FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
1 2 3 4 5 67
8 9 10 11 12 1314
15 16 17 18 19 2021
22 23 24 25 26 2728
29 30 31 - - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

かっこいい人たち


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



先日、小沢遼子さん、室井佑月さん、戦慄かなのさんによるトークイベントに行ってきまして。
まあ、アキが行こうというので、あまり前情報なく行ったんですけど。
チャリティーイベントとのことで、収益やカンパなどはそのまま寄付するみたいな感じのイベントでした。
とはいえ、単発とかじゃなく、連続イベントとしてこれからもやっていくみたい。

ま、メンバーが好きな人ばかりなので、というか戦慄さんは知りませんでしたが、小沢遼子さん、室井佑月さんとくれば、まあ間違いはないです。
面白かったです。

こういう風に名の知れた人が、地下のライブハウスでトークをやる、そしてその収益を寄付する、というのは、なんかいい。
前に原爆オナニーズのライブでも寄付を募っていたけど、基本、信用できる感じがする。
「どっかに寄付が消える」みたいなことがないような気がする。
ま、これは印象ですけど。
でも、間違いないと思います。

だって、そもそも、戦慄さんはわからないけど、お二方は確かにギャラとかそういうことじゃないんだろう、と思うのです。
自分の知名度でもって、多くの人に協力してもらいたい、みたいなことなんでしょ。

いや、これは「知名度の使い方」として、すげえかっこいいよな、と思うのです。
しかも、「自由に喋れる場所」というのを確保する、という意味でも重要なんだろうなあ、とか。
それは小沢さんも最後の方で言ってましたけど、やっぱなかなか「好き勝手にしゃべる」ことができなくなっていくんだろうな、知名度と反比例して。

俺ら一般人は、どこでなにを喋ろうがどうでもいいわけですが、テレビで、新聞記事で、というところで活躍している人は、そこのフィルターがかかるわけで。
それは、影響力が大きくなればなるほどきつくなっていくのだろう。

例えば、やっぱ議員とか首相とかになったら、そりゃ好き勝手喋っちゃう、みたいな、居酒屋の与太話じゃないんだから、そういうのはやっぱ本来ダメなんだよね。
影響力ありますから。
「戦争やんなきゃしょうがないじゃないですか」なんてのは、居酒屋で俺らが話してる分にはいいですけど、議員が公の場所で言っちゃダメなんだよね。

今の議員は好き勝手喋る、みたいな、それが「本音でいい」みたいな風潮がありますが、だとしたら、政権批判も「本音でいい」とならなきゃおかしいんですが、今のメディアは政権批判は自主規制するが、芸人が首相を訪ねるのは別にかまわない、みたいな感じになっていて。
まあ、つまり「批判つぶし」なんで、本音でも何でもないんですけどね。

この議員が「本音という批判つぶしをする」という流れは、橋下さんから始まったように思うんですけど、維新なんかはそのままそれやってるわけだけど、ありがたがるのはどうでしょうかね。
ちょっと俺には議員として品がなさ過ぎるように思います。

そんな中、テレビやラジオで活躍する小沢さんが言ってましたけど、二十数年ラジオをやっていたのに、急に打ちきりになった、と。
それはモリカケの件をやったから、というコトらしいんだけど、彼女にしてみたら「これまでだって、ずっとそんなことは話してた。けど、今回こういうことになった」と言っていて、なんか、いよいよ政権によるメディア統制がのっぴきならないところまで来てることを痛感しました。

こうなると、メディアに出てる人は、「政治を語れない」んじゃなくて、「政権批判」ができなくなるわけです。
これはまあゆゆしき事態で、その「雰囲気」を作りだしたのは、いわゆる石原節とか、麻生節とか言って、放言を見過ごしてきた我々にも責任の一端はあるように思います。
「本音を言ってなにが悪い」というのは、確かに正論のような気がしますが、発言の影響力と発言する場所、によって、やっぱりその「本音の表現の仕方」というのはあると思うんだよね。
もし、それがいくら本音であっても、その影響力と場所によって、その人がすべき発言じゃなかったら、やっぱ追い詰めないとダメなんだよね。

