FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - - - - 12
3 4 5 6 7 89
10 11 12 13 14 1516
17 18 19 20 21 2223
24 25 26 27 28 2930
31 - - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

一緒になって責め立てるのはやめよう


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


俺はまあ、毎日のことを「こんなことがあった、あんなことがあった」って、書いてる。
そして、こうやってオープンにもしてるし、ことあるごとに話してもいる。

それは、もちろん、イチマルたちの親や家族に向かって発信しているわけではない。
世の中に、彼らをプロデュースしてるというか、彼らに興味をもってもらって、にじ屋に来てくれればいいし、彼らの仲間になって一緒に呑みに行ってくれればいい。
ま、実際にそういう人もいてくれて、とてもうれしいんですけど。

これはまあ攻撃ですね、社会に対する。
彼ら自身だけではどうにもならないんで、まあそれをなんとかしたい、というか。
仲間を増やしたい、というか。

だって、ただ「知的障害者を支える人になってください」なんてコト言って集まった人なんか、アテにならんでしょ。
それよか、なんか「一緒に呑みに行ってみたい!」って思ってほしい。


ま、それはいいんだけど。

で、親にまあクローズドで、というか、秘密で話す機会もないわけではない。
秘密というのは、まあ秘密裏に行う、です。
その場合も、当然ですが、俺はまあいろいろな話をします。

その親の子の話だけすればいいとは思ってなくて、まあみんながどういう雰囲気で毎日を過ごしているか?ってのをわかってほしいと思っていて。

同時に、例えば他の子の話をしていたとしても、「その子のことをこれだけかまってくれているのだから、自分の子にもそうやってかまってくれてるのだろう」とか、「なにかあったらかまってくれるだろう」って思ってくれるのではないか?というね。
そういう気持ちがありました。

でもまあ、実際は親は自分のこの話しか聞いてないんだ、って残念な例もあって。
本当になんて言うか、せちがらく、自分のことしか考えてないというか。
「ウチの子は見てくれてない」「あの子ばかり」みたいな親がでてきちゃう。


これはちょっと極端な話だけれど、例えばAがBを殴った、とする。
まあ、おそらくそれはAとBの間でなんらかのトラブルがあった、ということで。
トラブルがないのに殴った、というコトももしかしたらあるのかもしれない。
Bには落ち度がない、ということもある。
というか、理由があれなかれ、そもそもこれはもうAが悪い。

でも、Bも殴りはしないけど、Aを精神的に追い詰めている、みたいなこともあったりもするわけです。
それはこっちもわかっている。
Aがうまく喋れなかったりする人だったりすると、まあ、Bを殴ったのもある意味わからないでもないな、と思う時もあります。
もちろん、といっても、Aが悪いことに変わりがないのですが。

でもまあ、人間関係、集団の中で言えば、どちらにも問題があったりする。
というか、そもそも、集団でいる以上、誰かにはイヤな思いはさせているわけです。

イイところもあれば、悪いところもある。
人って、いいところばかりじゃないから。

でも、Bの親御さんにしてみれば、Bの集団の中での悪いところはとりあえずよく知らないから、「殴られた」と大騒ぎすることもあるんです。
集団の中でのことだから、こちらできっちりAをしかり、という流れを終えていたとしても、まだ再燃してしまったりする。
もうAもBも忘れていたりするのにも関わらず。


こうなっちゃうと、もう親御さんが暴走してる、という感じになってしまうんですね。
Aの親御さんまで巻き込んで謝らせたり、みたいな話になってしまう。
それだと「だってBだって云々…」と泥仕合になってしまう可能性もある。

障害をもった子を持つ親同士が、突発的なそうした行為を責め合ってしまうと、Aの親にしたら、もう「居場所がなくなる」くらいの恐怖につながる。
社会に出ればコンビニでお菓子を勝手に食べてしまい、店員に怒られ、学校では先生に注意され、親同士ですら責められ、居場所をなくす。

親同士が悩みを共有して手を握り合うどころか、敵同士になってしまう。


俺は、ウチの親御さんに話すときには、「全員の親になってください」ということを何度も言います。
そして、なるべくイイコトも悪いことも話すようにしています。

その中で、やっぱり「手のかかる子」「手のかからない子」というのは存在しますから、どうしても、「ウチの子は見てもらえない」みたいになってしまったりするのもわからなくはない。

でも、それを越えて、「手のかかる子に手をかけている」のは、手のかからない子にとっても、有用であることを理解してもらいたい。
全ての子の親になることで、それを越えて、いろいろな悩み、そりゃ、障害の重い軽いとかによって、いろいろありますけど、それを共有して、少なくとも責め合うんじゃなく、手を取り合えたら、と俺は思うわけです。






(BGM:「アパッチ野球軍 OP 」fromYOUTUBE)
→「おれたちゃ裸がユニフォーム」という冒頭からやられるわけですが、いいマンガだったよなー。
こういうのが流せないという時代はよくないよなー。
スポンサーサイト

応援してください


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


ま、親が辞めさせると言って辞めることになったAは他の作業所に行ってるみたいなんだけど、時々にじ屋に来たり、毎晩アキにも電話が来る(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4504.html)。

そんな状況だから、親としてはメンツもあるんでしょうけど、電話口でやめなさい、みたいなことを言ってるみたいなんだけど、親の言うことを聞くAではない。
というか、聞かせるために、というより、行動を変えさせるためにこの親はAに働きかけていないので、まあAには念仏である。

彼が、今の作業所の人に電話するのではなく、ウチの連中に電話をかけてくるのは、まあちょっと意味がわからないというか、そういうところもあって。
電話の内容も、毎回同じ事の繰り返し、話も通じないし、言葉が何より不明瞭になった。

彼は、ここを辞めてからの数年、なにも変化がないどころか、退化してるように見える。

でも、それは親が臨んだことだ。
辞める時に親がはっきり俺に、「私が面倒見れなくなったら施設に入れるから、力などつけなくていい」と言った。

俺は、その時はまあ怒りがわいたけど、もうそれ以上どうこう言う気もなくなった。
でも、そのことを井上たちに報告するために話していた時に涙が出て止まらなくなった。
あんな風に涙が止まらなかったのは初めてだ。
自分でもよくわからない感情だった。

彼はさ、親の所有物ではないはずなんだけど、でも、所有物だ。
なぜなら、社会が、何かあればすぐに「親はどこだ!」「親を呼んでこい」と彼らの責任の全てを親になすりつけているから。

それは、この親のせいではなく、この社会の責任である。


でも、そこに闘っていきたかった。
Aと一緒に。
そして、親御さんにも遠くからそれを応援して欲しかった。

じゃなければ、そもそも我々のやってることは成り立たない。

実家に帰る段になって車を飛び降りたヤツもいる。
実家に帰りたくなかったんだと思う。
でも、その親もウチを辞めさせた。


親と我々の関係は、本人の両腕をもって引っ張り合ってる関係ではない。
親御さんが応援してくれなければ、成り立たない。

というのも、福祉事務所は、親御さんの意向だけで全てを判断する。
こちら側、本人、親、とあって、親の意向だけが違ったとしても、親の言うとおりに決めざるを得ない。
この福祉事務所の逡巡もわかる。

つまり、もう社会がよってたかって親御さんをいじめてるんだ。
責任とれ!
お前が生んだんだろう!
一生面倒見ろ!
ってなぐあいに。

そして、それに親御さんも、福祉事務所も振り回され、俺らはその決定に従うしかない、というのが現状だ。


今回のお盆休み。
イチマルはその初日にどうしても行きたいプロレスの大会があった。
俺も行かなかったけど、というか行けなかったんだけど、しかもお盆初日だから親のところに帰ればいいのに、とも言ったが、行く、と。
泊まりに入ってくれているTAROさんを誘って一緒に行ってきたらしい。
実家に戻ったのは翌日だ。

まあ、これは口外出来ない話だけど、事前に聞いたところでは、親御さんはいろいろご自身の予定もあってそのプロレスの日に帰って来て欲しかったらしい。

でもまあ、しょうがない。
俺らとしても、まあ早く帰ってもらうに越したことはない。
だって、やっぱ一日長くいるということは、例えば食事だったりいろいろの人をこっちが調整しなきゃならなくなる。
というか、実家に帰ってもらわない限り、我々には休みがない。

でもまあ、いいや、市丸が言うなら、となったわけだけど。

こういう部分を、遠くから見守って応援してくれる親御さんがいなければ、イチマルは「自分が行きたい!」を貫徹することはできない。
「こっちの予定もあるから早く帰れ!」と命令されたんでは、イチマルは親から一生離れられないからだ。


本来、こうしたことを市丸自身が決める力をつけ、それを実現することを繰り返し自信をつけさせるのが福祉の仕事だと思うんだけど。

つまり、市丸たちに関わる福祉の仕事は、親に責任を問わないところから始めなければならない。
じゃなければ、まず彼らは幼児でしかなくなってしまい、大人でもなくなってしまう。
となると、同年代、同世代の障害者じゃない人たちと同じことができる可能性をもつべきだ、というノーマライゼーションの意味からも遠くなるどころか、離れていってしまう。
というか、もう意味がない。
一生幼稚園、親がめんどうみる、親が死んだら施設、というのなら、福祉なんかいらない。
それは福祉ではなく、ある意味、生まれた時から決まっていた一生抜け出せない刑務所と同じだ。


ま、先の市丸の話にしても、これはそれぞれの親子関係の問題に直結してて、人によって対応は違うんだけど。
実家がないヤツもいるし。

そんな中で、親子関係がイマイチ、というか、遠くから見守って応援することができない親の場合、まあ本人はかわいそうだよな、と思うんだよ。

結局は、親の意向に沿わざるを得ないから。
親を説得する面倒なチカラを使うほど暇ではない。
正味な話をすれば、こじれたら本人のためにもならない。
結局、親の意向になっちゃうんだから。
しかし、その中では、本人の力はなにもつかないな、と思うし、自信もつかないだろうな、と。


親御さんには、まず、今の現状をよく理解してもらって、とにかく全てが親の意向である社会、ということを認識して行動してもらわないと、敵を見誤るし、本人がなにも成長出来ない。
その上で、その社会に闘いを一緒に挑みたい。






(BGM:野村真樹「一度だけなら」fromYOUTUBE)
→「一度だけなら、許してあげる。好きな貴方のウソだもの。騙されましょう。聞かぬふりして、許してあげる」
…う~む。
どうなんですかね。
これ、「逆に怖いじゃん」みたいな文脈で居酒屋でサラリーマンがわいわいするヤツでしょうけど、なんか俺はあんまりどうかな。
こういう演歌チックな人生はあまり好きじゃありません。

人生を楽しむ


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


ま、先日の広島でも、コウヘイが「カープの居酒屋に行きたい」みたいなことを言ってきました。

広島は基本全部自由行動だったので(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4493.html)、というのも、そもそも20数名の人がいっぺんに入れる店なんかないし、各々行こうや、みたいなこともありまして。
団体といっても、多すぎるとめんどうが起きるし、正直待つことが多い。
それもなんかもったいないじゃないですか。

そんなこんなで、行きたいところに、仲間を募っていきましょう、ということになってたわけです。


で、この前ちょっといろいろ思い出してみたんだけど、コウヘイが養護学校の高等部を卒業してここに来た時、まあとにかく「なにも言わない」という感じだったことを思いだし。
とりあえずみんなについては行くし、それはそれで楽しそうなんだけど、それだけで、彼が何をしたいか、みたいのはあまり見えなかった。

こっちも、まあ「◯◯行きたい」という連中に付き合うことで精一杯なこともありますから、ほってはおいたんですけど。


そしたら、その最初ついていったプロレスは楽しいわ、野球は楽しいわ、まあ野球はともかくプロレスには行ったことなかったとおもうんですけど学校時代、親とでも。
今や、プロレスに行きたい、と言いだし、そして行くに当たっては、自分の家のコンピューター(コウヘイはパソコンとは言わず、なぜかコンピューターと言う)で調べた対戦カードを書き写してくる。
野球も、「次、神宮で◯◯日にカープ戦があるから行きたい」とか。
これもまあ、コンピューターで調べてくるわけです。

先日は、「オールスターを一緒に見たい」とアキに言ってきたようで、会長の工藤さんちで俺も一緒に見まして。


なんでしょう、毎日一緒にいるから、その変化にあまり気づかないんだけど、振り返って「来たばかりの頃」というのを思い出すと、ずいぶん変わったことに気づかされます。
ま、そんなに振り返ることもないんで、ホントに時々ですけど、そういう変化に気づく。

今日明日じゃ、まあなにも変わらないし、そんなに変化はないけれど、長いスパンで考えると、確かに変わったなあ、と。


多くの作業所で、「朝来た時と同じ状態で親許に返す」というのが標語のようになってるようですが、ウチは「それだけ変わったか」が勝負。

人生、「あれがやりたい」「あそこに行きたい」「これ、やってみたい」というのが出てきてやっと面白いわけじゃないですか。
そして、それが実現するからこそ、逆に言うと、その思いがあふれ出てくるわけです。

そのためには、給料も上げなきゃならない。
だって、金がかかるから。
だから、にじ屋もがんばらなきゃならない、というコトにもつながるわけです。


大概が、来たばかりの時は、市丸も含めて、「行きたい」なんて言い出すことってなかなかないんです。
どっかに連れてってくれる、というのが前提の生き方をしてきているから(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4503.html)。
でも、それがそのうち、「俺はあそこに行きたいんだ」というのが出てきて、やっとなんか「自分の人生を面白くするのは自分次第」ということに彼らは気づく。
いや、そう言葉にしては気づいてないと思うけど、でも、そういうことだ。

この「人生を楽しむ」というのは、俺は一つの能力だと思っていて。

そのためには、コウヘイのコンピューターよろしく、なにか情報をまずつかまなきゃならない。
そして、それが「現実になる」という「確信」がそこに加わると、彼らは一気に開花する、


連れて行ってもらう場所が面白い、というのも、それはそれでいいことだ。
だって、よくよく考えたら、それも「楽しむ能力」なんだから。
俺なんかは逆に言えば、ほぼヤツらに付き合ってるとも言える。
だから、時に、「俺に付き合え」ということもある。

でも、それだけだと、人生が受け身でしかなくて、「これは自分の人生だ!」という意識がなかなか育たない。
それは、いろいろなところの意欲が育たない、ということでもある。


あの、まったくなんかワケのわからない、喋らなかったコウヘイが、こうやって「◯◯に行きたい」って言ってくるようになるんだから。

人は必ず変わる。
変わる可能性を持っている。
それは、知的に障害があっても同じだ、ということをコウヘイは教えてくれる。


そして一緒に行った広島のカープの店でも、なんか市丸はホームラン賞が当たって日本酒もらうし、この前のオールスターも、まあウチでテレビ見ても一緒じゃない、とは思ったりするけれど、いやいや、やっぱみんなで見たら楽しかったりして。
まあ、そういう意味では、コウヘイに感謝でもあります。

こうなると、次、逆に俺がなんか面白いところに連れてってやろうかな、という気持ちになったりして、倍々にみんな楽しくなる、ってイメージ。
仲間っていいよな、みたいな。




(BGM:「しねばいいのに」fromYOUTUBE)
→ボカロですか。
すげえよくできてますよ、これ。
というか、しねばいいのに、が、曲としては爽快な合唱曲に仕上がってる。
ま、Aメロの中身はよくあるアレなんで、例えばツブツブの最後が缶の中に残る、とか。
そこ、もっと深刻にしたら面白いのにな。

行きたい場所!


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


先日、大日本プロレスの新木場大会に行ってきたわけですけど。

カブキがね、行きたい、言い出して。
ま、いいことだと思うんですけど。

これまで、なんか話をしてたりするときに聞いてないというか、たいがい、大日に行く?行かない?なんて話をしていると、行きたいヤツは「俺も行きたい!」と言い出して、お、お前もか、みたいな感じでアレするんですけど。
時には、紙を貼り出したりもしますけど。

で、そうなると、会議とかで週間スケジュールの確認の時に早退をお願いしなきゃならないから、その時にもまあ「早退します」なんで?「大日があるから」みたいな話が出ます。

幾度かそういう話はカブキの上を飛び回ってはいますが、彼女はそれをまだキャッチできない。
というか、そもそも「どっかには誰かが連れて行ってくれるモノ」だと思ってる。
ま、遠足だ。

自ら行きたいといわなきゃ、そもそもどっかには行けないし、ま、一人でいきゃあいいわけだけど、彼女にはそのスキルはちょっとまだない。

もっというと、自分の時間を制してない。
「次はコッチです。その次はあっちです」という生活に慣れきっているからなのか、自分で自分の時間を作り出そうという気持ちはない。

彼女にしてみたら、みんなは大日に行ったりしてるのに、どうして私は「連れてってくれないの?」という感じなのだろう。
いや、別にあんたを特別に連れて行きたくはないよ(というスタンスは崩さないよ)。


前にも書いたと思うけど、市丸もここに来たばかりの実家通いの時は、「行きたい!」と言うものの、とにかくその後のセリフが「お母さんに聞いてくる」だったので、「そうじゃなくて、お前が行きたいところに行っていいんだ。お母さんには行って来るから遅くなる、と伝えればいいんだ」、ということをずっとまあいってたわけなんだけど。

つまりはまあ、お母さんが、お父さんが、ボランティアの方が、ガイドヘルパー?の人が「連れて行ってくれる」のが通例の状況で、「自分が行きたいかどうか」がよくわかんなくなっちゃってるというか、いや、そうじゃなくて、その「自分が行きたいかどうか」という実は一番大切なことがもう一番後回しになってるのだよね。

市丸はもうコッチで暮らしてるから、その辺はもうどうこうもなく、行きたい時は行くし、興味がないと一気にもう離れていく。

ま、それでいいんだと思うんだけども。


で、まあ、大日に行く行かないって話をメシの時だったかにしてた時、カブキも「私も行く」と言いだし。
あ、やっと言ったな、と言う感じなんですけど。
ま、彼女が行きたいのは知ってたさ。

てなことで、しかし、お金が必要になる。
ま、自分の金が底をついたヤツには貸したりもするけど、まあそもそもカブキの金銭管理はどうなってるのかよくわからない、というか、まあ親任せなんだ。
こっちもなにもしてない。
というか、おそらくカブキにとって「どっかに行きたい」という金が出せない家庭の状況ではないので、今まで、コバのように「家賃がギリギリ」みたいな思いはしたことがなかろうと思われる。

ま、ボランティアさんやヘルパーさんに連れて行ってもらうんでも、そもそも親は「迷惑かけちゃいけない」と思うから、金はちゃんと持たせるしね。
その中で、パフェが食べたい、ステーキが食べたい、それは、「金との相談の末」に出てきた欲求ではない。

簡単に言うと生活能力ゼロ、というか。
知的な認識ではもしかしたら市丸よりずっと高いような気がするが、市丸は生活能力だけは高い。
カブキなど足元にも及ばない。
それはそうだ。
やっぱ、親元から離れて暮らしてるだけはある。

計算ができなくても、字がそこそこ読めなくても、そういう力強さをね、やっぱつけていってほしいと俺は思うんだけど。


で、まあカブキにその前日、というか、前日が休みだったので、前々日の帰りに「チケットが○○円だから、いろいろ含めて□□円持ってきな」と言ってはありました。

でもまあ、正直「持ってこないだろうな」と思ってました。
彼女が持ってくるには、家に帰って、それを覚えていて、なおかつ□□という数字も覚えていて、親にそれを伝えなきゃならない。
けっこう、まあハードルが高い(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4365.html)。

でも、持ってこなきゃいけない。
というか、この時は、「もし、金がなければ、入り口で待っててね」という風に言ってありました。


どうしても、明日必要なコト、とかいう場合は、しょうがないので、メモを持たせたりもします。
つまりどういうことかというと、それを親が見るだろう、という目論見ですね。
カブキ自身から発信できなくても、親が「何?お金いるの?」と話を始めてくれれば、まあ「あ、そうそう」となる確率が高い。
というか、まあ親としては持たせるわ。
ま、この辺は連絡帳もないので、ガチです。
親が気づかなければそれも無理でしょう。

蛇足ですが、それは親の責任ではないですからね。
あくまでカブキの責任だし、ま、引けばそこに持っていけなかったコッチサイドの力量不足って話で。
逆に言うと、連絡帳があったら、カブキの責任は一気に後ろに引っ込んで、カブキ自身の生活が「親の責任」になってしまいます。
それはまあ、彼女が「なにもしなくていい」ってことになるので、自分が行きたいという場所のことですら。
だから連絡帳なんてのはイイトコ一つもないと俺は思ってますけど。
施設運営はスムーズにいくでしょうが、その分、彼女たちの尊厳を一気に奪ってしまう。

で、話戻しまして。
なんですが、まあ今回は金がなければないで、まあいいか、ってのもあって。
彼女に言ったように入り口で待たせるわけにはいかないから、まあ出してやることにはなるけど、今回はまあ自分で行くって言ってきたからそこまでかな、みたいなところもあって。


そしたら、まあなんか持ってきて。
朝からそのことをなんか言ってました。
「持ってきたからさ!」みたいな。

なんか、ここのところ低調だったカブキもやっとヒトから人間になってきたか、という感じなんですけど。


でも、なんていうか、こういうのって、例えば今回のように「大日を見に行きたい!」みたいなことがないと、そもそも机の上で、「行きたいところがあった場合は、自分で言って、お金を持ってくるんだぞ」なんて教えたって、実になるわけないンです。
「大日を見たい!」と思うからこそ、彼女はそういうことが「できる」わけでしょ。

それは市丸やコウヘイなんかも同じで。
コウヘイは家でコンピューター(と彼は言う)を見て、大日の対戦カードを全部紙に書き写してきていました。

それもね、字を書け、とか、字の練習しろ、とか、そういうことじゃないじゃん。
なんか対戦カードをみんなに伝えたい!みたいな思いが、知らず知らずのうちになんかいろいろな漢字を書かせてしまう、というか。

コバとかも、まあ家賃との兼ね合いとか、そういうのって、「きちんと家賃はとっておかないと」みたいなことをいくら言ってもしょうがないというか、現実に行きたい大日のチケット代とかがあって、初めて計算を始められる。

そう考えるとね、そもそも「なんかしたい!」「○○に行きたい!」みたいなことがなければ、あんまりヒトって学習しないのかな、と。
それってコバたちだけじゃないよな、みたいな。


彼らに何かをさせよう、何かの力を身につけさせたいと思ったら、まず「行きたい場所」を作ることが先決じゃないかな、と。

オレたちには大日がありますよ。
そして、選手も温かく連中に接してくれるので、とても、なんかありがたいのです。
ま、もちろん他にもいろいろあるけれど、大日はけっこうみんな等しくのってきてくれる。
にじ屋大会なんかもやってくれてるからですけど。


試合のこと書いてませんが、ま、大日ってそういう、なんだろ、家族感というか、仲間にしてくれる感じがあります。
そういうステキな団体なので、ぜひ、みなさんも見に行ったらいいと思うのよ。





(BGM:三波春夫「おまんた囃子」fromYOUTUBE)
→作詞作曲が三波春夫先生なのですね。
シンガーソング民謡。
冒頭の「おまんた~~~~~~~」が秀逸なのだな。

どうほっとくか


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


子どもというのは、「かまわれるのがキライ」という認識でいます。
もちろん、ベタベタ甘えてくることはあるでしょうが、それはまあ「向こうから」であって、大人サイドから「かまってよい」ということとは違うのではないか?と。
つまり、距離感が適切にはかれているか?ってことなんだけど。

ウチの子が通っていた学童の先生が、「小学校中学年になったら、座ってるあぐらの中に子どもを座らせてみて、すぐに立ち上がって向こう行ったら正常」って言ってて、まあなんかすごく納得したことがあったんですが。
それでもべたべたする場合は、何か問題があるかもしれない。
例えば、学校でいじめられてるかもしれない、とか、まあもちろん、これはあくまでそういう「通説」というか、そういう類いであって、そこに某かの根拠というか、数字的な某かはないんでしょうけど、でも、これには経験的に大いにうなずけました。

保育園の保母を長いことしていたオフクロも、「子どもってのは、かまわれない方がいいんだから」とまあ、あたりまえのように言っていたことがあります。


この話を、そのままカイや市丸にスライドするには、多少の問題があって、やっぱカイは大人だから。
そしてまあ、障害の特性みたいなモノもないわけじゃない。
障害の特性よりも、なんか個々人の性格、親の性格、が勝ってる気がする今日この頃だけれど、まあ、そういう面もないわけじゃない。

でもまあ、なんか、基本的にこの「かまわれたくない」ってのはわかる気がするんです。
つまりは、適切な距離感、というか。


市丸なんかは、その距離感を計るのが難しいというか、けっこう「グイグイ入ってくるな、おい」と思ったら、「す~っと」すり抜けたりして、つまり、距離感がまったく読めてないというか、そういう物差しが彼の中にないんだな、って話なんですけど。

よくまあ、にじ屋のお客さんとか、素人の方、というか、普通の方は市丸にちょっかい出したり、まあいろいろするんだけど、市丸はそれに対しては迷惑。
でも、市丸が何かを聞くのは市丸は聞きたい。
といっても、まあ聞いてはいないんだけど。
でも表面上のそういうやりとりは好き。

つまり、「かまわれるのはイヤだが、かまうのは好き」という、距離感メチャクチャな感じになるわけです。
だから、なんか「付き合いにくい」ということになる。
子どもの頃にクラスにいたら、やっぱり浮きます。
だって、どう付き合ったらいいか、どういう距離感を持ったらいいかがよくわからないんだから。

ま、結果として、市丸は「何も言っては来ないが、自分が言ったら答えてくれる人」が好き。
自分のことは、とりあえずほっておいてほしい。
そこにグイグイ入っていくと、結局市丸はスッとすり抜けていく。


逆に言うと、俺なんかはもう「グイグイ入らざるを得ない毎日」だから、そもそも市丸は俺になにかを「言われたくない」んだよね。
でも、聞きたいことはいっぱいあるし、一緒にやってほしいこと(例えばどっかに行くとか)もいっぱいある。
ココ重要で、つまり、市丸としては「やむを得ない」という感じなんだよね。
やむを得ず、佐藤さんと付き合う、みたいな。

これはもう損得の話で、とてもなんか浅ましい感じがしますが、市丸の他人との距離感はそういう感じですね。
自分にトクがあるから、仕方なく佐藤さんと付き合っている、という。

それを忘れちゃって、こっちがちょっと踏み込んだりすると、逆切れを誘発したりする。
というか、それはまあ、意図的にやる場合もあるし、というか、そういうラインは一応わかってはいます。
時に感情的になりすぎて、そのラインを越えちゃったな、失敗したな、みたいなことを後で思ったり。


こう考えると、カイの場合なんかは、そもそも喋らないし、特に趣味もない…そういう感じだから、もう「トク」もなにもない、と考える事ができますから、基本もう「かまわないでほしい」んだよね。
自分からはかまってもらいに来るけれど、他人からは来るな、みたいな。
カイからは俺にチューを迫ってくるけど、ふざけて俺から行くと(行きたくはないが)嫌がったりね。

これ、まあ朝のマラソンとかでもそうなんだけど、適切な距離感、ってのがあって、間合いをつめればつめるほど、カイは逃げます。
だから、いい間合いで、イイ感じでマラソンができるのが一番いい。
その「距離感」ってのをつかむのは難しいけれど、でも、できないことじゃないと思う。


やっぱり、知的障害者に対して、って考えちゃうと、どうしても「なんかしてあげる」的な感じになりがちなんだけど、どっちかというと、「どうやってなんかしてあげないか」ってコトを考えた方が、なんか長続きするような気がする。

つまりはまあ、距離感、なんだけど。
「どうほっとくか?」
「どう適切に距離を開けるか?」
みたいな。




(BGM:青山ミチ「恋はスバヤク」fromYOUTUBE)
→「地震や火事なんかはへっちゃらだけど とってもガマンができないそれは寂しい気持ちで1人でぽつんと座ってならなきゃならない~」あたりのブレイクがカッコイイぞ、これ。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE