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スーパーちんどん・さとう

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終戦から二三日後、現韓国38度線あたりの鉄原での出来事をご存じの方いませんか


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先日韓国にいったという話は書いたんですが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4599.html)、小さな甥っ子やお父さんお母さんと別行動の時間があったので、アキと「鉄原」を目指してみようとなりました。

とは言っても、携帯で大急ぎでネットの記事なんかを読んでもDMZと言われる非武装地帯のあたりにあるようで、つまり38度線のアタリです。
なんで、個人での観光は原則できないとも記事には多く書かれていたりして、行けるかどうかはそもそも半信半疑ではあったんですが。

今になっていろいろネットで落ち着いて調べてみると、やっぱりツアーで行く場所のようで、外国人はいわゆるDMZツアーといわれるモノを利用して行くところである、とのことのようです。
北朝鮮が見渡せる場所なんかもあるからでしょうか。

今、南北は急速な融和が進んでいますが、まだまだ戦時中であることには変わりがないようです。


ソウル駅に行って聞いてみたけど、鉄原駅は朝鮮戦争で破壊され、そのまま廃駅になったということで、行きようがない、と。
バスならあるんじゃないかということで、バスターミナルに行ってみたらありました。
新鉄原行き、というバスが。

まあ、今考えれば、これに個人でのれるのかどうかはわからないし、乗って行った先で止められる可能性もあるんでしょうか。
乗り込むのは軍隊の人と一人のおばさんだけでした。

どっちにしろ、2時間以上かかるようで、時間的にはもうリミットだったので、とりあえず今回はでも「鉄原」という名前を発見した、というところで、なにかを達成したような気持ちで鉄原探しの旅を終えました。

今度もし行く機会があったら、ちゃんと調べて行ってみたいと思っています。


で、なんでここを目指そうかと思ったか、ということなんですが。

オレのお袋が終戦を迎えたのが鉄原だったんです。
再婚してからアキとよく実家にも行くようになって(その前は近いくせにほぼ近寄らなかった)、よくお袋とも話すんですが、この鉄原でのことを何度も何度も話すんです。
で、アキが「行ってみようよ!」と言ってくれて、それに押される形で一緒に探したんです。
アキはバス停で「新鉄原」の文字を発見してちょっと泣いてました。
とても素晴らしいパートナーに巡り会えて俺は幸せだと思います。


さて、で、その戦争の頃の話ですが、お袋のお父さんは朝鮮で学校の先生をしていて、学校のあるところ各地を転々としていたらしいんです。
で、そこで終戦となった、ということで。

8/15になって、「外に出るな」「夜は電気もつけるな」となって、家の中で過ごしたらしい。
でも、お袋は兄弟姉妹が多かったので、家の中で遊んでいればいいわけで、それはさほど辛くもなかったと言います。
ただ、夜になると大声で人たちが騒ぎ、火を焚いたりして、それは怖かった、と。
その時、お袋のお父さんは状況を知るために駆け回っていたのか家にはいず、それがまた心細かった、と。
「でもね、そりゃ、みんな日本人に押さえつけられてたんだから、日本が負けて騒ぐ気持ちは今になればよくわかる」と言ってました。

で、数日後に汽車が来るから、それに乗る、ということになって、ただ、手荷物はなし。
何も持たずに駅に行くように、という連絡がきて、乗ったそうなんです。
それももう貨車に満員どころか、溢れんばかり乗って、という状況で。

「残留孤児」って言葉をオレの世代はニュースでもよく聞いたわけですが、そのニュースを見る度に、「私はあの中に入っていたかもしれない」とお袋はよく言ってました。
あの人の大群のなかで家族を見失ったら、もし、お姉ちゃんの手が離れてあの汽車に乗れなかったら、と。
そんなほんの一寸のことが、人生を分けたかもしれない、ということなんですが。

で、お袋はここから先の話を「よく覚えてないんだけど」と言い、姉妹で今話をしても食い違う部分がある、と言ってるんですが、その汽車、動力部分の先頭の機関車だけが貨車全てを草原に置き去りにしてどっか行っちゃった、というんです。
そうなると、貨車だけではどうにも動きません。

しょうがないので、そこで一回みんなで降りたんだ、と。
狭い車内だったので、すごく嬉しかった、と言ってました。

といっても、大人は大変だったでしょう。
遠くに見えた民家に行き、食料を調達し、なんかみんなで協力して穴を掘ってトイレにしたり、釜を焚く火をおこす場所を作ったり、ということをして過ごしたと言うんです。
とくに、お袋のお父さんは先生で朝鮮語も堪能だったわけですから、そういう民家との折衝なんかをやっていたんじゃなかったか?と。

「ただ、子どもだったからね、小4だったから。そういうのはあまりよくわからなかったんだけど、思い出すとそうだったんじゃないかなって思うのよ」とお袋。

そこにどのくらいいたのか、どうやって機関車を調達したのか、わからないけど、結局は機関車が来てまた貨車も動き出した、という。
その期間がどのくらいだったのか、これは姉妹間でも食い違ったりしてるようで、お袋自身も「三日くらいだったのか、一週間?二週間だった気もするし…」と、曖昧に。
というか、なぜ機関車が去ったのか?機関車はなぜまた戻ってきたのか?…それは幼かったお袋たちには知るよしもないわけで。

その後、港について舟に乗って、日本に着いて、という段階でもいろいろと話は続くんですが、その草原が鉄原の外れだったんじゃないか、今で言う韓国側だったんじゃないか?というんですね(そもそもお袋一家は鉄原の北側にいたよう)。


で、この話、どこまでがお袋が後で付け足した記憶なのか、事実なのか、いや、大筋はそういうことがあったんだと思うんですが、細かいディテールがイマイチはっきりしない。
その時に一番しっかりしていたお姉さんが認知症になってしまい、残った幼かった妹たちは記憶が噛み合わない。


ただ、その汽車にはものすごい人数の日本人が乗っていたんですよね。

もし、こういう話を親から聞いた、とか、ご本人、とか、なんか心当たりがある方、お話を聞かせていただけたら幸いです。

お袋が言うには、終戦の8/15の二三日後に汽車に乗ったんではないか?とのことです。







(BGM:天童よしみ「珍島物語」fromYOUTUBE)
→「海が割れるのよ 道ができるのよ 島と島とがつながるの」
国の分断の悲しみを歌った曲なんですけどね。
なんか、まあ壮大なモーゼ的冒頭に脱帽です。
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本気でさがしています!情報お願いします。

0910スーパー猛毒ちんどん5
スーパー猛毒ちんどんでは、出演・演奏できるステージ等をさがしています。情報等よろしくお願いします。
昨年の公演のDVDを配布しています。詳しくは虹の会本体のHP内のブログを捜してもらうと、配布方法等書かれています。また、コメント等で返してもらえばお知らせします。
また、参加したいという人、特に管楽器ができる人を募集しています。詳しくはコメント等下さい。



ちょっとやんなきゃいけない仕事が山のようにあるので、更新するつもりはなかったんですが、ちょっとすごいことが起こっています。


以前に、刃物研ぎのおばさんを捜している旨、ここに書きました。
カテゴリに分類してあるので、そちらから参照して下さい。

前に、このブログは、誰が、っていうのはわからないけど、どんなワードで検索したかがわかる仕組みになっている、と書きました。
今、それを見たら「刃物 とぎ 千葉」で検索してここにたどり着いた人がいます!

もしかしたら、オレと同じ思いで探している人がいるのか?!

ぜひ、みなさんの情報をお待ちしています。

って、とりあえず全然関係なかったりして。




(BGM:マイナスターズ「すれ違い」from「ネガティブハート」)
→さまーずの変名バンド「マイナスターズ」。
世におもしろソング的なモノは数あれど、このアルバムは群を抜いていると思う。
さまーずの知名度の割にこのバンドの方は知られてない気がするので、ぜひ、さまーずが好きだという人には聞いて欲しい!。
バンド名は、マイナス思考、のマイナスですね。
そんな大竹ワールド&三村つっこみ全開です。

特に千葉の方。総武線沿線だと思います。

大宮スーパー猛毒ちんどん2010カノウ
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急に思い出したことがあります!みなさんにおたずねしたいです!知ってる人がいたら、ぜひ声を集めて、捜しましょう!

って、あせりすぎ。
落ち着いていこう。

カズミのうちに金物屋さんがやってくるという話を聞いていて、急に思い出したんですね。
カズミのうちはかなりの田舎。
学校の体育の時間の水泳が川だったという。
ぎゃははははは。
いやいや笑ってはいけない。
本気だ。うん、これは生きた授業だ。
って、でもやっぱ…、ぎゃははははははは。

川って、あんた…。
都会育ちのオレにしてみたら、川ってのはどっちかというと入ってはいけない方の部類であって、授業でやるってのがどうも想像がつかないというか。
他には通学中は鈴をつけなければならないとか、クマ対策で。
ひょえぇぇぇえぇぇー。あぶないあぶない。
そんなこんなで、彼女の実家の話は、いちいち常識がずれているというか、なんだか日本は広いな、という気持ちになって嬉しくなってくるのですが、そんな話の中、山の中で店は遠いから、富山の薬売りは来るし、金物屋もくると。

で、そこでオレの頭の中に、記憶の底からガバァッとあるメロディーが、急に浮かんできたのです。

「ただ今~、ユニマートの前でぇ~、コウモリがっさ(傘)とぉ~、革靴の修理にぃ、刃物研ぎをいたしておりまーす」


…ふむ。
字にするとどうにもこうにも伝わりにくいが、基本的に音は2音。
ファとラ。
ファの部分を下線に、ラの部分を普通に書きますと、
ただ今~、ユニマートの前でぇ~、コウモリがっさ(傘)とぉ~、革靴のしゅうり(修理)にぃ、刃物研ぎをいたしておりまーす」となる。

リズム的にはもう4拍子とか3拍子とかそういうのはなく、とにかく五七調というか、いきおい「刃物研ぎ」のところはちょっと早口になります。

ユニマートというのは、俺の昔住んでいたところにあったスーパーマーケットのことである。

つまりどういうことかというと、ユニマートの前で、こうもり傘と革靴の修理と刃物研ぎをしていますから、ご用の方は来て下さい、ということなんですね。
ま、その通りですけど。

これは、そのおばちゃんが、おそらく仕事前に、団地中を宣伝して回っている時にメガホンで喋っていたフレーズなんです。
で、これは基本的にエンドレス。
「…刃物研ぎをいたしておりまーす。ただ今~、ユニマートの前でぇ~…」
と、延々と続くんです。
だから、どうしても覚えてしまったんですね。
いや、だから、もしかしたら、オレは今「ただ今~」から書いたけれど、本当は「ユニマートの前でぇ~」から始まり、「ただ今~」で終わっているのかもしれません。
その辺は、はっきりとはしません。


で、この話をしたら、またもう一つ記憶の底から蘇ってきたことがあります。
これが今回の話の重要な鍵となります。

ある日、オレは友だちの家に行っていたんです。
電車で二つくらい離れたところの。
オレはまあ、なんだかいろいろ事情もあっていい小学校に通っていたので、多くの級友が電車通学をしていましたから、(オレは歩きだったけど)電車に乗って遊びに行くというのも、珍しいことではなかったんです。

すると、聞こえてきたんですよ。
「ただ今~、サンフードの前でぇ~、コウモリがっさ(傘)とぉ~、革靴の修理にぃ、刃物研ぎをいたしておりまーす」


なんたること!
声も同じ。
つまり、このオバサンは、うちの団地に来ている時じゃない時は、他のところを回っていたということになります。
ま、サンフードというのは、失念したので今入れました。
ここにはその土地のユニマートのようなスーパーの名前が入っていたということです。

なんだかオレは、このオバサンがこの土地に取られたような、サンフードに取られたような気持ちになって不思議な気持ちになったのを覚えています。

今だったら、刃物の一つも持って、この前、他のところでお見かけしました、いろいろ回っているんですね、などと話もできようが、子どものオレにはそもそも刃物も革靴も、傘はまああれだけど、用がないんです。
それに、そういうのを聞いたと言うだけで、その他のことがまったく情報がないまま35年近くの月日が流れてしまいました。

もしかしたら、そのサンフードの人は違う人だったのかもしれない、いや、でも声は同じだった。
ということは、親子かもしれないし、姉妹かもしれない、という可能性は捨てきれない。

時々、そのオバサンが子どもを連れて団地をメガホンで回っているのも見たことがあった。
その生活はきっと厳しかったんだろうと思うけど、子どものオレには事実の解明をする術もなく、そのまま今日まで時が過ぎた。

今、記憶の底から蘇ったこのフレーズに、ものすごい昭和の高度経済成長後の、なにか民衆史のような、大きなうねりを感じちゃったりして、オレとしては事実が知りたい。

果たして、このオバサンは一人だったのか。
どこに住んでいたのか。
その女の子以外に家族はいたのか。

いやいや、大きなお世話であることは百も承知なんです。
でも、オレはそれを何か記録したい思いに駆られている。
その記録を、平成のこの寝ぼけた時代に残したい。

まず、俺と同じ千葉の埋め立ての団地に住んでいた人でオレと同じ世代以上ならば、このフレーズは絶対に聞いたことがあるはずだと思うんです。
そして、その他にも、千葉の、いやもしかしたら千葉以外ということもあったのかもしれないけど、このフレーズに覚えがある人はいませんか。


そして、この人をもし捜し当てられて、きっとお年だとは思うんですけど、病床に伏せっていたりするのならば、伺って、このフレーズをオレは聞いてもらいたい。
ま、本人が忘れたい思い出だったとするならば、あきらめざるを得ないんですけど、このフレーズを聴いて大きくなった人はオレ以外にもいると思うんです。
なので、そんなみんなが集まって合唱したらどうだろうかと思うんです。

お心当たりの人はいませんか。
特に千葉。総武線沿線だと思われます。



(BGM:RCサクセション「多摩蘭坂」from「BLUE」)
→ま、この「ただ今~、ユニマートの前でぇ~、コウモリがっさ(傘)とぉ~、革靴の修理にぃ、刃物研ぎをいたしておりまーす」については音源がないので、BGMにもできません。
このアルバムは、確かRCが雨上がりでヒットした後、ベストをのぞけばスタジオ録音としては初のアルバムだったと思います(違うかな)。ラプソディーはライブということで一応。
しかし、タイトル通り、このアルバムはダークだ。売ろうという気がないとしか思えない。
けど、オレはRCのアルバムの中でこれが一番好きだ。もちろん、捨て曲がないというのもあるけど、ロックのルーツというか、むき出しのブルースというか、そういうのがここには詰まってると思う。
最後になった「BABY A GO GO」もそういう意味ではこれに似ている。
きっとRCのロックって、「雨上がり」のようなアッパーチューンじゃないんじゃないかな、と思う。
ま、RCはあんまり詳しくないのでぼろが出そうですのでこのへんにしますが、とにかくオレはこのアルバム大好き。
その中で、今回は多摩蘭坂を。いや、なんとなくです。

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