じゃないと、政権側のそうした放言が放置されて、それはOK、けど、政権批判だけができなくなっていく。
これは力関係ですね。
政権と市民は対立する構造にあるわけですが、政権側の放言をメディアが許してしまい、それを「本音で語る政治家だ」なんて我々がありがたがってしまうと、それを批判する声、というのは自然と萎縮してしまう。
「いいじゃないか、本音なんだから」って、いやいや、批判も本音ですよ、となるんだけど、だからってそれが並列にはならないんだよね。
というのも、国家、政権というのはそもそもが巨大な統治装置だから、力関係として、「放言を許さない」に傾いててやっとバランスがとれる、というか。

その辺で、市民の本音の声と議員の「本音、とされる声」を同等に扱ってしまうことがそもそも問題なんですよね。
本来は、政権側がそうしたことを政治倫理としてしっかり持って行動すべきなんでしょうが、そのタガが外れてしまっている。

このまま行くと、政権バンザイは言えても、政権批判だけが出来ない、という状況に進むことは間違いないと思います。
「言論を守る」、というのは、政権批判だけが出来ない状況を変える、という意味ですね。
なにも、政治家の放言を認める、という意味ではありません。
そこは同等ではないんですよ。

そこを間違っちゃいけないと思います。








tanndokuchuu.jpg

baka.jpg

(BGM:Switch Trout「カ・ラ・ダ」from「SMASH in LA-PPISCH」)
→「カラダがいうこときかねえ」「あ~健康になりたい!」「あ~おうちに帰りたい!」
元曲をちょっとこれは知らなかったけど、名曲だなあ。
これはなんかアレンジもいい、というか、音質がくぐもっててイイ感じ。
スポンサーサイト

日本は52番目の州なのか?


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



つかこうへいさんという人のことはよく知らない。
けどまあ、よく聞くし、亡くなったというのもなんかニュースとかで見た気がする。
そんなに演劇フリーク、というわけでもない俺が知ってるくらいだから、すごい人なのであろう。

ちょっとネットで見てみたら、「いつかこうへいな世の中に」みたいなことでこの名前にしたとか、在日の方だったとか、最後まで帰化しなかったとか、まあいろいろ信念を持った方だったのだろうコトがうかがわれる。

そんな方の「広島に原爆を落とす日」という脚本を、非シス人、という劇団がやるというので、つながりもあって見てきたわけですけど。

これがまあ、超フィクション。
史実もあったもんじゃないですが、演劇ですから。
戦争の悲惨さを描きながら、滑稽さ、お偉いさんの責任逃れ、押し付け合い、そんなのも描きながら、なんだかんだ「愛が一番!」という。
ラストはチカラ技で一気に畳みかけてくるので、感極まるかと思った。

そこまでが超フィクションなのに、チカラ技でやられちゃう、というのは、演劇の作り方というか、そういうのがしっかりしてるからなんだろうな。
ラストに向かっての畳みかけがすごいんだわ。

つかさんは、稽古しながらセリフも作って行く、なんなら中身も作って行く、というスタイルだったらしいから、つかさんの演出の最後がいつだったのかはわからないけど、演劇用の、演劇のための台本、ということなんでしょう。
よくできてるというか、まあこの劇団がまた作り直したのかもしれないけど、それにしてもラストの主役2人のやり、主役と少年兵?のやりとりにすげえ身がしまった。


ただ、まあひっかかるところはあって。

まあ、この劇の根底にあるのは、悲劇のヒロイズム、というか、そういう感じなんだよな。
愛に殉ずる主人公、みたいな。
日本もドイツも、「このまま行ってもどのみちこの国はダメになる」ということで戦争に突っ込んでいく感じ、これはまあ、史実でもそうか。
それによって多くの人が死んでいくということが、どれだけ馬鹿馬鹿しいのか、というような。

なんで、まあそれを愛に相対化してしまうと、ちょっとズレるはズレる気はするんですよね。
愛になら死んでもいい、愛と誠の岩清水弘ではないが、「君のためなら死ねる」みたいなヒロイズムは、愛の場面ではよく語られるし、肯定されちゃうけど、それと国家のヒロイズムはちょっと趣は違うわね。
その辺、どうなんだろう。

