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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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「#ちこくなう」


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すずがやってる「#ちこくなう」ってのですけどね。

すずが動画でアップした(https://youtu.be/YWfvoKYkvh8)中で言ったのが最初なんだけど。
この日、本来は加納さんとすずで撮影する予定が、直前になって加納さんが具合が悪いと。
すわコロナ?となったんだけど、そういう症状ではなく、まあお大事にしてください、ということですず一人で撮影することになりました。

撮る予定だったモノは撮れなくなったので、なんかネタはないかとその場で考えたのが「#ちこくなう」でした。

というか、実は撮影の数日前に、すずは毎日遅刻してきて、まあ明るく入ってくるし、その後取り返すべく頑張るし、ま、そりゃ遅刻は起きれなかったんだからしょうがねえところもあるよなあ…、みたいな話で、だったらこのすずの毎日の遅刻を世の中にお伝えした方がいいのではないか、とアキと話していたんです。
遅刻って、もう遅れちゃってるからどうしようもなくて、あとはもう「どう取り返すか」でしかない、ってところがありますよね。
もちろん、遅刻していい、ってコトじゃないとは思うけど、それを越える活躍、ってのもあるわけで、遅刻しちゃったらもうしょうがない、というか。
だからまあ、この「#ちこくなう」でツイートする、ってのは、いつかすずと話す機会があったら言ってみるか、とは思っていました。

で、まあ急遽この撮影はそれをやる感じで撮ろう、ということになりました。

この一本を撮ったところで、急遽アキに来てもらって。
「#ちこくなう」の先輩として2本目の撮影に出てもらって話をする、ということにしました(https://youtu.be/WRedxymEUbY)。

まあ、遅刻はしてはいけない、というのは社会人のルールだと思います。
遅刻したら契約がおじゃん、ということもあるでしょう。
だから、遅刻がいいとはオレも思いません。
が、そうじゃない時、普段だったらまあしょうがないかな、と思ったりもしていて。

遅刻って、まあ本人は相当焦ると思うんだよね。
だから、そこで遅刻自体を怒ってもしょうがねえな、というのもあって、怒るよりは「こっから取り返そうぜ」ということを言うようにはしてきました。
それに、そもそもウチには「ズルして遅刻してやろう」なんて輩はいない。
その信頼感はある。

なんかね、遅刻する人に対する厳しさの半分は、「オレは遅刻してないんだけど」という、「お前遅刻しててずるいじゃん」というのがあるように思ってて。
で、これ、お互いの首を絞めてると思うんだよね。

だって、寝坊なんか誰でもするじゃん。
自分がすることを考えたら、「遅刻しないように頑張る」というお互いの信頼の上に、互いに「オーケーオーケー、その分、こっから取り返してくれ!」って言ってる方がよくない?って思う。

「#ちこくなう」の3本目にミズエに出てもらって(未配信編集中)、前の職場だと歯が痛くても歯医者に行けない、みたいなこともあるらしく。
いやいやいや、歯なんかいつ痛くなるかわからないじゃん。
だったら、もう痛くなったらすぐ歯医者に電話して予約取った方がいいじゃん。
明日!って言われて明日なら、もう仕事の日だって行けばいいじゃん、とオレは思う。
まあそのための年休、という考え方もありますよ。
というか、もうこれは、むしろ歯が痛くない状態で仕事やってもらった方が絶対に効率がいいはず。
二時間くらいすぐ取り返せるでしょうに…、と思う。
そしてそれはお互い様だと思うんだよね。
自分が歯が痛くなったら、って考えたら、お互い様じゃん。
それに歯が痛いってガマンできないじゃん…。

もちろん、いろいろな職場があるから、時間的に抜け出せない、とかそういうのもあると思う。
だから、全てがうまく自由に行くわけじゃないんだとは思う。
けど、できるだけ互いに慈しみあった方がいいし、医者や遅刻に寛大であった方がいいとオレは思う。
その寛大は自分に返ってくるのだから。

