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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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本当のところはわからないけれど。


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加納さんのお母さんが亡くなって。
お若かったのに、とても残念でなりません。
俺は実際にお会いしたりお話ししたりというのは、ほんの数度で、加納さんの実家に遊びに行ったときとかにちょっと。
優しい方というか、イヤな感じが全くないというか。
加えて、加納さんから漏れ伝わってくるお母さん像とか、加納さんのご姉妹の感じを見ていると、とても立派な方だったんだろうと思うことが多かった。

加納さんは三人姉妹なんだけど、三人というのはお母さんによれば「社会になるから」ということらしい。
二人だと対極にしかならないけど、三人いたらいろいろウマくいくのではないか、というような。
三人よれば文殊知恵、とはよく言ったもんで。

加納さんのお母さんは、定年まで役所的な仕事をしていたということで、それもなんか俺はとてもすごいことだと思っていて。
すごいというのは失礼だし、本質的にはそうじゃないんだけど。
加納さんが、まあ四十年前に生まれた、ということにすると、その時代に障害児が生まれて、でも「仕事を辞めない」というのは、すごい勇気がいったことだと思うのよね。
たいがいは、障害児が生まれたら仕事を辞めてそれに付き合う、みたいなことになっていく。
それがイイとは言わないし、むしろ決してよくないことである。
障害児を産んだからといって、自分の仕事を辞めなければならない社会の状況はいいわけがない。
でも、それがデフォルトの時代、いや、今もそうかもしれない。

その中での、辞めないという決断。
これ、いろいろな示唆に富んだことかな、と思うんですよ。

仕事を辞めたら、やっぱ加納さんが生まれたからだ、ということになる。
そうじゃなくても、時代はそれを要請して、いや強要している。
それに抗って辞めない、という選択は、時代に抵抗している。
まず、彼女は、親御さんは「障害児が生まれても仕事を辞めない社会」を目指していたのだ、というところ。

そしてもう一つ。
ここで辞めてしまったら加納さんが物心ついたら思ってしまうだろう。
「私のために仕事を辞めたんだ」と。
妹二人も、「お姉ちゃんは特別だ」と思ってしまうだろう。
彼女は、きっとそう思わせたくなかったのではないか。

もちろん、実は仕事を辞めない方が大変だったのだと思う。
朝から晩まで動きっぱなしだったのではなかろうか。
障害児じゃなくたって、保育園に預けて仕事に行って、熱が出たといったら迎えに行き、とか、まあ二親いるとは言え、職場の協力だって必要だ。
しかも今の時代ではない。
40年前の話である。

でも、それを選んだというのは、ものすごい決意だったのではないだろうか。

しかも、どっか「姉(加納さん)は特別」という感じが、にじ屋に来てくれる妹さんたちから何も感じないのである。
三人姉妹、という、互いに尊重し、互いにフラットに付き合ってる感じがしていて。
こりゃ、すごく親御さんがステキなんだろうと思っていたら、いやいや、すごい決断と思いがあったんだな、と。

だから、歩けないだけで、加納さんはずっと家族とフラットに付き合っていたし、どっか羨ましいくらいの家族だった。

そのお母さんが亡くなり、葬儀ではお父さんが最後にあいさつをした。
その前に葬儀場の人が経歴を紹介したりする中でも、加納さんが障害者だった、というようなことは一切出てきてなかった。
この一家にはそれは関係ないのだ、という、普段受ける感じをそこからは受けた。
お父さんのあいさつもそんな感じで終わるのかな、と思ったのだけれど。

そしたら、最後の方に、むしろ唐突に「第一子が産まれた時、障害児と知って、二人でとても悩みました」というような一文が入っていた。

その時ね、図らずも俺、涙出ちゃったんだよね。

障害なんて関係ないんだ、って三人の娘を育てた。
でも、あの時、きっと親御さん二人は泣きながら今後のことを話し合ったんだと思うんだ。
それを隠し、ずっと言わず、親御さん二人はここまでやってきたのだと思った。
そして理想の姉妹関係ができたと、自分たちがあの時に悩んで出した結論は間違ってなかった、と、きっとお父さんは思ったんじゃないだろうか。

もう、ここで言っていいんじゃないか、と。
お父さんはそう思ったのではないか。
いや、お母さんと一緒にこの話を、この先いつかわからないけど、いつか二人で娘達にしようと思っていたのではないか。

だから、お父さんはこの時に言わなければ、と唐突にそれを入れたのではないか、と俺は勝手に思ったのだ。

いや、ま、これは俺の勝手な解釈だ。
そりゃ、ホントのところはわからない。
けど、深い愛と、前を向いて、希望に向かって、どんなに小さな希望でもそこに向かっていく強さを、俺は感じた。

生きているから希望がある。
何があっても、世の中がどうあろうと、自分が信じる道をしっかり生きていかなければならない。

合掌。










(BGM:Naoto Nishikawa「Get It On」from「No problem」)
→チェイスが元曲と言うことになりますか。
すごくよくカバーしてると思うけど、まあこちらインストです。
というかね、音圧が伝わってこないのが残念。
まあ、吹奏楽とかでもよく演奏されるから、インストでもぜんぜんイケますけど、やっぱあのボーカルが欲しいかな、と思ったり。

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「勤勉」の向こう側


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井上たちって、ホントにいい子なんですよ。
子、なんていうのはよくないかもしれないが、まあホントにいい子なんです。
自分がすべきことをしっかりやるし、それが猛暑の元であってもなんとかやっちゃう。

なんなら、数年前、コバなんかは普通に仕事してたんだけど、「ちょっと何か目がおかしいな」と思って熱を測ると38度あったとか。
熱なんかに負けないというか。

まあ、「にじ屋は自分たちの店だ」という自負も彼らにはある。
だから「がんばりたい」という気持ちは大いに評価したいのだが…。

でも熱があるのに仕事を続けちゃうってよくない。
気づいたら死んじゃう、ということもあり得る。
いくらなんでも暑いよ、この作業は中止しよう、という判断も大事。
熱中症になってしまう。
だからまあ、こっちも気をつけてやらなければならないのだが、何にしても自分の身体のことは自分で守る、という基本的なコトは彼らにもわかってもらいたいし、会得してもらいたい。
が、そういうことがなかなかできないので、彼らはそのまま仕事を続けてしまう。

ハンバーガー屋さんでは知的障害者の雇用が進んでいるという話があって、それはどうもハンバーグ部分を45秒で正確にひっくり返してくれるから、という。
ま、適材適所と言えなくもないが、知的障害者じゃなかったら、他の店員とバカ話して45秒を忘れちゃう、ということであるならば、なんだか他の店員とバカ話をする方が豊かな人生のような気もする。

とにかくマジメなのだ。
それはいいことである。
悪いことではない。
が、時にそれは自分の身体が二の次になってしまったり、他人とのつながりも二の次になってしまったりもする。

俺は、マジメが悪いとは思わないが、どっかやっぱり「それだけじゃダメだ」とは思っていて。
暑かったらその作業を放棄する、とか。
時に馬鹿話で仕事を忘れる、とか。
今日は気分が乗らない、とか。

そもそも、彼らは仕事をしたい。
なんなら「帰りたくない」と頑なに主張する。
なんだか調子に乗ってるから、それにかぶせて、ふざけて「もう帰ればいいじゃん」とかって言うと、「帰らないよ~!」と笑って返してくる。
よく他の作業所の話で、朝作業所に行きたくないと親の手を煩わす、みたいな話が正直信じられない。
仕事をしたいっていうか、皆の中にいたい、という感じか。
それがかなり強いので、やっぱ仕事もがんばってしまう。

いや、仕事を頑張るのはいいじゃないか、というのはわかるのだが、それってどうにも彼らの「がんばりたい」に、こっちが甘えてるだけのような気がするのだ。

45秒でひっくり返せるから、というのは確かに勤勉ではあるが、勤勉であるだけならタダの働き蟻と同じではないか。
何のために仕事をするか。
確かに金のためだけれど、家庭の中に閉じこもるのではなく仕事に出ることで社会とのつながりだったり、仲間を作ることだったり、いろいろなことが付随してあるように思っていて。
そこを豊かに考えたいし、そうなると、やっぱ勤勉だけじゃダメなんじゃないか、と。

むしろ、45秒でひっくり返すという仕事は、俺には切ない。
それで会社は安泰なのかもしれないが、それでいいんだろうか。
会社はその「勤勉さ」に甘えて、彼らの他のチカラを、他の楽しみを奪ってしまっているのではないかとすら思う。

俺たちは幸せになるために生きている。
楽しい毎日のために生きている。
苦しいことを乗り越えることも含め、楽しい毎日。
そう考えると、彼らの勤勉さに我々サイドがあぐらをかいてはいけないのではないか、と思うわけです。

勤勉だから○○を黙々とやってくれるだろう、というのは、まあ確かに適材適所だからそういうこともあるとは思う。
もちろんやれることを一生懸命やりきる、というのも彼らの自信になろう。
「得意なこと」をしっかりやらせる、というのは間違ってはいない。
が、一方で、「彼らは勤勉すぎるほど勤勉である」ということを理解していないとやっぱダメだと思うのだ。

バランスといったら、確かにバランスの話かもしれない。
具体的にどうこう、ということを示すことも難しい。
けれども、我々サイドは、いつも彼らは勤勉である、って思ってないといけないと思っている、という話でした。






(BGM:神奈かずえ「ひとりぽっちの村祭り」from「歌う昭和の名女優たち」)
→姉さんはお嫁に行ったからひとりぼっちになりました、さみしい日暮れです。
という。
笛の音、祭り囃子に誘われるのは日本人のサガ。
これまではお姉ちゃんと行ってたのに。
ちょっと状況がわかりませんが、親はいない感じなのかな。
切ない。
時代を感じさせる一作です。

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家族風


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「家族の温かさ!」みたいな。
「家族として入居者様と一緒に」とか。
ま、そんな感じで「家族のように」みたいなことが美辞的にコマーシャルになっていますね老人ホーム。
これはもしかして障害云々も同じかもしれないが、まあそういう。

この感じをひとまとめに「家族風」ということで話を進めますが。

ま、お惣菜なんかでも「手作り風」なんてのが売り文句になっていまして。
これ、手作り風言うからには、実は手作りじゃない、ということも同時に言ってるわけです。
なにせ「風」だから。
嘘はついてません、と。

たいがい、集団でも「キズナを大切に!」とか言い出すと怪しい。
キズナがない人たちが言う言葉ですねそれ。
俺たちは家族のように仲がいい、とかってのも、もしかしたら家族のように仲がよかったら言わない気がする。
これは経験則なのでなんともだけれど、でもまあ、そんな風に思う。

というか、そもそも「家族風」的な言葉に皆さんは魅力を感じるんでしょうか?
家族言いましても、そんなに俺は家族仲良くなかったし、という人もいるでしょうし、人それぞれかと思うけれど、でもまあ、たいがいの人は「家族風、いいじゃない」となるんでしょうか。

ま、ウチのような障害者の云々で言ったとき、実際に家族のように関係が作られている、というのは悪いことじゃない気がします。
けどまあ社会の仕組みとしてはあまりいいことでもないような気はします。
どっちにも取れるかな。
家族のようなところに預けるとしたら、まあそれって家族でも同じで。
じゃあ家族がめんどうみたらいいじゃない、ということにならなくもない気がします。
でもまあ、本人はともかく、その他の家族の人はそれで安心するのかな。
すげえ自信だな、とも思いますが。
なにせ、「自分のようにこの子の面倒をみてくれたら」ってことですからね。

でも一方で、やっぱ家族ではないわけですから。
だから他人として、仲間として、って部分で、お互いに成長しあう関係が必要、と考えると、「家族風」はやっぱどっか邪魔な気もします。
それに、家族から離れてその集団に属するのだとしたら、やっぱそれは家族ではなく「社会」ですからね。
社会として付き合っていくことが大切なような気もします。

ま、どっちに傾いても駄目な気がします。
これはまあどっちも大事。
だけれど、ウチなんかだとやっぱ後者を大事にしてますね結果的に。

「俺はお前のお父ちゃんじゃないし」とか言うことは時々市丸とかにも言います。
「お父ちゃんなら言わなくてもわかってくれたかもしれないけど、俺はわかんないよ」みたいな。
ま、わかっててもそう言いますね。
「だから自分がなにか言いたかったら、しっかりと皆に伝えていかなきゃ」みたいなことですね。
そして、「なんでケンカしたのよ?」と聞いていく、みたいな。

だから、ことあるごとに「オレは親じゃないし」というようなことを言ってますね。
だからどっちかというと後者ですよね。
市丸とは、一人の大人として付き合いたい、と。

というようなことなんですけどね。
先日、アキの妹と弟が来まして。
というか、弟が地方で仕事をしているんですが、まとまった休みが取れたというので来たんです。
二人とも学生時代はよく手伝いに来てくれていたんです。
だから井上たちのこともよく知ってる。
なんなら覚えているヤツもいて、井上なんかは、弟をして「○○くん、元気?」なんて時に言ってくる。
なんで、じゃあ皆で飲んだらいいか、となりまして、こっちに来てもらって皆で飲んだんですね。

そしたら、まあ元々知ってる仲ですから大いに盛り上がってそれはよかったんですが、妹は「アキちゃんの家族に会えて良かったよ」と。
「なんかもう皆家族じゃん」と言っていて。

いや、これは褒め言葉をもらったな、と思ったんですが、まあ冒頭の言葉とあわせて考えるとデスね、俺たちは「家族を目指していない」んですよね。
彼らにとって社会になろう、と思っているわけですから。
でも、その中でやっぱ信頼感というのはできてくるわけじゃないですか。
もっと言えば、彼らにとって社会がもっと彼らにとって信頼が置けるモノだったらいいわけですよ。
障害者だからといって仲間はずれにしたり、レジで「知的障害者は遅いんだよ」って舌打ちしなければいい。

ま、ここは社会ではあるけれど、そういう「意地悪」はしないですからね。
逆を言えば、彼らが安心できるのが「家族」だとすれば、社会が家族になればいい、ということは言えなくはない。
しかしまあ、社会は社会。
それも大切にしたい。

つまりですね、家族風を目指す、ってのはやっぱダメだと思うんですよね。
それはそれ以上世界が広がらないじゃないですか。
家族風はあくまで結果そうなる。
むしろそれを拡大し社会を家族に変えていく、ということであって、「我々は家族としてあなたを迎えます」ってのは、やっぱそれはどっか怪しいと俺は思うんだけど、多くの人は「家族風」に惹かれるのだろうか。






(BGM:越路吹雪「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」from「越路吹雪Best&Best」)
→いわゆるムード歌謡の王道って感じですね。
正直、歌詞が入ってこないのは、きっとバーの歌なんだろうな、女がフラれるんだろうな、でも待ってるとかなんだろうな、とかそういう思い込みがあるからかと思われる。

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「できない客」のコトも考えてみなさいよ


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JRで指定席などを予約しようとした場合、障害者割引だとか車いす用だとかの場合、窓口に行かねばならない。
いろいろ不正防止ということなんだろう。
そこはまあ防止してもらいたいが、障害者手帳とかを確認するのは手作業で行う、ってことなのだろう。

一方で、ネットでも新幹線とかは車いす席とかじゃなければ買える。
なんなら、スマホだけで発券もしなくてイイとかなんとかCMでやっていたりする。
ま、便利でイイと思う。

が、よくよく考えたら、確率としては普段駅に行く人が母数として少なかろう車いすの人が窓口に行かなければならなくて、普段駅を使ってる人が窓口に行かなくても買えるというのもなんだかおかしな話である。
それもこれも不正防止のため、お願いします、と言うことなのだろう。

が、まあこういう風に「手数」がかかりすぎてめんどくさい、もう障害者割引じゃなくていい!という感じになるのもどっか経験上あるような気もしている(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6333.html)。
つまり実際に使えない、という。

ま、だから要は「不正防止」なのである。
そこをクリアしなければならない。
というか、まず障害者割引を悪用した人をまず厳罰に処すべきかと思うが、まあそれはあまり聞かないけどどうなんだろ。

そんなこんなの毎日の中、こんなニュースが流れてきて。
「ネット申し込みできる電車乗車券の障害者割引」というものだ。
そりゃいいと思ったら、よく読んでみると「利用の前提として、障害の情報が入ったマイナンバーカードをマイナポータルへ登録しなくてはならない」という。

…ふむ…。

ただね、これマイナンバーカードについては障害者でいろいろあって、そもそも「顔写真の背後にヘッドレストが写っていたことなどが理由で、カードの申請自体が却下された障害者もいる」という。
もう論外。
他にもよくよく考えれば、自力でマイナンバーカードを取得に行けない、と言う人もいよう。
そもそも管理が難しい人もいる、というのは何度も書いた。
それ以外にもカード側の問題で、障害の状況を他の人に紐付けしていた問題、なんていうシステム上の問題も出ていたと思う。

にもかかわらず、いや、やっぱここでもマイナンバーカードかよ、と。

どうもそんで、マイナンバーカードを使う理由が、「国からのご指導を踏まえシステム開発を進めてきた」ということらしい。
つまりまたしても国のごり押し。
保険証と同じ感じである。

そもそも「任意」であるはずのマイナンバーカードについて、それを持ってる人持ってない人で処遇に差をつけてイイのだろうか?
いやダメだ←即答。
そりゃおかしい。

国がやってる半強制的な感じはもううんざりだから、だったらもう「義務化する」ということにしちゃって論議したらどうなのだろうか。
全国民に持たせたいんだろ?
だったら、義務!ということで論議したらいいのに。
任意のママいろいろ半強制的に押しつけるからおかしなことになってるんだろ?
…ってか、それができない理由でもあるんだろうか?

というわけで、このマイナンバーカードが必要というのはJR東とJR西だそうで。
どうもJR東海の新幹線のネット予約では、マイナンバーカードは必要ないとか。
発券時に駅の窓口で障害者手帳を提示する、というシステムらしい。
これ、もうすごく簡単。
どっちにしろ乗るときに発券すればいいんだから、いいじゃない、それで。
乗るためにはそもそも駅に行くんだから。
駅に行って発券するんだから。
切符を買うようにそこで発券する、いや、目からうろこの簡単なシステム。

そう考えると、西と東、なんでマイナンバーカードが必要なのかわからないわね。

つまりはこれは国のごり押しに屈したということなんだな。

こういう顧客のことより国のいうことに屈してしまう企業、もうなんだか見てらんないですね。
一応、民営なんだよね。
国に従う道理もない。

使う人のコト、具体的にちょっと考えてみたらいいのに。
市丸にマイナンバーカードって、暗証番号どうするの?
それにたぶん、これまでの紛失経歴を考えると、カードなんか真っ先になくすよ?マジで。

もうちょっと「できない人」のコトも考えてもらいたい。
そういう客のための障害者割引でしょうに、そもそも。







(BGM:Joanna Newsom「Monkey & Bear」from「Ys」)
→ちょっとね、怒られるのかもなんだけど、戸川純さんが歌ってるのかと思った…。
どっか歌曲のような感じすらする複雑なメロディーラインなんだけれど、自由に跳ね回る感じの歌声がそこにマッチしていく。
なんかハマる。

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「ハンチバック」


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「ハンチバック」読了しました。
読了いうても、短いので、30分くらいで読み終えましたか。
これは主人公の独白、いや独り言がずっと綴られているという小説。
その主人公がハンチバックの女性、つまりはせむしの女性、ということである。
ま、障害によって背骨が湾曲している、ということなんだけれど。

この主人公はいわゆるな「お行儀のいい障害者」ではない。
24時間テレビに出てくる感じの「努力を重ねます」という人でもなければ、「一生懸命健体者社会の仲間に入れてもらおう」という人でもない。
そしてどこか冷めた、冷笑を含んで世の中を見ているような印象がある。

ま、俺はそれって別に普通だな、と思うんだけれど、一般の人の障害者像は大きく壊してもいるのだろう。
一般には、「社会に自分たちの思いを訴える障害者」「社会に順応して入れてもらおうと努力する障害者」って感じか。
まあどちらもどっか道徳的で、マジメで努力家である。

障害者に生まれたからと言ってマジメに生きなきゃならないということでもないわけだけれど、どっかそういう障害者を世の中は認めない。

そして性の問題からも彼らは外されガチである。
異性介助が当たり前のように行われているというのがその証左だろう(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6264.html)。
しかし、この「独り言」を読んでもらってわかるように、性の問題は生きる上で重要である(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5698.htmlhttp://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6379.html)。

スーパー猛毒ちんどんのレパートリーで「足がない」と言う曲がある(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2214.htmlhttps://www.youtube.com/watch?v=uNFjgzjkZwQ&list=PLQXcTzfqfNmEb5OgEXPfRqXE9z-t3f4cl&index=23)。
この中に「私にいいことばかりを言わないで 尊敬してるなんていわれても悲しいだけ」「ほんのちょっと、アナタにヤキモチを焼かせる、イヤな女になりたかったな ほんのちょっと、いつもアナタが悪口を言う、彼女のような」というような歌詞がある。
背徳のキスをしたい、酔っ払って好きでもない男と寝て翌朝大後悔してみたい、そういう思いをなんとか歌詞に入れたいと思ってそういう歌詞にしたんだけど。

私がセックスをする相手は愛するあなた一人だけ、というのは幸せだし、そう思うのは自由だ。
けれども、誰もがその愛にたどり着けるわけではない。
そもそも愛する人と添い遂げられずに、でも望まない結婚をするという人もいるだろう。
そしてその人が背徳のセックスをしたからと言って、「そんなことすべきじゃない」なんて言ったところで、そんなのはどっか道徳的で耳に入らない。

この歌を書いたきっかけは、とある知り合いの車いすの女性の話である。
バンドでは加納さんがソロで歌っているので加納さんの話なのかと思ってる人も多いかと思うが別の人である。
もちろんでも加納さんも「すごい気持ちはわかるよ」と歌ってくれているのだけれど。

その彼女が俺に言ったのは、「レイプされてでもイイから一度セックスがしてみたい」だった。
好きな人とか、愛とか恋とかそういうことじゃなく。
その絶望はあまりにも深く、俺はこれは歌にしなければいけないと思ったのだった。

知的生涯やソロで歌っている「イキタカッタ」という曲は、前々会長の故かおるさんのことを歌った曲だ(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3815.htmlhttps://www.youtube.com/watch?v=mTj4__f0IfE)。
彼女が死んでから書いた。
「イキタカッタ」は「生きたかった」ではない。
そのサビは「私が好きだった クリトリスなめられて ああ あなたの舌で もっと いきたかった あなたが好きだった 騎乗位で 腰をふって あなたの上で もっと いきたかった」である。
中途障害であった彼女のコトを書く以上、彼女が事故に遭って障害者になる前に同棲していた彼のことを書かなければ意味がない。

彼女はその後聖人のように生きていたけれど、亡くなって彼女を振り返ったとき、その聖人っぷりがむしろ俺には悲しくなった。
聖人に至る彼女の心の中はどういうモノだったのだろう。
それを考えると、絶望には底がないことを思い知らされる。

とある車いすの女性(故人)は、俺に「ラブホテルに連れてって」ということを盛んに言っていたことがあった。
彼女は聡明で団体の中心にいるようなすばらしい女性だったが、何度か飲みに行ったりすることで仲良くなって、けっこうそれを言われるようになった。
「行ってみたいのだ」と。
車いすで行けるモノなのかどうか、入れるモノなのかどうかってこともあるから、面白いね、行ってみようか、とか言っていた。
あ、そこにはあまり性的なことは俺は思ってなかったのだが、そういったまま行けずに彼女は急死してしまい、その時に彼女の近くの人に「○○さんは佐藤さんのこと好きだったのよ」と言われた。
それもどっかショックだった。
自分の鈍感さ加減にも、そしてそもそも車いすの彼女を性的に見ていなかったのかもしれない、という風にも思ったり。
いや、まあその時には俺には好きな人がいたし、そもそもそういう気もなかった、というのもあるんだけれど。
でもそれは、ハンチバックではない俺のストレートな人生の思いであり言い分でしかない。

車いすに乗った彼女たちが感じていてた絶望は、恐らくは俺には見えない。
見えないが、こうやってその独り言を物語にしてくれて、しかも賞を取って話題になったというのはとてもよかったと思う。
ぜひ読んでもらいたい。

あ、でも、この物語は、リアルに見えるけれど、恐らくリアルでもないのだと思う。
リアルはきっとハンチバックではない俺には感じることができないのだろうと思う。
これを読んで「リアルだ」と思い込んでしまうのは間違いだ。
そう感じたことが恐らくは彼女のリアルとはかけ離れてると思った方がいい。

絶望には底がない。
でも、希望にも果ては無い。






(BGM:UNICORN「手島いさむ物語」from「Z」)
→メンバーの方なんですね手島いさむさん。
ま、とにかく面倒くさがり屋って感じなのだろうと推測。
曲も詞も彼が担当していて、まあ歌も彼が歌ってるのかな。
どっちかというとハードロックの基本のようなサウンドに、朴訥な歌声で「めんどくさいんじゃ!」がかぶってきてなかなかユニコーンっぽい仕上がりになってるのがいい。

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