愛のためなら死ねる、ということと、国家のために戦争で死ぬ、というのはあまりに差がありすぎる。
だからまあ、そこを同一視させて始めて戦争は始まる、と考えれば、その「ヒロイズムの正体」みたいなモノに敏感にならなきゃならない、というメッセージとしては受け止められるけどね。
お国のため、が、「国に残した恋人のため」「家族のため」とすり替えられていく構造、というか。

つまり、評すればきっと「この時代の中、差別とも闘う主人公と、愛の殉教者であろうとする恋人と、そのヒロイズムと戦争に潜むヒロイズムの危うさを描いた作品」とかってことになるんだろうかしら。


まあ、そういう難しい話をしたところで、この「超フィクション」の力の前にはけっこう無力ではあるんですけど。
メチャクチャな設定ですから。

いやまあ、日本人、しかも在日の人がエノラゲイに乗って原爆のボタンを押した、という設定、どうやったら思いつくんだろうか。
いくら演劇を作る人といっても、この発想はすげえよな。
ってか、すごいから後世にも名が残ってるんだよな、つかさんってのは。

この舞台では、世界は「だまされていた」、だまされて戦争をしていた、当時開発中だった原爆投下実験のための戦争だった、という設定ではあるので、そもそも国家同士の戦争でもないんだけど。
「どこに原爆を落とすか」という「ゲーム」だった、みたいな感じか。


ラスト、日米安保の真相に迫る、みたいな話になっていくんだけど、その密約文書が「白紙」。
つまり、「日本は永遠の米国の統治を認めた。なぜなら、日本はどこの国にも勝てないちっぽけな資源もない島国だ。だからアメリカに国を守ってもらう。それと引き替えに日本の統治を永遠に米国に認める、としたのだ」という結末。
アメリカにとっても、本当に欲しいのは中国。
基地が日本におけるなら悪い話ではない、とそれを認めたのだ、という。
日米安保なんかなく、ただの属国。
いや、日本という言葉すら、本来は米国の州の名前と同じなのだ、という。

これはまあ、今の政権の動きを見ていると「ほんとにそうなんじゃないの?」という感じがしますね。
そう考えれば、全てが納得いく、という。

日本の国民よりも米国の大統領の顔色をうかがう総理。
そんな政治がずっと続いていますから。


んなわけで、なかなかいろいろ考えさせられる舞台だったな。
おもしろかった。










sennkyoshou.jpg

tanndokuchuu.jpg

baka.jpg

(BGM:FOE「ウルトラセブンの歌」from「ROCK THE ULTRAMAN」)
→こういうのって、素人の我々にはできないんだよね。
ずらす、はずす、リズムの始まりがわかんない、みたいな。
こういうのが作れるってすごいよな。
かっこいい。
まあ、普通なのかもしれないけど。

膿を見ていた午後


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


ゴキブリコンビナートの本公演「膿を感じる時」を見てきた。
劇団ゴキ。
四季の一段先を行く、日本屈指の演劇集団である。

「見世物ナイト」ではゲストに呼んでいただいたり、劇団所属?のアイドルグループBBG48(分倍河原48)と対バンさせてもらったりもしています。
ありがたいコトです。
俺はそうやって呼んでいただいて、メンバー数人とお話しさせてもらう前から彼らを見に行き、敬愛していたのだから、もう天にも昇る思いです。

その本公演。
いや、もう彼らは天才である。
演劇という枠の中でその枠をぶっ壊していく、いや、ガチで客席を破壊し、劇場そのものの大きさすら無限に広げ、縦横無尽に客席を使って走り回る様は、もうあり得ないくらい向こう側に行ってしまっている。
「客席を使って走り回る」というのが想像しにくいかと思いますが、もうこれは見に行ってもらうしかないんですけど。

なにせ、膿を感じる時、である。
海ではない。
ユーミン風に言えば、膿を見ていた午後、である。
まあ、こんな素晴らしいタイトルを考えつくというだけで天才なのだが。

これまで、高さを使った彼らの演劇もすごかったが、今回は「平ら」ということを最大限に活かした演目。
この「劇場の特性」を活かす内容を作り出すあたりも天才。
「どこの劇場でもやらせてもらいます」なんていう媚びへつらった姿勢など微塵もない。
この劇場でしか出来ない演目。
そういうスペシャルなプライスレスなモノを作り出す天災、いや、天才。

ゴキコンの名前が挙がるたびに、「汚れる」みたいなイメージがつきまとってきたわけだけれど、いや、そりゃ、過去には上空で女優さんが放尿したりするんだからそりゃそうなんだが、今回は、そんなに「汚れる」心配はなかった。
むしろ、運動会である。
演者から逃げる。
そして、演者の乗る客席から逃げる。
車いすから逃げる、逃げ回らなければ客さんが自分を自分を守れない、という。

これもきっと、「汚れる汚れる」言われてたことに対する一つの答えなんだろう。
「別に汚さなくてもゴキコンワールド作れますけど」みたいな。

演者の造形?はどこか山野一さんのマンガのようで、背中から何十本と手が生えていたりする。
身体全体が尻だったりする。
まあもう、とにかく話自体が異次元にある。

内容はと言えば、「薬害」VS「食害」という、まあもう意味のない闘い。
製薬会社に訴えないで「悔しくないのか?!」と、そんなのは「空しくないか!?」という闘い、というか。
まあ社会の某かの分断的なモノをきっちり表してはいます。
とはいえ、そんな小難しいことはどうでもよくて、全力でそういうことを考える事自体をもぶち壊してくる。


小劇場で行われる演劇というのは時に見に行きますけど、もうマッタクつまらないのもあります。
そういう場合は、もう感想も書けないので、この日記にも記さなかったりします。
でもそういう演劇に群がる人たちがいたりするのも事実で。

もうね、演劇やってる自分に酔っている人たち、というのがいますよ。
バイトとかしてやってるんでしょうし、そりゃね、酔うのもイイけど、それってカラオケと一緒で、人に見せるようなもんじゃないですよね。

一方、ゴキコンさんは徹底的に「どう見せるか」「どう衝撃を与えるか」ということに苦心しているように見える。
その結果、毎回毎回、いい意味で裏切られるし、越えてくる。
この裏切られる快感がたまらない。

よく、終演後に演者が入り口とかで待っていて客と話している、というか、客じゃなくて友だちなのかもしれないけど、ああいった「なれ合い」の感じがすごく嫌いなんだけど、もちろんゴキコンさんはそんなことはしない。
その感じもすごく俺は好きである。


壁だと思っていた客席後方にまだ舞台が広がっていたのを見た時、もう全ての自分の想像が吹っ飛ばされました。
ゴキコンワールドの無限の広がりが渦になって迫ってくるような。

昔、客席がいくつかに分けられていて、その一つに座っていたんだけど、実はそれが車の上部に設置されていて、急に動き出したことがありました。
あの時ももうぶっ飛びましたけど、今回もぶっ飛びましたわ。


もし、ゴキブリコンビナートの本公演を見たことがない人がいるのなら、見るべきである。








(BGM:Remage「V・A・I・N」from「New Age Culture 1」)
→ビジュアル系ってのは、まあ笑ったら負け、みたいなところがあるわけですが、ここまでやってくれちゃうと、もうなんか笑っていいんじゃないか、という気すらしてきますけど、そういうコト言ったら怒られるんだと思う。

凡人が到達できない「どこか」


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集




高円寺の大道芸人フェスティバルというのに行ったんだけど。
まあ、もうちょっと前もって調べて行けばいろいろもっと見れたんだろうけどな、という後悔もちょっとありつつ、しかし面白かった。

ま、出てる人たちはきっと若い。
俺よりは若いはず。

「どうやって食ってるんだ?」という人もいるし、日本チャンピオン、という人までいる。
まあ、みんながんばってるな、って。
身体張ってさ。
すごいよ。
なんか涙出てきた52歳。

アングラかな?と思わせた「加納の時間!」なんか、ちゃんとしてるんだわ。
ちゃんとわかりやすい演目になってる。
フリ、オチ、そしてわかりやすいBGM。
誰でも楽しめるようになってて、つまりこれは「みなさん向け」なんですよね。
あたりまえだ大道芸だから。

そういう意味で、ウチなんかはおそらく客層を選んでるところがあって、「誰でもわかる」ってのはベクトルが逆なんだけど、でもすげえなあ、って素直に感動した。

やっぱ、サラリーマンとかにならなかったとか、そういうのってどっか何かしらのアレがありますよ。
そういう意味で何かがある人たちなんだと思うんだけど、そういうのって、排除の論理になりがちで。
わかる人にわかればイイヤ、みたいな。
それって楽だし、自分の思いも同時に伝えられる感じもあって。
わかる人、って選別してる時点で、まあ伝えられる確信ができるって話なんですけど。

でも、彼らは一般にちゃんとわかるように、排除の論理じゃなくて、抱き込む論理というか。
そういうので成り立ってるんだなあ、って思って。
それってすごいことだと思うんですね。

俺はやっぱ「わかる人にわかればいいよ」とか思っちゃうすぐ。
だって、やっぱなんだかんだ「障害者がかわいそう」とか言う人いるから。
たぶん、感動ポルノに毒された人なんだろうけど、そこを克服しようとは全然思わないんだよね。
「ほっとけ」
とか思っちゃう。
そこには向けてやらないから、みたいな。

ほんとはそういうことだと「受け入れられない」のではないか?という部分もあるわけですよ。
逆に、コッチが勢力を持てば変わる、という確信もあるんだけど、その辺、どうなのか。
順応していけば、おそらく広がるのかもしれないけど、う~ん。
そこにはなんかすごい壁があって、できない。
その壁が我々の中にあるのか、外の側にあるのか、それとも関係なく壁があるのか、それもわからないんだけど。


中国雑伎団の人がイスを重ねて上で逆立ちする、みたいなのってあるじゃないですか。
それを野外でやってて。
しかも風が吹いてて。
その技に入る前、「この技は大変難しいです。風も吹いてます。もし、我々に何かあった場合、お客さんはパニックを起こさずにそこに座っていて下さいね」と、笑顔で言われて悶絶した。

舞台装置もないから、命綱をつけることもできない。
しかも天候は良好とは言えない。
その中で、正直これは命を賭けた技。

もう、スゴイを通り越して、技を見ながら「もうそこまででいい」「それでもう十分堪能した!」「そこで逆立ちはやめてくれ!」みたいな気持ちになりました。
やめてくれ、と。

彼らのこのモチベーション、命を賭けるということの思いはどこから沸いてくるんだろうか。
おそらく「やらされている」のではまったくない。
自発的に、彼らはコンクリートの上でジャンプし、回転し、人の上に軽々と乗ってみせる。

我々はそれを見て、驚愕し、その技に酔いしれる。
見返りはおそらくそれだけだ。

ほたるんひめもそうなんだけど、なんなのか?
「人に楽しんでもらえればいい」という思いって、なんなんだろう。
いや、おぼろげには言わんとすることはわからなくはない気がしなくもない。

けど、そこに人生を賭ける、というところのテンションに到達するための「なにか」がわからない。
俺の中でそのピースが埋まらない。

いや、ま、だから彼らは偉大で、すばらしいんだろうけど。
凡人には到達できない「なにか」を彼らは持っているんだな。







bakagann.jpg

(BGM:Johnny Shines「Evening Sun」from「Going To Chicago Chicago Blues 1951-1974」)
→シカゴブルースってのはかっこよさの憧れだわな。
なんでしょう、このグルーブ感は。
ボーカルもたぶん訛りとかがあるんではないかと推測。
録音がよくないのもグッド。

切り抜けるイメージ


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集



先日、大宮球場に行ってきまして。
大宮公園というところの中に、県営球場というのがあります。
実は近所にありながらあまり行ったことがなかった大宮公園。
駅には近いというわけではないが、そこそこの場所にあって、ロケーションも悪くはない。

行ってみると、桜があちこちに咲いているし、池もたくさんあって、なんと動物園まであるという。
その看板がずっと手書きで「動物園こちら」と書いてあったのが印象深い。
写真撮ればよかった。

美術館もあって。
けっこう広大。

で、なんか茶屋っていうんですか、プレハブで経営している居酒屋みたいな。
「焼きそばあります」みたいな。
「大盛りできます!」とか。
そういうのがあちこちにある。
おそらくはまあ、花見客とか、公園に来る人が使うんでしょうけど、いや、これが昭和感爆発でイイ感じ。

いやあ、なんかこんなに近所にこんないい場所があったとはしらなんだ。
今度、みんなで改めて呑みに来てみたいな、と思ったわけですが。


そこでなんかプロ野球、ライオンズ戦をやるというので、なんか市丸が行きたい、と。
ライオンズはホームが埼玉ですからね。
いわゆるこういう「ドサまわり」もやるようで。

そもそもが小さい球場ですから、これがもうよく見えるの。
バッターのヒゲまで見える。

いいですね、市民球場。
あ、県営球場。


しかしまあ、野球そのものにはあまり俺は興味がないし、アキ坊の影響でカープの選手はけっこう覚えたし、カープ戦だとその熱に押されてカープを応援したりしますが、ライオンズVSイーグルス、となると、もう何が何だか。
太平洋クラブライオンズだろ?くらいの感じね。

ま、それでも日本の野球のうまい人トップの人たちの闘いですから。
そりゃ、手に汗握る感じはやっぱりあります。
俺の小学校時代は野球全盛だったので、ルールくらいは知ってます。
隠し球とか、インフィールドフライとか、今はもうないとかあるとか聞きましたが、そこまで知ってる。
なんで、まあそこそこ楽しむことはできまして。


けっこう乱打戦になって、6-7くらいまで行ったので、やっぱピンチの場面とかがあるわけです。

ノーアウト一塁二塁、みたいな。
ピッチャーとしては、もうすげえ緊張だろうなあ、と思うわけです。
で、まあ、それを切り抜けたり、切り抜けられなかったりがあって試合は進むわけです。

よく、こういう時に「俺はやれるんだ!」みたいな、いい時のイメージをしっかりもって闘う、みたいなことを言いますよ。
切り抜けた時のイメージを持って投げる、みたいなことですね。
バッターも同様でしょう。
ここで一発!というところで、「俺は打てるんだ!」と、打てた時のイメージをしっかり頭に浮かべて、自信を持って打つんだ!みたいな。

今回はそんなわけでライオンズ側に座っていたこともあって、一応、知りもしないし、どっちでもいいんだけど、俺も一応ライオンズの気持ちになって見ていたわけです。
だから、ライオンズがピンチになったりすると、切り抜けろよ!と思うワケですね。

でも、ここでですね、俺はどうしても「バットな状況」を思い浮かべてしまう。
「ココ、やっぱ打たれて点差開いちゃうんじゃないか?」
「ここまでファールで粘ってるけど、やっぱ三振しちゃうんじゃないか?」
というようなことが先に浮かんでしまう。

プロ失格です。
って、別にプロじゃねえけど、ああ、俺ってけっこうネガティブハートじゃないの?と思ったわけなんですよ。


勝負事は時に「流れが来てる」みたいなことも言います。
将棋とかでも言ったりしますから、スポーツだけじゃないですね。
なんかこう「流れが来てるじゃん」みたいな。
それで弱い人が勝っちゃう、みたいなことさえある。

こういうの、たぶん、この「イメージ」がもう「勝ち」の方に傾いてる、ってコトなんだと思います。
勝負してる人はもちろん、見てる人のイメージも、そっちに傾いている、というか。

だって、先は見えないわけですから。
なのに、「勝ちの流れ!」というのは、確かに棋譜がそうなってる、というのもあるでしょうが、それだけじゃなく、気迫だったり、なにか目に見えないものが作用しているようにも思えるのです。


そう考えると、やっぱこの「切り抜けた時のイメージをしっかり持って」というのは重要ではないか、という気がしてきます。

俺はどうもそれは苦手で、どうしてもバッドなことを考えちゃう。
で、それの対策を考えてしまうんですね。
けっこうそれらは杞憂に終わるんだけど、毎回、けっこうなんかあるたびに「一番ダメ」を想定してコトに当たってる感じがしまして。

負け組かよ、と。
こりゃいかんのではないか?と。


ま、そんな野球とはまったく関係ないことを考えながらライオンズ戦を観戦してきました、という話でございました。








!cid_5815616651420597218472324.jpg

!cid_900729868198324142774919.jpg

moutokulitt.jpg

occhi.jpg

bakagann.jpg

(BGM:S CREATERS「Voiceless Faces」from「DRAW THE MELODY」)
→かっこいいけどなあ。
このメロコアっていうのか?
英語でまあ歌ってるわけだけど、何歌ってるかわからんしな。
う~む。
かっこいいけどね。
確かに。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE