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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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「刑務所に来てくれって電話があったぞ」

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四国から帰った翌日。
朝から市丸は調子がよかった。
寒いのに短パンで運動に出て、しかも短パン後ろ前だし。
「今日からにじ屋頑張るか!」なんて言ったりして、やる気もみなぎってるし、まあどっか口だけなんですけど。
そんなこんなも含めて、いつも通り、みんなに笑いを届ける男であった。

逆ギレの感じも最近は収まっているが、まあその片鱗はないでもない。
どっちかというと、こちらの「対処の仕方」が老練になってきたような感もある。
つまり、「逆ギレしそうになった時に、それ以上逆ギレさせない方法」を我々が会得しつつあるというか。

まあ、「逆ギレさせない」ということはとても大事で、「逆ギレをやめよう」という市丸自身の気持ちも大事だが、まず「逆ギレしないでも楽しい時間が過ごせるのだ」という確信が、彼を変えるとも思う。
経験上、その両輪なくして、なかなか「逆ギレを減らす」ことは難しいように思う。
市丸側からの「逆ギレしない」という努力と、こちらの「逆ギレさせない技術」、この二つがうまく歯車として回ってるとうまくいくと思う。


でまあ、そんなこんななんですが、その旅行から帰った翌日朝。
運動に出かけている間に、市丸の携帯に不在着信が三件。
しかも「非通知」である。
「佐藤さん!これなんだ!」と、ちょっと怯えが入る市丸。
オレに寄ってきたところで、俺の携帯が鳴る。
「え?市丸はウチのメンバーですが…。はい…。」と、相手のない通話を続けるオレ。
オレの電話の向こうの、その架空の相手は、とある刑務所に来てくれ、と市丸にいっている。

「何かわからないが、とりあえず、市丸、その刑務所に行ってくれ。理由は言ってくれないのでわからないけど、来いって言ってるから」とオレは市丸に告げる。

オレが通話をしている間から、市丸はパニックに。
「違うよ!あのマイクは、知らない。オレが入れたんじゃないし…」
…テニスボールが入ったケースを市丸がマイクに使ったことは記憶に新しいが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3087.html)、それとは違うケースがなぜか市丸の旅行バックに入っていたということがあり…。

「違うんじゃないか?他には何か盗んだりしてないか?」という問いに、とにかくわからない、という市丸。
まあ、細かいいろいろがあるのは知っているが、この際ほっておこう。
つまりはまあ、叩けばほこりが立つ男なのである。
じゃなければ、刑務所だったり警察だったりのキーワードにこれだけ悲観的に反応することもないわけで。

ま、すなわち、この日は、ある刑務所の見学会があったのである。

それに申し込んであった。
ただ、市丸には言ってなかったし、井上達にも言ってなかった。
だから、せっかくなので、市丸がいろいろ反省できるシュチュエーションを作ろう、と思って、いろんな茶番をやったわけです。

ガックリ肩を落とす市丸に、にじ屋にいく井上達が、「大丈夫だよ。俺たち待ってるから。仲間だろ!」とかと、励ましている。
いや、イイヤツらだな~。
なんか映画みたいであった。


府中についた時に一緒に行った外口さんからメールが来ました。

府中刑務所に着きました。集合場所の面会入口がなかなかわからず…。
会ったことのあるた他の団体の人の顔を見ても、「なんで電話がかかってきたのかわからない…。おれなにもしてないのに…」と朝の電話を信じている。
で、受付の看守に外口が聞いてくる呈にして、「今日は、刑務所の中に入って刑務所がどんなところか勉強してください。ということで電話をしたみたい」と市丸に話すと、「勉強だから、今日は見るだけだから手錠はしないでくださいって言う」、って…。
少しホッとしたみいたけれど、まだ神妙な顔をしています。

とのことで。
戻ってきた市丸は、刑務所の話をする度に顔をゆがめ、よほど今回の見学は勉強になったようでした。
外口さんも刑務所の存在感に圧倒されたようで、「いや、見学とはいえ、ちょっときつかったですね」と言ってました。


まあ、こういう茶番は、市丸もどこか「わかってる」感じも時にあったりなかったりもするんですが、でもまあそれでもいいんです。
逆に言えば、この「茶番にのれる」って力も大事なような気がするからです。
それは仲間意識を高めてくれるし、犯罪を抑止する力にはなるような気がする。

大事なことは、彼が改心するとか、彼が真人間になることじゃない。
というか、真人間ってなんだ?って話で。
そんなことを目指したいわけじゃないし、そんなのを目指したり、そもそも設定した時点で話はおかしくなる。
どんな人でもイイし、正しくなくてもイイ。
幼くても、多少の偏りがあってもイイだろう。
ダメ人間でもイイし、恨みや復讐心があってもイイ。
大事なことは、法を犯して塀の向こうに行かないこと。
その連続した毎日を死ぬまで続けていけることだと俺は思います。


いろいろな場面で、いろいろな地点で、そういうことを反省できる切っ掛けを作ったりできたらいいな、と思っています。




(BGM:パーズ「危険ないいわけ」from「昭和ガールズ歌謡 EMIミュージックジャパン編 [大人の匂い・もやもやしちゃうの]」)
→この、歌い方ったら!
色気とはこういうことを言います。
ってか、それにあわせたようなハイハットのリズムが悩ましい。
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反省なき更正・その5

スーパー猛毒ちんどん単独公演殴りあい36
なかなか堂々としたもんですリーダー井上。

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ネットでは、備品がなくなりそうになったら、その日の帰りに集まった時とか、会議なんかで言おう、ということになっています。
例えば、自分が使ったのが最後のガムテープだったとしたら、「最後だったから買おう」ということを言おう、ということですね。

まあ、簡単なことで、普通のことではあります。
が、実際には、これは井上たちにとってかなり難しいことです。
それがうまくできない、ということが時折問題になることがあります。

おそらく、「準備してもらう」ということが彼らにとってあたりまえで、しかもにじ屋やネットの作業では「準備してあげる対象」というのが存在しない。
自分も含めたみんなが対象なんであって、そして発信も自分、ということで、「誰かがやるだろう」というのが結局拭えない。
つまり、知的障害者である自分は「誰かが言うだろう」と思っていればいい、というのが染みついているように思います。

どっかに行くにしても、自分が調べる必要はない、というようなことが続けば、ただ連れて行ってもらえることが日常化します。
でも、今はインターネットなんかがあって、調べられないことはない。
もちろん、カイやモトミが調べられるわけじゃないでしょうが、全員が全員そういうわけじゃない。
実際にインターネットなんかはみんな使ってますからね。
だから、「みんなで行こう」ということを「自分が行く」ということに変換する作業が必要になってくるというか。
オレなんかだったら、「調べてくれてありがとう」で、次は自分が調べよう、ってことで済むんだけど、井上たちはいつまでも「次は自分で~」がない可能性がある。
だから、あえてそこは表面に出していかないと、対等にならないというか「みんなで行く」という意味が「連れてってもらう」にしかならないというか、能動的にならないというか、そういうところがある。
それはどっか変えていかなきゃならない。


この手のことが時折内部の会議や報告で出てきます。
いわゆる「なくなりそうだったら言わなきゃダメじゃん」という感じで。
言ってることは正論でその通りだと思うんですが、それをただ井上たちにおしても、状況は好転しないのではないかと思うんです。
実際に好転していないと思います。

例えばですが、この状況を変えたいのだったら、なくなりそうなところを抑えて、誰かに言わせる、ということを繰り返し、それを持ち上げることで、その人はその後も得意になって言うようになるかと思うし、周りも呼応してくる可能性があるのではないか、と思うんです。

簡単に言うと、その「なくなりそうだったのに言わない」ことを反省することよりも、そのことが好転するように、何か考えた方がいいのではないか、ということです。
実際に状況を好転させて、その「知的障害者は準備されてあたりまえ」を変えればいいんだと思うんです。
そのこと自体が「準備されている」という論議もないわけではないでしょうが、でも、それを言ったら、すべてのことが準備ということになります。

オレが、他の専従が何をかやれるようにしたいとか、何かを感じて欲しい、そういう思いでもって、「何かを反省」とかじゃなくてとりあえず強制的にやらせ、実際にそれができることで、きっと何かに気づいてきていることも多いはずなんです。
それは関係性の中で当然といえば当然で、結果としてできればいいというか、そういうことはたくさんあるように思います。
そこにどんな思いがあるかというのは、実際にできてみることでわかることも多いと思うんだよな。
だったら、順序が違ってもそれでもいいとオレは思う。

というか、そういういろいろな「方法」を持っているというのはとても重要なことだと思う。

「言うべき」というような反省なんかを一方的におすんじゃなくて、状況が好転しないのだったら、やっぱり方法を変えてみることが大切なんじゃないか。
正直、会議なんかでも、よく「誰が最後だったのか」とかって話がよく出るけど、誰かよくわからないまま、というのが多い。
たぶん、井上たちはそこを気にしていないんだと思う。
「準備されてあたりまえ」だから。
なんかそういう話って、ちょっとうんざりというか、モチベーションも下がる。
ちょっとそのヘンを考えなければならないと思う。

正論がわかることは決して正論が行動できることじゃない。
そして、最終的には行動することこそ意味があることだから、正論をおしてもしょうがない、という時もあると思う。

正論で言えば反省から始まるんだろうけど、反省から始まらなくていいから、最終的に状況が変わるように何かを成すことも必要だと思うわけです。




(BGM:PUFFY「Girls Just Want To Have Fun」from「PUFFY AMIYUMI × PUFFY」)
→好きな人たちが、なんか一見関係なさそうな別の好きな人のカバーをやってくれると、とても嬉しいモノがあります。
これがそうですね。
たぶん、元はシンディーローパーですか。
ハンナことマイリーサイラスもカバーしていたし。
パフィーもハンナもシンディーローパーも好きなんでオレは嬉しいです。
このパターンとしては、バカ社長がソニンちゃんをやってくれたとか。
この曲はキャッチーに仕上がっていて、俺、やっぱパフィー好きだな。

反省なき更正・その4

スーパー猛毒ちんどん単独公演殴りあい22
コンさんの写真というのはあまりありません。
あまり被写体に向かないというのもあるかなあ。なんか地味。
というのも、まあこの衣装は韓国に行ったときに買ってきた死に装束なんだよね。

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こんな「反省なき更正」の話をしている中で、外口さんから、ある時に「どうしても動かない」ことに遭遇した、という話がありました。
それに対して、俺はこんな風に返しました。


力で押していると、もう、それで押し切るしかなくなってしまう、というのは、本当にそうです。
かなり昔、何かのときに「(もうこれ以上言うこと聞かなかったら)2階から落としてやる」みたいなことを言ったときに、それを聞いていた佐藤先生が、「できないことは言わないほうがいい」といったことがあります。
つまり、「殺してやる」というのは、殺せませんから言っても通じない。
できることを言って、確実にやったほうがいい、ということだと思います。
で、そのとおりだと思いました。
結局、力でやっている限り、エスカレートせざるを得ない。
当然、罰もエスカレートしちゃう。


年末にエクスペリメントという映画を見たんですけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-565.html)、それは、実験で人を集め、無作為に選んで、看守役と囚人役とに分けて模擬監獄をやらせる、というもの。
で、ルールがあって(たとえば看守にさわらないとか、返事をする、とか、単純なこと)それを破ったら看守は罰を加えなければならない、と決まっていて、その罰は暴力は禁止、となっていました。
で、罰が遂行されなければ実験の報酬が支払われない、ということで、看守は一生懸命罰を考えるんです。
最初は腕立てとかだったのが、最後は殺しちゃう。

この映画を見て思ったのは、「この場所は俺の場所だ」という「間違った支配欲」が看守の中に出てくるんです。
こうなると、囚人役のいろんなことが許せなくなってくる。
たとえば、ルールは明確なのに、「それは触ったことと同じだ」というようなことになってしまう。

これは恐ろしいことだと思ったんだよね。


で、俺はよく「俺の言うことをまずきちんとやれ」というようなことを言うんだけど、まあ、井上とか陽子とかには言わないけど、人によっては専従であれ、健体の職員であれ、言います。
これも、かなり危険だな、と思うんだよな。
で、その危険、が上記の「支配欲」なんだな、ということに気付いたんです映画を見て。

まあ、冗談半分とか、「方便」で言ってるうちはいいんです。
使いようだから、こういうのは。
ただ、どうしても許せないことが出てきちゃって、この言葉が「支配欲」になっていることがあると俺は自分のことですが思うんです。
たとえば、俺が前から言っちゃいけない、といっていることを強弁してきたら、俺は怒ります。

そのときは、何で怒るかというと、理由は他にあるんだけど、そこには看守と同じように「間違った支配欲」があると思う。
やっぱり本気で「言うことを聞け」といっていると思う。
これはその看守と同じなので、よくないな、と思うわけです。


結局、力で押していても解決しないと、もっと力で押さなきゃならなくなって、最終的になんとかなったとしても、俺の場合は、モチベーションが下がる。
無理に「ごめんなさい」を言わせたところで、あまり上がらないんですよね、結局、経験的に。
やる気を見せてくれれば俺もモチベーションはあがるんだけど、やる気が見えないから自分のモチベーションもあがらない。
そんな中で何をいっても、何を怒っても、上がらないんですよ。
つまり、あがらないことを一生懸命やってもしょうがないというところもある。
もう、やる気がないんだな、と思ったら、他のアプローチを考えたほうが、こっちのモチベーションはあがる「可能性」がある。

これは、たとえば人を変える(チェンジ)というようなこともあって、なにかに取り組んでいるときに、いろんな人たちがかかわって話したりいろいろしていくことで、何かが変わるかもしれないわけですよ。
自分が物事を動かせないときに、他の人がかかわって、動かないかもしれないけど、動かなくてももともとだし、ってことですよね。


一歩引かないとなかなか妙案は出てきませんが、力で押しそうになったら、大袈裟な気はしますが、その昨年見たという映画の殺しちゃうことをイメージすることに俺はしています。
同時に、自分のモチベーションが下がるような感じのときは、誰かに丸投げすることもあります。
少なくとも、駄目で元々だから、最後は自分に戻ってくるかもしれないけど、そのときまでにはなんかいい案が出ているかもしれない、と思うわけであります。


つまり、反省を求めようとすると、どうにも力業で押すしかなくなってしまって、いい結果が生まれないということが経験的に多いように思うんです。
だから、色んなアプローチを考えることは必要だとオレは思うし、その一つがこの「反省なき更正」ということなんですね。




(BGM:LOW IQ 01「うるとらQのテーマ」from「ROCK THE ULTRAMAN」)
→これはかっこいい。
プロレスの入場テーマで誰か使ってもいいのではないかと思う。
元曲がカッコイイというのはもちろんあるんだけど、それをあえてレトロな感じでエレキギターを鳴らすことで、なんかジャジーにもなっているし、大人の音楽にもなっている。
このアルバムは、ウルトラマンをテーマにしたキワモノと思われちゃうかもしれないけど、全編を通していいバージョンがそろっているので、ぜひ聞いて欲しい一枚。

反省なき更正・その3

スーパー猛毒ちんどん単独公演殴りあい23
コバは背が高いので、衣装はだいたいなんでも似合うんです。
そして細いので、女性モノが入っちゃうので、最近は女装で固まってきていますね。

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ただ、実際問題として、反省がないのにどうやって次のことを構築させるか、というのは、犯罪を犯した人に対して、あまりに机上の空論的な気はするんです。
全面的に賛成できないというか、その方法が思い浮かばないというのがしょうじきなところです。

だから、反省をなしにしていい、という風に言いたいわけじゃなくて、そういう考え方もある、という風にとらえることで、もっと違うアプローチができるのではないか、ということなんです。

反省をさせようとして行き詰まれば、力でおすしかなくなってしまう。
なんとか「ごめんなさい」を出させなければ話が始まらないから。
でも、そんな時に、違うアプローチもあるんじゃないか、と考えることはとても有用な気がする、ということなんです。


べつに、知的障害者ということでなくても、反省をしない人というのは確かに存在します。
まあ、そういう人とは付き合わなくてもいいんですが、そういうわけにもいかないということもあります。
特に、親御さんなんかと話していると、どうにも持論を曲げない人というのがいます。
年齢もあるでしょうし、障害者問題に関わってきた時間が長いから、というのもあると思うんです。
若輩者のオレに言われたくない、というのもあるでしょう。
が、まあ付き合わないわけにはいかないというか、どっかで行動を変えてもらわないと本人が可哀想なことになってしまう、ということがある。

そんなときに、この「反省なき更正」という考え方は役に立ったりします。
つまり、もう「反省しなくていい」。
どんなにそのことでこっちが振りまわされて頭に来ていたとしても、謝らなくていいから、とにかくその行動を変えてもらおう、という考え方ですね。

その中で、その親御さんは、本当にあの時のことを謝罪しなければ、と思うかもしれないし、もう忘れちゃうかもしれないけど、結果として、行動を変えてもらって、本人の生活が立て直されればいいか、ということですね。
逆に、言葉だけで謝罪をしてもらったところで行動が変わらなければ意味がないわけですから。

つまり、力でおしても無理なんだ、ということを感じた時に、方法として、この「反省なき更正」という考え方を「他のアプローチの仕方」として使ってみようか、と。


ただ、感情的には、前にも書いたように、被害者感情としては、これではなまぬるいんです。
結局、加害者勝ちなんですよ、この「反省なき更正」というのは。
だから、俺は諸手を挙げてこの方法がいいとは思えません。
ただ、状況を打開するためには、何かの手を打たなければならない場合に、なにかちょっとでも状況を動かすためにこういう方法があるということがわかっていれば、なにかやれるかもしれない、ということです。
力でおしているだけで動かないんじゃ、いくら正しくても意味がないんで、やっぱり手段は変える必要があると思うんです。
ま、こう俺が思ってる時点で、つまり加害者勝ちです、被害者としては気分はよくないってことにはなると思う。


力でおしても盗みがやまない、嘘をつくのが治らない、そんなときに、何をどうしたらいいか分からなくなってしまいます。
そんなときに、他のアプローチとして、この「反省なき更正」という考え方は一つなんじゃないかな、と思うのです。




(BGM:ラディカルズ「やっちまえ!POPSTAR」from「TRIBUTE TO COBRA"Oi Oi Oi"」)
→前にも書いたけど、このバンドはちょっと前に観ました。
いいバンドでした。
真摯にやってる感じがよく伝わってきました。
そして、三人ともかわいかった、いや、45の俺から観て、すごく一生懸命が伝わってきて、そこがよかったという意味でね。
フリフリしているということではないよ。
この曲は、ギターコードをあえて外してきているというか、その辺がこのバンドの音楽的なセンスのよさだと思う。
たぶん、メンバーの中にキチンと音楽の理屈を知ってる人がいるね、これは。
これは今後強いと思う。
ぜひがんばって欲しい人たちであります。
そして、もちろん、この曲は名曲なわけですが、元曲のよさを充分に引き出して、その上でなかなか聞かせるモノになっています。

反省なき更正・その2

スーパー猛毒ちんどん単独公演殴りあい24
モトミの踊りは独特です。
が、「いいねえ~、みんなの前でやってみてよ」といっても絶対にやりません。
天の邪鬼であります。

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前回の原稿がなんかとっちらかっちゃてる感じなので、もう一度ちょっとまとめてみよう。


普通に考えて、どう更正させるかという問題において、窃盗だったら、盗んだことを反省し、謝罪し、服役し、更正し、ということを考えますね。
つまり、反省、が一番先にあるんです。
特に日本人的な感覚として、まず反省先にありきって思いますね。

ただ、こだわりが強い障害のような場合、反省が成り立たないということが考えられないか?ということなんです。
それに、窃盗に理由がないことも経験的にあって、もう、カバンが開いていたら「盗まなければならない」のであって、そこに理由がないヤツもいる。
つまり、まず、窃盗に理由がなければ、反省のしようがないし、他人という存在が入りにくい障害の場合、たとえばアスペルガーなんかもそうかもしれませんが、その場合、相手の身になってということが成り立たない可能性がある。
そうなると、反省をさせる、というのは、「申し訳ないことをしたと思います」という言葉を引き出すだけの作業になってしまい、そして、その言葉を言えばいい、ということにもなる。
それは、果たして反省していることになるのか?ということなんです。

もちろん、形の上できちんと謝罪することが必要でないとは言いません。
人を殺しておいて、遺族に「俺は反省ができない人間です」というのは成り立たないから、やはりそれは反省させなければならないと思うし、言葉だけでも出させるべきという意見には同意します。

けれど、それは被害者感情であって、被害者加害者の関係性の問題であります。
本人の更正に必要なことが何かと考えたときに、それは果たして反省がその役割になるのであろうか?ってことなんです。
それよりも、二度とやらないようなプログラムを考えるべきなんじゃないか、という考え方ですね。

つまり、何がいいたいかというと、反省至上主義は、感情的に理解できないことではないんだけど、それ一辺倒でいいのか、って論議があるわけです。
反省よりも、まず再犯防止プログラムなんじゃないか、という考え方も、今の時代にあるということなんです。


これをうちの場合に当てはめると、よく遅刻なんかをしてきた場合に、「遅れてすいませんでした」とみんなに言う、ということを、仕事を始めるきっかけにすることがあります。
この言葉で遅刻して固まってしまう気持ちを溶かすというか、この言葉でOKにするというか、まあ、これはまさに「反省の表明」であります。
例えば、盗みをしてしまった場合でも、みんなに謝る、ということをきっかけにするわけです。
そうじゃないと、まあ始まらないので。
これ、つまり「反省第一主義」ですね。
でも、周りの人間にしてみたら迷惑を被っているわけだから、これは言葉だけでもまあ必要ではあると思いますから、いいと言えばいいんですが。

が、これはあくまで形式で、本当に反省しているか、っていうことになるとまた話は別、ってことをしっかり押さえておくことも必要かと思います。
形式的になればなるほど、一応、言葉では反省しているように見えますが、はたしてそうなのか、ってことでもあるってことです。
さっき窃盗のところで書いた「申し訳ないことをしたと思います」といって、そういう「気分にもなって」いるだけで、本当にその内容が分かっているとは思えないケースもある。
つまり、言葉は悪いけど、「反省ごっこ」という遊びなんじゃないか、という気もしたりします。

まあ、この「反省ごっこ」は確かに、一罰百戒的な意味合いや、他の人に理解させるためにだったり、必要でないとは思わないんです。
反面教師としての利用価値も高い。
だから、こういう派手な「反省パフォーマンス」をみんなの前でやるという意味では意味はあるけど、本人の更正にとってはそれはあまり関係ない、ということも考えられる、ということです。

つまり、本人にとって、反省ごっこも必要なことだとは思うんだけど、ごっこを儀式としてやりたいヤツもいますから。
けど、それでは、更正という意味では何も変わらない、というこもいえるんじゃないかと思うんです。

そうだとしたら、「反省第一」的な考え方をまず捨てるべきなんじゃないか。
遅刻や朝起きれないことが問題だとしたら、その再犯(犯罪じゃないけど)防止プログラムをどう作るかに頭を悩ませるべきで、みんなの前で何か謝らせるとかというようなことに関しては、頭を悩ませるようなことじゃないのではないか、という気がするんですね。

もちろん、みんなに謝罪するのは大切なことです。
が、そこに更正の道はないような気がするんです。


また続きます。




(BGM:The Groovers「Sitting On The Fence」from「RESPECTABLE ROOSTERS [a tribute to the roosters]」)
→このアルバムは前にも他の曲で紹介したけれど、いいアルバムだと思います。
元曲のよさを維持しているし、各々のバンドの色も出ているというか、それでいて、どのバンドもルースターズが大好きというのが伝わってきます。
ルースターズは、そもそもオリジナルのメジャー盤としては1枚目くらいしかロックンロールじゃないというか、いや、そんなことはないんだけど、CMCあたりになってくるとまたちょっと初期とは違うというか、そういう感じもするわけであります。
むしろ、大江さんが抜けた後の一発目のKAMINARIがまたいい無骨なロックのアルバムだったりしますけど、まあ、どっちにしても、それだけに、未発表ライブとかが出される数が多いということでもあると思うんですが。
このアルバムは、その初期衝動的なロックがつまっているアルバムで、そこもすごくなんか俺としては好きなんだな、きっと。

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