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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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俺たちの仕事とはなんだろう


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専従募集


昨日、Aのことを書いたけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4539.html)、冒頭に今の作業所の人になんで電話しないんだろう、という疑問を書きました。
まあ、してるのかもしれないけど、それでは彼の中では何かが足りないからウチの連中への電話が復活したわけですね。
毎日ですからね。
でもまあ、これ、疑問ではないというか、俺の中では答えというか、考察はあります。

以下に書きます。


彼のように事実上孤立してしまった知的障害者に対して、新しい施策を行います、新しい制度を作ります、といったところで、しかしこれなにも解決しない。


前には、他の例で、例えば公共施設、図書館や公民館に行ってはその受付の人にずっと話しかけ続けてしまう、という人もいました。
まあ、暇ならいいんでしょうけど、彼らにも仕事がある。

とある時には、ほとほとその施設も困ったらしく、ウチのメンバーでも何でもないのに、なぜか本人が虹の会に連絡してくれ、みたいなことを言ったらしく、タクシーで、しかも着払いで乗せられてきた、ということもありました。

ま、たらい回し、というヤツです。
回された方もはて、どうしたもんか、とはなりますが、まあ一緒に楽しくやってたんだけど。
でも、その彼も夜になったらどっかに出て行ってしまいました。
井上の家に泊まっていいよ、となったんだけどね。
そしたらどっかに出て行っちゃった。
もう追わなかった。

ま、その繰り返しなんでしょう。
ウチも積極的ではないにしても、結局はたらい回ししたわけです。

前回書きましたが、親の問題もあって。
親の意向で決まってしまうわけですから。
で、この当人の親とはちょっと前にいざこざがあって、ウチとしてももう手を出せないな、との判断もありました。
そこに割く余力は正直、なかった。


そういうことを回避するために、例えば困ってしまったら施設は親に連絡したりして連れて帰ってくれ、となるでしょう。
そういうことをまあ、包括的に解決するために、「孤立してしまった知的障害者への支援事業を開始します」というのは、いいことのように思える。

でも、冒頭に書いたように、それがあまり効果があるとは思えません。

なぜなら、そこに「つなげてくれる人」がいなければ、その制度は絵に描いたモチだからです。

例えば親御さんがその制度を見つけて本人とつなげてくれればいいですよ。
でも、「孤立してしまっている」という場合、本人は親からも孤立している場合があるのと、そもそも親御さんが孤立してしまっている、という可能性が高い。
高いというより、経験値から言うと、ほぼそういうことである。


つまりは、本人が、親御さんが、日常的につながれる、「この人には電話したい」と思える人が必要なんだよね。
なんか「頼る人」というか。

じゃないと、どんな制度作ったところで意味がない。


前に、「相談のハードルは高い」というコトを書いたけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4532.html)、「困ってるなら相談すればいいじゃないか」というのは、あまりに状況を知らなすぎると思う。

彼らは、そこそこ簡単にあきらめてしまう。
人生を納得出来ないまま納得した感じで、というか、納得という感じもわからないまま、毎日を流されて、「コレはダメ」と言われればあっちに行って、あっちで出て行けと言われればまたどっかに行く、みたいな。
それで、納得してるかというと、納得もなにもない。
納得じゃなくて、そうやって生きていく術を身につけた感じで生きている。

だから、制度がなければないで、それで彼らは生きてはいけてしまう。
というか、死なないではいられるかもしれない、という感じか。


そうならないために。
豊かな人生のために作った制度にどうつなげるか?という話なんだけど、どっちにしても、普段話せる人、というのが必要ってことになります。
簡単に制度に結びつけて、手を引いて、今度は制度のたらい回しをするような人じゃなく、どういう状況にあっても話し続けてくれる人。

親御さんにも、本人にも、そういう人が必要。


それをね、例えば作業所、というような家族の一つ外の存在である「社会」であるはずの場所が担えないと、ちょっとそれは状況としてよくはない。
そういう場所がなければもうそれはそもそも孤立度が高まってしまうけど、あるのなら、そこがきっちりそれを担っていかないとどうにもならない。

それは、社会が彼ら、つまり本人と親御さんを受け止めるか、ということでもあって、そこが受け止めないと、結局親御さんは、本人とセットで社会から捨てられた、という方向に、どんどん孤立していってしまう、と俺は思うのだ。

ウチで言えば、まず、俺たちがイチマルや井上が相談出来る人、にならなければ、俺らの仕事の意味はない、と思って毎日暮らしています。







(BGM:玉川カルテット「金もいらなきゃ、何んにもいらぬ 」fromYOUTUBE)
→「金もいらなきゃ、何んにもいらぬ」で、「私、あんたと暮らしたい」ときちゃったら、まあ普通じゃん!と。
そこで、「もちょっと背が欲しい」とこないと、やっぱ。
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追い詰めない


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専従募集


いや、暑い。
広島から帰ってきて、ライブ、倉庫撤収作業とかもあって、まあ疲れはたまっていました。

なんでまあ、午前中休み、とか、午後休み、とかそういうのをつくって、とにかく体を休めて、なんて話でいたわけですが。

オグラが調子が悪くなりまして。
どうも調子悪いな、ということで、にじ屋に行かないで一日寝てなさい、と。
そしたらガチで一日寝ていて、翌日にはもうパリっとしてました。

疲れって怖い。

ま、オグラの場合は、施設暮らしが長かった間、やっぱなまってるわけです。
筋肉のかけらもないンだもん。
最近はやっと前に歩けるようになって(来たばっかりの時は、表現難しいんだけど、横に歩いていた)、まあ先日はマラソンにも出て(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4380.html)。

それでもやっぱ地力がないというか。
まあ、戻ってよかったんですけど。
次の日は得意の尾崎の卒業を小さい声ではじっこで唄ってたので、真ん中で唄え、といったら「ええ~?!」と大爆笑しているので、ウザイと思いました。


問題は、疲れてるのかどうかよくわからない、という人たちで。
コウヘイとかコバとかがそういうアレなんだけど。

「どっかおかしい」というのが、なんか認識されているのかされていないのか、でもまあ、コッチから見たらおかしいので、「今日は休みなさい」とか「横になっていなさい」ということになるんだけど。

前には、いつも通り荷物運んだりやってるんだけど、どうもなんかおかしいなあ(この辺はなんていうか、感覚ですね)と思って熱を測ったら38度あったということとかもありますから。

ま、注意深くみていなきゃならん、って話なんですが。


そんな中、先日、とても暑い日に、いろいろあって、にじ屋が手薄だった日がありまして。
暑いというか、湿気が多くて。
メールでも、「こういう日こそ気をつけて下さい」ってのは、内部には流したりはしていたんです。

オレもその日は調子が悪くて、もうやる気も起きない。
疲れもたまっていたんだろうし、天気もあったのかも知れません。


で、その日、カズミはネットで値段付けをしてるんだけど、値付けに必要なモノを取りににじ屋にいって。
そのことを、必要な報告と共にちょっと内部に書いていて、それがなかなか面白かったんで,以下転載。


アクムが火災報知器を鳴らしたとき、私はケースを取りにいっていてたまたまにじ屋にいましたが、コンさん、あーバカだなもう… みたいな感じでとくに声を荒げるわけでもなくジリジリ鳴るのを止めていたので、てっきりいつものことなのかと思いました。
あのとき声を荒げていたら、アクム、イチマルの逆ギレみたいに倍増していったのかもしれないですね。

たしかにみんなイライラだったな。
私はラベラーの玉を探していて、この引き出し以外どこかにあるっけ?と聞いたら、井上くん「しらない」タカノブ「は?わかんない」とふたりともそっけなく、ツノはカイを追いかけていて、カイはヒーヒー言いながら外まで逃げていた。それはちょっと面白かった。

コンさんだけが、すれ違うひとりひとりに「ああ、それを使うのがいいね」「あら、小銭ばらまいちゃったのか、そりゃ大変だ」とか声をかけていて、すごいなあと思っていたのでした。



ま、コンさんはもうずっと一緒にやってるんで、もう俺らは最初の頃のことは忘れましたけど、後になって彼に聞いてみれば、引きこもっていて、まあ紹介があってここに来た、という流れだった、と。
その時点でかなり追いつまっていたとも聞きました。

ここは、彼自身の居場所でもあるんだろうけど、でも、それをなんていうか、イイ感じで昇華させているというか。

「無理なことは無理!」みたいな。


ウチの専従は、それぞれに味があって、尊敬できる点がちょっとづつあって、なんかいいなあ、と思っています。
もちろん、ずっと一緒ですから、腹が立つこともありますけど、それはまああたりまえなんで。

なんだろう。
結局ですね、できないことはできないんですよね。


市丸を追い詰めて逆切れをさせるのは簡単で、ま、2秒もあればできますが、ってしませんけど、逆をいえば、それをしない、ということができるわけで。
井上も追い詰めればイジメみたいなことを始めるし、ま、確かに「がんばれがんばれ」で追い詰めることは簡単なんですが。

かといって、まあ「がんばらなくていい」ってことでもないんで、その辺が難しいところですが。
「できる範囲のがんばれ」、というか。

同じように、結局、コンさんだって、専従みんなですけど、追い詰めちゃったらダメなわけで。
互いにそういう空気にならないように、やっぱ普段からみんなで気をつけていかなきゃならないよな、と思うわけです。






(BGM:新月「鬼」fromYOUTUBE)
→いや、これね、YOUTUBEで見ると、ボーカルの人の鬼気迫る感じがすげえの。
白装束というのもあるけれど、見せ方が上手い。
そして、楽曲も難解で、和の要素も入ってて、プログレとしてすげえいい感じ。
なんか、ガゼルさん、アサイラムを思い出した。

人生で一番大事なのは友達です、とよく言います(その2・ラスト)


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4440.htmlのつづき


足らないところ、というのは、「仲間がいるでしょ?」ということね。
つまり、オグラだったらオグラの「同室の人」という人が。

けどまあ、これは何回か書いているけれど、オグラは同室だった人の名前を思い出せない。
「何人かいたハズなんですけど…」という彼の言葉に、その「頓珍漢で話を続けるための感じ」は受け取れない。
ま、そういう時とそうじゃない時の違いくらいはわかります。

そんなことあるんかい?と思うけど、あるんだな、これが。


例えば、どっかに行った時とかに、市丸の知り合い、みたいな人が声をかけてくることがあって。
あとで聞けば、前の作業所で一緒だった、とかいうんだけど。
でも、それはほとんどが、「一緒にいる親」が市丸に声をかけてきます。
というか、ほとんどじゃないな、100%。
今まで、本人が話しかけてきたことはない。
親が気づいて、「市丸くんじゃないの?」って言ってくる、という。

で、話が始まるんだけど、市丸もまああまり覚えてないし、あやふやなんだけど、それを必死にその親が話として構築しようとする様子はわかるんだけど、実際にまあ、話は弾まない。
そして、その本人は、「全く一言もしゃべらない」で終わることがほとんどだ。
その親に、「ほら、市丸くんだよ、挨拶しなよ」とか言われて、でも向こう向いたまま、みたいな。

こういうひとしきりのコトがあった後、市丸に「さっきの人誰だったの?」と聞くと、たいがいの場合、「学校の時の友達」とか、「前の作業所の友達」とか言うんだけど、いやいやいや、それ、友達じゃねえし、みたいに思うんだよね。


同じクラスだった、とか同じ作業所だったってのは、確かに「友達になるきっかけ」にはなるけれど、それが=友達、ってのはちょっと違うよね。

少なくとも、友達は十年ぶりとかに出会ったならちょっとは懐かしい話をしたり、「ひさしぶり~」ってなって、たいがいは連絡先を交換して、「次は呑みに行こうぜ」ってなります。
これはまあ、そういうモノと決まっています。

そうじゃない場合は、友達とは言えない、といっていいかと思います。
というか、俺はそう思っています。


ま、つまりですね、多くの場合、彼ら同士の関係性ってのが、ものすごく薄いんですよ。
同じ施設にいた、同じ部屋にいた、そこで十年暮らしていた、のに、思い出せない。

これ、まあそういう場所に勤めている人とか、関わってる人は思い当たると思うんだけれど。
どうしても、職員と入所者、という風な縦の関係しかできない。
できない、というか、できにくい。
そこに親が関わると、一気に本人同士の関係は遠くなって、親が挟まらないと一緒に出かけたりすることも難しくなる。
ま、これは友達の中に親が入ったらどうなるか?っていう、子どもの頃の経験を思い出してみたらいい。

いや、まあ元々一人じゃ出かけられない、ってのもある。
友達関係が作りにくい、というのも、障害の特性だなんだかんだ、わからなくはない。


ま、だからこそ、そこを必死になって、ムキになってなんとかしないと始まらないって俺は思うのです。

だって、友達が人生で一番重要なわけじゃないですか。
もちろん、学校の先生も重要ですよ。
先生や親によって人生って変わっちゃう、ってのもわかります。
でもやっぱ、友達がそれをもっと変えてくれる、ってところもあって。


なんか今の状況は、「知的障害の子には友達ができなくてあたりまえ」ってなっちゃってる。
それ、ホントに正しいのかどうかもわからないし、しかもホントにそれでいいのか?って。

確かに、友達はうざい。
うざい時もある。
でも、うざい時があるから、いい時もあるんじゃん…。


井上やノブが、次の休みにどこに行こうかって、事務所の隅で話してるのを見てると、なんか俺は楽しくなる。
もちろん、その中で、ケンカもあるし、「あいつは連れて行きたくない」とか、「連れて行きたい」とかってコトにもなったりする。

けど、それでいいじゃん、って思うし、そういうもんだと思うし。


「職員と話がしたい」なんてのはさ、やっぱ友達がいたら、そうならないんだと思うんだ。
「職員と話ができないから独り言で代用」なんてのも、友達がいたら、独り言を言う必要はない。

いや、独り言言ったっていいんだけどさ。
そうじゃなくて。


なんかね、施設の職員を増やそう、って行動も大事だと思うけど、一方で、「この子に友達なんか…本人、必要だとも思ってないと思いますし」っていう親御さん、職員のみなさん、ちょっとどうでしょう、そこ、考え直してみては?って俺は思うんです。
そこが、「もっと豊かな生活の入り口」って気がするんですよ。




(BGM:ザ・シロップ「ハダカになっちゃおうかな」fromYOUTUBE)
→これ、かっこいいわ。
クラリネット大熊さん?2本吹きしてる。
昭和歌謡路線は、すごく好きなので、どんどんしていただきたい。

人生で一番大事なのは友達です、とよく言います(その1)


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オグラが時々頓珍漢なことを言うことがあります。
「わざと」うそをつく、とか。
「わざと」同じことを繰り返す、とか。
「わざと」質問に答えないで質問で返す、とか。

ま、本気でそう言ってる、本気で「答えたくない」とかって時もあるんだけど、そういうのじゃなく、どこか「ふざけて」それをやることがある。
というか、それ、けっこう多い。

無駄だな、と思うんだわ、それ。

簡単なこと、例えば「昨日何食べた?」とかの質問に、「何食べたって、食べませんでした」とか笑って言ったり。
「そのタオル、どうしたの?」という質問に、「どうしたんでしょう」とか。
どれもまあ、笑いながら繰り出してくる。

こういうのは、ちょっとした質問であって、その答えによって次の展開があって、その展開のほうが重要だったりするわけで、さっさとその質問はうっちゃりたい、わけです。

そこで止まるんじゃないよ。
そこはさっさとちゃんと答えてほしい。
こっちも忙しい。

…と思ったときに、ちょっと思いついたんだけど。

これ、けっこうカブキにもあって、ほかの作業所から来た人によくある。
オグラは入所施設にいたわけだけど。

つまり、もしかして、これって「職員と話をしたい」っていうムーブなのではないだろうか。


そう考えると、他にも例えばシャツのボタンを掛け違える、というのがあって、それを一度指摘して、直しなよ、と。
そうすると、一回外してやるなおすんだけど、もう一度同じように掛け違える、という。
わざとではないんだとは思ってたんだけど、つまり「不注意なヤツなんだろうな」くらいの。
でも、よくよく考えたら、もう一度掛け違える必要はあまりなく。

というか、掛け違えることを指摘されたんだから、次は掛け違わないようにするわけですよね。
にもかかわらず、かけちがえる、ってのは、もう「何も考えてない」んだけど、その方向がつまりは「掛け違っちゃっていい」という方向に「何も考えてない」ということであって。

例えば、「掛け違ってるから直せ!」というのが、もし「掛け違っちゃいけない」という、ヒヤヒヤ感、強制感が伴うこととオグラがとらえれば、それは「掛け違わない」と思うんだよね。
でも、掛け違い続ける、って俺の印象は、まあ掛け違うか違わないか、半々の確率だとしてもそれ以上にかなりの確率で掛け違い続けてる、という状況なわけで、つまりそれは「掛け違うことによってのメリット」がなければそうならないと思うんだよね。

たいがい、掛け違っていたりしたら、みっともないから直す。
直すことに関してのメリットが大きいし、というか、直さないことはデメリットでしかない。

だから、言われれば、直すんです、誰でも。
でも、そのデメリット、が彼にとってメリットになるとしたら、直さない、ということも多い、それが無意識だとしても、ってコトになるんじゃないか?と。


掛け違いを「(施設の)職員が話しかけてくれるきっかけ」ととらえると、冒頭の「頓珍漢なやりとり」ってのと、構造的に似てる気がします。


今の施設がどうなってるのかよくわからないし、実際に入所している人の肌感覚がどういうモノなのか?というのは、いくらまあ見に行ったところで理解できるモノではないとは思います。
が、単純に人数の問題だけ取り出しても、職員数が少なすぎるのは誰にでもわかる。
これでは、例えば朝の時間に、一人と3分も話してられないな、って感じ。

それでは、話をしたい連中はなんとかして職員の顔を自分に向けさせなきゃいけなくなるよな。
オグラやカブキなんかは基本話好きだから、そうなるか。


で、そしてこの二人、この他に共通するのは「独り言」。
時々、一人で誰かに?いや、誰にでもなく?独り言を言っている。
正直、気持ち悪い。
夜道でこんな人が後ろを歩いてきたら、そりゃ逃げる、ってレベル。

これ、この話を延長して考えると、「それでも(職員が)相手にしてくれなかった場合、独り言を言わなければやってられなかった」ということなんじゃないか?と推測ができちゃいます。


ただ、この論というか、話の流れには欠落していることがあって。


続きます





(BGM:草間ルミ「時計をとめて」fromYOUTUBE)
→これはスタンダート曲ですね。
これがカバーになるのか。
名曲。
そして、草間ルミさんってイイ声してる。
このかすれ具合、それでいてしっかりした音程。

思い悩んじゃったらダメ


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よくまあ、ミツなんかがメールをよこして「一緒に夕飯を食べよう」とか言ってきます。
井上とかコバも、まあ彼らは直接言ってきます。

ま、そういう感じなので、アキと二人でごはん、ってのもあまりないんだけど、それはそれでなんか別にしょうがないか、というか。
たまには二人っきりで食べようね!なんて時に、ミツから声がかかったりして、でもアキと「まったくしょうがねえなあ」とか言えるので、それはそれでなんか幸せな気分になります。

基本、予定がなければできるだけ付き合ってやろうかと思いますが、その日、すでに他の用事が入っている、という場合は断ることになります。

例えば、その日はもうプロレスに行く予定になっている、とか。
実家に行く予定になっている、とか。
他の人と予定を組んでいる、とか。

先週なんかは機関紙の締め切りの週だったので、ほぼ家に帰ってないんだけど、それでもまあ「ご飯食べよう」といわれるから、まあ夜を徹しての作業を控えて、自分たちも何か食べなきゃいけないから、どっかに行こうか、みたいになったりします。


ミツとか、普段はやっぱりお弁当とかになってしまうと。
市丸の家にでも行って、作ってもらったものを食べる、というのもあるけれど、正直「市丸の家には行きたくない」という気分の時もある。
というか、その辺はなかなか難しいところがあって、「市丸が偉そうにするからイヤ」ってのもあれば、逆に「市丸とカイは作ってもらわなきゃダメなヤツらなんだ」というような「見下す感じ」も彼らにはあったりして。
といっても、まあそれ、同じじゃん、ということになるんだけど、市丸の家に行くか行かないか、というのを選べる人と、市丸の家で作ってもらったモノを食べるしかない人、というのは、確実に彼らの中では違うわけで。
それはママではないけど、どっか「ママじゃん」みたいな。

健康のことを考えたら、そして、一人で食べるよりは、って観点からも弁当よりはずっとイイと思うんだけど、上記のような感情のもつれみたいなこともあって、それだけではキッカケにならないところもあります。


さて、それはそうとして、スーパーでなんか買ってきて作る、ってのにしても、じゃあ、弁当買ってくる、となったにしても、食べるのは一人。
もちろん、一人になりたい気分の時はあるわけで、それはそれでいい。
けれども、そればかりじゃ、やっぱり人は腐ってしまう。

そもそも、モノを食う、という動作は「下を向く」というのがあるから、それで誰ともしゃべらなかったら、やっぱ「ぼそぼそ食う」感、は否めない。
しかも、イマドキの弁当ってのは、「チキンカツ弁当」だと、もうチキンカツとご飯しかなかったりするんだよね。
昔なら、ちょっとしたナポリタンとか、キャベツとか、漬け物とか、煮物とかあった気がするけど、そういうのもなかったりする。
すると、もう、チキンカツ、ご飯、チキンカツ、ご飯、チキンカツ、でしかなくて、もうなんか、エサじゃん、みたいな…。


そう考えたときにね、やっぱね、人と話をしながら食う、ってのは、すごく大事じゃないか、って思ってて。
特に彼らの場合、しゃべらなかったらしゃべらないですんじゃうというか、そういう面もあるのよね。
けど、一緒に食べると、なんの話をするわけじゃないんだけど、今日のにじ屋がどうだった、とか、朝最近起きれない、とか、テレビでなにかやってた、とか、そういうのがあって彼らの顔もほころぶ。
ゆっくり一緒にテレビでも見ながら飯を食う。
あ、一緒に来て良かったな、と思うワケなんですが。

それに、やっぱ中華料理、だけじゃないけど、けっこう「人数が多かったらもっといろいろなモノを頼んでみんなで少しづつ食えるのに」って思ったりもするじゃないですか。
お好み焼きとかも同様。
やっぱ、そういう時も、みんないい顔になりますよね。
俺も楽しいし。

で、そういう日々があるから、断ったときにね、「あ悪いことしたなあ」という気持ちになるわけです。
「最終的に、昨日どうしたの?」と聞くと、「お弁当食べた」とかって言われるとさ、なんか「悪かったな」って思っちゃう。

でもま、それも一瞬。
一瞬かわいそうだったな、とは思うけど、そこまで。
いちいちそんな風に思い悩んだりしてたら、彼らとは生きていけないから。


悪かったな、かわいそうだったな、だけじゃなくて、「あの時俺の言い方が悪くて逆切れさせちゃったな」とかもあんだけど、でもまあ、反省して次、次!、みたいな。

思い悩んだらやってられない。
彼らに「悪いなあ」と思ってもやってられない。
って、思ったとしても、まあ一瞬は思うけど、そこまで。


それはとても重要なことで、そもそも、一生懸命やってたら、そんなに悪いことした、なんてこともないし、失敗だけど、いうほど失敗でもない、というか。
しょうがねえよ、そこは、というか。
あとはもう、二度と同じことしないように反省して次、っていうか。
かわいそうだけど知らん、というか。


ま、そんな感じで毎日過ごしています。





(BGM:George Harrison「Bangla Desh」from「The Best of George Harrison」)
→ジョージとリンゴって、いい人だったんだろうな、と。
じゃなきゃ、まあ短命だったとはいえ、それでも続かなかったよね、きっと。

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