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スーパーちんどん・さとう

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霊を敬え


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小池靖さんという方が書いた「テレビ霊能者を斬る~メディアとスピリチュアルの蜜月」という本を読みましてね。
というか、新書なんで。
すぐ読めちゃいますね。
というか、2007年の本ですね。
震災前か…。

多くは江原啓之さんと細木数子さんに割かれています。
ま、その二人を斬るための本という感じか。
細木さんは亡くなりましたね。
というか、ずいぶん前に表舞台から姿を消したな、と記憶していたが、調べたら2008年だそうで、この本もその事実上の引退に一役買ったのかもしれない。

テレビ霊能者というのは、まあテレビに出てる霊能者、ってことですね。
既存の宗教を否定し、しかしどっか自分たちの霊能力だったり占いの力だったりは信じさせるという具合にご都合がいいわけだけれど、まあその「ズバッとものを言う感じ」がウケたんだろうな。

宗教が「胡散臭いモノ」となって、スピリチュアルが出現したわけだけれど、まあ日本のスピリチュアルのベースは先祖崇拝だったり、お墓参りをしましょうとか、ごくごく基本的な仏教だったりのシステムを持ち込んだだけで、そんなに目新しくはない。
輪廻転生、死んだら霊になる、みたいなことも。
だから結局は最終的に、死んだ子の霊を拝みましょう、ということに落ち着く。

なんか、宗教をブラッシュアップしたような感じか。
宗教は信じないけど、江原さんの言うことはわかるわあ~みたいな。
いやいや、それ、元々あった宗教のヤツだけど…、という。

まあ、確かに、「死んだら人は無になる」「霊になどならない」という人も、じゃあ面倒くさいからって位牌をゴミの日に捨てちゃうということには抵抗があろう。
それなりにどっか死者には敬意を払うというのが人としての、というか、日本人としてはそれが一つの「常識」である。
それが「生きている人が安心できる」というか。
「納得できる」という。

愛した人が亡くなったときに、やっぱいくら「無になる」とはいえ、その人が愛用していたモノを簡単には捨てられない。
そこに愛した人の亡き姿を見るからこそ、人はそれを大事に取っておいたりする。
それこそが、まあ霊の存在する意味である。
「あの人は向こうで霊になって待っていてくれる」と思うからこそ、残された日々をがんばろうとも思えるわけだ。

だから、霊は人の心の中にいるわけだけれど、それを悪用して現世で金儲けしようとする連中がいる。
「あなたが愛した人は霊になって悲しんでいる」と。
「この壺を買って拝めば愛した人は救われる」と。
で、高額な壺を売りつける、という段取りだ。

そもそも、自分が愛した人の霊は自分の心の中にしかいないわけだから、他人にはその存在は知れない。
もし、「彼女が見える」とか言い始める人がいたら、まあそれを霊能者というわけだけれど、それはウソだ。
100%、ウソだ。
何度も言うが、愛した人の霊は自分の心の中にしかいないのだから。

俺は霊を否定するつもりはない。
だって、霊はいる。
心の中にいる。
それだけは確かなのだ。

しかし、その霊にこだわって、引っかき回される人生を送ってしまうとすれば、それはそれで本末転倒である。
本来、霊を心の中に産み出したのは、自分の平穏のためだったはずである。
にもかかわらず、それに引っ張られて不幸に落ちていくのはやっぱ違う。
愛した人が霊となって自分の心の中から見ていてくれるからこそ、自分は今をしっかり生きていかなければならない。
それだけの話である。

結局は、霊なんて言うのは、生きている者のさじ加減なのだ。
自分の人生が不幸だとなれば、それを霊のせいにしたくもなる。
けれど、ホントウはそうじゃなくて、幸福になるために霊は生まれたのだ。

俺は実話系怪談の本が大好きで、ここでいちいち書かないが、一度100冊くらいを手放した後、けっきょくまた200冊ほど溜まっている。
そのくらい読んでいる。
俺は何をその中に見ているのか、というと、結局は怪談を語る人の人生なのだ。
「私は霊を見た」というが、なぜあなたは霊を見たと思うのか。
なぜ、アレを霊だと思ったのか。
自分の不幸をなぜ霊のせいだと思ったのか。
その方がよっぽど興味深い。

俺は、これまでの人生でとてもツラかったとき、一度だけ、若い頃、別れた彼女のことを見たことがある。
もちろん、そこにいるはずがないのに見たのだ。
それは一瞬だったし、次にキチンと見たときには消えていた。
その時に思ったんだよね。
「霊は(ま、この場合、生きているから生き霊とでもいうか)自分が作り出すモノなんだな」と。
とんでもなくツラい状況から抜け出したいという思いが彼女を見せたんだろう。
きっと、その時、まあ学生を卒業した頃だったか、あの頃、心の中に彼女がいて欲しかったんだろう。
だから、見たんだな、と。

それはとてもありがたいことだったし、なんか全てにおいてあきらめも付いた。
一から出直すというか、コツコツやるしかないか、と思ったのも事実。
霊とは、自分を不幸にするモノではなく、幸福にするためのものである。
そのように心が見せるモノだ、と。
とはいえ、やっぱ不幸になりたい人、そういうかまってちゃん的な人だったりすると、抜け出したいのに自覚がない人だったりすると、霊は不幸になりたいと思う通りに不幸にしてくれるのかもしれない。

ま、とはいえ、霊のせいじゃなくても「不思議なこと」というのはあるだろうな、とは思う。
虫の知らせなんていうのもそうかもしれないし、あり得ない場所から失せ物が出てくるなんていうのもよく話としてはある。
だけど、それはあまり霊的なことに結びつけない方がよかろうな。
それは「ただ不思議なこと」なのだ、たぶん。

というわけで、スピリチュアルも仏教も、キリスト教も(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6316.html)俺はあまり信用していない。
要は人の心の中にある霊をもてあそびすぎだと思うのだ。
霊をもっと敬え、と。
つまり、それは、もっといろいろな人の人生を敬え、ということでもある。






(BGM:シュガー「いじわるShine」from「Light Mellow Drive」)
→シュガーというと、「ウエディングベル」なんですよね。
逆に彼女たちはあの大ヒットに苦しめられたという。
この曲はメンソール、ラガー、まあそういった単語を入れて当時っぽい浮かれた感じを出してますけど、曲もハーモニーもやっぱしっかりしてます。
なんか皮肉ですよね。
なかなか大ヒット曲の印象が拭えないというのも苦しいんでしょう。
あの曲がなければ…、でもなかったらなかったで…、みたいな。

kabukiboshuuu.jpg

hatomiiboshuu.jpg
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彼らは商売でやってるんですから…


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「UFOに乗った」という人がいたら、まあどうですか。
「あ、そうなんだ~」くらいの感じで徐々に後ろに下がってサヨウナラを言うかな、オレは。

ま、興味はあるんですよ。
あ、UFOにどうやって乗ったか、とか、UFOの中がどうだった?みたいなことじゃなくて、「なぜあなたはUFOに乗ったと錯覚できるのか?」という点についてですね。

だって、UFOに乗ったはずがないからですね。
それが一応世の中の「常識」ということになっています。
で、オレは常識人?なので、やっぱ「UFOにのったはずがない」と思います。
だから、「なんであなたは乗ったと錯覚してるんですか?」「なんで自分が乗ったと信じられるんですか?」というのには興味がある。

ただ同時にそれは「常識の外の人」ということでもあって、直接話をするのもどっか怖い。
いや、怖いという言い方はよくないかもしれない。
そこから差別が始まり、民族紛争、はてまた世界大戦に進む気がする。

う~ん、あ、いや、だから怖いというか、なんでしょう。
とんでもないことを言い出すだろうな、というか。
いや、たぶん「そりゃねえだろ…」と話の腰を折ってしまう自分が怖いのだろう。
そして座がどっちらける的なコトが怖い。

じゃあ、黙って突っ込まないで聞いていられるかというと、ちょっとその自信もない。
だって、「UFOは重力を利用して推進しています」と言われて、「なんで知ってるの?」となって、「それはレティクル座からのテレパシーがそう言っていました」となるわけで、こうなるともう論理的思考というか、精査するための材料すらない。
それを聞き続けられますか?と。

「宇宙人にはいろいろなタイプがいるんです」
「私が御茶ノ水駅であった宇宙人は人間と変わらない姿をしていました」といわれて、「それは地球人だったのでは?」とやっぱ思ってしまう。
なんで宇宙人だと思ったんですか?と問えば、「テレパシーが伝わってきて、そして彼女は振り向いて笑顔で返してくれたんです」とか言われると、なんだかストーカーに発展してしまうような気もしなくもないので「止めなきゃ!」という気分になる。

つまりはまあ、「ツッコむことをガマンできない」のである。
ここ重要かな、と思うんですが。

つまりですね、この手の話をずっと聞いてられる人というのは宇宙人なんです。
あ、ちがう。
宇宙船に乗った人なんです。
それも違うか…。
でもそういう感じですね。

しかし本なら読める。
というわけで、「UFOに乗った!宇宙人とも付き合った!」という津島恒夫さんが書いたという本を偶然手に入れて読んだ。
少なくともこの本に1815円税別のお金を払って買うことはなかなかできない。

これね、もう一つも論理的に積み上がらない。
「テレパシーで受け取った」というのが証明できないのだからしょうがない。
宇宙船に乗ったのなら写真を撮ればいいかと思うが、撮らない。
宇宙人に会ったというのなら写真を撮ればいいかと思うが、撮らない。
それで信じろというのは無理である。

つまり、終始一貫してこれはすべて妄想なのだ。
それがわかっていて書いているのか、本気なのか、商売として書いているのかはわからない。
けど、妄想である。
最初のUFOを目撃した、から妄想である。

目の前で話してくれればツッコむこともできる、というかせざるを得ないが、本だととにかく垂れ流されてしまうので、これを読んで「そっか!」「宇宙人と俺も交信したい!」と思っちゃうかもしれない。
けど、それは読み手のあなたがかなり気持ちが弱ってますよ…。
問題はUFOではなく、あなたの心の問題です。

最近は新興宗教が下火だという。
まあ、統一協会問題もありました。
そもそもが新興宗教にはけっこう前からアレルギー反応は多いですからね。
ま、プラス新興宗教の布教自体がなかなかできないというコロナのこともあるだろうかと推測されるんですが。

でも、一方で陰謀論は大流行。
これね、たいがいが動画サイトからなんですってね。
コロナ下で見る人も多かったのかもしれません。
メチャクチャな論理、光の戦士(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5864.html)、闇のDSとかを信じちゃうんだから、もう動画を見続けていると洗脳されちゃうってコトですね。

そもそも、先にも書いたけど、何かを信じるってのは「あなた自身の心の問題」で、宗教がどういう教義を持っているかはあまり関係ない。
そしてそういう層は一定数いるワケです。
新宗教がその受け皿になっていたんだけれど、それが下火になって、今度は陰謀論、と。
動画を見るだけで洗脳されちゃう。
ま、そりゃそうなんですよ。
見る側が「何か信じるモノを必要としている」のだから。
そこに反論もなくさもあたりまえかのように動画を垂れ流されたら「トランプ大統領は俺たちのために闘ってくれている」とかさえ信じ込めちゃうんだよな。

つまりですね、誰かが目の前で話していれば、荒唐無稽だと思った瞬間に「そりゃねえだろ」とかって反応ができるんですね。
態度で示すこともできる。
そこで相手はひるんだりもする。
そこで「こりゃおかしいな」と思える。
けど、一見論理的なような「テレパシーで受信したのですから事実です」なんてことを言われ続けると、最初は「なに言ってんの?」と思うけど、それが言えなくなるほど心が弱ってることがあるワケですよ、人には。
そもそもテレパシーて…。

だからね、動画を見続けるって怖いっすよ。
心が弱っていたり、心がささくれ立ったり、心がムダに攻撃的になっていたりしたら、一発でやられますわ。

ちなみに、この本の出版社はいろいろ講演会とかもやっていて、やっぱ陰謀論とかもやってますね。
しかも一回3000円とか5000円とか取るみたいで。
本に挟まっていたビラには物販も書かれていて、水も売ってるし、光エネルギー発生装置も売っています。
20万近くする商品もあります。
ま、霊感商法と同じなんですが。

つまりね、本気で信じてる人には申し訳ないけど、彼らは商売なんです。
ちょっとそこにさえ気付いてもらえれば、信じようなんてバカバカしいことは思わないと思うので、「商売かどうか?」を疑って下さい、常に。









(BGM:SURFACE「ひとつになっちゃえ」from「Phase」)
→いわゆるB’Zなのかな、これは。
歌い方もなんか寄せてる感じも…。

akusese.jpg
男性介助者
kabuboshu.jpg

「んなにウマくいくわけねえだろ!」を教えてくれた


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昔、自動販売機本というのがありました。
今もあるのかどうなのか。
銀色の昼間は反射して見えないようになってて、夜になると見える。
中はエロ本である。
国道沿いなんかによくありまして。
というか、ウチの近所ではそうでした。
人があまり通らないような。

ま、そりゃそうですね、人が通るような場所だと設置したとたんに撤去されそうな気がしますし、そもそも買えない。

当時の値段で500円とか600円とかだったか。
当時って、俺が中学生くらいですから40年以上前ということになります。
ま、この値段もどうなのか、微妙にいいというか、これ以上じゃ買わないし、これ以下なら信用がなくなるというか。
信用て…。
何の信用なのか、ということにはなりますが。

ま、広告とかはまったくない感じの。
今になってわかりましたが、たいがい64ページだったようで。
きちんと4の倍数。
当たり前ですけど。

確かにどうだったですかね。
買いましたよ。
買いましたが、ガッカリすることの方が多かったような気がします。
が、「買う」という行為がそこには含まれていて、そのドキドキ感を買ったのかもしれないと思うくらいの。
だって、やっぱ緊張するわけですね。
朝早くとかに行って買ったのかな。
そういうね。
もちろん人なんか歩いていない時間というか。

たいがい、1ページに一枚の写真、みたいな感じで構成されているので、多少おっぱいが出てます、くらいでも1ページ。
それが続いて、次に下着姿で、というような感じだったと思いますね。
よくよく考えれば、表紙と裏を除いて62枚は写真を準備しなければならないわけですし、そもそも「からみ」も少なかったと思う。
ま、多少男の手が出ている、くらいの感じで。
どっか「はい撮りますよ」という撮り方でね。
行為に連続性がないので、臨場感にかける。
写真集に性的興奮が薄いのと同じだな、と思うのは、この「臨場感のなさ」なんだな。

ま、それでも写真集の場合は被写体に魅力があって写真集になるわけですからまだいいですが、自販機本の場合は、当然そうそう被写体に写真集ほどの魅力があるわけでもなく(失礼)、ちょっとやっぱ苦しい。
おばさんがセーラー服を着る、みたいなことは普通に行われてました。
そういうのが自販機本の醍醐味だな、と気づくのは中学生ではなく、その後十年くらいかかるわけです。

なんで、今になって懐かしい、ということになります。

そしたら、その自販機本を個人的に集めていてそれをサイトにしてくれている人がいて。
ツイッターで知ったのだけれど、「B5判64ページの夢」という。
これがまあ、サイトの更新がずっと昔で止まっていることもあるのか、昔のアレなんですごく重いし開かないところもたくさんあるんだけど面白い。
まあ、もう見ちゃう。

で、さっそくアオテツにそれを伝えたら、「だいたい裏道で湿気を吸っているか、その後ガビガビに乾いて貼り付いていた感じ」とメールが返ってきて、そうだよなあ、と。
なんだかこう、淫猥というか、いや、「陰猥」といったらいいか。
世の中の裏っかわの陰部を見せられるような感触というか。
ぜひね、あの手触りも改めて思い出したりして。
広告もない、編集後記もない、そんな写真の数々に、どこか「撮ってる人の姿」が浮かんでくる。
「早く終わらそうぜ」という放棄感と、被写体のうらぶれ感。
その先に、どっか「俺はこんな写真を撮りたかったわけじゃない」みたいな、「でも食っていくためには撮らねば」感がにじんでいたりして。
…って想像しすぎなんだけど。
被写体の方も今頃どうしていらっしゃるのか…。
撮り終わってお金をもらって帰るところまで想像しちゃったりして。

今やもうネット時代になって、エロ画像だって見放題になっていて。
この頃に俺がドキドキして自販機の前に立ったような気持ちは今の中学生にはないんだろう。
まあ、でも女性も手軽にエロ動画とかを見れるようになったのはいいことだと思うけど、子どもが見れちゃうのはどうかな、とは思う(←ってか、そこ重要なんだろう)。

まあこの「実用性」に足らない部分、自販機本にまつわる「手触り」とか、撮影現場を想像してしまうような感じとか、ってのは薄くなってるんだろうな。
今はなんだか実用性が重視されていて、一時、今もそうなのか、AVのタイトルがすげえ長くなったことがあって。
自販機本なら「色情姉妹」でいいんだけど、って下品すぎるが、「奥様倶楽部」とか。
それが今のAVのタイトルは「新婚の兄に紹介された新妻が、ボクのお気に入りの元風俗嬢だった!でも兄はそのことを全く知らない!そんな元風俗嬢の兄嫁がボクから秘密が漏れるのを恐れて口止めでチ●ポを咥えてきた!しかもあの頃は全く出来なかった本番行為ヤリ放題!」となっていますよ。
つまり、もう物語すべてを書いちゃってるわけです。
中身をお知らせする、と。
ま、なんか親切なような気がしますが、それはもう実用性の問題でしかなくて、「奥様倶楽部」ってなにするんだ?みたいなアレはない。
「色情姉妹」「奥様倶楽部」の場合、自分の実用性から離れる可能性もあるわけですね。
実際見てみたら「そっちの倶楽部?」みたいな。
そういう「はずれを楽しむ」という文化がなくなっちゃったというか。

そういう意味で、自販機本は「はずれを楽しむ」ものだったのかもしれない。
同時に、「エロなんか追及してもはずればっかりだ!」→「そんなにうまくいくわけねえ」というようなことを教えてもらったというか。
元風俗嬢が兄の結婚相手だとして、やり放題になるわけねえじゃねえかそもそも!という部分ね。

というわけで、自販機本の話でした。
あとは飲みながら話しましょ。






(BGM:Def Tech「My Way」from「Def Tech」)
→怒られることは重々承知で言うと、Dragon Ashのなんとかって曲ですね、これは。
でも嫌いじゃないですよ、こういうのはたいがい基本一緒なんですから。
それは問題ない。
どっかにオリジナリティーとか、響く歌詞とかがあればいいんです。

「維新ぎらい」


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大石あきこさんという方がいて。
2008年、橋下府知事の朝礼だかで、橋下さんに楯突いた女性、その人が大石あきこさん。
あの時の映像はニュースでも流されて、「ああ、勇気ある人もいるんだな」と思ったものです。
と同時に、なかなかしっかりと芯の通った人だなあ、と。

その人が衆議院議員になって、今や「維新ハンター」と化している(ように見える)。
なかなか痛快である。

彼女の語り口は、どっか飄々として、それでいてリンとした感じもあり、重く深く難しく政治を語る感じではなく、どっか軽く越えてくれる感じがあってけっこう好き。

その彼女が出した本が「維新ぎらい」。
彼女が出す本としてはこれ以上のタイトルはないと言うくらい。
アキが買ってきたので、読んだ。

まあ、維新はオレも嫌いですね。
どこが嫌いなのか、というと、まず生理的にダメですね。
これはもう中身というより、生物的嫌悪感というか、危機感というか。
彼らの感じって、ものすごく「偉そう」じゃないですか。
橋下さんの「文句があるならお前が議員になれ」的な発言も、内容的にも問題があると思うし、キチンと反論すれば可能なわけだけれど、そういう「言い方」が嫌なんだよな。

「文句があるならお前がやれ」みたいなことって、もう言ったら終いじゃないですか。
しかも、議員というのは国民の声を聞く仕事なワケで、文句を聞かないはおろか、「お前がやれ」って、意味がわからん。
というか、もう生理的に無理。

松井さん、吉村さん、大阪の彼らを見ていると、「我が世の春」って感じがする。
偉そうで、好き勝手やって、気に入らない人には、程度の低い「反論」をする。
ま、もう言いがかりというか、小学生レベルというか。
「国葬反対言うけど、共産党だって沖縄の県民葬は賛成したじゃないか」みたいな、もう「雰囲気」だけで持っていこうとしてて、中身はまったく反論になっていない。
国葬は法的根拠がない、という部分だけでも話にならんのに、いちいちこうやって「そっちこそどうなんだ論法」(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6018.html)にすり替えて、「勝った気」でいる感じ。

まあ、そういう議員や首長を受け入れる国民もどうかと思うけど、まあ「この世の春」の人には「付いて行った方がいい」と思う人がいても不思議じゃない。
少なくとも、彼らと仲良くして入れば会社は安泰だったりする。
ま、そういう図式なんだろうゲスだけど。

それでいて、まあ下品なんだよね。
出生率が下がったことを聞かれた松井さん。
「で、おたくは結婚してるの?」とか逆に記者に聞いたりして。
いやいや、そうじゃなくて、政治的課題を聞いているのだけれど、個人の問題にすり替える感じというか。
結局これも「論議のすり替え」なんだよね。

まあ、テレビのバラエティ的には、例えば女性の地位向上なんて話題があった場合、ひとしきりそんな話をした後に、「いやあ、でもウチの場合は云々」なんて、ゲストの家庭環境の問題にすり替えたりして、そもそもの問題から目をそらして終わる、みたいな。
深刻になりがちな問題をそうやって「個の問題」、この場合は芸能人の家庭の問題にすり替えて、視聴者に「マジメに」モノを考えさせない仕組み、というか。

それと同じことをやってんなあ、と思いますけどね。
首長の記者会見は、テレビショーじゃないってのに…。

まあ、なんにしても下品。
今時、「あんた結婚しないの?」なんてのは、大声で聞くようなことじゃない。
そこをスルーしたって問題は語れるはずなのに、わざわざそういうことを言う。
この下品さは、いわゆる昭和がっはっはオヤジ社会的なアレである。

オレは、この手の下品があまり好きじゃなく、って、まあ下品は誰でも好きじゃないとは思うが、ちょっと考えればわかるでしょ。
まあ、オレもいろいろあって今があるから、そういうことを言っていたかもしれないが、今はもう嫌ですね。
そこはやっぱ、大人になったというか、若い頃とは違うというか、そういうのもあります。
彼らも大人だし、それはどうかな?と思ってしまうというか、そういうことが多々ある。

まあ、そこに反省がないんでしょうね。
してしまっても反省があればいいと思うけど、彼らはなにせ「この世の春」だから、底に反省がない。
「笑わないヤツの方がおかしい」くらいの感じなのではなかろうか。
「これでいいだろ?記者会見?ん?」という態度だから見てられない。

あ、そうか。
とにかく反省の色がないというか。
偉そうに、この世の春を謳歌してる感じ。
しかもそれが首長だったり、議員だったりだから、なんか中世の王様気取りかよ的な。

まあ、そんなわけで、オレも「維新ぎらい」です。






(BGM:のこいのこ「味の素マヨネーズ」from「のこいのこ大全」)
→この自由な歌唱がCMの女王と言われる所以か。
自由に飛び回るキャラクターが浮かんでくるようである。

おいしさがプラス


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新聞というのはある意味文化だとも思っていて。
特に夕刊とか、ヒマダネが多かったりして。
特にウチで取ってる東京新聞の場合、そういう気があるのかないのか、金曜の夕刊は「ほぼ映画!」という。
単館系の映画からメジャー作品までレビューが載っている感じで、映画好きとしてはこれ幸いと参考にさせてもらってます、はい。
編集内部で映画が好きな人がいるんでしょうなあ、とか想像できて、なかなかこういうのも面白い。

やっぱ編集後記が面白い雑誌は面白いわけで、ヒマダネが面白いとか、そういうのってやっぱ文化だよな、とか思っている次第。

で、投書欄というのがあります。
まあ、どうなんですかね。
どういう人が投書をしているのか。
投書が好き、という人とかもいるんだろうか。
投書マニア的な。
ラジオだとハガキ職人という人もいますからね。
おそらくは投書も毎日とか毎週とかなんか送っている人もいるのではなかろうかと推測。

ま、なんとなくですよ、なんとなくどっちかというと若者というよりお年を召した方が投書をしているイメージありますね。
やっぱ、今時はもうネットとかありますからね。
SNSだとか、ブログだとか、いくらでも自分で書ける場所がある。
投書して、採用されて、という流れを経る必要がないというお手軽さで世界に発信できる。
とはいえ、必ず読んでもらえるわけでもないですからね。
これも何人くらいの人が読んでいるんだか…、とか思ったりもします。

しかし、新聞の投書欄であれば、ある一定の数必ず届きますからね。
そういう意味ではやっぱり王道。
芸能人だとかじゃない限り、読んでもらう回数としては、もう千倍、万倍くらい違うような気がします。

それだけに、まあハードルは高いと思うんです。
どのくらいの投書が来るのか知りませんが、かなり来るでしょう。



と、今、この三行の改行の間にネットで見てみたら、一年で6万4千通とか書いてありました朝日新聞の場合。
そのうち載るのはほんの少しですから、小説の賞レース並みといっていいのかどうなのか、小説の方も調べなければダメか…、いや、小説はいろいろあるから、それ以上あるわな。

ネット検索のタイトルだけ見てみると、「投書の書き方」みたいなのもありました。
ある中学校では「採用件数が99件に」とかとも書いてあって、どっかもう一つの「ジャンル」というか、英検みたいな感じになってるんでしょうか。
英検古いでしょうか?
若い方に通じるのでしょうか。
もしかして、俺らの時代に、英検二級です、みたいな感じで、中学生で「朝日新聞の投書欄に2回採用されました」とかっていうのは、高校受験とかに有利に働くのであろうか。

ふむ…。

…なんかそんな気がしないでもない。
「書き方」があり、「採用されました!」があるというのはそういうことなのだろう。

…いや、どこか一気に胡散臭くなっていく感じもしたりしなかったり。
そういう「有利」とかの道具に使われる投稿欄であって欲しくない、という気持ちがフツフツとわいてきますが、そうでもないですか?
オレはわいてきますフツフツと。

というわけで、東京新聞の場合、時に子どもの投書を特集している時があって。
その中で驚愕の内容がありまして。
13歳の子が書いた、ということなんですが。
タイトルが「値下げシールに期待」という。

…ぎゃはははっっははははっははっははっははははは。
いや、笑ってはいかん。
確かに値下げシールはうれしい。
わかる。
が、しかし、子どもまでもが値下げシールに期待をしているのか…。
もうそこまで貧困は迫っているのか…。

この投稿、まず食品ロスを気にしていて、まあ値下げシールは確かにロスを抑える効果になろう、ふむふむ。
そして、「先日訪れたスーパーでは、(略)お昼の時間帯にもう半額シールを貼っていた」と驚いてみせる。

そして締めがイカしている。
「お買い得感という「おいしさ」がプラスされる値下げシールは、食品ロス解決への第一歩になると私は期待している」

…ぎゃはははっっははははっははっははっははははは。
「お買い得感という「おいしさ」がプラスされる値下げシール」て。
…うまい、うますぎる。
風が語りかけるほどである。

で、あまりのこのうまい締めにアキに「読んでよこれ」と見せた。
すると、「これ、冒頭もイカしてるよ」と。
なんと冒頭が「値上げのニュースで目も耳も痛い」で始まっていた。

…ぎゃはははっっははははっははっははっははははは。
目も耳も痛いか…。
そうか…。

「これ、大人の手入ってるよね」とアキに言うと、「いやいや、大人の手が入っていたら、「ちょっと子どもらしくない」ってカットされるでしょ、ここ」と。

…ふむ、さもありなん…。

いや、投書の世界も奥が深いのであった。







(BGM:小泉今日子「見逃してくれよ!」from「コイズミクロニクル COMPLETE SINGLE BEST ~1982-2017~ [Disc 2]」)
→これは名作だと思うんですよね。
なんかのCMで当時流れていたような気がします。
とにかくこの「見逃してくれよ!」というキュートなボイスが最高にいい。
それだけでこの曲は買いなんだと思う。

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