FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - - - 1 23
4 5 6 7 8 910
11 12 13 14 15 1617
18 19 20 21 22 2324
25 26 27 28 29 3031
- - - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

「たまたま」ラッキーだった学生時代 その3(ラスト)


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5373.htmlの続き


で、まあ今に至るわけだけれど、その飲んでるときに思い出したことがあって。
こっからが本論と言うことになりますけど。

教育実習というのがあるじゃないですか。
小中学校の時は、もうしょっちゅう来るんです。
二ヶ月にいっぺんくらい来る。
しかも、一クラスに3人くらい来る。
だから、もう全然覚えてないですけど。

でも、唯一覚えている中学の時の教生の授業があって。

それは国語の時間だったんだけど、その時にまあ「この時の主人公のきもちを考えましょう」みたいなのってあるじゃないですか。
その時に、まあ先生が指名したのかなんだったのか、まあ数人から出るじゃないですか。

「悲しい気分だったんじゃないかと思います」とか。
「それでも希望を感じていたんじゃないかと思います」とか。
ま、そんな感じだったんだと思うんですよ。
ここは覚えてないけど。

そしたらね、その先生、「そうですね」「きっとそうだったでしょうね」としか言わない。
で、次にいっちゃうの。
で、また「この時、この言葉を聞いて女の子はどう感じていたのかな?」とかそういう感じの。

で、また生徒からいろいろ出る。
で、また「そうですね」と言って、次に行く。
この繰り返しで。

で、二回目くらいで、なんとなくざわついてきたんですよ。
つまり、「先生答えはなんですか?」ということですよね。

先生が聞いたことに関して、いくつかの答えが出た。
けれども、先生は「どれが正解か」を示さない。
そのまま進む。
つまり、これがいい中学のアレかと思うんだけど、ここで、生徒は「正解」を知りたがり始めた。

で、まあある生徒が途中で、「先生、どれが正解なんですか?」みたいなことを聞いたんだ。
そしたら、その教育実習の先生は、「正解とかはないです。本を読んで、それがあなたの感じたことなのだから、それでいいのです」と言ったんだよね。

これ、すごく覚えていて。

つまり、国語のテストだと正解と不正解を出さなきゃいけないけど、それそのものをこの先生は「そうじゃない」「正解などない」と言い放った、という図式。
テスト至上主義のいいところの中学の授業としては、まあ減点なんですよ。
でも、それをそのまま最後までその先生は続けたの。

俺はなんか、その先生が言ってることがすごくわかる気がして。

だって、文学作品だ、まあ教科書に載るくらいだ。
完璧な作品と言っていいでしょう。
それにだって、読む側の気持ちや立場、そういうのが変われば、感じ方も変わるんだ、と。
よくよく考えればごく当たり前のことなのに、俺たちは「テストの正解」ばかりを探してる。
こりゃおかしいよ、と。
文学や芸術に正解などあろうはずもないじゃないか、と。

中学の時にそう思っていた。
だからまあよく覚えているんだけど。
ま、これ以降、俺は国語は嫌いじゃないのに、「国語のテスト」が大嫌いになった。
ウソだと思うようになったから。

実際に自分が教育実習に行くことになってわかるんだけど、あれって、教生が「教案」というのを書いて、いわゆる台本だね、それを担当の先生に見せる。
で、いろいろ直されるわけ。
一回45分の授業だとすると、そのためにもう自分で書いて、直してもらって、また書いて、また直してもらって、って5時間も6時間もかかるんだ。
それを経た授業が、この授業だった、と考えるとね、ま、中学の時は担任が国語だったので(3年間同じクラス。担任も同じ)、担任がこれでOKって言ったんだよな、とも思う。

そもそも「どう感じるか」「どう思ったか」を一つの正解にするようなこと、おかしいじゃん。
多様性が叫ばれる中、まあ当時はそんな言葉はなかったけど、それはどう考えてもおかしい。

だから、なんかね、あの先生はこの「いい中学にいる生徒達」に、何かを伝えたかったんじゃないか?って穿った見方もしてるんだ。
そして、俺はそれに気づいたよ、って伝えたい。
ま、女の先生だってのは覚えてるけど、顔も名前も忘れたけど。

ま、何が言いたいかというと、俺の場合は本当に教師に恵まれていて、「君がどうあっても支えてやる」ってずっと言われてきた気がする。
勉強ができるできない、校則を破る破らないがどうこう、遅刻をするしない、いつもトイレでたむろってる、卓球場の裏でタバコ吸ってたの知ってるぞ、とか、そういうことじゃなくて、とにかく「どうあっても君はいい子だから」って。

これは大学でも同じで、そして教育実習の時の担当の先生もいい人だった(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-251.html)。
ものすごく影響を受けた。
「教育実習は、今各地で行われていて、数千の人がやってると思うけど、君ほど頑張った人はいない」と彼は俺に言った。
いや、それは本当に「ついていこう」「この先生から学びたい」と思ったからなんだけど。
他のクラスの先生から、「○○先生(担当の先生)は、佐藤先生(俺)みたいな人大好きだからね」と言われたけど、マッチもしたんだろうと思う。

全ては偶然で、たまたまなんだけど、今考えれば、その中身の勉強よりも、そうやって「寄り添っていけば子どもはなんとかなるもんだ」ということを教えられた気がして。
俺の中にそれが染みついているというか。

多くの人が、先生との相性もあるんだろう、イヤな先生にあたって学校が嫌いになったり、そもそも大人を信じられなくなったり、そういう状況に陥ってる中、ホントに「たまたま」俺はラッキーだったと思うし、そして、俺は市丸達に対して、そういうひとにならなきゃいけないな、と思っている。

それをまあ、学生時代に学んだかな。
正解は見つからないけど、でも毎日なんとかやっております。






chugei.jpg

(BGM:イルカ「あの頃のぼくは」from「イルカ Best☆Best」)
→イルカさんって、一人称「ぼく」で決まりだよね!
ベスト盤だけれど、やっぱ☆入れたいよね!
という感じです。
イルカさんのラジオ、日曜の朝にやってるので、よく聞いてるんだけど。
この人、ちょっと喋った感じが下品でいい。
いや、上品なんですけどね。
なんかちょうどいい下品。
スポンサーサイト



「たまたま」ラッキーだった学生時代 その2


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5372.htmlのつづき


とはいえ、まあクラスで浮いていたとか、そういうんでもなくて。
いわゆるど真ん中にいました(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-774.html)。
だから、中学の時はうまくは付き合ってはいたんだろうけど、どっか違和感はずっとあって。
というか、どっかみんな俺を持ち上げることが上手だった。
校則が中学の時にあったかどうかは覚えてないけど、まあでも髪が長いとか、髪型が、とか注意はされたような気はするけど、俺は変えなかったし、そういう人だったから、多少はみ出したことをやってもなんかすごく「暖かく見守ってくれる」みたいな感じがあって。
「代わりにやってくれている」みたいな感じだったのかもしれない。

すごい勉強ができた丸山君というのがいたんだけど、丸山君が来ていたセーターがなかなかよかったんで取っちゃって、俺がずっと着てたことがあって。
というか、それは今も取ってあるんだけど。
後から知ったんだけど、どうもそれは丸山君のお母さんが編んだものだったらしく、ああ、申し訳なかったな、と思ったんだけど。
でも、それを知った時、丸山君が「でも、俺のお母さんはすごい佐藤のこと好きだったから。あげればいいよ、って言ったんだよね」って言っていて。

ああ、そうなんだ、と思って。

けっこうだから、なんだろう、目立つ存在ではあっただろうが(実際、卒業アルバムをこの前たまたま見たら、映ってる率がハンパなく高かった。ほとんどが俺の写真と言っても過言ではなかった)、なんか親やクラスメイトから「排除された」という印象はなくて。

でも一方で、そういう「ぬるま湯」みたいな感じもどっか気に入らない年頃。
というか、そこを突き抜けられない自分にも多分腹が立っていたのだと思う。
とはいえ、後輩からとか、バレンタインとか正直すごい数のチョコレートをもらったりしてたし、それに甘んじていた感じもあったり。

で、サッカー部だったんだけど、3年の夏に引退というか、そうなるわけです。
二学期になって、もうなんか今思い出してもよくわからないんだけど、学校行かなくなっちゃったんですよ。
いや、行ってはいたか。
でも、10時頃行く、みたいな。
きっかけがなんだったのか思い出せないんだけど、そういう感じで。

そしたら、まあその時間授業をやってない先生とかいるじゃないですか。
その先生とかが、職員室とかから手を振ってくれたりするんですよ。
いや、授業中の先生とかも窓開けて「お前、今日も遅いじゃないかよ」とか。
それもなんかイヤな感じじゃなくて、う~ん、なんだろう。
ウエルカム感はあったというか、う~ん、とにかくイヤな感じじゃなかった。
だから、学校は嫌いじゃなかったし、いや、好きだった。

今考えると、ま、教師目線になりますけど、「もしかして、あの時の先生達は、大人しく言うことを聞く生徒じゃなくて、言うことを聞かない生徒の方が好きなんじゃないか?」って。
今、まあそう思うんですよね。
例えば、市丸が来たばかりの頃問題ばかり起こしていたりしたけど、なんやかんややっぱそっちに向かうんですよね、俺の姿勢が。
できる子よりは、やっぱそっちが好き?とは違うけど、そこに「俺の仕事がある」という感覚。

俺のクラスの授業をやってない先生とか、学年が違う先生とか、いわゆる接点がない先生もいい感じでいつも「佐藤、今日も遅刻か」とか笑ってくれてたという。
ま、先生に恵まれてました(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-121.html)、って話ではあるんだけど、それは本論ではないのでちょっとアレとして。

いい学校だから、成績はよくなかったです。
160人とかの学年だったんだけど、100番の上に行ったことはなかったと思います。
たいがい、140番くらい。
すごい勉強して、行けるだろ、と思っても120番くらい。
ま、そんな感じ。

だって、まわりは塾に行ったり家庭教師がいたりする家庭だから。
そりゃやっぱ、そうなるよ。
俺は塾とか一切行ってなかったから。

だからまあ、みんなが行く高校には行かなかったんですね。
いや、行けなかった、が正しいか。
いわゆる、ウチの中学からしたら「ランクを下げる」形で、高校に行ったんです。

そしたら、もう世界が変わったの。

一回目の中間テストってのがあるわけだけれど、その時、まあ勉強したんですよ普通に。
で、俺としては160人中の120番くらいの勉強をしたかな、と思っていて。
そしたら、トップだったんだよ。

教師もたまげたと思うよ。
そもそも、なんかどっちかというと、当時の言葉で言うと「ツッパリ」だった子が一位なんだから。

それまで、その中学が世界だと思ってるじゃない。
でも、「違ったんだ」って。
「あの中学の方がおかしかったんだ」って気づいた。

これがなかったら、おそらく今も俺は頑張って勉強して彼らについていこうとしていたかもしれない。
苦しみながら、「落ちこぼれないように」って、必死にしがみついて、落ちていく奴らを「努力が足らない」とか言っていたかもしれない。
いや、言っていたと思う。

でも、そこから解き放たれたときに、俺の世界は一気にバラ色になった。
いや、落ちて本当に楽になったし、そっちの方のみんなが本当に人生を楽しんでいた。
その一員になれた、ってのが俺は嬉しかったな。
高校時代は本当に俺は楽しかったし(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2719.html)、たぶん俺以上に高校時代を満喫したヤツはいないと思うくらい。


続きます






chugei.jpg

(BGM:The Twist「Pretty Woman」from「Round2」)
→歌詞冒頭の「Pretty Woman」だけ聞くと、あれ?カバーか、と思いますが、まったく別物。
それにしても世良さんの声ってセクシーだよなあ。

「たまたま」ラッキーだった学生時代 その1


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





これを書いているのは11月の前半なんですが。
先日、アオテツとアキと飲んでいて、まあいつものアレですけど。
ウチのパソコン&動画配信担当アオテツとはなんか週2会ってるな。
ってか、もうしょっちゅう三人で飲んでる感じか。
早くコロナが終わって、以前のようにもっとたくさんの人とやりたいよ。
ま、それはいいとして。

で、「日本の学校ってのは、みんな横並び、を目指してるだけで、学問への熱意とかそういうのを育ててない」とか、「生きるための某とかを教えてないんじゃないか?」という話になりまして。

ま、そうですよね。
どっか日本の教育ってのは校則よろしく監獄と一緒で、はみ出るモノを許さない雰囲気がある。
でも、どうですかね。
はみ出すからこそ、面白い。
はみ出すからこそノーベル賞、みたいなところもあるわけで。
つまりは、まあ企業側にとって都合のいい人、つまり従順な大人を育てよう、って寸法なんでしょう。

ウチの事務所は大学の前にあるんですが、この時期になると、リクルートスーツっていうの?あの黒い感じの服を着た学生がわんさか涌いてきます。
みんな同じ。
服がこれじゃ、中身も推して知ったりというか、まあ俺には囚人服のように見えます。

ま、聞けばいろいろ理由はあるようで、礼服にもなるし、みたいな。
学生が貧乏にもなってるってことなのかもしれない。
「自分らしい服」「自分を表現するにふさわしい服」を買えない、選べない、みたいなことなのかもしれない。
時代に乗り遅れないくらいの、みんなと同じ感じの服をユニクロで買えばいいか、みたいな感じなのかな。
というか、そういう状況が続けば、そもそも「自分を表現するってなんだっけ?」って感じになっちゃうだろうなあ。

それを面接したところで、なにを基準に選んでるんでしょうね企業って。
まあ、俺は一回も就職らしきことをしたことがないまま今に至っているので、よくわかんないけど。

ま、結局、学校の授業とか、学校での勉強って、「覚える」ことが大事で。
テストに出るから覚えている、ということが第一義。
いや、テストが悪いとか偏差値が悪いと言いたいわけでもないんだけどさ。
だって、「貧乏の子も頑張れば点数取れるシステム」ではあって。
しかし、もう今や大学の授業料も上がって、というか上がりすぎて、貧乏の子はそもそもテストにチャレンジできていないという有様。
これじゃダメだよね。
埋もれているであろう有能な才能を潰しにかかってるとしか思えない。

で、まあ話を戻しますと、今の学校は、考えるとか、追求するとか、いや「もっと知りたい」とかいう気持ちを育ててないよな、という。
一つの答えをいかに早く記憶の中から探し出すか、みたいなゲームになってるというか。

いやいや、冷静に考えたら、答えなんか一つじゃない、ということもあったりするわけだよね。
数学の答えは一つかもしれないが、いやいや、まだ解明されていない数式だってあるわけで。
その答えは喧々諤々学者の人が「ああだこうだ」言ってるんでしょ?
その「ああだこうだ」を出せない人ばっかりになったら、もう世界は何も得られないじゃない。
「えっと、そういうのいいから、早く答え教えてくんないっすか?」みたいなことになっちゃったら、どうにもならんわけですから。

校則もしかりで(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5236.html)、やっぱ、その人がその人らしく生きることを否定するというか。
一つの物差しの中に押し込めて、「君は校則を破った」と罰を与える、みたいな。
囚人じゃん。

というわけで、まあいろいろ思うところは皆さんもあるかとは思います。

いろいろそんで思い出したんですよ。
俺が中学生だった頃とか。

ま、俺は小中といい学校に行っていて。
いわゆる「名門」と言っていいと思うんだけど。
そこで、というか、まあ中学ですね。
すごい違和感があったんですよ。
みんなとにかく「先生の言うことを聞く」んだもん。

当時は校内暴力花盛りの頃で。
校舎の窓ガラス割って、バイクで学校に乗り込む、みたいな。
改造学ランみたいのもずいぶんあって。
隣の中学と接触しようモンなら、必ず一悶着ある、みたいな。

俺は、そういう時代の中で、「なんでこの学校の生徒はなにも疑わないんだろう」と思ってました。
そもそも中学だったけど私服だったし、いい学校であったことは間違いなくて、でも、すごい「時代の傍観者」的な感じもしたんだよね。

「ああいう校内暴力とは俺たちは無縁だ」みたいな。

すごいやな感じでしょ?
飼い慣らされた羊的な。
それにものすごい反発があった。


続きます。






chugei.jpg

(BGM:?「スウィート・レイ・モキハナ」from「ハワイアン Disc1ヴォーカル編」)
→いわゆる、本屋とかでも売ってたりする4枚組とかのボリュームあるヤツの中の一曲。
ま、どうなんですかね、こんなボリュームで千円とかで売ってて、演者の皆さんとかにお金ちゃんと回るんでしょうかね。
回るのかな、どういう仕組みだろうか。

どうか思い悩みませんように


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





子育てってのはものすごいたいへんで。
素晴らしいとか、明るい文脈で子育てを語る人もいるかと思うけど、現実で毎日ポジティブに子育てしてる人ってどのくらいいるんだろう。
いや、多いのかな。
俺も周りにだけいないだけなのか。

もちろん子育てっていいことばかりじゃないけれど、いいこともある。
よかったな、と思うこともあるし、子どもに感謝したりすることもある。
ま、それも普段がけっこう大変だからこそ、そう思えるときがある、という感じがする。

いや、まあ自分の体験が全てだと思わない方がいいと思うし、それが当たり前だとも思ってるわけじゃないんだけど。

ま、時代もあるんだと思うんだ。
今の時代、今の時代から推測されるこれからの時代、ということを考えたときに、俺は怖いよ。
上向きだった、少なくとも上に向かう雰囲気でもあればいいけど、今は怖い。
でもまあ、逆に、それでも生まれてくる子どもたちのために、俺たち大人は努力しなきゃいけないと思うけど。

まあ、なんでこんな話かというと、産後鬱、みたいなニュースがあったりして、ちょっと気になったんだけどさ。
もうちょっとなんか、世の中が明るい方に広がっていくことを実感できていたらまた違うんだろうけど、暗い世の中だしね。


先日、娘からお土産があるから、とメールが来て。
じゃあ、どっかで飯でも食べますか、となりましたら、他の子どももみんな集まってきました。
三人の子どもとそのパートナー一人、の四人。

離婚しているので、まあ彼らとしても俺にも会わなきゃだし、元嫁にも会わなきゃ、で大変かとは思うけど、そこはなんかうまくやってくれているらしい。
なにせ、そういう行事が二倍になりますからね。
でもまあ、文句も言わずに付き合ってくれて、ありがたいことです。

俺は兄弟姉妹がいない一人っ子なので、兄弟姉妹の感じ、というのはわからないのですが、ウチはきっと仲がいいと思います。
仲がいいよな、と言うと、「そんなでもないよ」と言うけど、まあそのくらいがちょうどいいのでしょう。


でね、まあこういう機会があると、思い出すんですけど、子育て時代のいろいろ。
今はもう別々に暮らしているし、みんな働いているし、彼氏と同棲とかもしていたりするから、なんだろう、もう別の大人として、ってことにはなるんだけど。
そうじゃなくて、彼らがまだ小さかった頃の話。

今考えれば、楽しかったことなどあっただろうかな?と思う。
忙しくて、毎日なにかしらに追われていて、彼らに「悪いことをしたな」と思うことはたくさんあって。
まあ、後悔ですね。
でも、まああの時はもうたぶん、無理だったんだろうな。
「もっとしてあげられたのに」とは思っても、たぶん無理だったんだと思う。

俺自身があまり子育てに向くタイプじゃなかったんだとも思う。
もっと大らかに育ててやればよかったと思ったりするけれど、後の祭り。
それでもまあ、いい子に育ってくれて、いや、いい大人になってくれて、ありがたいことであります。


人によるとは思うんだけど。
子育ては終わるんだよね。
終わるというか、時間が経てば、子どもはほっといても大人になるから。
だから、大人になることを認めてやれば、子育ては終わるわけだ。
まあ、なかなかそれが上手くいかない親子というのもいるだろうけれど。

時代が暗いから、引きこもったりの心配もあるだろう。
この子は就職できるだろうか、とかの心配もあるだろう。
けれども、それは大人の社会の問題だから、なんとかがんばろう、みんなで。

でね、まあ何を言いたいかというと、育児してると辛いな、と思うことはたくさんあると思うんだけど。
俺も思ったし。
でもまあ、いつか終わるよ。

なんかね、「親は無くとも子は育つ」というか、「いい親」なんかにならなくても、子はまっすぐ育ったりする。
今の世の中、どっか「いい親象」ってのを押しつけられてしまうでしょ。
なんかの雑誌の表紙みたいな、キラキラした家族、だけが「正解」みたいな。

でも、そうでもないんだよな。
キラキラしてなくても大丈夫。
ウチもそうだった。
「休みの日にレジャーに出かけよう」なんてことはほとんどなくて、休みの日はウチのバザーの手伝いに来て、その後の飲み会に子どもも参加してたりしてた。
遊園地よりも、ウチの事務所にいた時間の方がはるかに多かろう。
俺の仲間にもかわいがってもらった。
たくさんの大人に、うちの子たちは育ててもらった感じである。

この飲み会の前、お盆の最中だったか、真ん中の子から「彼も一緒に休みが取れたから、ご飯でもどう?」と言われて、ありがたいな、と思ったんだけど、たまたま市丸の家でみんなで集まって飲もうか、という日だったので、そこに合流してもらうことにした。
そう、こういう風に、みんなの中で君は育ったんだったよな、って思い出して。

今回は、一緒に住んでる彼もそのメンバーになったという感じ。
つまり、仲間が増えた感じ。
ま、なんかよくわからないけど、そもそも俺は、みんなで楽しく、横のつながりもたくさん作って生きていきたい、というか。
その中に、自分の子どももいてくれれば、なお嬉しいな、というか。
たくさんの人に君は愛されて育ってきたんだよ、と伝えたい、というか。

親の愛だけじゃ足らなかったと思う。
愛してやる余裕もなかった。
けれど、多くの仲間が変わって愛してくれて、まあなんとかなったな、というか、ありがとう、というか。


いや、もうなんかうまく言えないけど、つまりはね、子育ては辛いけど、いつか終わる日が来るから。
あまり思い悩みませんように。








(BGM:宗次郎「オールド・ブラック・ジョー」from「世界のうた こころのうた [Disc 2]」)
→改めて聞くと、この曲、「だいじょぶだ」の無言劇のあの曲の原曲じゃないかと思えます。

ありがとうカマキリ


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



俺の昔からの仲間で、大学の後輩に当たる、今学校の先生をしているよしをが書いたレポートが秀逸すぎるので、ここに紹介します。
タイトルは、「ありがとうカマキリ~達也の暴力が教えてくれたこと~」です。


出会い

 「ぼく、いじめられたから、この学校にきたんだよ。」
 五月の終わりだった。遠足の帰り道、バスの中で達也はつぶやいた。少し間をおいて、
 「でも話したくない、思い出すから…」
 と窓の外を見つめた彼の表情は忘れることができない。色白で細長い顔の真ん中にはつぶらな瞳が光っていた。
 小学六年生の時に、達也はこの学校に転校してきた。小学校から特別支援学校に転校する場合、小学校で六年間を過ごし、中学生になる段階で入学してくることが多い。だが卒業を待たずに地元の小学校から転校しなければならなかった達也は、どんないじめの体験をしてきたのだろうか。中学二年生になったばかり。楽しかったはずの遠足の帰りに、本人からこんな言葉を聞くとは思っていなかった。
 達也は、おそらく小学校時代に受けてきたであろう暴言や暴力を、今度は新しく担任となった俺の前でも繰り返していた。「死ね」「バカ」「あっちにいけ」など、俺だけでなく、出会う教員や友達に投げつけていた。そして、教室には入ろうとしない。授業に誘っても気分次第で机やイスを蹴飛ばした。
 朝の運動や教室の掃除などには当然のごとく参加しない。また、まじめにやろうとしている友達にちょっかいを出すので教員が一人張り付いていなければならなかった。昨年の担任はかなり手を焼いていたようで、達也が家の都合で学校を休む日などは職員室でガッツポーズをしていた。
 俺のクラスは達也を含めて生徒は六人だった。担任は俺と、採用されて間もない若手教員Aの二名だった。Aは達也の暴言や暴力をどうするのかとても悩んでいたようで、いろいろな研修で学んだ方法を試そうとしていた。
 達也がみんなの活動から逃げ、体育館の隅でうずくまっている。何とかしようという使命感からか、Aは後を追いかけて必死に説得している。首を横に振り続ける達也。
 どんな会話をしているのか、さりげなく近づいて聞いてみた。
 「今の達也くんのイライラした気持ちを数字で表してみよう。一番イライラしている状態を5とすると、3かな、4かな・・・」
 感情コントロールマニュアルというやつか?動こうとしない達也にAの焦りの色が見える。
 「そばにいない方がいいんじゃないかな?」
 俺が声をかけると、Aは不安な表情で迷っている。
 「俺たちの目の届く範囲にいるから大丈夫。他の生徒の指導に行こう。」
 逃げ出しても追いかけられることはないと知ると、達也はさらに行動範囲を広げた。目で追いかけると校庭を囲んでいるフェンス沿いに何かを探しているように歩いている。フェンスの周りには様々な雑草が生い茂っていた。

小さなファーブル

 六月になると雑草や木々の葉が勢いづいてくる。そこをねぐらとする虫たちも校庭に姿を見せるようになった。そんなある日、朝の運動でマラソンを走る時間だった。
 達也はいつものようにマラソンから逃げ出してフェンスの近くをウロウロしている。もう少しでマラソンが終わりそうだったので、最後のあいさつだけは参加させようとして達也に近づくと、達也の手のひらには長さ十センチ以上あろうか思われる大きなカマキリがカマを持ち上げてこちらを睨んでいる。
 「すごいオオカマキリだね!」
 びっくりしながら俺が言うと、
 「違うよ、これはハラビロカマキリだよ。これ、教室に持って帰っていい?」
 昨年は昆虫を教室に持ち込むことは禁止されていたらしい。達也が遠慮がちに聞いてきたので、
 「いいよ。」
 と俺は答えた。
 達也の昆虫に関する知識はすごい。逆に俺たちが彼から昆虫のことを教えてもらう気持ちでいこうと思った。
 カマキリの件でヒントを得たので、俺は自宅にあった昆虫図鑑や生き物に関する本を教室に持ち込み、小さな学級文庫を作った。また、捕まえたカマキリを虫カゴに入れて達也が世話をすることになった。すると、教室から逃げ出すことが減ってきたので、俺やAが他の子どもたちと過ごす時間が確保できるようになってきた。
 達也が教室にいられるようになった頃だった。朝のマラソンの途中で昆虫探しをしている彼にいつものように声をかけた。
 「またカマキリつかまえたのか!」
 達也は嬉しそうにうなずいた。校庭では友達と教員がトラックの周りを汗だくになりながら走っている。
 「どうすればマラソン走れるかな?」
 俺は聞いてみた。達也はカマキリを見つめてしばらく考えている。時間がかかりそうだったので悩んでいる達也をそのままにしておいて、俺はマラソンの流れに戻った。
 二~三周を走ってからだったろうか、達也が笑いながら俺に向かって手を振っている。駆け寄って、
 「どうしたの?」
 と問いかけると、
 「こいつと一緒なら走れるよ。持ちながら走ってもいい?」
 黄緑色のカマキリと目が合った。
 「もちろんいいよ。ただ、かわいそうだから握りつぶさないで。」
 と俺が答えると、一瞬、達也の頬がゆるんだ。そして、両手で器用にカマキリを包みながらトラックへ戻り、手のひらの中を覗き込みながらゆっくりと走り始めた。

逆流

 達也の暴言や暴力は心理学でいうところの「毒吐き」ではないかと考えられた。「毒吐き」とは、今まで自分が受けてきた理不尽な言葉によって傷ついた心を、自分以外の人間に同じような言葉を投げることによって回復させようという現象だ。達也は「死ね」と叫んでも、取り合わない教員にはあまり言わない。俺やAなどの関係が近い人間や大げさに反応する人間にむけられていた。そのため、俺は中学部二年生の教員全員に、達也が暴言を吐いても取り合わないでほしいとお願いをした。
 その頃からだった。子どもたちが帰った後の教室で、Aがこんな相談を持ち込むようになったのは。
 「達也の指導はどうなっているのかと、よく他の先生方から聞かれるのです。」
 俺は意味が分からなかったので聞き返した。
 「どういうこと?」
 「何人かの人ですけど、みんなが授業している時に達也を放っておいていいのかって…。」
 別に放っておいたわけではないが、クラスの外から見るとそう見えるのだろう。
 「それに、暴言に対する指導がないと言われました。」
 俺のクラスの活動に意見があるなら、なぜ俺に直接言わないのだろう。なぜ若いAばかりに言ってくるのだろう?ようやく達也が落ち着いてきたことを見ていてはくれなかったのか。子どもの成長を喜んでくれているとばかり思っていた俺は、クラスを包んでいる空気に目に見えない鎖が張り巡らされているのを感じた。とにかく、Aが辛そうだったので、
 「また何か言われたら、俺(藤村)の方針なので、自分は仕方なくやっているんです、と答えていいよ。」
とだけ言っておいた。

ごめんなさい

 何も知らなかった時の方が思い切ったことができることがある。逆に、人間関係が見えすぎるとそのことを考えて結局あきらめてしまうこともある。中学部の教員集団に必ずしも歓迎されていないと知ってから、俺は達也が逃げ出すのがだんだんと重荷に感じてきた。減ってきたとは言え、まだ暴言も続いている。達也が逃げ出した瞬間、俺のことをチラッと見る教員の視線に気が付くようになってしまった。
 考えすぎかもしれない。また、自分のやり方を疑っているわけでもない。だが受け入れてもらえていないという疎外感は思ったよりも俺の行動を縛ろうとした。
 調理実習が始まる時間だった。達也は調理室に入らずに教室の前をウロウロしていた。
 「調理の時間だぞ!」
 俺は少しイライラしていたのかもしれない。多少は信頼関係ができていると過信もしていた。強めの声に少し驚いた達也はやはりその場に座り込んでうつむいた。ニ~三分の沈黙。動こうとしないので両脇を抱えて立たせようとした時、バランスを崩して二人とも転んでしまった。
 「なにするんだよ!おまえもぶつのかよ、おまえもけるのかよ。」
 達也はそう叫んでから、さげすむような眼で俺を見た。はっと我に返り、
 「ごめんな、達也。わかった、調理室にはいかなくてもいいよ。」
 俺は震える声でやっと言葉をかけた。達也は好きな昆虫を求めて、廊下の端の方へ走っていった。
 調理実習が終わり、作った料理を教室で食べる時間になった。不思議なことに教室に戻ると机やイスの位置が変わっていた。みんなで向き合うように並べられており、いつも給食やおやつを食べる配置になっていた。教室には誰もいなかったはずなのに。
 まさか達也が用意してくれたのか?そう思った時、ぞろぞろと子どもたちが帰ってきた。その列に紛れて達也も教室に入ってきた。
 「机とイス、ありがとな。」
 お礼を言うと達也が恥ずかしそうに笑っている。俺に怒られた後、達也がどんな行動をとったのか。それを見ていたのは虫カゴの中にいたカマキリだけだった。 

やらされているのはだれか

 (おまえもぶつのかよ)
 その言葉が一晩中頭の中で回っていた。達也をいじめてきた側になるのか、そうではないのか、俺がとるべき行動がこの日の夜に決まったような気がした。
 「やらされる」ことへの達也の拒否感は岩のように固い。少しは学校になじめていると考えたが、自分から授業を楽しむようになってくれるためにはまだ時間がかかりそうだった。それでもいい。焦ることはない。というか、俺は何をやらせようとしていたのか?本当は、子どもたちが自分たちで考えて行動できるようにしなければいけないのではないか?そこまで考えた時、見えない鎖を作っているのは自分自身だと気がついた。
 例えば掃除。今までは教員が決めた順番で教室内を掃き、そして雑巾がけをするだけであった。つまり、子どもたちにとっては「言われて動く」活動であった。教員と子どもたちとの関係は一方的で、子どもはほとんど受け身の状態であった。そのため、掃除のやり方を根本的に変えるようにした。
 まず、子どもたちときれいにしたい場所を考える。そのために、ホワイトボードに教室の平面図を書き、それを見ながら自分の担当場所を決めてもらうようにした。そして、それぞれの場所の清掃をし、終了後、ホワイトボードを使いながらみんなで点検した。大切にしたことは、なるべく教員は口を出さないようにしたことだ。そして、逃げ出した達也は、仲の良い友達である真理に迎えに行ってもらうようにした。

ボクたちだってできるんだ

 掃除のやり方を変えた日、
 「これから掃除する場所を決めるから集まって下さい。」
 と俺が言うと、子どもたちはキョトンとしている。
 「みんながきれいにしたい場所はどこかな?」
 教室を見渡しながら声をかけると、子どもたちも同じように教室内を眺めた。
 (しばらく時間がかかるかな?)
 そう思い、子どもたちを教室の真ん中に集め、おもむろにホワイトボードを取り出した。教室の見取り図を描き始めると、みんなは何事かとのぞきこんできた。そして、俺が書き終えた瞬間だった。
 「ボク、黒板、ふく!」
 と、普段ほとんど手を上げない控えめな性格の真治が手を挙げた。すると他の友達も、
 「私、窓やる!」
 「床ふくね」
 など、次々と手を挙げてくれた。達也は廊下からその様子を見ていた。教室に入るきっかけがつかめずにいたようだったので、真理に迎えに行ってもらった。照れくさそうに入ってきた達也はホワイトボードを見つけ、
 「じゃあ、オレは水道まわり。」
 と自分の役割を決めることができた。この様子を見て、いかに俺が子どもたちの気持ちを汲み取っていなかったかを反省した。
 こうしてみんなが動き始めると、そこからは教員の手助けはほとんど必要としなかった。とにかく、「やらされている」という雰囲気が一変し、自分の担当した場所をていねいにふいている。また、机やイスなど、重いモノを運んでいる仲間を手伝おうとしたのは、他でもない達也だった。
 掃除が終わると再びみんなで集まった。教室がきれいになったことを喜びあっていると真理が、
 「先生、またこのやり方で掃除やりたい。」
 と言ってくれた。そして、
 「達也くんがふいてくれた水道のまわり、きれいだね。」
 と友達が担当した場所をほめてくれた。俺の横にはいつの間にか達也が座っていた。
 秋が過ぎ、昆虫が姿を消した。それでも達也は教室にいてくれるようになった。「毒吐き」が変化してきたのはこの頃である。「死ね」は人に対してではなく、ぶつぶつとつぶやく程度になった。たまに教員をからかおうとして、「死…」と言いかけるのだが、その後は言葉を飲み込むようになった。
 そして冬休みが近づいてきた十二月の朝、いつものように授業の予定を説明していると、何か言いたそうにモジモジしている。
 「どうした、達也、何か言いたいの?」
 と俺が聞くと、
 「死ねっていう言葉はいけないんだよね。」
 と話してくれた。いつもの照れ笑いではなく、まじめな顔で。

わかってもらうこと

 達也が自ら暴言を捨てた次の日だった。仕事が終わって自宅に帰り、夕食の用意をしていると電話機が鳴った。Aからだった。
 「真治くんが骨折していたそうです。家に帰ってからわかったそうですが、また明日、打ち合わせをお願いします。」
 記憶をたどってみても、その日は授業が終わって真治を送り出したところまでは何もなかったはずだ。一体、どこで折ったのだろう?翌日からは関係者の話を集めながら骨折の原因を明らかにする作業に追われた。また、すぐに保護者への謝罪に走った。
 真治は過去の記憶を思い出すのが苦手だ。あまり問い詰めると黙ってしまう。はっきりしないまま、十二月が終わろうとしていた。幸いにも骨折の治療は長くはかからないようだった。正月を越せば普通の生活に戻れるということだった。
 年が明け、いつもの授業が始まってすぐだった。中学二年の学年主任が顔をこわばらせながら話しかけてきた。
 「中学部全体の教員から、二年生の指導は大丈夫かというプレッシャーを受けている。一度、二年の教員で話し合いたいのだが。」
 俺の望むところだった。まずは学年の教員でじっくり話し合えばお互いのわだかまりも解けるだろうと思った。
 話し合いでは、まずは学年主任が口火を切った。
 「達也の思い通りに過ごさせていいのですか?確かに暴力は減りましたが、暴言を吐かれた方の身になって考えてみて下さいよ。真治の骨折の件もどうなのでしょうか?」
 隣のクラスの教員も続けた。
 「いろいろやらかしていることに対して、藤村先生が指導をしているのはわかります。でも、他の先生方はその理由が今一つわからないみたい。達也くんが何か問題を起こした後の対処について、その都度全体に報告した方がいいのではないでしょうか?」
 他にもう一人からも同じような意見を受けた。Aは黙っている。大きく息を吸い込んでから俺は説明を始めた。
 「達也がなぜ暴言を吐くのか、理由は説明してきました。小学校時代、生きている価値がないという意味の言葉を彼はさんざん言われ続けてきました。彼の中に溜まっているその悔しさは簡単に消えるもんじゃない。でも、それをどこで吐き出せばいいのでしょうか?」
 感情が高ぶってきたので、次の言葉を待っているみんなの顔を見渡してから再び説明を続けた。
 「暴言を言われた生徒はその担任の先生にフォローしてほしい。それがチームですよね。それに暴言も減ってきていて、本人もいけないことだとわかっています。あんな言葉、必ず言わないようになるのです。真治の骨折の件も私の不注意から来たことです。原因もはっきりしていない。それよりも、問題を起こしているのは達也だけじゃないでしょう。いろいろな子がいる。達也だけをターゲットにしてなぜその度に、謝罪するような形で俺が報告をしなければならないのでしょうか?」
 しばらく沈黙が続いた。うつむいていた学年主任が顔を上げてまとめてくれた。
 「私が中学部全体に言い返せればいいのだけれど、力不足でここまで言われてしまった。申し訳ない。そうだよね。二年は二年のやり方でやりましょう。」
 ひとまずほっとしたら喉の奥がカラカラに渇いていることに気が付いた。

みんなの役に立ちたい

 年が明けて二月になった。学校近くの畑には真っ白い霜が一面に降りるようになった。この学年も終わりに近づき、最後の授業参観が迫っていた。中学部では毎年、保護者も参加する授業を行っていた。
 どんな授業にするか、子どもたちと話し合いをした結果、学校に関する○☓ゲームをすることになった。独自のルールとして、答えを間違えても脱落せず、みんなが最後までゲームを楽しめることにした。
 ゲームの準備をする係を決めている時だった。
 「ボク、ゲームをやっている時のBGMの係がやりたい!」
 と達也が主張した。彼はCDデッキの操作も抜群にうまかった。俺としては昆虫や生き物に詳しい彼にはゲーム自体に参加してほしかった。だが、彼のやる気に満ちた顔を見ると説得する気になれず、BGMを任せることにした。
 当日の朝、達也は顔をしかめて教室に入ってきた。いつものあいさつもない。体調が悪いのだろうか。
 「どうしたの?気持ちが悪いのか。」
 俺が聞くと机に突っ伏したまま首を横に振っている。体温を測ろうとすると手を払って拒否された。そのままにして朝の会を始めようとすると、
 「お母さん、足が痛くて今日来れないんだって。」
 と机を見ながらつぶやいた。
 達也の両親はそれぞれ病気を抱えていた。それでもできる仕事で精一杯に働き、節約をしながら一家が寄り添うように暮らしていた。月に一~二度のファミリーレストランでの外食が自慢だった。家族が大好きな達也。俺は何も言えなかった。
 朝の会の後、クラスのみんなで会場の準備をしていると、ふらりと達也が入ってきた。保護者が座る席にはそれぞれの名札が置いてあった。
 「これいらないよね。」
 達也は自分に言い聞かせ、母親の名札をゴミ箱に捨てた。
 予定通りに授業参観が始まった。前半は子どもたちの大好きな歌やダンスで盛り上がっていた。だが達也はいない。ゲームの時間も近づいてきた。
 (ちょっとむずかしいよなあ)
 そう思いながら俺がCDデッキに手をかけた時だった。会場の窓の向こうに教室から走ってくる達也が目に入った。俺はCDデッキから手を離し、そのまま何も知らなかったような顔で様子を見ていた。
 静かに会場に入ってきた達也はCDの準備を始めた。真理が、
 「達也くん、来た。」
 と目を輝かせている。
 絶妙なタイミングでBGMが流れてきた。ゲームが始まると会場は笑い声に包まれた。授業は大成功。そして最後の問題が終わると達也はすぐに会場を出ていった。俺は声をかけようとしたが足が動かなかった。達也の後ろ姿がだんだんぼやけてきて目のまわりが熱くなった。

ありがとうカマキリ

 窓から差し込んでくる太陽の光が明るくなってきた。春が近づいた三学期の終わりに、一年間のまとめとして教員の研修会があった。子どもの成長をレポートにまとめて学部全体に報告をするものだ。いい機会だったので俺は達也の成長を報告しようと思った。悩んだことやうまくいかなかったこと、そしてみんなの協力で達也が変わったこと。限られた枚数では書ききれないほどの内容だったが、何とか決められた形式にまとめて研修会に臨んだ。
 当日、半数近くの教員は休みをとって欠席していた。一番話を聞いてほしい人間がいない。確かに休みは権利だが・・・。力が抜けそうになるのをこらえて、早口にならないようにレポートの報告をした。ただ、二~三名の若い教員がまっすぐにこちらを見て報告を聞こうとしている姿に救われた。
 修了式(最終日)が近づいてきたある日、虫カゴを見ながら達也が問いかけてきた。
 「カマキリの卵、どうなんだろうね?」
 と達也が聞くので、
 「どこかで見つけたの?」
 逆に俺が問いかけると、
 「うん、いっぱいあったけど。」
 と何か考えている様子だった。
 「あれは飼うと大変だよ。知らない間にカマキリの赤ちゃんがたくさん生まれて、部屋中に散らばってしまうかもしれないから。」
と答えると、達也は首を振りながら、
 「そういうことじゃないけれど・・・、まあいいや。」
 と友達の中へ行ってしまった。
 学校ではだいたい修了式までには来年度の担任が決まる。決め方としては教員本人の希望もあるが、チームとして仕事をするため、年齢構成や性別、そして経験年数が優先されることが多い。決定されたメンバーは四月の担任発表までは秘密だ。
 俺は学校全体のバランスから別の学部へ移ることになり、達也の学年からは離れることになった。精一杯やったような、そして逆に力不足で子どもたちに申し訳なかったような、複雑な気持ちだった。
 修了式、達也は逃げ出すことはなく、むしろ緊張している友達を助けながら参加することができた。
 「来年、藤村先生いる?」
 と笑いながら聞いてくる子どもたちに本当のことはまだ言えない。苦笑いでごまかしながら最後の学級会が終わり、子どもたちを送り出した。
 誰もいない教室を片付けているとロッカーの上に空っぽの虫カゴがあった。達也にあげるつもりだったのを忘れていたのだ。そう言えばあの時、達也は何を言いたかったのだろう?教材を整理して家に帰り、少し疲れていたのでソファーに体を沈め、リモコンでTVをめくっている時だった。
 「気象情報をお伝えします。すっかり春めいてきましたね。雪がたくさん降る東北地方では、カマキリは冬に積もる雪の高さを何かで感じ取って、雪よりも高い場所に卵を産み付けます。その高さを見て昔から人々は冬の備えをしてきたそうです。」

(終わり)


俺にはこういう仲間がいて、本当にうれしいし、そして後輩であることを考えると、本当に誇らしい。
このレポートは実は、硬い論文として、とあるところで賞を取ったとかの話である。
それを、よしを自身の手でわかりやすい文章にしてくれたのが上記である。

昨今、学校を取り巻く状況は厳しい。
けれども、闘ってる先生がいることも、わかってもらえたら、と思います。

ま、彼含め、多くの仲間と普段から飲みに行ったりしてますので、もしご一緒できたら。
ツイッターのDMや、まあ電話でもいただければ、その後お誘いさせていただきます。





にじ屋初売り2020白黒ミニ

2020もち

01_20191209110145666.jpg

jr.jpg

(BGM:村木正人「くらいマックス」from「幻の名盤解放歌集 地獄に近いHEAVEN」)
→「う~ひょうひょ~」ですね。
もう、いろんなことをすっ飛ばして涙を流して汗を流して生きているとはいえ、男と女のクライマックスは旅立っち。
もう意味がさっぱりわからない。
名曲。

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE