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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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専従募集


根岸季衣さんのライブにいって来ました。
正しくは、「根岸季衣&The Blues Road」。
国民的女優の根岸さんがブルースを歌うバンド。
やっぱ上質のブルースを聴かせてくれる。

唄ってのが、結局は表現なのである、ということを思い知らされます。
女優さんってすごい。

やっぱね、バンドってのは、どこか「ボーカルの人間」に惹かれていくものなのだな、と。
このバンドでも、根岸さん、そして時に一緒に歌ってたブルースハープの方のかっこよさに惹かれてしまう。

なんていうんだろう。
国民的俳優の根岸さんが、なんのおごりもなく、どちらかというと「一生懸命歌わせてもらってます」みたいな感じでやってるのがとても好感が持てる。
いや、いいバンドなので、みなさんもぜひ機会あったら見てほしいのですが。

聞きに来てる人たちも、イイ感じの人たちで、まあ銀座という場所柄、上品っぽさと、でもどこか「遊び心」を兼ね備えた人たちが来てる感じで、イイ感じでした。
今やもう銀座といえばアルマーニ、みたいな、イヤな感じになってるだけに、とてもよかったですね。


で、まあ今回、ちょっとびっくりが二つほどありまして。
ライブ後の話なんですけど。

銀座というのは、そもそもあまり駐車場がない、というか、地下とかビル内の駐車場が多く、車高が高い車が入りにくい。
ウチの車いす用の車なんかは、まあ入らない。

ま、普通の野外の駐車場もありますけど、高いのね。
銀座の駐車場は高い。
なにせ、子どもの「標準服」が、8万円の場所ガラですから(しつこい)。

でまあ、なんとか車高の低い車で行くことにして、地下の駐車場に入れようと思いまして、調べていきました。
そこは、半官半民的な感じの駐車場のようで、「高い銀座で安い駐車場を供給しよう」ということなのかもしれません。
障害者用?車いす用の駐車場スペースもあり、料金もちょっと割引になるという。

こりゃいいや、と思って駐車場に入れたら、係の人が出てきて、「車いすで地上に上がるのに、階段昇降機使いますよね?」と。
あ、お願いしますね、と。
で、まあほぼ新品、みたいな昇降機を係のおじさんが駆使して上に上がったんです。
そこまではよかった。

そしたら、その時、「このボタンで呼んでくれれば、私が来ますから!帰りはこのボタンでね!」とおじさん、どっか嬉々としてらっしゃる。

ま、そりゃそうだよね。
きっとあまり使われないンだと思います。

で、まあ帰りもお願いしようかと。
というか、お願いする以外にない。
しかも、おじさんうれしそうだったし。

で、おじさん呼び出したところまではよかったんだけど、加納さんを乗せたままなぜか昇降機が動かない!。

おじさん焦る!
…いや、いい人なんだと思うんですけど、やっぱね、これ、稼働率が悪いんだと思うんだよね。
こういう機械は人間も機械の方もお互い慣れが重要だから。

30分ほど格闘して動かず、結局人力で降りました。

いや、まあ、バリアフリー運動的には怒る場面ですけど、おじさんもまさか動かないとは思わず、だったんでしょう。
ま、もう構造の問題ですわね。
エレベーターつけた方がイイよ、うん。
そうすればベビーカーの人も足腰が弱くなった方も使えるんだから。

という。
久々になんか、こういう事例に当たりまして、ちょっとなんかワクワクしました。


そしてもう一つ。
実はこのライブに、しかも一緒に行ったアキの前にあの人がいたらしいんです。
現地ではわからなかったんですが、あの方が。
ワタクシ、もうあの方の演じたあの役に関しては、すべてセリフがソラで言えますくらいの。

いや、あなた、直江喜一さんがいたらしい!ので~す。
気づかなかった…。

でも、気づいたとして、どうしたらよかったのか。
偶像崇拝に近いですから、3Bの加藤くんは俺にとって。

今となっては、気づかなくてよかったのか、と思っております。






(BGM:河合奈保子「ヤング・ボーイ」fromYOUTUBE)
→この子、まあ俺が子どもの頃にデビューして、なかなか人気もあったと思うんだけど、俺、すげえなんかこの子の顔が昔っから怖くて。
なんかね、こう、いや、ディスりたいとかじゃないんですよ、どうしても、なんかオウムを思い出しちゃう。
いや、かわいいんだけど。
かわいい方のオウム。
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真摯さ


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専従募集


というわけで、先月末にカウンターたちの朗読会、に行ってきました。
にじ屋に冊子も置いてるtokinさんやプロレスの時にも来てくれた成宮アイコちゃんとかが参加してる。
ってか、一昨年は共演もしました。

うつとかの精神的な障害。
生きづらさ、という意味では、深刻なわけですけど、そういう感じの人たちが集まって朗読したり、歌ったり、絵を描いたり。

なんか、朗読したり歌ったり絵を描いたり、って書くと、なんか幼稚園の出し物みたい。
もちろん、内容はもちろん幼稚園ではありませんが、そういうイベントです。


ま、とにかく彼らは自分の生きづらさを表現することで、「あなたは一人じゃない」みたいな感じのことをこっちにじゃんじゃん発信してくる。
そして、「次まで死なないで、また会おう」みたいなことまで言う。

きっと、死が近い障害なんだな、という話なんだけど。

この手のイベントにありがちな、「独りよがり感」はまったくなく、言葉はまっすぐに見ている我々の側に突き進んでくる。
というか、もうこの人たちは同じハンディを持つ仲間に「生きようぜ」と訴えてるのよね。
自分のためにやってるというより、彼らのパフォーマンスは仲間へのエールなんだよね。

といって、自分たちがそこから抜け出た?わけではマッタクなく、自分も現在進行形でそのハンディと闘っている。
なんかね、もう「強い」って感じがする。


俺はきっと、高校時代とかもいじめられた感じでもなかったし、どっちかというと学校の中心で「ウエィ~」とか言ってた方で、彼らが怨む方の人だと思う。

ま、俺も人生を真面目に考えてないわけじゃないが、それでも彼らの「真摯さ」には驚くばかりである。

「なぜ人生はこんなに理不尽なのか」
「なぜ、私の人生はこんなに重たいのか」
「なぜ、私は他のみんなのようにうまくいかないんだろう」
「なぜ、世の中は理不尽なのだろうか」
「あなただけじゃない。みんな、生きぬこう!」

みたいな。
…いや、とにかく彼らは真剣なのである。
…そして、俺はちょっと苦手なんだ、この真剣さ。

なんだろう。
ちょっとこ恥ずかしい感じになってしまうのだ。
赤面してしまうというか。


でもまあ、きっと俺はテキトウに生きてて、それでも高校の時とか楽しく生きてきてしまいました。
一方、彼らは、いじめられたとか、それで学校をやめたとか、いろいろと苦しい思いをその頃からしてきてて。
それが続いているという感じもありまして。

そう考えたときに、なぜ真剣に人生を考えている人がそんな風につらい思いをしてしまうのか?と。
イイカゲンに考えてたヤツが楽しい思いをして、真剣な人が苦しんでしまう、という矛盾。

つまり、それって、世の中がイイカゲンだ、ってコトなんだよね。
正しくない。
そう、世の中は、正しくないのである。
だから、テキトウな人の方が世の中に適応してしまう、という。

正直者が馬鹿を見るとかっていいますが、ちょっとね、なんかどうも納得がいかないわな。

そして、そもそも「マジメな人がからかわれる」みたいな流れってのが世の中にはあって、「何お前堅苦しいこと言ってんだよ!」というね。
そういうことで、マジメが迫害されてしまうのである。
つまり、真面目に考えてるだけなのに、どんどん迫害されていってしまう、という。

なんか、そういう理不尽をちょっと考えたりして。


あ、そうそう、アイコっちは本を出版したりしてるので、ぜひみなさん手に取ってみて下さい。
それを読んでもらえると、なんかすごくいろいろわかってもらえる感じだと思います。






(BGM:松本典子「青い風のビーチサイド」fromYOUTUBE)
→その後の「だいじょぶだあ」での活躍が光るわけだけれど、そもそもはアイドルで始まったんだよね。
なんだろう、控えめな感じ、天然な感じ、まあ、キャスティング的にはばっちりだった。

「余計なモノを一つ足す」のがサーカス


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というわけで、サーカスはいい。
あたりまえだ。
あんなに凄いエンターテイメントはない。
肉体を駆使し、不可能に挑戦する。

そして、「いつの間にかテントが現れて、いつの間にか去っている」みたいな、もう存在自体がファンタジー。
独特のなにか「いかがわしい感じ」もまとわりつく。
それはきっと、見世物小屋的な「におい」かな。

サーカスというのは、もちろん演者だけでは成り立たないわけで、裏方のみなさん含めて、どっか「家族」的な感じもする。
それもなんかすごく魅力的に映る。


そんなわけで、まあ見に行ってきた。
というのも、なんか招待してもらったから。
おそらく、障害者の団体とか、ご老人のなんかとかの福祉関係のとこを招待してる感じ。
ま、こういう感じも、サーカスらしいというか、ちょっと古めかしい考え方だよな、って思うところもあります。
体制っぽいというか。
いろいろな役所の後援とかの関係なのかもしれないけど、まあ、ありがたいです。

なんか、けっこう日程がとれなくて、無理矢理行く感じで行ってきたけど、行ってよかったな。
いや、別にもう招待してくれなくても、近くにテントが来たら行く。


やっぱね、すげえよ。
命綱とかしないのよね。
それでもう、空中をクルクル回ってるわけだから。

あろうことか、目隠ししてみたり。
なにも目隠ししなくても、すごいのに、目隠ししちゃうんだな…。

二人組で、手をつないだ状態で一人が一人を逆立ちのママ持ち上げたりね、すげえバランス力と筋力。
それだけでもすげえのに、持ち上げたまま、首の後ろ、というか、肩同士をあわせる形になって(ちょっと想像が難しいかと思いますが、イヤ、確かにあり得ない形なんで)手を離しちゃう、とか。

つまりね、サーカスってのは、「それだけでもスゲエのに」なんだな。
そっから一個余計なことをプラスしちゃうんだわ。
「おいおいおい」と。
「何を加えてるんじゃ」と。


アキがパンフレットを買ったので見てみたら、演者の中には、五輪をケガであきらめて、目標を失ったときにジャグリングを見て、それを見てる人たちが喜んでいるのを見てサーカスの世界に入った、という人もいるのね。
いや、五輪ももちろんスゲエけど、サーカスなんてのはそれを超えてるよな、って思うんだけど。

裏方さんも、「あんな凄い演技はできないが、演技の状況に合わせてスポットを当てることには誰にも負けない情熱をもってやってる」みたいなことを書いてて。

いや、泣いちゃうじゃん、そんなコト言われたら。


サーカスって言うと、「道化師のソネット」を思い出します。
あれは中学生くらいの時だったか、劇場で見ました。
なんか、サーカスの世界観にすごく憧れたのを思い出す。
当時の、いや、今もだけれど、おそらく俺とは最も遠い感じの生活というか、仕事というか。
体育もきらいだったし、インドア派だったし。
あんな風な、旅&旅の生活なんて、なんか逆すぎて、すごく衝撃だったんだな。

あとはまあ、大草原の小さな家の、オルソンさんの妹さんだったかがサーカス団員、という回ですね。
アレは泣いた。

なんだろう、サーカスは、かたくなに「旅」だったり、「テント」だったり、そういうモノを守ってる感じがして、そして、常人には決してできない、何年も何年も鍛え抜いて作り出す「芸」があって、そこには当然、苦難もあったはず、というのは容易に想像できるわけで。
いや、すごい世界だな、って思う。


市丸はなんかこの日、サーカスに行くということで、行きの車の中で、「サマサマタ~イム」と歌っていたらしいけど、それ、4人組の方な。
しかも、「ミスタ~サマタ~イム」だから。






(BGM:あい杏里「あなたと三回」fromYOUTUBE)
→カップリングが「恋が喰べたいわ」。
鯉じゃなくて、恋ですからね。
しかも、食べたい、じゃなくて喰べたい、ですから。
ジャケもエロ。
最後に「恋はシャボン玉のように消えて云々」とかってきれいな感じで語りが入ってるけど、時すでに遅しって感じ。

政治的じゃない表現、なんてあるのか?


