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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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どうか思い悩みませんように


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子育てってのはものすごいたいへんで。
素晴らしいとか、明るい文脈で子育てを語る人もいるかと思うけど、現実で毎日ポジティブに子育てしてる人ってどのくらいいるんだろう。
いや、多いのかな。
俺も周りにだけいないだけなのか。

もちろん子育てっていいことばかりじゃないけれど、いいこともある。
よかったな、と思うこともあるし、子どもに感謝したりすることもある。
ま、それも普段がけっこう大変だからこそ、そう思えるときがある、という感じがする。

いや、まあ自分の体験が全てだと思わない方がいいと思うし、それが当たり前だとも思ってるわけじゃないんだけど。

ま、時代もあるんだと思うんだ。
今の時代、今の時代から推測されるこれからの時代、ということを考えたときに、俺は怖いよ。
上向きだった、少なくとも上に向かう雰囲気でもあればいいけど、今は怖い。
でもまあ、逆に、それでも生まれてくる子どもたちのために、俺たち大人は努力しなきゃいけないと思うけど。

まあ、なんでこんな話かというと、産後鬱、みたいなニュースがあったりして、ちょっと気になったんだけどさ。
もうちょっとなんか、世の中が明るい方に広がっていくことを実感できていたらまた違うんだろうけど、暗い世の中だしね。


先日、娘からお土産があるから、とメールが来て。
じゃあ、どっかで飯でも食べますか、となりましたら、他の子どももみんな集まってきました。
三人の子どもとそのパートナー一人、の四人。

離婚しているので、まあ彼らとしても俺にも会わなきゃだし、元嫁にも会わなきゃ、で大変かとは思うけど、そこはなんかうまくやってくれているらしい。
なにせ、そういう行事が二倍になりますからね。
でもまあ、文句も言わずに付き合ってくれて、ありがたいことです。

俺は兄弟姉妹がいない一人っ子なので、兄弟姉妹の感じ、というのはわからないのですが、ウチはきっと仲がいいと思います。
仲がいいよな、と言うと、「そんなでもないよ」と言うけど、まあそのくらいがちょうどいいのでしょう。


でね、まあこういう機会があると、思い出すんですけど、子育て時代のいろいろ。
今はもう別々に暮らしているし、みんな働いているし、彼氏と同棲とかもしていたりするから、なんだろう、もう別の大人として、ってことにはなるんだけど。
そうじゃなくて、彼らがまだ小さかった頃の話。

今考えれば、楽しかったことなどあっただろうかな?と思う。
忙しくて、毎日なにかしらに追われていて、彼らに「悪いことをしたな」と思うことはたくさんあって。
まあ、後悔ですね。
でも、まああの時はもうたぶん、無理だったんだろうな。
「もっとしてあげられたのに」とは思っても、たぶん無理だったんだと思う。

俺自身があまり子育てに向くタイプじゃなかったんだとも思う。
もっと大らかに育ててやればよかったと思ったりするけれど、後の祭り。
それでもまあ、いい子に育ってくれて、いや、いい大人になってくれて、ありがたいことであります。


人によるとは思うんだけど。
子育ては終わるんだよね。
終わるというか、時間が経てば、子どもはほっといても大人になるから。
だから、大人になることを認めてやれば、子育ては終わるわけだ。
まあ、なかなかそれが上手くいかない親子というのもいるだろうけれど。

時代が暗いから、引きこもったりの心配もあるだろう。
この子は就職できるだろうか、とかの心配もあるだろう。
けれども、それは大人の社会の問題だから、なんとかがんばろう、みんなで。

でね、まあ何を言いたいかというと、育児してると辛いな、と思うことはたくさんあると思うんだけど。
俺も思ったし。
でもまあ、いつか終わるよ。

なんかね、「親は無くとも子は育つ」というか、「いい親」なんかにならなくても、子はまっすぐ育ったりする。
今の世の中、どっか「いい親象」ってのを押しつけられてしまうでしょ。
なんかの雑誌の表紙みたいな、キラキラした家族、だけが「正解」みたいな。

でも、そうでもないんだよな。
キラキラしてなくても大丈夫。
ウチもそうだった。
「休みの日にレジャーに出かけよう」なんてことはほとんどなくて、休みの日はウチのバザーの手伝いに来て、その後の飲み会に子どもも参加してたりしてた。
遊園地よりも、ウチの事務所にいた時間の方がはるかに多かろう。
俺の仲間にもかわいがってもらった。
たくさんの大人に、うちの子たちは育ててもらった感じである。

この飲み会の前、お盆の最中だったか、真ん中の子から「彼も一緒に休みが取れたから、ご飯でもどう?」と言われて、ありがたいな、と思ったんだけど、たまたま市丸の家でみんなで集まって飲もうか、という日だったので、そこに合流してもらうことにした。
そう、こういう風に、みんなの中で君は育ったんだったよな、って思い出して。

今回は、一緒に住んでる彼もそのメンバーになったという感じ。
つまり、仲間が増えた感じ。
ま、なんかよくわからないけど、そもそも俺は、みんなで楽しく、横のつながりもたくさん作って生きていきたい、というか。
その中に、自分の子どももいてくれれば、なお嬉しいな、というか。
たくさんの人に君は愛されて育ってきたんだよ、と伝えたい、というか。

親の愛だけじゃ足らなかったと思う。
愛してやる余裕もなかった。
けれど、多くの仲間が変わって愛してくれて、まあなんとかなったな、というか、ありがとう、というか。


いや、もうなんかうまく言えないけど、つまりはね、子育ては辛いけど、いつか終わる日が来るから。
あまり思い悩みませんように。








(BGM:宗次郎「オールド・ブラック・ジョー」from「世界のうた こころのうた [Disc 2]」)
→改めて聞くと、この曲、「だいじょぶだ」の無言劇のあの曲の原曲じゃないかと思えます。
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一番恐ろしい病


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貧乏だったときというのがありました。
最初の結婚の時ですね。
家を借りる金にも事欠くような感じだった。

で、当時持っていたレコードを売ったんですね。
AAレコード、ADKレコード、テレグラフ、それだけじゃない、まあいろいろな、いわゆる「自主制作盤」。
ソノシートからLPまで。
ディスチャージなんかもあったな。

オレのまあ「宝物」だったんですよ。
金には換えられないような、大事なモノだった。

けどもまあ、仕方なかったんだな。
そんないくらにもならないだろうと思っていたら、やっぱりほら、だいたいが限定盤だから。
なんと28万の値がついた。

ま、それが敷金礼金になったわけだ。
けど、宝物はすべて一枚も手元にはなくなった。

最近になって、もう一度手に入れたいと思うけれど、まあそれはもうかなうまい。
と思っていたら、CDで復刻されたりしているので、それを買ったりしている。

当時、まあインターネットもありませんし、音楽を聴くのはライブに行くしかない。
そして、あとはもちろんメジャー流通なんかしてない音楽ばかりだから、いわゆる彼ら自身が作って通販とかしてる自主制作盤を買うしかない。
新宿のエジソンだとか、下北だったか、五番街だとか、中野にもそういう店があったから、千葉からわざわざエレコードを買いに行った。
新宿ロフトが西口にあった頃、ライブに行く前に寄ったりしたっけ。

音楽にわくわくした、音楽に可能性を見つけた時の、輝く戦利品、みたいな感じ。
オレにとっては、本当に宝物だった。
ジャケットを見るだけで十分に楽しめたし、ライナーがあるモノは隅から隅まで何度も読んだ。
それだけで一日が過ごせたほどだ。

けども、それを売ったんだよね。

あの時の気持ちを思い出すと、それを失う、というそのものことも重大だったけど、それよりも「このまま貧乏なら、もうこれを見て過ごす時間もあるまい」と思っていたと思う。
子どももできていたし、給料は安いし、かといってまあ仕事を辞めるという選択ができるような感じではなかった。
ま、つまりはこの虹の会の仕事、ということだけれど。

どこか自分は「もう楽しいことなどない」と思っていたし、ライブに行くこともないだろう、とも思っていた。
なにせ、そんな金がない。
時間もない。
その時は、今のようにオレと同じ立場の人が増えて一緒に過ごせるようになるとは思ってなかったし、遊び仲間がこんなに増えるとも思ってなかった。

だから、オレはその「証」みたいな感じであのレコードを金にしたんだ。
罪人の入れ墨を入れるような気持ちで、あの宝物を金にした。


ま、何が言いたいかというと、貧乏って、希望が持てなくなることなんだな、って話。
貧乏は金がないってだけの話なんじゃなくて、希望がなくなっちゃう。

その後、まあなんやかんやあって、普通の給料をもらえるようになって、改めてあのレコードたちを愛おしく、取り戻したいと思って復刻版を買っている今は、やっぱりあの頃に比べて希望はある。
飲み仲間も増えて、コロナじゃなければ、まあなんやかんや毎週、いやもっとの頻度で飲みにも行けるようになった。
今はコロナで行けないけど、それでも仲間がいるというのはありがたいことだと思う。

なんか、こう、ある意味ハングリーではないしストイックでもないが、希望はある、感じはする。
希望というか、まあ楽しい。
怠惰な気もするが、まあオレには怠惰くらいがちょうどいい。
それに、仲のいい仲間がいるというのはとりあえず「なんとかなるな」と思わせてくれる。


よく考えたら、当時、宝物を捨てた証、ある意味で「ハングリーでストイック」だと思っていたのは、貧乏故の「希望がない」からだけのことだったと思う。

思えば、人は安易に「貧乏故のストイック」を自分の糧にしてしまったりする。
辛いことを乗り越えることがストイックだとして、それはいいんだけど、今になって思えば、貧乏という辛さを乗り越えることは、ちょっとストイックとは違う気がする。

だって、貧乏はオレのせいじゃない。
オレはそもそも介助者で始まったワケだけれど(形式上は今もそう)、そもそも介護職が、保育士がなぜ給料が低いのか。
このコロナの中でもリモートなんかできない、密を避けることもできない、そんな仕事を必死にやってる人たちの給料がなぜ低いのか。
いや、医療機関で最後の最後を守ってくれた人たちの賞与まで削られてるというじゃないか。
それで貧乏になるなんて、そんな社会、馬鹿げてる。


逆に言えば、貧乏ほど恐ろしい病はないと思う。





車募集

(BGM:The Emotions「Best Of My Love」from「Rejoice」)
→モーリスホワイトさんがプロデュースしてるのかこの曲は。
なんか、そう思って聞くと、うん、EW&Fっぽく聞こえてきてしまうが、どっちにしろ、こういう女の子三人組、みたいなグループ、オレはなんかスキ。

ありがとうカマキリ


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俺の昔からの仲間で、大学の後輩に当たる、今学校の先生をしているよしをが書いたレポートが秀逸すぎるので、ここに紹介します。
タイトルは、「ありがとうカマキリ~達也の暴力が教えてくれたこと~」です。


出会い

 「ぼく、いじめられたから、この学校にきたんだよ。」
 五月の終わりだった。遠足の帰り道、バスの中で達也はつぶやいた。少し間をおいて、
 「でも話したくない、思い出すから…」
 と窓の外を見つめた彼の表情は忘れることができない。色白で細長い顔の真ん中にはつぶらな瞳が光っていた。
 小学六年生の時に、達也はこの学校に転校してきた。小学校から特別支援学校に転校する場合、小学校で六年間を過ごし、中学生になる段階で入学してくることが多い。だが卒業を待たずに地元の小学校から転校しなければならなかった達也は、どんないじめの体験をしてきたのだろうか。中学二年生になったばかり。楽しかったはずの遠足の帰りに、本人からこんな言葉を聞くとは思っていなかった。
 達也は、おそらく小学校時代に受けてきたであろう暴言や暴力を、今度は新しく担任となった俺の前でも繰り返していた。「死ね」「バカ」「あっちにいけ」など、俺だけでなく、出会う教員や友達に投げつけていた。そして、教室には入ろうとしない。授業に誘っても気分次第で机やイスを蹴飛ばした。
 朝の運動や教室の掃除などには当然のごとく参加しない。また、まじめにやろうとしている友達にちょっかいを出すので教員が一人張り付いていなければならなかった。昨年の担任はかなり手を焼いていたようで、達也が家の都合で学校を休む日などは職員室でガッツポーズをしていた。
 俺のクラスは達也を含めて生徒は六人だった。担任は俺と、採用されて間もない若手教員Aの二名だった。Aは達也の暴言や暴力をどうするのかとても悩んでいたようで、いろいろな研修で学んだ方法を試そうとしていた。
 達也がみんなの活動から逃げ、体育館の隅でうずくまっている。何とかしようという使命感からか、Aは後を追いかけて必死に説得している。首を横に振り続ける達也。
 どんな会話をしているのか、さりげなく近づいて聞いてみた。
 「今の達也くんのイライラした気持ちを数字で表してみよう。一番イライラしている状態を5とすると、3かな、4かな・・・」
 感情コントロールマニュアルというやつか?動こうとしない達也にAの焦りの色が見える。
 「そばにいない方がいいんじゃないかな?」
 俺が声をかけると、Aは不安な表情で迷っている。
 「俺たちの目の届く範囲にいるから大丈夫。他の生徒の指導に行こう。」
 逃げ出しても追いかけられることはないと知ると、達也はさらに行動範囲を広げた。目で追いかけると校庭を囲んでいるフェンス沿いに何かを探しているように歩いている。フェンスの周りには様々な雑草が生い茂っていた。

小さなファーブル

 六月になると雑草や木々の葉が勢いづいてくる。そこをねぐらとする虫たちも校庭に姿を見せるようになった。そんなある日、朝の運動でマラソンを走る時間だった。
 達也はいつものようにマラソンから逃げ出してフェンスの近くをウロウロしている。もう少しでマラソンが終わりそうだったので、最後のあいさつだけは参加させようとして達也に近づくと、達也の手のひらには長さ十センチ以上あろうか思われる大きなカマキリがカマを持ち上げてこちらを睨んでいる。
 「すごいオオカマキリだね!」
 びっくりしながら俺が言うと、
 「違うよ、これはハラビロカマキリだよ。これ、教室に持って帰っていい?」
 昨年は昆虫を教室に持ち込むことは禁止されていたらしい。達也が遠慮がちに聞いてきたので、
 「いいよ。」
 と俺は答えた。
 達也の昆虫に関する知識はすごい。逆に俺たちが彼から昆虫のことを教えてもらう気持ちでいこうと思った。
 カマキリの件でヒントを得たので、俺は自宅にあった昆虫図鑑や生き物に関する本を教室に持ち込み、小さな学級文庫を作った。また、捕まえたカマキリを虫カゴに入れて達也が世話をすることになった。すると、教室から逃げ出すことが減ってきたので、俺やAが他の子どもたちと過ごす時間が確保できるようになってきた。
 達也が教室にいられるようになった頃だった。朝のマラソンの途中で昆虫探しをしている彼にいつものように声をかけた。
 「またカマキリつかまえたのか!」
 達也は嬉しそうにうなずいた。校庭では友達と教員がトラックの周りを汗だくになりながら走っている。
 「どうすればマラソン走れるかな?」
 俺は聞いてみた。達也はカマキリを見つめてしばらく考えている。時間がかかりそうだったので悩んでいる達也をそのままにしておいて、俺はマラソンの流れに戻った。
 二~三周を走ってからだったろうか、達也が笑いながら俺に向かって手を振っている。駆け寄って、
 「どうしたの?」
 と問いかけると、
 「こいつと一緒なら走れるよ。持ちながら走ってもいい?」
 黄緑色のカマキリと目が合った。
 「もちろんいいよ。ただ、かわいそうだから握りつぶさないで。」
 と俺が答えると、一瞬、達也の頬がゆるんだ。そして、両手で器用にカマキリを包みながらトラックへ戻り、手のひらの中を覗き込みながらゆっくりと走り始めた。

逆流

 達也の暴言や暴力は心理学でいうところの「毒吐き」ではないかと考えられた。「毒吐き」とは、今まで自分が受けてきた理不尽な言葉によって傷ついた心を、自分以外の人間に同じような言葉を投げることによって回復させようという現象だ。達也は「死ね」と叫んでも、取り合わない教員にはあまり言わない。俺やAなどの関係が近い人間や大げさに反応する人間にむけられていた。そのため、俺は中学部二年生の教員全員に、達也が暴言を吐いても取り合わないでほしいとお願いをした。
 その頃からだった。子どもたちが帰った後の教室で、Aがこんな相談を持ち込むようになったのは。
 「達也の指導はどうなっているのかと、よく他の先生方から聞かれるのです。」
 俺は意味が分からなかったので聞き返した。
 「どういうこと?」
 「何人かの人ですけど、みんなが授業している時に達也を放っておいていいのかって…。」
 別に放っておいたわけではないが、クラスの外から見るとそう見えるのだろう。
 「それに、暴言に対する指導がないと言われました。」
 俺のクラスの活動に意見があるなら、なぜ俺に直接言わないのだろう。なぜ若いAばかりに言ってくるのだろう?ようやく達也が落ち着いてきたことを見ていてはくれなかったのか。子どもの成長を喜んでくれているとばかり思っていた俺は、クラスを包んでいる空気に目に見えない鎖が張り巡らされているのを感じた。とにかく、Aが辛そうだったので、
 「また何か言われたら、俺(藤村)の方針なので、自分は仕方なくやっているんです、と答えていいよ。」
とだけ言っておいた。

ごめんなさい

 何も知らなかった時の方が思い切ったことができることがある。逆に、人間関係が見えすぎるとそのことを考えて結局あきらめてしまうこともある。中学部の教員集団に必ずしも歓迎されていないと知ってから、俺は達也が逃げ出すのがだんだんと重荷に感じてきた。減ってきたとは言え、まだ暴言も続いている。達也が逃げ出した瞬間、俺のことをチラッと見る教員の視線に気が付くようになってしまった。
 考えすぎかもしれない。また、自分のやり方を疑っているわけでもない。だが受け入れてもらえていないという疎外感は思ったよりも俺の行動を縛ろうとした。
 調理実習が始まる時間だった。達也は調理室に入らずに教室の前をウロウロしていた。
 「調理の時間だぞ!」
 俺は少しイライラしていたのかもしれない。多少は信頼関係ができていると過信もしていた。強めの声に少し驚いた達也はやはりその場に座り込んでうつむいた。ニ~三分の沈黙。動こうとしないので両脇を抱えて立たせようとした時、バランスを崩して二人とも転んでしまった。
 「なにするんだよ!おまえもぶつのかよ、おまえもけるのかよ。」
 達也はそう叫んでから、さげすむような眼で俺を見た。はっと我に返り、
 「ごめんな、達也。わかった、調理室にはいかなくてもいいよ。」
 俺は震える声でやっと言葉をかけた。達也は好きな昆虫を求めて、廊下の端の方へ走っていった。
 調理実習が終わり、作った料理を教室で食べる時間になった。不思議なことに教室に戻ると机やイスの位置が変わっていた。みんなで向き合うように並べられており、いつも給食やおやつを食べる配置になっていた。教室には誰もいなかったはずなのに。
 まさか達也が用意してくれたのか?そう思った時、ぞろぞろと子どもたちが帰ってきた。その列に紛れて達也も教室に入ってきた。
 「机とイス、ありがとな。」
 お礼を言うと達也が恥ずかしそうに笑っている。俺に怒られた後、達也がどんな行動をとったのか。それを見ていたのは虫カゴの中にいたカマキリだけだった。 

やらされているのはだれか

 (おまえもぶつのかよ)
 その言葉が一晩中頭の中で回っていた。達也をいじめてきた側になるのか、そうではないのか、俺がとるべき行動がこの日の夜に決まったような気がした。
 「やらされる」ことへの達也の拒否感は岩のように固い。少しは学校になじめていると考えたが、自分から授業を楽しむようになってくれるためにはまだ時間がかかりそうだった。それでもいい。焦ることはない。というか、俺は何をやらせようとしていたのか?本当は、子どもたちが自分たちで考えて行動できるようにしなければいけないのではないか?そこまで考えた時、見えない鎖を作っているのは自分自身だと気がついた。
 例えば掃除。今までは教員が決めた順番で教室内を掃き、そして雑巾がけをするだけであった。つまり、子どもたちにとっては「言われて動く」活動であった。教員と子どもたちとの関係は一方的で、子どもはほとんど受け身の状態であった。そのため、掃除のやり方を根本的に変えるようにした。
 まず、子どもたちときれいにしたい場所を考える。そのために、ホワイトボードに教室の平面図を書き、それを見ながら自分の担当場所を決めてもらうようにした。そして、それぞれの場所の清掃をし、終了後、ホワイトボードを使いながらみんなで点検した。大切にしたことは、なるべく教員は口を出さないようにしたことだ。そして、逃げ出した達也は、仲の良い友達である真理に迎えに行ってもらうようにした。

ボクたちだってできるんだ

 掃除のやり方を変えた日、
 「これから掃除する場所を決めるから集まって下さい。」
 と俺が言うと、子どもたちはキョトンとしている。
 「みんながきれいにしたい場所はどこかな?」
 教室を見渡しながら声をかけると、子どもたちも同じように教室内を眺めた。
 (しばらく時間がかかるかな?)
 そう思い、子どもたちを教室の真ん中に集め、おもむろにホワイトボードを取り出した。教室の見取り図を描き始めると、みんなは何事かとのぞきこんできた。そして、俺が書き終えた瞬間だった。
 「ボク、黒板、ふく!」
 と、普段ほとんど手を上げない控えめな性格の真治が手を挙げた。すると他の友達も、
 「私、窓やる!」
 「床ふくね」
 など、次々と手を挙げてくれた。達也は廊下からその様子を見ていた。教室に入るきっかけがつかめずにいたようだったので、真理に迎えに行ってもらった。照れくさそうに入ってきた達也はホワイトボードを見つけ、
 「じゃあ、オレは水道まわり。」
 と自分の役割を決めることができた。この様子を見て、いかに俺が子どもたちの気持ちを汲み取っていなかったかを反省した。
 こうしてみんなが動き始めると、そこからは教員の手助けはほとんど必要としなかった。とにかく、「やらされている」という雰囲気が一変し、自分の担当した場所をていねいにふいている。また、机やイスなど、重いモノを運んでいる仲間を手伝おうとしたのは、他でもない達也だった。
 掃除が終わると再びみんなで集まった。教室がきれいになったことを喜びあっていると真理が、
 「先生、またこのやり方で掃除やりたい。」
 と言ってくれた。そして、
 「達也くんがふいてくれた水道のまわり、きれいだね。」
 と友達が担当した場所をほめてくれた。俺の横にはいつの間にか達也が座っていた。
 秋が過ぎ、昆虫が姿を消した。それでも達也は教室にいてくれるようになった。「毒吐き」が変化してきたのはこの頃である。「死ね」は人に対してではなく、ぶつぶつとつぶやく程度になった。たまに教員をからかおうとして、「死…」と言いかけるのだが、その後は言葉を飲み込むようになった。
 そして冬休みが近づいてきた十二月の朝、いつものように授業の予定を説明していると、何か言いたそうにモジモジしている。
 「どうした、達也、何か言いたいの?」
 と俺が聞くと、
 「死ねっていう言葉はいけないんだよね。」
 と話してくれた。いつもの照れ笑いではなく、まじめな顔で。

わかってもらうこと

 達也が自ら暴言を捨てた次の日だった。仕事が終わって自宅に帰り、夕食の用意をしていると電話機が鳴った。Aからだった。
 「真治くんが骨折していたそうです。家に帰ってからわかったそうですが、また明日、打ち合わせをお願いします。」
 記憶をたどってみても、その日は授業が終わって真治を送り出したところまでは何もなかったはずだ。一体、どこで折ったのだろう?翌日からは関係者の話を集めながら骨折の原因を明らかにする作業に追われた。また、すぐに保護者への謝罪に走った。
 真治は過去の記憶を思い出すのが苦手だ。あまり問い詰めると黙ってしまう。はっきりしないまま、十二月が終わろうとしていた。幸いにも骨折の治療は長くはかからないようだった。正月を越せば普通の生活に戻れるということだった。
 年が明け、いつもの授業が始まってすぐだった。中学二年の学年主任が顔をこわばらせながら話しかけてきた。
 「中学部全体の教員から、二年生の指導は大丈夫かというプレッシャーを受けている。一度、二年の教員で話し合いたいのだが。」
 俺の望むところだった。まずは学年の教員でじっくり話し合えばお互いのわだかまりも解けるだろうと思った。
 話し合いでは、まずは学年主任が口火を切った。
 「達也の思い通りに過ごさせていいのですか?確かに暴力は減りましたが、暴言を吐かれた方の身になって考えてみて下さいよ。真治の骨折の件もどうなのでしょうか?」
 隣のクラスの教員も続けた。
 「いろいろやらかしていることに対して、藤村先生が指導をしているのはわかります。でも、他の先生方はその理由が今一つわからないみたい。達也くんが何か問題を起こした後の対処について、その都度全体に報告した方がいいのではないでしょうか?」
 他にもう一人からも同じような意見を受けた。Aは黙っている。大きく息を吸い込んでから俺は説明を始めた。
 「達也がなぜ暴言を吐くのか、理由は説明してきました。小学校時代、生きている価値がないという意味の言葉を彼はさんざん言われ続けてきました。彼の中に溜まっているその悔しさは簡単に消えるもんじゃない。でも、それをどこで吐き出せばいいのでしょうか?」
 感情が高ぶってきたので、次の言葉を待っているみんなの顔を見渡してから再び説明を続けた。
 「暴言を言われた生徒はその担任の先生にフォローしてほしい。それがチームですよね。それに暴言も減ってきていて、本人もいけないことだとわかっています。あんな言葉、必ず言わないようになるのです。真治の骨折の件も私の不注意から来たことです。原因もはっきりしていない。それよりも、問題を起こしているのは達也だけじゃないでしょう。いろいろな子がいる。達也だけをターゲットにしてなぜその度に、謝罪するような形で俺が報告をしなければならないのでしょうか?」
 しばらく沈黙が続いた。うつむいていた学年主任が顔を上げてまとめてくれた。
 「私が中学部全体に言い返せればいいのだけれど、力不足でここまで言われてしまった。申し訳ない。そうだよね。二年は二年のやり方でやりましょう。」
 ひとまずほっとしたら喉の奥がカラカラに渇いていることに気が付いた。

みんなの役に立ちたい

 年が明けて二月になった。学校近くの畑には真っ白い霜が一面に降りるようになった。この学年も終わりに近づき、最後の授業参観が迫っていた。中学部では毎年、保護者も参加する授業を行っていた。
 どんな授業にするか、子どもたちと話し合いをした結果、学校に関する○☓ゲームをすることになった。独自のルールとして、答えを間違えても脱落せず、みんなが最後までゲームを楽しめることにした。
 ゲームの準備をする係を決めている時だった。
 「ボク、ゲームをやっている時のBGMの係がやりたい!」
 と達也が主張した。彼はCDデッキの操作も抜群にうまかった。俺としては昆虫や生き物に詳しい彼にはゲーム自体に参加してほしかった。だが、彼のやる気に満ちた顔を見ると説得する気になれず、BGMを任せることにした。
 当日の朝、達也は顔をしかめて教室に入ってきた。いつものあいさつもない。体調が悪いのだろうか。
 「どうしたの?気持ちが悪いのか。」
 俺が聞くと机に突っ伏したまま首を横に振っている。体温を測ろうとすると手を払って拒否された。そのままにして朝の会を始めようとすると、
 「お母さん、足が痛くて今日来れないんだって。」
 と机を見ながらつぶやいた。
 達也の両親はそれぞれ病気を抱えていた。それでもできる仕事で精一杯に働き、節約をしながら一家が寄り添うように暮らしていた。月に一~二度のファミリーレストランでの外食が自慢だった。家族が大好きな達也。俺は何も言えなかった。
 朝の会の後、クラスのみんなで会場の準備をしていると、ふらりと達也が入ってきた。保護者が座る席にはそれぞれの名札が置いてあった。
 「これいらないよね。」
 達也は自分に言い聞かせ、母親の名札をゴミ箱に捨てた。
 予定通りに授業参観が始まった。前半は子どもたちの大好きな歌やダンスで盛り上がっていた。だが達也はいない。ゲームの時間も近づいてきた。
 (ちょっとむずかしいよなあ)
 そう思いながら俺がCDデッキに手をかけた時だった。会場の窓の向こうに教室から走ってくる達也が目に入った。俺はCDデッキから手を離し、そのまま何も知らなかったような顔で様子を見ていた。
 静かに会場に入ってきた達也はCDの準備を始めた。真理が、
 「達也くん、来た。」
 と目を輝かせている。
 絶妙なタイミングでBGMが流れてきた。ゲームが始まると会場は笑い声に包まれた。授業は大成功。そして最後の問題が終わると達也はすぐに会場を出ていった。俺は声をかけようとしたが足が動かなかった。達也の後ろ姿がだんだんぼやけてきて目のまわりが熱くなった。

ありがとうカマキリ

 窓から差し込んでくる太陽の光が明るくなってきた。春が近づいた三学期の終わりに、一年間のまとめとして教員の研修会があった。子どもの成長をレポートにまとめて学部全体に報告をするものだ。いい機会だったので俺は達也の成長を報告しようと思った。悩んだことやうまくいかなかったこと、そしてみんなの協力で達也が変わったこと。限られた枚数では書ききれないほどの内容だったが、何とか決められた形式にまとめて研修会に臨んだ。
 当日、半数近くの教員は休みをとって欠席していた。一番話を聞いてほしい人間がいない。確かに休みは権利だが・・・。力が抜けそうになるのをこらえて、早口にならないようにレポートの報告をした。ただ、二~三名の若い教員がまっすぐにこちらを見て報告を聞こうとしている姿に救われた。
 修了式(最終日)が近づいてきたある日、虫カゴを見ながら達也が問いかけてきた。
 「カマキリの卵、どうなんだろうね?」
 と達也が聞くので、
 「どこかで見つけたの?」
 逆に俺が問いかけると、
 「うん、いっぱいあったけど。」
 と何か考えている様子だった。
 「あれは飼うと大変だよ。知らない間にカマキリの赤ちゃんがたくさん生まれて、部屋中に散らばってしまうかもしれないから。」
と答えると、達也は首を振りながら、
 「そういうことじゃないけれど・・・、まあいいや。」
 と友達の中へ行ってしまった。
 学校ではだいたい修了式までには来年度の担任が決まる。決め方としては教員本人の希望もあるが、チームとして仕事をするため、年齢構成や性別、そして経験年数が優先されることが多い。決定されたメンバーは四月の担任発表までは秘密だ。
 俺は学校全体のバランスから別の学部へ移ることになり、達也の学年からは離れることになった。精一杯やったような、そして逆に力不足で子どもたちに申し訳なかったような、複雑な気持ちだった。
 修了式、達也は逃げ出すことはなく、むしろ緊張している友達を助けながら参加することができた。
 「来年、藤村先生いる?」
 と笑いながら聞いてくる子どもたちに本当のことはまだ言えない。苦笑いでごまかしながら最後の学級会が終わり、子どもたちを送り出した。
 誰もいない教室を片付けているとロッカーの上に空っぽの虫カゴがあった。達也にあげるつもりだったのを忘れていたのだ。そう言えばあの時、達也は何を言いたかったのだろう?教材を整理して家に帰り、少し疲れていたのでソファーに体を沈め、リモコンでTVをめくっている時だった。
 「気象情報をお伝えします。すっかり春めいてきましたね。雪がたくさん降る東北地方では、カマキリは冬に積もる雪の高さを何かで感じ取って、雪よりも高い場所に卵を産み付けます。その高さを見て昔から人々は冬の備えをしてきたそうです。」

(終わり)


俺にはこういう仲間がいて、本当にうれしいし、そして後輩であることを考えると、本当に誇らしい。
このレポートは実は、硬い論文として、とあるところで賞を取ったとかの話である。
それを、よしを自身の手でわかりやすい文章にしてくれたのが上記である。

昨今、学校を取り巻く状況は厳しい。
けれども、闘ってる先生がいることも、わかってもらえたら、と思います。

ま、彼含め、多くの仲間と普段から飲みに行ったりしてますので、もしご一緒できたら。
ツイッターのDMや、まあ電話でもいただければ、その後お誘いさせていただきます。





にじ屋初売り2020白黒ミニ

2020もち

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(BGM:村木正人「くらいマックス」from「幻の名盤解放歌集 地獄に近いHEAVEN」)
→「う~ひょうひょ~」ですね。
もう、いろんなことをすっ飛ばして涙を流して汗を流して生きているとはいえ、男と女のクライマックスは旅立っち。
もう意味がさっぱりわからない。
名曲。

快気祝いをやった話


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先日、後輩のO君の快気祝いをやったんです。
ま、O君といっても誰も知らないと思いますが、大学の後輩で、といっても時期は重なっていません。
ので、よく知らないんですが、でも俺が虹の会で仕事をするようになってから、けっこう手伝いに来てくれた。
大学に入るのが遅かったこともあって、歳は俺と二つしか違わなかった。

そんなこともあって、ちょっと仲よくもなった。
その頃からの仲間とは今でもけっこう会う。
というか、まあ今も仲間の連中、ということになる。
彼らとサンゲン会なる飲み会も時に主催もしてる。
多くの新しい仲間も加わった飲み会、ということになるか。

今はいろいろな職種の人が集まっているわけだけれど、それぞれが仲よくなって、つれだって飲みにも行ってるようで、それもなんか嬉しく思う。
サンゲン会がなかったらつながりようがなかった人たちがつながるというのはなんか不思議な感じだ。

自分がやってきたことは、大したこともないし、自分が何かをできたわけでもない。
でもまあ、たくさんの人が助けてくれたから今がやっとなんとかある。
そういう人たちと今でも飲みに行けるのはありがたいコトだし、幸せなのだと思う。

大体俺は、自分の力をあまり信じていないし、何かできるとも思ってなくて、人に頼ってばかりだと思う。
玉ねぎじゃないけど、俺はむいたら何もなくなっちゃうような感じがする。
でもまあ、助けてくれる人がいるから、やっぱやれてこれたんだし。

飲み会で一週間が埋まってしまっても、俺にはとても大事な毎日でもあって。
そこで話すことや、聞くこと、そういうことが俺の中の血肉になっていく感じがする。
くじけても、困っても、助けてくれる人がいるという安心感はやっぱり大きい。
俺は「居場所ということを考えたことはない」と前に書いたが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4999.html)、いや、居場所はここにあるからだな。
それを考えもしないで生きて来れたのは、とても幸せなのだろう。

だからまあ、俺もそろそろ誰かを助けなきゃいけないと思うし、そういう人でいたいと思う。

Oは、ちょっと不器用なところがあって、というか、真っ正直すぎるというか。
おそらく今の日本では生きていくのはたいへんだろうな、と俺は思う。
ずっとそう思ってた。
俺が学生の頃にボランティアで行っていた作業所を運営するところに就職して、まあいわゆる同業、ということもあって、しかも近くに住んでもいて、なんだかんだ彼のことは気にしてた。
でもまあ、彼とは年に2回くらいしか会わないと言えば会わないのだけれど、でもまあ継続して会ってきてはいる。
もうそれは大学出てからだから30年近くになる。

彼が手術をするというのは知っていて、退院してきたら飲もう、という話はしてた。
でもまあ、日程がなかなか合わなくて、でもやっとこの前実現できた。
近所のチェーンじゃないお店になるべく行きたい、というのもあって、貸し切りもさせてもらった中華屋でやることにした。
なにせ、彼も近所なのである。

聞けば、けっこうな大病であったらしいのだが、職場でも快気祝いはやってもらってないという。
俺がボランティアで行っていた頃の雰囲気ではないのだろう。
それは彼も言っていた。
「佐藤さんには今はもうあわないですよ」と。
俺はたぶん、ウチの初代会長が死ななかったらそこでそのまま仕事をしていただろう、と思うのだけれど、なんか不幸なことがきっかけではあったけれど、なんかよかったのかもしれない、と今は思う。

いや、もしかしたら彼の存在感が薄いのかもしれないし、組織も今や大きいからだろうけれど、でもまあ、う~ん。
ま、そこに多少憤りも感じるモノの、それはそれとして、やってよかったな。
これからもね、ずっと彼とは仲間でいたいし、彼と一緒の時間を過ごすのはとても楽しい。
そして、多くの仲間が彼を思ってくれて来てくれてありがたかった。

やっぱりね、俺は人の中ですくわれるし、一緒に誰かとメシを食ってるだけで幸せな気分になる。

もちろん性格にもよるだろうし、その日の気分にもよるかもしれないが、毎日一人でしかご飯が食べられなかったら、俺は辛いかな。
時に誘ったら応えてくれる仲間がいて、本当にありがたいことだと思う。

仕事が順風満帆に行くこと、金がもらえること、それはとても大事なコトだ。
けれども、そんな日ばかりじゃない。
そんな日ばかりの勝ち組なんかじゃ、俺たちはない。
時に病気もするかもしれない。
働けないほど自分を追い詰めてしまうこともあるかもしれない。
自分の価値観と職場が大きく変わってしまうこともあるかもしれない。

俺たちは、仕事のために生きてるわけじゃないし、金のために生きてるんでもない。
いや、金がなきゃ生きていけないが、そのために忙殺されるだけじゃやっぱり違うと思う。
今の格差の問題も、だから人ごとなんかじゃない。
もっと俺たちは自由に、楽しく、気ままに、好き勝手に生きていいんだ。

だから、仲間が必要で、困った時に、一緒に飯を食ってくれる仲間をこれからも大切にしなきゃいけないと本当に思う。

そりゃ、他人は他人だ。
だから、全部わかってくれる人などいない。
けれど、ちょっとでも自分のことを考えてくれる人を大事にしなきゃいけないと思う。







佐藤店長生誕祭小

(BGM:popcatcher「DON'T STAND SO CLOSE TO ME」from「悪報瓦盤 [standard & respect]」)
→で、どうしましょうか、って感じ。

元を聞こう運動開催中


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先日、図書館に行く機会があって。
あ、そういえば、俺、図書カードもってるじゃん、と思い出し。
何か借りようかなあ、と。

CD借りよう、と。

ま、豊富にありますね本とかCDが図書館には。
当たり前だけど。
で、図書館のイイところは、自分の興味のないモノも大量にある、と。

そりゃそうですね。
俺の興味がみなさんの興味なワケじゃなし、色々に対応するのが図書館ですから。
嫌韓の雑誌とかが表紙こっち向けておいてあったのには閉口しましたけど、まあそれも図書館の使命なのかもしれません。
後の歴史検証として。


というわけで、CDを見てたら、あれ?俺、これもってないな、というのがずいぶんありました。

例えば、JAPANというばんどがありましたが、その「果てしなき反抗」とか。
アースウィンド&ファイアーの「太陽神」とか。
いわゆる、LPからCDに変わった時代がありましたでしょ。
その際に、けっこう捨ててしまったものですね。
というか、当時レンタルレコードとかで借りてテープに録っていたかもしれないけど、カセットテープ自体がもう使い物になりませんからね。
古いテープはあったとしても巻いちゃいますしヘッドに。

つまり、いわゆるスタンダード、と言われるものですよね。
図書館にはずいぶんそういうモノがある。

そう言われれば、CDの時代になって、例えばEW&Fだって、ベスト盤は手に入れたとしても、その元はもうCDで改めて聞かなかったりするわけですよ。
「セプテンバー」は聞けるが、その他の曲はもう捨てちゃってる、という状態ですね。

これはよろしくない、と。

俺はそもそもコンセプトアルバムというのが好きで。
例えばで言えば、ビートルズのサージェントペパーズみたいな。
日本で言えば、海援隊の「倭人伝」とか。
あ、ご存じないですか?なかなかいいアルバムですよ。
久保田早紀さんの「夢語り」とかも入れていいのではないかと思いますが。

んなわけで、やっぱ元を聞かなきゃダメじゃん、と。
というか、少なくともライブラリーには追加しなきゃダメじゃん、と。


で、まあ見ていたんですけど、そしたら、チューリップの「テイクオフ」というアルバムがありまして。
チューリップと言えば、なんだか今になったらもう懐メロなのかもしれないけど、俺の中ではけっこうずっと引っかかっていたんですよね。

というのも、子どもの頃、団地に住んでましたけど、隣の兄ちゃんがチューリップ聞いてて。
でもまあ、俺はその頃山口百恵さんとか聞いてましたから、すげえなんか大人だなあ、という憧れみたいな気持ちがあって。
そういえば、クイーンのジャズも隣の兄ちゃんがもってたのを聞いて衝撃を受けたんだけど。

で、録音してもらったテープがありまして。
それをずっと聞いてたんですよ。
すげえかっこいいなあ、と思って。
でも、「誰のなんていう歌なのか」というのを長い時間の経過の中で忘れちゃってたんですね。
ちゃんとテープに書いておけばよかったんだけど、それをしてなかったんですね。

それが、チューリップの曲だと気づいたのが十年くらい前だったでしょうか。
でもまあ、それをさがすでもなく、なんとなく時が過ぎておりました。

で、この「テイクオフ」のジャケット写真を見て思い出しました。
「これだ!」と。
そしたら、その中で最も気に入っていた曲が「サンセット通り」という曲だったことが判明。

いや、その曲だけじゃなく、このアルバムの曲はどれも素晴らしい。
改めて1曲目から、もうすごい。
ビートルズの影響がすごいといえばすごいけど、なんでしょう、もう戦慄しますね。

今、もうこればっかり聞いてます。
こんなすごいロックが日本にあったことをなんか誇りに思いますね。
ま、とにかくかっこいい。

40年以上前の作品ということになりますか。
もし、まあ機会があったら若い人も聞いてみて下さい。










(BGM:ジャックス「われた鏡の中から」from「腹貸し女(若松孝二傑作選3)」)
→演奏自体の完成度は高くないんだよね、ドラムが跳ねたりしてるから。
でも、このバージョン好きかも。
完成度が高いかどうかは関係ないんだよな、やっぱ。

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