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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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大人のすべきこと

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その他の動画はこちらにもあります → ニジロックテレビ「猛毒チャンネル」 

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お知らせ&募集などはこちらをクリック
ツイッターは「@SMChingDongSATO」 まとめは→ http://twilog.org/SMChingDongSATO 



車に乗った時に、俺が運転で、助手席のヤツがシートベルトをしてない場合。
例えばそれがイチマルだったり、カイだったり、ノブだったり、そういう場合。
まあ、本人としては、なんだかんだ忘れちゃってるだけなんだけど、そういう場合に、なんて言うか。
俺は、「シートベルトしたら?」と言うことにしている。
「シートベルトしてないと、誰かにぶつけられたりした時に、車からほおり出されて死ぬよ」と。
これはウチの子どもでも同じです。

何を言いたいかというと、この時に、「警察に捕まっちゃうからシートベルトしろ」って言っちゃ、絶対ダメだと思うんですよ。


助手席の人がシートベルトをしていないと、運転者である俺が罰金ということになります。
そして、事故というのは、もちろんいつ起こるかわからないけれども、そうそうない、というのも現実です。
だから、シートベルトが「警察に捕まらないためのモノ」になってしまうのは、わからなくはないんです。

でも、やっぱりそれは言っちゃいけない。

シートベルト、というのは命綱のようなモノだから大切である、という、まあそれはそれで一つのアレですけど、ここでもっとも重要なのは、「見つからなければいい」ということを植え付けてしまうと思うからです。
逆に、親が、例えばイチマルにとっては、俺という「親も同然」の存在が、「警察につかまっちゃうから、シートベルトしろ」、ともしも言ったとしたら、やっぱり、がっかりしちゃうんじゃないか、と思うんです。
「あ、うちの親は、捕まらなかったら悪いことしてもイイと思ってるんだ」ということになっちゃわないでしょうか?

考えすぎでしょうか。
いや、これはなにもシートベルトだけのコトじゃありません。

自転車の二人乗り、自転車の飲酒運転、などなど、今や自転車も昔のように道路を我が物顔で乗れる感じじゃなくなってます。
これは、いろんな事故を踏まえて、社会が決めたことです。
社会とは、大人である自分自身でアリ、俺でもあります。
だから、それを「見つかっちゃうからやめろ」ってのはおかしいでしょう。
矛盾しています。


まあ、世の中、高校を卒業して19歳だったとして、それで酒を飲んでも、「まあまあ、いいじゃないか自分の金なんだし」的雰囲気があったりなかったりですが(少なくとも自分の時代はそうだったけど、今はもっと厳しくはなってると思うけど)、でも、自分はそれはダメだと思うんです。
酒は20歳の誕生日にはじめて飲むべきものです。
そう社会が決めたんだから、いや、俺が決めたんだから、そうすべきです。

いや、こういうことを言うと、お前は20歳前に酒もタバコもやらなかったのかと言われれば、やってましたよ。
でも、それは、もし親がそれを見つければ、教師が見つければ、ぶっ飛ばされる、という前提があってのことです。
親や教師が「見つからないようにヤリなさい」というのは、おかしい、という話をしているわけです。

子どもは大人になりたがる。
だから、それはそれで、子どもの世界の話であって、大人がそこにからんだ場合に、それはやっぱり「絶対に許さない」と言わなければならない。
それが、大人の役割というモノです。

大人、親や教師は、子どもと「友だちのような付き合い」をばかりしていたのでは、その責任を果たせません。
「俺も二十歳前にはタバコを吸っていたから、お前も吸ってイイ」とはなりません。
「お前の気持ちもわかるよ」なんていうのは、正直、何も言ってないのと同じです。
「俺は二十歳前にはタバコを吸っていたかもしれないが、大人になった今、二十歳前のお前が吸うことは許さない」というのが正しい、と俺は思います。

それを不条理だ、というのなら、言わせておけばいいんです。
不条理であろうがなかろうが、大人は、自分たちで決めたことを、子どもに従わせなければならないのです。


もちろん、俺は、大人になった今、自転車で飲酒運転はしません。
シートベルトもします。
それは、「見つかるといけないから」ではなく、「危険だから」です。
そして、それを、きちんとイチマル達にも、すでに大人になった自分の子にも、伝えなければならない、と思うわけです。




相談など気軽にどうぞ。虹の会HPに連絡先などあります。また、今まで断ってきた講演等も、今後は、受ける準備が自分の中で整いましたので、お話あれば連絡ください。

(BGM:ZOA「All Disease Human」from「NG LIVE」)
→あの時代の典型的な感じのアレだけれども、このバンドはとにかくベースラインだよな。
当時、よく聞いたわ。
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【イジメ】 「もうこれ以上、関係を持ちたくない」と思ったら、逃げよう

スーパー猛毒ちんどんでは、出演依頼を待っています!
スーパー猛毒ちんどんPV「にじ屋の唄」→ここをクリックぅ!!

映像ディレクターの中村氏による我々のドキュメンタリー映画「凸凹にふくらんだ風船」無事完成!
映画の予告編はこちら
各地で上映会も可能かとも思いますので、詳細は監督の中村さん(オフィスラムカーナ:連絡先090-8726-4722)までたずねてみて下さい。

お知らせ&募集などはこちらをクリック  ツイッターは「@SMChingDongSATO」




いじめ問題が深刻化している。
というか表面化しているのだな。

でも、ちょっとまって。
「イジメかじゃれあいかわからなかった」と、教師が言う。
違うよ、違う。
そうじゃない。

イジメもじゃれあいも、関係なんだよ。
子どもの中の人間関係。
イジメが人間関係じゃない、という認識では、イジメを排除することはできないと思う。

じゃれ合いの中に、人間関係の上下があって、ちょっとしたイヤなこともあって、いいこともあって、そして、イジメもある。
じゃあどこでその線引きをするか。
ポイントは、本人が「その関係を断ち切りたいか」ということだと思う。

もう、一生関わりたくない。
関係を切りたい、と思えば、それは関係を切るべきだ。
逃げるなり、学校に行かないなり、大人に通報するなりすればいいのだと思う。
大人は、その「関係を断ち切りたい」ということを尊重してやればいいのではないか。
その行為が「イジメかイジメじゃないか」なんていうのは、正直人によるし、線引きができることじゃない。
行為でそれをはかること自体が間違っているのではないか。

そして、その「関係を断ち切りたい」という思いをきちんと受け止めて、大人はその問題を解決してやらなければならないのではないか。
「関係を断ち切りたい」と声を上げることすらできない、そのこと自体が問題で、それは大人が関係を断ち切ってやってこなかったからではないか。
「みんな仲良くしましょう」なんてのは寝言で、本来は関係を断ち切り断ち切り、残った者と仲良く暮らしていくということなんじゃないか。
そういう選択肢を、子どもに与えていないのではないか。

クラスでイジメがあった。
もう、クラス全員と一生関係を持ちたくない、ということであるならば、その方法を模索する必要がある。
教師も、親も。
なんとか仲を修復しようということ自体が、必要なんだろうか。
イヤなヤツがいたら、一生話さなくてもイイ、と教えた方が、どんなにかみんな楽になるだろうか、と思うのだ。

それは、無視だとかのイジメを助長するという意見もあるかと思うが、それこそ「行為」でしかイジメを見ていない。
そうじゃない。
人間関係というのは、いろんな色合いがあって、濃いところ、薄いところ、まったく交わらないモノ、いろいろな色があるんだと思う。
それを、「みんな仲良くしましょう」では、逆に仲良くできない子を追い詰めてしまうのではないか。

いや、それでも、一期一会、なんとか人間関係を良好にする努力やその方法を会得すべきだ、という意見もあると思う。
それはそうだ。
しかし、おそらくイジメにあった子も、最初はそういうつもりだったはずなのだ。
子どもなりの努力だったとしても、その結果、ダメだった場合には、「関係を持たない」という選択肢はあっていいハズなんだと思う。

そもそも、大人は、子どもの人間関係をコントロールできない。
大人は、子どもの世界の中で異物であるから、異物が何か言ったところで、それを排除しかしない。
つまり、聞かない。
そして、異物が入ってこない「安全な場所」で、イジメはエスカレートする。

これを追っかけても、それはイタチごっこである。
それよりは、圧倒的な大人の力で、関係をぶち壊してやったほうがい。
「関係を持ちたくない」のだから、もう躊躇する必要はないのだ。
いや、関係をよくしたい、というのであるならば、よくする努力をすればイイが、これ以上、関係を持ちたくないと思ったら、にげろ。
勇気を持って、誇りを持って逃げるべきだ。
そして、大人は、それを全力で逃がすべきだ。

自分の、関係を持ちたくない、という思いを肯定して、自分の決めたことに誇りを持って、誰が何を言おうが、自分の生き方だと胸を張って、逃げるのだ。
大人は、それを助けてやればいいのだと思う。

逃げるのが卑怯だ?
そんなことはない。
多かれ少なかれ、人はみんな逃げて生きている。
それでも最後に幸せだった者の勝ちだ。
逃げるコトじゃなく、逃げた後の幸せな生活にこそ勝利があるのだ。




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(BGM:Shonen Knife「Jet」from「Super Group」)
→ウィングスの名曲を少年ナイフがカバーしております。
これは完コピに近いですね。
しかし、なぜ少年ナイフがジェット…?という感は否めないわけですが、いざ聞いてみると、「こういうストレートなヤツが好きなのよ!」というパンチをもらうことになります。
楽しそうでイイ。

がんばることは愛なのだ!(by 「ノルソル」 浅草ジンタ)

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昨日はアイスリボン道場大会に行ってきた。
なんか最近のアイスの試合はやはり都っちの試合が外れない。
この人は天才というより努力の人だな。
だって、試合毎によくなっていくもんな。
あ、「強くなっていく」じゃないですよ、そこんとこよろしくお願いします。
そこを外さないからこの人はすごい。

というわけでね。
座談会もなかなか面白かったんじゃないですかね。
アイスリボンはなにか主力選手も変わってというか、必然的にそうなっちゃったわけだけれども、それぞれの個性が際立ってきていて、それはそれでまあよかったんだろうけれども、でもやっぱり選手が少ないな…。
こうなると、やっぱりストーリーの広がりはあまり望めないので、ちょっとつらいな…。

いろいろあると思うけど、やっぱ、がんばることが愛なのだ。
だから、プロレスへの愛を、アイスリボンという団体への愛を、このまま貫いて欲しいのだ。


というわけで、以下はまったく関係のない、ちょっと前にスカパー!で見た話。

モンスターという映画があった。
アイリーンという連続殺人犯をモデルにした映画だ。
これ、まあ有名な話だけれど、彼女には、ティリアという恋人がいて、ティリアと一緒に暮らしながら、殺人を繰り返す。
一般には、恋人との生活費のため、彼女は殺した、ということになっている。


彼女をあつかったドキュメンタリーをディスカバリーチャンネルで見ました。
映画とはまた違った臨場感で、この事件が多くの人を惹きつける理由がよくわかった。
彼女は、レイプされそうになったから殺した、と自供していたらしい。
とはいえ、連続殺人だ。生活費のため、というのも拭えない。
なので、同情の余地はないのだが、彼女の生い立ちがまたひどい。

虐待をうけながら、14歳で妊娠。子どもはすぐに養子に出され、家出とはいえ、親に捨てられたも同然で路上生活に。
そして、そのまま33歳で殺人を犯す。


彼女は、ずっと売春で生計を立てており、男の身勝手さに飽き飽きしていた。
レズビアンになるってどういう気持ちか、と思った、というが、思ったのが先かどうなのか、そんな時に彼女の前に登場したのがティリアだ。
ドキュメントを見る感じでは、ティリアはそもそもレズビアンなんだな、たぶん。
かといって、別に身体だけが目的というわけでもなさそうだ。
一緒に4年とか暮らしている。
お互いに愛情もあったようだ。

アイリーンは、ティリアに出会って、始めて「人の愛」にふれる。
そしてのめり込んでいく。
そして、最初の殺人。
彼女はティリアにその罪を告白したようだが、ティリアは「それ以上は聞きたくない」と拒否。
その後、アイリーンは殺人を犯して金を調達してきても、ティリアにそれを語らなかった。
つまりは、まあ、ティリアにも同情の余地はない。
殺人を黙認していたと言えるからだ。


アイリーンが逮捕されて、状況証拠があっても、自供がとれない。
そこで警察は、ティリアに一芝居打ってもらうことにする。
ティリアにも殺人を黙認したという弱みがある。ともすれば共犯とも言える。
警察の申し出を断れない。
アイリーンに電話をさせて、「私が逮捕されそうだ」と嘘を言わせるのだ。
つまり、ティリアは自分が罪に問われない約束を警察とした上で、恋人を裏切ったのだ。
この電話を受けて、アイリーンは全ての(と思われる)殺人を自供。
なんとしてでも恋人が逮捕されるのを、阻止したかったのである。

もうね、殺人というのはダメですよ。
ダメなんだけど、この「愛情」に嘘はない。
この事件、ここに惹かれちゃうんだな。
逆にいうと、なんで二人で更正できなかったのか、という気はしなくもないが。

裁判で、アイリーンは恋人に裏切られているとはつゆほども思ってない。
そこに、恋人が証人として出廷。
最初の殺人を打ち明けられたことを証言し、電話の会話を録音したモノも公開。
つまり、アイリーンが「裏切られた」ことを認識する場面なんだけど、この時のアイリーンの表情が、本当に切ない…。
いや、こんなコト言っちゃいけないのはわかるんだけど…。


犯した罪は許されないが、二人でもっと日の当たるところに出れなかったのか。
愛し合っているのなら、なぜ…。
挫折して、貧困で苦しいのもわかる。
俺も路上生活ではなかったが、工藤さんと一緒に住み、月5万の給料でそこそこ貧乏だった。

でも、やっぱな、そこからなんとか日の当たるところにいかなきゃ…。
そうじゃなきゃ、やっぱ愛じゃない…。
破滅なんて、愛の形じゃないよ。




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(BGM:シーナ&ザ・ロケッツ「LEMON TEA」from「ATTRACTIONS! KONISHI YASUHARU Remixes 1996-2010」)
→まあ、超名曲ですから。
元はヤードバーズの「Train kept a rollin'」ということになりますけど、もうそんなことはどうでもよくて、「絞って!僕のレモンを!」で決まりです。
このバージョンは、重さと激しさが強調されて、どっか水中でやってるのを水中で聞いているような感じ。
元曲よりももっとハードに仕上がっております。
イイバージョンだと思う。

大人はつらいよ     …でも、やるんだよ

スーパー猛毒ちんどんは、「なにかしらのFES的なモノに出る!」という明確な目標を持って、新たに突き進んでいく所存であります!みなさん応援よろしくお願いします!
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世の中にはくそのようなヤツがいるもんであります。
車椅子用の駐車場に、平気で停めている車椅子でもなんでもないヤツ。
まあね、なんかアウトローを気取っているのか、阿呆だなあ、と思うんです。
こんなところでアウトロー気取ってどうなんだ?って気がするんだよ。
本当に困っている人に勝ち誇ってみたところで意味ないと思うんだよな。
俺にはまったくその気持ちが理解できない。
人とぶつかるんだったら、自分より弱い相手じゃないだろう、って気がするわけ。

まあねえ、今、おばあちゃんを狙った強盗とかそういうのも増えてるでしょ?。
痴漢とかもそうだと思うんだけれど、弱い人を狙って金を奪いました、乳もみました、って、なんだかすごく卑劣だわな。
こういうのは、どんどん死刑にしたほうがいいのではないかと思う。
死刑反対だとか、そういうのはまあちょっとおいておいてですね、そういう次元ではなく、許せないですよ。

中でも、子どもを乗せてるヤツが停めていたりするからまったく理解不能。
少なくとも、そんな親の子には産まれてきたくないもんだ。
昔、バザーのときに駐車場誘導とかをしていて、「いいだろ、停めさせてくれよ」とかってねじ込んでくるようなヤツもいたけど、まあ子どもも乗せてるわけ。
なのに、そんな会話を平気でしていることがもうわからない。
もちろん、それは停めさせないわけですが、まあ逆上して去っていきましたけど、ばかだなあと思うんです。

社会のルールに従うとか、助け合いとか、そういうことを子どもに教えるのが普通だと思うんだけど、真逆でしょ。
自分さえよければいい、なんて、そんな行動を親が見せていたんじゃ、どうにも暗澹たる気持ちになる。


まあね、世の中が強いものが勝つ的な、勝って当たり前というような、弱いものは蹴散らしていっていい、という感じになってるからね。
でも、だからといって、親が子どもの前でそんな態度をとっているなんていうのは、人間として何のポリシーもないわな。
「だって、世の中がそうなんだから、何が悪い!」っていう意見は開き直りだよ。
開き直りは悪いことばかりじゃないと思うけれど、この場合はよろしくない種類の開き直りだね。

それでも、自分は子どもには「人として正しく生きる」ということを見せなければならないんじゃないかって思うわけ。
じゃなければ、社会はどんどん「何が悪い!」のその悪い方向に行ってしまうじゃないの。


人は、人のために生きなきゃならないと思う。
今、なにか「自分らしく」なんて言葉が流行っているけれど、それってなんか俺にはピンとこない。
自分なんていうのは、他人との関係性の中で存在するんであって、一人で「自分らしく」なんて、本当になにか実現できるんだろうか。
なんか、逆に「私は○○なんで」って他人と距離をとるだけのヤツとか、協調性のかけらも発揮できないような人間まで現れる始末。
それでも、他人に迷惑をかけないのならそれでもいいが、「俺は俺だ」なんて、車椅子用の駐車場に停められたんじゃ、迷惑千万だ。
他人のためになるどころか、他人に迷惑をかけて「自分らしく」なんて、やっぱり成り立たないと俺は思う。


大人はさ、やっぱり理想を語らなきゃいけないと思う。
去年の震災があって、だんだんそういう機運はあるような気がするけれど、「助け合う社会」、とか、「人のためになにかをしよう」とか、そういうことを日常の中で行動で大人は子どもたちに示していかなければならないと思うのだ。


大人はつらいよ。
毎日毎日子どものために働いて、ぼろ雑巾のようになって家に帰って(生きてるっていってみろby友川かずき)、それでもまた明日目覚めない目をこすって仕事に行くのだ。
いまや不況で、仕事も大変だ。
ああだこうだストレスもたまる。
けれども、飲みにいく金もなかなか自由にならなかったりするだろうよ。

でも、やるんだよ(by根本大先生)。
それが大人じゃないか。
俺もつらいが、「でも、やるんだよ。」




インターネットラジオ「JUST CLICK」(ジャスクリで検索して下さい)で、YK型のお二人が前回のライブ「愚民政策」について話してくれています!(第115回分)いつまで聞けるのかな、これは…。早めに聞いて!今ならまだOK!
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(BGM:NOTALIN'S「Just Like a Boy」from「NOTALIN'S」)
→ミチロウさんですね、この曲はソロの代表曲でもあります。
頭脳警察のトシさんとあちらこちらで見るチェロの坂本さんのユニット。
元からどうなんでしょう、この人は歌モノの人だったのかな。
スターリンはやっぱちょっとハードコア方面からかなりディスされてました。
「パンクを利用しただけ」とかって発言とか、歌詞も今考えるとかなり文学的というか、そういう部分も多かった。
でも、なんだかんだ、主義者(IST・ロマンチスト)のイントロは誰でも知ってるという、まあこの辺がこの人の凄さであります。

PTA活動は必要か?

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PTAをやっているという話は書きましたけれど、どうも「やっつけやっつけ」やっているな、と思うんです。
だったら、他の人に任せちゃえばいい、とか思うんですけど、いや、面倒なんですよね、人に頼むのって。
だから自分でやっちゃう。
やっつけやっつけ、やっちゃった方が早い。

まあ、そういうことをやってると、なかなかみんなの意識も上がらないし、いいこともない、ということもあるかもしれない。
それはわかる。
虹の中でだったら、オレは基本的に自分で仕事はしない。
基本、遊軍である。
やっぱ、自分でやったら早い、では運動は成り立たないから、自分でやらないことを選ぶ。
それが組織を大きくしていくポイントである。

が、PTAでは、まったく逆のことをしている。
なんでか、と考えてみると、答は簡単で、そのうち終わることがハッキリしているから。
ここのお母さん方とも、そんなにその後の人生でからむことはないだろうな、と思ったりもする。
だから、チャッチャとやっちゃって、任期が終わるのを待つというか、そういう感じね。

というか、高校にもなって、なんで親がそこまで…、って思うことも少なくないんですよ。
子どものテスト期間なんて、みなさん知ってます?
あれ?知ってる?。
う~む。
なにかちょっと勉強している風が見られて、「どうした?珍しいね、勉強なんかして?」と聞いて、「明日から中間テストなんだよ~」という答があってはじめてオレは、彼女がテスト期間であることを知る。
手紙を読みなさい!という意見もあるだろうが、そんなに重要なことって、ないでしょう?。
「明日弁当お願い!」とか集金とかってのは、本人が言いますよ。
小学生だったら当然かもしれませんが、高校になって、そんなこと別に手紙で親が先に知る必要があるとはあまり思わないというか。

今の時代、なんだか親子が親密すぎると思うんです。
いや、一方で、放任、じゃないな、ネグレクトの親もいっぱいいるからね。
そもそもの子どもの問題は家庭にあります。
だから、学校もそれを自覚してほしいというのはわかります。
けれども、あまりやりすぎはどうかな、と思ったり。

PTAに出てくる親なんていうのは、そもそもこういう心配はあまりなかったりするんだと思うんです。
だから、なんかちょっとこう、「そもそも論」になっちゃうんだけれど、PTAで○○講座とか、子どもの教育とかに関係ないことって、必要なのかな?って思うんです。

親同士の交流といえば聞こえはいいけど、どうなんだろう。
ちょっとオレはよくわからないです。

学校の方針に異を唱えるとか、そういう際に必要な組織だとは思うけれど、普段の中であまり必要性を感じないんです。
とはいえ、無かったらないでそれはまた「あったほうがいい」って思っちゃうと思うんです。
つまりは、「あり方」の問題なんだよな。

かといって、その「あり方論」「そもそも論」を持ち出すほどの時間はないんですよね。
子どもは3年で卒業しちゃうから。
その中でそもそも論を討議して、一定の方向性をつけて、しかもそれが脈々と続くような形にできるかというと、それは時間的に正直、無理だと思うんです。
しかも、仕事でやるわけじゃないから、現実的にそんなに時間がとれるわけじゃない。
だから、結局は「パッパとやって、任期を終える」ということを選ばざるを得ない。

すごくお役所的、日本的官僚主義的というか、そんな感じでイヤなんですけど、でも、それ以上のことができない。
だいたい、一年たっても、まだ出てくるお母さん方の顔と名前も一致しない。

ま、唯一実現できる方法としては、先生の側からこういう「そもそも論」が出てくるという形はあるかと思います。
けど、実際のところ、まあそういう感じでもないですね。
結局、「ああ、そんな経験もしたな」で終わってしまうのかな~。
こんな事書くと怒られるかもしれないけど、オレのところには来ないけど、いわゆる「女同士のイヤな感じ」もあったりするらしいし、困ったモノで。
まあ、このままいくのかなあ、任期のあと2年を。
ちょっとどうなんだろう…う~ん。

まあ、もっとステキな活動をしているPTAもあるかと思うんですが、ちょっと今はあまり肯定的に思えません。


てなことで、明日ついに「入江田マジックワンダーランド!」!
ぜひにじ屋に!




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(BGM:エイジア エンジニア「MOMI MOMI Fantastic(readymade モミモmix)」from「MOMI MOMI Fantastic feat.はるな愛」)
→オレははるな愛ちゃんが好きです。
すごくお父さんが厳しい人だったとか。
カミングアウトしてどうなるかと思ったら、お父さん怒る気持ちをぐっとこらえて、「その世界で一番になるようにがんばれ」的なことを言われたとか。
イヤ、立派なお父さんなのね。
なかなか言えないですよ。
そして、それに応えている彼女もとてもステキだと思うのです。

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