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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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ファイティングポーズを取らせない


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先日、シークレットですが、って書いちゃってますが、親御さんとちょっと話をする機会がありまして。
まあ、親曰く、実家に帰るとなかなかこううまく「言うことを聞かせられない」という。
服も夏用に出来ない。
マスクもしない。
みたいな。
でもまあ、別にこっちに来たらやりますねえ、簡単に、と。

他にも色々あったんですが、まあ結論としては「親では出来ないこともある」ということになるんですけど。
まあ、実際そうで、やっぱ親と子は一対一になりがちですが、こっちに来ればこっちも複数いますから。
なんとかいろいろな方法を取ることが出来る。
だから、できるコトが増えるのは当然だと思います。
どんなに頑固な「こだわり」でも、けっこう解放させてやることが出来る。
…という話はよく書くんですが。

けど、もう一つありましてね。
頑固にこだわりを発揮しているカイなんかに、スルッとそのこだわりを捨てさせて次に進ませる方法、というのが。
方法、というか、ちょっとしたことなんですが。

例えば「マスクを嫌がる」というのがあるとします。
まあ、マスクを嫌がるというのは色々ありますから、無理してすることはないと思うんですよ。
でも、実際に混み合った場所なんかになると感染が心配だったりします。
だからマスクはさせたい。
けど、させようとすると「やだ!」と拒否される。
だから「連れて行けない」ということになる。
結果として本人の行動は制限される。
ま、いいことはない。

まあ、コロナ以外でもマスクが必要になる場面はありますね。
「コロナなどない!」とかいう陰謀論的云々でのマスク云々の論議はこの際どうでもいいです。
わかりやすいんでこの例を出しました。
ま、今の時点でもすべき、とは思っています(これを書いているのは六月の上旬)。

この「マスクしなさい」「しない!」というやりとりは結果が出ない限り不毛。
そして疲れる。
疲れる、ってところが重要で。
こうなると、もう親サイドが最初からあきらめる。
本人は「マスクをする」「マスクをすることで行ける場所が広がる」という経験を、確実に「できない」ことになる。
自分からはマスクはしないですから。
でもまあ、親の精神衛生上、あまりこの「疲れる」を無視しない方がいいと思います。
「それでも頑張らなきゃ」は、やっぱおいつまっちゃうんで。
そうすると他の部分がヤバくなりますから。

でね、その親御さんとの話の中で、この例だとまず「マスクしなさい」と言ってるワケですが、俺は言わない、と。
言ったら「マスクやだ!しない」と返されるから。
なんで、「マスクしない!」というファイティングポーズを取らせる前にマスクをさせちゃう、ということなんです。

だから、マスクをすることの有用性やなぜしなければならないかは説明しません。
でも、確実にマスクをすることで映画も見に行けるわけです。
そういう経験を積み重ねてやるしかない、と思っていて。
だから、まず問答無用でマスクをさせる。
いや、問答無用という言い方は違いますね。
少なくともチカラづくではマスクをさせることはできません。
それこそ不毛。
そんな不毛なことをする時間もありません我々には。

だから、例えば自分がする、井上がする、というところを目の前でやり、渡すんです。
ただ、渡す。
で、それには触れないで「さ、映画に行くよ」といって外に出る。
そうすると、まあ「マスクしない!」というファイティングポーズを取る余裕がなくなるんですよね。
問題はもう「映画に行く」に移っている。

ま、そういうような感じですね。
とにかくファイティングポーズを取らせない。
面と向かわない。
着替えろ、と彼の顔は見ない。
けど、自分が着替えながら、「暑いからこっちの半袖を着な」という感じで、ただ渡す。
そうすると、たいがい着替えちゃったりする。

え?と思われるかもしれない。
「うちの子はそんなに簡単には言うことをきかない」という人もいると思います。
でも、そう言われて「ものすごい強敵」と、鳴り物入りでやってきた連中もたいがいこれを続けているとやるようになるんだよな。
あ、一度ではうまくはいかないよ。
行く場合もあるけど。
でも、「こういう場合はスッと言うこと聞いちゃった方が楽しいことあるもんな」と思わせられたら簡単なんですよね。

