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スーパーちんどん・さとう

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「子どもの意思を尊重する」って言葉が子どもを不幸にする場合もある


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ま、ときたまあるんですけど、知的障害の子を持つ親御さんが、どうにも「腫れ物を触るようにしか見えない」ことがあって。
そういう親は、もうずっとそういう親で。

例えば、この寒空なのに、「Tシャツ一枚で出て行ってしまいました」とか。
おいおいおいおい…。
よく見れば、もう一週間同じ服じゃねえか…、とか。

中には、マッタク「起こせない」という親もいる。


ま、その「起こせない」というのにも、親なりの理由はあるんです。
でも、実際に「起こさなきゃいけない」のに「起こせない」、例えば「今日は旅行の日です」みたいなことでも起こせないとなると、もうこれは致命的というか、どうにもならない。

これもまあ始めからというより、おそらく長い間の親子の関係性の結果、そうなってしまった、ということであって、そのこと、その時点のことだけを取り出してもしょうがないところはあります。
おそらく、最初から起こせなかったわけじゃなく、最終的に、今、起こせない、ということだろう、という。

だから、その間に「どんな親子関係だったか」を知ることは、「起こせない」という事態を「引き起こさないための助け」にはなります。


ま、こうしたことを「本人の具合が悪いんじゃないか」とか、「本人の意思に任せてます」なんて親もいるんだけど、それはまあ「正当化」であって、本当の理由ではないですね。
たいがい、こういう場合、こっちに来てしまえば具合は悪いどころが絶好調だし、そもそもこうした親の場合、「具合が悪い」というのはかなり「当たってない」コトが多い。
同時に、「絶好調」ということは、意思としては「起きればいいじゃん」という話でしかなくて、「起きない」ことが「意思を尊重する」ってコトと同義ではないことは明らかなのね。

ま、彼ら、知的障害の連中が、自分の心の中をうまく話せない、というのをいいことに、「勝手に理解した気になってる」というのが、こういう親の特徴ではあります。
というか、「都合よく理解しちゃってる」というか。

いや、それだけだったら、まだいいんです。
そうじゃなくて、どうも「親だけがこの子のことを一番よくわかってる」という「誤解」があるんだな。

だから、親が言うことをこっちが「そのまま納得してくれる」と思ってるフシもある。
ま、マッタク納得しませんけど。
というのも、先のように、親が「具合が悪い」という連中が、なぜこんなに「絶好調なのか」ということがあまりに多すぎるからです。


とにかくですね、「起こせない」「ずっと同じ服を着てるのに、着替えさせられない」というのは、あまりに状況としてはサイアクです。

にもかかわらず、こういう親は違う一点、たとえば「歯磨きだけはお願いします」とかしきりに言ったりして、いや、まあそれも大事なのはわかるけど、そこじゃないでしょ。
もう一週間同じ服だよ、しかももうこんなに寒いのに、なぜこの薄着で家を出すわけ?とか、そういう「家を出すに当たってやらなきゃならない基本的なこと」がマッタクできてないのに、余計な心配をしている。

ま、これもたいがいこのタイプの親には共通しますね。
簡単に言えば、親がしなければならないことが出来ていないのに、他人に注文が多すぎる、という。


中には、「起こしに来い」とか「寝かせに来い」とかっていう親が真剣にいたからな。
「そりゃ家の中のことでしょ?」
「それをこっちに言うのはおかしいでしょ?」
「ま、いいや、わかった、家で無理ならウチであずかるから、家を出ることにしなさい」というと、「さみしいからそれじゃ困る」とか言い出す。

ま、簡単に言うと、このタイプの親は、子のことなんか考えてないんですよ。
子のことをタテにとって教師や職員を責めたりはするんでしょうが、自分はなにも出来てない。
そして、「自分がさみしい」という、結局「子どもは自分のために生きている」という感じでしかなくて、どうにも話が進まない。


家を出るにあたって、「それじゃ寒すぎる」というアドバイスができない親、というか、聞かせられない親、少なくとも、真冬の気温でTシャツはあり得ない。
それはどっか子に「親の言うことは聞かない!」という反抗心があるというか、まあそれは悪いことじゃないんだけど、通常の反抗の出し方とはそれはちょっと違うんだなあ…。
「クソババア」って悪態ついて(喋れなくても)、それでもジャンバーを着ていくのならわかるんだけど、真冬にTシャツ、起きないと困る日に起きない、ってのは、どっか親子関係が間違っちゃってる気がするんだよな…。

という、まあ話をしても、「うちの子はそうじゃない」とか、そういう話が始まるんで、この手の親は、これまでの経験から、まあ何を言ってもムダ。


でも、もしも、全部、じゃなくても、一部でも「自分に当てはまるかも?」と思ったら、ちょっと考えてみて。
そのままじゃ、やっぱマズいと思うよ。

不幸なのは、子どもの方だしさ。





(BGM:ワダマコト「Gloria」from「WADA MAMBO'S」)
→これさ、録音まで1930年代って感じに仕上げてるんだよね。
かっこいいなあ。
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「知的障害者は親とセット」という壁を、どう乗り越えるか


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昨年、とあるお祭にコバとアキと市丸と行って、市丸の親に偶然?出会って(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3842.html)、その時に「コバ君もぜひお正月はウチにいらっしゃいな」ということを言われておりまして。
コバも、行きたい、と。

まあ、コバは家出をしてきましたから、帰る実家がありません。
お正月、みんなが実家に帰るけれど、おせちも食わずにまあ、コンビニ弁当を食う、みたいな三が日になってしまう。
いくらなんでもなあ、ということで、まあ昨年なんかはウチに来てたりしてたり、その前の年だったかは、市丸の実家にお世話になったりしてました。

やっぱ、多少の「お正月気分」を味あわせてやりたい、というか、おせちは食おうぜ、というか、もちは食おうぜ、というか。

で、まあ結局、大晦日の夕方に二人で市丸の実家に向かいました。


お母さんやお父さんは、いろいろ二人が来るにあたって考えてくれていたようで、密かに「コバは○○は大丈夫ですかね」とか聞いてくれてました。
すごくそれは楽しそうで、そりゃそうだよな、と。

だって、年に二回、盆と正月くらいしか市丸はそもそも帰らない。
実家に息子が帰ってくると言えば、やっぱ親は一生懸命飯を作ったり、息子が好きだったモンを作ろう、とか。
それに、一緒にビールを飲めるのも楽しみだ、とか。

特に、目新しいことはマッタクなくても、普段、昔一緒だったころの想い出を話しながらビールを飲んだり、飯を食ったり、というのは楽しいモノです。
というか、米本さんなんかも、独り立ちしている娘さんが帰ってくる時なんかは、「帰ってくるんですよ」なんて、楽しそうに話してくれます。
きっと、それってすごく楽しいことなんだと思うんです。

ま、普段、一緒にいないからこそ。
普段、遠くで互いに別々のところでがんばっているからこそ、そういう「うれしい」って感じになるわけでしょ。


すげえ、それは「普通の風景」で。
それが、まあ市丸親子にはあるんだよね。


一般的に息子に知的障害があったりすると、もう30歳でも40歳でもずっと一緒、ってのがほとんどだったりする。
悲しいかな、正月だけじゃない。
毎日、毎日、同じ事を繰り返して、ジャスコに行って、プールに行って、同じビデオを見て、という繰り返しをしている親子もいる。

というか、それが圧倒的に多い。

息子に新しい仲間ができたり、親が関係しない、新しい世界が広がることもない。
だから、ずっと親と息子の世界は一致していて、言えば、胎内にいたときと何もかわらない。

恐いです。
このまま、どうなっちゃうんだろう、という不安しか浮かばない。
心中、なんてのは、この辺の閉塞感から生まれるんだろうな、と思ったり。


市丸には市丸の世界があって。
市丸の知り合い、友だちの中には、親がマッタク知らない、会ったこともない、って人もいる。
それって、親子関係としてはあたりまえだけど、そういうあたりまえがなかなか知的障害をもつ息子がいるとそうならなかったりする。
でも、市丸には、市丸の世界がある。
親の知らない市丸が、確実にこの世には存在して、その市丸と付き合い、あそんだり呑んだり、一緒に仕事したり、そういう仲間がいる。

で、なかなか、実家に帰る暇もない。
だって、今度の休みはプロレスに行くから。
親とは行かなかった、映画に行くから。


でも、正月には実家に帰って、親と会う。
お盆には会う。
市丸は昔から家で食べていたお汁粉を食べ、それまであったコトを親に話す。
親は、市丸が自分から離れて、それでも仕事にがんばり、遊ぶ仲間がいて毎日を楽しく過ごしていることを、その話の中から理解する。
そして、それを大いに市丸の親は喜んでくれる。

そしてよくよく考えたら、市丸が友だちを家に連れてきたことなどない。
この40年間、一度もなかったが、ここに来て「お正月コバと一緒に帰る」なんてことがあって。
それはまあ、コバサイドの問題というか、「お正月気分を味あわせてやりたい」というアレが始まりではあるんだけど、でも、市丸の親だって、すごく嬉しい話だと思うんだ。

ま、その「コバ」が、もし、「女性」で、「結婚したい相手なんだ」なんて話になると、これまた親としては嬉しいんだろうけど、ま、その前段階である。

とにかく、市丸には「市丸の世界」がなかったんだから、「市丸が友だちを連れてくる」なんてこと自体がなかった、いや、市丸には友だちがいなかったのであるからして、いや、この「コバと実家に」ってのも悪くないな、と。
そう解釈して、ありがたく行かせてもらったんだけど。


いや、ありがたい話ですよ。

親御さんに会ったときには、まあ「うちの子の親」じゃなくて、「みんなの親になってください」という話はするんです。
そういう大きな気持ちの中に、自分の子を入れてみてください、と。
市丸さんや、ウチの親御さんの多くは、そう思ってくれるので、とても助かってるわけですが。


「子は親から生まれ、親から離れて親になる」というのが、動物のDNAの基本的な考え方なんだと思います。
じゃなければ、種は存続していきませんわね。

人間として以前に、動物として、まっとうに親子関係を築こうとするなら、やっぱり知的に障害があっても、この「親から離れ」をもっともっと真剣に考えていかないと先に行かないような気がします。

今、この部分が、どうにも閉塞感の中にあるような感じがしてならない、という話です。




(BGM:宮村優子「あなたは神を信じますか」from「魂」)
→非常におちょくった感じの歌詞はいいんですけどね。
でも、ラストが「握手をしよう」では、やっぱ弱いな。
というか、歌が下手っぴなのがいい。

ま、なんだかんだ親御さんの姿勢にかかってはいるんです


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ウチでは、ほとんど親御さんの意見というのは聞きません。
というか、聞かないことはないんだけど、基本はこちらの対応を理解してもらう、という感じか。

もちろん、それは一方通行なので、親御さんの意見とは違う場合もある。

というか、だいたいにおいて、親御さんと我々、思いはほぼ一緒なんだけど。
「彼らが思いっきり青春をやる」
とか。
「親亡き後、生活していける基盤づくり」
とか。

でも、やっぱ親御さんと我々は立場が違うので、そこに向かっていく「やり方」というのが変わってくる。

それは、本人が親に見せている顔と我々に見せている顔が違うからなんだよね。
どっちも、本当の本人だと思うんだけど、そのあたりも両方の顔を考え、立てて、その中で「いい道」を探す、というのが俺たちの立場になるんだけど。
まあ、それはその本人だけじゃなくて、周りの仲間との関係性とかもあるし、その中で「うまくやれる」方法、ってことになるんだよね。

そういう意味では、我々は「集団」、つまり本人だけを見てるんじゃなくて、その周りの仲間集団を見て全体として上がる方向を考えていくというか、単純に「一人だけに対して何かをすればうまくいく」ってことは「ない」と思ってるというか。

個別指導計画なんて言うけど、個別でなんかしてうまくいく事なんてのは、たとえば計算とか字を書くとか、作業とか。
そういうことはあったとしても、確かにそれも生きていくことにつながりはするんだけど、ネイクドに「生きていく」ってこととはちょっと違うというか。

洗濯ができないと一人暮らしできませんとか、「●●ができなければ~させない」みたいなことって、結果として彼らにとっては絶望にしかならないことが多くて。
人に頼ってもいいじゃん、とか、その辺できなくても「必要に迫られれば何とかなるだろう」とか、「周りがやってるから、何となくやるようになるんじゃないか?」とか、そういう考えも必要かな、と思ったりするんですけど。

なんだかんだ、「生きていく」ってのは、やっぱ「仲間にどう頼るか」「どう頼られるか」ってことでしかないんで。
しかも、人生の先に「希望」がなければならない。
「毎日同じ」「何も変わらない」毎日の中では、「希望」など持てるはずもない。
これは別に知的障害だからとかじゃなくて、だれだってそうだと思うんですけど。

毎日をたくましく、違った日にしていく。
時にケンカがあり、そして笑う日があり、悩む日があり、霧が晴れる日があり。

そんな集団をまず作らなきゃならない。
その中に、どう溶け込ませるか?
どう人間として覚醒させるか?というか。


ま、そういう感じなんですが、親御さんは、やっぱり「仲間集団」というのは、本人にとっての「社会」なわけで、「その社会の中で頑張っている」という風にしか写らず、「悩む日があり」という日になると、「そんなに無理しなくても…」となってしまうことが多い。
家族と社会、というのは、そういう役割で、家族が「安らげる場所」だとすると、社会は「闘う場所」。
まあ、そういう棲み分けがあるからこそ、親御さんはそう思うんでしょうから、それはなんか正しいというか、そういうモンだとは思うんですが。

ただ、これが行き過ぎちゃうと、本人はものすごく楽しみにしているのに、親御さんは「本人は無理してるんじゃないか」という風にしか思えなくなってしまうことがあるんですね。
それは、ある意味、「子どもが社会に旅立っていく」コトに対する、「不安感」でもあったりします。
いわゆる「子離れができない」というようなことになるわけですが。

その結果、親が止めちゃったりして、本人にとってはなにも経験が積み上がらない、みたいなこともあったりはするんです。
ああ、残念だなあと思うんですが。

こういう事例というのは、はっきり言うと、第三者的な判断というか、家族の外に判断を委ねなければ、客観的な見方というのは成り立ちません。
つまり、親子、というのは、親密な関係だからこそ、その関係の持ち方をきちんとしていかないと、子が社会に出て行けない、という事態を生み出してしまう可能性が高い。

でもまあ、親御さんにはこの数十年、おそらく子が知的障害じゃなかったら15歳くらいになったらもう「クソババア」が出てきて、一段落するところが、30歳になっても、40に近づいてもずっと手が離せなかったわけだから。
その間の自分の人生というのもあったわけですからね。
なかなかまあ、「外の人の意見も聞いてみてくださいよ」というのは入りにくいんです。
いわゆる「ウチの子のことは私が一番わかってます」というヤツですね。
単純にこれ、間違ってるんですが、というか、子どもを馬鹿にしてるというか、手の中に入れておきたいから出てくる台詞なんで、まああまり真に受けないんですけど。

けど、というか、だからこそ、というか、この台詞で押されちゃうと、もうだからめんどくさいんですね。
説明しても入らない、他の意見を聞かない、ってことなんで。
建設的に積み上がらないんで。

だから、こういう場合、オレの中では、もう「そう親が言うんなら、ほっとくか」と思うんだよね。
ま、不幸なのは本人ですけど。

でも、不毛な論議をしている時間がない。
というか、不毛なんで、時間はあってもないんですけど。


そういう意味では、親御さんが一番の理解者でなければ、やっぱりなかなか彼らの青春は取り戻せません。
なんか、そこに横やりのようなことを言われると、オレはもうそこで「後回しだな」と思ってしまう。
先に書いたように、論議をしてもたいがい不毛です。

どっちにしろ、多くの場合、両親の片方でも入院する、死ぬ、という段になると、まあ親子関係も変わらざるを得ないんで、そこまで待つか、みたいな。
まあ、でもその辺になると、今度は親戚が出てきて「ババを引かないように」ってみんな施設に入れようと画策し始めますからね。
それはそれでまた違う話になってきちゃって、困るんですけど。

ま、どのみち、損するのは本人の青春。
それだけは避けたいんだけどね。

正直、経験上、任せてもらった方が、うまくはいきます。
あとは、毎日の様子の報告を時々聞いてもらう。
そんな感じが一番、本人は人生をエンジョイできてるな、って思う。






(BGM:マリコ 18才「爆破少女」from「史上最悪オムニバス 3]」)
→ま、どうですか、爆破少女。
あぶなっかしくてしょうがないですわ。
チープなサウンドにおかしなシュールな女性ボーカルの歌詞がのってくる。
なかなかね、好きですよ、こういうの。

「○○の親です」じゃない、あなたの仲間を作って下さい 番外編


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ま、この流れで。

そんなわけで、まあなんだかんだあって、他の作業所のヤツとか、どこにも行ってないヤツとかが来たりします。
時に泊まったり。

ま、親御さんの手術だとか、そういうのもあるし、親御さんがどっかに出かけたいとか。
いや、いいことですよね。
「たまには旅行したいから」「夫婦で映画に行きたいから」でイイと思うんですよ。

「子ども中心生活」をやってるウチは、やっぱり子どもは「中心としての役割」を果たそうとしちゃいますから。
その中ではいろいろなことがいつまでも幼児時の時のママ「変わらない」ってことになっちゃいますから。

だから、そういう理由でイイと思うんですけど。

ま、そもそもその「そいつが行ってる作業所で何とかしろや」って思ったりはしますが、「決められたこと以外はやらない」ってトコが多いですからね。
もう完全に世の中の枠内でしか活動しないんだったら、彼らの置かれてる現状なんか一切変わらないんですけどね。
でもまあ、それでイイと思ってるんでしょう。
少なくとも偉そうなことを言わないんだったら、そういうのもアリだとは思います。


ま、結局、こういうのは金にはなりません。
彼らが泊まりに来たからって、なんか行政が金をくれるわけじゃない。

でもまあ、そういうの、多いです。
金にならないことやってどうする?って意見もあろうかと思いますが、いやいやいやいや。
つまり、それが制度の枠外、ってことですから。
今後、これを認めさせていけばいいことです。
そうやって、制度は広がり、社会は変わるんですから。

まず行動しないことには、社会も認めてなんかくれないでしょ?
こんなの簡単な理屈なんですが。


ま、それはいいとして。
「なんでこんなことをするか」ってコトに対しては、もっともっと現実的で感情的な理由があって。

それは、単純に「楽しい」んです。


知らないやつが泊まりに来る。
いや、楽しいじゃないですか。

もうね、市丸達と遊んでても、ネタが切れるでしょ。
だいたいお互いになんとなく出方もわかってるから、なれ合いになってくるというか。
飲み会だってそうで、いつも同じメンバーじゃなくて、時に「友達連れてきた」なんていうことがあったりすると、いきおい盛り上がるじゃないですか。

そういう感じ。

まあ、みんないろいろちょっかい出す。
ちょっかい出しても、まあ反応しない、という場合が多いし、それに更にちょっかいが出ると「もういいよお!」とか騒いだりするじゃないですか。
で、それでまたみんな爆笑、みたいな。
もう、そういうの、楽しいですよね。

これ、市丸なんかが来た時そうでしたね。
こういう、仲間の「ちょっかい」とかを通して、だんだん人は変わっていくのよ。
集団ってのには、そういう力がある。

なんか、そんなのをしみじみ感じたりできるので、まあとにかく楽しいわけ。
なんで、金にはならないが、どうぞどうぞ、って話になるんですが。


で、こういう場合に、よく親御さんが「もし、騒いだり大変だったら電話くれれば迎えに行きますから」みたいなコト言うんです。
ま、親御さんサイドとしては「お願いしてる」わけだから、こう言うのは当然というか、どっか「社交辞令」だということも、十分に理解した上でデスね、オレは大体こう答えることにしています。

騒ぐ云々ですが、「君がなにを騒いだところで、事態など一切変わらない」ということを示した方がいいので、何があっても、ウチとしては、イレギュラーで親御さんを呼び出すこととかは、基本的にありません。
それをしちゃうと、いつまでたっても騒ぐ癖が抜けないので。
どういう状況になろうが、その時間までは帰れない、ってコトでイイと思います。
「親には親の人生があるのだ。親が何か君とは関係ない用事があって、だからその時間までは親は来れないのだ」というのを体感するのは大事なことだと思います。

みたいな。

ここは「親の範囲の中にない」ということを、決定的に示す必要がある、ってことなんですけど。
というか、「あなた自身も親の一部ではないんだよ」「親は君の一部じゃないんだよ」ということも、姿勢としては示さなきゃいけないな、と思っています。






(BGM:ボビー「炎のたからもの」from「ルパン三世 ヴォーカルセレクション」)
→アグレッシブドックスとかもカバーしてますわ、この曲。
名曲だよね。
ルパンはとにかく名曲が多い。

「○○の親です」じゃない、あなたの仲間を作って下さい その3


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「この子は泊まりなんてとても」という親御さんは多い。
「だんだんやっていく」とか。

まあ、そりゃそうですよね。
だんだんやっていった方がいいけど、それはあくまで「出口」が見えた上で「だんだんやっていく」って話で。
出口がないのに「だんだんやっていく」ってのは嘘ですから。
そんなの、子どもはすぐに見抜く。


で、まあ「ウチであずかりましょうか?」って話になって、「三ヶ月くらいは最初帰らないと思いますよ」と伝えると、二通りで、「ええ?そんなに…」ともうここで話が終わってしまうパターン。
もう一つは、「もう三ヶ月と言わず、お願いします」というパターン。

親御さんの苦労はホントに大変だと思うんです。
だから、後者の感じは、ホントに理解できる。
ま、ほら、誰でも「早くこの子を自立させたい」とかいうでしょ。
そういう意味でね、まあわかるよなあ、と思うんだけど。


ま、ここで「三ヶ月」って書いたのは、別にそう決まってるわけでもないんだけど、ウチの連中はそもそもあまり「実家に帰りたい」感じがないので、現実けっこう「帰らない」って前提で、だいたい「三ヶ月」って例を言う感じなんですが。

市丸とかなんかは、そもそもあまり実家のこと忘れてるでしょ。
あれだけ「早く帰りたい病」だった、あの市丸が。

正月とかお盆とか、まあにじ屋がちょっと休みに入る時に、「帰ったら?」という感じで帰らせる感じですね。
でも、やっぱ実家から戻ってくると、それなりに安定していたりするので、帰ること自体はそんなにオレは否定的ではないんですが。

でも、「帰る」って感じじゃないのに「帰れ帰れ」ってのもやっぱ違うじゃないですか。

オグラなんかも、実家から戻ってきて満面の笑み、というか。
他にもまあ、実家の前まで行ったら「帰らない」って頑張っちゃうヤツもいますけど。

その辺はね、なんかこう、うまい具合に彼らと歯車がかみあってる感じで、まあいいんですけど。


で、まあその「お願いします」って後者の場合でもですね、例として多いのが、数ヶ月すると、「家族で旅行に行きたいんですが」とかって言ってくるんですよ、親御さんが。

つまりどういうことかというと、これ、「親のいない生活はこの子には無理」なんではなく、「子のいない生活は親には無理」ってことなんです。

ま、そういうことが多い、って話なんですが。


だから逆に「三ヶ月もですか!」ってその話をやめちゃう親御さんの方がおそらく素直なんだろうな、という風に俺は思ってます。


でもまあ、ウチの親御さんたちは、「子どもが生き生きとやってる」「子どもが楽しそうにやってる」ってことで、ほっといてくれることが多いので、助かります。

「親孝行だと思って帰れよ」なんて、俺らが言う感じって、やっぱちょっとなんかヘンというか、ちょっと違う感じというか。
いや、違くないんですけど、一回回って逆に行っちゃっての正解というか。


だからね、本人がこっちに来ちゃって、親御さんが、「最近、被災地のボランティア始めたんです」とか、「パート始めたんです」なんて言うのを聞くのがとてもうれしい。

やっぱ、本人だけじゃなく、親御さんも家庭から一歩外の集団をぜひ作ってほしいから。
で、それがないと、どっか足らないピースをお互いに埋め合っちゃうというか、そういう「足の引っ張り合い」みたいなことになっちゃうんですよね。

知的障害の子を持つ親御さんなんかだと、家庭の一歩外の集団が、そもそも「彼ら、知的障害者の子がいる前提の集団」だったりする。
親の会だったり、養護学校のPTAのその流れだったり。

だから、新たに「一歩外を出る」ってのは、なかなか難しいとは思うんですよ。
もう老齢、という年齢である親御さんも多いし。
今まで、どこの集団でも、「その本人ありき」のアレで数十年やってこざるを得なかったわけだから。

「○○の親です」じゃなくて、自分の本名で、子の名前など出さない集団を、ぜひオレは作ってほしいし、そうなれば、自然と彼ら本人も親から離れていきます。


ま、何にしても、大事なのはオレたちのような立場の人間の「決意」、そして、親御さんが「外に集団を作る」という「行動」なんだよな、と。

そんな感じで、もっともっと市丸達が全力で輝けるような日本にしていきません?


「番外編」に続きます






(BGM:Rinken Band「年中口説 ねんじゅうくどぅち」from「リッカ」)
→沖縄の唄をポップに聞かせるってのは、いろいろと論議もあるかとは思うが、ネイクドじゃなく、西洋ロックに乗せちゃうみたいな流れで。
でもまあ、すげえやっぱ楽しいよね。
くくっちゃえば、ワールドミュージックっていうか。

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