FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - - - - 12
3 4 5 6 7 89
10 11 12 13 14 1516
17 18 19 20 21 2223
24 25 26 27 28 2930
31 - - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

ありがとうカマキリ


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



俺の昔からの仲間で、大学の後輩に当たる、今学校の先生をしているよしをが書いたレポートが秀逸すぎるので、ここに紹介します。
タイトルは、「ありがとうカマキリ~達也の暴力が教えてくれたこと~」です。


出会い

 「ぼく、いじめられたから、この学校にきたんだよ。」
 五月の終わりだった。遠足の帰り道、バスの中で達也はつぶやいた。少し間をおいて、
 「でも話したくない、思い出すから…」
 と窓の外を見つめた彼の表情は忘れることができない。色白で細長い顔の真ん中にはつぶらな瞳が光っていた。
 小学六年生の時に、達也はこの学校に転校してきた。小学校から特別支援学校に転校する場合、小学校で六年間を過ごし、中学生になる段階で入学してくることが多い。だが卒業を待たずに地元の小学校から転校しなければならなかった達也は、どんないじめの体験をしてきたのだろうか。中学二年生になったばかり。楽しかったはずの遠足の帰りに、本人からこんな言葉を聞くとは思っていなかった。
 達也は、おそらく小学校時代に受けてきたであろう暴言や暴力を、今度は新しく担任となった俺の前でも繰り返していた。「死ね」「バカ」「あっちにいけ」など、俺だけでなく、出会う教員や友達に投げつけていた。そして、教室には入ろうとしない。授業に誘っても気分次第で机やイスを蹴飛ばした。
 朝の運動や教室の掃除などには当然のごとく参加しない。また、まじめにやろうとしている友達にちょっかいを出すので教員が一人張り付いていなければならなかった。昨年の担任はかなり手を焼いていたようで、達也が家の都合で学校を休む日などは職員室でガッツポーズをしていた。
 俺のクラスは達也を含めて生徒は六人だった。担任は俺と、採用されて間もない若手教員Aの二名だった。Aは達也の暴言や暴力をどうするのかとても悩んでいたようで、いろいろな研修で学んだ方法を試そうとしていた。
 達也がみんなの活動から逃げ、体育館の隅でうずくまっている。何とかしようという使命感からか、Aは後を追いかけて必死に説得している。首を横に振り続ける達也。
 どんな会話をしているのか、さりげなく近づいて聞いてみた。
 「今の達也くんのイライラした気持ちを数字で表してみよう。一番イライラしている状態を5とすると、3かな、4かな・・・」
 感情コントロールマニュアルというやつか?動こうとしない達也にAの焦りの色が見える。
 「そばにいない方がいいんじゃないかな?」
 俺が声をかけると、Aは不安な表情で迷っている。
 「俺たちの目の届く範囲にいるから大丈夫。他の生徒の指導に行こう。」
 逃げ出しても追いかけられることはないと知ると、達也はさらに行動範囲を広げた。目で追いかけると校庭を囲んでいるフェンス沿いに何かを探しているように歩いている。フェンスの周りには様々な雑草が生い茂っていた。

小さなファーブル

 六月になると雑草や木々の葉が勢いづいてくる。そこをねぐらとする虫たちも校庭に姿を見せるようになった。そんなある日、朝の運動でマラソンを走る時間だった。
 達也はいつものようにマラソンから逃げ出してフェンスの近くをウロウロしている。もう少しでマラソンが終わりそうだったので、最後のあいさつだけは参加させようとして達也に近づくと、達也の手のひらには長さ十センチ以上あろうか思われる大きなカマキリがカマを持ち上げてこちらを睨んでいる。
 「すごいオオカマキリだね!」
 びっくりしながら俺が言うと、
 「違うよ、これはハラビロカマキリだよ。これ、教室に持って帰っていい?」
 昨年は昆虫を教室に持ち込むことは禁止されていたらしい。達也が遠慮がちに聞いてきたので、
 「いいよ。」
 と俺は答えた。
 達也の昆虫に関する知識はすごい。逆に俺たちが彼から昆虫のことを教えてもらう気持ちでいこうと思った。
 カマキリの件でヒントを得たので、俺は自宅にあった昆虫図鑑や生き物に関する本を教室に持ち込み、小さな学級文庫を作った。また、捕まえたカマキリを虫カゴに入れて達也が世話をすることになった。すると、教室から逃げ出すことが減ってきたので、俺やAが他の子どもたちと過ごす時間が確保できるようになってきた。
 達也が教室にいられるようになった頃だった。朝のマラソンの途中で昆虫探しをしている彼にいつものように声をかけた。
 「またカマキリつかまえたのか!」
 達也は嬉しそうにうなずいた。校庭では友達と教員がトラックの周りを汗だくになりながら走っている。
 「どうすればマラソン走れるかな?」
 俺は聞いてみた。達也はカマキリを見つめてしばらく考えている。時間がかかりそうだったので悩んでいる達也をそのままにしておいて、俺はマラソンの流れに戻った。
 二~三周を走ってからだったろうか、達也が笑いながら俺に向かって手を振っている。駆け寄って、
 「どうしたの?」
 と問いかけると、
 「こいつと一緒なら走れるよ。持ちながら走ってもいい?」
 黄緑色のカマキリと目が合った。
 「もちろんいいよ。ただ、かわいそうだから握りつぶさないで。」
 と俺が答えると、一瞬、達也の頬がゆるんだ。そして、両手で器用にカマキリを包みながらトラックへ戻り、手のひらの中を覗き込みながらゆっくりと走り始めた。

逆流

 達也の暴言や暴力は心理学でいうところの「毒吐き」ではないかと考えられた。「毒吐き」とは、今まで自分が受けてきた理不尽な言葉によって傷ついた心を、自分以外の人間に同じような言葉を投げることによって回復させようという現象だ。達也は「死ね」と叫んでも、取り合わない教員にはあまり言わない。俺やAなどの関係が近い人間や大げさに反応する人間にむけられていた。そのため、俺は中学部二年生の教員全員に、達也が暴言を吐いても取り合わないでほしいとお願いをした。
 その頃からだった。子どもたちが帰った後の教室で、Aがこんな相談を持ち込むようになったのは。
 「達也の指導はどうなっているのかと、よく他の先生方から聞かれるのです。」
 俺は意味が分からなかったので聞き返した。
 「どういうこと?」
 「何人かの人ですけど、みんなが授業している時に達也を放っておいていいのかって…。」
 別に放っておいたわけではないが、クラスの外から見るとそう見えるのだろう。
 「それに、暴言に対する指導がないと言われました。」
 俺のクラスの活動に意見があるなら、なぜ俺に直接言わないのだろう。なぜ若いAばかりに言ってくるのだろう?ようやく達也が落ち着いてきたことを見ていてはくれなかったのか。子どもの成長を喜んでくれているとばかり思っていた俺は、クラスを包んでいる空気に目に見えない鎖が張り巡らされているのを感じた。とにかく、Aが辛そうだったので、
 「また何か言われたら、俺(藤村)の方針なので、自分は仕方なくやっているんです、と答えていいよ。」
とだけ言っておいた。

ごめんなさい

 何も知らなかった時の方が思い切ったことができることがある。逆に、人間関係が見えすぎるとそのことを考えて結局あきらめてしまうこともある。中学部の教員集団に必ずしも歓迎されていないと知ってから、俺は達也が逃げ出すのがだんだんと重荷に感じてきた。減ってきたとは言え、まだ暴言も続いている。達也が逃げ出した瞬間、俺のことをチラッと見る教員の視線に気が付くようになってしまった。
 考えすぎかもしれない。また、自分のやり方を疑っているわけでもない。だが受け入れてもらえていないという疎外感は思ったよりも俺の行動を縛ろうとした。
 調理実習が始まる時間だった。達也は調理室に入らずに教室の前をウロウロしていた。
 「調理の時間だぞ!」
 俺は少しイライラしていたのかもしれない。多少は信頼関係ができていると過信もしていた。強めの声に少し驚いた達也はやはりその場に座り込んでうつむいた。ニ~三分の沈黙。動こうとしないので両脇を抱えて立たせようとした時、バランスを崩して二人とも転んでしまった。
 「なにするんだよ!おまえもぶつのかよ、おまえもけるのかよ。」
 達也はそう叫んでから、さげすむような眼で俺を見た。はっと我に返り、
 「ごめんな、達也。わかった、調理室にはいかなくてもいいよ。」
 俺は震える声でやっと言葉をかけた。達也は好きな昆虫を求めて、廊下の端の方へ走っていった。
 調理実習が終わり、作った料理を教室で食べる時間になった。不思議なことに教室に戻ると机やイスの位置が変わっていた。みんなで向き合うように並べられており、いつも給食やおやつを食べる配置になっていた。教室には誰もいなかったはずなのに。
 まさか達也が用意してくれたのか?そう思った時、ぞろぞろと子どもたちが帰ってきた。その列に紛れて達也も教室に入ってきた。
 「机とイス、ありがとな。」
 お礼を言うと達也が恥ずかしそうに笑っている。俺に怒られた後、達也がどんな行動をとったのか。それを見ていたのは虫カゴの中にいたカマキリだけだった。 

やらされているのはだれか

 (おまえもぶつのかよ)
 その言葉が一晩中頭の中で回っていた。達也をいじめてきた側になるのか、そうではないのか、俺がとるべき行動がこの日の夜に決まったような気がした。
 「やらされる」ことへの達也の拒否感は岩のように固い。少しは学校になじめていると考えたが、自分から授業を楽しむようになってくれるためにはまだ時間がかかりそうだった。それでもいい。焦ることはない。というか、俺は何をやらせようとしていたのか?本当は、子どもたちが自分たちで考えて行動できるようにしなければいけないのではないか?そこまで考えた時、見えない鎖を作っているのは自分自身だと気がついた。
 例えば掃除。今までは教員が決めた順番で教室内を掃き、そして雑巾がけをするだけであった。つまり、子どもたちにとっては「言われて動く」活動であった。教員と子どもたちとの関係は一方的で、子どもはほとんど受け身の状態であった。そのため、掃除のやり方を根本的に変えるようにした。
 まず、子どもたちときれいにしたい場所を考える。そのために、ホワイトボードに教室の平面図を書き、それを見ながら自分の担当場所を決めてもらうようにした。そして、それぞれの場所の清掃をし、終了後、ホワイトボードを使いながらみんなで点検した。大切にしたことは、なるべく教員は口を出さないようにしたことだ。そして、逃げ出した達也は、仲の良い友達である真理に迎えに行ってもらうようにした。

ボクたちだってできるんだ

 掃除のやり方を変えた日、
 「これから掃除する場所を決めるから集まって下さい。」
 と俺が言うと、子どもたちはキョトンとしている。
 「みんながきれいにしたい場所はどこかな?」
 教室を見渡しながら声をかけると、子どもたちも同じように教室内を眺めた。
 (しばらく時間がかかるかな?)
 そう思い、子どもたちを教室の真ん中に集め、おもむろにホワイトボードを取り出した。教室の見取り図を描き始めると、みんなは何事かとのぞきこんできた。そして、俺が書き終えた瞬間だった。
 「ボク、黒板、ふく!」
 と、普段ほとんど手を上げない控えめな性格の真治が手を挙げた。すると他の友達も、
 「私、窓やる!」
 「床ふくね」
 など、次々と手を挙げてくれた。達也は廊下からその様子を見ていた。教室に入るきっかけがつかめずにいたようだったので、真理に迎えに行ってもらった。照れくさそうに入ってきた達也はホワイトボードを見つけ、
 「じゃあ、オレは水道まわり。」
 と自分の役割を決めることができた。この様子を見て、いかに俺が子どもたちの気持ちを汲み取っていなかったかを反省した。
 こうしてみんなが動き始めると、そこからは教員の手助けはほとんど必要としなかった。とにかく、「やらされている」という雰囲気が一変し、自分の担当した場所をていねいにふいている。また、机やイスなど、重いモノを運んでいる仲間を手伝おうとしたのは、他でもない達也だった。
 掃除が終わると再びみんなで集まった。教室がきれいになったことを喜びあっていると真理が、
 「先生、またこのやり方で掃除やりたい。」
 と言ってくれた。そして、
 「達也くんがふいてくれた水道のまわり、きれいだね。」
 と友達が担当した場所をほめてくれた。俺の横にはいつの間にか達也が座っていた。
 秋が過ぎ、昆虫が姿を消した。それでも達也は教室にいてくれるようになった。「毒吐き」が変化してきたのはこの頃である。「死ね」は人に対してではなく、ぶつぶつとつぶやく程度になった。たまに教員をからかおうとして、「死…」と言いかけるのだが、その後は言葉を飲み込むようになった。
 そして冬休みが近づいてきた十二月の朝、いつものように授業の予定を説明していると、何か言いたそうにモジモジしている。
 「どうした、達也、何か言いたいの?」
 と俺が聞くと、
 「死ねっていう言葉はいけないんだよね。」
 と話してくれた。いつもの照れ笑いではなく、まじめな顔で。

わかってもらうこと

 達也が自ら暴言を捨てた次の日だった。仕事が終わって自宅に帰り、夕食の用意をしていると電話機が鳴った。Aからだった。
 「真治くんが骨折していたそうです。家に帰ってからわかったそうですが、また明日、打ち合わせをお願いします。」
 記憶をたどってみても、その日は授業が終わって真治を送り出したところまでは何もなかったはずだ。一体、どこで折ったのだろう?翌日からは関係者の話を集めながら骨折の原因を明らかにする作業に追われた。また、すぐに保護者への謝罪に走った。
 真治は過去の記憶を思い出すのが苦手だ。あまり問い詰めると黙ってしまう。はっきりしないまま、十二月が終わろうとしていた。幸いにも骨折の治療は長くはかからないようだった。正月を越せば普通の生活に戻れるということだった。
 年が明け、いつもの授業が始まってすぐだった。中学二年の学年主任が顔をこわばらせながら話しかけてきた。
 「中学部全体の教員から、二年生の指導は大丈夫かというプレッシャーを受けている。一度、二年の教員で話し合いたいのだが。」
 俺の望むところだった。まずは学年の教員でじっくり話し合えばお互いのわだかまりも解けるだろうと思った。
 話し合いでは、まずは学年主任が口火を切った。
 「達也の思い通りに過ごさせていいのですか?確かに暴力は減りましたが、暴言を吐かれた方の身になって考えてみて下さいよ。真治の骨折の件もどうなのでしょうか?」
 隣のクラスの教員も続けた。
 「いろいろやらかしていることに対して、藤村先生が指導をしているのはわかります。でも、他の先生方はその理由が今一つわからないみたい。達也くんが何か問題を起こした後の対処について、その都度全体に報告した方がいいのではないでしょうか?」
 他にもう一人からも同じような意見を受けた。Aは黙っている。大きく息を吸い込んでから俺は説明を始めた。
 「達也がなぜ暴言を吐くのか、理由は説明してきました。小学校時代、生きている価値がないという意味の言葉を彼はさんざん言われ続けてきました。彼の中に溜まっているその悔しさは簡単に消えるもんじゃない。でも、それをどこで吐き出せばいいのでしょうか?」
 感情が高ぶってきたので、次の言葉を待っているみんなの顔を見渡してから再び説明を続けた。
 「暴言を言われた生徒はその担任の先生にフォローしてほしい。それがチームですよね。それに暴言も減ってきていて、本人もいけないことだとわかっています。あんな言葉、必ず言わないようになるのです。真治の骨折の件も私の不注意から来たことです。原因もはっきりしていない。それよりも、問題を起こしているのは達也だけじゃないでしょう。いろいろな子がいる。達也だけをターゲットにしてなぜその度に、謝罪するような形で俺が報告をしなければならないのでしょうか?」
 しばらく沈黙が続いた。うつむいていた学年主任が顔を上げてまとめてくれた。
 「私が中学部全体に言い返せればいいのだけれど、力不足でここまで言われてしまった。申し訳ない。そうだよね。二年は二年のやり方でやりましょう。」
 ひとまずほっとしたら喉の奥がカラカラに渇いていることに気が付いた。

みんなの役に立ちたい

 年が明けて二月になった。学校近くの畑には真っ白い霜が一面に降りるようになった。この学年も終わりに近づき、最後の授業参観が迫っていた。中学部では毎年、保護者も参加する授業を行っていた。
 どんな授業にするか、子どもたちと話し合いをした結果、学校に関する○☓ゲームをすることになった。独自のルールとして、答えを間違えても脱落せず、みんなが最後までゲームを楽しめることにした。
 ゲームの準備をする係を決めている時だった。
 「ボク、ゲームをやっている時のBGMの係がやりたい!」
 と達也が主張した。彼はCDデッキの操作も抜群にうまかった。俺としては昆虫や生き物に詳しい彼にはゲーム自体に参加してほしかった。だが、彼のやる気に満ちた顔を見ると説得する気になれず、BGMを任せることにした。
 当日の朝、達也は顔をしかめて教室に入ってきた。いつものあいさつもない。体調が悪いのだろうか。
 「どうしたの?気持ちが悪いのか。」
 俺が聞くと机に突っ伏したまま首を横に振っている。体温を測ろうとすると手を払って拒否された。そのままにして朝の会を始めようとすると、
 「お母さん、足が痛くて今日来れないんだって。」
 と机を見ながらつぶやいた。
 達也の両親はそれぞれ病気を抱えていた。それでもできる仕事で精一杯に働き、節約をしながら一家が寄り添うように暮らしていた。月に一~二度のファミリーレストランでの外食が自慢だった。家族が大好きな達也。俺は何も言えなかった。
 朝の会の後、クラスのみんなで会場の準備をしていると、ふらりと達也が入ってきた。保護者が座る席にはそれぞれの名札が置いてあった。
 「これいらないよね。」
 達也は自分に言い聞かせ、母親の名札をゴミ箱に捨てた。
 予定通りに授業参観が始まった。前半は子どもたちの大好きな歌やダンスで盛り上がっていた。だが達也はいない。ゲームの時間も近づいてきた。
 (ちょっとむずかしいよなあ)
 そう思いながら俺がCDデッキに手をかけた時だった。会場の窓の向こうに教室から走ってくる達也が目に入った。俺はCDデッキから手を離し、そのまま何も知らなかったような顔で様子を見ていた。
 静かに会場に入ってきた達也はCDの準備を始めた。真理が、
 「達也くん、来た。」
 と目を輝かせている。
 絶妙なタイミングでBGMが流れてきた。ゲームが始まると会場は笑い声に包まれた。授業は大成功。そして最後の問題が終わると達也はすぐに会場を出ていった。俺は声をかけようとしたが足が動かなかった。達也の後ろ姿がだんだんぼやけてきて目のまわりが熱くなった。

ありがとうカマキリ

 窓から差し込んでくる太陽の光が明るくなってきた。春が近づいた三学期の終わりに、一年間のまとめとして教員の研修会があった。子どもの成長をレポートにまとめて学部全体に報告をするものだ。いい機会だったので俺は達也の成長を報告しようと思った。悩んだことやうまくいかなかったこと、そしてみんなの協力で達也が変わったこと。限られた枚数では書ききれないほどの内容だったが、何とか決められた形式にまとめて研修会に臨んだ。
 当日、半数近くの教員は休みをとって欠席していた。一番話を聞いてほしい人間がいない。確かに休みは権利だが・・・。力が抜けそうになるのをこらえて、早口にならないようにレポートの報告をした。ただ、二~三名の若い教員がまっすぐにこちらを見て報告を聞こうとしている姿に救われた。
 修了式(最終日)が近づいてきたある日、虫カゴを見ながら達也が問いかけてきた。
 「カマキリの卵、どうなんだろうね?」
 と達也が聞くので、
 「どこかで見つけたの?」
 逆に俺が問いかけると、
 「うん、いっぱいあったけど。」
 と何か考えている様子だった。
 「あれは飼うと大変だよ。知らない間にカマキリの赤ちゃんがたくさん生まれて、部屋中に散らばってしまうかもしれないから。」
と答えると、達也は首を振りながら、
 「そういうことじゃないけれど・・・、まあいいや。」
 と友達の中へ行ってしまった。
 学校ではだいたい修了式までには来年度の担任が決まる。決め方としては教員本人の希望もあるが、チームとして仕事をするため、年齢構成や性別、そして経験年数が優先されることが多い。決定されたメンバーは四月の担任発表までは秘密だ。
 俺は学校全体のバランスから別の学部へ移ることになり、達也の学年からは離れることになった。精一杯やったような、そして逆に力不足で子どもたちに申し訳なかったような、複雑な気持ちだった。
 修了式、達也は逃げ出すことはなく、むしろ緊張している友達を助けながら参加することができた。
 「来年、藤村先生いる?」
 と笑いながら聞いてくる子どもたちに本当のことはまだ言えない。苦笑いでごまかしながら最後の学級会が終わり、子どもたちを送り出した。
 誰もいない教室を片付けているとロッカーの上に空っぽの虫カゴがあった。達也にあげるつもりだったのを忘れていたのだ。そう言えばあの時、達也は何を言いたかったのだろう?教材を整理して家に帰り、少し疲れていたのでソファーに体を沈め、リモコンでTVをめくっている時だった。
 「気象情報をお伝えします。すっかり春めいてきましたね。雪がたくさん降る東北地方では、カマキリは冬に積もる雪の高さを何かで感じ取って、雪よりも高い場所に卵を産み付けます。その高さを見て昔から人々は冬の備えをしてきたそうです。」

(終わり)


俺にはこういう仲間がいて、本当にうれしいし、そして後輩であることを考えると、本当に誇らしい。
このレポートは実は、硬い論文として、とあるところで賞を取ったとかの話である。
それを、よしを自身の手でわかりやすい文章にしてくれたのが上記である。

昨今、学校を取り巻く状況は厳しい。
けれども、闘ってる先生がいることも、わかってもらえたら、と思います。

ま、彼含め、多くの仲間と普段から飲みに行ったりしてますので、もしご一緒できたら。
ツイッターのDMや、まあ電話でもいただければ、その後お誘いさせていただきます。





にじ屋初売り2020白黒ミニ

2020もち

01_20191209110145666.jpg

jr.jpg

(BGM:村木正人「くらいマックス」from「幻の名盤解放歌集 地獄に近いHEAVEN」)
→「う~ひょうひょ~」ですね。
もう、いろんなことをすっ飛ばして涙を流して汗を流して生きているとはいえ、男と女のクライマックスは旅立っち。
もう意味がさっぱりわからない。
名曲。
スポンサーサイト



快気祝いをやった話


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



先日、後輩のO君の快気祝いをやったんです。
ま、O君といっても誰も知らないと思いますが、大学の後輩で、といっても時期は重なっていません。
ので、よく知らないんですが、でも俺が虹の会で仕事をするようになってから、けっこう手伝いに来てくれた。
大学に入るのが遅かったこともあって、歳は俺と二つしか違わなかった。

そんなこともあって、ちょっと仲よくもなった。
その頃からの仲間とは今でもけっこう会う。
というか、まあ今も仲間の連中、ということになる。
彼らとサンゲン会なる飲み会も時に主催もしてる。
多くの新しい仲間も加わった飲み会、ということになるか。

今はいろいろな職種の人が集まっているわけだけれど、それぞれが仲よくなって、つれだって飲みにも行ってるようで、それもなんか嬉しく思う。
サンゲン会がなかったらつながりようがなかった人たちがつながるというのはなんか不思議な感じだ。

自分がやってきたことは、大したこともないし、自分が何かをできたわけでもない。
でもまあ、たくさんの人が助けてくれたから今がやっとなんとかある。
そういう人たちと今でも飲みに行けるのはありがたいコトだし、幸せなのだと思う。

大体俺は、自分の力をあまり信じていないし、何かできるとも思ってなくて、人に頼ってばかりだと思う。
玉ねぎじゃないけど、俺はむいたら何もなくなっちゃうような感じがする。
でもまあ、助けてくれる人がいるから、やっぱやれてこれたんだし。

飲み会で一週間が埋まってしまっても、俺にはとても大事な毎日でもあって。
そこで話すことや、聞くこと、そういうことが俺の中の血肉になっていく感じがする。
くじけても、困っても、助けてくれる人がいるという安心感はやっぱり大きい。
俺は「居場所ということを考えたことはない」と前に書いたが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4999.html)、いや、居場所はここにあるからだな。
それを考えもしないで生きて来れたのは、とても幸せなのだろう。

だからまあ、俺もそろそろ誰かを助けなきゃいけないと思うし、そういう人でいたいと思う。

Oは、ちょっと不器用なところがあって、というか、真っ正直すぎるというか。
おそらく今の日本では生きていくのはたいへんだろうな、と俺は思う。
ずっとそう思ってた。
俺が学生の頃にボランティアで行っていた作業所を運営するところに就職して、まあいわゆる同業、ということもあって、しかも近くに住んでもいて、なんだかんだ彼のことは気にしてた。
でもまあ、彼とは年に2回くらいしか会わないと言えば会わないのだけれど、でもまあ継続して会ってきてはいる。
もうそれは大学出てからだから30年近くになる。

彼が手術をするというのは知っていて、退院してきたら飲もう、という話はしてた。
でもまあ、日程がなかなか合わなくて、でもやっとこの前実現できた。
近所のチェーンじゃないお店になるべく行きたい、というのもあって、貸し切りもさせてもらった中華屋でやることにした。
なにせ、彼も近所なのである。

聞けば、けっこうな大病であったらしいのだが、職場でも快気祝いはやってもらってないという。
俺がボランティアで行っていた頃の雰囲気ではないのだろう。
それは彼も言っていた。
「佐藤さんには今はもうあわないですよ」と。
俺はたぶん、ウチの初代会長が死ななかったらそこでそのまま仕事をしていただろう、と思うのだけれど、なんか不幸なことがきっかけではあったけれど、なんかよかったのかもしれない、と今は思う。

いや、もしかしたら彼の存在感が薄いのかもしれないし、組織も今や大きいからだろうけれど、でもまあ、う~ん。
ま、そこに多少憤りも感じるモノの、それはそれとして、やってよかったな。
これからもね、ずっと彼とは仲間でいたいし、彼と一緒の時間を過ごすのはとても楽しい。
そして、多くの仲間が彼を思ってくれて来てくれてありがたかった。

やっぱりね、俺は人の中ですくわれるし、一緒に誰かとメシを食ってるだけで幸せな気分になる。

もちろん性格にもよるだろうし、その日の気分にもよるかもしれないが、毎日一人でしかご飯が食べられなかったら、俺は辛いかな。
時に誘ったら応えてくれる仲間がいて、本当にありがたいことだと思う。

仕事が順風満帆に行くこと、金がもらえること、それはとても大事なコトだ。
けれども、そんな日ばかりじゃない。
そんな日ばかりの勝ち組なんかじゃ、俺たちはない。
時に病気もするかもしれない。
働けないほど自分を追い詰めてしまうこともあるかもしれない。
自分の価値観と職場が大きく変わってしまうこともあるかもしれない。

俺たちは、仕事のために生きてるわけじゃないし、金のために生きてるんでもない。
いや、金がなきゃ生きていけないが、そのために忙殺されるだけじゃやっぱり違うと思う。
今の格差の問題も、だから人ごとなんかじゃない。
もっと俺たちは自由に、楽しく、気ままに、好き勝手に生きていいんだ。

だから、仲間が必要で、困った時に、一緒に飯を食ってくれる仲間をこれからも大切にしなきゃいけないと本当に思う。

そりゃ、他人は他人だ。
だから、全部わかってくれる人などいない。
けれど、ちょっとでも自分のことを考えてくれる人を大事にしなきゃいけないと思う。







佐藤店長生誕祭小

(BGM:popcatcher「DON'T STAND SO CLOSE TO ME」from「悪報瓦盤 [standard & respect]」)
→で、どうしましょうか、って感じ。

元を聞こう運動開催中


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg


先日、図書館に行く機会があって。
あ、そういえば、俺、図書カードもってるじゃん、と思い出し。
何か借りようかなあ、と。

CD借りよう、と。

ま、豊富にありますね本とかCDが図書館には。
当たり前だけど。
で、図書館のイイところは、自分の興味のないモノも大量にある、と。

そりゃそうですね。
俺の興味がみなさんの興味なワケじゃなし、色々に対応するのが図書館ですから。
嫌韓の雑誌とかが表紙こっち向けておいてあったのには閉口しましたけど、まあそれも図書館の使命なのかもしれません。
後の歴史検証として。


というわけで、CDを見てたら、あれ?俺、これもってないな、というのがずいぶんありました。

例えば、JAPANというばんどがありましたが、その「果てしなき反抗」とか。
アースウィンド&ファイアーの「太陽神」とか。
いわゆる、LPからCDに変わった時代がありましたでしょ。
その際に、けっこう捨ててしまったものですね。
というか、当時レンタルレコードとかで借りてテープに録っていたかもしれないけど、カセットテープ自体がもう使い物になりませんからね。
古いテープはあったとしても巻いちゃいますしヘッドに。

つまり、いわゆるスタンダード、と言われるものですよね。
図書館にはずいぶんそういうモノがある。

そう言われれば、CDの時代になって、例えばEW&Fだって、ベスト盤は手に入れたとしても、その元はもうCDで改めて聞かなかったりするわけですよ。
「セプテンバー」は聞けるが、その他の曲はもう捨てちゃってる、という状態ですね。

これはよろしくない、と。

俺はそもそもコンセプトアルバムというのが好きで。
例えばで言えば、ビートルズのサージェントペパーズみたいな。
日本で言えば、海援隊の「倭人伝」とか。
あ、ご存じないですか?なかなかいいアルバムですよ。
久保田早紀さんの「夢語り」とかも入れていいのではないかと思いますが。

んなわけで、やっぱ元を聞かなきゃダメじゃん、と。
というか、少なくともライブラリーには追加しなきゃダメじゃん、と。


で、まあ見ていたんですけど、そしたら、チューリップの「テイクオフ」というアルバムがありまして。
チューリップと言えば、なんだか今になったらもう懐メロなのかもしれないけど、俺の中ではけっこうずっと引っかかっていたんですよね。

というのも、子どもの頃、団地に住んでましたけど、隣の兄ちゃんがチューリップ聞いてて。
でもまあ、俺はその頃山口百恵さんとか聞いてましたから、すげえなんか大人だなあ、という憧れみたいな気持ちがあって。
そういえば、クイーンのジャズも隣の兄ちゃんがもってたのを聞いて衝撃を受けたんだけど。

で、録音してもらったテープがありまして。
それをずっと聞いてたんですよ。
すげえかっこいいなあ、と思って。
でも、「誰のなんていう歌なのか」というのを長い時間の経過の中で忘れちゃってたんですね。
ちゃんとテープに書いておけばよかったんだけど、それをしてなかったんですね。

それが、チューリップの曲だと気づいたのが十年くらい前だったでしょうか。
でもまあ、それをさがすでもなく、なんとなく時が過ぎておりました。

で、この「テイクオフ」のジャケット写真を見て思い出しました。
「これだ!」と。
そしたら、その中で最も気に入っていた曲が「サンセット通り」という曲だったことが判明。

いや、その曲だけじゃなく、このアルバムの曲はどれも素晴らしい。
改めて1曲目から、もうすごい。
ビートルズの影響がすごいといえばすごいけど、なんでしょう、もう戦慄しますね。

今、もうこればっかり聞いてます。
こんなすごいロックが日本にあったことをなんか誇りに思いますね。
ま、とにかくかっこいい。

40年以上前の作品ということになりますか。
もし、まあ機会があったら若い人も聞いてみて下さい。










(BGM:ジャックス「われた鏡の中から」from「腹貸し女(若松孝二傑作選3)」)
→演奏自体の完成度は高くないんだよね、ドラムが跳ねたりしてるから。
でも、このバージョン好きかも。
完成度が高いかどうかは関係ないんだよな、やっぱ。

アイムラッキーマン


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


専従募集


「生きてるって言ってみろ」という名曲があります。

毎日の仕事に疲れ果て、しかし、家族が待つ家のドアの前で入れずにいる、というような姿が浮かぶ、昭和に作られた曲の中で、まあ俺としてはベストの部類に入りますね。
こんなに男の辛さを、社会の辛さを体現した曲ってないと思います。

俺はまあ、前の結婚の時には似たような気持ちはありました。
家に居場所がない、みたいな。

まあ今考えれば、そんなこともなかったんだと思いますが、自分も追い詰められてたんだろうな、と思います。

ただ、その時はそういうもんだと思って生きてますから、それが不幸だとか思ってたわけじゃなくて。
あまり考えたことはなかったんですけど。

今、再婚してよかったのは、まあアキとは一緒に仕事をしているので、だいたい一緒に帰るわけですが、それが嬉しいんだね。
「家に帰るのは嬉しい」「家に帰ると落ち着く」とか、そういう風に今思うようになって、なんか、あの時はすごい追い詰められてたんだな、と改めて思ったみたいな。

逆に今、「家に帰るのがつらい」という人がいたら、もう、なんか、すごくなんだろう、がんばれ!というのとは違うけど、何かできることがあったら言ってください、って思う。
もちろん、何もできないんだけど。
でも、そういう気持ちになる。

今は、多少のことがあっても、家に帰ればなんとかなる、というか落ち着ける、みたいな気持ちになれる。
クサクサした気持ちになった一日でも、帰ればなんとかなる。

いわゆる「ホームグランド」がある、というか。

それが今はありがたい。
ありがたいというか、それを感じられなかったあの時、どうやって毎日を過ごしていたのか、もうなんか思い出せない。

ましてや、家がない、ネットカフェで毎晩過ごしています、という人も多いという昨今。
そのクサクサしたモノを毎日引きずって、毎日それが積み重なって、そりゃ、つらいよね。
たいへんだよね、って思う。

今考えたら、けっこう本部事務所、ホンビイのソファで寝てたな。
で、明け方に帰ったりして。
その方がラクだったのかな。
俺にはまあ、そういう場所もあったから。

なんとかなってたのかもしれない。

そりゃやっぱ、一人でいる方が楽なときは誰にでもあります。
でもまあ、一人でいる×2、とか×3、とかも、なんかいいもので。
その感じは、ちょっと今まで俺はわからなかったのかもしれない。

で、俺がまあ幸せだったのは、回りがけっこう助けてくれたから。
大学時代の先輩や後輩とか。
同輩からは好かれてなかったのであまり友達はいませんが。

不幸って、不幸を呼び寄せてしまうところがあります。
クサクサした気持ちの時には、あまり「幸せな人」とは会いたくなくなってしまう。
そういう人たちと徒党を組んで、クサクサを倍増させて、なんとなく自分たちを慰める、みたいな。

でもなんか、俺の場合は、それでも飲みに誘ってくれる人もいたし、その離婚、再婚をまたいで新しい友人ができたりして、なんかそれはありがたかった。
「誘えば飲みに行ってくれる友人がいる」「誘ってくれる友人がいる」というのは、なんにしても救われる。
そして、クサクサした気持ちも、帰る頃にはなんか和らいでいたりして。

まあ、ラッキーだったんだな。
なんかここまでラッキーでした。
アンラッキーだと思ってたこともありましたが、今考えたらそれもラッキー、とは言えないまでも、ラッキーに向かう一つの何かだったのかもしれない、という風に思える。

なんかそれはありがたいことだわな。

ま、これからは他の人を助けなきゃダメだな。
そういう人生を歩んでいかなきゃいけないな。

なんか、そんな当たり前のことをすごく思います、最近になってようやっと。





baka.jpg

(BGM:今野英明 / 吾妻光良 / The Swinging Boppers「あこがれの地へ」from「CollaBo GumBos I」)
→このアルバムの豪華さと言ったらない。
吾妻さんはもちろん、トータス松本さん、スカパラ、うつみようこさん、麗蘭まで参加している。
ボガンボスのことは実はリアルタイムではさっぱり聞いてなくて、訃報の後にいろいろ聞きまして、ちょっと気づくのが遅かった。

親はなくとも


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



ま、今年の春になりますか、タイに行ったというのは、息子の結婚式です。
息子は日本企業のタイ工場で仕事をしていて、近々日本に戻るそうですが、まあその時はまだタイにいて。
タイの方と結婚するということで、結婚式をやるから来てくれるか?と。

行きます、と。
で、行ってきたんだけど。

うちの子は三兄弟で、兄、妹、妹、という構成です。
一番下の妹が専門学校を出て、今年から働くことになりました。
そういう感じの年齢。

俺は数年前に離婚していて、まあだから彼らには申し訳ないことをしたと思いますが、それでもまあ前の奥さんと話し合って、我々の将来のことも考えて決めたことなので、理解してもらうしかない、という気持ちでいるわけですが。

まあ、とはいえ、なんだかんだは彼らの中にあるとは思うんです。
でも、その妹妹と一緒に、アキも一緒に結婚式に行けるというのは、きっと幸せなことだと思います。
端から見たら、なかなかない取り合わせなのかも知れないけど、でも、そういうセットで行動出来ることも多くて、それはきっと、子どもたちがよく出来た子たちだからだと思います。

今回じゃなくて、昨年タイに行ったときに、真ん中の娘が携帯を落としたんです。
タイで。
もうそうなっちゃうと、WIFIがあれば通じるけど、そもそも電波が発信されてないし、探しようがない。
いった場所などに電話を入れてみたり、いろいろしました。

もちろんそれらは、タイに住んでいる兄がやってくれました。

その日は、実はその結婚相手の家族とはじめての顔合わせ、みたいな側面もあって、けっこう慌ただしい中だったんだけど、それでも兄は「なんでなくしたんだよ」とかは言わない。
オレたちと相手の家族の橋渡しをしながら、一方でその問い合わせの電話とか、保険会社にどうしたらいいか聞いてくれたりしてた。

ま、優しいな、って話なんですけど。

今回もちょっと妹が熱を出して、きっとまあ急に暑いところに行って熱中症的なコトかと思いますが、それでちょっと予定が飛んだりもして。
それでもまあ、みんな優しいわけ。

それもべたべたした感じじゃなく、いい感じの距離感というか。
責めないし、かといって、べたべたもしない。
ちょうどいい感じ。
熱を出したことで、兄が住んでいるという部屋に行くことになったんだけど、「それもよかったよね」とか言う感じの。

なんかこう、なんでしょう。
人が苦しんでいる、というコトに対して、「おいつめない」みたいな感じね。

なんか素晴らしい子たちに育ったんだな、と思ったんだけど。
ま、それはもちろん、前妻の素晴らしさもたくさんあると思います。


今、虐待のコトとかがニュースになって、けっこう「どうやって育てたらいいんだ?」と思ってる人は多いんだと思います。
核家族になって、親一人が抱えなきゃならない、ということもあるでしょう。
出口のない感じの中、子どもは言うことを聞いてくれないし、誰にも相談出来ないし、かといって「怒っちゃいけない」なんてことも聞く。

う~ん、どうしたらいいんだろう、ってすごく悩むと思います。
で、俺は果たしてどうしていただろうか?と改めて考えたんですけど、あまり何にも考えてなかった、という結果になりました。


離婚するくらいだから、そんなに夫婦仲はよくはなかったし、まあぐれたこともありましたし、警察のご厄介になったこともあります。
子どもをどこかに連れて行く余裕はなかったので、日曜とかはよくウチの事務所でバザーの準備とかを一緒にやったりしました。
みんなにかわいがってもらって、まあそんな感じで。
習い事も、塾にも行かせませんでした。
だからまあ、なんだろう、決して「絵に描いたようなファミリー感」はなかったと思います。

でもまあ、全般的に今になって思えば、いい子に育ったな、と思っています。
心配はまだもちろんありますけど。


う~ん、だからなんだろう。
だから、もう悩まない方がいいし、悩むと袋小路にハマっちゃうから、なんか「自分が縛られちゃうまま友」とかじゃなくて、「自分の友達」をしっかり作って、自分がまず救われることかな。
育児とはあまり関係ないけど、でもきっとなんか自分がまわりに救われてなかったら、どうにもならなかった気だけはする。

だって、やっぱ子どものコトって一番の悩みになっちゃうんですよね。
そうなると、「どうしてあんたは言うこと聞かないの!」ってなっちゃう。

でも、そうは言っても、なっちゃいますよ。
なるなる。

よくわかんないけど、でも「褒める子育て」とか、そういう「キャッチーな言葉」にあまり惑わされない方がいいのではないか?と思っている今日この頃です。






tanndokuchuu.jpg

baka.jpg

(BGM:LOVE LOVE STRAW「Love 2 Slipp」from「COME TASTE THE FLOWER'S」)
→どこかDIPを彷彿とさせるギターサウンド、の人たちが集まっておりますコンピ。
これはなんか、すげえイントロが美しい進行なので、ちょっと気になった。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE