fc2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - - 1 2 34
5 6 7 8 9 1011
12 13 14 15 16 1718
19 20 21 22 23 2425
26 27 28 29 - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

I Don't Want to Be a Soldier(John Lennon)


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





戦争って嫌ですよね。

…いや、まあのっけからアレですが、誰しもそうかと思いますよ。

一部の人は戦争したがってるようですが、それも武器で儲けられるから、とかってことなんでしょ?
自分が戦場に行くとなったら。
自分の子が、孫が戦場に行くとなったら。
自分の家が爆撃されるとしたら。
そんなことを考えれば、また違ってくるような気がします。
だって、そりゃ理不尽でしょう。
まあ、武器で儲けられる人は、そもそも子どもを戦場に行かせなくて済む人たちなのかもしれない、って気もしますけど。
いわゆる上級国民?ですか。

ま、そう思うならそれでしょうがないので、それはもう置いておいて。

まあ、たいがいの人は戦争に行くとなったら絶望ですよね。
子どもが行くとなったら、親はとりあえず泣くわ。
それに、やっぱ戦争第一になって、いろいろなことが制約されるだろうな。
先の大戦では敵性語なんてのもあった。
ちょっとした「戦争早く終わらないかな」というつぶやきすら、連れて行かれて拷問されるかもしれない。
コワい。

今、日本は戦争をしてないが、世界規模ではでは戦争が起きていて、たくさんの子どもも亡くなっている。
そもそも、国同士の争いに子どもは関係ないと思うのだが。

国同士の諍いの歴史というのもあると思う。
その諍いをどうやったら乗り越えられるか、というのが外交じゃないかと思うが、つまり戦争とは外交の失敗なんだろうな。

誰かを貶めないと自分が生きている感覚を持てない、みたいなこともあるのかな。
どっかの民族を貶めなければ、自分が所属する民族を誇れない、みたいな。
それはそれでなんか不幸なことだよな、と思う。
だって、その貶めた相手、人、民族が没落したとしても、その人はやっぱ次の貶める相手を探し始める気がする。
つまりは、自分に自信がないのかな。
自信がないのに生きていくのはそりゃ確かに大変だよな。

兵士になったら、相手国の人間を殺さなきゃならなくなる。
爆弾一つ落とすだけ、かもしれないが、その爆弾の下には多くの人間がいる。
子どももいるだろうし、妊婦さんもいるかもしれない。
自分と同じような生活をして、子どももいるかもしれない。
そこで食卓を囲んでいるかもしれない。
けど、爆弾のスイッチを押さなければならなくなる。
でも、そこまで考えたら、とてもじゃないが爆弾を落とすスイッチなど押せないと思う。

それを押すというのは、やっぱりどっか気がおかしくなってるのではなかろうか、と思う。
押さなければ、きっと上官から殴られたりもするかもしれない。
同僚からもイヤな感じで扱われるのかもしれない。
というか、国がもう気がおかしくなってるのだ。
敵の人間を殺せだなんてのは、そもそもおかしいじゃないか。

その中で、冷静に、人として「爆弾のスイッチは押せない」というのは、「異常」になってしまう。
おそらく戦争に至る間、「異常な人間」を、国家は叩き続けてきているのだろう。
その異常と正常のバランスが壊れて、国民同士も「お前は異常じゃないか?!」と探り合ってもきただろう。
それを考えると、スイッチを押す兵士だって犠牲者かもしれない。
ベトナム戦争なんかでは、帰還兵のPTSDとかも問題になった。
殺した方だって、大きな傷を負う。

もちろん、全ての兵士、相手も含めて、が「爆弾のスイッチを押さない」「銃の引き金を引かない」という判断を一斉にすれば、戦争はそもそもなくなる。
けれども、その判断ができないところに兵士は追い込まれているのだと思う。

確かに、自分の子を殺した敵国の兵士は憎い。
憎いのだが、その兵士に敵を討っても、恐らく戦争は終わらない。
この憎しみの連鎖は続く。

という。
まあ、以上、よく聞く普通のことを書いてます。

でも、そうだよな、と改めて思っているんです。
敵国の兵隊を責めたところで、何も変わらないんだよね。
彼らも上から言われて、かなりの精神状態に追い込まれてやっているんだよね。
まあ、自国の兵隊もでも同じことを敵国でやってもいて、という前提もあったりなかったり。

なんで今さらそんなことを、ということなんだけど。
やっぱ、兵隊を責めても意味ないのかもしれないな、という話です。
こっからは、ちょっと戦争そのものの話じゃなくて。
比喩というか、そんな感じの。

例えば、兵隊を丸め込んで、上官を裏切るようなことを共犯的にさせたとして、しかし大きな枠組みは動かないんだよね。

そもそも、諍いを収められないのなら、それで争わなきゃならないのなら、大将戦にすりゃいいんですよね。
大統領同士が相撲を取るとか。

でも、そんなことを国家はしない。
いつだって、奥に引っ込んで兵隊を送り込んでくる。
ま、その状況、正直、兵隊もツラいんだよね、きっと。
自らの意思や意見はそこでは発揮できないんだもん。
そこを、「発揮しろよ」というのは、そもそも兵隊のアイデンティティーを壊すことであって、それは難しい、というのが今ならわかる。
そのアイデンティティーを問うことをしたとしても意味がないんだよね。
ま、生き方の問題で、それでも徴兵を拒否する、って手もあるんだろう。
でも、それって大変な風当たりになるワケで、普通できないよね。
できないことを問うても意味がない。
それでは大衆が戦争を止める、ということの役には立たないんだきっと。

本当の敵と相撲を取れるのなら、相撲の特訓をすればいい。
けれども、そうはならない。
本当の敵は相撲は弱いかも知れないが強大で、兵士を大量に保有し、彼らを送り込み、何の闘いのジャンルかも言わずに弾を撃ち込んでくる。
そして、兵士は本来弾を撃ち込みたくないんだ。
逆の立場になれば、それはよくわかる、ような気がする。

というわけで、何を言いたいかわからなくなったけど、ここで終わり~





(BGM:平井堅「哀歌 (エレジー)」from「トドカナイカラ」)
→「その手で私を汚して 何度も私を壊して」
まさにエレジー。
静かなバラード。
映画かなんかの主題歌なんですね。
覚えやすい曲ではない感じというか、ポップさをあまり感じない感じというか、売れるに媚びないのもなんか真摯でいい気がする。

kanukibochu.jpg
スポンサーサイト



元は血のつながりなんかないのに


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





俺は基本的に血を否定する方なんですけど。
兄弟がいなかったこともあるのか、また家族でどっかに出かけるというようなイベントもない家だったので、そもそも家族でなんかする、という気持ちがない。
子どもの頃遊園地に行くというのは、近所のお父さんにその家族と連れて行ってもらうとか、従兄弟家族と行くとか、そういう感じで。

親も、今は逆に親戚づきあいが出てる気がするけど、あまり俺につきあいを強要しなかったというか。
だからあまり血のつながりでどうこう、というのはあまり考えたこともなかった。

けど、なんか息子と俺の従姉妹が、職場とかが近いというのもあるんだけど仲良かったりして、時にアキのところに連絡があって、一緒に野球見に行こう、とか言ってきたりする。
ついでに飯でも食おうよ、みたいな。
俺はそもそも、親父を誘ってどっかに行く、ということは全く考えたこともなければ、ちょっと想像も付かないので、息子がどういう感じでそう言ってるのかわからないが、まあオヤジサイドの気持ちとしてはありがたいな、とは思う。

最近は、孫もいるので、時々孫を連れて遊びに来てくれたりもして、ウチの駐車場に簡易プールをしつらえたりして、まあなんだかそれもありがたい。

先日アキの妹と弟が来て、やっぱ兄弟っていいな、と思った。
親への文句とかもそこで言いやすいというのもあるじゃん。
そこに社会ができるというか。
あ、いや、兄弟仲が悪いというのもあると思うけど、仲が悪くなければいいんじゃないかな、と思った。
それぞれ違う場所で働いていたりして、しかも職種も違ったりして、その人たちが兄弟姉妹、というだけで集まって飲めるというのはなんか羨ましくも思った。

まあ、なかったらさみしいのだろう。
少なくとも子どもの頃は一緒に過ごしてきた兄弟姉妹や、まあ子どももそうだよね。
子どもの頃はかまってやったというか、育ててやったというか、そういう感じだけど、大人になったらまあ知らんからな。
そういう「人」が、まあ何も誘ってくれなかったらやっぱさみしくもなろうか。

だから、血のつながりがまったく関係ない、とは思わないが、逆に血を強調されるとやっぱ違うな、とは思う。

井上たちと付き合って、どこかまあ子どものように思っている自分がいて、それは半分否定し、半分肯定しながら毎日を過ごしているんだけど、彼らとは血がつながっていないが、それでもやっぱそういうことにはなっていく。
彼らが馬鹿にされればやっぱアタマにくる。
彼らの置かれている状況にも腹が立つ。
同化していると言われれば、そうだと思う。

だから、「障害者は親にめんどうみてもらえばいいんだ」といわれると、んなわけあるかい!と反発したくなる。
ってか、思春期によくある「クソババア!」を経ないで大人になってしまったところもある彼らにとって、「親にめんどう見てもらえ」というのは、やっぱ「子どものままでいて下さい」という社会からのメッセージなんだ。
それにはとても腹が立つ。
社会に面倒をかけるな、ということなんだから。

親のめんどうは子がみろ、嫁がみろ、ってのもよく言われる(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6368.html)。
でもさあ、それってどうなん?としか思えない介護世代。
俺はちょっとイヤかな…。
親とも良好に付き合ってきたが、それでもいろいろ犠牲にしてやるのは違うかな、とも思ったり。

とかって考えていたら、血を否定するってのは、この「血がつながってるからめんどうみろ」ってのがイヤなんだな。
それがイヤだから、どうしたって俺は血を否定したくなる。

最近、是枝監督なんかが疑似家族的な映画でヒットしているけれど、なんかわかるんだよな(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5982.html)。
血のつながった家族とは疎遠で、でも居場所としての疑似家族が作られていく、という。
なんなら血よりも濃い感じというか。

それに、血を強調されたら困る人だっているでしょう。
肉親がいないとか、そもそも親と疎遠になりたい人もいる。
親から逃げて来た人もいると思う。
けど、生活保護なんて、探し出してまで肉親に連絡を取るというようなことをする。
血だ。
血の呪い。
それが元になってる世の中って、やっぱイヤだ。

いや、強制されなければいい。
血を全て否定しようというのではない。
けれど、やっぱ強制はいや。

なんてコトをアキと話していたら、アキが「でもさ、そもそも夫婦から家族って始まるのに、夫婦って血がつながってないじゃん!」と。
そもそもが赤の他人なんだから、まあ血だからとか夫婦だからとか某を強要するのはやめましょ、という話でした。





(BGM:趙容弼「釜山港へ帰れ (原語)」from「オリジナルヒット集 Ⅰ」)
→釜山港というのがどういうところかもまったくわからないのに、この曲だけは知ってるというのも不思議なものである。
韓国に行ってもソウルばっかりになっちゃうからな。
今度行く機会がもしあったらソウル以外にも行ってみたいな、と、韓流ドラマにはまってるオレ(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6319.html)は思うのであった。

kimonoichibira.jpg

kanukibochu.jpg

本当のところはわからないけれど。


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





加納さんのお母さんが亡くなって。
お若かったのに、とても残念でなりません。
俺は実際にお会いしたりお話ししたりというのは、ほんの数度で、加納さんの実家に遊びに行ったときとかにちょっと。
優しい方というか、イヤな感じが全くないというか。
加えて、加納さんから漏れ伝わってくるお母さん像とか、加納さんのご姉妹の感じを見ていると、とても立派な方だったんだろうと思うことが多かった。

加納さんは三人姉妹なんだけど、三人というのはお母さんによれば「社会になるから」ということらしい。
二人だと対極にしかならないけど、三人いたらいろいろウマくいくのではないか、というような。
三人よれば文殊知恵、とはよく言ったもんで。

加納さんのお母さんは、定年まで役所的な仕事をしていたということで、それもなんか俺はとてもすごいことだと思っていて。
すごいというのは失礼だし、本質的にはそうじゃないんだけど。
加納さんが、まあ四十年前に生まれた、ということにすると、その時代に障害児が生まれて、でも「仕事を辞めない」というのは、すごい勇気がいったことだと思うのよね。
たいがいは、障害児が生まれたら仕事を辞めてそれに付き合う、みたいなことになっていく。
それがイイとは言わないし、むしろ決してよくないことである。
障害児を産んだからといって、自分の仕事を辞めなければならない社会の状況はいいわけがない。
でも、それがデフォルトの時代、いや、今もそうかもしれない。

その中での、辞めないという決断。
これ、いろいろな示唆に富んだことかな、と思うんですよ。

仕事を辞めたら、やっぱ加納さんが生まれたからだ、ということになる。
そうじゃなくても、時代はそれを要請して、いや強要している。
それに抗って辞めない、という選択は、時代に抵抗している。
まず、彼女は、親御さんは「障害児が生まれても仕事を辞めない社会」を目指していたのだ、というところ。

そしてもう一つ。
ここで辞めてしまったら加納さんが物心ついたら思ってしまうだろう。
「私のために仕事を辞めたんだ」と。
妹二人も、「お姉ちゃんは特別だ」と思ってしまうだろう。
彼女は、きっとそう思わせたくなかったのではないか。

もちろん、実は仕事を辞めない方が大変だったのだと思う。
朝から晩まで動きっぱなしだったのではなかろうか。
障害児じゃなくたって、保育園に預けて仕事に行って、熱が出たといったら迎えに行き、とか、まあ二親いるとは言え、職場の協力だって必要だ。
しかも今の時代ではない。
40年前の話である。

でも、それを選んだというのは、ものすごい決意だったのではないだろうか。

しかも、どっか「姉(加納さん)は特別」という感じが、にじ屋に来てくれる妹さんたちから何も感じないのである。
三人姉妹、という、互いに尊重し、互いにフラットに付き合ってる感じがしていて。
こりゃ、すごく親御さんがステキなんだろうと思っていたら、いやいや、すごい決断と思いがあったんだな、と。

だから、歩けないだけで、加納さんはずっと家族とフラットに付き合っていたし、どっか羨ましいくらいの家族だった。

そのお母さんが亡くなり、葬儀ではお父さんが最後にあいさつをした。
その前に葬儀場の人が経歴を紹介したりする中でも、加納さんが障害者だった、というようなことは一切出てきてなかった。
この一家にはそれは関係ないのだ、という、普段受ける感じをそこからは受けた。
お父さんのあいさつもそんな感じで終わるのかな、と思ったのだけれど。

そしたら、最後の方に、むしろ唐突に「第一子が産まれた時、障害児と知って、二人でとても悩みました」というような一文が入っていた。

その時ね、図らずも俺、涙出ちゃったんだよね。

障害なんて関係ないんだ、って三人の娘を育てた。
でも、あの時、きっと親御さん二人は泣きながら今後のことを話し合ったんだと思うんだ。
それを隠し、ずっと言わず、親御さん二人はここまでやってきたのだと思った。
そして理想の姉妹関係ができたと、自分たちがあの時に悩んで出した結論は間違ってなかった、と、きっとお父さんは思ったんじゃないだろうか。

もう、ここで言っていいんじゃないか、と。
お父さんはそう思ったのではないか。
いや、お母さんと一緒にこの話を、この先いつかわからないけど、いつか二人で娘達にしようと思っていたのではないか。

だから、お父さんはこの時に言わなければ、と唐突にそれを入れたのではないか、と俺は勝手に思ったのだ。

いや、ま、これは俺の勝手な解釈だ。
そりゃ、ホントのところはわからない。
けど、深い愛と、前を向いて、希望に向かって、どんなに小さな希望でもそこに向かっていく強さを、俺は感じた。

生きているから希望がある。
何があっても、世の中がどうあろうと、自分が信じる道をしっかり生きていかなければならない。

合掌。










(BGM:Naoto Nishikawa「Get It On」from「No problem」)
→チェイスが元曲と言うことになりますか。
すごくよくカバーしてると思うけど、まあこちらインストです。
というかね、音圧が伝わってこないのが残念。
まあ、吹奏楽とかでもよく演奏されるから、インストでもぜんぜんイケますけど、やっぱあのボーカルが欲しいかな、と思ったり。

kabukiboshuuu.jpg

hatomiiboshuu.jpg

家族風


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





「家族の温かさ!」みたいな。
「家族として入居者様と一緒に」とか。
ま、そんな感じで「家族のように」みたいなことが美辞的にコマーシャルになっていますね老人ホーム。
これはもしかして障害云々も同じかもしれないが、まあそういう。

この感じをひとまとめに「家族風」ということで話を進めますが。

ま、お惣菜なんかでも「手作り風」なんてのが売り文句になっていまして。
これ、手作り風言うからには、実は手作りじゃない、ということも同時に言ってるわけです。
なにせ「風」だから。
嘘はついてません、と。

たいがい、集団でも「キズナを大切に!」とか言い出すと怪しい。
キズナがない人たちが言う言葉ですねそれ。
俺たちは家族のように仲がいい、とかってのも、もしかしたら家族のように仲がよかったら言わない気がする。
これは経験則なのでなんともだけれど、でもまあ、そんな風に思う。

というか、そもそも「家族風」的な言葉に皆さんは魅力を感じるんでしょうか?
家族言いましても、そんなに俺は家族仲良くなかったし、という人もいるでしょうし、人それぞれかと思うけれど、でもまあ、たいがいの人は「家族風、いいじゃない」となるんでしょうか。

ま、ウチのような障害者の云々で言ったとき、実際に家族のように関係が作られている、というのは悪いことじゃない気がします。
けどまあ社会の仕組みとしてはあまりいいことでもないような気はします。
どっちにも取れるかな。
家族のようなところに預けるとしたら、まあそれって家族でも同じで。
じゃあ家族がめんどうみたらいいじゃない、ということにならなくもない気がします。
でもまあ、本人はともかく、その他の家族の人はそれで安心するのかな。
すげえ自信だな、とも思いますが。
なにせ、「自分のようにこの子の面倒をみてくれたら」ってことですからね。

でも一方で、やっぱ家族ではないわけですから。
だから他人として、仲間として、って部分で、お互いに成長しあう関係が必要、と考えると、「家族風」はやっぱどっか邪魔な気もします。
それに、家族から離れてその集団に属するのだとしたら、やっぱそれは家族ではなく「社会」ですからね。
社会として付き合っていくことが大切なような気もします。

ま、どっちに傾いても駄目な気がします。
これはまあどっちも大事。
だけれど、ウチなんかだとやっぱ後者を大事にしてますね結果的に。

「俺はお前のお父ちゃんじゃないし」とか言うことは時々市丸とかにも言います。
「お父ちゃんなら言わなくてもわかってくれたかもしれないけど、俺はわかんないよ」みたいな。
ま、わかっててもそう言いますね。
「だから自分がなにか言いたかったら、しっかりと皆に伝えていかなきゃ」みたいなことですね。
そして、「なんでケンカしたのよ?」と聞いていく、みたいな。

だから、ことあるごとに「オレは親じゃないし」というようなことを言ってますね。
だからどっちかというと後者ですよね。
市丸とは、一人の大人として付き合いたい、と。

というようなことなんですけどね。
先日、アキの妹と弟が来まして。
というか、弟が地方で仕事をしているんですが、まとまった休みが取れたというので来たんです。
二人とも学生時代はよく手伝いに来てくれていたんです。
だから井上たちのこともよく知ってる。
なんなら覚えているヤツもいて、井上なんかは、弟をして「○○くん、元気?」なんて時に言ってくる。
なんで、じゃあ皆で飲んだらいいか、となりまして、こっちに来てもらって皆で飲んだんですね。

そしたら、まあ元々知ってる仲ですから大いに盛り上がってそれはよかったんですが、妹は「アキちゃんの家族に会えて良かったよ」と。
「なんかもう皆家族じゃん」と言っていて。

いや、これは褒め言葉をもらったな、と思ったんですが、まあ冒頭の言葉とあわせて考えるとデスね、俺たちは「家族を目指していない」んですよね。
彼らにとって社会になろう、と思っているわけですから。
でも、その中でやっぱ信頼感というのはできてくるわけじゃないですか。
もっと言えば、彼らにとって社会がもっと彼らにとって信頼が置けるモノだったらいいわけですよ。
障害者だからといって仲間はずれにしたり、レジで「知的障害者は遅いんだよ」って舌打ちしなければいい。

ま、ここは社会ではあるけれど、そういう「意地悪」はしないですからね。
逆を言えば、彼らが安心できるのが「家族」だとすれば、社会が家族になればいい、ということは言えなくはない。
しかしまあ、社会は社会。
それも大切にしたい。

つまりですね、家族風を目指す、ってのはやっぱダメだと思うんですよね。
それはそれ以上世界が広がらないじゃないですか。
家族風はあくまで結果そうなる。
むしろそれを拡大し社会を家族に変えていく、ということであって、「我々は家族としてあなたを迎えます」ってのは、やっぱそれはどっか怪しいと俺は思うんだけど、多くの人は「家族風」に惹かれるのだろうか。






(BGM:越路吹雪「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」from「越路吹雪Best&Best」)
→いわゆるムード歌謡の王道って感じですね。
正直、歌詞が入ってこないのは、きっとバーの歌なんだろうな、女がフラれるんだろうな、でも待ってるとかなんだろうな、とかそういう思い込みがあるからかと思われる。

kabukiboshuuu.jpg

hatomiiboshuu.jpg

「できない客」のコトも考えてみなさいよ


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





JRで指定席などを予約しようとした場合、障害者割引だとか車いす用だとかの場合、窓口に行かねばならない。
いろいろ不正防止ということなんだろう。
そこはまあ防止してもらいたいが、障害者手帳とかを確認するのは手作業で行う、ってことなのだろう。

一方で、ネットでも新幹線とかは車いす席とかじゃなければ買える。
なんなら、スマホだけで発券もしなくてイイとかなんとかCMでやっていたりする。
ま、便利でイイと思う。

が、よくよく考えたら、確率としては普段駅に行く人が母数として少なかろう車いすの人が窓口に行かなければならなくて、普段駅を使ってる人が窓口に行かなくても買えるというのもなんだかおかしな話である。
それもこれも不正防止のため、お願いします、と言うことなのだろう。

が、まあこういう風に「手数」がかかりすぎてめんどくさい、もう障害者割引じゃなくていい!という感じになるのもどっか経験上あるような気もしている(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6333.html)。
つまり実際に使えない、という。

ま、だから要は「不正防止」なのである。
そこをクリアしなければならない。
というか、まず障害者割引を悪用した人をまず厳罰に処すべきかと思うが、まあそれはあまり聞かないけどどうなんだろ。

そんなこんなの毎日の中、こんなニュースが流れてきて。
「ネット申し込みできる電車乗車券の障害者割引」というものだ。
そりゃいいと思ったら、よく読んでみると「利用の前提として、障害の情報が入ったマイナンバーカードをマイナポータルへ登録しなくてはならない」という。

…ふむ…。

ただね、これマイナンバーカードについては障害者でいろいろあって、そもそも「顔写真の背後にヘッドレストが写っていたことなどが理由で、カードの申請自体が却下された障害者もいる」という。
もう論外。
他にもよくよく考えれば、自力でマイナンバーカードを取得に行けない、と言う人もいよう。
そもそも管理が難しい人もいる、というのは何度も書いた。
それ以外にもカード側の問題で、障害の状況を他の人に紐付けしていた問題、なんていうシステム上の問題も出ていたと思う。

にもかかわらず、いや、やっぱここでもマイナンバーカードかよ、と。

どうもそんで、マイナンバーカードを使う理由が、「国からのご指導を踏まえシステム開発を進めてきた」ということらしい。
つまりまたしても国のごり押し。
保険証と同じ感じである。

そもそも「任意」であるはずのマイナンバーカードについて、それを持ってる人持ってない人で処遇に差をつけてイイのだろうか?
いやダメだ←即答。
そりゃおかしい。

国がやってる半強制的な感じはもううんざりだから、だったらもう「義務化する」ということにしちゃって論議したらどうなのだろうか。
全国民に持たせたいんだろ?
だったら、義務!ということで論議したらいいのに。
任意のママいろいろ半強制的に押しつけるからおかしなことになってるんだろ?
…ってか、それができない理由でもあるんだろうか?

というわけで、このマイナンバーカードが必要というのはJR東とJR西だそうで。
どうもJR東海の新幹線のネット予約では、マイナンバーカードは必要ないとか。
発券時に駅の窓口で障害者手帳を提示する、というシステムらしい。
これ、もうすごく簡単。
どっちにしろ乗るときに発券すればいいんだから、いいじゃない、それで。
乗るためにはそもそも駅に行くんだから。
駅に行って発券するんだから。
切符を買うようにそこで発券する、いや、目からうろこの簡単なシステム。

そう考えると、西と東、なんでマイナンバーカードが必要なのかわからないわね。

つまりはこれは国のごり押しに屈したということなんだな。

こういう顧客のことより国のいうことに屈してしまう企業、もうなんだか見てらんないですね。
一応、民営なんだよね。
国に従う道理もない。

使う人のコト、具体的にちょっと考えてみたらいいのに。
市丸にマイナンバーカードって、暗証番号どうするの?
それにたぶん、これまでの紛失経歴を考えると、カードなんか真っ先になくすよ?マジで。

もうちょっと「できない人」のコトも考えてもらいたい。
そういう客のための障害者割引でしょうに、そもそも。







(BGM:Joanna Newsom「Monkey & Bear」from「Ys」)
→ちょっとね、怒られるのかもなんだけど、戸川純さんが歌ってるのかと思った…。
どっか歌曲のような感じすらする複雑なメロディーラインなんだけれど、自由に跳ね回る感じの歌声がそこにマッチしていく。
なんかハマる。

kabukiboshuuu.jpg

hatomiiboshuu.jpg

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE