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スーパーちんどん・さとう

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「刑務所に来てくれって電話があったぞ」

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四国から帰った翌日。
朝から市丸は調子がよかった。
寒いのに短パンで運動に出て、しかも短パン後ろ前だし。
「今日からにじ屋頑張るか!」なんて言ったりして、やる気もみなぎってるし、まあどっか口だけなんですけど。
そんなこんなも含めて、いつも通り、みんなに笑いを届ける男であった。

逆ギレの感じも最近は収まっているが、まあその片鱗はないでもない。
どっちかというと、こちらの「対処の仕方」が老練になってきたような感もある。
つまり、「逆ギレしそうになった時に、それ以上逆ギレさせない方法」を我々が会得しつつあるというか。

まあ、「逆ギレさせない」ということはとても大事で、「逆ギレをやめよう」という市丸自身の気持ちも大事だが、まず「逆ギレしないでも楽しい時間が過ごせるのだ」という確信が、彼を変えるとも思う。
経験上、その両輪なくして、なかなか「逆ギレを減らす」ことは難しいように思う。
市丸側からの「逆ギレしない」という努力と、こちらの「逆ギレさせない技術」、この二つがうまく歯車として回ってるとうまくいくと思う。


でまあ、そんなこんななんですが、その旅行から帰った翌日朝。
運動に出かけている間に、市丸の携帯に不在着信が三件。
しかも「非通知」である。
「佐藤さん!これなんだ!」と、ちょっと怯えが入る市丸。
オレに寄ってきたところで、俺の携帯が鳴る。
「え?市丸はウチのメンバーですが…。はい…。」と、相手のない通話を続けるオレ。
オレの電話の向こうの、その架空の相手は、とある刑務所に来てくれ、と市丸にいっている。

「何かわからないが、とりあえず、市丸、その刑務所に行ってくれ。理由は言ってくれないのでわからないけど、来いって言ってるから」とオレは市丸に告げる。

オレが通話をしている間から、市丸はパニックに。
「違うよ!あのマイクは、知らない。オレが入れたんじゃないし…」
…テニスボールが入ったケースを市丸がマイクに使ったことは記憶に新しいが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3087.html)、それとは違うケースがなぜか市丸の旅行バックに入っていたということがあり…。

「違うんじゃないか?他には何か盗んだりしてないか?」という問いに、とにかくわからない、という市丸。
まあ、細かいいろいろがあるのは知っているが、この際ほっておこう。
つまりはまあ、叩けばほこりが立つ男なのである。
じゃなければ、刑務所だったり警察だったりのキーワードにこれだけ悲観的に反応することもないわけで。

ま、すなわち、この日は、ある刑務所の見学会があったのである。

それに申し込んであった。
ただ、市丸には言ってなかったし、井上達にも言ってなかった。
だから、せっかくなので、市丸がいろいろ反省できるシュチュエーションを作ろう、と思って、いろんな茶番をやったわけです。

ガックリ肩を落とす市丸に、にじ屋にいく井上達が、「大丈夫だよ。俺たち待ってるから。仲間だろ!」とかと、励ましている。
いや、イイヤツらだな~。
なんか映画みたいであった。


府中についた時に一緒に行った外口さんからメールが来ました。

府中刑務所に着きました。集合場所の面会入口がなかなかわからず…。
会ったことのあるた他の団体の人の顔を見ても、「なんで電話がかかってきたのかわからない…。おれなにもしてないのに…」と朝の電話を信じている。
で、受付の看守に外口が聞いてくる呈にして、「今日は、刑務所の中に入って刑務所がどんなところか勉強してください。ということで電話をしたみたい」と市丸に話すと、「勉強だから、今日は見るだけだから手錠はしないでくださいって言う」、って…。
少しホッとしたみいたけれど、まだ神妙な顔をしています。

とのことで。
戻ってきた市丸は、刑務所の話をする度に顔をゆがめ、よほど今回の見学は勉強になったようでした。
外口さんも刑務所の存在感に圧倒されたようで、「いや、見学とはいえ、ちょっときつかったですね」と言ってました。


まあ、こういう茶番は、市丸もどこか「わかってる」感じも時にあったりなかったりもするんですが、でもまあそれでもいいんです。
逆に言えば、この「茶番にのれる」って力も大事なような気がするからです。
それは仲間意識を高めてくれるし、犯罪を抑止する力にはなるような気がする。

大事なことは、彼が改心するとか、彼が真人間になることじゃない。
というか、真人間ってなんだ?って話で。
そんなことを目指したいわけじゃないし、そんなのを目指したり、そもそも設定した時点で話はおかしくなる。
どんな人でもイイし、正しくなくてもイイ。
幼くても、多少の偏りがあってもイイだろう。
ダメ人間でもイイし、恨みや復讐心があってもイイ。
大事なことは、法を犯して塀の向こうに行かないこと。
その連続した毎日を死ぬまで続けていけることだと俺は思います。


いろいろな場面で、いろいろな地点で、そういうことを反省できる切っ掛けを作ったりできたらいいな、と思っています。




(BGM:パーズ「危険ないいわけ」from「昭和ガールズ歌謡 EMIミュージックジャパン編 [大人の匂い・もやもやしちゃうの]」)
→この、歌い方ったら!
色気とはこういうことを言います。
ってか、それにあわせたようなハイハットのリズムが悩ましい。

ゆっくり、冷静に、静かに その2(ラスト)

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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2900.htmlのつづき

さて、ちょっとまた違う角度で考えてみます。

ちょっと前になります。
カイが、イラついていたとき、佐藤先生を噛んだことがあって、そばにいたコバが「噛むな噛むな!」と大騒ぎした。
佐藤先生の声もカイの声も全くなかったが、コバのその声を聞いて、オレはその場に行ったんだけど、そうしたら佐藤先生は、ものすごく普通に、「噛んだら痛いじゃん」と静かに噛み終わったカイに言っていた。

それを見て、オレは、やっぱ佐藤先生はプロだわ…と驚嘆したというか。
焦りもしなければ、怒りもしなければ、声も張り上げない。
普通に、「痛いじゃん」とだけ、静かに、厳しく伝える。

いや、何にしても、この「オオゴトにならない感じ」ということができたら、オレはプロだと思うし、そうなりたい。
そうなりたい理由を、ちょっと書きます。


こういう「パニック」というのは、表現ではあるんです。
しかし、噛んだり、人に危害を加えたりすることはやってはいけない。
違う方法でその表現をしなければならない。
それを、どう伝えるか、というのは、地道な努力ということになります。

例えば、店で金を払わない、という場合、捕まってお説教されます。
それを繰り返していれば、「ああ、店では金を払わなければならないんだな」ということは理解できるかもしれない、と普通は考えます。
しかし、その捕まった時に「親を呼ぶ」とかってなったら、もし、そのお金を払わなかった子が「親がいつも恋しい子」だったとしたら、「親に会いたい=金を払わない」ということにもなりかねないということにもなります。
これは例えば「話し相手が欲しい」とか、そういうことでも同じですね。
「とにかく家族以外の他人と話したい」とか思っていたら、金を払わなければ、少なくとも店員さんと話せる、ということになっちゃったりする可能性があります。

つまり、言葉を発せない場合、というか、言葉で理解するのが難しい場合に、その「パニック」や、金を払わないというような問題行動の前後で、「状況を変えてしまう」のは、あまりイイコトではないのです。
例えば、「パニックを起こしたらかまってもらえる」という風に理解してしまう可能性があるわけです。

噛むとすると、その噛むことは押さえなければならないので、確かに、そこではかまわなければならない。
けど、その場が騒然となるようなおおごとにしない。
何もなかったかのように、押さえられたら、それは、一番イイと思うわけなんです。
そこでヒステリックに反応してしまえば、その反応だけが彼に残ってしまう。
これ、やりがちなんです。


モトミが、汗びっしょりだから着替えよう、というときに、「着替えない!」とがんばる時があります。
ま、最近はありませんけど、そういう時がありました。
今でも、何か彼女なりの「なにか」、それはなんなのかよくわかりませんが、そういうのがあるときはがんばっちゃったりします。
でも、そんな風にみんなが手こずっているときに、「はい、じゃ、わかったよ、着替えようか」と、その輪の外から、なんとなくスッと入って、「普通に」、「当たり前のように」、「なんとなく」、声をかけてやると、スッと着替えちゃうことがよくあります。
そこで、「着替えなさい!」って言っても、反発は強くなるだけ。

強く言えば言うほど、反発は強くなるので、あたりは「騒然」としてきます。
そうなると、逆に言うと、モトミも引くに引けなくなってしまう。
最終的には、座り込んでテコでも動かなくなったりする。
つまり、ま、正面からぶつかったら、彼女の「がんばり」には勝てないんです。
だから、斜めから入って、ちょっと背中を押してやるというか、スッともってっちゃう感じというか。

要は、着替えさせればいいのだから、そこでどうこうはどうでもいいんです。
彼女がどう思っていようが、なんだろうが、こっちがどういう気持ちだろうが、彼女がその行為をきちんとすればいいんだから、なにもオオゴトにする必要はない。

このことは、日々の中で、とても重要なコトだと俺は思うんです。


どうしても、健体者のみなさんは、彼らに対して「オレがやってやっているのに」という気持ちが先に立ってしまうことがあります。
疲れてくればなおさらです。
でも、よくよく考えてみたら、それはこっちが苛立ってるわけで、それではモトミは着替えないし、カイも噛みます。

静かに、冷静に、彼らにどう行動を促してやれるか。
静かであればあるほど、プロなのだと、オレは思います。




(BGM:松井常松 奥野敦士「終わりのない歌」(2012.10.28 高崎音楽祭)from YOUTUBE)
→ROGUEは好きなバンドの一つだった。
解散して、ボーカルの奥野さんのソロもいくつか聴いていたが、事故に遭って車いす生活になっているという情報も知っていたけど、彼はそれでも歌っていた。
声は、多少弱々しい部分もあるモノの、でもあの頃の声だ。
また聞きに行きたい。

ゆっくり、冷静に、静かに その1

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時折にじ屋に行きますが、にじ屋の作業で、なかなかすばらしいなと思うのは、コップなどのガラスを落として割れた音がする時があるんですが、その時に、誰も「焦らない」ということです。
これは、なかなかできることではない。
「ガシャーン」
というと、ホウキを取りにいって、かたす感じにはなるけれど、「なにやってんだよ~」みたいなことは一切ない。

まあ、お客さんが落としてしまったという場合は当然としても、というか、お客さんが落とすということもないわけではないがほとんどは、みんなが作業している中で落としてしまう、ということが多い。
でも、それでも、オオゴトにはならない感じ、というのは、なかなかイイと俺は思っている。


陶器の割れる音というのは、なかなか人のカンにさわる音である。
できれば聞きたくないし、あまり聞く音でもない。
なので、どうしても、騒ぎたくなるのだが、そういう雰囲気がみんなにないのは、そういう「割れる=特に大騒ぎしない」ということを繰り返してきたからに他ならない。

彼らにとって、割る=失敗、である。
だけれども、基本的に、故意に彼らは割るようなことはない。
一生懸命やるんだけど、落としてしまう。
注意散漫だったり、後ろに気をつかわなかったり、そういうことで落としてしまう。
といっても、その瞬間に、オオゴトになってしまうと、その「失敗」の体験ばかりが残ってしまうので、あまりいいと俺は思っていない。
できれば、割る前に「後ろを注意しなよ」という方がいいと思うし、まあ、注意するとしても、全部終わってから、静かに「後ろ注意しようぜ」と言った方が、なんか彼らに入っていくように思う。


結構、彼らは、人の失敗に対して厳しい、というか、騒ぎたがるし、笑いたがるし、簡単に言うと、外から見て失敗は成功よりもよくわかるのである。
だから、「おまえ失敗したな~」と言いたがる傾向にある。
まあ、小学生なんかはそんな感じかもしれないね。
コバなんかは、もう嬉しそうに人の失敗を見て喜んでいるところがある。
先生に怒られてる仲間を、遠巻きにちょっと見ている、みたいな。
しかも、心配ではなく、好奇心と野次馬根性で、みたいなね。

ま、人にはそういうところがあります。
しょうがないといえば、しょうがない。
でも、どっか浅ましいというか、あまりその好奇心と野次馬根性というのはほめられたもんじゃない気がするし、そういう仲間関係ではいたくない。

じゃあ、その最初の「割れた」というのを、「オオゴトにしなきゃいいじゃん」というにじ屋でのみんなの感じは、オレはなかなかステキだな、と思うわけです。


翻って、カイなんかが発作が起きることがあるんだけど、その時に、ちょっとやっぱり「ザワッ」とする。
というのも、やっぱり「倒れちゃう!」という気持ちがあって、「カイが発作だよ」と周囲の人にわかるように言うんだけど、それをちょっと「ヒステリックな響き」で言ってしまうと、陽子なんかが「わあ」と、ちょっと声にならない悲鳴?のような、そういう動きになってしまうというか、ま、簡単に言うと、全体が「ざわつく」。

極力、そういう時に、割ったときと同じように、「ヒステリックに言わない」ということを大切にしなければならないな、と思うわけです。

じゃないと、やっぱり「発作=ダメ」ということを彼らに植え付けてしまう雰囲気になってしまうと思うのだ。
もう、発作は一生つきあっていかなきゃならないことで、薬なんかのことを真剣に吟味し、飲み忘れがないようにきちんとやっていくのは当然なんだけど、それでも気圧や前日の睡眠だったりの様子で、発作は起きてしまう。
そのことが、「=ダメ」となってしまうのは、ちょっとオレはイヤなのだ。


一番イイのは、なんとなく、「発作だね」という、なんか、そういう「ちょっとした出来事」くらいの感じというか。
それでいて、身体を支えてやれるくらいがちょうどいいのかな、と。

まあ、といって、アタマから倒れ込むタイプではないので、それでカイ自身が急にどうこうというわけではないのだけれど、回りのモノが一緒に巻き込まれて倒れてしまうということもあり得るので、マッタク無視、というわけにもいかない。
遠くで、カイが発作なのを確認して、すぐに近くの人に言いたいんだけど、大声でもダメだと思うし、かといって、何も言わないで走り寄っていくのも違うし、まあ、とにかく、その場が騒然となるような感じにならないように、それを対処すべきなんだろうな、と思う。


続きます



(BGM:The Rutles「Get Up and Go」from YOUTUBE)
→これは「ゲットバック」なんだけど、ちゃんと屋上でセッションやってくれているのがいいよな。
ここまでやられたら、もう何も言うことなし!

「殴りたきゃ、殴れよ」というチカラ ~社会的な道徳を越えて

【殴りあい2】に多数のご来場ありがとうございました!。また次回もよろしくお願いします!

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コンさんとイチマルの関係は微妙である。
というのも、どっかイチマルはコンさんを「なめている」。
コンさんとしては「なめられるのは別にイイが、そこでイチマルを調子づかせてしまう」ことは避けたいと思っている。

ちょっと前に、いろいろとイチマルが引き起こしたトラブルがあって、そのことについて一連の報告メールに、そのトラブルが収束した後、内部にこんなメールを出しました。
かなりシビアな内容になりますが、修正・抜粋して載せましょう。


コンさんとイチマルの関係は、簡単に言うと、裏表で、完全にどちらかの衝動を抑え切れていないように思います。

簡単に言うと、「殴られる」ことにびびっていたら、人は、殴りはしなくても、「殴ろう」としてきます。
「殴られてもイイ」と思えば、彼は「殴ろう」とはしないと思います。
逆に言えば、コンさんは、「殴らせようとしている」とも言えなくはないんです。
もちろん、これは比喩です。
殴る、という行為と言うより、暴言だったり、ワザとコンさんを怒らせるようなこと市丸が言いますが、そのことをわかりやすく、一律に「殴る」と表現することにします。
これは、みなさんも聞いて欲しい話なので、書きますね。

正直言うと、殴ってケガをさせるよりも、殴られてケガをした方がいいんです。
それで、彼が「殴ったらまずい」と思ってくれるのなら、安いもんだと思います。

佐藤さんは恐いから殴ろうとしない、というのは、正しいかもしれませんが、それは「殴られるから」ではなく、「殴ってイイよ」と言うからだと思うんです。
殴られることに、びびることが、自分にはありません。
「ほれ来た!」って感じかな。逆に何をか教えるチャンスですから。
それでケガをしたとしても、それは勲章だと、そのくらいに思っています。
それに、これはまったくそういう次元の話ではないんですが、イチマルのパンチは長いつきあいの中で何度か受けましたが、正直へなちょこパンチでもあります。

彼らは、言葉が足りません。
頭の中を表現する言葉を持っていない。
だから、殴ろうとしたり、パニックになってみたりします。
その時に、「殴ってはいけない」と教えるためには、「殴って」いたのでは始まらない。
とにかくまず「殴ってもイイよ」と言わなければならない、態度で示さなければいけない、とオレは思います。

彼らは、殴りかかろうとすれば人が逃げることを知っているから、殴るよりなにより「殴ろう」とします。その結果、殴っているにしか過ぎないし、また、人を殴ろうとするのではなくても、パニックになります。
そうすることで、その場の危機を乗り越えられることを彼らは知っているからです。
だから、それを抑えるためには、「どうぞ」という姿勢でいるしかない。
もちろん、これはもう実践の問題になってしまいますが、防御も必要だと思います。
具体的にどうこう、一言でどうこうは言えませんが、でも、「覚悟」は必要な気がします。

「積木くずし」で、古谷一行さんは、「子どもは親を殺しません。だから、殴られてください。耐えてください」というようなことを最初に言います。
これは、実は大きな言葉だと思っています。
他人に暴力をふるわせないためには、とにかく親は毅然とその暴力を「どうぞ」と言う。
このことは、いろんなことを、その子に教えることになります。

暴力は恐い。
わかいます。
けれども、暴力や暴言を抜きにして、パニックを抜きにして、彼らと正面から向き合うコトはできません。
それはきれい事だし、なんにしても、彼らにはそれを表現する言葉がないからです。
その地平で「暴力はいけません」というのは、「それは暴力をされた側が恐いからです」ということでしかなく、これは理屈であって、そんな理屈を言っても、実は通用しないのです。
「暴力が通用しない」「暴力の果ては集団からの排除、社会からの排除(殺せば死刑)」であるということを彼らは肌で感じるしかないんです。

かなり、難しいコトをみなさんに要求していると思います。
しかし、我々はミカンや機械を作ってるんじゃないんです。


「暴力はいけない」という言葉に、反対できる人はいません。
それは、それ自体が「社会的な道徳」であるからです。
同時に、「暴力をする側」の論理は、社会は取り上げません。
取り上げることすら、道徳を否定することになるからです。
でも、そこを考えてやらないと、パニックやイチマルの「殴ろうとする」という行為は理解することはできません。

イチマルとコンさんの関係で言えば、でも、互いに排除できない中で、「びびる」「殴ろうとする」ということでしかない。
つまり、DVの夫婦というか、かなり共依存的な感じもあるんです。
この中で、「暴力が恐いから」という意見に、誰も反論はできません。
気持ちもわかります。
でも、そのままでは、事態は進展しません。

一歩、俯瞰してみてもらいたいんです。
イチマルが、どうしたら「殴ろうとしなくなるか」、ということを。
矢印を彼に向けて、彼が変わる、なんてことはなくて、向こうからの矢印をどう受け止めるか、ということが、彼を変える可能性があるんだということを。


ただ、コンさんのイイところは、そういう関係だからこそ、近しい関係でいられたり、頼られたり、感情にまかせた関係を作れたり、ということができてるとも言えます。
いつも自分は言いますが、それはオレにはできないんです。
だから、そコンさんの良さは十分にこれからも発揮して欲しい。
コンさんに、井上らみんなが気軽に「兄貴」と呼び、話しかけられるのは、そういうことがあるからだとも思うのです。
でも、その気軽さに、余計なノイズも増えていく。
今回のような「殴ろうとする」ことのようなことも出て来る。
オレが言いたいのは、そこで潰れないで欲しいとも思います。
今回、すばらしいと思ったのは、コンさんの報告のメールにあった、「コンにはココまでかな」という一文です。
そういう立ち位置でいる、そういう立ち位置を自分の中で消化する、ことが、きっと何か変える一歩のような気がしました。
言ってることわかるでしょうか。
つまり、自分の感情ではなく、その出来事自体を一歩俯瞰できるコトというのが大事だし、こちらはチームですから、自分一人で何かできると思わずに(オレもそう常々思っています)、どっかでひくことがあって、イイと思います。

そのためには、こういう構造的なことを、アタマで理解していることは大切じゃないかと思って、書きました。




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まずはコメントください。非公開で対応します。


(BGM:柴俊夫、ハニーナイツ「故郷は地球」from「TV特撮ヒーローグレイテスト・ヒッツ」)
→シルバー仮面の主題歌なのか、終わりの歌なのか、いや、これがなんか泣かすね。
なんでしょう。
この頃、ちょうどオレの子ども時代の特撮やアニメの主題歌って、いいよね。
死ね死ね団のテーマなんかは時々やらせてもらってますが、この辺、ちゃんとちゃんと拾いながら、ウチのバンドでもやらせてもらいたいと思います。

薬よりも、まず「実践」

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映画の予告編はこちら  詳細はオフィスラムカーナまで。

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またお会いしましょう!





てなことで、8/10は皆さんにじ屋に集合だが、ツイッターやってる方は、ぜひこちら@NijiyaBacaNewsもフォローしてくださいな。


というわけで、この前、ダウン症の薬のことを書いたけれど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2435.html)、ちょっと思いだしたのは、米国では子どもに向精神薬を大量に与えている、という話。

つまり、例えば「クラスに溶け込めない」というような子に、向精神薬を投薬してしまうんである。
もちろん、製薬会社の陰謀的なコトはある。
今や薬のために病気を作っているというからな。
「ADHDの父」と呼ばれるレオン・アイゼンバーグ氏は亡くなる7カ月前のインタビューで「ADHDは作られた病気の典型的な例である」とドイツの雑誌にコメントしてる。
つまりは薬を売るために「作られた病気」ということだ。

そう考えると、ここ最近、どうも病気の数が増えているように思いませんか?
アレも病気、これも病気、三人いれば文殊の知恵ならぬ、病名がつく、といったような。
もちろん、薬で完治するような器質的な問題も多数あるし、薬を全否定しようとか、そういうつもりはないんですよ。

でも、この、子どもに精神作用を起こさせる薬を与えてなんとかその行動を変えよう、というのは、どうなんだろう、って思うんですよ。

まず、クラスの輪に入れないんだったら、そのクラスの組織をきちんと見直し、いろんな子が生き生きと暮らせるようにするにはどうしたらいいかを教師は考えるべきじゃないか。
それを放棄してしまうことを、この「投薬前提の病名作り」は容認してしまわないだろうか。

そして、これは、究極の「自己責任」でもある。
クラスに問題があるのかもしれない、学校に問題があるのかもしれない、教師に問題があるのかもしれない、のにもかかわらず、「溶け込めないのはおまえの病気が原因だ」と、しかも、その病名を新たに作ってしまうというのは、はたしてどうなんだ?

いや、どうもこうもない、いいわけがない。


先のダウン症の例も、なんだかコレに似ているような気がする。

人って、社会の中で生きているわけで、そこには当然軋轢がある。
その軋轢をどうやって回避するか、どうやってうまくつきあうか、ということが人には求められるのである。
というか、それが社会なんだな。
社会というとでかいから、例えば先の例のクラス、ということで考えるとわかりやすいかな。
個がクラスという「集団」とうまくつきあう術を、学ばなければならないと同時に、集団は、どうやって「個を受け入れるか」ということを学ばなければならない。
これをきちんと両輪で進めていかないと、なんだか話がおかしくなる。

前者だけを強調すれば、個人攻撃が始まるだけだし、後者だけを強調すれば道徳的になりすぎ、人の持つ「人間だもの」的な、様々な部分が抑圧され、イジメが陰で誘発されるようになるかもしれない。
これは微妙なバランスが必要で、そのことをまずきちんと認識してクラス運営をしなければ、学校など成り立たない。

それをきちんと学校という、クラスという単位で会得するからこそ、社会の中に巣立ったときに、そうした「適応」と「受け入れ」という感覚を、自然に発揮することができるのである。
それがうまくいかないからって、「投薬します」ってのは、どうなんだろうか?


もちろん、一部には投薬が必要な場面がないとは言わない。
オレが知らないだけかもしれない。
しかし、少なくとも米国では「ADHD治療薬とされる、メチルフェニデートの75%は子どもに処方されている」という事実なんであり、「投薬が必要な場面に使っている」のではない、ということを示している。


これを真似しちゃいけないと思う。
医療を尊敬する、というか、敬う気持ちは大切だと思うが、だからといって盲信してはいけない。
それはある意味、カルトと同じである。

そのことを、我々現場サイドはきっちり認識しなければいけないと思う。




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(BGM:VIOLENT ONSEN GEISYA+D.M.B.Q.「MOOD OF MODS GENERATION」from「DIGITAL CATASTROPH 1997 ZK original take」)
→中原昌也さんですね。
ノイズと言っても、VOGの場合は、どっかポップな感じがする。
いわゆる、エンターテイメントとして成り立ってるというか。
そのギリギリ感が好きですね。

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