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スーパーちんどん・さとう

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近所に障害者向けの歯医者がある。
いわゆるセンター的な感じであるが、そこで診察もしている。

不随運動があったり、知的障害でどうにもいうことを聞いてくれない、とか、まあ、いろんな「ハードル」があって、障害者にとって歯医者の選択はけっこう難しいモノがある。
その昔、浦和では、肢体障害の息子があまりに虫歯を痛がって、しかし、不随運動のためにどこも診てくれなくて、思いあまって殺してしまった、という出来事があったそうで。

ま、そのくらい、歯科に関しては難しいのである。

けど、歯というのは一回痛くなるとどうにもならない。
我慢ならない。
だから、どうやっても「なんとかしてもらわなければならない」。

けど、「ビクン!」って体が動いちゃったりする場合、細かい作業を必要とする歯科診療は、あまり親和性があるとはいえない。
暴れ回っちゃったりする場合もそうだ。


カイがそこに通っていたのだが、といっても、いや、虫歯があるとかじゃなく、歯石を取ってもらう、という感じのアレなんだが。

が、カイはもちろん、ただ座って歯の診療を簡単にさせてくれるほど甘くはない。
歯医者の器具を触りまくったり、抵抗したりはしていたようで。
そんな中、歯石を取るために「全身麻酔をかける」とこの障害者向けの歯医者は言い出した。

う~ん。


いやいやいや、先生の器具を触ったりするのはカイが悪い。
けど、カイはきちんと言い聞かせて「これはやっちゃまずいな」ときちんと認識できれば、やらない男でもある。
というか、そういうヤツは知的障害の中では経験上多い。

暴れ回る、いうことを聞かない、という前評判でウチに来て、いろいろと試した結果、うまいこと丸く収まることが「多い」。
まあ、全部が全部そうだ、とは言えないとは思うけど、今のところ、まあ上手くいってると言っていいと思う。

何かあったらカッターで切りつけようとしてきたヤツもいたし、包丁を投げてきたヤツもいた。
でも、おそらくそれが「◯◯が来た頃の話だよ」なんて言っても、今の◯◯を知ってる人は「嘘でしょ?」と信じてくれないだろうかな、と思う。

それはまあ、自分たちも「プロ」だから、刃物振り回すなんてのには、なんとか対応できなきゃいけない、と思うし、「障害者云々」というのなら、それができなきゃ「プロ」を名乗っちゃいけないだろう、と。
いや、まあ先に書いたように、「すべてが上手くいくわけじゃないとは思う」という前提で、でも、その「手立て」はいくつか持っていて、それを「順番に試してみる」くらいのことは、少なくとも俺たちはやる。
で、まあ今まで、その中でヒットしたモノがあったと言うことだ。


そう考えるとですね、結局、この医者は、障害者の専門の歯科、といいながら、なにも試さずして「全身麻酔」と言ったわけで、ん?、と。
いや、最初から全身麻酔だったら、もう関係なかろうに。
障害者専門云々関係なく、どの医者でもやれるだろうよ、と。


てなことで、でもまあ全身麻酔は危険もないわけじゃないし、そもそもやらなくて済むならやらない方がいい。
ま、そんなことで、「障害者専門」を標榜した医者を離れ、「一般の」歯医者の中で、「知的障害者のカイの歯」をみてくれるところを探し始めたんだけど。

そしたらね、一件目。
というか、カイの家の目の前の歯医者が診てくれるって言うことで。

なんてことないじゃん!
専門とか言ってんじゃねえよ!

…みたいな気持ちになりますわな。


ま、外口さんがついてて、器具に手を出しそうになったら止める、という感じでやってるようだけど、いや、でももう「ここではふざけちゃイカン」というのはカイもわかってきたようで。
というか、だから、「わからせる努力」ってのを、なんでその専門の歯医者はしてくれなかったんだろうか?と。

なんかもう、とてもなんかいらだちが募るわけです。






(BGM:イトキン「What’s happen?」from「「ララピポ」a lot of people~official compilation album」)
→この映画は見に行ったんだけど、ちょっと覚えてないけど、なんか最後の方でおかしな感じになった映画だったっけかな、という記憶があります。
でも、ララピポって言葉の響きは好きだな。
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カイは、コンビニで「コーラを買う」といって聞かなかったりすることがある (その3・ラスト)


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まあ、また補足なんですけど。

前回、「カイが店で騒ごうがオレをひっかこうが(そういうことも以前にはあった)、結論だけはかわらない。」と書きました。
多くの場合、やっぱり「店で大声出されちゃうと困るから買ってしまう」みたいなことがありますよね。
その「結論だけはかわらない」ということをつまりは「やりきれない」、と。

これ、多くの親御さんが言うんです。


こんな例もありました。

一日ごとに三本づつビデオを借りてきて、見やしない、と。
そして、また同じビデオを何度も何度も借りてくる、と。
しかも夜中に行くから、心配でしょうがない、と(というか、実際に悪ガキに恐喝にあって殴られてケガもしたりした。毎晩同じように金持って出かけてるんだから、イイカモにされたのかもしれない)。
ま、そんなこんなでいい加減、やめさせたい、って相談が親からあって。

でも、まあいっぺんには無理だから、まず一日一本にしましょう、それ以上の金をとにかく渡すのやめましょう、と。
で、まあうまくいって、(ってずいぶん時間はかかったモノの)だんだん間隔を開けて、一週間に一本という感じになってきて、まあ、ありがとうございます、なんて話になってたんだけど、そっからまたなんかなんやかんやがあって状況が動きまして。
どうも親が金を渡しちゃってる、と。

「レンタルビデオを借りたいから金寄越せ、って玄関先で泣きわめくから、もう近所迷惑になるから金を渡しちゃうんです」というようなことですね。
で、まあ、逆戻りです。

金の出所さえ抑えちゃえば何とかなるかと思いきや、いやいや、それを越えた方法で彼らはそれを「無理矢理」自分の思った(刹那的に)方向に持っていくことがあります。
というか、それはすごく多いです。

これ、こうなっちゃうと、問題はレンタルビデオだけじゃなく、もう生活全てのことにこの方法が適応されちゃうんです。
というか、逆に言えば、この親子の場合は、生活の一事が万事こんな感じの親子だったんだな。

よくよく話を聞いてると、親御さんは「そんなことは許さない」と口で言いながら、「全部許している」。
つまり、最初の「そんなことやったらダメでしょう!」という親御さんの言葉は、まったく本人には届いていない。

だって、口で何を言おうが、親は全部許してくれるんだから。


これね、まあ、しょうがないと言えば、しょうがないとも思うんです。

親御さんにしてみれば、もう「世間様に迷惑かけないように」ということだけを考えてる。
だから、大声でも出そうもんなら、「すいませんすいません」となって、飴をあげちゃう。

それもこれも、世の中の「障害を持った子を産んだら一生親が(家族が)めんどうみろ」という圧力の成せる技なんです。
それが変わらない限り、この親御さんを全面的に責める気にはちょっとなれない。


ま、だからそういう世の中を変えましょう、って話ではあるんですけど、その渦中である今、この悪循環は、結局本人に「我慢しない」という生き方しか選択させない、ってところがあるんです。

しかしまあ、オレはカイを産んでない。
というか、オレの子じゃないんで、その「圧力」に屈しなくてもいい、というところがある。

といっても、「施設の職員がちゃんとめんどうみてろや」みたいな圧力もあるんで、ノー圧力というわけじゃないが、でも、「産んだ親」という社会が勝手に作った「重責」に比べたら大したことはない。
一方、今はそれでオレをひっかいたカイをオレが押さえ込んだりすれば、すぐに「虐待か?」なんて言われたりするから、それも困っちゃうんだけど。
いやいや、押さえ込まないと、カイは周りの知らない人を噛み始めますよ、ということがわかってるんで、押さえ込んでるんだけども。

「だったら、もう買ってやればイイじゃない」と言われそうだが、いや、それは「我慢しない」を強化するだけで、逆に言えば「噛むこと」を奨励もしてるんです。
「騒げばやってくれる」は、「噛めばやってくれる」のライン上にあるんですから。

ちょっと考えれば簡単な理屈なんですが。

あ、別に、普段のカイはそんなことはないですよ。
そこは誤解なきよう。
そういう「ことが昔にちょっとあったから、その可能性はつぶさなきゃならない」といってるだけで、今はそんな派手に大立ち回りするようなことはまずありません。


カブキなんかもそうなんだけど、とにかく「外に行くと大声を出して抵抗する」みたいな。
「CCレモン買ってくれ!」と大声で言う、みたいな。
にじ屋の中ならそういう大声では言わないけど、どっか出かけた時は大声を出す、みたいなことですね。

たぶん、「外だと言うことを聞いてくれる」という幻想が彼女の中にあるんでしょう。
そういう対応をされてきたんだと思う。
その結果が、なんか「外では騒ぐ」という。

ま、この辺は彼女の頭の良さではあるんだけど。


確かに、大騒ぎされるのはちょっと困る。
でも、つまり、そこで決めた結論を「変えてしまう」ことは、「さらなる大騒ぎ」を誘発することでしかない(もしくはコーラに限って言えば糖尿を誘発もする)、と思っているので、ま、そこは踏ん張る感じ、という毎日なわけです。


現場的にどうしたらいいか、ってことですが、あくまで参考意見ですが、オレはこういう時、とにかく「声を荒げない」ことにしています。
声を荒げてしまうと、とにかくその「言葉の中身」じゃなくて、その「雰囲気」に飲まれて倍々ゲームで彼らまでヒートアップしてしまうからです。

そもそも「言葉をわからせたいから大声を出す」ってコトだと思うんだけど、カイはそんなに言葉を普段あまり解しないですから、雰囲気がヒートアップすればそのままカイもヒートアップします。
そうなると、噛む、騒ぐ、が出る可能性がある。

だから、とにかく「買わない」という結果だけあればいいんだから、騙そうがなんだろうが、静かに「買わないよ」とだけ言ってレジに進みます。
これ繰り返してたら、オレとの関係の中では、「騒ぐ」という雰囲気が彼の中からは消えてきてくれたように思っています。




(BGM:ヤングシスターズ「レモンのデイト」from「昭和ガールズ歌謡 EMIミュージックジャパン編 [大人の匂い・もやもやしちゃうの]」)
→ピーナッツから続く?女の子二人のユニゾンを基本としたアレなんですけど。
これですね、楽曲は大いに期待させるんですが、ちょっと歌詞が弱いなあ…。
もうちょっとパンチがほしかった。

大げさリアクション禁止


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ちょっと面白い記事がツイッターで流れてきまして。
「その注意、お子さんのイタズラを助長しているかも?最適な対応は」というタイトルで、タキモトミワコさんという、親子の相談を受けている方が書いています。
ちょっと、原文気になる方はぜひタイトルで検索してみて下さい。

内容をちょっとご紹介しますとこんな感じ。

「人が嫌がることばかり繰り返すのは、なぜ?」と小見出しの後に、

「人が一番嫌がることをする」
「注意すると笑顔で喜ぶ」
「何度指導しても止めない」
このようなご相談を伺うことがあります。

と続きます。
それらの相談について、

相手の気持ちに関わらず、相手の反応を見たくて行動している場合もあります。もしかしたらお子さんは、「相手が激しい反応をして喜んでいる」のかもしれません。

「何度注意してもやめない」という時は、お子さんに指示が「どう伝わっているのか」を考えてみるとよいでしょう。

指導する側からすると、「何度注意しても言うことを聞かない!」という怒りにつながりかねない態度ですが、
お子さんからすれば、注意されているという感覚はあまりなく、大好きな指導者に関わってもらえた喜びの方が強いのでしょう。

と。


ここまで読んで、なんかすごく「そうかもなあ」と思ったんですね。

こう、市丸とかと付き合っていると、こういうことってあるんです。
カブキもそうだけど。

なんか「人の嫌がることをわざわざやる」というか。
「人の嫌がることをわざわざいう」とか。
おそらく、「それをすると怒られる」とか、そういうことが「わかっている」のにやってしまう、という彼らの行動。

特にカブキなんかがそうなんだけど、「人をイラッとさせるのがうまいなあ」と思うんです。


カブキがここまでどういう生活をおくってきたのか、というのは親御さん情報ですが、世間話的にちょっとは聞いています。
ここ数年、自分が通ってた作業所でやることがない、とか。
養護学校の高等部に行くことになって、「何でもやってくれて天国だ」となってしまったこととか。
一方で、その高等部で英語や国語をマッタク教えてくれなかったことに腹を立て、送迎のスクールバスの中ではずっと本を読んでいた、とか。
中学は普通学級で、まあうまくやっていたようなんだけど、中三の修学旅行で「親が同伴」ってことになって、それ以来学校に行かなくなった、とか。

つまりですね、彼女は非常に能力が高いことがわかるんです。

にもかかわらず、今は「バカ」を演じている。
そして、演じ始めてしまって数年たって、本当に「バカ」になってしまった、というか。

つまり、もう「あきらめた」んでしょうな。
人生を。
おそらく、修学旅行で親が同伴、というところで、あきらめたのかもしれません。

それまで車いすなりに仲間の中でうまくやっていたモノが、親が入っちゃったら、そりゃその関係性は丸つぶれですわね。
そして、「おまえはもう一生、こうやって生きるのだ」と烙印を押された気分になっちゃったのかもしれない。
親がかりの一生。
仲間のいない一生。

ま、想像ですよ。
しかも、親御さん情報なので、全てを鵜呑みにしたものを前提にしてるんで、かなり危ういですが、毎日を見てると、ちょっとその可能性は高いようには思う。


そんな彼女が、なぜ他人を「イラッと」させるのか?

これ、まあ「イラ立ち」が彼女の中を渦巻いてる、とも思えますが、一方で、どうも「相手にしてほしい」んじゃないか?と思うコトもけっこうあるんだよね。

「イラ立ち」だけだったら、みんなに文句や「おまえ何やってんだよ!」と言われて、平気で向こうに行っちゃう気がするんだけど、どうも彼女はしつこく「みんなの方に行く!」「みんなの方に連れてって!」ということを繰り返す。

つまり「相手にしてほしいのかな?」と。

オグラとか見てると思うんだけど、他の作業所や施設に行ってた連中って、「問題を起こすと相手にしてもらえる」的な感じがすごいんですよね。
よくよく考えたら、市丸も他の作業所から来たわけですが、彼らは「問題を起こす」ことで、なんかとりあえず「なんか言ってもらえる」というか。


なんで、ウチではそういう場合に、なるべく「オオゴトにしない」というか、「ほっとく」というか、そういうことをしてるんですけど。
「そういうのは受け付けない」というか。

そして、同時に、平時に彼らの生活圏を広げるような、例えばどっか出かけたり、飲みに行ったり、そういうこともやる。

すると、やっぱ「イラッとすることをしなくてもかまってもらえる」という感じになっていくのではないか?というまあ、推理でですね。


で、戻って記事ですけど、記事にも適切な対応としてそんなことが書いてあって。

1. 周囲の人は騒がないようにする
2 お子さんと関わる時間を増やす

みたいな。


いや、市丸は子どもではないけど、なんとなく、そうだよなあ、というか。

やっぱね、「普段」とかの上に「注意」だとか「無視」だとかが成り立つというか。
これを「問題行動」で取り出してしまったら、そうはいかないこともあって。

そんなことをちょっと思った記事でありました。





(BGM:森俊之「愛のテーマ」from「太陽にほえろ ! Remixies」)
→これねえ。
すごいよね、太陽にほえろ、って。
あれ、当時、4時くらいから再放送もやってて、中学生だったオレとか見てたりして再強化されてるんだよね。

インプットとアウトプット その3(ラスト)

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というわけで、http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3354.htmlのつづき

逆に考えていくと、インプットさせなければ、遮断させる方に持って行けば、アウトプットもしない、ということになるわけです。
そうなれば、アウトプットに関わるいろいろな問題が回避できる。
そうなると、「聞いてるかどうかわかんない」ということになるんですが、とにかく生きてはいるけど、反応がないから「静か」ではある。

うまくアウトプットできなくて暴れてしまったり、ちょっとアウトプットがイイ感じじゃなかったときに、話し合ったり、ということが避けられる。

施設や作業所側としたら、とにかく時間が勝負だから、そういう「イレギュラー」はあまりウェルカムではないだろう。
本来、そのアウトプットへの回路をなんとかつなげてやろう、ということで指導なんかが入っていけばいいのではないかと思うのだけれど、そうじゃなくて、それらを「問題行動」としてしまって、そのことだけを押さえようとして、そのアウトプットだけを取り出してしまう。

そうなると、その対処療法はインプットを浸食し、結果として「静か」が産まれることになる。
施設なんかに行くと、とにかく「生気がない」ということになるんですが、それって、まあそういうことなんじゃないか、と。
中には、とにかく朝行って、あとは寝ている、という作業所もあるようだから、おそらくそれはインプットを防御しているように思えます。


インプット自体をとめてしまうと、やっぱりそれは人間たり得ないというか、周囲との関係性とかもなくなってしまう。


マウス実験で、ヘロインを混ぜた水と普通の水を準備し、檻の中に入れておくと、一匹で檻に入れたマウスは、やはりヘロインの方ばかりを飲み、死んでしまう。
しかし、「マウス公園」という、数匹が共同生活する折を作って同じ二種類の水を入れた場合、どのマウスもヘロイン水を摂取しなかったという実験があるとのこと。(ジャーナリストのヨハン・ハリ氏のTED「薬物中毒もスマホ依存も原因は同じ 多くの人が間違えている、中毒者への正しい接し方とは」を検索してみてください)

もちろん、マウスと人間は違うので、人間にそれがそのまま当てはまるということではないんだけど、なにか示唆があるように思います。

つまり、他にやることがない、インプットされるモノがなければ、薬物中毒になってしまうという。
これ、よく「こだわり」と言われるんだけど、知的障害の人たちで、「この子はこの本を持っていないと落ち着かない」とか、「朝、必ずこのCDを一枚聞かなければ外に出れない」とかいうことがあります。

インプットを遮断してしまうと、やっぱりこれらの「こだわり」も強くなるんじゃないか、と。
インプットがない分、こだわりで時間を潰しているというか。

同じズボンばかりはき続けていたという市丸なんかも、まだ実家にいた頃、こちらに来てほどなく「このズボンどうかな?」と親に聞いてきたと言うけど、そうやって、とにかく周囲との関係性が作られていくにしたがって、けっこうこれらの「こだわり」はすぐに影を潜める。
同じCDを聞き終えないと、というヤツも、ウチに来るようになって、もう一週間もしたら聞かなくなった、と。

「どう魔法をかけたんですか?」と言われるけど、何もしていない。
逆に言えば、それまでが「インプットの遮断」という魔法にかかっていたんではないか、と思うのです。


仲間ができる、集団がある、というのは、「インプット量の増大」ということと直結します。
そして、そのインプットに対して、うまくアウトプットしなければ、集団から爪弾きにされることもある。
冒頭に書いたように、自分のしたいことばかりを優先しているのでは、集団に溶け込むことはできません。

もちろん、「集団に帰属なんかしたくない」という感情があることもわかりますが、それはあくまで「帰属する集団あっての感情」ではあります。
人は、思う思わずにかかわらず、なにかしらの集団に帰属し、そこで自分の意見を出したり引っ込めたりしながら生きています。
その中で、「ああめんどくせえ」と思うのは当然で、俺も思います。

でも、だからといって、「帰属する集団がなくていい」ということは成り立たないように思うのです。
多くの、行く場所はあっても「帰属する集団を持たなかった」知的障害の連中がウチに来るようになって、その様子を見ていると、経験上ですが、彼らは「帰属する集団を持ちたくない」という方向を指向してるとは思えません。

まあ、もちろん、「うちの子はそんなことはありません。親がずっとめんどう見ます」と言う人もいるだろうから、まあそれならそれでいいんですが。
でも、かわいそうなのは、本人だな、とは思いますが。


要は、インプットというのは、きちんと正常にされなければならない。
集団の中で、人はいろんなことをインプットされ、アウトプットすることで、他人にインプットする、という関係性があるわけで。

なんで、つまりはインプットをきちんと確保してやること、そして、それまで水が通ってなかった砂漠のような水路に、ちょっとづつ水を通してしめらせて出口にまで届かせるように、ちょっとづつアウトプットへの回路を開通させるとりくみをしなければならないのではないか、という話です。





(BGM:ROLLY「たららん」「PUFFY COVERS」)
→ROLLYさん流の解釈というか、途中にブレイクしてものすごい劇的な展開になっていきます。
どっかクイーンを模してる感あり、このドラマチック感、すげえな、ROLLYさん。

インプットとアウトプット その2

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というわけで、http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3353.htmlのつづき

例えば、インプットがそもそもうまくいかない人だったら、アウトプットがどうこう、というのはあまり意味がないというか、インプットがなければ、そもそも出す必要がありません。

カイなんかの場合、喋れないし、何を考えているのかわかりませんが、こっちの言葉はよく理解している。
そして、こちらの力関係やこちらの様子はよく見ている。
つまり、そうしたインプットするチカラは十分にあるわけです。

しかし、喋れないので、それをアウトするチカラに欠ける。
つまり、頭の中でそれを言語化して考えたり、論理を積み上げたりということが難しい。
そして、それを他人に伝える言葉がない。

こうなると、どうしても、インプットしたモノの、それを正攻法で出せないので、「暴れる」「噛みつく」というアウトプットになってしまう、と考えると、彼の正攻法ではない行動がなんとなく理解できるような気もするわけです。


これ、インプットもしない、聞こえてるけど、聞いてない、みたいな人の場合は、そんなに逆に暴れたりする必要もない、というか。

オグラなんかは、決まったワードや状況はあるように最近は見えてきましたが、来たばかりの頃は、とにかく楽しいことはいいとして、それ以外については、なにも「聞いてない」という感じだった。
これは、最近来始めているカブキも同じなんだけど、とにかく、外の施設や作業所に行っていた連中は、この傾向が強い。
「自分の食器は自分で片付けな」というコトに対して「わからないふり」「動かない」で終わらせようとするというか。
これ、もちろん、後々付き合っていくと、この「動かない」のは、「片付けたくない」ということではないんです。
ある意味で、「都合の悪いことには答えない」という風にも思えるのですが、その後、状況が飲み込めれば、彼らはそれを嬉々としてやったりするんです。

これ、かなり「人生を無駄にしているな」と思うんです。
そして、他の作業所に行ってる連中や、他の作業所に行っていた連中などに、本当にこの例が多い。
だから、なんでそれを「わからないふり」にしてしまうのか?と思うわけです。

インプットとアウトプットがきちんと連動していれば、結果拒否であろうとなんであろうと、なにかそこから関係が生まれ、何かが始まる気がするわけですが、とにかく「インプットを遮断してしまってる」という状況に陥ってるというか。


これですね、経験上思うのは、とにかく「アウトプットしても無駄」という経験が重なってしまうと、そもそも「インプットを捨ててしまう」のではないか、と。
つまりは、植物のように、ただ、そこで生きている感じ、というか。

施設なんかだと、食事やその他の時間が決められていますから、もちろん、柔軟な部分もあるんでしょうが、基本は変えられないし、そこで例えば「食べない」と強弁することはなんの意味もないんです。
実際に「食べない」で終わることも少ないのかもしれません。
というのは、「食べさせない」という結果には、施設はしたくありませんから。

つまり、何を言いたいかというと、「食べない」というアウトプットは、確かに「本当に食べたくない」ということではないんですが、インプットされた様々な状況から「食べない」と「強情を張る」ということをアウトプットとして選択したわけです。

けれども、最終的には「食べさせられてしまう」。

そうなると、「食べない」とアウトプットしたことが、あまり意味がなくなってしまうんです。
「食べない」とアウトプットすることで起こる周囲との関係の軋轢や、自分の空腹なんかが経験できない。
特に、入所者に対して職員は仕事ですから、昨日何があったからといって、明日の対応が劇的に変わることもないでしょう。

逆に、そうしたことで対応が変わることはどちらかといえば「よくないこと」という認識であることが、また彼らにとって、「自分のアウトプットによって未来が変えられない」ということにもつながってしまっているように思います。
同時に、「わからないふり」というのが、彼ら知的障害者にとっては、その場を切り抜ける一番の方法というか、周りは「わからないのね」と思ってくれるからだろうけど。

自分のアウトプットが周囲との関係の中、自分の数時間先の未来になんの影響も及ぼさない、となると、もうアウトプットすること自体に意味がなくなります。
そうなると、そもそもインプットしたモノをアウトへの回路につなげる、ということをする必要がなくなってしまう。
しかし、インプットされれば、出さなきゃならなくなるから、それをまず「認識に入れない」みたいな行為になっちゃってるんじゃないか?と。

つまり、インプットの遮断。
聞こえてるけど、聞いてない、みたいなことをよく言いますが、そういう感じね。

それが日常になってしまうと、やっぱり人はダメになっちゃうんじゃないか、と。


インプットしたモノを、どうやってアウトプットしたら周囲との良好な関係が作れるか、アウトプットが自分の未来に影響を及ぼすモノである、ということが認識されていけば、必ず、俺は彼らを取り巻く状況はよくなっていくような気がします。
もちろん、これはなにも知的障害者だけのことじゃないんですけど。

知的障害者である彼らは、その回路がつなげないのだ、と切って捨てられることが多いんだけど、そうではなく、それがうまくやれない、時間がかかったりする、だけだと思うんです。
そして、その上に、「つながなくてもいい状況」に陥ってることが更に問題を深刻なモノにしてるんじゃないか、と思うのです。


続きます

今日は、にじ屋一斉ビラ配りだった。今回のゴールデングローブ賞は、井上&こうへいペア!井上リーダー復活か?!いろんなドラマが産まれるからおもしろい!本気で配ったあとは、本気の打ち上げ!たこ焼きをやってみた!栗山さん流のこだわり。たこやきの生地をタレ流すのがポイントらしい。ジュースを飲みたいと号泣するカブキ!子どもかっ! 加納

Posted by 虹魂的障害者自立生活 on 2015年9月19日




(BGM:チャラン・ポ・ランタン「ムスタファ」from「テアトル・テアトル」)
→この人達は、とにかくこの「サーカステント感」がいい。
こういう音楽やれたら楽しいよなあ。
それでいて、物語感があるので、ちょっと泣いたりする。

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