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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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働け、もっと働け、あくまで働け

映像ディレクター中村明氏により、我が「デスマーチ重戦車軍団・スーパー猛毒ちんどん」を題材にしたドキュメンタリー映画が完成!。
タイトル「凸凹に膨らんだ風船」。
6/12(日)完成披露試写会あり。

詳しくはここをクリック!


+0000スーパー猛毒ちんどんpast24
もっともっとスタイルよくして、もっともっとカッコイイ衣装を着ような。


お願いやお知らせを、以下にまとめました。みて下さい、お願いします。
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今日はまた日曜呑み会でした。
飲みながらもやってることはいろいろで、一部には人生ゲームをやってる一団あり、プロレスのDVDを観ている一団あり、男にからむ女あり、BGMと共に踊っている一団あり、それを観て笑ってる一団あり。
提供品でほぼ埋め尽くされて机の置き場くらいしかないスペースで、まあよくこれだけいろいろなことが展開できるモンであります。
けっこうなんか酔っぱらっている人が多い気がするが、オレの作った酎ハイがいつもより濃かったか。


やっぱね、オレ思うんですけど、自分の力で働くとか、親がいる作業所でお世話されるんじゃなくて、自分の力で生きている、っていう思いを、もっともっとみんなにもって欲しいなあ、と思うんだよね。
どうしても、親子一体でしょ、世の中の知的障害者への見方って。
きっと他のところじゃ、呑み会一つ親抜きじゃできないところも多いんだと思う、っていうか、忘年会が昼の1時から3時、とかっていう作業所もあるからな、呑み会自体が無理なのか。

もっともっと、他の人もね、自分の足で出てきてほしい。
いちいち親の顔色見ないで、自分の思いで、出てきて欲しいし、仲間になって欲しいと俺は思います。
ここに来れば、君には親の生活圏を越えた新しい世界があるって、きっとわかるんだけどな。
毎週毎週手紙をよこしてくるヤツとかもいるんだけど、書いてある中身が彼女が養護学校の高等部の時と一緒。
もう、時間が止まってる。
悲しいよ、ホント。


まあ、知的障害にかぎらず、外に出れない人というのがずいぶん多くいるようで。

「青年に勧めたいことは、ただ三語に尽きる。働け、もっと働け、あくまで働け」
これはかのビスマルクの名言であります。
イイ言葉ですね。

目標がない、することがない、社会に出たくない、などという若者が多い昨今こそ、この言葉は重要な気がする。
元の意味はよくわからないけれど、とにかく与えられたことを一生懸命やる、ってことだよな、ってこの言葉を聞いて俺は思います。
若者とは、そもそも社会人の中でまだまだひよっこなわけで、「場所を与えられる存在」なわけですよね。
最初から大企業の社長の人はいないわけで。
だから、まずその場所で精一杯力を発揮すること、だと思う。


オレは、就職したことがないので、というか、虹の会の専従ではあるけれど、自分でやっていた会の専従になったわけで、しかも第1号だから、最初から面接する側なんで、「就職した」というイメージとはかなり違うと思います。
なので、直接なにか「場所を与えられた」というのとは違うかもしれないけれど、やっぱりしなければならないことを着実にやっていくしかなかったなあ、と今になって思います。
今だったらそれこそイベントでもバンドでも、ある程度好きなことを提案して好きにやることができますが、当時、まずそんな余裕はありませんでした。


今の世の中、どうも「個性の尊重」とやらで、「アナタのしたいことは何?」という問いかけが小学校の頃から盛んに言われるようになっています。
その結果、「自分探し」に翻弄される若者の何と多いことか。
前にも書いたように、オレは自分探しでインドにいくのなら、油田を探しに行った方が生来好きなことができると思うんだけど。

そして、何か壁にぶつかった時に、「コレは自分のしたい事じゃない」という言い方で逃げることを正当化できちゃうんだよね、「個性の尊重」。
今のニート的感じやフリーター的感じを助長している一つに、この「個性の尊重」というのがあると思う。
もちろん、非正規雇用を進めようとした雇用側の思惑もあったわけだけれど、それに勝る個人の個性なんかそもそもなかったんだよ。

だから、「働け、もっと働け、あくまで働け」。
オレはそう思います。


オレは思うんですよ。
たとえ、びっしょり汚れた手ぬぐいを腰に結わえてとぼとぼと帰り道、そして自分のうちの前で立ち止まって、覚悟を決めてドアを押す(by友川かずき・http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-91.html)ような、そんな人生だったとしても、何が問題があろうかと。
自分の子のため、必死に働くことが、何が悪いのかと。
自分らしいとか、自分のためとか、そんなことじゃなくて、家族のため、人のため、泥のように毎日をおくることの何が悪いのかと。
いつからそういうのが悪いことになって、自分らしくなきゃダメってことになったんだろう。

だって、そうじゃないか。
人のために働く、自分のことより先に人のことを考える、そんな風にもっともっとみんなが生きていけば、それで世の中はもっともっとよくなるだろうに。
それが例え自分の子のためだったとしても、そもそもそれが大人の責任だし。


生きていくなんて、そんなに楽しいことばかりじゃない。
でも、産まれてきたなら、死ぬまで責任を果たして生きていかなければならない。
ただそれだけのことだとオレは思う。

考えることなかれ。
「働け、もっと働け、あくまで働け」


そしてその中にだけ、きっときらっと光る瞬間があるんだとオレは思う。


(類似記事:http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-143.htmlhttp://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-179.htmlhttp://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-293.htmlhttp://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-333.html





(BGM:歌愚也「あんたがヒーロー」from SINGLE)
→これは、どうも関西のあの大御所がやってるとか。
基本的には歌謡ラップというカテゴリーでいいのか。
「ヒーロー、ヒーロー、アンタがヒーロー、アンタが一番カッコイイ……わけないやんけ、ぼけ!」
スカッとしますよ、この曲は。
ラップはやっぱこうでなくっちゃな、と思うんですよ。
ブラックじゃなきゃスカッとしないし、まあこれは直接的すぎるキライはありますが。
「人間もどきのデクノボー、アンタ以外におりまへん。人のために世のために、地球のために宇宙のために、とっとと早く消えてまえ!」
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「人になんか言われることの幸せ」がちゃんと幸せである社会に

+000スーパー猛毒ちんどん24
「旗」というパートがあるうちのバンド。
こういうのが、俺はすごくいいと思っています。

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ブログの原稿は、ちょこちょこ書いていまして、下書き状態というか、そういうのがけっこうあります。
その中で、今の状況に合うモノというか、そういうのを出していくわけですが、こうなると、何を出したのかよくわかんなくなっちゃうので、まあ話が続いているのかいないのか。
というか、そもそも最近アクセス数が減っているので、まあ、震災とかもあったからでしょうけど、頑張っていきたいと思います。
一部分のカテゴリーが楽しかったりとかもあるかと思いますので、その部分だけでも、ぜひそう思ったら宣伝して下さいな。


俺が子どもの頃、オヤジはほとんど家にいませんでした。
仕事人間だったんですね。
養護学校の先生をしていました。
そして、あまり合わないこともあって、恐かった。
きっと怒らなきゃならないときに顔を見て怒ったりしていたと思うので、普段の遊んだりというようなことがなかった分、恐かったのかもしれません。

日曜も学校に行っていることも多くて、おふくろとのかねあいだったのか、よくオヤジの学校にも休みの日なんかに一緒に行きました。
学校には他にも先生がいて、若い女の先生とかがよく相手をしてくれました。
オヤジはその間仕事をしていましたね。


ということで、実は家族でどっかに行ったということがないんです。
一度だけ、従兄弟の家族と海に行ったことがありました。
でもそれだけで、一人っ子だったこともあったんでしょうが、家族そろってどっかに行くという習慣がないというか、家でなんか誕生日を祝うとか、そういうのもあんまりなかった。
誕生日とかそういうときには団地の同じ階段の人が集まってウチでなんかやるみたいな事が多かったかな。
まあ、時代的になんかけっこう近所は仲良かったですよね、今よりずっと。
他人の家の醤油の場所がわかりましたから。

遊園地というのもだからあまり行ったことがない。
近所の家族が行くときに連れて行ってもらったりはしたけど、家族では行かなかったな。
デパートもおふくろと行ったり、幼なじみのウチの家族と行ったりはしたけど、オヤジはいなかったし。


今の時代、けっこう家族重視というか、そういう流れになっていますよね。
仕事ばっかりをやめよう、モーレツをやめよう、みたいなことですかね。
授業参観に親父さんが来ていることも珍しくないですからね。
オレも行きましたけど。
まあ、俺はウチも虹の会も徒歩圏内というのもあるから、ちょっと抜けて行くというのは簡単なんですが、他のお父さん方は仕事を休んでるんだろうな、と思ったり。

いいことなんでしょうね。
それはそれで。
でも一方で、近所とかの助け合いは減ったんでしょう。
家族の中でなんとかなっちゃうんだもんね、助け合わなくてもいいわけで。
隣のうちは子どもだけだから、ウチでご飯食べさせてやろうよ、みたいな近所のお節介が消えたんだな。
確かに、なんかしてもらったら返さなきゃならないし、まあ、家庭に他人が入るのはめんどうといえば面倒です。

けどね、気にはなるんですよ。
そうやって、ゆとりのあるお父さん像をめざした結果、ニートだとか、家庭内暴力だとか、虐待だとか、そういうのが増えたんじゃないか、って。
確かに、昔からそういうことはあったんだと思いますが、だとしても、それは解消されなかったということだし。


ついぞ前に、前会長のかおるさんが住んでるマンションの上の方の階で虐待死があって、報道陣が来て大変だったとか。
「なんか声は聞こえるとは思っていたんだけどね…、学生が騒いでるのかとも思ったんだよね…」とかおるさんは言ってました。
お節介をしても逆に怒られちゃったり、「そんなことしちゃダメだ」って子どもを叱ったら、親飛んできて「よけいなこと言わないで下さい」とか。
そんなこと言われるくらいだったら、言わない方が、ってなっちゃうし。

だからですね、「人に言ってもらえることの幸せ」というのが、どんどんなんか幸せじゃなくなって、「メンドウなコト」になってるんだな。
先輩に仕事で注意されても「メンドウ」。
隣の人にゴミ出しのことで言われても「メンドウ」。
あ、そうか、だからすげえ個人主義なんだ。
「社会に対する自分」という視点がないんだな。
だから、社会にとって有用な人間であろうとしない。

でも、それじゃ、やっぱ国は滅ぶよな。

という一方、こういう震災とかがあって、力になりたい、という人が多いのはすごくなんか開ける気分ですよね。
だから、その遠い被災地に思いをはせるのと同じように、隣の子どもが泣いていることに思いをはせられればいいわけだよな、うん。




(BGM:速水ユリとマーブルス「マリリン・モンロー・ノー・リターン」from「昭和レジデンス/赤盤」)
→野坂昭如さんのカバーですか。
名曲ですね。
「この世はもうじきおしまいだ、おれたちゃ毎日お祭りだ」
そして、すごいなんていうの、このバージョンはグルーヴ感に溢れていて、もう新しいよ、逆にね、こうなっちゃうと。

カッコつけてれば、いつか本当にカッコよくなれる!   …はず!

孤立を恐れず、連帯を求めて。
3/20、障害者まつりを「壊しに」行きます。
詳細は「3/20 障害者まつりを 「壊しに」 行きます」を読んで下さい。

今のままじゃダメだと、少しでも思う方がいたら、そして、上記リンク先の文章を読んでちょっとでも何か触れた方は、オレたちのステージに集まってください。
例え、それが一人だって、二人だって、オレたちは待っています。
そして、力の限り、歌います。

時間はだいたい1:30くらいから。
場所は県障害者交流センターです。


0スーパー猛毒ちんどん27
これは「スーパー猛毒ちんどん’S マーチ」の振りつけがかなり際だって見れる写真でありますな。
なかなか揃っています。

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オレは大体毎日朝は8時過ぎにはネットに行くようにしています。
これは週7日です。

まあ、子どもの学校に行くとか親を病院に連れて行くとか、自分の用があるときは行きませんが、それはそんなにあることではないので、あっても月に一回とか二回とか。
寝坊することも年に1回とか2回とかはありますがそんなもんです。
ついこの前寝坊したけれども。
なので次の寝坊は半年後くらいですね間違いがなければきっと。


例えば2時3時くらいまでこのブログの原稿を書いていたり、どっかになんかを見に行っていたり、飲み食いしていたりとか。
家に帰って風呂に入ってちょっとかたずけモンをして寝るとなると、3時4時ということになります。
それでも、それはしょうがないですね。
昼ころに家に帰ってご飯を作ったり掃除をしたりもしますが、その時にワンレム睡眠分くらいは寝たりしますが、いろんなことで時間が細切れなので、がっと寝るというのはちょっと時間的に難しい。
だいたい、夜にいろいろどっかに出かけたりということになるので、ネットの仕事終わりころ、夕方にはまた家を出ます。
もうそういうことなんで、それはそれです。

それでも遅刻しないというのは、なんでですか?と聞かれますが、きっと格好つけてるんだと思います。
その方がカッコイイと思うからです。

つまり、オレ一人だったと仮定すると、というか格好つけなくていいや、みたいな気持ちになったりしたら、オレはそんなにチャンチャンとした性格ではないし、努力家でもないので、起きないと思います。
起きれるから起きているわけじゃなくて、かっこつけるために起きているんです。


なんでもそうです。
かっこつけてるんだと思います。
佐藤さんはすごい人だなあ、かっこいいなあ、憧れるなあ、といわれることを目標に、すべきことをしているという気がします。
まあ、できないことはできないんでしょうがないですが、早起きはオレの中では努力でできることで、それをしようってことなんだな。

見た目もカッコイイ方がいいです。
だからハゲが恨めしいわけですが、まあそれはしょうがないとして、やっぱりカッコイイ服を着れば立ち振る舞いもかっこよくなる(というかっこつけられる)のが自分でもわかります。
見た目よりも中身だよ、ってそんなのあたりまえで、だからこそ見た目だとオレは思うんですけどね。


ついこの前、熊本でとてもイヤな事件がありました。
新聞で犯人の写真を見て、「やりそうだよな」と思ったのは俺だけではあるまい。
いつからこのタイプが「やりそうなヤツ」になったんだろう。

大学にまで行っていたんなら、幼女を誘拐する、殺害する、そんな事件を起こしたら、親がその後どうなるか、兄弟がいるのならその兄弟はどうなるのか、想像がつきそうなモンだが、やっちゃうんだよな。
友達はどう思うだろう、とか、もう、何もかにもがおしまいなわけですよ。
つまり、きっと彼には他人がもう存在していない。
かっこつける相手がいない。
どう思われるか、なんて関係なくなっちゃったんだろうなあ。

去年くらいから学校にも行ってなかったというから、もうその頃から他人を拒絶し始めていたんだろう。
きっかけは何なのかはわからないけど、でも、絶対にしてはいけないことを彼はした。
なんで、こんなに孤立することができるんだろうか。
かっこつけたい相手がいないなんて、どういうことなんだろう。
被害者はもちろん、親兄弟親戚ご近所もろもろまで地獄に落とすほどのことができるほどの孤立、ってなんなんだ?


この前、ネットの会議後に「グループミーティング」というのをやってみました。
グループに分かれて「失敗」ということについて自由に話し合ってみたんです。
俺のグループは、俺の他に井上、外口さん、タカノブ、陽子の計5人。
その中で、いろいろ話はでたんだけど、「失敗を正直に言わないとずっと背負っちゃう気持ちになる」「失敗を言えばスッキリするのに…」「でも失敗を言うとみんなに信用されない気持ちになっちゃう」「人の失敗にはいろいろ言ってるのに、なんだよ、って思われるのがイヤだ」なんて話も出ていました。
そこには明白に「仲間」がいて、「どう見られるか」を意識しているみんながいました。

でも、この犯人にはそれがない。
しかもこの犯人、福祉を専攻していたとか。
う~ん、だからさあ…、「弱者相手」なんて舐めて福祉を専攻するなよな…まったく…。


思うのは、何より大切なのは、「かっこつけよう」っていう気持ちだな、ってことです。

どうですか。
みなさんかっこつけてますか?。
やっぱ、かっこつけていきましょうよ。
やせ我慢でけっこう。
とにかく、かっこつけよう。

そして、かっこつけようと思ってさえいれば、いつかホントにかっこよくなれる気が、今はすごくします。




(BGM:MOON DOGS「WO AI NI」from SINGLE)
→あの「イクラちゃん」のバンドですね。
一言でカッコイイ。
アルバムが欲しいんですが、ちょっとまだ手に入れていません。
いわゆる横浜、じゃねえな、ハマとロックンロール、リーゼント、そんな感じのかっこよさを全部詰め込んでいる感じがします。

世の中には「正解」はない

0スーパー猛毒ちんどん28
近所の方から白い目で見られようと、いけるといこまで白塗りで行きましょう。

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なんていうか、普段の生活の中で「世の中には正解がない」ということが、とてもオレには重要なことだと思います。

自分の中に、捨ててはならない理念というか、思い、ってのは誰にでもあると思うんだけど、それだって、世の中の正解かどうかはわからない。
「なんでわかってくれないんだ」という気分になることもあるけれど、でも、よくよく考えれば、そのことがそんなにその相手にとっては考えの中心にはなかったりするから、論点が微妙にずれているだけのことだったりすることもあると思う。

「世の中こうあるべきだ」ということを、自分の思いとして、主張として繰り返すことはいいと思う。
それをぶつけ合うのが話し合いであって、いいところに着地していったり、お互いの主張のいい部分を取り合ったり、というのが人間の人間たる所以だと思う。
けど、それをわかってもらえないからと言って逆ギレしてしまったり、「正解が理解してもらえない」と殉教者のような気分になってしまうのは違うと思う。
それは孤立するだけで、なにも解決しないとオレは思うのだ。


世の中、大きなうねりの中で、「違う!そうじゃない!」と主張することは難しいことだ。
例えばエコブームでも、実際の焼却の現場では、家庭から出る生ゴミに油をかけているということがあるらしい。
これはただの伝聞ではなく、実際、自分たちが毎週トラック1杯から2杯分ゴミを持ち込んでいるところでも、一般の分別とは違う方法でやるように言われていたりするのは事実としてあります。
つまり、プラスチックトレーとかペットボトルが入っていれば普通に燃えるのに、分別が徹底したが故に、生ゴミは現在ひじょうにウェットになっていて、新たに化石燃料を投下して処理しているということになる。
だったら、再利用という意味でも生ゴミにペットボトルをまぜる、というのがいい手かと思いますが、それを地域のゴミ集積所単位で通用するかというと、今は通用しません。
「分別のできないダメな人」「理屈をこねてつきあいにくい人」になるのがオチです。

だからといって、逆に分別する人を「わからない人だ」と敵視してもなにも始まらないというか。


こういう言い方をすると、大きなコマーシャル技術を持ってる人が強いじゃないか、っていうことになっちゃうんだけど、確かにその感じはあると思う。
けど、今やウィキリークス?とかがあったり、インターネットの情報が広まっていくことで革命的なことが始まったりもしてる。
やりかたは多様になってきている。

多くの人が共感してくれた方が勝ち。
そのために、なにを今すべきか。
正解を説くんじゃなくて、自分の考えを一人でも多くの人に共感してもらうために、どうするか。
結局、そういうことだと思う。


障害者運動の世界?にいると、この辺が曖昧というか、どうしても正解を説く人が多いというか、一つの正解に固執している人が多いというか、そんな気がする。
そして、うまくいかないことを正解をわからない人のせいにして、自分を正当化して閉じこもる。
そうなっちゃうと、もう話が始まらない。

自分のドアを解放して、いろんな意見を聞き、そして自分の意見もいい、共感し会える人の輪を広げていく、そうやって人の輪は広がっていくのだと思う。

自省も含めて。




(BGM:CHEHON「1000のバイオリン」from「リスペクト!!!ザ・ブルーハーツ-ア・レゲエ・トリビュート・トゥ・ザ・ブルーハーツ-」)
→基本的にレゲはあまり好きではないんですが、ブルーハーツということで100円レンタルの日にレンタルしてみました。
う~ん、このアルバムを通してわかるのは、おれはレゲエという音楽やリズムが嫌いなんじゃなくて、やってる人とオーディエンスの感じというか、その感じがきらいなんだ、きっと。
たぶん、見たバンドがよくなかったんだな。
いろんなバンドが出たライブというかイベントでいろいろステージもあちこちでやってるようなヤツだったのでもう名前もよくわかりませんけど、早々に立ち去ってしまったので。
一回、ガツンとくるバンドがあったらぜひみたい。
一番最初に食べた喜多方ラーメンがまずかったから、なんか喜多方ラーメン全部がまずいというわけでもないわけで、やっぱね、喜多方ラーメンの神髄を見たいというか、そういう感じ。

結果的には凡庸なことを書いているが、大切な気がする

0スーパー猛毒ちんどん01
ギター・ベースなどのロック的なセクションを抜かすと音階が出る楽器を持つのはこの三人のみという。
う~ん、だからですね、誰か楽器出来る人を待ってます!
遊び感覚でいかがでしょうか。
音楽ってそんなモンよね。

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渋滞にはまってしまった時、あなたはどう思いますか。
イライラしますか。
まあ、イライラしますわな。

でも、まあしょうがないことなんで、事故渋滞だったら「もしちょっと早くなんか出ていたらその事故にあってたかもしれんな」とか思う。
けっこう、俺はこういう風に考える癖がついていますね。
昔はこんなじゃなかったんだけど、まあ、今はもうそういう癖。
悪い癖じゃないんで、いいんですけど。


例えば朝起きれなくて遅刻しちゃったとしても、まあ、しょうがねえじゃん、過ぎたことは。
明日がんばればいいか。

ああ、今日の朝洗濯しようと思ったのに!。
でもまあ、しょうがねえか。眠かったし。
今日寝とかなかったら、明日倒れてたかもしんねえから。
どっちにしても、明日洗濯ものが倍になったけど、明日の方が晴れるかもしんないし。

なんであの人は何度言ってもこのことができないんだろう!。
全くイライラする!
このままじゃ取引先の評価が下がっちゃうじゃない!
でもま、あいつがすぐわかるような人になっちゃったら、こうやって怒ることもなくなっちゃって、ストレスたまって、胃ガンになっちゃったりするかもな。
まあ、たまには怒るのもいいか。
それに、俺の言い方が悪かったのかもしれないしな。

なんで俺だけ仲間はずれにするんだよ!
いやいや、元々そんなに仲良しじゃなかったのかもしれない。
それに、必ずしも彼らと仲良しになる必要もないのかもしれない。


イライラしたことをそこで解決しないと前に進めない、と人は思いがちだけど、そうでもなくて、別にイライラしたままでもなんとかなって、しかも時間とともにイライラはなくなる。
そして、イライラを直接ぶつけるよりもイイ解決方法が浮かんだりする。


考えようだと思うんですよね。
うまくいかないことなんか、山ほどあって、その度に人を責めたくなる。
でも、あいつが悪い、なにが悪い、時代が悪いと言ったって、何も解決しない。
それに、あいつだって、自分以外の人にとっては悪い人じゃないこともある。
なにかの出来事だって、自分以外の人にとっては悪いことだけとは限らない。
時代だって、ある人たちにとっては、今がイイ時代なのかもしれない。
だから、そんなモノ責めたって、なんにもならない。
というか、他人やなんかのモノゴトが悪いなんてことないんですよね。
というか、自分だって。

明日頑張れば良いんだし。
人を責めたくなったら、それは自分との関係の中でのことだから、自分を責めてるのと一緒で、じゃあ、自分はその人との関係の中で何をしたんだろう?ってことだし。
いつまでも気分が晴れない。

なんか気に入らない人がいたって、なんかあの人はオレのことを嫌いなんじゃないかと思っても、その人は、自分が付き合ってる、知り合ってる何十人の人のうちの1人だから。
そんなに気にすることないんだよな。
それに、人の評価なんか変わるし。
べつにイヤだったらつきあいをやめちゃえばいいし。


この前ラジオで、老人の介護施設で働く若者が色々悩んじゃってやめちゃう、みたいな話が出ていて、そのためにベテランが相談会を開いた、みたいな。
そこで、そのベテランの人が言うには「真面目な人ほど考えちゃって、辞めていっちゃう傾向にある」とかなんとか。
う~む。
確かにそうかもしれない。
というか、そんな気はしちゃうね。

でもどうだろう。
そもそも、オレは20年以上この仕事をやってきて、果たして真面目だったときが一瞬でもあったのか?
つまり、真面目じゃなかったから続いたんじゃ…。
ぎゃはははは。
な~んて。
そんなこと言ったらもう話終わりなんですけど。


というわけで、何が言いたいかというと「なんとかなるさ」って思っていこう!
TAKE IT EASY!!!!
平凡なラストでした。




(BGM:憂歌団「嫌んなった」from「GOLDEN☆BEST ~Complete Best 1974 - 1997~」)
→嫌んなった、あのやろう。
ブルースの基本進行で歌いあげるこの曲、かっこよすぎ。
「嫌んなった、でも腐んのはやめとこう」
う~ん、かっこいい。
っていうか憂歌団は基本的にかっこいいんだよな。
おそうじおばちゃんだってかっこいいし。

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