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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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イキタカッタ


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アキがなんかのインタビューというかなんかそういうのを受けた時に、まあいろいろ虹の会に来たいきさつとか話してたら、「かおるさんという人に大きな影響を受けたんですね」ということを言われて、「あ、そうかもしんない」と思ったと。

かおるさんは亡くなってしまったけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3444.html)、虹の会を作ったメンバーの一人と言っていい存在の人である。
彼女は中途障害、交通事故で轢かれて車いすになった人で、物静かな、それでいてしっかりした判断をする人でもあったし、根底にいつも「これで終わったら悔しすぎる」が合った人だと思う。

俺は彼女を題材にして歌も作っている。
「イキタカッタ」(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3815.html)に関しては、どうしても歌いたくて、しかしスーパー猛毒ちんどん本体でやる曲でもないので、別働隊バンドやソロで、ライブのたびにこれは必ず歌っている。
というか、この曲のためにソロをやっているようなモノでもある。
コロナでずっとできてないけど。

アキと話していて思ったんだけど。
正直、「障害者の目線にたって」とか「障害者の気持ちになって」とかよく言うんだけど、それって無理じゃん。
というか、「わかった!」「俺はわかってる」という人がいたら、「やっぱわかってないな」、と逆に思う感じじゃん。
わかるはずがないの。
車いすにずっと乗っていて、そりゃ電動とかで買い物は行けるかもしれないが、それはそれであって、そもそも論として「車いすののったままでなければ生活できない」と言う部分はわからないのだとオレは思っている。
女性だったらナンパされる、みたいなことも、車いすの女性が相手だったらやっぱり躊躇する人も多いと思う。
移動そのもの、どこぞの場所に入れるか、みたいな問題がつきまとう。
車いすの女性に「死ぬまでに一度ラブホテルに行ってみたい。連れて行って欲しい」といわれたことがあるが、つまりはそういうことである。

そもそもわからないのだ。
わかってなるものか、とも思うし、思われているとも思う。

が、じゃあ、わからないのだから一緒にやれないか、というとまあそういうことでもない。
そもそも人の育ってきた環境などと言うものはそれぞれ違う。
貧乏人もいれば金持ちもいる。
金持ちにもバカもいれば利口もいるだろう。
中にはネグレクトの状態で育ってきた人たちもいるかと思う。
戦火の下で育った人もいようし、平和の町に育った人もいよう。
それぞれに苦しみはあるのだと思うけど、それをできる限り共有して、想像して、必要な援助を一緒に求めていくことは可能であるし、そうやってきた。

かおるさんと虹の会を再興し始めた時は、金もなかったから、よく書くけど、俺の給料は5万円だった。
それも遅配。
俺には俺の苦しみがあったし、彼女にはそもそも苦しみがあっただろうし、それはお互い様だ。
俺の苦しみは彼女にはわからないし、彼女の苦しみは俺にはわからない。
でも、一緒の船の上で、「このまま終わってなるモノか」と思った気持ちは一緒だったと思う。

最初、彼女は俺に気を遣ってくれていたと思う。
つまり、金も払えないのに、ということもあるし、そもそも俺は24時間介助をやっていた。
なので、「佐藤くん、いいの?」という遠慮があったと思う。
そのまま数年が過ぎて、十年が経ち、二十年が経った頃、ある程度の給料も出るようになって、新人も多くできて、彼女のその遠慮はだんだん薄れていったのもわかった。
そこからやっと同じ目線で、同じように別々の苦しみを抱えた同士としてやっていけると思っていた矢先に彼女は死んだんだけど。

でね、最初の「わかるはずがない」に戻るんだけど。
「わかるはずがない」んだけど、かおるさんは中途障害なんだよね。
事故に遭う一秒前までは、我々と同じように歩き、親元を離れて専門学校に通い、半同棲をし、という人生だったのだ。
そう考えたときに、「まったくわからない」のではなく、かおるさんの苦しみはどっか「想像がしやすい部分もある」のだ、と。
ある日、この状況が一瞬でなくなってしまったら。
この一秒後に目が急に見えなくなったら。
そして、それが「もし」ではなく、現実になってしまったのがかおるさんなのだ。
そう考えると、ちょっと「まったくわからない」のではなく、なんか想像はできる、ということになる。
というようなことをアキと話したんだけど。

