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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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ちょっと気になって、京アニの事件をネットで見てまして。
まあ、痛ましい事件。
犯人には怒りしか覚えませんけども。

ま、なんで気になったかというと、いわゆるNHKの取材が当日はいる事になってた、みたいな話で、偶然ではあるんでしょうけど、その辺のまあネットで広まる陰謀論みたいなのがどうなっておるのか?という。
結果としては偶然としか思えませんけど、まあ偶然が必然のように広まってしまうくらいだから、衝撃の事件だったということだと思います。

犯人はもうどうしようもないし、再建のために賠償もすべきとは思いますが、実際は難しいでしょう。
賠償できるほどの余裕があれば、おそらくこの事件を起こさなかったとも思えますし。

京アニの人たちにとっては、もう急に、青天の霹靂というか、そんな事件でありました。

俺自身はアニメには興味がなく、この京アニというのが何を描いていて、どんな重要なアニメの会社なのかはよく知りません。
けど、アニメのファンの人にいわせれば、かなり偉大な会社だったようで。
募金活動とか、そういうのもあったようです。
安倍首相もなんか言ったとか言わなかったとか。


ちょっと話変わりますけど、台風の災害とかがあって。
まあ自然災害故避けられない。
そもそも台風に被害に遭おうと思って家を建てる人などいない。
台風の進路は予測され、住人は逃げたとしても、家が崩壊した、浸水した、ということになってしまった。
家まで避難はできない。

これはもう自己責任なんていうレベルの話ではない。
自然災害を自分の責任で避けられる人がいるとしたら、まあ神しかいない。
誰しもが災害からは逃れられない。

先の京アニも、まあ社員の人からしたら同じようなことで、そんな形で会社に火を付けるヤツがいるなんてのは想像もしてないわけで。


しかしまあ、どこか今の日本、災害や犯罪が立て続けに起きてますが、建て直すのは自分なんですね。
これまで、災害に遭ってなかったから知りませんでしたね。

というか、考えもしなかった。

家がもし壊れたら、それを直すのも自分。
その分の金も自分で調達しなきゃいけないんだな。

避難所にいようと思ってもプライバシーのない雑魚寝生活。
海外に目をやれば、そんな避難所はそうそうなく、日本の避難所は難民キャンプより劣悪だとか。


単純な話、我々は税金をなんのために納めてるんでしょうか。
自然災害、誰がどうあがいても、神以外が決めることができない被害、だれしもに平等に災害はやってくるわけです。
おまえが悪いから台風が来た、なんてことはないわけです。

こういう時のために俺たちは税金を納めているんじゃなかったんでしょうか。
こういう時こそ、出し合った税金をみんなで使うべきなんじゃないでしょうか。
それが、本当に「助け合い」なんじゃないでしょうか。


災害になると、ボランティアが足らない、という話をよく聞きます。
確かに、ボランティアの行動は尊い。
しかし、それに頼らなきゃ復興ができないというのはちょっとおかしな話じゃないでしょうか?

まあ、こんなことは誰しもが思ってるし、言ってる話だとは思います。
でも、そのストレートな疑問を、やっぱ社会にぶつけなきゃいけないと思います。


ちょっと話を戻しますけど、京アニはすばらしいアニメを作ってきたから援助する、とか、まあ善意の募金はそれでもイイけど、募金したら税率を軽減する、とかってのはどうなんでしょうかね。
まあ、それで募金をする人が増えるのは悪いことじゃないと思いますが、だとしたら、天災の募金とかはどうなんでしょうかね。
あれも軽減の対象なんですか?

