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スーパーちんどん・さとう

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トラブル待ち

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月に数度にじ屋に来ているヤツがいるんだけど。
将来的にはウチに来たいというような話で。

で、来た日の夕方、そのお母さんから、ありがとうございました、みたいなメールが来たので、その日の様子を書いて送りました。

まあ、あれです。
本人としては、月に数度しか来てないし、「暴れる」という前情報だった割に、大人しい。
作業の飲み込みも悪くない。
ノブや専従の指示を聞いて、それなりに仕事はできる。
ただまあ、「他人を入れない」という徹底した「ガード感」は感じるかな。
でもまあ月に数度だからね。
本人もそこは割り切って、「時間が過ぎるのを待って、それまでは大人しくやろう」みたいな感じはあるんだろうな、と。

ま、そういうことをガードとして行動できるというのは、スペックが高いってコトなんだろうから、アタマはいいんだと思うんです。
でもまあ、今まで社会との接点がなかったからか、それを発揮する場面がなかったというか。

ま、これからだよな、とか思ってるんですけど。

なんで、こんなことを、当日の様子を伝えた後に書きました。


まあ、とりあえず今は、順調に、ということを念頭に、もっと何回も来るようになって慣れてきたらまあトラブルも起きるでしょう。
ま、そこからですね。
今は導入。
とにかく、来続けることを大切に考えましょう。


まあ、特に何の気なしに書いたんですけど。
そうしたら、親御さんから、「トラブル待ちなんて聞いたことありませんよ」というような感じの返信が来ました。
いや、悪い意味じゃなくて、ありがたい話だ、みたいな流れでの言葉なんですけど。

で、それに対して、俺はこう返しました。


「トラブル待ち、なんて聞いたことがないです。」とありますが、そうですか?
う~ん。

でも、ナニも起こらなければ、別にナニも起こらないし、ナニもしようがないし。

まず、何か起こるというのは、彼の中でなにか「必要があって起こす」わけだから、それだけ彼にとって「何か起こさなければならないほど重要な場所」ってことですし。
今は、まだ「タダ時間が過ぎれば終わるから」と思ってるだけだと思うし。

そして、何かないと、こっちもなにもしようがない。
作業とか、そういうのはどうでもいいんで、そうじゃなくて、彼がわからなければ、なにもできないじゃないですか。
そう言う意味では、「俺はこういう人です」なんて説明を彼がしてくれるとは思ってないし、それはおそらく「トラブルを起こす」って形で出てくるのかな、と。
それがなかったら、彼のことなんにもわからない。
わからなければ、手も出せない。

ウチにしてみたら、これは普通のことだと思って普通に描いたつもりだったんですが、他では違うのかな?
逆に、俺たちにしてみたら、どういう考えで他がやってるのか、まったくわからないなーという感じです。

ま、とにかく、また来るのをみんな楽しみにしてます。
それは、ホント、毎日でもいいくらい楽しみにしてます。

だって、仲間が増えるのは、単純に楽しいモノです。


まあ、上記に書いたとおりなんですが、「トラブル待ち」って感じは確かにウチにはあります。
いや、トラブルっていうと大げさですが、いや、そんな大問題起こされても困るんですよ、確かに。
それは事前に察知しなければいけない。

でも、そのためにも、もっと小さな「何かを起こしてくれる」のを待ってるところはあります。
そういうのが積み重なっての「デカいトラブル」なんだから。
だから、小さな「何かが起きる」ことを待って、予見する力をこちらもつけたい、というか。
まだこちらに慣れてない彼にとっては、まだ、それを出すキッカケもないんだろうな、とか。


まあ、そんなわけで、「小さな何か」を彼が起こしてくれることを待ってるわけです。
逆をいえば、それほど今の彼は「大人しい」ってことなんですけど。





(BGM:久住昌之とモダンヒップ「テレパシー」fromYOUTUBE)
→この曲もなんかのオムニバスに入っていたよな気がする。
この歌謡曲感、好きだったなあ。

胃袋を握れ! その3

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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3227.htmlのつづき

ま、この「理由を問わない」というのは、一歩間違えれば確かに問題もあるかと思います。
が、人を噛んでしまう、ということを止めるのに、理由はいらないでしょう。
「相手がイタイでしょ?」と言ったところで、予見や他人の気持ちの想像が難しい彼らに「俺は痛くないから大丈夫」と返されるのがオチのような気もします。
そういう「反応させる」「反論できる余地」を残しては、「ルールを入れる」ということはできないのです。
先に書いたように、それはルールのライン、の問題です。
そこは、彼らの意思を最大限受け止められる最低限のラインを作っていく必要がある

例えば、ですが、こういうルールというか、決まりというか、そういうのはウチにはいくつかあります。
個々人のもありますが、まず全体でのルールが暗黙の了解、という形ですが、あります。


まず、「いただきます」と「ごちそうさま」。
これは必ず言う。
他の作業所から来た連中は、最初はコレをほぼ言いません。
なので、これはまず最初に徹底します。
言わなきゃ、食わせません。
たいがいの場合、大人が一食抜いたところで、大丈夫です。
一食抜かれれば、だいたい言うようになっていきます。

で、ある程度いうことが定着してきてから、食べ物への感謝、農家の方への感謝、そういうことを話します。
ま、つまりそこは「強化」でしかありません。
「感謝をしろ」といって、させるのは、彼らの場合、動機にはなりにくい。
とにかく、最初は意味がわからなくても「言わせる」ことから始めます。

それと、ご飯粒を残さない。
これも、出されたモノは全て食べる、ということで、食べきれない場合は、他の人にあげても全部を誰かの胃袋には入れる。
そういう形ですね。
そのためには、別に箸を使う必要もない。
箸を使ってうまくご飯粒が取れればいいですが、不器用な場合、そうもいきませんから、その場合は手でもイイ。
手を使ってはいけない、というルールはウチにはありません。
ご飯粒を残さない、というルールのためなら、手を使うことは別にありです。
大事なことは、出されたモノをキレイに「いただく」ということです。

次に、よそってもらったら、「ありがとう」を言う。
よそってもらう時は「おねがいします」を言う。
まあ、コレも当たり前です。

そして、自分の食器(ちゃわんやお椀)は自分で用意する。
終わったら、自分で台所に運ぶ。
そして、洗い物をしてくれた人にお礼を言う。

ここまで書いて、かなりが食事のことであることに気づいたわけですが、他にはこんなのがあります。

まず挨拶。
「おはようございます」
遅刻したら「遅れてすいません」。
そして「帰ります」。
これは徹底させます。
声が小さくてみんなに聞こえないようなら、もう一度言わせます。

あと、「一人でお酒を飲まない」というのもあります。
これはアル中対策です。
そして、一人暮らしのヤツは、「火の見える暖房器具は使わない」というのもあります。
まあ、これは火事のことを考えて、ですね。
ほぼ、エアコンと言うことになります。

ま、これがウチのルールです。

他には、市丸は逆ギレしない、カイはズボンのチャックを触らない、とかありますが、そういう個々に約束事をしているのは、そんなに多くはありません。
なので、ほぼ、以上がウチのルールかな、と思います。

ま、当たり前と言えば、当たり前のルールです。
酒とストーブを除けば、まあ一般的なことだと思います。

ただ、読んでもらってわかるように、食事に関するルールが多いです。
これはまあ、目論んで、というわけではなかったのですが、結果、そうなっています。


続きます






(BGM:細野晴臣「ぼくはちょっと」from「HOSONO HOUSE」)
→このアルバムは、中学くらいの時に聴いて、まあなんだろう、すごく気に入った!というのではなく、ずっとずっとアタマの中に各曲が残り続けてきたというか。
最近になって、また改めて聞いて、とにかく名盤だったんだな、と。

オグラが来た ② ~もう「お姉さん」とは呼ばない

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昨日、オグラが来ることは書きましたけれど、オグラのことはまたおいおい書くとして。

オグラにはお姉さんがいて、親御さんが高齢というコトもあって、施設から一時外出でにじ屋に来る時には一緒に来てました。
イベントなんかにも一緒に参加してたりして。

お姉さんが言うには、「いろんなトコロを見に行ったけれど、ここの人たちほど生き生きしているトコロはない」と。
ふむ。
「弟がこんなに笑ってるのを、久しぶりに見ました」と。
ふむ。
まあ、俺たちはオグラが笑ってるところしか見てないので、オグラが普段「マッタク表情がないんです」ということがにわかには信じられないのだが、まあ、そういうことらしい。

お姉さんの年が加納と近いこともあったりで、オグラのお姉さんということを越えて、なにか友情のようなモノが芽生える感もあったのかなかったのか。
なかなかステキな方で。


で、まあウチに来ることが正式に決まって、施設を出る日も確定し、にじ屋のイベントにお姉さんだけ来ていた時がありました。

「私、この半年でここに来るようになって、もちろん弟のコトで来てましたけど、自分も楽しみだったんだな、と思って…。もう来れなくなっちゃうかと思うと…なんか寂しくて」
…ふむ。
まあ、ウチの場合、親御さんを運営に入れていないので、ウチに来ることになったら、やっぱり家族の方はにじ屋で買い物もしてもらいたくはないし(親が金をあげちゃってることになるし)、イベントにも来てもらったりはしない。
ちんどんのライブも、大会場ならお誘いすることもありますが、普段はキャパの関係もあり、遠慮してもらっています。

そんな流れなので、「もうオグラ本人がこっちに来ることになったら、私は来れなくなっちゃうんだな…」という、まあことなんですけど。

ですねえ。
寂しいけれど、やっぱりそこは一線を引かないと、オグラのためにならないな、というか、みんなのためにもならないとは思うので、そこは、泣く泣く遠慮してもらわなきゃならないかな、ということではあるんですが。


俺は、お姉さんにはお姉さんの人生を明るく生きていって欲しい。
幸せになって欲しい。
オグラのことにかかりっきりだったこの数年を、やっぱり取り戻して欲しいと思う。
じゃなきゃ、それはやっぱり福祉の敗北なんだよ。

親や家族が必死になって子どもにつきあわなきゃならない、という現実。
これは確かに今はそうなんだけど、それを変えなきゃいけないと俺は思う。
テレビで親御さんの必死の介護だったり、親御さんが必死に作業所を立ち上げたりするのを美談にしてたりするけれど、それってやっぱりおかしい。
そんなの美談にしちゃいけない。

いや、確かに美談ではあるけど、そこに社会は反省しなきゃいけない。
福祉の現場は恥じなきゃいけない。
少なくとも、テレビなんかのドキュメンタリーならば、美談で終わるのではなく、その反省が加わってなければ話にならないと俺は思う。


まあですね、わかるんです。
親御さんの中には、数十年も子どものために団体をやり続けたり、作業所を立ち上げたり、ともすれば自分が職員になったり、ということをしている。
そして、それを続けていれば、それ自体が「生き甲斐」にもなる。
というか、自分の生き甲斐にしなければやってられないよね。

でも、それは反転してるんです。
確かに、美談ではあるし、それがなければ、本人には何もないんだから、必要なコトでもある。
けど、それは福祉がきちんと機能せず、「障害者を産んだ親に結果的に責任を負わせる」ことを助長することにしかならない。
だからまず、その「福祉をきちんと機能させる」ということを考えなきゃいけないんだけど、どうしても、今の福祉、福祉の現場は「本人を救う」ことではなく、「親御さんや家族を支える」というような感じの雰囲気に飲み込まれている。
それが親御さんの「生き甲斐」、といっても生き甲斐にしなければやっていけないような状況があるわけだけれど、と妙にヘンなマッチングをしてしまい、底なし沼のように本人を抜け出せない状況に追い込んでいる。


だから、スッキリすればいいんだと思うんです。
親御さんは参加を遠慮してもらう。
これだけで、少なくとも現場は変わるはずです。


ま、そんなこんなでお姉さんですが、これからはまた別の機会に飲みに誘ったりしようかな、と思っています。
そうですね、もう「お姉さん」と呼ぶのもやめました。
先日、お名前もちゃんと聞きました。

で、彼女のことは、もう名前で呼ぶことにしました。





(BGM:アレルギー「不知火」from「蘇生-Anabiosis-」)
→その後の復活ライブ以降でも定番ですね。
もう俺なんかは歌っちゃうね。

親子の距離感 その3(ラスト)

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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2782.htmlのつづき

さて、とは言っても、親御さんの心配をなんとか軽減することを我々も考えなければなりません。
親御さんにばかり「自分の世界を作れ」といっても、現実的には、まあそれはそうした歩み寄りの結果でしか産まれないような気がします。

本人もまあ普通で、親御さんも仕事を持って、それなりにうまく回転している時は、まあなんとかなるんです。
普段の様子を機関紙や、時に必要であれば電話やメールなんかでやりとりして、というようなことで済むわけですが、これが崩れる時があります。

これは反省でもありますが、それは、家族に変化があった時、です。
本人に変化があった、ということでは全くなく、これまでの経験でいうと家族に変化があった、ということ以外には、うまくいかないことはまずありません。
具体的には、同居のおじいちゃんとかが亡くなった、とか、親の片方が亡くなった、とか、入院した、とか、そういうことですね。
それによって、親御さんの方の意識がグググッと変わってしまうことがあります。

家族の変化から、子どもの未来が急に心配になってきたりもするでしょうし、それまで看護で疲れていたところに、それが急に無くなったコトによる喪失感、みたいなモノが、一気に子どもの側に心が傾いていく結果になる。
そうなると、子どもの頃のイジメなんかのことを思い出してしまったり、急な不安が襲っても来ます。
この時に、こちらがちゃんと連絡を密に取れるように努力しなければならないんですが、またそのことが逆に不安を煽ってしまったりすることもあって、まあ難しいところなんですが、どちらにせよ、そういう時が重要なわけです。

その方法は、おそらくケースバイケースってコトになるわけですが、互いにですね、「こういう時がいろんなコトが崩れる」ってことを平素から理解し合ってることも大切かな、と思います。
そのことがよくわかってなかった時には、ずいぶん不幸な形で別れるしかなかった仲間もいます。
それはとても今は後悔です。


どのみち、親は先に死にます。
その時に、彼本人がどうするか。
どう生きていくか。
「どうせ施設なんだから。どうせ彼の人生は不幸なんですよ」と捨て台詞を俺に吐いた親御さんもいましたけど、それを親御さんが決めちゃダメです。
そうなったとして、でも、「どうせ」なんて言葉を使ってはいけません。

どうせ、ではなくて、なんとか彼が一人で世の中に対峙していく力をなんとかつけていく努力をすべきじゃないかと思うんです。
「どうせ無理だ」なんて言ってしまえば、もうそこで終わりだし、障害者を親に押しつけて、しかも微々たる補助金しか出さず、安穏と生きている連中の思うつぼです。
そうしていれば、やっぱりいつまでも障害児を産んだ親とその子は一体になって社会から孤立していく状況はなにも変わりません。

先に書きましたが、社会から孤立していく状況に甘んじているよりは、攻撃に転じていかなきゃいけない。
その道スジが、きっと本人と親御さん自身を解放させていく道のような気がするんです。

親御さん自身が、いつまでもその子を産んだことの責任を感じ、社会にいつでも頭を下げ続けていたのでは、なにも変わらない。
もちろん、気持ちはわかります。
でも、道の真ん中を堂々と歩きましょうよ。
一緒に。

社会に迷惑をかける存在から、社会の一角で、社会を構成する一員として彼らが光ることができるように。
そんな社会に、そして、そういう彼になれるように、我々はできる限りの努力をしていかなきゃいけないと思うのです。
福祉の現場は、そのことを目指して毎日を過ごしていかなきゃいけないと思うのです。




相談など気軽にどうぞ。虹の会HPに連絡先などあります。また、今まで断ってきた講演等も、今後は、受ける準備が自分の中で整いましたので、お話あれば連絡ください。

(BGM:LONG VACATION「SING SING SING」from「1991 SUMMER」)
→ケラさんですね。
もういつの間にかビックネーム。
ケラさんといえば、有頂天だとかナゴムだとかのDOLLの広告を思い出す俺。
才能ある人ってのは、まあどっから出ても才能が開花するもんなんだな、うん。

親子の距離感 その2

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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2781.htmlのつづき

さて、ちょっと前回も書きましたが、親御さんの心配はわかるんです。
「ウチの子は自分の気持ちがちゃんと言えない。だから、親が代わりに、見てやって、代弁してやらなきゃいけない。」
わかります。
小学校や中学校、いろいろとそれまでにイジメられたりもしたでしょう。
だから、いつだって神経を尖らせてないと「この子は迫害されてしまう」みたいな。

きっと、それまでのそうした経験が、親御さんとその子を一体化させ、孤立させてきたんだと思います。
それは、正に社会の状況を如実にあらわしているといえます。
だから、親御さんを責めたいんじゃないんですが、でも、その一歩先に俺はいきたい。
社会の中で孤立せざるを得なかった状況から、攻撃に転じたい、というか。

最終的には、彼らは親子一体で孤立していた状況から解放されなければならない。
そして、そのことは、親御さん自身も解放されなければならない、ということなんです。


これまでの経験から、作業所なんかに不信感を抱くのはわからなくはないんです。
でも、それって、全部を見れないわけですから、不信感というのはいくらでも増幅できちゃう。
こちらであったことを話したとして、「信じない」と言われちゃうこともあります。
そうなっちゃうと、もう話が進まない。
つまり、「心配」のあまり、必要ない、事実にはまったく関係のない「不信感」が煽られるコトになっちゃうことがよくあるんです。

彼らが仲間同士でトラブルがあったりするのは、楽しい時があるからこそ、トラブルがある。
そのトラブルをいちいち親が事前に回避してやってしまったら、彼らには仲間が出来ない。
トラブルを越える経験も必要です。
もちろん、我々はそれを遠くからきちんと見ているわけですが、それでも、ちょっとした「今日は起きたくないな、ねむいな」みたいなことを、真に受けちゃったりすると、その「不信感」が煽られちゃって、本人自身が引くに引けなくなっちゃう状況になったりします。
そうなると、「ちょっとしたグチ」まで彼らは言えなくなってしまう。
つまり、かなり窮屈な状況に置かれてしまうことになります。

状況を飲み込みながら、距離感を保ちながら、それでいてちゃんと見守ってやる、っていうことには、現実的には、親御さんにもきちんと世界がないと成り立たないんですね。
親御さんはいつも子どものことを考えていて、子どもがどっかに行っていても、いつも「どうしてるだろう」「困ってないだろうか」「仲間はずれになってないだろうか」なんて考えていると、いらぬ不信感がどんどん広がっていってしまうものです。
親って、まあそういうもんではありますけど。

でも、どっかでそれを考える時間を減らしていかなければ、その不信感は人間を取り込んでしまって、子から目が離せない状況になってしまいます。
彼は彼でなんとか不十分でアリながら、うまく行かなかったとしても、なんとかかんとか世の中を上手く渡っていくだろう、という風に頭の中を転換しないと、どうにもこの状況からは抜け出せなくなってしまう。
そうなれば、先にも書きましたが、窮屈になっていくのは本人でもあるんです。
そして親御さんも心配だから仕事もできない、なんて状況になる。
互いに窮屈な人生の中に閉じ込められてしまう。

どこかでこの悪循環を断ち切っていかなきゃならないんだけど、それには、俺はまず親御さんが自分の世界を作っていくことが必要なんじゃないかな、と現実的には思います。


しかし、まあそれは理想論かもしれません。
作業所なんかで、3時に帰される。
何かあれば呼び出される。
手伝いにかり出される。
何か予定があっても夜まで作業所に置いておいてはくれない。
…とかっていう状況の中では、親御さんが自分の世界を持つってことは難しい。
逆に、「子どものことをもっとちゃんと見てください」なんて作業所側から言われるようなこともあるとも聞きます(まあ、これは中身にもよりますが)。
これでは、そもそも「自分と子どもの距離を保て」なんて言われても無理という気がします。

今の補助金の出され方の状況、「制度で決まったことしかやらない」というような運営姿勢の作業所では、そもそも、彼らの解放などはできないのかもしれません。

しかし、俺は、もっとも福祉において、彼らの解放こそが目指すべきモノだと思っています。
そして、実際にそのことを実践し、制度を追いつかせる、くらいの気持ちで、毎日を過ごしていかなければな、と思うのです。


続きます



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(BGM:KWEEN「Somebody To Love」from「Rhapsody from Heaven」)
→完コピの人たちですね。
バンド名もイイ。
そして、このアルバムは基本アンプラグドってことなんだけど、それもこの曲なんかにはバッチリハマる。

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