最初虹の会は加納さんだとか松沢とか、故人だけど工藤さんだとかの介助をやるってのが任務としてあったわけです。
その場合ね、健体者側がきちんと集団にならなくても、ビジネスライクでも成り立つし、そういうもんだとも思うんです。
でも、井上達、知的障害といわれる人たちがここにきて、やっぱ変わらなきゃならならなかったと思うんですね、健体者側も。

やっぱね、井上達に楽しく毎日をおくろう、といっても、健体者がギスギスしてたら成り立たないじゃないですか。
ってか、それは無理なんですよね。

だから、オレは健体者側の信頼関係ってのが大事だと思っていて。
そして、自分たちが「自分たちの身体を互いに慈しみあう」ってことをしてなければ、彼らにもそれを言えないじゃん、と思うし、彼らはそういうの見破るし。

よくいろいろな作業所とか行ったり、なんかの大会とかに行った時に、健体者の人が一歩引いてなんかしてる、みたいな時があって、それはそれでよくわかるんだけど、それはやっぱ井上達を主役にしたいからね。
でも、それが「楽しそうに見えない」ってコトが多くて。
「仕事ってそういうもんでしょ」とか言われそうだけど、でもやっぱこっちが楽しくないと、彼らに楽しい毎日なんかおくってもらえるわけがないと思うんだよね。

オレは楽しい毎日を自分がやっていなきゃいけないと思っています。
「ナカマ」のみんなも。

それは「らくちんにやる」ってことではなく、いやいやいや、楽しい毎日をやるって大変なんですよ。
でも、楽しいから、その大変を乗り越えることもできるんだ。

ギスギスして、「かわいそうな知的障害の人たちのために自分は身を粉にして頑張ってます!」なんての、オレは一番きらい。

だってね、逆の立場になってみなよ。
「そんなに辛いならやめてくれよオレのために」って思わない?









ブログ用

(BGM:PANIC☆ch/パニックちゃんねる「together」from「Plow」)
→この冒頭の「こもった音」からの一気にメインになっていく感じ、好きなんだなあ。
曲としては、いわゆるラップとメロコアの融合みたいな、今風ね。
爽やかパンクに分類してよろしいか。
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「みんな同じ」の不幸


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まあ、なかなか難しいところがありまして。

というのは、他の作業所から来た連中、学校卒業してすぐにウチに来たんじゃない場合、とにかく、悪く言えば「保育園感覚」というか、「お世話され感覚」というのが抜けない。
抜けないどころか、それを前提にしている向きもある。

例えば、ちょっとみんなで飲みましょうか、となった場合。
久しぶりの人が来るから、とか。
そういう場合に、「みんなにも会いたいと言ってくれているから、もし、会いたいという人がいたら参加してください」ってなりますね。
まあ、実際のところ、「みんな」いうても、本当の意味でみんなではないですからね。

でも、それをもう「行事だ」と勘違いするんですよ。
「お誕生会」ですね。

ウチの場合、こうした「行事」というのはないから、すべてが参加するかどうかを自分で決める。
マラソンしかり、どっかに出掛けるしかり、飲むしかり、それは全て「行事ではない」という前提の上に成り立っている。
やりたい人が、飲みたい人が集まる。

逆を言えば、「今日は遠慮しておく」という人を追い詰めない。
「俺はそれ行かない」という人を、きちんと尊重する、ということが求められます。
どっちかというと、一生懸命そっちに心を砕いてきたのだけれど、他から来た連中はその前段階が通用しない。
逆に「行く」とかなんとか自分の所在を明らかに言わないのに、「行くことになってるはず」という体でくる。
だから、そういう時は帰す。
「行事ではないから」。

意思を持っての参加しない、については尊重したいし、大事にデリケートに、うまいことやっていきたいが、この「参加できるはず」については、もう話にならん。

なんでこういう感じになっちゃってるのか。

自分の予定を自分で決めていない。
自分でわかっていない。
親と作業所の職員がわかっていれば、本人がわからなくても行事として成り立つ、というあたりのことが横行しているのだろうか。
自分が参加したくないもんに、そもそも参加しなくていいだろうに。

オレはけっこう「みんな一緒」が苦手で、というか嫌いなんだよね。
「一緒にレクリエーションの時間です」とか。
そんなことやります?
大の大人が?
いや、まあ職場でバレーボールやりましょう、となって、なんとなく参加しなきゃいけないかな~でも参加したくないなあ~ということはあるでしょう。
だからこそ、その「参加したくないなあ」を言いやすい雰囲気にしようと思ってきたし、それは井上達も同じ。
そこを大事にしたかったけど、外から来たオグラやカブキについては、「参加できるはず」だから、参加の表明もしない、ということになる。
「だって行事でしょ」という。

つまりは、行事以外の何かがこの人達にはなかったんだな、ということなのかもしれない。
友達と連れだってどっかに行く。
それだって、クラス全員でいくわけない。
行きたい人同士で約束するわけでしょ。
そういう「普通の関係」がそこにはあるわけで、それが彼らはなかなか作れない。

ボランティアさんが来たとして、そのボランティアさんもみんなに「平等」に接してくれる。
その中の誰かを取り出して電話番号を聞いて、後に飲みに行く、なんてことはなかなかなかったりする。
ウチの場合は、お手伝いさんとかイベントに参加してくれた人とか、ノブとかを誘ったりしてくれてるから、まあそういうのとはなんか感覚が違うワケだけれど。

「誘われなかったらかわいそう」ってのはわかる。
わかるけど、だからって、一斉に網をかけて「行事」にしてしまうのは、もっとかわいそうだ。
その先にはなんの「仲間」も産まない。

今日はこの人と飲もう、という関係性を作っていかないと、やっぱ難しいところはあって。
でも、そもそもそういう雰囲気の中に彼らはいなかったんだよね。
だから、彼らが悪いわけじゃないんだと思うけど。

でもなあ、そろそろもう抜け出してほしいとは思いますよ。
けど、抜け出せない。
一度、若い頃にそういう中にどっぷり浸かって、全てをあきらめてしまった後に、「もう一度仲間を作り直そう」っていくら言っても、やっぱもう信じてもらえなくなっちゃうのかもしれない。

なんかなあ。
安心安全とか、そういう目標はもう当たり前じゃん。
じゃなくて、仲間を作ろうとかさ、世の中に広がっていこうとか、なんかそういう社会参加の方向にきっちり舵を切らないと、こういう不幸な感じってずっと続くよ。

まあ、それには人が少ないとか、職員が足らないとかあるでしょう。
ウチも足らない。
だから、一緒に「金よこせ!」って言いましょうよ。

彼らに不幸を作るために福祉をやってるわけじゃないでしょうに。











ブログ用

(BGM:近藤真彦「無頼派 -Album Long Version-」from「無頼派」)
→鼓?の音が印象的な、「ザ歌謡曲」といった仕上がりの一作。
どこか北島三郎さんを彷彿とさせるアレンジが面白い。

被差別者に理由を見いだそうとしてはいないか?


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女性差別の問題というのがありますけど。
実際に管理職に就けない、とかってよく言います。
ウチには管理職とかがないので、世の中ってそういう感じなんだ、と思ったりするワケなんですが。
こうなると、そういう会社のシステムとか、慣習的なこと、慣例的なコトってのが問題なんだと思うんです。
だから、それを解決するには、その辺をいじらなきゃならない。
というか、それしか解決する道はない。

けど、世の中って、「女性の力量ってのがあるじゃない」とか、「力量さえあればいいんじゃない」「ほら、産休とかあるし」みたいな感じで、その差別の問題を差別をされてる側に転化する感じってのがありますよね。

ま、もっと単純な例としては、イジメかな。
イジメがあったとイジメられた側が告発したとして、それはもうイジメた側の問題で、それを拘束するなり、止めるなりしなきゃ解決しない。
でも、いじめられてる子を保健室登校にしてみたり。
いやいやいや、保健室登校にすべきはいじめてる側でしょ?ということなんだけれど、そうはならない。
挙げ句に、いじめられる方にも問題があるんじゃないか?という論議になってしまう、という。

そういうことってあちこちにありまして。
レイプのことでも、女性に非があったんじゃないか、みたいなね。
酔っていたんじゃないか、とか、そういう。
いやいやいや、酔ってたらやっていい、ということ自体が成り立たないとは思うのだけれど、そういうことは不問に付されて、とにかく被害者の方に原因を探す、という。

障害者の問題にもそういうのは山ほどありますね。
他にも単純に、暴言を言われる方に問題があるんじゃないか、とか。
真意が別にあるにもかかわらず、炎上する方に問題があるんじゃないか、とか。
中には炎上目的もありますからこれはちょっと難しいところもあるけれど。

ま、何を言いたいかというと、世の中って、例えば差別的なこととか事件的なことで、どうしたって被差別側、被害者側にその原因を求めようとする傾向があるよな…、って話で。

確かにね、イジメだって、全員がいじめられるわけじゃないから、いじめられる側に原因がある、という風に思ってしまうのはわからなくはない。
というか、そこに共通する原因を探してイジメを無くそう、というのならまだわからなくはないが、たいがいこういうのはイジメの撲滅じゃなくて、隠匿を目的にしているからタチが悪い。

女性の問題もそうで、どっかの高校の入試だと、男子と女子の合格の点数が違うとか言う県もあるんでしょ?
同一にしちゃうと、女子ばっかりになっちゃう、みたいな。
だから、そもそも「女には能力がない」なんてのはウソなわけですけどね。
男女同数にしたいから、ってことなんでしょうが、そもそも同数にする必要があるのかどうなのか。
これも最近になって明らかになった話で、それまでは普通にやられてたんだよね。
なんだかそういう形で、女性に不利にしておいて隠匿する、みたいなことはずっと行われてきてるんだよね。

だから、まあもう男社会とか、イジメでもいじめる方が優位、クラスの人気者、みたいなこと自体を壊さなきゃならないんだよね。
そうしないと差別的なことやイジメはなくならないと思うわけで。

でね、ま、こうなると、男サイドも、いじめてるサイドは一言言いたくなるんだよね。
「だって、あいつ気持ち悪いから」とか。
「だって、彼女の方から誘ったんだ」とか。
挙げ句に「ハニートラップだ」とか。

確かにハニートラップを仕掛ける人もいるでしょう。
それはそれで問題だと思いますが、それを全ての問題の解決に持ち込んじゃダメだよね。
それとこれとは話が別じゃん、という。

実際にその当事者になっちゃうと、そういう基本的なコトがわからなくなっちゃうんだろうな。
それもわかる。
そこまで追い詰められたんだよね。
ニュースとかになって、後ろ指さされたりしたかもしれない。
でも、された側はそれ以上に追い詰められてるからね。
そして、そういうマスコミの実名報道の問題とかと、被害者が追い詰められたのも、それも別の話。
そういう意味では加害者も被害者かもしれないが、それはマスコミ報道の被害者であって、レイプにおいては加害者というのは変わらないわけで。

確かにどっかに「被害者にも落ち度があるのでは」というのはある。
オレも考えてしまわないこともない。
被害者の共通項を見いだして、自分は被害者にならないと落ち着きたいのかもしれない。
いじめられないと思い込みたいのかもしれない。

でもな、実際、女性差別や障害者差別のことなんかを考えると、男であり健体者であるオレは差別側に属していると思うんだよ。
だから、自分が何もしてない、被害者にも加害者にもならない、なんてのはやっぱ幻想だよな、とも思う。







(BGM:BEGIN「SLIDIN' SLIPPIN' ROAD」from「音楽旅団」)
→ゴキゲンである。
この辺の感じがビギンの真骨頂かなあ、と思ったりするんだよね。
沖縄の音だけじゃなく、こういうデキシー的なというか、街角で楽器並べて歌ってる感じというか。

理想をぶちたい


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まあ、どうですか。
姫路市長が、姫路獨協大学の卒業式で「自分を三流大学出身だと思っていたら、四流や五流になるかもしれない」と言ったとか言わないとか。
これ、まあ三流大学、のところだけ抜き出すとどうかと思いますが、ちょっと調べてみましたら、たいがい文意を取るとそんなにヘンなことは言ってない。
…と思う。

なんで、別にこの発言をどうこう揚げ足を取ろうという気持ちはないのですが、例としてちょっと取り上げましたけど。

それでもまあ、いろいろ言われたようで、「品格のない言い方をしてしまった」とかって弁解していたようです。
確かにまあ、三流とか四流とかね、まあ居酒屋では言われますけど、そういう格差自体を言うもんじゃない、みたいなことも同時に世の中にはありまして。
いわゆる「建前」みたいなことですね。

三流高校と呼ばずに、底辺校とも呼ばずに、教育困難校という、みたいな。

世の中に出れば「三流か」と言われてしまうのだが、一応、建前としてはそういうことを言うのはやめよう、と。
とはいえ、教育困難校というのもどうかとは思うけど。
でもまあ、実体としてはそうだろうし、三流というよりも、教育困難校といった方が教師側というか、大人側の責任、という感じはする。
その責任は学校や親、大人の社会にあるワケだから。

言葉の言い換えというのは、オレはそんなに悪いことだとは思わなくて。
もちろん、それで直接解決することなんかはそんなにないとは思いますよ。
でも、言葉にはやっぱ「チカラ」があるからね。
「カタワ」とか言ってる間は、やっぱ障害者をバカにする方向にしか社会は向かないと思います。
ま、今は障害者じゃなくて、障碍者とかって言い換えたりもするようですが、碍って文字の意味がちょっとわからないのでなんともはや勉強不足。

しかし、市長ともなれば、建前の権化でなければならない、という気はしていて。
つまり、「ぶっちゃけたトークを公の場ですべきではない」と。
市民に聞こえるところで建前を捨ててしまってはダメだと思っていて。
もし、「建前なんかじゃなくて本音で語れ」とかって言って出てきた言葉が建前じゃなかったら、やっぱダメなんだろうと。
じゃないと、一生懸命「底辺校」という言葉を言い換えようという社会を率先して率いていく政治家としてはダメだろう、と。
底辺校、ということを「言葉のチカラ」として固定しちゃうことになるから。
だから、いくら、何度も「本音は?」と聞かれても、「教育困難校」といわなきゃならないとオレは思います。
政治家とはそういう役目を背負っていると思っています。

それがイヤで、「本音で語りたい」とかって耳ざわりのいい言葉で「建前を言わない」のだとしたら、政治家は政治家を辞めたらいいんです。
別に、どっかのおっさんが居酒屋で言ってる分にはいいんだから。
いいっていうか、そういうもんだから、社会って。
でもまあ、政治家が率先して建前を通すことにおいて、世の中は必ず変わるはずだろう、それは居酒屋にも広がっていくだろう、いつかは、とも思っていますが。

ま、この辺は、こと教育に関してって話ですけどね。
つまり、子ども達のことですよね。

いや、ぶっちゃけちゃえば、世の中には色々あってさ、大人には大人の事情があってさ、だから、お前の世話はできねえんだよ、ってのは、やっぱ成り立たない。
いや、成り立たせてはイケないんだと思う。
確かに、お金の面とかでそういう状況に陥ることもあろうけれど、だとしても、やっぱりそれも大人の社会の「事情」ではあって。
そういうのをどんどんクリアしていかないと、子どもの成長ってのは守れない。

それって結局は建前ではあって。
理想でもあって。
でも、やっぱ大人はやせ我慢して子どもの前では理想をぶたないとダメだとも思ってて。
理想をやらなきゃならないと思ってて。
もちろん、「そんな余裕ない」って人もいると思うけど、一緒になんとか頑張りたいよね。
大人こそ、横で手をつないでなんとかしたいよね。

ま、それも理想。
わかってる。
「あなたは私が夢想家だというかもしれません」です。
イマジン。
バカじゃねえの?って言われるかも知れないけど、子どもにはやっぱオレは理想をぶちたい。
翻って、イチマルは子どもではないけれど、まだまだ「成長の伸びしろがある人間」という意味では、やっぱ理想を言ってやりたい、と思ってて。

しかし、理想を言い続けること、やり続けるのはものすごく骨が折れる。
辛い。
子どもに、「大人の事情もわかってよ」と言ってしまった方が楽。
もちろん、子どもは大人の事情はアタマでは理解するかもしれないが、どっか納得はできない。
できないけど、大人に寄生して、って言い方はどうかと思うけど、そうやって生きていかざるを得ないから、「しょうがない」になる。
一度「しょうがない」をすれば、それはクセになって、それはそのうち「どうせ自分は」になる。

そりゃ四角四面にやれる時ばかりじゃない。
でも、やっぱ教育的観点で言うと、建前は大事だし、ひいては理想は大事。

そういう意味では、上記の市長の発言も問題なんだけど、つまりはこの人は「社会に出る大人相手」という前提で話してはいるんだよね。
社会という、ぶっちゃけた建前なしの社会を喋った、と。
そこの認識の差かな、と思った。
ま、大学を出る人に話したわけだからね。
ちょっとそこは大目に見てもいいような気もしなくもないような感じである気がしなくもない。










(BGM:Jimmy Scott「Embraceable You」from「All The Way」)
→スタンダートジャズということになりますか。
embraceは「抱きしめる」という意味だから、「Embraceable You」というのは、「抱きしめたくなるあなた」という意味か。
声にどっか母性を感じる感じもあったりして、名曲ですね。

自分の意思で抜けられることを忘れてしまう


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まあよく、知的障害の人たちについて、「毎日同じことを繰り返している方が安定する」みたいなことが言われたりします。
ま、そりゃそうだろうかな、と思います。
毎日同じことであれば「考えなくて済む」からです。
そもそも考えることが苦手な彼らにとっては、「考えなくて済む」のは渡りに船、というところはあるのではないかと推理できます。

けれども、考えなくて済む、というのは、確実に彼らの苦手な「考える」ということを彼らから遠ざけてしまうとも経験上思います。
そうなると、人生の様々な場面で考えることをやめてしまう。
子どもの頃に好きだったアニメを繰り返し見る、という毎日になったりします。
残念ながら実際にそういうことはある。

たいがい、子どもの頃に好きだったアニメを卒業する時があって、興味が広がって、人生の幅が出来ていく。
けれども、「考えない」というのは、そのアニメの枠にはめるような意味合いもあって、つまりは彼らの人生は広がっていかない。

広がらないという絶望は、彼らを腐らせる。
これは何も知的障害者だからじゃない。
誰だって、毎日同じことを繰り返すだけだとしたら、それはある意味「拷問」とも言える。
知的障害者である彼らだけがその拷問を快楽にしていると考えるのなら、それはそもそも彼らを見誤っているように思う。
彼らはエイリアンではない。

というわけで、ウチでは「毎日同じ作業」ということはない。
とはいえ、「いくつもの作業が同時並行している」という感じか。
だから、その日、その中の何をやるかは決まっていない。
ABCが同時並行しているとすれば、Bを一人がずっとやることはない。
人によっては、今日はB、明日はA、という感じになる。
もちろん、まったく普段にはない作業というのも時にはあって、それは例えばイベントの準備だったりなんだったり。
それはまあ新規のことになる。

たいがい、例えばにじ屋だったらにじ屋で、やらねばならないことは決まっている。
だから、それを一人の人が担当して、という考え方はないわけじゃない。
けれども、まあ「毎日同じことを繰り返さない」ということを基本に考えている。
だから、そうやって同じ作業を違う人がやる、といったような感じで毎日を進めている。
その方が、彼らの「考えない」を遠ざけられるのではないか、と思っている。
休みもたいがいはフレキシブルに週ごとに変わる。
いわゆる「休み表」と我々が言ってる「シフト表」を元に勤務が決まっている。

イチマルなんかは他の作業所?のようなところから来たわけだけれど、どうしても「毎日同じ」が変えられない。
もちろん、彼は今や「毎日同じ」じゃなくても普通に過ごしている。
変えられない、というのは、自分の毎日がもう同じじゃないのに、「俺たちは毎日が同じであるという認識」がなかなか変えられない、というか。

まあ、先ほど休みは毎週変わると書いたが、カイに関してはたいがい決まっている。
というのも、カイは休みであっても誰かが一緒でなければならないから。
つまりそうやってカイの休みに付き合う人を手配しているからで、その曜日はだいたい決まっている。
が、イベントなんかがあった場合はその限りではない。
そうなると、イチマルは「カイ、お前、今日は○曜日だから休みじゃないよ!」という具合に、だ。
「いつも○曜日に休みなんだから」という。

だから、できればできるだけ休みの日は動かしたい、と思ってその「休み表」と言うのを作ってるんだけど。
つまり、「毎日同じではないんだよ」というメッセージを伝えたいから。

そのイチマル、「ああ、今日はアド街がないから楽だ~」といったりするというから、まあなんだかわからない。
アド街というのはテレビ番組で、毎週イチマルは楽しみに見ているのかと思いきや、まああの番組の話をみんなでよくしていたりもするから。
けど、まあ「見なければならない」もある意味苦痛なのか、なんでそう自分を追い詰めておるのだ…、という感じもした。

イチマルだけじゃない。
人はどうしても、「同じことを繰りかえす」ということに自分で気づかないことがある。
「毎日同じなんかイヤだ」と思いながらも、どっか「同じこと」から抜け出せないということがある。

ネットの事務所は寒いと水道が凍ってしまう。
外の洗濯機の水道ならまだしも、ヒドい時は中の水道が凍ってしまう。
というのも、基本バラック小屋だから、水道管が外を通っているのである。
そうなると、朝ご飯の鍋の水が入れられない、ということになる。
朝ご飯は鍋の汁とご飯、という形なので、どうしても水道には通って欲しい。
野菜、汁の中身については先日に切ってある(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5787.html)。

こうなると、「朝ご飯ダメか」となってしまう感じに陥ってしまうのだが、よくよく考えれば、その汁の具を炒めれば済む話である。
大事なことは、朝ご飯を準備することで、汁を準備することじゃない。

でも、毎日汁を作っていると、どうしたって、「汁を作らねばならない」になってしまう。
だから「汁が作れない」で、困ってしまう。
けれども、よく考えれば、使命は朝ご飯を作る、である。
毎日同じである必要はない。

毎日同じというのは、ある意味楽かもしれないが、「そこから自分の意思で抜けられる」ということがセットでなければならないのだと思う。
とはいえ、毎日同じことをしていると、「自分の意思で抜けられる」ことすら忘れてしまうことがある、って話でした。






(BGM:青木まり「新しい暴力」from「SLEEPY SEEDS」)
→さびに「新しい暴力」という言葉が出てくるけど、「暴力」の部分がなかなかわかりづらい発音になっていてかっこよさに拍車がかかる。
不勉強でこの方をよく聞いたことがなかったんだけど、この吐き捨てるボーカルスタイルはとても好きなタイプ。

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