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太陽肛門スパパーンさんが、白ブリーフの下に、黒い全身タイツをまとっていた。
先日のインストアライブでの光景。
なにやら、白ブリーフ一枚ではダメだと言われたとか。

う~む。

このインストアライブが行われたのはタワレコ。
前に書いたけど、例の「反安倍、反核、反五輪…」を消されてツイートした事件を起こしたのがタワレコである(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4238.html)。

今回は、その顛末やなにやら、討論資料まで配られた。
そして、なんかお客さんも多かった(気がした)。

今回のライブも、なんかやれないところまで追い込まれたらしいんだけど。
白ブリーフ一枚ではダメ、とか。
過度に政治的なMC禁止、とか。

う~む。

そもそも、政治的じゃない表現、なんてのはあり得るのか?と花咲さんも討論資料の中に書いているけれど、つまり、こういうことなんだよね。
「体制に反対する表現は認めない」ってことでしょ。

よくよく考えてみれば、世の中に溢れる、絆だ、がんばろうだ、とかいう曲たち。
それってもう自己責任論でしかなくて、とにかく「ブラックでもがんばろう」、みたいな。
「俺もブラックにハマってるけど、がんばろうぜ、絆!」みたいなことでしょ?
それだって、過度に現政権を支持してるわけで、政治的だと思うけどなあ。
なのに、「電通を告発する唄」みたいなのは、政治的だとか言われるわけだから。


太陽肛門スパパーンさんは、現政権に反対する立場を明確に打ち出しているから、ある意味ではもうそれは存在が政治的であって、曲が、とか、歌詞が、とか、そういうことでもないんだよね。
だとしたら、こういう「禁止」ってのは、存在意義をなきものにしてるわけだからね。

アベROBOが出ないスパパーンさんのライブなんてのは、見たってしょうがないじゃない、って気がする。

つまりはまあ、タワレコはわかっちゃいないんだ。
というか、だったら出さなきゃいいんだと思うんだよね。
この「音楽はイイけど、政治的なメッセージがなあ、ちょっとアレかな~ちょっとまずいかなあ~う~ん、じゃ、そういうことでアレして下さい」みたいな、中途半端な感じがイヤ。
というか、「音楽に政治を持ち込むな」的な馬鹿げた思想がそもそもアホらしいけど。
だって、反体制なこと=政治的なこと、って理解なんだから、それって単純に「長いものには巻かれてま~す」って話でしょ?

ロックでも何でもないじゃん、そんなの。


ま、しかしこうした討論資料などを読むにつけ、スパパーンの中心人物、花咲さんはすげえな、って思うんだけど。
というのも、だって、これだけイヤな感じの対応されたら、普通、「もういいわ。話したくもないわ」ってなると思うんだよね。
でも、けっこうちゃんちゃんとそんな相手と話し合いをしてるんだよね。
で、規正の一部や発言を撤回させたりしてる。

このパワーってのはスゲエと思うのよ。

あまりに違う思想を持っていると、話が合わない時ってのは確かにあって。
そこからまず「同じ土俵」に話をもっていくだけで疲れてしまう。
話し合いの基本を作るのに、疲れてしまうのだから、もうやってられない。

俺なんかは、もう意見が違ったら、まあ、討論はしないわけじゃないけど、そこの人がすげえヘンテコな人だったら、もう「いいよ、ほっとけよ」ってなっちゃうなあ。
その姿勢が、まあ、ヘンテコな人をのさばらせているのかもしれないけど、しょうがない。
だって、めんどくさいんだもん。

それに、なんかここの店長さんというのがいたんだけど、なんかもう絵に描いたような感じの人で。
確かに、このタイプの人、けっこういるわ。
俺だったら、もう降参するわ。
この人と話すのか、と思ったら、精神衛生上よろしくなさすぎるな、とか。





(BGM:河野里佳「女神のねごと」fromYOUTUBE)
→「雲のベットに寝そべった 女神が寝言を言ったとさ」と始まりまして、女神は結局地上に降りてきてスナックに行ったりしまして、赤い唇まで盗まれちゃう。
俗かよ!と。

めんどくさくないの?


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先日、にじ屋にクッキーやらを売りに来てくれてもいるカフェの、その娘さんがそのカフェで演劇をやるというので(説明がウザイな)、見に行ったのだが。

ま、カフェとかって場所をこうしたいろいろなアレで使うのはいいよな。
にじ屋もいろいろ使ってもらいたいところではあるが、にじ屋は大きな音が出せないのが弱点ね。
そう考えると、お笑いとかいいんじゃないですかね。
毎週やったりして、どっかで人気に火がついたりして、にじ屋から生まれたスター、みたいな。
で、新たににじ屋に記念館を設ける、みたいな。

どうなんですかね。
表現ってのは、やっぱ人に見てもらってナンボだと思うんだけど、まあ、もちろん表現者が、「必要とする場所」というか、「ここじゃやらない」「ここでやりたい」というのはあるからね。
その表現の中身によっていろいろでしょうから。

ま、いい人にいい場所が与えられて、イイ感じに表現がひろまるような形がいい、っていう、ごく普通の結論になるわけですけど。


ま、んでこの劇ですけど、まあ、劇ってのは「作り手向きの人」ってのと「演じる人」ってのは必ずしも一致しないのだな、というのをつくづく感じたわけですけど。
いや、脚本は悪くないと思うんですけど…、という。
ま、小作品、なおかつ旗揚げ公演みたいなことだったのでなんともわかりませんが。


この劇の中身が、「互いに忘れられるのが恐い」みたいな。
同時に、でも、「互いに知らない世界があるからこそ、互いに楽しい関係になるのではないか」みたいな。
なんかね、それらがいわゆる「ゼロにはならない」みたいなことだったりの、イイ感じで一つの結論に導かれていく感じで。
といって、なんか一言で書けないんですけど、イイ感じに結論に収斂していたんだけけども。


どうなんですかね。
友人関係とかってのは、まあ一時ものすごく一緒にいた時間があったとして、例えば学校とかで。
でも、卒業したりしたらだんだんその距離が空いていくのは当然で。
ま、距離が縮まるとしたらそれは結婚する、みたいなことになるのか。
たいがいの友人関係、知り合った関係というのは、ある点を頂点として、だんだん距離は空いていく。

と、いうのをいろいろな人と繰り返して、人生というのは進んでいくわけですね。
特定のAさん、という人だけをとりだせば、その距離感のグラフは時間軸を横軸とすると山を描くわけだけれど、自分と友だち、というグラフを書くとすると、いろいろな友だちの山が連続して現れる、みたいな。


時に、二つ目の山ができたりするような関係もあるでしょう。
「また同じ街に住むようになって」とか。
「またどこかで偶然出会って」とか。

友人、というのとは違うけど、俺はYちゃんという従兄弟と兄弟のように育っていて、近くにも住んでいて。
三歳くらいまで。
その後も小学校くらいまでは家を行き来していたんだけど、そのまま引っ越しとかもあってずっと会わない時期を40年ほど過ごし、再婚したときの結婚式でまた出会って、また仲良く行き来してるわけだけれど。

ま、これは、俺の再婚相手のアキの存在もあって、いわゆる、アキとYちゃんの関係、という新しい関係ができたことで、俺もなんかその中にはまりながら、の面もあるというか。

つまり、俺とA、俺とBという関係が、AとBという関係にも広がることがあって。
そうなってくると、「友だちの友だちは皆友だちだ」的な感じになっていくわけですが。
つまりはまあ、そうなってくると、なかなかもう「完全に距離が空いてしまう」というのは、逆に難しい。

そう考えると、「縁を切る」ってのは、すげえ根性決めないとできないことだよな、って話で。
だって、どっかはつながってるわけでしょ。
それも全部切る、ってのは、そもそも無理な話で。

だからまあ、縁を切ったり、顔を出しにくい場所、なんてのは作らない方がイイ。
そんなのは、逆に「面倒な人生」になっちゃう。


とはいえ、不義を繰り返す人もたくさんいるからね。
しかもそれを距離感が近い人がいさめない。
なんだかもう、義理も人情もあったもんじゃないな、って思うコトが最近あったので、なんかもう、情けないというか、でもまあ、そういう人はそういう人で集まって生きていけばいいわな。

ってか、自分さえよければいい人はさ、そういう人だけ集まってどっかで国つくってくらしてくれりゃいいんだけどな。
面倒見きれないよ。






(BGM:川路泰子「マリアのふるさと」fromYOUTUBE)
→「風と光とアベマリア~」
「せめて私の半分を愛してくれたら 逃げて~はこない 長崎へ~」
…意味がちょっとわからんな…。

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