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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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kaijosha.jpg



カイは喋らないので、何を考えているのかは正確にはわからない。
わからないけど、彼はその分、きちんと行動でいろいろなことを我々に伝えてくれるような感じがある。

例えば、「ここにある菓子が食いたい」となれば、一直線に突き進むか、もしくは俺の手を取って「これを食わせろ」とばかりに「あう!」と、まっすぐ俺の目を見て言う。
寝たくなったら、座ったままうつらうつらでも寝る。
車に乗っていきたいと思ったら、車の前で頑として動かないこともある。

言葉はないけれど、「自分がしたいこと」を外の人にストレートに伝えようとする「意思」を感じる。
だから、確かにこだわることも多いし、めんどうなことをしようとしたり、どっかに走り出していったりするけれど、でもまあなんだろう、彼と付き合うのは「人と付き合ってる」という感じがする。

人間らしいっちゃあ、人間らしい。
おしっこしたいとなれば、道の真ん中でポコチンを出したりもするけれど、よくよく考えれば、ストレートではある。
ま、でもそれではヒト科の動物で、人間ではないので、それはアカン、とは止めますが。

時になぜか素っ裸になっていたりするけれど、外でするわけじゃない。
事務所の中だったり、家だったり、「ここならいいだろう」というのは、彼なりに理解はしている。
とはいえ、素っ裸になるのがイイ事というわけではないのだが、俺はまあ今の段階ではしょうがないかな、とも思っている。

彼はどこまで我々が許容するか試しているのかもしれない。
そのマックスを泳ぎたいのかもしれない。

誰でも自由でいたい。
それはおそらくカイも一緒で、そりゃ、走り出さないように縛り付けておけばラクなのかもしれない。
走り出していくたびに、なんだかんだこっちは追いかけなければならない。
追いかけられればいいが、わからないうちに出て行ってしまった場合は、まあ探すことにもなる。

といっても、彼が行く場所はわかっている。
つまりそれは、彼の世界のマックスの場所、ということだ。
本当に「どっかに行ってしまいたい」ということではないようで、つまりは、逆にいえば「迎えにくるのを待っている」とも言える。
「迎えに来れる場所を選んでいる」というのが正しいか。

カイが実習に行った他の作業所では、作業している部屋のカギを外から閉める、ということがあったらしくて、カイの母親はそれに対してたいそう文句を言っていた。
もっと自由にさせてやりたい。
もっと自由に青春をさせたい、と彼女は言った。

管理をするということと、彼らの自由を守るというのは相反します。
毎日が同じスケジュールで進めば、管理はラクです。
コッチの対策も立てやすい。
でも、今日も明日も明後日も昨日も一昨昨日も同じだったら、自分の一年後十年後もきっと同じだろうと人は思ってしまう。
そりゃ大きなスケジュールは変わらなくても、小さな部分はチョコチョコ変わっていた方が未来に希望が持てる気がする。

現状に満足していて、これがマックスの幸せだと思えるのなら、毎日同じ作業を繰り返すのもいいだろう。
けど、そうじゃなかったら、やっぱり、変わっていく自分を想像できる人生でありたい。

カイのようなこだわりがある人の場合、毎日の流れを一定させるとか、そんなことがマニュアル本に書いてあったりします。
でも、カイはとにかく「イレギュラーが好き」なんだよね。
もちろん、決まった行動も好きだけれど、「世の中に同じ一日はない」ということを毎日やってるせいなのか、「イレギュラー」にも対応してくる。
というか、楽しみでしょうがない感じ。

ライブがあるとなれば、メイクとかもあるわけですが、そういうのも楽しくなっちゃう。
この前、土曜がライブだったんだけど、次の土曜もライブやりたい!と車にしがみついたりしてた。
でもまあ、午後には「あ、もうないのね」という感じでしたけど。

