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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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kaijosha.jpg



佐藤先生が本を出して。
ま、ウチの機関紙に書いていた連載を再編集したというか、そういうものなわけですが。
現代書館から発売されていますので、みなさん買って読んでください(http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-3566-3.htm)。

井上達の訓練、というか勉強も見てもらってることもあって、彼らのコトもたくさん書かれています。

佐藤先生、まあ俺のオヤジになりますが、けっこうなんだかんだこの業界?では高名な方と言うことになります。
江戸川養護学校で最初の頃から教師。
ずっと江戸川にいて、教頭になって異動、その後校長になって異動しましたか。

小さい頃から家にはいない父親で、例えば休みの日、日曜日とかでもあちこちに訓練に行ったり、家庭訪問してみたり、そういうことをしていたようです。
いわゆる熱血教師、という感じか。

休みの日には、よく江戸川養護にも行きました。
なにせ、どこかに遊びに行く、などということはまったくありませんでしたから、ウチは。
行くとしたら江戸川養護か、その近くの施設とかに一緒に行ったりしてました。
仙台の施設内学校の教師だったこともあって、その施設にいたけれど、その後東京に出てきた人たちが集まっての飲み会とかにもよく連れて行かれました。
ウチにもみなさんよく来ていたけれど、まあそういう感じで。

レジャーだとか、家族旅行とか、そういうのには一切無関係のママ子ども時代を過ごしました。

ま、そのこと自体をどうこう思ったコトもなかったし、自分はけっこう一人でいるのも楽しかったし、まあそういうところに行くと、例えば若い先生なんかが相手してくれたりするんですよね。
そういうのもあったんで、別に「どっか行けない」とかで不満を持ったことはなかった。
というか、それが普通だったし。

夏休みはずっとオヤジとオフクロが宮城なんで、そこに行ってたり、従姉妹のところとかにずっといましたね。
今考えると、まあ小学生入ってすぐくらいで、東京駅まで親に送ってもらって新幹線に乗せてもらって、大阪で従姉妹のおばちゃんが待ってる、というようなこともありました。
あの頃はよかったですね。
指定席だから、その隣のオジサン、ってのがいるわけだけれど、その人に「1人で行くんですよろしくお願いします」ってオフクロが言ってたのを覚えています。

ま、オフクロも保育園に勤めてましたし。
夏休みとかはたいへんだったんじゃないですかね。
でもまあ、近所の保育園だったので、昼とかは行ってましたね。

なんかそんな感じで。
いい時代というか、そういうコトでもあったと思います。
近所の人たちもよく知ってたし、よく上がり込んでお菓子とかもらってたし。


ま、それはいいんですけど。

で、その本。
オヤジとしては、自分に関わりのある方にずいぶん贈ったらしいんです。
校長仲間、一緒にいろいろ研究会をやっていた仲間、昔行って他施設の職員の方、卒業しても訓練を続けていた子の親、などなどに、ずいぶんと贈ったらしく。

で、それを読んだ方から、提供品をあげたい、とずいぶん言われるようになりました。
先日は栃木まで行ってきたりもしました。
自力で持ってきてもらえる方の中には、持ってきて下さった方もいました。


オヤジの世代からすると、ウチの「ハチャメチャさ」というのは、どっか憧れというのがあるようで。
つまりは、まあそれは教師から見た観点だったり、当時の施設の運営とか、そういうコトの観点なワケですが。

そもそも、俺たちが相手をしているのは大人の井上であって、子どもではないわけです。
だから、酒を飲もうか、という時もあります。
彼らに道徳を強いるよりは、「もっと不道徳でいい」という雰囲気もあります。
金髪にしたいと言われれば、ブリーチもしてやります。

ノブがオグラに技をかけていて、それを見ていたコウヘイが参戦する。
おいおい、とまわりが笑ったりする。
彼らには彼らなりに関係があって、仲間同士、という思いが非常に強かったりもする。
だから、俺たちが入れない(入らない)場面も多い。

どっかに行きたい、といわれれば、まあ付き合ったりもします。
そして、インターネットで調べて、あそこにも行きたい、どこにも行きたい、とその要求は広がっている。
時に、映画なんかは、もう何度も一緒に行ってきたからというのもあるけど、彼らだけで行ったりしてる。

その中で、また「アイツとはいかない」とか、「あいつは誘わないからな!」とか、紛争の火種ができる。
それは俺はすごいいいことだと思ってて、「みんなと仲良くしなさい」などと言うコトは言わない。
だって、嫌いなもの、好きになれって言ったってムダです。
嫌いだからこそ、好きになる可能性はある、と俺は思うから。

オグラがここに来たばかりの頃、前にいた施設の同室の人の名前が一つも出てこなかったんだけど、そういうのは一番どうしようもない。
問題は起きないし、紛争の火種もないが、そんなのは人じゃない。
人の生きる環境だとは思えない。

人はグレーである。
だから、面白いし、イヤなこともあるけど、だから楽しいこともある。

それがもし、平坦だったら、そりゃ問題は起きない分、こっちは助かるけれど、でも、それでいいんだろうか?って俺は思う。

ケンカ、いいじゃない。
裏でこそこそいじめるよりずっといい。
最後はまあ、入ってジャッヂしてやんなきゃならんけど、それでも、いいじゃない。
なんか青春みたいで。


俺は、時代と共に、市丸たちに対する福祉のなんたらも変わらなきゃいけないと思っている。
進歩しなきゃいけない。
保護だったモノ、彼らが保護の対象だった時代から、主体へと成長していかなきゃいけない。
おそらくオヤジの世代は、この障害者福祉だったり障害児教育だったりの創世記の人たちだ。
それと同じことをまだやってるとしたら、やっぱそれは違う。

だから、先人達に「こういうのやりたかったんだよ」と言われるのは、とても嬉しいし、そうじゃなきゃいけない。
俺たちの時代に生きるモノの責任だと思う。

俺が、あのオヤジの若かった頃と同じコトをしていたんでは、やっぱダメなんだ。
急速に変わる世の中の中で、俺たちも進歩しなきゃいけない。
あの頃、先人のみなさんができなかったことをやれなかったとしたら、それこそ彼らに失礼だ。







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にじ屋初売り2020白黒ミニ

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jr.jpg

(BGM:THEATRE BROOK「何 ?」from「外道TRIBUTE [ゲゲゲの外道讃歌]」)
→これはスパイダースへの皮肉の曲なんだろうかね。
どう聞いても「とぼけた顔して~」ですね。
こういう曲好きだなあ。
そしてそれをトリビュートでやってくれるシアターブルックさん好き。
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バランスなんかホントはどうでもいいんだけど


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バランスってのは大事ですね。
人同士の関係とかのバランス。
とはいえ、バランスにばかり気を取られて自分の意思を表明できない、みたいなことになってしまうのは本末転倒的な気もしますね。
いわゆる「空気を読む」ってのも、バランスの一つなんでしょうが、あまり空気を読むというのはそもそも好きじゃないです。

とはいえ、空気を読まずに、バランスを崩してでも自分の言いたいことを言う、ってのはものすごく勇気がいるし、難しいことですね。
なかなか出来る事じゃない。


例えば、今の生活が端から見たらとても不安定で、DVを受けているとかだったとしても、そこにはそれなりのバランスがあって。
「私が我慢すれば」みたいな。
それをまあ「我慢しなくていいんだよ」というのは、そのバランス自体は崩れるからなかなか受け入れてもらえなかったりします。

そんな生活続けていたら身体壊すよ、とか。
いつか辛くなっちゃうよ、とか。
まあ、いろいろありますけど、端から見てたら。

でもまあ、それはそれでバランス取れてたりもして。
そうなると、なかなか忠告とかは受け入れてもらえない。

ま、つまりは「犠牲」ってことなんでしょうね。
犠牲がどっかにあって、それによってバランスが取れている、みたいな。
で、まあ「そんな犠牲になることないよ」みたいなことを、回りとしては言いたくなる。
でも、犠牲になってることでバランスは取れちゃってるから、なかなか踏み出すことが難しい。


知的障害の子がいたとして、まあ毎日作業所に通っているし、その作業所で何があるわけでもないし、毎日は同じで、毎日16時には家に帰ってくる、と。
その子にとって、そういう生活が十年も、二十年もこの先続く、というのは、おそらく希望もへったくれも持てないとは思いますが、本人はそれでもおとなしく行ってくれるし、その間に家族は買い物にも行けるし、帰ってきたら子どもの頃から好きだった魔女の宅急便のビデオを見せておけばおとなしい。
知的障害者の人はそういう生活をしていたりということをよく聞きます。
そして、そうやって子どもの面倒をみるということがあって、いい感じで夫婦の距離感も保てる。
それに、子どもの作業所の親の集まりやなんやで、それなりにやりがいも持てている。

こうなると、まあ例えばその子のために何が必要なんだろうか、とか、なんだとか表面上は考えるけれど、今のバランスを崩す気持ちにはなれなかったりする。

ま、よくある光景のような気がします。


とあるお母さんは、「子どもが自立なんかしちゃったら、私ウチで一人になっちゃうじゃないですか」とか言われたことがあります。
一人暮らしを勧めたときに、言われた言葉です。
家ではどうにも大声を出して云々、みたいなことがあったので、市丸達のようにこっちで親と離れて暮らしてみますか?と言ったときにこう言われたんです。
あ、もちろん、お父さんもご健在でした。
息子がいなくなっても一人じゃないと思うんですけどね。
そういうことじゃないんでしょう。

ま、つまりバランスなんでしょうね。
お母さんと旦那さんとその子の三人暮らしの中で、彼がいてくれた方が上手くバランスがとれるのでしょう。
その子のためになるかどうか、その子の将来は?ということは、そのバランスのために何も考えてもらえない、という感じでしたね。


それでもまあ、今の障害者を取り巻く現状はあくまで親が主体ですから。
親がそういえば、まあそうなっちゃうんですよね。
福祉事務所だって、親の言い分を受け入れるしかない、と言います。
「どう考えても、親の判断が間違っている」と思っても、それをひっくり返せないのだ、と。

大きく考えれば、それも社会のバランスなんでしょう。
そうしないと、障害者本人を社会が受け止めなきゃならなくなりますから。
それは嫌なんだよね、社会のみなさんは。
いいことをいい、優しくもするけれど、責任は取りたくない。
いい感じで24時間テレビとかで感動をもらえればそのくらいでちょうどイイ、みたいな。
遠くから観ていたい、みたいな。

そのくらいの距離感でいることが、社会が障害者に優しくしてくれる条件、みたいな感じというか。
親が責任持ってくれますよね、ということが前提で、という。
そういうバランスがとれている、というか。


別の角度から言いますと、そりゃ市丸なんかとネイクドで付き合ったら、そりゃ嫌な思い、すごくしますよ。
イライラもする。
長年一緒にいる我々ですらイライラしますから。
もちろん、すべての知的障害者がそうだとは言わないですが、そういう人もいるって話ね。
だから、じゃあまあ嫌えばいいんだけど、それでも「障害者だから」「優しくしなきゃいけないから」という呪縛があるからね。
それ、なかなか難しい。
そういうバランスで世の中は進んでいる。
我々はまあ、嫌い、と言えますけど、他から来た人がそういうのは難しいと思います。

だからまあ、世の中がいう「バランス」じゃなくて、「いいところ」でバランス取りましょう、というか。
大元の部分がそういうバランスで出来ているのだから、まあ個々にもそうなっちゃいがちですから。
そんな風に思ったりする、という話です。


そんなわけで、今晩は四谷アウトブレイクでライブです。
来て、市丸にイライラしてください。
お待ちしております。







佐藤店長生誕祭小

(BGM:1910 Fruitgum Company「Bubblegum World」fromYOUTUBE)
→ま、このイントロ、日本人なら全員知ってるアレなんだけど。
ぜひYOUTUBEで検索して聞いてみて下さい。

シンプルに


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先日ツイートを見てたら、介護現場の離職が多い理由について、けっこう「職場のやり方とあわない」「職場のやり方が許せない」というのが現場的には多い、というのが流れてきた。
同時に、「一般的には給料の安さ、それに対する責任の重さを指摘されるが、現場では上記のような話を聞くことが多い。この乖離はなんだろうか」という感じのことも書かれていた。

そのツイート自体は流れて行ってしまったので文面までは覚えてないし、誰が書いたのかもわからないが、ある意味、これはわからなくはないな、とは思ったと同時に、何か違和感もあって、その内容が印象に残っていた。


ま、このツイートそのものはおいておいて、この感じはなんかよくあるような気がした。

今の福祉制度は崩壊していて、高齢化社会になるというのに、介護職の人たちをつなぎ止めるために有効な手を打てないでいる。
介護の予算が増えるわけでもなく、給料は安く、現場は疲弊している。
のにもかかわらず、時に起こる事故の責任問題は重くのしかかる。
これでは介護職の人が増えるわけもない。

こうした政権のやり方に対して、ストレートに怒れればいいんだけど、世の中はなかなかそうもいかない。
今、まさに現場で格闘してる人たちの足並みが揃わないのである。

簡単に言えば、「上司のやり方が気に入らない」「職場の人間関係」というのは、どこの職場にもある。
別に介護の職場だけに限ったモノではない。
が、もちろん、老人介護の現場に於けるヘルパーへのセクハラとかも多発しているようなので、職場が一致団結して取り組まなければならない状態でもアリ、他の業種に比べ、そのへんは深刻である、とは言えると思う。
けれども、個々の職場には個々の問題や特殊な事情があり、それも一概に言えるモノではないと思う。

別に、この「職場の雰囲気」や「上司の考え方」といったものが、小さな問題だと言いたいのではないが、そもそもそれが月給100万だったとしたら、「辞める」という方に振れる針は小さくなるのではないだろうか、とは思うのだ。
もっと言えば、月給が100万だったら、もっといろいろな人材が入ってくるから、職場の雰囲気が大きく変わる可能性もある。
というか、変わらざるを得ない、というか。

人を集めるためには、給料を上げるのが一番早い。
それでも辞める人はいるだろうが、辞めない人も増えるはずだ。
人が集まることで、職場改革が進む可能性もある。


しかし、この感覚が福祉の現場ではメインにならなかったりする。
それは、福祉とは「志である」みたいな、福祉とは心である、みたいな、そういう精神が社会の中心にある、というのが一つの要因な気がする。

いや、そのこと自体は否定されなければいけない。
介護の問題を「気持ち」の問題にすり替えてしまうことは、今の政権もやっている。
そういう気持ちの問題にすり替えるから、賃金も上がらない、という結果になっている。

この波に反発するために、例えば介護職なんかの人たちは、自分たちのことを「専門的な仕事なのだ」とか言ったりもする。
それはある意味、一つの反論にはなるけれど、一方で、「介護とは何か」みたいなイデオローグの対立を産んだりもする。
つまり、専門的に考えれば考えるほど、それはその内部で考え方の違いによって足並みが揃わなかったりする。

専門的に考えるのが悪いと言ってるのではない。
しかし、AとBという対立が生まれてしまったが故に、AにもBにも覆い被さっている「介護予算が少ない。故に給料が安い」ということに共に立ち向かえなくなる。


福祉の現場で闘おうとしている人たちは、現実的に給料が低くてもやってるわけで、とてもマジメで一生懸命な人が多い。
そのことは、まったく悪いことじゃないし、むしろ歓迎するろころだけれど、そういう人に給料が安い、というのはマジメにやってる人にも失礼だ、って話なのですが。

けど、やっぱ真剣にモノを考えてしまうが故に、大元の問題だけではなく、いろいろな部分についてイデオロギー対立が生まれてしまったりもするような雰囲気がある。
「そこ、いま?」と思うようなことが、大問題かのように語られたりすると、ちょっと待ってよ、と言いたくなる。


今の政権に群がって甘い汁を吸おうとする人たちは、その目的が金、という至極簡単なモノでしかつながってないので(つまりはバカなんだろうけど)、互いに協力する力が強い。
鉄壁のようである。
けれども、それに対する、真剣に福祉を考える人たちは、マジメな分、どうしても細かい部分で対立しがちで、どうしても一枚岩になれないところがある。

過去には全障研、全障連対立のようなものもあったし、それはそのまま運動の世界でも同じで、埼玉でも二つの県交渉が今でも行われている。

俺は、もっともっと単純化していかなきゃいけないんじゃないかと思う。
介護の現場に於ける問題、というのは、確かに種々ある。
ある。
そして、それが大問題だというのもわかる。
わかるんだけど、問題はシンプルにしていかなきゃいけないと思う。

いや、そういうことで、その現場の問題を無視しよう、軽視しよう、ということを言いたいのではない。
それとこれとをきちんと分けた方がイイのではないだろうか?
逆に言えば、「ここまでは一緒にやる」けれども、「こっから先は一緒にやらない」という、「ハッキリした分断」をやってもいいのではないだろうか。
そのへんがごっちゃになって、大きな分断を産む必要があるとは思えないし、それはAの考えの人もBの考えの人にもうま味はないような気がする。


軽視しない、けれども、大元の問題については、そこはノーサイドで一緒に取り組もう、という理知的なアタマが求められているような気がする。

イデオロギーの対立は悪いことじゃない。
それによって、新しい何かが生まれる可能性があるから。
けれどもそれは、マジメな人たちにそれに相応する対価が支払われているという前提の話である。

だから、その前提を作る作業と、中身を語る作業を分けなければならないと思うのだ。






佐藤店長生誕祭小

(BGM:塩分手生えるんすか「もすかう [Digimind remix]」from「ウマウマできるトランスを作ってみた」)
→これはイイと思う。
トランスって、どこか胡散臭いというか、音楽愛を感じないことが多いんだけど、これはすごく好き。
もすかう、というタイトルがまずいいじゃない。

使わない言葉


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kaijosha.jpg



違和感、というのがあって。
「うまく言えないけど違和感」みたいな。
でもまあ、ガマンできないほどでもないし、う~ん、まあいいか、って流しちゃうくらいの。
とはいえ、家に帰ってから、「やっぱなんかもやもやする」みたいな感じ。

説明できればここでも書くんだろうけど、どうにもよくわからない、う~ん、という。
けっこうそういうことってあるんだよな。


最近もそういうことがあって、う~ん、なんだろう腹が立つけど、これなんだ?と。
で、考えた結果そういうことの話の時の「特徴」ってのがあるような気がしまして。

「言ってることは分からなくはない」
「いや、むしろ言いコト言ってるんだよな」
「…でも違和感」という。

これ、つまりその喋ってる人の「立ち位置」なんだな、きっと。
要求一致、みたいなことを言いますけど、確かに出てくる言葉は一緒なんだろうから、まあ一緒にやれるのかもしれないけど、言いようのない違和感がそこに漂う、みたいな。
そういう感じね。
「補助金上げろ」、は一緒なんだから、と。
まあ、そりゃそうなんですけど。


前に書いたかどうか、ウチみたいなところで、他にもあるわけだけれど、そういうところが「出張」とか言う言葉を使うことに対してすごい違和感があるんですね。
例えばこの前俺たちは山形に行ったけど、あれを職員サイドが「出張」という、みたいな。
あれは旅行でしょう。
「引率」ではない。
で、そういうところに限って、「個別指導」とかいう言葉を平気で使う。
「送迎」とか。
「遅番」とか。
「保護者」とか(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4830.html)。

まあ、共通言語を作らないと、職場はウマく回りません。
だから、省略する言語を使ってる、というのはわからなくはないんですよ。

でも、「引率」「遅番」「送迎」などの言葉でイメージされるのは、「支配される市丸と支配する健体者の職員」という図式です。
支配、という言葉がイヤなら「支援」と変えてもいいです。
どっちもイメージする画は一緒だと思います。
だからまあ、我々は「支援」という言葉も使いませんが。

いや、先に書いたように、共通言語は必要。
これは、組織が大きくなればなるほど必要になってきます。
でも、その時に、我々は「行政が使う言葉を使わない」「過去に収容施設で使われてきた言葉をつかわない」をできるだけしなきゃいけないな、とずっと思ってきました。

確かに、それはとても難しいことで、例えば市丸にだって「指導」はするんですよ。
でも、それを「指導」という言葉を使わないとしたら、けっこう難しくないですか?
難しいんです。
でも、それをやらなきゃいけないと思うんです。

「いや、指導は指導でしょ。日本語としていいんじゃないですか」という意見もごもっともで、その通りだと思うけど、それを市丸がきいた時の「あ、俺は指導される人なんだ」という「落胆」が、俺はイヤなんです。
というか、それに彼らは慣れすぎているんですよね。
特に他の作業所から来た連中は、自分からそういう言葉を使ったりもする。
知的障害のヤツが「私は座位を保てます」とか。
座位ってなんだよ、と。
んな言葉、世の中で使いますか?
んな言葉より、覚える言葉はいっぱいあるだろうに、と思うわけです。

逆もあって、例えばカブキなんかは帰りに「送迎」してもらわなきゃならないから、でも、「送迎」とは前にいた施設では言わなかったのでしょうか、「一緒に帰ろう」という言い方をしたりするんです。
でも、一緒に帰らないんですよ。
方向も違うし、お前の家に帰るわけじゃない。
確かに、「送迎」という言葉を使わない、ということではいいんでしょうが、「一緒に帰ろう」は、今度は日本語として間違っている。

この辺、まあなかなか難しい。
でも、それをしないと、彼らは一気に「お世話される人」に成り下がる。
そして、成り下がることに「慣れきっている」。
そのことが、俺はとても悔しいし、歯がゆいんです。

この、ジレンマこそが大事だとも思うんです。
なにが正解、というわけじゃないけど、「彼らのメンツを潰さない」「彼らが主役である」ことをやりとげるためには、やっぱここ悩むところだと思うんです大いに。


話をしてて、まあ当たり前に言いコト言っていても、これらの言葉が一つでも共通言語であるかのように出てきちゃうと、一気に俺は違和感になるんです。

「お前どっち側?」って。
「俺、お前の仲間じゃないけど」って。

俺はやっぱ市丸がそういう言葉を受け入れちゃう現実は悔しいし、彼らを「指導下に置く」ということをしたくないし、いや、そう市丸に「思われたくない」ので、やっぱ使えない。
それを使えちゃう人ってのは、やっぱなんか彼らを「指導しなければいけない人」と思っている、というか、いや、俺もそうは思ってるが、彼らに「そう思われてもいい人」という風に写る。
それは俺は避けたいんだ。
避けるためなら、言葉のチョイスは気をつけたい。

そして、それが出来ない人には、もやもやする。
まあ、有名な人であろうがなんだろうが、偉かろうが、なんか違う、って思う。






wannmannblog.jpg

(BGM:Silvertones「We Wish A Merry Christmas」from「Sisteren's Reggae Christmas」)
→ま、とりあえずクリスマスソングをレゲにしてみました、という。
シャレオツなお店とかで12月にかけるヤツか。

虹の会30年分の大反省


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機関紙先号に虹の会役員会名義で書いたモノを転載します。


タイトル

「虹の会30年分の大反省
分断を越えて真の介助保障を求めよう
~自薦方式がもたらしたものを検証する 虹の会役員会」


リード

総会で、「介護人派遣事業の問題点」というようなイベントをしました。
タイトルとしては「30年分の大反省」というような。
まあ、つまり当時の介護人派遣事業の導入にさいして、それを支持する動きを結果的にしてしまったことに対する反省、です。
30年、それを放置してきたわけではないですが、大きな勢力に負けてしまったというか、大きな流れの中で結果、大問題が発生している気がしています。
(文・虹の会役員会)


本文

【虹の会の本分と80年代】

虹の会は、「誰がどんな状況におかれても地域で暮らす」ということを掲げています。
つまり、誰がどんな状況、例えば障害者として産まれて来たとしても、自由に生きる場所、ライフスタイルが選べるべきである、ということです。
そして、それを基本的人権、生存権の問題と捉え、誰しもがその権利を有し、保障する義務は国、自治体にある、ということを主張してきました。

虹の会は、故福嶋あき江初代会長(筋ジス)が、浦和で一人暮らしをする、ということから始まっています。
当時、長期入院していた千葉の病院を出て、一年間渡米。
アメリカ、バークレーの自立生活運動を見聞きし、それを日本で実践する、というのが始まりでした。

ところが、日本では当時、介助者、つまりは日本ではヘルパーとか言われますが、家庭奉仕員制度、という形でしか位置づけられていませんでした。
家庭に奉仕する人、です。
つまりはお手伝い程度で、聞けば傷痍軍人の家庭への奉仕、ということから始まったと聞いています。
まだ、その流れの中に日本はあったわけです。

週3回18時間を上限、という形でしか派遣はされませんから、実際にはもっと少ない。
週2回3時間程度とかの感じだったか、まあいろいろでしょうけど、少なくとも上限いっぱい派遣されている人を私は知りません。

当時、その家庭奉仕員さんは、福祉課のカウンターの向こうにいました。
正職だったのかどうかはわかりませんが、非正規雇用というものがなかった時代ですから、どういう契約かはわかりませんが、市の職員ではあったのだと思います。


【介護人派遣事業への転換】

福嶋さん没後、今の会長、工藤さん(筋ジス)が同じように浦和に出てきて生活をはじめることになりました。
工藤さんは男性で、当時のヘルパーさんはほぼ全てが女性といっていい状況でしたから、実際にヘルパーをお願いすることが出来ませんでした。
同時に、松沢現副会長は言語障害もあり、なかなか介助の内容をヘルパーに伝えるのが困難な状況にありました。

その中、実際には学生などのボランティアで介助を回していました。
そうやって続けていく中で、松沢の言語障害もいともたやすく理解できる人も出てきます。
松沢の言語障害がなくなったとかじゃなく、言葉のやりとりというのは、やっぱり、毎週とか一緒にいることで、通じるようになってくるものなのです。

こうなると、実際に来るヘルパーよりも、「このボランティアの方がずっと役に立つ」という現象が起きてきます。
工藤さんにしてみれば、男性がいない、という状況の中、ヘルパーは使えないけど、今のボランティアは男性なわけで、使えるわけです。

時ちょうど、ヘルパーが民間委託されはじめ、回数こそ増えたものの、時間がぶつ切れ、誰が来るかわからない、という状況の中、我々は「このボランティアをヘルパーとして派遣してくれ」という風に要求をすることにしました。
浦和市では「外出介護人派遣事業」というのが始まっており、そちらの方は利用者サイドが推薦した人をヘルパーとして登録することが可能だったこともあり、家庭内のことについてもその方式にスライドしろ、という内容です。

これは「松沢方式」として市に認めさせることができました。
一年ほど、このことは市との協議で秘していましたが、その後、広く認められるようになりました。

ここがまず我々が反省すべき点(※①)だったのではないかというところです。
後述します。


【ヘルパー委託】

そして、その割合が増えていくにしたがって、市としても我々の要求を何らかの形で認めよう、ということだったのだと思いますが、いろいろと新事業を展開していきました。
試験的に夜の巡回ヘルパー派遣などもあったと記憶しています。
ただ、なんにしても男性がいない、松沢の言葉を解するだけで時間がいっぱいになってしまう、という点は解決されませんでした。
ボランティアであれば一人で風呂介助も可能なのに、二人で来ないと筋力的に無理だ、だからという理由で断られる、というようなこともありました。

そして、時代はNPO法人にもヘルパー受託を可能にする、というところに来ていました。
これは、全国的な流れでありました。
我々のような団体が集まった全国組織JILなどが、それを推奨したわけです。
つまり、各々の団体が事業体となって、自分たちにヘルパーを派遣する、ということです。

これは一見、とてもいい形に見えます。
つまり、自分のニーズに合った人、例えば男性とか言葉を解してくれるとか、を、自分のところに派遣できるわけですから。
それまではほとんどヘルパーが派遣されず、しかし一人暮らししている人たちというのは、実際には我々のようにボランティアを募集して、なんとかやりくりしていたわけです。
そのボランティアをそのままヘルパーとして使えれば、その人たちにも給料が出せる、つまり障害者側としては介助が得られ、生活が安定する、ということです。

我々は、実際、ここではかなり抵抗しました。
というのも、受託されれば、資格の問題が出てくるからです。
介助者の資格、という問題です(※②)。
これについても後述します。

しかし、実際にその当時受託しているヘルパーでは対応できない、なんとかならないか、という非公式な協議の中で、委託を受けることにしました。
そのために、NPOを立ち上げるという、めんどうなこともついてきてしまいました。

こうやって、我々は表向き「ヘルパー派遣事業所」になってしまいました。
しかし、果たしてこれは我々がやりたかったコトなのか?というと、まったく違うんです。

だって、「誰がどんな状況におかれてもライフスタイルを選択できる」ことが目的だったのに、今そのライフスタイルを選択できる権利を、委託事業所として保障しなくてはならなくなったのですから、話が逆転してしまったとも言えます。


【時間数ではなく、金額の問題】

それまで、介護人派遣事業として何時間保障されるか?ということを我々は目標の数字としてあげてきました。
そもそも、週3回18時間、というのがありましたから、それを外出介護人派遣事業で何時間上乗せするのか?そして、松沢方式で何時間?というように。
深夜の寝返りなどまで認めさせるのは大変時間がかかりましたが、当時から浦和は日本で一番の時間数を出していたと思います。
それはまあ、かなり先鋭的な交渉を展開していたので、まあそうなったのだと思います。

しかし、委託されて痛感するのは、そもそも金の問題なんですね。
今の「介護する人が不足している」という昨今の中で、ヘルパーを募集しなければならない、というのは、結局金なんですから。
時間単位あたりの金の問題。
もちろんそれは当時からも訴えていた事項ではありますが、福祉予算が切り捨てられる中、また介護保険がスタートし、それにあわせる形で当初の金額は切り下げられる事態になっています。

金がふんだんにあれば、応募など簡単にあるでしょう。
しかし、介助、介護は大変、しかも薄給、というのが現状で、そこにわざわざ応募する人がいるでしょうか?
少なくとも、薄給の方は金さえつぎ込めば解決します。

そもそもは、ボランティアで始まったわけですから、ボランティアがいるだろう、という意見もありましょうが、今の学生はとにかく忙しい。
学費が上がったこともあり、昔のように遊んでいる学生などいません。
簡単にボランティアはつかまらなくなりました。

福祉の現場から、金がなくなっていくのと共に人もいなくなった、そんな感じです。


【権利からサービスへ】

我々が委託に否定的だったこと、それに対して市が折れたこと、などの「内容」について、市の担当者が変わると共に、薄れていってしまいます。
他の事業所と同じように扱われるはずじゃなかったのに、そういうあつかいをされてしまうとしたら、「約束が違う」ということになるんだけど、非公式協議の中で意思疎通されたものを文書化していない以上、それは通らない。
非公式とはそういうことではあります。
しかし、まあ伝説のようになっている話は受け継がれてはいて、担当が変わるたびに話をしていくしかない状況になってはいます。

我々は、別に事業体を運営したいわけではない。
だから、いつでもやめる。
ただ、「その後の毎日の生活の保障はあなた方がやってください」とは言い続けてはいたんだけど、一方で大きな流れとして、福祉が「サービス」になった、ということが出てきました。

福祉とは権利であって、行政にとっては義務のはずが、介護保険の導入と共に、そもそもが「サービスである」というような理解が一般的に広がってしまいました。
福祉八法の改正で、福祉産業を認める流れになった結果、これはおそらく行政としては狙っていた流れなのでしょう。

サービスを提供する事業所、サービスを受ける人、という風に表現することで、権利と義務の関係は薄れていきます。
介助を受けることがまるでサービスを受けるかのように思われてしまっている。

そうじゃない。
生きていくために必要な介助を派遣しろ、というコトだったはず。
その権利はこちらにあり、義務は行政にあったはず。
福祉という言葉をサービスに置き換えるという愚行が今の日本に蔓延しているのです。


【福祉の産業化と資格ビジネス】

※②についてです。
委託をされてヘルパーを派遣するとなると、それまでやっていたボランティアではダメだ、という話になりました。
つまり、「資格を取れ」ということですね。

しかし、我々が松沢方式で主張してきたのは、「今のボランティアの方が使える」という一点でした。
そのボランティアには資格がなかったとして、彼を使うということを認めろ、という話だったはず。
にもかかわらず、委託になったら資格を取れ、とはどういうことでしょうか?

全国の多くの我々のような団体が簡単にこれを受け入れました。
我々は抵抗を続けていますが、つまり、我々が最初に言いたかったことは、これは全国の団体も同じだと思いますが、「その介助者の資格は使う障害者自身が決める」ということだったのではないでしょうか。
国が決める資格ではないのではないか?

そもそも、「国が決めた資格を持ったヘルパーが使えないじゃないか!」ということから始まったんじゃないですか。
その一点が崩れてしまうと、「推薦登録」という最初の一歩の話が違ってきます。

これは福祉が産業化していく中で、「資格ビジネス」に利権を与えるための一つの方策だったのでしょう。
そうすることで、企業が参入しやすくする、という面があったのだと思います。

こうした利権を我々が認めてしまっていいのでしょうか?
福祉をクイモノにしている、ともいえるのではないでしょうか?

そもそもは、その資格を我々の手に、と言っていたはずじゃないですか?


【自分で介助者を見つけなければならないのか?】

※①についてです。
当時ボランティアでやってくれてた人をそのままお金を払って定着させよう、というのは、間違ってはいなかったと思います。
しかし、その人が何らかの都合でやめた場合、新しい人を募集しなければならない。
その労苦というのは、まだこの松沢方式の頃は軽かったのです。

けれど、この介助(介護)する人不足、という大きな波は、我々をも飲み込んでいます。
先に書いたように、薄給・重労働、ということがあると思います。
なかなか募集をかけてもこない。
そういう状況が続いています。

これは全国的な流れですから、国や行政が義務者としてすべきことは、いますぐ単価をあげることです。
そうすれば、これはある程度解決していくと思います。
しかし、消費税を福祉に、といいながら実際は福祉は切り捨てられている昨今です。

このことに抵抗する全国的な大運動を我々は作っていかなければなりません。


【我々は分断に利用されてしまったのではないか】

先に書いたように、単価を上げることは急務です。
それによって、変わる部分は多くあります。
しかし、それがなかなか運動になりにくくなってしまっています。

というのは、利用者である障害者が運営側になることで、介助をする側の労働者との間に、対立関係が産まれてしまったからです。
労働者と使用者、これは資本主義の論理として、構造的に対立する関係です。

昔なら、ボランティアの時代なら、多くのボランティアも一緒に立ち上がることができました。
しかし、そもそも労働者は使用者に使われているわけですから、賃上げ要求は使用者に向かいます。
そうなると、使用者としては同じ金額の中で、どうやりくりするか、みたいな話になってしまう。
本来は、社会福祉に回す分を増やせ!という話だったのが、なかなか労働者と使用者がその枠を越えて声を上げることが難しくなってしまう。

介護人派遣事業が、浦和市で言えば松沢方式が始まった時点から、この矛盾を内包していたといえます。

行政側としたら、当時、大きくなっていきつつあった介助保障要求運動をなんとかして小さくしたい。
そのためには、民営化ならぬ、企業を参入させることで、一直線に行政に向かっていた運動を、労使対立にすり替え分散させたい、という目論見もあったのではないか?と今になって思います。

このことこそが、我々としては大反省しなければならない点だと思っています。

障害者運動を進めるために存在する我々は、社会を変える、障害者だって地域で生きられる社会にしよう、と大きな運動を作っていかなければならないはず。
しかし、その運動によって得られた成果によって、分断をすすめる結果になってしまったのではないか?

これは、大きな反省点です。


【これからのこと】

我々は、もう一度、介助者と向き合って、一緒に大きな運動を作る礎を築かなければならないと思います。
分断させられている場合ではないのです。

介助者の不足は、全国規模であり、現状の介助者も疲弊しています。
そして薄給。
多くの人が現場を離れ、介護保険においても介護者が派遣されず、介護離職などという事態に陥ってる人も多いと言います。
一方、政府は自助を叫びはじめ、介助が我々の権利であり、行政の義務であることを放棄し始めています。

これは、近代国家としてかなり末期的です。
生活保護受給者が貶められ、しかも生活保護ラインに届かない収入の人が増えている。
日本で生保の補足率が抜群に低いのは、この「福祉を受けることが恥」という「日本人の体質」もあると思いますが、それを加速する世論が形成されてもいます。

相模原では障害者の大量虐殺が行われ、それについて首相はコメントすらしない。
自分の名前を出された犯人の手紙まで発見されてなお、非難の言葉すらない。

この状況は、障害者を抹殺しようという流れだと思うのは大げさでしょうか。
これでは、「誰がどんな状況におかれてもライフスタイルを選択できる」などというのはなお遠くなってしまいます。

今、もっと声を大きくしなければ、障害者はおろか、高齢者、社会的弱者、貧困の問題、そうしたことが、どんどん見捨てられていくのではないでしょうか。

分断されている場合ではないのです。
まず、身近なところから、我々は分断に抵抗し、もっと先を見据えて進みたいと思います。


【補足】

*介護人派遣事業を悪者のように書いたきらいもありますが、これによって多くの障害者が施設を出ることが出来た、親の死後に施設に入らないライフスタイルを選択することが出来た、といういい面はたくさんあります。

*全国組織JILからは、我々は脱退しています。数年前、上記のような内容の質問状に回答がなかったためです。

*近年では、民営化の流れの中、そもそも「障害者自立生活運動」(我々は自立、という言葉は使いませんが、全国的にはそう言われている)が崩壊しつつある、という意見もあります。
こうなると、利用者は利用者でしかなくなり、そのニーズは運営者(企業)に向かい、という形で、介助者の育成や募集についてが「企業努力」という名の下に押し込められ、「介助保障は我々の権利である」という大原則が、資本論理に取り込まれることになります。
それが行政の福祉切り捨ての結果だとしても、企業は介助者を疲弊させることで、例えばブラック化することで乗り越えるしかなくなります。
それは我々が望む形ではありませんし、そもそも「介助」は生活上、なければ死ぬ、という類いのモノであり、商取引される類いのモノではありません。

おわり





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(BGM:Culture Beat「Under Pressure」from「Queen Dance Traxx Ⅰ」)
→ボヘミアンラプソディーよりこっち、クイーンブームですけど、このコンピはけっこう前に出たモノではなかったか。
これなあ、ワンコードで押し切ってくれたらなんかかっこよかったのにな。
なんだかんだもうリミックスなんだから、そのくらいメチャクチャにしてほしい気もするのであった。

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