?という。

いや、でも、本気で「これはなんなんだ?」というものもありますよ(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3806.html)。
生き人形とか。
ま、それも、それら本や語りがきちんと事実を綴っていれば、という前提ですけど。

そういうのは、おそらく千に一つはあるんだと思います。


だから、全否定はしたくないんですが、少なくともテレビでやってる某は、おそらくその千のうちの999の方のような気がします。
なぜなら、生き人形の例があるように、テレビでやれば、そのテレビに障りが起こるから。
そこには、テレビマンは手を出しませんよ。
テレビマンにも恋人とかパートナーとか、大切な人がいたりもするんですから。


霊能者って人たちも、人生相談だと思えば、かなりの部分、それで解決はすると思うんです。
つまりそれはもう霊に憑かれてはいないんですが、「霊に憑かれている」と信じ込んでる部分を溶かしてやればいい、ってことであって。

でも、「これは先祖の霊です」みたいなことを言えちゃう感じがオレにはよくわからないけど。
本気でそうなのか、もしくはそれも霊能者自身が「その人に霊が憑いていると信じている」だけかもしれない。
そうなれば、その霊能者の「信じてる」は誰が溶かすのか?って話になってしまいます。

故中岡先生のように、「これは1856年に死んだ江戸に住んでいたタエさんの霊です」とかマデ言ってくれると、それはそれでもうオカルトコントとして成立するんですが、取りようによってはどうとでもとれるコトを言われると、人は逆に信じてしまったりします。

もっと言えば、本気で霊能者で、ホントに霊が見えるのなら、やっぱテレビには出ないと思いますね。
そんなの出ちゃったら、日常生活に支障が出ますよ。
そこの部分の正気を保ってる、というか、テレビに出なくても正常?に日常をおくってる人ならまあ出てもいいんでしょうが、でもそういう人はだから、出ない、ということになります。


ま、んなわけで、この番組はそれらドラマを真に受けるでもなく、吾郎さんが「イイ感じで」受け流してたりするんで、すげえ「テレビの人だな」、って思うんですけど。
あの程度で流してもらわないと、信じちゃう人が出てきますね。
同時に、子役の子たちが、すげえ現場監督のキューで泣いてる感じもよく出ていて、それはまた、「これ、ガチじゃないじゃん」というのを逆に表現してますね。
この辺、この番組がオウムを経てのテレビの時代に復活し、生き残ってきた要因かと思います。


さて、で、この番組を久しぶりに見て、霊能者の人が出てきますが、その人、昔はもっと優しそうな顔してたと思うんだけど、表情が狐になってるじゃん…。

それが、ほんとうにあった一番怖い話だな、と思いました。







(BGM:ザ・ライオンズ「すてきなエルザ」fromYOUTUBE)
→「好きなんだ~(好き!)」「とてもエルザが(エルザ!)」
という、この()の合いの手が秀逸。
やけっぱちにも聞こえる。
けどもね、これ、逆になんかすげえネイクドでカッコいいかも、と思えてきた。
そう聞くと、この時代のGSにあって、演奏もけっこうラフなんじゃないかと。
コーラスもかなり音程苦しいところもあるし。
逆にいいよね、こういうの。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE