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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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反強硬派が生まれる背景


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この前、例の伊是名さんのJR乗車拒否された件について書いたけれど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5511.html)。

先日この件で取材があったらしく、自身も車椅子を使っていて、JRで乗車拒否的なことがあったハトミがそのことについて内部でメールで報告してくれていたんだけど。
ま、彼自身のそのことがあったから、JRの駅無人化問題に取り組むことになったんだけれど。

そこにこんなことが書かれていました。
とても重要な指摘だと思ったので、加筆修正してココに載せますが、こんな感じ。

結局のところ、この問題は、私が池袋から南与野までを拒否というか、1時間待てという対応をされたことと同じだよねという話をしました。
それが私より名の知れた伊是名さんがブログに書いたから、多くの目に入って非難を受けたんだって。
私は、この件について、健体者がまたどうせ何か言っているのでしょ、とそれぐらいに捉えていたのだけれど、実際に蓋を開けてみると、障害者からの怒り、お礼も言えないなんて同じ障害者として恥ずかしい・同じように見られて迷惑・怖くて外を歩けない、などの声が多くてショックだったと、それは言いたいと思っていてそれが話せてよかったです。
しかし、健体者の枠に入りたい・入れてもらいたい障害者が凄く増えたなと感じます。
本来は、どんどん障害者が当たり前の権利を訴え健体者の枠を開かせて行かなければならないのに。駅で電車に乗るのに感謝の気持ちを述べたり、毎回すみませんなんて言っていたらそれは、自分は障害者はお荷物ですって自ら差別されに行っている。首を絞めてるだけなのに、分からないのかなって。
それに伊是名さんのことを怒るのはお門違いも良いところで、どうして障害者は降りたい駅で降りれないのか?と、怒らなきゃいけないのはソコでしょって。
障害なんて明日は我が身なのに、想像力が無さすぎるよなって。
伊是名さんは、今回の件で良くも悪くも、障害者は乗りたい駅で乗れない・降りれない。ということを可視化してくれたことはよかったと話しました。

以上。

この、「健体者の枠に入れてください」ってのは、すごく俺も感じることがあって。
ただまあ、俺自身は障害者ではない、というか、そういう手帳を持ってるわけじゃないので、あまりそれについてどうこう発言するのもどうかと思うところもあって、書いてないわけじゃないけど、強くそれを主張することはなんかしっくりこなくて。

でもまあ、なんか彼が書くとスッキリする感じがして。
それで紹介したかったんです。

実際、青い芝は俺のちょっと前の世代ということになるけれど、路線バスへの抗議とか、すごいじゃないですか。
俺はその後の世代で、いわゆる「ああいう抗議の仕方はいかがなもんか」みたいな論議も出てきた感じの世代、ってコトになるんだけど。
いわゆる、一般的なことで言うと、強硬派と反強硬派、みたいなことか。
ま、正しくはないけど、そういう方がわかりやすいかと思って書きました。

で、ウチの初代会長さんはどっちかというと、反強硬派だったと思います。
いや、それも正しくなくて、本心はどうだったかというとそれはかなり怪しくて。
つまりは表向きそうだった、という。
恐らくは、時代が軽薄短小の方に向かっていて、俺の学生時代ってのはそもそもバブルだったし、オールナイトフジが絶好調で。
そういう学生たちを「ボランティア」として引き入れるために、それを装っていたのではないか、という風にオレは思っています。
当時、介助はたいがいをボランティアでやっていたから、ボランティアが集まらないというのは「とりあえず日々が送れない」ってことだったんだよね。

「装っていたんじゃないか?」というのは、彼女の晩年、というか自宅で意識を失ってそのまま病院で死んじゃうんだけど、その意識を失う週に、俺は彼女と話をする時間がたまたまあって、「このままじゃダメだと思ってる」「何も変わらない」という話をしているからだ。
「多分、私も長くない」「その間になんとかしたい。力を貸してくれないか」と。
俺がそれに本気で答える前に彼女は死んじゃったわけだけれど。

つまりですね、反強硬派に「ならざるを得ない状況」ってのがあったんだと、オレは思っています。
それは、健体者の社会の問題。
障害者の問題の解決のためではなく。

今回のこのことも、「障害者はいつも感謝しろ」とか、「電車に乗るなら乗せてやってもいいが、俺たちの決めたルールに従え」という言葉が跋扈する中、「装わざるを得ない」ということなんだろう。
つまりは、誰だって戦場になんか行きたくないのに、国を挙げての「戦争するぞ!」に巻き込まれる心理と同じですよね。
ナチスがおかしいと思っても、誰も意見が言えない、みたいな。

ネイクドに、「障害者が自由に電車に乗れない」という単純な権利の問題なのに、社会の圧迫によって、「障害者も感謝しようよ」みたいな意見が障害者自身から変換されて出てくる。
まあ、そういう構図なんだとオレは思っています。

本当に初代会長の福嶋さんが言いたかったことはなにか。
あの後、一年でも二年でも「この状況をぶっ壊そう」と一緒に動いていたら、彼女は何を言っただろうか。
今も時々考えますが、それってたぶん、「社会を反転させよう」ってことだったんじゃないかと思っています。

今の健体者社会に「入れてください」って頭下げたいですか?
ブラック企業が跋扈して、非正規が半分いるような状況。
そんな社会で、生きたいんですか?

俺は障害者の皆さんから見たら健体者でしょうが、俺はごめんですね。
もう次に行きたい。
この状況はぶっ壊したい。

障害者問題がそもそも社会の問題であるという以上、社会そのものの問題が常にそこにはつきまとうわけです。
障害者だけの問題などこの世には存在しない。

そのことを俺はしっかり考えなきゃいけないと思います。







(BGM:DE DE MOUSE「east end girl」from「east end girl」)
→東洋風のメロディラインがいい。
ポップであるし、リズムもなんか楽しい。
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おしっこが出る時の「もう出ちゃうわ!」というのを、おしっこ警報10としましょう。
まあ、たいがいギリギリまで我慢する、てのはだから9くらいの時、ってことになります。
で、トイレに駆け込んだところで10になって、おしっこをする、と。

これ、まあどういうことかというと、おしっこはトイレでしないとちょっと具合が悪い。
具合が悪いというか、かっこ悪い。
漏らしちゃうのはあまりよろしくない。
そもそも、掃除しなきゃならなくなる可能性もあるし、着替えなきゃならないし、そうそう簡単にその場から去れない。

ちょっとまあ、今後「漏らした人」として認定さてしまう要素がかなりある。
秘密裏に漏らす、というのは至難の業である。
つまり、社会的に見て、漏らすというのは、「不名誉」である、ということなのだ。

だから人は、まあ9まで行ったらトイレに行く。
なんなら、9ではトイレが混んでいた時に、並んでいる間に10になる可能性がある。
つまり出ちゃう、不名誉、ということになるから、たいがい7くらいの段階でトイレに行く。

これ、子どもとかだとけっこう10まで気づかない、ということがあって。
例えば、遊びに夢中になってる、とか。
まあトイレでおしっこができるようになってのち、保育園くらいの子という感じかな。
で、漏らしちゃう、ということはよくある。
これは子育て中とかによくあった。

親としては片付けがめんどくさいし、しつけ的なこともあって、「もっと早くトイレに行きなさいな」ということを言うことになる。
その親の苦言に効果があったのかどうなのかはわからないが、とにかくたいがい小学生くらいになると、7くらいで行くようになる。

ま、これは感覚の問題で、膀胱の感覚というか。
それが鈍っていると、そもそも10がわからないから、トイレに行くも何もない。
もう亡くなったけど、前会長のかおるさんとかは半身まひだったから、それがわからないので、いわゆる「管を入れる」ということをしていた。

しかしまあ、そういう機能的な問題はちょっと置いておいて、そうじゃなくて感覚があれば、たいがいの場合は今トイレ警報が1なのか、7なのか、9なのか、というのはわかるようになる。
恐らく、子どもの頃、赤ん坊の頃とかは、その警報を感じる感覚が弱い、ということなのだろう。
その上、興味があることが世の中には広がっているから、どうしてもおしっこ警報が後回しになる、という構造があるのだと思う。

で、その上に社会的な「不名誉」という問題があるから、そもそも小学生とか中学生、いわゆる自我の成長というか、思春期的なことになると、もうおしっこ警報がキチンと機能しなければ、一大事件になる。
機能的に膀胱の感覚が研ぎ澄まされていくのと同時に、その社会的抑圧というか、そういうのでおしっこをトイレでできるようになるわけだ。

今思い出すと、オグラがここに来たばかりの時、漏らすようなことがよくあった。
いわゆる入所施設からここに来たばかりの頃だ。
今、誰かと喋っているのに、そこで漏らす、みたいな。
まあまず疑ったのは、膀胱の感覚ないんじゃないか?みたいなことですね。
でもまあ、トイレに行く時もあるからなあ、と。

ま、オグラの名誉のために言っておくと、オグラは今は漏らすようなことはなくなったけど、つまりですね、機能はちゃんとしてたんだ、たぶん。
でも、「社会的抑圧」の方が弱かったんじゃなかろうか、という推理が成り立つ。

入所施設にいれば、人と会わない、いや、職員や入ってる仲間?利用者?とは会うけど、そもそもオグラは一緒の部屋だった人の名前も覚えてないくらいだから、そもそもそれを「人としてカウントする」というのは違ったのかもしれない。
職員も、嫌いだった人は思い出せるけど、そうじゃない人は思い出せないみたいだから、そもそもそれも人としてカウントできない人だったのかもしれない。
まあ、社会に開いてる場所じゃないから、名誉も不名誉も、社会の抑圧自体がなかったのかもしれない、という推論が成り立つ。

で、そうなると、もう膀胱の感覚もだんだん退化していたのではなかろうか?と。
「どうでもいいや」てなっちゃってるというか。
もちろん無意識に。
一日やることがなくて、ボケッとして、話す仲間もいなかったらそうなろう、というのも推理できる。

だから、膀胱の感覚の問題と社会的な抑圧というのがセットになっていて、社会的な抑圧が外れてしまえば、膀胱の感覚も鈍っていって、結局漏らす、という。
オグラの場合はそれでも社会的な抑圧が効いたのか、膀胱の感覚も戻って、まあ今なんとか不名誉な事態はそこそこ避けられている、という感じか。

カイは発作が起きると漏らすけれど、それはおそらくてんかんの発作で、感覚がおかしくなってる、というか、「おしっこしろ」みたいな指令を脳が出しちゃってる可能性があるわけですね。
だからもうこれはしょうがない。
なんかもう、本人にどう言ってもどうなるもんでもない、というか。

オグラの場合は、「かっこ悪いなあおまえ」みたいなことは言ったんですよ。
そもそも養護学校の高等部の頃には生徒会長までやった人だからね。
戻るはずだと信じて。

でも、まあカイのはそういう部類のことではない、というか。

なかなかこの辺難しいところで、やっぱ「漏らしちゃう」ってのは、出かけられなかったりするんですよ。
飲みに行ってもお店に迷惑をかけちゃうし、ライブでもプロレスでもそれは同じで。
だから、漏らさないに超したことはない。
カイの先例のような場合は別として、例えばオグラだったりとかそういう風に「漏らさないことを意識的に作り出せる可能性」がある場合は、やっぱそれについては努力したい。
というかして欲しい。
彼が努力できるための努力はしたいと思う。
ま、あくまで社会的な抑圧と膀胱の感覚に相関性がある、という前提で考えてるわけですけど。

ただまあ、「知的障害者は漏らして当たり前」みたいな流れとか、そういうのも一方であるわけじゃないですか。
そりゃ、カイのような場合についてはそうなんだけれど、もう発作という機能的な問題だから。
でも、全員が全員そうじゃない。
そうじゃないんだけど、「知的障害者」という網にかけられて、「おまえは漏らしてもいい人」ってレッテルが貼られると、まあ社会的抑圧が弱まっちゃうわけです。
一回どっかの施設に入っていたとか、一時期オムツをしたとか、そういうことによって、「私は漏らしてもいい」という風になってしまうというか、「そういうことなんじゃねえかな?」と思う例は他にもあります。

まあ、そもそも社会的抑圧からフリーになってる感じの場合(つまりはまあ、もう「まわりは関係ない」、まわりを認識できない、みたいな場合)はまた違うんだけど、少なくともオグラとか、意識が高いのに漏らしちゃう(ちゃっていた)ような場合、そしてさらに機能的にまひしてるとかじゃなければ、やっぱちょっとその努力をしてみたい、と思う。
やっぱ、漏らさなければ、出かけられるところが増えて、世界は確実に広がるから。










(BGM:Sheena Easton「You've Learnd To Live Without Me」from「My Cherie」)
→今ザッとネットで見てみたら、シーナイーストンさん、80年にデビューなんだな。
もっと前かと思っていたが、もしかしたら記憶の中でオリビアニュートンジョンさんと混じってるかもしれん。

あっさいウソ


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ま、冬服から夏の服へ変えるのはなかなか難しい、って話をちょっと前に書いたんですけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5506.html)。

コバがやっぱりジャンパーを着てきてまして。
ま、作業は半袖というか、まあ長袖Tシャツか、そんな感じでしたが、朝着てきていて。
「もういらなくない?」という話をして。

そしたら、「朝寒かったから」というようなことを言っていて。
いや、それにしたって、真冬に着ていたジャンパーじゃねえだろ、という話なんだけど。
コバはもっといろいろ薄手のジャンパーとか引っかけるような服とか持ってたよな、と思いまして。
で、「朝のいつ寒いと思ったわけ?」と聞くと、「外に出たら寒いと思った」というので、「じゃあ外に出て寒いと思って、一回家の中に戻ってジャンパーを着たのだな?」という話になるわけですが、そういうことでもない。

つまりですね、簡単に言うと、もう「何も考えていない」んです。
だから、そのまま、昨日着ていたモノを着る。
ま、そんだけの話なんだけど、コバとしては「寒かったから」と言う。

つまり、まあ「何も考えていない」というのは、ちょっと前に書いたモトミ先輩と同じ感じになっちゃうわけですね。
それがとにかくコバはイヤなわけです。
「同じにしてくれるな」と思っている。
思ってはいるが、現実には一緒なんです。
そのことは俺もよくわかっている。

でも、「一緒にしてくれるな」と思っているコバは、「朝寒かったから」とウソをつく、というのが、まあココまでの流れですね。


養護学校とかで、みんな仲良くやっているかと思うかもしれないが、その中では厳然と「能力の差」というのがあって、それがまた知的障害の程度に合致してる感じがあってとてもイヤなんですけど。
つまり、本来はみんなで手を取り合って社会に、差別に対して行かなきゃならないのに、そうならない。
集まったら集まったで、またその中でイジメみたいなコトが起きるんですよね。
実際、井上なんかは中学までは普通学校でいじめられていたけど、高校では養護学校に行っていじめる側に回った、みたいなことらしいし。

まあ、そういうのがある。
そういうのを引きずってきてるんでしょうね。
コバとしては、「一緒にしてくれるな」となる。

なるけれども、もう浅いわけです。
というか、あっさいわけです。
この辺なんですよね。

彼らの中から、そういう「能力に従ったヒエラルキー」みたいなモノは排除したいわけです。
モトミにはモトミのいいところがあるし、オグラもそうだし、カイもそう。
そういうところで、みんなで社会に対して行きたい、と思うわけです。

でも、そこを、いわゆる「障害の重さ」みたいなことで彼らは簡単に仲間を「下に見る」わけです。
とはいえ、そういうことを我々も考えてますから、表面的な部分でそういうのは出てこなくはなってきているけれど、でも、こういう時にちょいちょい出るんだな。
というか、コバはそもそもよくそれもよくわかってない感じもあって、コバに関してはこの感じがまだねっとりとまとわりついている感じがある。

まあ、強烈なイジメられ体験がそうしている感じもあるんだが、同時に、彼の場合はお父さんへの恐怖心もすごくて。
まあ、そういうのもあって家出してきた経緯もあるんだけど(この家出の話はこちら→https://youtu.be/9ZDOB9BzGYo)。

なんかこう、なんだろうな、「わかんない」「考えてなかった」と認めることができない。
まあ、どっか井上やノブたちの「グループにいたい」、というか、「そこにいたいんだ」という感じがすごいというか。
もちろん、ある程度の力の差はあるし、そこの中でリーダー格の人間が生まれるのもそうだと思うし、逆にそれはうまく使っていきたいな、とは思ところだけれど、コバを見ていると、まあ「井上にいいように使われてる」という感じもするわけです。

その辺、まあ井上はハヤテを殴る事件があって、井上に対しての逆風が昨今、すごくありまして。
いわゆる「いじめっ子への逆襲」みたいなことが始まっているというか。
というか、そう仕向けているところもあるワケですが、まあそういう。

いやね、まあだからコバのこの「ウソ」をどうしてくれようかな、という。
まあ、「ウソでしょ?」というのは簡単だけれど、このヒエラルキーの中である意味では「おびえて暮らす」ことへの恐怖心を取り除くまではなかなか難しい。

まあ、そんなわけで、この「一緒にしてくれるな」という。
これ、健体者と言われる人たちが市丸に対して言ったとしたら、「あんたそりゃ違うだろ」と簡単に言えるんだけど、彼らの中にもあると言うね。
そして、それがなかなか理解するには難しい、というところもあって、同時に、そういうヒエラルキーの中で強烈にいじめられてきた彼らには、なかなかそれが入っていかない、という話でした。







(BGM:Red Hot Chili Peppers「Tear」from「By The Way」)
→もう世界的なバンドということになりますか。
いやいや、聞いてみれば確かに爽快。
いい音楽ですよね。
まあ、俺なんかは、レッドホットチリペッパーズ言うくらいだから、もっとメチャクチャな音楽かと期待してたんですけど、ま、上質なポップですわ。

波風立ててるのはそっちだろ


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書かなきゃならんかな。
伊是名さんのJRの乗車拒否的な問題。
というか、まあそれ自体はいいんだけど(ダメだけど)、それに対する世の中の反応。

んでまあ「障害者は我慢しろ」「電車に乗るな」「わがまま言うな」といってる人はほっときましょう。
クソ意見なんで。
なんで、まあこのことはスルーしようかと思っていたんです。

でも、アキがとんでもないツイートをいくつも見つけて教えてくれて。
それについて書こうと思うんだけど、それは障害者云々に関わっているなんか横文字的な仕事してますとか言う人たちの一部が、SNSで「歩み寄らないと」みたいなことを言ってる、という部分。

いやいやいや、何を言ってるの?と。
歩み寄るというのは、まず権利が保障された上で成り立つ論理だから。

車椅子に乗ってなければ、どんな人でも事前連絡なんかしないし、自由に電車に乗れるし、でも一方で、車椅子に乗っていたらそれができない、ってのが問題なわけで。

「まず感謝だよね」とかワケのわからないことを言う人もいて、いやいやいや、だからそれ、権利が保障された上での話な!
といって、まあ普段ね、車椅子を一緒に上げてくれた人がいたらそりゃお礼するよ。
でもな、それと「感謝しろ」と、移動のの権利が保障されてる人がいうのとは違う。

だって、移動の権利が保障されているというのは、お礼しないような無礼なヤツでも、どんな考えを持っていても、どんなイヤなヤツでも、なんなら犯罪者でも自由に電車に乗れる、ということなんだから。
なのに、障害者には「感謝しろ」っておかしいと思わない?

いや、まあ感謝は誰にでも必要なことだし、それは大事だよ。
だったらさ、まず痴漢に怒れや。
女と見たらぶつかってくる男をつるし上げろよ。
なんでそこで車椅子の人にだけ感謝を要求するのかも意味不明。

つまりはまあ、感動ポルノなんだよね。
車椅子に乗ってる人はこうあらなきゃならない、ということを世の中は車椅子に乗ってる人に強制しすぎなんだよ。
24TV的な雰囲気というか、そういうのを要求しすぎ。

「歩み寄ろう」というのは、この「自由に乗れない状況」で、車椅子に乗ってる人に不当な要求をしていることに、なんでこの人たちは気づかないんだろうか。

一見、「歩み寄ろう」「まずは感謝」とかってのはわかりやすい。
わかりやすいけれど、それはあまりに障害者を感動ポルノに押し込めていませんか?と。
あのね、もっと簡単に言えば、歩み寄らなくても、感謝しなくても電車に乗れる、ってのが権利なんだってば。

こういうのが、障害者関係の、特に横文字の仕事をしています的なことって、なんだかもう暗澹たる気持ちになるんだわ。
あんた立ち位置どこなの?って。

世の中、波風立てないのがいい。
空気読んでけんかしない方がいい。
そりゃそうなんですよ。
でもさ、金持ちけんかせず、って言葉があるように、金持ちは、権利が保障されてる人たちはそれが成り立つんでしょう。

けど、波風立てないで、自由に電車に乗れない人が、どうやってそのことを社会に異を訴えればいいわけ?
そりゃ立つでしょう。
「電車に乗せろ!」って言ってすんなり聞いてくれるんですか?
今回だって、JRがどうこういうなら、公共交通機関の指名という意味で国交省が何か言うならわかりますが、なんで自由に乗れてる人が「感謝しろ」だの「歩み寄れ」だの言うわけじゃん。
簡単に言えば、波風立ててるのはそっちじゃん。

JRってのは民間企業になったけど、公共交通機関であることには変わりない。
なぜなら、平行して他の電車が走ってるわけじゃない。
電車に乗ろうということにおいて、こっちは選べる状況でもない。
国民の足としてしっかり公共性をもった事業なワケですよ。

こうやって、権利が阻害されている人が声を上げれば、なお社会はその人たちを阻害する。
その言葉が「歩み寄らないとダメだよ」みたいな言葉なんだよ。

感謝は大事、歩み寄りも大事。
社会は確かにそれで成り立っている。
だから、現場では一緒に階段を担いでくれた人には感謝しますよ。
でもな、それは権利の問題とは別だ。

自由に乗れるようにしろ、ってのが「わがままだ」と言ってる人と、「まず歩み寄って考えよう」とか、「一方的に障害者側がいうのはどうかな云々」とかって、同じだからな。
そもそも、一方的に言わざるを得ない状況って何なんだよ、って話じゃん。

そんな簡単なこともわからないで障害者云々の仕事をしていますって、アホなんだろうか。
勉強が足らないんだろうか。
クソなんだろうか。

あ、いや、ま、わかりますよ。
だって、その方が体制に気に入られるんでしょう。
補助金もたくさん貰えるんでしょう。
企業から寄付も貰えるんでしょう(※)。
その仕組みがわかって「わざと」やってるのならまだ救いようがあるんだけど、なんかね、この人たち、ガチで「善意」で言ってる感じだからたちが悪い。

ちょっと、権利の問題をしっかり今一度社会は考え直した方がいい。
権利とは相対的なモノじゃなく、絶対的なモノで「あるべき」だということを。


※)ウチなんかは、スーパー猛毒ちんどんって名前だから、なかなかお金を出してくれる企業がなくて、でもとあるところが、「その名前だと行政とかからお金貰えないですよね、ウチが出します」って言ってくれて大阪ツアーに行けたりしたって話もあります。






(BGM:B・B・S(ケリー宇佐見、倉持ゆり、キャサリン中根)「恋のチャンス」from「夜の番外地 ディスコ歌謡 -卑弥呼-」)
→いや、詰め込んだな~という感じですけど。
サビも悪くないし、バックの「ラララン」とかもいいし、Aメロもいい、ベースの踊り方もカッコイイ。
でもなんでしょうね、「余裕が足らない」というか、「間奏もっとくれよ」というか。
最後の間奏っていうか、その部分がかっこいいだけに、もうちょっとその辺膨らませて遊んで欲しかったな。
2分ちょっとしかないんだし。

毎年の着地点


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まあ、いろんなガッカリすることがあるたびに、俺が悪かったなあ、と思うんです。
自分の立ち位置と自分の性格というか、自分の力量があってないよなあと。
年度替わりとか、よく思いますね。

まあ、全てがうまくいくことなどあり得ないわけだから、別に気にすることは無いのかもしれないけど、一方でまあ、よくないよなあ、と思います。
いろいろ反省はするんだけれど、で、毎回同じようなことを思うけれど、まあそれがもうダメだ、って話はあるけれど、反省が活かされてないから。

ただちょっと気づいたこともあって。

というのは、まあ反省すること自体がちょっと違うのではなかろうか、と。
つまり、世の中ってのは俺中心に回ってるわけじゃないから、俺がなにかしたところで何も変わらないのではないか?という。
俺が思ったことと違うことが起きたとして、それに何の問題があろうか、と。
ソレによって、仲間ウチが多少ドヨンとしたとして、別に俺だけが責任を感じる必要があるのだろうか、と。
いや、責任は感じるけれど、ちょっとそんなに内向きに考える必要はあろうか?と。
考え方としては、それがもうダメなんじゃなかろうか、と。

なんでしょう、なかなか立派な人にはなれないのに、なんで反省してるの?みたいな。
前提が「立派な人じゃない」みたいなことを忘れちゃってんじゃないの?という。


んなわけで、ここまでは3月頭に書いてありました。
いろいろグルグルと考えますね年末年始。
でも、結局は切羽詰まる形になって、やるんですけどね。
反省だとか、反省するのがどうだこうだ言っててもしょうがない、と。
何を思い悩んでおるのだ君は?と。
その位置に結局たどり着き、毎年同じことを繰り返すわけです。
で、同じようなことを考える、という。

バカですね。
ま、そんなもんですか、人生。
ってか、まあそんなもんです。

結局ね、もういろいろやりたくないわけですよ。
年度末年度初めなんてのは、そもそも一年間先送りにしてきたツケが回ってきます。
だから、もうしょうがない。

やるっきゃない!と。
土井さんですよ、土井さんの気持ち。
もう若い子は知らないかもしれないけど。

でも、やりたくないから、まあ、いろいろなことを考える。
実は、冒頭の部分は、けっこう3月の頭に書いていて、その続きを今、3月の最終日に書いています。
つまり、3月の頭は「やりたくない」から、いろいろめんどくさいことをこねくり回していたわけですね。

「反省とは…」みたいな。
…うっさいよ、と。
んなこたあ、もう知らねえよ!と。

一ヶ月でここまで豹変するとは思いませんね。
クワバラクワバラ。
ってか、毎年同じ豹変をしている気がするけど。

結局、人って、やりたいかやりたくないか、って感覚の問題があって。
この年度替わりにおいては、けっこうここまで先延ばしにしてきたものすごい問題というか、澱のようにたまったヘドロを吐き出すような作業をした感じもあって。
まあそれを専従だったりと共有できたことはよかったですけど。
みんな同じこと思ってたんだ、みたいな。

そろそろ、まあウチも新しい感じで行かなきゃいけないな、ってコトなんですけど。
といって、基本が変わるわけじゃないんだけど、なんというか、毎日のことでね、これまでの悪習は取っ払いましょう、みたいなことですね。
いろいろ時間が経って反省するためのキーワードみたいなモノも浮かんできましたし、そのおかげでその辺みんなと共有できてよかったな、と思ってるんだけど。
言葉がないと、やっぱ共有ってできないから。


感覚で引っかかっちゃうと、やっぱそれを中心に理屈を考えちゃいますからね、人って。
冒頭の俺のように。
で、感覚のままだとうまく言えないし、他の理由を引っ張ってきて、違う話にしちゃう、みたいな。

ホントは多分単純なんですよね。
「向き合いたくない」とか。
そういう単純な話で。
まあ、なんでそうなるかっていうと、そこにはいろいろ過去のイヤな思い出とか、うまくいかなかった流れとか、そういうのもあるわけですよ。
でもまあ、なんやかんや、タイムリミットがきたらやらざるを得ない。
たいがい、みんなと話して「あ、みんな同じように思ってたのね」みたいなことを共有して、「しょうがねからやりましょうか!」「やるっきゃない!」となるわけですけど。


まあ、例えばですけど、感覚の問題で、これはけっこうデカいな、と思うことがあって、それは「市丸たちと付き合えるかどうか」ってのがあって。
つまり、「無駄な時間を付き合えるか」みたいな。

仕事終わりにやいのやいの、わいわいしてる、まあ意味のない時間というか、市丸たちにとっては意味があるんでしょうが、そういうところに「付き合えるかどうか」って感じかな。
だらんだらんと、次の動きが読めないまま付き合えるか?って話なんだけど。

これ、経験上から言うと、明確に「付き合えない人」ってのがいて。
まあ、そういう人もいると思うんです。
だからそれが悪いってワケじゃないんだけど、「こういう先が見えないのは苦手」とかって素直に考えてくれるといいんだけど、たいがいここからこじれて、彼らにとって悲しい関係になっていくというか。
付き合っちゃう俺なんかが悪い人になっちゃったりして。
いやいや、そういうことじゃなくて…、とか思うんだけど、でもまあ、しょうがない。
そうなっちゃうんだろうな。

ま、いろんな人がいるんで、いろいろでいいんだけど、まあ感情だよね。
そこには得手不得手があって、でも、それを認識するのって難しくて、どうしても人はそれを肯定するためにいろいろなモノを否定するから。
だから、その「気持ち」もね、なんか素直に含めていこうよ、みたいな感じのことを思ったり思わなかったり。


何を書いてるのかよくわかんなくなってきたので終わり。





(BGM:rei harakami「Triple Flat」from「opa*q」)
→もしかして解釈が古いのかもしれないが、テクノがピコピコだとすれば、これはなんと表現したらいいのだろうか。
新時代のテクノであることには疑いはないのだが、彼のサウンドはどっか「ダンスを拒否するテクノ」でもあって。
そもそもテクノって言ってもどっか「ロックの一表現」だったのが、これはもう独立してテクノなんだな、っていうか。
あ、そもそもテクノでいいんでしょ?ジャンルとして。

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