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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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スイッチが傾いていない


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ハヤテはまだ馴染まない。
いや、まあ彼はもしかしたらこれまでどこでも馴染めなかったのかもしれない。

学校に行きたくないと行くこともせず、家では大暴れしていたこともあったという。
どこかに行けば非常ベルを鳴らし、家でも隙を見てはブレーカーを落とす。

まあ、それでもよかった時期もあったようだけれど、家でどうして暮らしていたか、という親御さんの話は、まあちょっと想像するに地獄だ。
彼がどこにも出たがらないから、どこにも行けない。
彼中心に全てが回り、それでも彼はテレビを壊し、ひどい時には警察の世話にもなったという。

まあ、それがなんやかんやでここに来ることになった。
話を聞けば、そもそも集団生活を送ったこともない感じだ。
こりゃダメだなあ…、こっちにしてみたら、どうしたらいいかわかんない、という感じである。
親御さん自身がもう限界だ、という気持ちもわかる。
なんで、なんやかんやとにかくやってみようということで始まったんだけれど。

で、親と離れて暮らすようになって1年経ったか。
でもまったく慣れない。

まあ、そりゃそうなんだけど。
こんなんで慣れてれば別に彼は学校にも行けていただろう。

ま、手強い。

というわけで、まあこれまでも、市丸にしても、オグラにしても、カイにしても、来たばかりの頃はやっぱり手強かった。
もちろん、ハヤテの足下にも及ばないが、その時は必死だった。

それが変わった瞬間というのはよくわからないし、思い出しても何がうまくいって、何が上手くいかなかったのか、よくわからない。
上手くいかなかったことすら、本来は上手くいくことの布石だったかもしれないし、単純に二つに分けることができるわけじゃない。
それに、セオリーがあるわけじゃない。
人によって、状況によって、まったく全てが違う。

そして、毎日が矢のように過ぎても行くから、何がどうだったのかがよくわからない。
けれども、まあカイもオグラも、市丸も、まあなんやかんや反社会的な行動はゼロではないが、減ってきた。
みんなと一緒に過ごすこともそんなには苦になっていなくなっているように見える。

一回こっち側にスイッチが降りれば、あとはけっこうこっちのものである、という感じがある。
そもそも、市丸にしても、「帰るか?」といえば、「帰らないよ!」「一緒にやる!」と必死になる。
まあそれは殺し文句だからそうそう言わないが、なんか問題があったときに、「そんなことしてたらみんなと一緒にいられなくなるぞ」と言えば、たいがい、まあ丸く収まる。

これはまあ、言葉が難しいカイには通用しないが、それでもまあカイは俺を見つければチューしに来る。
こうなると、まあ、「それはやっちゃいけない」ということが通じるようになっていく。

けれども、ハヤテの場合はそれが通用しない。
こっちにスイッチが傾いていない。

市丸たちは、実家に帰ることをそんなに楽しみにしているわけでもない。
まあ、盆暮れには帰るけれど(こっちも休みたい)、それもなんか、結局帰らない決断とかをすることもあったりする。

だけれど、ハヤテはすぐに「お母さんのところに帰る」と騒いだりする。
つまり、「それはやっちゃいけない」「にじ屋のお客さんを叩いてはいけない」「コンビニで裸になってはいけない」ということを伝えようとするとき、つまり彼は「だったら猛実家に帰りたい」ということになるわけだ。

先に書いたように、家で安定した生活を送っていたかといえば、そういう風には思えない。
しかし、「やっちゃいけない」を言われることよりも、そこから「逃げたい」が先に立つ。
まあ、逃げること自体はそれで悪いことじゃないとは思うが、それにしても、これだと「なにも伝えられない」のである。

それに、やっぱり「お母さんのところに帰りたい」といわれると、心も折れる。
だって、まあそれを回避するために彼はここにいて、努力はしてるわけだ。
それを無にされたような気になる。
テンションも下がる。

とはいえ、まあ冷静に考えれば、やむを得ないことではある。
だからまあ、冷静に彼に対していかなきゃいけないな、と思って毎日を過ごしているわけですが。

盆に実家に戻り、こっちに戻ってきて、まあハヤテも調子がいいかな(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5278.html)、と思っていた矢先、井上との間にトラブルが発生。
まあ、井上にもかなりの非があるとはいえ、ハヤテは現在振り出しに戻っている。

ま、こういうことの繰り返しなんだろう。
順調にまっすぐ上を向いていくなんてことは、まあ、期待しない方がいいわけで。







(BGM:James Brown「Brother Rap (Part I & II)」from「Sex Machine」)
→もうこの人がリズムで、この人がソウルミュージックってことでよくない?
なんだこのワンコード押し。
それがまったく退屈じゃない。
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井上たちは怖がっている


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井上たちは、健体者のことを怖がってるところがある。
怖がっている、というのとはちょっと違うか。
健体者の言うことには「間違ってない」と思い込んでいるフシがある。
なにかトラブルがあったとして、そのことをまくし立てられてもすぐに理解できない、ということもある。
「まくし立てられている」という状況だけが残って、その中身が伝わっていないのだから、とにかく、弁解をしようにもそもそもの話が理解ができず、その勢いだけで押し切られてしまう、ということになる。

まあ、これはまくし立てられてる、という場面になった時に、という話だけれど、一事が万事そういう感じになってしまう。
つまり、例えばにじ屋で何かを聞かれたとする。
聞かれたとして、その内容がよくわからなかったとする。
そうなると、まあ井上なんかはアタマが真っ白になってしまう。
それはそもそも「聞かれた内容がわからない」から真っ白になるというより、聞かれた瞬間に真っ白になってしまう感じである。

それでも毎日の中で、その傾向は薄まってきた。
けれども、本質的な部分は払拭できているわけではない、という感じ。

つまり、彼らは「ビクビクしている」のである。
時にそれがどうしようもなく「まくし立てられている」→「追い詰められる」になった場合、逆ギレを起こしたりするが、これはつまり「ビクビクしている」がベースにある。
追い詰められて手を振り回す、というイメージだ。

これは言い方を変えると「劣等感」である。
「知的障害者も同じ人間だ」などといくらお題目を唱えようと、彼らは社会に対して劣等感を抱いている。
それは、「看板の字が読めない」「ニュースが何を言ってるかわからない」「人が喋ってることを理解するのに時間がかかる」「メニューがわからない」というような事実から紡ぎ出された結果である。
一方で、たいがいの人は「看板の字が読める」のだから、それは劣等感になってしまう。

本来、「何を言ってるかわからない」のだったら、聞けばいい。
「メニューがわからなかったら」、聞けばいい。
だけれど、びくびくとした劣等感は、それを聞くことを妨げる。


毎日彼らと暮らしていると、「ビクビクするなよ」と思う。
そういう彼らを見ているのは辛い。
一方で、彼らを無意識にビクビクに追い込んでいる社会に対してとても憤慨する。
そして、もっと彼らがビクビクしないで暮らしやすい社会にならないもんかと思う。


まあ、今はどっか「知的障害者は生産性がない」とか、「知的障害者を外に出すな」とか、いやいや、殺しちゃった人もいたわけだけれど。
そういう世の中の雰囲気になってきて。
誰もが余裕がないんだろう、とは思うんですよ。
その中で、「お前らも頑張って生きればいい」というのはまあ簡単だけれど、といってもそれしかないんだけど、同時に、その中で、そういう視線にさらされ続けている彼らのきもちを考えると、それもお題目だよな、とも思う。

よけいに彼らがビクビクする要因が今の世の中にはあるというか。
数十年前から比べて、おそらく不景気になるのと連動して、彼らへの視線は厳しくなってきてて。
ま、確かに昔からそういうヘイトとかってのはあったけど、どっか「そんなバカなこといいなさんな」とたくさんの人がいさめてくれるところがあったと思うけど、それが少なくなって、「そうだそうだ!」と、ヘイトを応援しちゃう「大多数の人」が増えているという感じがする。

で、その「ヘイトを仕掛けてくる人」ってのが、彼らにとっては健体者で、それも彼らにとっては恐怖になっている。


で、先日、いいぞう師匠がにじ屋に来てくれて。
みんな喜んで。
ちょっと飲みに行きましょうか、となり。
いいぞう師匠、お時間ありますか?と。

で最近あったこととか話してたんですけど、「盆踊りを一生懸命やってる人たちがいて」とか、「野宿大好きな人がいて」とか、まあそういう人たちの集まりに参加してね、という話を師匠がしてくれたんですよ。
「ゆるくてねえ、なんかいい感じですよ」と。

師匠の周りには、そういう人たちがたくさんいるようで、いいなあ、という話なんですけど。

でね、たぶんだけど、井上たちがそういう人たちと一緒に毎日を過ごせたら、この「健体者が怖い」は変わってくるのかな、と思ったんです。
いや、「そういう人たちもいるんだよ」というのは井上たちに伝えたいな、と思いまして。

「健体者」って君たちはひとくくりにしているけど、そうじゃないんだよ、と。
イヤな人もいるだろうし、君らに恐怖を与える人もいるだろうけど、そういう人たちばかりじゃなくて、同じようなスピードで、いい感じで生きてる人もいるんだよ、と。


今のセルフレジ化も、彼らを追い詰める要因にしかならなくて。
アレをやらされるたびに、「これわかんない」と言えたとして、でもそれを聞くという劣等感を彼らは毎回感じなければならない。

でも、セルフレジなんかくそ食らえ、って健体者もいるんだよ、と。
あれは、健体者が仕掛けた君たちに劣等感を与える機械、ではないんだ、と。
一部の、アレで儲ける連中のためのもので、イヤだな、と思ってる人も多いんだ、ってことは伝えたい。


ま、この辺、彼らを馬鹿にしてるかどうか、とか、劣等感を植え付けようとしてるかどうか、とか、そういう気持ちの問題になりがちだけれど、結局は世の中の状況が悪くなっていけばなっていくほど、どんどん彼らはその底に、底に沈んで行かざるを得なくなる。

彼らが周りを怖くならない状況というのは、逆に言えば全体が上がっていく状況なのだろうな、と思う。
余裕がある社会というか。
セルフレジとかじゃなくて、ゆっくり彼らのペースに合わせてくれる世の中、というか。


そんな世の中にしていきたいものだ。
けれど、まず、「井上たちは健体者を怖がっている」ということを我々はしっかり受け止める必要があるな、と思っている。








(BGM:柳葉敏郎「われ幻の魚を見たり」from「You-Go(融合)」)
→サウンドとしてはまあ、普通なんですけどね。
けども、もう柳葉さんで、「われ幻の魚を見たり」というタイトルでもうおなかいっぱいになりますね。

ま、のんびり行くしかないんだけどさ


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まあ、「彼らが口を開けない原因は俺たちじゃないか?」(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5308.html)という話なんだけど。

「彼らの口を開かせる」というのはなかなかに難しいんだけど、果敢にチャレンジはしていて、会議でもノブなんかはなかなかじゃんじゃん口を挟んできたりする。

それはまあ、「にじ屋のことの会議」だとすると、「俺の店だから」というのが彼の中にまずしっかりある、ということではありまして。
その辺はけっこう井上もミツも、みんなけっこうそこは強い。
帰属感も含め、彼らにはにじ屋が重要なんだな、ということを思い知らされるわけですが。

作業所の先生に言われたことをやっているだけでは、恐らくこうはならないだろうし、形式であっても彼らを入れて運営について論議していかなければならない。
それにはかなり時間がかかるし、逆に準備も必要になる。
そういう「めんどうなこと」を、まあ繰り返しやってるわけですけど。


でもまあ、やっぱり人によってそこは違うわけです。
オグラやカブキなんかは他の施設から来て、どうしても「与えられるモノ」しか知らない。
知らないから、そもそも考えることをしない。

二人とも、認識は高いようだし、字も読める。
カブキは手の機能的にかけないが、オグラはきちんとした漢字もある程度かける。

にもかかわらず、その能力は会議では眠ったままである。
彼らに比べたら、ひらがなしか書けないノブが大活躍している、という状態。
ま、字が書けるだけが大事なことではない、って話ではあるんだが、ちょっとそれはもったない、とも思う。


同時に、カブキなんかに至っては、会話自体が成り立たないことがある。
本来、理解できていないはずはないのだが、同じことを繰り返す、というようないわゆる「幼児がえり」を起こしたりする。
言葉に意味があると思っていないわけはないのだろうが、そもそも「会話」という経験が浅いのかもしれない。

「何を言ってもわかってくれない」「聞いてくれない」という場所にいたら、それはそうなっても仕方ないように思う。
そういえば、気に入らないと「騒ぐだけ騒ぐ」ってのをカブキはやったりするんだけど、まあそうなると、うるさいし、近所迷惑だし、折れるわけです、「こっち」が。
多分それも彼女の処世術なんでしょうけど、それはやっぱりコミュニケーションとしては幼児のそれだ。
泣いたらお乳をくれる、ということと変わらない。
そうじゃなくて、きちんと話をしようよ、ということなんだけど、そうなるといきおい彼女はどうしたらいいかわからなくなって、結局大泣きしたりする。

そうしたオグラやカブキの口を開けるにはどうしたらいいか?って思うと気が遠くなるわけだけど。

彼らはやっぱり「与えられてきたモノ」だけが人生だから、そこで「自分の人生なんだぞ」といっても、まあそもそも「何を言ってるの?」にしかならない。
そのくらい長い期間、彼らはそういう場所にいたということだろう。
でも、彼らにはその「自分の人生だろう」というのが、わかるような気はするんだよな…。
能力的には十分。
だって、井上なんかはかなりそれがあると思うから。
井上よりも十分に認識の高い彼らにはわかりそうな気がするんだよ…。
だから、とても歯がゆい。
悔しい。

そして、どうしたらいいのか、まあ、そのたびそのたび手を考えるわけだけど、なかなかどうして、なにも成し得てない気がする。
昔の体験や経験を今更どうにもできないし、その時に得た彼らの処世術を否定してしまったら、そもそもどうにもならない、というのもある。

どうしたらいいのか、なかなか難しいんだけど。


そして、カイとかに至っては、そもそも喋りませんから。
それでも最近は「アキちゃん」とか言うようになってはいるけれど、それもまあ、「佐藤さん」とは言わないから、どうだろう。
人の名前、って概念がそもそもあるのかどうか、難しいけど。
でもまあ、自分のことは「カイ」だと思ってるし、アキのことはアキ、と思っているのだろうとは思われる。
でも、カイとしては、俺はチューをしたい人だけれど、俺が佐藤さん、だとわかっているかどうかは怪しい。
ま、そんな感じなんだけど。

そういう場合も、まあ口を開ける努力ってのはやっぱりあって、それは言葉じゃなくて、行動だったり、「俺はこれをしたい」というような主張が含まれた行動、というか。
でもまあ、どっかカイはそれはしっかりしていて、むしろ「それは必要なのか?」ということもあるし、「それはやっちゃいけない」ということもある。
けれど、それが否定されれば否定されたで、どっか彼は「俺と話ができる人」と認識しているようにも見えるから、なんかオグラやカブキよりはずっと生きる意欲というか、「俺の人生を生きている感」があるなあ、と思ったり。


結局、まあ口を開けると言っても、それぞれの状況の中でいろいろなんだけど、それでもなんか毎日考えていかなきゃなあ、という感じの毎日。
数字で結果が出るわけでもなく、いつ結果が出るかもわからない闘いだけれど、まあしょうがない。
てか、まあ、そういうもんなんだよな。
今すぐ生産性とか言われても困る、というか。

そんな感じの毎日であります。





canvas_20200919141319ecf.jpg

(BGM:Mr.Children「Another Story」from「HOME」)
→ミスチルは何か惹かれるものがある。
サザンに近い、ジャパニーズポップスの王道というか。
フォークでもなければ、トラディショナルでもない、日本のポップというか。

一生懸命の怖さ


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kaijosha.jpg



ちょっと目にしたテレビが怖くってもう目をそらした、という経験はありますか。
オレにはあります。

ドキュメンタリーですね。
ま、作り物の番組ではそんなに「怖くて」なんてことはないですわな。

どういう内容かというと、障害を持った子、車椅子でなんか体を動かすのも難しい感じの女性とお母さんを撮ったドキュメント。
それ以上のことは見れなかったのでよくわかりません。

けど、この親子、前にも他のドキュメンタリー番組で見たことがありました。
その時もまあ違和感はあったんだけど、今回は決定的になりました。

オレがたまたま見た場面は、介助者に母親が怒ってる場面でありました。
ちょっともう、あ、これはきついわ…、と思って見てらんなくて。
断片断片を言うと、「○○が下がったら、すぐに(私を)呼んでくれなきゃ困る」みたいな感じで。

う~む。
そうか。
まあけっこう厳しい障害なんだろうな、というのはわかるけれど、え?こんなに介助者に怒っちゃう?というのが怖くて。

怖くて、というのは、怒ってるのが怖いということじゃなくて、このお母さんの子どもの「囲い方」なんだ。
ハリネズミのよう、と瞬時に思った。

いや、こういう人、います確かに。
だからこそ、まあ怖かったということでもあるんだけど。

まあ、自分とこの子以外は「敵」という風になっちゃうのはわからなくはない。
そうやって生きざるを得なかったんだと思う。
学校の先生も、クラスメイトも、そして今は介助者も、母親にとっては「敵」になっちゃってるんだろうな…。

そういう社会の状況を変えなきゃならんとは思うけど、でも、こういう風に親の方から壁を作られちゃうと、周りも壁を作らざるを得ないところもあるよな。
敵だと認識すれば、やっぱ敵と認識された人も敵にならなきゃならなくなる。
社会の構造の問題ではあるけれど、現場的には同時にそういう人間関係の問題という面もあるよな、と。
それが社会の構造を固定化してしまうという意味で。

私がいなければこの子はダメ、という気持ちはわかる。
そうしてきてしまった社会の構造は悪い。
けれども、それって、どっか「依存」に見える。
「私がいなければ」といいながら、本質的には「この子がいなければ」「この子が私から離れたら」なんじゃないかな、という風に見えてしまうのだ。

確かに、見えてしまうだけで、そうではないのかもしれない。
けど、経験則で言うと、これ、根が深い問題だと思ってる。

これ、本人に何か変わったことがあったら、それは周りの問題になってしまう。
本人の問題でもなく、親の問題でもなく、周りの問題になってしまうんだよね。
そうなると、問題の本質が見えなくなっちゃうんですよ。

同時にそれは「親の考え」であって、本人の考えでもない。
確かに知的に障害があったりすると、問題が認識できない場合がある。
けれども、だとしても、「親の思いと本人の思い(やりたい!とかが)がズレていく様」を毎日目の当たりにしていると、なかなか安直に「親御さんの思いの通りやればいい」とは思えなかったりする。

ま、その中身の論議はまたするとして。
こうしたことが引き起こす構造の問題という意味で一つ思うことがあって。

簡単に言うと、まあ、これ、一生懸命やってる親御さんになかなか異論を唱えるのは難しい、って話なんです。
論議ができない。
先に書いたような俺の経験を彼女に語り、互いに自分がやってることを見つめ直し、よりよき方向に向かう、という、ごく当たり前のことがしにくいんですよ。

この番組の中で、叱り飛ばされた介助者は、やめる方向に向かっていく感じで終わりました。
つまり、そこに何をか意見があったとして、去るしかない、ということなんだよね。

一生懸命やってる人にはやっぱ「ものが言いにくい」というね、そういう感じがあるように思います。
それが「子のため」だとしたら、なおさら言いにくい。
親子の問題と切って捨てられる部分もある。
つまり、それを普遍化して障害を持った子と親の話にしにくくもなる。

オレも、とある親御さんに、「この子は私が死んだら施設に入れればいいんです。それでどこにも行けなくなるんだから、それまで好きなことをやらせます」と言われたときに、まあ涙出ましたけど。

ま、これ、この親御さんがどうこうってんじゃなくてですね。
構造としてはですね、障害者団体同士だって、まあそういうことってあるよなあ、とか思いまして。
当然、オレも気をつけなきゃいけないと思っているって話なんだけど。

テレビに出たときに、まあちゃんとは見てないが、その番組のHPに、「佐藤さんだからやれる」みたいなコメントをその番組の重鎮みたいな人が言っていて、いやいやいや、何聞いてたの?と思ったけど、そういう見方になるんだな世の中は、と思って。

ま、オレの普段を知ってる人ならわかることだけど、何もオレは「一生懸命」やってるわけでもないんだけど、ま、オレにも言いにくいんだろうな、と思うと、まあ、この親御さんに対して思った感じを、一般の人はオレに思ってるのかもしれない。

うん、だから、まあそういう構造があるということをしっかり認識して、やっぱ互いに自分の実践を語り合い、自分の実践を振り返り、自分のやり方を変えることができるような関係性をたくさんの人と作って行けたらいいな、と思います。







(BGM:PAPA B「Love Is The Key」from「Di VIBES ~Japanese Reggae Selection 2004~ [Disc 1]」)
→まあ、なんかもうレゲっぽくないですけど、いい曲だと思います。

行きたい けど 行きたくない


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市丸は、けっこういろいろと難しい男なんですが。
一見、お祭男のように見えますが、そういうわけでもないんだよな。

まあ、まず初対面の人が好き、というか、外の人が好きなんですよね。
これは直接自分の置かれてるヒエラルキーと関係ない人だと気楽に喋れるからなんでしょう。
これは自閉症の教科書にもよく書いてあります。
教室の友だちとはうまくいかないけど、先生とはよく話す、みたいな。
そうすると、まあ級友は面白く思わないわけで、孤立していく、みたいなことですね。

まあ、井上達と市丸だとやっぱ上下関係というか、それなりの某がついて回ります。
そして、そういう「関係性」が先ず苦手なので、決定的に立場の違う、例えば先生とかに頼る、ということになる。
先生はクラスメイトに対して異物ですから、やっぱクラスメイトの中のヒエラルキーには入れないし、生徒達にしてみたら入れたくない。
だからまあ、「お前は先生と喋ってろ!」となってしまう、みたいな。

同時に、まあ1人でいるのも好きなんですよ。
1人でテレビを見る、みたいな時間が好き。
けれども、「誰かが誰かと出かける」みたいな話になると、「行きたい!」となる。
行きたい!よりも、「なんで俺は誘わないんだ」みたいなことですかね。
そこにすずとかみずえとか、どっちかというと付き合いの浅い「先生」が入っているとなお腹が立つわけです。
つまり、彼にしてみたら、優しくしてくれると思っていた人が、自分じゃなくて井上達と出かけちゃうんだから面白くない。

でもまあ、そもそもそんなに行きたいわけじゃない。

これ、不思議なもんで、「今晩どっかに出かける」みたいな時に逆切れをしたりするんだよね。
出かけたいのかと思って誘ってやれば逆切れする、みたいなことで、なんなんだ、と。
で、「逆切れしたから連れて行けない」「そんな逆切れを外でされたら困るし」という話になるんだけど、まあたいがいはそれでも話をまとめて連れてはいくんだけど、「今回はやめにしておこう」みたいな時もあって。
まあ、市丸は「失敗しちゃった」「行きたいよ」と繰り返すけど、まあ行けなかったら行けなかったで家で楽しくテレビ見てたりしますからね。
この辺ね、まあかなり難しい男というか。

火曜休みなんですけど、まあ火曜に出かけるのもどうかと思うんですけどね、俺は。
スズとかにしてみたら、貴重な休みですからね。
仕事ある日に早退した方がいいんじゃないかと思うんですけど、それでもそういう日があって。

例えばコウヘイが映画に誘って、数人で行く、とか。
誰か外の人に誘ってもらって飲みに行く、とか。

こういう場合、もう市丸は月曜に逆切れするわけです。
いや、逆切れということの定義ですけれど、まあなんだろうな、もう気が立ってる。
「俺、明日何時に行こうかな」「みずえさん何時にする?」とか、なんの約束もないのにまくし立てる。
なにそれ?となりますが、彼も止められないんだろう。
ずっとそういう感じでハリネズミのような感じになってる。
つまりは誘ってほしいのかな、と思いきや、さっきの話じゃないですが火曜になれば別に家で楽しくテレビを見ている。
ああ、一日テレビ見れてよかったな、みたいな。

同時に、まあ誘ったところで、「行きたいけど行きたくない」から、例えば映画の途中で、わざと大きなそぶりで寝たりする。
そういうことをするから、井上達にしたら面白くない。
「もうあいつは連れて行かない」となる。

旅行なんかで自由行動があると、旅行前から誰と一緒に行く、とかの争奪戦というか、なんでしょう、そういうのが数週間前から始まります。
「○○に行きたいんだけど、みずえさん一緒にどう?」とか。
ルールは1人行動禁止、だけなので、まあどこに行こうがいいんですけど、誰かとは行かなきゃならない。
そこでまあ、みんな仲間作りを始めるわけです。

でも、そうなると一気に市丸は不安定になる。
つまり、入れてもらえないし、いや、入れてほしくもないわけです。
だって、井上と一緒、となれば関係性が出ます。
それを越えてグループを作れるほど市丸はタフじゃない。
なんで、もう逆切れが始まります。
逆切れしたところでどうしようもない、というか悪循環なんだけど。

「入りたいけど入りたくない」
「行きたいけど行きたくない」

まあ、人は同時にそれがなり立つモノだと思います。
だから、市丸の気持ちもわからなくはない。
ないが、そういう風に彼は理屈を持ってないから、どうしても「鬱積する真逆の思い」がたまっていく。

まあ、そういう話はするし、旅行の時なんかはしょうがないから「俺が考えてやる」とか言っちゃいますけど、それでもまあ彼と「話が通じているか」というと、ちょっと怪しい。
俺の言いたいことのたぶん10のうち0.2くらいは伝わってるとは思うけど。

前に、あまりにかわいそうな感じ、つまりは誘われないし、同時に「みずえさん何時にしようか」みたいな妄想が超特急だったので、休みでみんながどっか行ってる、みたいな時に飲みに誘ってやったことがあります。
それはまあなんか功を奏してその後なんかいい感じになったんですけど。
というのも、俺とアキとウチの息子夫婦とアオテツという、市丸にしてみたらヒエラルキーになんにも関係ない集まりだったんで。
彼は逆に居心地がよかったんでしょう。

まあ、それもたまたまですけどね。
たまたまうまくハマっただけで、なかなかこの辺難しくて、でもまあなんかしないと始まらないところもあるんで、毎日悩んでる、と、まあそんな話です。






(BGM:初代コロムビア・ローズ「東京のバスガール」fromYOUTUBE)
→アコーディオンが前面に出ててなかなか興味深い。
発車オーライ!

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