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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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「知らんがな」


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ま、夏は水着!
というか、それも海やプールに行った場合なんですけど、まあそういう。

どうですかね。
水着ってどっか気恥ずかしい感じがあります。
というのも、肌が普段以上に露出するからでしょうか。
このたるんだ筋肉が落ちた肉体を披露しなければならない感じ、というか。
そこがまあ気恥ずかしいのかもしれない。
女性の場合はまたいろいろもっと気恥ずかしい部分もあるのかもしれない。

が、どうですか。
別に気にする必要ありますか?と。
もっと堂々としていいじゃないか、と俺は思うのだが、やっぱりどっか「カッコよく見られたい」という俗っぽい気持ちがあるからか、やっぱ気恥ずかしくなってしまうのだろうな。

でも冷静に考えたら、その「気恥ずかしいという気持ち」がいかんのではないか、ということを訴えたいわけなんです。

この前、広島に行った話で、外国の方がけっこう肌を露出していてとてもステキだと思った(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6328.html)というのを書きましたが、まあアレなんかもですね、正直体型とかはあまり関係ないんですよね。
とにかく堂々としてらっしゃる。
そこなんですよね。
肌を露出していても気恥ずかしさが全く伝わってこない。
だから、もう体型とか越えて「ステキだな」ということになる。

つまり俺があの時に「ステキだな」と思ったのは、「気恥ずかしさがない」という部分なのだ、たぶん。
それはもしかして肌を露出するとかそういうこととは全く関係がないのかもしれない。

得てして人は自分の外見に自信が持てない。
というか、俺はそうだった若い頃。
カッコイイ人の写真が載っている雑誌などを見て、ああ俺はこういう人にはなれない、などと落ち込んだりしていた。
それなりの服を買ったりもして着ていたけど、でもやっぱそれでもなんかカッコ悪いんじゃないか、と思っていたような気がする。
恐らく、そのファッション雑誌などを手本にして、でももちろんそんなモデルさんのようにはなれないから、「むしろ逆に無理してる感じなのではないか…」とまた自分の姿に自信が持てない。

ま、そもそも外見をまったく気にしない、という人もいるのであれだけれど、俺は全く気にする方なのでやっぱ気になってましたね。

それがなんか仕事をするようになって、というか最初はお金をもらえなかったから、まったく服など買えるハズもなく、バザーの提供品の中から売り物にならない、たとえばシミがついているとかボタンがないとかって服を着るようになりました。
ま、そうしたいろいろを気にしなければ色々な服がありますよ。
自分では買わないような服もある。
買えないからそういうのをじゃんじゃん着るようになった時に、なんかもうバカバカしくなりましてね。

貧乏というのはやっぱ人を蝕むモノだと思っていますが、この「服に対する開き直り」というのはなんだかよかったような気がしてますね自分の人生の中で。
もうね、なんか多少サイズが合ってなかろうが、ボタンがなかろうがまあもう一点でもカッコいいと思うところさえあれば着ちゃう。
で、まあもう開き直ってますから。
「だって金ねえから」と。

こうなると、「気恥ずかしさ」というのは吹っ飛びましてね。
仕事を始めたとき、学生のボランティアなんかも来ていたけど、「佐藤さんはとにかく目立つからすぐわかる」とか言われるようになって、どっちかというと「気恥ずかしさ」の対極にいるような気持ちになって。

当時、やっぱファッションの基本には則ってなかったとは思うんですよ。
ま、あるもん着るわけだから。
でも、そういうことじゃないんだな、と。
結局、気恥ずかしささえ払拭できればなんとかなるんじゃん、と。

ここ最近、「佐藤さんはオシャレだから」といわれたりもするんだけど、オシャレではないんですよね。
ただ、着たい服を着る。
したい髪にする、というだけで。
オシャレをしようとはあまり思ってない。

ま、何が言いたいかというと、もう堂々と着たらいいんですよね。
水着だろうが、多少派手な服だろうが。
着たい服を着ようぜ、という。
まわりの目を気にするなかれ、と、若い子にはエールを送っておきたい。

俺は今も多分、孫がいる歳っぽい服、と世の中が認識する服は着ていませんよ。
俺が着たいモノを着るし、「落ち着きなさいよもう」ということもあろうが、そこは「知らんがな」と。






(BGM:30%LESS FAT「ラプソディ」from「NEW BEST NOW」)
→とにかくジャケがいい。
最高である。
ライブもずいぶん前に行ったきりである。
また見に行きたバンド筆頭である。

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けっこうオレは「うんざり」だったけどなあ


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なんか、「イメージCM」ってあるじゃないですか。
なんの商品を作ってるのか売ってるのかもよくわかんないような。
例えば「ガリガリ君!梨味登場!」とかって宣伝なら、ああ、ガリガリ君を作って売っているんだな、そして買ってもらいたいんだな、ということがわかる。

が、延々と子どもの遊んでる姿とか映して、「未来を応援」とかって社名だけが出るようなCM。
あれってナニがしたいのかよくわからない。
というか、「で?」という気持ちになる。

でもまあ、「それがイメージ戦略というモノだよチミィ~」とか言われればそりゃそうなのかな、とも思いますし、それで伝わる人もいるのかもしれないからヨシとしましょう。

けど、どうしても気に入らないというか、気分が悪くなることがありまして。

前に「幸せ家族見~つけた」という宣伝に文句をつけたんですが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5602.html)。
あの感じが広がってませんか?と。
お父さんとお母さんがいて、子どもが幼稚園くらいで、なんか一生懸命付き合ってやったりして。
同時に、仕事も忙しい、みたいな雰囲気も出しながら夫婦で分担してご飯作ったりして。
で、「できるだけ君たちと一緒にいたいから」とかなんとか子どもに語りかける、みたいな。

ま、そもそも夫婦揃ってというのもどうかと思うし、それが男女っていうのもどうかと思う、というのは前に文句をつけたところだけれど、どうなんですかね。
「君たちと一緒にいたい」みたいな気持ちって、そりゃ誰にもあるのかもしれないけど、「あ~!もうやってらんねえ育児!」って人もいると思うんだよな。
いや、そう思っちゃダメとか、そう思っちゃう人がいるからこんなの流すなということじゃなくて、問題は、「そう思わなきゃいけない」みたいな感じになってませんか?と。

「いいお父さんいいお母さんでいなければならない」というのはわかりますが、それができない人を追い詰めやしないか?と。
育児は「出来て当たり前」「愛情を注いで当たり前」ということで、まあ愛情にも出来にも程度の差はあると思うんだけど、出来なきゃ極悪人、みたいな感じになるジャンルのモノじゃないですか。
だから、「ここまで出来なきゃいけないのか…」というのは、やっぱどっか脅迫に近いというか。
そんな気がしてきちゃう。

「もう育児なんてうんざり」という時ってありますよ。
映画「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6172.html)の中にもそんな感じのシーンがあって。
主役の一人の記者が、育児だけをする毎日でいわゆる鬱っぽくなっちゃって、仕事に早く復帰したい的な感じに表現されてました(ようにオレは読み取りました)。

ま、人には色々あるとは思います。
けど、保育園とかに預けてうまく平穏を保てる人もいると思うし、それを否定しちゃいけないんじゃないか、と。
未だに国の大臣が「子どもは母親がめんどう見るべき」なんてことを言う日本の社会はなかなかそれを受け入れないんだろうけど、ダメだよそれじゃ、というか、少子化止まんないよ、とも思う。
いわゆる「嫁」に介護や保育を全て押しつけて成り立ってる男社会なんてのは、どうにも未来があるようには思えない。

「もううんざり!」と思って「今日は早く寝て!」と祈った人も多いのではないかと思うんだけどそうでもないんだろうか。
オレはけっこうそうだった。
早く寝てもらって、オレは機関紙の原稿を書かねばならんのに!と思ったことも一度や二度ではない。
早く大人になってくれ!とも思った。
彼らが子どもでいることを楽しむ余裕などなかったのかもしれない。
でもそれは何もオレのせいだけではないだろう。
金もなかった。

だから、子ども二人の幸せ家族、みたいなCMを見るとなんだかもう辛い気持ちになるんだよね。
まあ、オレはもう子育てが終わったからまだ耐えられるが、見てられない人もいるんじゃなかろうか、とか思ったりする。
むしろなんか、そういう人を応援したいわ。
テレビドラマに出てくるような幸せ家族なんて、そんなにないって…。
だから大丈夫だよ、と。

まあ、そもそも子どもが出来なくて辛い思いをしてる人たちもいるわけだよな。
もっとなんか養子とかのことにも寛大な社会であったらいいと思ったりもして。
養子は「普通じゃないから」幸せになれない、みたいなのもどうかと思うし。

つまり、まあ「普通」を押しつけてくる感じがイヤなんだな。
もう「普通じゃなくて何が悪い!」って開き直って生きたい、オレは。








(BGM:Snow Man vs SixTONES「Snow Man vs SixTONES ~ボイスドラマ~」from「D.D. / Imitation Rain」)
→今をきらめいているのかどうなのか、ジャニーズのアイドルなんでしょ?
その二組によるそんなに中身がないボイスドラマ。
舞台は学校?子ども?遊び場をめぐるなんチャラ。
これ、YOUTUBEに元NHKアナウンサー登坂淳一さんのカバーがあっておかしい。

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それは幸宏さんのだってば…


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やっぱね。
そうなりましたか。
じゃないかとは思っていましたよ。

前に、ジョンレノンが暗殺されたときに「レットイットビーがテレビでさんざん流れて辟易した」ということは書きましたが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6112.html)。
先日、誠に残念だったんですが、坂本龍一さんが亡くなってしまいまして。
訃報を伝えるテレビが、ライディーンを流すという。

…おいおい…だからあれだけ言っただろう…。
それは幸宏さんのだってば…

いや、幸宏さんもちょっと前に鬼籍に入られました。
だから、ライディーンは幸宏さんに送ったのか、と。
そう勘違いされても仕方ない。
そうなると、教授が亡くなったとは思えないというか、テレビ的には幸宏さんの特番やってんのか?というか。

この程度なんでしょうね。
まあ、世の中、雷電と東京の違いがわからないと言われればそんな気もしなくもない。
そんなもんだよ、と。
仕方ないんだよ、と。

でもやっぱ、ファンとしては忸怩たる思いは生まれますね。
っていうか、マニア度はそんなに高くないというか、かなり浅いレベルの話。
「何流したらいいかな?」ってちょっと聞いてくれればわかることかと思うんですが。

というわけで、俺はYMOがドンピシャ世代で。
小学校~中学校の頃にちょうどそれこそ雷電でした。
で、ビクトロンという、ビクター版エレクトーンを習っていたこともあり、盛んに耳コピしたものです。
俺はけっこうその大会でも賞をもらったりしていて、教室でもいい位置というか、近くにあったビクターのスタジオとかを、誰も使ってないときは使わせてもらったりもしたんです。
自由に使ってイイよ、みたいな。
同じようにそういう風に言われてる人たちもいて、俺より年上の人が多かったけど、でも一緒にスタジオに行って、まあシンセサイザーとかドラムもあって、そこで盛んにみんなでコピーとかしたもんです。
なぜかそこで俺はドラムをやることが多く、スタジオなんで楽器できる大人もいて、そこのドラマーさんに教えてもらったりして、ちょっとたたけるようになったりして。
ま、子どもの頃なんですぐ覚えちゃうんですよね。

当時はやっぱ幸宏さんの曲が好きでしたね。
どっかポップだったですし。
今考えるとかなりヨーロピアンポップですけど。

その後、中学でサッカー部に入って教室も辞めてしまい、その頃でしたかね、「B-2ユニット」という教授のソロが出まして。
今調べると、YMOが人気が出すぎてもう辞めたい!となった教授。
脱退を引き留めるレコード会社が引き換えにソロを出させた、みたいなことらしい。
これが衝撃で。
もうずっと聞いてました。

アルバムって一枚通してずっと聞ける、ってなかなかなくて。
一曲一曲はいいけど、みたいな。
でも、このアルバムはどっか物語が見えるような気もしたりしなかったり。
ラストの「The End of Europe」なんて、何のことはない単音の連続なんだけれど、ホントにすごいラストの曲って感じで。
俺の中の名盤ベスト3に未だ君臨しています(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-1135.html)。

その後ですよね。
細野さんの良さに気づくのは。
よくよく考えたら、YMOの「BGM」(これも好きな一枚)もすごく聞いていたけど、あの中では細野さんの曲がやっぱ光ってるのよね。
「MASS」なんか、もう超名曲じゃん。
そこからまあ遡って「HOSONO HOUSE」を聞くという、まったくもうそんな感じで。

そこから音楽雑誌なんかも読むようになって、PHEWとかTACOとか、もちろんフリクションなんかを通じてインディーの世界を知るようになって。
リザード、オートモッド、とか。
で、そこからの流れでパンクを聞くようになるのよね。
なんで、ピストルズじゃなくて、ジャパニーズインディーからパンクにいったんです、俺は。

そういう意味で、俺が音楽に目覚めたのはまさにYMOなんですよ。
その前にニューミュージックというのが流行った時もあって、まだ小学生の三年とかだったけどフォークギターを買ってもらって、その時も耳コピとかもしていたんで、それもまあ目覚めたと言えなくはないが、しかし、深みにはまったのはYMOがきっかけだった。
その時にテキトウに弾いてたギターは今も役に立ってるけど、なんか基礎がないのでテキトウなママだけど。

というわけで、アルバムとしては「B-2ユニット」だけれど、教授の曲で一曲あげろと言われれば、間髪入れずに「Happy End」ですね。
もちろん、YMOの「BGM」の方じゃなくて、ソロのシングル「Front Line」のB面の方のバージョン。
現在は「エンド・オブ・エイシア」という、教授がダンスリーという古楽演奏集団との共同クレジットのCDで聞くことができるのでぜひ聞いていただきたい。

合掌。






(BGM:Santessa「Nightimes」from「Delirium」)
→ボコーダー的な声に仕上がっておりますこちら。
バックトラックがかっこいい。

イキタカッタ


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アキがなんかのインタビューというかなんかそういうのを受けた時に、まあいろいろ虹の会に来たいきさつとか話してたら、「かおるさんという人に大きな影響を受けたんですね」ということを言われて、「あ、そうかもしんない」と思ったと。

かおるさんは亡くなってしまったけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3444.html)、虹の会を作ったメンバーの一人と言っていい存在の人である。
彼女は中途障害、交通事故で轢かれて車いすになった人で、物静かな、それでいてしっかりした判断をする人でもあったし、根底にいつも「これで終わったら悔しすぎる」が合った人だと思う。

俺は彼女を題材にして歌も作っている。
「イキタカッタ」(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3815.html)に関しては、どうしても歌いたくて、しかしスーパー猛毒ちんどん本体でやる曲でもないので、別働隊バンドやソロで、ライブのたびにこれは必ず歌っている。
というか、この曲のためにソロをやっているようなモノでもある。
コロナでずっとできてないけど。

アキと話していて思ったんだけど。
正直、「障害者の目線にたって」とか「障害者の気持ちになって」とかよく言うんだけど、それって無理じゃん。
というか、「わかった!」「俺はわかってる」という人がいたら、「やっぱわかってないな」、と逆に思う感じじゃん。
わかるはずがないの。
車いすにずっと乗っていて、そりゃ電動とかで買い物は行けるかもしれないが、それはそれであって、そもそも論として「車いすののったままでなければ生活できない」と言う部分はわからないのだとオレは思っている。
女性だったらナンパされる、みたいなことも、車いすの女性が相手だったらやっぱり躊躇する人も多いと思う。
移動そのもの、どこぞの場所に入れるか、みたいな問題がつきまとう。
車いすの女性に「死ぬまでに一度ラブホテルに行ってみたい。連れて行って欲しい」といわれたことがあるが、つまりはそういうことである。

そもそもわからないのだ。
わかってなるものか、とも思うし、思われているとも思う。

が、じゃあ、わからないのだから一緒にやれないか、というとまあそういうことでもない。
そもそも人の育ってきた環境などと言うものはそれぞれ違う。
貧乏人もいれば金持ちもいる。
金持ちにもバカもいれば利口もいるだろう。
中にはネグレクトの状態で育ってきた人たちもいるかと思う。
戦火の下で育った人もいようし、平和の町に育った人もいよう。
それぞれに苦しみはあるのだと思うけど、それをできる限り共有して、想像して、必要な援助を一緒に求めていくことは可能であるし、そうやってきた。

かおるさんと虹の会を再興し始めた時は、金もなかったから、よく書くけど、俺の給料は5万円だった。
それも遅配。
俺には俺の苦しみがあったし、彼女にはそもそも苦しみがあっただろうし、それはお互い様だ。
俺の苦しみは彼女にはわからないし、彼女の苦しみは俺にはわからない。
でも、一緒の船の上で、「このまま終わってなるモノか」と思った気持ちは一緒だったと思う。

最初、彼女は俺に気を遣ってくれていたと思う。
つまり、金も払えないのに、ということもあるし、そもそも俺は24時間介助をやっていた。
なので、「佐藤くん、いいの?」という遠慮があったと思う。
そのまま数年が過ぎて、十年が経ち、二十年が経った頃、ある程度の給料も出るようになって、新人も多くできて、彼女のその遠慮はだんだん薄れていったのもわかった。
そこからやっと同じ目線で、同じように別々の苦しみを抱えた同士としてやっていけると思っていた矢先に彼女は死んだんだけど。

でね、最初の「わかるはずがない」に戻るんだけど。
「わかるはずがない」んだけど、かおるさんは中途障害なんだよね。
事故に遭う一秒前までは、我々と同じように歩き、親元を離れて専門学校に通い、半同棲をし、という人生だったのだ。
そう考えたときに、「まったくわからない」のではなく、かおるさんの苦しみはどっか「想像がしやすい部分もある」のだ、と。
ある日、この状況が一瞬でなくなってしまったら。
この一秒後に目が急に見えなくなったら。
そして、それが「もし」ではなく、現実になってしまったのがかおるさんなのだ。
そう考えると、ちょっと「まったくわからない」のではなく、なんか想像はできる、ということになる。
というようなことをアキと話したんだけど。

逆に言うと、彼女も俺の苦しみのちょっとは想像できていたのかもしれない。
金もない、時間も全部拘束されるような人生を、20代という人生のいい時期をそうやって過ごすのはキツいよね、って。
だから、そこにすごく気を遣ってくれていたのかもしれない。

確かに、明日事故に遭って急に歩けなくなったら、ということは想像もしたくない。
けれども、そういう方も多いわけですよ。
昨日まで一緒に酒飲んで狭い立ち飲みで一緒に呑んでいたヤツが、一瞬で車いすになった、というような。

「わかります」なんて言えないし言わない。
けど、一緒に闘うことはできる。
あきらめないで闘いましょう、と俺は苦しみの底にいる人にいいたい。







(BGM:Gotan Project Feat. Juan Carlos Cáceres「Notas」from「Lunático」)
→エレクトロタンゴ、ということになるのか。
かっこいいですねこのサウンドは。
しかもこのトラックはおそらくこのフューチャリングの人だと思われるけど、語りっぽいのが入っててなおよし。
語りに弱い。

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