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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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目先のことばかり考えてると、あとで痛い目見るわけだからさ


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ま、ウチみたいな団体は数多くあります。
ヘルパーが週3回上限18時間、という感じだった時に、派遣されてくるヘルパーよりも自分で調達したボランティアの方がずっと使える、というようなことがあって、「自薦登録」という形(当事者自身が推薦する人をヘルパーとして登録し、行政がその人を派遣する)を行政に認めさせ、その後、委託、みたいな流れになって来たワケだけど。

つまりはまあ、「ヘルパーの資格は自分たちで決める」というね。
当然の話ではあるんですが。
生活の中に入ってくる人ですから。
そうそう国が資格を与えたからって、それでOK、とはなかなかなりませんわ。

資格ってのは難しい側面があって。
「資格があればOKか?」という大前提がまずあります。
そもそも、現状は資格ビジネスによっての「利権」でしかなくなってしまってますから、金を払えば資格がもらえる、というね。
こんな中で、金は払ってるのに「貴方には適正がありません」とはなかなか業者も言えない、という。

それに、例えとしてこんな話をよくするんですが。
昔、まだ補助を受けてなかった学童に、おばちゃんがいて、その人がまあ子どもたちに好かれてて、すごくいいおばちゃんだったんだけど、その学童が補助を受けることになって、「指導員には資格が必要」となって、おばちゃんは辞めざるを得なくなった、みたいな。

俺らとしては、まあそのおばちゃん側に立つというか。
そもそも、当時のヘルパーは質も低かった。
時間数も出なかった。
から、必死にそれを埋めるために「ボランティア」を探した。
で、そうなってくると、当然、ボランティアの方が「役に立つ人」になっていく。

「誰かが決める資格」、ではなく、「自分が責任を持って育てる介助者」の方が、ずっと「資格がある」という話になっていく。

そういうことで、行政と話をしながら、自薦登録から委託へ、という流れになって来たわけで、というか、これは俺らだけの話じゃなくて、全国的な「障害者自立生活運動」の流れなんだけど。


その中で、委託に至る中、行政は「資格化」を言ってきたんですね。
つまり、障害者側で全部やります、って話になっちゃうと、利権なくなっちゃうからさ。
資格利権くらいは役人もほしかったんでしょ?と思うんだけど。

というか、そもそもその「資格」がない「ボランティア」、「自分が認めた人」の方が、国が認めた資格がある人よりも「自分の介助者としてふさわしい」という話があってのことだから、もう「国家資格はやめろや」って話だったわけなんだよね、そもそも。
資格は、国が与えるんじゃなく、本人が与える、みたいな。


ということなんだけど、その「国家資格化」を簡単に呑んじゃう障害者が運営する事業所も今やたっくさんあるのよね。
中には、「(ウチで働けば)資格が取れます!」なんて謳ってる馬鹿もいる。

何のための運動だったのか、まったくわかってない、という。
ここまでの道のりがよくわかってない、というか。
情けないったらありゃしないんですけど。
まあ、最近の、あの頃に運動してきてなかった人たち、つまり開拓してこなかった人たちには、わからないのかもしれないけど、それにしたってなあ…。

まあ、障害者自身が運営していない事業所であるなら、「(ウチで働けば)資格が取れます!」という宣伝はしたってイイとは思うんですよ。
だって、もうけるために参入してきたんでしょ?
福祉産業とか言ってるけど、つまりは、そういうことなわけで。
その「資格利権」でいっちょ儲けよう、ってのもわかります。
というか、そういう話ですもんね。

ただね、そういう「障害者の福祉をクイモノにする」連中から解放されるために「自分たちで始めた」はずの人たちが、まさかの「(ウチで働けば)資格が取れます」って宣伝する、つまり「資格利権を宣伝してあげてる」とは、もうなんか、世も末ですわ。





(BGM:ZOUO「Making Love With the Devil」from YOUTUBE)
→もうCDにはする気はないんだろうな。
アナログは再発してるみたいだけど。
CDで聞きたいなあ。
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単純に


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単純な話、イチマルたちがなにを必要としているのか?という。

福祉の現場では「障害者のニーズに応える」みたいなことを言いますよね。
では、イチマルたちのニーズって何だろう?と。

よく、そういう「ニーズに応える」という上で、福祉の現場では彼らを「指導」したり、いわゆる「更正」みたいなことかな、しようとしてる。
例えば「作業ができるように」とか。
「買い物ができるように」とか。
そのために、計算の訓練をしてます、とか。
そして、親から日中あずかって、「あずかった状態と同じ状況で親に返すのが仕事」とかいうことらしい。

…ふむ。
ま、単純にね、これね、イチマルのニーズなんだろうか?。

いや、俺もね、「単純にニーズに応えりゃいいんだ」とは思ってないのよ。
そんな「王様」みたいな話、ないからな。

でも、いくらなんでも、この現場の状況って、イチマルのニーズからは離れすぎてないか?と。

だって、これ、保育園じゃん。
保育園では、親から子どもを預かって親に返す。
例えば字を教えたりする保育園もあるかもしれないし、まあみんなと一緒に遊んだり、遊びのルールだったり、そういうことを子どもは学んでいく。

これ、まあそのまま「子ども」を「イチマル」に入れ替えたら成り立っちゃうんだよね、今の福祉の現場って、そういうことをやってる。


これね、まあ「イチマルは頭が悪い」=「子どもと一緒」と思ってるからこんなことやれるんだろうなあ、と思うんだけど、違うでしょ。
一緒じゃない。
少なくともイチマルは身体がデカイ。
子どもと同じではない。
子どもは小さいだけで周りの大人が驚異なんだよね。
それが子どもを更正する一つの要件ではあるわけ。
しかし、それをイチマルは満たしてない。
少なくとも、この一点だけでも、子どもと一緒ではない。
逆にそれは子どもに失礼というか、そういう風にも思う。


でね、じゃあイチマルがなにを必要としてるんだろう、って話なんだけど、ちょっとその前にね、自分のことから考えてみよう。

俺、人生の中で必要なコトって何だろうか。

金か?
金も大事だが、それだけでもない。
ま、言ってみればやっぱ「友だち」なんだよね。

一緒に呑みに言ってくれる人。
話してて楽しい人。
一緒にプロレスとかライブに付き合ってくれる人。

で、しかもこれ、金じゃ買えない。
つまりね、金と友だち。


で、そう考えた時、イチマルはどうだろう。
イチマルは俺と違うんだろうか?と。
「知的障害者だから俺と違う」と断じて保育園と同じようにめんどうみてやればいいんだ。というのは簡単だ、というか、そういうことを今やってるわけだよね、世の中は。

でも、そういうデイケアの中で、カブキもオグラも死んでしまった。
今、やっと話ができるようになったけど、彼らがここに来たばかりの頃はひどかった。
そう考えると、やっぱり彼らが必要としているのは「保育園ではないのではないか」というのは成り立つ。

つまり、逆算ではあるけど、彼らだって「やっぱ金と友だちが必要なんじゃないか?」というね、そういう簡単な結論がここから導き出されるんだよね。


だからまず、友だちを作る。
一緒にバカが言える人。
親の知らない仲間。
親には言えない場所に一緒に行ってくれる友だち。
そういうね。

そして、あとは金だけど、そこはまあにじ屋を頑張る。


それをまあ、粛々とやったらイイと思うんだよね。
難しいことはない。


けれど、多くの関係者、俺のような人たちは、よくわからないような「横文字」を使っては、頭を悩ませている。
俺は「そこ?」といつも思う。
もちろん、前に書いた「粛々とやっていく」ことについて悩むならわかるんだけど、俺でもよくわからない、いや、イチマルにはマッタクわからない横文字で悩むなよ、と。

それ、少なくともイチマルの「思い」からはかけ離れていくばかりじゃなく、そういうことをメインにしていっちゃうことで、イチマルが参加できない状況ができちゃうんだよね。


それとよく聞くのは「ウチの子は友だちなんか欲しがってない」という。
けど、それ、カブキやオグラがここに来る前にそうだったように、「死んでる」からなんじゃないかな、と思ったりする。
あの状態で、オグラがなにか考えられる状況だったかというと、俺にはそうは思えなかった。

まあ、確かにオレたちも手探りだったけど、オグラはそこからここまで来た。
施設で十年同室だった人の名前は思い出せないが、今はみんなとふざけていたり、みんなと笑ったり、みんなとケンカしたりしている。


つまりまあ、何が言いたいかというと、なんかね、「もっと単純に」って思う。

友だちを作ろう。
金持ちになろう。

そこを軸にしていくしかないと思う。
そのための作業であり、そのためのコミュニケーション術でアリ、そのための笑顔、だったり。
軸をブラしちゃダメだよね。


蛇足だけど、両方ともウチのオリジナル曲になってるな。
「俺は仲間がほしい」って歌もあるし、「金持ちになりたい」って歌もあったわ。




(BGM:Elequte「アジアの純真」from「J-Pop House Covers」)
→この曲は「なんだこれ?」と思っていたけど、いや、深かった。
というか、こういう曲が残るという。
歌詞的にもどっか「横浜、たそがれ」的作りというか。
こういうのもスゲエ。

ほっといてくれればいいのに


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大阪にいってですね、加納さんとアキと行ってきたわけですけど、加納さんは車イスなわけですね。
で、駅とかやっぱエレベーターを探すことになります。

こっちで乗るんであれば、なんとなくまだ土地勘があるけれど、大阪だとどうにも。
例えば、まあ、エレベーターが狭いから、じゃあ俺は階段で、みたいなことができない。
というのも、なんか「違う場所に着いちゃう」からですね。
そうなると、はぐれちゃいますから。

というかですね、まあ十年前、二十年前を考えたらデスね、エレベーターがついただけましで。
昔はなかったから、とにかく「担いで階段をあげる」という。
その辺の客を捕まえて、「お願いします」みたいな。

頭を下げて、やっとのことで目的地へ。
時間もかかるし、腰も痛くなるし、タイヘンだった。

ま、こっちがそんなに風にタイヘンな思いをするんだから、実際に車イスに乗ってる側の人にしてみたら、「もう申し訳なくて出かけたくない」って話になっちゃうよな、って。

エレベーターがないのは、不幸なシステムであった。

だから、それを作れ、ってずいぶん駅にも市にも交渉したっけ。
北浦和駅なんかは、「駅の構造上エレベーターはつけられない」とか言っていた20年以上前は。
でも、今はつきましたね。
エレベーターの技術が向上したのか、あの時の駅長が嘘をついていたのか、のどっちかですが。

ま、駅舎自体が古いと、エレベーターと言っても、狭くなっちゃったり、外れの方にできちゃったり。
それはまあ、もうエレベーターを想定しないで作っちゃってるからしょうがないところはあるんだわな。
新しいところは、まあもっと考えられている「はず」だと思うんだけど。

しかし、まあそうやって古い駅舎に無理矢理エレベーターを設置してるから、もう迷路のような先にエレベーターがあったり、二つ出口があったら、片方にしかなくて、ものすごく歩かなければならない、とか。

まあね、しょうがないとは思うんだ。
構造上、無理矢理なんだから。

そうは思うけど、これは、「車イスユーザーだから負わなければならない負担」であって、まあノーマライゼーションとか、そういうモノから考えれば、まだまだの状況ではあるんだ。
だから、やっぱ「これじゃやってられないよ!」と怒る場面ではある。

それにまあ、先の北浦和の件じゃないけど、「本当に構造上そこにしか作れなかったのか?」という疑問は常に言っていかないと、「とにかく作ればいいんだろ」というのは、やっぱ違うんだわ。

エレベーターがなかった時は簡単だった。
「つけろ!」ってところで誰とだって手をつなげた。
ベビーカーだって、大きなキャリーバックも、ちょっとケガしちゃった、足をくじいた、みたいな時とかだって、やっぱりエレベーターがあった方がイイ。

でも、「時々デカイキャリーバックを持って出かける」ということと、「車イスで生活してる」ってことは、エレベーターの必要性の上でマッタク意味が違う。

そういう意味では、本当の意味での「車イスで生活している人にとっての上下移動」に関する運動ってのは、これからなのかもしれない。

これだけエレベーターができたのに、上下移動に対する世の中の理解だって、進んでるとは思えない。
それは、ついこの間の飛行機会社の問題を見ればそれは明らかだ。
いまだに「障害者は社会に迷惑をかける存在なんだから、大人しくしてろ論」が跋扈してて驚いた。
結局、それって、相模原の事件と同じじゃん。
あの犯人と同じこと言ってんのね、みんな。

かおるさんと出かけたときも、加納さんとでかけてもさ、やっぱこの「めんどくささ」からは解放されない。
そして、それを訴えれば、「大人しくしろ」と言われる。

改めて、まあどうにもならん。

車イスを使ってない人が車イスの人の要望を否定する必要ないと思うんだけどね。
ほっといてくれればいいのに。

なんでしょうね。
この「他人の権利が認められることで自分の権利が縮小する」と思い込んでる人たち。

っていうか、ただの八つ当たりなのかもな。






(BGM:美川憲一「駄目な時ゃダメよ(House mix)」from YOUTUBE)
→「ダメな時はダメよ 考えたってダメよ 泣いたってダメよ」
なんか、もうすげえこの人に言われると説得力がスゲエ。

それでも神になる


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かおるさんの骨の一部は、大阪の一心寺ってとこにあずけられていて。
そこは、みんなの骨を集めて仏像を作る、というね。
十年に一回、仏像になるそうで。
彼女の遺言で、ここに骨をおさめることになった。

彼女が亡くなって、まだそんなにたってないけど、ちょうど、その仏像の時期が今月やってきまして。
今月、この十年間に集まった骨で作った仏像のお披露目がありまして。

で、大阪に行ってきました。


ま、もう普段はかおるさんのことを思い出すこともそんなにはありません。
何かの時に、「彼女がいてくれたらな」と思ったりはするけれど、それ以上のモノではない。
時間というのは恐ろしいモノで、あんなに悲しかった彼女の死もその角が取れて丸くなっていく。


彼女は専門学校生だったとき、事故に遭って半身マヒになった。
彼女が悪かったわけじゃない。
いきなり車が突っ込んできた。
で、そのまま、彼女はもう歩くことができなくなった。

彼女にしてみたら不意打ちで人生の岐路がやってきた。
強制的に、彼女はそれまでの夢も、人生でおぼろげであっても引いていたレール、みたいなモノから降ろされた。

リハビリの毎日。
それは彼女にとって、「これからの人生が真っ暗」であることも同時に叩き込む。
いや、今からもう35年以上前の話だからね。
もう「リハビリしたところで行く場所などない」という時代。

田舎の生活がイヤ、というのもあって、東京の専門学校に通うことになった彼女。
もちろん、服飾の仕事もやりたかった。
彼女が事故に遭う前に作ったという服も、彼女の死後、一人暮らしの彼女の部屋の押し入れから出てきた。

田舎の農家の家に戻って、ただ毎日日向ぼっこする毎日が待っている。
彼女は、実際にそう思っていた。

リハビリの毎日。
数年にもわたる入院生活の中で、彼女の東京の部屋に転がり込んでいた、半同棲していた彼氏は一度も見舞いに来なかった。
彼の荷物も、着替えもたくさん部屋にはあったはずなのに、彼女の親は、入院数ヶ月したところで部屋には「戻れない」ことを知り、「部屋は引き払ったから」とかおるさんに告げた。
そもそも半同棲なんて親には言ってなかったし、「彼の荷物は?」とは聞けなかったよ、と後に彼女は俺に笑って言った。
笑えないぜ、と俺は思った。

ま、とにかく最悪だ。
一瞬にして、彼女はすべての未来を失った。


でもまあ、彼女は虹の会の存在を知り、田舎で日向ぼっこの生活ではなく、自分に課された社会の矛盾と闘う道を選ぶことになる。
それはまあ、彼女がしたかったことではない。
けれど、あの時代の、あの状況の中で、彼女が生きていくために必要なコトだった。
闘わなければ、一人で住むこともできなかったのだ。

そして、多くの友とも出会っただろう。
でもさ、それが、彼女の「あの一瞬ですべてを失った」喪失感を埋めるモノになったんだろうか。


彼女は、あの一瞬、そしてリハビリの間、そしてこっちに来てからだって、神様をずっと怨んできたと思う。
「なぜ私が」
「なんで事故に遭わなきゃいけないの」
「神も仏もない」
彼女は、何度神に恨みごとを言っただろうか。
何度、泣きながら、心の底で叫んだだろうか。


でもさ、そのご開帳された仏様を見てさ。
彼女は、その怨み続けた仏様になったんだ、って思ったらさ。
仏様になりたかったんだ、って思ったらさ。

俺の悩みや、俺の煩悩なんてのはね、俺の人生なんてのはね。
まだまだなんですよ。

俺なんかね、まだまだなんですよ。






(BGM:ホギー青山「マリリンモンロー行かないで」from YOUTUBE)
→ホギーであってますか?ホギーで。
もうね、この冒頭、イントロの前からあえいじゃってるでしょ。
エロ声歌謡が究極までいっちゃったみたいな。
いや、もうなんか聞いてられない、でも聞きたい。

聖人じゃない …俺もな


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ボランティアに来る人やガイドヘルパーとかなんでもいいんだけど、子どもだったころの井上達にとって、そういう人たちは「一緒に遊んでくれるお兄さんお姉さん」だったわけです。

彼らにとっては、親とは違う「楽しい人」「会いたい人」の一人だったわけですが、もちろん、今会ったりすることはおろか、年賀状くらいは交換しています、という例を、俺は聞いたことがない。

ま、俺が聞いたことがないだけかもしれない。

大体の場合、それは学生だったり、つまり「時間があった」とか、「他の仕事をしようと思ったが失業した」とか、人によって「失恋した」とか。
つまり人生のエアポケットのような時間を、ボランティアで過ごす、みたいなことですね。
いや、まあ多くは「経験してみよう」なのかな。

で、これが映画だとしたら、ボランティアに来た人が逆に「人生の豊かさ」「頑張ろうという気持ち」を受け取り、エアポケットから人生の軌道に戻る、みたいなスジになります。
つまり、まあ多くの場合、「ボランティアをされる側」にとっては、それが「人生を変えること」にはなかなかならないコトが多い。
いや、絶対にそうだとは言い切りませんが。


…といったような、いろいろな背景は想像なんで、これ以上なんか言ってもしょうがない気がしてきたので、話を進めようと思います。

ま、現実的に、井上達はそういう出会いと別れを繰り返している、ということね。

その中で、けっこう井上とかは、新しい専従や職員とかに「辞めないでくれ」という思いがあるようで。
でもまあ、辞めちゃうんで、そのたびに井上は腹を立てる。

しかし、やめるってのは、人生の重大事だから、その決断も尊重しましょうよ、と思いますが、それって大人の理屈で、その前に、一緒に遊んでくれていたお姉さんに「なんでいなくなるんだヨー!」って叫びたい気持ちが、まあ井上なんかには大きくあるというか。

でもまあ、直接その場で言えるほど井上はできるわけじゃない。
健体者が怖いし、なんか言い返されたら、と思ったらなにも言えなくなっちゃう。
だから、後になって、俺に言いに来たりする。
でもまあ、もう遅く、その本人に伝える手段ってのはなかなか作れない。
というか、俺の「大人の対応」として、なかなかそれができないのもあります。

「それでいいのか!それでも井上の側の人間と言えるのか!」という批判を自分自身にしつつ、でもやっぱ辞めた人にどうこう言いたくはない、という。


しかし、まあそれでも井上なんかはあとででも言ってくるだけイイですが、市丸とかはもうその状況になれきってるから、何も感じない、というか、何も感じないようにフタしちゃうんだね。

よく、施設に行ってて「オグラやカブキがバカのフリしてた」って話を書きますけど、それと同じで、「防衛本能」だと思うんですよ。
どんな人が来ても、その人は辞めます、という前提だから。
薄く、テキトウに付き合ってればいい、という。
辞めたらもう「なかったこと」にすぐできる、というか。

なんか怖いよね。
世の中で一番大切なのは友だちだ、なんて言いますけど、もうそういう次元じゃないよね。
人生楽しいわけがないよね、というか。


井上やミツたちの会話で、学校時代に一緒にいた友だち、というかいじめてた友だち以外で健体者が出てくるとしたらそれは先生です。
オレなんかは、別に「小学校の時の先生にライブを見てもらいたい」なんて決して思いませんけど、ってか、先生自体を忘れちゃった感もありますが、彼らはすぐに「先生」が出てくる。

なぜなら、先生だけが、健体者の中で自分たちに関わるのを辞めなかったからです。
いや、担任になった後も、学校にいて、挨拶をしたりできた。
卒業した後も。

だから、みんな先生のことは忘れない、というか、それしか彼らにはない。

イイ先生だったのか、どうなのかはわかりません。
彼らに聞いても、「いやあ、別に…」となったりします。

つまり、「続けること」以外に彼らの信頼を得る方法はないってことはハッキリしてて。


でも、井上達と違って、健体者の人生にはいくつも岐路があったりするから、辞めなきゃならない場面もある。
ま、だから俺の仕事は彼らが辞めないですむようにしなければならないし、でも、まあそういうこととは関係のないコトもあったり。


一つだけ、健体者のみなさんに知っておいてほしいのは、井上達は、健体者の人ほど選択肢はないんですよ。
だから、すごく「期待してる」んだよね、他人に。
ま、それがいいかどうかは別ね。
でも、それが現実。

その中で、彼らは哀しい気持ちを押しつぶして、ないモノにして、本人にもその気持ちを伝えずに「いい人」で、ずっとずっときてる、って話。
そこに甘えられちゃうのを見てると「ひどいなあ」と思う。

ってか、井上達にも人の気持ちはあるんです。
聖人なんかじゃマッタクない。





(BGM:THE TIMERS「障害者と健常者」from YOUTUBE)
→タイマーズのこの曲が入ってる盤の再発がされないのが許せんなあ。

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