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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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虹の会本体の機関紙で時々、年に数回か「鎖の色を自慢し合う奴隷にはなりたくない」という、ウチの機関紙の中ではかなり異色の政治色の強いモノを書いてるんだけど、4月号にも書いたので転載。

***************

 以下は、共謀罪に関する法務省と議員とのやりとりを書いたとあるツイートの一部である。

 「ある集団が銀行強盗することを計画・相談し、下見をしたが、「悪いことはやめよう」と、みんなで思い直して実行しないことになった。罪になるか?と法務省に尋ねたところ、「下見をした段階で犯罪が発生しておりますので摘発されます」との回答…」

 …バカか…。
 バカなのか…。


 ま、でも、安倍政権は、前にもトイレの「安倍政治を許さない」的な落書きを発見から一日くらいで犯人逮捕してるからね。
 そんなの見つかるのかね、捕まるものだろうか、と思っていたら、マジ捕まってるから恐ろしい。
 器物破損、という名目だけど、まあ明らかに「安倍さんの悪口だから」ってのは明白だわな。
 だって、落書きなんて探せば一駅に一カ所以上、いや、もう山ほどある。

 方や現政権とお友だち、NHKの委員もやったことのあるヘイト作家が「北朝鮮が攻めてきたらテロ組織を作って国内の敵を攻める」みたいなことを公言してネットに書き込んでもなんの問題にもならない。

 恐ろしい世の中である。

 主義主張がどうこう、どっちがどっち、いやそんなのはとりあえず置いておいたとしても、この「恣意的な感じ」、「政権に反対するモノは許さない」、という雰囲気が怖い。

 森友や加計学園の問題では、首相と懇意にしていた友達に便宜が図られている。
 方や、生活保護が止められて、失意の底で、その決定翌日に自殺している人もいる。

 つまりだね、今の日本は、「首相と懇意にしていたら捕まらない」し、「首相と友達、もしくは首相の夫人と友達だったら国有地は8億円惹いてくれる」。
 逆に、現政権に文句を言う人は逮捕、自殺に追い込む。

 8億円もらった人も、首相に反旗を翻した瞬間に「しつこい人」呼ばわり。
 なんか捕まるんじゃないか、って話もある。

 沖縄では選挙で基地反対が明確に住民の意思として出ているのに、政権中央のやり方に「反する」が故に、反対派、というか、まあそれが沖縄住民の主流派なのに、そのリーダーは微罪で一ヶ月拘束されたりしている。
 それだけじゃない、基地で反対運動をしている人を「土人!」と言い蔑む機動隊を、現政権のお仲間の大阪の首長は「ご苦労さん」なんて言ったりしてる。

 メチャクチャだ。

 これさ、よく考えてみ?
 中世だ。
 封建主義だ。
 領主様に取り入って、ようやっと生きていく、みたいな。
 近代国家でもなければ、民主主義の国家でもない。
 「お仲間に優しい政治」なんてのは、中世なんですよ。

 で、冒頭に書いた共謀罪。
 ま、治安維持法の再来です。

 けど、「一般の国民には関係ありません」なんて言ってる。
 テロリストに対するモノです、なんて。
 でもさ、そもそも最初の自民草案では、テロって言葉一言も入ってなかったんですよね。
 つまり、そもそもテロリストに対するモノじゃないんだよ。

 先の大戦前の治安維持法も、最初は「一般の国民には関係ありません」って言って始まったんだよね。
 それは当時の新聞を見れば書いてあります。
 なのに、「今回は違う」と言い切れる脳天気さで賛成する人がいるっていうんだから驚きだ。
 知らないとは恐ろしい。

 いや、その前に、先に書いたように、現政権になってから、もう近代国家、先進国でもなんでもない、中世国家に落ちぶれてるんですよ、日本は。
 で、その中で、この共謀罪だけが、民主的な、国民を尊重する法案の運用がされると誰が信じましょうか?
 お仲間は救う、でも反対してきたヤツは、たとえ便所の落書きでも取り締まる、って、今の路線が「正当化」され、助長され、「落書きしようぜ」って「話し合っただけで」逮捕されるようになるのはもう既定路線だわなあ…。


 なんか、数日前のニュースで、どこだかの公民館でのヨガ教室で、講師が反核のTシャツを着ていたことを理由に解雇された、という話があったそうで。
 別にヨガの最中は着替えてたらしいですけど、通勤に着ていた、と。

 校則か?と。

 こんな状況ですから、当然、この共謀罪が、ついに言いたいことも言えない「密告社会への幕開け」になるんでしょう。
 そのための共謀罪、ということ以外に、彼ら政権側に何か目的があるとでも思いますか?

 そして、これでもまだ、あなたは「今は戦前じゃない」と言い切れますか?  




(BGM:Bird「これが私の優しさです」from「Mindtravel」)
→なんかフューチャリングなんだな、これ。
それにしてもすげえタイトル。
こういうのは目を引くのでイイと思うのよね。
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「まるまって」


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ちょっと昔の原稿が出てきたので。
機関紙の連載で、書いた創作モノ。


 また、彼女のいる人と寝てしまった。
 寝息を立てて、私の隣で向こうを向いて寝ている男は、後輩の彼氏だ。
 酒の勢いも、あった。
 正直、男に抱かれたかったのかもしれない。
 でも、私はきっと、この男のことを好きではない。

 毎晩見慣れた真っ暗な部屋の天井をながめながら、私は、どうしてこうなったのかをもう一度考えた。
 私には、この部屋に時々やってくるこの男ではない、男がいる。
 その男には遠距離恋愛でつきあい続けている女がいる。
 なのに、いつも私は、その男を部屋に上げてしまう。
 コトが終わった夜中に、その男の携帯が鳴ることがある。
 男は布団から出て、台所の隅にいって、小さな声で電話に話をしている。
 きっとその彼女だ。
 だから私は、寝たふりをしてしまう。
 ちいさく、まるまって。

 そういうとき、私は、いつもちいさくまるまっちゃうみたい。
 なんでか、って思っていたら、この前テレビで飛行機事故のことを特集していたのを見て、納得した。
 飛行機事故なんかで、ちいさな幼児は助かることが多いという。
 それは、下手に受け身をとろうとしたり、もがいたりするのではなく、自然と胎児のような形にまるまるからだって。
 そう、その形は、きっとショックを和らげてくれるんだな。

 その遠距離男が今日、この部屋にやってこないことは、わかっていた。
 だって、彼女が東京に戻ってくる日だから。
 そうだった、だから、飲みに行ったんだった。

 最初に私が身体を許してつきあった男は、すぐにカッとなる男だった。
 ちょっと私が仕事場の飲み会に行って携帯に出なかっただけで烈火のごとく怒った。
 いつだったか、そんな飲み会から帰ると、その男の車がうちの前に駐まっていた。
 ああ、やばいな、と思った。
 私が近づくと、その男は運転席から降りてきた。
 金属バットを持って。

 その後の記憶ははっきりしないけれど、結局その男は私の悲鳴に驚いた近所の人が取り押さえてくれて、捕まった。
 私は引越をし、職場を変え、新しい生活をこの部屋で始めた。

 新しい職場といっても、ただの派遣の事務だ。
 だからどこに行ってもそうそう変わらない。
 毎日、残業をするでもなく、私は正社員のあいだをぬって五時過ぎには会社を出る。
 時折、飲み会があったりはするけれど、華やかな女性社員や派遣社員には、たくさんの若い男の社員が集まってはお酌をしているけれど、私はどっちかというと、そこからは外れている。
 私よりも十くらいも年の離れた課長なんかが、彼氏はいるの?なんて聞いてくるくらいだ。
 ポマードのにおいと、酒に酔った中年の素行に、いつも辟易して部屋に帰る。

 華やかな女性社員は、私を「顔の作りはすてきですよ」というけれど、それって、イけてない、ってことだよね。
 いまさら化粧品売り場に足を踏み入れるのも、一人じゃなんだか気が引ける。
 そうやってるうちに、なんかしわも増えた気がする。

 私、いつも来るあの遠距離男と別れたいな。
 あ、そうかこの今隣にいる男が、後輩と別れて私のところだけに来てくれれば、私、別れられるんだ。
 もしかして、この地味な私を誘ってくれたということは、もしかしたら、この男は元々私にちょっと気があって…、うまくいくなら後輩と別れたいと思っていたのかもしれないな…。
 たくさん舐めてあげたし…、私から離れたくないって、思ってくれてないかな…。

 …。

 …と、そんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
 男が先に起きていた。
 そして、私にこう言った。
 「あのさ、いろいろいっぱい考えたんだけれど、あなたのこと、僕、友だち以上にやっぱり思えないから…、ごめんね。」
 ああ…。
 いっぱい考えたんだ…。
 …昨日考えた「このままここにいて」、なんて台詞言っちゃったら、この男のいっぱい考えた「一晩限りにしよう」って台詞、台無しにしちゃうな。
 私は、なんだかそれが悪い気がして、昨日の晩に考えたことはなかったことにして、背中を丸くして、こう男に言った。
 「うん、私もちょうどそう思ってたんだ。」

 


(BGM:谷村新司「三都物語」from「21世紀」)
→わあああ~CMで聞いたことある!
ここまでサビがハマッてると、なんかAメロの付けたし感がスゲエ…。

恐怖 (創作よ)


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私は今、女房の股間を拭いている。

彼女は、失禁をしても、そのまま家の中を歩き回ってしまう。
だから、気づいた時に、すぐに服を着替えさせ、股間や足を拭かなければならない。


数十年前、私と彼女は、社内恋愛の末にゴールインした。
社内のムードメーカー的存在だった彼女を射止めたオレを、同じ課のなかまたちは大いにからかってもくれたが、大いに祝福もしてくれた。
ちょっと晩婚だったこともあったのだと思う。
オレと彼女はその時もう30をとうに過ぎていた。

小さいながらも郊外に家を建てた。
子どもが生まれ、猫の額ほどの庭だったが、子ども用のブランコを置いてみたりもした。

幸せだった。

夏の日が照りつける庭で、子どもと女房がビニールプールで遊んでいるのを見るのが好きだった。
穏やかな日には、近くの公園で弁当を持って三人で座ったりもした。

今思い出せば、それらの日々はとても暖かく、でも、セピア色にも見える。


どこでどう歯車が狂ってしまったのだろう。

何があったわけじゃない。
事件はなにもなかった。

子どもが中学になって女房も働くことになった。
彼女がやりたかった、輸入雑貨の店を友人たちと開くという。

私は、最大限、応援しようと思った。
家事も分担した。
彼女も、私が遅い時などは帳尻をつけて家事をやってくれた。
もちろん、娘も協力をしてくれた。

本当にできた娘で。

だから、何があったわけじゃないんだ。


娘が大学に入る頃、私も独立した。
仕事は順調だった。

けれど、子どもが大人になっていくにつれ、家事そのものの負担は減っていく。
ごはんをいちいち作らなくても、子どもは自力で何とかする。
バイトだ、飲み会だと、友達とも仲良くやってるらしい。

そうなると、私たち夫婦は特に会話を交わさなくても生活が成立するようになった。

私の仕事は夜間に打ち合わせだったりが多かったから、昼まで寝ていたり、そうすると、もう女房は出て行った後。


なんだか、互いが互いを必要としていないことに気づいてしまったのかもしれない。
仕事の愚痴も、彼女に話すこともなくなった。

よくよく考えてみたら、女房にはイヤな癖があった。
掃除がうまくできない、部屋の中はけっこういつも荒れていた。
新聞は散乱していたし、ホコリがあっても彼女は気にしない。

それでも、そういうもんだ、と思っていたけど、実は自分はそれはイヤだったな…。
そう思ってしまったら、あとは堰を切ったように、いろんなことが浮かんできてしまった。

彼女がすぐに「値段のことをいう」のも、イヤだった。
「これ高いよ」「いくらなの?」というのが、彼女の口癖だった。
子どもにもそれをいうのがイヤだった。

一度考え出すと、彼女と話さない毎日がありがたく、家で遭遇してしまうたびに、なにか二人の間に一枚膜があるような錯覚にとらわれた。


ある日、オレは決心をした。
もう、一緒に暮らす意味がない。
人生80年というではないか。
お互いにその方がいい。

彼女にそのことを話すのに、ずいぶん勇気がいった。
でも、それを話すと、彼女も私と同じようなコトを言った。
「どっちが言い出すかな、と思ってたんだ」とも。


そして、二人で決めた。
今すぐだと、子どもの就活とかに影響があるかもしれない。
だから、子どもが独立して、仕事を始めて、落ち着いたら離婚しよう。
おそらく、あと5年くらいだろう。

それからは、逆になんか彼女とも普通に話せるようになった。
彼女も溜めていたモノをはき出したようにスッキリしていた。


そして3年ほどがたった頃。
あと二年。
彼女はちょっと行動がおかしくなった。
忘れ物をする。
モノの場所が分からない。

どうも仕事でもそうらしく、彼女の仕事仲間から「ちょっと病院に行った方がいいかも」と言われた。

病院に行くと、彼女は若年性認知症だという。
そして、その症状は、一気にそこから加速した。


今日で二人が決めたあの日から5年。
予定通り、娘は大きな企業に就職が決まり、今は就職先の隣の県で一人暮らしを始めた。

けれど、今、女房はもう、私のことがよく分からなくなってしまった。

時々は思い出すけれど、それは長続きしない。
二時間もすると、「誰だっけ」という顔をする。
そしてまた思い出す。


失禁がはじまり、彼女の股間を拭くようになって、そのたびに、私は彼女を殴りつけたくなります。
でも、長年、形だけでも一緒に暮らしてきたという情がそれを止めます。


私は今、出口をなくしてしまったような気持ちで人生を生きています。





(BGM:「恐怖の人間カラオケ♪サウスポー~迷い道~与作~絶対絶命」fromYOUTUBE)
→覚えてますね、これ。
こんなのあったわ。
今聞くと、ちょっと笑えないかな~。
面白くしようとしてる感じの声がちょっとイタイ…。
でも、当時はおもしろかった。
実際、中学の時になんか文化祭とかでやった気がする異邦人。

我が輩はクマのヌイグルミである。名前はまだない (明日のライブ新曲のある意味プロット・創作よ)


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さあ、みんな。
オレはクマのぬいぐるみだ。
布で出来た皮膚で生きてきた。
誰かに動かしてもらわなきゃ動けない。

オレは桃子が大好きなんだ。
桃子はとてもいい匂いがする。
抱かれると、落ち着く。

それに、いじめっ子の籐吉どもがオレを踏みつけたら、助けてくれる。
だから、オレは桃子が大好きだ。

オレは学童保育所というところにいる。
桃子も、そして憎き籐吉たちも、ここに夕方に通ってくる。

でも、最近、桃子はオレと遊んでくれなくなった。

数年前までは、オレを子どもに見立てて友達のノゾミたちとごっこ遊びもしてくれたけれど、今は通りすぎる時にアタマをなでてくれるくらいになってしまった。

オレはもう時代遅れなんだと、誰かが言ってた。

そう、オレはお婆ちゃんが作ってくれた布で出来たぬいぐるみだ。
今流行のキャラクターでもなければ、細かい部分は動かない。

よだれかけも薄汚れてしまった。
いや、ともすれば、脇の下はちょっと綿が出ている。

籐吉たちは、その綿を引き出そうとしたりするから、オレはキライだ。
でも、桃子は籐吉たちからオレを取り上げて、綿を指でギュッギュともう一度深くつめてくれる。
その時、オレは得も言われぬ気持ちになる。

桃子の指が、オレの中に入ってくる、その瞬間、そしてその指が出入りする時、オレは天国に行くような気持ちになる。
オレも、桃子に入りたい。
そして、互いに出入りして、二人で天国に行きたい、と思う。

でも、オレは自分で手を動かすことはできないんだ。

そして、そんなとき、桃子はすぐにオレをいつもの棚に戻すと、籐吉たちを追い回しに行く。
きっと、籐吉を叱ってくれてるのだと思う。


ある日、桃子は誰よりも早く、この教室にやってきた。
そして、久しぶりにオレを抱き上げて、俺の目を見て言った。


ねえ、クマくん。
私ね、籐吉君のこと、好きなんだ。

なんか、いつもクマくんが藤吉君たちにいじめられてくれるから。
わたし、なんか、その藤吉君たちを追っかけたりして、なんか楽しいんだ。

ありがとう、クマくん。


…え?。
やめてよ…。
やめてよ桃子。


今日ね、藤吉君にバレンタインのチョコあげるんだよ。
ああ見えてね、藤吉君、もてるから。
こっそり渡したくて。
早く来て、って言ったの。
もうすぐ来ると思う。
応援…


だめだ、桃子。
もう、だめだってば。
それ以上、言わないで…。
オレ、オレ…。

オレには桃子しかいなかったのに!

神様!オレを動けるようにして!
オレを喋れるようにして!
お願い!
一生のお願いだから!




…さて、どうなったと思う?
あははは。
その通り。
神様はオレの願いなど聞いてはくれなかった。
そりゃそうだ。
オレ、ぬいぐるみだもん。
あははははは。
桃子はその日、真っ赤な顔をした藤吉と手をつないで帰って行ったよ。

で、オレはまだここにいるってわけ。
いくつかの季節が巡って、桃子も、藤吉もいなくなって、また新しい子たちが来た。


そして最近は、もう何も感じなくなっちゃった。
隣のキャラクターのぬいぐるみと同じように、何も考えなきゃ、悲しいことも起きないんだってわかったから。


オレの気持ちなど、誰も知らないし、誰にも伝わらない。
せめて、一人でも、俺の気持ちが分かってくれる人がいたらなあ。
オレにも気持ちがあるって、分かってくれる人がいたらなあ。

でも、そんな人はいないから、死ぬこともできないオレは、今日も死んだように生きてる。
いや、今日がもう今日だったのか、昨日だったのか。
作ってくれたお婆ちゃんのことも、桃子のことも、最近はよく分からなくなってしまった。




(BGM:爺-POP from 高知家 ALL STARS 「高齢バンザイ!」fromYOUTUBE)
→まあ、高齢化社会ですよ。
高齢者ががんばればいいんじゃん、という感じなんですが、ちょっとこの曲は歌詞の哀愁があれだな…。
もっと突き抜ければよかったと思うけど、大阪のオバチャーンのテーマに比べると大人しすぎる!

オレたちにとって、大阪ツアーは関ヶ原くらいの出来事だったのだ


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虹の会の機関紙に大阪の原稿がいくつもあって、なかなかステキなので、いくつか紹介したいと思います。
ちょっと長くなるので、少し省略の部分もあります。
ま、ココに紹介する他に、全編は機関紙のページにして30ページ越え、テキストにしたら膨大な感じになるのですが、それはにじ屋にも置いてありますので、買い物がてらぜひ手にして下さい。
他にも、連絡いただければ、残部あれば送付可能です。

その多くの原稿の中から、カズミ、ちゃびえ、アキ、福原さんの順で紹介しますが、最も読んでほしいのは福原さんの原稿。
彼女は、加納の介助者、ってことなんだけど、今回同行してもらって、なんか距離が近づいた気がしてなんかよかったな。

ってか、この人ヘンだわ。
ってホメ言葉だぜ。
普段はストリップ小屋巡りを趣味としているとも聞いた。
なかなかの人生の強者である。


てなことで、今月アタマの大阪ツアー。
もう一回思い出してみよー!



カズミ「ドキドキの正体」

 大阪に着いて最初にバスから降りたのは、三角公園。楽器とかを下ろすために。日も落ちて雨が降る三角公園。雨の中座っているおっちゃんや、ふら~っと歩いているおっちゃん。私にとって非日常なその状況に、かなりドキドキし始めた。
 1日目、2日目に泊まったココルームは、三角公園から歩いて行ける距離の商店街の中。その商店街にも、野宿のおっちゃんたちがいた。バスを降りてココルームまでは女10人くらいで歩いていったのだけど、10人固まっていてもドキドキする。
 朝から10時間くらいバスの中で飲んで笑ってきた、そのノホホンとした気分は一気に全部ふっとんでしまった。ここでライブするのか…大丈夫なんだろうか…。

 三角公園でのライブは、晴天でとても気持ちよかった。公園にたくさん集まっていたおっちゃんたちは、もちろんライブハウスのワンマンに来てくれるお客さんみたいに踊ったり一緒に歌ったりするわけではなかったけど、でも公園から出て行くおっちゃんもいなかった。立ったまま、座ったまま、お酒を飲みながら、腕を組んで、じーっと演奏を聴いてくれていた。何人かは、ステージ前まで来て踊ってくれていた。
 背中を向けるおっちゃんがいなかったから、ああ、受け入れてもらえたのかな、と思った。
 で。ステージが終わって、おっちゃんたちの間を縫いながら、数十メートル離れた楽屋へ戻るとき。すれ違うおっちゃんたちが、みんな、「良かったで」「大阪まで来てくれてありがとな」「お疲れさん」「よう頑張ったなあ」って。本当にみんなが声をかけてくれた。公園の外の道路に座って呑んでいるおっちゃんも、「よう来てくれたな」って。ああ、ここで聴いていてくれたんだ。
 いつでもライブ後に客席に行けば、だいたい「良かったよー」とか声をかけてもらうけど、でもこの日ほどたくさんの方に声をかけてもらったのは初めてだった。しかもそれが社交辞令じゃなく聞こえたのは、私の思い込みではないと思う。遠く埼玉からやってきた誰とも分からないヨソ者白塗り連中を、こんなにも受け入れてくれた釜ヶ崎。

 イチマルたちと一緒にいると、障害者に対する「自分とは違う人」という視線や空気を周りから感じることがよくあります。『それは差別につながる。差別は良くない』と思っているからか、言葉や態度で露骨に表す人は少ないけれど、私に対する話し方とは明らかに違う話し方だったり、避けて通って話さなかったり。
 釜ヶ崎のおっちゃん達にとって、私がそういう人になったらイヤだな、と思ってた。でもそういう人にならないという自信もなかった。言葉や態度に出さないようにしても、無意識のうちに醸し出してしまうモノはある。私から出てしまうのだろうか。そのモヤモヤが、きっと初日のドキドキの正体。

 『日本一のドヤ街』『怖い』。釜ヶ先について私の頭にインプットされていたのは、その場所に行くまでそれだけだった。そこにいるおっちゃんひとりひとりの後ろにひとつひとつの人生があるのだということよりも、その先入観の方が圧倒的に大きかった。

 でも、ライブ後におっちゃんたちひとりひとりから声をかけてもらって、お礼の言葉を返して、少しだけど会話をして、私の中のドキドキは影を潜めた。その日、ココルームまでの道中は、「べつにひとりでも歩ける」って思った。



ちゃびえ「大阪ツアーで出会った人たち」

【大阪も雨が降っていた。そして私は傘をもらった】

 降れ降れ、そして明日晴れればいい。大型バスは狭い道も見事に走り、今回メインの「釜ヶ崎三角公園」に横付けされた。予定通りというか、予想よりだいぶ早く着いたため、ギリギリまで仕事後調整してくださっている仙石さんはまだいない。ほんとうに仙石さんには頭がさがる。
 さて、どうしよう。なんとかこうしている間に楽器や衣装を用意されている「ふるさとの家」に運べればいいんだけど。みんなには車中で待ってもらって、私は釜が崎に降りた。誰かに聞いてみよう。ちょうど三角公園の一角に建物があって、そこに人がいた。「あのう、すいません。仙石さんの知り合いで明日ここでライブをやらせていただくものなんですが、ふるさとの家ってご存知ですか?」「ああ、知ってるで。すぐそこや。一緒に行ったるわ。雨降ってるやんか。女の人が濡れたあかんわ。傘使うか。」と言ってその人は私に傘を差し出してくれた。黒いレースの日傘だ。「ほらこれやったら女モンや。ちょうどあんたにええわ。」わざわざ女モノを選んでくれたのだ。もう次の瞬間、私はおいちゃんと呼び、ありがとうと言いながら「相合傘だね。」と言って腕を組んでいた。おいちゃんは三角公園のすぐそばにあった(こんなに近いとは!)おいちゃんは「ふるさとの家」をここやと言って指さすと、するっと私の腕から抜けて、まるで俳優のようにかっこよくその場を去ったのだった。
 よし、屋根がある。ここなら機材を置いても濡れない。バスで待つみんなの所に向かう。すると向こうからまた一人男の人が近づいてくる。「傘もうてんか。傘あるやろ。くれへんか。」と。今あたしの手にはさっきのおいちゃんがくれた傘がある。バスの中には私の傘がある。「いいよ。これいまもらった傘なんだけど、これでよかったらつこて。」(ちょいと奈良で育ったもんで、このへんで下手な関西弁が出てきた。)おいちゃんはあたしの差し出した傘を持って、歩いて行った。「あ、明日ここでうちらライブするから、来てね~。」おいちゃんは後ろ姿のまま手を振った。


【仙石さんだー!】

 機材をみんなで降ろしていると一台の車が止まった。仙石さんだ!おつれあいの浩子さん、娘さんのすずちゃんも一緒に。去年からメールやSNSでやりとりをしていた、仙石さん。ああ、やっとお会いできた。今回のために、どれほど時間を使い、身体を削って奮闘してくださっていた事か、知っているだけに感無量だった。その後仙石さんたちは、紹介してくださった宿に同行してくださった。


【いよいよ「釜ヶ崎プロレス」だ!!】

 翌朝、三角公園に集合して機材搬入やら化粧やら準備を始める。曇り空がだんだん晴れて、本番では五月晴れの青い空に「スーパー猛毒ちんどん」が映える。振り返って、三角公園につくやいなや、「きょうはなんかすんの。」「ねえちゃん唄うんか。」「がんばってな。みるで。」と会う人ごとに声をかけてくださる。公園の一角でたき火をして暖をとっているおいちゃんたちに交じり、私もタバコを吸ってきょうの宣伝をする。あったかい。火もだけど、あったかい。
 呼び止められたおいちゃんが私に「コーヒー飲むか?」と聞いてくれた。「わ、どうしてわかったの!コーヒー大好きなんだけど、昨日から飲んでないんだよ。コーヒーずっと飲みたいと思ってたんだよ!」「何のコーヒーや?」「ブラック」「んーわからんからこれでこうてき。」と言ってお金をもらって自販機でブラックコーヒーを買っておいちゃんにお礼を言った。
 飲み終わる頃、今度は別のおいちゃんに呼び止められ、今度はビールを買ってもらった。「あんたには安いのは買わへんで、これや。」と言ってアサヒドライを、「おいちゃんはこれでいいねん。」と自分には安いワンカップを買っていた。嬉しかった。旨いビールだった。一気に飲んだ。「くーっうまい!、うまいよおいちゃん!ありがとうございます!」「がんばりやー。」「はーい!お昼からやるから見てね~。」


【誰も帰らない。話もしていない。ノってくれてるんだ。やったぞ!成功だ!】

 本番前に、古くからここ釜ヶ崎で労働者運動のリーダーとして活動されている井上さんを紹介される。この夜打ち上げ飲み会で、もはや私は彼の事を「ノボルちゃん」と言って、一緒に踊っていた。昔はノボルちゃんたちが警察に行って、そこちょっとちがうんちゃうかと言っただけで、翌朝新聞には「釜ヶ崎で暴動!!!」と報じられたそうな。また会いに行きたい人と出会った。
 音響のカノウさんには、ステージのドラムは憂歌団が使ったとか、加藤登紀子さんがここで唄ったとか、レアなお話を伺った。中川五郎さんも来られたそうだ。盛り上がる。映像の山田さんとも、短い時間だったがお話できた。「スーパー猛毒ちんどんは復讐なんだと感じた。」と話してくださった。
 勝手に名前つけていいよと言うので、腕をつかんだときすげぇ固かったので「マッスル」と名付けたマッスルさん。準備から最後の打ち上げまで手伝ってくださって、なんか初めて会った人とは思えないほど、いろいろ気遣ってくださった優しいマッスルだった。
 ライブが終わってから急いで家に戻り、色紙を書いてくださった西成ダルマさん。おいしいカレー屋さんを案内してくださった。西成にもこんなおいしいカレー屋があるんだよと、自慢げに教えてくださった。きょうもいるからとBARの場所を教えてくださったのだけど、行けなくて残念でした。達磨の絵は凄みと包容力を感じるものでした。ありがとうございました。
 そして私たちスーパー猛毒ちんどんのライブをずっと観てくださった釜が崎のみなさん、ありがとうございました!
 「釜ヶ崎人情唄ってや。」と何回も言われました。翌朝公園に忘れ物を取りに行った時も私を見つけて寄ってきてくださり、また言われました。「今度くる時は、釜ヶ崎人情唄ってや。きっとやで。待ってるからな。」
ありがとう!はい、きっと覚えて今度は唄います。唄わせてもらいます!


【アメリカ村「キングコブラ」】

 足を一歩踏み入れるや、その空気に押される。遠藤ミチロウさんのポスターが目に飛び込んでくる。数々の表現者たちの何かがこもっている。臭いがする。
 ここまでの企画もやってくださった仙石さん率いる「仙石バンド」さん、私たちの化粧というか表現に感動してくれた「麦酒楽団」のみなさん、「Beauty & Beast」さん、そしてスタッフのみなさん、連日に渡り応援に来てくださった「はなまま」さん、ありがとうございました。ご自分のライブを変更してまでも来てくださった長澤さん、名古屋から駆けつけてくださったゆすらさん。みんなどこかで誰かの知り合い。繋がっている人たちでした。ありがとうございました。


【そして最後に、大阪で出会った人たちじゃないけど忘れちゃいけない人たちのこと】

 大阪に同行してくださった「げんきいいぞうさん」狂気迫る圧倒的な表現者としての凄みを見せていただきました。おかげで、すばらしいライブを完遂する事ができました。ありがとうございました。行きのバスに同行してくださった星ハム子さん。楽しい道中でした。ありがとうございました。
 そして最後に、4/3大阪公演直前単独ライブ「地獄で一緒に踊ろうぜ!」に来てくださった80人のお客さん。あの熱気をそのままに、私たちは大阪公演を成功させる事ができました。やったよ!また来てって言われたよ!応援ありがとうございました。



アキ「居心地のいい場所」

 釜が崎でライブ。
 かずかずの修羅場を通ってきた、崖のふちプロレス代表松本都さんをして「あそこはヤバい」と言わしめた釜が崎。
 西成には、去年の夏大阪に行ったときに擦ったので、雰囲気は知ってるつもりだった。
 大きな荷物を持って歩いていると、自転車のおじさんが「チリチリチリン!」とけたたましくベルを鳴らし、すり抜けていく街。あんたらじゃまだ、と言わんばかりに。
 人のことどうこうより自分のことでいっぱいっていう印象だった。
 おじさんたちには、わたしたちのことはあまり見えていないんだろうな、と思って、怖い、というよりちょっと寂しい、見えているのに目に映ってない、自分の存在をないことにされちゃう怖さか。でも仕方ないんだよな、みたいな気持ちだった前回の大阪。
 そこに自分たちの「ちんどん」をひっさげて、「見てくれよ」と公園に乗り込もうというのだ。
 おじさんたちは「見て」くれるのか。
 
 朝、埼玉を出発したバスは旅行気分満載のママ大阪へ乗り込んだ。
ビールを飲んで、たくさん買い込んだお菓子を食べ、私と新田さんはハム子さんとほぼプロレスの話ばかりをして、ちょっと興奮気味にその旅を楽しんでいた。
 大きな道から角を曲がったところから、ホテルや旅館が建ち並んでいた。生活感があるようなないような不思議な感じだった。
 その日は予報どおりの雨。
 会場の三角公園に着いたときには、かなりの勢いで雨が降っていた。
 ハム子さんが「もう前乗りでテント張ってるの?」と、きっと本気で言ったのだと思うけど、公園には外周の柵に沿って、ブルーシートの屋根が並んでいた。
 ふと去年の自転車のおじさんの顔が浮かんだ。
 そこに乗り込んだピカピカの大型観光バス。
 何という絵だろう…。
 待ち合わせのため、公園の脇に横付けしてエンジンをかけて停まっているバスで、なんとも長い時間を過ごしていた。
 
 様子を見るためちょっと降りかけたら、傘を差した女の人がスーっとバスにちかづいて来て、「このバス名古屋行くんか?」と聞いてきた。ちゃびさんの「行かないんだー」を聞いて、すっと去って行ったその女の人をちゃびさんが追いかけている…「ちょっとやめときなよ」と言う私に、「宣伝だよ宣伝!」とものともせず、その女の人に「明日ここでちんどんやるからさ、見に来て」と声をかけていた。
 するとすぐに今度はおじさんがきて「かさちょうだいよ」と言ってきた。
 ほら…。私はもうがまんできずちゃびさんに「やめてよ」口走っていた。
 だって、おじさんたちが声かけてきたのは、別に私たちを歓迎してるからじゃないんだよ。それなのになんでそんなに、図々しいのよ、と。
 ふだんだったら、そんなこと言うアレじゃないのだけれど。
 相当びびっていた私。

 しばらくして仙石さんが現れ、ごあいさつをしお顔を見てほっとした。
 以前、プロレスでお世話になっていたのだが、今回も仙石さんが呼んでくれた、ということが釜ヶ崎に乗り込むことにおいて唯一の頼みの綱だった。
 仙石さんについていけば安心だな、と思っていたら、仙石さんは男性陣の宿へ行かれるとのこと。女性だけでアーケード街を通り、やっぱりおじさんに「チリチリチリン!!」とされながら宿に向かった。
 宿はやはり安く泊まれるアートな宿だったが、ウェルカムな感じで迎えていただいた。1階は3人のみ…というか、本来客室は2階3階のところ、一階にも泊まれる部屋を用意してくれたということなのだとおもう。それでも、雨が降って肌寒くなってる中で、私はかなりイライラとしていた。

 食事をしにいこうということになり、また外を歩き始めた。
 宿の方(男性)が、案内して下さったのだが、ちょっとこぎれいな感じの人で、また例によってちゃびさんが道行く人への宣伝のやる気がすごかったので、気が気じゃなかった。
 串カツやさんに入ったのだが、気を遣ってもはしゃぐことはできず、正直あまり味がよくわからなかった。くらいにびびっていたのだと思う。

 宿に戻る道で、温かい缶コーヒーを一本飲んで、もう一本買った。 その晩は、その缶コーヒーを抱えながら眠った。こんなんで明日大丈夫なんだろうか。びびってやるのはそれも失礼な話だ。

 次の日の朝はいい天気だった。
 天気というのはこうまで気分を変えるものか、というくらい。
 カブキの介助も、加納さんに無理してもらって、介助者の二人にも頑張ってもらってなんとかなったようだったのでそれで自分的にちょっと落ち着いたところもあったのかもしれない。
 あぁ私、なんと小さな人間だろう…。

 歩いて向かった三角公園は、なんだか青空ととてもマッチしていた。
 控室として使わせていただいた「ふるさとの家」という教会には、職安の講習会の貼り紙に並んで「約束 お酒を①飲んでこない②飲まない③持ち込まない」という貼り紙がしてあった。二階には納骨堂という部屋もあった。また無料の散髪コーナーには「生活保護を受けられた方や、高い『どや』にいる人はご遠慮ください」と書いてあった。
 はっとはしたが、そのとき自分がどんな気持ちで見ていたのか。
 ちんどんの準備があわただしく進み、開き直っていたような気もするし、今となってはもう思い出せない。

 というくらい、三角公園のライブが終わってからの印象はまったく違うものになっていたのだ。

 ちんどんもだし、本編である皆さんお楽しみの「釜ヶ崎プロレス」で、おじさんらをどよめかせるレスラーのみなさん、控室からリングまで、おじさんたちの間をぬって入場してくる姿はとてもかっこよかった。なかでもわれらがハム子さん(アイスリボン星ハム子選手)は、参戦選手のなかで紅一点。わたしたちもメイクを落として駆け付けるとすごい人だかりだったが、だれかがツイートで「星ハム子入場で寝ていたおっちゃんらが起床」と書いていたように、ハム子節炸裂だった。どこへ行っても変わらずみんなを笑顔にする、巡業クイーン星ハム子は、自慢の先輩だ。試合は、若手(10代?)とハム子さんのタッグが悪者にやられていたところ、最後にハム子さんが勝つ最高の結末に。会場のまわりの自販機やお店で激安のお酒とおつまみで堪能した。
 三角公園はプロレスもよく似合う。
 というかプロレスは三角公園にもよく似合う、か。

 しかし前の晩の時点で、すでにカイは見知らぬ広間ですっかり羽を伸ばしていたらしいし、もとみもあの串カツ屋さんでガツガツと焼きそばを食べてみんなを笑わせていたのだから、所詮あの嗅覚には敵わないのであった。
 
 そう、ライブの最中、私はみんなの後ろから会場を見る位置にいたので、みんなの背中と会場といろんな貼り紙のしてあるビルと青空、の絵がとても清々しくてかっこよくて、そばにいたアートネイチャー栗山に、「青空入れて撮って」と言ったらすぐ察してくれた。
 
 スーパー猛毒ちんどんが、まだ猛毒でもなかったころに、障害者関係のお祭りによばれ野外でやったことがあったのを思い出した。親たちばかりが忙しそうに働き、死んだ目の障害者たちの前で演奏した結果、その最中に「音が苦手な人もいるからボリュームを下げてくれ」と言われて、もう二度とやることはないと思った。

 居心地のいい場所、悪い場所、で言ったら明確だ。カイやもとみに遅ればせながら実感したのだった。



福原さん「ちんどんとおっちゃんと」

4月某日
「萩之茶屋南公園」通称三角公園は前日の雨が嘘のような快晴に恵まれその暖かい陽の下には私たちがいました。
演者と観客。
スーパー猛毒ちんどんと釜のおっちゃんです。

その日私に割り当てられたお役はビデオ撮影でした。
しっかり収めなくは。
静かにやる気満々です。

私はまず下見をしました。
三角公園を小さく一周。

園内には柵に腰掛けてこちらの様子を伺う人、円になって酒盛りをする人、堂々と通路でお昼寝する人、何かを叫んでいる人、焚き火をする人、様々な人たちがいました。
舞台を見るとそこにはスーパー猛毒ちんどんのメンバーが、反対側の空には富の象徴のようなあべのハルカスが見えました。

このなんでもない風景が
すごく不公平に思えて何故かやけに切なく感じました。

だからとりあえず深呼吸をしました。
そしてパーカーのフードを深々とかぶり口元を襟で隠しました。

ほどなくして主催者の仙石さんによる開会の挨拶とスーパー猛毒ちんどんの紹介がありました。
埼玉からきた仲間たち。
仙石さんはそう紹介してくださいました。

紹介が終わり演奏が始まりました。

しゃんしゃんしゃんしゃんしゃんしゃん。
「たけす」です。
ああかっこいい。気持ちいい。

わたしはビデオを回しながらおっちゃんの反応を見ました。
そこには周りの様子を伺うおっちゃんがいました。
こいつらは何者だ?

大丈夫だよおっちゃん、怪しいものじゃないから。

わたしは空いている腕でおっちゃんを仰ぎ、一緒に楽しもう!とジェスチャーしました。
そして困惑顔のおっちゃん達を撮り始めました。

中には「顔は撮さんといて」という人もしましたしそれとは逆に撮してくれと言わんばかりの熱い視線を送ってくる人もいました。

そんなおっちゃん達のところへ舞台から降りてきたメンバーが歌って踊って盛り上げます。
立って見ているおっちゃんに握手を求めたり一緒に踊ったり。

おっちゃん達は逃げるでもなく、ちょっと照れながら握手をし頑張れよ。また来いよとメンバーに声をかけてくれたり指笛を吹いてくれる人もいました。

おっちゃんの優しさはメンバーにだけではありませんでした。
ビデオを撮るわたしにも話しかけてくれるのです。

そんなおっちゃんのコミュニケーションの取り方はとてもシンプルでした。
「なんとなく関東」みたいなネタをぶっこんでくるだけ。
「さいたまゆうたらやっぱあれやね。つくば。」
「埼玉県は千葉とはちがうん?ああそうなん?」
「神奈川神奈川、うーん知っとるよ、神奈川じゃろ?」
一事が万事こんな感じでした。


場面は変わって。
ふと公園の反対側を見るとそこに元気いいぞうさんが後方にいるおっちゃんの所へメンバーを誘導する姿が見えました。
わたしは小走りで近づきその光景を撮りました。

そしてその時いいぞうさんの様子がおかしいことに気づきました。

汗をしきりに拭っているのだと思っていたその仕草。
実はそれは汗ではなく涙を拭っていたのです。

いいぞうさんは神様みたいな顔でメンバーを見守りながら泣いていたのです。
あんなに優しい顔で泣く人を見たのは初めてです。
いいぞうさん、暴露してごめんなさい。

ありとあらゆる感情をふんだんに使ったライブも無事終わり交流会の時間になりました。
交流会では少しのつもりが若干多めに飲酒してしまいました。

そして酔った勢いでちゃびさんとダンスをしていた登ちゃんという釜ヶ崎歴40年のベテランおっちゃんと仲良くなりました。

登ちゃんは穏やかで優しい人なので「登ちゃんもてるでしょう」と聞いてみました。
すると「女房に惚れられて結婚してね、息子が一人いるんだ」と教えてくれました。

お互いの家族のことや釜の話などをしていたら登ちゃんがいきなり「ゆかちゃんへーすぶっくやっとる?」と言うので「やってるやってる!申請するから承認して!」ということでフェイスブックでつながることができました。

そしてあれこれ話しているうちに残念ながら解散の時間になりました。

わたしは最後に
「登ちゃん幸せ?」と聞きました。
登ちゃんの答えは
「今はね!!一番充実しとるよ!」
だから
「わたしもだよ!一緒だね!」と握手しました。

幸せな人と飲むお酒は本当に美味しい。そんなことを実感した夜でした。

これがわたしの釜の思い出です。
駄文にお付き合いいただきありがとうございました。





(BGM:尾引浩志「倍音Sのテーマ 2007」from「倍音mu」)
→倍音…。
よくわかんねえっす。
チベット仏教、という言葉が浮かぶ。

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