fc2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 78
9 10 11 12 13 1415
16 17 18 19 20 2122
23 24 25 26 27 2829
30 31 - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

福祉やってる人が「会社員」になったらおしまい


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





まあね、福祉産業とかなんとかってことになってて。
つまり、企業が福祉をやってもいいんですよ。
企業にも福祉行政は金を出すことになったんです。

例えば道の整備とかそういうのには企業に金を出してやってもらいますね。
だから、福祉もいいだろう、というね。
そういうコトなんだろうと思うんですが。

ただね、福祉と土建だとちょっとカテゴリーが違うというか。
そういう風にも思うわけです。

道の整備は、整備すればいいんです。
例えばそこに点字ブロックを付けるとかつけないとかは、その企業に裁量権はない。
行政の設計したモノをきちんと遂行すればいい。
それによって、地域の人が道を安全に歩くことができるようになるワケです。
橋もそうですね。
行政の作った(承認した)設計図通りに、橋を作ればいいんです。
それが、市民のためになるワケです。
税金の使い道として、それはあると思います。

けれども、福祉というのは、市民各々が望んでいることが違うんです。
十人いれば、十人違う。
だから、それを「メニュー化」等という言葉にしてますが、どんなにメニューにしても、結局は「その人にフィットするモノ」というのはないんです。
絶対にありません。
その中から、結局は「家族の負担を軽減するためにどれを選ぶか」でしかないんです。

もちろん、制度というのはありますから、ある程度、福祉は画一的になることは否めません。
けれども、それを弾力運用することで、現場は回ります。
四角四面のことしかできない、となると、これは困ってしまう。
井上とイチマルに必要な福祉の某かは違います。
それを同じ制度の中で実現するには、弾力運用をしなければならない。

そして、それはたいがいの場合に行政が用意したメニューを超えます。
そこは、現場の努力、ということになります。
つまりは「持ち出し」です。
もしくは、職員の「超過労働」です。

結局、この部分は、企業の考え方とは相容れません。
つまり、「同じメニューをただ垂れ流す」というのであれば、企業でもできますが、それってのは、結局、福祉を必要としている人に、必要としている形では届きません。

もう一つ気になることがあって。

というのは、例えばイチマルに「○○をさせたい」と思ったとします。
でも、なかなかそれがうまくいかない。
毎日の中で、それこそ業務時間とかを越えてやってもうまくいかない、ということがあります。
というか、そんなことばっかりです。

で、そういう時に役に立つのが、他のところの実践なんですね。
他のところで、同じように「○○させたい」ということで、成功している事例があるかもしれないじゃないですか。
だから、そういう実践の交流というのは、とても役に立ちます。
役に立つ、というのは、ひいてはそれによってイチマルが「○○」ができるようになるワケだから、イチマルの役に立つ、というか、イチマルのためになります。

だから、我々としては実践交流をしたい。
市の制度がどうだとか、そんなことはどうでもいい。
どうでもいいっていうか、市の制度はこうなってます、ってのは、土建屋さんが設計図を聞くのと同じです。
だから、それは最低限あるでしょう。
でも、それを越えなきゃならない、という話をしているワケなので、この「現場の裁量」というか、「現場で何をやってるか」というのが重要になります。
逆に言えば、「その設計図の中で、その辺どうやってます?」みたいなことと考えてもらってもいい。

そういう交流をしたいのでにじ屋とかでイベントを組んだりするんですが、福祉産業の現場の人たちも来るには来るし、現場の問題とか、運営者がどうだこうだと問題を出してはくれるんだけど、「でも、会社に言うなって言われてるから、大っぴらにしないで下さい」とかってことになっちゃう。

あのね、福祉の現場は交流してナンボなんです。
イチマルのことを思うなら、そうなんです。
じゃなきゃおかしいんです。

土建屋さんの最新の特許の工具を使ってるんです、とかって話をしてるんじゃなくて、我々は、その先の「その上でどうしてますか?」「ウチはこうしてるんだけど」「なかなか上手くいかなくて」という話をしたいわけです。
というか、すべきなんです。

もちろん、その職員の人を責めるモノではないとは思いますが、その人は「会社員であって福祉をやってる人じゃないんだな」とは思います。









ブログ用

(BGM:秋元順子「マディソン郡の恋」from「マディソン郡の恋 [Single]」)
→マディソン郡の橋とは何の関係もない。
と思う。
ド演歌と言えると思うが、どっかシャンソン感がつきまとう仕上がりになっている。
スポンサーサイト



子どもが振り返らない


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





先日、朝運動でカブキの車椅子を押して歩いてました。
するとなんか小学生が続々と「帰って」くるのでありました。
聞けば、どうも卒業式だったらしく、低学年は朝行っただけで帰る段取りだったらしい。
まあ、このコロナの最中それもどうかと思いますが、まあそういうことらしく。

朝運動は、マラソンの時はコースが決まっていて、近所の公園から川の土手沿いまで住宅地を抜けていき戻ってくる、というコース。
あまり車が来ない道を選んでいることもあるのか、逆に子ども達も通るのね。
通学路、スクールゾーン、ってヤツですか。
でも、いつもだったら、小学生は登校後の時間になるし、そんなに出会う確率は低い。

が、その日はそんなことで小学生の集団にたくさん出会いまして。
二三人だったり、もっと多かったり、男の子ばっかりだったり、女の子だけだったり、混じってたり、いろいろでしたが、何人か一緒にバラバラ帰ってくる感じで。

でね、何を言いたいかというと、けっこうみんな「気に留めない」んです。
車椅子を物珍しそうに見ていく子が少ない。
というか、いなかった。

昔、といっても30年前にあき江さんなんかと出かけた時は、小学生はまず興味を持つ感じだったんですね。
で、「アレなんだ?」という感じでひそひそ始まる。
もちろん、こっちをずっと見ている。
中には、「これ何?」と聞いてくる子もいた。

ま、小学生には「じろじろ見るな」とかってのは通用しませんから。
興味のママに行動してくれるので、まあそういう感じになるんだな。
あ、別にそれがダメだとは全然思わないんですよ。
当時もそう思ってました。
むしろ、「車椅子」ってのを知ってもらえばそれでいいじゃん的な感じもありました。

だけど、今の子はまず「興味を示さない」というね。
久しぶりにそういう状況になって、つまりカブキの車椅子を、小学生の群れの中で押す、という状況になって、それに気づきまして。

これね、まずおじいちゃんおばあちゃんが長生きになったり、自宅で過ごすことも多くなって、車椅子というモノを「見慣れた」ってのもあると思います。
同時に、学校に車椅子の子がいるのかもしれない。
そうなれば、そもそも車椅子が「特別な感じなモノじゃない」ということにはなるわな。
だから、道を歩いていても、別にどうってことでもなかろう的な。

それとまあ、テレビでもよく出てくるんですかね。
NHKとか見てても車椅子の子が出てきたりしますからね。
そういう番組を学校で見たり、家で見たりもしてるのかもしれない。

総じてまあ、いいことですよね。
なんか、「時代は変わったんだな」とオレは思いました。
いい方に。
なんか30年前は異物だったモノが、そりゃ全てってコトじゃないですが、なんか受け入れられている、というか、とりあえず存在だけは普通になってる、という感じ。

やっぱね、「あの子は違う」みたいなことって、慣れですよね。
「慣れ」っていう言い方はちょっとよくない気もしますが、慣れてないから、見たことないから「違う」ってなるわけで。
普通に一緒にいれば「違う」ということにはなりません。

だから、多くの障害者が地域に出て行くことは大事なことなのだなあ、と。
そうやって、みんな「慣れ」ていく。
「違い」がなくなっていく。

と、まあ、いいことばかりって感じで書いていますが、その「違いがなくなっていく」のはいいことだけれど、実際は違うんだよ、というね。
そこも大事なんですよね。
例えば、たいがい道はカマボコで、車椅子は端に流されるし。
そういうこともぜひ知ってもらいたいと思うけど、まあそこまではね。

とはいえ、それも「違いがない」ということを前提にしなきゃ成り立ちませんから。
「同じ人間である」ということがあるからこそ、そうしたカマボコに体して憤りを一緒に感じてもらえるわけで。
最初から「違う人間」だとすれば、もうカマボコであろうが何だろうが「オレには関係ないし、あの人は「特殊」だからいいんじゃね?」とかって、話が終わっちゃう。
「違わない」からこそ、話が始まるというか。

小学生なんかはそれでいいんでしょうね。
成長していく中で、いろいろとまた違う感情を持ってくれるでしょう。
「あの人、お風呂どうしてるんだろう」とか。
「生理になったらどうするんだろう」とか。
違わない人間であるあの人が、果たして「自分と同じ生活をおくれてるんだろうか」。
そして、「おくれるべきだよね」、でも、「制度がなくておくれてないんだ、それちょっとおかしくない?」と考えが広がっていくのかもしれない。

ま、そう考えると、なんかもちろん俺らがやってきたことなんかは一滴くらいのことですが、でもなんかよかったな、と思いました。








(BGM:SPEED「熱帯夜」from「RISE」)
→これ、サビじゃない部分が語りとかラップとかそういう感じになっていて、アイドルっぽい作りになっているのがいい。
そういえば「声のレコード」とかってソノシートがあったりしたなあ、って思い出す。

単純に「検査しろ」


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





先週になるけれど、にじ屋を休みました。

同居家族の感染があったからです。
当人は症状もなく、結果として親御さんの方で検査をしなかったとのことで本人が感染していたかどうかはちょっとわかりません。

ま、最初の時点で、本人の感染はわからなかったんですが、大事を取ることにしました。
つまり「本人が感染していた体で対策を講じる」ということに。
とはいえ、本人は親が発熱したという前の日はたまたま休みで来ていない。
その前の日が最後の接触となりましたが、ビラ配りだったこともありほぼ外の活動。
しかも接触した人が少なかったということで、直接の接触があった人については「子」としてすぐに検査、結果が出るまで自宅待機。
その他の人たちは「孫」として、基礎疾患がある、マスクが難しい、等の場合は自宅待機、としました。
その上で、まあにじ屋は休みにして、接触がなかった人で裏の作業を進めることに。

ま、安全策ですね。

そもそもにじ屋を一日休むというのは売り上げがない、ということになりますから、売り上げを井上達の給料にしている我々としてはかなり痛い。
接触がなかった人たちでにじ屋を開けるという選択肢もあったんでしょうが、この段階では「子」の感染もわからず、もし「子」が感染していたら「孫」の感染の可能性も少ないながらもあるわけで、お客さんを入れることについてはあきらめました。

ちょうどPCR検査キットが市から来ており、それですぐに検査をしたのですが、これがまた結果が来ない。
一人は三日目くらいで来たのに、もう一人が来ない。
同じ日に出したハズなんだけれど、郵便事情なのだろうか。

しかも最初に陰性結果が出た人の方がかなりの接触だったため、もう一人はほぼ感染していないだろう、というコトは言えました。
接触した翌日に実はその結果が来なかった一人と飲んでいて、その時一緒だった人は陰性。
ずっと誰も症状も出ず、しかしその一人の結果だけが来ない。
しかもこの時点で、元々発症した父親から母親にも感染したことが明らかに。
そうなると、おそらくは最後に本人と接触していた時には、少なくともその時には時系列的に本人に感染してなかったんではないか?という見立てもあった。
ま、ここまでくると「みなし陰性」でいいだろうと思うのだけれど、まあ一応「陰性が確認されるまでにじ屋を休む」ということで貼り紙もしたし、、確認まで待つことに。

まあ、命あっての物種ということもありますし、判断としては最善だったとは思うのですが、一方で、この検査のスピード感のなさについては辟易としました。

政府は「経済を回す」と言うけれど、それにはとにかく検査態勢の拡充が必要であろう。
検査がしっかりしない状況で「経済を回せ」なんてのは、感染者と感染してない人が混ざり合って経済を回せと言ってるのと同じだ。
「経済を回せ」というのは、感染してない人でやらなきゃならないわけだ。
それには、検査をしっかりして感染している人と感染していない人を分けなきゃならない。
じゃなければ、結局全員感染するだけの話だ。
全員感染して経済を回す?
日本を沈没させる気なのだろうか。

にじ屋も小さいながらも経済を回すという使命があると思っている。
ネズミーランドほどではもちろんないにせよ、それなりにお客さんに来てもらい、金を払ってもらい、品物を売る。
金を回している。

小さな経済活動だけれど、それでもこうしたところが実際に「休業せざるを得ない」という状況がそもそも問題ではないか。
即検査、即結果ということであれば、翌日から、陰性の人だけでにじ屋を回すことは可能だった。
「感染が疑われる」から、休んだのだ。

簡単なことだろう。
検査を拡充させればいい。
そうすれば、ウチも、もちろん他のところでも休業は減らせるはずだ。
経済は回る。
感染した人には申し訳ないが療養してもらって、それ以外の人でとりあえずがんばることができる。

今の状態では、もう「誰が感染しててもおかしくない」という市中感染の状態である。
それもこれも検査に時間がかかる、というのがそれに一役買っていると思う。

2年経って、まだ日本はこの簡単なことすらできない。
新しく首相になった人も、コロナ対策をスピード感を持ってやるとかなんとか、第6波に最大限備えるとか言ってなかったか。
検査すらキットが足らない、今や「重症になりそうな人から検査」だとかなんとか。
何を言ってるのか。
検査とは感染拡大を防ぐための入り口だ。
それが崩壊している今、もう何を彼らが言おうが話がメチャクチャだ。

自民党に政権を取らせ続けた結果、この有様だ。
もちろん、他がまともなコロナ対策をやるかどうかはわからないが、2年やらせても検査すらできない政権にこのまま自分たちの命や商売を任せていたら、日本は終わる。






akuse.jpg

(BGM:尾崎亜美「上海湾物語」from「スーパーベスト」)
→4分の曲で、歌が入るまで45秒ほどかかるという。
こだわった編曲なのだと思う。
メロディーも上海風になってるし、ガムラン風のキーボードの音もエスニック感を醸し出していていい。

誰が彼らの味方なのか その2(ラスト)


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5743.htmlの続きっちゃあ続き。


今、福祉産業花盛りで、「企業がやってる」という施設とかも増えてきた。
この仕組みってのは、簡単に言うと「入所者一人につきいくら」という換算になってるので、人を入れなきゃしょうがない。

先に書いたように、その決定権は親にあるので、親が気に入ることをすればいい。
つまり、寝た子を起こさず、飲み会もなく、かっこつけた服も着ない。
そして毎日同じ時間に時計のように帰す。

これをすればいい。
そうすれば、儲かる。

ただ、これは彼らの思いを救っているとは思わない。
少なくとも我々は一緒に何をか成したとき、頑張った結果が出たとき、売り上げが達成したときは一緒に打ち上げをしたりする。
それが彼らにとっても重要な意味があると思ってるからだ。

そもそも、差別がない、というのがどういう状態かというと、「同じ年齢の健体者が出来ることが同じように出来ること」というのを、オレは学生の時に障害者運動をやってきた先輩から聞いた。
だから、仕事をさせているのに打ち上げをしない、という判断はオレの中にはない。
みんなで力をあわせて何をか成したのなら喜び合いたい。
形は色々あろうが、その方法の選択肢として打ち上げ、というのは、たいがいの仕事場で最初に上がろうかと思う。

でも、コレまで書いてきたように、そういうのはやらない方が儲かるんだ。
彼らの世界を広げてやるよりも、親が知ってるその子の世界に彼らを押し込める方に親は子を通わせる。

ま、信用ならない、というのもあるんでしょう。
世の中というのがそもそも彼らにとっては未知すぎて、確かに誰かに欺されるかもしれないし、カツアゲもされるかもしれない。
そしてそれをきちんと告発できるとも限らない。
だから、「同じ世界の中に閉じ込めておいた方がいいのだ」というのはわからなくはない。

世の中の格差がココまで開いてしまうと、平気で弱者を食い者にする空気が普通に作られる。
いくらなんでも知的障害者を欺さないだろう、そもそもそんなに金もないだろうけど、というのはきれい事で、そこにでも突っ込むのがあくどい人の普通の感覚になってしまう。

けれども、一緒に怖がって彼らを外に出さないのはどうなんだろう。
いや、そもそもオレだって一緒にはいるわけだから。
なんならノブはまだここに来てないとき、電話で詐欺に引っかかって100万取られる契約をしてしまった。
こっちに来てそれが判明して、その後の部分は食い止められたが、それ以前のモノは取られてしまった。

単純に外に出さないから平気で、外に出したら危ない、というのはもう成り立たない。
というか、そもそも「知的障害者は外に出ないもの」という前提の上で彼らは詐欺を仕掛けてくるのだから。

施設だって、悪徳施設のようなところはあるし、貧困ビジネスというのもある。
だから、親が怖がるのはわかるけれど、怖がってしまえばまあ、彼らの思うつぼでもあるんだよね…。

今回の冒頭に戻ると、福祉産業が介入するというのは、この「彼らを彼らの世界に閉じ込める」ということを加速するコトのように俺は思える。
一緒に悪と闘うのではなく、防御のために彼らを閉じ込める。
その助けを福祉産業はやらざるを得ない。
だって、儲けを出すのが産業の目的だから。
つまり、悪と闘ってくれない時点で、彼らだって奴らの仲間じゃん、とオレは思っちゃうんだけど。

俺たちが目指しているのは、「仲間」。
よくある「担当の先生と入所者」という縦糸の関係だけじゃなく、彼ら同士の横の関係。
それを大事にしたい。
そのためには、親が運営に関わらないことも大事だと思っている。
親と子、それも縦糸の関係だから。
「親同士が友達だからって、本人同士が友達ってワケじゃない」とミツはよく言うけど、そうやって「あなたたち友達でしょ」って言われるのがどれだけミツはイヤだったのか。
そして、親にその反意をぶつけられなかった。

彼ら自身のちょっとしたケンカですら、親同士が謝りあって終わってしまう。
そんなことでは、彼ら自身の関係は作れない。

いや、「知的障害の子に友達関係など出来やしない」という人もいる。
でも、そうだろうか。
そうじゃない。
ウチの連中は自分たちを「仲間だから」って、きちんと論議も出来る。

こういうことを書くと、「虹の会の人たちは出来るからだ」といわれるけど、先に書いたように、ミツだってそれを言い出したのは最近のことだ。
ずっと言えなくて、ずっとそういう考えの「考え方」を知らなくて、そして「言っていいことだ」というのを知らなくて言ってなかっただけだ。

最初から彼らも自分の思いを言えたわけじゃない。
「仲間」を実感できたわけじゃない。
やっと言えるようになった。
やっと実感できるようになった。

最近、グルミというのをやってて、これは飲みながらいろいろ話す会、って感じなんだけど、その中でAグループ、いわゆるミツや井上といったリーダー格の連中とオレは同じグループなんだけど、この話の冒頭10分だけでもみんなに聞いて欲しいとオレは思っていて。
すばらしい話をしているよ。
いつか、うまく撮れたらYOUTUBEで流そうと思うけど、なんだろう、これだけ彼らが「言えるようになった」「考えられるようになった」というのがオレは嬉しい。

彼らは、なにもできない人ではない。
「うちの子は違う」と言っていたのでは、きっと何も始まらない。
ウチだって、やっと彼らは言うようになったんだ。

でも、それにはものすごい苦労がある。
行政から出てくる金だけではやっていけない。
だから、福祉産業はやることはないだろう。
そして、「虹の会の人たちは出来るから」「ウチの人たちには出来ない」というのだろう。

いつまで彼らはそうやって人として扱われない人生を歩まなければならないのだろう。





daihoushutu_20211113163715d68.jpg
biihnnma.jpg

(BGM:Naomi & Goro「Will You Dance?」from「HOME(for I+STYLERS)」)
→「おしゃれショップ?」にかかってる感じのアコースティックギターがボサノバ調のリズムを刻み、これまた力の抜けた女性の「上手な歌声」がのってくるという。
もうオシャレショップのお手本のような作品。

誰が彼らの味方なのか その1


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





コレまでも何度も別れというのはあったけれど、死んでしまっての別れというのはまあもうしょうがない。
運命だと思えるんだけど。

知的障害者といわれる連中との別れというのには、たいがいがあまり納得がいかないまま今に至る。

とある彼女の親は、飲み会とかがあると遅くなるのがどうにも許せなかったらしく、飲み会の最中にも本人の携帯に電話をかけてきた。
「なんでお父さんわかってくれないのよ!」と泣いていた彼女だったが、結局は親がやめさせると言って本人にも会えずじまい。

ま、このパターンばかり。
簡単に言うと、本人が会ったらやめさせられない、というのは親もよくわかってるんだろう。
恐らくは本人を言い含めているのだろうし、ウソもついているのだろう。

まあ、酒を飲ませなきゃイイ。
髪を染めなきゃイイ。
たぶん、そういうことだ。
それが、世の中の知的障害者の親と付き合うための必要なコトなのだろうと思う。

そうすれば、別に問題はない。
なにがあっても、いつもと同じ時間に帰れば問題はないのだ。
毎朝やってきたのと同じ状態で帰せばいいのだ。
みんなで頑張った!売り上げを達成した!と打ち上げをしなきゃいいのだ。
何があっても、いつもの通り15時頃帰せば問題はない。

別にまあ、酒を無理に飲ませているわけじゃない。
飲まない奴もいるし、なんなら「オレは髪を染めない」とガンとして染めない派もいる。
ツノなんかがそうだけれど、むしろツノのお母さんは「髪染めて、もっと遊んじゃいなさい!」ってツノに言ってたなあ、と思い出す。
でもまあ、本人がそう言うモノをひっくり返したりは俺たちはしない。

ツノの中では、「髪を染める=不良=よくないこと」なのである。
その考えが揺らいで、いつか「俺もやってみようかな」となったら、その時は考えるけど。
でも、「ホントにやるの?」とは聞いちゃうかな。

役所も親の言うことに逆らうことは出来ない。
中には、「やめさせない方がいいに決まってる。けど、お母さんがどうしても、というならしょうがないけど、自分の責任でやめさせる、って一筆書いてください」といった役人もいなかったわけじゃない。
それでも考えを変えない親ってのは、まあいるんだよ。

うちの子が幸せに、地域の中でなんとかかんとか隅っこでもイイから生きて欲しい、なんてことは誰だって言うけれど、蓋を開ければこの調子だ。

彼らはいつまでも自分の子は自分の子でいて欲しい。
自分の手の届くところにいてもらいたい。
自分の範疇の中で生きていて欲しい。
本人の友達も全部把握したい。
どこに行くかも把握したい。
そういう親はまあ、いるんだよね。

心配というのもあると思う。
「この子はよくわからないのだから」という人もいる。
確かにそうかもしれない。
けれども、言葉を発しないカイにも、「こうしたい」という思いはあるように見える。
そのことをつかんで新しいことにチャレンジさせたりするわけだけれど、それ自体が「やらなくてもいいこと」になるんだったら、もうそもそも福祉なんかいらないような気がする。
彼の世界を広げる手伝いをしないのだったら、彼は何のために生まれてきたというのか。

中には「寝た子を起こすな」と明確にそれをいう人もいる。
「そんなに楽しいことをしていたら、楽しいことをまたやりたいって言うじゃないか」と。
「毎日、子どもの頃に好きだった宮崎アニメを見るのがこの子の幸せなんだから、それでいいんだ」と。
「それ以上のことを経験させてくれるな」と。

ま、こうなると、もう手が出せない。
「この子の幸せは私が一番よくわかってる」という幻想は、そもそも子が大人になるに従って薄らいでいくモノだ。
けれども、知的障害と言われる子を持つ親にとっては、それがいつまでも消えない。

自立生活の壁は親である、というのはこの業界ではよく言われる言葉だ。
確かに子どもの自立を考えない親はいない。
けれども、どっかすんでの所でいつもストップがかけられてしまうのはコレまでも多く経験してきた。

社会は知的障害者のことを親の責任の中に押し込めたい。
だから、親とセットで考えたい。
そうやって、何かあったら「親の責任」にしたい。

そういう社会の中で、確かに親がそういう「保守的な」考えに囚われることはわからなくはない。

けど、そっから一歩踏み出さないと、本人には未来がない。
毎日、「あなたコレが好きでしょ」って、宮崎アニメを見せられ続ける人生の中で、腐らない人などいない。
それは知的障害者でも同じだとオレは思ってる。


(続きます)






daihoushutu_20211113163715d68.jpg
biihnnma.jpg

(BGM:喜納昌吉 & チャンプルーズ「番長小」from「喜納昌吉 & チャンプルーズ」)
→田中角栄さんを歌っているんですね、これ。
その時代の歌ってコトになります。
なかなか痛快だし、曲調も楽しくて、こういうのをみんなで歌ったら楽しいだろうな、と思う。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE