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スーパーちんどん・さとう

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単純に単価上げなきゃ未来はないんだけどなあ


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まあ、訪問介護の単価が下がったという話がありまして。
でも他を上げるのでうんちゃらかんちゃら、という。
高齢化社会に向けて、ヘルパーを確保しなければならない状況で逆行する政策を打ち出す政権ってなんなのか?って気がします。
訪問介護の事業所は200カ所以上が廃止したとか。
地域包括ケアシステムなんて言いながら、まあ絵に描いた餅であります。

ヘルパー人口も減ったようで、この先どうするのか。

ま、簡単に言えば、ヘルパーの賃金を上げるしかないんですね。
賃金を上げれば人は集まる。
これはもう単純にそれだけなんですよ。
やりがいとかそういう問題じゃなく、賃金を上げる。
人が減って困っているのなら、それしか方法はない。
というか、それをまずやらなければならない。

なんだか権利であるはずの福祉がサービスになって、事業所がやる、企業がやる、みたいなことになって、どっかみんな誤解している部分があると思うんです。

というのは、福祉に関しては、もう国から出てくる単価の問題でしかないんです。
そこが唯一の財源と言っていい。
つまり、あとはもう利用者からの利益を考えるしかない。
とはいえ、そもそも利用者って、金がある人ばかりじゃないですから。
というか、ヘルパーという事業に関しては、利用者から上乗せして特別に金を取るとしたら、別のことをやらなきゃならなくなります。
それはもう福祉ではなく、商売ですね。

前に、福祉の分野も民営化、なんてコトになった時、こんな問題が指摘されました。
例えばヘルパーに行ってる家で、家電が古くなっているとする。
そうしたら、その家に家電を紹介する、みたいなことができるようになる、と。
その家の人も、世話になってるヘルパーのオススメだから断りにくかろう、というね。
ま、利用者としては罠にかかった感じ、という。
なんかもう、商売っ気すごいわけですが、例えばそんな風に「稼ぐ」ってことをしない以上、まあ国からの介護料しか財源はない。

よく言うのは、「人を(利用者を)増やせばいい」というんだけど、いや、その人の分を結局雇うわけだから、それってちょっとおかしな話で。
つまり、人を増やして、ヘルパーを掛け持ちさせる、みたいなことだから、その利用者にとって果たしてプラスになるか?っていうと違う。

つまり、先の家電の話にしても人を増やす話にしても、どっちにしろ利用者目線ではないんです。
あくまで「商売」としての話で。
そうなっちゃうと、そもそもの「権利としての福祉」って誰のための権利か?って話になってきますよね?

ま、つまりですね、とにかく介護単価は上げるしかないんです。
じゃないと、ヘルパーは減り続けるでしょう。
というか、事業所もどんどんつぶれてしまう。
けっこういろいろなジャンルでツブれてますね、保育所とかもそうだし、学童とか、そういう。
まあ、そりゃそうですよ。
福祉なんかやってみたら儲かるわけがない。
そのしわ寄せが現場のヘルパーに行ったりして、結果として労働環境は悪くなる。
そうなれば人はなおさら集まってこない、という悪循環。

今まあ、そういう状況なんじゃないかと推測されるわけだけれど。
一昔前なら、高齢化社会に向けてヘルパーの資格を取っていれば何とかなるんじゃないかと思った人も多いかもしれないが、それも幻想だったな、という。

ちなみに、今加算とか言われていてそういうのでなんとか保ってるというのが現実で。
まあ加算と言ってる時点で怪しいわけですよ。
いつ切られるかわからない。
加算は単価の方にすればいいのに、それをしないというのは、そもそもおかしいんです。
しかも、ヘルパーの資格だったりを取れば上げるとかになっていて、まあそれはある意味正しい気もするかと思うけど、実際、ヘルパーの事業所とかだと、「資格あまり取られちゃうと給料上げなきゃならなくなるから取らないで」という話もあるというね。
それと、あまりココでは論を広げないが、なにより資格がそのまま利用者のためになるかというのも疑問もある。

ま、つまりは単価を上げろ、って話で。
単価が上がらないというのは、これね、例えば来年の給料を上げられない、ってことなんですよ。
毎年上がっていってもらわないと、なかなか上げられない。
つまり、ベテランを切らざるを得なくなる、と。
ようやっと派遣先で慣れている人の給料を上げられない。
そうなると、いくら腕を磨いても給料が上がらないってことになるから。
辞める一歩がここにありますよ。
というか、そんな未来のない職場に飛び込もうという人もいないでしょう。

決まった単価の中で毎年やるとすれば、新人の時の給料を抑えてベテランに回すしかない。
そもそも新任の人の給料が安くなる。
どころか、みんなベテランになっていくわけだから、いつかは破綻する。

ってかね、まず介護職の人の給与がそもそも安すぎますよね。
同年齢の労働者と比べてかなり低いというデーターがありますよ。

福祉のことになると、一斉に「財源は?」って話になっていくんだけど、いやいやいや、財源も何も、このままじゃ介護が破綻する。
資格だけが残って破綻するという矛盾。
それでいいのか?って話。
高齢化社会になるのは見えてるのに、という話ですよ。

結局は要介護者の自由を奪って大量収容型の施設の時代に戻るしかなくなる。

福祉とは誰のためのモノか。
資格業者のものでもなければ、商売で福祉やってる人のモノでもない。
本人のためのモノなのに。





(BGM:404「Wheel」from「大韓不法集会」)
→同じようなギターのリフに、ボーカル、その他の楽器が乗ってくる。
そこに呪術師のようなボーカルが力強く響いてくる。
YBO2にこんなのあったような…といったら怒られるか。
しかしこれ、現場で聞いたら昇天しそうな勢い。
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「ただただ従う」ことは全体主義への道


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マイナンバーカードで、保険証と紐付けしないと受診料を高くする、みたいな話があったじゃないですか。
ま、いろいろとこれは理解の仕方もあるかと思うのですが、ある意味、「お上のいうことに従わない場合は罰金を処す」という風に捕らえることができる。

例えば、従わないことで余計な手続きがかかる、というようなことであれば、それはそれでその分を負担しろ、というのは、一面としては理解はできなくもない。
が、医師会も紙の保険証は残すべき、というようなことを言っている中、これはちょっと行政の勇み足という気がする。
というか、まあ罰金である。
罰金がイヤだから、という理由で「言うことをきかせよう」というやり方。
まあ、資本主義の社会ですから、罰金が一番効果があるとも言えます。

ただ、本来はマイナンバーカードの意義やメリットをきちんと国民に納得させるのが先である。
それで「そうだよな」という世論が形成されなければ話が始まらない。
その上での罰金であれば、まだ(まだ、だけれど)納得できなくはない気がしなくもない。

が、そういう説明がない中、納得させられてない中、罰金というのはどうだろう。
例えば、交通違反。
赤信号でツッコむのはやっぱり危ない。
それは誰しもがそう思うし、守ってくれなければ危なくて道も歩けない。
だから、それは罰金刑だ、というのは多くの人が納得する。
まあ、刑法と上記のマイナカードの「罰金」は意味がちょっと違うが、しかし、お上が罰金を取る、というのはそういう構造であると思う。

「お上が決めたことだから」というのは日本ではよく言うセリフだ。
でも、だからって全て納得もできないのに従わなければならないのか?
それを全体主義という。
独裁である。
北朝鮮のそれである。

納得ができなければ、一国民は反論をする権利があるし、そしたらそれを納得させるのが行政の仕事である。
ま、それを「丁寧に説明をする」って首相なんかが言ってる。
だから、彼らもそれをしなければならないというのはわかっているのだろう。
でも、まともに丁寧な説明をしたためしがない。
つまり、大事なことは「説明する」ではなくて、「それによって納得する」というこっち側の理解の問題なのだが、それが彼らにはわかってないように思える。
主権はこちらにあり、彼らはその代表者でしかない。

福祉の世界でも、「こうなりましたからこうしてください」というようなことがメールかなんかできたりする。
まあ、たいがいは事務がそのおかげで大変なことになる。
それが例えば雇ってる介助者の給与アップにつながることだったりすれば、それはまあ仕方ないかな、とも思える。
もちろん事務方に負担をかけずにやる方法はもっと別にあるだろうよ、とかは思うが、それは論が違うのでまたの機会にするとして。

