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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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広島に行ってつくづく思いましたけど。

モトミが時に「行かない!」といってそっぽを向くことがあります。
ま、普段であればほっておく、という手もあります。

だって、内心はもう行きたくてしょうがなかったりするのはわかってる。
例えば映画でもプロレスでも食事でもいいんだけど、行けば人一倍「やったね!」とか満面の笑みだったりする。

だからまあ、この「行かない!」(という独特のイントネーションみたいなモノもあるんだけど)なんてのを真に受けちゃって、「わかりました」なんてやっちゃうと、彼女自身がもっとも不幸な人生になってしまうのは明らか。

言葉の中身と意味がつながってない、というのも一つありますが、単純に「状況が変わる」コトに対する苦手感、があるんですね、きっと。
例えば、「いつもと違う」「この場所から動く」ということに関して、人一倍敏感。

で、強情張って自分のカバンを放り投げたりする。

そういう場合、まあ普段ならほっときます。
コレに取り合って、「行かないじゃないじゃん」みたいなことをいったところで、余計に強情っぱりになる。

作用反作用の法則、というのがありますが、それと同じようなモノで、押しちゃったら、押し返す側も必死になりますから。
なんで、もう押さない、という。
そうすると、数分もすれば、自分でカバンを取って「それでね」なんていけしゃあしゃあと腕を組んできたりします。

つまりはまあ、彼女も「行かない!」とカバンを投げた手前、引っ込みがつかないわけです。

この「引っ込みがつかない状況」というのは、ほぼ無意味だし、本気で「行きたくない」のならともかく、そういうコトじゃない場合、まったく無意味。
なので、その状況をはやく「解除」してやった方がいいわけです。

ま、本気で行きたくないのかどうか、というのは、普段付き合ってればそこそこわかりますから、その辺はまあ感覚なんですけど、でもまあ、本気でどっかに行きたくない、みたいなことは、モトミにはあまりない。


ま、そんなこんななんですけど、これが旅行になると、もうめんどくさいんですね。
というのも、もうフェリー出ちゃうし、みたいな。

「ちょっとほっとく」ってのが、もうできない状況も出てくるわけです。

なんで、こういう場合、持って行っちゃいます。
例えば、カバン。
そして、時にはもうモトミを担いでフェリーに乗っちゃう。
幸いにしてモトミは軽いので、ちょっと脇を抱えちゃえば持ち上がっちゃいますから。

で、フェリーに乗ればのったで、もうその強情ッパリはなりを潜め、「かっこいいね」とか言ったりするので、まあもう「なんでそんなに強情張ったのよ…」ってことになるんですけど。


でもまあ、よくよく考えたら、とにかく彼女としては「言ってしまう」んですね。
癖って言うか、そういう感じなんだろうと思うんですが。
状況が変わる、そういうことに対して、「行かない」と言ってしまう。
もうこれは、ずっときっとそうなんだと思うんだけど、言っちゃうんだろうね。

でも、きっと言ってしまって、失敗だったな、みたいなところもあるようにも見えるわけです。
つまりはまあ、「引っ込みがつかない」というヤツですね。

なんで、「引っ込みをつけさせてやる」ということが必要で、普段だったら、それで時間をあげて、知らんぷりすることで、「聞かなかったことにしてやるよ」というサインを送ることもあるし、時間がなきゃ、担いじゃう。

そうすれば、まああの強情、なんだったの…、ということになるわけなんですが。


よく、「彼らの気持ちにより添って」みたいなことを言ったりしますこの業界。
でもね、それって、言葉じゃないんだよね。
言葉でいくら何かが出てきても、それはちょっと本気とは違うんじゃないか?ただ言っちゃっただけじゃないか?みたいなこともあってね。

それをきちんと見極めないと、彼らがわからしてみると、「新しい展開はないんだ」という結果にしかならないんですよ。
つまり、それはもうある意味、癖で言っちゃってるワケですから。
中身にあまり意味がない。
とすると、それを真に受けて、「わかった、行かなくていいよ」となってしまうと、つまりはなにも展開がない、ということになるのではないか、と。

新しいこと、わくわくするようなこと、がない人生なんてのは、無味乾燥ですから。
そうなっちゃうと、もうその「行きたくない」は、悪魔の言葉だったんだな、ということになってしまう。

逆に、もう「どうせなにも展開がない」という上に立ってのことになるんで、無理に動かそうとしても、逆に「動かない」という結果になってしまうのではないだろうか、と。


「気持ちにより添う」というのは、一見ステキなことに見えますが、基本は常に「楽しい毎日」ってコトだと思います。
「この子は変化を望みません」なんて言う親御さんや関係者の方もいますけど、変化を実際に体験してない子は、変化を望むわけがない、というか、変化自体を発想出来ない、っていう基本的なことを見落としてるようにも思います。





(BGM:スラップスティック「意地悪ばあさんのテーマ」fromYOUTUBE)
→これね、テレビをリアルタイムで見てました。
「バ~バババ~バババ~サン」ってイントロがいいよね。
でもまあ、「惚れたぜ婆さん」ってのはどうか。
それは言い過ぎだ。
嫌わなきゃイカン。
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パニックってなんだ? その2(ラスト)


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4356.htmlのつづき


さて、ちょっと話を戻して、先の回の冒頭を正解とすることに、ちょっと一つ現場的には疑問に思うコトがあるんです。
現場的には、というか、俺的には、ですね。

パニックはSOSのあらわれ、というのも、もちろん数としてはあるんだけど、後半分は「特に意味ないんじゃないか」という。

SOSのあらわれ、というのはわかります。
そういう場合もある。
何かの欲求、とかね。

「俺はこうしたいのにできなかった!」とか。
カイなんかも言葉が喋れない、というか喋らないので、そういうことはあります。
それで、俺に噛みつく、みたいな。

ただまあ、それは推測でしかありません。
カイみたいじゃなく、喋れたとしても、パニックの原因は、聞いてもわからないことが多い。

というか、アタマの中に理屈が出てこないからこそ、パニックになるのよね。
喋れるような理屈がアタマの中に構築されてれば、まあ喋ればいいんだから。
わざわざ場を凍り付かせてまでパニック行動を起こす、というのは、まあそれ以外のアウトプットが今のところ見つからない、ということであって。

だから、もっと言うと、この「パニック」。
原因はあくまでこっち側の推測でしかない、ってことなのね。


それを、「SOSだ」として、それを正解、とするこの業界は、確かに正しいんですよ。

というのは、とにかく障害者のパニック、いや、パニックだけじゃなく、「社会に適応できない」ということにして、どんどんぶん殴って矯正する、みたいなことが主流だったわけだから。
そこには、「健体者社会」の「防衛」という観点しかなく、健体者社会からはじき出された彼らの意見、思想、気持ち、存在、はそこにはない。

それを、「彼らの気持ち」からスタートさせよう、という意味で、この「パニックはSOS」とするのは、大いに正しいのだ。

「健体者社会中心」というか、「健体者社会至上主義」だったものを、こっちに引き戻そう、とした場合、やっぱ障害者の側に傾けないと、真ん中にはいかない。

振り子が右に行っていたら、それを真ん中にするためには、一回左に大きくふらなきゃならない。
ま、それが、「パニックはSOS」だと、俺は思っていて。

つまり、それは「科学的にそうかどうか」とかではなく、「政治的な答え」なのだ、と考えてイイと思う。
あ、いや、まあ、今の段階では、それでイイとは思う。


ただ、それを鵜呑みにすると、現場ではうまくいかないコトが多い。
だって、政治的な答えであって、そもそも実際に原因はどうか?については本人がしゃべれなかったりして全くわからないのだから。

つまり、パニックがあった時に、「なんのSOSなの?」と問うても、考えても、答えが出ないこともあるのである。
例として、カイが噛みついたとして、それが、その前に起こった某だ、と、因果関係がかんたんに推測できることばかりじゃないのである。

それを、「昔のことがフラッシュバックしているからだ」という意見もあろう。
でも、だとしたら、もう「パニックはSOSだ」と言ったところで、確かに原因かもしれないが、取り除けない、という意味では、意味がないとも言える。


ま、我々が感じているのは、まず薬の影響。
とくにてんかんの場合は、ミツがいきなり前後関係なくケンカモードになることもあり、あり得るような気がしている(ミツはかなりてんかんの薬を大量に服用している。つまり重いのである)。

そしてもう一つ。
コレを言ったら、もう話が進まないことこの上ないし、それこそ寝言なんだが、「意味がないんじゃないか?」という。

つまり、推理しても手がかりなし、という。


ただこれも、最近思うのは、「オレらの推理が追いついてないんじゃないか?」というのも半分あるかもな、と。
市丸が井上をぶん殴ってメガネぶっ飛ばすとかのトラブルを起こすのは、季節の変わり目というより真夏と真冬。
「ただ寒くてやなんじゃねえの?」という推理が最近浮上してんだけど。

かといって、寒いのは服に気をつけさせればいいが、暑いのはどうにもならんな、とか。


というか、まあだから我々の推理がいくら進歩したところで、それが間違ってるかも知れず、つまりもう、「原因、いるか?」みたいにも思うんだよな。

「その先入観こそが、パニックを助長しているのでは?」みたいなこともあり。

つまり、「パニックはSOSです」というのは、政治的に正しいし、そう思って毎日やっていくことが必要だけれど、実際、そんなにパニックの原因にこだわると、それはそれで足元をすくわれるのでは?という話です。







(BGM:貝柱ズ「Fuck in the Night」fromYOUTUBE)
→「オ~ルナイトでファックファックファック!あなたと一緒にファックファックファック!」って女の子たちが歌う感じは、ちょっと今だとイタイけどね。
でもまあ、ラストのメンバーの吐き捨てる台詞とか、なかなかにロックを感じさせてくれます。
嫌いじゃないかも。

パニックってなんだ? その1


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よく、自閉症とかの人たちのパニックについて「何か嫌なことがあった時や困っている時。それを一生懸命に訴えているのがパニックです。パニックは、SOSの表れ」とか言います。
というか、この業界ではそれが「正解」ということのようですね。

でも、あらためてどうです?
これ、本当でしょうか?

実際に彼らと暮らしてる俺なんかにして見ると、それって「ヤツらをいい人視しすぎ」としか思えない。


いや、確かにね、「イヤなことがあった時」ですよ。
パニックって。

その上で、まず大きく問題となるのは、「イヤだからってパニック起こしていいのか?」という問題。
これ、まずパニックの様子にもよるんだけど、他人に危害を加えるとか、直接加えなくてもものすごく不快な思いをさせるようなことってあったりするんだけど、それってイイわけがなくて。
にもかかわらず、冒頭の正解は、そのパニックを認めちゃってる方向なのよね。

それ、まあ障害をもった人本人やその親には聞こえはイイけど、一般の人にとってみると、「なんでやねん」にはなっちゃう。

イヤなことがある、ってのは、これ、障害をもった人だけじゃなくて、世の中みんなそうなのね。
だからって、他人にイヤな思いをさせてイイか、っていうと、それは違うでしょ。

つまりですね、パニックを肯定するのは学術的にはわかるんだけど、社会的にはそれは他者に対する「脅威」として存在するモノであって、その観点ではかんたんに肯定できない。
だから、それを前提にして話を進めないと、ちょっと同意が得られにくいのでは?と思うのだ。


立ち位置をどこにするか?という問題はたしかにあって、こうした正解を正解と信じる人たちは、これを正解とすることで、自分は自閉症の人の側に立ってるんだ、って思いたいのはわかる。
わかるけど、いやいやいや、それは先に書いたように逆に同意を得られにくい状況を生んでるのでは?という気がしなくもない。

俺はやっぱり、一歩引きたい、というか、俺は市丸ではない。
市丸ではないし、障害者手帳を持っていないし、大学も出たし、勉強もそこそこできた。
その俺が、どうして、彼らと同じ側に立って語ることができる?って俺なんかは思っちゃう。

もちろん、俺だって市丸を馬鹿にするヤツがいたら、怒るね。
そりゃ怒る。
でも、それと「俺が市丸側に立つ」というのとは、やっぱ微妙に違う気がする。

つまり、俺は理解はできない。
彼らのことはわからない。
しかも、市丸は「自分のことを語れない」のだ。
なのに勝手に「パニックはSOSだ」って、言ってイイのだろうか?


もちろん、言葉が出なかったりすると、手を出す以外に、大声を出す以外に方法はなかったりする。
だから、不満を噴き出させるためのパニックだ、と考えれば、必要ではあるんだと思う。
じゃなきゃ、潰れちゃうもんね。

でも、だからといって、他者に脅威となる行動をパニックだから許してください、というのは通用しない。
いや、通用する社会であったらどんなにいいかとは思うけれど、今は社会が逆方向に進んでいる。
ちょっとしたことで、障害者に対する拒否感が増幅してしまう世の中だ。

パニックを肯定するのは、その立場をとるのは、やっぱりその拒否感を増幅させる可能性が高いのだ。


だからといって、パニックを封じることは現実的に「無理」である。
これは、一緒に暮らしていてわかる。
ゼロにはならない。

まず、だから「パニックをなくす」のを目的とするよりも、「どういうパニックをさせるか」の方が現実的なのではないか?と俺は思うのだ。
つまり、他者に脅威を与えないパニック。
ま、それはもう定義的にはパニックではないのかもしれないが、それを目指した方が現実的だし、受け入れられやすいのではないか、と。


まとめますと、パニックがSOSである、というのはわかる。
でも、SOSだからって、人を叩いていいわけじゃないし、人に脅威を与える行動をしていいわけじゃない、というのが、まあ前回の話ね。
そのSOSである、から始まるのは、「だから許してください」「わかってください」ではなくて、「どうSOSを出させるか?」だよな、って話ね。

つまりそれは他者に脅威を与えるパニックを肯定せず、新たな行動様式を彼らに求める、ということになるかな。
そんな感じ。


続きます





(BGM:NOSFERATU「Hatsukoi [初恋]」fromYOUTUBE)
→八〇年代に出されたソノシートらしいが、いや、これはいいんじゃないか。
演奏も稚拙、楽曲も稚拙、歌もよくわからないが、エモーショナルな何かは伝わってくる。

感情サーフィン その2(ラスト)


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4301.htmlのつづき

ま、結局、だましだまし、ではあります。
だって、ちょっと突っつけば大声で大騒ぎするのはわかってる。
この状態で、そもそも帰れ、とかになると、その辺で誰彼ともなく、彼は「ベロベロバー」をする。

ベロベロバーとは、とにかく「変な顔」、しかも「挑発する顔」で、道行く人をにらみつけるのだ。
トラブルを自ら引き寄せる行為だ。

それでも、たいがいの場合は、ぶっちゃけて言うと「あ、この人はアタマが足りない人なんだ」とわかってもらえるから何とかなるけれど、それがわからない人になると、衝突になる。
これはもうパターンとしては最悪だ。

特に市丸は外見からすれば別にどうということはない。
ダウン症とかならわかりやすいが、そうではない。
話をすれば、それはわかる。
たとえば、反社会的な行為、先の「ベロベロバー」とか、大声で歌って歩いてる、とかがあれば、まあ「そうかな?」と社会は思うので、「逆に」危機は回避できるところがあるが、まあそれもだから6、4だな。

というか、道行く人をにらみつけて挑発する、なんてのはいいわけがない。
障害があるないではない。
あかんことやがな。


だから、「ちょっとつつけばその状況になる」というのは、基本、解決になってないのではないか、という疑問は常にある。
前回偉そうに書いた俺の話がうまく行かず、歯車がずれて、俺が殴られて気絶して、外に飛び出してしまった、とか。
まあ、殴られたことは一度じゃないし。
可能性はある。
この時はたまたまうまくいった。
うまくいったからこうやってブログに書いた、というのもある。


そもそも、話の前半、始まった時点では、外のまったく知らない人に手を振ったりもしていたのだ。
騒ぎはしないが、それは「ベロベロバー」の始まりでアリ、「なにやってるんだ?!」と俺を怒らせたい、という行為だ。
そこで乗ってしまえば、倍々ゲーム。
しかも市丸は力が強いから、「おまえなんかすぐ倒せる」とは口では言ってるが、実際にヤツの逆ギレを止めるのはかなり難しい。
何かをぶん投げようとしてるところを止める、ということですら、押さえ込むのは容易じゃない。

しかも、俺はこの時足を痛めていて、ちょっとそもそも辛かったのだ。
だから、まあなるべくそれは避けたい。
手を振ったときに、まあ俺は「こらえろ」と心の中で俺に言った。
しかも、手を振った先、俺の背中側に当たるわけだが、その先も見ない、つまり、「全く無視」をした。


ま、何を言いたいかというと、総じて、つまり、彼は「反省してないのではないか?」という。

う~む。
確かに。

例えば、反省文を書かせて、泣かせて、「すいませんでした」と言わせれば、それでいいのか?というと、それは確かにハタから見たらそうかもしれないが、現場的にはそれって「本気で反省させられない」んだよな。
力不足なのかもしれないけど。

つまり、「ごめんなさい」って泣けば許してくれる、ということをパターン化しちゃうと、それをパターンでやるんですよ、市丸は。
自閉症の教科書のような人だから、ってのもあるんですけど。

結局、その「ごめんなさい」という泣き声は、こっちサイドの「溜飲を下げる」ことにしかならなくて、いや、実際にそれも必要だと思うんですよ、被害者がいる場合には当然必要だとも思うんだけど、それで終わらせちゃいけない、というか。
「彼が会得するモノ」って考えなきゃならないのではないか、と。


それは、「怒鳴らなくてすむ」「怒鳴らなくてうまくいった」という体験でしかないんじゃないか、と思うワケです。
だから、今は多少不安定なところ、例えば俺は話をしてるのに俺を見ずに後ろの人に手を振るなどのこともあると思うんだけど、それも、その体験を続けて行く中で「だんだん頻度が下がっていくのではないか」と。


それに、やっぱり、こうやって騒いでしまうと、「知的障害者は怖い」「自閉症の人は何をするかわからない」という印象をまわりの人に与えてしまう。
ま、実際、そうなんだけど、でも、それは彼だけの責任ではなく、彼をこれまで取り巻いてきた人たち、教師や関係者などの責任もある。
その一人として、やっぱり、これは止めなきゃいけない、と思う。

じゃなければ、やっぱ「殺しちゃっていいヤツらなんだよ」って話になるじゃないですか。





(BGM:三条アンナ「空気のようなあなた」fromYOUTUBE)
→う~ん、それは理想なのか、絶望なのか。
この歌詞によれば、「空気のようなあなただから、すぐに戻ってくる」とか。
もうそうなっちゃうと、存在としての空気、かと思ったら、かなりガチの空気じゃん、というか。
CO2というか、漂ってるというか。

感情サーフィン その1


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市丸がカイに噛まれた、とかで、大声で怒鳴り散らし、カイを外に放りだした。
ま、朝の一瞬の出来事。


カイは、しゃべって人に伝える、と言うのが難しいから、時折噛む、という行動に出るのか、それともてんかんの発作の前後に起きる凶暴な面なのか、その辺はよくわからないのだが、時折、そういうことがある。
ただ、外の人を噛む、と言うことはないから、ある意味で内部に向けた「思いの丈をぶつける」という部分はあるのかもしれない。

最近はけっこう噛むってのがなかったのだが、急に起きた。

もちろん褒められた行為であるはずがない。
当然、止めたりするわけだが、こうして反撃を受けてしまうこともある。

が、反撃もやり過ぎればいいはずがない。
もちろん、「噛まれた」(といっても、ちょっと歯形が付いたくらいだった)んだから、頭に来ないはずがない。
しかし、市丸の「怒鳴り散らし」は度を超えていた。

ちょっと落ち着け、ということで二人を引き離し、カイは予定通りにじ屋へ、市丸はたまたまこの日休みで朝来てただけだったので、このまま帰せばいいんだが、まだ目が三角になったまま、今にも大声を張り上げそうである。

まず座らせ、ちょっとトーンを下げて話をする。


ちょっとやり過ぎじゃないか?と聞けば、目をひん剥いて「だって!カイが!カイが!」とまだ大騒ぎを「しよう」とする。
この、「しようとする」ってのが、また市丸らしいところで、「大騒ぎすれば何とかなる」と思ってるフシがある。

これはまあ、昔から、子どもの時からのことだから、簡単にどうにもならないのだが、最近はやっと「どうにもならない」ことが分かってきたようで。

つまり、友だち同士で遊んでいて、当然市丸は一緒に遊べないから、そこから離れたい。
離れたいが、その方法がわからない。
その場合、誰かを殴ったりして、大声を上げたりすると、先生や親がすぐに引き離してくれる。
それで、市丸の目的は達する、というわけだ。

でもまあ、ウチでは、「どんなに騒いでも前後の状況を変えない」ということを徹底してやることにしていて、例えば、騒いでそのシーンから抜け出したい、と思って騒いでも、そのシーンからは抜け出させない。
するとたいがい、もっと悪い状況に陥る。

イヤなら、口で言えばいい。
「あっちに行く」と言えばいい。
まあ、市丸は「自然に輪から離れる」という感じを会得もしてはいる。


で、まあ、ゆっくり「騒いだ方がソンをするんだ」ということを繰り返しいう。
途中で、一度声を荒げたが、俺はそれに反応せず、「それをするとソンするよ?まだやる?」と、とにかく静かなトーンで繰り返す。
逆に言うと、「騒ごうとする」市丸には、まったくその隙を与えないように気をつけて。

つまり、この一回声を荒げたのは、「騒げば何とかなるパターンかな?」と試しているのだ、彼は。
もちろん、無意識に。

でも、とりつくしまがない。
だから、彼はそこで俺の話しを聞くしかなくなった。


で、「こういうことを繰り返すと謹慎だぞ」ということを何の気なしに俺が話すと、謹慎って何だということになり、「来なくてイイ、ってことだ」と。
すると、「いやだ、それはいやだ」と。
来たい、と。

来たばかりの頃の市丸なら、ここで喜んで帰るところだが、ここで「帰りたくない」と言ってくれるから、まあ話が早い。
話が入るすき間が彼の中にできた、という感じか。


そこから話が展開し、「○○に帰って3日くらい謹慎するか?」(○○には市丸の実家の場所が入る)というと、もう拒絶。

市丸は実家に帰るのがイヤ、というわけではない。
正月とかも楽しく帰る、ま、楽しくでもないけど普通に帰る。
だから、実家を拒絶とかじゃなくて、「見捨てないで」なんだな。

時ちょうど、二日後くらいに飲み会の予定があり、その翌日には大日観戦の予定もある。
もう、市丸としては、ここで実家に帰るなどそもそもあり得ない、というのもあっただろう。

そのへんから泣きが入るようになり、それでも、泣かせることはせず、いい具合で彼の感情の波をサーフィンしながら、話を進める。
ちょっと俺の声のチューニングをひねれば、大波にすることもできるが、今は凪がいい。
そのまま、とにかくプカプカと俺の作った波に浮かせる気持ちで話を続ける。

泣くのでもなく、爆発させるのでもなく、普通に話を解決させたい。

ま、そんなんで、話をして、家に帰しまして。


でもどっちにしても同じようなコトはまたやるでしょう。
こっちサイドは、これを繰り返すしかないんだよね。
めんどくさいけど、まあ、繰り返し繰り返し、ぶれずに同じことを叩き込むしかない、というか。


続きます




(BGM:橘みどり「奥様にわるいわ」fromYOUTUBE)
→ま、奥様に悪くないっていうか、残念なのはたぶん君の方なんだよね、という事実をどう伝えたらいいのだろうか。

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