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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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人生で一番大事なのは友達です、とよく言います(その2・ラスト)


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専従募集


http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4440.htmlのつづき


足らないところ、というのは、「仲間がいるでしょ?」ということね。
つまり、オグラだったらオグラの「同室の人」という人が。

けどまあ、これは何回か書いているけれど、オグラは同室だった人の名前を思い出せない。
「何人かいたハズなんですけど…」という彼の言葉に、その「頓珍漢で話を続けるための感じ」は受け取れない。
ま、そういう時とそうじゃない時の違いくらいはわかります。

そんなことあるんかい?と思うけど、あるんだな、これが。


例えば、どっかに行った時とかに、市丸の知り合い、みたいな人が声をかけてくることがあって。
あとで聞けば、前の作業所で一緒だった、とかいうんだけど。
でも、それはほとんどが、「一緒にいる親」が市丸に声をかけてきます。
というか、ほとんどじゃないな、100%。
今まで、本人が話しかけてきたことはない。
親が気づいて、「市丸くんじゃないの?」って言ってくる、という。

で、話が始まるんだけど、市丸もまああまり覚えてないし、あやふやなんだけど、それを必死にその親が話として構築しようとする様子はわかるんだけど、実際にまあ、話は弾まない。
そして、その本人は、「全く一言もしゃべらない」で終わることがほとんどだ。
その親に、「ほら、市丸くんだよ、挨拶しなよ」とか言われて、でも向こう向いたまま、みたいな。

こういうひとしきりのコトがあった後、市丸に「さっきの人誰だったの?」と聞くと、たいがいの場合、「学校の時の友達」とか、「前の作業所の友達」とか言うんだけど、いやいやいや、それ、友達じゃねえし、みたいに思うんだよね。


同じクラスだった、とか同じ作業所だったってのは、確かに「友達になるきっかけ」にはなるけれど、それが=友達、ってのはちょっと違うよね。

少なくとも、友達は十年ぶりとかに出会ったならちょっとは懐かしい話をしたり、「ひさしぶり~」ってなって、たいがいは連絡先を交換して、「次は呑みに行こうぜ」ってなります。
これはまあ、そういうモノと決まっています。

そうじゃない場合は、友達とは言えない、といっていいかと思います。
というか、俺はそう思っています。


ま、つまりですね、多くの場合、彼ら同士の関係性ってのが、ものすごく薄いんですよ。
同じ施設にいた、同じ部屋にいた、そこで十年暮らしていた、のに、思い出せない。

これ、まあそういう場所に勤めている人とか、関わってる人は思い当たると思うんだけれど。
どうしても、職員と入所者、という風な縦の関係しかできない。
できない、というか、できにくい。
そこに親が関わると、一気に本人同士の関係は遠くなって、親が挟まらないと一緒に出かけたりすることも難しくなる。
ま、これは友達の中に親が入ったらどうなるか?っていう、子どもの頃の経験を思い出してみたらいい。

いや、まあ元々一人じゃ出かけられない、ってのもある。
友達関係が作りにくい、というのも、障害の特性だなんだかんだ、わからなくはない。


ま、だからこそ、そこを必死になって、ムキになってなんとかしないと始まらないって俺は思うのです。

だって、友達が人生で一番重要なわけじゃないですか。
もちろん、学校の先生も重要ですよ。
先生や親によって人生って変わっちゃう、ってのもわかります。
でもやっぱ、友達がそれをもっと変えてくれる、ってところもあって。


なんか今の状況は、「知的障害の子には友達ができなくてあたりまえ」ってなっちゃってる。
それ、ホントに正しいのかどうかもわからないし、しかもホントにそれでいいのか?って。

確かに、友達はうざい。
うざい時もある。
でも、うざい時があるから、いい時もあるんじゃん…。


井上やノブが、次の休みにどこに行こうかって、事務所の隅で話してるのを見てると、なんか俺は楽しくなる。
もちろん、その中で、ケンカもあるし、「あいつは連れて行きたくない」とか、「連れて行きたい」とかってコトにもなったりする。

けど、それでいいじゃん、って思うし、そういうもんだと思うし。


「職員と話がしたい」なんてのはさ、やっぱ友達がいたら、そうならないんだと思うんだ。
「職員と話ができないから独り言で代用」なんてのも、友達がいたら、独り言を言う必要はない。

いや、独り言言ったっていいんだけどさ。
そうじゃなくて。


なんかね、施設の職員を増やそう、って行動も大事だと思うけど、一方で、「この子に友達なんか…本人、必要だとも思ってないと思いますし」っていう親御さん、職員のみなさん、ちょっとどうでしょう、そこ、考え直してみては?って俺は思うんです。
そこが、「もっと豊かな生活の入り口」って気がするんですよ。




(BGM:ザ・シロップ「ハダカになっちゃおうかな」fromYOUTUBE)
→これ、かっこいいわ。
クラリネット大熊さん?2本吹きしてる。
昭和歌謡路線は、すごく好きなので、どんどんしていただきたい。
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人生で一番大事なのは友達です、とよく言います(その1)


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専従募集


オグラが時々頓珍漢なことを言うことがあります。
「わざと」うそをつく、とか。
「わざと」同じことを繰り返す、とか。
「わざと」質問に答えないで質問で返す、とか。

ま、本気でそう言ってる、本気で「答えたくない」とかって時もあるんだけど、そういうのじゃなく、どこか「ふざけて」それをやることがある。
というか、それ、けっこう多い。

無駄だな、と思うんだわ、それ。

簡単なこと、例えば「昨日何食べた?」とかの質問に、「何食べたって、食べませんでした」とか笑って言ったり。
「そのタオル、どうしたの?」という質問に、「どうしたんでしょう」とか。
どれもまあ、笑いながら繰り出してくる。

こういうのは、ちょっとした質問であって、その答えによって次の展開があって、その展開のほうが重要だったりするわけで、さっさとその質問はうっちゃりたい、わけです。

そこで止まるんじゃないよ。
そこはさっさとちゃんと答えてほしい。
こっちも忙しい。

…と思ったときに、ちょっと思いついたんだけど。

これ、けっこうカブキにもあって、ほかの作業所から来た人によくある。
オグラは入所施設にいたわけだけど。

つまり、もしかして、これって「職員と話をしたい」っていうムーブなのではないだろうか。


そう考えると、他にも例えばシャツのボタンを掛け違える、というのがあって、それを一度指摘して、直しなよ、と。
そうすると、一回外してやるなおすんだけど、もう一度同じように掛け違える、という。
わざとではないんだとは思ってたんだけど、つまり「不注意なヤツなんだろうな」くらいの。
でも、よくよく考えたら、もう一度掛け違える必要はあまりなく。

というか、掛け違えることを指摘されたんだから、次は掛け違わないようにするわけですよね。
にもかかわらず、かけちがえる、ってのは、もう「何も考えてない」んだけど、その方向がつまりは「掛け違っちゃっていい」という方向に「何も考えてない」ということであって。

例えば、「掛け違ってるから直せ!」というのが、もし「掛け違っちゃいけない」という、ヒヤヒヤ感、強制感が伴うこととオグラがとらえれば、それは「掛け違わない」と思うんだよね。
でも、掛け違い続ける、って俺の印象は、まあ掛け違うか違わないか、半々の確率だとしてもそれ以上にかなりの確率で掛け違い続けてる、という状況なわけで、つまりそれは「掛け違うことによってのメリット」がなければそうならないと思うんだよね。

たいがい、掛け違っていたりしたら、みっともないから直す。
直すことに関してのメリットが大きいし、というか、直さないことはデメリットでしかない。

だから、言われれば、直すんです、誰でも。
でも、そのデメリット、が彼にとってメリットになるとしたら、直さない、ということも多い、それが無意識だとしても、ってコトになるんじゃないか?と。


掛け違いを「(施設の)職員が話しかけてくれるきっかけ」ととらえると、冒頭の「頓珍漢なやりとり」ってのと、構造的に似てる気がします。


今の施設がどうなってるのかよくわからないし、実際に入所している人の肌感覚がどういうモノなのか?というのは、いくらまあ見に行ったところで理解できるモノではないとは思います。
が、単純に人数の問題だけ取り出しても、職員数が少なすぎるのは誰にでもわかる。
これでは、例えば朝の時間に、一人と3分も話してられないな、って感じ。

それでは、話をしたい連中はなんとかして職員の顔を自分に向けさせなきゃいけなくなるよな。
オグラやカブキなんかは基本話好きだから、そうなるか。


で、そしてこの二人、この他に共通するのは「独り言」。
時々、一人で誰かに?いや、誰にでもなく?独り言を言っている。
正直、気持ち悪い。
夜道でこんな人が後ろを歩いてきたら、そりゃ逃げる、ってレベル。

これ、この話を延長して考えると、「それでも(職員が)相手にしてくれなかった場合、独り言を言わなければやってられなかった」ということなんじゃないか?と推測ができちゃいます。


ただ、この論というか、話の流れには欠落していることがあって。


続きます





(BGM:草間ルミ「時計をとめて」fromYOUTUBE)
→これはスタンダート曲ですね。
これがカバーになるのか。
名曲。
そして、草間ルミさんってイイ声してる。
このかすれ具合、それでいてしっかりした音程。

思い悩んじゃったらダメ


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よくまあ、ミツなんかがメールをよこして「一緒に夕飯を食べよう」とか言ってきます。
井上とかコバも、まあ彼らは直接言ってきます。

ま、そういう感じなので、アキと二人でごはん、ってのもあまりないんだけど、それはそれでなんか別にしょうがないか、というか。
たまには二人っきりで食べようね!なんて時に、ミツから声がかかったりして、でもアキと「まったくしょうがねえなあ」とか言えるので、それはそれでなんか幸せな気分になります。

基本、予定がなければできるだけ付き合ってやろうかと思いますが、その日、すでに他の用事が入っている、という場合は断ることになります。

例えば、その日はもうプロレスに行く予定になっている、とか。
実家に行く予定になっている、とか。
他の人と予定を組んでいる、とか。

先週なんかは機関紙の締め切りの週だったので、ほぼ家に帰ってないんだけど、それでもまあ「ご飯食べよう」といわれるから、まあ夜を徹しての作業を控えて、自分たちも何か食べなきゃいけないから、どっかに行こうか、みたいになったりします。


ミツとか、普段はやっぱりお弁当とかになってしまうと。
市丸の家にでも行って、作ってもらったものを食べる、というのもあるけれど、正直「市丸の家には行きたくない」という気分の時もある。
というか、その辺はなかなか難しいところがあって、「市丸が偉そうにするからイヤ」ってのもあれば、逆に「市丸とカイは作ってもらわなきゃダメなヤツらなんだ」というような「見下す感じ」も彼らにはあったりして。
といっても、まあそれ、同じじゃん、ということになるんだけど、市丸の家に行くか行かないか、というのを選べる人と、市丸の家で作ってもらったモノを食べるしかない人、というのは、確実に彼らの中では違うわけで。
それはママではないけど、どっか「ママじゃん」みたいな。

健康のことを考えたら、そして、一人で食べるよりは、って観点からも弁当よりはずっとイイと思うんだけど、上記のような感情のもつれみたいなこともあって、それだけではキッカケにならないところもあります。


さて、それはそうとして、スーパーでなんか買ってきて作る、ってのにしても、じゃあ、弁当買ってくる、となったにしても、食べるのは一人。
もちろん、一人になりたい気分の時はあるわけで、それはそれでいい。
けれども、そればかりじゃ、やっぱり人は腐ってしまう。

そもそも、モノを食う、という動作は「下を向く」というのがあるから、それで誰ともしゃべらなかったら、やっぱ「ぼそぼそ食う」感、は否めない。
しかも、イマドキの弁当ってのは、「チキンカツ弁当」だと、もうチキンカツとご飯しかなかったりするんだよね。
昔なら、ちょっとしたナポリタンとか、キャベツとか、漬け物とか、煮物とかあった気がするけど、そういうのもなかったりする。
すると、もう、チキンカツ、ご飯、チキンカツ、ご飯、チキンカツ、でしかなくて、もうなんか、エサじゃん、みたいな…。


そう考えたときにね、やっぱね、人と話をしながら食う、ってのは、すごく大事じゃないか、って思ってて。
特に彼らの場合、しゃべらなかったらしゃべらないですんじゃうというか、そういう面もあるのよね。
けど、一緒に食べると、なんの話をするわけじゃないんだけど、今日のにじ屋がどうだった、とか、朝最近起きれない、とか、テレビでなにかやってた、とか、そういうのがあって彼らの顔もほころぶ。
ゆっくり一緒にテレビでも見ながら飯を食う。
あ、一緒に来て良かったな、と思うワケなんですが。

それに、やっぱ中華料理、だけじゃないけど、けっこう「人数が多かったらもっといろいろなモノを頼んでみんなで少しづつ食えるのに」って思ったりもするじゃないですか。
お好み焼きとかも同様。
やっぱ、そういう時も、みんないい顔になりますよね。
俺も楽しいし。

で、そういう日々があるから、断ったときにね、「あ悪いことしたなあ」という気持ちになるわけです。
「最終的に、昨日どうしたの?」と聞くと、「お弁当食べた」とかって言われるとさ、なんか「悪かったな」って思っちゃう。

でもま、それも一瞬。
一瞬かわいそうだったな、とは思うけど、そこまで。
いちいちそんな風に思い悩んだりしてたら、彼らとは生きていけないから。


悪かったな、かわいそうだったな、だけじゃなくて、「あの時俺の言い方が悪くて逆切れさせちゃったな」とかもあんだけど、でもまあ、反省して次、次!、みたいな。

思い悩んだらやってられない。
彼らに「悪いなあ」と思ってもやってられない。
って、思ったとしても、まあ一瞬は思うけど、そこまで。


それはとても重要なことで、そもそも、一生懸命やってたら、そんなに悪いことした、なんてこともないし、失敗だけど、いうほど失敗でもない、というか。
しょうがねえよ、そこは、というか。
あとはもう、二度と同じことしないように反省して次、っていうか。
かわいそうだけど知らん、というか。


ま、そんな感じで毎日過ごしています。





(BGM:George Harrison「Bangla Desh」from「The Best of George Harrison」)
→ジョージとリンゴって、いい人だったんだろうな、と。
じゃなきゃ、まあ短命だったとはいえ、それでも続かなかったよね、きっと。

かわいそうな人


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よくわかってない人、ってのがいて。

井上たちは確かに知的障害者で、街に出ても看板が読めなかったりするし、計算もできないから、うかつに知らないところで買い物もできなかったりもする。
けどまあ、それなりに彼らはそこそこ忙しく、そして、どっかに出かけたり、豊かな毎日を送っている。

親元を離れているやつも多いから、そこの軋轢もない。
たいがい、親の「よかれ」が彼らの生活の幅を狭めてしまうから。
それがない分、まあ親が顔をしかめるような場所にも行けるし、顔をしかめるようなこともできる。


ただ、どうしても、この流れに乗れないヤツ、というのはいる。

まず、親が口を出してくる場合。
この場合は、たいがいやめる。

前にあった例だと、本人が飲み会の席から泣きながらお父さんに電話してて、電話を切るなり「お父さんがわかってくれない!」って泣き出して、まあつまり、知的障害者なんだから酒なんか飲むな、ってことなんだけど。
で、その日は帰ったんだけど、次の日来ないからどうしたかと思ったら、親がやめさせます、とか言ってきたりね。
実際、そのままやめちゃったけど。

こうなると、井上なんかは、「出てきちゃえばいいんだ」というようなことを言う。
「かわいそうだ」とも言う。
ま、その子、まあAとするけど、Aと仲良くできると思った矢先だったりするからね。
井上たちとしてはやるせない。

でも、この例はけっこうあって、「またかよ」「このパターンか」っていうようになった。


で、井上なりに考えた答え、というのが、「親のいうことなんか聞かなきゃいい。番長(井上は俺のことをこう言う)の言うことを聞けばいいのに」という。
ま、これは俺もよく言います。

つまりはまあ、まずもって一度親の呪縛は解かないと始まらない、ってことなんだけど。

同時に、「みんなに心を開く」みたいな意味もここには含まれていて。
「みんなで遊びに行く」とか、「みんなで呑もうよ」とか。
「親の支配下ではないところ=うちらの仲間」という風に対して見ている。

それが正しいかどうか、というのは、まあここでは置いておく。
ただ、そういう側面はあると思うし、あながち間違ってはいないとは思う。


そして、ミツなんかもそうなんだけど、とにかく「自分たちの仲間感を誇りに思ってる」というのがある。
「俺たちはかっこいいんだ」「俺たちはすごいんだ」って思ってる。

だから、「こっちに来ればいいのに」って話になる。
親に止められたヤツを見ると、「出てこい」となる。


で、この感じを、彼らは健体者にも適応させているんだな、と思ったコトがあって。

というのは、健体者がここで働き始めた時に、必ず井上は、「まだあっち」というようなことを言う。
そうなると、一緒に遊びに行こうと一生懸命誘ったりなんだりをする。

けど、そういうのが重たい人もいるわけです。
正直、もう時間だけ来て、あとは帰りたい人もたくさんいる。

だって、健体者にはいろいろ社会があるんですよ。
井上にはココしかないけど、健体者にはいろいろ外に世界があったりするわけじゃないですか。

で、まあ、やめる、とかって話になることもあるわけです。
大概が、暗い感じで終わります。
というのも、だって、井上にとっては、「こっちに入らなかった人」だから。
「こっちに入らない方が幸せなんじゃないか?」というアタマは彼にはない。

なにせ、自分たちに誇りを持っている。

で、そういう時に、もちろん井上たちは怒ったりもするんだけど、時に、「かわいそうな人だ」って言うこともあって。
「逃げ回っててかわいそう」ということらしい。
「何から?」って話になるとはっきりしないが、とにかく「人生から逃げている」みたいな感じなんだろうな。

その代表格は、ものすごく昔にやめたYという人なんだけど、もう確かに人生から逃げ回り、つきあってた女からも逃げ回らなきゃならなくなり、宿題も準備してこないから逃げちゃうし、どうしようもなかった。

もう、こうなると、俺たちの仲間になるかならないか、とかじゃなくて、もう見てらんない、というか。
人生それじゃやってらんないでしょうに…、みたいな。

けどまあ、このタイプ、けっこういて。
ちょっと今、そういう感じになってる職員がいるんだけど、やっぱり同じタイプ。
それをまあ短い付き合いなのに井上たちは見抜きますから、やっぱり怒るより「かわいそうな人だ」って感じになってる。

普通の人相手なら、井上も怒りますよ。
でもまあ、「コレじゃダメだな」とも思ってるんだろうな。
「かわいそうな人だ」ってのは、突き離しが含まれてる。
ま、やっぱ人生から逃げ回ってたら、ツケは必ず回ってくるわけで。
確かにそうで、井上たちが知らないけど、俺が知ってるいろいろな本人の事情を鑑みても、確かに「かわいそう」なんだわ。


井上が「かわいそうな人だな」って思う健体者ってのはけっこういるって話。
それをよくわかってない健体者が多すぎる。
というか、たいがい、「かわいそうな人」はそれがわからない。

ま、つまり井上たちのこと馬鹿にしてんだよね、たぶん。




(BGM:橋本一子「生まれた時から」fromYOUTUBE)
→なんだこの途中挿入される不安定な弦の音。
これはすげえ。
「産まれた時から死んでいるのは、あなた~」
…呪いの曲…。

お客さんにしない その2(ラスト)


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先日、井上達から専従の外口さんや原さんを中心として、数人に対して厳しい意見が出ました。
というのも、専従ではないが、彼らが信用「し始めていた」人が、やめるということになって、それに「やめないでくれ」ってのを、実際に「言えばいいんだ」「言っていいんだぞ」という話になったときに、俺の方で、「健体者相手にビビってホントの気持ちが言えないなんてのは情けない!」ということを井上達に話したことがあって(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-date-20170701.html)。
その流れで、彼らは専従らに対して、俺にいろいろ言ってきた。
でもまあ、なかなかうまく言えないヤツもいる分けなので、朝飯の時に紙に書いてもってこいよ、というと、ずいぶんいろいろ書いて持ってきた。

それが思う以上に、面白かったというか、けっこう集まってなかなかよかったな、と思ってて。

で、この時は原と外口さんに意見が集まったんだ。
原は新人だからしょうがない、というか当然だとして、外口さんなんかは、まあとても気持ちのある人で、仕事のみならず遊びのことなんかも考えてくれて、いろいろなイベントごとやスポーツ大会的なこととか、そういうのを一生懸命探してみんなにあうモノを紹介してくれたりしてくれるんだけど。

ただまあ、確かに語気は荒いところがあって。
だから、普段を見てると、多少こう、中身が伝わってないなあ、とか思うときもあって。
つまりは、かなり「誤解されやすい人」ではあると思うんだ。

けれども、それは俺はまあ普段見てるからわかるけど、それを俺が外口さんに成り代わって弁解してしまってはいけない、イイワケしてしまってはいけない、と思ったので、なにも言わずに彼らの言い分を聞く。
「へえ、そうなんだ」と聞いてはいるが、心の中では、「イヤイヤイヤ、それはどう考えたっておまえが悪いだろ…」とかいうこともけっこうあるんだが、スルー。
「あ、そうとってたの?その時俺もいたけど、外口さんはそういう意味で言ってたんじゃないよ…」とかもスルー。

ま、原が言われてることは、まったく俺も心の中でも全て賛同したけど。
それも、新人の時代にしかできない、一つの役割だ。
その時期は、健体者は井上達の「指示を聞く存在」になる。
だって、にじ屋のゴミ置き場の場所もわからないんだから。
だから、言われるのが仕事、それでいいんだ。

でも、新人とはいえ、相手が健体者となると、いきなり井上達は躊躇を始めるので、まあこれはいい機会だったと思う。

とにかく「言わせることが大事だ」と思ったから、「いやいや、そうじゃないんだよ」という「事実を伝える」ことをせずに、「彼らの世界」につきあった。

「言わせる」ことを「具体的にやる」ことで、とにかく彼らの言葉を引き出したかった。
もっと言えば、彼らに「中身の事実」を伝えることより、「主張していいんだ」ということをわかってほしかった。
これは、もうずっとやり続けて、彼らに理解してもらうしかない。

「言っていいんだよ」「なんでも言ってきて」なんて言葉で言ってもムダなんだ。
彼らはそれを是としない。
というか、そんなことで言ってくれるなら苦労しないんだ。

だから、行動で示すしかない。


で、書いてきたことや俺が聞いたことを、会議が終わったときに全体に話すことにした。
これでやっと、原や外口さんにも伝えられる時間、ということになる。

もちろん、「言われて」いい気分になる人はいない。
原も外口さんも耳がいたこともたくさんあったかもしれない。
「伝わってない」ことに関して、残念にも思ったと思う。

正直、彼らの遊びにだって付き合い、金の使い道に付き合い、買い物に付き合い、そんなことを毎日やってる外口さんや俺なんかが、「なんでヤツらの敵にならなきゃいけないんだ!」という気持ちにもなる。
それは俺も同じだ。

でも、長い歴史の中で、彼らは「健体者の理屈」に、閉じ込められてきたんだ。
今の時代には檻はないかもしれないけど、言葉や慣習や、いや「善意や正義」によって、彼らは、「言えない状態」に閉じ込められている。

だから、俺や外口さんがそれに一緒に闘っていたとしても、やっぱり、オレたちは敵ではある。
それは仕方のないことだと思う。


今回のこのコトで、俺が改めて、外口さんをすばらしい、と思ったのは、彼は、一つ一つ、いろいろな意見に対して、「これはそういう意味じゃなかった」とか「そういう状況じゃなかったでしょ?」っていう風に、「事実を伝えたり」をしなかった。
それは、井上達にしてみたら、弁解だしイイワケだ。
それに、そう言われたところで、井上はすぐには反論できない。
なぜなら知的障害者だから。
そうしてしまえば、「丸め込まれてしまう」しか、彼らには道はなくなる。

俺が、まったく「弁解」しなかったように、外口さんは、自分のことを言われてもなお、同じように弁解しなかったし、何も言葉にせず、「これからの態度で示さなきゃしょうがないと思ってる」と言っていた。

これは、なかなか人はできるもんじゃない。
やっぱ、すぐに「ちがうの違うの、俺は、おまえらのことをね…」とかって、すぐに言いたくなっちゃうものですよ。


でも、言われてもなお、「行動で示す」といいながら、「一緒にいる」ことを体現している外口さんこそ、俺は、なんかオレたち専従全体の井上達への答えだと思ってて。

つまりは、言葉じゃなくて行動。
時間をかけた行動でしか、彼らに伝わるモノはないんだ。




(BGM:ロス・アンヘリトス「花はぬれている」fromYOUTUBE)
→もうね、この「花はぬれている」という部分がサイコウである。
ま、もちろん、夜の花がぬれている、ということで、もうひどすぎるんだけど、この部分ですべて帳消しにしてもいい。

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