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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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お客さんにしない (番外編)


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専従募集


実は前回の原稿はもう数ヶ月前に書いてあったモノでした。
そして、そこに書かれたことは、それよりも数ヶ月前、なので、もう全体としては半年くらい前の出来事ということになります。

井上たちが専従に対して「いいたいこと」、というのを、紙に書いて持ってきた。
それを、みんなで話をして、というのをやったわけですけど。

その後、半年くらいたったある日、ミツと井上がウチに飯を食いに来たときに、急にこのときの話を始めました。

「今年、一番の出来事は、あの紙に書いたことだった」と井上は急に始めた。
オレと一緒にいたアキも、一瞬なんのことだかわからなかった。
なにせ、このことは半年も前のことだ。

で、いろいろ聞いてみると、このときの紙に書いてオレに持ってきた、という話だということが判明。
聞けば、この事がとにかく今年一番の出来事。
一番よかったことだ、と。

なぜなら、その後、外口さんはとても話しやすくなったし、ミツにいわせれば、「外口さんが怒ってたのは、オレたちのことを考えてくれてたからだ、ってことが今はとてもよくわかる」とも言っていた。

そういえば、「外口さんとは出かけたくない」と書いていた井上は、外口さんにお願いして、一緒に競馬に行く計画を立ててもいるらしい。


この間、前回書いたように、外口さんは彼らから出た紙に書かれた意見に対し、一つ一つ説明をしなかった。
けれども、何かは彼らに伝わったということだ。
半年かかって。

あの紙がターニングポイントだった、ということなのだろう。
井上たちにとっても、おそらく外口さんにとっても、一つのいい出来事であったことは間違いないのだろう。


ミツと井上は家が同じアパートの隣同士なのだが、聞けば、休みが同じだった日などは、ベランダで鉢合わせするときもあり、その時とかに、紙に書いたようなことを2人で話していたんだよね、と。
それがまあ、オーバーに現れた、というのはとてもよかったんだろうな。

言いたいことがあっても、「どうしたらいいかわからない」というのは、出口がなくて苦しい。
よくまあ、愚痴の言い合い、みたいなことが世の中にはあるけれど、似たような感じというか、変わりようがないことというのは、けっこう苦しいものだ。

「障害を持った子は毎日が変わることを嫌がるんですよ」などとわかったようなことを言う人がいるが、「変われる可能性があるけど、とりあえず変わらない」と、「変わらないことを強制される」のは違う。
施設のメニューが毎日同じ事の繰り返し、明日もあさっても、という場合、もうそれは「変える方法がわからない」人たち、にとっては、それは強制と同じである。

だから、その施設のメニューを変えよう、というのも一つの考え方なんだけど、オレはそうじゃなくて、「まわりを変えさせる方法を身につけさせたらどうか」というね、そういう意味で、このことはよかったな、と思うわけです。

まあ、ウチはいわゆる「施設」ではないし、毎日のことが決まってるわけでも、毎年のことも決まってない。
行事、があるようで、ない団体でもある。
けど、まあ「変えたいことがあって、それを変える方法の一つが、紙に書いて誰かに渡す」、ということが分かったというのは、中身のみならず、彼らにとって今回の一つの成果だったように思う。


ま、この「紙に書く」というの、なかなかよかったな、と思って。
けっこうこの時点では苦し紛れだった感じもあったけど。

彼らはやっぱり、「違和感があるな」と思ったときに、すぐに反論できないんだよね。
いや、「違和感があるな」ということすら怪しい。
つまり、「意識が表面化していない」というか。


この呑んでいるとき、井上は同時に「2人は(オレとアキは)いつも、すらすら話が出るけど、オレなんかは「何話したらいいか」って考えちゃう」と。

「いや、別に、この魚がうまいと思ったら、うまいね、って話してるだけだよ」などと会話を続けていて思ったのは、つまり、彼らは「この魚がうまい」とは思ってないのかもしれない、ということだ。
いや、うまいとは思っているが、それを「言語化して」うまい、と認識しているわけではないというか。
そういう感じをちょっと思ったんだな。

そう考えると、彼らに必要なことは、「今の心の中を言語化する」ってことなんだよね。
その一つが、まあこの紙だったかな、と。

そんなことを思いました半年後に。




(BGM:東ひかり「ネオンばなし」fromYOUTUBE)
→ジャケはけっこう若い洋装の女性のすてきなポーズなんだけど、曲はド演歌。
「酒のさかなに聞かせてあげる 惚れて尽くした艶話 私が女になったのも~」
…いらんいらん。
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専従募集


先日、まあつくづく思ったんだけど。
知的障害者のガイドヘルプとかのことを、介助者とか、まあ支援者とか、言います。
ウチの場合は、まあなんの名前もつけてないので、例えば森さん、とかTAROさん、とか名前ですね。
職種の名前をつけていません。

で、ですね、知的障害者の場合、そして子どもだった場合、やっぱ「親が出る」ってことが、結局は大きかったりする。
カブキが、以前に使っていたヘルパーの事業所も、カブキが電話を入れて時間の変更を言っても、「親の変更の電話しか受け付けない」みたいな感じでしたから。
つまり、「親が依頼して、本人のところに派遣される」というのが、介助者だったり、介護者だったり、支援者だったり、ということですね。

本人が子どもだった場合は、まあイイというか、そういうもんですよね。
保護者が、保護すべき子ども本人のために介助者を依頼する、という図式だから。
責任があくまで保護者にあるわけだから。

実際、まあ成人後の知的障害者の「保護者」という観点をどう考えるか、の問題はあります。
もう「被保護者」ではなく、むしろ「保護者側になる可能性のある歳」なんですが、でもやっぱりいわゆる作業所や施設なんかでは、「保護者会」とか言ったりするらしい。
成年後見人、とか、まあいろいろあるわけですけれど、実際問題、本人を「大人として扱うか」みたいなことですけど。

法的にどうこう、ってのは、まあまた別の話で。
だって、大体の場合、知的障害者の後見人って、親や親族がなってる場合が多く、それって結局、相続問題なんですぶっちゃけ。
本当に「親から離れる」とか、「自立する」みたいな意味では機能しているとは言いがたい。
それは、まあ、また別の時に。

で、なにがいいたいかというと、つまりですね、「親が出ざるを得ない」というのは、まあわからなくもない、という前提の上で、でも、「親が出た時点で、介助者だとか支援者だとかとの対等な関係」というのは、「絶対的にできない」ということを、理解しなきゃいけない、ということなんです。

親は徹底的に「異物」なんです。

「仲間を作る」「友だちを作る」ということのラインの中で、親はそこに「入ることはできない」のです。
逆に言うと、「いたら仲間はできない」のです。

親や教師というのは、子どもの仲間同士の関係においては「異物」であって、だからこそ、イジメ、は異物である親や教師に発露しにくいのです。
「異物を仲間関係の中に入れる」という行為は、仲間の中では「重罪」で、あってはならない。
それは、仲間を否定することになる。

それをした場合、「チクった」ということになり、その行為自体が「イジメ」の原因になるほど、「親の存在」というのは、仲間作りの中で重要な意味を持つのです。
悪い存在、あってはならない存在、という意味で、重要なのです。

もっと言えば、親や教師の一言は、「仲間のヒエラルキーは変わる可能性がある」くらいの、大きな威力を持ってるんです。
だから、「子どもの仲間関係」を大切にしたいのであれば、下手な介入をしてはいけない、のです。

というのが、基本。

ですが、こと、子どもが知的障害者だと、これがまず壊れてしまうことが多く、「親とセット」という感じになってることが多く、親はそれでも、「この子にも友だちがいるんです」とか言うんだけど、いやいやいや、その友だちサイドにして見たら、「親がいる前だから「付き合ってやってる感じ」を出してるだけ」で、実際友だちなんかじゃありません。

ここ、勘違いしちゃダメなんです。

もっと言えば、親が嫌がることをみんなでやるのが仲間の絆だったりするわけで、親が嫌がる場所にみんなで行ったりするのが青春だったりするわけです。
これは何も子どもを邪悪な存在としたいのではなくですね、「構造として」そういうことなんですよ。

親は異物。
このことを「しっかりと認識していなければならない」のです。


それでも、先に書いたように、「親が出ざるを得ない場面」はあるとは思うんです。
先に書いたカブキの介助の事業所とかも含めて、一般にはそういう社会だから。
それに、子どもだったら、それはそれでしょうがない。

でも、「私は異物なんだ」「この状況は、いつか脱しなければならないんだ」ってことを、介助者・支援者サイドも、そして親もしっかりと認識してコトに当たらなければならない、と思います。

ここのところを、「親が入ってあたりまえ」とか、「親がいて当然」みたいな感じで、介助者と親の関係ができあがってしまっていると、本人は未来に絶望しか持てなくなります。

だって、異物がいる事を肯定されちゃったら、一生、仲間はできない、ってことになっちゃうんだから。
「表向き仲良くしてまーす」みたいな関係しかできない。
それが、本当の仲間ではないことを、子どもはわかってる。

子どもは、大人よりずっと敏感ですからね。


もっと言うと、介助者、支援者という人たちは、仲間にはなりようがないんです。
だって、金もらって仲間になる、なんて、最悪の人間のやることですよ?
介助者、支援者の立場、存在とは何か、もっと冷静に考えた方がイイ。
感情的になって、「俺たち仲間だから」とか言うの、見ててイタイ。
親が言ってたら、なおイタイ。

俺らもそうですね。
そもそもまあ、俺は市丸や井上の「仲間」ではありませんけど。






(BGM:尾咲ロミオ「不良少女のテーマ」fromYOUTUBE)
→うす~いな~薄い。
全体的に薄いんだわ。
曲も演奏も、歌詞も声も、なんだか全部薄口。
おい!もっと醤油ぶっかけてくれ!という感じ。

イチマルたちに「友だち」はできないのか?


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専従募集


先日、ノブとカブキが加納さんと一緒に障害者が集まる感じのイベントに行ってきたらしく。
まあ、親の会がテントでなんか模擬店やったり、そんな感じの。
正直、親子セット感も強く、コンサートいってもとなりのトトロだったりするので、撃ちの連中にとってはあまり行きたい場所にはなってない。

行ったところで、昔の知り合いに話しかけられて、当惑するくらいが関の山である。
あ、昔の知り合い、と書いたけど、それは例えば養護学校時代の同級生、とか、前の作業所の人、とか、前の施設の人、とか。

いや、そういう人に会うのは、とても嬉しいことだ。
楽しいことだ。
例えば、俺だったら嬉しい。
久しぶりに想い出を語り、一杯飲みたいくらいだ。

しかし、彼らの場合は、ちょっと違ってくる。

こちらはまあ親と一緒じゃないにしても、向こうは必ず親と一緒。
例えば市丸と一緒であれば、「市丸のことを知ってる」という人が、まあ声をかけてくるけれど、それはたいがい「親子セット」で、親の方が一生懸命市丸に話しかける。
もしくは、「俺に」話しかける。

そして本人は、市丸のことを忘れてるのか、全く反応がない。
…みたいなことが多いのだ。

そして、その人たちが去って行った後、市丸に「あの人誰?」と聞けば、「前の作業所の友だち」とか言うが、いやいやいやいやいや、友だちの方はまったく反応してなかったじゃん。
ってか、一言も話してないじゃん。
その親が一生懸命おまえに何か言ってただけで、ってか、あの母親がおまえの友だちなの?ということになる。

これ、よくある。
最近の市丸は、この状況に当惑、するようになった。
でも、これ、彼らの世界ではあたりまえなの。
市丸も、前の作業所にいたときまでは、それがあたりまえだった。
それに疑問もなければ、当惑することもない。
「本人の前に親が出る」という状況。
それが「当然」のようにあるのよね。
つまり、彼らの人間関係は、つまり、「親同士」だったり、「親と市丸」だったりして、本人同士、ってのがないの。
それはもう「友だち」ではない。


カブキも、その会場で、前の作業所の友だちに会った、という。
「で、なんかしゃべったの?」と聞くと、「イヤ何も」と。
「でもお母さんと話したよ」と。

まあ、カブキはその作業所をやめているから、その親としては聞きたいこともあろう。
でもなあ、それは、友だちと会ってるわけじゃないし、いやいや、その前に、その作業所で「友だち関係」というのがあったのかどうか?という疑問にもなってくる。

にじ屋によく来る親子がいるんだけど、なんかその彼は実はカブキが前行っていた作業所の人らしい。
でも、平日の昼日中から親と来ているから、まあそんなに一生懸命作業所にも行ってないんだろう。
一言もしゃべらず、お母さんの後を下を向いてついているだけ。
生気というモノが感じられない。


こういうこと言うと、「だって、知的障害者なんだから。友だち関係とか無理でしょう」とか言う人がいる。
「だから、親同士がつながるしかない」という理屈なんだろうか。

でも、ウチの連中は、それでも、不器用でも、小3くらいの感じだけれど、必死に友だちと「つきあい」、時に「ケンカし」、時に「裏切ったり」、そうすると報復を受けたり、そんなことを毎日やっている。


先日、スリッパで卓球をやるとかいう企画があって、まあこれは毎年やってるんだけど、市丸が「応援に行きたい」と言いだし。
いや、そもそも市丸は応援なんか関係ない、家で一人でいたい、人なのである。
が、行きたい、と。

なんでそんなコト言ったんだろうね?とか話していたら、アキが「そういえば、去年かその前か、その卓球の応援に行くって言ってたのに、当日ドタキャンしてみんなに一週間くらい無視されたんだよね、市丸って」と。
そうそう、忘れてたけど、そんなことがあった。

ま、ドタキャンはよくない。
みんな迷惑するし。
で、まあ、出場した井上達の怒りもアリ、まあ、その時、いろいろ身勝手ないろいろもあったんだけど、そういうのの複合した感じで、そんな状況になったんだった。

忘れてた。

けど、市丸は覚えていたんだな。
で、「今回は行く」と、自ら言ったんだな。

ま、いいお灸だったんだな。


その時だけを見れば、確かに市丸はかわいそうだった。
毎日、泣きそうだった。
でも、それが、今生きてると考えたら、なんだか長い目で見たら、すげえよかったじゃん、って思ったり。

それがなんか、友だちのありようというか。
単純に割り切れるものじゃないし、長い年月をかけて互いが信頼し合える、ということもある。
信頼し合えるための行動を一つ積み重ねられる、ということもある。


まあ、「すぐに」何かはできない。
でも、必ず、「友だち」になれる「何か」は、彼らの中にもある。

俺は、経験的に、そう信じている。





(BGM:竹本孝之「とっておきの君」fromYOUTUBE)
→どうだったんだろうな、この人は。
テレ玉とかに今もでてますよね。
なんか今の方がかっこいい。

王様にならざるを得なくなる(なりたくはないのに)


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ま、秘密のルート(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4149.html)で、お盆休みの実家での様子は、なんだかんだちょっとちょっと知ってはいました。

ま、その中で、やっぱり「実家だと暴れる」とか。
「実家だと横暴になる」というヤツってのがやっぱいるんだよね。

これ、普通ですね。
小さい子だって、お母さんから離れて子守してもらってる間は「おとなしく」していたりしても、お母さんが帰ってきたとたんに「大騒ぎ」ということがよくあります。

つまり、「甘えてるんだね」みたいな。
これはこの先の話の前提の一つです。


しかしこれは、実家にいたときに起こしていた「問題行動」が、こっちではなんとか収まる方向に向いてきたのに、実家に帰ると爆発する、ということでもあるんです。

問題行動とは、いわゆる自傷だったり、他傷、徘徊。
かなり、深刻な事態も「復活」してしまう。

いや、まずこの深刻な事態を「甘え」と捉えてイイのかどうか?という問題がありますね。
度を超えている、と。
でも、まあ度が「わからない」ということであれば、この考えも成り立つような気がします。

つまり、「度を過ぎる」ことに対して、親や周囲が「なにも伝えられなかった」という「今の結果」。
わからないこと自体は、彼らの責任ではないですから。
でも、それを「わかるように」教えることは、やっぱり親も周囲も、例えば教師とかがやっていかなきゃいけない。

別に知的障害者とかじゃなくても、「自分を傷つけてはいけない」ということや、「他人を傷つけてはいけない」ということは、なんだかんだ多方面から「教えられる」ことであって、確かに本能的なこともあるんだろうけど、社会的な関係、行動の中で、「それは人を傷つけることになるからやめなさい」ということは、後天的に学ぶモノでしょう。
それを、きちんと「やりきれなかった結果」として、こうした行動が「大人になってからも」あるわけですね。

もちろん、大人になって出た、ということもあるでしょう。
その場合は、スタートが遅いとしても、そこから始めていくしかない。
ま、多くは薬だったり、将来への漠然とした「絶望」があるんじゃないかと、経験的に思ってるんですが、それをやっぱり調整し、同時に「希望を感じられる毎日」を、作って行く必要があるかと。
その辺はまあ本筋じゃないので、改めてですが、で、まあそうやって、その行動がだんだん抑えられるようになってきた。

けど、お盆休みとかの実家に戻った、親元での一週間の中で、一気に元に戻る、というね。
これ、少なくない。


まず、「正直なにも伝わってなかった」という、オレたちの敗北ですね。
これを感じます。
それと考える道筋として、でも、「戻らない」ヤツ、もいることを考えてみると、その親子関係の部分がネックなのかな?という部分も検証としてはでてきます。
で、ま、今回は、この後者の部分について考えます。

これですね、どうも、親子関係が「王様と奴隷」になってるパターンが多いように思います。
つまり、子どもがやりたいコトを「実現させてやってる親」ですね。

いや、イイコトじゃないか、と思いますけど、とにかく「なんでもかんでも彼の言いなりになる」ということを繰り返していると、「我慢がきかない」と。
そりゃ、他人をぶん殴って止めない親はいないと思いますけど、それ以外は「やりたいようにやらせる」ってのは、よくあって。
でも、このパターン、いざ、なにか反社会的な行動を止めようとしたときに、止められない、ということになったりするんだよね。

これが他者に向かって傷害とか、そういう風になってしまうと、「やっぱり知的障害者は外に出すな」とかって馬鹿馬鹿しい意見を勢いづけちゃいますから、けっしてやってはいけない。
被害者はもちろん、本人も、世論も、全て悪い方に行きます。

親子関係、というのは、子が主役、ということでもなければ、親が主役、でもない。
関係、だから、折り合いをつける必要がある。
けど、子が障害をもっていたりすると、なぜか「子が中心」「この子の好きなように云々」というのが、女神的親というか、神的親として崇められたりする。
「今日は私が行きたいところに行くから付き合え」という親が、批判されたりすることがあります。

でも、関係、だから。
そういう日があってもイイと思うんです。
それはバランスですね。

そうやって、どっかで「我慢する自分」を作ってやる必要がある。
じゃないと、彼らはずっと「王様を演じなければならない」んですね。
つまり、「親子関係とは、王様と奴隷である」という風に彼らが思い込んでしまっている可能性もあるわけです。

こだわりの強い彼らのことだから、その「関係」を維持しようとする→実家に帰ると元に戻る、という感じになってしまうのではないか?と。

これね、別にそれが親が楽しめたり、じゃなければ、抗える程度であればいいんだけど、「もう帰してイイですか」みたいなことになっちゃうくらいになると、やっぱ深刻なんだよね。
それやっちゃうと、親子関係はそのままずっと変わらない。
でも、子どもの体は大きくなってるから、親が対抗できない、ということになり…。


彼らはもしかして、親元に戻ると「王様にならなきゃいけない」と思ってるんじゃないか?
そう考えてみると、なにか違う対策が生まれるような気がします。





(BGM:crack the marian「Growing Up」fromYOUTUBE)
→まあ、とにかくかっこいいわこの人たち。
どっか人を喰った感じの連中。
この「人を喰った感じの」ってのが俺はけっこう好き。

心残りのまま死ぬか? 体験してみるか? の二択だったら、あなたはどちらを?


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Aが手紙を書いてくる、って話は書いた(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3637.html など)。

Aとは、ツノの同級生で、一般企業に就職している。
時折にじ屋に来ていたんだけど、親に止められてこなくなった。
彼女はそのことを「虹の会のボランティアに来ていたけど、やめました」と手紙に書いている。

理由は、前にも書いたか、お母さんが言ったから、だそうである。
飲み会や合コンをやるのはやっぱり「不良」だと思われているようで、「知的障害者が酒を飲むなんて!」というタイプの人らしい。

というか、Aは一般就労しているくらいだから、認識は高い。
高いけれど、来るたびに独り言も増えていたし、体型もどんどん太って来ちゃっていて、よくない状況であることは見て取れた。

でもまあ、Aのお母さんのことも知らない。
話したこともない。
んで、まあもう彼女とはメールや手紙でしかやりとりをしていない。


彼女からの手紙は、なぜか市丸宛に来る。
おそらく、Aよりも後に虹の会に参加した市丸、しかもどっか今話題の中心にいて笑ってるイチマルに、Aは何か感じることがあるのかもしれない。

その手紙、毎回同じ事が書かれていて。

十年くらい前に、一度一緒に行ったことがある旅行のこと。
大宮でのバザーかなんかで一緒にステージに上がったこと。

そして、まあ毎月機関紙を彼女の家に送っているので、その内容を繰り返す。

「今度の●日は、にじ屋で飲み会ですね」
「来月の●日は、ちんどんをやるんですね」

みたいな。


同時に、まあウチの専従もメールで彼女とつながっていて、不可思議なメールがあったり、ちょっと心配なことをを示唆するようなメールもあったりするんだけど、こっちに時折来ていたときにはそれもちょっと探りを入れられたが、今はちょっと難しい。

正直、かなり困難な状況にあるのではないか?と推測されるんだけれど、今の彼女には彼女を守ってくれる人がいるとは思えず、ちょっと苦しいな…。

ま、そんなこともあって、まあ我々は夏の休みに旅行に行くんだけど、それに誘ってみたら?という話になって。
専従がメールを出してみた。
「●月●日から●泊で●●に行くんだけど、一緒に行かない?」みたいな。

それが一ヶ月くらい前になるのか。
そしたら、そこからまた市丸宛の手紙が一日一通になった。

その手紙には、「●月●日から●泊で●●に行くんですか?気をつけて行ってきてください」とか書かれている。
「●●に行くんですね」とか。
もう、その話が、毎回、毎回、毎回、いや、それを書くために、彼女は一日一通、いや一日二通の手紙を書いている。

簡単な話だ。
「そんなに気になるんだから、来たらいいじゃん」という。


だって、そもそも一般企業の仕事って言っても、どうも話を聞くと「朝行って、今日は仕事がないから帰っていい」という日もけっこうあるらしく。
もちろん同僚とどっかに出かけることもないし、会社で旅行があるわけでもない。
毎日、同じ時間に行って、仕事ないと言われて帰るか、仕事をしてもどうも昼過ぎ、3時くらいには終わるようなことを言っていた。

年休とってもいいじゃん、って話なんだけど、彼女は「仕事があるから」と専従には断りのメールを入れている。


でも、毎日、その旅行のことをイチマルに書いて送ってくる。


同じようなコト、たくさんある。
にじ屋によく来る他の作業所の子が、にじ屋に貼ってあった「どくんご」のポスターが気になって、もう何度も何度も専従にメールを寄越す。
どう考えても「行きたくて仕方ない」。
「じゃあ行こうか?」「一緒に行くよ?」となると、一気に「お母さんがダメだから」と、その話は終わる。
でも、それでも何度も何度も、どくんごのことを聞いてくる。


ま、親としては「知らない世界をわざわざ知らせなくてもいい」「後がメンドウ」ということなんだろう。

こうなるとどうしようもない。
結局、親から引き離して連れて行く、なんてのはできないんですよ。

なんで、彼女たちは、このままの状態で、気になったものを気になったまま、おそらく死ぬでしょう。

それって「知的障害者だからしょうがないん」でしょうか?
だとしたら、それって、相模原の事件の犯人と同じコト言ってますわね。





(BGM:「ディスコ体操No1 アスレチック・ピープル」fromYOUTUBE)
→いや、これはイイ!
ぜひみなさんに聞いてほしいし、体操してほしい。
背伸びの運動!
っていうか、無茶だよ、これ…。

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