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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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回路を断ち切る


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専従募集


親御さんは、よく、子どもがパニックを起こしたと知って、「原因が何かあるはずです」という主旨のことを言います。

いや、原因はある。
おそらく本人にとっての、なにかの原因があったのだと思われる。

もちろん、パニックの原因を我々や親や、周りの人間に求めることは重要だ(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4356.html)。
彼らを自分たちの推測の中に押し込めてきた歴史の中で、我々が反省することはたくさんある。

だからこそ、我々は「パニックは彼らのSOSだ」「だから、その声を聞かなきゃならない」「探らなきゃならない」というのは、正論だ。
だから、パニックの原因を探る。
それはすべき行為だと思う。

が、原因至上主義はまた違う。

原因を探ることだけに必死になってしまうと、彼らのアタマの中に潜り込まなきゃならない。
でも、彼らが言葉を紡げない場合、それは推理でしかない。
それを考える事は、「彼らに寄り添う」ことであり、その過程こそ大事で、その原因を究明することは、逆に言うと「決めつけ」を横行させる危険もある。

いや、原因は究明するんだけど、それはあくまで推理でしかない、というのは充分に理解した上で原因を究明していかなければならないんだと思う。


親御さんにしてみたら、「ただ暴れるはずがない」という思いがあるんだろうことは容易に想像できる。
そんな粗暴な子であるはずがない、と。

ただ、重要なのは、だとしても、その「粗暴である」こと自体をどうにかしなければならない、ということなんじゃないだろうか、とも思うのだ。


親御さんの言う「原因があるはずだ」という声は、だから、親心としてはとても納得できるし、そして我々も原因を究明すべきである。
が、その声に「突き上げ」られてしまって、現場が推理だったりの、机上の空論みたいなモノに巻き上げられてしまってはまずい。
それだけではダメなんだと思う。


パニックを起こす理由は、原因は、確かに見当がつくことも多い。
例えば今の状況の中だと、市丸なんかだと、明らかに井上との関係の中でストレスを大いに感じているようで、それがキッカケになることもあろう。
ただ、その「井上との関係の中のストレス」というのも、コッチの「見立て」でしかないというところはある。
言葉でそれを語ったとして、こっちの誘導では?と反省もある。

でもまあ、考え得る原因として、それを排除する方法はとれる。
とはいえ、具体的にまったく全て別行動にすることは不可能だ。
上記が一つの原因だとして、市丸が井上に直接対決をし、井上もそれに答える、みたいなやりとりをなんとか成立させるしかない。

とはいえ、人間なんて感情とアタマはどっか別モノで、それは市丸とて同じことで、どうやってそれを「パニックにしないか」ということが結局重要になってくる。


つまり、何が言いたいかというと、「パニック」の原因はある程度見立てはついたとして、大事なのは「それをパニックに昇華させない」ということなんだよな、ということですね。

つまり、「原因を取り除く」というより、「原因からパニックへの回路をどう断ち切るか」なんだよな、という。
だって、例えば井上とのストレス、だとしたら、原因は次々と出てきちゃう、ということになっちゃうんだから…。


とはいえ、その回路を断ち切るのはそう簡単ではない。
パニックを一つの表現方法、というか、感情の排出回路としてずっと生きてきた彼らに、「その回路を断ち切れ」ってのは、ある意味「しゃべるな」というのと同じようなことだからだ。

だから、原因を探って、ある程度の推理をしたら、当たってるかどうかは別として、それを排除することも一つ考えながら、回路を断ちきる何か、を探る必要があるのではないか、という。


原因は確かにあるんだろうと思う。
でも、全ての原因を絶ちきるんだとしたら、それはもう隔離するか、薬で眠らせるか、しかないのだから。
原因を追及し、状況を変える努力をしながら、同時に「パニックへの回路」をどうにか断ちきる方法を我々は考えなければならないのだと、俺は思う。








(BGM:坊屋三郎「おしっこしたくなっちゃった」fromYOUTUBE)
→もうね、「おしっこしたくなっちゃった」というタイトルでいいわけですよ。
そりゃね、しこたま飲んだら、おしっこもしたくなります、はい。
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こだわってしまう自分


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よく映画とかに出てくるんだけど、主人公とかが悩んでて、トイレの個室で座って考える、みたいな。
ズボンをはいたまま座ってる、みたいな。
そういう場面、時にありますよね。

ま、ウチの事務所は小さいから、人がいたりすると、めんどくせえな、って時はあります。
考えがまとまらないというか。

そんな時、先日もよおしてトイレに行ったんですね。
小を済ませ、あ、ここだ!と思いまして。

ズボンはいたままちょっと便器に座ってみるか、と思ったんです。
で、まあなにも考えず行動をしてたみたいなんだけど、自然にズボン脱いじゃってました。

ぎゃははははっはは。
いつもやってる行動ってのは面白いな、って話なんですけど。


あと、事務所の駐車場とかね、ちゃんとまあ、一台一台になってるわけですが、そのラインを無視して停めよう、と思ったことがあったんです。
つまりまあ、線をまたいで二台分で停めよう、と。

ま、なんかあったのかどうか、ちょっとそのきっかけは忘れましたけど、そう思って車をバックで入れようと思ったんだけど、やっぱ線どおりに停めてしまう、という。

ぎゃはははははははは。


いつもやってるような行動ってのは、なかなか変えられないな、って話で。

俺は小さい頃から親に「家に帰ってきたら靴下を脱いで足を洗え」と言われてました。
ま、きっと足が臭かったんだと思います。
若い頃はまあそういうこともあるでしょうし、そもそも公園とかで遊び回って靴下がキタナイ、ってのもあったでしょう。

で、この習慣、公園で遊ばなくなった今、歳をとってそんなに足が臭くなくなった今、どうかというと、やっぱりやめられない。
やらないと落ち着かないのであります。


他にも、着替える、というのもあって。
これはまあ、足を洗う、よりは「ゆるい習慣」なんですが、家に帰ると、「家着」に着替えないと気が済まない、という。
まあ、若い時にけっこう鋲付きの革ジャンとかそういうのを着ていたこともあるんだと思うんです。
そのままじゃ、やっぱ家でリラックスできません。

最近はまあ、ラフなカッコしてますからそんなに着替える重要性はないんですけど、汗かいたりするし、やっぱ着替えたい、となる。


これら、まあアキと再婚して思ったのは、「みんながみんなそういうわけじゃないんだな」という。
つまり、俺ルールであって、他人とは共有できないのだな、と。

しかもまあ、やめられない。


といって、まあ上記はどれもあまり悪いこともなく、清潔でイイじゃんてきなこともあるし、車がちゃんと停められてイイじゃん的なこともある。


いや、カイがよく「曲がってることが許せない」みたいなことがあるんですよ。
買い物カゴが曲がっていることにガマンがならない。
「今それをやるところじゃないのに!」という場面でも、走って買い物カゴに突っ込んでしまったり。

まあ、買い物カゴはともかく、「今はそれをやってる場合じゃない」とか、突っ込んだところに人がいたら突き飛ばしちゃうのでは…、とかいろいろなことがあるから、止める時もある。

そう考えるとね、もうカイにとって買い物カゴとは、「便器にはやっぱり脱いで座ってしまうモノである」みたいなことなのかもしれない、とも思ったり。
意味はないし、今は脱ぐ必要もないし、いや、脱がずにおこうと思ったのにもかかわらず脱いでしまうんだから、カイにとっては、「ここは直さずにおこう」と思っても直してしまう風に「体が動いてしまう」のかもしれない。


そう考えると、なんか、まあカイのこともわかってやらなきゃならんな、と思うワケです。






(BGM:杉浦直樹・石立鉄男「女嫌いのバラード」fromYOUTUBE)
→ホテルカリフォルニア風のメロディーなのよね、これ。
ちょっとちょっと違う、という。

体験してないことは想起できない


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広島に行ってつくづく思いましたけど。

モトミが時に「行かない!」といってそっぽを向くことがあります。
ま、普段であればほっておく、という手もあります。

だって、内心はもう行きたくてしょうがなかったりするのはわかってる。
例えば映画でもプロレスでも食事でもいいんだけど、行けば人一倍「やったね!」とか満面の笑みだったりする。

だからまあ、この「行かない!」(という独特のイントネーションみたいなモノもあるんだけど)なんてのを真に受けちゃって、「わかりました」なんてやっちゃうと、彼女自身がもっとも不幸な人生になってしまうのは明らか。

言葉の中身と意味がつながってない、というのも一つありますが、単純に「状況が変わる」コトに対する苦手感、があるんですね、きっと。
例えば、「いつもと違う」「この場所から動く」ということに関して、人一倍敏感。

で、強情張って自分のカバンを放り投げたりする。

そういう場合、まあ普段ならほっときます。
コレに取り合って、「行かないじゃないじゃん」みたいなことをいったところで、余計に強情っぱりになる。

作用反作用の法則、というのがありますが、それと同じようなモノで、押しちゃったら、押し返す側も必死になりますから。
なんで、もう押さない、という。
そうすると、数分もすれば、自分でカバンを取って「それでね」なんていけしゃあしゃあと腕を組んできたりします。

つまりはまあ、彼女も「行かない!」とカバンを投げた手前、引っ込みがつかないわけです。

この「引っ込みがつかない状況」というのは、ほぼ無意味だし、本気で「行きたくない」のならともかく、そういうコトじゃない場合、まったく無意味。
なので、その状況をはやく「解除」してやった方がいいわけです。

ま、本気で行きたくないのかどうか、というのは、普段付き合ってればそこそこわかりますから、その辺はまあ感覚なんですけど、でもまあ、本気でどっかに行きたくない、みたいなことは、モトミにはあまりない。


ま、そんなこんななんですけど、これが旅行になると、もうめんどくさいんですね。
というのも、もうフェリー出ちゃうし、みたいな。

「ちょっとほっとく」ってのが、もうできない状況も出てくるわけです。

なんで、こういう場合、持って行っちゃいます。
例えば、カバン。
そして、時にはもうモトミを担いでフェリーに乗っちゃう。
幸いにしてモトミは軽いので、ちょっと脇を抱えちゃえば持ち上がっちゃいますから。

で、フェリーに乗ればのったで、もうその強情ッパリはなりを潜め、「かっこいいね」とか言ったりするので、まあもう「なんでそんなに強情張ったのよ…」ってことになるんですけど。


でもまあ、よくよく考えたら、とにかく彼女としては「言ってしまう」んですね。
癖って言うか、そういう感じなんだろうと思うんですが。
状況が変わる、そういうことに対して、「行かない」と言ってしまう。
もうこれは、ずっときっとそうなんだと思うんだけど、言っちゃうんだろうね。

でも、きっと言ってしまって、失敗だったな、みたいなところもあるようにも見えるわけです。
つまりはまあ、「引っ込みがつかない」というヤツですね。

なんで、「引っ込みをつけさせてやる」ということが必要で、普段だったら、それで時間をあげて、知らんぷりすることで、「聞かなかったことにしてやるよ」というサインを送ることもあるし、時間がなきゃ、担いじゃう。

そうすれば、まああの強情、なんだったの…、ということになるわけなんですが。


よく、「彼らの気持ちにより添って」みたいなことを言ったりしますこの業界。
でもね、それって、言葉じゃないんだよね。
言葉でいくら何かが出てきても、それはちょっと本気とは違うんじゃないか?ただ言っちゃっただけじゃないか?みたいなこともあってね。

それをきちんと見極めないと、彼らがわからしてみると、「新しい展開はないんだ」という結果にしかならないんですよ。
つまり、それはもうある意味、癖で言っちゃってるワケですから。
中身にあまり意味がない。
とすると、それを真に受けて、「わかった、行かなくていいよ」となってしまうと、つまりはなにも展開がない、ということになるのではないか、と。

新しいこと、わくわくするようなこと、がない人生なんてのは、無味乾燥ですから。
そうなっちゃうと、もうその「行きたくない」は、悪魔の言葉だったんだな、ということになってしまう。

逆に、もう「どうせなにも展開がない」という上に立ってのことになるんで、無理に動かそうとしても、逆に「動かない」という結果になってしまうのではないだろうか、と。


「気持ちにより添う」というのは、一見ステキなことに見えますが、基本は常に「楽しい毎日」ってコトだと思います。
「この子は変化を望みません」なんて言う親御さんや関係者の方もいますけど、変化を実際に体験してない子は、変化を望むわけがない、というか、変化自体を発想出来ない、っていう基本的なことを見落としてるようにも思います。





(BGM:スラップスティック「意地悪ばあさんのテーマ」fromYOUTUBE)
→これね、テレビをリアルタイムで見てました。
「バ~バババ~バババ~サン」ってイントロがいいよね。
でもまあ、「惚れたぜ婆さん」ってのはどうか。
それは言い過ぎだ。
嫌わなきゃイカン。

パニックってなんだ? その2(ラスト)


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4356.htmlのつづき


さて、ちょっと話を戻して、先の回の冒頭を正解とすることに、ちょっと一つ現場的には疑問に思うコトがあるんです。
現場的には、というか、俺的には、ですね。

パニックはSOSのあらわれ、というのも、もちろん数としてはあるんだけど、後半分は「特に意味ないんじゃないか」という。

SOSのあらわれ、というのはわかります。
そういう場合もある。
何かの欲求、とかね。

「俺はこうしたいのにできなかった!」とか。
カイなんかも言葉が喋れない、というか喋らないので、そういうことはあります。
それで、俺に噛みつく、みたいな。

ただまあ、それは推測でしかありません。
カイみたいじゃなく、喋れたとしても、パニックの原因は、聞いてもわからないことが多い。

というか、アタマの中に理屈が出てこないからこそ、パニックになるのよね。
喋れるような理屈がアタマの中に構築されてれば、まあ喋ればいいんだから。
わざわざ場を凍り付かせてまでパニック行動を起こす、というのは、まあそれ以外のアウトプットが今のところ見つからない、ということであって。

だから、もっと言うと、この「パニック」。
原因はあくまでこっち側の推測でしかない、ってことなのね。


それを、「SOSだ」として、それを正解、とするこの業界は、確かに正しいんですよ。

というのは、とにかく障害者のパニック、いや、パニックだけじゃなく、「社会に適応できない」ということにして、どんどんぶん殴って矯正する、みたいなことが主流だったわけだから。
そこには、「健体者社会」の「防衛」という観点しかなく、健体者社会からはじき出された彼らの意見、思想、気持ち、存在、はそこにはない。

それを、「彼らの気持ち」からスタートさせよう、という意味で、この「パニックはSOS」とするのは、大いに正しいのだ。

「健体者社会中心」というか、「健体者社会至上主義」だったものを、こっちに引き戻そう、とした場合、やっぱ障害者の側に傾けないと、真ん中にはいかない。

振り子が右に行っていたら、それを真ん中にするためには、一回左に大きくふらなきゃならない。
ま、それが、「パニックはSOS」だと、俺は思っていて。

つまり、それは「科学的にそうかどうか」とかではなく、「政治的な答え」なのだ、と考えてイイと思う。
あ、いや、まあ、今の段階では、それでイイとは思う。


ただ、それを鵜呑みにすると、現場ではうまくいかないコトが多い。
だって、政治的な答えであって、そもそも実際に原因はどうか?については本人がしゃべれなかったりして全くわからないのだから。

つまり、パニックがあった時に、「なんのSOSなの?」と問うても、考えても、答えが出ないこともあるのである。
例として、カイが噛みついたとして、それが、その前に起こった某だ、と、因果関係がかんたんに推測できることばかりじゃないのである。

それを、「昔のことがフラッシュバックしているからだ」という意見もあろう。
でも、だとしたら、もう「パニックはSOSだ」と言ったところで、確かに原因かもしれないが、取り除けない、という意味では、意味がないとも言える。


ま、我々が感じているのは、まず薬の影響。
とくにてんかんの場合は、ミツがいきなり前後関係なくケンカモードになることもあり、あり得るような気がしている(ミツはかなりてんかんの薬を大量に服用している。つまり重いのである)。

そしてもう一つ。
コレを言ったら、もう話が進まないことこの上ないし、それこそ寝言なんだが、「意味がないんじゃないか?」という。

つまり、推理しても手がかりなし、という。


ただこれも、最近思うのは、「オレらの推理が追いついてないんじゃないか?」というのも半分あるかもな、と。
市丸が井上をぶん殴ってメガネぶっ飛ばすとかのトラブルを起こすのは、季節の変わり目というより真夏と真冬。
「ただ寒くてやなんじゃねえの?」という推理が最近浮上してんだけど。

かといって、寒いのは服に気をつけさせればいいが、暑いのはどうにもならんな、とか。


というか、まあだから我々の推理がいくら進歩したところで、それが間違ってるかも知れず、つまりもう、「原因、いるか?」みたいにも思うんだよな。

「その先入観こそが、パニックを助長しているのでは?」みたいなこともあり。

つまり、「パニックはSOSです」というのは、政治的に正しいし、そう思って毎日やっていくことが必要だけれど、実際、そんなにパニックの原因にこだわると、それはそれで足元をすくわれるのでは?という話です。







(BGM:貝柱ズ「Fuck in the Night」fromYOUTUBE)
→「オ~ルナイトでファックファックファック!あなたと一緒にファックファックファック!」って女の子たちが歌う感じは、ちょっと今だとイタイけどね。
でもまあ、ラストのメンバーの吐き捨てる台詞とか、なかなかにロックを感じさせてくれます。
嫌いじゃないかも。

パニックってなんだ? その1


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よく、自閉症とかの人たちのパニックについて「何か嫌なことがあった時や困っている時。それを一生懸命に訴えているのがパニックです。パニックは、SOSの表れ」とか言います。
というか、この業界ではそれが「正解」ということのようですね。

でも、あらためてどうです?
これ、本当でしょうか?

実際に彼らと暮らしてる俺なんかにして見ると、それって「ヤツらをいい人視しすぎ」としか思えない。


いや、確かにね、「イヤなことがあった時」ですよ。
パニックって。

その上で、まず大きく問題となるのは、「イヤだからってパニック起こしていいのか?」という問題。
これ、まずパニックの様子にもよるんだけど、他人に危害を加えるとか、直接加えなくてもものすごく不快な思いをさせるようなことってあったりするんだけど、それってイイわけがなくて。
にもかかわらず、冒頭の正解は、そのパニックを認めちゃってる方向なのよね。

それ、まあ障害をもった人本人やその親には聞こえはイイけど、一般の人にとってみると、「なんでやねん」にはなっちゃう。

イヤなことがある、ってのは、これ、障害をもった人だけじゃなくて、世の中みんなそうなのね。
だからって、他人にイヤな思いをさせてイイか、っていうと、それは違うでしょ。

つまりですね、パニックを肯定するのは学術的にはわかるんだけど、社会的にはそれは他者に対する「脅威」として存在するモノであって、その観点ではかんたんに肯定できない。
だから、それを前提にして話を進めないと、ちょっと同意が得られにくいのでは?と思うのだ。


立ち位置をどこにするか?という問題はたしかにあって、こうした正解を正解と信じる人たちは、これを正解とすることで、自分は自閉症の人の側に立ってるんだ、って思いたいのはわかる。
わかるけど、いやいやいや、それは先に書いたように逆に同意を得られにくい状況を生んでるのでは?という気がしなくもない。

俺はやっぱり、一歩引きたい、というか、俺は市丸ではない。
市丸ではないし、障害者手帳を持っていないし、大学も出たし、勉強もそこそこできた。
その俺が、どうして、彼らと同じ側に立って語ることができる?って俺なんかは思っちゃう。

もちろん、俺だって市丸を馬鹿にするヤツがいたら、怒るね。
そりゃ怒る。
でも、それと「俺が市丸側に立つ」というのとは、やっぱ微妙に違う気がする。

つまり、俺は理解はできない。
彼らのことはわからない。
しかも、市丸は「自分のことを語れない」のだ。
なのに勝手に「パニックはSOSだ」って、言ってイイのだろうか?


もちろん、言葉が出なかったりすると、手を出す以外に、大声を出す以外に方法はなかったりする。
だから、不満を噴き出させるためのパニックだ、と考えれば、必要ではあるんだと思う。
じゃなきゃ、潰れちゃうもんね。

でも、だからといって、他者に脅威となる行動をパニックだから許してください、というのは通用しない。
いや、通用する社会であったらどんなにいいかとは思うけれど、今は社会が逆方向に進んでいる。
ちょっとしたことで、障害者に対する拒否感が増幅してしまう世の中だ。

パニックを肯定するのは、その立場をとるのは、やっぱりその拒否感を増幅させる可能性が高いのだ。


だからといって、パニックを封じることは現実的に「無理」である。
これは、一緒に暮らしていてわかる。
ゼロにはならない。

まず、だから「パニックをなくす」のを目的とするよりも、「どういうパニックをさせるか」の方が現実的なのではないか?と俺は思うのだ。
つまり、他者に脅威を与えないパニック。
ま、それはもう定義的にはパニックではないのかもしれないが、それを目指した方が現実的だし、受け入れられやすいのではないか、と。


まとめますと、パニックがSOSである、というのはわかる。
でも、SOSだからって、人を叩いていいわけじゃないし、人に脅威を与える行動をしていいわけじゃない、というのが、まあ前回の話ね。
そのSOSである、から始まるのは、「だから許してください」「わかってください」ではなくて、「どうSOSを出させるか?」だよな、って話ね。

つまりそれは他者に脅威を与えるパニックを肯定せず、新たな行動様式を彼らに求める、ということになるかな。
そんな感じ。


続きます





(BGM:NOSFERATU「Hatsukoi [初恋]」fromYOUTUBE)
→八〇年代に出されたソノシートらしいが、いや、これはいいんじゃないか。
演奏も稚拙、楽曲も稚拙、歌もよくわからないが、エモーショナルな何かは伝わってくる。

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