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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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虹の会では毎月機関紙を発行しています。
近いうち、ネットでも見れるようにしたいと考えていますが、今のところアナログ紙媒体です。
にじ屋で配布してますし、遠方の方には送ることも可能ですので連絡下さい。

今回は、この前発送した4月号からいくつかテキストでご紹介。


「介助者の産休育休」加納

2月に入り私の介助者が産休に入った。そしてもうひとり介助者が5月末に産休に入る。とてもおめでたいことだと思う。子どもは未来だし、社会前体の宝だと思うから。でも私は正直妊娠したと聞いたとき「えっ!介助どうしよう」という事が頭に浮かんで、心から喜ぶことが出来なかった。今まで何人かの介助者は妊娠したので介助辞めますと離れていった。そういう事も頭に浮かんだんだと思う。さらに続けていくにしても介助はどうしても体を使う仕事だからやらせて大丈夫なんだろうかと、何かあってからでは取り返しのつかないことになると一人で悶々とする日があった。ふたりの介助者たちは引き続き介助者をやっていきたい、そして産休育休を取ってその後も介助者として戻ってきたいと言った。彼女たちがそのように考えていたのかと知って、あー時代は少しづつ進んでいってるんだなと思った。一人で悶々としていてもラチがあかないので本人たちと話すしかないなと思ってふたりの介助者と私が不安に思っていること彼女たちが思っている不安なことを出し合った。詳細は省くが、その都度不安や心配があったらすぐ話そうそして無理しないでダメなときは休むとなった。そしてすぐ一人目の介助者はつわりになり一ヶ月近く休むことになった。何かあったら休んでよ、とカッコつけて言ったものの、いざ休まれると介助どうしようと慌てふためいた。自分の他の介助者に電話したり、ローテーションをあれこれパズルのように当てはめて何とか自分の介助者で収めようと四苦八苦していた。そして産休にも入るし穴埋めでひとまず新しい介助者を雇わなきゃと募集の準備をしようと思っていた。
ある時評議委員会で募集をしようと思うと話したら、それは違うんじゃないかと話しが出た。え?なんで?と思った。人がいないのに募集しするのちょっと待った!ってどういうこと?!と思った。けど話しをしていくうちに、あー私はなんて短絡的に目先のことだけ考えていたんだろうと思った。人は使い捨てではない、今いるから募集要らなくなったらクビ、それでは世の中の派遣切りと同じことじゃないかと。そうだよなと、まったくだと思った。そこで新たに介助だけに限定した人を募集するのではなく、当面の間専従やそれに準ずる人もみんなで産休の間は補って行こうじゃないかと話し合った。何も自分の介助者で介助の穴を埋めていくことが優秀な利用者であるわけではない。もうそういう優等生的な発想はやめよう、というのも話しに出た。耳が痛かった。私は介助を使うようになってからずっとそればかりにこだわっていたように思う。それができなきゃダメだと思ってやってきていた。でも何か違うんだろうなとも思ってもいたけど、なかなか自分の呪縛を解くことが出来なかった。でも今回話をして今が自分の呪縛を解くチャンスだと思った。ひとりで抱え込む問題ではないのだ。困っているときはみんなの手を借りればいいのだ。今まで出来ているようで実は出来ていなかったなとよくわかった。助けてって言えばいいんだよ、とみんなの前では言っていたのに。まったくお恥ずかしい限りだけど、いまとても晴れやかな気持ちでいます。自分の介助者で賄えなかったと負けたみたいな卑屈な気持ちになるかと思っていたけどまったく逆だった。少しづつでも自分のことさらけ出してもっと私自身が楽に解放して生きられるようになりたいと思っている。
それから、介助者に限定せず虹の会で一緒に働きたい女性職員を募集しています!!ぜひ応募してください!!
追伸:2月に産休に入った介助者から無事に赤ちゃん産まれました!とメールがつい先日きました。子守りいつでもするから連れてきていいよ!と返信したところです。


「#ちこくなう」菜摘

#ちこくなうとは?
今回はすずちゃんのTwitterの投稿を見て???と思いながらほっこりしちゃった#ちこくなうについて。
すずちゃんに何が起こったんだ?と調べていくとYouTubeに辿り着き、すずちゃんが1人で介助者募集の話を始めるのかなと思いきや自分が毎日遅刻しちゃう話に。毎日…!
なんだかほくほくのほっこりしちゃって、「ちこく」って言葉も可愛く思えてきちゃったこの動画とすずちゃんの#ちこくなう。
さらに進めて見ていくと、アキさんとすずちゃん。アキさんも「わかる」「朝飯前」と言って自分も昔遅刻していた話などがまたさらに気持ちをほくほくにしてくれる。この2人がみんなから信頼されているかんじとか、全部思い浮かべて泣けちゃう動画なのだ。
私も自分の遅刻について昔から思うところがあり。とにかく起きる前から(いや、寝るところから起きたくなくて)悲壮感たっぷりになってしまうのだけど、すずちゃんはとりあえず明るいらしい。何故!
投稿を見ていてもなんか顔も晴れやかに#ちこくなう。素敵すぎる!
寝る前と起きた後のすずちゃん密着動画とかナイトルーティン動画を撮りたいくらいだし、底力的な魅力をたっぷり持ってるすずちゃんを見ていて、自分は一体何に追われてこんなにセカセカイライラしているのか?と本気で考えてみたくなった。穴掘って入りたい!遅刻する自分も怒られる自分も嫌い!と泣き言言う前に、まずは笑顔で#ちこくなう。わたしもやってみようかな。


「手術入院」みつ

入院の前の日に突然明日から入院カーと言う緊張が走り出してしまいました。
と言うことも有ってにじ屋からネットに戻って来てからも全然反省会の話しは頭にはいらな蹴ればもう~!血圧までも上がって来てしまっていると言うのに金さんちょっと緊張して来ているのではないの?と軽々と言うけどちょっとどころではないよと思いながら急いで家に帰って来ました。
家に帰って来た者の緊張はどんどん大きくなってしまっていたから緊張が解れるように頑張りながらも明日から病院に旅行だと思ってそのまま寝てしまった。
そのまま朝になったけど今日から病院に旅行なんだと自分に言い聞かせてしまって旅行前にコーヒーの1杯ぐらいは飲んで行こうーと思ってちょっと遠回りしネットに行ったらみんなは朝ごはんを食べていたけど1人で喫茶店にいる気持ちになって朝の1杯を楽しんでいたらのぶがにじ屋のことは忘れて手術に集中しなよと言って来ました。
その時はまぁ病院に旅行に行くだから緊張ぐらい解れるだろーと思って病院に行った者の話しをして会話を出来る分けじゃ鳴ければべつに腹が減っている分けじゃないと言うのにご飯を食べなきゃいけないしくすりも病室に入って一発で取り上げられてしまったくすりぐらい自分で飲めるわいと一発目思いました。
それからもぉ金が勿体無いと言うことでテレビカードも買わなかったからズート曲を聞きながらアーこのような生活を1週間ぐらい続けていたら頭が可笑しくなるよなー!小倉はこのような生活を10年ぐらい続けていたのだから言葉を奪われるのは当たり前だ!と思っていたらみずえさんからメールが来たから自分も入院したことよって言葉を奪われないようにしなくちゃいけないなと思ったので手術の恐さと言うよりもヒマで言葉を奪われる恐さがある手術なんか終わった終わったと逃げたいよと何度もメールをしていました。
と思っていたら22時ぐらいになって突然電気も消えてしまったから寝る時間までも決まっているのかよー!なんかムカつくな!でも、病室は出たくなかったから仕方なく寝たけどフット目を覚めたときに明るかったアーもう朝か?と思ったらただ電気が突いていただけだったのに目覚めてしまったからアーなんなんだよこの病院は人のこと寝不足させてホッサを起こさせて殺すつもりかよーと思っていた時にはまだ4時半だったんだよ。
手術までの時間はまだまだ先だよと思いながら病室のイスに座っていたら外から電車が発車する音聞こえたからオー始発電車がいま出たんだーとか思っている打ちに要約朝ご飯とか手術に向けての点滴が始まったのだけど手術の担当の看護婦さんの名前を見てみたら姉ちゃんと同じ名前だったからこれ、姉ちゃんだったとしたら光弘どうして来んなところにいるの?となったよ言わなきゃ言わないで手術の準備もしてくれなかったと思うからよかったよ巳代治(※苗字)は値(※ち)がててでも、名前がいっしょと言うだけで点滴を売ってもらうのとか治療室まで車イスで運んでもらっている時はなんと無く恐かったから治療室ぐらい自分で歩いて行けるわい!と思っていました。
それで治療室に入ったら右目以外は顔全体をマスクで覆われてしまったから意気で顔全体が熱いと言う感じだったからソクマスクを外したいと思えば先生が兎に角前の光りだけを追い続ける方を頑張ってと言っていたから追い続けてたら先生からのレンズをとってと言う声が聞こえたともにレンズを嵌めた感じがあったら光りの形がわかって来てオーこの光りにも形が有ったんだと思っていたら先生がおわり!と言って手術は終わりました。それから病室に戻って1時間ぐらいが立ってからもう遣るべきことは終わったんだから今の気持ちをホッサ日記に纏めなくちゃと思ったからホッサ日記を書いたらすぐに新田さんから連絡が来たから病室で遊びながらかがみに写した自分を写真を取り今の自分はこう言う感じだよ~と写真送ったりしながら遊んでいたら退院の日になってしまってはて?退院は退院でもどこに行けばいいのだろうなー?と思っていたら病室の外からでっかい声で小澤光弘と言う声聞こえたから看護婦さんでもでっかい声で呼ぶ人はいるんだと思っていたらおはよう!とあきちゃんが入って来たからあーあきちゃんと思いそれからはにじ屋に行けば何かすることはあるだろうと思ったからにじ屋に行ったけど何もすることは無くただボケートしているだけだったから以外と暇だなと思っていたらあきねぇからメールが来たから逢芳に行ってにじ弁を買って家に帰ってしまいました。
逢芳から家帰る間に道でずっこけないってなんか不思議だな?と思いました。
それから思えば入院前の不満と言うのはキット先生からの漫画一(※万が一)失敗したら目を切ることになるかもと言われていた不満とかのプレシャーに覆われていたことによってくすりもたくさん準備をしてしまっていたのでそのような不満が入院の前の日にブワット出てしまったのではないかな?と思われる。(注釈※アキ)









ブログ用

(BGM:Vladimir Shafranov「You And The Night And The Music」from「Movin' Vova!」)
→ピアノ、べース、ドラム、のトリオジャズ。
こういうの聞いてると、「あ、ココでベースがリズム刻み始めたぞ」みたいな、そしてドラムがそれを追っかけてスイングになっていく感じとかがスリリングでいいんだな。
これ、実際楽譜とかがどうなってるのかわからないけど、けっこう流れだけ決めてアドリブなんだろうかな。
対決、って感じ。
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藤井が書いたメールが発掘されたので


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成年後見の話をちょっと前に書きましたが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5771.html)、それを調べている中で、2013年に勉強会をやったことを思い出し、その時にホストとして登場した藤井とオレのメールのやりとり(というか、藤井がオレに宛てた部分)が出てきまして、ちょっと面白いな、と思って掲載します。
彼の感じも残しておきたいかな、とも思い。

藤井は数年前に亡くなりましたが、彼は車椅子に乗っていてという人で。
けっこういろいろなイベントを二人でやってきたんだけど、いつも彼が資料を整え、なんならプリントも作り、当日はベースをしゃべり、オレはそれにのっけて勝手にしゃべる、というスタイルだったな、と思い出しました。

後見人についての今の我々の考えはちょっと固まってないのだけれど、10年ほど前はこういう感じで考えていたんですね。
まあ当時はまだ具体的な切迫感がなかったというのもありますねきっと。




勉強会の資料案を送りますので、また見てください。またしても長いのでPCのみに送ります。
調子にノッた結果、途中から客観性があまり無くなってしまいました。
それで進め方というかアレなんですけど、資料中腹あたりの問題提起1と2について、佐藤さんならもっとうまく組み立てられるような気がして、あまり何も書いて無いんですが、どうでしょう?
全然別でも良いんですが、今回結局シンプルにこういう提起になるのかなと思いました。
もしその方向でいくなら、問題提起以外を自分がやります。
では色々お願いします。

藤井


-------------------------
2013年7月29日 親から独立した生活勉強会資料① (本部/作成:藤井)


■成年後見制度


1.前提

 今回、成年後見制度というテーマを選んだのは、一言でいうと、この制度は暴走する可能性があるからだ。そもそも我々が制度上等主義では無い点をいくばくか考慮したとしても、この制度は多くの危険(逆行)を孕んでいることを我々は理解しなければならないと考えたからである。
 我々にとってこの制度が武器となるか、それとも強大な敵(壁)となるか、この勉強会を通じて、各々判断していって欲しい。


2.制度概要

①制度理念(この制度の考え方)
 成年後見制度は、認知症、知的障害、精神障害などによって、「法律的な」判断能力が不十分とされる人が、家や土地などの不動産、自分のお金(預貯金)の管理、介助者を使う時などに必要な行政制度の契約、親や家族が死んだ時に必要な親戚との遺産分割協議など、そういった法律行為(難しいこと)、自分ではよくわからない(わかる方法が無い)ことについて、よくわからないまま知らない人に勝手に悪いことをされないように(保護の視点)、家庭裁判所と相談し、自分以外の知っている誰か(もしくは知らない法律家などでも)を選任(指名)し、「後見人」になってもらい、その後見人が本人に代わって法律行為を行える制度。また、悪徳商法によってお金を騙し取られてしまうといったことなどを防ぐため、後見人に「同意権(YES or No)」を与える制度。平成12年(2000年)から、それまでの禁治産・準禁治産制度に代わる制度として、施行されている。

②制度の内容
 この制度は大きく分けてふたつに分類される。

●法定後見制度
 法定後見制度は「後見人」「保佐人」「補助人」といって、障害の程度に応じて選ぶようになっていて、それぞれ与えられる代理権(代わりに出来ることの範囲)が違い、家庭裁判所が決める。

●任意後見制度
 任意後見制度は「現在後見人は必要無い」が、将来的に必要になることを考え、あらかじめ後見人になってもらう人と「任意後見契約(代理して欲しい範囲を定めた)」を公証人が作成する公正証書により締結し、将来必要となった時に、法定後見制度と同じような代理権を「任意後見人」に与える制度。簡単に言えば、遺言状と同じようなこと。

③制度の使い方

●法定後見制度
 家庭裁判所に申し立て(言う)をする。申し立てが出来るのは、本人、配偶者、四親等内の親族、検察官、清水市長となっている。

●任意後見制度
 公証役場で公正証書(任意後見契約)を作成し、その契約を締結した任意後見人が、後見が必要になったと判断した時に、任意後見監督人選任を家庭裁判所に申し立てることになっている。


3.制度分析

①現状の正確な把握
 誤解している人もいるかもしれないが、成年後見制度によって後見人に与えられる代理権については、実はそもそも親や家族には与えられていない(本来本人にしか無いもの)。だからこの成年後見制度は単純に「親の代わり」を果たすものでは無い。
 また、現状の障害福祉(と言われる)現場にあって、特に様々な行政手続きの場面においては、親が子の行く施設や作業所を決め、ひいては人生までをも決める(決められる)ような状況にある。
 一方、行政にあっても、様々な制度において親の意見や判断を求めることが横行しているが、これも実は間違っている(社会福祉法に「親の意見も参考にする」といった趣旨の文言があるだけ)。

 そういったことが、堂々と何の問題も無いかのように蔓延っていること自体、もちろん問題ではあるが、それよりもやはり世相(世論)といった壁が先にある。いつも言うように、世間(社会)では、障害者は邪魔者以外の何者でもなく、とにかく自分以外の誰かに責任を負わせ、自分に火の粉が降りかかることのないようにと考えている人が99%であり、当然、公務員であっても例外はなく、とにかく自分以外の誰かに責任を持ってもらわないと困るのである。そして、行政が例え間違った行為(親に責任を押し付ける)をしたとしても世間は自分たちに迷惑がかからない限り「それで良い」と問題にしないのである。つまり行政マンは市民の「要望」通り仕事をしているわけだ。

 少なくとも、例えば行政ケースワーカーが「お母さんそれは間違ってます。いいです私が責任を持ちます」(まあこれも違うんだけど)と言って制止すれば、ある状況下にあっては、(自分たち勝手に言えば)かなり物事がうまく進むはずである。

 では、これら遺憾な状況に対し、成年後見制度は打撃を与えるものになるだろうか。

②成年後見制度は可用なものか?
 まず何より、聞こえは良い。もしこの制度が我々の都合の良いようにだけ作用するとすれば、単純に今まで親が担ってきた部分(法律的にいくら間違っていてもそれが現状)を我々が代わることも、あるいは可能である。社会的にも、障害者や弱者を護る法律として人権家などには喜ばれることだろう。

 ところで、先日(5月27日か?)改正された、公職選挙法において、被後見人の選挙権が復帰(今までは後見人を付けると選挙権が失われた)したが、認められたのはあくまでも選挙権であり、投票所で後見人はおろか介助者や仲間が手伝うことは従来通り禁じられたままなので、意味は無し。それはともかく、そういった報道で目立つのはやはり、親自身が「後見人」になっているということだ。

 最後にある資料を参照してもらえばわかると思うが、ひっぱってきた数少ない事例9個だけを見ても、親や家族が直接後見人となったものが6個、申立人として家族が関わっているのが8個という有様である。結局「親」や「家族」がより多く後見人として選任されているのだ。

 これは偶然では無く、裁判所も親、家族を優先して「後見人」として選任している実態なのだ。判例の中には「隣県に住む長男は、本人が住んでいた自宅が老朽化しているため、この際自宅の土地、建物を売りたい…」「近隣に住んでいる長男と二女が、本人が入院する前に共同して身のまわりの世話を行っていたことから…」「妻は、子どもと離れて暮らしており、親族にも頼る者がいないため…」といったように、家族の状況を重視していることがわかる。
 決定的なのは「長年母と暮らしており、母は本人の障害年金を事実上受領し、本人の世話をしていました。ところが、母が脳卒中で倒れて半身不随となり回復する見込みがなくなったことから、本人を施設に入所させる必要が生じました…」に対し、裁判所は事実上、後見人を選任し「施設に入所させるべき」という判断をしているのだ。町長が申し立てた事例など「おまえ(町長)が後見人やればいいだろ!」という声が聞こえてきそうである。

 つまり裁判所にとって、後見人制度というものは、親や家族のためのものであり(面倒を引き受けてくれる人)、さらには公的に「困った人の面倒はやはり親や家族がみるもの」と色々と正当そうな理由を無理矢理くっつけて肯定してしまっているのだ(ひいては国家として)。

 恐らく我々が、まあやったことは無いが、例えば清水市長に頼んで、我々の誰かが誰かの後見人の申し立てをおこなったとして、裁判所の第一声は「親御さんは?」に決まっており、もはや笑い話にもならない。
 制度の可用性については、だいたい結論が出てしまったような気もするが、そもそもの問題が、何ひとつ変わっていないどころか、さらに問題が増えているような気がすることに、賢明な皆さんはもうお気づきだろう。

③成年後見制度から見えてくる問題点
 第一に、例えば親が後見人として選任され、さまざまな法律行為が「正当化」されれば、親が障害のある子の人生を決定することが、まさに「正当化」されてしまうこと(親でなくても「正当な犯罪」に利用されることは十分に考えられるし、既に事件が起きている)。

 第二に、「結局本人以外の誰かが責任(判断)を負う」という点であり、障害者には判断能力が無い(人格という意味合いにあっても)という一方的な決めつけによって、障害者の「人間性の欠如」を表現している(そう受け取る人が必ずいるということ)のであって、決して本人の(例えば)権利助長や差別解消には繋がらないこと。

 第三に、法律として「優先順位」を決めるのであって、後見開始から、本人の意見より後見人の意見が優先されるようになり、本人が拒否しても後見人が良しとすれば、(裁判所が本人には判断能力が無いと示したのだから)それが罷り通ってしまうこと。他の言い方をすれば、後見人が認められた瞬間、本人の判断能力は公式に「無い」のだ。つまり「判断能力=意思」であり、障害者に意思は無いと言っても過言では無いのだ(何度も繰り返すが、そう受け取る人が必ずいるのだ)。

 もし仮に「社会全体で責任を負う」という視点にあって、さらには「障害の無い者は誰にも迷惑をかけていない、迷惑をかけているのは障害者(あるいは高齢者などであっても)だけだ」という誤った思想を取り除き、そして「基本的な」入所施設には入れない、親から独立する、という考えに基づくのであれば、この成年後見制度というのは、決してデメリットだけでは無いはずである(その場合は、親が媒介であったとしても)。
 
 しかしながら、それでもなお「では制度で決めなければ何も出来ないのか?」という点がまず腑に落ちないハズであり、ましてや親や家族が後見人になれてしまうことで、「何が何でも親や家族が面倒を見る」「障害がある子を産んだ責任を取らせる」という世論に「ただ拍車をかけているだけ」では、ないだろうか。
 成年後見制度自体は、その使い方によってはあるいは……と論ずる以前に、それら背景を鑑みるうえでは単なる「保護者探し」に過ぎず、世間(世論)の思うツボなのではないか、と現時点では言わざるを得ないだろう。

 さて、我々にとってこの成年後見制度は忌むべきものだろうか?今後一切触れることなく過ぎ去っていくべきだろうか?どうやら、直接的に制度を使うことは無いかもしれないが、全く無関係というわけにはいかないようである。以下の問題提起をする。


▼問題提起1 親(家族)が死ぬ

 人間の9割は大体死ぬ。だから(障害のある)自分の親(家族)も死ぬ。そしてそれは明日かもしれないし、1年後、10年後かもしれない。だけど、多分、自分より先に死ぬ可能性の方が高い。

 では、親が死んだら、みんなどうしますか?葬式をする?墓に埋める?これからどこに住む?施設に入る?仲間と別れる?良く知らない親戚のおばさんの言うことを聞く?施設に行きたくないと言っても連れていかれるのが日本の現実?(法的にいくら仲間であっても救えないことが多々)

 社会的には(良い悪い関係無く)みんな自分で判断しなければならない。全部判断出来る?間違ったこと言わない自信がある?

 どうすべきか?どうあるべきか?不安か?それとも何も考えていないか?(改めて聞いてみたい)


▼問題提起2 「仲間」ではダメか?

 自分だけで決めることが出来なくても、仲間がいれば決められることがたくさんある。だけどそれは法律では認められていない。だから法律が関わることは、仲間であっても手出し出来ないというのが現実(そもそも仲間がいないとか…)。

 仮に「後見人制度が無くたって!」と言う場合の根拠は?

 障害が無い人だって自分ひとりで決められることなんて殆ど無い。地域(社会)で生きる、というのは常に他人と生きることが前提なのだから、自分で決めることは「あの人がいるからこうしよう」「この人がこうだからこうしよう」。そうやって「人のため」だったりすることが多い。
 
 それは障害者だって同じ。でもそれが通用しない社会がある。仲間がいるからこそ決められるのに、その仲間と一緒に決めたことが認められない。それとも、障害者に「仲間」なんて、ちゃんちゃらオカシイ?幼児たちが砂遊びしているだけ?障害者にとっては、40歳になっても50歳になっても、お母さんが絶対?お母さんの言うことを聞かない障害者は悪い子?


資料●事例集(最高裁概況から)

○後見開始事例
ア  本人の状況:アルツハイマー病 イ 申立人:妻 ウ 成年後見人:申立人
エ  概要
 本人は5年程前から物忘れがひどくなり、勤務先の直属の部下を見ても誰かわからなくなるなど、次第に社会生活を送ることができなくなりました。日常生活においても、家族の判別がつかなくなり、その症状は重くなる一方で回復の見込みはなく、2年前から入院しています。ある日、本人の弟が突然事故死し、本人が弟の財産を相続することになりました。弟には負債しか残されておらず、困った本人の妻が相続放棄のために、後見開
始の審判を申し立てました。家庭裁判所の審理を経て、本人について後見が開始され、夫の財産管理や身上監護をこれまで事実上担ってきた妻が成年後見人に選任され、妻は相続放棄の手続をしました。

○保佐開始事例
ア  本人の状況:中程度の認知症の症状 イ 申立人:長男 ウ 保佐人:申立人
エ  概要
 本人は1年前に夫を亡くしてから一人暮らしをしていました。以前から物忘れが見られましたが、最近症状が進み、買物の際に1万円札を出したか5千円札を出したか、分からなくなることが多くなり、日常生活に支障が出てきたため、長男家族と同居することになりました。隣県に住む長男は、本人が住んでいた自宅が老朽化しているため、この際自宅の土地、建物を売りたいと考えて、保佐開始の審判の申立てをし、併せて土地、建物
を売却することについて代理権付与の審判の申立てをしました。家庭裁判所の審理を経て、本人について保佐が開始され、長男が保佐人に選任されました。長男は、家庭裁判所から居住用不動産の処分についての許可の審判を受け、本人の自宅を売却する手続を進めました。

○補助開始事例
ア  本人の状況:軽度の認知症の症状 イ 申立人:長男 ウ 補助人:申立人
エ  概要
 本人は、最近米を研がずに炊いてしまうなど、家事の失敗がみられるようになり、また、長男が日中仕事で留守の間に、訪問販売員から必要のない高額の呉服を何枚も購入してしまいました。困った長男が家庭裁判所に補助開始の審判の申立てをし、併せて本人が10万円以上の商品を購入す
ることについて同意権付与の審判の申立てをしました。家庭裁判所の審理を経て、本人について補助が開始され、長男が補助人に選任されて同意権が与えられました。その結果、本人が長男に断りなく10万円以上の商品を購入してしまった場合には、長男がその契約を取り消すことができるようになりました。

○親族以外の第三者が成年後見人に選任された事例
ア  本人の状況:統合失調症 イ 申立人:叔母 ウ 成年後見人:司法書士
エ  成年後見監督人:社団法人成年後見センター○○
オ  概要
 本人は20年前に統合失調症を発症し、15年前から入院していますが、徐々に知的能力が低下しています。また、障害認定1級を受け障害年金から医療費が支出されています。本人は母一人子一人でしたが、母が半年前に死亡したため、親族は母方叔母がいるのみです。亡母が残した自宅やアパートを相続し、その管理を行う必要があるため、母方叔母は後見開始の審判の申立てを行いました。家庭裁判所の審理を経て、本人について後見が開始されました。そして、母方叔母は、遠方に居住していることから成年後見人になることは困難であり、主たる後見事務は、不動産の登記手続とその管理であることから、司法書士が成年後見人に選任され、併せて社団法人成年後見センター○○が成年後見監督人に選任されました。

○親族以外の第三者が成年後見人に選任された事例2
ア  本人の状況:重度の知的障害 イ:申立人 母 ウ 成年後見人:社会福祉士
エ  概要
 本人は、一人っ子で生来の重度の知的障害があり、長年母と暮らしており、母は本人の障害年金を事実上受領し、本人の世話をしていました。ところが、母が脳卒中で倒れて半身不随となり回復する見込みがなくなったことから、本人を施設に入所させる必要が生じました。そこで、本人の財産管理と身上監護に関する事務を第三者に委ねるために後見開始の審判を申し立てました。家庭裁判所の審理を経て、本人について後見が開始されました。そして、本人の財産と将来相続すべき財産はわずかであり、主たる後見事務は、本人が今後どのような施設で生活することが適切かといった身上監護の面にあることから、社会福祉士が成年後見人に選任されました。

○複数の成年後見人が選任された事例
ア  本人の状況:重度の認知症の症状 イ 申立人:長男 ウ  成年後見人:申立人と本人の二女
エ  概要
 本人は夫を亡くした後、一人暮らしをしてきましたが、約10年前から徐々に認知症の症状が現れ、3ヶ月前から入院しています。最近では見舞いに訪れた申立人を亡夫と間違えるほど症状は重くなる一方です。本人の入院費用の支払に充てるため、本人の預貯金を払い戻す必要があり、後見開始の審判が申し立てられました。家庭裁判所の審理の結果、本人について後見が開始されました。そして、近隣に住んでいる長男と二女が、本人が入院する前に共同して身のまわりの世話を行っていたことから、長男と二女が成年後見人に選任され、特に事務分担は定められませんでした。

○複数の成年後見人が選任された事例2
ア  本人の状況:くも膜下出血による植物状態 イ 申立人:妻  ウ  成年後見人:申立人と弁護士
エ  概要
 2年前に本人はくも膜下出血で倒れ意識が戻りません。妻は病弱ながら夫の治療費の支払いや身のまわりのことを何とかこなしていました。しかし、本人の父が亡くなり、遺産分割協議の必要が生じたため、後見開始の審判を申し立てました。家庭裁判所の審理の結果、本人について後見が開始されました。そして、妻は、子どもと離れて暮らしており、親族にも頼る者がいないため、遺産分割協議や夫の財産管理を一人で行うことに不安があったことから、妻と弁護士が成年後見人に選任され、妻が夫の身上監護に関する事務を担当し、弁護士が遺産分割協議や財産管理に関する事務を担当することになりました。

○市町村長が後見開始の審判を申し立てた事例
ア  本人の状況:知的障害 イ 申立人:町長 ウ 成年後見人:司法書士
エ  概要
 本人には重度の知的障害があり、現在は特別養護老人ホームに入所しています。本人は、長年障害年金を受け取ってきたことから多額の預貯金があり、その管理をする必要があるとともに、介護保険制度の施行にともない、特別養護老人ホームの入所手続を措置から契約へ変更する必要があります。本人にはすでに身寄りがなく、本人との契約締結が難しいことから、町長が知的障害者福祉法の規定に基づき、後見開始の審判の申立てをしました。家庭裁判所の審理の結果、本人について後見が開始され、司法書士が成年後見人に選任されました。その結果、成年後見人は介護保険契約を締結し、これに基づき、特別養護老人ホーム入所契約のほか、各種介護サービスについて契約を締結し、本人はさまざまなサービスを受けられるようになりました。

○任意後見監督人選任事例
ア  本人の状況:脳梗塞による認知症の症状 イ 任意後見人:長女
ウ  任意後見監督人:弁護士
エ  概要
 本人は、長年にわたって自己の所有するアパートの管理をしていましたが、判断能力が低下した場合に備えて、長女との間で任意後見契約を結びました。その数か月後、本人は脳梗塞で倒れ左半身が麻痺まひするとともに、認知症の症状が現れアパートを所有していることさえ忘れてしまったため、任意後見契約の相手方である長女が任意後見監督人選任の審判の申立てをしました。家庭裁判所の審理を経て、弁護士が任意後見監督人に選任されました。その結果、長女が任意後見人として、アパート管理を含む本人の財産管理、身上監護に関する事務を行い、これらの事務が適正に行われているかどうかを任意後見監督人が定期的に監督するようになりました。







(BGM:秋元順子「Mrs. シンデレラ」from「セカンド・ストーリー」)
→「ザ・歌謡曲」という曲なんですが、この曲を特徴付けているのがアコーディオンの音色。
アコーディオンが入ることで、どっかシャンソン風に響いてくるから不思議である。

「普段のネット」


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機関紙先号に、やったことなかったんだけど、ちょっとやってみたかったことをやってみたんだけど。
それは「普段のネット」という、にじ屋のみんなの普段を書くというモノで。
基本的にイチマルたちや、まあスズとかが書いたモノをそのまま載せていたんだけど、ちょっと合いの手を入れてみた。
それを写真はちょっともう転載が辛かったので、写真を除いて転載します。

虹の会機関紙はにじ屋で手に入るのでもらってね。


「普段のネット」

 というわけで、本コーナーの編集、さとう&ぶ組です。
 俺たちは仕事のことばっかりじゃなくて、普段のいろいろを伝えたい!みたいなことで毎月書きたいことを勝手に書いているこのコーナー。
 コロナがあって、外には遊びに行けないし、飲むにしても内輪だけで事務所で、ということをみんなで約束しているので、そんなに書くことはないだろう、と思うのだけれど、それでも毎月書きたい、「あんたアレは書いた方がいいよ!」ということはあるもんで。

 まずトップバッターは、イチマル。

tegaki1.jpg

 のっけから汚い話題で申し訳ないが、どうも家の風呂で毎回毎回イチマルがウンコをしているのではないか疑惑が浮上。
 というか、疑惑じゃなくウンコを排水溝にツッコむところを発見され、その後「風呂には神様がいる」「ウンコなどする場所じゃない」「ウンコはトイレでするものだ」というようなごく基本的なことを改めてみんなと話したところなんですが。
 その後、お風呂に入る時にはお風呂の神様にお祈りしてから入るようにしているそうで、このクセも今はなくなった、と信じたい。
 ま、こちらイチマル近影(紙面ではココで写真)。
 普段はいい男なんですよ。雰囲気を盛り上げるし、まあ雰囲気を左右するって感じもありますが。
 だからこそ、どうしてもOUM(お風呂ウンコマシーン)からは卒業してほしいと願っています。

 で、そのイチマルの話で、彼が書きたいと言った話がいくつか他にもあるので続けましょう。
 というのも、ネットの他のところで触れられてると思うのですが、とある家族がコロナに感染したということで、にじ屋を一度閉めたんです。
 まあ、安全策、ということで。
 不幸中の幸い、本人以外に感染は広がることなくにじ屋は数日休んで再開できたんですが。
 その間、接触がなかった人はネットで作業、回収とかをやっていて、他の接触が疑われる人、基礎疾患、生活状況でもし感染したらヤバい人は大事を取って「自宅待機」としました。イチマルはカイとオグラと住んでいるし、毎日誰かしらが一緒に泊まっている。なので、ここで感染が出ちゃうと一気に全員、ということになりますから、彼は自宅待機組になったんです。
 その時のことを書いたのがこちら。

tegaki2.jpg

 ちょっと読みにくい人のために意訳しますが、「携帯を2階に置いたまま一階でテレビを見ていて、すぐに電話に出られるようにしておかないとダメ、という約束を破ってしまったので、佐藤さんに携帯を金槌で破壊されそうになって泣きました。いつも離さずにもっています。もう泣きたくないので持っています」みたいなことが書かれています。
 まあ、この自宅待機の時に、自宅待機がいつ解除になるかもわかりませんから、電話で連絡をする、だからいつでも携帯に出られるようにしておこう、という約束をまずみんなとしていたんです。
 これはまあ休みじゃなくて自宅待機ですからね。もしかして、誰かが陽性、ということもあるわけで、携帯は出れるようにしておかねばならない。
 なので、「必ず出られるように」ということにしたんだが、イチマルに電話したザキが「何度かけても出ません!」という事態に。とはいえ、実際は市丸宅にはカイもいるので誰かしら泊まってたり一緒にいたりしているのでフォローはできるワケですが、でも「電話に出れるようにしておく」という約束は破ってしまったことになりました。
 「携帯は遊びの機械じゃない。仲間と、外の人とつながるための大事な道具だ」ということは普段からよく言ってるんです。
 外に出掛けて何か危機が迫ったら、そういえば、イチマルもラーメンを食べに行ってお金が足らなくなったということがありました。あの時だって携帯があったから助けが呼べたわけです。
 携帯とは、自分が不利な状況に置かれた時に助けてくれるツール。
 だから、かける時だけじゃなく、かかってくる電話にもきちんとこたえなきゃいけない。
 これについてはオグラも書いていまして。

tegaki3.jpg

 まあ、「今日飲むんだけど来る?」みたいな電話もあるわけで、やっぱ「仲間とつながるツール」ということはなんとなくでも彼らにわかってもらいたいところ。
 ところでオグラ近影も入れましたが(紙面でココで写真)、どこか不気味な写真ですが、オレは奥の棚の上の人形の方が気になる…。印刷で出ればいいのですが。

 というわけで、ついでなのでオグラもう一つ。
 オグラは毎週アタマに一週間分の昼代をまとめて外口さんから受け取る、ということにしています。
 毎週毎週おこなわれております。
 これを忘れると、お昼代がない、ということになり、昼が食べられない。
 最初のウチは、外口さんから声をかけていたモノの、最近は外口さんの方もオグラの「お金お願いします」を待つ姿勢に。

tegaki4.jpg

 だって、やっぱり自分のお金だし、自分の昼だし。そのくらいは自分から「お金お願いします」でしょう。しかも月曜にやる、って決まっているし。
 そもそもオグラは高校時代には生徒会長までつとめ、漢字も書ければちょっとした計算、年号、そういったモノをしっかり覚えてるくらい頭がいい。
 まあもちろん、計算ができることだけが頭がいい、ってコトでは無いけれど、でもそんなオグラなら、「お金ください」くらいはたいしたことないだろう、と思うのだけれど、これを忘れるんだな。
 いや、忘れてるんじゃなくて、「言わない」。
 というのは、やっぱり入所施設暮らしが長かった彼は「全部やってくれる」が当たり前で、「自分から自分のコトを言う」ってのが苦手なんだ。
 自分が知らないところで自分のコト、自分の予定や自分の薬のことまで決まってしまう。
 そんな生活に慣れてしまったら、やっぱり自分のコトを大事にするなんてことはできない。
 少なくとも自分の昼飯くらいはなんとかしようぜ、って話なんだけど、なかなかこういう「何でもやってくれて当たり前」の生活が長いとダメになっちゃうみたいで。
 足にデキモノができて病院に行って薬をもらったけれど、それも「塗ってください」を言えない。自分の足なのに。自分が痛いのに。
 まあ、もちろんこっちはわかってるから最終的には彼に「言わせて」ぬるけれど、なかなかこの辺、一歩出ない。
 その結果、歩けなくもなって、話も通じなくなって施設を出てウチに来て、やっとまあ話が通じるようになってきて。
 あと一歩大人に、自分のコトは自分がめんどう見る、という大人に近づけるといいな、と思います。
 カブキもそういうとこあるんだよな。
 人の話も聞けるようになるといいと思う。
 なんなら自称リーダー井上とかよりよくわかってるような気がするんだけどなカブキもオグラも。

 そういえば、そんなオグラ、この前のラジオの出演の時、「施設にいた時は笑ったところを見たことがないといわれていた」と言っていた。
 ま、今はいつももう笑ってるけど。
 あ、ラジオの取材?がありました。
 西東京FMというローカル?な放送らしいけど、最初は俺の話、という感じだったんだけど、それだと面白くないし、井上たちが一緒なら、ということで出演をお受けしました。
 打ち合わせの中で、最終的に歌うことになり、仕方ないので「生ギター一本でみんなで歌う」という荒技に出ました。まあ、音源がないので仕方ない。
 久々に出演する人で練習もしました。
 やっぱりみんな歌詞忘れてました。
 でも歌うのは楽しいな、と改めて思ったところです。コロナ終わったらまたやりたいと思っています。

 このラジオ出演について、井上がこんなことを書いています。

「やっぱり、俺たちは有名人!」
ラジオ・・・?俺は、やった~~、ちんどんがついに、ラジオ出演か?
 俺は、じつは、テレビよりラジオの方が得意というか好きです。 (ラジオは、声が勝負なんだもん~~。)声に、自信ありぞうの俺はラジオの方自分に自信がでます。
 すごい事だと思っています。
(だって、ゆうゆうワイドが好きだから!)
 すごいよな~~、ラジオに出るなんて、(やっぱり俺たち有名人だ~~。)
 なんか、オファがきたらしく今回は初のオンラインで、本部で俺、のぶ、こば、まる、オグさん、後番長がでました。
(どこのラジオ局だと思っていました~~。)が、(コロナじゃ無かったら都内とかないってラジオの人とトークできたのかな~~。)(ラジオ局の人と、終わってから、飲みに行きたかったな~~。)と、思う今日この頃!
 今回俺たちの出演するラジオは西東京市のラジオ局らしいです。八王子の方です。
 今回のラジオで、ひさしぶりにあの曲をうたいました。
(仲間がほしい カレー)
 ひさしぶりに、唄ってスッキリしました。
 2020年の2月に越谷でステージをやり、はや2年ぐらい唄は、ソロ1曲だけど、覚えるもんですな~~。
(覚えてるもんだね~~。 仲間がほしい、カレー)
 当日主催してる人と、色々な打ち合わせして、俺のカレーの曲を唄った、やっぱり広げてラジオなのに、ステージの不意いきでやっていた俺!
 今回はラジオなのに、みんなが、笑うあのポーズをとりながら(仲間がほしい、カレー)を、うたいました。
(やっぱり、あの曲は素晴らしいな~~、名曲だ!)(だって、俺オリジナルのポーズで、唄えるんだもん。)(本当なら、ラジオ局の中で、あのポーズしながら、唄いたかったな~~。)
 唄っているとき、全然緊張しなかった!
(やっぱり、本番に強い!)
 なんか、今回は4月1日 4月8日にやる収録をしていたらしいのです。
 俺は、生だとずっと思っていました。が、ちがっていました。(ガッカリ!)
 でも、仲間がほしい、カレーが唄えて、スッキリし感動しました。(井上・以上)
 こちら井上が歌ってるところですが、ラジオとか関係なくいつものフリをやっていますが、井上ソロ曲ということで、オグラがヒマそう。
 井上よ、いやいや、有名人じゃないけど、まあ楽しかったならよかったな。またどっかからお声がかかったら君たちも呼ぼうと思うよ。

 コバはこのラジオ収録についてこんな風に書いています。一部ひらがなを漢字にしました。

「ラジオに出たこと」 
 こないだ、さとうさんから、ラジオに出たいんで、自分と井上さんとタカノブとイチマルとオグラがえらばれた。うれしい気持ちだった。
 最初、少し緊張した。歌は大きい声で歌った。はやくコロナがおわったら、ちんどんをたくさんやりたいと思った。
 初めてリモートでやった。4月1日に放送が決まって、たくさんの人に、聞いてもらいたいと思った。最後はみんなで写真を撮った。うれしい気持ちだった。たくさんの人にラジオを聞いてもらえたらうれしい。(コバ・以上)

 ま、なんだか近影(紙面ではココで写真)がボケッとした写真になってしまいましたが、今回の機関紙には出てきてないけど、コバについてはいろいろとトラブル?を抱えているという情報もちょっとオレの方に入ってきてるので、さて、その辺解決して気持ちよく飲みに行けるのか!?。
 時に仲間とぶつかったりするのも人生。
 がんばっていただきたい。

 そしてイチマルもラジオメンバーに選ばれました。

tegaki5.jpg

 「エッチな話をしました」と書いてありますが、まあラジオの人には言ったんですよね。よくある「一人暮らししてよかったことは?」とか聞けば、必ず「AVが自由に見れる」って返ってきますよ?しかも、そこから熟女モノがどうしたとかになりますよ?と。「恋人募集中です!」といったコバに「どうして恋人ほしいの?」と聞けば、やっぱ「セックスしたいから」になりますし。
 でも、それでもいい、ってので出演をお受けしたので我々のアレではありません。まあ、カットされてるかもしれないけど、ましてやその辺は我々の関与する部分ではありません。
 ラジオ放送は、我々らしくエイプリルフールの4月1日と8日の2回に分けて放送するそうです。西東京FMの金曜おつか列車という番組だそうです。他地域の方もなんとかがんばって聞いてみて下さい。

 写真は「レッツ美バディ」をやってるコウヘイですが(紙面ではココで写真)、最近森さんに髪を赤くしてもらったそうで。
 なかなかかっこいいんだけど、それについての記事はございません。しかも白黒印刷なのでこのキレイな赤がお伝えできないので残念です。

tegaki6.jpg

 次はツノの話題ですが、上の文章はツノが書いたモノです。
 ツノはなかなか毎日辛いことが多く、というか、彼にとって世界はなかなか生きづらい。しかも輪をかけて寒い時の彼はかわいそうであった。そもそも寒いのも嫌いだし、運動も嫌いなのである。身体を動かせば暖かくなる、というのもなかなかどうしてうまくいかない。
 やっと暖かくなってきてよかったね、という話をしていたんだけど、今度は花粉…。そして恐らく暑くなったら、それはそれでまた辛いのだ…。
 がんばれツノ!
 まあ、寒くても暑くても変わらない、という人より人間的でいいと思います。

 次の話題は五輪。井上です。

「そだね~?ナイス~?もぐもぐタイム」
 2月中やっていた、北京オリンピック、おれは、1つの競技をずっと見ていました。
 その競技は、おれの中ではまってずっと生で見ていました。
 女子カーリングです。今の女子カーリングを作ったのは、本橋麻里さん、元カーリング選手、ロロロラーレを、作った人です。本橋麻里さんは、北海道出身、て、言うか、カーリングは、北海道が生地です。北海道常呂市は、はっしょうの場所です。むかしからカーリングがさかんだったそうです。
 で、今回北京オリンピックの4人の選手がかつやくをしました。藤澤五月選手、吉田姉吉田妹鈴本夕湖この4人のだいかつやくで銀メダルとりました。
 実は、4年前の平晶オリンピックでは、カーリングで銅メダルでした。カーリングの試合中小型のマイクが使いていて選手たちの生の声が聞こえてとっても、楽しそう~。
 4人の選手は、負けても笑っていて前をむいていてかっこいいです。藤澤選手、吉田知那美選手、鈴本選、同学生で仲よしらしいです。
 試合中、「そだよね~。決ったらナイス~。」とかおれは、見ていて笑ってしまってしゃ~ない。4人とも、いっしょうけんめいやっているんだけど、見ている方は笑ってしまいます。
 まるで、春菜ちゃんみたいな力がぬける声?試合中、何回も「そだね~。」「ナイス~。」ワイドショーでは、「そだね~。」「ナイス~。」とかがとりあげていて、ワイドショーを、見ていても楽しい2月のワイドショーでした。
 でも「ナイス」「そだね~。」は、北海道常呂市ならではの言葉らしいです。
 でも、試合は、1試合ごと白熱していました。1とう1とう真剣でした。あの女子カーリングの試合してる時は、自宅待機だったので、ちょうど生で試合を見る事ができました。本当に、真剣にカーリングを、見てしまいました。
 ロロロラーレの試合を、ね。
 今回のカーリングでルールも知る事ができました。それに、選手たちの使っていた言葉もカーリングやっている間、今までも、ネットでも、自分の中でもはやっています。
 つうか、ロロロラーレって何だろ~?本当は、ちがう競技なんだろうな~。まっいいやぁ~。(井上・以上)

 「北海道が生地です」とのことらしいです。確かにがんばってましたね、カーリングのロコ・ソラーレ。オレも応援しました。
 井上が文章だけでは飽き足らないと書いたカーリングの絵がこちら。

tegaki7.jpg

 まあ、そんなこんなで今回の最後の話題は、「引っ越し」です。
 まずは「引っ越し丸」ことイチマルから。
 下の絵はイチマルがその日の引っ越しを書いたモノ。

tegaki8.jpg

 今回はすずの引っ越しでした。
 長いこと一緒に住んでいたお姉さんが就職で遠くに行くとのことで、すずも引っ越し、と相成りました。
 イチマルは引っ越しになれているというか、わかりやすい作業の上、力仕事なら任せておけ!というのがあるので、とてもがんばってやってくれるので、「引っ越し丸」として、引っ越しがあれば手伝いに行くことになっている。
 というわけで、今回の最後は、その当人、スズの文章で、お別れしましょう。
 お届けしたのは、本コーナー編集、さとう&ぶ組でした。
   
「ありがとう、我が家、我が姉」
 先月引っ越しの前段階の片付けとして、イチマルさん、タカノブさん、ミツさん、こんさんに来てもらい大量の提供品を運び出してもらいましたが、ついに今月引っ越し。
 にじ屋も忙しい中だったけれど、会議で引っ越しをみんなに手伝ってもらいたい、とお願いすると「俺行く!」といの一番にまたイチマルさんが言ってくれたりして。本当にありがたい。
 予定を調整してもらい、今回はコウヘイさん、ミツさん、イチマルさん、佐藤さんに来てもらい、新居へと荷物を運んでもらった。
 ほぼ丸2日間かけて車に積んでは運び、を繰り返し、なんとか引っ越しは立ち会い前に完了。
 そもそもコレまで姉と小さな一軒屋を格安で借りていたので、荷物の量が増えに増え(主に服)、だいぶ提供品に出したけれどそれでも一人分の荷物にしては多いかな…、という量。なんとか時間をぬってまとめることが出来て良かった。みんなに来てもらうまでに間に合わないかとヒヤヒヤしたので、間に合わせた自分を褒め称えた。
 新居がアパート2階で、しかも階段がスキージャンプ台かよ、というくらい急。みんなにはもう本当に大変な思いをして上まで荷物を運んでもらいまして。いやもう、本当にありがとうございました…!

 引っ越しを経験したのも初めてで、ガスや電気の契約解約、大家さんとのやり取り、郵便の手続き、区役所での住所変更、もういろいろ不慣れなことに追われて大変ではあったけれど、なんとかなったのでホッとしました。
 みんなに荷物を運びだしてもらい空っぽになった家を、立ち会い2日前から夜通し姉と掃除。シンクの汚れとか、お風呂のカビとか、日頃もう少し小まめに掃除してれば、という箇所も多くて家に申し訳ない気持ちになってしまった。もっと大事にしてあげられれば良かったけれど。姉とロヂャースで「よく落ちる洗剤はどれだ…」と血眼で探し、なんとかキレイにして大家さんに返すことができて本当に良かった。7年もあの家にお世話になっていたのかと思うと長いなあ、と驚いてしまう。

 私は埼玉に越してきたときからずっと2階のロフトに住んで居たのだけれど、荷物が全部ない部屋を見たら、「ああ、こんなに広かったんだ」と。専門学校に通うべく埼玉にきて、もうすぐ学校が始まって実習が、試験が、と家に帰れば課題をやって寝るだけの生活をしていたので、こういう部屋にしよう、とか、考える暇もなく、教科書やプリントの山が増えるばかりで。
 そのうちプツリ、と外に出られなくなって引きこもって、中退するわけですが。そのあと姉に「虹の会の面接受けない?」と言ってもらって虹の会に入り、と、この家にいる間凄いいろんな事が起こっていたのだなと自分でもビックリ。
 引っ越しが忙しすぎて感傷に浸る余裕全然なかったけれど。

 実家にいた頃は別段仲よくなかった姉とも、最初はお互い忙しくて話したりもあんまりせず、干渉せず、ということが多かったんですが、一緒にご飯食べたり、どっか遊びいったり、とにかく話す時間がたくさんあったから、とても仲良くなった。
 私が引きこもったときは、一緒に住んでるというだけでとてもツラい思いをさせてしまっただろうなと、申し訳なさいっぱいですが、見捨てずにいてくれた姉には頭が上がりません。
 本当にありがとう。
 今回姉が大学院を出て就職が決まって、しかも九州に行くという選択を取ってくれたことが、「もうすずは大丈夫だな」と思ってくれているんだなと思って嬉しかったし、安心させてあげる事が出来たんだな、と。

 見送りの日、直接言うと泣きそうだから、と空港で別れたあとLINEでメッセージをもらったのですが、もう大号泣。
 そのまえから見送りは泣くまいとこらえてたのが決壊しまして、駅の隅っこの方で鼻水だらだらで泣きました。

 さみしさはありますが、忙しく騒ぎながらみんなとの毎日を送っているとそれも吹き飛ぶ、というか忘れちゃいますね。
 自分の人生でココでまた一区切りというか、新たな気持ちで頑張っていけたらいいなと思ってます。
 相変わらず毎日遅刻してますが…。(すず・以上)







(BGM:Wynton Marsalis「Lazy Afternoon」from「Hot House Flowers」)
→トランペット奏者ですね。
これはオーケストラでやってる。
メロウな一曲。

間違ってたと思う


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虹の会機関紙3月号に副会長名義で書いた文章を転載します。


今年度虹の会40周年ということで、50周年に向けて「こんなことを評議委員会で話し合っています」というのを先月書きました。
その中で、虹の会本体の規約改正の提案を総会でしたいと思っていることについて、今回は書こうと思います。

【間違ってた規約改正】
虹の会の規約はそんなにこれまで触ってきていません。
というか、そもそもそんなに細かいことが書かれているわけじゃないし、あまり普段には関わりがない、という存在であったということですね。
初代会長の福嶋あき江さんを中心にして作られたモノだと思うんですけど、その頃は俺もいなかったのでよくわかりませんが。

調べてみますと、彼女を中心に作られたのが1982年。
改正の最後が2003年になっているので、ほぼ20年触っていません。
03年を含め、3度だけ改正されていますが、それは他事業(ネットやシステム)との兼ね合いで、会議の名前を変更したりのことで、ほぼ中身はそのままと言えます。
ただ三度の中の一度は、重要な変更をしました。
あき江さんが亡くなってオレなんかがかおるさんや佐竹、竹脇や三原さんたちと虹の会をもう一度始めようという時に、会費の改正をしています。

その時、かなり虹の会は財政的に窮状に陥っており、まあそれは今も変わらないんだけど、会費の額を上げたのです。
普通会費2千円を3千円に、特別会費を5千円を6千円に上げました。

これ、今考えると、絶対ダメだったと思います。
オレは当時、この提案をする側だったんですが、もう何もわかってなかったな自分!とつくづく思っています。
これについては、その後十年くらいしてものすごく心残りで、いつかこれは再度改正しなければならない、と思っていました。

なぜダメかというのは、これ簡単で、「高すぎる」んです。
当時、バブル期だったとはいえ、ダメですね。
世の中見えてなかった。
本当にこれは視野が狭かったとしか思えません。

【たくさんの人の手で】
その頃から30年くらいを経て、今、格差が問題になり、「障害者は年金もらってるからイイよな」的な、当時とは全く逆の見方をされることも多くなりました。
まあ、当時からそういう人はいましたが、ここまで多くはなかった。
もちろん、それが間違った認識による意見であることは当時も今も同じなんだけれど、しかし、この状況は本来共有できるモノで、いや、共有して社会に対してこの格差を訴えていくべき部分であり、ここで分断されている場合じゃないと思うんですね。
そういう論議ができる状況が今整ってきている、現場や役員間でそういう論議がきちんとできる状況にある今、改めてこの時の間違いを取り返すべく、評議委員会では、会費の値下げを提案するつもりでいます。

たくさんの人に、ウチの機関紙を読んでもらいたいし、一緒に声を上げてもらいたい。
そのために今必要なことは、高い会費を下げることだと思っています。
確かに、機関紙の印刷にも発送にもお金はかかります。
その他、様々な部分でお金がかかる。
たくさんの方に支えていただきたいという思いは同じなんだけど、今思っているのは、会費収入の総額を上げることではなく、会費を収める人を増やしたい、という気持ちなんです。
同じ30万円予算なら、100人の方に会費を納めてもらえばいい、ではなく、300人の方に会員になってもらいたい、会費を納めてもらいたい、という方向です。

我々庶民は、やはり束になってナンボだと思います。
誰かのスポンサードで活動を続けていくことは、社会運動としての障害者運動の意味からも外れてしまうと思っています。
たくさんの人に活動を理解してもらいたい、参加してもらいたい。
それこそが、社会を変える、今の「障害があったら生きにくい」「障害があったら電車にも乗れない」状況を変える方法なのだと我々は改めて思っています。

【会費を下げたい】
そのために、高すぎる会費を下げようという提案を総会でします。
当時一緒にやっていた佐竹やかおるさんは亡くなってしまったけど、オレや竹脇ら、当時やっていて、今もやっている我々にしてみれば、30年の間違いをやっと取り返すチャンスが来たという気もしています。
亡くなってしまった彼らの分も、俺たちは間違ったことを修正しなければならない。

確かに当時は主たる収入源がありませんでした。
けれども、今は活動の幅も広がり、会費だけに頼らずともそもそも運営そのものは回るというところもあります。
しかし、だからといって、会費が高すぎる件はどうでもいい、としてしまうのは、会のあり方自体を放棄しているようにも思うのです。
少なくとも、会報、うちでは普段「機関紙」と呼んでいますが、機関紙の発行くらいは会費でまかないたい。
というか、そうすべきだとも思います。
だから、会費単価は下げるにしても、多くの人の協力を得る、ということを目標にして来年度以降、50周年に向けて進んでいきたいと思っています。
そのために、機関紙も充実させていきたいと思います。

【ネット支払いができるように】
同時に、今、インターネット社会。
今の会費の納入はどうしても振り込み、もしくはにじ屋なんかにもってきてもらう、という方法しかないんですが、「そんな時間あるかいな!」って方もいると思うんです。
この40年で忙しい世の中になりました。
買い物に行くよりもインターネットショッピング、というのは、なんだかもう普通のことになりました。
そうなれば、「会費はインターネットで払えないの?」ということについて論議する時に来ていると思います。
いや、遅すぎるかもしれません。
確かに、我々はインターネットに関してちょっとビクついているところがありました。
ビクついているというか、気分的に運動に対してアナクロが過ぎたとも思います。

藤井が亡くなって、余計に「現実的に進めてくれる人がいない」というところもありました。
まあ、もちろん藤井自身も運動を考えて行く感覚としては我々と同じようにアナクロが過ぎたところもあり(ってか、そうやって一緒にやってきていた)、彼の技術を全てインターネットに注ぎ込んでいたかというとそうでもなかったと思います。
今になって、「インターネットを重用しよう」ということを言うと、天国(地獄?)から「オレがやりたかったよ」、という声が聞こえてきそうですが、評議委員会ではその方向でやろうと思っています。

実際は税金の問題などもあり、そんなに気軽にイケるモンでもない、というようなことも判明してきて、現在討議を重ねています。
まあ、まず会費が、カンパ的なモノがインターネットで扱えるようにならないと次の一手も打てない気がしますし、まずそこやれよ!ってことではありますので、今、そこを具体的に考えているところです。

【エピローグ】
というわけで、まだ総会の日程などはコロナのこともあるので検討中ですが、来月号には総会の議案が付録で出せたらいいな、と思っていまして、そうなるとシステムの規約によってその一ヶ月後以降に総会ができることになるかな、という感じで進行は考えています。
まあ、本当はたくさんの方に気軽に話してもらえるような、これまでやってきた「総会飲み会」、みたいなのができたらいいと思うのですが、こればっかりはコロナの様子で。

ではみなさん、手をつないで、敵を見失わず、一緒に50周年まで走ってください。
あ、いや、やっぱ走るんじゃなくて、歩きましょ、ゆっくり飲みながら軽やかに、笑いながら。
そしてバカ騒ぎして、世の中にそのバカ騒ぎが広がっていくように、楽しくいきましょう。







honndaihou.jpg

(BGM:Leah Dizon「恋しよう」from「Destiny Line [初回盤]」)
→安室奈美恵さん的サウンドというか、そういうやつ。
目新しさはない。
2分までしか聞いてません。

足がない


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(スーパー猛毒ちんどんの「足がない」のプロットの一つの物語)

施設に入ったら、自分のペースで生活はできない。
食事もお風呂も決まった時間にしなきゃならないし、そもそもこうやってカラオケなんかに自由には行けない。

私は大学生で、車椅子に乗っているけれど、大学の同級生や福祉の関係のサークルの人たちが一緒にカラオケに行こう、なんて誘ってくれたりする。
行きたいコンサートにも声をかければ「私も行きたい」なんて人がいて、一緒に行けたりもする。
時にはお酒を飲んだり、仲間として彼らが迎えてくれているのが嬉しい。

彼らも「コレまで車椅子に乗った人としゃべったこともなかったけど、別によくよく考えれば普通だよね」みたいなことを言ってくれたりする。
そりゃそうなんだけど、なかなかそういうことに多くの人が気づかない。
だから私なんかはそういうことを気づかせる役割もあるんだな、って思ったりした。

居酒屋に行っても、やっぱり段差があったりして一人では乗り越えられない。
時に座敷だったりすると、抱きかかえておろしてもらわなきゃならない。
でも、みんなそれを自然にやってくれる。
私は、どっか「青春」を彼らと過ごしていると思っていた。

そのサークルというのは規模が小さくなく、いろいろな人がいて、私も誘われてそこに顔を出すようになったけど、やることと言えば福祉の勉強とか、そういうのよりは飲み会だったり、どっか子どもの集まりにボランティアに行ったり、その程度のコトだ。
だから私も気楽に彼らに付き合っていたところがある。

その中で、やっぱり中心人物というか、そういう人はいて。
彼はことあるごとに私を誘ってくれたし、入りにくい居酒屋さんでも、「行こうよ行こうよ」と無理矢理誘ってくれるというか。
「あそこは狭いから入りにくいし…」なんて私が躊躇してると、「大丈夫だよ!」「それに、そうやって車椅子の人が行かなかったら、きっとお店の人も気づかないんだと思うし」と言ってくる。
そう言われると、そうかな、という気もして、私も彼が一緒ならどこにでも行けるような気持ちになった。

私はサークルの部室に行くたびに彼がいてくれたらいいな、と思うようになっていた。
とにかく彼のそばにいたい。
彼と話していたい。
もうその時から好きになっていたのだと思う。

私はそもそも好きになった人がそれまでいなかったので、その感情に戸惑った。
これが恋なんだ、と思うのには時間がかかったけど、一度それを認識すると気持ちはエスカレートしていった。
夜寝る時も、ご飯を食べる時も、朝起きた時も、彼のことが頭から離れない。
そのうち、私は彼のことを考えるたびに、彼に抱かれることを夢想するようになった。
セックスなんて自分には遠い世界の話だと思っていたのが、肌を合わせたらどれだけ気持ちがいいのだろう、と思うようになった。

でも、私は歩けないし、手も不自由だ。
彼の役に立てるとは思えない。
恋人になったとしても、私にはなにもできない。
そもそも服を自分で脱ぐことすら難しい。

それでも、彼のそばにいられればイイ。
彼を見ていられればいい、と私は自分を納得させ続けていた。
その先を望んでも上手くいくはずがない。

でも彼は優しい。
いや、私に優しいわけじゃない、みんなに優しいんだ、彼は。
そういう彼の言動に、私はとにかく自分の思いを顔に出さないようにと必死だった。

ある日、飲み会があってみんなで部室に集合していたんだけど、彼が来ない。
そのうち、他のサークルの男の子が「あいつ、またB子のとこで寝てんじゃないの?」と言った。
私は心臓がキュッとなった。
「やっぱあの二人つきあってんの?」他の子が聞く。
「知らなかったの?」また他の子が言う。
そういえば、B子ちゃんもまだ来てない。
「アイツ、実家でちょっと遠いじゃない。だから今もう彼女のアパートで半同棲してんだよ」
「へえ、まあ仲良きことは美しい、か」とみんなが笑った。
私は心臓がバクバクして吐きそうになった。
「でもいくらなんでも遅刻しすぎだろ!」と誰かがちょっと怒り始めた時、彼とB子ちゃんは息を切らせて一緒に部室に入ってきた。

「おせえよ!」「ごめんごめん!」そんなやりとりがあって、でも居酒屋さんの予約時間も迫っていたので遅刻のことはあやふやなままみんなあわてて部室を出た。

私はあまりその間の記憶が曖昧だけれど、誰かに車椅子を押されて居酒屋の席についていた。
乾杯があって、誰かが私に話しかけもしたけれど、私はきっと上の空だったんじゃないかと思う。
何の話をしていたかも思い出せない。

ちょっとしてから、彼が立ち上がって言った。
「今日、なんとAさんの誕生日で~す!」
ボケッと「彼は私の誕生日を覚えていたんだ」、と思った。
みんながハッピーバースデーとか言ってくれる中、彼が花束を私に渡してきた。
「この花束をBと買いに行って遅刻しちゃったんだよ!」と彼はみんなに言った。
「それならそうと連絡くらい入れろよな」と誰かが言って笑いが漏れた。
私はもう何が何だかわからなくなって、真っ白になってしまったけれど、とにかく涙が溢れてしまった。
「泣くなんて大げさな…、そんなに高いもんじゃないから気にすんなよ」と彼がいい、「お花屋さんに知り合いがいたから勉強してもらったんだ」とBちゃんが彼の隣でペロッと舌を出した。

そうだよね、そうだよね。
ありがとう。
そうだ、誕生日だったよね、私。
そっか。
そうだよね。

私はその晩から、大学を卒業したら施設に行ってもいいのかな、と思うようになった。
絶対に行きたくなかった場所だったけれど。









(BGM:RCサクセション「NEW SONG [Live]」from「THE KING OF LIVE [Disc 1]」)
→RCはライブ盤が多かったと思う。
ライブバンド、という気持ちが大きかったのだろうか。
こちら、清志郎さんがメインボーカルじゃないんだけど、そういうことは全く関係なくこれはRCサウンドだといういいトラックだと思う。
むしろここで好き勝手にバックでシャウトする清志郎さんがかっこよかったりする。

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