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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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ほっといてくれればいいのに


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大阪にいってですね、加納さんとアキと行ってきたわけですけど、加納さんは車イスなわけですね。
で、駅とかやっぱエレベーターを探すことになります。

こっちで乗るんであれば、なんとなくまだ土地勘があるけれど、大阪だとどうにも。
例えば、まあ、エレベーターが狭いから、じゃあ俺は階段で、みたいなことができない。
というのも、なんか「違う場所に着いちゃう」からですね。
そうなると、はぐれちゃいますから。

というかですね、まあ十年前、二十年前を考えたらデスね、エレベーターがついただけましで。
昔はなかったから、とにかく「担いで階段をあげる」という。
その辺の客を捕まえて、「お願いします」みたいな。

頭を下げて、やっとのことで目的地へ。
時間もかかるし、腰も痛くなるし、タイヘンだった。

ま、こっちがそんなに風にタイヘンな思いをするんだから、実際に車イスに乗ってる側の人にしてみたら、「もう申し訳なくて出かけたくない」って話になっちゃうよな、って。

エレベーターがないのは、不幸なシステムであった。

だから、それを作れ、ってずいぶん駅にも市にも交渉したっけ。
北浦和駅なんかは、「駅の構造上エレベーターはつけられない」とか言っていた20年以上前は。
でも、今はつきましたね。
エレベーターの技術が向上したのか、あの時の駅長が嘘をついていたのか、のどっちかですが。

ま、駅舎自体が古いと、エレベーターと言っても、狭くなっちゃったり、外れの方にできちゃったり。
それはまあ、もうエレベーターを想定しないで作っちゃってるからしょうがないところはあるんだわな。
新しいところは、まあもっと考えられている「はず」だと思うんだけど。

しかし、まあそうやって古い駅舎に無理矢理エレベーターを設置してるから、もう迷路のような先にエレベーターがあったり、二つ出口があったら、片方にしかなくて、ものすごく歩かなければならない、とか。

まあね、しょうがないとは思うんだ。
構造上、無理矢理なんだから。

そうは思うけど、これは、「車イスユーザーだから負わなければならない負担」であって、まあノーマライゼーションとか、そういうモノから考えれば、まだまだの状況ではあるんだ。
だから、やっぱ「これじゃやってられないよ!」と怒る場面ではある。

それにまあ、先の北浦和の件じゃないけど、「本当に構造上そこにしか作れなかったのか?」という疑問は常に言っていかないと、「とにかく作ればいいんだろ」というのは、やっぱ違うんだわ。

エレベーターがなかった時は簡単だった。
「つけろ!」ってところで誰とだって手をつなげた。
ベビーカーだって、大きなキャリーバックも、ちょっとケガしちゃった、足をくじいた、みたいな時とかだって、やっぱりエレベーターがあった方がイイ。

でも、「時々デカイキャリーバックを持って出かける」ということと、「車イスで生活してる」ってことは、エレベーターの必要性の上でマッタク意味が違う。

そういう意味では、本当の意味での「車イスで生活している人にとっての上下移動」に関する運動ってのは、これからなのかもしれない。

これだけエレベーターができたのに、上下移動に対する世の中の理解だって、進んでるとは思えない。
それは、ついこの間の飛行機会社の問題を見ればそれは明らかだ。
いまだに「障害者は社会に迷惑をかける存在なんだから、大人しくしてろ論」が跋扈してて驚いた。
結局、それって、相模原の事件と同じじゃん。
あの犯人と同じこと言ってんのね、みんな。

かおるさんと出かけたときも、加納さんとでかけてもさ、やっぱこの「めんどくささ」からは解放されない。
そして、それを訴えれば、「大人しくしろ」と言われる。

改めて、まあどうにもならん。

車イスを使ってない人が車イスの人の要望を否定する必要ないと思うんだけどね。
ほっといてくれればいいのに。

なんでしょうね。
この「他人の権利が認められることで自分の権利が縮小する」と思い込んでる人たち。

っていうか、ただの八つ当たりなのかもな。






(BGM:美川憲一「駄目な時ゃダメよ(House mix)」from YOUTUBE)
→「ダメな時はダメよ 考えたってダメよ 泣いたってダメよ」
なんか、もうすげえこの人に言われると説得力がスゲエ。
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いじめにどう対処しようか…う~む…


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専従とか内部に出したメールを一部変えてのせてみよう。

よく学校のイジメとかで、「どう考えてもいじめ」なのに、学校や教育委員会が「イジメと認定しない」みたいなことがありますね。
あれはなぜなのか?と考えた時、それは簡単で、「いじめた側の子も生徒」だからです。
つまり、「いじめた側」も、保護しなければならない生徒で、指導しなければならない生徒なわけです。
何かソレで罰したところで、罰した側をきちんと自分の「テリトリー」に入れ込んで指導をしないと、結局別の子が別の子に、となり、同じ事を繰り返してしまうんですね。
だから、その「いじめた側」を教師は「突き放す」ことができない。
一般のワイドショーのように、「いじめたヤツはとんでもない!」「逮捕しろ!」という論調と真逆のことをしなければならないことになるんです。

簡単に言うと、イジメとまではいかなくても、保育園のケンカですら、どうしても、教師サイドは「ケンカ両成敗」にしたいのよね。
そして、それはイジメにも延長され、「いじめられた側にも何か原因があるんじゃないか?」という話になってしまう。
これは最初にイジメを相談された時の学校側の対応として、よくニュースなんかでも出てきますね。
そして、テレビショーでは、「その対応はとんでもない!いじめた側にしか原因は無いんだ!」という話になっていきます。

これですね、まあ立場の違いなんでしょうが無いのかもしれない。
ただ、「いじめられた、その「子」を救う」という点でいうと、ワイドショーの方がやり方としては早いんですよね。
だって、「次に同じように他の子がいじめられるかもしれない」なんてのは、もうその当事者の子にとっては関係ないんだから。
かといって、そのワイドショーのやり方では「根本的な解決にはマッタクならない」と。

これって、つまり「被害者感情」と「根本的解決」の乖離、みたいな話なんですけど。


ウチでも「いじめ」みたいな話はあります。
ま、けっこう「いじめられた側」が、認識してなかったりするから成り立たない?こともありますが、明確になってくる場合もあります。

なんでまあ、それをどうするか?って話になるんだけど、たいがいの場合、彼らのヒエラルキーがそのままその関係性に影響しているので、下手に「ケンカ両成敗」というのはあまり意味がない。
繰り返すばかりになってしまう。

それに、あまり彼らのヒエラルキーに踏み込みたくないところもあって。
つまり、諍いを普段けっこうほっておいてるので、まあ見える形でイジメをやってくれる、というのもある。

しかしまあ、なんにしても、画一的な「方法」では、どうにもならない。
俺としては、先に書いた構造をきちんと理解して、当たらなきゃいけないと思う。

つまり、教師サイドの感じになって、「ワイドショーのように一方的に責めるのはいかがなモノか」となってケンカ両成敗にしてしまうのでは「なく」、かといって、「一方的に責め立てる」ものでも「なく」、どう、対していくか?と。

まあ、それは井上とヨウコが誰かをいじめてるという構造だとすると(というか、たいがいそういうことになるんだけど)、相手が市丸なのかノブなのか(昔ノブが「もう井上の言うことを聞くのはいやだ!」って泣きついてきたこともあった)ということも、それらの配合具合に影響を及ぼすと思うんだけど、まあ「こういうやり方」というコトを言いたいんじゃなくて、「こういう構造があるけど、その中で、この方法で自分は対してみよう」という明確なものが必要になってくるんだろうな、と。

それはどんな方法でもいいんだけど、その方法や彼らに対する「指導」が、どういう意味を持つのか、どういう影響を持つのか、強権的でいいのか?それとも、寄り添う、みたいなことなのか、みたいな。
その方向性をしっかり持ってないとまず始まらんな、と。

例えば、イジメの話ではないけど、ハッキリしない「お願いします」を何度も聞き直すのか?聞き直さないか?それはなぜか?ということをしっかり自分の中に持っていないと、ただ「言い直させてる」だけになってしまう。
ま、言い直させてもイイけど、「こういう理由で言い直させていました」というのがはっきりしていないと、それこそ構造的には上下関係なので、支配のみ関係になってしまう。
いや、はっきりと自分の中に意思があれば、それでいいんですよ。
言い直させるのが悪いと言ってるんじゃない。
意思がない「言い直させる」とかはダメだよな、と。


ま、なんだかんだ「この人に頼れば何とかなる」と思ってくれないと始まらないので、それはきっと俺らの定規で考える「仕事ができる」みたいなことなんかじゃなくて、ふざける人なのかどうか、頼みやすい、やすくないもありますね。
単純に強権的にやってしまえばそれですんでしまうこともたくさんあるかもしれないけど、それも頼ってくれて始めて始まる話で。

つまりまあ、いろいろね。
イジメだ何だと言ったところで、そういう各論で考える部分も確かに必要ではあるんだけど、最終的には総合力が試されているというか、そんな感じなんだな結局は、と思います。





(BGM:Base Ball Bear「歌ってるんだBaby」from「∀」)
→野球熊。
ステキなバンド名だな。

笑ってりゃなんとかなる、はマジかも


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なんかですね、市丸に腹が立つ、ってことがよくあるんですけど、これどういうことかというと、こういうことなんだな、と気づいたんですけど。

ま、とにかく市丸はよく嘘をつく。
といっても、まあ嘘をつくのが全て悪いとは思わないし、逃げるためのウソもあるだろうし、誰かを守るためのウソもあるだろうし、人を傷つけないためのウソもあろう。

けど、市丸たちのウソはちょっとアレなんだよな…。


そういえば、その昔、市丸はいろいろあってなかなか井上達に受け入れられなかった。
「一緒に働きたくない」ってことで、ウチに来た実習中に、みんなに総スカンを食らっていた。

ま、わからなくはない。
気に入らなかったら暴力的だったし、顔はいつもしかめっ面してたし、ま、友だちにはなれそうもない。

内状的には、当時、もう市丸と市丸の親御さんは前にいた作業所をやめてしまっていたこともあって、来る、って話で半ば決まっていた感じもあって。
なんで、ぶっちゃけ、「どうやったら井上達に受け入れてもらえるだろうか」ってことをいろいろ考えたことを思い出す。
なにせ、井上達は自分たちで話し合って「市丸とは一緒に働くことを認めない」って言ってたから、まあ困ったなあ、みたいな。

でもまあ、「様子を見ながら」みたいなことを言ったんじゃないかと思うんだけど、ま、なんとかね、今に至る、と。
その辺、なんかよく覚えていない。


で、まあ市丸が嫌われる要因として、って、オレも他人からみたらどうか知らんけど、まあ市丸が嫌われる要因、ってのを考えてみると、ちょっと思い当たることがあります。

まず、「その場しのぎ」なんですね。
すべて、その場しのぎ。

例えば、定期券を落としたとしましょう。
そうなると、まあとにかく定期券がないから、「どこで落としたんだろうか?」って話になるから、思い出さなきゃしょうがないですね。
「今朝来る時は定期はあったのか?」みたいな。

けど、もうその「定期券をなくした」という「緊迫した状況」に耐えられないんですよ。
それがいくら緊迫してない、優しく聞いたとしても、まあそもそも「なくした」というのはストレス状態ですから。

で、もうテキトウに答える。
聞く度に、違うことを言う。
だから、聞く側も「しっかりせえ!」となって、もう緊迫の度は増していく。
そうなると、もう早くこの場から抜け出したいから、事実かどうかは別として「あとに続かない答え」を連発する。
悪循環ですね。


それともう一つ、「自分を守るため」だけに話をする、嘘をつく、という点ですね。

ま、話だけじゃないけど、とにかく「イライラしてる自分を発散させるために逆ギレする」みたいなことですね。
ウソも同じで、例えば、先の例で言えば、そもそも「定期券を何とかしてやろう」って「話しを聞いてくれてる人」ってのがいるわけですが、その人に対する「ねぎらい」というか「ありがとう」みたいなのがマッタクない。

親にしても、ま、俺らにしても、市丸にとってはたとえば井上だったとしても、そういう「ありがとう」がマッタク感じられないので、聞いていて、だんだん腹が立ってくる、と。


しょうがないと言えば、しょうがない。
どれも「自閉症の教科書」には載っています。

けど、他の教科書の記載に関しては、いろいろと乗り越えてきた部分もなくはない市丸。
だけに、この辺、どうにかならんか、と思ったり。


ま、こういうことが積み重なれば重なるほど、みんなは敬遠してしまう。
…悪循環なんだよね。

この辺は、正直、来たばかりの頃と今も変わってはいません。
だから、井上達の市丸に対する評価も、やっぱり低いまま、という。
オレもまあ、日常の中でいらつくこともある。

なんで、なんとかしたいんだけど、まあねえ…。
どうにもならんというか、とにかく彼の「キャパの狭さ」ってことになるんで、「そんな嘘をつかない方がうまくいく」ってことを繰り返しやってやるしかないんだけど、まあ、といって、オレとしてもアタマにきたりするので、なかなかねえ…。


ま、でも、それでも前よりは市丸が受け入れられてる、というのは、まず「顔」。
笑ってるようになった。
そしてもう一つは、とにかく「俺も連れてって」が多くなったこと。
あれだけ「とにかく先に帰る」コトしかアタマになかった男が、「みんなといたい」をとにかく表現し始めたことが大きいな、と思っています。

そう考えれば、進歩はしてるんだよな。




(BGM:Dj Hasebe「いますぐ欲しい [Butter Smoother]」from「Adore」)
→う~ん。
こういうオシャレ系で「今夜だけ私からしたいの」みたいなボーカルか…。
「あなたの熱いしぶきがほしい」って…。
ちょっとな、う~ん狙いすぎが多少苦しい…。

さて、なんかおもしろいことでもやろう


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気になったらコメントとかリプとかくださいな~。


てなことで。
先日、にじ屋ビアガーデンがあって、もちよりビアガーデン、ということで。
このシリーズはまた続くらしいので、今回来れなかった人は次回来てほしいんですけど。

自分もそうなんですけど、最初からはうまくいかないじゃないですか。
例えば飲み会も、一回二回、みんなが来てくれない、という事態に陥ったりして、ちょっと後ろ向きになったりする。
けど、とにかく「続けなきゃ」というね。
続けてればいいんだ!という気持ちが自分にはずっとありまして。

なんで、おそらくにじ屋の会議とかでこの件の反省とかそういうのをやるんだと思うんだけど、「とにかく続けてみましょう」としか言いようがないというか、そんな風に思うのね。

飲み会なんてのは、やっぱ来てほしい人とかの予定もあるし、なんもあるし、自分の力だけじゃないし。
だからまあ、にじ屋の現場のみなさんには、この企画、ぜひ続けてほしいな、って思うんですけど。


そんなわけで、今週の終わりの日曜日の14日の夜には、大宮付近で「サンゲン会」という、これもずっと俺の方で続けている市丸や井上達抜きの飲み会、というシリーズをやるので、気になった方はぜひ連絡ください。

井上達抜き、というのは、まああまり意味ないんだけど、ヤツらがいると、まあオレらにとってはいつもの飲み会、になってしまうので、違う感じの会もやりたい、というだけで。


一回一回を大事にしながらも、でもまあ、うまくいかないこともあるじゃん、みたいな。
気楽にいろいろやれたらイイと思うんですよね。
で、まあ続ける気力のあるウチはとにかく「続ける」。

その中で、そのうち、定着していくるモノもあるかと思うんです。


人って、大きく二種類だな、と思うの。
…あ、急に話変わる感じですけど、大丈夫です、はい。

まず、とにかく「やってみるか」という人。
したいこととか、夢だとか、いろいろあると思うんだけど、それを「具体的にやってみる」人。
旅に出ちゃったりする人もいるだろうし、そんな周りがビックリしちゃうようなチャレンジ、じゃなくても、毎日の中で、とりあえず「自分がやりたかったらやってみる」というか。
多少の困難や、周りの人を説得したり、そういうことをしながら、まあ大小様々でしょうが、「やってみる」という人。

もう一つは、「やらない人」。
例えば、「仕事があるから無理」とか、「賛成してくれる人がいないから無理」とか、「一緒に行ってくれる人がいないから無理」とか。

もちろん、一人の人の中で前者の時があったり、後者の時があったり、を繰り返して人生というのはあるんだろうけど。

どっちがいいというわけでもないとは思うんだ。
何もチャレンジはしなくても、毎日の仕事は頑張ってるんだろうし、お給料をしっかりもらって家族の生活を守るってのも大事だし。
逆に、「俺はコレがやりたい!」なんてチャレンジばっかりしてるオヤジが自分のオヤジだったら、それはそれで後になれば笑えるかもしれないけど、その時はキツイわな、とか。


だから、生き方としてどうこうってのはいいんだけど、後者の人と話していると、あまり楽しくはないんですね。
おそらく、これ「思考のパターン」なのかな。

つまり、「自分が何かできない」ことを「他のせいにする」って感じの。

こうなると、なんか「う~ん、そりゃそうだけどさ…」とか思ったりする時もあるわね。
「いや、君がやりたいんだったら、周りを説得してさ…」とか。
でも、ブラック企業花盛りの昨今、単純に権利としての有給も取れないんだろうな、と思うと、出口無しなのかもしれないな、とか思ったり。

でも、このパターンでやってると、「あの人はイイよね」「アイツはできるからイイじゃん」みたいな、結局、そういう「羨望」というか、「うらやましい」みたいなね、で、最終的に逆ギレ、みたいな、そんな方向にふれちゃう気がしたり。


ま、つまり何を言いたいかというと、ま、いいじゃん、というか。
あまりいろいろなことの制限をかけず、「やりたいコト、ちょっと続けてみようや」という。
そういう仲間でいたいんですよね、ここは。

「結果が出るならやってもいい」とかじゃなくて、「やってみたらいいじゃん」という。
で、ちょっとでも気力があるなら続けてみたら?と。
十年後に結果出るかもしれないじゃん、とか思う。


俺ね、仕事って、「職種」じゃないと思ってるんですよ。
いや、職種なんだけどさ、でも、ここにいてもパソコンで動画作るかもしれないし、音楽作るかもしれないし、HPだって、それに飲み会の企画だって、イチマルたちとの付き合いだったりさ。
よく考えたら、何でもできるじゃん、とか思って。

なんか、そういう仕事がもっと増えたらいいな、と俺は思ったりするのよ。
だって、仕事内容が仕切られていく、ってのは、各部各部になっていって、最終的には機械と同じ、になっちゃう感じがしませんか?

「ここじゃなきゃできない」こともあるけど、「ここでもできる」こともたくさんある、そんな場所でありたいな、というか。





(BGM:Deep and Bites「黄色いズボン」from「aiaigasa」)
→これね、単純な曲ではあるんだけど、ラストが好きなの。
ラスト、それまでの繰り返しと違う、というね。
こいうのやりたいなあ。

「お金を貯めたら行きましょう」という「行かせないためのウソ」


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よくミツは昼に「今晩いっしょに酒を飲むか飯を食おう」というメールをよこす。
予定がない限り応えてやるが、ま、時には予定があっても応える。

例えば、実家に行く用があったとしたら、実家にミツを連れて行く。
実家の父母と一緒に飯を食いに行ったり。
ま、ウチの実家の父親は佐藤先生、ミツたちの訓練をしてくれているので、ミツたちのこともよく知ってるし、ミツサイドも佐藤先生が大好きだ。

先日は、どうしても買い物をしなければならなかったのだが、ちょうどよかったというか、荷物持ちで連れて行った。
「どうしても買い物」というのは、翌日にアオテツだとか加納さんだとかがウチに飯を食いに来ることになっていたからだ。

基本、人のためになんかご飯をつくるのはキライじゃない。
アキもキライじゃないから、まあそこは二人で楽しく準備ができる。
たくさんの食材を買って、結局まあ翌日の下準備をしながら、同時にミツとも飯を食いながら、まあ、そんな「日常」の中に、ミツはウチにいた。

というか、まあ普段からそんなに特別なことはしない。
ミツが来たいと言ってくるのは、週に二三度だけど、まあ特別になんかする感じでもない。
まあ、ミツもウチの一員のような顔をして新聞を広げたりしている。
読めるのかどうかはよくわからない。

ま、そんなこともあって、翌日ついては本当はミツや井上達は誘わないでやろうと思っていたんだけど、買い物を手伝ってくれたミツには、その晩もウチで飯を食いながら、「明日もおいで」と言った。
ウチも普通の家だから、そんなに人数は入らないわ。
イチマルたちが来たらもういっぱいすぎるから。

夜が更けて、23時近くなって、ようやっと「帰るかな」とミツが腰を上げて帰って行く。
家が近いから、こういうところはイイよね。


昔から、一人暮らしの井上達と、時に一緒に夕飯を食う機会があった方がイイよな、とはずっと思っていた。
前の奥さんとの結婚生活では、ウチにみんなを呼ぶというのはちょっと難しい感じがあったけど、今はそれが日常でできるのでとても楽しいし、気持ちがラクだ。

同時に、市丸とカイが親から離れて生活をはじめて、専従とかが夕飯を作らざるを得なくなって、ちょうど井上達も引っ越しができて、近所に集まることができた。
それまでは、けっこう徒歩10~15分とかのちょっと離れた場所にいたから、なかなか「ちょっと飯を食いに行く」というのが難しかった。
でも、今はソレができるので、市丸の家でいっしょに食べる、という可能性が彼らにはできた。

コンビニ弁当はやっぱりよろしくない。
できれば、作ったモノがイイが、それをするにも、彼らはなかなか手際が悪かったりして、夜中二時三時までかかったりする。
それはそれでなんかちょっとイイ感じではない。

だから、市丸の家で泊まりの職員や専従がなんか作る、という流れは、願ったり叶ったりではある。


けれども、まあソレが毎日となれば、それはそれでちょっとまた「ソレが日常」になってしまい、「コンビニ弁当じゃない」と言うところからは脱したものの、なんか、「違う日」も作りたくなる。

というか、「同じ毎日」というとこから、「もっと違うことを!」って思えなかったら、進歩がない。
その違うこと、が実現できようができまいが、そう思うことが進歩への第一歩。


ミツがウチに来たり、いっしょに飯を食いたがるのは、そういう感じなんだろうな、と思う。
だから、まあそれに応えてやりたいと思う。
だって、応えなかったら、「もっと違うことを!」っていう「思い」は肯定されない。
彼は、きっと自分の思いを「肯定してくれる人」を待っているから。


ウチでは多少、お金が厳しくても、金を貸してやって遊びに行ったりする。
だって、「遊び」ということをしなかったら、彼らは一生それを知らないまま、「明日は日常じゃないことを!」なんて思いすら、「思いつかない」。
「違う未来」を見せてやれなかったら、彼らは未来を自分で作り出すことが難しい。
人は、体験したことのないことは想像することが難しいのだ。
ましてや彼らは知的障害者である。

でも、世の中は、簡単に「お金がないでしょ?」とかってあきらめさせる。
それは、おそらく「あきらめさせる」ための「いいわけ」なんだけど、彼らはそれを信じてしまう。
そして、「俺には何か違う未来、違う明日はないのだ」と勘違いする。

「一人暮らしするためには、洗濯もできなきゃダメだし…」などと、「一人暮らしの夢に現実感を持たせない」ために、親や関係者は「ハードル」を作る。
実際はそんなハードルと「親から流れた生活」は関係ないのだけど。

ってか、施設だって親から離れた生活ではあるんだけどな。

だから、単純な話、施設に「違う明日」という未来があればいいんだよね。
でも、施設の目的は、「福祉の金の節約」だから。
彼らの生活のためにあるわけじゃない。
十把一絡げに風呂!メシ!って決めて、外出もさせない。
それが延々と続く。
「違う明日」なんてありゃしない。
だから当然、十年後も一緒。


大切なのは、金のこと、能力のこと、ではない。
大切なのは、彼らの「違う明日」を、単純に叶えてやればいいんだ。
それを繰り返していれば、彼らは明るい目をするようになるし、希望も語るようになる。
夢を話してくれるようになる。
…と俺は思っているし、実際そういう感じだ。

俺ら、関係者だったりの仕事ってのは、それだけのことだと思ってる。





(BGM:Daishi Dance「君をのせて」from「the Ghibli Set」)
→英語の歌詞がのってきます。
これ、すげえメロディラインがステキだと思うんです。
ジブリの曲なんだな。

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