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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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専従募集


結構前になりますか、カブキが以前に使っていたガイドヘルプ事業所の話をしていて。
まあ、どうも男性のヘルパーが女性であるカブキのトイレ介助をしていたらしいから話にならない感じはあるんだが。


そもそも、彼女のその当時のガイドヘルプの使い方は、とにかく「時間つぶし」である。
「どっかに行きたい」「行かねばならない」が先にあるわけじゃない。
主に、「時間がある」「親はもう限界」「どっか連れてってやって」「じゃあまあディズニーランドでも」という流れである。
そのおかげで、カブキは年に何度も何度もディズニーランドに行っていたようで。
ま、ディズニーランドはバリアフリーって感じだしね。
現実的に、逆に近所の公園の方が、暇つぶしには難しかったりする。

つまり、腹が減ったと言って、フルコースを与えておけばいい、っていう発想で。
その空腹を「どう埋めるか」ということを、本人に考えさせる気はない、というか。

ま、なんか、王様が何もかにも与えられて、みんなはうらやむけど、結局王様は町の子どもたちと遊ぶのが楽しい、みたいな感じの話って感じね。
結局、自分たちで作り出した遊びの方が楽しい、っていうか。


ま、それはもういい。
たいがい、今のガイドヘルプはそうなっちゃってるから。
制度が充実して、「どこかに行かねばならないから、ガイドヘルプを使う」ということではなくなってきてる。
いや、悪いことじゃないんだよね。
昔は、通院のみ!とかの規定があったりしたわけだから。
それは確かにおかしいもんね。

とはいえ、つまり、ハードがあっても、中身がマッタクついてきてないのよね。
豊かな余暇、とか、「遊び」とか、そういう感じの論議は深まっているとは言えない。
というか、そもそも余暇って、なにかやるべきことがあって、その「お休みの日」って意味であって、そういうときに、豊かに過ごすためにガイドヘルプを使おう、とか、そういうことにはなかなかなってない。

いや、なってる例もたくさんあるのは承知ですが、いや、でもやっぱなんだかんだ「ディズニーランドに年に10回は行ってる」って話になっていたりするわな、というのが、この業界にいる経験的な肌感覚。


ま、そこはいい。
今回書こうとしてるのは、そこじゃなくて。


カブキが「○○に行った」「▲▲に行った」って話を続けていたんだけど、それがどうも「狩り」が多くて。
ぶどうだとか、さくらんぼ?だとか、まあそういう。

でも、カブキは車いすで、手もちょっと狩るにはきつい感じ。
狩る楽しみが堪能できるとは思えない。
とはいえ、まあ食べられるからそこはいいけど。

なんでかなあ、と思っていたら、「ガイドヘルパーさんの奥さんが○○園だったからよ」とカブキ。
つまり、奥さんのやってる狩り園に行っていた、みたいな話らしい。

カブキ曰く、「値引きしてくれたし」みたいなことらしいけど、ふむ…。


ま、実際問題、その方がいろいろと車イスとかの便宜を図ってくれるだろう、とかのことはありますから、一方的にどうこう言うべきでもないですが、まあ、簡単にいうと、やっぱこれ利権の構造ではありまして。

ヘルパー、いわゆる福祉産業を認めるかどうか、みたいな時代があって、いや、もう今や企業が福祉やってますけどね。
いや、実際に企業活動と福祉は相容れないんですよね。

福祉は権利だし、そもそもマニュアル化できない個々対応が基本。
ちゃんとやったら金にはならないんです。

なのに、なぜ、企業は福祉に参入しようとしたか?
答えは、何も福祉をやりたい、というわけじゃなく、自社製品を売りたかった、というね。

つまり、ヘルパーになっておじいちゃんの家とか、まあ、行きますよね。
そうすると、冷蔵庫が壊れたりするのがわかる。
そうした時に、自分の会社の冷蔵庫を売れるでしょう?
たいがい、ヘルパーさんということに対するイメージは、「お世話してくれる人」だから、そういう人が「勧めてくれる」ものは断れないでしょう。

つまり、家に入り込めるセールスマン、なんですよね。
しかも、買い手が「断りにくい関係性を持ったセールスマン」。
100%に近い確率で売れます。

例として冷蔵庫を出しましたが、家電だけじゃなく、配食サービス、携帯電話、洋服、もう何もかにも、これで売れる。


つまりね、福祉に企業が参入した理由は、福祉を必要とする人のためを思った理由ではないんですよね。
必要とする人を食いものにしたい人のためを思った、という方がしっくりきます。

その結果が、福祉を必要としてる人のためにならないことくらい、誰にでもわかることですね。


ま、こういう歴史を考えるに、こういうカブキの話は、どっかやっぱり「あれ?」という感じで疑問符が付きますね。
状況がわからないので、どうこう、って断ずることはできませんが、そういう「企業と福祉の関係の歴史」をしっかりと考察はしてないのだろうな、ということはわかります。








(BGM:アパッチ「宇宙人ワナワナ」fromYOUTUBE)
→コスモス一の札付きだけど、女にすれば、ダンディスター。
…だめんず道、宇宙へ!
テレパシーロマン!
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異性介助はありかなしかといわれれば、ナシ。


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専従募集

先日の異性介助について、の勉強会(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4387.html)のことを機関紙に書きました。
俺の原稿と加納さんの原稿を転載したいと思います。

この日は、もうやっぱりその後25時くらいまで飲んでて、今後ですね、時計を見ながら飲みたいと思いました。
でも、すごく楽しかったんだ、俺としては。


【まず俺の】

異性介助はありかなしか、ということでいえば、ないと思います。

現実的に考えて、女性の障害者が、例えば加納さんが男のヘルパーに下の世話をされる、というのは、やっぱりあり得ない。
だから、まあ女性である加納さんの介助職員は、やっぱり女性を募集する必要があります。

けれど今、介助職員を募集するのに、例えばバイト情報誌を使おう、となった場合、「男子介助職員募集」「女子介助職員募集」という風に、書きにくくなっています。
というか、雑誌によっては、載せられない、と言われます。
「男、女」が引っかかるのだそうです。

男女雇用機会均等、というのはわかります。
保母さん、だったのが、保育士、になり、看護婦さんが看護士さん、になりました。
男でもやりたい人はいるじゃないか、というか、まあやっていいじゃないか、という意見は当然だと思うし、それはそれでいいのですが、一方で、じゃあ「下の世話を異性にやらせることになる」という当事者の「男女均等」は、それまた違う話であります。

つまり、「職業」ということと、「生活」、「自分の尊厳」というモノはまったく定規が違います。
違うのに、一方からは「職場」になり、一方からは「生活」になります。
ここがまあ、大きくズレる要因ではあります。

今回の話題にも上がりましたが、老人ホームなんかでは、女性のヘルパーさんがおしりを触られる、みたいなことが日常であるようで、それをいちいち目くじら立てていたんでは業務が進まない、と。
それを訴えると、「おしりを触られるくらいいいじゃない。若い証拠!」などと茶化されるのがオチだそうで。

つまり、男の人にとっては、いや、その一部の「おしりを触る人」にとっては、「女は男の世話をするのがあたりまえ」なんですね。
そこにはひいては「女は男のモノである」という認識があるのかと思います。

これは、日本の男女観というか、性差観というか、そういうのがそこに横たわっているように思いました。
夫婦においても、妻は夫を立てるモノ。
妻はかいがいしく夫の世話を焼くモノ。
そういう慣習というか、ならわしがあるわけです。

当然、妻は夫のモノであり、しかし夫は妻のモノではない。
夫の浮気は大目に見られても、妻の浮気は大目に見てもらえない。
これはまあ、芸能人の不倫の話で、女性側が叩かれる傾向にあることにも通じているかと思います。

この日本の男女の関係をそのまま介助に当てはめてしまえば、それはやっぱり「女が男の下の世話をしたってあたりまえじゃないか」ということになります。
そもそも、親の介護は嫁の仕事であって、夫の仕事ではない、という暗黙の決まりがあります。
だから、異性介助があたりまえ、という風になってしまうわけです。

今回の発言の中に、府中療育センター闘争がちょっと出ました。
異性介助を拒否し、「私たちは人形ではない」という訴えが、その頃、1970年代のことですが、いまだに、この訴えを我々はしなければならない状況にあります。
それは、上記のような、日本の頑とした男上位社会の有り様があまりに強固であることを示していると思います。

一方で、冒頭に書きましたが、その逆、女性が男性ヘルパーに下の世話をされる、ということには、まだ、世の中は「それはおかしいんじゃないか?」と思ってくれる人が多いように思います。
それはレイプ、を容易に想起させるからだと思いますが、この「異性介助」と言った場合の「男女差」もまた、この問題をややこしくしているように思います。
また、老人の場合、と若年の障害者の場合、と分けても、「異性介助」に関する拒否感の度合いは違うように思います。

つまり、異性介助、すなわち異性に性器を触らせる、見られる行為、というのは、「セックスで異性に性器を見せる、触らせる」ということと同じことを、恋人以外、自分が望まない人とそうした行為をしなければならない、ということなんですね。
それが、快楽を追求していようがいまいが、そういう「行為」として同じなのだ、と。

もっと言えば、女性ヘルパーにトイレの介助をさせて、勃起してしまう若い障害者もいるわけです。
それはもう、セックスをしたいしたくない、ではなく、そういう反応をしてしまう。
でも、それが「互いの合意に基づいたセックスではない」ことに、大きな問題があるわけです。

逆に言えば、異性介助とは、「セックスの対象じゃない」から、できるわけです。
障害者は、少なくとも、今介助をしている障害者はセックスの対象になり得ない、から、介助者、ヘルパー側は介助ができる。

つまり、異性介助を認める、とは、ヘルパーが、健体者社会が「障害者はセックスの対象になり得ない」と公言しているのと同じようなことになるわけです。
だからこそ、府中療育センターの闘争では「私たちは人形ではない」という言葉になったわけです。
「人形ではない=人間扱い」とは、つまりは、平たく言えば、異性間においては「セックスの対象なり得る」、ということなのかもしれません。

こう考えると、今回の話題にも上がりました、親子だったら異性でもしょうがないんじゃないか?とあきらめる気持ちにもなる、という意見も合点がいきます。
親子はそもそもセックスの対象には、「互いに」ならないからです。

例えば老人と若年障害者の差も似ているかもしれません。
でも、そんなこと言えば、老人の方にしてみれば「わしはセックスの対象にならんのか!」と怒られそうですが、でも、老人になるまでにたくさんのセックスを経験してきた人と、一度も異性と手もつないだことのない若年の障害者が、いきなり性器を見られる、触られる、というのは、確かに現実的に問題の度合いが違うようにも思います。

さて、しかし、異性介助がここまで「あたりまえに」、そしてヘルパーへのセクハラ?痴漢行為?も露見しながらも、社会は黙認するか、と言えば、そもそも「介助を受ける人は人間ではない」という差別感があるからなのかもしれません。
いや、「人間ではない」とまではいわなくても、「しょうがないじゃないか」と。

そもそも、介助や保育、というものは先に書いたように日本の中では「嫁の仕事」であって、「金をかけるモノ」ではなかったわけです。
だからこそ、そこに出てくる金が、つまり税金の配分が、あまりに小さい。
だからどうしても、「男の仕事(皮肉ですよ)」になりにくい。
保育士の給料、ヘルパーの給料が、同年代の平均収入よりもぐんと低い、というのは、そういうことです。

ここを変えなければならない。
つまり、「嫁の仕事」という部分を変える。
これは大きな大きな課題ですが、なぜならそれは、夫婦間の「妻は夫に尽くすモノ」という部分を見直さなければ、始まらないからなのではないか。
男上位社会というモノを見直さなければならないから、今の男上位社会はそれに抵抗している、と。

そんな風に考えると、異性介助の問題は、やはり、日本の性差別的な風土の上に、例えば仕事としてだけ男女教機会均等だとかってのが乗っかったり、という風に、いびつに成り立っているモノだと俺は思います。

*)ちょっと簡略化して書きましたが、セクシャリティの問題なんかも考えますと、基本的に、異性介助とは「本人の性ではない人による介助」ですね。


【そして、加納さんの】

異性介助はどこまでアリか、そもそもアリなのか。というちょっと日和った感じのタイトルを付けてみましたが、私は異性介助なんてありえなし絶対にナシだと思っています。
今回開催してみて驚いたのは、積極的にではないですが意外とアリという意見が多かったことです。異性介助なんてするのもされるのもイヤだとみんな思っているモノだと思っていたのですが話を聞くとそうでもなかったのです。あっ、みんなそういうモノなの。と正直拍子抜けしてしまいました。男性ヘルパーが女性の介助をするというのはめったにないと思いますが、女性ヘルパーが男性の介助をするというのはあたりまえに存在している、つまりは日常の出来事なのだなあと再認識しました。「ヘルパー=女性の仕事」だと世間では思われているんだからみんなが違和感を感じないのもそうなのかなと思いました。
今回はあえてどうなのかという討論をしてみましたが、やっぱり私は異性介助はあり得ないと思っています。
それは虹の会にいるからイヤだと思うようになったわけではなく、家族と暮らしていたときから父や祖父にトイレやお風呂をやってもらうのはイヤだと思っていました。でも母だけに負担が行くのも申し訳なくて仕方がないという理由でイヤだという感情に蓋をしていました。イヤだと思っちゃいけないと思っていました。でも虹の会に来てやっぱりそれはおかしい事だったんだと思うようになり、イヤだということ惨めだということを我慢せず声に出してもいいということを知りました。
だからみんなも介助される側になったとき異性にトイレ介助やお風呂介助をされるのは当然イヤなんじゃないかと思っていました。そしたら、体力的に男性の方が安定していそうだからとか、自分が憧れている異性であればイイとか、介助してくれるなら異性でもかまわないとか、家族であればイイとか。あれ、あれ、アレレ・・・と思う意見が多くて、あっ、そうなんだと衝撃でした。みんなの発言の共通の思いとして「人手がいないんだから仕方がないんじゃない」ということがあがっていましたが。介助者が潤沢にいればみなさん本当は同性介助を求めると思うんですけど、どうなんでしょうか。
また、自分が憧れている異性だったら介助されてもかまわないという意見もありましたが、正直私だったら絶対に無理だと感じました。だってどう考えても自分が憧れている人にセックスじゃないことでつまりは異性としてではない場面で裸を見せるなんて想像しただけでイヤです。何なら一番セックス以外で裸を見られたくない相手じゃないかと私は思っています。だって、自分は異性としてみているのに相手は自分を異性として見てくれていないということでしょ。そんな惨めな事があるかと思います。
介助してもらえるなら異性でもかまわないという意見もありましたが、もう自分は車いすになって動けないんだから贅沢は言っていられない人間としての生活はあきらめるということだと思うので、私はそんなあきらめた人生を生きたくないと思っています。
それと、相手に介助を求められたらその相手が異性であってもトイレやお風呂の介助をやるという意見も私は聞いていてとても引っ掛かりました。仕事だからやるというのはわかるのですが、それはもう相手をその時点で異性と思って接していない、つまりは人としてみていないのではないかと思うからです。同性介助ってそんなに大事な事なの?と逆に自分が問われている気がして頭がクラクラしてきてしまいました。
私は同性介助に拘りすぎなのかとも思いましたが、やっぱり私は介助をされる側としてイヤだという思いしかもてません。
世の中では、介護は女性の仕事と思わされ、そういうモノだと誰もが疑わないのかもしれない、それって問題なことなのかと思うことかも知れない、でもちょっと考えてほしい。介助される方も介助する方も性別を持った人間なのだ。どうでもよかったら例えば銭湯も例えば公衆トイレも男女で分ける必要はないと思う。でも分けているということは、性別があるということ。それを介護の現場になったとたん性別をないことにしてしまうのは私はやっぱりおかしいと思うのです。




(BGM:John Lennon & Yoko Ono「John & Yoko」from「Wedding Album」)
→まあ、もうこれは聞くアルバムではないわけで。

バカにしてんのか?


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専従募集


先日、とある人から、「(福祉の関係の団体に呼ばれて)講演会をするんだけど、どうもその団体では職員が福祉に熱意がない、すぐに帰りたがる、障害者と付き合わない、みたいなことが悩みのようで、そういうことに、佐藤さんならどう答えますか?」(概要)みたいなことを聞かれました。

ま、これはもう答えは決まっていて、金なんですね。
金。

つまり、月給を100万にすればやります。
そこでやりがいを見つけ、一生の仕事にしよう、と思うはずです。

そうなると不思議なもんで、不埒な人、というのは、どんどん淘汰されていきます。
いや、そもそも、それでも熱意をモテない人は首にすればイイですね。
月給100万なら、次がすぐに見つかります。
熱意がある人が見つかるまでそれを繰り返せばいいんです。


我々みたいな運動上がりの人間は、確かに金でやってるわけじゃない、というのはあります。
でも、それは、たまたまなんです。
たまたまそういう人が周りにいるし、熱意ある人がいる。
たまたま運がいいのか悪いのか。

これ、困ったことに、上記と同じように、熱意がない人は淘汰される感じはあるんです。
そうなっちゃうね、やっぱ。
熱意ある人の中で、熱意ない人は続けられません。
でも、ウチには金がないから、「次がすぐに見つかります」がないので、困ってしまう、ということになる。

だからですね、テキトウに低い給料だった場合、熱意ある人ばかりを追い求めちゃうと、みんな辞めちゃいますよ、という危険性が高い。
テキトウに熱意がないのを入れた方がいいんですけど、まあなかなか難しい。

井上達とまあ付き合いたくない、って人は、やっぱやめちゃうんだな。
俺としては続けてほしいんだけど。
だって、そういう人がいた方がいいんですよ。
今の安い給料の状況ではしょうがないんです。

でもまあ、かといって、熱意ある人を否定するモノでももちろんない。
となると、まあなかなかここは難しい問題ではありますけど。


つまりまあ、何が言いたいかというと、この「熱意」を先にもって来ちゃダメ、ということなんですね。
熱意じゃなくて、金額を考えなきゃいけない。

月給20万だと、このくらいの熱意、40万だとこのくらいの…、100万だと…という風に考えるべきなんですね。


そう考えると、福祉に熱意を持った人を集めよう、とするのなら、まずは金なんですけど、今の政権は福祉、社会保障は切り捨てていますから、つまりはまあ、熱意がない人を集めようとしてるんだろうな、と思っています。
福祉を捨てているんだと思います。

同時に、家族による扶助を強調したり、自助努力を前面に出した改憲案みたいなのを出してますから、会わせて考えるに、まあ今の政権は福祉を「個人の努力」に戻したいんでしょうね。
今後、金のある人はイイですけど、金がなくて余裕がない家に生まれた障害者は、捨てられるしかなさそうです。


こういうコトに対して、きちんとやっぱ声を上げていかなきゃならないよな、と思うんですよ。

バカにしてんのか?と。

努力を否定はしない。
努力は必要だ。
けど、それは「同じスタートラインに立った場合」ということが条件だ。
じゃなきゃ、そんなの寝言じゃん。

同じスタートラインに立つところまで、が福祉であり、義務教育だ。
そこを切り捨てて置いて、競争だけいっしょにやれ、努力が足らない、って、そんなの納得できるわけがない。


そしてね、そのためには、福祉の業界で働く職員の給与をきちんと保障しなければならない。
少なくとも、切り捨ては今後すべきじゃないし、今の倍、3倍くらいに増額しなければ、今、もう福祉は何もできていない。

だって、60人の施設で、夜の介助が2人とか3人とか、そりゃ、無理だって。
なんもできないよ。
最低ラインすら危うい人数配置だと思う。
そりゃ、殺人鬼も入ってくるって。


バカにしてんのか?と。





(BGM:Transformer「妖艶な奴ら」from「MANOEUVRE」)
→いや、もうサイコウなわけです。
CD化、本当にありがたい。
マスベもいいが、こっちも好き。

「まず親が買うでしょ」が今のスタンダート。クソくだらない。


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ウチでも「アート」みたいなことをやってて。
月に一回、絵を描いたり。

けっこう面白い絵を描くと思うんですよ。
ツイッターなんかでも時々紹介してますけど。

どうして始めたかというと、まあその時芸術に造詣の深い人がいて、アウトサイダーアート、っていうの?まあ一山当てられるんじゃないか、みたいな心根の悪い感じで始まったんですけど。
その人ももうやめちゃって、なんか今はちょっとどうしましょう、みたいな感じ。


まあ、で、こうなると、やっぱ製品化しよう、みたいな話になりますよね。

いい絵はいい絵でも、やっぱ人の目に触れてナンボだし、買ってもらう人を作らなきゃならないし。
それにまあ、俺らとしてはとてもなんかいい絵だなあ、という感じなんで、ぜひまあ製品化したい、ってのもあって。


ま、そもそも、アートをやってる作業所なんかは、もう一日中やってるみたいなんだよね。
それが仕事、みたいな。
で、健体者の職員もなんかエージェントみたいで、売り込んだりとかして。
そういう苦労を経て、やっと絵が売れている、という。

だから、ウチみたいに日がなにじ屋とか遊びとか、酒飲んだりしてる我々が、月に一回何か書いただけでなんかしようなんてのは、まあおこがましいというか、ダメな人の発想だな、と思うんだけどさ。

でもまあ、書いてて。
そういう時間があって。
しかも、なんかなかなか面白いじゃん、的な絵で。


で、製品化に当たって、障害者のアート作品なんかを取り扱ってる感じの店というか、人たちにいろいろちょっと聞いたりしたことがあったらしく。
やっぱ俺たち何もわからないから、参考にさせてもらいたい、ということで。

原価いくらくらい、売値いくら、何個くらい作るモノなのか?みたいな、そういうごく基本的な話。
相場がどんな感じなのか、みたいなことですね。

そしたら、その人が、「何個作るか」の話の時に、「まあ、何個売れるか、だけど、まず親は買うでしょ。だからそれはまず売れるとして…」って、さもあたりまえに話し始めて、「おいおいおいおいおいおいおい」と。

つまりですね、子どもが作ったモノを、親が買う、と。
で、ウチにおくのか?なんだそりゃ。

自分で作ったもん、買わすんじゃねえよ…ってか、それ儲かってないじゃん!
ってか、誰主役なんだよ、ってか、もう何から突っ込んでいいやら。


で、まあ、なんだ、そんな人たちがやってんだ、みたいなことでね。
すげえガッカリしたわけですけど。

よく、親御さんが集まってバザーやって、親御さんが買う、みたいな。
もう、そんな労力使うならやらないで寄付でいいじゃん、って思うんだけど。
なんか屋台やります、って、別の親が買って、何の意味があるんだ?みたいな。


例えば、にじ屋もそうね。
売上げは井上達の給料になるわけだけど、にじ屋で親が品物を買っちゃったりすると、それ、親がこづかいやってるのと同じ。
売上げとか、商売とか、そういうことじゃなくなっちゃう。
だから、ウチでは親がにじ屋で買い物するのは禁止。

ライブもそうですね。
よくチャリティコンサートなんていうけど、親が何枚づつ買う、なんて話も聞くんだけど、いやいやいやいやいや、チケット親に買ってもらっちゃ意味ないじゃん…。

自分たちの音楽とかを発表するのなら、まあ、発表会なら親を呼んでイイかとは思うけど、それはタダでいいわな。

ま、そういう視点で言うと、オレらのライブは親に向けてのものじゃないし、発表会でもないから、あくまで一般人、井上達をいじめてた連中への「逆襲」だからね。
親は入場は遠慮してもらってる。
親が入れば、その分、その人たちが入れなくなる。

それに、親が入れば、自分の子の扱いがどうだこうだと話が始まってしまうので、入れたくない、というのもある。


「まず親が買うでしょ…」というのが「あたりまえ」だとしたら、もうそんな製品作らなきゃいい、と俺は思う。





(BGM:島桂子「ゴー・ゴー・ジュニア」fromYOUTUBE)
→「私はジュニア、レモンの少女」
…うむ。
そして、その後、「レッツゴージュニア」「ジュニアゴーゴー」とかが続きまして、ここまでなにも主張してこない歌詞も珍しい。
当然、なにも残りません。

エリートが暴走してイイコトがあるはずない


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先日、見た方もいるのかな?またテレビの取材があって、放映も終わったようです。
ようです、というのは、俺は見ていないんです。
テレビ局の方からDVDを送ってもらったので、見ようかな、と思うんですが、ヒマさえあれば「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の再放送を録っておらったモノばかり見ているので、追いついておりません。

ま、この前書きましたが、100人の障害者を集めて、という番組で(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4158.html)、MZK(最もズレてる健常者、という意味らしい)に選ばれた芸人さんをにじ屋で「更正させる」ということで、にじ屋にその芸人さんがやってくる、という設定の番組。

正直、乗り気はしませんでしたが、またしてもテレビ曲の方の熱意にほだされる形で引き受け、ということで、全くもって何の期待もしてなければ、興味もない。
あくまでテレビ局の人の作品であって、そのモデル、というか撮影の対象になったからと言って、なんか、もう驚くほど俺の中には何もありません。

虹の会は、前回の2週にわたった番組とイイ、今回についても、「どうして、もっと宣伝しないのか?」みたいなことを言われるんだけど。
機関紙にも書いてないし、とか言われます。
けどね、まあもう「何のことだっけ?」くらいの。
けっこう、ウチの中でもほぼ話題になってないです。


これね、どうしてこんなにどうでもいいかというと、そもそもこのMZKとやらに選ばれた岩井さん、という芸人さん。
ノブとかは、カワイさん、とずっと言っていたけど。
俺はすごく好きで、実はM1の敗者復活の時の競馬場だったかの漫才をたまたまスカパーで見てて、その時に、「もうこの人たち、ゼッタイに売れると思う!」とアキに言っていたら、数年後にマジに売れちゃった。

そういうね、昔っからのファンから言わせればね、正直さ、この岩井さんって人、狙ってるでしょ。
「闇を感じさせるキャラ」というのを、ちゃんとやってるよな、って印象。
だから、この100人の時の出演芸人のラインナップを見たときにですね、ここでMZKにもし「選ばれなかったとしたら」、岩井さんは芸人としてダメってことなんだよね。
だって、そういうキャラ、として芸人をやってるんだから。
ここで選ばれなければ、ホンモノじゃない、というか。


で、ですね、岩井さんは番組で「障害がなくなるかわりに他の誰かが障害者になるとしたら?」っていう質問をしたの。
それがどうも、出演した障害者の人たちの「何か」に触れたらしい。

この「誰かが代わりに障害者になるとしたら」というのは、おそらく岩井さんは狙って言ってると思う。
つまり逆から言えば、この質問は「障害者じゃなくて、健体者に生まれたかったですか?」というコトでしかなくて、大した内容じゃない。
ってか、これ、障害者じゃない立場からしたら、誰だって一番聞きたいはずだ。

ま、ただ、「誰かが代わりに」という部分が、「人に押しつける」ということになって、その押しつけるという行為自体も問題ならば、「障害」を押しつけるという「穢れ」的に扱ったことが、おそらくMZKになった大きな要因だ。
というか、それを彼は狙って本当の質問を、それらの言葉を使って逆から言っただけだろう。

ま、その茶番が第一のひじょうに気になる点。

第二に気になるのは、このMZKというものが、結局は「障害者がMZKを決める」という、今までの解同チックな構図から何も抜け切れてない、という点。
健体者が障害者にお伺いを立てて、「私はこれで正しい(ずれてない)でしょうか?」とたずねてるのと同じなんだよ。
ま、それでいいっちゃあいいんだけど、これを「新しい健体者と障害者の関係のあり方」だっていうのには無理があるわな。
つまりね、「健体者はきちんと障害者の意見を聞け」って、障害者側がマウントポジションとってます、っていう番組にすれば潔かったような気がする。

もちろん、解同よろしく糾弾するわけじゃないが、だからといって「バラエティ的に更正させる」ってのはさ、「イジメ」と同じっていうかさあ。
「いじめてないですよ、ふざけてただけです」みたいな感じで、糾弾をバラエティに替えた、というか。
それもどうかと。


そしてなにより、ココに出てた100人の障害者ってのがさ、みんなエリートじゃん。
障害者界?ってのがあれば、そこのエリート。

経験的には、けっこう多くの人が、福祉ともつながれず、何も出来ないまま、近所から白い目で見られ続けながら、だんだんと酷くなったりしてると思う。
ま、もちろん、そういうところから抜け出したんだ!ってカッコイイ人もいるんだと思うけど、それはそれでまた相対的に見たら一握りではあって。

エリートがね、いくら「障害者に生まれて幸せでした」って言ったところで、それは氷山の一角で、海の下に眠る「どこともつながれない多くの100人」ってことを考えると、どうにも、「相手が違う」って気がしてくるんだわ。


エリートが他の集団のエリート相手にMZKとかって遊んでる場合じゃない。
エリートが考えなければならないのは、エリートになれなかった人たちのことなんじゃないか、と。
というか、「エリートが暴走していいことない」ってのは、いつの世でも常識だ。






(BGM:五月女みや子「地の底までも」fromYOUTUBE)
→地の底までもついて行く、という比喩がよくわかんないんだけど、つらくても一緒、みたいなことなんだろう。
で、カップリングが「星といっしょに」。
天と地、どっちやねん、という。

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