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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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志は現場が創り出す


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kaijosha.jpg



人って、どうしても同じコトをしようとするんだろうか。
いや、例えば、イベントとかがあるとする。
去年、似たようなことをやったとする。
それをどうしても踏襲してしまう傾向があるように思う。

まあ、スペース的に「それしかない」というのならわかる。
わかるが、じゃない場合でも、まあ前回と同じでもいいってことには確かになる。
それに、大事なのは中身で、スペースをどう使うか、じゃなかったりすることもある。

けれども、俺はこの「前と同じ」がとにかく大嫌い。
何が嫌いと言われたら、牛乳と「前と同じ」が嫌いと答えますね。

これ、なんで嫌いなのか、というと、PTAの役員やってた経験というか、そういうのも入ってきますけど、ま、つまりね、PTAのバザーとか子どもたちの卒業を祝う会とか、いろいろあるわけですが、そういうの、たいがいもう去年のを下敷きに同じことやるんです。
つまりね、もう「やっつけ仕事」なんですよ。

例えば去年、「こう変えた方がイイのではないか?」というコトがあったとしても、PTAってのは持ち上がりだから、そうそうそのことが次の人に伝わらない。
だから、同じ失敗をします。

で、まあ、おそらく参加してたみなさんも自分の仕事場のことだったら「こうした方がイイ」「ここは変えた方がイイ」というのはあるんだと思うんだけど、PTAではそれを一切言いません。
なぜなら、「言ったらやらなきゃならなくなる」からです。
だから、勢い、もう一部失敗するのがわかっていても去年と同じコトをします。

まったく、これ、面白くないんです。
やめちゃったらいいと思うんですよ、PTAのバザーなんか。
けどまあ、「変える」の最上級である「やめる」という意見は、もちろん誰もがそう思っていても出しません。

俺も出しませんでした。
ま、もう我慢して3年やれば済むと思っていたので、苦痛な時間を過ごしました。
そうやって、苦痛がずっと続いていくわけです。
たぶん、今でも続いているんだと思います。


俺、この感じがすごくイヤなんです。
だから、ウチのイベントとかで「前回と同じでイイヤ」というのは、一番イヤなんですね。
PTAを思い出す。

少しでも変えたいし、どっかでもいいから変えたい。


つまりですね、PTAのバザーなど、みんなやめたらいいのに、と思っているのに、続ける、ってのは、やっぱ組織が腐っていくんですよ。
「実際に何をやるか」、ということがダメな場合、どんな崇高な理想があっても、俺はやっぱダメだと思います。
腐っていくと思うんです。

しかも、それって、「前に倣え」ってことだから、前の人が今の人にいろいろ「教える」みたいな感じになっていきますね。
そうなると、前の人も前に倣ってるわけだから、実際にそこに「どんな理想があったか」はもう伝わらないんです。
いや、伝える努力は必要だとは思いますが、現場レベルでは、やっぱ「やる」ってことに一辺倒になりますから。
どうしたって、理想が消えていってしまいます。

このテーブルを横にするか縦にするか、そんなことはどうでもいいわけです。
その時にやってる人の思いでどっちにしてもいい。
けれども、それが「楯にしなきゃいけない」となったら、もう前の人だけでやれや、って話になると俺は思っています。
クソつまらないことで、人に教えを請わなきゃいけない、って状況はバカバカしいです。


それでも人ってのは、想像力の限界があるのか、前回と同じ、ことを知らず知らずのうちにやってしまっていたりする。
もうそうなると、組織を腐らせるだけだぞ!と俺は思うんだけど、そういう意識はそういう人たちには働かない。

俺は、とにかく同じことをやり続けていたら、腐ると思っています。
ダメになると思っています。
崇高な志があるなら、それこそしっかりと違う事をする方がわかりやすいと思います。
その時にいる人たちと、毎回新しいモノを作った方がイイ。
というか、じゃなければ、組織はやっぱりいつまでも硬直するし、盛り上がりに欠けてしまう。

大事なコトは、確かに中身であって、「どうするか」ではないのもわかります。
が、「どうするか」を安直に考えてしまうと、ロクなことが無い、と俺は思っています。

実践こそが理念を作る。
現場こそが理念を作るのですから、そこはしっかり考えていきたいと思っています。




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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:いしだあゆみ「喧嘩のあとでくちづけを」from「青春歌年鑑 '70 DISC02」)
→結局、男の浮気を容認する女、という。
ま、こういうのがこの時代のムード歌謡のテーマです。
たいがい、このパターン。
なんでかわからないけど、これなんだなあ。
そしてまあ、物語としてはこういうの嫌いじゃない。
実際こういう女の人が近くにいたら「イイカゲン気づいたら?」と言いたくなりますけど。
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破壊なくして創造なし橋本真也


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kaijosha.jpg



にじ屋初売りは4日だったわけですけど、4日、5日、とにじ屋で飲み会というのをやりました。
よくにじ屋や虹の会のイベントなんかでこういうのをやりますね。

まあ、酒が飲めない人をどうこういうアレではないんです。
飲めない人はジュースで乾杯しましょう、ということで。
今度2/8にJR駅無人化問題のイベントもやりますが、これもたぶんですけど、酒(ジュースやお茶)飲みながら、食事しながら、になるんだと思います。

この辺、ウチの雰囲気はこうです。
「他の障害者団体がやらないことをやる」という。
「他でやってるようなことはやらない」という。

例えば、まあ市丸たち、いわゆる知的障害の連中がいたりしたら、「一緒に飲み会」というのはあまりどこもやらない方向があるかと思います。
もちろんやってるところもあるでしょうけど、「飲み会」を打ち出してやってるのはあまり他の機関紙との告知を見てもない。

もちろん、市丸たちの中でも「飲みたいヤツ」「飲まないヤツ」というのはいます。
それはいいんです。
無理に飲ませるようなことは、彼らにも、そしてお客さんにもしません。
ミズエやコンさんは飲めないとのことなんで、それを飲ませることもしないし、だってそんなの酒がもったいない。

ま、つまり、平易に言うと、いわゆる「知的障害者のみなさんは、お菓子をちり紙に出してお茶を飲んでクリスマスパーティーです」みたいな、そういうイメージがみなさんあるでしょ?。
それを壊すためには「飲み会」を打ち出しちゃえ!という。

既存の障害者のイメージの破壊。
破壊なくして創造なし橋本真也。

ま、それはスーパー猛毒ちんどんでも同じですけどね。
つまりは、「既存の障害者イメージの破壊」「破壊なくして創造なし橋本真也」という。
ま、普段の延長でしかないんですよ、あのバンドは。
破壊さえできればいいんです。

同時に、一緒に働いている俺ら。
いわゆる、他のところだと「指導員」とか「職員」とか言われる感じの人たちですけど。
それも「いわゆるな職員にはならない」というか、ならないっていうんじゃなくて、その「イメージを破壊する」「破壊なくして創造なし橋本真也」というところがあります。
一生懸命、彼ら知的障害者のことを思って毎日身を粉にして働いている、というイメージの破壊を目論んで毎日を過ごしています。

いや、中身はきっと一緒なんでしょう。
俺も市丸のことを考えていないわけではありませんから。

だけど、そういう「いい人象」を破壊したい、という衝動がウチの感じですね。
破壊なくして創造なし橋本真也。

先に書いたJR駅無人化問題みたいな、そういうアカデミックな内容も時にイベントでやります。
ま、その手のイベントは、実際のところふざけたイベントより集客力があって、俺としては「まだまだだな」と思ってるところですが、普通だと、やっぱ「講演会」とか「勉強会」になるんだろうなあ、その辺。

でもやっぱそうなるとダメなんじゃないか、他と一緒じゃないか、という風に思っちゃうのね、俺らとしては。

中身で伝えたいことはある。
けれども、その「形式」にも魂が宿るのではないだろうか、という。

逆に、そのことが「ハードルを高くしている」というご意見ごもっともだけれど、いわゆる既存のイメージにどっぷり浸かっているご自身のこともできたら振り返っていただきたい、とも思う。

知的障害者は聖人で、そこに関わる俺たちも善人で、というような「イメージ」は、どっかやっぱり歪んでいる。
いや、善人だとは思う自分のことは。
けれども、「そういうイメージ」と、それとはちょっと話が違う。

イメージされていることを外から押しつけられるほど窮屈なことはない。
フラットに観察してもらって、それで「聖人ですね」「善人ですね」というのならわかるけれど、最初からそういうイメージで来られると、やっぱなんかバカにされてる感じすらする。
毎日、AVを俺から借りていく市丸をして、そりゃ性人だろう、とも言いたくなる。

愛と正義を否定する。
これは、障害者運動では有名な言葉だけれど、これを実際に行動に移すのは難しい。

このへん、なかなか難しいところだし、だからウチは知的障害者の関連の界隈から「不良の集まり」と言われ忌諱されるんだろうけど、ま、不良上等じゃない。
金髪にしたい!というヤツが金髪にするのがなんか問題でもあるんですか?と聞きたいところである。

でも、頑なに金髪にはしない、と主張するツノちゃん達、道徳派もいますよ。
そりゃ、両方いる。
両方とも、自由にやる。

けど、どうしても「知的障害者は聖人」という人たちには、ツノちゃん達しか見えなくなっちゃったりする。
逆に言うと、「金髪にしてみたい」という欲求は、道徳派しか認めない集団の中にいたら、彼らは容易に引っ込めちゃう。

というわけで、ま、今年はのんきに愛と正義を否定していく予定でいます。







2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:毒ガスマスクVx「ウ~ン逝く」from「赤パン」)
→故ジャイアント馬場選手におくる殺害のトリビュート盤。
殺害らしい1枚。
こういうのが真剣?に流通する社会を守っていきたいものである。

小爆発しよう


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先日、ツノが朝怒鳴りながら、というか叫びながら表に走り出しちゃったことがありました。

ツノは、知的障害としては最初にここに来たメンバーで、いわゆる出来る子です。
字もそこそこ書けるし、会話も成り立つ。
だから、まあほっとかれちゃうことが多いというのもあります。

ただ、仲間になかなか入れない、「みんなが楽しく話してるところにどうやったら入れるだろう」と悩んだりはしてて、でも、時に自分の興味のある話題だと自分から普通に会話に入ってくるので、それはそれでいいじゃない、と思ったりはしてるところなんですが。
そもそも、どこででも楽しく会話、なんて俺だってできないよ、と。

お母さんは数年前にガンで亡くなったんだけど、闘病中はツノと一緒に何度かお見舞いに行きました。
「もっとあんたは市丸くんみたいに金髪にしてさ、もっと自由にやっていいんだよ」といつもお母さんはツノに言ってました。
「そしたら、もっとラクになるから」と。
「もっと人生楽しんでいいんだよ」と。

ツノは、そもそも金髪というのは「不良だからイヤ」だし、市丸が毎日うしろまえなのもイヤ、オナラをしてもイヤ。
といって、自分ではブーブーするので、その辺どうかな?とは思うんですけど。

とにかく、悪いことは許せない。
漏らすなんてもっての他だし、汚れた服を着てるのもイヤ。
そういえば、合宿所みたいなところにみんなで泊まった時も、正直、ホテルのようにキレイなところじゃなかったんですが、ツノはなかなか寝れなかったらしい。

そういうところがある。
「世の中は白と黒じゃないんだ。グレーなんだよ」と何度も言うんだけど、彼はどうしても白と黒に分けたい。
というか、そういう理解になってしまうんだな、と思う。

ケンカもしてはダメ。
だから、普段は声を荒げることもないし、誰かに殴りかかったりもしない。
でも、イヤなことを言われたりすることもあるわけです。
例え、それが誤解であったとしても、それを言い返せない。
言い返したらケンカになってしまう。
ウチで普段よくあるそういう風景も、彼にはなかなか耐えがたいところもあるようで。

今回飛び出して行っちゃった時、まあ裸足というか靴も履かないで行っちゃったんですけど、ちょうど車が出る時だったので、車に乗ってる人がどっちに曲がったかも見ててくれたので、辿っていくと、すぐそこの公園に座ってました。
で、まあそこではもう落ち着いていたんで、「遠くからちょっとおいで」と手招きするとばつが悪そうな顔をしてやってきました。

聞けば、事務所でミツにイヤなことを言われた、とのことだった。
「じゃあ別にミツに言えばイイじゃない」というのは、彼も頭ではわかる。
けど、それを実行できないんだよな。
そして、飛び出してしまったのが失敗だったとも思ってる。
ミツに後になってなんとなく「なに言ったの?」と聞いたけど、別に大したことじゃなかった。

彼は、言いたいコトが言えない。
グレーである世の中に一人で格闘している。
そして、それがどんどんたまっていってしまう。
なので、時に、それが飽和状態になって、そのこと自体が大したことがなくても爆発してしまう。

市丸のように、テキトウに小さな爆発をしてくれるならいいんだけど、そういうことが彼にはなかなかできない。
小さな爆発なら手に負えても、大爆発だと我々にだって手に負えるかどうかわからない。
まあ、仲間内に向かって爆発する分には、たとえ大爆発だろうがなんとかなるかもしれない。
けど、まあ外に向かってしまったら、もうどうにもならない。

爆発をするな、とは言わない。
けど、もっともっと、飽和になる前に彼には爆発して欲しいんだよね。
そういう風に声をかけるんだけど、でも頭ではわかっても、なかなか難しいようで。

小学校からいい子で育ってきた彼は、確かに我々にとって、教師にとっても、手のかからない子ではある。
けれど、その分、ケンカしない分、言い返さない分、どうしたって、彼の中にその「思い」が澱のようにたまってしまう。

つまり、我々は、自分にとって手がかからないことをいいことに、ツノの中にたくさんの思いを溜めさせてしまっているのではないだろうか。
いや、もちろん、その澱のようになったモノを我々に溶かす能力があるわけじゃないかもしれない。
けども、「手がかからないからこそ」、ということがあるんだ、ということをしっかり頭に置いておかなきゃいけないな、という話です。






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(BGM:久米小百合「旅愁」from「にほんのうた 第一集」)
→久保田早紀さんなのね。
なんかの宗教にはまって名前を変えたとか、ホントなのかしら?
ま、好きだったんだよねギター弾きを見ませんか。

やっと


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これまで、台風だ、大雪だ、といっても、にじ屋とかを休みにしたことはありませんでした。
だから、井上達も休みになったことはありません。

まず、これ、大枠で見たら、あまりほめられた対応ではないと思います。
だって、台風だけどやる!仕事だ!みたいなことってのは、どっかやっぱブラック企業のようで、正しい方向性とは言えません。

けれども、世の中がまずもってブラック方向であった、というか、今もそうだけど、そういうのがあって、その流れの中で、「障害者だけは休んでいい」というのは、どうにも納得が出来なかった、というのがあります。

そもそも、井上達は、自分たちのことを「健体者よりも劣る人間だ」と思っています。
ま、それは計算が出来ない、漢字が読めない、わけですから、その部分では確かに劣ってはいるのでしょう。
ただ、人間としてどうか?ということについてはまた論が違うわけだし、例えば「にじ屋のやり方」についてだって、それを知らない人と彼らだったら、彼らの方がよくわかってるわけです。
毎日やってるわけだから。

でも、それでも、彼らはにじ屋のやり方の何も知らない健体者にすら従ってしまうところがある。
後になって、「それ、いつもやってるじゃない。なんでそのことをその時に言わなかったの?」と聞いても、そうだよねえ、という苦笑いが返ってくる、みたいな。

つまりはまあ、そういう「感じ」が普段からある。
これについては、とても俺は忸怩たる思いがある。
でもまあ、そうやって彼らは生きてきたし、それが処世術なんだろう、とも思う。
それが更に俺を悔しくさせる。

この中で、ブラック華やかなる世の中で、「君たち休みでいい」、つまりそれは彼らには「障害者だから休んでいい」と聞こえるわけですが、それは、ちょっとやっぱり言えなかったところがあります。
「世の中まあ頑張ってるんだから、俺たちも頑張って開店しよう」みたいな。
そういう風な方向にありました。

けどまあ、本来のことを考えれば、それは正しくはないわけですよ。
そんなことも百も承知ではあったんだけど。
でも、井上達の「大人としての誇り」というのを、まあそんな形で、ある意味歪んではいるんですけど、尊重しよう、と思った部分がありました。

我々のレパートリーで、「聞け万国の労働者」があります。
トラディッショナルな労働歌ですが、替え歌にしています。
その中に、「(俺たちも)派遣切りにあってみたい」という歌詞があります。
これは、派遣でも雇われない、いや、そもそも雇われない、という現実を皮肉ったつもりなんですけど、この感覚は、確かに間違ってはいるとは思うけれど、でも、肌感覚としては彼らの中にあるんです。

「俺だって大人なのに」「俺だって客なのに」「俺だって働けるのに」という思いは、あちこちで彼らの中に澱のようにたまっている。
子ども扱いされる、そもそも存在がないモノにされる、という現実。
それを何度も何度もされていけば、オグラがここに来た時のように廃人になって、自分から「子ども扱いされる」ように行動するようになっていきます。
存在を消すようになっていく。

けれども、井上達には、「そうじゃない」と言い続けてきました。
だから、井上やミツなんかはそういう世の中への反発がすごく大きくあります。
「俺だって大人なんだ」という彼らの思いを、どうやって潰さないか、ということだけを俺たちは考えてきた、それをどうやって尊重してやるか、ということだけを考えて来たと言っても過言ではない。
ここを外してしまうと、彼らは「廃人」になってしまう。
それは、多くの作業所や施設をみてきて思っていました。

だから、こっちは親から連絡があってわかっていても知らんぷりもしてきたし、「本来俺が知らないはずのこと」は、知らないふりを押し通してきました。
そういう演技をするのも、彼らのそれをツブしたくないからです。
そのことがまず第一義だから。
そうしないと、彼らは自分の人生に希望が持てなくなる。
自分の知らないところで、親と職員が連絡取り合って自分の予定が決まるような、幼稚園のママの人生がこれからもずっと続くと思ったら、そりゃ、人は腐ります。
この台風だとか大雪だとかにおいての「休み」の問題もこの流れの中にありました。

けど、今回、史上最大級の台風、ということもありましたが、「自宅待機」ということにしました。
「携帯はいつでも出れるように」ということにして。

とはいえ、実際にはみんな近くに住んでいたりするし、そうしなくてもよかったのかもしれないけど、なんか、「もうこの肩肘を張った感じをやらなくても、井上達は大丈夫だな」という思いもあったんです。

つまり、やっと正常に戻ったかな、という。
ま、そうなるに至る状況としては、「つらい時は休む」、「頑張るだけがのうじゃない」、というような雰囲気が生まれつつあることもあります。
今のにじ屋、ネットの目標は、「頑張ってラクをする」ですからね。
なかなかイイと思ってるんだけど。

そんなこともあって、今は先の「聞け万国の労働者」は歌わなくなりました。

無茶をすることが大人、自分を殺すのが大人。
確かにそういう風に生きていかねば食うにも困るのが今の日本の状況かと思います。

けれども、俺たちは一歩抜けよう、と。
そして、多くのみんなにも、「もっともっとラクしよう」と言いたいし、俺たちがその先頭で世の中変えちゃる、みたいな感じになりつつある。

こう変わってきたのにはいろいろ要因はあるけれど割愛するけど、でも、俺たちが目指すのは、市丸が生きやすい世の中、ってコトでしょ。
それって、俺たちだけがパラダイスじゃダメなんだよね。
世の中がそうなってくれないと。
そして、そういう風に世の中を変えるのが俺たちの仕事なんだよね。

その本質に、やっとたどり着けた、というか。
そんな気がしています。





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(BGM:れいわ新選組 山本太郎 with people「山本太郎、愛を叫ぶ」from「憂国烈士の宴 其の弐」)
→これは、山本太郎さんの演説というか、スピーチに音を重ねたトラック。
重ねたといっても、聞きにくくしてるのではなく、あくまで山本太郎さんの話を聞きやすくするための重ねている、です。
全編入っているので、13分弱あります。
これ聞くと、ホント「普通のことしか言ってない」のよね、彼。
WITH PEOPLE、というのもいいし、そもそもアルバムタイトルに沿ったトラックだと思う。

いいわけを考えるムダ


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義理の弟は、なかなかの腕のあるなんとか療法士さんで、たくさんのお客さんもついていて、海外でもその腕を買われて講演会などを行うなど大活躍の日々を送っているんですけど。
で、まあ数年前だったか独立したんですね。
都内の中心地に大きなところを借りて開業、というか、やっています。

その彼と先だって会った時に、「よく独立しようと思ったね」という話をしてたんだけど。
俺だったらなんかできないなあ、というか。
そこまで自信もない、というか。
でもまあ、彼は腕に自信があったんだと思うし、すばらしい技術を持っているからこそそう決断したんだと思うんですけど。

その彼が、「独立してまずよかったのは、いいわけを考えなくてよくなったことですね」と言っていて。

つまりどういうことかというと、ボスがいるとしますと、例えば今月施術に来た人が少なかったとします。
講演会の依頼も少なかった、と。
そういう場合に、やっぱ「なんでそうなったか」の「いいわけ」を考えなきゃならない、って。
今は、自分が自分でやってるから、営業が足らないと思ったら営業やるし、そういう風にまあ自分で判断してやれるからラクだ、と。

なるほど、と思いました。

結局、まあ「なんで客足が減ったか」というのは、いくら考えても結果としては客側の問題だし、もちろん、こちらに問題があればそれは改善する。
例えば、先に書いたように営業が足らなかったかもしれない、とか。

でも、まあ反省ってのは、「次になにをやるか」と常にセットであるわけですよね。
反省→次の行動、ということですから。
そのための反省であって。

とはいえ、次の行動、つまり自分のやれること、ってのは限られているんですよね。
自分がやりたいコト、と言い換えてもイイ。
でも、「反省を山ほど出すのがイイこと」のような雰囲気ってのが世の中にはあって。
その反省を「ひねり出す」っていう行動ほどムダなことはないわけです。
だって、次に自分がやれることはそんなにひねり出すほどたくさんはないんだから。
それにだんだん反省は、その場しのぎのいいわけになっていく。

とりあえず、次は●●をやる、と決めれば、もうそれを一生懸命やるしかない。
で、それでダメなら、△△をやるしかない、という風になっていくのが、まあ自分が最も納得する進め方なのかな、と思います。

若い人の中には、よくいいわけを言ったりする人がいて。
ウチではあまりそれを推奨していない雰囲気を作ってることもあるからか、そんなにはないんだけど。
他のところを経験した人は、ベテランになんか言われると、みんなとりあえずその場しのぎのイイワケする、と。
もちろん、ベテランに歯向かうための一石ならどんどんやるべきだと思うんだけど、それはちょっと「いいわけ」という範疇とは違うかと思います。

ウチの若い子たちも、どんどん反論はして欲しいと思うんですよね。
だから、いいわけも、その場をしのぐためのことじゃなかったら、どんどんしてもらってもイイと思うんだけど。


まあこの話を聞いていろいろ反省したところがありました。

例えば若い子に「そのやり方は違う」と言う場合、「なんでそんなやり方をしたの?」という聞き方をすれば、やっぱ「だって云々」という風に答えが返ってきます。
確かに、コッチとしては「どういう考えでそういうことをしたのか?」というのを聞きたいところはあるんですよね。
そしたら、歩み寄れる部分があるかもしれないし、細かく「そこの考え方が違うんだ、そこをこう考えたらどうかな」という風になるかも知れない。

でも、まあこれなかなか難しいんだよね。
やっぱ、「なんでそんなやり方を云々」というのは、若い子にしてみれば、こっちが責めるための何かを探しているようにしか見えないんだろうな。

だからまあ、俺はあまり何も聞くことなく俺の考えを言うようにしてるんだけど。
「俺は●●した方がイイと思う。なぜなら云々」ということですね。
結局、その考えを聞いてもらって、どう本人がそれを取り込んで判断するか、行動するか、というのはもうその本人に任せるしかない、というか。
それが俺と違う考えだったとしても、まあしょうがないんだよね。
行動をあまりジャッヂしちゃいけないんだろうな、というか。

やっぱ、俺みたいに、何もなかったところからやってきた人と、今来た若い子が同じような考えに至るわけがないんですよね。
それはどっちが偉いというのではなく、ゼロを一にすることと、一を二にすることは、進歩の度合いは一緒だけど、決定的に中身が違うんだから。
中身が違う事を「同じ考えでやれ」というのはやっぱ無理がある。


ああ、ダメだなあ、と思うことは確かにたくさんある。
なんでこんなコトを考えないのだろう、行動しないだろう、という思いは確かに下の子に対してあります。
けど、「なんでやらないの?」は馬鹿馬鹿しいんだよね、きっと。
やらないことに意味なんかないだろうし、いや、あるならそれはそれでいいけど、備品を整理しておく、みたいなコトに関しては意味はないだろうし。
いいわけを考えさせるくらいなら、何も言わない方がイイ。

でも、何かがあった時に、効果的に伝わるだろうな、という時に、やっぱきちんと俺の考えを伝える場面は作った方がいいな、とも思っていて。

まあ難しいよね、って話。







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(BGM:モンド・ボンゴ・ジャパン「チャイニーズ・キング・ロブスター」from「ZKサンプラーズ」)
→どういう人たちなのか、いかしてるなこれは。
曲名もいい。

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