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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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kaijosha.jpg



カブキが美容院に行きまして。
まあ、もうコロナがあって行けなくて伸び放題だったわけです。
そうなると、彼女の場合は自分で髪をかき上げるということが難しいため、結局「しばる」みたいなことが必要になってくる。

まあ、それはそれでいいんでしょうけど、しばる言うても彼女の場合はもうしばる人の裁量になっちゃうというか。
「こうやってしばって」と言えればいいんだけど、そういうこともない。
つまりはまあ、しばり慣れてないのかもしれないし、よくわかんないけど、その辺はずっと「お任せ」という人生だったのかもしれない。

ま、お任せで成り立つならいいか、という気もしなくもないが、そもそもそういうことを言ってると、彼女の場合はすべてがお任せになってしまう。
どっかでせき止めていかないと、彼女の人生を彼女の中に落とし込むことが難しくなっていく。

彼女はなんだかんだ人の都合で生きている。
いや、生きざるを得ない。
トイレに行く、風呂に入る、移動する、まあすべてのことが彼女の「思うまま」になるわけじゃない。
そのたびに周りの人に頼む、ということになる。
なるんだけど、それがそのままスッと実行されればいいが、そういう時ばっかりじゃない。

知的に障害がある、ということもあって、みずから身体を動かせない、という状況をどうやって理解したらいいか、どうやって解決したらいいか、というのがなかなか難しいと言うこともある。
いや、理解はしていると思うが、解決の道までは見えないから、どうしても彼女は結局「周りの意思」で生きざるを得ない、という感じか。

そのために、まあ「こうしたらいい」「ああしたらいい」という話はするんだけれど、それもなかなか取り組めなかったりもする。
そもそも、普通学級で「周りの意思」で生きてこざるを得なかった彼女は、その「周りの意思」ではなく、「自分の意思」を一刻も早く伝えないとならない、という感じもある。
人が周りにいるウチに「伝えなきゃ伝わらない」ということなのかもしれない。
だから、一つ一つのことにどうしても腰が据わらない。
「今、こうやって声をかけてみればいいんだよ」という話をしている最中に、「これから会議があるから動かして」という、俺に対する話、先の話になってしまう。

まあ、それはもうしょうがないんだけど、そこから自分の人生を取り戻していくのは容易ではないな、と思う。

できるだけ「お任せ」を排したい。
排していくことで、彼に自分の人生を生きてもらいたい。

髪の毛も、「しばればいい」というのはわかる。
わかるけど、しばって「もらわなくても」成り立つ、ものがいい。
一つ一つ、なにか変えていかないと、彼女にはなかなか出口が見つけられない、という気もする。
まあ、それは髪だけじゃないんだけどね。
その中の一つ、という感じ。

で、まあ「しばらなくて済む髪型」というのと、カブキの強い意向で「染めたい」というのもあったので、アキと一緒に行ってきた。

アキの報告によればこんな感じだったらしい。

要望を伝え一度仕上がった髪型は、前髪を残さない、脇に流す形にしてあったのですが、耳にかけられるから…ということで、ピン止めもしてもらって帰ってきたんだけど
ついたときのハイテンションとは打って変わって顔も下がってしまいました。
店の人たちにきかれても、反応悪く。

車の中で「どう?」ときくと「よかった」と言うかと思いきや「かおにかかっちゃうんだよね…」と言ったので、もどって切ってもらえないか電話してみようということにしました。
車の中で、ずっと顔をしたにして、動きにくい手で前髪をわけてて…やっぱりダメだよなと思って。
ネットに電話してもう一度切ってもらいました。
施設の人や老人ホームの人が楽だからと、短くされてしまうこととかぐるぐるして、よかったとはおもうしいい髪型になったとはおもうけど、なんだかすっきりしないところがあります。

誰に見せたい?!といったら
「うーん、いちまるくん」
…やっぱりカブキは市丸が気になる説
次は?!
「さとうさん」といってました。

戻ってきてから値付け…を一緒にみていてそれだけでも満足そうでした。
これは何の種類?わからないというので、市丸に聞いてみたらといったら「おきものだよ」とかいわれて、ぐふっとわらってました。


まあ、そもそも人に聞けば(俺はもう長らく美容院とかに行ったことはない)、なかなか思うような髪型にはならないことも多いようで。

「思い切ったこと」をしようとしても、まあ「想定内に収まる」というか。
あまり突飛な髪型は、やっぱりなかなか美容師側もやりにくい、というのはわかる。
一回切ってしまえば元には戻らないのだから。
だから、大多数が納得するところに着地する、のはわかる。
その上知的障害ともなれば、そもそも「このくらいかな」という判断がそこにあるかもしれないのはわかる。
「こっちの方が似合うのに」というのもあるだろう。
でもまあ、機能性というのも今回はテーマに合ったという…。

もちろん、その場でカブキが「もっと切ってくれ」といえばいいんだけど、「お任せ人生」だった彼女にそれはちょっと壁が高すぎるのは想像できる。
そもそも、知的障害で車椅子に乗ってる人をちゃんと切ってくれる、という時点で、ありがたい、というバイアスもこっちにはある。
だから、仕上がりに注文を付けにくい、というか。

でも、それでもカブキに最後まで「納得した髪型」になるまで付き合ったというのはすごいな、と思いました。
下手すれば、先のようなバイアスもあって、「ピンで留めればいいんだ」とか、「さっき言えばよかったじゃない」と、彼女の思いを我々だって潰しかねない。
時間との兼ね合いもある。

まあ、こういうことの積み重ねなんだよな…。
そうすることで、彼女も「顔にかかっちゃうんだよね」をまた言えるようになっていくのではないか、という気がする。
そこで潰してしまえば、やっぱり彼女は諦めて言うのを辞めてしまう人生をやっぱり選ぶように思う。

同じく車椅子を使っている加納さんはこんなメールをそれに返していた。

短い髪型にしちゃう気持ちメールを読んで、そうなんだよねーわかるー!と思いました。
私は短い髪が好きなのでいつもバッサリ切っちゃうけどね。
朝のセットとか顔に髪の毛さわるとか、介助者に言えばいいだけの事なんだけど、めんどくさいなと思っちゃう時もある。化粧とかも同じだけど。そう思いながら、くせ毛なのに伸ばしてとかしてとかむちゃなこと言って介助者から、えっー!と言われることもあるけど。
施設にいたらなおさらそうだろうなと思うし、障害者側も心おれて短髪刈り上げでいいやと身なりを気にすることをあきらめちゃうよな。


まあ、最終的に仕上がりはとてもよかった。
美容師さんも、アキも、そして「顔にかかっちゃう」と言ったカブキも素晴らしいと思った。

まあ、この美容院はとてもいい美容院なんです。
そもそも。
だから、美容院に文句を付けたいとかそういうことじゃなく、そういう「構造がある」ということを言いたかった、というのは付け加えておきます。






車募集

(BGM:Heiner Müller「Henry Hübchen / Walfriede Schmitt - Die Umsiedler ... (Schmulka/Siegfried)」from「Müller Texte Lesen」)
→劇作家の人なのね。
延々とドイツ語で何かを喋っているのが収録されている3枚組。
時折ためいきや笑いが会場から起きているので、きっと現場収録盤なのかしら。
こういうのも音源マニアとしてはとっておきたいが、ちょっとどういう内容かも知りたい。
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ウチの現会長工藤さんなんかは、簡単に言うと身体が動かないので、介助を使って生活をしています。
まあそれを我々は「介助」という言い方をしていて、それは介護ではない、護られるのではない、という強い思いがそこにあります。
介助する人も、介助者、と呼びます。
介護者ではないし、ヘルパーでもない。
とはいえ、制度的にはヘルパー制度を使っているので、公式には「ヘルパーさん」ということになるんでしょう。

そもそも、ヘルパー制度というのは最近の言葉で、といっても30年くらい経ちますか、そもそもは「家庭奉仕員派遣制度」と呼ばれてました。
いわゆる「家政婦さん」という感じでしょうか。
その流れが「ヘルパー」という呼び方になります。
日本語で言うと、それが「介護」ということになるでしょうか。
つまりあくまで制度所以の言葉であって、我々がそれを選んだわけじゃないし、なので、まあ前からずっと我々はそういう制度とは全く関係なく、「介護ではなく介助」ということでやってきました。
それを変える気は今のところありません。

で、加えて言うと、我々は、介助を「させる側」と「する側」という言い方をします。
させる側、つまり先のことで言えば工藤さんがそれにあたり、介助者が「する側」ってことになります。
介助の内容については、主体はあくまで障害者側にある、ということですね。
ここをブラす気持ちも変わりません。
ある意味、介助者はロボットであり、その時間内はさせる側の支配下にある、という考え方です。

この「ロボット」という言葉を使うとけっこう論議を醸してしまうんですが、まあそれも変わらずずっとそう考えています。
介助者側の思いや信念は、少なくとも介助の内容に立ち入るべきではない。

ということでですね、その辺について今回は論議をしたいんじゃなくて、そういう風に考えている、ということです。
その上で、我々は「介助者は、させる側、つまり障害者の友達ではない」という風に考えています、ということを言いたかったのであります。

いや、これは語弊があるんだけれど、長い間やってれば友人のようになっていくこともあるでしょう。
でもそれは、その介助の時間内、介助の内容には関係ないんです。
そこの線引きをしっかりできている人が逆に友人になれるのかもしれませんね。
というか、長く続くというのは、そこの線引きが理解できている、ということでしょう。

友達と会うのなら、介助者と一緒に出かけて友達に会いに行く、ということであって。
友達を迎えるのなら、介助者を使ってお茶を入れて友達を家に迎える、ということであって、介助者はあくまでその人の動きを援助することだから、「介助者を迎える」なんてことはあり得ないし、つまり、介助者は友達ではないんです。

いや、それよりも簡単なのは、介助者は金で雇ってるんです。
金で雇って、その時間に来させるわけですね。
友達を金で買いますか?
それを友達とは言わないでしょう。

しかし、世の中どこか「介助者=友人」と思ってしまってるところがあります。
つまり、「優しいお友達がたくさんいてあなた幸せね」みたいなことです。
それは、介助者が「思いやりにあふれて優しい人」といったような「思い込み」があるからだと思うんです。

介助は仕事です。
このコロナの中でも接触をして、誰かがしなければならない仕事でもあります。
友達ではなく、仕事なんです。

もうちょっと話を進めますと、もし、「癒やし」がほしいのなら、それは介助の外で、例えば宗教に助けを求めると言うこともあるでしょうし、そういう集まりにでも出かければいい。
その「出かける」ことに手を貸すのは介助者だけれど、介助者は、癒やしそのものにはなりません。

というか、いや、それを「求めて」介助をさせてはいけないんです。
蛇足で言うと、結果、それはあるかもしれない。
させる側とする側の性格とか、いろいろがぶつかった時に癒やしを生む可能性はある。
そりゃ、人と人とがぶつかってるんだから。
でもそれは「求める」ものではなく、「結果」でしかありません。
その結果を求めるモノ、とするのなら、それはさせる側もする側も失格、ということになるかと思います。

ということで、そこまでが前提です。

で、何が言いたいかというと、先日高視聴率のまま終わったというドラマ、「私の家政夫ナギサさん」の話です。
これ、瀬戸康史さん、多部未華子さん、と、俺が好きな俳優さんが出ていたので見ていたんですけどね。

ミツ言うところの、「おじさんが勝手にやって来て掃除する話」ということなんですが、つまり、おじさんが家政婦、家政夫、ということですね。
その雇い主の方が、主役の多部未華子さん、ということになります。

これね、いや、もう家政夫さんが、ビジネスを超えてくるんですよ。
いちいち超えてくる。
もっというと、主役の多部未華子さんの人生を「支配」してるようにも見えるんです。
というと、ちょっと言い過ぎだけど、仕事に行き詰まったらアドバイスする、で、うまくいく、とか、まあ家政夫の仕事じゃないんですよ、もう。
まあ、ベースに昔同じ仕事をしていた、っていう設定はあるんですけど。

で、結果、その家政夫に「癒やされるわ~」みたいなことになって、「あなたがいない生活なんか考えられない」となっていき、最後は結婚するという。

…おいおいおい、と。
これさ、こういうことを目論んで家政夫になろうとする人が出てくるし、逆もまたしかり。

これさ、すごい家政婦の仕事を誤解させちゃうんじゃないか、って思うんですけど、まあ家政婦の世界のことは知らないのであれですけど、文句言うベテランの家政婦さんとかいないかなあ…。

家事を完璧にやってくれて、時間が作れた、楽になった、という以上の家政婦さんって、いや、怖くね?むしろ逆に。
オレならちょっとごめんだな。
生活空間に入り込むのはいいが、生活そのものに入り込まないでくれ、って思う。

というか、こういうのが介助者にも延長されて「癒やしを与えるのが介助者だ」とかなっちゃうのは断固拒んでいかねばならないわけであります。





車募集

(BGM:Bob James「Ludwig」from「Foxie」)
→この人のクラシックをやる感じがすごく好きで。
この曲もそうなわけだけど、クラシックをアレンジするというのはどっかすごく憧れるのである。

んなわけねえ


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事務所にDMが来てまして、不動産屋らしいんだけど、「障がい者グループホームの運営をしませんか」的な。
その会社がオーナーになって、建物は提供するから(とは言っても家賃は払ってもらう、ということなんだけど)、そこで運営しませんか、ということですね。

一見いい話のような気がしますが、どうしようもない気持ちの悪さもありますね。
というのは、これまあ、結局不動産屋が「取りっぱぐれのない家賃収入」を目指しているだけなんですよね。

そもそも、本気で「障害者の住宅不足を解消するために」というのであれば、障害者であろうが高齢者であろうが、まあ貸せばいいんですよ、不動産屋は。
でも、貸し渋るんです。
実際は。
にもかかわらず、「障害者の住宅不足を解消するためにグループホームの運営をやりませんか」というのは、もう自分で火をつけて消しにかかってるようなもんです。

その上、これ、そもそもグループホームをなめてるし、ひいては市丸たちの生活をなめてますわ。

今、貧困ビジネスとか言われてる問題がありますね。
詳しくはちょっとオレもよくわからない部分があるんですが、住むところは提供する、って、まあ布団一枚プラスアルファくらいのスペースを与えて、毎食弁当を与える、みたいな。
でも、年金は全部もらうし、生保ももらう、と。
そういうヤツですね。
たいがい、そういうところの家賃は生保の家賃補助マックスの設定になったりしていますか。

「でも、外で寝るよりいいんじゃないの?」という意見もあったりするわけなんだけど、それがまったく的を得てない意見なんだな。
いろいろありますけど、ちょっと鳥羽口のところを言うと、「生きる、ということと、自分で選択する」というのはセットじゃなきゃどうしようもないわけです。
毎食食べれるといっても、一方的に弁当を与えられ、住む場所も決められる、という状況は、人を腐らせてしまう。

これは施設なんかでも言われるわけだけれど、毎食給食みたいのは出てくる。
風呂の日も時間も、就寝時間も決められている。
風呂も入れるし、ベットもあるし、飯も食える、天国じゃないか、って思う人は、まあ一ヶ月もそこにいてみたらいいよ、って思うし、そもそもそう想像してみようよ。
あ、それと出られないからね。
つまり、行動範囲も決められている。

生きてる、って、息してる、ってことじゃないんだよ。

だから、単純に市丸たちも数人で暮らしているけれど、そんな簡単な話じゃないと、オレは毎日思い知らされているわけです。
これが、「毎日同じ時間に布団に入らせて、部屋の鍵閉めて云々」とかやっちゃうんだったら、それね、もうある意味監禁になっちゃうじゃん。
つまり、施設自体が監禁だし、って思うところもある。
でもまあ、やむを得ない事情で入らされてる人もいるわけだ。
仕方ない、ってことで今の世の中はそこには触らない。
アンタッチャブルになってるという感じか。

でもまあ、この不動産屋が考えているのは、おそらくこの施設の考え方がベースだ。
そして、家賃だけは払わせよう、というハラだな、これ。


時に大学を出た人なんかが、例えば障害者の介助とかにしても「●●にした方がいいじゃないですか」といようなことを言ったりします。
効率だったり、今ある金をどう有効に使うか、というような「運営」観点での発言だなあ、と俺はいつも思うんです。
そして、それはどっか先に書いた不動産屋のような発想だったり、不動産屋の発想につながると思っています。

でもね、そうじゃなくて、大事なのは、「ふんわり」なんだよね。
つまり、市丸がどう生きたいか、ってのは、他人がどうこう言うアレじゃないんだよね。
それを「こうだろう」みたいに「決めて」、効率的に考えることは、市丸の「生きたい」を壊すことになりかねない危険があるのよ。

それの総本山が施設なんじゃないか、って俺は思うんだけどね。

結局ね、効率的になんかできないし、白黒もハッキリしないことが多いんですよ。
「この方がいいじゃない」というのは、結局、市丸には「よぶん」なんだと思います。
そういう中でやっていく、っていうのは、理屈では割り切れない、ところになっていくわけです。

我々、いわゆる彼らに対する職業の人の中には、システムを作り上げるのが得意だったりする人もいます。
いますけれど、それ、結局使えないんですよ。
もっと言うと、トラブルを防止する、ってことは必要だけれど、だからといって、トラブルが起こらないように彼らを「管理しきる」ってことは、もう「生きる」を否定してるのと同じだと思うんだよね。
トラブルが起こっていい、とはまったく思わないけれど、「管理しきる」ってのは違うよな、と。


まあ、我々も「どうしたらいいんだろう」って思って悩むことはあります。
悩むことはあるんだけど、結局「どうしようもない」んですよ。
めんどくさいことはなるべく避けたいけれど、でも、起こったことはどうしようもないし、めんどくささが消えることはない。

「ふんわりとやる」っての、難しい。
難しいけど、でも、結局どうしようもないけれど、悩み続けて、「どう対処するか」のイメージをいくつも俺たちは持ってなきゃいけない。

そういう感じでやっていくのは、やっぱ大変で、簡単に「30万収入ができます」なわけねえじゃん!と先の不動産屋のDMにオレは思うのであった。





(BGM:シズヲバンド「夜の入り口」from「世界ノ中心デ馬鹿ナコトヲ叫ブ」)
→元ニューロティカとかいうのはもうどうでもいいんだけど、メロディが美しいのと、さびの「ねえ」っていう語尾がアタマにきてるのがいいなあ。
残っちゃう。

「ホントウ」を伝えることは難しい


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昨日、ミツのことを書いて(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5266.html)、ちょっと事前に読んだアキから、「ミツはわからない人、になりがちだけど、それは悔しい」というような感想を言われた。

その通りだと思った。
オレも悔しい。
ちょっとそういう書き方をしてしまったな、と反省した。

ミツはそもそもとても自分の中に規律があって、行動を律すことができる人だと思う。
ただまあ、発作のこともあって、前後のつながりがわからなくなってしまったり、反応が1テンポ遅れることはある。
けれども、わからない人ではない。
いろいろ深く物事を考えているし、「わからない人」と断じてしまって、彼を社会から疎外してしまうことは、社会にとっても損失じゃないかと思う。

彼の思いや考えは、けっこう的を得ていると思うし、あとはまあ、すっと言葉になればいいのだけれど、そこは難しいところがある。


まあ、そもそもカイとかはまったく言葉を操らないし、どう見ても「わからない人」という風に見える。
おそらく、一般の人にとってはそういうカテゴリーになるのだと思う。

でも、カイはよくわかってる、いや、この「わかってる」という言葉が違うんだな。
そうじゃなくて、カイはカイなんだわ。

彼は、自分がしたいことがよくわかってるし、それをどうやったらできるか、と言うことも知っていて、それを行動に移す。
それが時に、一般の社会のルールには当てはまらないこともある。

けれども、彼はそれができるわけだ。


わかってるか、わかってないか、ということについて、これがいわゆる人間としての質の上下、みたいな感じで語られてしまうと、それはそもそもちょっと違うように思う。

世の中には、計算ができて漢字も書けるけれど、カイのようにやりたいことをどう実現したらいいかわからない人もいる。
わかったとして、それにまっすぐに突き進むことができない人もいる。

そこにはいろいろな事情もあるかとは思う。
でも、事情もへったくれもなくまっすぐに突き進むカイを見ていると、オレは「人間力」という言葉が浮かぶ。
そういう彼は、とても魅力的である。
人間としてどこか惹かれるところがある。


できるできないか、が重要になって、それが生産性に結びつくのが世の中だ。
中卒よりも大卒の方がいろいろなことができる、という風に思っているから、学歴社会というのがあって、それが今の社会の軸になっている。

けれども、彼らを見ていると、「それが社会の軸でいいのだろうか」という気がしてくる。
今回のミツのことについても、彼は深くモノを考え、自分を整理している。
他人とどう付き合うか、彼はしっかり考えている。
そして、他人と付き合おうともしている。

できるできない、という生産性の物差しで言えば、それは彼はできないかもしれないが、それ以上の「人間力」が彼にはある。
ように見える。


世の中には、人をうらやみ、自分の境遇を呪い、恨みの中で生きている人もたくさんいる。
不況の中、横のつながりが失われ、仲間もできずに孤立する人もたくさんいる。
格差が広がるとはそういうことだ。
そんな中で苦しんでいる人もたくさんいるだろう。
だから、今こそ、ミツやカイらの活躍に期待すべきなんじゃないかとも思っている。


こうしたことは、なかなか表現が難しい。
オレが普段感じていることを言葉にしようとするとき、どうしても彼らを理解してほしいが故に、どうしてもその「生産性」という物差しの上で彼らを語りがちである。
そういうことで表現することで、想像を働かせてほしいと思ってしまう。

でも、彼らにはそれを超えた力がある。
このことは、日常的に自分が感じていることだけれど、それをなかなかうまく表現することができない。
筆力がないのかもしれない。
語彙がないのかもしれない。
そこはオレも努力しなければならない。

ごく簡単に言えば、カイやミツはわからない人ではない。
ただ、そういえば、この生産性の物差ししかない世の中で、彼らを弁護しているようにしか見えないのではないか、という不安もある。

彼らを弁護するのはオレの仕事ではない。
彼らのすごさを、みなさんに伝えることがオレの仕事だ。

だから、オレはもっと努力しなければいけないと思う。




車募集


(BGM:Linda Ronstadt「Lies」from「Get Closer」)
→オレがたぶん小学校の頃に隣の兄ちゃんが聞いてたと思う。
今改めて聞くと、この曲はロックテイストだけれど、まあいろいろなタイプの曲があって、なんだろう、シンガーとしてこれ、って感じではなかった人なのか、どうなのか。
もうちょっとね、しっとりした感じをイメージしていたので、ちょっと違った。

資格ビジネスの食い物になりたくないが


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まあ、五輪なんてことがあって。
来年やるとか。
もう諦めたらいいのにそれどころじゃねえだろ、と思う今日この頃。

で、なんか、コロナがなかったと仮定して、というか、コロナ前の時代には、「いろいろな人が来るからおもてなしで」なんて言ってました。
延期が決まるまでそういうことでしたよね。

そしたら、まあなんですか。
「ユニバーサルマナー検定」とかってやってるのね。
新聞にでかでかと、しかもテレビ欄の下だったからすごい広告料高いと思うんですけど、出てました。
何度か同じ位置に広告が出ていたので、一回じゃないですね、もう何回か見ました。
ま、とりあえずここだけでもすげえ金が動いてますね。

これ、つまりは車椅子の人とかに快適な支援する、みたいなことですかね。
「実践に必要なマインドとアクションを体型的に学び」とか書いてあります。

きっと、五輪ではこういうことの「資格」を持った人をボランティアで使おう、ということなんでしょうか。
そもそもボランティア頼みってなんだよ、って気がしますけど、それはちょっと置いといて。
そのためにこういう一律の資格、というのが必要、となったんでしょうか。

というか、まあ、五輪もあるし、五輪ボランティアが来るだろうから、資格ビジネスでいっちょう儲けようってことなんでしょうね。
で、こういう資格を持ってるとボランティアもいいところに配置されたりして。
もうズブズブ五輪、という感じなんでしょう、たぶん。


で、まあいいと思いますよ。
そもそも、車椅子を触ったことがない、という人も多かろう。

ウチに来る人でも、たいがいキャスター上げができないですからね。
普通はそういうのはわからないのでしょう。
そういうのを教える、と。

なんかいいことのような気がしてきますね!


…しかしね、これ、すげえ気になるんですよ。
キャスター上げができたところで、その人が行きたい場所に行けなかったら意味ないんだよね…。
「こっちから行く」という車椅子を使ってる人の声を聞かないで、「こっちからでもオレ押せます」みたいな人を量産しちゃう感じなんですよ、これ。
経験則ですが。

もちろん、自発的にいろいろ言える人ばかりじゃないから、こういう講座ってのは一定評価できなくはないです。
でも、その「マインド」をけっこう軽視しちゃいがちなんだろうな。
だからそういう「オレ押せますから」を量産しちゃう。
障害者=弱い、障害者=守らねばならない、というそもそもの社会的な前提があるから、それを払拭するのはけっこう難しいですよ。

そこにまあ俺らは苦心しているわけで。
しかも、それって、逆にこういう講座をやっちゃうことで「強化」されちゃうでしょ。
こういう講座をやらなきゃならない存在なのだ、という。
そこをひっくり返すのはかなり難しい。


それともう一つ、まあこっちが大きいけど。
もし、車椅子のクラスメイトがいて仲良しだったら、恋人が車椅子を使っていたら、別にこんな講座はいらないんです。
少なくとも技術はあるわけだ。
けれども、この講座を受けないと、この資格はもらえないんです。

それもおかしな話でしょ?
つまり、テストで90点取らないと合格しない、という考え方にならないというか。
「マインド」いうくらいだから、そもそもテスト可能だとは思えない。
いや、テストやるんだ、とすればね、それは今問題の小学校の道徳と同じで、「望まれる答え」でしかなくて、マインドでも何でもないんですよね。
しかも望まれる答えが、「弱い障害者を助けましょう」という文脈だったとしたら、もう社会の「障害者=弱い人たち」を強化することになってしまうだけで、なんか逆効果な気しかしない。

というか、なんかウチみたいな作業所でも「利用者様」とか言ってるところがあるっていうから(というかそっちが多数になりつつある?)、なんかなあ…。
お客様にしちゃって、居心地いいわけないじゃん、と思うんだけど…。
本人が生きる場所、居場所にならないと思うけどな…。

ま、こういうことを書くと、「そのクラスメイトと違う障害の人もいるから講座は必要」とかいう人いるんだけど、一人をちゃんと押せれば、つまりは「全員違う」から、その人に合わせなきゃいけない、くらいのことはわかるんですよ。
というかですね、「あなたは禁ジスだからこう押します」ってのが一律禁ジスの人に成り立つとでも思ってるなら、そもそも講座やる資格はないわ。


ま、こうした資格ビジネスにいいように食い物にされてきたのが障害者。

で、結局、こういう人たちが役に立つかというと、実はそうでもないんですよ。
もちろん、それは人に寄りますよ。
けど、たいがいちょっと使えない場合が多い。

そもそも「人の役に立ちたい」という気持ちと、車椅子を使っている人の「権利としての移動」というのは相容れないんだよね。
善意であるだけに「うぜえわ」とは言いにくいけど、まあそういう感じ。
で、そこをどうマッチングするか、それを障害者自身の手に取り戻すことなく、資格ビジネスが跋扈している状況は、そもそもどうにも「?」となってしまう。

そのことに疑問を抱かないで、この講座を受ける、ということだけで、ちょっと信用ならない感じもしちゃう。
いや、ま、もちろんこれをきっかけに、気づいてくれる人もいるかとは思うから、すべてを否定はしないよ。
でも、う~ん、そもそもこれ、「資格ビジネス」だからね。
しかも障害者の権利を食い物にしたヤツ。
同時に、人の善意につけ込んだヤツ。

もっともたちが悪い気がするんだわ…。





車募集

(BGM:Juanes「Sueños」from「Mi Sangre」)
→なんとなく、ベンジーさんのシャーベッツを思い出すサウンド。
歌詞がわからんのでそれ以上はよくわからないけど。

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