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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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トークイベントに出させてもらって、とても楽しかった


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専従募集


先日、成宮アイコっちが本を出したとのことで、その出版記念のトークイベントに雨宮さんと一緒に出してもらいまして。
一緒に、というのもおこがましいですが、雨宮さんもステキな方で、もちろん、有名な方だし、ま、俺が混ざること自体が申し訳ない感じもあったりなかったり。

でもまあ、せっかくの機会なんで出させていただいて、いや、総じて楽しかったです。
また機会があったらこんなのも楽しいな、と思いました。

そういえば、藤井と相模原事件についてトークする、ってイベントをやったっけな(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4083.html)、と思い出しました。
それが最後になってしまったな…。
二人のトークを続けるとしたら、どっかの教祖さんのように、霊を呼び出してトークするとかってインチキでもやるしかないってことだ。


さて、まあ色んな話をしたし、聞いたけれど、やっぱ「いい人はうっとおしい」というか、「優しい」を押してくる人は、「役に立たない」みたいな話がけっこうやっぱ出てましたね。
「助けてやる」とか言う人はアテにならない、とか。
「佐藤さんには優しさを感じたことはない」と雨宮さんが言ってくれたのがなんかすげえおかしかった。
あと、バリバラのあの番組も、「あれはそんなにいい人がやってるって感じがしなかった」とのことで、まあよかったな、と思いました。


ま、最初の打ち合わせの時点で、「なんでこうした活動を続けているか」というのを、雨宮さんにも、そして俺にも聞きたい、ということをアイコっちが言っていて、ふむふむ、と思っていたわけですけど。
本番では、まあいろいろその辺もチョコチョコ出つつ、という感じでしたか。
その時、うまく言えたかどうかわからないんだけど、まあ後々考えてみると、俺はなんだろう、みんなが望むような答え、いわゆる「使命感」とか、「志」ってのがあまりないんだな、って改めて。

毎回毎回、毎年毎年、結局はみんなと「また今年もがんばるか」「しょうがねえか」みたいな感じで、悪く言えば惰性だし、なんだろう、流されてきたというか。
最初はマジで3年で絶対にやめる、と決めて始めたわけだけど、結局30年やってるわけよね。

でもまあ、なんだろう。
だから、ここからわかることは二つあって、一つは、若い人が「自分のやりたいコトとはなんだろう」とかって悩んだり、まあ小学校とかでも聞かれたりする時の答えで。
先生とかに、「キミのやりたいコトは?」とか「夢は?」とか聞かれるじゃない。
俺は、ずっとそういうの、答えられなかった子で。
それは、大学を出るときも一緒で、そもそも虹の会だって、そんなに「やりたいコト」だったわけじゃないけど、でもまあ、それでもなんとかなりますし、それなりに楽しい毎日にはなりますよ、ってこと。
だから、「やりたいコトが特にないな」ということ自体を卑下するな、ってことと、その場合は、なんか人に言われたこととか、誘われたことをやったらいいよ!というか。
人生、けっこう軽い選択もあり!というか。

もう一つは、もうこうなると、やめられない、んですよ。
だって、他にできることがないもん。
会社勤めをしたこともない、電車通勤したこともナイ、たいがいのことはみんなで話し合って決める、そんなぬるま湯のような状況でやってきましたから、今さら他のことはできないよ。

いや、まあぬるま湯っていうか、まあ自分の給料を自分で稼がなきゃならないし、今は介助者の給料とかそういうのもあるけど、だからまあ、最初30年前は給料5万とかから始まってるからな。
あ、月給ね。
だから、ぬるま湯ってことでもないんだろうけど、でもまあ、自分たちで好きにできるというか、ダメならあきらめざるを得ない、というか。

だから、今さら、なんかサラリーマンとかできないと思う。
こうなると、もう「やめられない」んであって、「どうして続けてるか?」という話とはちょっとずれてきますよ。


さて、話をしていて、聞いていて改めて思ったのは、やっぱり「親が目を背ける何かがないと青春にはならない」という、青春の根本原理、というか。
つまり、親に隠れてエロ本を読むとか、タバコを吸うとか、家に親がいない時に恋人を連れ込んでいちゃいちゃするとか。
いきすぎた例としては、盗んだバイクで走り出す、とか。

でもまあ、彼ら知的障害の連中には、それがなかなかないんだよね。
その世界が作りにくい。

作業所とかだって、まあ本人が決めるんじゃなくて、親が決めるわけでしょ。
だから、「親が目を背ける場所」なんかに、子どもを通わせるはずがないンですよ。
「隠れてタバコを吸います」みたいなことを、「そういう場所がいい!」とは親は言わないんです。

でも、連絡帳やなにがしかや、全て親がお見通しの毎日は、決して青春にはなりません。
その中で、おかしくなっていっちゃった人もたくさんいて。

そりゃそうだよな。
毎日毎日、保育園の時と一緒。
親と職員が全てツーカー、自分なんか何もいわなくても、毎日メシが出てきて、黙っていうこと聞いてりゃ、とりあえず息はし続けられる。

そんな毎日、アナタは耐えられますか?

だからね、できるだけ、親が目をしかめることをね、俺たちはたくさんやっていかなきゃならない、って思いました改めて。





(BGM:ジュディ・オング「魅せられて」fromYOUTUBE)
→これは結局、あの衣装ですよね。
あれはすげえ発明だと思う。
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まず、連絡帳をやめろってば


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専従募集


先日、たまたま親御さんと話す機会があって、その人がちょっと関係する他の作業所の話になり。
「こっちが休みの日に、ぜひウチの移動支援を使ってくれませんか」とか言ってくるんだって。
冗談かと思ったら、ガチらしい。

つまり、障害者は「お客さん」なんだそうで、いや、「お客様」だそうで。

作業所も運営、営業しなきゃ、ということなんでしょうが、ポピュリズムの極北になっちゃうなあ、とか思ったりして。


よく散見するのは、「主役とお客さんを間違ってる」人たち。
これは、いわゆる職員側も障害者側も。
前にも本人を越えた「よろしくおねがいします」について書きましたけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3423.html

俺は、作業所だとかっていうのは家族の外の「第一社会」だと思ってるので、そこで「お客様」ではダメだと思っています。
自分に関係ないところで自分のことが決まってはダメ、というか。


よく、「自分の意見が通らない」ということを問題にする人がいるんですが、まあそれはわかりますが、それって逆から見ると「あなたの意見を通してあげます」という人がいて成り立つことなので、フラットに双方が対等にない、ということになってしまいます。

つまり、そこの場所で主役である、というのは「自分の意見が通ったり通らなかったりすること」であって、「自分の意見が通らない」ことではない。
意見を「取り上げてもらえるか」ということを問題にすべきで、結果通るかどうかは、逆に「いつも通る」ってのは、お客様なんですよね。

もちろん、それには民主的な話し合いというか、論議の末、という話ですけど、でもそういうきちんとした手続きが出来ていれば、なんか「自分の意見が通らない」っていう話はちょっとお門違いじゃないかな、と俺は思います。


ま、それは中身の問題なので、そこにたどり着ければ、という話で。
その前に、冒頭に書いたように「使って下さい」って親に「ガチで言う」ことが彼ら職員の「仕事」になってしまうと、それはもうその中身にまで行かないでしょうね。
つまり、「問題を起こさない」「来たときと同じ状態で親に返す」ということが主題になりますから。
そこに「意見が通る」とか、そういうのは関係なくなっちゃう。
親の意見さえ聞いて「はいはい」言ってれば良い、と。

つまり、これ、保育園化なんです。

いや、まあ知的障害者なんて幼児と一緒だろ?と思ってる人が多いんで、「別にイイじゃん」とかってなる人も多いかもしれないけど、実際に一緒じゃないですからね。
少なくとも体がでかい。
それだけでも、社会との関係性は幼児の時とは変わる。
小さいからこそ、社会は恐怖であり、子どもと大人の関係性はそのスケールによるモノも大きい。

そして、きちんと「大人」として扱ってやることが、「問題行動」をなくすことにつながる、というのが、我々の日常から受ける実感です。

逆に、施設の中で「自分の予定を自分をまたいで職員同士がしゃべっている」状況に置かれた連中が、本当に「死んでしまった状態」かのようにここにやってくる。
だってまあ、なにを言っても「自分の予定すら自分で決められない」んだから。

なにがしたい、どこに行きたい、なにを食べたい、もっと言うと、「トイレに行きたい」すら他人が決める状況では、人は未来に希望は持てない。
それは、知的障害者だろうがなんだろうが同じなんだよね。


子どものころはしょうがないんです。
保護者がいて、子どもはその庇護の中で暮らす、育つ。
だからこそ、安心して育つ。
その環境が、子どものころには必要。

でも、それを越えたら、もう「保護者」というイメージを捨てなければならないよな、という話で。
保護者会、というようなことをもう当たり前かのように使ってしまう作業所が多いわけですが、そこでガチで親に営業をかけることが職員の仕事になるとしたら、もうダメじゃん、というね。


ぜひね、彼ら、市丸達の仲間の人たちのメンツをつぶさないでほしいんだよね。
大人としてのメンツ。
時に意見はつぶされ、時に意見は通り、だからこそ、責任も負う、みたいな。
もちろん、荷重をかけろ、という話じゃないんだよ、彼らのやれる力の中で、それを少しづつ作っていく。

少なくとも、彼らを越えて、彼らの予定の話はしない。
親との連絡は、彼らを介しては行わない。
連絡を取って予定を押さえていたとしても、親も職員も知らんぷりを通す。

あくまで、俺はあなたとつきあってるんだ、ということをしっかりと表現する。
あくまで、おまえが決めたんだ、という「気持ち」を彼らにしっかり持たせる。


そうしないと、まず彼らは「やってもらって当たり前」から抜けられない。
そこから抜けられないと、な~んにも話が始まらないのです。





(BGM:榊原郁恵「ROBOT」fromYOUTUBE)
→歌、うまいよね。
ピッチとか修正できなかった時代にね。
って、まあ普通のことですけどね、歌手なんだから。

家だと食べない


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親御さんが「この子はあまり食べない」とか、「最近食べない」とかって話をしてくるときがあって。

しかし、こっちに来るとよく食べてる。
その「食べない感じ」がまったくない、という。

本当に微塵もないんだ。
「ここのところ食べないので心配です」と言うんだけど、いや、ここのところもこっちでは相変わらずもりもり食ってますけど…という。


まあ、以下、親御さんが読んでいたら、自分はどうかな?と思いながら読んでもらえたら、と思いますが。


これですね、まあ思い当たるフシはあって。
こうなってしまう、こういう感じになってしまう親子には、ちょっと特徴的な点があって。

このタイプの親御さんは、子のある点には執着があるんだけど、他の処についてかなり「放置」。
例えばもう暑くなってるのに、冬の装備をさせて家を出したり。
にもかかわらず、その「ある点」については、執着し、こっちでもやらせてください!とか言ってくる。
いやいや、それはたいしたことないじゃん…、それより熱中症になるわ…と思うんだけど、そういう「優先順位」がよくわかってない。

そしてもう一つ、「うちの子は、私(親)の言うことは聞かないんです」といいながら、「この子はこう言っています」「こう悩んでいるはずです」と断言する。
という。

ま、つまり、子はまったく親の存在を受け入れてない、もしくは拒否しているのに、親はその子のことを「わかった気になっている」という。
「拒否されている」ことが理解できていないのよね。

ま、拒否というのもいろいろあって、いわゆる「反抗期」みたいなこともあるから、別にそんなに「オオゴト」ではないことも多く、ってか、それが大きいんだけど、にもかかわらず、子どもに対して「●●よね~」とかって話しかけてて、子どもが「クソババア!」って「言葉にできない」ことをいいことに、猫みたいに手なずけてる感じで、まあ気持ちがいいもんではないんですが。

距離感がよく取れてないんだと思うんですけど、あまりに親子がべったりなのは、どっちにしても子の拒否感が強くなっていってしまう。
そこで、まあ「クソババア!」と言えればいいですが、言えない場合、「食べない」という手に出るのは当然かな、と思うんですよ。

だから、「食べない」ってのは、もう完全に「クソババア!」の替わりだな、とは思うんだけど、こういう親はそれが理解できないから、「なんででしょう」なんて言って悩む。
でも、親から離せば食うわけ。
つまり、もう客観的に考えて「親が問題」なのに、それを理解しようとしない、「私はこの子の一番の理解者なんですから」とくるから、もう話が進まない。


正直、このタイプの親御さんの執着は、大したことがないので、こちらとしては無視したいんだけど、(というか、恐らく本人もそうしたいだろうな、という感じはする)それにはもうスゲエ固執だから、まあ、めんどくさいんだよ。

しかも、この「親子関係に問題があるから食べないんじゃないか?」というのを、このタイプの親は「自分が責められてる」ように感じるのか、冷静に話ができない。

なんで、もうめんどうなんでこちらとしても放置するしかない。


親子関係に介入する、ってのは実に難しい、というより、めんどうで、しかし確かに障害をもった子の場合、親子関係が実はものすごくデカイ。
それによって彼の「人生が変わる」。
しかも、天地ほどの差で変わる。
障害があるから、障害の程度、とかじゃなく、もう天国と地獄のレベルで人生が変わる。


まあ、親御さんもここまで必死にやってきたのはわかる。
そもそも、障害者のことなんか知らなかった人がいきなり障害者の親になるんだからさ。
その大変さはもう想像できないくらいだと思うんだよ。

だから、「介入」ってのは、なかなかこっちとしてもそれを否定しちゃうみたいだし、やりにくい、というのもある。

けど、それは本人が一番ソンするわけ。

こっちも、時間があればいいけれど、そうじゃなくて、時間は限られているから、そうなると、そういう親じゃない子が、まあ「ソンしない」という現実になっていく。
だって、どっかに出かけるのに、親を説得する時間そのものはないんだから。
黙って出してくれる親の子は結局「ソンしない」ことになる。


この手の親にどうにか「反抗期みたいなもんだから、ちょっと距離考えませんか?」ってのを、まあ言いたいんだけど、なかなかウマい言い回しがないな、という話でした。





(BGM:マーガレット&バニーズ「逢えば好き好き」fromYOUTUBE)
→ぎゃはははははははっはは。
なんだこのボーカル。
でも、これ癖になるな…。

お客さんにしない (番外編)


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実は前回の原稿はもう数ヶ月前に書いてあったモノでした。
そして、そこに書かれたことは、それよりも数ヶ月前、なので、もう全体としては半年くらい前の出来事ということになります。

井上たちが専従に対して「いいたいこと」、というのを、紙に書いて持ってきた。
それを、みんなで話をして、というのをやったわけですけど。

その後、半年くらいたったある日、ミツと井上がウチに飯を食いに来たときに、急にこのときの話を始めました。

「今年、一番の出来事は、あの紙に書いたことだった」と井上は急に始めた。
オレと一緒にいたアキも、一瞬なんのことだかわからなかった。
なにせ、このことは半年も前のことだ。

で、いろいろ聞いてみると、このときの紙に書いてオレに持ってきた、という話だということが判明。
聞けば、この事がとにかく今年一番の出来事。
一番よかったことだ、と。

なぜなら、その後、外口さんはとても話しやすくなったし、ミツにいわせれば、「外口さんが怒ってたのは、オレたちのことを考えてくれてたからだ、ってことが今はとてもよくわかる」とも言っていた。

そういえば、「外口さんとは出かけたくない」と書いていた井上は、外口さんにお願いして、一緒に競馬に行く計画を立ててもいるらしい。


この間、前回書いたように、外口さんは彼らから出た紙に書かれた意見に対し、一つ一つ説明をしなかった。
けれども、何かは彼らに伝わったということだ。
半年かかって。

あの紙がターニングポイントだった、ということなのだろう。
井上たちにとっても、おそらく外口さんにとっても、一つのいい出来事であったことは間違いないのだろう。


ミツと井上は家が同じアパートの隣同士なのだが、聞けば、休みが同じだった日などは、ベランダで鉢合わせするときもあり、その時とかに、紙に書いたようなことを2人で話していたんだよね、と。
それがまあ、オーバーに現れた、というのはとてもよかったんだろうな。

言いたいことがあっても、「どうしたらいいかわからない」というのは、出口がなくて苦しい。
よくまあ、愚痴の言い合い、みたいなことが世の中にはあるけれど、似たような感じというか、変わりようがないことというのは、けっこう苦しいものだ。

「障害を持った子は毎日が変わることを嫌がるんですよ」などとわかったようなことを言う人がいるが、「変われる可能性があるけど、とりあえず変わらない」と、「変わらないことを強制される」のは違う。
施設のメニューが毎日同じ事の繰り返し、明日もあさっても、という場合、もうそれは「変える方法がわからない」人たち、にとっては、それは強制と同じである。

だから、その施設のメニューを変えよう、というのも一つの考え方なんだけど、オレはそうじゃなくて、「まわりを変えさせる方法を身につけさせたらどうか」というね、そういう意味で、このことはよかったな、と思うわけです。

まあ、ウチはいわゆる「施設」ではないし、毎日のことが決まってるわけでも、毎年のことも決まってない。
行事、があるようで、ない団体でもある。
けど、まあ「変えたいことがあって、それを変える方法の一つが、紙に書いて誰かに渡す」、ということが分かったというのは、中身のみならず、彼らにとって今回の一つの成果だったように思う。


ま、この「紙に書く」というの、なかなかよかったな、と思って。
けっこうこの時点では苦し紛れだった感じもあったけど。

彼らはやっぱり、「違和感があるな」と思ったときに、すぐに反論できないんだよね。
いや、「違和感があるな」ということすら怪しい。
つまり、「意識が表面化していない」というか。


この呑んでいるとき、井上は同時に「2人は(オレとアキは)いつも、すらすら話が出るけど、オレなんかは「何話したらいいか」って考えちゃう」と。

「いや、別に、この魚がうまいと思ったら、うまいね、って話してるだけだよ」などと会話を続けていて思ったのは、つまり、彼らは「この魚がうまい」とは思ってないのかもしれない、ということだ。
いや、うまいとは思っているが、それを「言語化して」うまい、と認識しているわけではないというか。
そういう感じをちょっと思ったんだな。

そう考えると、彼らに必要なことは、「今の心の中を言語化する」ってことなんだよね。
その一つが、まあこの紙だったかな、と。

そんなことを思いました半年後に。




(BGM:東ひかり「ネオンばなし」fromYOUTUBE)
→ジャケはけっこう若い洋装の女性のすてきなポーズなんだけど、曲はド演歌。
「酒のさかなに聞かせてあげる 惚れて尽くした艶話 私が女になったのも~」
…いらんいらん。

仲間は金では買えない


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先日、まあつくづく思ったんだけど。
知的障害者のガイドヘルプとかのことを、介助者とか、まあ支援者とか、言います。
ウチの場合は、まあなんの名前もつけてないので、例えば森さん、とかTAROさん、とか名前ですね。
職種の名前をつけていません。

で、ですね、知的障害者の場合、そして子どもだった場合、やっぱ「親が出る」ってことが、結局は大きかったりする。
カブキが、以前に使っていたヘルパーの事業所も、カブキが電話を入れて時間の変更を言っても、「親の変更の電話しか受け付けない」みたいな感じでしたから。
つまり、「親が依頼して、本人のところに派遣される」というのが、介助者だったり、介護者だったり、支援者だったり、ということですね。

本人が子どもだった場合は、まあイイというか、そういうもんですよね。
保護者が、保護すべき子ども本人のために介助者を依頼する、という図式だから。
責任があくまで保護者にあるわけだから。

実際、まあ成人後の知的障害者の「保護者」という観点をどう考えるか、の問題はあります。
もう「被保護者」ではなく、むしろ「保護者側になる可能性のある歳」なんですが、でもやっぱりいわゆる作業所や施設なんかでは、「保護者会」とか言ったりするらしい。
成年後見人、とか、まあいろいろあるわけですけれど、実際問題、本人を「大人として扱うか」みたいなことですけど。

法的にどうこう、ってのは、まあまた別の話で。
だって、大体の場合、知的障害者の後見人って、親や親族がなってる場合が多く、それって結局、相続問題なんですぶっちゃけ。
本当に「親から離れる」とか、「自立する」みたいな意味では機能しているとは言いがたい。
それは、まあ、また別の時に。

で、なにがいいたいかというと、つまりですね、「親が出ざるを得ない」というのは、まあわからなくもない、という前提の上で、でも、「親が出た時点で、介助者だとか支援者だとかとの対等な関係」というのは、「絶対的にできない」ということを、理解しなきゃいけない、ということなんです。

親は徹底的に「異物」なんです。

「仲間を作る」「友だちを作る」ということのラインの中で、親はそこに「入ることはできない」のです。
逆に言うと、「いたら仲間はできない」のです。

親や教師というのは、子どもの仲間同士の関係においては「異物」であって、だからこそ、イジメ、は異物である親や教師に発露しにくいのです。
「異物を仲間関係の中に入れる」という行為は、仲間の中では「重罪」で、あってはならない。
それは、仲間を否定することになる。

それをした場合、「チクった」ということになり、その行為自体が「イジメ」の原因になるほど、「親の存在」というのは、仲間作りの中で重要な意味を持つのです。
悪い存在、あってはならない存在、という意味で、重要なのです。

もっと言えば、親や教師の一言は、「仲間のヒエラルキーは変わる可能性がある」くらいの、大きな威力を持ってるんです。
だから、「子どもの仲間関係」を大切にしたいのであれば、下手な介入をしてはいけない、のです。

というのが、基本。

ですが、こと、子どもが知的障害者だと、これがまず壊れてしまうことが多く、「親とセット」という感じになってることが多く、親はそれでも、「この子にも友だちがいるんです」とか言うんだけど、いやいやいや、その友だちサイドにして見たら、「親がいる前だから「付き合ってやってる感じ」を出してるだけ」で、実際友だちなんかじゃありません。

ここ、勘違いしちゃダメなんです。

もっと言えば、親が嫌がることをみんなでやるのが仲間の絆だったりするわけで、親が嫌がる場所にみんなで行ったりするのが青春だったりするわけです。
これは何も子どもを邪悪な存在としたいのではなくですね、「構造として」そういうことなんですよ。

親は異物。
このことを「しっかりと認識していなければならない」のです。


それでも、先に書いたように、「親が出ざるを得ない場面」はあるとは思うんです。
先に書いたカブキの介助の事業所とかも含めて、一般にはそういう社会だから。
それに、子どもだったら、それはそれでしょうがない。

でも、「私は異物なんだ」「この状況は、いつか脱しなければならないんだ」ってことを、介助者・支援者サイドも、そして親もしっかりと認識してコトに当たらなければならない、と思います。

ここのところを、「親が入ってあたりまえ」とか、「親がいて当然」みたいな感じで、介助者と親の関係ができあがってしまっていると、本人は未来に絶望しか持てなくなります。

だって、異物がいる事を肯定されちゃったら、一生、仲間はできない、ってことになっちゃうんだから。
「表向き仲良くしてまーす」みたいな関係しかできない。
それが、本当の仲間ではないことを、子どもはわかってる。

子どもは、大人よりずっと敏感ですからね。


もっと言うと、介助者、支援者という人たちは、仲間にはなりようがないんです。
だって、金もらって仲間になる、なんて、最悪の人間のやることですよ?
介助者、支援者の立場、存在とは何か、もっと冷静に考えた方がイイ。
感情的になって、「俺たち仲間だから」とか言うの、見ててイタイ。
親が言ってたら、なおイタイ。

俺らもそうですね。
そもそもまあ、俺は市丸や井上の「仲間」ではありませんけど。






(BGM:尾咲ロミオ「不良少女のテーマ」fromYOUTUBE)
→うす~いな~薄い。
全体的に薄いんだわ。
曲も演奏も、歌詞も声も、なんだか全部薄口。
おい!もっと醤油ぶっかけてくれ!という感じ。

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