それと、旅行も大好きで。
でも、好きすぎて、例えば「今度の秋にどこに旅行に行こうか」とかみんなで話していると「もう行くもんだ」となって、カバンを用意する。
そうなっちゃうんで、まあ「今度の●曜日に行くんだから」と説得するという一段階が必要になります。

なので、全体で行く旅行じゃない場合とかでカイが行く場合は、けっこうその話題を大きくはふらず、前日に準備して、明日行くから、という感じにしたりします。
なるべく気配を察知されないように、という。
遊びに行く、どっかに行く、そんな場合はなるべく気配消すようにしてる方向です。
じゃないとテンションが上がっちゃう。

先日、にじ屋の物件探しチームが北陸に行くという時、その時も前日にカイも行く、ということがカイに認識されたわけですが、その日泊まりだったTAROさんの報告が面白かった。

「カイはテンション上がり過ぎて結局一睡もせず。朝方、いい加減面倒になって「おまえ、行くのやめる?」と言うと、ものすごく悲しそうな顔になって「あうあう」。「じゃ、一緒に行く外口さんが迎えにくるまで来るまで部屋でおとなしくしてろよ」「あう!」直立不動でピシッと両手を揃えそのまま部屋で静かに(笑)。

いや、ホントに楽しみだったんだろうな。

できるだけ我々はカイにいろいろな経験をさせてやりたいし、そりゃカイは漏らしたりもするんで、確かにメンドウ。
でも、やっぱイレギュラーをきちんと入れていきたいな、と思っている。
これだけ喜んでくれるのはやっぱりステキなコトじゃないか。

喋れない、いや喋らない、そして時に発作もあるのだが漏らしたりするし、そもそもうんこしたら拭けないカイは、いわゆる「重度」なのだと思う。
一般就労もできないし、そりゃ生産性というコトで言うのなら、彼には生産性がないのかもしれない。

でも、彼は、やっぱり人間だと俺は思う。
生産性があるなし、そりゃあるかもしれないが、彼は、一生懸命毎日を楽しく、できるだけ自由に、俺らの目をかいくぐっても自由に泳ぎたい、って毎日主張してる。

だから、彼の未来が、彼にとって「輝かしい」ものじゃなきゃダメだと思う。
それをどんな形で我々が助けてやれるのかはわからないし、もしかしたらなにもしないことが輝かしいのかもしれない。
でもまあ、一緒に悩んでやるくらいのことはさせてもらいたいと思っている。






佐藤店長生誕祭小

(BGM:大空はるみ「LOVE SQUALL '92」from「ルパン三世 ヴォーカルセレクション」)
→ルパン三世の曲はどれもいいんですけど、いいからこういう別バージョンが確かにたくさん生まれます。
ま、名曲はどうやっても名曲かっていうとそうでもないんだけど、これはサンディーさんの元のアレンジがよすぎるんで、なかなか越えられないよな…。
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毎日はうまくいかない


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「言うことを聞いてくれる」などと書いた(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4630.html)直後にアレですけど。

やっぱ市丸の様子がおかしい。
まあ、気づいてはいて。
しかも、どういうことかもたいがいわかってる。

ま、浅いんですよ。
市丸の隠匿工作など、通用するハズもない。

どうしたもんか。
約束破りは確定。
けれども、まあ市丸は否認するわけです。

ゲロってくれれば話は早い。
「もうするなよ」で終わる。
にもかかわらず、バレバレの隠匿工作を続けようとする。

困ったなあ。

市丸の性格もたいがいはわかる。
例えばなんかの約束をした時に、どういう行動をするか、というのはわかる。
なんでもかんでも貯めておきたい性格の市丸は、自分のモノをなるべく使わないで、一緒に暮らしてるオグラとか部屋に入り、使いたいモノを盗み出して使う。

ま、オグラとかが文句言わない限り、そのへんはいいとしまして。
よくはないけど、まあきっかけがつかめない感もあり。

で、こうなると市丸はいきおいイライラが始まる。
当たり前だ、俺にばれている、というのは彼にだってわかる。
ならばもうゲロっちゃえばいいのに、どうしてもうすい隠匿工作を続ける。
悪循環である。

ま、この件に関しては、イイ感じで決着をつけるしかないので、市丸の性格に合わせて新しい約束にバージョンアップしようかな、とおもうところではあるんだけど。


同じころに、オグラが「携帯がない」と。
聞けば、もう数日前からないんです、と。

なんですぐ言えばイイのに、オグラはこういうところがあって。
困ったことがあっても、放置しちゃうんですよね。
すぐに言わない。
で、大変なことになってから誰かが気づく、みたいな。

違う施設にいてここに来る人はこういうタイプが多い。

「困ったことはママが気づいてくれる」「困ったことは職員さんが気づいてくれる」ということなのでしょうか。
自分でその困難を解決しよう、という意図がないというか、そういう発想がないというか。

まったくもって、悲しい話なんですが。

そもそも高校までは生徒会長まで務めていて、先生から頼られる存在で、そのまま一般就労したというオグラは、そういうことは出来ていたはずだとは思うんだけど。
「自分のことがどうでもいいなら、もう施設に戻るか?なんでもしてもらうか?」とたずねれば、それは即答で否定してくるけれど、「自分にふりかかった火の粉」が自分で払えないとなると、これはもう「自分で生きてる感」のかけらもない。

これ、怪我でも同じなんだよね。
言えないのならともかく、彼には言葉がある。
だから、オオゴトになる前に「ここが痛い」とか言ってもらわないと大事に至る可能性もある。

う~む。

だからまあ、彼らにとって俺らが「何かを解決してくれる人」になってないのだな、と猛省するわけだけれど、ここを起点になにをかアクションを起こさなければならない。


時ちょっと前に、井上が障害者手帳を落としたらしく、その一寸前にはミツがカギをなくした、みたいな話もあったり。
悪いことに使われたらそりゃもう大変なわけで、携帯も同じだけれど、すぐに言ってもらえれば手の打ちようもあるんだけどね。
ミツや井上はまあすぐに言ってきたので、なにをか手は打てたんだけど。

そもそも、ここに来るまでの人生の中で、オグラや市丸のまわりに助けてくれる人はいなかったんだろうか。
それを覆せない俺らの力不足ではあるけれど、でも、やっぱなんか、早いうちに「助けてくれる」という「いい経験」をしていかないと、なかなか一回ついた「バッドな経験」は晴れていかない。


ま、そんなわけで、なんだかんだ、毎日うまくいってない、というか。
毎日反省というか。

でもま、失敗は成功の母だからな。                                                           







(BGM:うどんゲルゲ「君はガンなのだ(有頂天)」from「ミク★パンク 80'S オン キャプテンレコード」)
→メジャーで出せなかったという有頂天のガン。
まあ昭和天皇崩御の頃だったか、まあレコード会社は二の足踏むか。
というわけで、改めてこの曲がポップなんだな、という。
ピアノ風のイントロにやられた。

検証できない


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kaijosha.jpg


検証できないこと、というのがあります。


知的障害の子が生まれた。
で、どうしたらいいかわからない。
障害者と話したこともなければ障害者のことなど考えたこともない。
そんな親御さんが、いきなり障害児の親になったら、まあそりゃどうしたらいいかもう途方に暮れるのは当然である。

そこでまあ、いわゆる「専門家」という人に頼るのは当然の流れで、けれどもまあ、「何の専門家なのか?」「何を得意としているのか?」、もっと言えば、全体から見たら、「どこの派に位置しているのか?」というのは、そもそもわからないわけです。
あ、派、というのは語弊がありますね。
明確な派は確かにないかもしれませんが、傾向は実際問題専門家によってあると思います。

だってまあ、全体がわからないんだから。
というか、部分も分かってない状態で障害児の親になるわけだからね。

その親に、「専門家をきちんと選べ」と言ったところで話が始まらないわけです。
意味がないし、そこ、親の責任にするところじゃないよ、と思うわけで。


それにですね、専門家、といいますが、そもそも専門にしている部分だって、変わっていくわけですよね。
科学も進む、それに、社会も変わる。
だから、例えば生まれたときに専門家に言われたことが、そのままその子が二十歳になった時に同じ状態だ、ということはあり得ない。

そもそも、数十年前までは座敷牢、みたいなことは普通にあったわけです。
警察だったか、行政だったかが認めてそういう場所を家に作ることを許可する、みたいなことがあった地域もあったという記事をちょっと見ましたけど、細かいところはともかく、社会がそれを容認していたわけです。
いい悪い、じゃなく。

生まれたのがその時だったら、「座敷牢作りなさい」と言われていたかもしれない、ということですね。

専門家が言うことというのは、そういうことなわけです。
その時代のマックスを診察?提案?していくというか。
まあ、それもマックスならいいですが、専門家自身もそんなに最新なことを勉強できる環境にもないんですよね、今。
薄給で忙しいのが福祉の仕事の世界なので、そういう中で、マックスじゃないかもしれない、というのもある。
これもまあ、専門家を責めることでもないんだけど。
福祉に金をかけない社会の問題ではあります。
というか、政治の問題ね。


で、ここから仮定の話になりますが、こんなことがあったとする。

まあ親が専門家に聞いたら、「とにかくなんでもやりたいということをやらせなさい」と言われた、と。
なので、何もわからない親は、自販機があるたびに何かを買いたいとねだるので買ってやる、みたいなことを繰り返す。
最終的には「自販機を買っちゃおうかくらいのところまで追い詰められていく。
で、その子が30歳になって、でもまあ親元にいて作業所に通っているとして、「この子が喋れるようになったのは、そうやって何でも言うことを聞いてやったからだ」という風に親は総括する。

けれども、まあ客観的に見ると、喋れるといってもなあ…、という程度かもしれないし、同時に「自販機があったら買わなきゃいけない」ということを未だに繰り返し、もしかしたらそのおかげで太ってしまっていたりするかもしれない。

どうも、他人から見るとその専門家の意見はデメリットも大きかったのではないか?という風にも見える。


で、これは検証が不可能なのです。

親としては、もうずっとやってきたことだから、否定はしたくない。
だから、「あの時言われたとおりにやったことがよかった」ということに固執しがちになる。
セカンドオピニオンではないけれど、いろいろ意見を聞いたらどうかとも思うけど、違う意見は受け入れなくなってしまったりする。

その気持ちは大いにわかるのだが、小さいころに○○していた、ということが、どうも???と思われることは少なくない。
でもまあ、否定する、意見するのは、その親の人生を否定するようなものなので、なかなかどうにも難しい。

ま、実際、それをやらなかったら、例えば、やりたいようにやらせるのではなく、自販機で一日一本、と決めていたらどうだったか?というのは、もう検証ができない。

これが30年とか経っちゃうと、検証ができない上に、親御さんにとってはそこまでの人生を賭けるような話になってしまうので、正直、話し合いにはならないんだよな。


これはまあ、だから最初に出会う専門家の問題にもなっていくんだけど、まずは大きな障害者を取り巻く歴史と、これからの未来も変わっていくんだということ。
その中で、今考えるに何が必要か考えられることを話します、という前提をキチンと親には伝えたほうがいいような気がする。

といっても、まあそれをキチンと親がきけるかどうかはわからない。
だって追い詰められているんだから。
誤解して受け取ってしまってもしょうがない状態だと言えるわけだから、そこも留意したいものだ、と思う。


正直、ウチに来るのは20代からあとなわけだ。
そうなると、そこまでの20年をひっくり返すには、正直40年くらいかかると思ってもらわないとどうしようもない。
ひっくり返さないまでも、「自販機で一日一本」にするだけで数年かかる(こともあるし、まあかからない場合もあるけれど)。
それも、やれる保証もない。

毎日成人がコーラを数本飲んでいれば、もうそりゃ成人病確定だ。
自分の身体を守るために、やめさせたいと思うが、そこまでの20年30年で積み重なったものは、そう簡単には変えられないんだよね。


だからまあ、いや、専門家云々のことを先に書いたけど、何か特別なことをしようというのではなく、普通に、普通のことをやったらいいと思うんだけどね。
外で急に裸になってはいけない、道外で決を出して急にウンコしちゃいけない。
ジュースは誕生日だけ飲む、ふだんはお茶、とか。

別に、障害があるから云々の前に、普通に子育てするのがまず大事だと俺は思うんだけどね。

「専門家がこういっていたので」という話をする親の子は、たいがい先のようにもう直せないところまで来ちゃってる場合が多いので困ることが多い。







(BGM:溶け出したガラス箱「あんまり深すぎて」from「Urc Special Sampler 1st Edition」)
→マスターテープに起因するのか、ワウってる感じもありますが、それだけに貴重音源という感じがします。
誰なんだろう。
知らなかったな。
ガラスが割れる音とかが入っていたり、雅楽っぽい音色を持ってきたりしてて、これはけっこうすごい人たちなのかもしれない。

質問は悪いことじゃないんだけど…


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市丸が質問ばかりする、という話があって。
それも同じことを何度も何度も。
ま、これは昔からで今に始まったことじゃないですが、正直うざったい。

つまりはまあ、彼は答えを聞いてないんです。
というか、答えを期待して聞いていない。
「質問する」ということに意味があるのだなあ、と。
これはまあ自閉症の教科書にも書いてあることかもしれませんが、どっちにしろ「しつこいヤツ」となるし、中身によっては「イヤミなヤツ」ともなります。

例えば、何かに誘う、とします。
「●○さん、□□の日、来れる?」と聞く。
「行けないんだ、ごめんな」と答えがある。
市丸はそこで「わかった」となる。
でも、また一日とあけずその質問をされて、何度も何度も言われれば、なんかそれはイヤミなのかよ、ともなる。

ま、オレらだったらまだいいんです。
そういうヤツだ市丸は、とわかっているから。
でも、外の人はそうもいかない。
「市丸とは距離を置こう」ともなりかねない。
いや、けっこうなってるかもしれない、これは。

同時に、なんでも質問、というのもあって。
例えば、答えをもう知っている、という場合でも「昨日カープ勝ったの?」となる。
彼はラジオも聞いていたし、朝インターネットでも確認している。
もっと言えば、得点まで知ってるかもしれないが、まず「勝ったの?」と聞いてしまう。

これ、だから「勝ったね!」と言えばいいのに、勝ったの?と質問になってしまう。
「知ってることを何度も聞く」という「うっとおしいヤツ」の真骨頂のような感じになってしまうわけです。


話をちょっと変えまして、これはアキが言ってたんだけど。

例えば知らない人が来たとしましょう。
で、まあ話をしなきゃならない、とか、話をしようとしているが、よくその人のことを知らない、という場合。

まず、どうしますか?あなたなら?
やっぱね、ここ、質問なんですよね。
「どこにお住まいなんですか?」
「なにで来られたんですか?電車ですか?」
ま、この辺が妥当でしょう。

これはどういうことかというと、話をするにはまあ質問なんですよね。
その人のことを知らないんだから、「□□は●○ですよね」という話ができないわけです。
だからまあ、質問になる。
そして、その質問も相手がこたえられる、そして、その後話が続けられる質問を、まあ人は自然にするわけです。

つまり、話の取っかかりとして質問を使っている。
「話をするために質問をしている」と言い換えてもイイですね。


そう考えた時に、まあ市丸はきっと「話をしたいだけ」なんじゃないか、という推測は成り立ちます。
「話をする」ということは、まず質問で構成されるのは仕方のないことで、しかも彼としては質問できる内容の幅が小さい。
「カープが勝ったか負けたか?」「●○日は来れるか来れないか?」くらいのことになってしまう。

勢い、「しつこいヤツ」「イヤミなヤツ」になってしまう。


最近は、アキなんかが「勝ったかどうか知ってるでしょ?そういう時は勝ったね!って言えばいいんだよ」と言い続けていたためなのか、「(カープ)昨日勝ちました!あきちゃんおめでとうございます!」と言ってくるようになりました。
ま、それはどことなくそれとしてウザイ感じもしますけど。
でもまあ、質問ではないコミニュケーションの始まりにはなっていて。
アキがカープファンだということをわかった上での会話、というか。
初めて会った人ではない、というか。
そこでまあ「そうだね、やったね!まだ一位だね」とか言えば、そこからまた話が続くわけで。


ま、なんにしても質問自体は悪いことじゃないし、初めての人との架け橋になるのは事実です。
けれども、それとは違う会話のスタートも会得してほしいな、と思うわけです。

とか何とか言ってるけれど、俺なんかはそもそも初見の人に対して「質問」すらあんまり出てこないので、もしかしたらコミュニケーション能力的には市丸以下かもしれんな、と最近思います。








(BGM:THE 100-S「21世紀のBOYS & GIRLS」from「SCARFACES」)
→いわゆるモッズ系のコンピでしょうか。
モッズ系って、どっか美学なのよね。
そこがかっこいい。
ビジュアル系の美学ってちょっと俺としては笑っちゃうんだけど、こっちはガチ憧れる。

まず自分


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昨日、市丸たちと出かけるコトについて、「これが連れて行く」「めんどう見る」だと辛いわな、と書きました(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4906.html)。

ま、そうなんだよね。
まず彼らの「一緒に行きたい」があるから、まあフラットにそのへん考えられてる、というか。
「●●日のプロレスに行きたいから一緒に行って」といわれるから、まあ行ける、というか。

ま、そういうことを繰り返していると、「コイツこの系は好きだな」みたいな事も分かってくるから、逆に「これに誘ってやろう」みたいなことにもなってくる。
そして、たいがいまんまと彼らはそれに当てはまる。

「一緒に行ったのが楽しい」という体験は、「また次!」となります。
だからまあ、そういう好循環に乗せてやることが重要なんだよね。
それは「こっちがラクになる」ということでありまして。


先日、お盆休みの中で、甥っ子を預かる日がありまして。
それで気づいたんだけど、市丸たちと行くのとぜんぜん違うのね、気持ちが。
小学生2人と保育園1人だから、まあ子どもってのもあるんだけどさ。
でも、それだけじゃないよね。

まず、普段一緒にいないから、なにに興味を示すかがわからない。
ご飯も何が好きかがわからない。

でも、どっか「楽しかった」って言ってほしい!という、なんだろう、あざとい感情がやっぱ浮かぶんですよ。
「佐藤さん、あきちゃんと(彼らは俺らのことをこう呼ぶ)また一緒に行きたい!」とか言ってほしいのね。

だから、何を食べよう、どこに行こう、って悩んじゃうんですよ。
機会もそんなにあるわけじゃない。
この一回で、なんか「また行きたいと思って欲しい」という、なんかこう、そういう感じ。
孫ができたらこんな感じなのかな、というか。

つまりまあ、「感謝して欲しい」ってのとは違うんだけど、「喜んで欲しい」というか。
だから、彼らの気持ちをすごく読もうとしちゃうんですよね。
「今、川に来ているが、この子達は楽しんでいるだろうか」みたいな。

これね、市丸たちの時もないわけじゃないけど、そんなにないんですよね。
これがまず大きく違う。
他の作業所とかだと、もしかしてこういう感じなのかな、と思うと、やっぱそりゃう~ん、「あずかってめんどうみる」になっちゃって、辛いのかもなあ、と。

前に、コバが行きたいという演劇にいったらコバが寝てたということがあって、「お前誘っといてなんやねん!」ということがありましたけど、この辺、つまりそれは市丸たち相手だと「なんやねん」と言えるんだけど、子ども相手にはそういう風にはならなくて、「ああ楽しめなかったのかな」みたいに自分を責めちゃう感じというか。

まあ、誘う、のと誘われるのとでは、そこに行く主体、というのが変わるとまた違うわけですけど、なんとなくね、そういう感じ、というか。


そして、でも気づいたこともあって。

俺とアキが丸木美術館、原爆の絵のところですね、あそこに久しくいってなかったし、行きたかったので、まあ付き合わせようと思って連れて行ったんです。
「子どもに合わせる」ってのは、けっこう彼らしてきてるというか、そこそこ色々な体験をさせてもらえてる家庭でもあるので、まあ、こっちに付き合わせるんでもイイんじゃない?というのもあって。

で、連れて行ったんですが、その車中、もうずっとケンカしてるわけです。
男3人だから、もううっさい。
すげえくだらないことですぐにケンカ勃発ですから。
でもまあ、そこそこ放置はしてたんだけど、これ、原爆の絵の前でやられてもな、とか思って多少の覚悟はしました。

が、二階の展示室に入って、どでかい原爆の絵の前に立ったら、もう3人ともやられちゃったみたいで。
すげえ真剣に見入ってて。
「これ、どうしてこうなったの?」
「この光、爆弾?」とか聞いてくる。
アウシュビッツの絵もあったんだけど、「これは日本の人?」とか。
3人とも、何かを感じてくれたみたいで、「怖かった」とか言っていたので、点としての経験になったかな、と思って、よかったなあ、って思いまして。

やっぱ「すごいモノ」「いいモノ」に触れると、小学生だって感じるモノがあるんだなあ、と。

なにもまあ、子どもに合わせなくてもいいんだよな、と。


そりゃ、市丸はこの成長の早い小学生達に抜かれそうな感じすらありますが、それでもまあ、フラットに一緒に行けばいいんだよな。
もちろんそれはカイには通用しないかもしれないけど、でもまあ、カイだって前に一度一緒に丸木は行ったんだっけかな(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3744.html)。
なんだかんだ、大人しくしてたっけな、と思い出し。

要は、こっちの態度なのかもしれない。
媚びる、という言い方は違うかも知れないけど、「彼らに合わせよう」ということをあまり考えずに、自分が自分の生き方や感じ方を素直に彼らに晒してしまえれば、なんとかなるのかもしれない。
それに「お前中心に世の中は回ってるわけじゃない」ということは、彼らに伝えなきゃいけないと思うし。
それに、それって親じゃないから出来ることでもあるのかもしれない。


「彼らのため」「彼らの気持ちをくみ取る」みたいなことをこの業界ではよくいうんだけど、確かにそれは大事なコトであろうかと思いますが、それに「振り回される」のは、やっぱこっちも付き合いきれないし、疲れてしまう。
媚びるのではなく、こちらもフラットに、自分の人生というモノをしっかり確立することが必要なような気がする。

俺はどうやって生きるか、何が好きか、何が嫌いか、そのラインからは外れない。
それでいて、時にそれを破るくらいの柔軟さがあれば、理想なんだろうな。








baka.jpg

(BGM:ZEITLICH VERGELTER「Schlagen」from「TRANS CRAZE」)
→メタルパーカッションが、という触れ込みだったか。
ライブは見に行ったことない。
サディサッズとかそのヘンの感じなのだろうかしら。
時の葬列の最後の方に色々バンドが出てきたわけだけど、その辺はあまり見てないんだよな。
今聞くとですね、悪くないんですよね。
なかなか面白いと思う。
ライブいっておけばよかったな。
ドイツ語のバンド名もイイじゃない。
言いたくなる。

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