でも、そういうこととあまり関係ない場合、ただ負担が増えるだけ、ということになるのなら、それはちょっとゴメンである。
そこまで事務に人を割けるほど、イチマルたちは問題を起こさないわけじゃない。
明日もオグラはまた病院に行かなければならない。
そうなれば半日かかる。
一人で行かせられない以上、誰かが付いて行かなければならない。

だから、我々はそういうことはあまりやらない、という選択をする場合もある。
やれないからだ。
それでも行政はやってほしい、ということであれば、そこは丁寧な説明をして、我々を納得させればいい。
恐らく、それで納得できるコトもたくさんあると思う。
そもそも、通達とか文書とかってのは、そこのウラの、その先の話までは書かれていない。
「実はこういう話から始まってるんですよ」という部分があれば、たいがい納得できたりする。
そもそも、福祉分野に関しては、「やらなくてもいいこと」なんてのはないのだ本来。
そこは人数の問題、過重労働の問題との天秤、ということになるだけで。
つまりはそれは働いてくれている労働者の福祉、に反するかどうか、ということになるのだ。
そちらのことだって、やはり考えなければならない。
働いてる人が過労で倒れる中、イチマルたちが幸せに暮らせるわけがないのだから。

ましてや、それが「罰金になります」、例えば「これをやらないと補助金を下げます」というようなことはあってはならない。
その前に、まず説明して納得させるのが行政の仕事だ。
それをしないでいわゆる結果として罰金を科す、というようなことをすべきではない。
それは単に福祉の全体主義である。
そのベースに「やりがい」だったり、「障害者には優しく」といったような人の情に訴える部分があるとしたら悪質でもある。

反論は権利である。
それが権利でないのなら、それは民主主義ではなく、全体主義である。
そして、その反論を納得させ、おさめるのは行政の義務である。
それが仕事と言っていい。
それがイヤなら公務員などなるもんじゃない。






(BGM:THE COMES「金」from「Ballroom Of The Living Dead」)
→この「何でもいいから金をくれ!」、ってのがとにかくいいんだよね。

「企業ごっこ」の愚かしさ


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前に、なぜ日本では大規模な労働運動が生まれないか、ということについて書いたんだけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6552.html)。

今、なんだか介護報酬の引き下げが決まったとか検討されているだとか。
これもきっと介護従事者が一気にストライキなんかをやろうとしたらひっくり返るんだろうな、と思ったり。
これが足並みが揃わなかったりしたら、そりゃやっぱ不可能だろう。

老人ホームなんかをいくつも経営するような大きな企業は、議員なんかとつながっていたりもするという話も聞く。
それはまあストライキとは全く逆の動きである。
そうやって、つながりを持って福祉をやろうなんていうのは、たいがい現場から問題が上がってくることになろう。
そういう不満は、ヘルパー数の減少とかっていう形で現れているわけだけれど。
つまりはまあ、業界全体の縮小である。
労働者としてはこれはいいことではない。

障害者に関わるいろいろな制度の足らなさを訴えていくのが障害者運動、という風に呼んでいいかと思うのだけれど、それも大同団結できなければなかなか難しい。

結局しわ寄せは現場に行く。
そして、それで割を食うのは障害者自身である。

俺はなんやかんや現場が大事だと思っていて。
どんなに他の制度との整合性だとかで精巧に作られた制度であっても、現場が納得できなければやっぱりダメなんだろうと思う。
特に福祉と教育は。

だから、現場の問題を語り合う場、ってのはすごく大事だと思うんだよね。
他の作業所の職員なんかと飲んだりすると、まあ「え?そんな感じでやってんの?」というような話もあったりして、ちょっとびっくりしたりすることがあるんだけど。
そういう話の中で、お互いにお互いで採用できそうな部分を補い合ったり、それでもなにか制度に不備があるよね、ということになれば、一緒に市に話しに行く、とか。
そういうことによって、結果として現場はよくなっていくし、ラクになっていく。
ラクになっていけば、結果それは、作業所だったらそこに通う障害者のためになっていく。

長時間労働でギスギスして、しかも給料が安すぎるような職場で、通ってくる障害者にきちんとした某が出来るか、っていうと、できないよ、やっぱ。
それを「やりがい」とかって部分で福祉や教育は時にやらせようとするが、そりゃ無理があると思う。

しかし、前にウチでイベントを打ったときに、とある作業所の人がいろいろ現場の問題点を言っていったんだけど。
でも、その人は、「私が来たことは内緒にしてください」と言っていた。
発言の中身も。
なので、それは公にしなかったが、本来はすべき内容であった。
それはその人もわかっていて発言したわけだが、「これが会社にばれるとやばい」というのが、公にしたくない、という理由。
自分が来たことすら、自分が現場で起きたことを言うことすら、「社外にばらすな」と言われているらしい。

こうなると、現場のやり取りはできなくなる。

福祉を会社でやってもいい、といった時点で、こうなることはある程度予測されていたが、ここまで来たか、という感じでもあった。
それが何を生むかというと、結局は、そこに通う障害者への対応が悪くなる一方だ、ということだ。

会社にしてみると、仕事をもらっている役所に要求を出すなんてコトは、そもそも想定が無いのだ。
でも、それをしなければ、結局は障害者自身が自分らしく生きていくことは難しい、って福祉の基本がわかってない。
というか、それと「利潤を追求する企業」は相容れないのである。
表面上、障害者に某をする、という部分は同じでも、そこが違っていたらもう福祉ではないのではなかろうか。

障害者は制度に縛られて生活しなければならない存在ではない。
それは基本的人権の問題である。
むしろ、制度は障害者個々人にあわせて出来ていかなければならない。
そうでなければ、現場は結局「それはできない」と彼らの要求を突っぱねなければならなくなる。
同じ知的障害だからって、同じ要求だというわけではない。

とある人が、「もう障害者運動なんかない」「やってる人がいない」と嘆いていた。
実際そうだと肌で感じる。
企業のマネをしていたんでは、障害者は制度によって縦割りに横割りにされて生活するしかなくなってしまう。
恐らくそしてそれではどっかのピースは足らなくて、自分らしい生活ができなくなる。

時代と共に変わらなければならないところはある。
しかし、福祉とは障害者を制度に従わせるモノではない。
それだけはハッキリしてるとオレは思っている。





(BGM:小室哲哉「OPERA NIGHT」from「Digitalian is eating breakfast」)
→この人のことは名前以上のことをよく知らないのだけれど、このアルバムはなんか急遽作ることになったというようなことで、何のコンセプトもなく、みたいなことがウイキに書いてあった。
ふむ。
といって、特になんか思うこともなく。

はじき出された側


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前に「世の中からはじき出された」というような話を書いたけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6518.html)。

「世の中からはじき出された」って思うと、世の中と話したくなくなっちゃうんだよね。
だってやっぱはじき出した側とはじき出された側ってのは、対立構造なワケで。
優しい言葉をかけられたって、「うるせえよ」ってなる。
もちろん、そこを素直に受けられる人もいるだろうけど、でも素直になれなくてもそれは仕方ないとも思う。

井上たちの中には、高校時代、いわゆる当時の養護学校の高等部時代に、企業就職を目指していた連中もいる。
実際、企業に就職したのもいるが、業績悪化でクビを切られた。
その後、ウチに来た。
業績悪化で一番先にクビを切られる、というのもまあ、よくある話だ。
そもそもの会社が中小だったりしたら確かにそれも致し方ないのかもしれないとも思ったりするが、これもまあ世の中に余裕がなくなってきた証拠だろう(前リンク)。

そうやって、一般就労、つまりは社会の「仲間に入れてもらえ」といわれて頑張った結果、自分にはなんの非もなくても彼らは真っ先にクビを切られてしまう。
「はじき出されて」しまう。

そもそも、障害者なんだからしょうがない、というならまあもう論議のしようがない。
ま、そういう人は加齢で人の手を借りなきゃならなくなったら自決するんだろうから、それはヨシとする。
とはいえ、そもそも障害者はなりたくてなってるわけじゃない。
加齢とはまた違うけど。

まあ、世の中うまく渡れる人はいい。
でも、そうじゃない人はどんどん孤立してしまう。

「世の中からはじき出す」という理屈は、どっか歪んでいる。
差別に満ちているし、はじき出していいわけがない。
障害者だから、外国人だから、女だから、そういう理由ははじき出す正当な理由にはならない。
のに、はじき出す。
「バスに乗るな」と言う。
「車いすの人が乗ると運転手が一回降りたりして時間がかかる」とか言う。
そもそもそれ、他人、自分より「不幸であるはずの人」に向けた刃なんだと思うけど、自分に向かってるよ?とも思う。

だから、「はじき出す側の理屈」というのは、やっぱりどこにも通用しないとオレは思っていて。
大事なのは、「はじき出された側の理屈」なんじゃないか、と。
はじき出された結果、どうなったのか、どうしてはじき出されたのか、というのをはじき出された側が理屈を構築していかなきゃならないのではないか、と。

そういうことに対して、「いやいや、今の社会の流れはそうじゃないから」みたいなことって、つまりははじき出した側がはじき出された人の意見をツブしてる、ってことでもあると思うんだよね。

例えば、いわゆる福祉の企業化、いわゆる民営化、みたいなことがあるけれど、それってやっぱり社会側、つまりはじき出した側の理屈が産んだモノだと思うんだよ。

そもそも、例えばヘルパーを取り上げれば、資格を取らせてやらせる、みたいな流れになってるけど、来てもらう本人としては、「信頼できる人」という一択でしょう。
それを、資格があるからって、なぜ夢精した下着を女性のヘルパーに片付けてもらわなきゃならないのか。
もちろん、同性だからいい、って話も単純すぎるけれど、少なくとも女性のヘルパーに俺はやってもらいたくはない。

にもかかわらず、なぜ資格にこだわるかというのは、簡単に言えば「簡略化」と「合理化」なんですよ。
その人その人に信頼を持ってもらう人なんていうのはなかなかいないわけで、例えば施設で数十人の介助をしなきゃならない場合に、成り立たないんです。
だから、介助をしてもらう側の一択を捨てて、「国家資格」というのを作る。
じゃないと回らないからです。
というか、金が掛かるからです。
当事者が信頼するかどうかは別として、とにかく二人を一人で見てもらった方がいい、という考え。

あ、もっと言うと「利権化」ってのもありますね。
そもそも福祉は利権、というかそもそも利権を生む利益に結びつきにくいから民間は入り込めなかった部分もあったと思うんです。
役人にうまみがない。
けど、資格、というのを作ることでそれに関してはまったく当事者には関係しませんから。
利権、利益を生みやすい。

二行前に「当事者には関係しません」と書いたけど、いやいや、資格があった方がいいヘルパーが来ることになるでしょう、ということを言う人もいるかと思うけど、違うんですよ。
資格があろうがなかろうが、当事者の信頼一択なんです。
自分がヘルパーを使うことを考えてみて下さい。

つまりね、はじき出した側の理屈は、常にはじき出された側には圧倒的に否定する形で作用するんです。
今は、福祉も民営化の流れで…なんていうのは、そもそもどうでもいい話なのに、つまり信頼してくれる人、というのが大事なのに、そのためにそういう人を教育する、創り出すためのお金を出さないのに、そういうことを言ってる。
そうやって「はじき出された側」、障害者側、ヘルパーを受ける側、もっと言えば知的障害者の作業所とかに通う障害者も同じだと思いますが、そういう意見が「今の流れは民営化ですから」「資格がある人が行きますから」で論議もされない。

そもそも、信頼できる人を育成するための努力をすべきなんですよ。
いや、そのための資格だ、というのなら、もう散々いろいろなことがありましたのでまた別の機会にしますが。
ってか、ヘルパーによる窃盗とかあるわけでしょう。
信頼以前ですよね。

とある作業所に通う人が親と一緒に、というかその親がウチに相談に来てたりするのを見ると、ちょっとおかしいと思うんだよね。
まず、その作業所に相談しなよ、と思う。
おそらく信頼できないんでしょうね。

これでいいんだろうか?と。






(BGM:クイーン・エンジェルス「ローリング・ラブ」from「ミラクルバイブルシリーズ ガール・グループ3」)
→ルーシー加山、トミー青山という二人の女子プロレスラーによるクイーンエンジェルス。
ビューティーペアの時代ですね。
ま、これが思いのほかしっかりしている。
早口でまくし立てるAメロなんかなかなかだし、基本ソウルっぽい曲調もいい。

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俺も辛いんだから


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震災のニュースで、「見捨てられたんやろか」という見出しがあった。
数日間支援物資などが届かない状況で、そう思ってしまったのは仕方ないし、悲しいことだ。

「世の中からはじき出されている」
「世の中から捨てられている」
「世の中に必要とされていない」

…そんな気持ちが湧き上がってしまうことってあると思うんだけど。
それって「どうせわかってくれない」に発展するし、自暴自棄にもなる。
いわゆる「無敵の人」の始まりもそういう気持ちだったのではないかと思ったりする。

社会の構造はなんだかそう思ってしまう人には悲劇的で、今度はその声を上げたら叩かれたりもする。

つまりは、多くの人が「しがみついている」のだろう。
俺はしがみついているのに、お前らは甘えてる、という論法だ。
その気持ちもわからなくはない。
辛いんだろうと思う。

俺は障害者、と呼ばれる人たちと長年暮らしているから、「はじき出され感」というのはヒシヒシと感じることがある。
それでもバブルの頃はまだ世の中にも余裕があったのか、「しがみつかなくてもよかった」からなのか、世の中はいい方に進んでいくと信じられた。
多くの人が「はじき出された」と感じない世の中になる可能性を多少でも信じられた。

でも、状況はかわった。
日本はなにやら先進国なのかどうかも怪しくなって、不況になった。
多くの人が貧困に落ちてしまい余裕がなくなった。
そうなると、当然、より強い力で「しがみつかなきゃならない」から、みんな必死だ。
とても悲しい時代なのだと思う。

最近は、車いすの人が単純にバスに乗りたい、という思いを、「甘えるな」と言われてしまうことは日常茶飯事になった。
そもそも、一週間先に電車に乗ることを予約してくれ、なんていうのは、冷静に考えればあまりにも堂々とした差別だ。

差別とは、同じ状況で、同じ時に生きる、同じ世代ができることができない状況にあることをいう。
タクシーを呼ぶにも金がない、電車を使いたい、という経済状態で、車いす以外の人はそもそも一週間先に電車に乗ると予約してるのか?ということがそこには論点としてない。
車いすじゃない人は予約しなくていいけど、車いすの人は予約しろ、それなら乗せてやる、というのは、ちょっとおかしくないか?と単純にオレは思うが、そういう余裕も今の時代には悲しいかなない。

「そのくらい障害者なんだからガマンしろ」という理屈になってしまう。
なぜなら、「俺だって辛いのをガマンしてるんだ」と。

こうなってくると、障害者が多少楽しい飲み会なんかをやっていても叩かれる。
「なんでお前は楽しいんだ!」と。
もう意味がわからない。
なにも贅沢をしてるワケでもないのに、いや、まあ年に一回の贅沢ってのもあるとは思うし、そういう話でもないんだけど、とにかくそうなる。

「障害者は障害者らしくしおらしくしていろ」という。
なぜなら、「俺も辛いんだから」と。

わかるよ。
わかるけど、そういうのが結局こうやって震災なんかの時に自分に返ってきちゃうんだよな。
だって、天災なんか自分のせいじゃないじゃん。
いつどこで地震が起こるかわからない。
南海トラフ、なんてのも危惧されているし、そもそも日本は地震大国だ。

それを自己責任でなんとかしろ、ってやっぱどうかしてるよ。
家がなくなって、避難所で食べ物がない、トイレがない、そんな状況になったのはなにも自分のせいじゃないのに。

それもこれも、結局、障害者を叩いている雰囲気と共通してるんだよね。
障害者だって、障害者になりたくて生まれてきたわけじゃないでしょう。
こういうことを言うと、同業の人から怒られがちなんだけど、でも、少なくとも「望んで障害者になった」という人はいないのではないか。
もちろん、障害者=不幸、ということを言いたいのではなくて、少なくとも自己責任で障害者になった、というコトではないと思うのよね。

にもかかわらず、なんで電車に乗るときに一週間前に予約をしてくれ、と言えるのだろうか、と。

同じじゃないか、今の震災も。
被災した人に自己責任を背負わせるのはなんか違うし、そここそ助け合って、もっというと盛大に税金を使うところだとオレは思う。







(BGM:鹿島とも子「不安のときめき」from「アイドル・ミラクルバイブルシリーズ ファイナル」)
→これは名曲。
デオダートのラプソディーインブルーを大胆に取り入れて(ってか、まあまんま)、遊び心にもあふれている。
その後、オウム真理教のなんやかんやで再び脚光を浴びたけれど、まあマジメな方なんでしょうね。
いや、入手できてよかった、と思う一品。

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