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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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「相談に来いよ」というハードルの高さ


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つうわけで、健康診断ってのが年に一度あるんだけど。
二三人が一組で行くんだけど、オレは今年はミツと市丸と一緒だった。

いろいろとメンドウはありますけど。
細かいところというか、例えば受付で「提出物の確認お願いします」みたいなのが、パッといかなかったり。
これ、まあどうでもいいんですよ、受付の人サイドにしてみても。
今は病院とかもいちいち確認したりしなきゃならない、みたいな、コンプリートルネッサンス?だか、コンプレッサー?かなんか、そういうのがありますよ。
だから、まあやってるわけでしょ。
「はいはい。OKです」と言えばいいわけなんだけど、それがまあ市丸なんかはサッとわからないからさ。
向こうもまあ、一からやり直さなきゃならなかったり。

ま、一からやり直すのはそれはそれでいいんだろうけど、それがまあ、そもそも難しいわけで。

てなわけなんだけど、実はこの病院で健診をやるようになって二年目なんだけど、その前は違う病院で。
いろいろありまして、この病院に変わったんだけど。

今年は、その辺、「あ、こういう人たちなのね」というのがわかってくれてるというか、そういう感じだったんで、なんかスムーズにいきました。
向こうさんのコミュニケーション能力が上がった、というか。

具体的にどうこう、ってのは言えないけど、なんか楽でしたね。
ま、つまり全体的にわかりやすく言ってくれるようになったというか、例えばモノを見せていってくれたり。
一回そういう感じになると、彼らも向こうの人との雰囲気を「イイ感じ」って受け取るから、一気に好転するんだわ。


これね、話をしにいって、向こうが紋切り型だったりすると、彼らは身構えちゃうんだ。

ま、でもそれはコンビニなんかだと普通のことというか、向こうさんが悪いわけでもないんだと思うんだけど。
パッとわからないでしょ、市丸がちょっと、というかかなり理解力が足らない、とか。
だから、それを責めるつもりはないんだけど。

でもまあ、最初そうだったとしても、話をすればわかるじゃない。
お金のやりとりでもなんでも、「あ、コイツはちょっと理解力足らんな」と。

そうしたら、まあそこでそれにあわせた対応、つまり、この病院の人のような感じしてくれさえすれば、そこで二人の対応は好転して、彼らも次、身構えることはないと思うんだが。

でもまあ、気づいてもわかるように説明してくれない人もいる。
いじめてるんだか、「てめえこんなのわからないのか」って自分の不満を市丸たちにぶつけてるんだか、そういう人も多い。

そうなると、ミツなんかは「あのコンビニは俺のコトをバカ扱いするからイヤだ」となる。


ま、とはいえコンビニなんかだったら、別に行かなきゃいいわけだし、それで済む。

これが、役所だったりしたらどうか?
彼らが施設にいたとして、施設の職員とか、相談しなきゃならない相手がそういう感じだったらどうか?
あ、学校の先生とかもあるかな。

これ、もう一気に身構えちゃって、「しゃべるのが怖い」となる。
となると、話をしなきゃならない、相談しなきゃならないことがあっても、彼らはその「怖い」が勝っちゃって、行かなくなっちゃうんだな。
というか、「行く」って思い起こせなくなる。

というか、彼らはけっこうそういう目にずっと遭ってきてて、小学校や中学校でいじめられてきて、そもそも「友だちに頼る」なんてことすらできない。
中には、親に頼れない、というのもいなくもない。

つまり、話を聞いてくれる人以外は、彼らにとっては敵なのだ。
意識はしてないんだろうけど。

で、なにか困ったことがあってもガマンしてしまう。
例えば、家で洗濯機が壊れていてもガマンしてしまう、とか。

そして、それを続けていると、どんどん「外に相談する」「外に思いを排出する」って機能が低下していってしまうのではないか?と彼らを見て思う。
一人の殻に閉じこもらざるを得なくなり、独り言で誰かに相談しているモノの、誰にも相談できているわけではなく、そのままそのままの時間が過ぎ、一日が過ぎ、十日が過ぎ、一年が過ぎ…。
その繰り返し。

医者にももしかして痛さを相談できなかったとしたら、彼らの痛みは我慢にガマンを重ねて悪化するだけになってしまう。


よく単純に「相談すればいいじゃないか」なんていう人がいるけど、そもそも、それって難しいんだわ。

おそらくこれ、知的に障害があるから、だけじゃなくて、生活に困窮してる、社会生活になかなかうまく適応していけない、みたいな場合でも同じだと思う。
あっちでイヤな思いをし、コッチでイヤな思いをし、って繰り返して、どんどん「自分の殻」だけが自分の社会になっていってしまう、という意味で。

そして、その殻を打ち破る、自ら相談に行くとかね、そういうのって、彼らの努力とかじゃなくて、その殻を外側から崩さなきゃだめなんだわ。
その殻は、彼らにとっては、彼らが生きていくために作った殻なワケだから。
それを自分で破りなさい、ってのは、死になさい、ってコトを言ってるのと同じなの。

「相談に行く」というハードルは、そういう高さである、ってコトね。








(BGM:松居直美「ギザギザハートの子守唄」fromYOUTUBE)
→いや、まあどういう経緯なんでしょうかね。
やっぱりこの人には演歌が似合うなあ。
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専従募集


まあ、西永福のライブの前だからずいぶん前になりますか。
ウチの事務所がある自治会の盆踊りに行ってきましたけど。
ま、もうね、毎年席まで準備していただいて、本当にありがたいことこの上ないんですけど。

イチマルなんかは「明日のライブと盆踊り、どっちに力入れるわけ?」と聞いたら、迷わず「盆踊り!」言うてましたわ。

…おいおい、と。

ま、練習、なんてのもあるんですよ、盆踊りには。
ちょっとちょっと井上を中心に行けるメンバーが参加してたりもしてて。
練習の様子は正直まったくわかりませんけど、井上とコバ、とかで行ってるんで。
でもまあ、彼らのことだから、すげえ真剣にやってると思うんだよね。

アキが自治会の方なのか、そういう方から聞いたらしいんだけど、「いや、みんな踊り上手くなってるわよ」って。
…う~む…とちょっとアキと笑っちゃったんだけど、でもまあ、なんかね、思ったんだけど、すげえみんな自信ある感じというか、おどおど感がなくて、「俺が踊らなきゃ!」みたいのがあったりして、その辺、なんか彼らの素直さだなあ、と思ったり。

その辺がまあ、みなさんに気に入られたのか、婦人会に混じって踊り続ける部分を買っていただいたのか、よくしていただいて。


ま、これもなんか、別に「参加しましょう!」みたいなことを最初は言ったかもしれないけど、いつの間にかね、こう、年中行事になりました。
この日にライブのオファーがあってもちょっと受けられないな、みたいな感じもあったりします。
…って、そう考えるとイチマルの云々もそう間違ってないのかもしれない…。
いやいや、そういうことじゃないけども。


そしてね、いろいろな方が声をかけてくれる。
にじ屋のお客さんもいますし、近所の付き合いというのもある。
こんにちわ~なんて市丸が言われてたり、アキがまあいろいろな人と話してたり、アキに聞いたところによると、「虹の会のみんなは、普段通りかかっても挨拶してくれて嬉しいのよ」みたいなこと言ってくれてた人もいたそうで。

そうね、この「挨拶」。
しよう、というのは、けっこう言ってました。


たまたま、3・11の前に思い立って地震の話をしたことがあって。
その時に、「とにかく何かあったら避難所に行って、騒がない。必ず迎えに行くから、静かに待ってろ」ということをまず言いまして。
加えて、「必ず普段からよく見る顔の人は挨拶しなさい。マラソンでも通り過ぎる人にはおはようございます、とか言いなさい」ということを言いました。

これはちょっとコスイ考えですけど、そうやって普段から挨拶していたら、避難所でよくしてもらえるんじゃないか、というところがありました。

みんな一緒の時に地震だの災害があればいいですけど、ってない方がいいですけど、バラバラの可能性もある。
休みもバラバラなので、みんな一緒、とはいかない。

3・11の時も、自閉症の子がうまく溶け込めなくて避難所には入れなかった、みたいな話もずいぶん記事とかになってました。

なんで、やっぱ心配は心配で。
でも、普段挨拶してたら、「あ、この人はにじ屋の人だ」ってわかってくれて、まあ避難所の仲間に入れてくれるんじゃないか、というね。


イチマルとビラを配っていると、俺は知らない、沢山の人がイチマルに「がんばれよ!」なんて言ってくる。
後で誰?って聞くと、「◯◯さん、にじ屋のお客さん、実家は岡山」とか、実家をなんで知ってんだよお前…、という。

でもね、それだけ、まあ普段からいろいろ話してる、ってことだろうな、と思うんだわ。


相模原の事件があって、鍵をかけましょうとか、そういうことを言ってるところも沢山あるし、実際に、作業中は外から鍵をかけるというところもあると聞きます。
でもね、それ、どうなんだろう?って思うんです。

もうね、攻めるしかないんじゃないか。
いや、攻めるって言い方はよくないけど、なんだろう、もう思い切ってこっちから出て行っちゃったらどうなんだろう?って。

イチマルや井上たちが近所の人に挨拶して、挨拶される、その堂々とした姿を見ていると、俺はそれは不可能じゃないんじゃないか?と思うのだ。

そして、彼ら知的障害者にも一人一人名前があるんだ、ということをもっと沢山の人に理解してもらうことが、あのような事件を防ぐ一つの方法なんじゃないかと。
いや、この方法以外に、正直何も思いつかない。










(BGM:田山雅充「愛することから始めてみませんか」fromYOUTUBE)
→「愛することから始めてみませんか、僕と歩き出しませんか」
う~む。
確かにまあ、そうかもしれんけど、かなり強引な告白じゃないかという気がする。

「すいません」の違和感


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にじ屋で値段つけの作業なんかをしていて思うことなんだけど。

まあ、会計をコバがやっていたりして、時折、お客さんとのやりとりで、上手くいかない時がある。
そういう時、間に入って「ああ、そうですか、なるほど、それなら云々」というようなことでその場はまあ自然に治まるというか。

コバや井上なんかは、イレギュラーにやっぱ弱いですから。
そしてそもそも健体者に対して弱い。
もうなんていうか、健体者の言うことは絶対、みたいな幻想を抱いているから、例えばお客さんの側のミスや誤解だったとしても、簡単に否定出来ない。
で、まあ簡単に解決することも、解決になかなか至らない、ということがあります。

何度も「健体者だから偉いってワケでも、何でもわかってるわけじゃない」「少なくともにじ屋にはにじ屋のルールがあるわけだ」と言ったところで、アタマではそれは井上なんかはわかるんだろうけど、身体が受け入れない。
まあ、この「健体者社会」で、道の隅っこを歩いてきた彼らにとって、それは異常と言ってもいいくらいの縛りになっている。

ま、それはそれで問題なんだけど、ちょっと置いておいて。


今回はその俺がお客さんとの対応に入っている最中のことについて書きたい。

先日、そういう感じで、お客さんが買ったモノを預かってほしい、ということがあって。
車で改めて取りに来るから、とのことで。
まあ、簡単な話なんだけど、コバはちょっと固まってしまった。
それをまあ近くでカブキと値段付け作業をしていた俺が気づき、間に入って、それはそれで何ということもなく終わったんだけど。

そのお客さんとの俺のやりとりの間に、カブキが、「すいません~」って言ったんです。

すると、お客さん、取りに来る話をしているのに、「あら、呼んでるわよ」みたいな感じで、話を止めたんです。
なんていうか、「お世話しに行くんでしょ?」という感じで俺を認識していた、と言うことだと思うんだけど。

つまりまあ、障害者が呼んでいる=自分の今の話より重要、という感じの対応だった。


これですね、重大なポイントは、カブキの「すいません」という言葉なんです。

「すいません」というのは、何かをお願いしたい、とか、そういうことですね。
そのための「接頭辞」として、カブキは使ってるわけだけれど、ちょっと気に入らないんです。

気に入らないというか、ウチで「すいません」を接頭辞として使うのは、あとオグラだけ。

他は、「佐藤さん、コレ頼むわ」とか、「アキちゃん、これどうするの?」「外口さん、これなに?」とちゃんと聞く。

その中で、「すいません」から始まる彼らの言葉は、ものすごい違和感なんですよ。


何が言いたいかというと、オグラやカブキのように、他の施設から来た人は、とにかく自分の言いたいことを言う前に「すいません」をつけるんです。
「すいません、◯◯なんですけど」と、「誰にいうでもなく言う」んですね。

つまり、「すいません」が職員を呼ぶ「合い言葉」になっている。
そして、職員が気づかなければ、手が空いてなければ、「すいません」を彼らは言い続けていたんだろうと思う。


でも、本来、言葉ってのは、誰かに伝えて初めて言葉になるわけです。

だから、我々としては、まず彼らに「誰に言いたいのか?」「誰に伝えたいのか?」ということを聞きます。
ウチには、別に健体者と障害者を分けることもないから、例えば「ノブに聞きたい」ということだってあるわけだろうし、そうやって井上や市丸たちは仲間という輪を作っている。

それを、「すいません」といって話を始めちゃうと言うのは、もう「誰かに伝える」という宛先がなくなっちゃっていて、「誰か気づいて」でしかない。

逆に、そういう場面だったら、「すいません」でいいんだけど。
誰も頼りにする人がいない場面であれば、例えば駅ではぐれてしまったりしたら、「すいません!」と大声を張り上げることもあろう。
それは「すいません」の使い方として合っていると思うのだが、確実に「俺に」という宛先がはっきりしているのに「すいません」というのは、やっぱり言葉の使い方としてはちょっとどうかな?と思うんだ。

だって、すいません、って謝る言葉でもあるわけでしょう。
なんで、いちいち俺に何かを伝えるたびに謝る必要があるんだ?
そんなに卑屈になるんじゃないよ、と俺は思うわけ。

だから、我々は、「すいません」と言われれば、「すいませんという人はいないが、誰に言いたいのだ?」というのをまず聞くことにしてるんだけど。
もっというと、経験的には、もう彼らにとって「すいません」は意味がなくて、つまり、その先に「伝えたいこと」なんかなくても、「すいません」と言ってしまう。


そして、この「障害者が言う、すいません」というのは、一般の方にはけっこうな破壊力があるんだよね。
というのも、「障害者には優しくしなさい」という教育をずっと受けてきてるでしょ。
「すいません」=困っている、みたいなことで認識されている。
だから、彼らの発する「すいません」との落差があるんだよね。
そういうことはまあ、一般の方にはわからないから、先のような反応になるんだろうと思うんだが。

もちろん、先に書いたような「誰でもいいから助けて!」みたいな場面においては、確かに「すいません」は、ちゃんとした「すいません」なんだけど、カブキがそこで俺と一緒に値段ツケをしていたという状況の中での「すいませ~ん」は、もう誰にも言ってない、というのと同じなんだよね。
だって、俺に言いたければ「佐藤さ~ん」と言えばいい。
もっと言えば、俺と値段ツケしているという現実も「すいません」という言葉一つで吹っ飛んでしまう、と言う風にも言える。


それと、「すいません」をつけて悪いことないじゃないか、丁寧じゃないか、という意見は、彼らを卑屈にするだけだ。
「すいません」をいちいち仲間内でつけることはない。
そんなことを丁寧だなんて持ち上げていたら、彼らはずっと謝り続けなければならないではないか。
すいません、は謝りの言葉だ。

謝らなくていいんだ。
誰かに話を聞いてほしい、と言う時、もちろん、時間を割いていただいてありがとうございます、なんて場面はあろうが、そうじゃなくて、普段の仲間内の会話の中で、「それとって」「これなに?」ということにいちいち謝らなければならない理由なんか、彼らにはないはずだ。







(BGM:平幹二朗「周知の事実」fromYOUTUBE)
→歌劇的な歌がまあ素晴らしいけど、歌声はちょっとハリがなく、やる気はあまり感じられません。
「男は40から~」
男は年と共にモテる、という主張なんですけど、それはどうかな~。

「めんどくせえよ」って言えばいいと思うんだよね


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世の中には「小さな悪」、というのがあるでしょ。
例えば、立ち小便しました、みたいな。

よくないことですね。
でも、切羽詰まっていたら、しかたなく立ち小便したりすることもあろうか。
ま、これは生理現象なので、ちょっとなかなかそれを理由に「それはすべきでない」「ガマンすべきだ」というのもちょっと愚な感じもします。

では、こんなのはどうか。

障害者が車を所有していることにすれば、車の税金?がただになったりします。
なので、普段は別々に暮らしているし、ほぼ本人は乗ることはないが、自分の子どもが障害者手帳を持っているからということで、息子の持ち物、として車を使っている、とか。

これはまあ、つまり立ち小便よりも、「自制できる」ことだから、なんかもっと「悪」な気がしますね。

まあ、息子が障害者であることで、たくさんの不都合を抱えてきたと思うんですよ。
つらいこともたくさんあったと思うんですよ。

息子が障害者じゃなかったら、息子が小学校に上がればパートにも出れたかもしれないし、そもそも、車なんか運転したくなかった。
でも、自由に外に出すこともできないから、無理して免許も取った。
そして、車も買った。

そういう流れがあるから、「今」ほとんどその本人が車を使っていなくても、その「不都合」「不利益」を、そこで埋めよう、というのも、わからなくもない。

だからまあ、「絶対的な悪」というより、なんか「小さな悪」というか、ある意味小市民的というか、そういう風には思えるんだけど。

同じように、障害をもった子を扶養家族にいれ続けている親もいるけれど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-1979.html)、それもまあ、上記の感じはある。


小さな悪、という意味では、知的障害者である井上達を「だます」みたいなこともあって。
あ、いや、詐欺でだますみたいなのは、もう小さくないと思うんだけど、いわゆるどっちかというと井上達から金をだまし取る、みたいなのは、もうサイテイな悪だと思うんだけど。

そうじゃなくて、まあ、「子ども相手」みたいなことですね。
例えば、井上達に明日出かけよう、といわれて、特に用事もないけど「用事があるから」って断る、みたいな。

ま、「行きたくない」って言えばいいんだけど。
疲れてるから、とか。

というかですね、まあこういうことってのは相手が知的障害者じゃなくてもあります。
テキトウに断る、みたいな。
だから、それを全て否定する気はサラサラないのだけれど。

ただまあ、これって、彼らとしても「近しいと思ってる人」に言うことなんで。
どうしても、こう「嘘をついてでも、その近しいと思ってることを否定したくない」感じもあるんだよね。

でも、それがあまりにも稚拙だったりすると、もう話にならない。
だますのなら、ちゃんとだませばいいのに、って思うワケ。
じゃなくても、彼らは「だまされてる」とは思わないわけだから。
それが稚拙だというのは、あまりにも彼らを「バカにしてる」ってことになる。

だからまあ、なんか、大きなウソ、大きな悪、というより、なんか小さな悪というか、ちいさなバカって感じがするんだけれど。

今はもういない健体者の専従が、井上にこうしてほしい、ああしてほしい、といわれて、「私は●●だから」って一生懸命弁明してた人がいたんだけど、それってどう考えても●●が理由じゃないのは、俺らから見たらすぐにわかるわけ。
というか、完全に理由じゃないんだけど、それ、2割だよね、というか。
けどまあ、井上はそれで納得しちゃうんだけど、でも「なんかおかしいよな」とはちょっと思っていて、その辺で結局わだかまりがずっと残ってしまうんだよね。

そういう風に、「小さなウソ」の関係からはじめてしまうと、けっこう彼らとの関係はうまく行かないことが多い。
結局、その人も井上達を裏切る形でいなくなった。


ま、井上達自身がなかなか「嘘をつけない」人たちだから、逆に言えば、もう正直にいればイイとは思うんだけど。
「めんどくせえよ」でもイイと思うのよね。
その上で、まあどういう関係をお互いに作るか?でしかないから。


そうじゃなくて「取り繕おう」とするからうまくいかない、というか。
小さなウソでも、小さく続けなければならないウチは、もうどんどん嘘をつき続けなければならないわけで。

先の車の所有者の問題も、どっか突っ込まれたら、困るよなあ、とか思いながら車に乗るってのも気分よくないんじゃないか、と思うんだけど、でもまあ、はじめてしまえば、小さな悪も続けなければならない。

小さいからいい、とかそういうんじゃなく、小さくても悪は悪。
それを続けるにも苦労がいる、って話。

だったらば、もうそれをやめるか、続けるか、どうするか?って話なんですけどね。
その判断で人は二つに分かれるんだろうな。







(BGM:川辺妙子「ミッドナイト東京」fromYOUTUBE)
→当時の歌謡曲のお手本のような曲、歌唱。
これは聞いてて気持ちがいい。

ふざけるな


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しかし、死ぬ、ってどういう感じなんだろうか。
アイコっち(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4316.html)は、よく「とにかく死なないでまた会おう」ってよく言う。

今回、藤井が死んで、すぐに自分の中に沸いた感情は「怒り」だった。
「てめえふざけんなよ!」である。

まあ、そりゃそうなんだが、そういう通常のアレに加えて、彼の場合は、虹の会のいろいろなことを抱えすぎていた。
本来はもっとクリアーにやってくるべきだったのだろうが、任せっきりなコトも多く、正直、いろんなパスワードもわからない。
手続きの書類の作り方がわからない。

ま、つまり現実的に「ふざけんな」である。


さて、虹の会なんてのは、本来あるべきじゃない会だと俺は思う。
というか、藤井ともよくそういう話はしていたし、まあウチでやってるみんながその「自己否定」の中で闘ってるわけなんだが。

つまり、障害者が自由に住む場所を選べて、自分で介助者なんか教育しなくても、イイ介助者が送り込まれる、という状況であれば、ウチみたいな会は必要ない。

よくよく考えてみれば、そういうことがあって、はじめて「障害のない人と同じスタートラインに立てる」って話なワケです。
つまり、障害者手帳がない人の多くは、トイレには、自分のタイミングで行けるわけでしょ?
なにも考えなくても。
多少、トイレが混んでいてなかなか入れないことがあったとしても、まあ、基本は行ける。

だから、そう言う状況になってはじめて「同じスタートライン」であって、そこから競争したらイイと思うんだけど、実際は、やっぱ簡単にはトイレに行けない。
それはトイレのハードの問題もあるし、介助が必要な場合は、その人にストレスフリーな介助をしてもらうために教育も施さなければならない。

つまり、その労力をトイレに関して裂かなければならない時点で、もう同じスタートラインじゃないのである。
これはまあ、トイレだけじゃない。
メシも、風呂も、着替えも、買い物も、まあ、全てにおいてそういうことになる。


ま、だから、我々としては、そこを目指していくわけで、つまりは「せめて同じリングに上げてくれ」って話で。
というか、「それが福祉の仕事だろ?」という。

ってか、俺たちがその福祉の手先になって介助者を派遣しなきゃいけない、ってのがそもそもおかしいわけ。
制度がどう、事業所がどう、そんな「状況」をいくら説明してくれようが、基本は、こんなこと当事者が「しなければならない」のが、おかしいのだ。

ただ、同じリングに上がりたいだけだ、って言ってんだ。


だから、今俺たちがやってることは、本来「しなくていいはずのこと」なんだ。
法の下の平等というのであれば、こんなことしなくていいはずだ。

けど、まあやってるわけ。
やらなきゃしょうがない。
やらなきゃ、もう施設に入って、メシから全てにおいて自分の意思を殺して生きるしかない。
そして、そこで、実際意思だけじゃなくて、本気で殺された人たちもいるわけだけれど。

というか、そもそも今、憲法、守られてないわけ。
法の下の平等なんかじゃないんだから。
だからしょうがない、やるしかない。

文句言うしかない。

それも、一人の声じゃ小さいから、みんなで束にならなきゃならない。
そのために、知らない人たちのために、「車いすでは自由にトイレに行けないんだよ」って伝えなきゃいけない。

だから、文章も書く。
音楽にもする。


でも、ホントは全部、めんどくせえんだよ。
勘違いしてる人もいるんだけど、こんなの趣味でやるレベルじゃないからな。
好きでやるレベルじゃない。
いや、30年前、はじめた頃は、今のようにお金の根拠となる制度もなかったから、とにかく地獄だった。
一刻も早くここから抜けなければ、俺の人生は真っ暗だとも思った。

でもまあ、一歩一歩、なんかまともになってはきたわけだが。
ま、今はね、もうなんか、新しい人は、昔の話なんかは関係ないし、そんなに話もしないからわからないかもしれないけど、でもまあ、コアにいる我々はそんな風に思ってはいて。


そういう意味で、今一緒にやってる連中は、「好きでやるレベルじゃない」ことを、まあ「めんどくさがりながら」一緒にやってる戦友ってことになる。
一人だったら、もう死にたくなるような、消えたくなるような、いや、実際消えた人もいたけれど。
そのくらいのことを、毎日いっしょにやっている戦友。

ココは企業じゃないし、職場でもない。
戦場。
そして、一緒に働くのは、戦友。
これは俺たちの認識だ。

その一人が藤井だったわけだ。

だから、藤井に一番に言いたいのは、まあ「なに、先にイチヌケしてんだよ、あほ!」と。
いや、俺たちはナニも死にたいわけじゃない。
抜けたいわけじゃない。

でもさ、んな先ヌケ、許せるか?
だって、ここまで一緒に苦しんできた一番の仲間といってイイ藤井だぜ。

ウチらのリーダー、精神的支柱だったと言ってもイイ。


そんな意味も含めての「ふざけるな!」である。


いや、だから、アイコっちの言葉を借りれば、これは反転した「死ぬな」なんだろう。
ま、藤井も好きこのんで死んだわけじゃない。
突発事故だったのだからしょうがない。

でも、「ふざけるな」である。
その言葉以外に、なにも今の俺には浮かばない。

俺がいつか死んで、向こうに行ったら、まず藤井を見つけ出してぶん殴る。

ふざけんな。



訃報

虹の会前事務局長藤井義則儀
去る1月1日に永眠いたしました
ここに生前のご厚誼を感謝し謹んでご通知申し上げます

なお 葬儀告別式は下記の通り執り行います



一、日時
通夜式  1月12日金曜日午後6時から

葬儀告別式 1月13日土曜日午前11時30分から13時
一、式場
蓮昌寺会館
さいたま市浦和区駒場2-3-4 電話 048-887-7676



2018年1月7日

どんなに障害が重くても地域で暮らすのがあたりまえ・虹の会









(BGM:Isao Bito Blue Comets「Work Song」fromYOUTUBE)
→いや、もうこれかっこいいったらない。
「まだ娑婆には帰れない」
「この鎖逃れて あの娘に逢いたい」
これカバーやりたいな…。

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