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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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違和感、というのがあって。
「うまく言えないけど違和感」みたいな。
でもまあ、ガマンできないほどでもないし、う~ん、まあいいか、って流しちゃうくらいの。
とはいえ、家に帰ってから、「やっぱなんかもやもやする」みたいな感じ。

説明できればここでも書くんだろうけど、どうにもよくわからない、う~ん、という。
けっこうそういうことってあるんだよな。


最近もそういうことがあって、う~ん、なんだろう腹が立つけど、これなんだ?と。
で、考えた結果そういうことの話の時の「特徴」ってのがあるような気がしまして。

「言ってることは分からなくはない」
「いや、むしろ言いコト言ってるんだよな」
「…でも違和感」という。

これ、つまりその喋ってる人の「立ち位置」なんだな、きっと。
要求一致、みたいなことを言いますけど、確かに出てくる言葉は一緒なんだろうから、まあ一緒にやれるのかもしれないけど、言いようのない違和感がそこに漂う、みたいな。
そういう感じね。
「補助金上げろ」、は一緒なんだから、と。
まあ、そりゃそうなんですけど。


前に書いたかどうか、ウチみたいなところで、他にもあるわけだけれど、そういうところが「出張」とか言う言葉を使うことに対してすごい違和感があるんですね。
例えばこの前俺たちは山形に行ったけど、あれを職員サイドが「出張」という、みたいな。
あれは旅行でしょう。
「引率」ではない。
で、そういうところに限って、「個別指導」とかいう言葉を平気で使う。
「送迎」とか。
「遅番」とか。
「保護者」とか(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4830.html)。

まあ、共通言語を作らないと、職場はウマく回りません。
だから、省略する言語を使ってる、というのはわからなくはないんですよ。

でも、「引率」「遅番」「送迎」などの言葉でイメージされるのは、「支配される市丸と支配する健体者の職員」という図式です。
支配、という言葉がイヤなら「支援」と変えてもいいです。
どっちもイメージする画は一緒だと思います。
だからまあ、我々は「支援」という言葉も使いませんが。

いや、先に書いたように、共通言語は必要。
これは、組織が大きくなればなるほど必要になってきます。
でも、その時に、我々は「行政が使う言葉を使わない」「過去に収容施設で使われてきた言葉をつかわない」をできるだけしなきゃいけないな、とずっと思ってきました。

確かに、それはとても難しいことで、例えば市丸にだって「指導」はするんですよ。
でも、それを「指導」という言葉を使わないとしたら、けっこう難しくないですか?
難しいんです。
でも、それをやらなきゃいけないと思うんです。

「いや、指導は指導でしょ。日本語としていいんじゃないですか」という意見もごもっともで、その通りだと思うけど、それを市丸がきいた時の「あ、俺は指導される人なんだ」という「落胆」が、俺はイヤなんです。
というか、それに彼らは慣れすぎているんですよね。
特に他の作業所から来た連中は、自分からそういう言葉を使ったりもする。
知的障害のヤツが「私は座位を保てます」とか。
座位ってなんだよ、と。
んな言葉、世の中で使いますか?
んな言葉より、覚える言葉はいっぱいあるだろうに、と思うわけです。

逆もあって、例えばカブキなんかは帰りに「送迎」してもらわなきゃならないから、でも、「送迎」とは前にいた施設では言わなかったのでしょうか、「一緒に帰ろう」という言い方をしたりするんです。
でも、一緒に帰らないんですよ。
方向も違うし、お前の家に帰るわけじゃない。
確かに、「送迎」という言葉を使わない、ということではいいんでしょうが、「一緒に帰ろう」は、今度は日本語として間違っている。

この辺、まあなかなか難しい。
でも、それをしないと、彼らは一気に「お世話される人」に成り下がる。
そして、成り下がることに「慣れきっている」。
そのことが、俺はとても悔しいし、歯がゆいんです。

この、ジレンマこそが大事だとも思うんです。
なにが正解、というわけじゃないけど、「彼らのメンツを潰さない」「彼らが主役である」ことをやりとげるためには、やっぱここ悩むところだと思うんです大いに。


話をしてて、まあ当たり前に言いコト言っていても、これらの言葉が一つでも共通言語であるかのように出てきちゃうと、一気に俺は違和感になるんです。

「お前どっち側?」って。
「俺、お前の仲間じゃないけど」って。

俺はやっぱ市丸がそういう言葉を受け入れちゃう現実は悔しいし、彼らを「指導下に置く」ということをしたくないし、いや、そう市丸に「思われたくない」ので、やっぱ使えない。
それを使えちゃう人ってのは、やっぱなんか彼らを「指導しなければいけない人」と思っている、というか、いや、俺もそうは思ってるが、彼らに「そう思われてもいい人」という風に写る。
それは俺は避けたいんだ。
避けるためなら、言葉のチョイスは気をつけたい。

そして、それが出来ない人には、もやもやする。
まあ、有名な人であろうがなんだろうが、偉かろうが、なんか違う、って思う。






wannmannblog.jpg

(BGM:Silvertones「We Wish A Merry Christmas」from「Sisteren's Reggae Christmas」)
→ま、とりあえずクリスマスソングをレゲにしてみました、という。
シャレオツなお店とかで12月にかけるヤツか。
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虹の会30年分の大反省


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機関紙先号に虹の会役員会名義で書いたモノを転載します。


タイトル

「虹の会30年分の大反省
分断を越えて真の介助保障を求めよう
~自薦方式がもたらしたものを検証する 虹の会役員会」


リード

総会で、「介護人派遣事業の問題点」というようなイベントをしました。
タイトルとしては「30年分の大反省」というような。
まあ、つまり当時の介護人派遣事業の導入にさいして、それを支持する動きを結果的にしてしまったことに対する反省、です。
30年、それを放置してきたわけではないですが、大きな勢力に負けてしまったというか、大きな流れの中で結果、大問題が発生している気がしています。
(文・虹の会役員会)


本文

【虹の会の本分と80年代】

虹の会は、「誰がどんな状況におかれても地域で暮らす」ということを掲げています。
つまり、誰がどんな状況、例えば障害者として産まれて来たとしても、自由に生きる場所、ライフスタイルが選べるべきである、ということです。
そして、それを基本的人権、生存権の問題と捉え、誰しもがその権利を有し、保障する義務は国、自治体にある、ということを主張してきました。

虹の会は、故福嶋あき江初代会長(筋ジス)が、浦和で一人暮らしをする、ということから始まっています。
当時、長期入院していた千葉の病院を出て、一年間渡米。
アメリカ、バークレーの自立生活運動を見聞きし、それを日本で実践する、というのが始まりでした。

ところが、日本では当時、介助者、つまりは日本ではヘルパーとか言われますが、家庭奉仕員制度、という形でしか位置づけられていませんでした。
家庭に奉仕する人、です。
つまりはお手伝い程度で、聞けば傷痍軍人の家庭への奉仕、ということから始まったと聞いています。
まだ、その流れの中に日本はあったわけです。

週3回18時間を上限、という形でしか派遣はされませんから、実際にはもっと少ない。
週2回3時間程度とかの感じだったか、まあいろいろでしょうけど、少なくとも上限いっぱい派遣されている人を私は知りません。

当時、その家庭奉仕員さんは、福祉課のカウンターの向こうにいました。
正職だったのかどうかはわかりませんが、非正規雇用というものがなかった時代ですから、どういう契約かはわかりませんが、市の職員ではあったのだと思います。


【介護人派遣事業への転換】

福嶋さん没後、今の会長、工藤さん(筋ジス)が同じように浦和に出てきて生活をはじめることになりました。
工藤さんは男性で、当時のヘルパーさんはほぼ全てが女性といっていい状況でしたから、実際にヘルパーをお願いすることが出来ませんでした。
同時に、松沢現副会長は言語障害もあり、なかなか介助の内容をヘルパーに伝えるのが困難な状況にありました。

その中、実際には学生などのボランティアで介助を回していました。
そうやって続けていく中で、松沢の言語障害もいともたやすく理解できる人も出てきます。
松沢の言語障害がなくなったとかじゃなく、言葉のやりとりというのは、やっぱり、毎週とか一緒にいることで、通じるようになってくるものなのです。

こうなると、実際に来るヘルパーよりも、「このボランティアの方がずっと役に立つ」という現象が起きてきます。
工藤さんにしてみれば、男性がいない、という状況の中、ヘルパーは使えないけど、今のボランティアは男性なわけで、使えるわけです。

時ちょうど、ヘルパーが民間委託されはじめ、回数こそ増えたものの、時間がぶつ切れ、誰が来るかわからない、という状況の中、我々は「このボランティアをヘルパーとして派遣してくれ」という風に要求をすることにしました。
浦和市では「外出介護人派遣事業」というのが始まっており、そちらの方は利用者サイドが推薦した人をヘルパーとして登録することが可能だったこともあり、家庭内のことについてもその方式にスライドしろ、という内容です。

これは「松沢方式」として市に認めさせることができました。
一年ほど、このことは市との協議で秘していましたが、その後、広く認められるようになりました。

ここがまず我々が反省すべき点(※①)だったのではないかというところです。
後述します。


【ヘルパー委託】

そして、その割合が増えていくにしたがって、市としても我々の要求を何らかの形で認めよう、ということだったのだと思いますが、いろいろと新事業を展開していきました。
試験的に夜の巡回ヘルパー派遣などもあったと記憶しています。
ただ、なんにしても男性がいない、松沢の言葉を解するだけで時間がいっぱいになってしまう、という点は解決されませんでした。
ボランティアであれば一人で風呂介助も可能なのに、二人で来ないと筋力的に無理だ、だからという理由で断られる、というようなこともありました。

そして、時代はNPO法人にもヘルパー受託を可能にする、というところに来ていました。
これは、全国的な流れでありました。
我々のような団体が集まった全国組織JILなどが、それを推奨したわけです。
つまり、各々の団体が事業体となって、自分たちにヘルパーを派遣する、ということです。

これは一見、とてもいい形に見えます。
つまり、自分のニーズに合った人、例えば男性とか言葉を解してくれるとか、を、自分のところに派遣できるわけですから。
それまではほとんどヘルパーが派遣されず、しかし一人暮らししている人たちというのは、実際には我々のようにボランティアを募集して、なんとかやりくりしていたわけです。
そのボランティアをそのままヘルパーとして使えれば、その人たちにも給料が出せる、つまり障害者側としては介助が得られ、生活が安定する、ということです。

我々は、実際、ここではかなり抵抗しました。
というのも、受託されれば、資格の問題が出てくるからです。
介助者の資格、という問題です(※②)。
これについても後述します。

しかし、実際にその当時受託しているヘルパーでは対応できない、なんとかならないか、という非公式な協議の中で、委託を受けることにしました。
そのために、NPOを立ち上げるという、めんどうなこともついてきてしまいました。

こうやって、我々は表向き「ヘルパー派遣事業所」になってしまいました。
しかし、果たしてこれは我々がやりたかったコトなのか?というと、まったく違うんです。

だって、「誰がどんな状況におかれてもライフスタイルを選択できる」ことが目的だったのに、今そのライフスタイルを選択できる権利を、委託事業所として保障しなくてはならなくなったのですから、話が逆転してしまったとも言えます。


【時間数ではなく、金額の問題】

それまで、介護人派遣事業として何時間保障されるか?ということを我々は目標の数字としてあげてきました。
そもそも、週3回18時間、というのがありましたから、それを外出介護人派遣事業で何時間上乗せするのか?そして、松沢方式で何時間?というように。
深夜の寝返りなどまで認めさせるのは大変時間がかかりましたが、当時から浦和は日本で一番の時間数を出していたと思います。
それはまあ、かなり先鋭的な交渉を展開していたので、まあそうなったのだと思います。

しかし、委託されて痛感するのは、そもそも金の問題なんですね。
今の「介護する人が不足している」という昨今の中で、ヘルパーを募集しなければならない、というのは、結局金なんですから。
時間単位あたりの金の問題。
もちろんそれは当時からも訴えていた事項ではありますが、福祉予算が切り捨てられる中、また介護保険がスタートし、それにあわせる形で当初の金額は切り下げられる事態になっています。

金がふんだんにあれば、応募など簡単にあるでしょう。
しかし、介助、介護は大変、しかも薄給、というのが現状で、そこにわざわざ応募する人がいるでしょうか?
少なくとも、薄給の方は金さえつぎ込めば解決します。

そもそもは、ボランティアで始まったわけですから、ボランティアがいるだろう、という意見もありましょうが、今の学生はとにかく忙しい。
学費が上がったこともあり、昔のように遊んでいる学生などいません。
簡単にボランティアはつかまらなくなりました。

福祉の現場から、金がなくなっていくのと共に人もいなくなった、そんな感じです。


【権利からサービスへ】

我々が委託に否定的だったこと、それに対して市が折れたこと、などの「内容」について、市の担当者が変わると共に、薄れていってしまいます。
他の事業所と同じように扱われるはずじゃなかったのに、そういうあつかいをされてしまうとしたら、「約束が違う」ということになるんだけど、非公式協議の中で意思疎通されたものを文書化していない以上、それは通らない。
非公式とはそういうことではあります。
しかし、まあ伝説のようになっている話は受け継がれてはいて、担当が変わるたびに話をしていくしかない状況になってはいます。

我々は、別に事業体を運営したいわけではない。
だから、いつでもやめる。
ただ、「その後の毎日の生活の保障はあなた方がやってください」とは言い続けてはいたんだけど、一方で大きな流れとして、福祉が「サービス」になった、ということが出てきました。

福祉とは権利であって、行政にとっては義務のはずが、介護保険の導入と共に、そもそもが「サービスである」というような理解が一般的に広がってしまいました。
福祉八法の改正で、福祉産業を認める流れになった結果、これはおそらく行政としては狙っていた流れなのでしょう。

サービスを提供する事業所、サービスを受ける人、という風に表現することで、権利と義務の関係は薄れていきます。
介助を受けることがまるでサービスを受けるかのように思われてしまっている。

そうじゃない。
生きていくために必要な介助を派遣しろ、というコトだったはず。
その権利はこちらにあり、義務は行政にあったはず。
福祉という言葉をサービスに置き換えるという愚行が今の日本に蔓延しているのです。


【福祉の産業化と資格ビジネス】

※②についてです。
委託をされてヘルパーを派遣するとなると、それまでやっていたボランティアではダメだ、という話になりました。
つまり、「資格を取れ」ということですね。

しかし、我々が松沢方式で主張してきたのは、「今のボランティアの方が使える」という一点でした。
そのボランティアには資格がなかったとして、彼を使うということを認めろ、という話だったはず。
にもかかわらず、委託になったら資格を取れ、とはどういうことでしょうか?

全国の多くの我々のような団体が簡単にこれを受け入れました。
我々は抵抗を続けていますが、つまり、我々が最初に言いたかったことは、これは全国の団体も同じだと思いますが、「その介助者の資格は使う障害者自身が決める」ということだったのではないでしょうか。
国が決める資格ではないのではないか?

そもそも、「国が決めた資格を持ったヘルパーが使えないじゃないか!」ということから始まったんじゃないですか。
その一点が崩れてしまうと、「推薦登録」という最初の一歩の話が違ってきます。

これは福祉が産業化していく中で、「資格ビジネス」に利権を与えるための一つの方策だったのでしょう。
そうすることで、企業が参入しやすくする、という面があったのだと思います。

こうした利権を我々が認めてしまっていいのでしょうか?
福祉をクイモノにしている、ともいえるのではないでしょうか?

そもそもは、その資格を我々の手に、と言っていたはずじゃないですか?


【自分で介助者を見つけなければならないのか?】

※①についてです。
当時ボランティアでやってくれてた人をそのままお金を払って定着させよう、というのは、間違ってはいなかったと思います。
しかし、その人が何らかの都合でやめた場合、新しい人を募集しなければならない。
その労苦というのは、まだこの松沢方式の頃は軽かったのです。

けれど、この介助(介護)する人不足、という大きな波は、我々をも飲み込んでいます。
先に書いたように、薄給・重労働、ということがあると思います。
なかなか募集をかけてもこない。
そういう状況が続いています。

これは全国的な流れですから、国や行政が義務者としてすべきことは、いますぐ単価をあげることです。
そうすれば、これはある程度解決していくと思います。
しかし、消費税を福祉に、といいながら実際は福祉は切り捨てられている昨今です。

このことに抵抗する全国的な大運動を我々は作っていかなければなりません。


【我々は分断に利用されてしまったのではないか】

先に書いたように、単価を上げることは急務です。
それによって、変わる部分は多くあります。
しかし、それがなかなか運動になりにくくなってしまっています。

というのは、利用者である障害者が運営側になることで、介助をする側の労働者との間に、対立関係が産まれてしまったからです。
労働者と使用者、これは資本主義の論理として、構造的に対立する関係です。

昔なら、ボランティアの時代なら、多くのボランティアも一緒に立ち上がることができました。
しかし、そもそも労働者は使用者に使われているわけですから、賃上げ要求は使用者に向かいます。
そうなると、使用者としては同じ金額の中で、どうやりくりするか、みたいな話になってしまう。
本来は、社会福祉に回す分を増やせ!という話だったのが、なかなか労働者と使用者がその枠を越えて声を上げることが難しくなってしまう。

介護人派遣事業が、浦和市で言えば松沢方式が始まった時点から、この矛盾を内包していたといえます。

行政側としたら、当時、大きくなっていきつつあった介助保障要求運動をなんとかして小さくしたい。
そのためには、民営化ならぬ、企業を参入させることで、一直線に行政に向かっていた運動を、労使対立にすり替え分散させたい、という目論見もあったのではないか?と今になって思います。

このことこそが、我々としては大反省しなければならない点だと思っています。

障害者運動を進めるために存在する我々は、社会を変える、障害者だって地域で生きられる社会にしよう、と大きな運動を作っていかなければならないはず。
しかし、その運動によって得られた成果によって、分断をすすめる結果になってしまったのではないか?

これは、大きな反省点です。


【これからのこと】

我々は、もう一度、介助者と向き合って、一緒に大きな運動を作る礎を築かなければならないと思います。
分断させられている場合ではないのです。

介助者の不足は、全国規模であり、現状の介助者も疲弊しています。
そして薄給。
多くの人が現場を離れ、介護保険においても介護者が派遣されず、介護離職などという事態に陥ってる人も多いと言います。
一方、政府は自助を叫びはじめ、介助が我々の権利であり、行政の義務であることを放棄し始めています。

これは、近代国家としてかなり末期的です。
生活保護受給者が貶められ、しかも生活保護ラインに届かない収入の人が増えている。
日本で生保の補足率が抜群に低いのは、この「福祉を受けることが恥」という「日本人の体質」もあると思いますが、それを加速する世論が形成されてもいます。

相模原では障害者の大量虐殺が行われ、それについて首相はコメントすらしない。
自分の名前を出された犯人の手紙まで発見されてなお、非難の言葉すらない。

この状況は、障害者を抹殺しようという流れだと思うのは大げさでしょうか。
これでは、「誰がどんな状況におかれてもライフスタイルを選択できる」などというのはなお遠くなってしまいます。

今、もっと声を大きくしなければ、障害者はおろか、高齢者、社会的弱者、貧困の問題、そうしたことが、どんどん見捨てられていくのではないでしょうか。

分断されている場合ではないのです。
まず、身近なところから、我々は分断に抵抗し、もっと先を見据えて進みたいと思います。


【補足】

*介護人派遣事業を悪者のように書いたきらいもありますが、これによって多くの障害者が施設を出ることが出来た、親の死後に施設に入らないライフスタイルを選択することが出来た、といういい面はたくさんあります。

*全国組織JILからは、我々は脱退しています。数年前、上記のような内容の質問状に回答がなかったためです。

*近年では、民営化の流れの中、そもそも「障害者自立生活運動」(我々は自立、という言葉は使いませんが、全国的にはそう言われている)が崩壊しつつある、という意見もあります。
こうなると、利用者は利用者でしかなくなり、そのニーズは運営者(企業)に向かい、という形で、介助者の育成や募集についてが「企業努力」という名の下に押し込められ、「介助保障は我々の権利である」という大原則が、資本論理に取り込まれることになります。
それが行政の福祉切り捨ての結果だとしても、企業は介助者を疲弊させることで、例えばブラック化することで乗り越えるしかなくなります。
それは我々が望む形ではありませんし、そもそも「介助」は生活上、なければ死ぬ、という類いのモノであり、商取引される類いのモノではありません。

おわり





sennkyoshou.jpg

(BGM:Culture Beat「Under Pressure」from「Queen Dance Traxx Ⅰ」)
→ボヘミアンラプソディーよりこっち、クイーンブームですけど、このコンピはけっこう前に出たモノではなかったか。
これなあ、ワンコードで押し切ってくれたらなんかかっこよかったのにな。
なんだかんだもうリミックスなんだから、そのくらいメチャクチャにしてほしい気もするのであった。

自慢話を聞かせてよ ~ 5/22は新宿に来てね!


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同業?の人がよく言うんだけど。
まあ、他の作業所とかの「指導員」みたいな人たちとか。
とにかく「疲れた」みたいな。
ウチなんかあっちコッチ行ってよくやりますね、と。

まあ、結論から言うと、この人たちは「自分がやってる、がんばってる」を「疲れた」で表現したいんでしょう。
話をしているとよくわかる。
自分に酔いたいんですね。

この手の人たちは福祉の現場にはたまりやすいです。
「俺はがんばってるんだ」「障害者のためにがんばってる」ということに酔いたい。

逆の立場にしてみたら、「そんなに疲れてるんだったら世話しなくていいよ!」と突っぱねたい気分になるんじゃないかと思って、俺はまったく同意できないし、そういうことを表現しちゃうことに対して大いに嫌な気分になります。


いや、確かに疲れる日はある。
疲れてる状況はある。
でも、それが「通常」なんだとしたら、それはもう「それ以上はできない」ということも暗に言ってる。
だから、それはあくまで、本気で疲れた日にしか言ってはいけない。

それと、疲れてるのを疲れてると言って何が悪い?というのは正論で、そういうことを言いたいんじゃなくて、この人たちは「疲れた」ということを「勲章にしてる」からダメだと言ってるわけです。


これ、まあウチ以外の同業の人たちだったら通用するんでしょうけど、そのまま俺やウチに言われると、思わぬ反撃に遭ったりする。
「そういう意味ではない」と言ったところで遅い。

あなたは、障害者のためにやってるんじゃなくて、その自分に酔いたいだけ。

そのことを突きつけられることになる。


自分自身が、何かに興味を持ち、チャレンジし続ける人でなかったら、井上達彼らがそういう風になるわけない。
「彼らにも夢があります!」とか言ったって、そんなの嘘つけ、ってなりません?

腹立つんですよね。
自分が何者でもないのに、いや、俺も何者でもないけど、何者かになろうともしないで、「彼らだって生きてるんです」って、嘘だよ、そんなの。

「仕事だけしてもう疲れます、どこにも行く余裕がない。」

いや、それはそうだ。
補助金の少なさとかを考えたら、それは俺だってわかるよ。
でも、そういうことじゃなくて、彼らはそれを「勲章」にしてるから腹が立つ、という話ね念為。


あなたのところで何をやっているのか?とたずねても、なんかよくわからない「●○A型」とかワケのわからないことしか出てこない。
出てきたとして、「クッキー作ってます」まで。
そんなことじゃなくて、もっと「ウチに来てる人たちの自慢」を聞かせてほしいのに、そんな話はマッタク出てこない。

結局、どんな輝いた毎日なのか、なんて話にはならない。
疲れた、疲れた、ばかりで、何をしてるのかがわからない。

ウチで言えば、市丸が来たばかりの頃から比べたらどう変わったか。
毎日、コウヘイが一生懸命三点倒立の練習をしていること。
井上がみんなに責められて、その話し合いがまるで出来すぎた学級会のようだったこと。
ここに来たばかりの頃、歩けなかったオグラがマラソン大会に出たこと。

そういう話を聞かせてもらえるもんだとばかり思っていたけど、何も出てこない。
「疲れた」だけ。
「●○型」だけ。

本当にそういう「自慢したいこと」がない毎日なのだろうか。
たいがいの人は、自慢したいことは言いたがるモノだ。
だって、それが俺たちの仕事の「勲章」なんだから。

けど、彼らは「がんばってやってる」いや、「がんばってこなしている」ことを「疲れた」と勲章にしているだけ。


だから暗澹たる気持ちになる。

逆の立場になったら、そんな場所にいたいものか?
学校じゃないから、一生の居場所になってしまう可能性だってある。


昔、俺が学生の頃にボランティアに行っていたところは、この地域で手広くやっている福祉会だ。
当時はまだ小さくて、職員からもそういう「自慢」をたくさん聞いた。
そして、「すごいなあ」と思ったし、感動もしたし、その中にいたいとも思った。

でも、そこもでかくなってしまい、上のような職員が多くなった。
自慢を語る他の作業所の職員に会わなくなった。
俺が会ってないだけだろうか。

いや、虹の会の初代会長が死ななかったら、俺は恐らくあのままあそこの職員になっていたと思うけど、そう思うとゾッとする。
あんな風に自慢のない「疲れた疲れた」を連発する集団の中にいたら、俺も正気でいられるとは思えないもん。


正直、ウチで言う井上達の自慢話に溢れていない人と話していても時間の無駄だし、いや、自慢に溢れているのが「プロ」だろうと俺は思う。
その道のプロと話したいし、切磋琢磨したいけれど、そういう人に中々会えないのが悲しいし、お先真っ暗な気持ちになる。


ま、んなわけで、5/22は俺らにとっては自慢話ばっかりをやります。
どうも、まあこの辺はみなさんには爆笑で楽しんでいただけるようで、必ずや楽しい会になりますので、予約はお早めに!







bakagann.jpg

(BGM:午前四時「ト・ビ・ラ」from「Impossibles ! 80's JAPANESE PUNK & NEW WAVE」)
→なんでしょう、この硬質感。
でもって、この変拍子。
たまんないね、かっこいいわ。

反吐が出る×2


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ウチの連中は親元を離れて暮らしているのがほとんどなので、まあ郵便物とかを持ってきます。
「これ来てたんだけど、何かわかんないから見てくれる?」という感じで。

その中に、市役所からの封筒がありました。
たいがい、役所からの封筒は、申請をしてください、とか、そういうもの。
なんで、まあちゃんと見て、一緒に手続きを進めないと年金が止まったりするのでヤバイ。
まあ、なんで、そういうこともあって、彼らは見せに来るわけです。


で、その日の市役所の封筒の中身はどうも市内の外れの方に障害者を中心に雇用する農園をやるので、参加しませんか?というものだった。
いや、参加じゃなくて、「就職しませんか」だな。

毎日4時に帰します。
レクリエーションもやります。
ミニゲーム大会とか。
「大企業が運営するから安心」みたいなことも書いてありました。

…反吐が出ました。


二つ反吐が出ましたが、一つ目は、あまりに「幼稚園」だからです。
「ミニゲーム大会をやります」
…バカなのか…。
どこの会社が「ミニゲーム大会をやります」をウリにするかよ?

どうも、スクールバスみたいなので最寄りの駅まで送ると言うから、きっと仕事あとの飲み会もないだろうし、友人同士で映画に行くこともプロレスを見に行くこともなかろう。
こんな場所に一生閉じ込められて、あとは家とここの往復。
そんな人生のどこが楽しいんだろうか?
青春のかけらもない。

ま、親は安心なんでしょうかね。
幼稚園だろうが、預けられればいいんでしょうかね。
本人の青春なんかハナから信じてないんでしょう。

ウチならどう書くかな。
時にストリップに行ったりします。
エロDVDは1日1本までなら貸します。
夜、何となく残った連中で酒飲みに行ったりします。
飲み会もたくさんあります、って書くかな。
旅行多数。
金髪多数!とか。
親はまあ避けるかもしれませんが。

この辺がまあ、「虹の会は不良の集まり」と言われる所以なんでしょうが、別に普通のこと書いてますけどね。
みなさん通った道じゃないんですか?

このチラシは、障害者だから、この程度でいいだろう、というのが明け透けに見えてしまって、これが一つ目の反吐です。


そして、もう一つの反吐は、これを市役所が税金を使って出している、という点です。

ちょっと話変わりますけど、先日、確定申告というのがあって、まあウチの給料の他に出演料とかをもらったので、一応、申告したんですよ。
ネットでやるんだけど。
そしたら、マイナンバーを書いて下さい、みたいな欄があって。
しかも、そのカードのコピーを貼って下さい、みたいな。

もってないがな。
そもそも、マイナンバーカードなんてもってる人2割いないんでしょ?
それをさも当たり前のように書いてくるこの厚顔無恥。

というか、マイナンバーなんてのは国民を国家の紐付にしようとしてるものだし、そのカードを「他人に見せないで下さい」とか言いながら点字もついてないわ、「なくさないでください」って市丸になに言ってんだよ!とか思うし。

つまりは、住基カードが浸透しなかった結果のマイナンバーカードなんだろうけど、これって、そのシステムを請け負ってる会社があるわけですよ。
その会社を潤わせるだけのモノなんじゃないの?
だって、2割も浸透してないんだよ。

この確定申告の用紙って、その会社の宣伝してるのと同じじゃん、とか思ったりしたわけですが。
つまりはまあ、こういうのがあるから、会社はヘコヘコ行政に頭下げるんでしょ?
賄賂とかもやってるかもね。

ま、その感じと同じ臭いを感じたわけですよ。
どこの企業か知りませんが、さいたま市に取り入って、「福祉やります」なんて売り込んで税金で障害者の住所も手に入れて封筒を出したわけです。

これに反吐がでなかったら、もうおかしくなってますよあなた。
しかもその中身が「ビンゴゲームもやります!}だっていうからバカにしてる。


昨今、福祉に手を出した企業が、儲からないからといって手を引く事案が後を絶ちません。
学童やってたところが、急にやめる、とか。
保育士が一斉にやめる、とか。

そりゃそうだよ、福祉なんか儲かるわけないんだから。
画一的なモノに押し込めればそりゃ儲かるだろうけど、画一的なモノからはみ出した連中をなんとか社会の中で救っていこうというのが福祉なんだから、そんなのうまくいくはずがないんです。
というか、儲かるはずはないんです。

という昨今の状況の中、役所がこういう企業べったりのことをしてるってのは、もうあまりにバカすぎる。

潰れたら、この企業がこの事業から手を引いたらどうすんの?
まさか、税金つぎ込んで建て直すなんて言わないだろうな?


というわけで、新自由主義を福祉に持ち込んでもらっちゃ困るよ、という話でした。








(BGM:Bangles「In Your Room」from「Big Hits of the 80's [Sony]」)
→女性ロッカーというジャンル?が、まあありました。
80年代。
今はもうそういう分け方は必要ないかとおもうんだけど。
当時はやっぱ、キュートでカッコいい、そういう方に逆に寄っていっちゃってたよね。
だんだんフラットになってきたと思う。
で、それでイイと思う。
いいもんはいいし、ダメなモンはダメ。

同時に解決出来るのは金だけです


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さて、今日から写真展!
みんな来てくれよな!


てなことで。
先日、こんなニュースが流れてきました。

高齢者の施設で86歳の方が入浴中に亡くなった、と。
痛ましい事故であります。
この事故で、「入浴中に目を離した」として、職員の人が書類送検された。
記事によれば、「3分間目を離した」と。
亡くなった人についていたんだけど、別の職員からのヘルプがあり、隣の脱衣所に行っていた、と。
3分だった、と。

う~ん。

ちょっと前には、認知症の方が包丁を振り回していたので、「払い腰」でそれを止めたら、その職員が解雇された、というニュースもありました。

みなさんは、これらの事件をどう考えますか?


こうした事件が起こるたびに、正直な話をしてしまえば、介護職はどんどん人気がなくなっていきます。
「責任が持てない」からですね。


俺が思うに、ここには二つ論議があって。

一つは、「どんなに策を講じても、事故は起こりえる」ということです。
もっと言えば、「事故を起こさない」ためには、風呂にも入れない、外出もさせない、ベットに縛り付けておけば成立はするでしょう。
入居?入所?している方を縛り付けておけばおくほど、「事故は起こりえない」。
規則や、決まり事を増やし、はてまた文字通り「拘束」してしまえば、事故が起こる確率は低くなります。

逆に言えば、入所者の自由を尊重し、風呂にも自由に入れるようにして、外出も好きなときにできる、という施設は、事故の可能性が高くなります。

「事故が少ない」というのは、例えば自分の親を、自分の障害をもった子を入れる、となれば大きな判断材料となるとは思いますが、「事故が多いかどうか」というのは、逆を返せば、以上のようなこともある。

入所者の意見を尊重している施設というのは、確かに事故と隣り合わせではあるかもしれないが、その中で一生懸命、入所者の「人間らしい生き方」を模索している、ということかもしれず、そこは勘違いしないでもらえたらいいな、と思うわけです。

「事故がない」というのは、あくまで「外からの施設の評判」であって、中にいる人の意見が尊重されているかどうか、というのはまた別ですよ、と。

もちろん、事故がないに越したことはない。
だからこそ、入所者のことを尊重しながらも、一生懸命事故がないようにつとめる必要があるわけですが。
でも、最初から尊重する気がなければ、事故の確率を下げるのは机上の空論としてできうることなんですね。

考えるべきは、単純に「事故をなくす」というベクトルだけじゃなく、それを入所者の意思の尊重のベクトルとどう折り合いをつけるか、ということだということです。


そして、二つ目の論議は、これ一つ目にも大きく関わってきますが、「人が少ない」んですよ。
そして、これは政治の問題です。
介護にどれだけの予算を割くか、という問題ですから。

介護職、保育職の給料は、他の同年代の人に比べて月給が全産業平均より約10万円低いと言われています。
この状況では、もちろん人は集まらない。

集まらないどころか、そもそもの配置人数すら少ない。
障害者施設なんかでは、夜は15人を一人でなんとかしなきゃ、とか、いや、うちは30人だ、という話も聞かれます。
そんな状況では、それこそ文字通りの「拘束」が必要になる場合も多い。
部屋の鍵を閉める、みたいなことだったり、トイレに行けるのにオムツにする、とか。
外から鍵を閉めたら、火事の時とかどうするんでしょう…。

冒頭の事故も、そもそも人が足らなかった、ということが原因だと考えられます。
だって、他の場所でヘルプが必要だった、ということから、単純にそういうことがいえますね。

しかし、この事故があって、職員は一人数が少なすぎる、と政府が罰せられることはなく、そこにいた、少ない人数でやってきた人が書類送検されている。
そういう図式がここに見えてきます。


簡単な話で、人数を増やせば、個々の入所者のニーズにもっと応えられるようになります。
事故も防ぐことができます。
しかし、その配置をしていない政府、というのは、つまりは「障害者、高齢者のニーズなど知らん」と言ってるのと同じなんですね。

これは、相模原の事件の犯人と、まあ同じ事を言ってます。


事故が起きないように研修をやる、というようなことを繰り返しても、それは研修をしなければならない、という風に現場の負担が増えるだけです。

大事なことは、一斉に、入所者も職員も一緒に声を上げることだと思うのです。

こうした事件が起こって、入所者と職員の分断が起きるのも恐ろしいことで、そうじゃなくて、職員は給料が少ない、一人でやらなければならない仕事が多すぎる、という問題を抱え、同時に入所者は「自由がない」「ちょっと手を借りればトイレにだって行けるのに」という不満を抱えている。
それを同時に解決するのは、「金」です。

金以外に、その二つを解決する方策はありません。
研修なんかやっても、根本的な解決になど、まったくなりません。

金です。
金。

そして、その財布を握っているのは、介護行政、つまりは政治なんです。
解決に回り道をするのは、もうやめませんか?





告知1

ちんとーく2

グッズ値段入り

等身大

単独700

(BGM:Dele Sosimi; Stephane Malca「Gbegedegbina」from「Africanesque」)
→アフリカンミュージックの最新盤、といった感じか。
といっても、アコースティックなネイクドなモノもあって、これはなんか好感が持てる。
で、デジタルモノまで幅広い。
このトラックは、デジタルバックなんだけど、ホーン隊の音質がものすごくジャズっぽく、ざらついてるというか、なんかいい。

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