すごい人だろうが、そうじゃなかろうが、自然災害からは逃れられない。
そういう人には、税の軽減とかもあるでしょうが、もっとちゃんと税金を分配して欲しい。
等しく。


なんだろう。
ボランティアが活躍すればするほど、なんか問題はズレていく。
本来は、やっぱ税金で元通りにできないのならおかしい。

いや、財源の問題があるんだよ、というのなら、税金の使い方におかしいところがあるんだろう。
そりゃ甚大な金額になるだろうから、全額は難しかったとしても、自然災害をカバーしようともしない政府ってのは、どうなんだろう。
いや、もちろん補助とかはあるんだろうけど、それでも家を作り直すのに数百万かかるという。

正直、簡単に出せる金額じゃないよ。






2020もち

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(BGM:KEITH & Friends「ハラ立つだろ !!」from「晴者 II」)
→歌詞含めて、ストレートなロックですな。
「道徳道徳、どう説く?」みたいなアナグラムもいい。
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普通のことを普通に言う


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「聞いてもらえること」というのは大事だ。
自分の意見や思いを誰かに伝えようとするときに、まあ「伝わる方法を採用する」というのは重要である。

ま、気心の知れている人だったらそんな方法を考えなくても伝わるという認識があるから、「どういう方法を採用しようか」なんてことは考えなくても良い、ということになる。
これは気が楽なことである。
だからまあ、勢い気心の知れた人と飲みに行ったりすることになるわけだな。

問題は、相手が自分にとってそういう人じゃない場合。

ま、そういう人じゃないわけだから、「何かを伝えなきゃいけない」という事態になるというのは、まあ「伝えなきゃならない」という逼迫感があるケースが多いわ。
普段から気心が知れていれば、そんなに「伝えなきゃならない」ことってのはない、ということもある。

それに、そもそも「気心が知れない」とは、大前提の価値観とかが違ってたりするから、話がややこしくなりがち。
Aという価値観が前提でCという結論が導き出されたときのCの意味、と、Bという価値観が前提で導き出されたCという結論は、同じなのに違う意味合いを持っていたりする。
Cという同じ到達点を目指したい、と思って、それは達成したと思ったのに、「いやいや、ちょっとなんか違和感なんだけど…」ということにもなったりする。

それだけに、話はこんがらがるし、めんどくさい。
でもまあ、こんがらがった糸はほどきたい。

そのためには、まあ話には順序というのがあります。
だから、その話の順序や、そのための資料とかを用意して話をしたりすることになります。
そもそも、「当たり前」とする大元の価値観が違うのだから、一つ一つ話を紐解いていって、最終地点を目指すことになります。

価値観の違いはいかんともしがたいので、「なるほど、そういう価値観ね」と思ってもらわなきゃならん。
ま、価値観の違いというのは、そもそも経験が違うから違っちゃうんであって、「こういうこともあるんだよ」「こういうこともあったんだよ」ということを話して、それをわかってもらわなきゃならないのよね。

ま、とにかくなんにしても、「話してわかってもらおう」という気持ちの中で、そういう気苦労はしていかなきゃならんし、それは多くの人も同じであろう。
そういうことをしながら、まあ俺たちは人と付き合ってるわけだ。


さて、それね、行政交渉みたいなコトだった場合、どうでしょうか。

今回、JRについて、さいたま市に要望書を出しているわけですけれど(下の方に記事転載しています)、これ、けっこう決定打というか、もうそれしかないわなあ、という感じで考えた内容です。
が、ここまでいろいろ動いていく中で、JRに言ってもしょうがないな、というのがありました。
かといって、市行政にとってもJRは民間企業ですから、どこまで踏み込むのかは未知数ではあります。

一方で、公共交通機関でもあって、そうした「足の確保」に関して、障害者も障害者じゃない、もないわけです。
障害者だけが一方的に不利益を被る「システム」は、そもそもあってはならない。

こういうこというと、「障害者が乗ってくると時間がかかって迷惑がかかる」みたいなことを言う人がいるけれど、それは、障害者が乗っていて障害者が乗ってきても、乗っていた障害者にとっては同じ時間がかかるんですよ。
時間がかかる、って側面は、誰にも同じなのに、そこをわざと曲げて「障害者が乗ると困る」という風に対立するように言うのはちょっと違うでしょう。

これはまあ、高齢者とか、足が悪いとか、ケガしてるとか、ベビーカーとか、まあなんでも同じかと思うんですけどね。
あくまで、交通弱者、というコトで考えないと、話は進まない。

で、まあさいたま市にはノーマライゼーション条例というのがありますので、これはもうまさに交通弱者の問題なので、JRがそれに違反してるんじゃないか?ってことで、詰めることにしたんですけど。
一気に。


これ、まあ「いきなりだよ」という意見もあると思うんですよね。
「もっと市の人に歩み寄った要望、質問にはならなかったの?」というか。
「先ず順序があるじゃない」みたいな。

先の論理で言えば、まあ「わかってもらえてない人」と話すわけだから、「もっと順序を考えて」というような。

ま、いろいろね、各政党のやり方とか政策とかを見てると、確かにそう思った時はずいぶんありました。
「それじゃ、多くの人に伝わらないんじゃない?」みたいな。
で、こういう方向で「とりあえず行きましょうよ」、とか考えてる感じの「譲歩した感じ」の政党が受けたりして。

でも最近、よくよく考えたら、そうやって「頭が良くなった」結果、今の政権を容認してしまう流れを作っちゃったんじゃないか、って気がしてきましたよ。

もっとストレートに、「年金の支払い高い!」「健康保険料高い!」でいいじゃない、っていうか。
「税金高い!」で。

そういうことを言うと、「いや、減税したら、むしろ云々」とか言い出す人がいるんだけど、いやいやいや、難しいことはもういいわ。
もっとストレートでいいんじゃないか、と。
逆に、そういうもの言いって「不満を爆発させちゃいけない」って言われてるようで腹が立ってもきた。

政治に関わること、行政に関わることは、やっぱ単純に、ストレートに行った方がイイんじゃないか。
なぜなら、行政は我々が税金で雇ってる人たちがやってるわけだから、前半に書いた「人対人」の関係と同じように考えるのはやっぱ違うだろう、と。

それに、難しく考えなきゃモノが言えない、というのもおかしな話で。
減税を訴えてるだけなのに、税の仕組みまで理解しなきゃ言っちゃダメ、みたいなのはおかしいし、そういう「頭のいい活動家」には、やっぱなっちゃいけないな、と思います。

「ストレートな不満の爆発」でもういいじゃん、と。
というわけで、2/8(土)。
是非足を運んでください(http://www.nijirock.com/nijinokai/honbeevent.html)。








2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:大杉久美子 / アントワープ・チルドレン・コーラス「パトラッシュぼくの友達」from「続 テレビまんが懐かしのB面コレクション」)
→これね、俺が覚えてる終わりの歌と違うんだわ。
で、YOUTUBEで捜してみたら、やっぱちょっと違った。
実際の終わりの歌は「どこまでもあるこうね」という曲だった。
ただまあ、すごい似てるし、盗作だ!と言われれば敗訴間違いなしというか。
別アレンジ、みたいなことなのだろうか。

逃げろ


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自分の正当性が認められない場所にいるのであれば、俺はその場所から離れた方がイイと思う。

どんなに苦しい思いをしても、どんなに努力しても、「ここでは自分は認められない」と思うのなら、やっぱその場所からは離れた方がイイ。
もちろん、それは、その場所にいる人たちからは、「卑怯」と言われるだろうし、「ここで認められるようにがんばるべきだ」と言われるだろう。

確かに、どんな場所でも認められるように全力を出すべきだろうと思う。
けれども、それを許さない場所ってのが時にある。

時代によっては(もしかしたら今でも)、女性であるというだけで、どんな努力も認められなかったコトもあったろう。
貧乏人だから、と、学校に入れないとか(これは今でもそうか)、そもそも勉強という努力のタネを得られない、ということもあろう。
集団が、その個人の意見を受け入れるのを拒否したり、派閥とかで、その個人を認めたくない、とかってのもあるだろう。
個人の意見ではなく、考えでなく、その人を入れるのはイヤだ、というような。

ま、3人寄れば派閥ができると言います。
だから、「排除」とはいかないまでも、「何となく居づらくする」みたいなことで、だんだん排除していく、みたいな。

まあ、これは俺も気をつけなきゃいけないことだな、と思ったりするんですが、それはまあ集団の側にいるからそう思うんであって、つまりは強い立場にいるわけですね。
もし、この集団を変えようとする「意見」や「思い」を持った人が現れた場合、それは自分の集団の「問題点」を洗い出してくれることなのかもしれない、とそれを受け入れるのがスジである。
そもそも、人は渦中にいるとその問題を俯瞰して考える事ができなくなる、というのもあります。
だからこそ、そういう意見こそしっかり中に入れ込んでいかなきゃいけない、と思います。

とはいえ、多くの場合、そうした意見は、新しい人の意見だったりして、コッチの集団側は「お前にはわからないことがたくさんあるんだ」とかなんとか思いがちですね。
ま、それはよく思ったりします。
思ったりするけれど、無碍にアタマから否定するのはダメだわな。

とまあ、そのヘンは一般論なんですが。
この集団、というのが「権力」だったとするとどうでしょうか。

権力は集団と言うにはあまりに巨大で凶暴である。
その社会の世の中の仕組み自体を作ってるのが権力だから、たとえば、「意見を言う」こと自体にも、その仕組みの中でのルールが適応されるんだから、意見すら言えない、ということだってあり得る。

しかも、これが「自分の有罪無罪を決定する場面」だったとしたら、これは一大事です。
「反論すらできない」状況に置かれたら、その後の一生に関わる。

ま、そういうことがないように、裁判、司法は行政統治からは独立しているはずだけれど、どうもここのところそうとも言えない事案が頻発に起きているようにも見える。
もし、政治に文句を言ったら捕まってしまう感じ、というか逆に政権に近かったら逮捕されない、みたいな状況がある感じだ。
独立してるとはとうてい思えないのよね。

ま、それもとんでもない話だけれど。
そもそも、司法自体も日本は人質司法なんて言われるけど、推定無罪の原則なんかはなんか成り立ってないような感じもある。
法相が、「司法の場で無罪を証明すればいい」とか言ってるようじゃあ、困ったもんである。
ま、有罪率が高いというのを「日本の警察が有能である」というのは正しいと思うけれど、どこか「1回捕まったら終わりである」という風にも読めてしまう。
逮捕=有罪という認識があるから、そういう法相のコメントが出てしまうのだろうな。
理屈が逆転してしまったという感じがする。

というわけで、そんなコトの上に考えますと、ゴーンさんの件だけれど、海外に逃亡したのは悪い、悪いから、もうゴーンさんが何を言ってもダメ、聞かない、言う資格なし、というのは果たしてどうなのだろう、という気がする。
ま、きちんと日本の司法が機能しているのだったら、その意見も至極ごもっともだけれど、ゴーンさんの会見を聞いていると、なんだか「そりゃ、なんとか反論の機会を作るしかなかったんだろうなあ、という風にしか思えなかったな。
その方法が、もう国内では無理だった、という感じ。
会見も開かせない、意見を言わせる機会を奪う、家族とあわせない、取り調べに弁護士を入れさせない、罪を認めれば出すが、認めなきゃ出さない、という感じ。
それらは、なんだか「推定無罪の原則」にはまったく基づいていないように見える。

ま、それは通常日本で行われてることなんだろうけど、それでいいのか日本の司法?という気がしてならない。

ゴーンさんの記者会見をして、テレビのコメンテーターが「裁判の過程で言えばイイのに」とか言っていたけど、それも5年も6年もかかる感じのスケジュールだったんでしょ。

いや、これさ、自分が捕まったら、とか思わない?
俺は思うなあ。
俺には国外に逃亡させてくれるような「チカラ」を持った友人はいないし、プライベートジェットも持ってない。
だから、もし何かがあったら、もう言いたいことがあっても大人しく閉じ込められるしかないのだな。
そして言いたいコトは外にはつながらない。
家族にも会えない。

う~ん。

そりゃね、捕まるようなことしなきゃいいんだ、ってのは正論だし、ほぼ大多数のみなさんはそうやって生きてますよね。
まあ、普通のことです。

でも、誰かにはめられたら?みたいなことだって、ないわけじゃないでしょう。
今回もゴーンさんはそう言ってました。
まあ、それが本当にそうなのかどうかは別として。
まあ俺ははめられるような大物ではないけれど、だとしたら、もうなんかどうしようもないじゃない。
「それははめたヤツがいたんだ」って言ったところで、コッチの言い分は通らない、それで何年も監禁されるんじゃ、もうそりゃ「すいませんでした」って、根拠もなく完全降伏しなきゃなんなくなっちゃうよなあ…。
それでも戦い続けられるほど、自分が強いとは思えない。


ま、裁判だけじゃなく、「自分が認められない」と思ったら、まあ逃げ出すのはなんかありなんじゃないか、という気がしたって話。
まあ、だからといって保釈条件を破っていいか?といわれれば、そりゃダメなんだけどさ…。






2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:二村定一「洒落男 ゲイ・キャバレロ」from「想い出の戦前戦中歌謡大全集 II 君恋し」)
→二村さんは、もう楽しいよね。
名曲をたくさん残しているわけですが。
これもいいですね。
誰でも知ってるメロディですけど、戦前はこういうアメリカの曲も流行ってたんだよな…。

本が好き


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そういえば、この前飲んでて思いだしたんだけど、図書券ってありましたね。
なんか、百円づつとか切り離すようになってたりしませんでした?

けっこう親戚だったり親の知り合いだったりからもらうのって、図書券だったりした記憶があります。
お金をそのままあげるより、図書券の方がどっか「いい感じ」があった時代だったのだと思いますね。

というか、そういえば一番下の子のPTA役員をやった時、任期3年が終わったあと、なぜか役員に図書カードが配られました。
お礼、とのことでしたけど、あれはPTA会費から出ていたんだろうけど、これもどっか「現金よりもなんかいいんじゃね?」くらいの感じだったんだろうなあ、と思われます。

現金だと角が立つというか、どっか不正の感じがあるというか。
でもまあ、金券でも同じですけど、お金も金券ではあるわけで。

それにまあ、小さい頃のことを考えると、「子どもには本!」という、なにかこう、そういう雰囲気が世の中にあったような気がします。
そもそも俺が子どもの頃はテレビゲームとかもありませんでしたし、「子どもが欲しいモノ」ってのは、素朴なおもちゃか本くらいしかなかったんだよね。

今思い出すに、プレゼントとかで欲しかったモノってなんだったんだろう。
プラモデル?
確かにプラモデルは好きだった。
ミクロマンとか覚えてるな。
超合金、とか言って。
って、超合金ってなんだ?
俺はあまりキャラクターモノをそんなに欲しなかったので、まあそんなもんかな。
メンコとかビー玉とか流行ってたから、そういうのは欲しかったかな。
でもまあ、それはプレゼントというカテゴリーではないなあ。

そう考えると、本というのはプレゼントとしては当時かなり逸材だったと言えます。
あげる側も、なんか教育的にもいい気がする。
とはいえ、あげる側としてはその子の興味の方向とかがわかりませんから、そこで図書券が登場するわけであります。

でもまあ、もらった側は漫画を買うかもしれない。
当時だとがきデカとか。
八丈島のキョンですね。
でもまあ、なんかいいわけですよ。
本であるなら、まあヨシとする、みたいな。
なんで、図書券あげよう、と。

あの「本とは素晴らしいモノである」という思想、嫌いじゃないし、むしろいい時代だったような気がする。
だって、やっぱ思想が広がっていく、理屈がわかる、っていう、いわゆる社会の教養がアップしたのって、印刷という発明があってこそなわけで。
それが綴じてあるっていうんだから、本とはやっぱすばらしい。

哲学書じゃなく、漫画であっても素晴らしいという気がするのよね。
「快僧のざらし」でも、「幼虫」でも、「恐怖新聞」でも、素晴らしいわけです。
…こうやって、当時読んでいた漫画を思い出しているわけですが、どれもチャンピオン系列だわ。
「750ライダー」もあったなあ。
もちろん、「ふたりと五人」とか。
「マカロニほうれん荘」も忘れちゃならないな。
ま、そこはどうでもいい。

今は漫画もどこか市民権を得たというか、「漫画とは言え中身もあるだろう」という感じ?で認められてきたけど、いわゆる芸術点が高くなった、というか。
当時はけっこう「漫画は悪」みたいな感じもなかったわけじゃない。
でも、おもちゃ買うより本の方が上、という感じがあったのは確か。
図書券がずいぶん流通していたのがその証なような気がする。

俺は昔から本が好きで、漫画も好きだったけど。
兄弟がいない、というのもあるかもしれない。
一人の時間が長かったから。
とにかく本を読んでた記憶があります。

それは今に通じていて、けっこう今でも本を読む。
紙の本。
活字を読むのが好きなんだな、きっと。
基本、まあなんでもいいんだけど、今は怪談ばかり読んでるけど。

本を読まずとも、まあその本を原作とした映画を見ても同じじゃないか、ってこともあるんだろうけど、中身的には。
でも、どこか「紙の本を読んでいる」というのは、自分の知識力を上げるって感じがします。
それはきっと、俺が子どもの頃の時代の「本は良識」「印刷物は正義」みたいな世の中の雰囲気をそのまま持っているからだと思いますけど。

何が言いたいかというと、特に言いたいこともないンですけど、本が好き、って話。








2020もち

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(BGM:舟木一夫「サボテンの花」from「昭和おとなカヴァー II」)
→こういうカバーは、どれだけ「ええ?あの人がこの曲を?」という意外性がないとおもしろくないわけです。
秋川雅史さんがブルーハーツ歌う感じとか。
千昌夫さんの「あんたのバラード」(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-375.html)はすごい名カバーに仕上がってました。
これはどうでしょうかね。
舟木さんがチューリップ、と思ったけど、聞いてみたらそんなに違和感なかった。
歌手ってすごい。

人としてby金八2


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異性愛者で付き合ってる人がいるとして、女の人の方が外で活躍していたりすると、男の人が嫉妬する、みたいなことってのがあります。
ま、逆もあるんでしょうけど、どこか「女は家を守る」みたいな流れがある日本の中で、女性の方が活躍してしまうことに対する「嫉妬」は、逆のそれよりもずっとトリガーが外れやすい気がします。


専業主婦なんて言い方がありますけど、よくよく考えてみると、地域の集まりや子どものPTAのことなど、母親が出てくることがやっぱり多いですよね。
いわゆる、報酬のない「仕事」というか。
最近は男親もPTAに積極的に出たりもあるようですけど、まあ俺も役員なんかをやりましたが、やっぱ9割は母親でしたね。

PTAだけでなく、地域のことでも、「近所の誰々が云々」みたいなことって、たいがいその専業主婦の奥さんから聞くことになります。
「あそこのおばあちゃんが最近歩くのがきつくなってるみたい」とか。
「あそこは子どもがどうも放置されてるっぽい」とか。

まあ、いわゆる「井戸端会議」とかとも言われるんだけど、どっちかというと蔑まされる感じというか、そんな雰囲気を持つ言葉だけれど、でも地域のことを知るんならやっぱこの「井戸端会議」はとても大切なことなような気がします。
確かに、イヤなことや不満のはけ口のような感じで村八分を作るための井戸端会議もあるだろうから、全てが全て持ち上げるモノでもないとは思うけど、でも、自分が住んでる地域のことを知るためには、それなりの意味はあるように思う。

下手すれば、隣に誰が住んでいるかもわからないのが今の都会の感じというか、それはそれで個が守られていいんだろうけど、知らない間に隣のおばあちゃんが動けなくて死んでた、ってのもどうだろうか。
もちろん、かといって、あまりにプライバシーがないのも窮屈ですよ。
でも、動けなくなったのが自分だったとしたら、と考えると、やっぱ隣の人がちょっと、「薄く」見守ってくれる感じってのは、あってもいいんじゃないかと勝手なことを考えたりします。

でもまあ、働いていたりすると、井戸端会議にも出れないし、そもそも地域の人を知らない、という事態に陥ります。
それは時間を共有できないからで、それはそれでしょうがないんだけど。

昔は専業主婦の人が多かったから、地域というのはもっと身近だったように思うし、「あそこの誰々がどうだ」ってことを、旦那も子どもも知っていたように思う。
そういう意味で、ものすごく専業主婦ってのは、高度経済成長の時代の日本の重要な役割を果たしてきたような気がします。

ただ、それがどっか女性を家に縛り付けてしまう、仕事をさせない、外に出さない、という風になってしまっていたのも事実で、それはとても耐えがたい問題だとも思います。
そして、まあ今は結婚の時に「専業主婦になってください」とかいう男はダメじゃない?みたいな流れになってて、それはそれでとても歓迎すべきコトだと思います。

まあ、総じて男も女も、もっと仕事がラクになって、それでも収入が確保できて、地域のことや井戸端会議やPTAに参加できればいいんだと思いますけどね。
世帯として考えれば、男だろうが、女だろうが、その辺はまあどっちでもいいわけだし、単身の方だってそれは同じで、そうやって地域のことや人をしることも重要な気がします。
災害があって避難所に行って始めて地域の人と会うよりは、前から友だちだった方がイイし、復興に向けての話だって、そりゃその方がスムーズなんだから。


しかしまあ、男がその辺を全部パートナーである女性に押しつけて、そして「お前は仕事をしなくてイイ」というのが「男の甲斐性」みたいなことになってきたのが今の日本で。
ま、もうその辺も前近代的になってきましたか。
そんなこと言うヤツは古い、っていうか。
そもそも、「男・女」で語ってる時点でダメというか、「男・男」だって「女・女」だってあるわけで。
「女・女」だったら、その論理だと甲斐性はどこに行くんだ?みたいな。

ま、「専業主婦の方がラクだし」とか思ってる人もいるかもしれませんが、いやいやいや、地域のことだったりなんだったり、いろいろ舞い込みますよ。
そんなにラクじゃないと思うんだけどな思うよりずっと。
だったら仕事続けておけば良かった、くらいの。
そのくらい重要な仕事でもあるんだけど、まあ対価がないだけで。


でもまあ、そういういろいろな個人の思いが行ったり来たりしてるのが今の状況で、やっぱり「女の人の方が活躍してる」というのは、男としては我慢できない、という感じがあるんでしょうか。
そういうのが根強く残っているんでしょうかね。

異性愛者だとして、女性の方がたくさん友だちがいて、頼りにもされていて、時に出かけていったりすることを、男の方がなかなか「認めたがらない」というか。
面と向かって「嫉妬してます」とは言わないんだろうけど、「機嫌を悪くする」みたいなことで対応したりしてる人は多いのではないか。

ま、男性側に「自信がない」というのもあるんでしょうかね。
「自分にはそんなに頼ってくれる人がいない」とか。

…う~ん、それは彼女が悪いんじゃなくて、頼られないお前に問題があるよ、って話なんですけどね。

ま、どうでしょう。
自分が愛している人が、多くの友だちがいて、頼られていて、自分だけじゃなくて他人にも優しく慕われる人だったら、俺はなんかその方がとても自慢だし、愛が深くなるような気がするんだけど。
俺もそうなろう、と思うし。
彼女の友だちを尊重しよう、と俺は思うよ。
俺の仲間も尊重してもらってるわけだから。

なんで嫉妬するんだろう。
気持ちがわからない。
愛してる人が信じられないのかしら。
まあ、ってか、人として、人を信じて裏切られる方がイイby海援隊ですよ。





2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:宮尾すすむと日本の社長「ニャロメのうた」from「赤塚不二夫トリビュート [四十一才の春だから]」)
→やっぱ赤塚大先生のエッセンスはバカボンに凝縮されていると言ってイイのだろう。
アレを越える設定というのはいまだないのではないだろうか。
正直、アニメ版の最初の3話くらい、泣くし。
今こそ再評価すべきアニメだよな。

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