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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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障害者虐待防止法 その2(ラスト)

スーパー猛毒ちんどんでは、出演依頼を待っています!
スーパー猛毒ちんどんPV「にじ屋の唄」→ここをクリックぅ!!

映像ディレクターの中村氏による我々のドキュメンタリー映画「凸凹にふくらんだ風船」無事完成!
映画の予告編はこちら
各地で上映会も可能かとも思いますので、詳細は監督の中村さん(オフィスラムカーナ:連絡先090-8726-4722)までたずねてみて下さい。

お知らせ&募集などはこちらをクリック ツイッターは「@SMChingDongSATO」

次回公演 12/2(日)スーパー猛毒ちんどん単独ライブで決定!
タイトルは「家出ノムコウ」!




http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-1833.htmlのつづき


こういう例がある。
親が子どもの要求を止められない。
なので、子どもが「唐揚げ~」と騒げば、近所の目もあるからすぐに唐揚げを食わせる。
しかも、これを唐揚げから肉まんから、際限なく続けてしまう親子がいる。
これ、一般的には「ガマンさせろよ」と思うかもしれないが、出さなければ暴れる、しかも身体も大きくなって、親が抑えられない、声も大きく際限がない、となると、親もお手上げになってしまう場合がある。
この悪循環にはまって、とにかく本人の要求どおりに喰わせていたら、体重が増加し、運動もさせられないまま、内臓疾患が出て、透析の一歩手前になってしまった。
血圧も上がるし、成人病のデパートのようになってしまった。
しかも、一日何時間もの透析なんて、その本人が黙っておとなしく寝ていられない。
さて、もうどうしよう。

で、そんなマックスな状況で、なんとかしなければと外に預け、なんとか減量に成功し、透析は免れ、少しづつ血圧も安定してきた。
本人が嫌がる運動も一緒に歩いたり、走ったり、柔軟体操をしたり、なんとかその状況をキープできるようになってきた。
しかし、本人は食べたい気持ちはなかなか収まらない。
なので、時折「メシ!」と騒ぐ。
でも、そこで再び戻すわけにはいかないので、ガマンさせる。
なんとか、メシ以外のところに興味が向くようにしていく必要があるのだが、なかなか完全にそれが払拭できるわけではない。
だから、時折騒ぐが、それを抑える、という作業が必要になる。

これ、この親の行動と、預けられた先のやり方と、どちらがこの法律上の「虐待」に当たるかというと、可能性としては後者なんです。
それは「減食」という風にとられてしまえば、これが虐待に当たると判断される可能性はなくはないんです。
これが、今回の法律です。

つまり、「本人の意志に従うか」「本人にガマンさせるか」という二択があるとしたら、前者は虐待に当たらず、後者は虐待に当たる可能性がある、ということです。

これですね、多くの問題をはらんでいます。
「本人の意志」が、例えばこの食事のことのように「死」に向かっているとしたら、やっぱりそれは「ガマン」が必要だとオレは思います。
同じように、先の例の「他人が存在しない状態での本人の意志」を尊重することは、犯罪を誘発させる可能性も高い。

いや、誤解しないで欲しいんです。
本人の意志を尊重することは、とても大切なことです。
もっというと、「本人の意志」を、「犯罪を犯さない」「生きていく」ことに向けさせる必要がある。
だから、「本人が一生懸命になれること」や、趣味や興味、そういうモノを一生懸命我々は彼らと一緒に探さなければならないと思うんです。
ただ、その一方で、「ガマンさせる場面」というのも、当然出てくるのです。

そうしなければ、本人にはその気がなくても、「自分のしたいこと」をしただけで犯罪を犯してしまうかもしれない。
おそらく、もう「知的障害だから」という理由で、罪が免責されるようなことは、過去よりももっともっと少なくなっていくでしょう。
けれども、虐待防止法によって、「ガマンさせられる」ことは禁止される。

これは、知的障害者本人にとって、かなり不幸な状況ではないでしょうか。
教えてももらえない、けど、失敗したらもうおしまい…、そんな感じ。


虐待防止。
もちろん、とんでもない施設があったり、会社があったりします。
だから、その精神はわかるんです。
しかし、真っ当に、本人のためを思って一生懸命「ガマンも必要である」ことを教えようとしているような施設や我々のような団体が、この法律によってその手をゆるめてしまうことがあるのなら、その精神に逆行もしてしまいます。

先の太ってしまった例でいえば、何も教えることができずに、ただ本人の要求に奴隷のように従ってしまっている親の問題、そしてその親を支えられなかった関係機関の問題がまず指摘されなければならないと思う。
しかし、それが「本人の意志は尊重している」となって正当化され、預けた先の、本人が望まないダイエットが「虐待だ」となってしまうのなら、知的障害者は見殺しにされてしまうのではないか、と思ったりします。




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(BGM:佐藤竹善「俺たちの旅」from「ウタヂカラ~CORNERSTONES 4~」)
→ヒット曲ばっかりをカバーしたアルバムというのは、あまり好きじゃない。
だって、やっぱ当然、イイ曲なんだもんな。
徳永英明さんとかがそういう感じのCDを出して売れたのがきっかけなのか、どうなのかわからないけど、どっか「売れるだろう」的商魂が見えるわけで。
そんなわけで、この類のアルバムは、そのカバーする側の色がどれだけ出ているか、というのが大きな評価になってくるわけね。
例えば、大ヒットしたバラードをテクノにしました、ってのだったら、面白いかもしれない。
ということで、このアルバムはというと、かなり健闘はしていると思います。
一生懸命アレンジを考えていることが伺えるので、まあいいかな。
とはいえ、もっとやっちゃわないと、やっぱ飽きちゃう。
これなんかは思い切って3拍子にするとか、そういう工夫だってあっていい。

障害者虐待防止法 その1

スーパー猛毒ちんどんでは、出演依頼を待っています!
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映像ディレクターの中村氏による我々のドキュメンタリー映画「凸凹にふくらんだ風船」無事完成!
映画の予告編はこちら
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次回公演 12/2(日)スーパー猛毒ちんどん単独ライブで決定!
タイトルは「家出ノムコウ」!




昨日は評議委員会だのいろいろあって、みんな11時過ぎくらいに帰って行ったんだけど、いろいろとこれからのことがちょっとちょっと見えてきたような気もしたり。
でも、昼のネットの会議から、いろいろ話して、ちょっと疲れたな。
人に伝えるために話をする、というのは、エネルギーを消費する。
オレの場合、周りはどう思ってるかわからないけど、あまり話が得意じゃないところもあるので、かなり消耗します。


さて、そんなわけで、障害者虐待防止法というのがスタートしたらしい。
通報義務が目玉と言うことなんだろうかな。
拡大解釈すれば、道路に出ようとする知的障害者を羽交い締めにしただけで虐待に当たると通報される可能性があるということになりました。


前から書いているんですけど、知的障害者の起こした犯罪に関して、世論は非情に厳しくなっています。
実名報道、写真報道、そういうことが簡単にされるようになっています。
被害者感情を慮って、ということなんでしょうが、まあ、もちろん犯罪は犯罪なんで、厳しく裁くのは悪いことだとはオレは思いません。
どちらかといえば、「この子の障害のことをもっと理解して下さい」という「差別を楯に取った一方的な主張」で、結局のところ「知的障害なんだからしょうがないじゃないか」という世論を「誘導しようとしてきた」過去の運動にちょっと嫌悪を感じる方ではあります。

もちろん、障害を理解してもらうことは大切です。
しかし、そこに「差別」というフィルターを用意することで、反論を封じ込めることを我々はしてこなかっただろうか。
つまり、理解してもらうという運動の一方で、犯罪の被害者になった方の「痛み」を同時に我々は理解しなければならないのではないか、と思うのです。

だからこそ、普段から「犯罪を犯さないようにするためにはどうしたらいいか」ということを我々は考えていかなければならないと思っています。


その「犯罪を犯さない」ということを伝えていくためには、やはり例えば誰かその辺の人に殴りかかろうとしたら止めなければならないし、パニックや逆ギレを起こしたら、それをその場で「それは違う」と諭さなければならない。
しかし、そんな「修羅場」のような状況で、単純に言葉だけで伝わるかというと、これは現場的にはかなり難しい。
そもそも、言葉を理解するのが難しいのが知的障害なのだから、それを「言葉だけ」で伝える、というのはかなり困難。


そもそも、犯罪のことを伝えるためには、「他人が存在する」ということを理解しなければならない。
他人の存在が本人の中になければ、極端な話、とにかく自分がしたければ万引きをする、スーパーの売り場でお菓子を食い始めちゃう、進みたい方向に人がいてもなぎ倒してでも進む、ということになってしまいがちなところがある。
だから、ウチだと例えば「あいさつ」ということから始める。
まず、オレはキミと違う人間であるから、朝来たら「来ましたよ」とあいさつしなければならない、ということを行動しなさい、と教えることになる。

これを、行動療法的だと批判する方々もいるのはある程度わかっているのだが、しかし、「他人の存在」という、かなり哲学的で抽象的なことを彼らがまず理解できるかというと難しい。
それよりは、あいさつをすることで「他人である」ことを、その場の状況、その場の関係で確立してしまった上で、「ああ、オレとこの人は違う人なんだ。オレの他にも人がいるんだ」ということを理解させる方が、困難度は下がる。

これを、「強制的にあいさつをさせている」という風に取れば、「虐待」にもなる。
先の例でも、羽交い締めにするのが本人の安全を守るためであっても、「虐待」ともとれる。
まあ、つまりは「虐待」の定義ではあるのだが。


続きます。



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(BGM:奥田民生「MOTHER [ひとり股旅]」from「BETTER SONGS OF THE YEARS 」)
→パフィーに提供した曲だよね。
名曲だと思うんだな~これ。
それをギター一本で聞かせてくれるという、なかなかステキなトラックだよ。

ぶっ飛ばせるのは親だけなんですよ

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ちょっと前にラジオのお悩み相談みたいので、こんなのがありました。
おばあちゃんからの相談で、孫が小学生なんだけれど、ばあちゃんちに来ると、帰ろうとしない。
お母さんの運転する車で帰るみたいなんだけれど、乗らない、という。
ここまで聞いていると、なんか家で問題が起きているような感じなんだけれど、その先がちょっとおかしな感じになってくる。
その子は、そうなると大騒ぎになって、「父親を呼べ!」と叫ぶ。
「仕事だから来れないでしょ」と言うんだけれど、止まらない。
玄関先で大騒ぎなので、近所迷惑だというと、「警察でもなんでも呼べ」と叫ぶのだという。

う~ん。
おかしいでしょ、これ。
帰りたくないとだだをこねるというのはわかるよ。
けど、少なくとも小学生が「警察を呼べ」ってのはおかしい。
こういう騒ぎ方というのは、なにかがおかしい。

でも、このおばあちゃんは、マジメにこの相談をしてるんだよ。
「どうしたらいいでしょうか」って。
つまり、この「小学生が警察を呼べ!っていうのはそもそもおかしいでしょ?」というのがどうもわかっていない。
相談を受けたスタジオの方も「警察をよべって言うんですか?う~ん…」と頭を抱えている感じになってしまっていた。


まあ、この事例そのものがどうこうということではないんですが、「こういう傾向」というのは、あながちないわけではないんです。
つまりこの子は簡単に言うと「大人をなめている」。
親をなめている。

親がいちいち「父親は仕事でしょ?これないのわかるよね」なんて答えていたんでは、この傾向はいつまでたっても消えない。
とにかく、大人を困らせることを言ってるだけなのだから、それにノったら話にならない。
親が帰ると言ったら、帰る。
子どもの気持ちなど関係なく、ぶっ飛ばしてでも連れて帰る。
ただそれだけのことであって、特に、ここに本来は何の問題もないはずなのだ。


朝起きれなくて困る、という相談があって、うちの専従が朝行って布団を引っぺがしたら「そんなひどいことをして!」と親に怒られたことがある。
それじゃ起きれないよ。いつまでたっても。

なにが問題なのか、起こしたいのか、そうじゃないのか、相談を受けたこっちとしては、なんにもしようがない。
こういう親は、子どもに「いい親」でいたいのだ。
しかも、こびへつらって、気を遣っていい親でいたいという、もう、意味がわからない。
朝起きるなんていうのはあたりまえのことで、これがずれていくことで宵っ張りになり、仕事にも来れないから日中活動ができずに、どんどん体力はあまっていき、悪循環に陥る。
どっかでその悪循環を断ち切りたいのだったら、どっかで起こすしかない。
布団を引っぺがすくらい、別に当然のことだと思うのだが、こういう親はそれができない。
結果、この子はずっと起きれない。


「しつけ」や社会性を身につけさせる、ということと、その子の意思を尊重する、ということは、基本的には対立する。
知的障害の場合なんかは、決まった行動が好きだったりすることが多いから、「同じビデオを繰り返し見ている」ことが、本人の意志だったりする。
じゃあそれでいいのかといえば、そういうわけにはいかない。
きちんと日中は身体を使う仕事や、学校に行って、きちんと生命活動に必要なリズムを作っていく必要がある。
その中で、いろいろな部分に興味が広がっていくことにもなるのだ。

「この子の意思を尊重したい」ということを前面にいう親も、こういう状況が続けば、「ビデオばっかり見て困るんです」ということになって相談が来るわけだが、「じゃあ、ビデオを取り上げればいいじゃないですか?」というと、そんなことはできない、という。
なんでですか?と聞いても、要領を得ない。
「じゃあ、そちらで取り上げるってことにしてくれませんか?」などという都合のいいことを言う。
まあ、それでもいいんだけれど、「それじゃ、いつまでたっても、その子はオレの言うことは聞いても、親の言うことは聞きませんよ」、と言うんだけれど、それがよくわからないんだな、こういう親は。

堂々巡りで、なにも解決しない。


なにを言いたいかというと、世の中、虐待だ何だと、親を責めすぎるんじゃないかと思うんです。
もちろん、殺しちゃうような親もいるから、責めて悪いというわけではないんだけれど、どうも行き過ぎると、「ぶっ飛ばせるのは親だけ」という基本すら失われていっている気がするんです。

子どもはモンスターではない。
怖がって育てる必要なんかないんです。
親がきちんと、社会がきちんと、大人がきちんと、威厳を持って、きちんと社会で生きる術をたたき込む必要がある存在なのだとオレは思う。
それができるのは、せねばならないのは、まず親なんですよ。




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(BGM:吉田美奈子「明日天気になあれ」from「MINAKO 2」)
→これはハッピーエンドの曲だと思うんだけど、もう違う曲になっています。
この人を聞いたのは、中学の時だったか、やっぱりハッピーエンド周辺という感じで聞き始めたんだと思うんだけど。
最近、このライブ盤を聞きまして。
やっぱ歌がうまいよな。
その上、当時の歌謡界では絶対にウケない感じ、という、この感じがよかったわけです。

彼女からのSOS

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うちのメンバーの養護学校時代の同級生で、一般就労しているAの話を書きます。

彼女は、ウチの連中によくメールや手紙を送ってきます。
その内容は、数ヶ月前に手伝いに来たときの話、数年前に遊びに来たときの話、そんな話。
最近、この手紙の頻度が激しくなっています。

来たときに聞くと、仕事には行っているが、終わったら夕方には家に帰って、夜寝てまた仕事に行く、という毎日の繰り返し。
休みの日は、親に小遣いをもらって、彼女が高校の時から行っている県中央の小都市に出かける。
といっても、なにかするわけでもない。
ただ、そこに行ったことがあるから繰り返しているだけ。
自分が給料をいくらもらっているかも知らない。
誰かが飲みに誘ってくれるわけでもない。
もちろん、休みの日に一緒に遊びに行く人が職場にいるわけでもない。

彼女が、この中学生が使うようなカワイイ便せんに書いた手紙を全員に毎晩書いているのかと思うと、オレは切なくなる。

彼女は、もう高等部の時から時間が動いていない。
学校が職場になっただけで、なにも変わってない。


彼女は、手伝いに来ても、呑み会には参加しない。
夜遅くなるからだ。
「お母さんが寝なさいって言うから」というのがその理由だ。
ウチだとそれは「お母さんのいうこと聞くんだ、へぇー」という「からかい」の対象になる。
「大人だろ、自分がしたいかどうかは自分で決めなよ。」ということになるんだが、彼女にはそれができない。
能力的にできないのではない。
一般就労しているくらいだから、能力的にはウチの連中よりずっと勝っている。
そして、したいのだ。
それも彼女の言動からわかる。
けど、できない。

これは書いたと思うが、他の作業所から来たりすると、まず最初は、遊びに行く話になると、「お母さんに聞いてくる」と全員が必ずいう。必ずだ。
「君はどうしたいの?」と聞けば、当然行きたい。
「だったら、親にはこの日は遊びに行きます」と言えばいいんだよ、ということを繰り返す。
だって、それって、幼稚園の時と一緒なんだ。
自分が行くのに、親の許可が必要なんて馬鹿げてる。
それを繰り返して、やっと「自分が行きたいかどうか」で判断できるようになる。
前の映画は別に行きたい映画じゃなかったけど、今度行くヤツはテレビでやってて見たくなったヤツだから行く、とか。
まあ、ごく普通のことですね。
そこにたどり着くまでに、親の呪縛をどう解くか、というのがまず必要なんです。

その作業が彼女の周りにはないから、彼女はそのまま時が止まっている。
はたして、そんな彼女に、未来は見えているのだろうか。
結婚を現実のものとして考えるときは来るだろうか。
セックスは?
一人暮らしは?
新しい趣味ができることは?
何か楽しい新しい経験は?

…きっとなにも彼女にはない。
だから、彼女には振り返るしかない。
それを手紙に書いている。


何度か、彼女がこっちに泊まる、という話が持ち上がったことがある。
彼女の同級生だった陽子たちは一人暮らしをしている。
いつだって泊まりにおいでよ、ということである。
彼女も、ずっとそれを楽しみにして、何日に行く、何時に行こうか、次の日はどうしようか、いろいろと嬉々としてたずねてきたりする。
でも、それが現実になったことはない。
「お母さんがダメだって言うから」
それで終わりだ。

そして、その「お母さんがダメだって言うから」は、必ず寸前になってそういう話になる。
つまり、彼女は「お母さんがダメだって言う」ことはわかっているから、なかなか言い出せないんだな。
「○日に陽子のウチに泊まりに行く」って母ちゃんに言えないんだ。
でも、せっぱ詰まって言わなきゃならなくなって、予想通りの答えが返ってくる。
こんなことを繰り返すから、まあこういう話が上がっても、無理なんだろうな、とこちらも思うようになってしまった。

こういうことを何度か繰り返し、ずいぶん前になるけれど、その時は、ついにウソをついた。
「お母さんがダメだって言うから」という言い方じゃなく、「次の日仕事だから」「夜寝なくちゃだから」なんだと、いつもお母さんが言っている断りの言葉を言った。
「お母さんがダメだ」って言ったことはわかってるんだが、それがここでの仲間内では「恥ずかしいこと」ということが、ちょっとづつ彼女にもわかったようだ。
ちょっと若い頃を思い出せば、友人からの「泊まりに来いよ」という誘いへの断りの言葉が「お母さんがダメだって言うから」というのは、まあ、あり得ないし、そんなことは恥ずかしくて言えない、という気持ちはわかる。

さて、こんなウソをつかせているのは誰だ?。
答えは簡単だ。


そして彼女の手紙はやまない。
というか、加速している。
週に一度は10人以上のウチの連中一人一人に書いた手紙や、一人一人に作った手作りのなにやらが届く感じだ。

オレには、この手紙の加速具合が、なにか彼女のSOSのような気がしてならないのだ。





(BGM:Genghis Khan「Israel, Israel」from「Genghis Khan」)
→ジンギスカンですね。
この人たちはロシアの人たちですか。
と思ってちょっとWIKI見てみたら、西ドイツの人たちなのね。
目指せモスクワ!とか、さらばマダガスカル!とかの曲名があるが、なんか地名シリーズなのか。
この曲はイスラエルですね。
まあ、歌詞の中身はよくわかりませんが、かなりスローな曲で、なんかを訴えるように「イスラエル~イスラエル~」と歌っております。
当時、ちょっと「キワモノ」の印象もあった彼らですが、なんか俺は改めて聞くと、すごくイイのではないかと再認識しているところであります。

開頭なしのロボトミー

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昨日は「雀鬼会+大草原」だったんですけど、まあ、ただの飲み会という感じですか。

市丸はなぜか一人で体験室に泊まりたいと言いだし、帰り際に「体験室に帰りま~す」というと、カイがすっくとやってきて、どうも「オレも行きたい」という意思表示のようだったが、今日は市丸は一人でいきたいらしく、「今日はダメだよ。オレ一人で泊まるんだから」といっていました。
まあ、なぜか市丸+カイ、という取り合わせだったからな、ずっと。
それによくよく考えてみたら、友だちと泊まるとか、一人で泊まるとかって、若い頃で考えてみたら、単純に楽しいことだよな。
というか、市丸なんかで言えば、見た目も歳もおじさんではあるけれど、実際中身的には中学生だったり小学生だったりする部分があるわけで、なおさらそれは楽しいことなんだよな。

こういうワクワクするような体験をたくさんしていくことはとてもステキなことだとオレは思います。
市丸一人、というのも実は初めてで、なんかこれがいい形にまた彼の経験に重なっていけばいいな、と思います。


てなことで、これからちょっと様子を見に行ってこようと思っていますが、というのも、いくつか約束事をしたので、それができているか確認に朝行くから、といってありまして。
一つは風呂の前をビシャビシャにしちゃうので、それはちゃんと拭くように、と。
まあ、それを言ったら、「大丈夫!バスタオル二つ持ってきたから!」と昨日の晩言っていましたので、平気でしょう。
もう一つはですね、ティッシュですね。
まあ、本人宣言していましたのでいいかと思うんですが、成人男子の常として、誰もいなければ、当然自家発電デスわな。
「いくらやってもいいが、ティッシュをそのままにしていたりしたらダメ」ということをきつ~く言ってありまして、まあ当然ですけどね。

ちなみに、帰り際に「あ、そうだ、ピンチなんで、ほんびいのティッシュ1箱、体験室にもらっていきます」と鞄に入れていきまして、「そんなにするのか」と、みんなを驚愕させていました。


そんなこんなもある一方、アサカはまたずっと喋らず。
かといって、楽しくないわけじゃない。
それは顔を見ればわかる。
この前のカラオケも、実は彼は一曲も歌わなかった。
昔ならどんどん入れて、どんどん歌っていたのに、ニコニコとみんなが歌うのを見ているだけ。

カラオケといえば、アサカは、自分から服を脱ぎ、周りも脱がせ、ビールを浴び、最終的にはコップなどは割れ…、と、まあそれはそれでやりすぎだけれど、それで「やりすぎだよ」と止める方がずっとずっとイイ。
「もっと盛り上がろうよ」なんてアサカに言わなきゃならないなんて、なんかちょっと悲しい。
いつだってみんなの中心にいて、みんなを笑わせて、みんなに突っかかって、みんなに自分のやりたいことを主張して、それを押し通してきたのがアサカだったのに、今は牙を抜かれてしまったライオンのようだ。
というか、もう違う人になってしまった感じすらする。

薬を変えたことしか原因は思いつかない。
確かに、今の薬は「わがままがなくなる」とも医者は言っていたという。

確かに、トラブルも起こすが、それでも自分の生き方を彼はしていたと思う。
おとなしくニコニコみんなのことを見ているだけの方が、「イイ子」だなんて、やっぱり俺には納得がいかない。


つまり、これロボトミーだ。
開頭してないだけで、小さな錠剤で、ここまで人は変わってしまうのだ。
確かに、認知症の薬も開発されようとしているというから、あの小さな粒ってのは、逆に実はバカにできないということだ。
恐ろしいことだよ。


もちろん、どれが本当のアサカかなんて、それはわからない。
周りの評価でしかないのかもしれない。
でも、俺はやっぱり今のアサカは「本当に人生を楽しんでいる」ようには見えない。





(BGM:あやまんJAPAN「ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー」from「ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー」)
→なんでしょう、下らないこの歌にひかれる感じ。
歌に表情がないのがまたいい。
感情たっぷりに歌うことが歌の基本だとすれば、これはその対極にあります。
「腰持ってケツもってズッコンバッコンズッコンバッコン」
…。
アホや。
でも歌ってしまう。

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