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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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kaijosha.jpg


市丸たちってのは、最初から邪魔者にされて搾取されてきてるわけです。
本人がそれを理解できてるかどうか、というのはまた別の話ですけど。
もっと言えば、知識がなかったらやられ放題。

ノブはここに来る前に一般のとこに就職していたけど、業績が悪化して一番にクビを切られた。
けれども、そのことに対して「理不尽だ」と言うわけではない。
というか、「理不尽」という言葉にはならないだろうが、「なんで?」というのはあるとは思うが、それをまあ「飲み込んでしまう」んだよね。

つまりは、企業の方にしてみたら「使いやすい」とも言える。

ミツなんかも、コンビニの店員にコバが「バカが来た」と言われてるのを見て、腹は立つけど、それをどうしたらいいかわからない。
どこかミツにして見ると、「確かにコバはおかしなことをしてる」ともなったりする。
どうしたらいいかわからないから、そのまま。

要は差別発言だし、ヘイトだし、でも、店員にしてみても社長にしてみても、結局は「こいつらは何もできないし何も言わない」から、言いたい放題だしクビを切り放題。
この構造自体が問題で、それは新自由主義の考え方だったりの中で、市丸たちは社会から落ちこぼれさせられてるわけだ。

けど、そのことはなかなか彼らには理解できない。

同時に、同じように搾取されほっとかれてる低賃金の労働者やシングルマザーなんかにすると、「いや、私たちは井上たちとは違う」みたいななんか「意味のない対立」があったりして。
んで、「彼らは年金をもらってるけど、あげなくていい」みたいな、弱者イジメがはじまって。
自分が弱者なんだけど…。
ま、そんなこんなで問題をややこしくしている。


彼らが毎日ここで飲みに行ったり、彼らだけで遊びに行ったりしているのをして、確かに有意義に楽しくやってるんだとは思う。
けども、だからといって、それでいい、ということでもない。
結局は彼らの置かれている立場は何も変わってない。

ここがなければ、やっぱり彼らは1人に戻る。
いや、施設に入って、オグラのように薬を飲まされて歩けなくされるかもしれない。
それでは意味がない。
全てが「ここ」にならなきゃ意味がない。

自分が搾取されない、自分が利用されない、たとえそれが知的障害者でも、という世の中になるのがゴールだ。
今、なう、彼らが楽しいかどうかはあまり関係ない。

ってか、まあ関係はあるんだけど、彼らは「ここにたい」とはいう(アクム以外)。
そりゃ楽しいから。
でも、「ここにいたいと思ってしまう理由」はわかってない。
社会の外が「ここじゃない」ことはわかっていても、それがどういうことかはわかってない。


「今が幸せならいい」という考え方は、確かにわかる。
そして、それが全てだとも思う。
が、「本当に幸せなのか」「幸せとは何か」を問わない限り、それは宗教と同じだ。

休む暇なくダブルワークで必死に子どもを育てていて、それでも今のところ安定してるからそれでいい、というのはわからなくはない。
けれども、休むヒマもない人生でいいのか?という問いはそこではなかったことにされる。

「がんばれば願いが叶う」などとよく言うが、確かにそれは真理だろう。
動き始めなければ何も変えることはできないから。
けれども、そもそも、なんど努力しても何も変わらなかったら。
そして「がんばったってムダだよ」という親に、大人の中で育てられていたら、そもそも「動き始める」コト自体が恐らく無理だろうと思う。

そうなれば、世の中の方が変わってくれるのを待つしかない。
よく変わってくれればいいが、今の世の中はそうではない。
より格差は開く一方である。
結局は、世の中の変化の中でそれに従い、クビを切られれば「しょうがない」「次をさがさなきゃ」としかならない。
市丸たちと同じだ。

貧困の問題を「努力しない人が悪い」なんて言う人がいるが、それは世の中を知らなすぎる。
努力して成功したなら、努力できた環境に感謝すべきだ。


俺は、社会を変える!なんて大きなことは言えない。
思ってはいるけど、そりゃみんながそう思ってくれればいい、とは思っている。
だからみんなに共感してはもらいたい。
でも、それは俺のチカラだけではもちろんどうすることもできない。
頭数の1人にはなれるかもしれないが、なかなか難しい巨大な壁だ。

そんな中でも、まず「自分を変えなきゃいけない」とは思う。
「自分を変えよう」「昨日と違う自分になろう」というのは、彼らにもよく言う。
「なにも変えられない」という意識を変えるために、まず、自分を変えてみよう、と。

これはなにも市丸たちだけじゃない。
外口さんやアキやいわゆる健体者の職員にもいう。
というのは、俺は市丸たちと一緒に暮らすというのは、その部分が必要だと思っている。
「自分を変えよう」と思わない人に、やっぱ彼らに「世の中は変えられる」「君の生きにくさはかえられる」と言えないと思うからだ。


朝の運動、というのをやっている。
これは自由参加だから、みんながやってるわけじゃない。
けれども、これはとても簡単な「自分を変える方法」ではあるんだよね。

走るのは誰だってイヤだ。
まあ、好きな人もいるだろうが、俺は嫌いだ。
イヤだけれど、正直な話、運動不足は身体にいいわけがない。
もっと健康になろう、健康診断の数値を上げよう、とするなら、手を伸ばさない案件ではない。
しかも、走っているウチに、走れる自分になる。
ちょっとだけラクになっていくのだ。
マラソンは裏切らないのだ。

だから、朝の運動というのは、俺は重要だと思っている。


今のままでいい、というのはわからなくはない。
けれども、それは奴隷であることを肯定しているだけだ。
「私は奴隷じゃない!」という人もいるだろうが、残念ながら、社会の構造の中で、今の日本の大衆は奴隷だ。
いいように搾取され、使い捨てられている。
ぎりぎりあなたが使い捨てられてないだけだ。

そのことと、市丸たちが「理不尽な状況に置かれていること」は、同じ問題が根底にある。
彼らの方が矛盾が多い、理不尽が多い、ということはあろうが、根っこは同じだ。

そのことに、自分が闘えないのであれば、やっぱり俺は市丸に「理不尽には怒っていいんだよ」とは言えないと思っている。

市丸たちと一緒に、俺はまずスタートラインにつきたい。





(BGM:ペドロ&カプリシャス「パントマイム」from「ペドロ&カプリシャス ツイン・ベスト《青春の歌》」)
→都倉俊一先生作曲なワケだけれど、まあこれだけ曲作ってればなあ…。
イントロはマイウエイっぽかったりいろいろな曲を継ぎ接ぎしたような、いや、もう一歩ちゃんとすればちゃんとなっちゃうんだろうけど、そうなると他の曲と一緒になっちゃったりするんだろうなあ…。
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マウントの取り合い


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障害をもった人の集まり、まあうちみたいのとか、いろいろありますけど、そういうところで「ボランティア」となる存在を募集したりします。
ウチではまあ、「ボランティア」という言葉は使いませんけど。

これにはいろいろ理由があります。
ボランティアのみなさんの多くはいい人だし、そこに何かを言いたいわけじゃない、ということを最初に断っておきます。


「ボランティア」として来る人、井上達と関わりたい、という人の中には、「来てやっている」という態度を取る人がいます。
ことさら尊大なことではなくても、「俺をもっと重用しろ」という雰囲気を持ってくる人というのはいます。
まあ、「マウントをとりたい」みたいなことですね。

ちょっと違う角度ですが、これはよく言われるのですが、例えばテレビにしても、新聞にしても、取材がくることがありますが、他のところだと「お茶とか出してくれたりして、接待される感じなんですよね」ということらしい。
まあ、ウチはそんなことはしないし、むしろ正直、日常をやっていく上で取材などというのは邪魔ですから。
多少邪険なところがあります。
「こんなコトは初めてですね」とか言われます。
けどまあ、取材する人ってのは逆にそれが心地いいですね、と言ってくれますけど。

ボランティアに来る人の中には、この「お茶とかを出してくれるんですよ」を期待してくる人というのがいる、というのは、なんとなくみなさんもわかるでしょうか。

困ってる人を手伝おう、というのは、何も責められることではない。
けれども、「手伝ってやる」というのはちょっと違う。
困ってる人をチャリティの対象としてしか見ていない、という意味で善意の仮面をかぶった悪意だと俺は思っています。
24TVとか。

手伝いに来てもらったら、まあ手伝ってくれるわけだから、あくまでこっちのペースの上で何かやってもらうしかないんですけど、「手伝ってやる」という人は横柄な感じで、それをぶち壊しに来たりするので油断がならない。

ウチも昔はそういう人もいましたが、最近はそういう話は聞きません。
おそらく、ボランティア文化というのが日本の社会の中にも浸透したのかもしれません。
そういう「○○してやる」というのが、一番迷惑だ、みたいなことですか、そういうのが広がってきたのかな、と。

東日本大震災の時に、物資を送る、みたいなことで、着古したモノを送るとかそういうのが「これ、いくら何でも、善意とは言え違うんじゃん?」みたいなことから変わったのかな。
そういう流れはあると思います。

同時に、ウチはさっきの取材の話じゃないですが、基本、感謝はしますが、やることに対しては下手には絶対出ない雰囲気がありますから、「○○してやる」という人は、1回で二度と来ないのだとも思います。


市丸たちは知的障害者だから、平易に言えば、やっぱバカなんですよ。
だからって、横柄な口をきいていいかと言えば、それは違う。
バカとはいえ、そこは人間対人間の付き合いなワケですから、「初めまして」から始めるのがスジで、それができないならそれこそバカです。

バカが悪いわけじゃないけれど、市丸たちに横柄な口をきく人は、正直許せない気持ちになります。
俺が市丸と話す言葉は、ずっと毎日一緒にいて、何年も一緒にいて、ということがあっての会話。
それと、ちょっとあった人の言葉が同じなわけがない。
というか、それが同じである意味がわからない。
市丸たちを「知的障害者だ」という「意味で」、バカにしてるんだな、としか思えない。

そういうのは、ちょっと困りますね。
というか、違うよね、それは。


ま、結局はボランティア云々に限らず、マウントの取り合いみたいなことなんだな、世の中って、って最近思います。
親御さんとの関係とか考えると、ホントそういうのを感じる。

結局、意見の違い、じゃないんですよね。
意見が違うのなら、それを修正させたいのなら、やっぱきちんと話をしなきゃいけない。
だから、例えば俺に言ってくれればいいんですけど、別に俺はそんなに聞き分けのない方だとは思いませんけど、というか、話を持ってきてくれなきゃ俺がどういう対応するかもわからないと思うんですけどね。
「どうせ言っても」とか、自分が従えられるような人に言って悦に入ってるだけなんだな、ということを感じます最近。

つまり、まあお山の大将になりたいだけなんだね、みんな。
ま、それでなにかできればいいんだろうけど、人への文句で作った山なんか砂上の楼閣みたいな感じがします。


ま、市丸たちと一緒に遊べる人がいたら、ぜひ来て欲しいですね。
「ボランティア」は募集してませんけど、そういう人はにじ屋に顔出してみてください。






(BGM:エレクトロ・キーボード・オーケストラ「さよなら小野田さん」from「エレクトロ・キーボード・オーケストラ」)
→1960年のアルバムがCD化。
富田勲さんがシンセサイザーをいろいろやってて、当時鍵盤をやっていたのですごく興味があった。
といって、俺が生まれる前だな1960年。
小野田さんとは誰なんだかわからないけど、恥ずかしながらの小野田さんは1972年に帰国だったんだよなあ。
しかし、なんかこれは楽しい一作。

悩むことくらいは


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カイは喋らないので、何を考えているのかは正確にはわからない。
わからないけど、彼はその分、きちんと行動でいろいろなことを我々に伝えてくれるような感じがある。

例えば、「ここにある菓子が食いたい」となれば、一直線に突き進むか、もしくは俺の手を取って「これを食わせろ」とばかりに「あう!」と、まっすぐ俺の目を見て言う。
寝たくなったら、座ったままうつらうつらでも寝る。
車に乗っていきたいと思ったら、車の前で頑として動かないこともある。

言葉はないけれど、「自分がしたいこと」を外の人にストレートに伝えようとする「意思」を感じる。
だから、確かにこだわることも多いし、めんどうなことをしようとしたり、どっかに走り出していったりするけれど、でもまあなんだろう、彼と付き合うのは「人と付き合ってる」という感じがする。

人間らしいっちゃあ、人間らしい。
おしっこしたいとなれば、道の真ん中でポコチンを出したりもするけれど、よくよく考えれば、ストレートではある。
ま、でもそれではヒト科の動物で、人間ではないので、それはアカン、とは止めますが。

時になぜか素っ裸になっていたりするけれど、外でするわけじゃない。
事務所の中だったり、家だったり、「ここならいいだろう」というのは、彼なりに理解はしている。
とはいえ、素っ裸になるのがイイ事というわけではないのだが、俺はまあ今の段階ではしょうがないかな、とも思っている。

彼はどこまで我々が許容するか試しているのかもしれない。
そのマックスを泳ぎたいのかもしれない。

誰でも自由でいたい。
それはおそらくカイも一緒で、そりゃ、走り出さないように縛り付けておけばラクなのかもしれない。
走り出していくたびに、なんだかんだこっちは追いかけなければならない。
追いかけられればいいが、わからないうちに出て行ってしまった場合は、まあ探すことにもなる。

といっても、彼が行く場所はわかっている。
つまりそれは、彼の世界のマックスの場所、ということだ。
本当に「どっかに行ってしまいたい」ということではないようで、つまりは、逆にいえば「迎えにくるのを待っている」とも言える。
「迎えに来れる場所を選んでいる」というのが正しいか。

カイが実習に行った他の作業所では、作業している部屋のカギを外から閉める、ということがあったらしくて、カイの母親はそれに対してたいそう文句を言っていた。
もっと自由にさせてやりたい。
もっと自由に青春をさせたい、と彼女は言った。

管理をするということと、彼らの自由を守るというのは相反します。
毎日が同じスケジュールで進めば、管理はラクです。
コッチの対策も立てやすい。
でも、今日も明日も明後日も昨日も一昨昨日も同じだったら、自分の一年後十年後もきっと同じだろうと人は思ってしまう。
そりゃ大きなスケジュールは変わらなくても、小さな部分はチョコチョコ変わっていた方が未来に希望が持てる気がする。

現状に満足していて、これがマックスの幸せだと思えるのなら、毎日同じ作業を繰り返すのもいいだろう。
けど、そうじゃなかったら、やっぱり、変わっていく自分を想像できる人生でありたい。

カイのようなこだわりがある人の場合、毎日の流れを一定させるとか、そんなことがマニュアル本に書いてあったりします。
でも、カイはとにかく「イレギュラーが好き」なんだよね。
もちろん、決まった行動も好きだけれど、「世の中に同じ一日はない」ということを毎日やってるせいなのか、「イレギュラー」にも対応してくる。
というか、楽しみでしょうがない感じ。

ライブがあるとなれば、メイクとかもあるわけですが、そういうのも楽しくなっちゃう。
この前、土曜がライブだったんだけど、次の土曜もライブやりたい!と車にしがみついたりしてた。
でもまあ、午後には「あ、もうないのね」という感じでしたけど。

それと、旅行も大好きで。
でも、好きすぎて、例えば「今度の秋にどこに旅行に行こうか」とかみんなで話していると「もう行くもんだ」となって、カバンを用意する。
そうなっちゃうんで、まあ「今度の●曜日に行くんだから」と説得するという一段階が必要になります。

なので、全体で行く旅行じゃない場合とかでカイが行く場合は、けっこうその話題を大きくはふらず、前日に準備して、明日行くから、という感じにしたりします。
なるべく気配を察知されないように、という。
遊びに行く、どっかに行く、そんな場合はなるべく気配消すようにしてる方向です。
じゃないとテンションが上がっちゃう。

先日、にじ屋の物件探しチームが北陸に行くという時、その時も前日にカイも行く、ということがカイに認識されたわけですが、その日泊まりだったTAROさんの報告が面白かった。

「カイはテンション上がり過ぎて結局一睡もせず。朝方、いい加減面倒になって「おまえ、行くのやめる?」と言うと、ものすごく悲しそうな顔になって「あうあう」。「じゃ、一緒に行く外口さんが迎えにくるまで来るまで部屋でおとなしくしてろよ」「あう!」直立不動でピシッと両手を揃えそのまま部屋で静かに(笑)。

いや、ホントに楽しみだったんだろうな。

できるだけ我々はカイにいろいろな経験をさせてやりたいし、そりゃカイは漏らしたりもするんで、確かにメンドウ。
でも、やっぱイレギュラーをきちんと入れていきたいな、と思っている。
これだけ喜んでくれるのはやっぱりステキなコトじゃないか。

喋れない、いや喋らない、そして時に発作もあるのだが漏らしたりするし、そもそもうんこしたら拭けないカイは、いわゆる「重度」なのだと思う。
一般就労もできないし、そりゃ生産性というコトで言うのなら、彼には生産性がないのかもしれない。

でも、彼は、やっぱり人間だと俺は思う。
生産性があるなし、そりゃあるかもしれないが、彼は、一生懸命毎日を楽しく、できるだけ自由に、俺らの目をかいくぐっても自由に泳ぎたい、って毎日主張してる。

だから、彼の未来が、彼にとって「輝かしい」ものじゃなきゃダメだと思う。
それをどんな形で我々が助けてやれるのかはわからないし、もしかしたらなにもしないことが輝かしいのかもしれない。
でもまあ、一緒に悩んでやるくらいのことはさせてもらいたいと思っている。






佐藤店長生誕祭小

(BGM:大空はるみ「LOVE SQUALL '92」from「ルパン三世 ヴォーカルセレクション」)
→ルパン三世の曲はどれもいいんですけど、いいからこういう別バージョンが確かにたくさん生まれます。
ま、名曲はどうやっても名曲かっていうとそうでもないんだけど、これはサンディーさんの元のアレンジがよすぎるんで、なかなか越えられないよな…。

毎日はうまくいかない


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「言うことを聞いてくれる」などと書いた(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4630.html)直後にアレですけど。

やっぱ市丸の様子がおかしい。
まあ、気づいてはいて。
しかも、どういうことかもたいがいわかってる。

ま、浅いんですよ。
市丸の隠匿工作など、通用するハズもない。

どうしたもんか。
約束破りは確定。
けれども、まあ市丸は否認するわけです。

ゲロってくれれば話は早い。
「もうするなよ」で終わる。
にもかかわらず、バレバレの隠匿工作を続けようとする。

困ったなあ。

市丸の性格もたいがいはわかる。
例えばなんかの約束をした時に、どういう行動をするか、というのはわかる。
なんでもかんでも貯めておきたい性格の市丸は、自分のモノをなるべく使わないで、一緒に暮らしてるオグラとか部屋に入り、使いたいモノを盗み出して使う。

ま、オグラとかが文句言わない限り、そのへんはいいとしまして。
よくはないけど、まあきっかけがつかめない感もあり。

で、こうなると市丸はいきおいイライラが始まる。
当たり前だ、俺にばれている、というのは彼にだってわかる。
ならばもうゲロっちゃえばいいのに、どうしてもうすい隠匿工作を続ける。
悪循環である。

ま、この件に関しては、イイ感じで決着をつけるしかないので、市丸の性格に合わせて新しい約束にバージョンアップしようかな、とおもうところではあるんだけど。


同じころに、オグラが「携帯がない」と。
聞けば、もう数日前からないんです、と。

なんですぐ言えばイイのに、オグラはこういうところがあって。
困ったことがあっても、放置しちゃうんですよね。
すぐに言わない。
で、大変なことになってから誰かが気づく、みたいな。

違う施設にいてここに来る人はこういうタイプが多い。

「困ったことはママが気づいてくれる」「困ったことは職員さんが気づいてくれる」ということなのでしょうか。
自分でその困難を解決しよう、という意図がないというか、そういう発想がないというか。

まったくもって、悲しい話なんですが。

そもそも高校までは生徒会長まで務めていて、先生から頼られる存在で、そのまま一般就労したというオグラは、そういうことは出来ていたはずだとは思うんだけど。
「自分のことがどうでもいいなら、もう施設に戻るか?なんでもしてもらうか?」とたずねれば、それは即答で否定してくるけれど、「自分にふりかかった火の粉」が自分で払えないとなると、これはもう「自分で生きてる感」のかけらもない。

これ、怪我でも同じなんだよね。
言えないのならともかく、彼には言葉がある。
だから、オオゴトになる前に「ここが痛い」とか言ってもらわないと大事に至る可能性もある。

う~む。

だからまあ、彼らにとって俺らが「何かを解決してくれる人」になってないのだな、と猛省するわけだけれど、ここを起点になにをかアクションを起こさなければならない。


時ちょっと前に、井上が障害者手帳を落としたらしく、その一寸前にはミツがカギをなくした、みたいな話もあったり。
悪いことに使われたらそりゃもう大変なわけで、携帯も同じだけれど、すぐに言ってもらえれば手の打ちようもあるんだけどね。
ミツや井上はまあすぐに言ってきたので、なにをか手は打てたんだけど。

そもそも、ここに来るまでの人生の中で、オグラや市丸のまわりに助けてくれる人はいなかったんだろうか。
それを覆せない俺らの力不足ではあるけれど、でも、やっぱなんか、早いうちに「助けてくれる」という「いい経験」をしていかないと、なかなか一回ついた「バッドな経験」は晴れていかない。


ま、そんなわけで、なんだかんだ、毎日うまくいってない、というか。
毎日反省というか。

でもま、失敗は成功の母だからな。                                                           







(BGM:うどんゲルゲ「君はガンなのだ(有頂天)」from「ミク★パンク 80'S オン キャプテンレコード」)
→メジャーで出せなかったという有頂天のガン。
まあ昭和天皇崩御の頃だったか、まあレコード会社は二の足踏むか。
というわけで、改めてこの曲がポップなんだな、という。
ピアノ風のイントロにやられた。

検証できない


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検証できないこと、というのがあります。


知的障害の子が生まれた。
で、どうしたらいいかわからない。
障害者と話したこともなければ障害者のことなど考えたこともない。
そんな親御さんが、いきなり障害児の親になったら、まあそりゃどうしたらいいかもう途方に暮れるのは当然である。

そこでまあ、いわゆる「専門家」という人に頼るのは当然の流れで、けれどもまあ、「何の専門家なのか?」「何を得意としているのか?」、もっと言えば、全体から見たら、「どこの派に位置しているのか?」というのは、そもそもわからないわけです。
あ、派、というのは語弊がありますね。
明確な派は確かにないかもしれませんが、傾向は実際問題専門家によってあると思います。

だってまあ、全体がわからないんだから。
というか、部分も分かってない状態で障害児の親になるわけだからね。

その親に、「専門家をきちんと選べ」と言ったところで話が始まらないわけです。
意味がないし、そこ、親の責任にするところじゃないよ、と思うわけで。


それにですね、専門家、といいますが、そもそも専門にしている部分だって、変わっていくわけですよね。
科学も進む、それに、社会も変わる。
だから、例えば生まれたときに専門家に言われたことが、そのままその子が二十歳になった時に同じ状態だ、ということはあり得ない。

そもそも、数十年前までは座敷牢、みたいなことは普通にあったわけです。
警察だったか、行政だったかが認めてそういう場所を家に作ることを許可する、みたいなことがあった地域もあったという記事をちょっと見ましたけど、細かいところはともかく、社会がそれを容認していたわけです。
いい悪い、じゃなく。

生まれたのがその時だったら、「座敷牢作りなさい」と言われていたかもしれない、ということですね。

専門家が言うことというのは、そういうことなわけです。
その時代のマックスを診察?提案?していくというか。
まあ、それもマックスならいいですが、専門家自身もそんなに最新なことを勉強できる環境にもないんですよね、今。
薄給で忙しいのが福祉の仕事の世界なので、そういう中で、マックスじゃないかもしれない、というのもある。
これもまあ、専門家を責めることでもないんだけど。
福祉に金をかけない社会の問題ではあります。
というか、政治の問題ね。


で、ここから仮定の話になりますが、こんなことがあったとする。

まあ親が専門家に聞いたら、「とにかくなんでもやりたいということをやらせなさい」と言われた、と。
なので、何もわからない親は、自販機があるたびに何かを買いたいとねだるので買ってやる、みたいなことを繰り返す。
最終的には「自販機を買っちゃおうかくらいのところまで追い詰められていく。
で、その子が30歳になって、でもまあ親元にいて作業所に通っているとして、「この子が喋れるようになったのは、そうやって何でも言うことを聞いてやったからだ」という風に親は総括する。

けれども、まあ客観的に見ると、喋れるといってもなあ…、という程度かもしれないし、同時に「自販機があったら買わなきゃいけない」ということを未だに繰り返し、もしかしたらそのおかげで太ってしまっていたりするかもしれない。

どうも、他人から見るとその専門家の意見はデメリットも大きかったのではないか?という風にも見える。


で、これは検証が不可能なのです。

親としては、もうずっとやってきたことだから、否定はしたくない。
だから、「あの時言われたとおりにやったことがよかった」ということに固執しがちになる。
セカンドオピニオンではないけれど、いろいろ意見を聞いたらどうかとも思うけど、違う意見は受け入れなくなってしまったりする。

その気持ちは大いにわかるのだが、小さいころに○○していた、ということが、どうも???と思われることは少なくない。
でもまあ、否定する、意見するのは、その親の人生を否定するようなものなので、なかなかどうにも難しい。

ま、実際、それをやらなかったら、例えば、やりたいようにやらせるのではなく、自販機で一日一本、と決めていたらどうだったか?というのは、もう検証ができない。

これが30年とか経っちゃうと、検証ができない上に、親御さんにとってはそこまでの人生を賭けるような話になってしまうので、正直、話し合いにはならないんだよな。


これはまあ、だから最初に出会う専門家の問題にもなっていくんだけど、まずは大きな障害者を取り巻く歴史と、これからの未来も変わっていくんだということ。
その中で、今考えるに何が必要か考えられることを話します、という前提をキチンと親には伝えたほうがいいような気がする。

といっても、まあそれをキチンと親がきけるかどうかはわからない。
だって追い詰められているんだから。
誤解して受け取ってしまってもしょうがない状態だと言えるわけだから、そこも留意したいものだ、と思う。


正直、ウチに来るのは20代からあとなわけだ。
そうなると、そこまでの20年をひっくり返すには、正直40年くらいかかると思ってもらわないとどうしようもない。
ひっくり返さないまでも、「自販機で一日一本」にするだけで数年かかる(こともあるし、まあかからない場合もあるけれど)。
それも、やれる保証もない。

毎日成人がコーラを数本飲んでいれば、もうそりゃ成人病確定だ。
自分の身体を守るために、やめさせたいと思うが、そこまでの20年30年で積み重なったものは、そう簡単には変えられないんだよね。


だからまあ、いや、専門家云々のことを先に書いたけど、何か特別なことをしようというのではなく、普通に、普通のことをやったらいいと思うんだけどね。
外で急に裸になってはいけない、道外で決を出して急にウンコしちゃいけない。
ジュースは誕生日だけ飲む、ふだんはお茶、とか。

別に、障害があるから云々の前に、普通に子育てするのがまず大事だと俺は思うんだけどね。

「専門家がこういっていたので」という話をする親の子は、たいがい先のようにもう直せないところまで来ちゃってる場合が多いので困ることが多い。







(BGM:溶け出したガラス箱「あんまり深すぎて」from「Urc Special Sampler 1st Edition」)
→マスターテープに起因するのか、ワウってる感じもありますが、それだけに貴重音源という感じがします。
誰なんだろう。
知らなかったな。
ガラスが割れる音とかが入っていたり、雅楽っぽい音色を持ってきたりしてて、これはけっこうすごい人たちなのかもしれない。

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