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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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王様にならざるを得なくなる(なりたくはないのに)


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ま、秘密のルート(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4149.html)で、お盆休みの実家での様子は、なんだかんだちょっとちょっと知ってはいました。

ま、その中で、やっぱり「実家だと暴れる」とか。
「実家だと横暴になる」というヤツってのがやっぱいるんだよね。

これ、普通ですね。
小さい子だって、お母さんから離れて子守してもらってる間は「おとなしく」していたりしても、お母さんが帰ってきたとたんに「大騒ぎ」ということがよくあります。

つまり、「甘えてるんだね」みたいな。
これはこの先の話の前提の一つです。


しかしこれは、実家にいたときに起こしていた「問題行動」が、こっちではなんとか収まる方向に向いてきたのに、実家に帰ると爆発する、ということでもあるんです。

問題行動とは、いわゆる自傷だったり、他傷、徘徊。
かなり、深刻な事態も「復活」してしまう。

いや、まずこの深刻な事態を「甘え」と捉えてイイのかどうか?という問題がありますね。
度を超えている、と。
でも、まあ度が「わからない」ということであれば、この考えも成り立つような気がします。

つまり、「度を過ぎる」ことに対して、親や周囲が「なにも伝えられなかった」という「今の結果」。
わからないこと自体は、彼らの責任ではないですから。
でも、それを「わかるように」教えることは、やっぱり親も周囲も、例えば教師とかがやっていかなきゃいけない。

別に知的障害者とかじゃなくても、「自分を傷つけてはいけない」ということや、「他人を傷つけてはいけない」ということは、なんだかんだ多方面から「教えられる」ことであって、確かに本能的なこともあるんだろうけど、社会的な関係、行動の中で、「それは人を傷つけることになるからやめなさい」ということは、後天的に学ぶモノでしょう。
それを、きちんと「やりきれなかった結果」として、こうした行動が「大人になってからも」あるわけですね。

もちろん、大人になって出た、ということもあるでしょう。
その場合は、スタートが遅いとしても、そこから始めていくしかない。
ま、多くは薬だったり、将来への漠然とした「絶望」があるんじゃないかと、経験的に思ってるんですが、それをやっぱり調整し、同時に「希望を感じられる毎日」を、作って行く必要があるかと。
その辺はまあ本筋じゃないので、改めてですが、で、まあそうやって、その行動がだんだん抑えられるようになってきた。

けど、お盆休みとかの実家に戻った、親元での一週間の中で、一気に元に戻る、というね。
これ、少なくない。


まず、「正直なにも伝わってなかった」という、オレたちの敗北ですね。
これを感じます。
それと考える道筋として、でも、「戻らない」ヤツ、もいることを考えてみると、その親子関係の部分がネックなのかな?という部分も検証としてはでてきます。
で、ま、今回は、この後者の部分について考えます。

これですね、どうも、親子関係が「王様と奴隷」になってるパターンが多いように思います。
つまり、子どもがやりたいコトを「実現させてやってる親」ですね。

いや、イイコトじゃないか、と思いますけど、とにかく「なんでもかんでも彼の言いなりになる」ということを繰り返していると、「我慢がきかない」と。
そりゃ、他人をぶん殴って止めない親はいないと思いますけど、それ以外は「やりたいようにやらせる」ってのは、よくあって。
でも、このパターン、いざ、なにか反社会的な行動を止めようとしたときに、止められない、ということになったりするんだよね。

これが他者に向かって傷害とか、そういう風になってしまうと、「やっぱり知的障害者は外に出すな」とかって馬鹿馬鹿しい意見を勢いづけちゃいますから、けっしてやってはいけない。
被害者はもちろん、本人も、世論も、全て悪い方に行きます。

親子関係、というのは、子が主役、ということでもなければ、親が主役、でもない。
関係、だから、折り合いをつける必要がある。
けど、子が障害をもっていたりすると、なぜか「子が中心」「この子の好きなように云々」というのが、女神的親というか、神的親として崇められたりする。
「今日は私が行きたいところに行くから付き合え」という親が、批判されたりすることがあります。

でも、関係、だから。
そういう日があってもイイと思うんです。
それはバランスですね。

そうやって、どっかで「我慢する自分」を作ってやる必要がある。
じゃないと、彼らはずっと「王様を演じなければならない」んですね。
つまり、「親子関係とは、王様と奴隷である」という風に彼らが思い込んでしまっている可能性もあるわけです。

こだわりの強い彼らのことだから、その「関係」を維持しようとする→実家に帰ると元に戻る、という感じになってしまうのではないか?と。

これね、別にそれが親が楽しめたり、じゃなければ、抗える程度であればいいんだけど、「もう帰してイイですか」みたいなことになっちゃうくらいになると、やっぱ深刻なんだよね。
それやっちゃうと、親子関係はそのままずっと変わらない。
でも、子どもの体は大きくなってるから、親が対抗できない、ということになり…。


彼らはもしかして、親元に戻ると「王様にならなきゃいけない」と思ってるんじゃないか?
そう考えてみると、なにか違う対策が生まれるような気がします。





(BGM:crack the marian「Growing Up」fromYOUTUBE)
→まあ、とにかくかっこいいわこの人たち。
どっか人を喰った感じの連中。
この「人を喰った感じの」ってのが俺はけっこう好き。
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心残りのまま死ぬか? 体験してみるか? の二択だったら、あなたはどちらを?


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Aが手紙を書いてくる、って話は書いた(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3637.html など)。

Aとは、ツノの同級生で、一般企業に就職している。
時折にじ屋に来ていたんだけど、親に止められてこなくなった。
彼女はそのことを「虹の会のボランティアに来ていたけど、やめました」と手紙に書いている。

理由は、前にも書いたか、お母さんが言ったから、だそうである。
飲み会や合コンをやるのはやっぱり「不良」だと思われているようで、「知的障害者が酒を飲むなんて!」というタイプの人らしい。

というか、Aは一般就労しているくらいだから、認識は高い。
高いけれど、来るたびに独り言も増えていたし、体型もどんどん太って来ちゃっていて、よくない状況であることは見て取れた。

でもまあ、Aのお母さんのことも知らない。
話したこともない。
んで、まあもう彼女とはメールや手紙でしかやりとりをしていない。


彼女からの手紙は、なぜか市丸宛に来る。
おそらく、Aよりも後に虹の会に参加した市丸、しかもどっか今話題の中心にいて笑ってるイチマルに、Aは何か感じることがあるのかもしれない。

その手紙、毎回同じ事が書かれていて。

十年くらい前に、一度一緒に行ったことがある旅行のこと。
大宮でのバザーかなんかで一緒にステージに上がったこと。

そして、まあ毎月機関紙を彼女の家に送っているので、その内容を繰り返す。

「今度の●日は、にじ屋で飲み会ですね」
「来月の●日は、ちんどんをやるんですね」

みたいな。


同時に、まあウチの専従もメールで彼女とつながっていて、不可思議なメールがあったり、ちょっと心配なことをを示唆するようなメールもあったりするんだけど、こっちに時折来ていたときにはそれもちょっと探りを入れられたが、今はちょっと難しい。

正直、かなり困難な状況にあるのではないか?と推測されるんだけれど、今の彼女には彼女を守ってくれる人がいるとは思えず、ちょっと苦しいな…。

ま、そんなこともあって、まあ我々は夏の休みに旅行に行くんだけど、それに誘ってみたら?という話になって。
専従がメールを出してみた。
「●月●日から●泊で●●に行くんだけど、一緒に行かない?」みたいな。

それが一ヶ月くらい前になるのか。
そしたら、そこからまた市丸宛の手紙が一日一通になった。

その手紙には、「●月●日から●泊で●●に行くんですか?気をつけて行ってきてください」とか書かれている。
「●●に行くんですね」とか。
もう、その話が、毎回、毎回、毎回、いや、それを書くために、彼女は一日一通、いや一日二通の手紙を書いている。

簡単な話だ。
「そんなに気になるんだから、来たらいいじゃん」という。


だって、そもそも一般企業の仕事って言っても、どうも話を聞くと「朝行って、今日は仕事がないから帰っていい」という日もけっこうあるらしく。
もちろん同僚とどっかに出かけることもないし、会社で旅行があるわけでもない。
毎日、同じ時間に行って、仕事ないと言われて帰るか、仕事をしてもどうも昼過ぎ、3時くらいには終わるようなことを言っていた。

年休とってもいいじゃん、って話なんだけど、彼女は「仕事があるから」と専従には断りのメールを入れている。


でも、毎日、その旅行のことをイチマルに書いて送ってくる。


同じようなコト、たくさんある。
にじ屋によく来る他の作業所の子が、にじ屋に貼ってあった「どくんご」のポスターが気になって、もう何度も何度も専従にメールを寄越す。
どう考えても「行きたくて仕方ない」。
「じゃあ行こうか?」「一緒に行くよ?」となると、一気に「お母さんがダメだから」と、その話は終わる。
でも、それでも何度も何度も、どくんごのことを聞いてくる。


ま、親としては「知らない世界をわざわざ知らせなくてもいい」「後がメンドウ」ということなんだろう。

こうなるとどうしようもない。
結局、親から引き離して連れて行く、なんてのはできないんですよ。

なんで、彼女たちは、このままの状態で、気になったものを気になったまま、おそらく死ぬでしょう。

それって「知的障害者だからしょうがないん」でしょうか?
だとしたら、それって、相模原の事件の犯人と同じコト言ってますわね。





(BGM:「ディスコ体操No1 アスレチック・ピープル」fromYOUTUBE)
→いや、これはイイ!
ぜひみなさんに聞いてほしいし、体操してほしい。
背伸びの運動!
っていうか、無茶だよ、これ…。

「子どもの意思を尊重する」って言葉が子どもを不幸にする場合もある


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ま、ときたまあるんですけど、知的障害の子を持つ親御さんが、どうにも「腫れ物を触るようにしか見えない」ことがあって。
そういう親は、もうずっとそういう親で。

例えば、この寒空なのに、「Tシャツ一枚で出て行ってしまいました」とか。
おいおいおいおい…。
よく見れば、もう一週間同じ服じゃねえか…、とか。

中には、マッタク「起こせない」という親もいる。


ま、その「起こせない」というのにも、親なりの理由はあるんです。
でも、実際に「起こさなきゃいけない」のに「起こせない」、例えば「今日は旅行の日です」みたいなことでも起こせないとなると、もうこれは致命的というか、どうにもならない。

これもまあ始めからというより、おそらく長い間の親子の関係性の結果、そうなってしまった、ということであって、そのこと、その時点のことだけを取り出してもしょうがないところはあります。
おそらく、最初から起こせなかったわけじゃなく、最終的に、今、起こせない、ということだろう、という。

だから、その間に「どんな親子関係だったか」を知ることは、「起こせない」という事態を「引き起こさないための助け」にはなります。


ま、こうしたことを「本人の具合が悪いんじゃないか」とか、「本人の意思に任せてます」なんて親もいるんだけど、それはまあ「正当化」であって、本当の理由ではないですね。
たいがい、こういう場合、こっちに来てしまえば具合は悪いどころが絶好調だし、そもそもこうした親の場合、「具合が悪い」というのはかなり「当たってない」コトが多い。
同時に、「絶好調」ということは、意思としては「起きればいいじゃん」という話でしかなくて、「起きない」ことが「意思を尊重する」ってコトと同義ではないことは明らかなのね。

ま、彼ら、知的障害の連中が、自分の心の中をうまく話せない、というのをいいことに、「勝手に理解した気になってる」というのが、こういう親の特徴ではあります。
というか、「都合よく理解しちゃってる」というか。

いや、それだけだったら、まだいいんです。
そうじゃなくて、どうも「親だけがこの子のことを一番よくわかってる」という「誤解」があるんだな。

だから、親が言うことをこっちが「そのまま納得してくれる」と思ってるフシもある。
ま、マッタク納得しませんけど。
というのも、先のように、親が「具合が悪い」という連中が、なぜこんなに「絶好調なのか」ということがあまりに多すぎるからです。


とにかくですね、「起こせない」「ずっと同じ服を着てるのに、着替えさせられない」というのは、あまりに状況としてはサイアクです。

にもかかわらず、こういう親は違う一点、たとえば「歯磨きだけはお願いします」とかしきりに言ったりして、いや、まあそれも大事なのはわかるけど、そこじゃないでしょ。
もう一週間同じ服だよ、しかももうこんなに寒いのに、なぜこの薄着で家を出すわけ?とか、そういう「家を出すに当たってやらなきゃならない基本的なこと」がマッタクできてないのに、余計な心配をしている。

ま、これもたいがいこのタイプの親には共通しますね。
簡単に言えば、親がしなければならないことが出来ていないのに、他人に注文が多すぎる、という。


中には、「起こしに来い」とか「寝かせに来い」とかっていう親が真剣にいたからな。
「そりゃ家の中のことでしょ?」
「それをこっちに言うのはおかしいでしょ?」
「ま、いいや、わかった、家で無理ならウチであずかるから、家を出ることにしなさい」というと、「さみしいからそれじゃ困る」とか言い出す。

ま、簡単に言うと、このタイプの親は、子のことなんか考えてないんですよ。
子のことをタテにとって教師や職員を責めたりはするんでしょうが、自分はなにも出来てない。
そして、「自分がさみしい」という、結局「子どもは自分のために生きている」という感じでしかなくて、どうにも話が進まない。


家を出るにあたって、「それじゃ寒すぎる」というアドバイスができない親、というか、聞かせられない親、少なくとも、真冬の気温でTシャツはあり得ない。
それはどっか子に「親の言うことは聞かない!」という反抗心があるというか、まあそれは悪いことじゃないんだけど、通常の反抗の出し方とはそれはちょっと違うんだなあ…。
「クソババア」って悪態ついて(喋れなくても)、それでもジャンバーを着ていくのならわかるんだけど、真冬にTシャツ、起きないと困る日に起きない、ってのは、どっか親子関係が間違っちゃってる気がするんだよな…。

という、まあ話をしても、「うちの子はそうじゃない」とか、そういう話が始まるんで、この手の親は、これまでの経験から、まあ何を言ってもムダ。


でも、もしも、全部、じゃなくても、一部でも「自分に当てはまるかも?」と思ったら、ちょっと考えてみて。
そのままじゃ、やっぱマズいと思うよ。

不幸なのは、子どもの方だしさ。





(BGM:ワダマコト「Gloria」from「WADA MAMBO'S」)
→これさ、録音まで1930年代って感じに仕上げてるんだよね。
かっこいいなあ。

「知的障害者は親とセット」という壁を、どう乗り越えるか


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昨年、とあるお祭にコバとアキと市丸と行って、市丸の親に偶然?出会って(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3842.html)、その時に「コバ君もぜひお正月はウチにいらっしゃいな」ということを言われておりまして。
コバも、行きたい、と。

まあ、コバは家出をしてきましたから、帰る実家がありません。
お正月、みんなが実家に帰るけれど、おせちも食わずにまあ、コンビニ弁当を食う、みたいな三が日になってしまう。
いくらなんでもなあ、ということで、まあ昨年なんかはウチに来てたりしてたり、その前の年だったかは、市丸の実家にお世話になったりしてました。

やっぱ、多少の「お正月気分」を味あわせてやりたい、というか、おせちは食おうぜ、というか、もちは食おうぜ、というか。

で、まあ結局、大晦日の夕方に二人で市丸の実家に向かいました。


お母さんやお父さんは、いろいろ二人が来るにあたって考えてくれていたようで、密かに「コバは○○は大丈夫ですかね」とか聞いてくれてました。
すごくそれは楽しそうで、そりゃそうだよな、と。

だって、年に二回、盆と正月くらいしか市丸はそもそも帰らない。
実家に息子が帰ってくると言えば、やっぱ親は一生懸命飯を作ったり、息子が好きだったモンを作ろう、とか。
それに、一緒にビールを飲めるのも楽しみだ、とか。

特に、目新しいことはマッタクなくても、普段、昔一緒だったころの想い出を話しながらビールを飲んだり、飯を食ったり、というのは楽しいモノです。
というか、米本さんなんかも、独り立ちしている娘さんが帰ってくる時なんかは、「帰ってくるんですよ」なんて、楽しそうに話してくれます。
きっと、それってすごく楽しいことなんだと思うんです。

ま、普段、一緒にいないからこそ。
普段、遠くで互いに別々のところでがんばっているからこそ、そういう「うれしい」って感じになるわけでしょ。


すげえ、それは「普通の風景」で。
それが、まあ市丸親子にはあるんだよね。


一般的に息子に知的障害があったりすると、もう30歳でも40歳でもずっと一緒、ってのがほとんどだったりする。
悲しいかな、正月だけじゃない。
毎日、毎日、同じ事を繰り返して、ジャスコに行って、プールに行って、同じビデオを見て、という繰り返しをしている親子もいる。

というか、それが圧倒的に多い。

息子に新しい仲間ができたり、親が関係しない、新しい世界が広がることもない。
だから、ずっと親と息子の世界は一致していて、言えば、胎内にいたときと何もかわらない。

恐いです。
このまま、どうなっちゃうんだろう、という不安しか浮かばない。
心中、なんてのは、この辺の閉塞感から生まれるんだろうな、と思ったり。


市丸には市丸の世界があって。
市丸の知り合い、友だちの中には、親がマッタク知らない、会ったこともない、って人もいる。
それって、親子関係としてはあたりまえだけど、そういうあたりまえがなかなか知的障害をもつ息子がいるとそうならなかったりする。
でも、市丸には、市丸の世界がある。
親の知らない市丸が、確実にこの世には存在して、その市丸と付き合い、あそんだり呑んだり、一緒に仕事したり、そういう仲間がいる。

で、なかなか、実家に帰る暇もない。
だって、今度の休みはプロレスに行くから。
親とは行かなかった、映画に行くから。


でも、正月には実家に帰って、親と会う。
お盆には会う。
市丸は昔から家で食べていたお汁粉を食べ、それまであったコトを親に話す。
親は、市丸が自分から離れて、それでも仕事にがんばり、遊ぶ仲間がいて毎日を楽しく過ごしていることを、その話の中から理解する。
そして、それを大いに市丸の親は喜んでくれる。

そしてよくよく考えたら、市丸が友だちを家に連れてきたことなどない。
この40年間、一度もなかったが、ここに来て「お正月コバと一緒に帰る」なんてことがあって。
それはまあ、コバサイドの問題というか、「お正月気分を味あわせてやりたい」というアレが始まりではあるんだけど、でも、市丸の親だって、すごく嬉しい話だと思うんだ。

ま、その「コバ」が、もし、「女性」で、「結婚したい相手なんだ」なんて話になると、これまた親としては嬉しいんだろうけど、ま、その前段階である。

とにかく、市丸には「市丸の世界」がなかったんだから、「市丸が友だちを連れてくる」なんてこと自体がなかった、いや、市丸には友だちがいなかったのであるからして、いや、この「コバと実家に」ってのも悪くないな、と。
そう解釈して、ありがたく行かせてもらったんだけど。


いや、ありがたい話ですよ。

親御さんに会ったときには、まあ「うちの子の親」じゃなくて、「みんなの親になってください」という話はするんです。
そういう大きな気持ちの中に、自分の子を入れてみてください、と。
市丸さんや、ウチの親御さんの多くは、そう思ってくれるので、とても助かってるわけですが。


「子は親から生まれ、親から離れて親になる」というのが、動物のDNAの基本的な考え方なんだと思います。
じゃなければ、種は存続していきませんわね。

人間として以前に、動物として、まっとうに親子関係を築こうとするなら、やっぱり知的に障害があっても、この「親から離れ」をもっともっと真剣に考えていかないと先に行かないような気がします。

今、この部分が、どうにも閉塞感の中にあるような感じがしてならない、という話です。




(BGM:宮村優子「あなたは神を信じますか」from「魂」)
→非常におちょくった感じの歌詞はいいんですけどね。
でも、ラストが「握手をしよう」では、やっぱ弱いな。
というか、歌が下手っぴなのがいい。

ま、なんだかんだ親御さんの姿勢にかかってはいるんです


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ウチでは、ほとんど親御さんの意見というのは聞きません。
というか、聞かないことはないんだけど、基本はこちらの対応を理解してもらう、という感じか。

もちろん、それは一方通行なので、親御さんの意見とは違う場合もある。

というか、だいたいにおいて、親御さんと我々、思いはほぼ一緒なんだけど。
「彼らが思いっきり青春をやる」
とか。
「親亡き後、生活していける基盤づくり」
とか。

でも、やっぱ親御さんと我々は立場が違うので、そこに向かっていく「やり方」というのが変わってくる。

それは、本人が親に見せている顔と我々に見せている顔が違うからなんだよね。
どっちも、本当の本人だと思うんだけど、そのあたりも両方の顔を考え、立てて、その中で「いい道」を探す、というのが俺たちの立場になるんだけど。
まあ、それはその本人だけじゃなくて、周りの仲間との関係性とかもあるし、その中で「うまくやれる」方法、ってことになるんだよね。

そういう意味では、我々は「集団」、つまり本人だけを見てるんじゃなくて、その周りの仲間集団を見て全体として上がる方向を考えていくというか、単純に「一人だけに対して何かをすればうまくいく」ってことは「ない」と思ってるというか。

個別指導計画なんて言うけど、個別でなんかしてうまくいく事なんてのは、たとえば計算とか字を書くとか、作業とか。
そういうことはあったとしても、確かにそれも生きていくことにつながりはするんだけど、ネイクドに「生きていく」ってこととはちょっと違うというか。

洗濯ができないと一人暮らしできませんとか、「●●ができなければ~させない」みたいなことって、結果として彼らにとっては絶望にしかならないことが多くて。
人に頼ってもいいじゃん、とか、その辺できなくても「必要に迫られれば何とかなるだろう」とか、「周りがやってるから、何となくやるようになるんじゃないか?」とか、そういう考えも必要かな、と思ったりするんですけど。

なんだかんだ、「生きていく」ってのは、やっぱ「仲間にどう頼るか」「どう頼られるか」ってことでしかないんで。
しかも、人生の先に「希望」がなければならない。
「毎日同じ」「何も変わらない」毎日の中では、「希望」など持てるはずもない。
これは別に知的障害だからとかじゃなくて、だれだってそうだと思うんですけど。

毎日をたくましく、違った日にしていく。
時にケンカがあり、そして笑う日があり、悩む日があり、霧が晴れる日があり。

そんな集団をまず作らなきゃならない。
その中に、どう溶け込ませるか?
どう人間として覚醒させるか?というか。


ま、そういう感じなんですが、親御さんは、やっぱり「仲間集団」というのは、本人にとっての「社会」なわけで、「その社会の中で頑張っている」という風にしか写らず、「悩む日があり」という日になると、「そんなに無理しなくても…」となってしまうことが多い。
家族と社会、というのは、そういう役割で、家族が「安らげる場所」だとすると、社会は「闘う場所」。
まあ、そういう棲み分けがあるからこそ、親御さんはそう思うんでしょうから、それはなんか正しいというか、そういうモンだとは思うんですが。

ただ、これが行き過ぎちゃうと、本人はものすごく楽しみにしているのに、親御さんは「本人は無理してるんじゃないか」という風にしか思えなくなってしまうことがあるんですね。
それは、ある意味、「子どもが社会に旅立っていく」コトに対する、「不安感」でもあったりします。
いわゆる「子離れができない」というようなことになるわけですが。

その結果、親が止めちゃったりして、本人にとってはなにも経験が積み上がらない、みたいなこともあったりはするんです。
ああ、残念だなあと思うんですが。

こういう事例というのは、はっきり言うと、第三者的な判断というか、家族の外に判断を委ねなければ、客観的な見方というのは成り立ちません。
つまり、親子、というのは、親密な関係だからこそ、その関係の持ち方をきちんとしていかないと、子が社会に出て行けない、という事態を生み出してしまう可能性が高い。

でもまあ、親御さんにはこの数十年、おそらく子が知的障害じゃなかったら15歳くらいになったらもう「クソババア」が出てきて、一段落するところが、30歳になっても、40に近づいてもずっと手が離せなかったわけだから。
その間の自分の人生というのもあったわけですからね。
なかなかまあ、「外の人の意見も聞いてみてくださいよ」というのは入りにくいんです。
いわゆる「ウチの子のことは私が一番わかってます」というヤツですね。
単純にこれ、間違ってるんですが、というか、子どもを馬鹿にしてるというか、手の中に入れておきたいから出てくる台詞なんで、まああまり真に受けないんですけど。

けど、というか、だからこそ、というか、この台詞で押されちゃうと、もうだからめんどくさいんですね。
説明しても入らない、他の意見を聞かない、ってことなんで。
建設的に積み上がらないんで。

だから、こういう場合、オレの中では、もう「そう親が言うんなら、ほっとくか」と思うんだよね。
ま、不幸なのは本人ですけど。

でも、不毛な論議をしている時間がない。
というか、不毛なんで、時間はあってもないんですけど。


そういう意味では、親御さんが一番の理解者でなければ、やっぱりなかなか彼らの青春は取り戻せません。
なんか、そこに横やりのようなことを言われると、オレはもうそこで「後回しだな」と思ってしまう。
先に書いたように、論議をしてもたいがい不毛です。

どっちにしろ、多くの場合、両親の片方でも入院する、死ぬ、という段になると、まあ親子関係も変わらざるを得ないんで、そこまで待つか、みたいな。
まあ、でもその辺になると、今度は親戚が出てきて「ババを引かないように」ってみんな施設に入れようと画策し始めますからね。
それはそれでまた違う話になってきちゃって、困るんですけど。

ま、どのみち、損するのは本人の青春。
それだけは避けたいんだけどね。

正直、経験上、任せてもらった方が、うまくはいきます。
あとは、毎日の様子の報告を時々聞いてもらう。
そんな感じが一番、本人は人生をエンジョイできてるな、って思う。






(BGM:マリコ 18才「爆破少女」from「史上最悪オムニバス 3]」)
→ま、どうですか、爆破少女。
あぶなっかしくてしょうがないですわ。
チープなサウンドにおかしなシュールな女性ボーカルの歌詞がのってくる。
なかなかね、好きですよ、こういうの。

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