大事なのは、マスクをすることじゃなくて「自由に外出できる」ということだから。
そこを常に考えて、マスクに闘いの照準を合わせないというか。
マスクの闘いについては避ける。
避けるためにファイティングポーズを取らせない。

ま、そんな理屈でしょうか。
とはいえ、ファイティングポーズを取らせないのは「なんとなくの雰囲気」なので、うまいマニュアルは提示できませんが。






(BGM:REBECCA「London Boy」from「The Best of Dreams Another side」)
→埼玉出身のレベッカ、といって当たっているのか。
とにかくこのバンドは彼女の声がいいのだな。
当時はまったくまともに聞いたこともなかったが、先日ツイートで流れてきた彼らのライブ映像はなんだか鬼気迫る彼女のフロントマンというか、祈祷師のそれというか、なかなか神がかっててすごかった。

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友だちは難しい


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まあ、「つきあい」ってのは疲れる、というのは誰しもが思うところかと思います。
どのくらい疲れるか、ということに関しては人それぞれで、もうどうしようもなくイヤ、という人と、「まあでもそんなに苦にならないかな」という人もいよう。
ま、相手にもよりますね。
「この人に関しては別にいいのよね」「あーこの人苦手!」みたいな。
前者は友だちだったりするんだろうし、後者は友達とはいえ、知り合いに近い、みたいな。

確かに、オレもあまり知らない人と話すのは得意じゃない。
とはいえ、でも知らない人と話すのはどっか世界が広がるような気持ちにもなる。
まあ、知らない言うても、たいがいは「ツイート見てます」とか「スーパー猛毒ちんどんのライブ見ました」とかいう場合が多いし、逆にオレがツイートとかを見て「ああ、ココ楽しそうだな」とかでこっちからいく場合もある。
だから、どっかとっかかりはあるわけで(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5944.html)、そんなに苦になってるか?と問われればそうでもない気もしなくもない感じがする。
確かに「どっちか」と言われれば苦手ですけどね。
一方、気のおけない仲間と飲むのは楽しいので、それは毎日でもやりたい。

人って、やっぱ他人と付き合うのは「きつい」けど楽しいし、喜びがある。
人間は社会的動物であるともいわれていますから、他人との関わりというのは他の動物に比べて重要な位置を占めているんだろうとも思う。
今は直接会わなくても、ツイッターとかそう言うので知り合いになるとか、やりとりをして「面と向かってはいないが友だち」というのもあるんだと思うけど、そういうの含めて、やっぱ「人とつながれてない」というのはさみしい。
というか、人生、キツいと思う。

しかし、やっぱり人との付き合いは経験が必要で、「こういうことを過去にやってしまって疎遠になってしまった人がいる」とかね、そういう経験を経てだんだんと「人との付き合い方」を学んでいくわけだ。
保育園の頃、オモチャの取り合いとかから始まって、親友ができたり、そこそこのつきあいでいいや、という人がいたり、裏切りがあったり、そんなことを経て人は他人との関わりを学んでいく。

さて、一方で、親との関わりって考えると、親と子ってのは、そもそも裏切りはないわけです。
あ、まあいろいろ複雑な事情がある家庭の場合はそんな風に上手くいくことばかりじゃないとは思いますが、それはちょっとまたの機会に。
最終的にはどっか和解する。
せざるを得ない。
子どもがどんなにワンワン泣いても、まあ親は受け入れるしかない。
もうちょっと成長して考えてみても、親との約束と友だちとの約束ではやっぱり緊張感は変わる。
親との約束は、友だちとの約束によって破棄されることだって多い。
つまり、親との約束はちょっと破ったところでまあ、関係性が揺らぐことはないのだ。

だから簡単に言っちゃえば、友だちとの関係の方が難しいのである。

知的に障害を持っている連中がウチにはいるワケだけれど、彼らにはここまで友だちというのが存在しないことが多い。
いや、存在しない、という言い方はちょっと違うのだが、例えば「前の作業所の人と飲みに行くんだ」という話は一切ない。
これ、知的に障害がなかったら、例えば「前の職場の人と久しぶりに飲みに行くんだよ」って話はありそうだけれど、そういうのがない。

つまりは、友人関係というのは難しい、彼らにとっては不可能(難しいの最上級)ことなのだ、ということと言えなくはないが、そういう状況を作り出してしまっているこっちサイドの責任もあろうかと思っている。
もちろん、親サイドの責任も。

つまり、確かに友人関係は難しいから、親としては「そんなことしなくたって、映画なら親が付き合ってあげるわよ」ということになる。
無意識かもしれないが、どっか「友だちに裏切られる絶望」を感じさせたくない、ということもあろうかと思う。
それは同じ親としてわからなくはない。
しかも、そもそも学校時代から「友だちと待ち合わせ」ということすらなかなか現実化しない彼らだから、約束、というモノが友だちと共有できないというか。
それをまあ、最初のウチはなんとかこっちサイドが「暗躍して」作ってやれないと、なかなか彼らは「友だちとの約束」には発展できない。
ウチの場合は、それでもそこは必至に守ってるところである。

というわけで、じゃあ我々とイノウエたちの関係、ということになると、これまたなかなか難しいところがあります。
新人はやっぱり、彼らの言うことを「聞いてやる」というところから始まりますよ。
そりゃそうです。
例えそれが多少ムリムリな話だったとして、まあ聞いてやる。
明日映画に誘われたとして「じゃあ行きましょう」みたいな。
それがだんだん関係性が深まっていくと、「オレはその映画は見たくないわ」とか、「明日は無理だわ」というようなことになっていく。

つまりですね、新人はどっか「親」なんですよ。
関係性として、ですけどね、そういう部分がある。
言うことを聞いてくれる、受け入れてくれるみたいなことで。

でも、だんだん新人じゃなくなっていけば、そりゃ「その映画はみたくない」ということにはなっていきます。
そこで、「どうやってその人と映画を見に行くか」「違う人を誘ってみる」「この人はどの俳優さんが好きなのか」「この人はどういう趣味を持っているのか」ということを考えざるを得なくなる。
ま、普通の友人関係にちょっと近づいていくというか。

というようなことで、こっからまだ続けられそうだけど、まだなんかまとまらないので、今回は終わり。






(BGM:Sonic Youth「Saucer-Like」from「Washing Machine」)
→基本は良質なポップなんだよな。
ただこの曲はイントロなんかすごく凝ってるし、間奏?部分のどっか調子っ外れなギターとかもどっか惹かれるところがある。

「自分の家で紅白を見たいんだよね」


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まあ、コロナが流行ってまして。
困ったもんです。
なにせ政府が無策ですからね。
その上、すぐに検査も出来ない、発熱外来はいつ電話してもつながらない。
これではもう棄民政策と言われても仕方ない(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6121.html)。

というわけで、この年末、イチマルなんかの帰省をどうするか?という話になりまして。
ただ、これまでの経験から、電車バスについてはリスクは少ないのではないか、という一つの推測が我々にはありまして。
なんで、実家がまず感染してない、そしてどっかに出かけて飲んで騒いでをしなければ大丈夫だろう、という読みがありました。
で、今回は「本人がどうしたいかに任せよう」という方針を立てました。

そもそも、本来は実家には帰ってもらいたいところもあるんです。
というのは、まあこっちが休めないっていう大人の事情もありますが、もう一つはやっぱやっぱ親としては一目見ればいいんだと思うんですよ。
普段けっこうみんな帰らないし。
もちろん、別に帰るなとか言ってるわけではまったくないんだけど。
盆暮れくらいしかみんな帰らない。
だからこそ、この盆暮れは大事にしたいところがあって。
親が一目見て、「ああ、この子は成長したな」でもいいし、「変わったな」とか、「大人になったね」とか、そういうことなんだけど、一目見たら分かることってあると思うんですわ。
だから、盆暮れは親にそういうことを思ってもらえるいい機会だとは思ってて。
そういう中で、「親が普段手をかけなくても障害者でもきちんと親から離れて暮らせるんだ」という確信を親に持ってもらえるんじゃないか、と。
そういう人を増やしたいわけだから、時にそうやってそのことを「一目見て」感じてもらえる機会だなあ、と。
そういうことをまた親が発信してくれれば、世の中は変わっていくかな、とか。

やっぱ、障害者を産んだら一生めんどうみなきゃいけない、という世の中は変えていかなきゃいけない。
じゃなければ、福祉の意味もない。
本人はもちろん、やっぱ親が「手放していいんだ」と思ってくれなければ世の中は変わらない。
どっか「手放したら世の中が自分を責める」という世の中だからね。

それでも「施設に預けた」といえば、多少責められ感は少なくなるわけだが、じゃあ施設で彼らがどうなるか?といえば、そりゃ「親がめんどうみなかった罰」とでも言うような、自由に外に出れないような生活。
決まった毎日。
なんの要求も通らない生活。
ま、オグラはそれで廃人になってここに来たんだけど。

つまりはもう、「親が面倒をみる」なんですよ日本は。
そうじゃなくて、親が面倒をみなくてもなんとかなるじゃん、むしろ楽しそうじゃん、ということを世の中には伝えたい。
というわけなんで、まあ多少いろいろあっても、「帰ったら?」ということは言います。

で、ある日イチマルと回収に行っていた日に「今年はどうなるかなあ?」という。
まあコロナになってから、「今は帰るのは止めよう」とか、帰ってもいいよ、という話をせざるを得なかったので、イチマルも「佐藤さんが帰れというか帰るなというか」が気になっていたのだと思う。
でも、今回は「本人がどうしたいかに任せよう」という方針というのは冒頭で書きましたが。
なんで、「いや、今年はどっちでもいいよ。お前はどうしたいの?」と聞きました。
そしたら即答で「帰りたくないな。オレは自分のウチで紅白を見たいんだ」と。
「ほら、格闘技もやるでしょ!」とか。
「あ、そうなんだ…」となりまして。
「格闘技やるのかどうかは知らんけど…」と。
そっから、なぜか「隠し芸大会も見たいけど、なくなっちゃったでしょ?」とかひとしきり正月のテレビの話になった。
「マチャアキさんのテーブル引きみたいんだよねー。でもあれかね、お金かかりすぎるんかね?」とか、なんだかテレビ局の財政状況まで思いをはせていた。

ま、まあコロナがない例年なら「でもお母さんに顔見せたら?」とか一押しするんだけど、帰りたくないモノを帰してコロナに罹患する可能性を広げるよりは、と考えて、今回はそれはしなかった。
彼にとっては、もうこちらでカイたちと暮らす家が「自分の家」で、実家は「親の家」になったんだな、とも思いました。

で、他にはオグラとイノウエは帰るということで、他は帰らない、という結論に。
実はこれを書いているのはまだ2022年の年末なので、これが掲載される新年明けてどうなるかはわかりませんが、とにかくコロナには感染しないで帰ってきてもらいたいと思うし、こちらの連中も感染しないで正月を終えたい。

ま、いいことだとは思うんですよ。
誰だったか、福祉の世界で偉大な先生が、元施設の人で、その人が子どもたちに「一番楽しみな日は?」と聞いたら、「家に帰る日」と答えたって逸話がありまして。
これじゃいかん、とその先生は施設の改革をしたのか、施設を辞めてほかのことをしたのか、ちょっと記憶が曖昧ですが、そんな話。

ウチの場合は、けっこうみんな「帰りたい帰りたい」と騒ぐこととかがないし、むしろ「家に帰りたくない」と言っているのだから、まあうまくいってるのかな、と自画自賛。
今年もいい年になればいいな、と思います。






(BGM:Plastic Tree「May Day」from「Puppet Show」)
→なんでしょうこちら。
どっかマッドカプセルをソフトにしたような、と言ったら怒られるのか。
ブレイクとかもいいし、まあう~ん、この曲に限ってはなのか、ボーカルにちょっとオレは物足りなさを感じるが。
でもまあ嫌いじゃないですねこの感じ。

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