逆に言うと、彼女も俺の苦しみのちょっとは想像できていたのかもしれない。
金もない、時間も全部拘束されるような人生を、20代という人生のいい時期をそうやって過ごすのはキツいよね、って。
だから、そこにすごく気を遣ってくれていたのかもしれない。

確かに、明日事故に遭って急に歩けなくなったら、ということは想像もしたくない。
けれども、そういう方も多いわけですよ。
昨日まで一緒に酒飲んで狭い立ち飲みで一緒に呑んでいたヤツが、一瞬で車いすになった、というような。

「わかります」なんて言えないし言わない。
けど、一緒に闘うことはできる。
あきらめないで闘いましょう、と俺は苦しみの底にいる人にいいたい。







(BGM:Gotan Project Feat. Juan Carlos Cáceres「Notas」from「Lunático」)
→エレクトロタンゴ、ということになるのか。
かっこいいですねこのサウンドは。
しかもこのトラックはおそらくこのフューチャリングの人だと思われるけど、語りっぽいのが入っててなおよし。
語りに弱い。
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本気で悲しい


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先日、年齢的にはオレのちょっと下の人と飲んでいて。
まあ、普通の感じの人なんだけど、これが驚いたことに、ラフィンの例のライブに行ってたんだって。
しかもかなりツブされた側にいた、と。
もう大変でした、と。
いや、亡くなった人もいたわけだから、大事に至らなくてよかった…、というか場所がちょっとズレていたら…、と思うと恐ろしい。

って、まあちょっと驚いたのは、どっちかというと地味目の人だと思っていたが、いや、当時のインディーブームってのはすごかったんだな、と改めて思いましたわ。
好きよキャプテン。
…うっせえわ…。

当時はパンクス以外の人はライブハウスにいなかったが、急に普通のカッコしてる子が来たりして、曲が始まった瞬間につまみ出されたりしていました、という時代。
日比谷野音とかならまあそんなことはないんでしょうが、千葉のライブハウスとかではありましたね。

でもって、まあガーゼが解散というようなことで。
いや、もう永遠に続くバンドだと思っていたのでショックもでかい。
コロナでライブに行くことを躊躇している最中にこんなことになるとは。
コロナが明けたら一番に見に行きたいバンドではなかったか。
なかったか、というか、一番に見に行きたかった。

ま、しかしそもそも永遠ということはない。
最近になって再結成とか、数十年ぶりにライブをしたバンドもある。
解散したわけじゃないが、ギズムもそういう感じだったし、GODも最近煩雑にライブをやっていたりする。
だけど、ガーゼはしないだろうな…。
ガーゼのそういうところが好きなわけだけれど。

バンドのありようってのは色々あると思うけど、流通販路にものせない、ライブのチケットなどチケットぴあで売るはずがない、そんなバンドは少なくなってしまった。
というか、あのインディーブームで、インディーのバンドもメジャーのマネをするようになった。
そして、そのマネがうまく展開できているバンドが人気があるバンド、みたいになってしまった感じもあり。
確かにそれによってメジャー展開したバンドも多いし、その後残ったバンドはそういうバンドなんだと思う。

でも、そうじゃなくてもガーゼは残った。
残ったという言い方は失礼だ。
怒られるだろう。
そうじゃない。
「やり続けた」
パンクがパンクであった頃のまま。

もうそういうバンドはついになくなってしまった感じもある。

どんなインディーのバンドでもそこそこアレならばe+とかも使ったりする。
あ、ウチも映画(タイトル「凸凹に膨らんだ風船」)の撮影云々の時だったか一回使った。
もう使わないと思うけど。

とにかく客に対して「来てください」なんていう姿勢はみじんも見せず、イエのパソコンの前からはなかなかステージにたどり着けない状況を作り出してなお、ガーゼは音楽を続けた。
そして絶大なる人気であった。

パソコンで、スマホで予約できてしまえば、便利なことこの上ない。
そして、便利だということは、多くの人が来てくれる、ということでもある。
わかる。
わかるんだが、どうにも据わりも悪い。

だいたい、パンクなど路上に出てナンボである。
気の合う連中は外見でたいがいわかる。
そしてそこからつながっていくのがステージ。
それがまあパンクの神髄なんだろうし、じゃなければパンクをやるなどと言うべきではないのかもしれない。

千葉に住んでいたとき、高校の時だけど、千葉のアーケード街を歩いていたら、急にパンクスっぽい連中が声をかけてきて、「君さ、そのカッコ、いいね。パンク好き?明日俺たちライブやるんだけど、来てくれない?」みたいなことを言われたことがある。
で、行った。
なんていうバンドだったかは覚えてない。
けれども、パンクの感じっていうか、路上から始まるモノがその時にはあった。

今だったら、そこでアドレスとか交換してその後の付き合いとかもあったんだろうけど、当時は携帯がない。
だから、どうにもならんよね。
また路上で会うのを待つしかない。
パンクスのカッコして。

というようなことで、ガーゼの解散に心を痛めている、という話でした。






(BGM:永瀬正敏「魚たち 獣たち」from「Vending Machine」)
→いい俳優さんですね。
けっこうスキです。
俳優さんが歌ってるCDというのはけっこうスキで、ってのは、まあ要はコンセプトだから。
ただ歌っていたのでは歌謡曲の歌手にはかなわないわけですから、とかいったら怒られるか。
これはまあ徹底して語りっぽく仕上げていて、おしゃれに仕上げたい感じがすごい。

kimonoichi2022.jpg

遠くの親類より近くの他人


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ちょうど埼玉で暑くなった日に仙台にいました。
コロナになってから二年?三年?電車にもバスにも乗っていなかったが、初が新幹線ということになりまして。
お袋の兄弟姉妹が集まるということで、でもまあもう付いて行かないと、荷物だけじゃなくていろいろな部分でちょっとキツいので付いて行ったわけですが。
どんどん兄弟姉妹の数も減っていっているのと、「次に集まった時にはもう誰が誰だかわからなくなってるかも」というのもお袋はあるようで、「これが最後かもしれない」と何度も言っていたりして。
多少ボケ始まっていますからね。

ま、姉妹もみんな同じような感じで。
同じ話を何度も何度もしてたりして。
それでも、戦後大陸から帰ってきた時のことは昨日のことのように覚えているようで、何度も何度も「あの時は心細かった」と繰り返していた。
今回集まれた姉妹とも、小学生とかの年代だったらしく、よく状況はわからないものの、大変なことが起きているということはヒシヒシとわかっていたようで、しかし親に聞くにも聞けず、泣くこともできず、とにかく心細かった、と。

でもまあ、なんとか家族一人も欠けることなく日本に戻れたことをとても感謝していた様子だった。
この辺の話はオレも小さい頃に何度も何度も聞かされていて、戦争とは戦地で死ぬことだけが不幸なのではない、というのは心してきたつもり。
残留孤児のテレビを見ながら、「私は一歩足を出すのが遅れたらあの人たちの中に入っていた」というのも何度も聞いた。

仙台の人によれば、「仙台でこんなに暑いことはない」くらいの暑さだったみたいだけれど、しかしまあ、年寄りも特に熱中症になることなく、まあその兄弟姉妹会は終了したんだけど。
帰りの新幹線からウチまで、というのもまたこれ心配だったけれど、なんとか家までたどり着き。

どうなんですかね。
まあ、こういう親戚の集まりというのも、一般的にはけっこう「めんどくさい」ものではあったりするでしょう。
オレなんかは特に小さい頃、あまり親戚づきあいをしてこず。
というのも、ほぼ親戚が東北なのに、東京にいたからということもあったかと思います。
なので、従兄弟とか言われても数回会っただけ、という人もたくさんいて。
「○○がどうした」「□□はどうした」とかって言われてもパッとわからない。

従兄弟がどうしたこうした、ちょっと困っているようだ、いろいろ話は出てくるが、まあだからどうした、って感じもある。
要は他人だ。
血がつながってるからといって何かしなきゃならんわけでもなかろう、と思ってしまう。
まあ、そもそもがよく知らないんだからそんなに身に迫った話としては聞けない。

仲のいい従兄弟はいるんだけど、まあ東京で同じ団地に住んでいたりして兄弟のように育った感じの。
彼女たちとは今会っても昔のようにすぐに戻れるが、あとは知らない。
知らないから、まあ大人になった今、初めて会った、みたいなものである。
そこで仲良くなれる人もいるし、そうじゃない人もいる。
ま、そんなもんだろう。
オレはそこで仲良くなれるようにとかってがんばることもない。

気が合うオジさんや従兄弟と飲みに行くことができればまあそれでいい。
ま、そういう感じをゆる~く実現してくれるので、母親のこの兄弟姉妹会はけっこう気楽に参加できる。
参加というか、まあ付き添い半分なんだけど。
だからこそ、まあゆるくないと付き合ってられないところもありますが。

遠くの親類より近くの他人、というか。
まあそういう感じで生きてきたところもあって、このゆるい感じはありがたい。
仲良くしなさい的な雰囲気もなく、ただお袋やおばさんたちも笑ってるだけで、特に何も起こらないというか。

だからまあ、逆にここで出会って仲良くなった感じであれば、それはそれでもう今日から仲間、みたいな。
親戚として出会ったけど、まあ仲間、みたいな。
東京に住んでいる従兄弟とは普段、引っ越しの手伝いしたりしてるし、それには引っ越しが得意?な市丸も連れて行くけど、まあつまりは親戚だから、ということでもないんだよね。
やっぱ、親戚だって気が合わない人はいるわけで。
同じ年代の従兄弟でも、やっぱ「ちょっとごめん」って言いたくなる人もいるから。
それはもう、オレはきっちり態度に表しちゃうことにしていて。

オレの従兄弟にしても、唯一ボケてないオジさんにしても、アキに連絡を取る感じだし、なんなら俺の息子とかもそうだけど。
つまりは、親だからとか、親戚だからとかじゃなくて、気があったらそれで仲間、みたいなことだよね。

オレには兄弟姉妹がいないし、いろいろな意味でもうそんなに親戚が広がることもなかろう。
孫が生まれたりはするかもしれないけど。
なんだろうな、ま、何が言いたいかというと、オレは血のつながりより、毎日一緒にいる仲間、時々会う近くの仲間の方を頼って生きていこうと思うよ。





ブログ用

(BGM:松原隆と東京エコーズ,あかね道子「東京バカ踊り」from「Laugh!コミックソンググレイテストヒッツ」)
→「東京よいとこ タワーで眺め 高速道路で 高速道路でバカ踊り (ハア ソレソレソレソレ)」
「あちらサーフィン こちらはマンボ 俺も負けずに 俺も負けずにバカ踊り (ハア ソレソレソレソレ)」
「二人行きましょ 新幹線で 止めて止まらぬ 止めて止まらぬバカ踊り (ハア ソレソレソレソレ)」
もう、高速道路で踊るし、新幹線で踊っちゃう?し、もう歌詞もバカ。
最高なんである。
これ、ライブできるようになったらカバーしようかと思ってる。

いつこのトンネルは終わるのか


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オレの仲間というか、ブレインというかには、学校の先生という職業の人たちがいます。
というのは、まあ俺自身が大学の教育学部卒、ということもありますね。
30年前とかに、お手伝いを頼む段階で、彼らに頼んで、まあその後も一緒にやってきてくれた人がいる、という感じですね。

