FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - - - 1 23
4 5 6 7 8 910
11 12 13 14 15 1617
18 19 20 21 22 2324
25 26 27 28 29 30 -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

とっさによけたが、それは魚だった


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



短編を考えるのは好きなんだけど、もっともっと短編に出来ないものだろうか?
一行で、テキトウに書いたとしたら、なんかやれるのかやれないのか?
まあ、そんなことを普段けっこう考えたりします。

付け足しちゃったらダメな気がしますが、筆力がないので、まあちょっと付け足しというか、自分で作って自分で突っ込んでみる。



困り果てたボクの前に、らせん階段から下りてきた妙齢の着物の女性が近寄ってきて「あと三年だからね」と耳元で言った。

→まあ、よくわかんないですけど、こんな状況にはなりたくない、という物語。
なにに困り果てていたのか、どこなのか?については、各々考えて下さい。


「もう、あのおじさん来ないんだよね、大丈夫だよね」と妹が心配そうな顔で聞いてきた。

→解決したのか?本当はしてないのか?いや、なにが解決したのか?してないのか?。


その時、私たちは、幾千もの飛行体が南太平洋から日本に近づいてきていることを知らなかった。

→きっと「私たち」はバンザイとかしてたのかな?
こわいこわい。


いつも同じコースを辿ってた、彼の私への愛撫の順番が変わったことに気づいてから、彼の指に嫌悪しか感じられなくなった。

→ま、これはありそう。


父と同じ目をした犬が寄ってきて、ボクに物欲しげな顔をしたのだけれど、ボクはあの女に言われたとおり無視をした。

→「あの女」とは誰なんだ!


その日、病院の窓から見えた青空は、あの事故の日から会っていない君の笑顔より、やっときらめいて見えた。

→前向きになれたんでしょうか?


彼は神様に祈りながら寝たけれど、起きたらその日もやっぱり彼は犬のママだった。

→前の「お父さんの目をした犬」の犬側の話でしょうか?


「郵便受けに入っていたのは、雨ににじんだオフクロからのハガキと督促状」

→ま、これはあるな。


三日間降り続けた雨は濁流となり、悪魔たちの住む地球の底に流れ込み、堪えきれなくなった悪魔が地上に飛び出した。

→デビルマンのサイドストーリーにしてほしい。


待ち望んだ彼の帰国だったけれど、私は出国する。

→ぎゃはははは。
なにそれ。


彼が食べ終わったそのパンの袋の裏面にはあの国の言葉で「実験用」と書かれてるのだが、彼はもちろんそれを知らない。

→星新一さんっぽいな。


一度も怒ったことのない男が激昂したとき、あちこちから様々な種類の鳥が集まってきて、一斉に鳴き始めた。

→これもコントになりそう。


凍てついた道路を走る車は次々に追突して国道を埋め尽くし、それを見ようと国中の野次馬が集まってきたので、そこにこの街ができたのである。

→ほのぼのかよ。


そもそもの失敗は、私は自転車にも乗れないのにバイクに乗ろうとしたことだ。

→どうして?


私が強気だったのは、懐にあの男にもらった拳銃を持っていたからだ。

→ハードボイルドか…。


僕がカギを落としたのが合図だった

→なんの!!


僕はとっさに携帯を見たが、画面の時刻表示が左右反転していた。

→パラレル。


家に帰ると、母さんが申し訳なさそうに知らないおじさんにお茶を出していた。

→おじさんは主人公に「大きくなったな」と平然と言った感じね。



てなことで、今日はおしまい。





1110te小

n1.jpg

(BGM:UP HOLD「LEATHER SHIP [地下の覇者]」from「SKULLPING A TRIBUTE TO GASTUNK」)
→ガスタンクって、「鳴き」なんだなあ。
BAKIさんの声も、TATSUさんのギターも鳴いていたというか。
今考えると、メタルでもあり、パンクでもあり、まあガスタンクというジャンル、というか。
スポンサーサイト



初恋 (創作)


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



(創作です念為)


彼女は片親で育ち、今は母親の看病に忙しい。
会社が終わるとすぐに家に帰る。
飲み会なんかにもあまり参加できない。
といっても、小さな会社。
社長と社員は5人ほど。

この不況で、この会社もどうなるかと思っていたのだが、なぜか社長はうまく仕事を取ってくる。
とりあえずは順風満帆の一歩手前くらいか。
そんなわけなので、彼女も時に母親の通院などの早退などを許してもらえる。
ブラックというよりも、家族経営みたいな感じだ。
社長には奥さんがいたけれど、子どもさんたちは独立していて、まあ、俺たちを家族、子どものように思っているのかもしれない。

彼女は、よく見ればとてもキュートな顔立ちをしている。
けれども、グレーのセーターに膝下まである紺のスカート、黒いふちのメガネは、彼女を年よりも幼く、地味に見せた。
だいたい、彼女はいつもそんなカッコウだった。
パーマをかけているわけでもない黒髪は、時に毛先に寝癖があったりする。
化粧っ気のない顔の真ん中にあるハナは小さく、唇も薄い。
それは、どこか「薄幸」という言葉を連想させる。

彼女は笑うコトは少なかったし、口数がそもそも少なかった。
教室の隅に目立たなく座っているような、そのタイプの女性だった。
それでも仕事はきちんとできる子で、みんなからの信頼も厚かった。

母親を支え、実直に、一生懸命に生きている。
僕はだんだん彼女に惹かれていった。

一緒に社員旅行に行けなかった彼女に、僕はお土産を買った。
みんなの目もあるから、大したモノじゃない。
その土地のゆるキャラが印刷されたハンドタオル。
そっと彼女が座るデスクにそれを置いて、「お土産です」と言うと、彼女はびっくりした顔をして僕を見た。
その顔は、「私に??」と言っていた。
僕はうなずいてその言葉にならない言葉に返事をすると、彼女は口角を上げた。
笑った、というより、笑顔、というより、不器用に口角を上げた、というのがピッタリくる表情だった。
でも、彼女が喜んでくれたのは伝わった。
僕は、お土産を買ってよかったと思った。
その後、一日おき、二日おきにそのタオルは彼女の手元にあった。

時々、僕は自分がコーヒーを入れるタイミングで彼女にもコーヒーをいれてあげるようになった。
彼女は同じように不器用にお礼を言ってくれたけど、それもだんだん普通の笑顔に近くなりつつあった。
目線はまだ合わなかったけど、彼女が喜んでくれているのはわかった。
ボクもうれしかった。

僕は次に何をしたら彼女が喜んでくれるかを考えるようになってた。
もっと彼女と話がしたかったから、食事に誘うのがセオリーだよな、と思ったけれど、彼女は母親の看病で早く帰らなければならない。

といっても、週に一度くらいは彼女も残業をしている。
彼女にしかできない仕事もあったから、彼女と社長だけが残る日が時々あったのだ。
だから、食事に誘うのも可能性がないわけじゃないな、と思った。

よくよく考えれば、彼女には生きているという喜びがあるんだろうか。
朝会社に来て、仕事をして、仕事がおわったら家に帰って母親の看病。
そしてまた翌朝仕事をする。
その繰り返しをしなければならない彼女が、だんだん不憫にも思えてきた。
そして、彼女はその境遇にぐっと耐えて毎日を過ごしているようにも見えた。

僕は彼女を夕食に誘った。
近所に、雰囲気のいいイタリアンの店を見つけたのだ。
通りがかりに、彼女のデスクにメモを置いた。
「今度一緒に夕食に行きませんか?」と書いた。
彼女がそれを広げて読んでいるのを僕は自分のデスクから見ていた。
彼女が嬉しそうに笑って僕を見てくれる、と思ったからだ。
でも彼女は、僕の方を見ずに、メモを折りたたんだ。

その日、彼女は残業だった。
パソコンを真剣に見つめる社長と、何か電卓を打っている彼女を残して他のみんなは帰った。

翌日朝、彼女は僕にメモを渡した。
それには、「私はダメなんです」と書かれていた。
「え?ダメってどういうこと?」って僕は彼女を呼び止めようとしたけれど、そこに社長がやってきたのでやめた。

その日も彼女はいつも通りだった。
地味に、デスクに座ったまま電卓を叩いていた。

その帰り道、僕は彼女と一緒に会社を出て、彼女に話しかけた。
どういうことですか?と俺は聞いたんだけど、彼女はごめんなさい、というばかりで要領を得なかった。
そのうち、彼女は小走りに行ってしまった。

どうにもやるせない気持ちを抱えたまま、僕はいろいろ考えた。
彼女はこういう誘いをうけたことがないんじゃないだろうか。
だから、どうしたらいいかわからなかったのかもしれない。
いや、だからこそ、僕がその最初の一人になりたいんだ。
そうだ、もう一度、その気持ちを彼女に伝えよう、と僕は思った。

翌日の帰り、また彼女と一緒に帰り道を共にしようと思ったけれど、彼女はまた残業ということになった。
残業といっても、彼女には看病しなければならない母親がいる。
そんなに遅くなるわけではあるまい。
そう思い、僕は会社のそばで待つことにした。
その方が、なんか効果的なような気もした。

しかし、ただ待っているのはとてもヒマだった。
十分が一時間にも感じる。
僕は、時計で一時間が過ぎた頃、体感では4時間くらい経った頃、ガマンできずに会社に戻ることにした。
忘れ物をした、とかなんとか言えば不自然なことじゃない。

会社に入ると、彼女はそこにはいなかった。
しかし、応接室に人の気配があった。
小休止でもしているのかと、僕は応接室のドアを開けた。

僕は目を疑った。
自分が見ているモノが信じられなかった。
そこには、全裸の彼女と下半身だけ脱いだ社長がいた。
彼女は、向かいのソファーの上に座った社長にまたがっていた。

こんな場面に遭遇した時、人はどういう態度を取るのが正しいのだろうか。
僕はそんなことを考えながら、動けずにいた。

しかし、驚いた僕とは裏腹に、社長も彼女も落ち着いていた。
社長は、さも普段の会話をするような口調で、「見つかっちゃったか」と言った。
その声に反応したのか、後ろ向きだった彼女は、ゆっくり僕を見た。
その顔は、恍惚として、僕に気づいても腰を振り続けていた。

僕は、彼女に好意を寄せていた自分の愚かさを呪った。
その気持ちは、腰を振るのをやめない彼女への嫌悪に変わっていった。

社長は萎えてしまったようで、彼女に降りるように言った。
そして、あろうことか、社長は悪魔になった。

「君も参加するかい?」

その声を合図に、彼女は四つん這いのママ僕に近寄ってきてズボンに手をかけた。
「やめろ!」という声は、ノドのあたりで止まった。
悲しいかな、僕の若い下半身は、気持ちとは裏腹にはちきれんばかりになっていたのだ。
理性が性欲に負け、僕は彼女を止めることが出来なかった。
そこには、彼女をもっと汚してやろうという嫌悪もあったのかもしれない。

彼女が僕の勃起したモノを手にした時、でも、僕の理性はちょっとだけ戻ってきた。
そして、こう彼女に言った。
「僕は、僕は、君が好きだったのに…」
すると、彼女は、とびきりの笑顔で、見たことのない笑顔を見せて、こう言った。

「ありがとう。じゃあ、たくさんなめてあげなきゃね」

そう言って、彼女は僕の勃起したモノを口に含んだ。

そこから先は、覚えていない。







wannmannblog.jpg

n1.jpg

(BGM:ZELDA「BE-POP」from「はじまりのゼルダ 最初期音源集1980-1982」)
→メジャーデビュー直後かその前か、けっこうこの曲は印象に残っていたなあ。
SAYOKOさんがとにかく笑わない、という感じで、なんかすごくかっこよかったことを覚えている。
俺と同年代かと思うんだけど、なんか高校生とは思えなかったなあ。

仏作って魂入れず


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



加納さんがヘルパーを管理するかなんかの資格を取ると言うことになって、というか、その資格の問題点もきっちり表出もさせていこう、ということでやってるわけですが。
ということで、毎月機関紙にその報告を載せていまして、先月号はこんな風に。



「資格への道」

機関紙に毎月記事を載せるというノルマを課したおかげかなんと現在最後の第19回の問題に取りかかり中であります。ゴールまであと一歩といいたいところですが、この後8回のスクーリングがありまして、やる気の失せる日々です。
基本的にというかほぼテキストを読んでそこに書いてある単語を穴埋め式に当てはめていけばいいという問題ばかりで、正直全く考えるという意味では頭を使わないという、こんなんで資格が取れてしまうのかーい!!というツッコミどころ満載な状態です。
この間は車いすの座らせ方や座る姿勢について聞き慣れない専門用語で書いてありました。私からすれば乗せ方や座る姿勢の名前より、車いすで一歩外に出たら障壁だらけだよ、の方がよっぽど現実的で親切でしょう。と思っちゃうけどね。
ヘルパーがどこまで外出介助をするのか知らないけど、実際に車いす押して外出たら段差やでこぼこだらけでビックリすると思うんだよね。
トイレだって、外も一般的な住宅もテキストに載っているような車いすトイレなんてそうそうないからね。大概入り口は狭いし、段差もあったりするし、手すりなんかないし、テキストの通りやっていたら私は外出先でトイレなんか行けないな、我慢するしか無いなと思ってしまう。
お風呂も同じ。車いすごとお風呂場に入ったりするには相当の住宅改修が必要になるはずだ。設備が整っていなければ入れないのであれば介助が必要な人は寮なんてほぼ行けないに等しくなってしまう。決して障壁だらけがいいといっているのでは無くて、○○のやり方は××がいい。と決めつけずに、その都度どうしたら入れるかと、考えながらやれたらいいんじゃないかと思うわけです。
残念ながらまだまだバリアフリーは思っているほど進んでいません。それを待っていたら永遠に私たち障害者はどこへも行けないままです。
きっと障害者は外出することを躊躇しているでしょう。私ですら躊躇する事があるから。
でもそんなとき、ヘルパー研修で習っていないから無理じゃなくて、ナントカ出来るように考えよう、といってくれたら、不安の大半は消えて無くなるはず。
そんなことを思いながらテキストを読んでいます。(了)



ここに書いてあるように、世の中の住宅のトイレなんかは狭い。
アパートとかだと、改修も出来ない。
だから、「こういう改修をした方がイイ」というのは、事実上難しいこともある。

というか、こういう言い方がよくないのは重々承知で言えば、障害者や高齢者の多くが、そんなに裕福に生きているというわけではない。
ギリギリの生活で、安普請のアパートで、というのは珍しい話じゃない。

今の日本の「自己責任」が蔓延する状況の中では、そりゃそうなってしまう。
高齢になって歩けなくなるのも、障害者で生まれてくるのも自己責任、だとすれば、「広い風呂のある家を買えないのも自己責任」となるんだから。
まあ、そのあたりが解決しない限り、この「ギリギリの生活で、安普請のアパートで」というのは解決しない。

同時に、街も同じで、自己責任論は、ガタガタする歩道も、かまぼこ形の道も、普通に歩ける人にはなんの障壁ではないかもしれないが、そこを標準にして、「この道が障壁だと思うおまえが障壁だ」と言いかねない。

ヘルパーなど、高齢者や障害者の周りにいる人が、この「自己責任論」を肯定してしまうのはイイとは思わない。
障壁は障害者の側にあるのではなくて、街にある、社会にある、という認識がなければ、そもそも、周りにいる人が障害者を「枠」にはめかねない。
「こういう障害者になれ」という枠。

そうじゃなくて、一緒にその「自己責任論」をぶっ飛ばす仲間になってほしい。
加納さんが書いている、「どうやったら、この状況の中で生活が可能になるか?を一緒に考える」という感じの。

つまり、「やり方」は、テキストに書かれている1パターンの方法、ではなく、その人、その状況の中で、それでも「風呂を実現する」というための方法を編み出す、ということなんだよな。
そうなれば、ヘルパーは一人じゃなく二人必要かもしれない。
だとしたら、そのために、二人分のお金が出てくるように一緒に考えてくれる、必要ならば必要だと行政に訴えることもあるかもしれない。

「やり方を提示する」ってのは、恐ろしくて、その方向を逆に向かせかねない。

だからこそ、まず一緒に街に出る、状況に合わせて一緒に風呂の入り方を考える、そういうことを先に教え、その助けとなるための一例として「やり方の提示」があった方がイイよな、と思います。
確かに、基本メソッドは役には立つんです。
車いすの押し方しかり、基本があることは大事ですが、それもこれも、「外出を実現するため」ということでしかなくて、そこの部分がないままに「やり方」だけを学んだところであまり意味がない。
逆に、「そのやり方に合う外出」しかできなくなってしまう可能性が高い。

「仏作って魂入れず」というか、それでは意味がないのである。





wannmannblog.jpg

(BGM:Theatrebrook「裸の王様」from「X CROSS THE STREET JAPANESE PUNK AND NEW WAVE TRIBUTE」)
→このアルバムは好き。
JAGATARAをカバーするってのは勇気が要るというか、まあアレンジしやすいような気もするけれど、どっか偉大すぎるというか、そういうのもある中、これはカッコイイと思います。

うまい答え方


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



アキが機関紙前号にこんなコトを書いていました。



「赤坂のマジックバー」

「ノーヴ・ハッセル・アベ」こと、鉄丸さんが、ついにマジック一本でやっていく、ということになって、見に行きたいとずっと思っていたのが「赤坂のマジックバー」だった。

これまでも、鉄丸さんはほかのお仕事もしながら、恵比寿や丸の内、秋葉原などでビアレストランや個室の居酒屋さんなどでお客さんのテーブルを回る「テーブルホッピング」というマジックをやっていたので、それも大好きで、何度か鉄丸さんが出演する日に見に行っていた。
しかし鉄丸さんにとって、本拠地のようになった赤坂に「ぜひ来て!」と声をかけてもらっていたのだ。

行きたい…。
でも「赤坂」であり、「バー」である。
やっぱりそうなると薄暗い店内で、お客さんもマジックに精通した常連さんばかりで、マジシャンの声しか聞こえないようなシーンとした、緊張感あふれる場所なんじゃないか?お客の感想も「あぁ、なるほど。それで来きましたか」みたいなつぶやき、からの、マジシャンも「静かにうなずく」みたいな。
「わー!なんでなんで?!」といつものように騒ぐような素人のお客はいなくて、「なんでなんで?」は心の中に納めて帰ることになるのではないか。

つまり「赤坂」の「バー」というだけで、完全にアウェイな場面を想像していたのだった。

しかし鉄丸さんの「そんなことないですから」「最初私一人で店におりますので気軽に来て下さい」「オーナーのマジックが素晴らしいのでぜひ見てもらいたいです」という言葉を信じて、それだけを信じて。「そんなことない赤坂のバー」は想像つかないままではあったけど、お盆明けの月曜、コウヘイ、オグラ、みずえちゃんと赤坂に向かった。

ビルの八階にあるという「マジックバーサプライズ」。
お上りさんのように、上ばかりキョロキョロしながら、その看板を探し、たどりついたビル、「会員制」というドアを横目に「サプライズ」のドアを恐る恐る開けた。
その瞬間に鉄丸さんと、若い女性の笑い声が聞こえてきて、だいぶホッとした。

カウンターとソファのお店には、その若い女性の2人組のお客さんが来ていて、鉄丸さんがお酒をつくりながらお話ししていた。
お酒は飲み放題、「何にしますか」と聞かれてもすぐには選べず迷っていると、鉄丸さんが本当はそのメニューにないビールをごちそうしてくれて、なじみのあるビールで乾杯させてもらった(下戸のみずえちゃん以外)。

そのお客さんたちがとてもすてきな感じの人たちで、私たちは、お店にある色紙やポスターを、へぇ!とか言って楽しみながら、そのおしゃべりのおかげで、通常運転に戻った。

鉄丸さんと、オーナーさんのマジックは、予期はしていたものの、本当にすばらしかった。これまで、鉄丸さんのマジックは、にじ屋のベンチの上とか、料理がたくさん並んだテーブルでしか見たことなかったのだな。鉄丸さんには、そんな場所を選ばないマジックの強さを見せてもらってきたけど、今回はマットと自分たちのグラスしかないバーのテーブルで繰り広げられるマジックを、贅沢にもわたしたちとそのお客さんだけで堪能させてもらった。
オーナーさんは、だじゃれを含め、よどみないおしゃべりに気をとられていると、目の前の今飲んでいたはずの自分のグラスの下から、何度もコインが出てきてしまうので、隣のお客さんと一緒に「キャーキャー」言ってしまった。

そう。
つまり結局、キャーキャー楽しんでしまったというわけ。

「赤坂」の「バー」はたどり着くまでも楽しかったけど、とてもリラックスしてマジックを満喫できるところだったのだ。鉄丸さんが言ってた「アットホームな感じなんですよ」という言葉の意味がやっとわかった気がした。
鉄丸さんを信じて、行ってよかった。

帰りにそのお客さん2人から「どういうお仲間なんですか?なんかヒーローショーの人たちみたい」という声をかけられたのも、私たちにとってはまた結構なサプライズだったけど、あまり正体を明かさないままお店を出た。
あのあと、鉄丸さんがお話ししたのかはわからないけど、少しは私たちも「サプライズ返し」できたかしら。(了)



マジックバーはぜひみなさんにも行ってもらいたいし、ハッセルアベさんのマジックもぜひどこかで見て欲しいのですが、今回触れたいのは、この最後に書いてある部分ですね。
「どういうお仲間なんですか?」という。
これが、まあなかなかよくあるアレで。

なんでしょうかね。
市丸とかコウヘイなんかは髪の色が普通じゃないし、なんだかんだ堂々としてたりするので、始めて出会った人に「何かちょっとあれだけど、なんの人なんだろう?」という疑問符が浮かんでいるのが見える時がある。

このマジックバーに一緒に行ったのは、アキ、コウヘイ、みずえ、オグラ、そして俺、というメンツ。
このメンツでまあ「ヒーローショーの人たち」というんだから、まあそのお客さんにもマジックがかかっていたのかもしれないけど、確かになんか「カタギじゃない感」はあるのかもしれない。

こういう時、でも「こいつらは知的障害者ですけど」ということを言う必要はないわけで。
「障害者の団体とかのアレで」というのもなあ、とか。
別にそういう紹介である必要はない。
なんか他のコトを言う前に、「障害者である」ことを紹介するのもおかしな話じゃないですか。
なるべく言いたくない、というか、う~ん、なんだろう、そういう感じがあります。

まあだから、「職場の云々」という言い方になるわけだけど、それもある意味不案内で、「なんの仕事?」ということが相手は聞きたい。
だって、「職場の云々」だと、「ヒーローショーの人たち」でも成り立ってしまう。
そうなると、「虹の会って障害者の団体で云々」と説明しなきゃならなくなる。

この感じで、毎回逡巡していて、なにかうまい答え方はないモノかな、と思っています。





akigasebulog.jpg

wannmannblog.jpg

(BGM:Magnificent Bastards「How Do You Sleep ?」from「Working Class Hero A Tribute to John Lennon」)
→ジョンのソロの中では、この曲はものすごい俺が好きな曲リストの上位に来ます。
ポールを揶揄した曲とも言われてますけど、とにかく、ボーカルの入りがカッコイイ。
このトラックはまあ、元曲をなぞってますけど、まあしょうがないというか、この曲は壊せる感じじゃない。

敵は職員?


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



ウチの機関紙7月号に副会長名義で書いたモノを転載します。
市の監査ということでウチが出した内容の公表と共に、監査に端を発した我々の考える問題点をシリーズでカズミを中心に執筆・連載しています。
これは三回目。
「敵は職員?」と題されたものです。

虹の会機関紙はにじ屋で配布しています。
また来れない方には郵送もしています。
会員になってもらえると毎月届けます。
コメント欄などで詳細おたずねください。



「敵は職員?」

職員とは何か?という定義ですが、我々のようなところのいわゆる「指導員」とか「職員」といった側の、いわゆる世の中から「専門の方ですね」と言われる人たち、ということにして話を進めたいと思います。


*対社会という存在としての職員

一般に職員といえば、彼らを指導する人、守る人、といったイメージでしょうか。
確かにそういうことになりますかね。
その前提には、彼ら、例えば市丸なんかは「指導する人」「守る人」がいなければ存在できない、という社会の共通認識があると考えていいかと思います。

ま、その前提がそれでいいのか?という疑問はまずあります。

今の福祉の流れはノーマライゼーション、「誰がどんな状況におかれても社会の中で共に生きる」という方向に進んでいるということになっています表向き。
でも、市丸たちについては、「指導が必要」「守る人がいなければ存在できない」というのは、構造的には矛盾しています。
本来、彼らを受け入れるために、どのように社会を作っていくか?というのがノーマライゼーションの形でしょうが(例えば駅の階段にエレベーターをつける、みたいなことと同じように)、なかなかそのために「何をしたらいいのか?」というのが、社会の中に確固たるものがありません。

これは、例えば車いすだったらエレベーターをつければいい、目の不自由な人には点字ブロックをつけるとか、そういう最低限の共通認識があるわけですが(もちろん、それだけでは足らない人だっているから、それでいいわけではないが、最低限、という意味で)、それすら見つからないといった感じじゃないでしょうか。

それは必要としてる応援が、どんなモノなのか、市丸とカイでも違うし、千差万別だから、なかなか「最低限何をしたらいいのまず?」というのが、見えづらい。

そこで、こうした職員が、それをくみ取って、社会の中に彼らが存在できるよう、なんかしらしてください、という感じがあるように思います。
職員の方がちゃんとやってくれることによって、社会の中に彼らも存在するんです、という「形」が求められていると思います。

意地悪い言い方をすると、社会参加できるよう、ノーマライゼーションの推進のため、「めんどう見て下さい」、という感じでしょうか。


*市丸たちに対する職員

確かに、毎日の中で、市丸たちに「指導」「教える」みたいな場面はあります。
それは、文字や計算、といったことだけじゃなく、「社会のルール」みたいなこともあります。
例えば、道路で裸になってはいけない、知らない人を噛んではいけない(知ってる人でもダメですが)、など。

同時に、社会に参加したい、という意欲を育てていかなければなりません。
それがなければ、そもそも社会のルールを教える必要はありません。
何かしらの建物に閉じ込めておくのなら、別にそこの中だけで通用するルールを作ってしまえばいいわけですから。

つまり、その団体でやっている作業所だったり、いろいろな施設で、意識を常に外に向けてやらなければなりません。
そもそも、社会参加を促すため、誰もが共に生きる社会、そういう福祉の理想実現のため、雇われているわけですから。


*施設という場がどうあるべきか

家庭の中で、基本的には子どもは守られます。
しかし、年を経て成人を経て、親や家庭という守られた存在としてだけではなく、一歩社会の枠を広げてやる必要があります。
そして、社会に羽ばたいていけるチカラを、意欲を育てる必要があります。

そのために、まず施設が家庭と同じ機能をしていたのではよろしくありません。
それは家庭から外に出ていけない、ということになりますから。
社会が広がっていくための、家庭の外の「第一社会」としての存在にならなければなりません。
そして、そこが居心地がよく、そこにいたい、と感じられることが大事です。
そこから、もっと広い世界に目が向くように、職員は努力すべきだと思います。

つまり、職員が、冒頭に書いた「守る存在」であるが故に、親と同じ目線に立ってしまうとそれはそれで意味がない、ということです。
それを越えた、家庭から一つ枠を越えた「社会」の形成が必要だと思います。

つまり、「守る」というのは、確かに守るんだけれど、同時に家庭の外の第一歩目の社会を存在させてやる、という作業が必要なのではないか。(※)
社会から孤立せず、彼らに自信をつけさせてやる、まず社会に出るための仲間を作ってやる、という目線が必要なのではないか。

ここを見失ってしまうと、ただの「保護」になってしまい、「収容しておけばいい」という考えに発展してしまう気がします。
それは意地悪く言うと、「障害者は社会から隔離しておきますから、あなた方でめんどう見てください。出てこないようにしてください」「親が一生めんどう見てください」という流れに荷担してしまうことになります。
これは現在の福祉の理念を逆行させるモノです。


*社会への橋渡し

ウチのライブに来たい、という「利用者」がいて話をしていたら、そこの職員が「お母さんに聞きましょうね」とかいう場面が何度もあります。
夜に、酒を出す、飲むライブハウスでやる我々のライブに、お母さんはなかなかイエスとは言わないでしょう。
ウチのように、普段からそういうところに出入りしてるのなら別ですが、そうじゃない限り(というか、ほとんどそういうところはない気がします)、これは実現しません。
その職員の人が「わかった、お母さんには私が話しておくよ、一緒に行こう」と言ってくれればいいんですけど、そういうことになったことはありません。

こうして、「親の意向」を第一にしてしまうことは、彼らの「大人としてのメンツ」も潰してしまいます。
大人としてのメンツ、とは、「自分で好きなことを好きなように社会で実現できる可能性」という意味です。
あくまで可能性、ですが。

我々は、よく「青春を取り戻す」という言い方をします。
青春の間違い、勘違いも含めて、そういうことをもっとやっていこう、という意味です。
それが、社会への橋渡しになると思っているからです。

いや、そしてなにより、青春とは大事な人生の一ページです。
誰しもそれは同じでしょう。
親に隠れて、仲間とストリップに行く、エロ本を見る、タバコを吸ってみる、そうした行動を、我々はどんどんやっていきたいのです。

親とは青春の中で異物になっていく存在なのです。
つまり、「親に聞いてみよう」と言われてしまう環境は、「青春を取り戻せない」ということであり、本人にとっては絶望しかないのではないかと思うのです。
その手助けを、(裏では親と協力して、ということもあるかもしれません)職員はすべきじゃないのか、と思っています。


*職員の専門性

守る存在、指導する存在、という側面と、この「外に向けて行く存在」「親じゃない存在」という、いろいろな側面を職員は持っていなければならない。
だから、専門性が必要ではあると思います。

ただ、今の職員養成するための専門性を教える講座などの方向を見ると、どうも、この「外に向けて行く存在」「親じゃない存在」という部分が抜け落ちていると思わざるをえないことが多いのではないでしょうか。
自閉症とは何か、ダウン症とは染色体の異常である、そうしたことを学ぶことは必要ないとは言いませんが、逆に言うと、彼らを型に填めてしまう危険性もあるように思います。

「ダウン症はガンコ」などと言われますが、それを「ああ、ダウン症だから●○しちゃうのはしょうがない」としてしまえば、おそらくモトミはいまだに同じ服を着ていたかもしれません。
「自閉症の人はこだわりが強い」というのも同じで、それを真に受けてしまえば、いまだに市丸は実家でテレビの操作に夢中だったかもしれません。

でも、モトミも市丸も、今では同じ服にこだわることもなく、市丸に至っては「この服かっこ悪いかな?」と考えるようになったし、いやいや、そもそもこだわりが強く実家など出ることがないと思われていたんだから、それはそれら専門書に書いてあることを一部否定するような感じにすらなっています。
いや、市丸はそもそも「遅くなったから井上のウチに泊まる」ということすらできなかったんだった。
そんな話をしている最中に走り出して電車に乗っちゃって家に帰ったりもしていた。
それがどうだろう、今や毎週のようにどっかに出かけ、親から離れて生活をしている。
手伝いに来てくれた人と電話番号を交換して飲みに連れて行ってもらったり、私が知らないところでそういうことも多々あるようだ。

つまり、専門性とは、絶対ではなく、既成の専門性自体を疑うことが専門家なのではないか?と。

もちろん、当てはまることはたくさんあるし、専門的な勉強をすることは理解をすすめてはくれます。
でも、同時に、市丸を相手にした時に、「自閉症」と当てはめるのではなく、市丸として付き合っていく。
そして、市丸という人間の可能性を外に広げてやる、という視点を忘れてしまってはいけないと思います。

つまり、専門性を知り、それを疑うことが専門家なのだ、と思います。


*専門性の落とし穴

今は資格の時代になっていて、例えばヘルパーでもそうですが、2級を取ったら1級に、みたいに「階段をのぼる」ように準備がされています。
これは、資格ビジネス利権の問題ではありますが、それは又の機会にするとして、一方で「職員のモチベーションを維持する」ためにあるようにも思います。

本来、市丸が、井上が、モトミが何か社会に小さな一歩を踏み出したことにモチベーションを維持していかなきゃ行けないと思うのです。

どこかの作業所では「外食実習」というのがあって、ファミレスに行ったりするようですが、いやいや、そんなの実習しなくても、恐らく家族と一緒に普段行ってるんですね。
しかも、事前にメニューを配って、「親に」メニューも決めさせて、という、まったく意味のないことをやっている。
そうした実践をすることが職員である、作業所である、施設である、というようなことが「専門性」であるかのような誤解は、やっぱりよくない。

そうじゃなくて、単純にこのことをとっても、「それはオカシイし、意味がない」と、異を唱えていくことが専門家なのである、と思います。


*まとめとして、我々のこと

大事なことは、作業所や施設は、井上やカイにとって、家庭と社会をつなぐ「第一社会」にならなければならないということ。
その中で、職員は仲間を作り、外に目を向けさせていくことを常に考えなければならない。
同時に、彼らを守り、そのチカラを作って行かなければならない。

なにより、職員が彼らに信頼されなければならない。
「この人といたら、俺の世界が広がる気がする」
「この人といたら、俺の人生変わる気がする」
「この人といたら、俺は大人になれる気がする」
「この人といたら、仲間が増える気がする」
そんな職員がいる場所だったら、彼らは必ず「帰りたくない」と言ってくれるようになると信じています。

ウチの場合、「もう帰ったら?」といっても、「帰りたくない!」と必死に食い下がってくれるので、そもそも、冒頭に書いた「社会のルールを教える」とかについても、比較的楽に実行することが、ありがたいことに出来ています。

そして、自分の居場所に彼らは誇りを持っている。
誇りを持っているが故に、ケンカもありますが、それも第一社会としての役割だと思います。
誰に従う、ということじゃなく、「俺はこう思ってたのに、お前は何だ!」みたいなことですね。

我々は、彼らの青春を取り戻すために、それは社会の中で、ごく当たり前に人生を謳歌できるように、職員のこともしっかり育てていなければならない、と思っています。


*※補足

「親だって社会に送り出す力にはなり得る」と思いますが、経験上、やはり「一人(二人)のチカラ」というのと、職員数人の「チームとしてのチカラ」は違うように思います。
「親には出来なかったことが出来るようになった」というのはよく聞きます。

また、親と職員、つまり親と他人とでは、同じコトをしたとしても、意味が違うようにも思います。
それは、「家庭」ではなく、「社会」で起こったことになるからです。
そして、それは彼らに「大人としての」自信を格段につけてやることのような気がします。






baka.jpg

(BGM:BACKGAMMON「GUERRILLA GROWING」from「this is REAL STYLE」)
→こういう曲がメジャーにのっていくというのは、つまりはゼンゼングローイングしてないよな、という気がしてならんところもある。
ギャングとゲリラは違う。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE