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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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kaijosha.jpg



違和感、というのがあって。
「うまく言えないけど違和感」みたいな。
でもまあ、ガマンできないほどでもないし、う~ん、まあいいか、って流しちゃうくらいの。
とはいえ、家に帰ってから、「やっぱなんかもやもやする」みたいな感じ。

説明できればここでも書くんだろうけど、どうにもよくわからない、う~ん、という。
けっこうそういうことってあるんだよな。


最近もそういうことがあって、う~ん、なんだろう腹が立つけど、これなんだ?と。
で、考えた結果そういうことの話の時の「特徴」ってのがあるような気がしまして。

「言ってることは分からなくはない」
「いや、むしろ言いコト言ってるんだよな」
「…でも違和感」という。

これ、つまりその喋ってる人の「立ち位置」なんだな、きっと。
要求一致、みたいなことを言いますけど、確かに出てくる言葉は一緒なんだろうから、まあ一緒にやれるのかもしれないけど、言いようのない違和感がそこに漂う、みたいな。
そういう感じね。
「補助金上げろ」、は一緒なんだから、と。
まあ、そりゃそうなんですけど。


前に書いたかどうか、ウチみたいなところで、他にもあるわけだけれど、そういうところが「出張」とか言う言葉を使うことに対してすごい違和感があるんですね。
例えばこの前俺たちは山形に行ったけど、あれを職員サイドが「出張」という、みたいな。
あれは旅行でしょう。
「引率」ではない。
で、そういうところに限って、「個別指導」とかいう言葉を平気で使う。
「送迎」とか。
「遅番」とか。
「保護者」とか(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4830.html)。

まあ、共通言語を作らないと、職場はウマく回りません。
だから、省略する言語を使ってる、というのはわからなくはないんですよ。

でも、「引率」「遅番」「送迎」などの言葉でイメージされるのは、「支配される市丸と支配する健体者の職員」という図式です。
支配、という言葉がイヤなら「支援」と変えてもいいです。
どっちもイメージする画は一緒だと思います。
だからまあ、我々は「支援」という言葉も使いませんが。

いや、先に書いたように、共通言語は必要。
これは、組織が大きくなればなるほど必要になってきます。
でも、その時に、我々は「行政が使う言葉を使わない」「過去に収容施設で使われてきた言葉をつかわない」をできるだけしなきゃいけないな、とずっと思ってきました。

確かに、それはとても難しいことで、例えば市丸にだって「指導」はするんですよ。
でも、それを「指導」という言葉を使わないとしたら、けっこう難しくないですか?
難しいんです。
でも、それをやらなきゃいけないと思うんです。

「いや、指導は指導でしょ。日本語としていいんじゃないですか」という意見もごもっともで、その通りだと思うけど、それを市丸がきいた時の「あ、俺は指導される人なんだ」という「落胆」が、俺はイヤなんです。
というか、それに彼らは慣れすぎているんですよね。
特に他の作業所から来た連中は、自分からそういう言葉を使ったりもする。
知的障害のヤツが「私は座位を保てます」とか。
座位ってなんだよ、と。
んな言葉、世の中で使いますか?
んな言葉より、覚える言葉はいっぱいあるだろうに、と思うわけです。

逆もあって、例えばカブキなんかは帰りに「送迎」してもらわなきゃならないから、でも、「送迎」とは前にいた施設では言わなかったのでしょうか、「一緒に帰ろう」という言い方をしたりするんです。
でも、一緒に帰らないんですよ。
方向も違うし、お前の家に帰るわけじゃない。
確かに、「送迎」という言葉を使わない、ということではいいんでしょうが、「一緒に帰ろう」は、今度は日本語として間違っている。

この辺、まあなかなか難しい。
でも、それをしないと、彼らは一気に「お世話される人」に成り下がる。
そして、成り下がることに「慣れきっている」。
そのことが、俺はとても悔しいし、歯がゆいんです。

この、ジレンマこそが大事だとも思うんです。
なにが正解、というわけじゃないけど、「彼らのメンツを潰さない」「彼らが主役である」ことをやりとげるためには、やっぱここ悩むところだと思うんです大いに。