コロナの前には、よく飲みに行ったりもしていて。
オレ的に大きな飲み会は、彼らの中の一人の名前を冠した会にしていたりしていまして。
まあ、虹の会の初代会長の福嶋さんの生前から一緒にやってきた人たちなので、まあ、その逝去後、いろいろ大変だった時期に彼らはとても支えてくれた連中、ということでありまして。
まあ、虹の会でどうこう、ってワケじゃないんだけど、オレとしてはとてもありがたく思っておりまして。
その後もずっと付き合っているわけですが。

しかしまあ、このコロナ。
始まってから今まで、彼らと会ったのは前会長の工藤さんが亡くなった時くらいで、あとは会ってません。
こんなに長い間、彼らと飲みにいかないという時期もなかった。

まあ、それは我々の方がクラスター対策というかで、「外の人とは飲みに行くのは禁止」ということを井上たちと約束していたこともあり、オレもそれに従って、まあ、彼らと会うことを控えていたというのもあります。
で、最近になってちょっとコロナも抑えられてきたのか、少なくとも我々の活動拠点であるさいたま市桜区においては、ようやっと新規感染者が10人前後になり、実行再生産数も1を切り数日、近所の店には飲みに行ってもいい、という約束に変更をしました。

とはいえ、外の人と飲むというのはかなり慎重にならざるを得ず、簡単に「誰を呼んでもいいんじゃないか」とはなかなか言えない状況でもあります。
職種によっては、ほぼ毎日抗原検査をしているとか、そういうのもあるようで、しかしそういうことを含めさせて井上たちに飲み会を(彼らの自由な意思で)実行させるのはなかなか難しい。

まあ、そんなこんなで。
とはいえ、そうした虹の会を作ってきた人たちに新人も紹介できない状況というのはあまりよろしくない。
いろいろなタイミングでその機会を作ろうと画策しているところなんだけれど。

正直、新人に限らずなんだが、若い子たちが、例えばスズにしたって誰にしても、相談できる相手は多い方がいいわけですよ。
必ずしも、職員として最年長のオレが正しい?というか、きちんと彼らの意向を汲んで毎日を進められるかというと、そうとは限らない。
まあ、そうあろう、とは思うが、そういうことをオレらベテラン勢の「努力だけ」に頼ってはいけない。

彼ら、職員ではないが、なんなら俺らよりも「虹の会が長い」人たちは、俺らベテラン勢にも意見は言いやすいわけだ。
だから、そういう人たちと新人が仲良くなることは、構造的にはオレなんかの暴走のストッパーになるワケです。
彼らは新人の味方であり、俺らを制してくれる人たち、というか。
そういう感じでずっと進んできた経緯もあって。
まあ、そういう視点から考えて、スズとか新たしい人たちには彼らと仲良くなって欲しいと思っていて。

けど、それがコロナでできないままなんだよね。
それはやっぱ、よくないな、とは思っておりまして。

先日、彼らと久しぶりにメールでやり取りしたのは、まず「学校ではPCR検査とかを定期的にやってるのか?」みたいなことで。
そしたら、それはやってないんだ、と。
我々のようなところは、二週に一回?検査を市の補助かなんかでやってるんだけど、そういうのは学校の教職員にはない、と言っていて。
まあ、教師だけやっても、という意見もあろうが、やった方がいいと思うけど、なんでそういうことになってんのかオレはわからないけど。
コロナ対策費11億円がよくわかんないコトに使われた、みたいな話を聞くと、「そこやりゃいいじゃん」と思いますが。

その後、アキがいろいろやり取りしていたら、やっぱ彼らとしては「自分から感染を広げるわけにはいかない」という意識が強いみたいで。
「そりゃ飲みに行きたいよ、でもさ…」という。
まあ、わかるよね。
おそらく、お医者さんとか、看護師さんとかもそういう感じなんだと思う。
俺らもそうだけど、まだ検査しているからなんとかやってるけど。
フリーハンドでその「職業意識」だけを強要されてるようで、ちょっとかわいそうだな、と思ったり。
先生同士が飲みに行けないみたいなのってのは、やっぱちょっと苦しかろう。
「でも、それだとやっぱり、閉塞感があるから、なんとかしなきゃいけないと思ってるところなんだけど」と、その中の一人、今は校長になってるヤツは言ってもいた。

もちろん、飲みに行かなくてもコミニュケーションはとれる、というのはわかる。
けれども、それを越えたところに何かがあるような気も、現場的にはする。
だから飲みに行く、と言うだけではないんだけど、なんにしても「一緒に出掛ける」ってのはできないワケだからね。

正直、飲み会って苦痛、という人もいると思う。
それはそれでいいと思う。
でも、ズームで飲み会やってもなあ…、と思うのは、例えば飲み会を実際にやれば、メインではなくても端っこの方で二三人で深く話せたりするかもしれないし、そこからメインの流れに逆流する何かが生まれたりするかもしれない、って思うんだよな。
あくまで、オレの中では、「メインの流れにどう抗うか」、ウチで言えば「オレなんかベテラン勢の流れにどう抗うか」ってことを、きっかけだけでも誰かと話して欲しいんだよね。
「ああ、あの人は表だっては反対してないけど、ホントは反対なんだな」とか思えれば、そこから現実を動かす何かが始まるかもしれない、って思う。
飲み会って、けっこうそういう場だったりするんじゃないかな、という思いがあって。

逆に、飲み会ってそういう場所にしたいと思うし、そういう意味で、とても自分にとっては苦痛だったりすることも多いけど、そうなきゃいけないと思うところもあって。

実際の飲み会だと、帰り道とかがあって、同じ方向だったら一緒に、なんて言ってそこでなんか話が始まったりするかもしれないし、むしろそういう時になんかチカラを発揮する気配りの人がいたりして。
ズームだとそういうコトもないわけで。

う~ん、なかなか難しいかと思うけど、行きたくない人はいいとして、飲みに行きたいという人が行けない状況というのがどこまで続くのか。
というか、どこで踏ん切りを付けて「行きましょう!」と言えばいいのか。







ブログ用

(BGM:4hollerz「ラブ・ストーリーは突然に」from「A Cappella Love Songs~Acappella Base Camp Vol.1~」)
→アカペラ言うても、バックがちゃんと入ってますねこれは。
この曲はそもそも元のアレンジがすごく好きなんですけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5562.html)、その良さがまったく伝わってこないので、ちょっと残念。

孤独からの逃走


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正直、まあ機関紙の編集がやりたくなくなっちゃっう時ってのがあります。
機関紙は多くの人が読んでくれてて、この前の事件のコトとかはいろいろお手紙とかももらって、ああ、たくさんの人が読んでるんだな、と改めて思いを新たにしたんですが。
いや、だから、すごくやりがいのある作業だとは思うんですけどね。
そもそも好き勝手やれるわけだから、嫌いじゃないんですけどね。

ただまあ、毎回80ページ越えの分量になってて、半分はたいがいオレが編集しているので、正直、もう飽きるというか疲れちゃうんですよ。
毎回毎回、会議では「今回は機関紙を薄くしよう」といっているんだけど、書く人が書いて出てきたモノを編集してると、やっぱ分量は多くなっちゃうという。

困ったもんで。
でもまあ、書きたい、伝えたいという気持ちは大事にしたいから、無碍に「短くしろ」とも言うべきじゃないし、というか、それはちょっと違うし。

ま、色々考えると、結局編集って個人プレーなんですよね。
相談しながらやるわけじゃない。
ま、あそういうページもあるけれど、基本個人プレーになっちゃう。
そりゃそうですね。
PCに向かって延々と作業する、みたいな。
だからまあ、なんか「孤独感」がすごくある。
みんなの原稿だから、一緒に作業している、と思えば思えなくもないけど、二日徹夜とかになってくると、やっぱ疲れてはくるわけです。

俺はアキと暮らしていて、とにかく家に帰って二人の時間も楽しい。
「同じ職場でイヤになりませんか?」とか言われるけど、いや、ぜんぜん。
むしろ、いい。
例えば懸案事項があって追い詰まっていたとしても、まあ、家でも話せるわけです。
そうすると、どうでもいい話に混じって、なんかピンとくることがひらめいたりする。
ま、これがオレの場合とても多い。
このブログのテーマも、アキと話をしていて思いつくということがよくある。
アキが原作を書いているんじゃないかと思うくらい。

で、虹の会(介助以外)ロックダウンの中、まあロックダウン解除をどうするか、って話をしなきゃならなくなって。
というか、まあそりゃそうですね。
ロックダウンは簡単だが、解除が難しいわけで。

で、オレとカズミが感染者との接触が同じ状況(感染した人とは直接接触してないが、直接接触した人と多少話した)なので、まあ会って話をしようか、となったわけです。
ま、このコロナの問題、けっこうカズミが情報収集など主導してやってるところがあって、それでまあ、そうしましょうか、となったんだけど。

けどまあ、間際にそれどうなんだ?となりまして。
ここまでみんな離れてロックダウンしていたわけだから、もしもオレかカズミのどちらかが感染していた場合、うつす可能性もあろう、と。
PCRは、接触から数日たってやった方がいい、ということなので結果が出るのにまだ数日かかる。
つまりまあ、接触してから隔離状態なワケで、その結果が陰性だったら、まあ完璧じゃなかろうが、安心ではあるから、その後だったらまあいいけど、そうじゃないなら会わない方がいいのではないか?と。

う~む、と。
感染状況を考えると、確かにそう。
だけど、やっぱ会って話すのとは違う。
会って話せば、いろいろ気力がわく、みたいな話になって。

つまり、感染と天秤にかけるほど、「会って話す」ってのは重要なんだな、と改めて思ったって話ね。
最終的には、まあ会わないで、カズミの原案を電話会談してみんなに提案するひな壇を作る作業を二人でしたんだけど。

ま、何を言いたいかというと、何にしても孤独になったらよくないんです。
俺らみたいな仕事だと、どんなに重要なことでも、やりがいがあることでも、意義のあることでも、孤独に続けていたら、やっぱダメなんだよね。
気力がなくなる。
疲れちゃう。

思えば、最初の頃はもっと小さかったから、俺一人でやるコトってのがすごく多かった。
なんだといえば、介助だって24時間やってたし、夜中にバザーの値段付けなんて普通だった。
でもね、折れるんですよ。
だから、オレは多くの外の人に助けを求めてやってきて、まあそれは今も変わらないし、その時の仲間と今でもずっと飲んでるし、虹の会のことを一緒に考えてもらってるわけですけど。
その中で専従になった人もいるし、そうやってまあ広がってきて。
結果、まあ今はとても当時に比べたら楽ちんで、というか、もう一人でやんなきゃならなかった頃には戻りたくない。

そう考えて見るとですね、結局常にオレは「孤独にならないため」になんかしてきたんだよな。
仕事をどうこなすか、考えなきゃならないことを勉強するとか、そういうことを一切考えないで、オレはとにかく他の人、外の人に全てを頼り、「孤独からの解放」だけを考えてきたんだと思う。

それはきっと、自分を守るためだったんだろう。
折れたくなかったんだろう。
まあ、その時はそんなこと思いもしてなかったけど、今考えると、孤独が嫌だったんだな。

で、まあ結果からいうと、そのおかげで今はコロナでアレだけど、飲みに誘える人がたぶんオレは多いんだ。
だから、オレはとても今幸せなんだと思う。
なんでもオレは話しちゃうし、まあブログでは書けなくても、話したい感情がわき上がるようなことはたくさんあって、それを喋ることによって楽にもなるし、もっと近しい人にもなれる。
まあ、ありがたい話ですよ。

だから、幸せって孤独の反対語なのかもしれない、という話でした。
ま、時には一人もイイですけどね。







(BGM:Schola der Benediktinerabtei St. Hildegard Rudelsheim-Ebingen,M. Immaculata Rizscher OSB「O pastor animarum」from「CD 1 - 1000 Years of Sacred Music - Hildegard von Bingen」)
→宗教合唱てきなことなのかしら。
心が洗われるような気がしなくもない。

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