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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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飲み込まれそうになって怖い


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kaijosha.jpg



そろそろ駅前にも行こうかな、という話を書いたけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5218.html)、これは6/30に上げましたが、その10日ほど前に書いたものでした。

井上たちに一度は、「駅まで飲みに行ってもいい」とした。
東京に行くのはちょっとダメ、と。
広がっていくのと感染の危険性は比例関係にある、ということをまず理解させ、「自分たちの仲間ウチで事務所で飲むのはOK」といった後、「近所の店ならOK」ということまで言った、その後の第三弾のウチ的な自粛解除、ということになるわけですが。
その時は、「そのうち近々、また電車に乗って東京に飲みに行くのも行けるようになると思う」と言いました。

ウチの事務所は駅から離れているので、そもそも普段の仲間ウチ、たとえば井上がミツを誘ってのみに行く、とかってのは、まあ駅まで出る必要はあまりない。
けど、彼らを誘ってくれる多くの人たちと飲みに行くには、やっぱり駅前で待ち合わせ、みたいなことになるわけで、それはそれで、まあ禁止してたわけですよ、第二段階までは。
けど、まあそれもよかろう、としたんです。

さいたま市内の感染者数の推移を見て、そういう判断をしたわけです。
ただまあ、「どこに誰と行ったか」は教えてくれ、と。
そうしないと、まあオレなんかはそもそも彼らの行動を把握できないですから。
でも、「言ってくれ」と。
そもそも「一人で飲むのは禁止」というルールがあるので、この辺はまあ守れるだろうな、と思って。

そしたら、その金曜26日には井上はミツとみずえを誘って駅前で飲んだ、と。
まあ、行く必要も無いけど、行きたかったんでしょう。
わかりました、と。
で、オレも実はその翌日、27の土曜には久しぶりに駅に出ました。
もう駅前で飲むのは三ヶ月ぶりくらいになりますか。
写真家松澤と、あとはいつものアオテツとあきと、久しぶりに楽しい時間を過ごしたんです。
行きつけの飲み屋さんでね。
この間も大変だったみたいだけど、でも頑張って開けててくれてうれしかったんですが。

そしたら、そこのママさんが、「大宮でクラスターだって!」と。
あらあら、こりゃ大変だ、と。
そのままさいたま市でも感染者が増える有様になりまして。
あ、大宮もさいたま市に入ってます。

幸い、ウチの事務所がある区は増えてないんですけど(書いてる7/1現在)、まあそういうね。
こりゃ駅まで行ったらちょっとダメかな、と思いまして。

いや、各々防御して行ってもいいとは思うんですよ。
けど、その辺の「各々防御して」ってのはなかなか難しい。
約束事として、マスクをする、お店の人の言うことを聞く、という話はしましたけど、それ以上の「ファジーに防御する」というか、「その場に応じて防御する」ってのはやっぱ難しいから。

危険性を鑑みて、こりゃもう駅まで出るのはやっぱダメじゃないかと。
そういう論議になりまして。
論議というか、まあメールですね。
メールで他の専従とかとやりとりしまして。

結局、6月29日に第二段階に戻すことにしたんです。
なんで、翌日の30日の自分でこのブログを読んで、「ああ、こんなこと考えてたのか」と思ったりしたんだけど。


これ、いつになったらこの感じは終わるんでしょうね。
このビクビクした感じが、「新しい生活様式」なんでしょうか。

テレビはあまり見ませんが、朝起きて付けてみると、夜の街は相変わらずスケープゴートになってるんですね。
まあ、確かに、夜の街でクラスターが発生しているのかもしれません。

でも、これだけの人が夜の街に繰り出す、ってのは、それだけ「必要な場所」ということではあって。
リモートだって、やっぱ出てきて飲みたい、という。

「夜の街」って言い方がもうね、オレはイヤなんだけど。
悪者にしよう感がすごいでしょ。
それに、夜の街の当事者にしてみれば、そこで働いてるわけだしね。
このコロナ感染が心配されてる中、働きたくて働いてるんじゃ無いと思いますよ。
休業補償しなかったら、やっぱ開けるしかないんだから。
そもそも10万でどうしろというのか。

結局、市民に「自粛しろ」「自衛しろ」みたいなことを言ってるだけで、政治はなにもしてくれない。
正確な情報が流れてくればまだしも、そうも思えない。
というか、そもそも検査してるの?って話にもなっちゃって。
だって、「検査数が増えたから感染者数も増えてます」、てバカでしょ。
数に意味ないじゃん。


ま、とにかくそんなわけで、感染者数の推移は注視してるんですよ。
それがどうも、「鉄道沿いに増えている」というね。
ここがまあ、このウイルスが脅威であるわけだけれど。
新幹線の停車駅ごとに増える、みたいな。

この辺で言うと、大宮、宇都宮、まあそうなるわな…。


これね、まあ、こんなこと書いてますけど、これ実は面倒なんですよね。
本来、俺らの仕事って、彼らの大人としての生き方を応援してやるというか、そういうことなわけです。
仕事だったり、生活だったり、遊びだったり、まあそういうことですね。

でも、このコロナ云々について考えるってのは、もうかなり論議の次元が違うんだよね。
どうしたらいいかという指針もなければ、アラートもつかない。
というか、そもそもアラートは意味ないけど。

各々で防御してください、いわゆる「利用者」が自宅、親と一緒に住んでいて、でもなんとかしてください、みたいなことで。
あ、でも、体温計とかアルコールを買うお金は補助で出るみたいですけど。


まあ、障害者なんてのは、外に出ないだろ、ダメなら親元で見てもらえばいいじゃない。
みたいな感じなんだろうな。
親だって大変だろうよ。
そりゃ、各作業所だって、動きがストップしちゃうよね(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5217.html)。
そうなると、止まったモノを動かすのはすごい大変だよ、きっと。

ウチはまあそれでも動きが止まる、ってことはなくやってこれたけど、発熱かもしれない、というだけでいちいちこっちも対応しなきゃならない。
とはいえ、一時の「検査してくれない」は、薄くなったようで、先日は発熱してたってんで病院に連れて行ったら、PCRやってもらえましたね(陰性だった)。

ま、検査してくれるのはいいことだし、そうなきゃいけないけど、そこに連れて行かなきゃならないし、その時間は割かれるわけで、なかなかそうなると中の動きが止まってしまう可能性もある。
その辺も含めて「とにかくなんとかしてくれ」という感じでしかないんだろうな。
「障害者の面倒までみきれない」というのが行政の本音なのではないかと思う。


「黒人問題は、肌の色が黒いことが問題なのではなく、真っ先にクビになることが問題だ」ってのを、なんだかすげえ今こそ心に持ってないと、「井上や市丸は後回しでしょうがない」って流れに飲み込まれそうになって怖い。






書店員

車募集

(BGM:めい「オーロラ」from「日本の太鼓-めい」)
→これね、まあこれがオーロラなのか?といわれると、確かにオーロラっぽいんだな。
特に低音の太鼓が小さく細かく刻んでたりして、いや、なかなか表現の幅を感じます日本太鼓。
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バリバラの違和感 その3(ラスト)


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5200.htmlのつづき


前の二本分の原稿は、件のバリバラを見てすぐくらいに書いていたので、ちょっと前、ということになります。

で、最初に載せたツイートもしていたわけですが、それにご本人のTokinさんからお返事がありまして。
ライブ等でご一緒させてもらったりもしたので、オレとしては仲良くしてもらってる、という認識なのだが、そういうアレで。


オレは基本的に番組や演劇、プロレス、なんでもだけど、なんかに批判的なことを書いたりする場合、ま、批判的なことを言うなんてのはおこがましいですが、そのものの名前とか、番組名とかをあまり書きません。
つまりは、それ自体に意味はないというか、批判の構造を書きたいんであって、責めたいわけじゃないから。
それはそれでまあ「オレの番組だから」とか、「オレの演劇だから」ってことだろうと思うし、そもそもイヤなら見なきゃいいんですから。
というか、まあたいがいその後は見ないんで、それ自体はどうでもいいとは思うんですよ。

でも、ここでバリバラ、という名前を出したのには、やっぱり自分も出たことがある、というのが大きいけど、もう一つは、この番組が「面白い番組だ」と、「一部の人」に持ち上げられる状況がちょっと気になったからですね。
そして、オレはその世界で仕事をしているワケなので、これについては書いてもよかろう、と思った、ということがあります。

市丸たちに関わることですから、それはそれでちゃんと思ってることを表明した方がいいよな、という感じですね。

世の中には、「いいことをしよう」と思ってる人たちがいて、それはもう全然悪くないと思うし、むしろその通りで「いいこと」だと思いますけど、どこかそれが「いいこと主義」に陥ってしまいがちで、しかもどっか自己満足だけなんじゃないか、という思いもあるんです(先月、http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5158.htmlのシリーズで書きました)。
で、この番組って、周りの反応見ていると、けっこうそういう人たちに持ち上げられる感じもあって、ちょっと怖いな、と。


イヤなことってのは、ない方がいいんです。
ない方がいいけど、イヤなことがなくなる、って状況はこれまた不自然ではあるんですよね。
要は、「イヤなこと」の度合いが「耐えられるかどうか」なんだと思うんだけど、個人が耐えられないようなことだったとして、それがまたすべてにおいて「耐えられないことかどうか」というと、やっぱ違うわけです。
違うけど、やっぱその「耐えられない」という状況は回避すべきだと思います。
ただそれは、「障害名でひとくくりにしていい」ということとは違うように思います。

つまりは、イヤなことは回避すべきだが、「障害名でひとくくりにすべきであるのか?」と問いたかったのが前回までの流れです。
逆に言うと、それが「違い」を否定してしまうのではないか、という怖さ、ですね。
それは、例えば歩けなかったとしたら、歩けることとの違いまでをも見えなくさせてしまうのではないか、という怖さです。

違いというのは、自らが体験していない、できないことだから、想像力で超えるしかないんですが、それをも「同じ人間じゃないか」で済ませてしまう方向に行ってしまうのかもしれない。


そういう意味で考えると、解離性障害の人との付き合い方、という専門家の結論が、「普通じゃん!」といって切ってしまうのも、下手すると「同じ人間じゃないか」に流されてしまうような危うさがあります。
まあ、そういうことを前2回で書いてしまったわけですね、オレは。

そういう危うさを、Tokinさんの返信が教えてくれたんですが、要約すると、やっぱまず「根掘り葉掘りトラウマを聞かれる」みたいなことがけっこうあるそうなんですね。
なるほど、そうなのか、と思いました。

オレもそういうことを誰かに過去に聞いたかもしれないし、聞かなかったかもしれないし、よく覚えてませんが、本人にとってはそれはまあ先で言う「耐えられない」部類のことなんだと思います。
それを「覚えてない」と言う風に言ってしまう自分の「普通じゃん」という結論は、おそらくこれまた逆説的に「違いを放棄している」のかもしれません。


そもそも、「違い」とはなんなのか。
それを追求するのは悪いことじゃないと思うけれど、「違う」からこそ違いから生まれる悩みがあるわけで、それを根掘り葉掘りされるのはやっぱトラウマになってしまう可能性は高い。

違う、という現実を受け入れた上で、フラットに人と対していく、というのは、確かに難しい。
違いの中身が実はよくわかってないわけだから。
そうなると、そもそもあやふやな「普通」という概念を、勝手に作り上げて、「これでいいのだ」とバカボンパパよろしく突き進んでしまう可能性もある。

もちろん、そういう人がいてもしょうがないし、それはいいのかもしれないけど、そもそも「普通じゃん」という、その「普通」自体があやふやな価値観だよな、ということは忘れちゃならないな、と思いました。

「普通」って言葉で切って捨ててしまった自分は、まだ修行が足らない、という感じがしている今日この頃です。







(BGM:KEMURI「WALK THIS WAY」from「KEMURIFIED」)
→エアロスミスのカバー。
間奏のホーンが格別にかっこいい。

バリバラの違和感 その2


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5199.htmlのつづき


例えば、市丸も自閉症なら、ツノも自閉症、という障害名がついている。
ついているけど、まあウチの場合はそういうのはあまり関係ないし、そもそも新人にもそれは伝えない。

なぜなら、ツノと市丸は真逆な性格だからだ。
いや、共通しているところを無理に作れば作れる。
自閉症の教科書に載っているような部分は確かにある。
けれども、「生活上」「付き合う上で」、と考えるとけっこう真逆なんだよね。

だから、「障害名」が邪魔をする可能性が高いと思うので、新人には言わない。
というか、俺らの中で、あまり注目はされてない。
注目されてないから、新人もそれを「当たり前」と思って受け入れてくれて、ツノと付き合うし、市丸と付き合ったりする。
「自閉症はこういう人です」「自閉症の人との付き合いかた」なんてことを先に言ってしまう必要があるだろうか?って思うんです。

「自閉症の人との付き合い方」っていくら勉強しても、やっぱ「ツノとは行きたいけど市丸は誘いたくない」っていう、ごく当たり前の感想を持てなくなってしまうじゃないですか、っても思う。
仲良くなる、仲良くならない、どっちでもいいんだけど、どっちも「関係」じゃないですか。
仲良くなる方を一方的にヨシとする感じ、は俺はあまり好きではありません。

だって、やっぱあわない人はいます。
いいじゃないですか。
逆に、あの人はあの人と仲良し、というのでいいじゃないですか。

「誰もが自閉症の人に理解を持ってほしい」とは思うけれど、市丸と仲良くしてほしい、とは思えないんですよ。
それはやっぱ違うと思う。


最終的に、そのテレビでは、解離性障害の人との付き合い方、として、専門家の人が3つ言ってまして。
「過去のトラウマは聞かない」
「約束事は文面で」
「普段通り接する」
だったんですね。

でも、よく考えてください。
過去のトラウマなんか聞きます?あえて?
解離性障害の人とじゃなくても、普通聞かないですよ。
まあ、向こうが話してきたらそりゃ聞きますよ、話したいんだろうし、吐き出したいのかもしれないから。
でも、あえて掘ります?
よっぽどの事情がなかったら掘らないですね。
というか、他人からは掘らないですよ、普通。

約束事は最近はそもそもメールだったりするし、最後が「普通に付き合え」って、これ、「解離性障害の人との付き合い方」になってます?

なってないと思うんですよね。


これをツイートしたら、ウチのドラマーのキッチンから「家電じゃないんだから」って返信が来ましたけど、そう、それ!って思いました。
そうなんですよ。
「扱い方」って感じで「付き合い方」が出てくる感じが、オレはなんかとても違和感なんです。


確かに、社会にもっと自閉症のことを知ってもらいたい、というのはわからなくはない。
でも、それを広げることって、弊害として「専門的な知識がなければ市丸たちとは付き合えない」ってことになっちゃわないだろうか。
市丸とは仲良く飲んでいても、「別に自閉症の人とつき会いたくない」というのは、オレは十分ある話だと思うんだけどな。

逆に言うと、施設に閉じ込めておいて、「自閉症の理解が進まない」って、そりゃ当たり前だよ、とも思うわけです。
「理解が進まなきゃ施設から出さない」というのであったら、まあおそらくオレが生きている間は出さないことになっちゃうでしょうね。
世の中が専門家になる必要はないと思うんだけど。

だって、ゲイの人の何を知ってる?女性の何を知ってる?車椅子の人の気持ちなんかわかる?と問われれば、まあオレなんかはまったく何もわからないし、でも、別にだからといって彼らと付き合う資格がないなんていう風にはまったく思わないんだよなあ。

どうなんでしょう。

ま、1つ考えられることがあります。
それは、想像以上に、みんな障害者のことを怖がってるんじゃなかろうか、ってことです。
だから、「自閉症の人とはどういう人か」ってのをあらかじめ知っておきたい、みたいなことなんじゃないか。

小学校の時にクラス替えがあって、仲良かった友とも別れて、でも、誰か友達作りたいな、って思ったとき、そりゃ最初はおそるおそる話しかけたりしたと思うんです。
それで気が合う人とは長い付き合いになるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

でも、そういうことなんじゃないかと思うんです。

自閉症の人のイメージが、施設に閉じ込められて友達がいない、だから友達になってあげよう、というのはね、わからなくはないんだけど、自閉症の人と付き合おうとするんだったら、市丸には近づかないでほしいな、とも思う。
彼は市丸であって、「自閉症」ではないから。
いや、自閉症なんだけど、自閉症が先に生まれてきたわけではないから。


あのですね、そもそも人間関係なんかうまくいきっこないんです。
俺はそう思います。
そもそも人見知りも激しいオレは、そう思うようにしています。
でも、おそるおそる話したり、飲みに行ったりする中で、仲良くなる人もいるし、そうじゃない人もいる。

それはオレだって手探りだし、その後、自分はゲイなんです、って告白されたとして、だから別にどうともないですよ。
仲良くなったんだから、もうそこで「ゲイの人との付き合い方」っていう風に付き合いを変えますか?
変えないでしょう?
というか、変える必要もないでしょう?
ってか、んなこと考えもしないでしょう?


だから、このバリバラの「●●(障害名)との付き合い方」っての、すごく違和感なんです、って話です。

ちょっと誤解があるとアレなんですが、ただね、「わかってほしい」というのはとても理解できるし、その通りだと思うんです。
でも、「付き合い方」というのはちょっと違うんじゃないか、って思います。


つづきます。







(BGM:キノコホテル「恋はふりむかない」from「マリアンヌの休日」)
→このねばっこいギターフレーズ、しかもファズギターですからね。
かっこ悪いわけがない。
間奏のオルガンの音色も好き。

バリバラの違和感 その1


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バリバラという番組があります。
過去に取材を受けたことがありましたし、一応、放送もされましたね。
あの番組で我々のことを知ったという人もいましたから、まあありがたいことなのかな、とは思っているんですけど。

障害者関係の番組と言うことで、このブログを読んでくれている人がいるとしたら見ている人も多いのかもしれない。

ただ、自分はほとんど見ません。
まあ、知り合いのプロデューサーが作りましたので見てくださいとかってメールをくれたりしたら、まあ一応は見ます。
けど、基本は見ません。
自分が出た回、それだけじゃなくてまあウチが取材対象になった回もいくつかありますが、まあ一回は見たけど、二度とは見ていません。

なぜなら、違和感がすごいからです。

まあ、自分の回については自分がそこにいましたから、雰囲気はつかめる中での取材だったし、かなりこっちが「取材を受けたくない」というスタンスだったことは撮り手の人たちはわかっていてくれたので、まあそんなに思ったよりは違和感はありませんでした。
ただ、攻めたモノはできあがらないだろうな、とは思っていましたが、そもそも障害者が出てくる番組が24TV、もしくはパラリンピック、という「感動ポルノだけしかない」という状況の中では、まあそうじゃないものが出ていくことで、撮り手の人たちは一石を投じたいんだろうな、とは思っていました。


まあそんなわけで何回かは見てるんです。
で、先日Tokinさんが出た回があるというので、見てみました。
彼女とは、ライブでご一緒したり、その後も個展に足を運ばせていただいたり、にじ屋のイベントにも出ていただいたりもしています。
「解離性障害」というのがテーマになっていました。

まあ、そもそも障害者と出会ったことがないまま死んでいく人も多いと思います。
街で車椅子に乗ってる人を見かけるくらい、時に知的障害の人たちが散歩してるのを見るくらい、というのが一般の感じかと思います。
そこで仲良くなったり、飲みに行ったり、ということってのは、そうそう「ありそうでない」と思います。

会社にそういう人がいたら、まあお付き合いもあるでしょうけど、そうじゃないとそうそうないかな。
車椅子を使ってる人と飲みに行く、ということ自体はたいして我々にとっては日常でも、多くの人にとっては、「その経験がないまま死んでいく」んだと思います。

つまりですね、「車椅子の人と飲みに行く」ということじゃないんですよね、そもそも。
会社にそういう人がいるから、そのAさんと飲みに行く、その人は車椅子を使ってる、という話でしょ。
我々もそれは同じで、加納さんとは飲みに行くけど、別に車椅子の人と飲みに行ってるわけでもない、というか、でもまあ結果そうなんだけど。

市丸とかでも一緒で、例えばまあ市丸なら自閉症、ということになるんでしょうけど、彼とどっかに飲みに行ったとして、「自閉症の人と飲みに行った」という話じゃない。
あくまでそれは「市丸と飲みに行った」という話であって、自閉症の人と飲みに行ったわけじゃない、というか、まあ結果そうなんだけど。

この部分なんですよね。
つまり、最初に「自閉症の人と飲みに行く」というアタマはないんですよ。
そういうことで彼と付き合ってるわけじゃないというか。
あくまで、市丸と行く、というのがあるわけで、それが結果、自閉症の人じゃん、という話ですよね。

これはまあ、例えば外国人だって同じで、外国人と飲みに行ってるわけじゃなくて、あくまでオレの義理の娘と飲みに行ってるだけで、その娘がタイ人である、ということであって。
ゲイの人でも同じで、オレは彼と飲みに行きたいから行ってるだけで、結果それはそうなんだけど、別にそれは特に関係ない、というか。

つまりですね、なにも車椅子に乗った人と付き合いたいわけじゃないし、自閉症の人と付き合いたいわけじゃないでしょう、そもそも。
あくまで、それはあとの「結果」である、というか。

それに、なんか「車椅子に乗っていて不自由だろうから誘ってやろう」というのもなんかおかしいし、かなりの上から目線だし、というか、そういうことはあまりオレの中の回路にはないんです。
加納さんと台湾に行ったのもずいぶん前になりますけど、でもまああの時のいろいろあった(というか前会長の遺言で行った感じもあった)状況の中で、一緒に行きたい、って話だっただけで。

イベントとかで仲良くなって、市丸たちのことを誘って飲みに行ってくれる人もたくさんいます。
でも、おそらくその人たちは市丸が自閉症だとは多分知らないと思います。
加納さんの障害名だって知らないでしょう。

でもまあ、それでいいんだと俺は思ってるんだけど。


翻って、先日のそのTokinさんの回の時、「解離性障害の人との付き合い方」というのが出てきたんです。
というか、オレが見てるときはけっこうこのパターンがある。

ま、わかるんですよ。
本人だけが努力しなきゃいけないわけじゃない、本人がありのままで、社会が受け入れればいいじゃないか、という発想だと思うんですよ。
そこはね、悪くないとは思います。

思うんだけど、先に書いたように、「結果としての障害名」が、先に来ちゃってる、というのにすごい違和感があるんです。
しかも、解離性障害の人と一生出会わないことだってある、というか、まあほぼそういう人だと思います。

Tokinさんとは飲みに行ってもらったりもしたけれど、別に解離性障害の人と付き合いたかったわけじゃない。
Tokinさんと話したかったから飲みに行ったわけで。
実際、その時は逆にスズの引きこもりの話ばっかりだったような記憶もありますが、まあそういうことじゃないのかな。

先に書いたように、「社会が受け入れるべき」というのはわかる。
そしてもう一つ、「自分の障害について知ってほしい」というのもわかるんです。

わかるんだけど、障害名でひとくくりにする意味ってなんだろう。
そして、そのことでの弊害の方が大きいんじゃないか?って思ったりもするって話なんだけど。


続きます。







(BGM:布袋寅泰「STARMAN [Live]」from「GUITARHYTHM active tour '91-'92」)
→メジャーがすごいってのは、やっぱライブがすげえCDの再現性があります。
ただまあ、だったらCD聞いてりゃいいじゃん、という気もしますけど。
それにしてもまあ、布袋さん、ボウイがやっぱ好きだったんだな。
最初、「暴威」だったしな。

あんばい


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ついつい、「無駄遣いするな」という文脈で、「君の金だから別にイイけどさ」を付けちゃうことがあります。

「君の金だから別にイイけど」というのと、「無駄遣いするな」というのは、ある意味二律背反で、言われた側はどうしたらいいのか、ひじょうに難しい、というところがあります。
言われた側は、つまりAとBが相反してますが、そのAとBの「あんばい」をどうするか、という能力が問われるわけです。

これはかなり高度だな、と思います。
しかし、「君の金だからイイけど」というのが、まず大前提になければならないので、どうしてもまあ、こういう二律背反を我々は言っちゃいがちです。

この辺、まあ気をつけていかなきゃいけないな、と思うわけですが。


ウチの場合、「この二律背反をあんばいしなさい、あなたのチカラで」、ということを求められるのは、まあ井上やノブとかまでかなあ。
あとミツとか。
市丸コバレベルになると、もう全くダメですね。

とはいえ、井上がそのあんばいを「うまく」できるとは思えないんだけど、「君が考えたまえよ」という部分は彼らにはきちんとあげたい。
「無駄遣いするな」「○○円までね」というのは、カイとかには言うけど、その一歩先を言ってやりたい。
けども、まあこの「あんばい」はなかなかに難しい。

で、もし、「こいつはあんばいができない」という場合は、やっぱ「ルールを設定する」ということが必要になると思います。
先の「○○円までね」というような。
もしくは、「ジュースは一本にしなよ」みたいな。
まあ、コチラが付き合える範囲で、ですけど。


金のことじゃないですが、市丸の携帯は俺が毎朝チェックをしています。
これは、もう相手が出ないと、一時間に60回くらいかけちゃうからです。
なんで、それはダメですよ、ということで、チェックすることにしています。

それの効果か、彼はこの「2回かけないルール」はよく守ってくれていると思います。

しかし、よく考えれば、別に、電話でなかったら二回かけたっていいわけですよ、本来。
用事の中身もあります。
それを、別に今じゃなくてイイ事なのに50回かける、というあんばいが出来ないから問題になる。
例えば市丸なんかに関しては、だから「電話は一回」というルールを作ってるわけです。
井上とかとはそういう約束はしていません。
で、チェックする、というのだったら、まあ付き合えるかな、ということで、最小限の労力で最大限が発揮できているような気がします今のところ。


ま、あんばいも、程度にもよるんですよね。
例えば金のことで言えば、5000円とかになると、そのあんばいが難しい。
数十本ジュースが買えてしまいますから。
それと時間もあります。
5000円で一週間の昼代、とした場合、彼にあんばいさせてしまう時間、つまり日数が長くなって、欲望に歯止めをかけられなかったりする。

この辺をまあ、俺らとしては考えるわけですが。


オグラの家のカギの件があって。
それまでオグラにはカギを持たせてなかったんです。
というのも、まあ市丸たちと同居、ということもありますが、そもそも来たばかりの頃の彼はカギを管理する力があるとはちょっと思えない感じだったんで、最初渡してなかったんだけど、引っ越しを機に持たせたことがあって。

これも、「カギを持つ」ということと「責任を持つ」というのは、二律背反ではないけど、一つのセットだと思うのです。
だから、「持ちたいと言うから持たせる」というのは俺はあまり考えてなくて、「持ちたいだけではダメで、責任を持つ立場ナノダヨ君は」ということをセットにしてあんばいしてやる必要があるわけです。
それをまあ、今のオグラはできるんじゃないか、ってことですね。
まあ、元は生徒会長ですから。

このあんばい、というのを軸に考えると、つまり、彼らの「自由度」ということになるわけですが、結局、「彼らの身の丈に合った自由度を設定してやる」ということになりますか。
自由度がマックスに高いというのは、そうした二律背反や、その「カギを持ちたい」などの「思い」と「責任」のあんばいを、まったくフリーする、ということで、逆にその「あんばい」をこっちがしてやることで、その自由度は下がります。
下がりますが、その中でルールを守る、ということで、なんとかうまいぐあいに社会生活をおくれるようにする、という感じですかね。


彼らの思いを100%受け止めるという考え方は悪くないんだけど、それだと先に書いたように欲望に勝てなかったりする。
なんで、まあ適当なところであんばいというルールを作ってやる、という。
現実的にはそういうところがないとなかなかうまくいかない。
うまくいかないというか、なんとなくやることができない、というか。






(BGM:Danceries; Ryuichi Sakamoto「Boku No Kakera」from「Saracen No Yume」)
→教授はインストいいよね。
千のナイフに始まり、ハッピーエンド(シングル盤の方)なんかも泣けてくる。
天才とは誰ですかと聞かれれば、教授ですね。
天災は誰ですかと聞かれれば、当時教授と同じ機材を日本でただ1人持っていたというバカ社長ですね。

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