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スーパーちんどん・さとう

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人は変わる、変われる


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先日久しぶりにネット事務所に行きまして。
井上達と会うのが二日ぶりくらいの。
いや、まあ久しぶりったって二日くらいですわ。
困ったもんで、こうなるとカイがかなり迫ってくる。

よくよく思い出してみたら、最初カイが来たときはまだ高校を出たばかりで、細っこい、とにかく「こだわりと神経質」みたいな「触れ込み」だった。
もう10年以上前になるのかな。

学問的に言えば、重度の自閉症、ということになろうか。
まあ、ウチではそういうことで彼を区分したりはしないが、まあそういうことだ。
ウンコも拭けないので、こっちが拭いてやる感じである。
とはいえ、彼は「拭け」と要求してくるので、まだなんというか、いい。
拭きもしないでパンツをはかれたら、余計な作業が増えてしまう。

最初はご飯も食べない、かなりの偏食、ということだったが、こちらに来てその辺はおさまった、というか何でも食べる。
親には驚かれるが、野菜も楽しく食べる。

てんかんの発作があって、小さい発作が頻発する日もある。
なんとなく「今日は発作が頻発しそう」というのも、なんとなくわかってきたが、時に漏らす。
まあ、発作だからしょうがないし、むしろなんだかかわいそうな感じである。

最初の頃は、人にはあまり関わらなかったし、下を向いて座って自分のズボンのチャックをいじっている、みたいな。
よくある風景ですが、まあそういう感じだった。

「着替えない」「食べない」といったようなことは、彼のお母さんが言っていた。
まあ、そもそもカイは自分で喋ることをしない。
話していることは伝わっているように思えるし、今は一生懸命「あ・き・ちゃん!」とかって、ヘレンケラー的なコトをアキやみんなとやりとりしてたりするから、もしかして話すようになる日も来るかもしれない。

最近になって、その「やりとり」を一生懸命やろうとしている感じがカイにはある。
自分の要求、例えば「お茶を飲ませろ」というようなことを盛んに言ってくる。
オレは毎日自分の水筒、といっても2リットルタイプのデカいヤツを持ってくるんだけど。
それを欲しがる。
なので、まあ「下さい」というジェスチャーをすればあげることにしている。
口を付けさせるのはイヤなので、上を向かせて口に入れることにしている。

アキも水筒を持ってきているが、アキには「コップに入れてくれ」と言いに行く。
これも「あ・き・ちゃん」という、カタコトっぽい言葉でやり取りをすることにしているようで、アキもそれであげるようにしているようだ。
このやり取りを通じてなのか、とにかく彼は「やり取りをすれば要求が通る」ということがわかってきたような感じがある。

その前から、オレにはなぜかチューをしてくることが多く。
だんだん他の人にも波及していくのだが、このコロナの中、もうやめてくれや、って思うんだけど、笑顔でスキップしながらやってくるので、なかなか無碍にもできない。
どっか、彼の「言葉」の様な気もして、「やめろ」とは言いにくい。
とはいえ、やっぱ気持ちは悪いので「やめろやめろ」とは言うが、それもそういえばまわりが笑う、というのもある。
なんとなく、カイのチューで悪い雰囲気にはならない。
これ、なぜか女の子にはやらないので放置しているところである。

で、冒頭に戻るが、久しぶりだったときは、もうオレに迫ってくるスキップが高い。
そして、嬉々とした感じが大いに伝わってくる。
やめろ~と盛り上げようとして言うが、迫ってきて、彼は思いを完遂させる。

ま、ここまではこれまでもよくあった話である。

先日は、オレが久しぶりのママ、パソコンに向かったらカイに背中を向けることになったわけだが、嬉々としたスキップが背後から迫ってくるのはわかった。
しかし、オレはパソコンで急ぎの作業をしている。
果たしてどうすんだろう、と。
無理矢理オレを後ろ向かせてチューをするということは考えられる。

が、その時は違った。
オレの背中に、「きゃー」なんて嬉々とした声を上げながら「ポカポカポカ」とやったのである。

なにそれ…。
子どもが母親にやるヤツじゃん、というか、恋人同士がやるヤツじゃん…。
ということで、なんかオレは大いに笑っちゃったんだけど。

とにかく、あれだけ他人との壁を作っていたカイが、いろいろな人に近づいたり、愛情?を示しているのを見ると、人って必ず変わるということを実感する。
知的障害者だから一生もう同じ、とか、重度だからしょうがない、ってのは、やっぱりこっちの思い込みなんだろう、と思う。

そういえば、イチマルもどっか人を寄せ付けないオーラを放っていた。
誰とも関わらない。
どんなに遅くなっても、井上の家にも泊まりたくない。
毎日同じ行動をしなきゃ気が済まない。

そんなイチマルも、今はどっか「飲み会に参加したい」と自分から言うようになったし、同じ行動も、どっか彼は「自分が自分を縛ってる」ということに気づき始めているというか。
とはいえ、イチマルの場合は時に逆ギレしたりしてみんなに嫌われてしまうので、そこでまた衝突があったりして難しいのだが。

でも、変わったことは事実だと思う。

人は必ず変わる。
知的障害者であれ、変わるのだとオレは彼らの毎日を見てそう思っている。




ブログ用

(BGM:スガシカオ「斜陽」from「PARADE」)
→スガシカオさんの曲には哀しさがある。
声なのかな。
とてもオレは好きなんだけど。
これは愛し合っていた恋人の歌。
いや、「愛し合っていた」と思っていたのはこの曲の「ぼく」だけなのかもしれない。
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それは残酷か?


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まあ、いろいろ考え方ってのはあるわけで、何がいい、という結論を出すのは難しいものです。

知的障害者なんて一言で言いますが、まあいろいろで、そこそこちゃんとわかってる人もいれば、例えばカイのように喋らない人もいます。
結局は、「こっからこっちがこう!」なんていう風な杭は打てないわけで、実際には生活能力っていうか、そういうのもある。
計算ができなくても、まあ生活できるチカラがある、とか。
また逆もしかりで、計算はできるが、他のことが難しい、とか。
十人十色と言えばそれは健体者も同じで、だからこそ、彼らだけ知的障害者というレッテルを貼ってなんとかしようとしてもやっぱ難しいわけです。

それはまあ現実ですね。

同時に、たいがいはまわりもいい人で、朝の運動なんかでマラソンなんかをしますが、道行く人たちも挨拶してくれたり、いろいろと話しかけてくれたり、お祭りでは便宜を図っていただいたり(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4894.html)、ほとんどそんなにイヤなコトはそんなにないんですけど。

でも、やっぱりミツに言わせれば「コンビニの店員がコバが行ったらバカが来たと言っていた」とか、そういうこともある。
相模原の事件が人ごとじゃないな、というような。
役人も同じで、監査だって言うからイチマルたちが活き活きとやってるかどうかを見に来たのかと思いきや、書類見て帰る、みたいな。
なら来なくていいよ、書類は毎年出してるだろ、と思うんだが。
ネットを見ればヘイトが溢れているし、まあいい気分ではない。

けっこう、一歩外に出れば、やっぱ彼らには逆風しかないのか、という気になる。

時には、完全に親が先行しちゃって、本人に何の話もしないで「やめさせる」といってきた親も過去にはいる。
前日まで、電話で親に泣きながら「なんでそんなこと言うの!やめたくない」と言っていたにもかかわらず、親がシャットアウトする、というようなこともあった。
「親に騙されている」ということなんですが、これも本人は薄々わかってはいて、しかしなかなか知的障害という部分で、「クソババア!」と家出することも難しかったりする。

そう考えると、なかなかに「彼ら本人の味方になる」というのは大事だし、そうあらねばならない、と心を新たにするわけですが。

そんな中で、この「厳しい状況」「逆風」というのを、彼らにどう説明するか?というのを考えるんですね。
そして、まあどうしようかな、といつも悩む。
例えば、ちょっと考えると、それをストレートに伝えるのは「残酷だ」という意見もあると思うんです。
もちろん、それは人にもよる。
イチマルと井上では違うし、井上とミツでも違う、ミツとオグラでも違う。
理解度も違えば性格も違うから、それはまあ各々だ、ということにはなるし、その場その場での判断、ということにはなります。

ただ、どっか「基本線」はほしいな、と思うんですね。
その上で、その人にあわせてどう伝えるか、って感じで行きたい。
じゃないと、違うことを言ってしまいそうな気もするわけです。
ブレる、というか。

で、ちょっと前に書いた「残酷」ということになるんだけど、ここなんですよね。
「残酷な現実を伝えるかどうか?」
世の中は、車椅子は電車にも乗るなと言う、ということを伝えるかどうか。
もちろんそういう人ばっかりじゃないよ。
でも、むしろその現実を伝えておいた方がいいのではないか、とオレは思うけど、それを「残酷」っていう意見もあるわけだよ。

果たして「残酷」なのか。
残酷なのは世の中で、それを伝えることは果たして残酷なのだろうか?という問いですね。

現実には差別があって、例えば差別反対の映画を作ろうとすればその差別を描かなければどうにもならないわけだけれど、それ自体が「差別の再生産だ」という意見もなくはない。
いわゆる言葉狩り、といったようなことですか。
まあ、しかし映画全体が意図することをくみ取ってもらわないとこれどうにもならない。

親御さんの中には、「この子に余計な苦労をかけたくない」と思う親もいれば、「厳しい世の中だからこそ、しっかりとそれを見てほしい」という親もいる。
前者はいろいろ手を回してやってくれる親なんだろうし、箱入りよろしく外に出さない、というベクトルがあり、後者には外に出そうというベクトルがある。

このベクトルの違いは大きい。
子を愛する気持ちは同じでも、これはかなり違ってくる。

正直、「そんなこと言うのは酷だよ」というのは、どっか彼らをバカにしているようにも思えてしまって、オレには据わりが悪い。
だって、同じ世の中を生きているわけだから。
そして、その世の中の中で、「俺は味方でいるよ」ということを伝えなきゃ意味がないとオレは思ってる。





ブログ用

(BGM:すずききよし「Walking In The Dust」from「Walking In The Dust」)
→歌詞を読んでみると、戦火の下を歩く兵隊の歌だと思う。
いわゆるフォーク、反戦フォークといった感じだろうか。
叫ぶでもなく、絞り出すでもなく、蕩々とした声はむしろ染みてくる。

異世界のみなさんへ


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これを書いているのは5月4日なんですけどね。
朝起きて事務所に行く前になんとなくテレビを付けたら「GWでどこも長蛇の列です!」みたいな。

う~む、と。

ま、新規感染者も下がっている、と。
行政もなんの対策をしない、という状況の中、まあそりゃ出掛けるよなあ…。

ただなあ、今年ついに感染対策の規制がないGWということだけど、昨年の4/29の東京の新規感染者は1027人だったのか。
ちなみに、今年の4/29は3893人なのよね。
つまりまあ、「減ってる感じはするけど、実はまったくもって去年の三倍は新規感染者がいる」というのが現実。

この後どうなるのか、行政の姿勢はなにも出てこないから、まあ「神頼み」って感じしかしないんだろうなあ。
去年は5月はだんだん減っていったんだよね。
今年はどうかなあ、こっから増えるのではなかろうか、というのは素人考えなのか。

科学的、客観的な分析なしに、「なんとなく大丈夫」「みんな出掛けてるし」みたいな感じで世の中進んじゃってるんだよな。
政治もそれにブレーキをかけない。
これで観光地でクラスターが起きてしまえば、その後また致命的なコトになると思うんだが、もう目先の儲けを確保しなければならない状況まで追い込まれちゃってるから、もうそこは「神頼み」で進んじゃってるんだろう。

「マスクしてるから大丈夫」ということもあるんだろうし、それなりにいろいろ対策はしているんだろうけど、なんだかなあ、という気がしてしまう。
日本中が、反知性的な感じに覆われてるっていうか、感情だけで行動してる感じがする。
「もうそろそろみんな限界だし」みたいな。
まあ、「もうみんなそろそろ限界だし」というのは、わからなくはないし、話のとっかかりとしてはあるんだけど、じゃあその限界をどうやって突破するか、ということを、科学的な感染防止の観点で考えなきゃいけないんだろうけど、そういうことなしに、もう「みんなそろそろ限界だし」=「よし出掛けちゃえ!」という短絡思考。
その間に考察がない。

なんだかもうみんなヤケクソなんだろうか。
死をいとわない人たちの集まりなんだろうか。
トッコウクレイジーにしか見えなかったりする。

こういう空気の中で、「コロナなんかは本当はないんだ!」などという陰謀論がはびこる。
まったくもって、困ったことです。

ウイルス感染ってのは、たいがい都会で流行るコトだと思うけど、今回はみんな都会から観光地へ、実家へ、とかって行っちゃってるからね。
確実に広がるんだろうなあ。

まあ、神頼みよろしく、増えないことを本気で祈っているけれど。

というのは、やっぱり、我々のような障害者云々の仕事をしていると、クラスターの危険性があって、どうにも「出掛ける」「人混みの中に行く」というのができないんですよね。
おそらくこれは、医療従事者のみなさんなんかも同じなんだと思う。
そういう生活を、もう二年三年とやってきた。
コロナ始まってからオレは電車にもバスにも乗ってない。

だから、もう本気でおさまってほしい。
そもそも感染危機みたいな感じなワケだから気が抜けないし、気分転換に出掛けることもできない。
やってられない。
正直、今の「長蛇の列」なんていうトレンドを見てると、異世界を見ているようにしか思えない。

いわゆる「エッセンシャルワーカー」といったような言葉が急に出てきて、「そういう仕事に感謝しましょう」とかいってるけどさ。
まあ、医療従事者のみなさんなんかには、ホントに感謝しかないんですけどね、オレなんかも。
でもさ、「感謝の印に飛行機飛ばします」とかって、バカでしょ。

いらんがな。

なんならブルーインパルスとか飛ばして見物人増やして、また感染者増やす気かよ!というね。
そういうことでしょう。

そうじゃなくて、もうこの感染の恐怖の緊張状態を和らげてくれるつもりなら、単純に補助金だよ。
ガソリンの会社に補助金やったみたいに、医療従事者や、ウチみたいな介助、介護の仕事とかに補助出してくれりゃいい。
金がほしい、って話じゃなくて、金が増えるのなら人が増やせるから。
誰かが感染しても、代わりがいるかどうか、ってことでクラスターへの危機感は薄れるんだから。

世の中金だろ。
飛行機なんかいらねえよバカ。
しかも戦闘機ときた日には大馬鹿だろ。

いや、まあ、だからといって、ロックダウンしろ、って話をしたいわけじゃないんだよ。
少なくとも、「何の規制もしない」ことが正しいのか、規制をしないのなら、どういったことを互いに注意しなければならないか、それを医学的、科学的にきちんと伝えてくれないと。
それをしてないから腹が立つ。
そして、「業界団体」には金を出して、飛行機だけ飛ばしてエッセンシャルワーカーとかいう我々には金を回さない世の中に腹が立つ。

世の中が浮かれている一方で、まだまだクラスター感染の恐怖の中で仕事してる人もいるってこともあるのよね、って話。
「なんとなく」の雰囲気だけで何の対策もしない政権に、感謝だとかって飛行機飛ばすだけの政権に、一緒に怒ってもらいたいな、と思う。






ブログ用

(BGM:黒坂黒太郎「森のファンファーレ」from「コカリナ 木の精の唄」)
→静かに始まるかと思いきや、情熱的な感じのギターで始まる。
そこにコカリナの音色が踊る感じ。
まさに木の精が踊ってるような。

好きと嫌いの間


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コバと話していると、思うことがありまして。
ま、コバだけじゃないんだけど。
というのは、誰が嫌いだ、好きだ、って話になることがあるんだけど、その時に、好きと嫌いしかないんですよ。

コバなんかは特に家庭環境もあったんだと思うけど、「怒られなきゃイイ」という思想を持っていて。
まあ、それ自体もどうかとは思うんですが。
だって、怒るとか意見してくれるってのは、まあコバのことを考えてしてるわけですからね。
それをしない人が好き、ってのは、まあ向こうはコバのことなんとも思ってない、ってことだから釣り合いが取れない。
その辺がどうも見ていてヤキモキする。

とはいえ、最近はそれでも「やっぱり意見してくれる人は大事」とは思っているようで、ちょっと変わってきたというか、子どもじゃなくなってきたかな、とは思うんですが。

で、まあその好き嫌い、なんだけど、二つしかないと、好きじゃなければ嫌いなんですよ。
嫌いじゃなければ好き。
これね、もう浅いんです。
本当に好きな人が誰だかがわからない。
本当に大事な人が誰なのかがわからない、って事態になる。
逆もまたしかりで、本当に嫌いな人って誰?というのが薄ぼんやりとしてしまう。

まあ、これについてはオレも反省していて、というのは、けっこうね、彼ら知的障害者を相手にしていると、「みんな仲良くしましょう」とか言いがちなんですよ。
でも、それって違うじゃないですか。
大人の社会でそういうのってやっぱ違うなあ、と思ってて。
だから、「嫌いなら嫌いでイイ」「でも一緒の船に乗ってる仲間ではある」というような言い方をしてきちゃってましたね。
だから、好きの反対が嫌い、という意味ではあってるけど、「好きでも嫌いでもない」ということについてうまく表現できてなかったな、と。

そして、その「好きでも嫌いでもない」という人がほとんどなんですよね、世の中。
逆を言えば、その「好きでも嫌いでもない」ってことがあって「あたりまえ」ということをもっと彼らに伝えられるように普段考えておくべきだったな、と。

みなさんもどうですかね。
嫌いな人っています?
ちょっとコバと話している中で考えてみたんですけど、いないんですね。
あまりパッと浮かばない。
というか、嫌いな人は近くにいない、ってことかもしれないんだけど。
と思って、いろいろ思い出してみるけど、実際その時はアタマにきてたとしても、別になんか「なんだかんだ関係ねえな」と思う人ばかりで、つまりはもう「好きでも嫌いでもない」んだな。

まあ、世の中っていろいろだから、姑さんが嫌いだとか、中には旦那さんが嫌いだとか、そういうのもあるかもしれません。
だからまあ、オレなんかは幸せなんだと思います。
思いつかないもん。
好きな人ってなると、これはなかなか難しいけど、ってか、たくさんいるなあ。
…と考えると、やっぱオレは幸せなんだろうかな。

で、でもたいがいは「好きでも嫌いでもない」んだよな。
いい人だと思いますけど、まあ好きでも嫌いでもない。
会話は時に弾むけど、まあ好きでも嫌いでもない、みたいな。

結局それってなんだろう?と自分に翻って考えてみると、「自分のコトを思ってくれてるかどうか」なんだろうか。
つまりそれには「自分」という物差しがなければならないって感じになるのか。
でも同時に、そうやって自分のコトを思ってくれる人がいるから自分が立ってる、という部分もあるわけで。
だから、本当は「誰が好きで誰が嫌いか」なんてのは、どうでもいいことなのかもしれない。

人間関係や、自分の立ち位置を、「自分が誰が好きで誰が嫌いか」みたいなことで考えてしまうのって、やっぱどっか自意識が高いんですか?どうなんでしょう。
オレなんかは自意識が高いんじゃないかな、とか思いますけど。
人に乞われればそれはやるし、そうじゃなきゃやらなかったりもするし、なんだろう、結局は「その相手がオレに何を望んでいて、オレは彼に何を望んでいるか」でしかなくて、それが叶うか、叶わないか、だけの問題のような気がしたり。
つまり、好きだろうが嫌いだろうが、結局はそれが叶うかどうかだけの問題で、オレがどう考えていようがそんなに関係ない、というか。

ま、それが正解かどうかはオレはわからないけど。

で、まあコバに戻って考えて見ますと、つまりは他人が自分と同じ人間である、という部分に欠けてるのかもしれない。
つまり、自分がその人に望むことと、その人が自分に望むこと、ということの区別、というかその両者がある、というのがあまりアタマにないのかもしれない。
自分がいつも主人公で、その他は脇役、としか思えなければ、やっぱりそうはなっちゃうかもしれない。
でも、彼からしたら自分が脇役で、彼主役の時にきちんと脇役がつとめられたか?ってのが結局は「仲間意識」だったり、「友情」だったり、「愛情」だったりするような。

ま、またいろいろコバとは話をしていきたいと思います。









(BGM:田代ユリ「青い影」from「愛のエレクトーン ベスト」)
→オレはビクター版のエレクトーン、ビクトロン、というのを習っていたので、この音色はとても懐かしいモノがある。
しかもこの曲はエレクトーンに向いていると思うのよね。
名曲。

先生に「気に入られなきゃ」


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広島県だったか、公立高校の受験にに関して、内申の簡素化ということで、生徒の3年間の記録を教員が記載する「所見欄」を廃止、とのこと。
これ、つまり「先生がその子がどういう子かを書く」というものですね。
それを辞めよう、という。

ま、いいことなのかどうなのか、その辺はわかりませんが、これがあったことによって「先生に気に入られなきゃいけない」みたいなことってのはなくなるのかもしれない。
部活に入ってないと内申点が悪くなる、とか、先生に嫌われるような反抗はすべきじゃない、なぜなら高校入試の時に不利になるから、みたいな不合理はなくなるのかもしれません。

まあ、この「反抗」。
中学生だったりにはとても大事なことだと思うんだけれど、それをしたら高校入試で不利になる、というのはそもそもおかしなことで。
だって、校則に、ひいては社会システムに異を唱えて社会をよりよく変えてくれる可能性のある子なんだから、そりゃ採用したいと思うのが普通かと思うが。
なんなら先生も、「この子は反抗的でとてもいい子です」と書けばいいけれど、その辺がどうもおかしなコトになってるというか。

つまり、先生は了見が狭い、って「見立て」なんだろうな。
だから、「先生には反抗しない方がいい」となる。
じゃなくて、本当に子どもの成長や日本の未来を考えたら、やっぱ反抗するくらいの子をこれからは社会の真ん中にしたい、と思うと思うんだけど。

これね、まあよくある話で。
例えば、親御さんが「うちの子は男の人が苦手で、佐藤さんなんかにはあまりアレだと思うんだけど」とかって、子を弁護してくる親ってのがいるんですよ。
つまり、オレが好き嫌いで対応を変える、と思い込んでいるんだろう。
んなわけないんだけれど。
もちろん、好き嫌いというのは存在していいとは思うよ。
思うけど、だからって、それで対応に差を付けるようではプロではないでしょ、そもそも。

つまりそう言ってくる親というのは、「人間とはそういうモノだ」と思っているんだろうし、ひいては「自分はそういう人間です」って言ってるようなもので。
「ま、とは言っても、やっぱいろいろその辺、対応に差はついちゃうでしょ?」という親御さんは、本当に不幸だと思うし、そういう親に育てられてきた子を不憫に思うわ、むしろ。

バカだなあ、と思います。
なんで、親から金をもらったり、活動に参加してもらったり、そういうのってのは絶対にやめなきゃな、と思うんです。
そんなことしたら、「この親は協力的」みたいなことでまた「差がつくでしょ」という真理を煽ってしまうじゃないですか。

正直ね、こういうことを言い出す親ってのは、ぶっちゃけ、たいがいダメなんです。
そういう「先生に気に入られなきゃダメだよ」ということを言い出すってのは、「あなたはあなたらしく生きなさい」と子どもに伝えられてない、ってことだから。
一事が万事ダメ、ってコトが多い。
その呪縛を解くのはものすごく大変なんですね。
むしろ、それを、その考えを捨てた方がいいよ、と思うのだけれど、そのアドバイスすら、「気に入られるようにしなきゃ」になってしまい、手が付けられないし、意味がない。

本人はもちろん、親御さんであれ、本気で思ってることを言えばいいじゃないですか。
オレもそれに本気で答えるから。
意見が違ってるからなんだ!って話ですよね。
そこをすり寄せていくのが大人でしょうが、とオレは思いますが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5746.html)。

というかですね、この手の人って、すぐにマウントとりたがる傾向もあるように思います。
意見をすり寄せるのではなく、「どっちが上か」を決めたがる。
その上、「先生には気に入られなきゃ」というのがあるからワケがわからないが。

そもそも、障害を持った子を育てるというのは、この世の中でとても厳しいことなんですよね。
それはそう思います。
けれども、だからって「自分だけがこの子のことがわかる」とか、「自分がいなければこの子は…」というのは、ちょっと違うな、とも思います。
だからどうしたって、「自分の思いはきき入れてくれるのが当たり前」みたいに思われても、ちょっとそれは違うんだよな…。

色々な面から意見持ち寄って、楽しく生きていけるような方向を考えましょうよ、って話で。
どうしても今の福祉界隈、特に知的障害といわれる人たちを取り巻く状況というのは、どっか「親の意見中心」で、本人のメンツや大人として尊重する、みたいなところに欠けている。
そして一方で、親自身が「職員に気に入られなきゃ」というのがあったりするから、まあこれで本人の気持ちが尊重されるわけがないし、本人が大人として社会に立つ、自分が立てる社会を作る、という方向になるはずがない。

中学生くらいならやっぱ自分を取り巻くシステムに反抗するのが道だろうし、「先生に気に入られなきゃダメ」という親の思いは、やっぱもう捨てた方がいいよね。
それやってきて、従順な子どもばっかり増えて、世の中よくなりましたか?って話で。










(BGM:Peruvian Harp & Flute Ensemble「Moyobama」from「The Andes - 20 Harp & Flute Favourites」)
→アンデス音楽を聴くと、ま、どれも同じように聞こえちゃったりするんだけれど、あまり馴染みがないからなんだろう。
ただまあ、どっか懐かしい感じもするんだよな。
この感触ってのがなんか不思議。

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