話をしてて、まあ当たり前に言いコト言っていても、これらの言葉が一つでも共通言語であるかのように出てきちゃうと、一気に俺は違和感になるんです。

「お前どっち側?」って。
「俺、お前の仲間じゃないけど」って。

俺はやっぱ市丸がそういう言葉を受け入れちゃう現実は悔しいし、彼らを「指導下に置く」ということをしたくないし、いや、そう市丸に「思われたくない」ので、やっぱ使えない。
それを使えちゃう人ってのは、やっぱなんか彼らを「指導しなければいけない人」と思っている、というか、いや、俺もそうは思ってるが、彼らに「そう思われてもいい人」という風に写る。
それは俺は避けたいんだ。
避けるためなら、言葉のチョイスは気をつけたい。

そして、それが出来ない人には、もやもやする。
まあ、有名な人であろうがなんだろうが、偉かろうが、なんか違う、って思う。






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(BGM:Silvertones「We Wish A Merry Christmas」from「Sisteren's Reggae Christmas」)
→ま、とりあえずクリスマスソングをレゲにしてみました、という。
シャレオツなお店とかで12月にかけるヤツか。
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これまで、台風だ、大雪だ、といっても、にじ屋とかを休みにしたことはありませんでした。
だから、井上達も休みになったことはありません。

まず、これ、大枠で見たら、あまりほめられた対応ではないと思います。
だって、台風だけどやる!仕事だ!みたいなことってのは、どっかやっぱブラック企業のようで、正しい方向性とは言えません。

けれども、世の中がまずもってブラック方向であった、というか、今もそうだけど、そういうのがあって、その流れの中で、「障害者だけは休んでいい」というのは、どうにも納得が出来なかった、というのがあります。

そもそも、井上達は、自分たちのことを「健体者よりも劣る人間だ」と思っています。
ま、それは計算が出来ない、漢字が読めない、わけですから、その部分では確かに劣ってはいるのでしょう。
ただ、人間としてどうか?ということについてはまた論が違うわけだし、例えば「にじ屋のやり方」についてだって、それを知らない人と彼らだったら、彼らの方がよくわかってるわけです。
毎日やってるわけだから。

でも、それでも、彼らはにじ屋のやり方の何も知らない健体者にすら従ってしまうところがある。
後になって、「それ、いつもやってるじゃない。なんでそのことをその時に言わなかったの?」と聞いても、そうだよねえ、という苦笑いが返ってくる、みたいな。

つまりはまあ、そういう「感じ」が普段からある。
これについては、とても俺は忸怩たる思いがある。
でもまあ、そうやって彼らは生きてきたし、それが処世術なんだろう、とも思う。
それが更に俺を悔しくさせる。

この中で、ブラック華やかなる世の中で、「君たち休みでいい」、つまりそれは彼らには「障害者だから休んでいい」と聞こえるわけですが、それは、ちょっとやっぱり言えなかったところがあります。
「世の中まあ頑張ってるんだから、俺たちも頑張って開店しよう」みたいな。
そういう風な方向にありました。

けどまあ、本来のことを考えれば、それは正しくはないわけですよ。
そんなことも百も承知ではあったんだけど。
でも、井上達の「大人としての誇り」というのを、まあそんな形で、ある意味歪んではいるんですけど、尊重しよう、と思った部分がありました。

我々のレパートリーで、「聞け万国の労働者」があります。
トラディッショナルな労働歌ですが、替え歌にしています。
その中に、「(俺たちも)派遣切りにあってみたい」という歌詞があります。
これは、派遣でも雇われない、いや、そもそも雇われない、という現実を皮肉ったつもりなんですけど、この感覚は、確かに間違ってはいるとは思うけれど、でも、肌感覚としては彼らの中にあるんです。

「俺だって大人なのに」「俺だって客なのに」「俺だって働けるのに」という思いは、あちこちで彼らの中に澱のようにたまっている。
子ども扱いされる、そもそも存在がないモノにされる、という現実。
それを何度も何度もされていけば、オグラがここに来た時のように廃人になって、自分から「子ども扱いされる」ように行動するようになっていきます。
存在を消すようになっていく。

けれども、井上達には、「そうじゃない」と言い続けてきました。
だから、井上やミツなんかはそういう世の中への反発がすごく大きくあります。
「俺だって大人なんだ」という彼らの思いを、どうやって潰さないか、ということだけを俺たちは考えてきた、それをどうやって尊重してやるか、ということだけを考えて来たと言っても過言ではない。
ここを外してしまうと、彼らは「廃人」になってしまう。
それは、多くの作業所や施設をみてきて思っていました。

だから、こっちは親から連絡があってわかっていても知らんぷりもしてきたし、「本来俺が知らないはずのこと」は、知らないふりを押し通してきました。
そういう演技をするのも、彼らのそれをツブしたくないからです。
そのことがまず第一義だから。
そうしないと、彼らは自分の人生に希望が持てなくなる。
自分の知らないところで、親と職員が連絡取り合って自分の予定が決まるような、幼稚園のママの人生がこれからもずっと続くと思ったら、そりゃ、人は腐ります。
この台風だとか大雪だとかにおいての「休み」の問題もこの流れの中にありました。

けど、今回、史上最大級の台風、ということもありましたが、「自宅待機」ということにしました。
「携帯はいつでも出れるように」ということにして。

とはいえ、実際にはみんな近くに住んでいたりするし、そうしなくてもよかったのかもしれないけど、なんか、「もうこの肩肘を張った感じをやらなくても、井上達は大丈夫だな」という思いもあったんです。

つまり、やっと正常に戻ったかな、という。
ま、そうなるに至る状況としては、「つらい時は休む」、「頑張るだけがのうじゃない」、というような雰囲気が生まれつつあることもあります。
今のにじ屋、ネットの目標は、「頑張ってラクをする」ですからね。
なかなかイイと思ってるんだけど。

そんなこともあって、今は先の「聞け万国の労働者」は歌わなくなりました。

無茶をすることが大人、自分を殺すのが大人。
確かにそういう風に生きていかねば食うにも困るのが今の日本の状況かと思います。

けれども、俺たちは一歩抜けよう、と。
そして、多くのみんなにも、「もっともっとラクしよう」と言いたいし、俺たちがその先頭で世の中変えちゃる、みたいな感じになりつつある。

こう変わってきたのにはいろいろ要因はあるけれど割愛するけど、でも、俺たちが目指すのは、市丸が生きやすい世の中、ってコトでしょ。
それって、俺たちだけがパラダイスじゃダメなんだよね。
世の中がそうなってくれないと。
そして、そういう風に世の中を変えるのが俺たちの仕事なんだよね。

その本質に、やっとたどり着けた、というか。
そんな気がしています。





wannmannblog.jpg

(BGM:れいわ新選組 山本太郎 with people「山本太郎、愛を叫ぶ」from「憂国烈士の宴 其の弐」)
→これは、山本太郎さんの演説というか、スピーチに音を重ねたトラック。
重ねたといっても、聞きにくくしてるのではなく、あくまで山本太郎さんの話を聞きやすくするための重ねている、です。
全編入っているので、13分弱あります。
これ聞くと、ホント「普通のことしか言ってない」のよね、彼。
WITH PEOPLE、というのもいいし、そもそもアルバムタイトルに沿ったトラックだと思う。

いいわけを考えるムダ


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義理の弟は、なかなかの腕のあるなんとか療法士さんで、たくさんのお客さんもついていて、海外でもその腕を買われて講演会などを行うなど大活躍の日々を送っているんですけど。
で、まあ数年前だったか独立したんですね。
都内の中心地に大きなところを借りて開業、というか、やっています。

その彼と先だって会った時に、「よく独立しようと思ったね」という話をしてたんだけど。
俺だったらなんかできないなあ、というか。
そこまで自信もない、というか。
でもまあ、彼は腕に自信があったんだと思うし、すばらしい技術を持っているからこそそう決断したんだと思うんですけど。

その彼が、「独立してまずよかったのは、いいわけを考えなくてよくなったことですね」と言っていて。

つまりどういうことかというと、ボスがいるとしますと、例えば今月施術に来た人が少なかったとします。
講演会の依頼も少なかった、と。
そういう場合に、やっぱ「なんでそうなったか」の「いいわけ」を考えなきゃならない、って。
今は、自分が自分でやってるから、営業が足らないと思ったら営業やるし、そういう風にまあ自分で判断してやれるからラクだ、と。

なるほど、と思いました。

結局、まあ「なんで客足が減ったか」というのは、いくら考えても結果としては客側の問題だし、もちろん、こちらに問題があればそれは改善する。
例えば、先に書いたように営業が足らなかったかもしれない、とか。

でも、まあ反省ってのは、「次になにをやるか」と常にセットであるわけですよね。
反省→次の行動、ということですから。
そのための反省であって。

とはいえ、次の行動、つまり自分のやれること、ってのは限られているんですよね。
自分がやりたいコト、と言い換えてもイイ。
でも、「反省を山ほど出すのがイイこと」のような雰囲気ってのが世の中にはあって。
その反省を「ひねり出す」っていう行動ほどムダなことはないわけです。
だって、次に自分がやれることはそんなにひねり出すほどたくさんはないんだから。
それにだんだん反省は、その場しのぎのいいわけになっていく。

とりあえず、次は●●をやる、と決めれば、もうそれを一生懸命やるしかない。
で、それでダメなら、△△をやるしかない、という風になっていくのが、まあ自分が最も納得する進め方なのかな、と思います。

若い人の中には、よくいいわけを言ったりする人がいて。
ウチではあまりそれを推奨していない雰囲気を作ってることもあるからか、そんなにはないんだけど。
他のところを経験した人は、ベテランになんか言われると、みんなとりあえずその場しのぎのイイワケする、と。
もちろん、ベテランに歯向かうための一石ならどんどんやるべきだと思うんだけど、それはちょっと「いいわけ」という範疇とは違うかと思います。

ウチの若い子たちも、どんどん反論はして欲しいと思うんですよね。
だから、いいわけも、その場をしのぐためのことじゃなかったら、どんどんしてもらってもイイと思うんだけど。


まあこの話を聞いていろいろ反省したところがありました。

例えば若い子に「そのやり方は違う」と言う場合、「なんでそんなやり方をしたの?」という聞き方をすれば、やっぱ「だって云々」という風に答えが返ってきます。
確かに、コッチとしては「どういう考えでそういうことをしたのか?」というのを聞きたいところはあるんですよね。
そしたら、歩み寄れる部分があるかもしれないし、細かく「そこの考え方が違うんだ、そこをこう考えたらどうかな」という風になるかも知れない。

でも、まあこれなかなか難しいんだよね。
やっぱ、「なんでそんなやり方を云々」というのは、若い子にしてみれば、こっちが責めるための何かを探しているようにしか見えないんだろうな。

だからまあ、俺はあまり何も聞くことなく俺の考えを言うようにしてるんだけど。
「俺は●●した方がイイと思う。なぜなら云々」ということですね。
結局、その考えを聞いてもらって、どう本人がそれを取り込んで判断するか、行動するか、というのはもうその本人に任せるしかない、というか。
それが俺と違う考えだったとしても、まあしょうがないんだよね。
行動をあまりジャッヂしちゃいけないんだろうな、というか。

やっぱ、俺みたいに、何もなかったところからやってきた人と、今来た若い子が同じような考えに至るわけがないんですよね。
それはどっちが偉いというのではなく、ゼロを一にすることと、一を二にすることは、進歩の度合いは一緒だけど、決定的に中身が違うんだから。
中身が違う事を「同じ考えでやれ」というのはやっぱ無理がある。


ああ、ダメだなあ、と思うことは確かにたくさんある。
なんでこんなコトを考えないのだろう、行動しないだろう、という思いは確かに下の子に対してあります。
けど、「なんでやらないの?」は馬鹿馬鹿しいんだよね、きっと。
やらないことに意味なんかないだろうし、いや、あるならそれはそれでいいけど、備品を整理しておく、みたいなコトに関しては意味はないだろうし。
いいわけを考えさせるくらいなら、何も言わない方がイイ。

でも、何かがあった時に、効果的に伝わるだろうな、という時に、やっぱきちんと俺の考えを伝える場面は作った方がいいな、とも思っていて。

まあ難しいよね、って話。







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(BGM:モンド・ボンゴ・ジャパン「チャイニーズ・キング・ロブスター」from「ZKサンプラーズ」)
→どういう人たちなのか、いかしてるなこれは。
曲名もいい。

自分が楽しいことをやるチカラ


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市丸やオグラを見ていると、彼らは「言えない」んだな、というのがよくわかります。

具体的にいうと、例えば誰かが「映画に行く」と相談していたとする。
実は市丸も映画に行きたい。
映画ではなくても、俺も休みだから、俺も誘って欲しい。
みんなで行くのはやっぱり楽しそう。
俺も行きたい。
けど、その時に、「俺も行きたいから入れて」というのが言えない。

言えないから、まあ蚊帳の外に置かれたまま。
でも、行きたいのに俺はいけない、という思いを抱えたまま、だんだんイライラしてくる。
それで、映画の仲間に入っていたコバを睨んだり、余計なことをいったりして、コバが「市丸にやなコト言われた!」と騒ぎ始める。

普段から、「やなコト言った側、いじめた側が悪い、やなコト言われた方の人の味方になろう」ということを言っているので、こうなると、みんなはコバに加勢する。
市丸の立場はどんどん悪くなる。
それでまたイライラして…、という繰り返しが起こる。
こうなると、「市丸はトラブルを起こす」というレッテルになってしまうので、井上達、映画に行く連中はなお市丸を誘うことを避ける。

悪循環に陥るわけだ。


オグラの場合は、もうちょっと静かなんだけど、彼は歴史物が好き。
だから、ちょんまげ映画とかは行きたい。
行きたいんだけど、まあ言わないわけだ。
みんなが大日に行く、という話をしていても、自分はすごく行きたいんだけど、それを言わない。

言わないけど、まあ市丸と違ってイライラすることはないので、そのまま行かない。
で、ボッとしてる。
行けば、もう楽しくてしょうがない、帰ってからも鼻歌で大日のテーマ曲を口づさむほどなのに、でもそのままにしてしまう。


つまりはまあ、自分から、楽しいモノを獲得しよう、ということを行動に移せない。

確かに、回りが盛り上がっているところに「俺も入れて」というのは難しい。
俺なんかでもそう思うことはある。
別に知的障害者だからと言うのではなく、これは人間関係の問題で、誰しもに共通する悩みというか、そういうところがある。

人生においての大問題は、お金と人間関係である。
だから、これは確かに難しいことではある。


けどまあ、彼らはそれに輪をかけている感じがする。
市丸なんかは、例えばテレビでやっていた何かに行きたいとする。
でも、必ず「●●行きたいんだけど、無理だよね」という言い方をしたりする。
無理だよね、と言われれば、無理なんだが、行きたいのなら他のモノをなんとかして行かないでもないのだが、最初にそう言われると、なんだか「無理だね」という話になってしまったりもする。
そういう時に、「無理だよね、じゃなくて、行きたいんだけど一人じゃいけないから一緒に行ってくれる?、と聞けばいいじゃない?」というんだけど、なかなかそのクセが抜けない。
オグラに至っては、もう最初からあきらめている感じである。

そりゃ、オグラにしてみれば、ずっと施設にいて、どこにも行けない状況の中で、「行きたい」を言うことを抑圧されてきたという事実はある。
だから、自分からどうこうしたい、というのを言うこと自体がもう彼の中になくなってしまっているとしても仕方がないのかもしれない。

けど、一緒にどこかに行って楽しそうにしているオグラを見ていると、「もっと言ってイインだぞ」という気持ちになってくる。


方やコウヘイなんかはとにかく「●●に行きたい」という思いを貫く感じがすごい。
誰彼となくそれを言い、まあ最終的に必ず行く。
思いがハッキリしているので、回りもそれに巻き込まれやすい。

彼は養護学校を出て、施設に行くこともなく直接ここに来たわけだけど、こういう連中は、この感じが強い。
「自分が行きたいところを何とかしていく」という行動力である。
これは、障害の種別とかにはあまり関係ない。
そして、その連中を中心に、この「映画行こうぜ!」とかが形成される感じがある。

そうなると、市丸やオグラはどうしてもそれを行動に移せないので、とりこぼされてしまう、という形だ。
とはいえ、カブキなんかはそれでも果敢に「私も!」と言うので、この辺は個人差もある。
こうならばこう、という絶対的な条件ではないのだが、そういう傾向は見て取れる。


結局は、「経験」なのだな、ということを痛感する。
友だちとつれだってどっかに行く、という経験を、多くの場合は小学校の高学年とか、そういうところで、親抜きでし始める。

けれども、その経験があまりないと、どうしていいかわからない。
そのためにも、養護学校じゃなくて普通学校がいいんだ、という意見もあるが、経験値で言うと、この件に関しては逆だと思う。
普通学校に言っていた連中は、この「誘い合う」が苦手に見える。


市丸やオグラについては、まあある程度コッチが手を入れて橋渡しをして、その「経験値」をあげていかなきゃいけないな、と思う。

とはいえ、まあいろいろな他の要素もあるから、なかなか難しいことではあるんだけど。
でもまあ、「自分が楽しむ能力」「自分で自分が楽しいことをやる行動力」というのは人生においてとても大事だと思うので、ちょっとちょっとなんとかしたいな、と思っている今日この頃です。






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wannmannblog.jpg

(BGM:Bangles「Hazy Shade of Winter」from「WOMAN 4」)
→名曲ですね。
この曲、あのS&Gのラフな感じの録音がいいわけですが、これはまあ時代を経てきっちり録音されてますが、でもまあ、いいですね、これ。
女性の声、ってのもあるが、なんでしょうよくわからないけど原曲が好きなんじゃないですかね、この人達。
そんな気がする。
しらんけど。

毎日はうまくいかない


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「言うことを聞いてくれる」などと書いた(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4630.html)直後にアレですけど。

やっぱ市丸の様子がおかしい。
まあ、気づいてはいて。
しかも、どういうことかもたいがいわかってる。

ま、浅いんですよ。
市丸の隠匿工作など、通用するハズもない。

どうしたもんか。
約束破りは確定。
けれども、まあ市丸は否認するわけです。

ゲロってくれれば話は早い。
「もうするなよ」で終わる。
にもかかわらず、バレバレの隠匿工作を続けようとする。

困ったなあ。

市丸の性格もたいがいはわかる。
例えばなんかの約束をした時に、どういう行動をするか、というのはわかる。
なんでもかんでも貯めておきたい性格の市丸は、自分のモノをなるべく使わないで、一緒に暮らしてるオグラとか部屋に入り、使いたいモノを盗み出して使う。

ま、オグラとかが文句言わない限り、そのへんはいいとしまして。
よくはないけど、まあきっかけがつかめない感もあり。

で、こうなると市丸はいきおいイライラが始まる。
当たり前だ、俺にばれている、というのは彼にだってわかる。
ならばもうゲロっちゃえばいいのに、どうしてもうすい隠匿工作を続ける。
悪循環である。

ま、この件に関しては、イイ感じで決着をつけるしかないので、市丸の性格に合わせて新しい約束にバージョンアップしようかな、とおもうところではあるんだけど。


同じころに、オグラが「携帯がない」と。
聞けば、もう数日前からないんです、と。

なんですぐ言えばイイのに、オグラはこういうところがあって。
困ったことがあっても、放置しちゃうんですよね。
すぐに言わない。
で、大変なことになってから誰かが気づく、みたいな。

違う施設にいてここに来る人はこういうタイプが多い。

「困ったことはママが気づいてくれる」「困ったことは職員さんが気づいてくれる」ということなのでしょうか。
自分でその困難を解決しよう、という意図がないというか、そういう発想がないというか。

まったくもって、悲しい話なんですが。

そもそも高校までは生徒会長まで務めていて、先生から頼られる存在で、そのまま一般就労したというオグラは、そういうことは出来ていたはずだとは思うんだけど。
「自分のことがどうでもいいなら、もう施設に戻るか?なんでもしてもらうか?」とたずねれば、それは即答で否定してくるけれど、「自分にふりかかった火の粉」が自分で払えないとなると、これはもう「自分で生きてる感」のかけらもない。

これ、怪我でも同じなんだよね。
言えないのならともかく、彼には言葉がある。
だから、オオゴトになる前に「ここが痛い」とか言ってもらわないと大事に至る可能性もある。

う~む。

だからまあ、彼らにとって俺らが「何かを解決してくれる人」になってないのだな、と猛省するわけだけれど、ここを起点になにをかアクションを起こさなければならない。


時ちょっと前に、井上が障害者手帳を落としたらしく、その一寸前にはミツがカギをなくした、みたいな話もあったり。
悪いことに使われたらそりゃもう大変なわけで、携帯も同じだけれど、すぐに言ってもらえれば手の打ちようもあるんだけどね。
ミツや井上はまあすぐに言ってきたので、なにをか手は打てたんだけど。

そもそも、ここに来るまでの人生の中で、オグラや市丸のまわりに助けてくれる人はいなかったんだろうか。
それを覆せない俺らの力不足ではあるけれど、でも、やっぱなんか、早いうちに「助けてくれる」という「いい経験」をしていかないと、なかなか一回ついた「バッドな経験」は晴れていかない。


ま、そんなわけで、なんだかんだ、毎日うまくいってない、というか。
毎日反省というか。

でもま、失敗は成功の母だからな。                                                           







(BGM:うどんゲルゲ「君はガンなのだ(有頂天)」from「ミク★パンク 80'S オン キャプテンレコード」)
→メジャーで出せなかったという有頂天のガン。
まあ昭和天皇崩御の頃だったか、まあレコード会社は二の足踏むか。
というわけで、改めてこの曲がポップなんだな、という。
ピアノ風のイントロにやられた。

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