プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - - 1 2 34
5 6 7 8 9 1011
12 13 14 15 16 1718
19 20 21 22 23 2425
26 27 28 29 30 - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

そりゃ、イヤなことやって周りを困らせたくもなるでしょうよ


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら



急いで予約だ!


てなことで。

ま、ちょっと先日飲みに行って、衝撃の話を聞いたんですが。

近所の他の作業所を中心としたいわゆる団体がやってることのようなんですが、「外出私怨」というらしいんですが。
って、あ、間違った外出支援。

外出支援って、まあどういうことなんですかね。
外出の支援。
平たく言えば、障害者が一人で外に出るのはいろいろ困難があるので、一緒に外出に同伴していろいろ助ける、みたいなことになりますか。

あ、今回の話は、冒頭の衝撃の話の中身が外出支援でも知的障害者の、ということであったので、そういうラインで話を進めます。

ま、外出に同伴、ですからね。
外出する理由、というのは、障害者側にあるわけです。
じゃないと、「同伴」にならない。
「先導」になりますね。

ま、この辺、俺らは「支援」という言葉を使わないので、この人たちが「同伴」という意味で使ってるのか、先導の意味で使ってるのか、ちょっとわかりませんが、話のスジとしては先導、の方なのかな、と推測。

とにかく毎週末、5~6人だったかが一緒に、ぞろぞろと遠足のミニマム版みたいな感じで出かけるらしいんです。
並んでぞろぞろ、みたいな。
で、話しを聞いてると、このメンバーはほぼ変わらない、というか同じ、という感じらしかった。
そこに、介助者?介護人?外出介護者?支援者?よくわからないけど、障害者じゃない人が一緒に何人かついていく、というスタイルらしいんだけど。

ま、話だけですから想像するしかないんですが、そういう状況を想像してみるに、それだけでもちょっとよく見る「ああ、知的障害者の集まりだな」って感じですよね。
みんなでリュック背負って、職員がジャージ背負って、なぜか名札つけて。
いや、名札いらんだろ、っていつも思うんですけど、まあそういうね。

どっからどうみても「保護されてる人」と「保護している人」という色分けがしっかりされた、見ただけですぐにわかる集団。
ノーマライゼーションだとかってコトとはマッタク逆方向な感じですね。
もう自ら「区別してください」って思いっきり言ってますから。

ま、それはいいとして、想像ですし。

で、まあいろいろ話しを聞いてますと、とにかくその中の人、つまり障害者の人ですね、が漏らすんだ、と。
俺に話をしていた人はまだ新人で、「どうしましょう」って思うんだけど、ベテランっぽい人が「そのままでいい」って言うんだって。
というのも、その人は、「当てつけのように漏らすから、もう着替えもないし、いい」と。

それが、どうもその新人の人には我慢がならなかったらしく、もう!もう!って言ってたんですけど。

ふむ。
なるほどね。

で、まあここまではよくある話というか、ベテランもホントに着替えがなくて困っていただけかもしれないから、まあ、この新人の話だけではわからんな、とは思っていたんですけど。

が、この先でした。
衝撃は。

「もう毎週、行く場所が決まってるんですよ!」

…え?

「2カ所あって、●●と○○。それを繰り返しなんです」
…●●と○○は、ほぼ近い。
「乗る電車も決まってて」
…。
「何回か乗り換えて、▲時間、電車で過ごす、みたいな」
…。

ま、そういうことでした。


さて、こっからは俺の見立てです。

正直、この外出、本人が行きたいんじゃないんでしょう。
親の都合、いろいろな状況で、この日は「家にはいられない」という状況である。
だから、どっかに行く。
そのための「外出支援」の制度もある。

つまり、ま、もう先に制度があるんだよね。
実際のところ、本人のためというより、親や家族のための制度として、「家を出て時間を潰すために使ってイイ制度」が。

で、毎週同じところに出かける。
出かけたくもないのに、毎週、同じところに連れて行かれる。

というのが、俺の人生だったとしたら。
そして、「自分では電車に乗れない」「自分で出かけるコトができない」のであったとしたら、なんか、俺耐えられないかも。

だって、ここまで毎週同じ。
きっと一年先も、三年先も、と思ったら、耐えられなくなって、周りの人に当たりたくなっちゃうかも。
バカのフリでもしてなきゃやりきれないかも。

そう考えたらさ、「当てつけのように漏らす」って、なんかわかる気がしてきて。
連れて行く「先導者」が嫌がること、やってやりたくなる気持ち。


「同じ方がイイ」のは、絶対的に「先導者」の方なんです。
にも関わらず、彼らは、知的障害者がうまくしゃべれないのをイイコトに、「彼らだって、毎回同じところの方が安心して落ち着けるんだ」などという理屈を出してくる。

それはさ、まず、毎回違うところに行ってから、それ、三年くらいやってから言おうや、って俺、思うんだけど。

ウチの連中は少なくとも、「あっち行きたいこっち行きたい」言うようになったけどな。
「やって見もしないで、自分が楽な方をとりやがって」と俺は思います。


で、この新人の人は、「毎週同じところに行って、漏らしても放置。コレは完全に暴力だと思うんです」といっていた。
きっとこのベテランも、最初はそう思っていただろうに。

この新人さんの気持ちが、この団体の中で取り上げられるといいんだけどな、と思った。






(BGM:遠藤ミチロウ「オデッセイ2013」福島弁バージョンfrom YOUTUBE)
→ライブなんかでもよくやってますね。
いや、なんかもう「言葉が刺さる」ってこのことだな。
スターリンから、この人は言葉の人だったんだよな、って改めて思ったりする。
スポンサーサイト

霊がいてもいなくても


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら



霊がいる、としましょう。

ま、聞けば写真に写ることもあるというし、人形が動いたりということもあるそうなので、いる、というコトに関してはかなりの確率でいるのではないか、という認識でよろしいのかどうか。
「非科学的だ」と指摘して論議を止めちゃうことの方がすげえ非科学的だったりして、まあ、「霊がいるいない」って論議自体がもうどうでもいいような気がしてんだけど。

いるといえば、いるし。
いない人にはいないんだろうし。

で、いる前提で、ちょっといろいろ考えたんですけど。

死んで後、その辺にうようよしてる。
でも、こちらからは見えない。

で、ときおり、「人に取り憑く」わけだけど、こちらからは見えないので、正直防御のしようがない。

…というところまで考えて、いや、そもそも向こうはこっちを見えているのか?という問題があるな、と。


しかし、「取り憑く」というのは、能動的なアクションなわけです。
その場合に、対象が「見えてない」ってコトがあり得るだろうか?と。

例えば、霊と我々人間が、互いに見えてないから、たまたまぶつかったりして、その時に「取り憑かれる」とした場合、これ、もう突発的ですから。
互いに「事故」みたいなもんだから、急にきます。
しかも、等しく平等に取り憑かれる可能性がある。

これね、しかし、例えば稲川淳二さんなんかは、もうたくさん霊に会ってるわけじゃないですか。
けど、まあ「会ったことねえなあ」という人も多数いる、と。

そうなった場合、やっぱ「等しく可能性がある」というのは、現実にそぐわないように思われますね。

だからやっぱ、「向こうは見えてるんじゃないか」というコトが推測されます。
そして、プラス「こっちからも見える人がいる」という。
稲川淳二さんとか、そういう。

いや、そうなると、もしかして、向こうも「こっちが見えない人」いや、「こっちが見えない霊」というのもいるのかもしれない、というのが成り立ちます。

で、見える霊が、狙いを定めて「取り憑いている」と。
こっちにも「見える人」がいますから、「あんた取り憑いてるよ」というね、そういうことになるというか。


で、人はやっぱり「取り憑かれたくない」わけです。
少なくともオレはそうです。

なんで、ここで問題になるのは、「霊がどういう人を狙うか?」というね。
で、「そういう人にならなきゃイイ」という理屈が成り立つという。


で、霊の気持ちになってですね、「どういう人に取り憑くか」を考えてみたい。

いや、まず冷静に考えてみたところ、「いい霊」だったとすると、「別に取り憑かれてもイイじゃん」というコトも成り立つんだよね。
なんか、すげえ「才能ある霊」みたいな。
それによって、なにか成功するかもしれないし。

なんで、この場合、「悪い霊」ということにしましょう。
ただ、先の仮定に従うと、「人間が見える霊」の中で、「悪い霊」ということになるので、かなり数は少ないと思われます。
こっちで霊が見える人も相対的には少ないわけだから、向こうもそうだと思われますからね。
そもそもそんなに、恐るるに足らず、って感じはしますけど。


で、まあ、悪い霊ね。

どうですか。
自分が悪い霊だとすると、どういう人に取り憑いて悪さしたいですか?と。

ただ、ここで勘案しなきゃならないのは、「負ける可能性もある」ってことなんですよね。
つまり、「取り憑いたけど、祓われちゃう」とか、「取り憑いたのに影響を及ぼせない」みたいなこと。

そう考えると、例えば稲川淳二さんの友だちなんかには、あまり取り憑きたくない。
なぜなら、すぐに「あんた取り憑かれてるよ」ってなっちゃって、祓われる可能性がある。
ソレは避けたい。

あとは、なんかすげえ「強そう」な人にも取り憑きたくない。
強そう、というのは、この場合「霊的に」ということで、霊が負けちゃいがちな感じがする人、ということになりますね。

例えば「悪い霊」ってことですから、同じように悪い、つまり、人を怨んでる感じとか、すぐに文句ばっかり言ってる人とか、すぐに攻撃的なコトばかりを言ってる人とか、そういうのには、悪い霊は勝てそう。
けど、逆の人。
いつもなんか感謝してて、人の悪いところをあまり追求しないような人だったりしたら、そこから「悪い感じ」に持っていくのは霊としてもつらいのではないか?と推測されます。


なんで、そう考えると、とりつかれないためには、「そこそこ霊を見た事がある、みたいな人のそばにいて」、つまり「霊の存在を認めて」、プラス「悪い霊が負けちゃいそうな生活をする」って結論になりますね。

これって、よくよく考えたら、「死んでしまったご先祖様を敬って」「明るく前を向いて生きましょう」みたいな。
そういう、普通の基本的な道徳にたどり着くのよね、という。






(BGM:國藤さだやす; 高橋奈妙「見沼恋しるべ」from「氷川大宮語りぐさ」)
→これね、ご当地ソング的なコトで、けっこうアレかと思いきや、バックトラックとカチャンとしてるし、悪くない。
けどまあ、唄がなあ…ちょっと。
特にこの女性の声に魂が感じられないというか…。
中身的にはウチのご近所のご当地ソングなので、まあどのみちそこまで止まりだけれど。

| ホーム |


 BLOG TOP