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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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譲らない


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先日、三原と飲んでいて、ま、三原は養護学校、今は特別支援学校の校長をしているわけだが、いろいろな話の流れで、「叱らないし譲らない」という話になりまして。

これどういうことかというと、例えばカイが何かをしたい。
何かをしたいんだけど、まあそれを彼は強引に人を噛んででもやろうとしてしまったり、人を倒してでも進もうとしたりすることがあります。
同時に、ほっておけば菓子ばかりを食べてしまってご飯を食べなくなるので、そこは止めたい。
コーラの類いもそうで、肥満だとかのことやこれからの成人病の事を考えると、毎日何本も飲むのはやめさせたい。

ウチのような業界では、「本人の意思を尊重する」とか言うけど、その言葉の通りだと、じゃあそのまんま受け入れるのか?って話になってしまう。
コーラも飲ませればいいじゃない、と。
でも、それは違うわけだどう考えても。
それを延長すると、自分の意思を通すために人を噛んでいい、という話にもなってしまう。

そこでまあ、彼らの行動を制限する必要が出てくる。
こういう言い方をすると、三原なんかは、「教員としてはあまり制限、って言葉は使わないけどね」と笑われるが、でもまあ、結果として彼らにとってはそういうことだ。

でもまあ、普通に言って聞かせたところでわかってはもらえないわけです。
だからまあ言うにしても、なんか考えなきゃならない。
その時に、まあ「叱らないし譲らない」というのがキーワードになるんじゃないか、ということですね。

どうしても一般的には、彼らの行動を制限しようとすると衝突することになりますから、そこで叱るか、つまり怒るか、譲るか、という二つの選択をしがちなんですよ。
でもまあ、俺らはプロですから、どっちも選択しないことが重要になってくる。

そもそも、例えば「コーラを飲まない」という選択をさせなきゃならないから、そこはまあ譲らない。
けれど、だからといって、「飲むな」と怒っても、逆に彼らは強行になってしまう可能性が高くて、つまり制限の力を強めれば強めるほど、彼らの「飲みたい」も強まってしまうというか。
作用反作用の法則というか。

じゃあどうするか。
彼を自販機に近づけないようにと思ったって、そんなことは現実的には無理だ。
街のあちこちに自販機はある。
それにまあ、勝手に自販機に走り出してしまう可能性だって高い。

こういう時に、まあよく使うのは、自販機で買わせるは買わせるが、お茶を買わせる、というのがある。
そのときに、「コーラとお茶、どっちにする?」と聞けば、それは振り出しだ。
コーラを選ぶに決まっている。
そこで、いくら言い含めても、経験的にそれは変えられない。
なので、まあごく当たり前の顔をして、「麦茶と日本茶、どっちにする?」と聞いてみる。
一度は「コーラ」を指さすだろうけど、それには全く答えないで、日本茶かウーロン茶の選択を迫る。
するとまあ、どっちかを彼は選ぶ。
というか、そこに追い込む感じだな。

選択をさせるわけだ。
譲らないが、譲らない範囲で選択をさせる。
「こっちの言うとおりにしろ」というのは、ある意味彼らの意思を潰してしまう。
潰すどころか、余計な反発を生んでしまう。
ま、コーラは簡単な例だけれど、抽象的なことであっても、これを頭に入れておくと、かなりいい感じでカイは言うことを聞いてくれたりする。

これはある意味だましていて、つまり、コーラを飲むか飲まないか、という論議を他にすり替えてしまっている。
「◯◯をしたくない」というのを、でも、とりあえずはさせる、けど、どうさせるか?を選択させる、というような感じであり、つまりはまあこの辺を俺はふだん、「だます」と言うような言い方をしたりする。
つまり、「どうだませるか?」がプロだと。

ま、こういう言い方をすると、三原なんかは「教員としては、まあだます、って言葉は使わないけどね」となるのだが。
「まあ、中身はその通りだな」ともなるが。

結局、穏やかに、うまいこと事が進めば、それはそれで居心地はいいのだ。
そういう状況を作り出さなきゃいけない。
そのためには、論議をすり替えてでも、だましてでも、結局、コーラなど飲まなくても俺は穏やかに過ごせるんだ、◯◯をしても、穏やかに過ごせるんだ、という風に持って行くしかない。
その積み重ねを作るしかない。

譲らない、というのはまあ、誰だって考えられることだけれど、それを行動するのは難しい。
大声を出され、噛みつかれ、それでも譲らないでいられるというのは、かなりの精神力を必要とする。
だから、その苦労をなんとか回避したい。

だます。
確かに言葉は悪いが、どうやってだませるか?に毎日苦心しているという話です。






(BGM:JAPAN「愛の回転木馬」from「果てしなき反抗」)
→後期JAPANも好きだけれど、これも好きだなあ。
後期はどこか必勝パターンを得た後の作品、って気がする。
このアルバムはメンバーは評価してないようだけど、う~ん、いいじゃないねえ…。
世界観がちょっとあれなんだろうかなあ。
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俺たちは被害者ではない


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やまゆり園の事件の公判とかがありまして。
ちょっとまた事件を振り返るような雰囲気がありました。

そんな中、こんなツイートが流れてきまして。
だいたいの意訳ですが、こんな感じ。

津久井やまゆり園で起きた事件で1番考えないといけないことは、生きる尊厳で、施設環境のこととかはそれから。施設環境を理由にして、「起きてもおかしくない事件」なんて言っちゃいけない。

う~む…。


ま、まず、あれは「起きてもおかしくない事件」ではないと思います。
いや、起きてもおかしくない、という原因は彼らにはない、という意味で。
施設に入っていた彼らは、とにかく被害者でしかない。
それは、二重の被害を受けているように見えるんです。

つまり、現在の施設環境を「中心軸」とすれば、「ああいう毎日をおくってるんだから死んでも同じ」ということは成り立つかもしれないが、いやいやいや、そうじゃないじゃん。
施設環境の問題は、前々から前時代的って指摘を受けてるじゃん、ということなんですよ。

高度経済成長期に顕著だった、巨大コロニーを中心とする障害者政策、つまりは大量収容政策は、障害者の日常を、被告の言葉に代えれば「家畜」にした。
これは、前々から指摘されている問題である。
そのことになんの反省もなく、その後もその政策は維持され、あろうことか、現在でも夜間の職員の配置は、数十人に一人、ということらしい。

それで、果たして人間らしい生活ができるかというとそりゃ無理だ。
そもそも、障害者に豊かな生活など必要なのか?という問いが生じる背景には、こうした大量収容政策がある。

だって、実際に「オムツさせられて寝かせられる毎日」を過ごしていたら、そりゃ人間クサる。
おかしくもなる。
しかも、そこから脱出できる見込みはないのだ。

埼玉県にある巨大コロニーの昨年の退所者7人のうち、一人は病院へ、一人が親元に戻り、そして残り五人は「死亡」だという。


高校まで生徒会長をつとめていたオグラが施設の十年間を経てここに来たとき、そもそも話が成り立たなかった。
何を考えているのかもわからなかったし、楽しみもないように見えた。
今でもそういうところはあるけれど、あの時に比べたら格段に話が通じるようになった。
大日の後楽園大会に出かけて、選手の名前を覚え、「俺は伊東選手が好きですね」とか言うようになった。
歴史が好きってのもわかったし、戦国時代のなんかの年号とか聞くと答えるのもわかった。
まあ、天正●年、とか言われてもあってるかどうかはわからないが、とにかく興味はあるようだ。

オレらの毎日は、他の施設とはずいぶん違う。
酒を飲んだりもするし、遊びにも行ったりする。
ストリップにも行くし、敬語もなしだ。
コッチの携帯の番号もアドレスも教えるし、毎晩メールを出すのにがんばってるヤツもいる。

その中で、やっと人間らしい生活を、仲間を獲得していく様を俺は毎日見ている。
だから、彼らが「家畜と同じ状態」に置かれているのは許せない。
そもそも障害者は豊かに生活できる能力がない人ではないのだ。

そうなった要因の一つに、大量収容というモノがあることは間違いない。


そもそも、殺された井上達の仲間は、施設に入れられるという被害に遭った上に、あの事件でまた被害を受け、殺された。

何を言いたいかというと、巨大収容を軸とする施設政策そのものが、彼らを被害者にしてるじゃないか、ってことです。
つまり、我々は「加害者」じゃないか。
彼らを閉じ込めている加害者は俺たち自身じゃないか。
この日本の世の中じゃないか。

あの犯人は、その施設の状況の中でしか井上達を見ていない。
そして「死んでるも同じ」という結論に達してしまった。
バカだ。
話にならないくらいバカだ。
一度ウチに来てくれたら良かったのに。


俺は、あの事件こそ施設政策に異を唱える分岐点だと思っていたが、それは上がらなかった。
彼らにも生きる権利があったのだ、などという論調が目立った。

いやいやいや、そりゃそうだ。
だとしたら、それを大量収容してオムツさせてることを許してる俺たちはどうなんだ?
彼らの生きる権利を、豊かに生活する権利を奪ったのは俺たちじゃないか。
間違った策の上に、いくら人権を叫ぼうが、そんなのは寝言じゃないか?


こういうことを書くと、「虹の会は特別だ」とか言う人がいる。
「あそこには意思をちゃんと表現できる人がいるから」とか。

いやいやいや、例えば先にも書いたがオグラだって最初はそうじゃなかった。
はじめから彼らを「意思を持たない人間」って断じてるのはあなたの方じゃないか、と俺は思う。
「俺のところと虹の会は違う」。
そう思い込んでいること自体が、あの犯人と同じじゃないか?


俺たちは加害者なのだ。
だから、今それを反省し、どう取り返すか、を考えるべきだと俺は思ってる。
彼らの尊厳を奪ったのは誰なんだ。
そして、生き残った彼らが、我々がそれを取り戻すために、俺たちは何ができるんだ?
そのことを忘れちゃダメだと思う。






2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:ニュートラル「ちびとふとっちょ」from「誰も知らない泣ける歌 2」)
→ちびとふとっちょが恋に落ちました。
という。
まあそういうこともあるでしょうが、どうでしょう。
お互いのいいところを好きあいました、と。
ふむ。
ま、泣ける人もいるのかもしれない。

こっち側とそっち側


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kaijosha.jpg


まあ、失敗はたびたびします。
というか、失敗の中に成功がありますね。

「ああ、なんであの時、あんなことしちゃったんだろう!」
「ああ、なんであの時、あんなコト言っちゃったんだろう!」

そういうことって、まあ誰にでもあることだとは思うんです。

え?ない?
そうか…。
その場合、ない人の気持ちはわからないが、俺にはある。

しかもまあ、たいして意味がなかった、って感じの。
つまり、「イヤなコト言ってやりたくて、あんなコトを言ってしまった」とかじゃなくて、たとえば「その瞬間、頭があまり回らなくて、急にふられたので、あんなコトを言ってしまったが、まったく本意ではない」みたいな。

その後、場が凍るとかそういうオオゴトになったわけでもなく、おそらくその言われた相手も思い出せもしないであろうことなんだけど、俺はすごく「失敗した!」と思っているというような。

で、その手のことが急に思い出されて、「ああ!違う違う!」とか、「ああ!ごめんごめん!」とか、そういう風に、実際に言葉に出てしまうことがあります。
ま、それはどっちかというと声が出ているので、その時にいたまわりの人には聞こえてしまうが、その人達は何を言ってるかわからない。

とまあ、そういうことが時々あります。

今はアキ坊と暮らしているわけですが、それでもそういうことがあると、「え?」と聞き返されてしまうこともあります。
けどもまあ、いや、別に、となります。

その時のことを俯瞰して思い出す、というより、その時の状況の中に入り込んでしまう感じで、まさにその場所にいる自分に「違う違う!」といってるような感じ、ですね。
それはその瞬間のことで、長引くことはないし、すぐに自分の中で納まるけれど、その「あああああああー!」という感じは、「逃げ出したい」という感じに似てて、つまりその時のその場所から逃げたい、という感じ。

まあ、冷静に考えれば、もう時間は経っているので、その場所にはいない。
だから、「逃げたい」は達成されているのだが、それでも「逃げたい!」と思ってしまう。
それは衝動のような感じで、自分のアタマで制することはできない。
なので、「あああああー!」と頭を抱えるしかない。
ちょっとすればそれは納まる。

これは何も関係があるようなこと、似たようなことがあったからそうなる、というわけではなく、もう関係なく起こる。
トイレに入っているとき、風呂に入っているとき、本を読んでいるとき、まあ、どんな時であれ、急にその衝動がくるのである。


さて、ツノちゃんが、時々「わあああー!」と叫ぶんだけど、まあ叫んでいる中身はよくわからない。
今起こったことの時もあるし、聞けば「昔いじめられていた○○くんのことを思い出していた」ということもある。
とにかくまあ、彼はキャパが狭い。
ちょっとした集団の緊張感にも「わあああああ」となってしまうこともある。

それでもまあ、彼は理性がそれを制している感じがあって、まあ逆に言うと見てて辛い。
そしてまあ先に書いたように、その「過去のことが甦る」というのは、どこか俺にもわかる気がする。
いくら時間が経っても、「ああああああ!」という気持ちが治まることがないのだ。

ま、よく障害の本なんかには「フラッシュバック」などと書かれている。


これに支配されてしまえば、恐ろしい行動を起こすかもしれない。
…と思う。
けどもまあ、もちろん支配されることはない。
その衝動は急に来て、急に去る。
それがわかっているから、その前後では冷静でいられるし、その最中も一度「わああああ」と言えば済む。
言わずとも、頭の中でその衝動と闘えばよろしい。

その程度のこと、といえば、その程度のことである。
で、これは、多くの人がそういうもんだと思っていたが、そうではないのだろうか。


俺は子どもの頃からおかしな子で、喋れないときから車の車種を覚えてしまい、というか、喋るのが遅かったらしいのだが、一緒にいる母親に、「あの車の名前を言え」というようなサインを送り、それをきちんと答えられないと怒る子だったらしい。
ミニカーを部屋に並べ、掃除なんかで俺がいない間に母親が動かし、その位置が変わっていると怒ったらしい。

今では車種もわからないし、車にはまったく興味がない。
モノが並んでる順番やなんだらにもあまり気を遣うことがない。

そんな俺を見て、父親は養護学校の教師だったわけだけれど、「ああ、この子は自閉症なんだな」と思ってたらしいフシがある。
今思い出すと、小学校の前、なんかの知能テストのようなことを家でやった覚えがある。
休みの日なんかに父親が学校から持ってきてやったんだろう。


彼らと俺が地続きだ、というのは、俺はよく言う。
「なまけたい」とか、「わからないふりをする」「聞いてなかったことにする」みたいなことは、俺たちでもよくやることだからだ。
都合が悪くなれば逃げたり、逃げたくなったりするのは、市丸たちと俺たちはかわらないと思うからだ。
そういう衝動に、むしろ彼らは正直で、俺たちはカッコつけてやり過ごしているだけだろう。
彼らが「怠惰だ」「よくわかってない」という前に、自分のことを考えてみれば、同じじゃないか、と。


俺は今はまあ、そこそこの生活をおくってはいる。
ツノちゃんほど生活に困難はないといっていいと思う。
けれども、「彼らと地続きだ」というのは、そうした俺個人のパーソナルなこともあるのかもしれない。

俺はたまたま「こっち側」にいるだけだ。







2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:秋葉絵美「明日の私に賭けよう」from「台頭」)
→90J-POPサウンド全開。
いいタイトルだと思ったんだが、ちょっと肩すかしを食らうかっこうだ。

味方


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年末にアオテツの実家に飲みに行きまして。
というのも、まあアオテツのお父さんとアオテツが同じ顔なんで見に行こうかと思って、というのは一つとして、実家が居酒屋さんだったのでありました。
地域の人気店ということで、けっこう人も来ていたんだけど、予約しておいてもらって行ったわけですが。

最近あまり一緒にのみに行ってなかった竹脇とかも来たりして、三原も飲めないけど、ということで来たりしてくれて。
ま、竹脇ってのは俺の大学の同期、三原さんは虹の会の初期メンバーで、初代会長が死んだときに、まあみんなボランティア、という組織だったからみんないなくなった感じだったけど、残った人ね。
当時、教員になりたてというかそういう感じだった。

そこでいろいろ話していて、わかったことがありまして。

ま、虹の会は順風満帆できたわけじゃなくて、まったく逆風の中をもがいてきたという感じなんですけど、その辺は最近はちょっと見えなくなってきてるかもしれませんね。
それに、まあここにはイイ事しか書きませんし、実際に飲みに行ったりしなければ、やっぱどういう状況だったか、みたいなことはあまり知られてはいないと思うんだけど。

内部的にも、イヤなことはたくさんあって。
といっても、まあここ数年はそういうことはほぼ感じません。
それもまあ、俺としては努力の結果ではあるんですけど。

やっぱ、実際に市丸がどうのこうの、ハヤテがどうのこうの、ってのは、自分たちがすべきことだし、介助に空きが出て行かなきゃならんとか、そういうのもまあしょうがないというか、いいんですよ、そういうのは。
そういうので悩むのはいいじゃん。
悩めばいいじゃん。
悩むのが仕事ですよある意味、正解なんかないから。

でも、まあ実際、女の人がはどうかはわかりませんが、いわゆるよく言う「女の闘い」みたいなこととかが一番つかれるじゃないですか。
あの人は休んでるけど、私は休んでない、とか、そういうの。
私ばっかり休みの日にコウヘイに誘われて云々、とか。

ま、そういうのが疲れる。
で、そういうのが疲れるから、ということで、だいたいは、もう「時間以外は市丸たちとは付き合わない。なぜなら、不公平が生じるから」みたいなことになっていく。
「携帯の番号は教えない」とか。
結果、どっか遊びにいくにしても、ウソついて早退したりしなきゃならなくなっていく。

バカバカしいな、と思うんですよ。
そういう決め方。

なんで、そういう「疲れる」ことをどう越えていくか、ということをすごく考えていて、その時に、三原が「自分で自分を評価する」「他人のイイところだけを評価し合う」ということをやったらいいんではないか、ということを言っていて、まあ取り入れたんですね。
当初は三原も来てくれて一緒にいろいろやったりもしてた。
そういう流れの中で、互いにイイところをすぐに言えるようになっていく。
そうなると、まあ「この人はこれが得意だから」という感じになっていくし、自分自身も集団の中での「役割」みたいなものが見えてくる。

その流れが、誰が偉い、誰が施設長だ、誰が指示して、誰が受けるのか、そういうことじゃなくて、「新人には新人の役割があるじゃん」という感じになっていった。
平易に言うと、あの人と自分を比べるのではなく、自分にできる得意なことをしよう、という感じかな。
それだけじゃないけど、まあそんな中で信頼感も生まれていく。

今、まあそういう感じになって、すごくまあやりやすいというか、ムダな「疲れること」がウチには格段にたぶんない組織だと思います。
この辺はまあ俺が言っても説得力がないんで、呑みに来たら新人にでも聞いて下さい。

しかし、まあそれ以前はそういうことでもなくて、けっこう疲れることが多かった。
俺が矢面に立つことも多かったし、先に書いたような「決めごと」を決めさせられてしまうようなことも多かった。
それはとても本意ではなかった。
けれども、まあ世の中の人はどう思ってるのか、よく聞くのは「俺が決めている」と思ってる人も多いようで、でもそういうことは実際はあまりなくて、意見のやりとりの中で、総意でやっているわけなんだけど、なんで、当時は俺の思ってることが俺の思いもしない部分で折られてしまうこともあって。
意見のやりとりは本来は多数決ではなくて、意見をやりとりしながら最大公約数を探ることだと思うんで、それはなるべくずっとやってきたつもりなんだけど、「あの時ああいったこう言った」でせめられることも多く、まあ辛かったときもあった。

今の新人のすずやみずえなんかには想像がつかないんだろうけど、そういうこともあったわけです。
ま、その中にいたら、彼女たちだってこんなに活躍してくれているとも思えませんけれども。

辛い、いやだなあ、疲れるなあ、そういう思いを抱えたままやるのはやっぱきつい。
俺一人が悪者になってしまった気にもなる。
というか、そうしておいて、ぐちゃぐちゃ愚痴いってるのが一番ラクですからね、世の中。

でもね、そんな時でも、どんな時も、どんな時も、俺が俺らしくあれたのは、三原たちのおかげなんだな、ということに、まあ気づいたんですね。
うすうす気づいてはいたけど、なんか今になって、彼らに年末に会って強烈にそう思いました。
三原も竹脇も、よしを(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5031.html)も、いつだって俺の味方だったんだよね。

そう、俺には、ずっと味方がいたのさ。

よくよく考えてみたら、オレらの側、つまり市丸たちに関わる健体者の側が、「あの人と自分を比べるのではなく、自分にできる得意なことをしよう、という感じ」でないとしたら、まあ市丸たちに何も言えないし、そもそもそういう雰囲気の中に彼らがいなければ、そもそもやっぱり「何ができた何ができない」という評価になってしまう。

その当時、健体者側がギスギスした感じだったとき、突風が吹いたときがあって、にじ屋にいなかった俺はにじ屋に電話して大丈夫だった?って聞いたことがありました。
その時井上が出たんだけど、今はいない専従に、井上が「ハゲはにじ屋にいないクセに電話だけしやがって」みたいなコトを言っていたそうで、その専従が俺を責めるように「にじ屋にいないクセに」と言っていたことがありました。

恐らく今だったら、井上もそうは言わないだろうし、いや、それをネタにして冗談でいったりするのはいいと思うんだけど、マジメにそういう風には言わないでしょう。
「心配してくれてるんだね」ときっとこっちの意を汲んでくれるでしょう。
というか、やっとそういう流れになったというか。

彼らはオレらを移す鏡だから、俺たちがギスギスしちゃダメなんですよね。
どうやって互いに信頼し合うか。
例えば休むにしても遅刻でもなんにしても、ウソをつかないで済むようにするか、というコトなんだと思います。
そしてそれを認め合えなければ、やっぱ井上達には何も通じない。

ま、そんなわけで、まあそういう味方がいたからこそ、年末にわざわざ県北?での飲み会に出てきてくれる30年以上の付き合いの奴らがいるからこそ、俺はやってこれたんだよな、とつくづくなんかしみじみ飲めば、しみじみと、思い出とともにいろいろ改めて彼らに感謝したところであります。

彼らなくして今の俺はなかったな。
仕事も、やってることも種類も違うけど、ホントにそう思う。
いや、本気で。







2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:Coco「はんぶん不思議」from「青春歌年鑑 '90 2」)
→これね、曲がどっかで聞いた感じではあるけど、よくできてると思うんだよね。
ソロで歌う、それを受けてコーラス、みたいな感じもなかなかファンキー。
惜しいのは歌唱力かな…。

「意向」ねえ…


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市丸たちとどっかに行く、ということについて何回か書いていると思うけど、「めんどうみなきゃいけない」と思ったらやれないよな、というのを前に書きました(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4907.html)。

ま、その時も書いたんだけど、結局、彼らに合わせるとうまくいかないんですね。
こっちがもたない。
続かない。

よく「彼らの意向を尊重する」とか言うんです、この業界?。
わかります。
それはよくわかるんだけど。

そもそもの、その「意向を作っちゃう」というのもあるんじゃないかと思っています。
それは、ある意味、健体者モデルに近づけるんじゃないか、とか意見はあるかと思いますが、ここでは、「どこに行きたいか?」ということにおいてのみ、ということで話を進めます。


カブキは「トイスト~リ~見に行こうよ~」とか言います。
「プリキュア行こうよ~」みたいな。

もうこういう場合、「子どもなの?」とシンプルに突っ込むことにしています。
「俺は行きたくないそんなの」と。
そもそも映画好きと言われる俺であっても、プリキュアはない。
そこまでのマニアではない。

それと、まあ行ったところでこっちが飽きる。
それはわかりきっている。
「いや、トイストーリー結構面白いよ」というご意見もわかる。
実際、クレヨンしんちゃんは大人が見ても面白いじゃないか、と。
わかる。

でもまあ、そういう次元の話はおいておいて、そもそも時間が無尽蔵にあればそれはそれでいいのだが、それその日に行くならこっちのホラーに行きたい、こっちのサスペンスに行きたい、となる。

それと同時に、カブキはファンの女優さんとかがいる。
だから、そのへんで一致するモノを選びたいな、と思って、そっちに誘導したりする。


で、まあ映画行くとなっても、仕事終わりに行くんだから夜になる。
メシでも食ってレイトショーに行くか、と。
そうなれば、まあメシも一つの楽しみになったりする。
今度は、「ご飯食べに行こうよ」となる可能性も出てくるね。


ウチの連中のうち数名はプロレスが大好きだけれど、もちろん彼らはここに来るまでプロレスを見たことがない。
ま、市丸に至っては映画もほぼ見たことがないらしい。

けれども、まあ俺が好きで行く、と。
「一緒に行くか?」みたいなことで、みんなだんだん好きになった。
で、俺なしでも誘い合って行くようになった。
今や、俺が「大日のシングルベルトは今誰がもってるんだっけ?」とかコバに聞いて、コバが答える、みたいな感じにまでなっている。

ライブも同じで、俺はそもそもハードコアキッズだったから、そのへんを見に行くんだけど、まあみんな入れ墨、みたいなライブに。
そこにも行くから、「市丸も行くか?」となって、まあ今や「オースコさんみたいよね」とか言い出す。
あ、コブラのボーカル、ヨースコーさんのことですけどね。
今、療養中とのことで、早い復活を望んでいるところですが。


そもそも、けっこう彼らはここに来るまで、あまりそういう経験がない。
「どこに行くか?」ということを考える時、人は自分の経験から考える。
昔に遊園地にいって楽しかったから、遊園地に行きたい。
あのファミレスに行ったから、また行きたい。
まあ、そんな感じなワケです。

そもそも、彼らは情報弱者と言ってイイと思う。
ネット環境だったりがうすかったり、例えばテレビでも流れてくる映像を咀嚼できているかどうかはかなり怪しい。

でも、経験値ですが、どっかに行きたい気持ちはあるんだよね。
ま、これも人によるとは思うけど、ずっと出かけてなかったら、そりゃ出かける、ということすらその人の人生にないかも知れないから、全て否定するモノではないとは思うけど。


だから、まあこっちがまず出かける余裕がないとはなしが始まらないけど、あるのなら、「一緒に行く?」と言ってみたらいいような気がする。
そしたら、「また行こう」と言い出す可能性は高いような気がする経験値。


彼らの意向を尊重する、と教条的に考えると、どうしても「つきあってやらなきゃいけない」となってしまうけど、逆に「意向を作っちゃえ」って、行き先を考えてもいいような気もししたりします。








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にじ屋初売り2020白黒ミニ

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(BGM:エスパー伊東 with スーパーICONS「迷惑ダイヤル エスパー110番」fromYOUTUBE)
→エスパー伊東さんは大好きだった。
今は引退して、闘病なさってるとか。
最初は秋山眞人さんと出てたりしてたと思うんだけど、そのうちきちんと芸人として独り立ちしましたね。
秋山さんとしては黒歴史なんだと思います。

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