FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - 1 2 3 45
6 7 8 9 10 1112
13 14 15 16 17 1819
20 21 22 23 24 2526
27 28 29 30 31 - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

金さえあれば


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



先日、同じ市内で、まあにじ屋みたいな感じといっていいのかな、障害者が働く、という感じのレストランが閉めます、と。
閉まっちゃうなら行っておかなきゃ、と思ったら、もう我々が情報を入手した時には閉めた後らしく。
事後整理をしています、みたいな感じだったんだけど。

俺自身はあまり直接は存じ上げなかったんだけど、アキとか市丸とかはいろいろお付き合いがあったようで。
とりあえずその辺で駆けつけて。

なんか、クッキーの販売とかもしてたらしいんだけど、まあそういうウチみたいなところ(障害者の団体でクッキーを作って売る、みたいな)けっこうありますけど、どこもやっぱ出張販売ができなくなっちゃって、という感じらしい。
例えば、「○○まつり」みたいなの。
市でやってるやつとかもあるし、そうじゃないのもあるけれど、そういうのに出張販売させてもらって、ずいぶんそういうところで稼いでいたらしいけれど、それがやっぱもう「今年は難しい」ってなっちゃってる、と。

そうだよなあ…。

非常事態宣言が解除されたからって、コロナの脅威が去ったわけじゃないし、これを書いているのは6・24なんだけど、この日東京はまた55人の新規感染者が明らかになったりしてますよ。
つまりは、何も終わってないわけで。

「新しい日常」なんていうけど、そういうことを強いられたって、販路がなくなっちゃえば一気に終わっちゃうわけだ。
新しい日常、じゃなくて、「販路なき日常」って感じだよね、現実的に言ったら。

食べ物関係はやっぱ「みず物」だから、回転していかなかったらどうしようもないよな…。
そのレストランも、結局コロナで店は閉めていたらしいんだけど、それでもう立ち行かなくなった、と。
まあこれで再スタートできればいいけど、出張販売も今年一年見込みがない、みたいなことになってしまうことが明らかになって、もう駄目だ、となったらしい。

十万円を払ってもらったって、県の休業補償20万円もらったところで、なんにもならない…。
再スタートできる体力には足らなすぎる。

そりゃそうだよな…。
非常事態宣言が終わって、東京アラー都?が終わったって、コロナは終わってないし、厳しい状況はまったくもって変わらない。
新しい日常、とかって誤魔化そうとしてるとしか思えない。

ウイズコロナ、じゃねよ…。

俺らは普段モノを作る仕事じゃないから、ちょっとわからなかったけど、やっぱ「○○まつり」までに200個みんなで頑張って作ろう!みたいなことがすごいモチベーションだったりしたらしく。
それがなくなってしまうというのも、なんだかとても苦しいなあ、と。

まあ、確かにどこも苦しい。
だから同時に、ウチのような、ここのような、障害者云々のところだって苦しくなる。
そりゃそうなんだけど。

でも、なんかみんなで救われる方法ってないんだろうかな。
今、同じ状況に陥ってるんだから、障害者も障害者じゃない、もないじゃない。
不利に陥ってるのはみんな同じ。
今、すごい手をつなげるチャンスなのかもしれないけど、まあなかなかこの格差が広がってる状況下、より貧しい人を叩いて喜ぶような風潮になっちゃってるからな。

ここで、いい方に転びたいがな。

まあ、ウチとか、このレストランとかが潰れたところで、巨大繊維会社が潰れるほどには社会に影響がないのかもしれない。
でも、怪我をしてレギュラーで働けないような状況になった時、ウチみたいなところとか、このレストランとかはあった方がいいと思うんだがな…。
社会にどんどん「余分」がなくなっていくのは、自分が今と違う状況に陥った時にかならず困ると思うんだ。

自分が困った状況に陥った時に救ってもらえる状況を、困った状況じゃない時にしっかり考えられるといいんだけど、人って、困ってないとそういう想像力を捨てちゃいがち。
「俺はホームレスにならない」という自信がどこからくるのか、俺にはそもそもよくわからない。

まあ、でも他人事じゃない。
ウチも大変な状況は変わってない。
にじ屋がもっと売り上げが上がればいいが、これはみなさんに来てもらうしかないけど、あとはやっぱ、基本的な部分で、「障害者が働ける場所」という考え方をもっと社会の中に「必要なもの」として位置付けていけるような活動を展開できるように頑張っていかなきゃいけないな、と思います。

でも、やっぱ悔しいね。
金さえあれば、なんだよね。

中抜きさせるんだったら、俺らにさせてくんねえかな安倍さん。





書店員

車募集

(BGM:Mr. President「Side To Side」from「We See The Same Sun」)
→いや、上がるねえ。
なんていうんだろう、このジャンルは。
レゲでもないんでしょ。
ま、ファンクいうたらファンクではあるんだけど。
フロアーを上げようとしてちゃんとフロアーを上げられる音楽だなあ。
すごいなあ。
スポンサーサイト



恐れおののくは俺たちじゃない


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg


ツイッターとかで政治的なことを発言した芸能人とかに、まあバッシングする人が多いわけですけど。
きゃりーぱむぱむですか、なんですか、言えませんけど←書けはするだろ!。

ま、どうなんですかね。
政治に興味がなかったとして、よくわからなかったとして、でもちょっとでも政治的なことに興味を持って、ちょっとでもそのことを読んだりして発言したとしたら、「いや、よく気づいたね」と褒めてやりたいと思うのが人情かと思うが、責める、という。

つまりは、その内容だったり、ではないんだよね。
「芸能人風情が!」ってことなんだな。
これはまあ、同時に「女風情が!」とか。
同じですけど、そういう感情で責めてるんでしょうね。

そういう人たちにとって、政治的なこと、というのが、どっか「特権的なこと」なんでしょうかね。
一部の偉い人が発言するモノだよ、みたいな。
で、オレは発言するね、偉い人だから、みたいな。
「そこに入ってくんなよ、芸能人風情が!、女風情が!」てことなんですかね。


JRの駅無人化の件がなぜか今ごろ記事になって。
あれは2月の頭に取材されたモノだから、ずいぶん前なんだけど、結局コロナで話し合いも流れたままなんだけどさ。
コメント欄もひどいもんで。
でもまあ、ピントずれてるし、こういう反応はしょうがないかな、とは思っていたんですよ。

「障害者は電車に乗る前の日に電話しろ、障害者なんだから!」という意見は、そもそも我々の主張とは相容れないし、相容れないから、例えば「何で障害者だったら、いや、事故とかで障害者になったら前の日に電話しなきゃならないんですか?」という風にふったところで、おそらくその理由は出てこないんですよね。
「障害者だから」というだけで。

これ、まあ冒頭の「芸能人風情が!」と同じで、「障害者風情が!」ってことなんでしょう。
そこに理由がないから、差別、っていうんですけど、そのことも伝わらないので話にならないですね。

まあ、そもそも我々はJRに対する気はなくて、ノーマライゼーション条例を掲げる市に対していこうと思ってるだけで、つまりは、条例をしっかり実行してください、と。
実行できないのなら、条例をやめちゃって、という話で。
そのあたりもまあ記事で伝わってるのかどうなのか、よくわかりませんけれど、まあどっちにしても、障害者が主張をし、健体者と同じように権利を行使しようとすると、まあ「反発を受ける」という流れは、今確実にありますね。

芸能人が政治の発言をする、というのは、まあ、芸能人も大人ですからね。
あ、子どもの芸能人もいるか。
それはそうとして、大人として、政治に声を上げるのは有権者としては当たり前の行為なんだけど、それをやると、まあ「芸能人風情が!」って言わなきゃ気が済まないんでしょうね。
あ、子どもも思ったらいっていいと思いますよ。
大人、有権者は声を上げるのが義務だとオレは思いますが、子どもにはその義務はないが権利はあると思います。


夫婦別姓も同じようなもんで、「奥さん」が主体になるようなことはイヤなんでしょ。
「奥にいろ!」と。
「男であるオレと同じように主体として生きるんじゃない!オレの奥にいろ」という話でしょう。
だって、選択制でもいいじゃない、という意見に反対するって意味わからないですよ。
選択の幅を広げよう、という話に反対する意味がわからない。
普通は、選択を広げよう、って誰だって思うわけでしょう。


弱い立場の人たち、というか、そう「思い込んでいる人たちにとっての弱い立場の人」が、立場を逆転しよう、いや、逆転じゃないな、「あなたと肩を並べよう」とするだけで、怒り出す、責め出すわけですよ、結局。
障害者や女性、だけじゃなく、生活保護受給者、いわゆる貧乏だったり、出身地だったり、ゲイの人たちだったり、まあとにかく「黙ってろ」と。
黙って、オレたちがやるおこぼれでおとなしく感謝して暮らしてろ、ってことなんでしょう。
そうしてるなら怒らないが、「おこぼれは違うでしょ…」と言い始めると怒り出す。

ま、丁寧にわかったようなことを言ってる人でもこういう人はいます。
「奥さんが手の上でいろんなことやってる分にはいいが、それを超えようとすると怒り出す旦那」というの、よくあるんでしょ?。
出かけてばっかり、「奥さん」の方が友達が多くて毎日出かけている、仕事的に彼女の方が活躍している、なんてことになると、たいがいむっつり「出かけてもいいが夕飯は作れ」とか言い出す感じ。

ま、よくある話かと思いますが、それも底ではつながってるんですよね。
他人を配下においておきたい、手の上に置いておきたい、その中では自由にやらせるけど、「出ようとするなよ」っていう。


社会は逆転をどれだけ怖がってるんだろうか、って思いますね。
そう考えると、どっか逆転をもくろむ俺らの方が気楽でいいや、って気がします。

どっかで「プロレタリアートは鎖以外に失うべきなにものも持たない」ってのを聞いたことがありますが、まあそうよね。
元々失うべきモノがないんだから。
恐れおののくのは俺たちじゃなくて、逆転を怖がる人たちなんだろうな、と思います。


(5/13記)






(BGM:痛郎「午前四時」from「No Title」)
→午前四時というバンドあったよなそういえば。
この人達は見たことがないし、でもZKサンプラーに入っていたトラックで気になっていて。
最近また復活したとかで、このCDが出された感じか。
曲はドラマチック。
この曲のラストの方、なんでしょう、もっと音を重ねたらすごいことになったんだろうな、と思うけど、でもこのくらいの感じがちょうどいい。
やり過ぎは引く。

社会的弱者であることを固定化しない★明日の集会、来てね!


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



例えばライブをやってて思うのは、本質的なところで、我々が下に出ちゃダメだと思ってるんですね。
「ありがとう」はまあ普通の言葉としては言うけど、「こんな障害をもった人たちのライブを聴いてくれてありがとうございます」みたいな意味合いでは絶対に言っちゃいけないし、そう聞こえてしまうことについてはものすごく気をつけなきゃいけないと思ってる。

弱者が弱者であることをウチのバンドが描いてしまったら、やっぱりそれは失敗だと思うんだよね。

おそらく、今回の越谷のライブでも、「自分たちは障害者である」みたいなこととか、いや、そもそも「障害者」ってワードは誰も言ってないと思う。
それは自然にそうなっただけで、意図があってそうしてるわけではないんだけど、そうなっていた、というか。

ま、障害者だと言うことが「弱者である」ことを表現してることにはならないので、時と場合にはよると思う。
注意して使わないとならないな、とは思っている。


なぜ24TVが醜悪だと思うか、というのは、つまりはあれは「弱者ががんばっている」ということを描き出しているからだ。
「弱者」を、弱者のママエンタメとして、TVとして表現してしまうのは、それはつまりは、チャリティを強要することであって、それは為政者としては都合がいい。

そもそも人は、弱者ががんばる物語は好きなのだ。
それを見て涙したい。
けれども、それはあくまで自分の人生の外の物語であって、内なる問題ではない。
それだからこそ、チャリティの対象となり得るのである。

弱者は弱者でいるからこそ、階層が成り立つ。
階層が成り立たなければ、富裕層は存在できない。
だから、弱者を弱者として固定する物語は、俺は生理的に受け付けない。

けれども、その弱者が力を持つ物語、簡単に言うと、反撃の何かを感じさせてくれる表現だと、俺は一気に好きになる。

世の中が、為政者が一番困るのは、一番イヤなのは、「弱者が力を持つ」という図式だろう。
そういうことは彼らは避けたい。
だから逆に言えば、24TVなどは安心してみていられるのだろう。
そういう人が危機感を持つような、眉をひそめるようなことを「しでかさないと」意味がないんじゃないか、と俺は思っている。


簡単に、例えばバンドで言えば、「とにかく一般の人、24TVを安心して感動できる人」、つまりは多くの、8割方のみなさんが、どっかに眉をひそめてもらいたい、と思っている。
それは音楽のデキとかではなく、衣装や小芝居含め、表現全体の話だ。
眉をひそめるというと大げさだけど、「こんなの見たことない」みたいなことは思ってもらえるようなことをしなきゃならないと思っている。

それがうまくいかなければ、やっぱり我々も24TVと同じモノになってしまう。
それは弱者の固定化になってしまうのだから、我々の望むところではない。


つまり、市丸たちが力を持つ、というのが、もっとも大事なコトなのである。
というか、「集団になる」というか。
一人一人にはチカラはなくてもいいんだけど、それがまとまる、みたいな感じか。
それをどう表現するか、ってコトだと思う。
そこを例えばお客さんを巻き込んで、みたいなことができれば、素晴らしい、というか。

そこには難しいことが必要なわけじゃなくて、とにかくなんでもいい。
デモでもストでも、暴動でも、為政者がイヤがることの発端は、なにも難しい話から始まるわけじゃない。
社会問題、障害者問題、貧困の問題、そんなことがわかっていようがいなかろうが、暴動は起きる。

なにも暴動を起こすのが目的ではないが、弱者が為政者の脅威になる、という意味で、例えば、ということであるということを念頭に置いて書いている。

市丸や井上達、そしてそれを取り巻く俺たちが、この弱者を固定化する社会を脅かさなければ意味がない。
バンドにしても、なんかのイベントにしても、そもそものにじ屋だって、「すいません」「おありがとうございます」と言っていたのではやっぱりそれは弱者としての自身の固定化にしかならない。


道を車いすでも堂々と歩く。
歩くだけのことで、すいません、とアタマを下げなきゃいけないという必要はどこにもない。
少なくとも、車いすを使っていない俺は歩くだけで「すいません」とは言わない。

今回の、JRに関するイベントについても、「車いすだから前日に電話するくらいいいじゃないか」という意見もあろう。
つまりそれは「弱者の固定化」の流れの中にある思想なのだけれど、それを許してしまえば、世の中は何もかわらない。

社会的弱者、という自身を、その存在に貶めたままにしておかない。
それは、「みんなで協力すればいい」みたいなチャリティ、という「優しい仮面」をかぶってくる世の中を拒否することでもあって、なかなかに難しいことではある。
善意を否定するのは難しい。

けれども、それをしなければ、いつまで経っても自由に外を歩くこと、移動することは難しいままである。

それでは何も解決はしないのである。




駅無人化小

駅無人化大

バレンタインSNS用画像

(BGM:青ジャージ「われちゃったもの」from「夜間徘徊助長演奏会 Vol.2」)
→このオルガンは好き。
キーボードってなかなか難しいというか、アレンジの問題というか、すごいセンスが出ちゃうと思うんだけど、これはカッコイイ。
ジャージというより、ジャジーか。

進歩


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



佐藤先生が本を出して。
ま、ウチの機関紙に書いていた連載を再編集したというか、そういうものなわけですが。
現代書館から発売されていますので、みなさん買って読んでください(http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-3566-3.htm)。

井上達の訓練、というか勉強も見てもらってることもあって、彼らのコトもたくさん書かれています。

佐藤先生、まあ俺のオヤジになりますが、けっこうなんだかんだこの業界?では高名な方と言うことになります。
江戸川養護学校で最初の頃から教師。
ずっと江戸川にいて、教頭になって異動、その後校長になって異動しましたか。

小さい頃から家にはいない父親で、例えば休みの日、日曜日とかでもあちこちに訓練に行ったり、家庭訪問してみたり、そういうことをしていたようです。
いわゆる熱血教師、という感じか。

休みの日には、よく江戸川養護にも行きました。
なにせ、どこかに遊びに行く、などということはまったくありませんでしたから、ウチは。
行くとしたら江戸川養護か、その近くの施設とかに一緒に行ったりしてました。
仙台の施設内学校の教師だったこともあって、その施設にいたけれど、その後東京に出てきた人たちが集まっての飲み会とかにもよく連れて行かれました。
ウチにもみなさんよく来ていたけれど、まあそういう感じで。

レジャーだとか、家族旅行とか、そういうのには一切無関係のママ子ども時代を過ごしました。

ま、そのこと自体をどうこう思ったコトもなかったし、自分はけっこう一人でいるのも楽しかったし、まあそういうところに行くと、例えば若い先生なんかが相手してくれたりするんですよね。
そういうのもあったんで、別に「どっか行けない」とかで不満を持ったことはなかった。
というか、それが普通だったし。

夏休みはずっとオヤジとオフクロが宮城なんで、そこに行ってたり、従姉妹のところとかにずっといましたね。
今考えると、まあ小学生入ってすぐくらいで、東京駅まで親に送ってもらって新幹線に乗せてもらって、大阪で従姉妹のおばちゃんが待ってる、というようなこともありました。
あの頃はよかったですね。
指定席だから、その隣のオジサン、ってのがいるわけだけれど、その人に「1人で行くんですよろしくお願いします」ってオフクロが言ってたのを覚えています。

ま、オフクロも保育園に勤めてましたし。
夏休みとかはたいへんだったんじゃないですかね。
でもまあ、近所の保育園だったので、昼とかは行ってましたね。

なんかそんな感じで。
いい時代というか、そういうコトでもあったと思います。
近所の人たちもよく知ってたし、よく上がり込んでお菓子とかもらってたし。


ま、それはいいんですけど。

で、その本。
オヤジとしては、自分に関わりのある方にずいぶん贈ったらしいんです。
校長仲間、一緒にいろいろ研究会をやっていた仲間、昔行って他施設の職員の方、卒業しても訓練を続けていた子の親、などなどに、ずいぶんと贈ったらしく。

で、それを読んだ方から、提供品をあげたい、とずいぶん言われるようになりました。
先日は栃木まで行ってきたりもしました。
自力で持ってきてもらえる方の中には、持ってきて下さった方もいました。


オヤジの世代からすると、ウチの「ハチャメチャさ」というのは、どっか憧れというのがあるようで。
つまりは、まあそれは教師から見た観点だったり、当時の施設の運営とか、そういうコトの観点なワケですが。

そもそも、俺たちが相手をしているのは大人の井上であって、子どもではないわけです。
だから、酒を飲もうか、という時もあります。
彼らに道徳を強いるよりは、「もっと不道徳でいい」という雰囲気もあります。
金髪にしたいと言われれば、ブリーチもしてやります。

ノブがオグラに技をかけていて、それを見ていたコウヘイが参戦する。
おいおい、とまわりが笑ったりする。
彼らには彼らなりに関係があって、仲間同士、という思いが非常に強かったりもする。
だから、俺たちが入れない(入らない)場面も多い。

どっかに行きたい、といわれれば、まあ付き合ったりもします。
そして、インターネットで調べて、あそこにも行きたい、どこにも行きたい、とその要求は広がっている。
時に、映画なんかは、もう何度も一緒に行ってきたからというのもあるけど、彼らだけで行ったりしてる。

その中で、また「アイツとはいかない」とか、「あいつは誘わないからな!」とか、紛争の火種ができる。
それは俺はすごいいいことだと思ってて、「みんなと仲良くしなさい」などと言うコトは言わない。
だって、嫌いなもの、好きになれって言ったってムダです。
嫌いだからこそ、好きになる可能性はある、と俺は思うから。

オグラがここに来たばかりの頃、前にいた施設の同室の人の名前が一つも出てこなかったんだけど、そういうのは一番どうしようもない。
問題は起きないし、紛争の火種もないが、そんなのは人じゃない。
人の生きる環境だとは思えない。

人はグレーである。
だから、面白いし、イヤなこともあるけど、だから楽しいこともある。

それがもし、平坦だったら、そりゃ問題は起きない分、こっちは助かるけれど、でも、それでいいんだろうか?って俺は思う。

ケンカ、いいじゃない。
裏でこそこそいじめるよりずっといい。
最後はまあ、入ってジャッヂしてやんなきゃならんけど、それでも、いいじゃない。
なんか青春みたいで。


俺は、時代と共に、市丸たちに対する福祉のなんたらも変わらなきゃいけないと思っている。
進歩しなきゃいけない。
保護だったモノ、彼らが保護の対象だった時代から、主体へと成長していかなきゃいけない。
おそらくオヤジの世代は、この障害者福祉だったり障害児教育だったりの創世記の人たちだ。
それと同じことをまだやってるとしたら、やっぱそれは違う。

だから、先人達に「こういうのやりたかったんだよ」と言われるのは、とても嬉しいし、そうじゃなきゃいけない。
俺たちの時代に生きるモノの責任だと思う。

俺が、あのオヤジの若かった頃と同じコトをしていたんでは、やっぱダメなんだ。
急速に変わる世の中の中で、俺たちも進歩しなきゃいけない。
あの頃、先人のみなさんができなかったことをやれなかったとしたら、それこそ彼らに失礼だ。







momijilitt.jpg

にじ屋初売り2020白黒ミニ

01_20191209110145666.jpg

jr.jpg

(BGM:THEATRE BROOK「何 ?」from「外道TRIBUTE [ゲゲゲの外道讃歌]」)
→これはスパイダースへの皮肉の曲なんだろうかね。
どう聞いても「とぼけた顔して~」ですね。
こういう曲好きだなあ。
そしてそれをトリビュートでやってくれるシアターブルックさん好き。

バランスなんかホントはどうでもいいんだけど


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



バランスってのは大事ですね。
人同士の関係とかのバランス。
とはいえ、バランスにばかり気を取られて自分の意思を表明できない、みたいなことになってしまうのは本末転倒的な気もしますね。
いわゆる「空気を読む」ってのも、バランスの一つなんでしょうが、あまり空気を読むというのはそもそも好きじゃないです。

とはいえ、空気を読まずに、バランスを崩してでも自分の言いたいことを言う、ってのはものすごく勇気がいるし、難しいことですね。
なかなか出来る事じゃない。


例えば、今の生活が端から見たらとても不安定で、DVを受けているとかだったとしても、そこにはそれなりのバランスがあって。
「私が我慢すれば」みたいな。
それをまあ「我慢しなくていいんだよ」というのは、そのバランス自体は崩れるからなかなか受け入れてもらえなかったりします。

そんな生活続けていたら身体壊すよ、とか。
いつか辛くなっちゃうよ、とか。
まあ、いろいろありますけど、端から見てたら。

でもまあ、それはそれでバランス取れてたりもして。
そうなると、なかなか忠告とかは受け入れてもらえない。

ま、つまりは「犠牲」ってことなんでしょうね。
犠牲がどっかにあって、それによってバランスが取れている、みたいな。
で、まあ「そんな犠牲になることないよ」みたいなことを、回りとしては言いたくなる。
でも、犠牲になってることでバランスは取れちゃってるから、なかなか踏み出すことが難しい。


知的障害の子がいたとして、まあ毎日作業所に通っているし、その作業所で何があるわけでもないし、毎日は同じで、毎日16時には家に帰ってくる、と。
その子にとって、そういう生活が十年も、二十年もこの先続く、というのは、おそらく希望もへったくれも持てないとは思いますが、本人はそれでもおとなしく行ってくれるし、その間に家族は買い物にも行けるし、帰ってきたら子どもの頃から好きだった魔女の宅急便のビデオを見せておけばおとなしい。
知的障害者の人はそういう生活をしていたりということをよく聞きます。
そして、そうやって子どもの面倒をみるということがあって、いい感じで夫婦の距離感も保てる。
それに、子どもの作業所の親の集まりやなんやで、それなりにやりがいも持てている。

こうなると、まあ例えばその子のために何が必要なんだろうか、とか、なんだとか表面上は考えるけれど、今のバランスを崩す気持ちにはなれなかったりする。

ま、よくある光景のような気がします。


とあるお母さんは、「子どもが自立なんかしちゃったら、私ウチで一人になっちゃうじゃないですか」とか言われたことがあります。
一人暮らしを勧めたときに、言われた言葉です。
家ではどうにも大声を出して云々、みたいなことがあったので、市丸達のようにこっちで親と離れて暮らしてみますか?と言ったときにこう言われたんです。
あ、もちろん、お父さんもご健在でした。
息子がいなくなっても一人じゃないと思うんですけどね。
そういうことじゃないんでしょう。

ま、つまりバランスなんでしょうね。
お母さんと旦那さんとその子の三人暮らしの中で、彼がいてくれた方が上手くバランスがとれるのでしょう。
その子のためになるかどうか、その子の将来は?ということは、そのバランスのために何も考えてもらえない、という感じでしたね。


それでもまあ、今の障害者を取り巻く現状はあくまで親が主体ですから。
親がそういえば、まあそうなっちゃうんですよね。
福祉事務所だって、親の言い分を受け入れるしかない、と言います。
「どう考えても、親の判断が間違っている」と思っても、それをひっくり返せないのだ、と。

大きく考えれば、それも社会のバランスなんでしょう。
そうしないと、障害者本人を社会が受け止めなきゃならなくなりますから。
それは嫌なんだよね、社会のみなさんは。
いいことをいい、優しくもするけれど、責任は取りたくない。
いい感じで24時間テレビとかで感動をもらえればそのくらいでちょうどイイ、みたいな。
遠くから観ていたい、みたいな。

そのくらいの距離感でいることが、社会が障害者に優しくしてくれる条件、みたいな感じというか。
親が責任持ってくれますよね、ということが前提で、という。
そういうバランスがとれている、というか。


別の角度から言いますと、そりゃ市丸なんかとネイクドで付き合ったら、そりゃ嫌な思い、すごくしますよ。
イライラもする。
長年一緒にいる我々ですらイライラしますから。
もちろん、すべての知的障害者がそうだとは言わないですが、そういう人もいるって話ね。
だから、じゃあまあ嫌えばいいんだけど、それでも「障害者だから」「優しくしなきゃいけないから」という呪縛があるからね。
それ、なかなか難しい。
そういうバランスで世の中は進んでいる。
我々はまあ、嫌い、と言えますけど、他から来た人がそういうのは難しいと思います。

だからまあ、世の中がいう「バランス」じゃなくて、「いいところ」でバランス取りましょう、というか。
大元の部分がそういうバランスで出来ているのだから、まあ個々にもそうなっちゃいがちですから。
そんな風に思ったりする、という話です。


そんなわけで、今晩は四谷アウトブレイクでライブです。
来て、市丸にイライラしてください。
お待ちしております。







佐藤店長生誕祭小

(BGM:1910 Fruitgum Company「Bubblegum World」fromYOUTUBE)
→ま、このイントロ、日本人なら全員知ってるアレなんだけど。
ぜひYOUTUBEで検索して聞いてみて下さい。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE