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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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ピザ問題


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「お前は何が好きなの?」という問いをすることがあります。
食べ物で、って話なんですけど。
例えば一緒にご飯を食べていて、コバに、「食べ物で好きなのは?」とか、「嫌いなモノは?」みたいなことですね。

コバとか市丸とか、まあたいがいみんな「嫌いなモノ」というのはないようで、子どもの頃なら「好き嫌いがなくてイイですね」となる感じ。
カイなんかはトマトが嫌い、というか野菜は食べない、みたいな触れ込み、というか親にそう聞いていたけれど、まあ今は食べますね。
カイは言葉として言葉を喋らないので、好きになったかどうかはわかりませんが、鍋の縁についた野菜を一生懸命素手で取ったりしてるから、まあ嫌いじゃないんだろう。

ま、「食べられないモノがない」というのはこっち的にはラクですね。
考えなくてイイから。
というか、そもそも個々の好みなんかは考えないで料理とかはしてるけれども。
そこまで「してあげる」感は我々にはない。
食べられないモノが今日あったとしても、明日同じということはほぼないわけで、まあなんとかなる。
もう大人なんで、一回満腹に食べなかったからと言ってどうなるもんでもない。
保育園なら食べないことはオオゴトだろうが、正直、中年になれば一食くらい抜いても逆に健康にいい、という話もなくはない。

といって、まあ先も書いたように、食べない、ということはみんなほぼない。
なにせ、嫌いなモノがないんだから。
アクムも恐らく苦手なモノでも、まあ食べてる。
というか、イヤイヤ食ってるように「見える」から、「苦手なんじゃないか」とこっちが思ってるだけで、そもそも、彼にとって食べる時の感じ全てが「いやいやくってる感じ」なのかもしれないので、その辺も、まあよくわからない。
結果食べてるんだから、苦手じゃないのかもしれない。

というわけで、まあそんな感じなんですけど。


で、まあ冒頭に戻りますが、コバの話で。
嫌いなモノはない。
「じゃ、好きなモノは?」と問えば、「ピザです」と彼は答える。

ふむ。
井上なんかに言わせれば、メニューにピザがあるファミレスでも、コバがピザを頼んでるところを見たことがないという。
「ピザとハンバーグがあったら、どっち頼むの?」と聞けば、迷うことなく「ハンバーグです」と。

…それはハンバーグが好きなんじゃないのか…。

けどまあ、彼は「ピザが好き主張」を曲げない。
というのも、子どもの頃に家族で行ったファミレスで、ピザをよく食べた、ということらしい。
ま、子どもの頃ってのは、「あんたは○○が好きなのよね」ということで親が「勝手に」注文を決めたり、ってことがありますわ。
親の立場からすると、まあそれが楽ちん、というのはわかります。
で、まあよくピザを食べていた、ってのがあるようで。

しかも彼の場合は「家族で外食」というのがとても珍しかったようで、そういう「家族の思い出」みたいなモノもそこに入ってる感じ。
そういえば、にじ屋のイベントで何か模擬店で食べ物出そう、となった時に「みそおでん」と主張してたのがコバなんだけど、その理由が、「昔一度だけ家族でお祭に行った時に買ってもらった」というもので、ミソおでんかどうかはあまり関係ない感じであった(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-280.html)。

なんでまあ、「ピザが好き」というのは、そういう意味でいろいろとなにかもの悲しい気持ちにもなるところもあります。
同時に、もちろんピザは好きなんだよね。
ハンバーグと並べれば多少落ちるが、好きは好き。

そりゃそうで、ピザはみんなたいがい好きなんだよね。
それに、家でピザを作って食べるってことはなかなか少ない。
つまりスペシャル感があるわけですよ、ピザには。
一方、ハンバーグは家で作って食べることはまああるわけですよね。
だから、その「スペシャル感が好き」ってのも理解できる。

とはいっても、やっぱハンバーグを頼んじゃうし、生姜焼きも好きだし、とんかつも好き。
同じようにピザも好きだが、そこには家族との思い出とかスペシャル感とかがある、という、まあそういう感じか。
かといって、でもピザをわざわざ頼むことはない、というこのほんわかとした矛盾というか、そのへんがなんかおかしい。

それでもまあ、「何が好きなの?」と聞くと、やっぱ「ピザが好きです」と答えるので、「それは、ピザも好き」という感じだね、と。
も、だと。

ま、好きな食べ物というのはなにも味だけじゃないというか、思い出も含まれているというか、かといって一方で「ピザばかりじゃアレなんで、多少違うモノも食べたいです」という、なんでしょう、結局はなんでも好きなんじゃん!という。


ま、なんでこの「コバピザ好き話」になったかというと、手伝いに来てくれたり遊びによく誘ってくれるカワセが、コバをピザ屋に誘ってくれて、一緒に呑んだらしいんだけど、「ピザで良かったね」というのと同時に、「なぜピザに誘われたのか?」という話になって、「ピザが好きだからです」という話で、う~む、なぜカワセがコバがピザ好きだって知ってたわけ?という話になりまして、更に井上の「そもそもお前、ピザ頼まないじゃん」という話からこんな話になったという一文が長い。

てなことで、でもまあなんにしても思い出と、彼らを誘ってくれる人がいるという幸せも込みで、コバの「ピザも好き」は、なかなかそれはそれでどんどん言っていったらいいと思った次第。
「○○とピザだったらどっち?」とか聞いていくと面白いし。







(BGM:フォーク・クルセダーズ「こきりこの唄」from「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」)
→こきりこ節。
こういう曲を愛していたんだなあこのバンドは。
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それとこれとは別


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虹の会という組織は、介助派遣とか、まあいろいろ事業?があって、いろいろな形で人を雇ってるわけだけれど、専従、というのは、まあ全部、という人たちを指します。
全部の仕事をやる、という。
なにか、という部門なし、ということですね。

俺は役員なので、使う側、ということになるんですが、正直、まあ役員会って言っても運営をしっかりできるわけじゃない、というか、まあう~ん、なんとなく今は隠居場みたいになってて、それはそれであまりよろしくないな、とは思うんですが、まあそういう流れで。
なもんで、というのもなんだけど、まあ運営に関わることも彼らは積極的に意見をしてくれます。

頼れるし、まあ彼らがいなければ成り立たない、という部分は大きいですね。
まあ、藤井が死んでしまったことで、役員先行、役員トップダウン型はなくなって、というか、まあできなくなって、みんなで考えるしかない、みたいな感じもあります。
いや、トップダウンと言えば悪い感じに聞こえますが、価値感がきちんと共有できていれば、それはそれでスピードを持ってやれることもあるし、悪いことばかりではなかったんですけどね。
そもそも、まあある程度の価値感、例えば障害者問題への考え方や、行政に対する姿勢とか、が共有できている、という集団があるからできることですね。
金がなかった時代からの野武士の集まりなんで、それはまあ、そういう感じになります。


先日、その専従の労働組合というのがあるんだけど、そこから要望書が来まして。
執行委員長、外口さんの名前で。

まあ、要は今、専従の賞与が停止されているんです。
もうずいぶん長い間。
で、年度末に一時金を考えてほしい、と。
来年度はもちろん賞与を復活させてほしい、と。

もちろん、正当な要望ですよね。
要望に正当も何もないけど、でも、どっから見てもそりゃ出して上げなさいよ、という中身。

とはいえ、まあ外口さん始め、専従のみなさんも会計の数字を見てるわけだし、介助者の来年度の給料などについての素案もまとめてくれていたりするから、財政状況はわかってる。
わかってはいるけど、まあそれとこれとは別、ってことですね。

この辺の「それとこれとは別」ってのが、俺はとてもなんかまず素晴らしいと思うんです。


やっぱり、緊張感はなきゃダメだと思います。
どんなに仲よくても、「君と僕とは立場が違う」というのはハッキリさせなきゃいけないと思うのよね。
それは「冷たい関係」とかじゃなくて、そうしないと、下の立場、この場合は労働者である専従のみなさんが「まあまあ」って丸め込まれてしまうだけだから。

結局、「なあなあ」ってのは、弱い立場に不利が生じるんです。


もちろん、この要望書自体がプロレスだ、というのも当たってはいます。
この回答をするために、確かに今、財政状況を役員じゃない人に確認し、来年度の予測を専従にたずねたりしていますから。
その中で出されたみんなの意見や見通しを最終的に金額にして回答するわけですが。
なんで、彼らが何を言うかで決まる、という面は確かに現実的にはある。
現場の意見はなにより重視しなければならない、とも思っていますから。

でもまあ、決定権はこちらにある。
決定した責任も役員にあるわけです。
「あの時、お前がこう言ったじゃないか」ということを、決して言わない、というのも一つのルールですね。


会議で出されたことについて、何か決めなきゃいけない、とします。
俺は、お金に関わることだと、会計にまず聞きます。
どうなってるか?というのを聞かなきゃ始まらない。
で、同時に俺はたいがい「あなただったらどう判断する?」とも聞きます。
他の人にも聞くかもしれない。
「あなたはあの時ああ言ってたけど、それって結局○○って意味なの?」とか。

で、それら意見を聞いて、俺が「○○でどうでしょうか」と最終的に提案する。
もしくは、まあ決定することもあります役員だから。

たいがい、その俺が決めた「○○」は、その時に俺が聞いた人の答えです。
でも、決めたのは俺です、ということですね。


組織というのは、緊張感がなきゃいけないし、そもそも形式主義は大切だと俺は思っています。
民主主義は形式主義から始まる、とも思っています。
決める段取りをきちんと踏んで決めなければならない。
一つでもなあなあで飛び越えてはいけない、と。

だから、めんどくさくてもメールとかでやりとりするし、同じことだったとしても、それをしなければならない、と思っていて。


この専従の要望についても、どこかの会議で、「この金額なら出せるんじゃないか」みたいな話で提案して、結果として決めてしまうことも可能だったと思いますが、労働者、という観点を彼らは大事にしたかったんだと思う。
それはとても重要なことだし、大事なコトで、この先、福祉の世界ではしていかなきゃならないことで、こういう「それとこれは別」って動きができる専従を、とてもありがたく、すばらしいと思っています。







(BGM:荒木一郎「ミスター・ロビンソン」from「荒木一郎 ツイン・ベスト」)
→いや、なにこれ。
カッコイイ。
ドゥワップ感を煽るのが前後にくっついてるラジオDJ風の英語。
なに言ってるのかわからないが、ベストマッチ。
ちゃちなラジオで聞きたい。

なんでやってんの?


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学校が休校になるとかで、インタビューとかテレビで流れてました。
子どもが答えてる。
「友だちと会えないのは寂しいです」
「ショックです」とかなんとか。
親が答える。
「両親とも仕事してるから、どうしたらいいかと思って」
「1人で留守番させるって言っても心配だし…」とかなんとか。

ま、どうですか。
まったくの想定内。

皇室の誰かが結婚するとかしないとかの報道で、インタビューに答える街の人。
「まあ、おめでとうございます」
「めでたいですね」みたいな。

ま、想定内。

例えば、「別に学校普段から行ってないし」という答えはここではない。
「え?誰?皇室?どうでもいいっすね」という答えも。
それらの答えが流れないのか、実際にもなかったのか、それはわからないけど、でもそういう答えは「少ない」と思われる。

思われるというのは、インタビューは何も成さない、と俺は思ってて、つまりどういうことかというと、「人はインタビューする人の聞きたい答えを答えるから」と思ってます。
というか、例えばテレビのインタビューとか、新聞の、といった、その答えがメディアに載るようなモノだった場合、ですね。

「車いすの障害者の人が電車に乗れないという事態になってますがどう思いますか?」と聞かれたら、「そうなんですか?そりゃそういうのは変えた方がイイですね」としか答えられません。
これがヘイト仲間のやりとりだったら、「車いすなんか電車に乗れなくていいんだ」とか答えるでしょうが、公器のインタビューであればあるほど、答えは想定内に納まっていきます。

つまり、聞き方の問題と、インタビューする側が誰か?という二つの問題があると思っています。
先の「車いす云々」というのを聞くのが、実際に車いすに乗ってる人だったら、否定的な回答をする人はほぼいないでしょう。
逆に、スーツで車いすにも乗ってないおじさんが、「車いすの場合は前日に明日乗る、って電話すれば乗れるらしいんですが」と付け加えたら、「じゃあ、電話してもいいんじゃないですかね」という答えは得られるでしょう。
でも、同じことを車いすの人が聞いたら、「でも、いちいち電話するってのもオカシイですよね」となるでしょう。

結局は、テレビのインタビューなんてどうでもいいんです。
あんなの、クソですね。

政治が番組に介入するようになったのはこの安倍政権ですけど、つまりはあれはこの「効き方を気をつけろ」と言ってるわけですね。
まあ、もうこれは表現の自由の侵害なんで話にならないんですけど、まあそういうことでしょう。
この「ついインタビュアーが聞きたい答えを言ってしまう」という状況の中ですら、違う回答をする人がいる、ってのは、よっぽどもうダメなんですよね。
にもかかわらず、それを認めないはおろか、聞き方に気をつけろ、というのは、独裁以外のナニモノでもないと思うわけですが。

インタビューシーンは、世論を写す鏡としてよくまあテレビでもラジオでも使われるんですが、実際、そういうぐあいでできていると俺は思っているので、世論でも何でもない、簡単に言えば、テレビ局が作りたいことを言わせてるだけ、と思っています。

それをまあ、みなさんも理解していれば、別にそもそもあんなのどうでもいいんですよ。


前に、モトミとかは期待に応えちゃう、ということを書きました(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5091.html)。
人はやっぱ無意識にまわりに同調するんだよね、って話ですけど。
同調圧力なんて言葉もあるけれど、圧力をかけないように、かけないように、といろいろ策を弄しても、やっぱ彼らは期待に応えちゃうところがあります。

彼らに、例えば今、筆記具の整理をしている井上に、「なんで今それやってんの?」と聞くと、井上はそれをやめたりします。
つまり、「なんでやってんの?」は、もう「なにやってんだー!」という風に聞こえている。
そうじゃなくて、なんでそれをやろうと思ったのか、筆記具の整理なんてなかなかみんなやらないことを見つけてやってるとはすごいな、と思うからこそ聞いたとしても、もうその「なんでやってんの?」がもうダメだったりする。

聞き方と、聞く人の問題だとは思う。
これ、同じことをヨウコが聞いたとしたら、「なんでもだよ!」とか井上は答えたかもしれません。

市丸がちょっかいを出したのか、カイの足を引っぱったとする。
「なんでひっぱったの?」と聞けば、市丸は「怒られた」と思って、「失敗した」と言います。
結局、なんで引っぱったかはわからない。
わからないから、「もうやめよう」のきっかけもこっちはつかめない。

つまりまあ、何が言いたいかというと「なにやってんの?」ってのは彼らにはまずもって禁句なんだな、って話でした。
怒りたくないのに、怒るのを期待されても困る。






(BGM:フォーリーヴス「愛と死」from「ザ・ベリー・ベスト・オブ・フォーリーブス」)
→フォーリーブスってのは、時に歌詞が重たい。
曲もなんかドラマチックだったりして、ジャニ―さんの色がものすごく強い感じがする。
今でもジャニーズのメンバーが歌ったりするのも、ここが原点なのかなあ、という気がしますので、ジャニーズファンはぜひフォーリーヴスを聞いてもらいたい。

スタートラインに


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市丸たちってのは、最初から邪魔者にされて搾取されてきてるわけです。
本人がそれを理解できてるかどうか、というのはまた別の話ですけど。
もっと言えば、知識がなかったらやられ放題。

ノブはここに来る前に一般のとこに就職していたけど、業績が悪化して一番にクビを切られた。
けれども、そのことに対して「理不尽だ」と言うわけではない。
というか、「理不尽」という言葉にはならないだろうが、「なんで?」というのはあるとは思うが、それをまあ「飲み込んでしまう」んだよね。

つまりは、企業の方にしてみたら「使いやすい」とも言える。

ミツなんかも、コンビニの店員にコバが「バカが来た」と言われてるのを見て、腹は立つけど、それをどうしたらいいかわからない。
どこかミツにして見ると、「確かにコバはおかしなことをしてる」ともなったりする。
どうしたらいいかわからないから、そのまま。

要は差別発言だし、ヘイトだし、でも、店員にしてみても社長にしてみても、結局は「こいつらは何もできないし何も言わない」から、言いたい放題だしクビを切り放題。
この構造自体が問題で、それは新自由主義の考え方だったりの中で、市丸たちは社会から落ちこぼれさせられてるわけだ。

けど、そのことはなかなか彼らには理解できない。

同時に、同じように搾取されほっとかれてる低賃金の労働者やシングルマザーなんかにすると、「いや、私たちは井上たちとは違う」みたいななんか「意味のない対立」があったりして。
んで、「彼らは年金をもらってるけど、あげなくていい」みたいな、弱者イジメがはじまって。
自分が弱者なんだけど…。
ま、そんなこんなで問題をややこしくしている。


彼らが毎日ここで飲みに行ったり、彼らだけで遊びに行ったりしているのをして、確かに有意義に楽しくやってるんだとは思う。
けども、だからといって、それでいい、ということでもない。
結局は彼らの置かれている立場は何も変わってない。

ここがなければ、やっぱり彼らは1人に戻る。
いや、施設に入って、オグラのように薬を飲まされて歩けなくされるかもしれない。
それでは意味がない。
全てが「ここ」にならなきゃ意味がない。

自分が搾取されない、自分が利用されない、たとえそれが知的障害者でも、という世の中になるのがゴールだ。
今、なう、彼らが楽しいかどうかはあまり関係ない。

ってか、まあ関係はあるんだけど、彼らは「ここにたい」とはいう(アクム以外)。
そりゃ楽しいから。
でも、「ここにいたいと思ってしまう理由」はわかってない。
社会の外が「ここじゃない」ことはわかっていても、それがどういうことかはわかってない。


「今が幸せならいい」という考え方は、確かにわかる。
そして、それが全てだとも思う。
が、「本当に幸せなのか」「幸せとは何か」を問わない限り、それは宗教と同じだ。

休む暇なくダブルワークで必死に子どもを育てていて、それでも今のところ安定してるからそれでいい、というのはわからなくはない。
けれども、休むヒマもない人生でいいのか?という問いはそこではなかったことにされる。

「がんばれば願いが叶う」などとよく言うが、確かにそれは真理だろう。
動き始めなければ何も変えることはできないから。
けれども、そもそも、なんど努力しても何も変わらなかったら。
そして「がんばったってムダだよ」という親に、大人の中で育てられていたら、そもそも「動き始める」コト自体が恐らく無理だろうと思う。

そうなれば、世の中の方が変わってくれるのを待つしかない。
よく変わってくれればいいが、今の世の中はそうではない。
より格差は開く一方である。
結局は、世の中の変化の中でそれに従い、クビを切られれば「しょうがない」「次をさがさなきゃ」としかならない。
市丸たちと同じだ。

貧困の問題を「努力しない人が悪い」なんて言う人がいるが、それは世の中を知らなすぎる。
努力して成功したなら、努力できた環境に感謝すべきだ。


俺は、社会を変える!なんて大きなことは言えない。
思ってはいるけど、そりゃみんながそう思ってくれればいい、とは思っている。
だからみんなに共感してはもらいたい。
でも、それは俺のチカラだけではもちろんどうすることもできない。
頭数の1人にはなれるかもしれないが、なかなか難しい巨大な壁だ。

そんな中でも、まず「自分を変えなきゃいけない」とは思う。
「自分を変えよう」「昨日と違う自分になろう」というのは、彼らにもよく言う。
「なにも変えられない」という意識を変えるために、まず、自分を変えてみよう、と。

これはなにも市丸たちだけじゃない。
外口さんやアキやいわゆる健体者の職員にもいう。
というのは、俺は市丸たちと一緒に暮らすというのは、その部分が必要だと思っている。
「自分を変えよう」と思わない人に、やっぱ彼らに「世の中は変えられる」「君の生きにくさはかえられる」と言えないと思うからだ。


朝の運動、というのをやっている。
これは自由参加だから、みんながやってるわけじゃない。
けれども、これはとても簡単な「自分を変える方法」ではあるんだよね。

走るのは誰だってイヤだ。
まあ、好きな人もいるだろうが、俺は嫌いだ。
イヤだけれど、正直な話、運動不足は身体にいいわけがない。
もっと健康になろう、健康診断の数値を上げよう、とするなら、手を伸ばさない案件ではない。
しかも、走っているウチに、走れる自分になる。
ちょっとだけラクになっていくのだ。
マラソンは裏切らないのだ。

だから、朝の運動というのは、俺は重要だと思っている。


今のままでいい、というのはわからなくはない。
けれども、それは奴隷であることを肯定しているだけだ。
「私は奴隷じゃない!」という人もいるだろうが、残念ながら、社会の構造の中で、今の日本の大衆は奴隷だ。
いいように搾取され、使い捨てられている。
ぎりぎりあなたが使い捨てられてないだけだ。

そのことと、市丸たちが「理不尽な状況に置かれていること」は、同じ問題が根底にある。
彼らの方が矛盾が多い、理不尽が多い、ということはあろうが、根っこは同じだ。

そのことに、自分が闘えないのであれば、やっぱり俺は市丸に「理不尽には怒っていいんだよ」とは言えないと思っている。

市丸たちと一緒に、俺はまずスタートラインにつきたい。





(BGM:ペドロ&カプリシャス「パントマイム」from「ペドロ&カプリシャス ツイン・ベスト《青春の歌》」)
→都倉俊一先生作曲なワケだけれど、まあこれだけ曲作ってればなあ…。
イントロはマイウエイっぽかったりいろいろな曲を継ぎ接ぎしたような、いや、もう一歩ちゃんとすればちゃんとなっちゃうんだろうけど、そうなると他の曲と一緒になっちゃったりするんだろうなあ…。

アタマに残ってしまう


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ああ、自分はダメだなあ、と思うところはたくさんあります。
もうありすぎてイヤになる。
けど、まあ考えないようにして生きているわけです。

いろいろな失敗やうまくいかなかったことを、いつまでも心の表面に貯めておくと、やっぱそれは生きにくいから。
いろんなコトにこだわってしまったり、昔のあれがどうだったからと、今の行動にそれが振り回されてしまうのはとても辛いことです。

だからこそ、まあ何度も同じ失敗をするんだけど、だとしても、まあその方がイイかなと俺は思っています。


しょせん、こんなもん。
俺になんかそんな何かデキルほどのチカラなんかないさ。
そう思えるのが一番ラクになれるだろうなと思っています。

けども、まあ人の期待とかもありますからね。
どうしたって、まあ人の期待には応えたい、とは思っちゃいますから。
ああ、力不足だな、と思うことしきりなわけですが。


イチマルやアクムを見ていると、どっかこの「昔にあったこと」に「引っぱられてるな」と思う時があります。
もしかしたら、ものすごい記憶力を持っているのではないか?と思うほど。

その上、どこか彼らは物事に対して「シロクロ」をつけたがる。
グレーが許せない。
だから、失敗も許せないし、イヤだったこともなかなか頭の奥底に沈んでいかない。


先日、というかこれが更新されるのはずいぶん先かと思いますが、勝田マラソンで、フルマラソンだったわけですが、今年イチマルは完走できなかったんです。
途中で回収バスに乗った。
ま、彼としては初めての経験だったわけです。
というのも、勝田のルールが変わって、足切り地点が増えたんですよ。
そのおかげで、まあイチマルだけじゃなくて、多くがそこで足切りになってバスに乗ることになった。
まあ、彼が今回ことさらがんばってなかったということじゃなくて、ルールが変更になった、という。

しかしながら、彼には黒歴史があって、いわゆる「気を抜いてまったく負けるハズのない仲間に負けた」みたいなことがあって、その時はバッドな感じになったわけです。
その時のことがあったんでしょうかね。
走りきれなかった→バッドになる、という方程式がもう彼の中にできあがっちゃってたんだな。

で、会場では特になんということもなく、「ルール変わったんだなあ」「まあがんばったよみんな」みたいな感じで、いい感じで会場をあとにして、にじ屋をやってくれてたメンバーが準備してくれていた打ち上げに戻ったんです。

そしたら、前にその打ち上げでバッドになったことを思いだしたのか、すげえバッドな顔をして帰ってきまして。
逆に言うと、誰もイチマルをどうこう言う気なんかないのに、というか、まあ35キロ走った時点で賞賛に値するわけです。
なのに、もう一気にバッドにしていこうという気満々。

半泣きで「俺は走りたかったんだ!」とか叫び出す。
あれ?さっきまで会場でよくやった、って言い合ったのに…、みたいな。

この時はまあ、ちょっとみんなと離して、ちょっと冷静になってごらん、ということで、元に戻ったんですけど、まああのままみんなの中にいさせたら、その辺で誰かに逆切れして、それにまた誰かが呼応して、というやり合いの流れになっていたように思います。
ま、たまたまうまくいった感じです。
こううまくいくときばかりならイイんですが。


うまくいったときの記憶というのはあまり残らないようで、こういうことをいうともう何をしてもダメって気がしてどうにも困っちゃうわけですが、それは経験上ありまして。

アクムがイチマルの携帯を割ったことは2回あるんですが、最初の時は逆切れせずにうまく納まったんです(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4908.html)。
納まったことでみんなに賞賛されたし、なんかイチマルも得意げだった。
にもかかわらず、2回目は盛大に逆切れして、まあたいへんなことになったんです。

ま、そういう感じで、なかなか「いいこと」というのは残らないんだなあ、と痛感した至大なわけです。

逆に「うまくいかなかったこと」が残っていってしまう。
この辺、なんでなんでしょうかね。
せめて、残らずにゼロだったらもっとラクなんだろうけど。
そう考えると、イチマルやアクムはやっぱ生きにくいよな、と思います。









(BGM:CoCo d’Or「遙かなる影」from「ココドール2」)
→スピードの人が歌ってるアレですね、これは。
古今東西の名曲を歌っています、という。
とはいえ、特に彼女らしさ、というのがあるわけでもなく、ただ歌が上手い、という感じですか。
これで「彼女らしさ」が加わったらなけっこういい歌手になるのではなかろうか←偉そう。

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