fc2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - 1 2 3 45
6 7 8 9 10 1112
13 14 15 16 17 1819
20 21 22 23 24 2526
27 28 29 30 31 - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

「仲間に入れて」とは決して言わない(つもり)


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





ま、井上たちのことを考えるときに、俺の中で基本にしていることがあって。
というか、まあ、そんなに厳密なラインでもないんですが、なんとなくですね、なんとなく自分の中で置いているモノってのがありまして。

それは、井上たちが健体者の社会に「仲間に入れて」と言うのはイヤだってこと。
健体者のように仕事ができなきゃいけない、とか、そういうのですね。
がんばることは大事だし尊いコトだと思っていますが、それが「健体者も出るに近づくため」というのはちょっとイヤなんですね。

先日、障害者も納税する!みたいな目標で会社を立ち上げた人の記事を読みまして。
障害者は「納税もしてないのに!」みたいなことを言われますからね。
そういうコトに対するアンチなのでしょう。
気持ちはすごくよくわかりますね。

でもまあ、違和感はありまして。

というのは、まず「納税もしてないのに!」というのは、ヘイトなんですよね。
「生産性がない」みたいな文脈の話ですから。
「そんなヤツは生きてる資格がない!」というコトにつながって。
そんな世論をベースにして、ナチスはT4計画を実行したわけだ。
ナチスの安楽死計画ですね。
療養施設に入っている障害者を安楽死させるという。
そしてそれはユダヤ人虐殺、につながっていく…。

気持ちとしては「納税してないのに!」というのはわからなくはないが、そもそも納税できる人とできない人がいて、そうした格差の是正のために税金はあるワケですよ。
所得再分配ということを一つの機能としてるワケだから、税金というのは。
だから、払えない人を侮辱するのはそもそもなんかおかしい、とも思う。

だから、こうした間違ったヘイト発言をマトモに取り合って、「じゃあ納税したる!」ってのは、どっか相手の土俵に乗っちゃってるというか。
で、それで納税できたらそれはそれでそのルサンチマンは晴れるだろうけど、それやったら、今度は納税できない障害者がより苦しい立場に追い込まれるのではないか?とも。

そもそも「納税してないのに!」という声にはマトモに受けるべきではない、と。
まあそう思うのがまず一つ。

そしてもう一つは、これ結局、障害者を健体者モデルにしようとしてるだけなんじゃないか、って思って。
障害者雇用というのがあって、大企業なんかは一定数、障害者を雇用しなければならない、というね。
その枠で求職活動してる人のツイートなんかを見てると、「企業が欲しいのは健体者のように働ける人」で、そういう人を「安く雇いたいのが障害者雇用じゃん」みたいな厭世的な感じがよく見受けられて。
つまりはここでも「健体者モデル」が要求されているわけですよ。
「障害者だけど、がんばって健体者同様に働けるよね!だったら来て」、という。

つまり、健体者を中心とした社会は、何も変わるつもりはなく、障害者が健体者「なみに」動けるなら仲間に入れてやる、と言ってるわけです。
これは先に書いた「生産性」の問題とも密接と関わっていきます。
結局、生産性がない人間は「生きてる資格がない」ということと同じなんですよね。

俺はむしろ、にじ屋やスーパー猛毒ちんどんといった活動の中で、「井上たちの仲間に入りたい」と「健体者に」思ってもらいたいんです。
それが、社会を変えると思っていて。
生産性を問わない社会。
生まれたら誰もが豊かに生きる権利がある社会。
それはなにも障害者にとってだけいい社会、ではなく、誰もが豊かになれると思うのだけれど、どうして今の健体者社会はそこを目指すことなく、自分の首を絞めている。
みんなが「生産性」という言葉に追い立てられ、必死になっている。
障害者をのけ者にして、「俺は役に立つ人間だ」と錯覚するために必死になってる。

バカバカしい、とオレは思ってて。

「仲間に入れてください」じゃなくて、「仲間にしてやろうか?」という存在に井上たちにはなってもらいたい。
自分たちだけのことじゃなく、それは必要なことだろう、と。

そのためには、まあ自分たちがまず毎日を楽しく過ごしていく必要があります。
ここを俺はとても重要だと思っています。
同時に、何かにチャレンジもしている必要があると思ってて。
努力ですね。
それは「健体者になろう」ではなくて、「自分たちの力を合わせて何をか成し得よう」みたいなことですかね。
にじ屋なんかがそれですが。
ってか、まずにじ屋で売上を上げなければ、井上は家賃を払えません。
それはもう「楽しく過ごす」ための前提ですから。

障害者ががんばって「会社ごっこ」やったところで、社会は何も変わりません。
むしろ、彼らはどんどん「生産性」を楯に井上たちを排除してくると思います。

要は、井上たちが、じゃなくて、社会の方が変わらなきゃ意味ないんだと、オレは思います。







(BGM:螺旋「魔法 〈1980-05 柏クレイジーホース〉」from「都市通信 デイスクユニオン特典 LIVE音源収録 CD-R」)
→こういうライブの音源がこれだけいい音で残ってるというのはなかなかすごいなあ、と思うんだけど。
ってか、何かリマスターとかして音をキレイにしてるのかしら…。
だとしたらすごい技術だなあ。
スポンサーサイト



余裕が欲しい


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





外から見たら同じでも、中に入れば違う、ってコトがありますね。
同じ障害者団体でも、いろいろあるから、ま、最終的な目指すところは同じでも、考え方が少し少し違う、というような。
ま、ゴールを目指す道のりが違う、というか。
もっというと、一つの事象の評価も、それぞれに変わっていたりする。

新しい制度ができました、という場合に、それを評価するか、しないか。
まあ大きくベクトルは違いますが、そのくらい違ってくることもある。
というか、たいがい、全面的に評価する、ってことは少なくて、まあ評価はするけれども、近い将来にこの部分を変えないなら評価できない、とか。
評価はできないけど、ある側面だけ取り上げればそこは評価できる、とか。
たいがいそういう評価って四分六だったりすることが多かったりして。
細々しちゃうんですよね。
そういうところで差異は必ずあると思います。
その集団の歴史とかそういうのが関わってくると思うので、何がいいとかそういうことではないんだけど、確実にそういうのがある、と思います。

問題は、その「些末な部分」が、「でもそこ重要」ということが時々あって。
「だって、そこ認めちゃったら、ゴール違っちゃうじゃん」みたいな。
それもまあ、「見方」だったりもするかなあ、とは思ったり。

組織というのは、そこそこ意思を固めなきゃならないんだけど、どうしたって、異論も含めて結論を出せる論議ができるほど時間がない、というのもあったりして。
ウチなんかもそうだけど、結局手弁当になってしまうからね。
時間もなければ金もない。
そうなると、論議する時間がなくなってしまう。
結果、モノゴトが単純化されやすい。
強力なリーダーがいればいるほど、判断は単純化してしまう。

それって、いいことではない。
柔軟な思考を持つことが重要だと思うのだけれど、どうしたって現実が追いつかない、というようなことがよくある。
そうなると、なかなか他の団体や組織と共闘する柔軟性を失う。
そもそもの「言語」が一致しない、ということも起こりうる。

特に「それってあたりまえじゃん」という部分にそれって集約されることが多く、それが単純化の大きな要素になっていく。
じゃあなんで「あたりまえじゃん」なのか、ということを常に確認しなきゃいけないのだけれど、それってなかなか難しかったりもしたりして。

強力なリーダがいなくても、まあそこそこみんな同じような感じだったとしても、けっこう人って人に任せがちだし、そもそも保守的だったりして。
なんで、前時代の「あたりまえじゃん」をなかなか乗り越えられなかったりする。
強力じゃないリーダーができあがったりする。

学問というのは、そうしたことを考え直させてくれる大事なものである。
けれども、やっぱりなかなか学問を皆で共有するというのはまた時間がかかる。
本来、それをやっていかなければならないわけだけれど、なかなかその時間はない。
とはいえ、けっこう、「あたりまえじゃん」も、一つの理屈、モノの見方で、みんなで簡単に「あたりまえでもないじゃん」に一致することってできたりもする。
問題は、その理屈の構成とモノの見方の訓練という部分がきっちりできるか、という。

俺は、組織はやっぱりみんなが納得して進むのが理想だと思う。
というか、じゃなければ組織などいらない。
ま、よく「音楽性の相違」とかってバンドが解散したりもする。
ただまあ、納得の度合いというか、許容するラインは人それぞれ違う。
ある人には気にならなくても、ある人には気になる、ということはある。
つまりは、それって「相違」なのかもしれないけど、でもまあそこそこ許容しながらその辺は飲み込むことになる。
結局は最大公約数的な考え方を採用するしかない。

問題は、それを多数決ではなく、論議して出していけるか、という。
論議というのは、前提とするモノがきっちり共有されてなければならない。
しかし、組織というのには、その組織の歴史があり、人によってその歴史の長さは違う。
そこでの経験の差は大きい。
日本には先輩後輩という伝統芸があるし、郷に入っては郷に従うと言う言葉もあったりして、なかなかその長さってのは越えるのが難しい。
時間の余裕がない中で、それは大きな壁になってしまう。

その壁に阻まれて「あたりまえじゃん」が論議されない、というのは、まあしょうがないのかもしれない。
が、問題は、「あたりまえじゃん」が、みんななんとなく「もしかして、あたりまえじゃないんじゃないか」と薄々思っているのに、その壁が邪魔をして、時間の余裕のなさが邪魔をして論議にならないことである。
これはよろしくない。

そして、まあ時代の流れ、というのもある。
もっと大きなモノの流れ。
そこを意識しなければ置いていかれてしまうことは自明。
たいがいは、大きな流れというのは意識することなく、なんとなく人の中に入ってくる。
だから、うっすらと「時代に置いていかれる」という認識は持てるものだけれど、それを形にするのは難しい。
もっと大きな範囲での学問も必要になるような気もする。

すごく大きくなくていい。
もうちょっとだけ時間の余裕が欲しい。






(BGM:The Dandy Warhols「Sleep」from「Thirteen Tales From Urban Bohemia」)
→いわゆるオルタナ?っていうんですか。
どっかサウンドは昔風だったりするけど、ところどころ新しいわけで、そこにセンスがすごく出ると思っていて。
これはなんか俺はとても好きで、静かで、落ち着いていて、コーラス的な感じもいいし、バックがとにかくカッコいいし。

kanukibochu.jpg

福祉避難所のこと


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





今回の震災で、障害者の避難についてテレビでけっこうやってるように思っていて。
ま、実際テレビの放映情報とかっってのをつぶさに調べたワケではないのでわからないけど、今回はたまたまかもしれないけど目につくことが多く。
テレビも朝ちょっと見るくらいなので、それでも目につくというのはでも、体感的には多いように思っています。
ま、なんにしてもこれはいいことだな、と思っているんですが。

福祉避難所、というような避難所があるそうで、具体的には既存の施設とかが受け入れる、ということらしい。
確かに、バリアフリーとかの問題で、そういった施設を使うというのはそれしかないよな…と思える。
が、今回のことでわかったのは、やっぱその施設だって被災してるんだよね、という。
テレビで見たんだけど、壁が崩れてしまっていたり、床に亀裂が入っていたり…。
そもそもその施設にいた人だって、そのままの生活ができるワケではなく、施設の中で廊下で寝起きしたり不自由な生活を強いられている、と。
そこにじゃあ他の人が受け入れられるか、というと、やっぱ現実的ではない気もする。

それともっと問題になるのは、そこで働く職員の人たちも被災している、ということなんだよね。
その人たちにも家族がいて、家があって、と考えると、それが怪我をしていたり、もしかしたら最悪の事態で生き埋めだったり、家が崩れていたり、というような場合、そりゃ仕事はちょっと…、となると思うんだよね。
それでも多くの職員の人がほぼ休み無しで働いているという状況らしく、本当に頭が下がる。
そういう状況で、他の人の受け入れまではやっぱり難しい…。

避難所というのはそもそも被災地にあるワケで、その部分を忘れてしまうとなかなか避難計画もウマくいかないわけで。
絵に描いた餅になってしまうというか。
そんな中でも、必死に使命感で休みなく仕事をしている人がいるというのが、本当にすごいと思うし、逆にまたこのままでいいわけがない、とも思ったりもする。

で、あとはまあ普段は家にいたりするけど、一般の避難所に入れない、というような声ね。
これは前から言われていたことだと思うけど、やっぱ不安定になっちゃう人とかもいるし。
そうなって叫んじゃったり。
そもそも、普段から「人のモノが気になって触っちゃう」という人もいる。
カイなんかがそうだけど、ちょっとでもチャックが開いていると閉めたくなっちゃうんだよね。
そういうことで避難所の中でトラブルになったりする、というのは普段のことからも経験的にそうなるだろうな、と思う。
一緒に親がいたとしても、むしろ逆に「なんでちゃんと見てないんだ!」と怒られてしまう、と涙ながらに語っていた親御さんもいた。

恐らく避難生活って気が立ってしまうわけで、普段だったら「いいよいいよ」「わかってるから」ってコミュニティの中で成立していることも、成立しなくなっちゃうと思うんだよな。
一種の極限状態なワケで。
それはカイだけじゃなくて、他のいわゆる障害者といわれない人も同じなんだよね。
そうなると、やっぱりカイとかにその矛先が向かってしまうのは仕方ないのかも知れない。

前に、急に地震が起きたらどうしたらいいか、という話をしておこう、ということが持ち上がり。
きっかけがそんなにあったわけでもないんだが、そしたらその数週間後?だったかに東日本大震災があって。
こちらもずいぶん揺れましたが、落ち着いて行動できた、ってことがありまして。
なかなかこれ、摩訶不思議な話なんですけど。

ウチの連中は親元から離れている人も多いから、いざ大地震だったらどうするか?というのは重要な部分になります。
その話をどう彼らにわかりやすい形でもっていくか、ってことを考えていたとき、いろいろ地震や避難の基本を話した後に、最終的に、「避難所で他の人の言うことを聞いて落ち着いて過ごして下さい。必ず一日二日で迎えに行きますから」ということで決着することにしました。
ムリに動くより、とどまってくれ、と。
一緒にいるときに地震があればいいけど、そうじゃない場合、やっぱりそれしか方法はないな、と。

もちろん、現実的にそれがみんなできるとは思いません。
カイにはムリだろうし、もしかしたらイチマルも騒ぐような気がする。
会えれば恐らくどういう状況でも安定させることには自信があるけれど、彼らが極限状態の避難所で、彼らだけではやっぱり「奇声を上げる」とかのことは経験上あるような気がする。
でも、「必ず早く迎えに行く」ということで、そこのところは踏ん張って欲しい、と。

このために、「普段から近所で道ですれ違う人にはあいさつしよう」とか、そういう約束もしました。

それともっと重要なのは、やっぱ「こだわり」的なことですね。
「いつもと違う」ことがやっぱりストレスになるワケで、誰だってそりゃストレスになるけど、少なくとも、そのストレスはちょっとレベルを下げてやりたい、と。
つまり、「いつもと違っても大丈夫」という経験を普段の中で積み重ねていかなきゃいけないな、ということです。

もちろん、それは一気には難しいし、なくすこともムリだと思うけど、でも、ストレスレベルを下げることは可能なのではないか?と経験上思っていて。
とはいえ、それも「我々と一緒にいる」というのが前提だけれど。
でも、それでも「我々と一緒なら、普段と違うことでも大丈夫」という行動ができれば、ずいぶんいろいろなハードルは下がるような気はしていて。

普段から、同じことを繰り返さない、というようなことをよく言うんだけど、パターン化してしまうとこだわりは強化されていってしまうので、なんやかんや理由をつけたり、言葉は悪いけどだましたりして、なんとなく別のことをやってしまう環境を考えなきゃいけない、と思っております。

とはいえ、こんな震災があったら、そもそも自分だけだって正常でいられるかどうかの自信はない。
そもそもが極限状態を経験していないから、まあどんなに準備しても無駄になるかもしれないけど、でも、東日本大震災の時に、にじ屋も結構揺れたけどちゃんと井上たちがお客さんの避難誘導とかができた、みたいなこともあるから、やっぱ準備は必要だな、という。







(BGM:ZERO「愛し合う意味を抱いて」from「ゼロから歩き出そう」)
→売れた曲のカップリング。
ま、90年代ということで、俺の音楽暗黒時代なので、全く知りませんけど。
兄妹デュオってコトらしいけど、う~ん、このオクターブ下げちゃう感じってのは安易ではなかろうか…とか思ったり。

hotoshushu.jpg

kanukibochu.jpg

メディアは弱いモノの力になって!


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





ジャニーズですけどね。
根本的な問題って、「ジャニーズ事務所が芸能界を牛耳っていた」ってところなんだと思うのよね。

だって、そもそもチカラがない事務所だったらこんなことにならないでしょう。
どんなにガマンして性暴力を耐えたところで、売れないなら誰も耐えない。
つまりは、ジャニーズが売れていたからってことが重要。

ま、自力で売れているのだったらそれはそれなんだけれど、そうじゃない面もあるでしょう。
って、それぞれのタレントの皆さんはすごく魅力的だと思います。
好きなタレントさんもいます。

でも、事務所のやり方はちょっと汚いよね。
俺が若い頃から、「沖田浩之さんはジャニーズじゃないからなかなかテレビに出れない」とか、「吉川晃司さんはジャニーズじゃないから云々」ということは言われていた。
だから、そういう「裏工作」っていうか、ホントの実力勝負じゃないところで彼らは自分のところのタレントに下駄を履かせていたんだよね。
そんなことしなくたってすばらしいタレントさん達だと思うんだけど、そのタレントさん達を信じず、そういうことをやっていた、と。

つまりは事務所サイドが自分の帝国を作るためにやってたんだよな。
そしてそれはなぜかというと、性的暴行を続けるためだった、と思われてもこれ仕方ない。
とにかく、帝国にならなければ続けられないのだから。

で、この「帝国づくり」にメディアは一役買ってましたよね?って話だと思うんですよ。
その「吉川晃司を出すならウチのタレントを出さない」という脅しに屈したわけだから。

ま、とはいえ、テレビも人気商売。
売れているタレントを出さなきゃ見てもらえない。
けど、誰もがそこで性加害があったことをうっすら知っていた、という。
にもかかわらず、その脅しに屈していた、と。

まあ、つまりはメディアってのは「巨大なモノ」に弱いんだな、と思うんだけれど。
ってか、そもそもメディアは巨大なモノを叩く、という役割もあるんじゃないかと思うんだけどね。
そこが完全に機能不全になっているのだな。

ついさっき、ツイッターを見ていたら(これを書いているのは10/22なんですが)、今朝のNHKの政治家が出てくる討論番組で、どうもれいわ新撰組の発言が遮られた?飛ばされた?みたいなことがずいぶん出てきました。
ま、この番組は見ていないので正確なところはわかりませんが、これもメディアとは自民党という大きなモノに弱く、小さな政党に強い、という風に捉えれば、まあそうなっちゃうんだろうな、という。

今回、ジャニーズが解体して再出発とのことだけれど、メディアがこのままだったら何も変わらないような気もします。
ってか、メディアは何を反省しているのか?ってことになる。
ジャニーズという名前を使わない、とかそういうことじゃなかろ?と。
あ、まあそれも必要だとは思うけれど、それだけじゃ意味なかろ?と。

メディアは弱いモノの味方であって欲しい。
SNSとかってのが、不確定な情報があふれている。
一方的に大量の誤情報を流せる大きな財力や力を持つ人に有利である。
だからこそ、メディアには正確な情報と、弱い人に寄り添う姿勢が必要だろう。
つまり今回のことは、ジャニーズ云々じゃなくて、このメディアのあり方が問われているのである。
それを反省できないのなら、第二のジャニーズは簡単に生まれるだろう。

しかし今回のことで、これ芸能界の男の男性に対する性加害ということなんだけど、男の女性に対する性加害ってのはもっとあるんだろうな、ということね。
そこまでなかなかメディアもニュースも踏み込めないのは、まあいろいろと事情があるのはわかるが、この問題に他の事務所がだんまりを決め込んでいるところを見ると、やっぱ闇は深いと思わざるを得ない。


それとグルーミング、という言葉を今回のことで初めて知ったけれど、なるほど、と思った。
だって、人は常に自分を守ろうとする。
だから、性加害を相手が悪いのではなく、相手を愛する、という風に転換するのだ、というのもなんかわかる気がする。

翻って、イノウエなんかは俺のことを、「番長(彼は俺をこう呼ぶ)はイヤなコト言わない」的なことを言ったりするんだけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6439.html)。
これもなんかグルーミングのような気がして。
あ、グルーミングって、性加害に関わる言葉のようなので、まあその部分を抜いて、って話なんだけど。
俺自身はもちろん彼らを囲って金を儲けてるわけじゃないし、地位が上がってるわけでもない。
彼らを縛り付けているわけでもない。
むしろそういう姿勢がこの業界においてウチはちょっとのけ者になっている。
役所は目の敵にするし。

ま、それはそれとして、まあ日常の中で彼らを「手懐けている」というのはあるのかもしれない。
少なくとも井上がそう思っているというのは問題だ。
一つ一つをしっかり考えられるように、俺に反旗を翻させられるように、彼らとの毎日をおくっていかなきゃならんな、と思った。








(BGM:New York Dolls「Trash」from「New York Dolls」)
→これが唯一のオリジナルアルバムなんだよな。
色々なバンドに衝撃と影響を与えたバンドだけれど、やっぱすごいなあと改めて。
ビジュアルとかが先行しがちだけれど、こういうバンドって音はしっかりしてるんだよね。
あたりまえだけれど。

kabukiboshuuu.jpg

「勤勉」の向こう側


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





井上たちって、ホントにいい子なんですよ。
子、なんていうのはよくないかもしれないが、まあホントにいい子なんです。
自分がすべきことをしっかりやるし、それが猛暑の元であってもなんとかやっちゃう。

なんなら、数年前、コバなんかは普通に仕事してたんだけど、「ちょっと何か目がおかしいな」と思って熱を測ると38度あったとか。
熱なんかに負けないというか。

まあ、「にじ屋は自分たちの店だ」という自負も彼らにはある。
だから「がんばりたい」という気持ちは大いに評価したいのだが…。

でも熱があるのに仕事を続けちゃうってよくない。
気づいたら死んじゃう、ということもあり得る。
いくらなんでも暑いよ、この作業は中止しよう、という判断も大事。
熱中症になってしまう。
だからまあ、こっちも気をつけてやらなければならないのだが、何にしても自分の身体のことは自分で守る、という基本的なコトは彼らにもわかってもらいたいし、会得してもらいたい。
が、そういうことがなかなかできないので、彼らはそのまま仕事を続けてしまう。

ハンバーガー屋さんでは知的障害者の雇用が進んでいるという話があって、それはどうもハンバーグ部分を45秒で正確にひっくり返してくれるから、という。
ま、適材適所と言えなくもないが、知的障害者じゃなかったら、他の店員とバカ話して45秒を忘れちゃう、ということであるならば、なんだか他の店員とバカ話をする方が豊かな人生のような気もする。

とにかくマジメなのだ。
それはいいことである。
悪いことではない。
が、時にそれは自分の身体が二の次になってしまったり、他人とのつながりも二の次になってしまったりもする。

俺は、マジメが悪いとは思わないが、どっかやっぱり「それだけじゃダメだ」とは思っていて。
暑かったらその作業を放棄する、とか。
時に馬鹿話で仕事を忘れる、とか。
今日は気分が乗らない、とか。

そもそも、彼らは仕事をしたい。
なんなら「帰りたくない」と頑なに主張する。
なんだか調子に乗ってるから、それにかぶせて、ふざけて「もう帰ればいいじゃん」とかって言うと、「帰らないよ~!」と笑って返してくる。
よく他の作業所の話で、朝作業所に行きたくないと親の手を煩わす、みたいな話が正直信じられない。
仕事をしたいっていうか、皆の中にいたい、という感じか。
それがかなり強いので、やっぱ仕事もがんばってしまう。

いや、仕事を頑張るのはいいじゃないか、というのはわかるのだが、それってどうにも彼らの「がんばりたい」に、こっちが甘えてるだけのような気がするのだ。

45秒でひっくり返せるから、というのは確かに勤勉ではあるが、勤勉であるだけならタダの働き蟻と同じではないか。
何のために仕事をするか。
確かに金のためだけれど、家庭の中に閉じこもるのではなく仕事に出ることで社会とのつながりだったり、仲間を作ることだったり、いろいろなことが付随してあるように思っていて。
そこを豊かに考えたいし、そうなると、やっぱ勤勉だけじゃダメなんじゃないか、と。

むしろ、45秒でひっくり返すという仕事は、俺には切ない。
それで会社は安泰なのかもしれないが、それでいいんだろうか。
会社はその「勤勉さ」に甘えて、彼らの他のチカラを、他の楽しみを奪ってしまっているのではないかとすら思う。

俺たちは幸せになるために生きている。
楽しい毎日のために生きている。
苦しいことを乗り越えることも含め、楽しい毎日。
そう考えると、彼らの勤勉さに我々サイドがあぐらをかいてはいけないのではないか、と思うわけです。

勤勉だから○○を黙々とやってくれるだろう、というのは、まあ確かに適材適所だからそういうこともあるとは思う。
もちろんやれることを一生懸命やりきる、というのも彼らの自信になろう。
「得意なこと」をしっかりやらせる、というのは間違ってはいない。
が、一方で、「彼らは勤勉すぎるほど勤勉である」ということを理解していないとやっぱダメだと思うのだ。

バランスといったら、確かにバランスの話かもしれない。
具体的にどうこう、ということを示すことも難しい。
けれども、我々サイドは、いつも彼らは勤勉である、って思ってないといけないと思っている、という話でした。






(BGM:神奈かずえ「ひとりぽっちの村祭り」from「歌う昭和の名女優たち」)
→姉さんはお嫁に行ったからひとりぼっちになりました、さみしい日暮れです。
という。
笛の音、祭り囃子に誘われるのは日本人のサガ。
これまではお姉ちゃんと行ってたのに。
ちょっと状況がわかりませんが、親はいない感じなのかな。
切ない。
時代を感じさせる一作です。

kabukiboshuuu.jpg

hatomiiboshuu.jpg

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE