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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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政治とは、この「560円」のこと


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この前、マラソンコースに粗大ゴミが置いてあって、そこに市が領収したという560円とかってシールが貼ってありました。
ま、今、粗大ゴミってのは、こうやってお金を出してそのシールを買って、それを貼って出す、ということになっていますさいたま市。

もう見慣れた風景になりました。
貼ってないものは、「これは回収できません」というシールが貼られ、ゴミ置き場にそのまま置いてあったりします。

これ、どうですか?
ま、しょうがないですか?

折りたたみのベット一台560円が高いか安いか?という問題もありますが、その前に、なんで家庭ゴミを出すのにお金を取られなきゃならんのか?という気はしませんか?

俺はちょっと疑問に思いました。

ウチではまだベットとか粗大ゴミを出す機会がないので、やったことがありませんでしたが、これ、どうなんだろうか?と。


ゴミってのはもう文明の負の部分というか、もう必ず出るわけです。
東京なんかだと、ゴミ収集の人たちが数日ストしただけで機能がマヒするんじゃないか?という人もいます。
それだけに、ゴミを収集してもらって、1カ所で処理する、という流れは、今の世の中に必要不可欠なものである、ということができると思います。

というか、これは各戸でやれる範囲ではなく、自治体単位だったりでゴミの処理についてきちんとシステムを作ってやらなきゃならないことでありまして。
道路を作る、橋を作る、と同じようなコトなハズだと思うワケです。
じゃなきゃ、まず衛生上よろしくない。
これは重要で、社会生活上、支障を来す。

だからこそ、こういった部分は税金でやってもらわなきゃしょうがない、と俺は思うんです。
というか、そのために税金を払っている。

にもかかわらず、なぜ、個人でそれプラスでお金を払わなきゃならないのか?と。
リサイクル法があって、とかいろいろそりゃあるわけですが、根本的に、家庭ゴミを収集して1カ所で処理することは、俺は税金の範囲じゃないか?と思うんです。

そりゃ、事業ゴミはまた別の話ですよ。
それによって利益を得ているわけだから、それを税金でやれ、というのはおかしな話で。


今、モリカケ問題とかがあります。
聞けば、国有地を格安で売り払ってしまった、とか。

そこに首相夫人の鶴の一声があったかどうか?とかって問題になってるわけですけど、まあ、あったんでしょう。
じゃなきゃ、話のつじつまが合わない。
そこには、内閣人事局という存在もあったでしょう。

この問題は、結局、税金の使い道の問題でもあるわけです。
内閣官房機密費なんてのが、なにに使われてるのかわかったもんじゃない。
もちろん、国家の安全保障上のアレはあるでしょうが、どうもそれだけじゃないんじゃないか?と言われはじめて、やっと開示されはじめています。

簡単に言うと、そうした「政権を握るもの」が、一部で税金を好き勝手使って、我々が560円を負担している、という図式が見えては来ないでしょうか?
もちろん、これは簡略化しすぎているのかもしれませんが、しかし、大枠ではそういうことに間違いはないと思うんですね。


モリカケ問題がよくわからない、とか、政治のことはよくわからない、とかっていう人がいますけど、この560円の問題だってば!って俺は思うわけです。

税金というのは、我々が個別でできないことを、社会がまとめてやる、というか、そのための金集め、ということが一つの意味合いになるかと思います。
他にも、所得の再分配、という意味もあります。
そっちはそっちで今問題だと思いますが、それは又の機会にするとして、その前に、こうした、道路や上下水道、ゴミのことなど、「市民にとって有益なサービスを自治体が代わりに行う」ということが税金の役目でしょう。

それを、首相が、首相のお友だちは有益なサービスを受けていて、我々が560円払うってのはおかしくないですか?ということを俺は思うわけです。


政治の問題というのは、この560円の問題であって、我々の生活に無関係ではない、というか、もっともっと我々は市民サービスに使うための金、税金を払ってるハズなんです。
ムダをもっと省くべきだし、モリカケ問題なんてもっての他。

もっと我々は主張していいんだと思います。
たかが560円だと見過ごしていると、ヤツらはもっとナメてきます。
法律作って、もっと出させる方法を考えようとします。


我々は税金を払っている主権者ですから。
クライアントはこちら。
議員や政権を握ってる連中は我々の依頼通りに動かなければならない存在でしかない。
会社に於ける、普段の人間関係に於ける、リーダーとその他の人、という関係とは、また違うんですよ。
彼らが不正をするなら、彼らが私腹を肥やすなら、そのことをもって、彼らをもっと断罪しなければならない、というか、それが間接民主主義ということだと俺は思います。






(BGM:山下達郎「クリスマス・イブ(イングリッシュ・ヴァージョン)」from「シーズンズ・グリーティングス」)
→こういうのって、日本語の歌詞用に書いてるわけだと思うんだけど、英訳するってのに抵抗はないんだろうか。
ってか、もうこの曲とかになったら、達郎さん自身も達郎さんの曲って感じじゃないのかもしらんな。
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箸置きとコバ


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井上達がウチに飯を食いに来ることがあるんだけど、そういう時は、箸置き、を出します。
出します、というか、まあ彼らもう慣れたもんで、勝手に出して箸を並べてくれます。
その辺は、けっこう毎回なんとなくミツがやったりするんだけど。
ミツがまあ一番ウチに来てるんで、お前場所わかるだろ?みたいな感じで。
あとはまあ、井上かな、リーダーの自覚か、彼がまあ準備してくれたりします。

あまり深い意味はないんだけど、でもせっかくだから、普段のテキトウ?な飲み会じゃなくて、箸置きくらい使わせてみるか、という感じですね。
もちろん、ちゃんとした食事、というか、かしこまった食事を出すわけじゃないんだけど、箸置きの使い方くらいはまあわかった方がイイかな、というか。

ま、普段は俺もカイとかを見て「別に手づかみでもいいんじゃないの?」みたいなことは言ったりします。
無理に箸を使わせて、キーキーなってもしょうがない。
マナーよりも、楽しく飯を食う、ってのもまず大事だから。
でもまあ、ウチに来たいと言って来る連中というのは、どっちかというと、できる方の連中なので、ちょっとはね、使う機会を作りたい、というか。

せっかくウチに来てくれて、というか、勝手に来てるから招待したわけじゃないけど、でもまあ、ご招待します、ということだから、多少のこう、かしこまった感は出していきたい。
というか、まあ人の家に来て、やっちゃいけないこと、とかそういうのもあるわけで、そういうのも含めて、まあゆる~くは、伝えていきたい。
というか、そういう機会って普段あまりないし。

なんで、まあ箸置き、というコトになるわけですけど。


で、まあコバは毎回毎回箸置きの使い方がわからない。

箸置きの役割の大きなところは、箸の先がテーブルについてしまうとアレだから、箸置きを使って、先がテーブルにつかないようにする、ということですわね。

だから、箸置きを使ったときに、箸の先がテーブルについてしまってはおかしいわけです。
というか、まあ高さがあるモノだから、箸置きを使って先がテーブルにつく、とは、もう「逆に置いている」ということになるんだけど、コバはなんか知らないけど、逆に置いちゃう。

何度言っても逆に置いちゃうのでおかしいんだけど。

で、本人だんだんよくわからなくなったのか、箸の真ん中に箸置きを置いたりして。
つまりはまあ、「どっちかわからないから、真ん中にしておけば…」みたいな姑息な感じなんだけど。
それもなんか見てて笑っちゃう。

で、まあちゃんとおいたはイイけど、コバは左利きなんだけど、だから箸の先が右側に来ると楽なわけですね。
すぐに箸がとれる。
にもかかわらず、なんかもういろいろやってるウチに本来の「箸置きを使う」ことよりも、「どう置くか?」に比重がいってるのか、逆に置いちゃう。

逆に置くから、箸を取るときに、一回右手で先っぽをつかんだりしてしまい、もうそれじゃ意味ないじゃん、という。
むしろなんか、テーブルよりお前の手の方がキタナイよ、というね。

う~む、と思っていたんですけど。
といっても、まあマナー教室じゃないから、笑って見てたんです。
いつかはうまいこといくんだろう、と。

ま、つまり、コバの生活の中で、箸置き、というのが唐突にウチで登場したってことなんだろうな。
なかなかご家庭で、しかも子どもの時から箸置きを使ってました、という家庭はそうそうないんじゃないかと思います。
だから、なにもコバが特別だというわけじゃないんですけど。

でもまあ、その後、かしこまった席に出てこなかった、とか、おそらく彼の家は家庭的にそういう付き合いをしてなかった感じなので、まあ、機会がなかった、と。

そういう意味では、ウチに箸置きがあってよかったな、と思うわけですが。

でもまあ、そんな彼も、最近はちゃんと置くようになって、無事に食事だとかビールを楽しんでるわけですけど、先日、ウチに来たとき、他に来ると言っていた井上とかが遅くなったんですね。
コバしかいない、と。
そうなると、コバに「箸置き出してくれる?」と言うわけです。

するとコバが、「箸置きって、この石みたいなヤツですか?」と。
…ぎゃははははははははははははは。
石て…。

つまりコバは箸置きが「箸置き」という名前だったのがよくわかってなかった、という。
箸を置く、この石みたいなヤツに、「どう置いたらいいか」をいつも考えていただけで、これが「箸置き」という名前だということにあまり注意がいってなかった、と。

もうあまりの衝撃にアキと大笑いしたんだけど。

で、まあアキが何となく聞いたんです。
「コバ、もしかして、箸置き嫌いなの?」と。

するとこともなくコバが言いましたね。

「嫌いです!」
…ぎゃはははははははははははははははははは。

でも使え、ここでしかほぼ使わないんだから、ということで、まあそんなことがあったという話でした。




(BGM:根津甚八「甚八の夢は夜ひらく」from「男道の詩(うた)」)
→甚八の夢は夜ひらく、というタイトルでもうおなかいあっぱいである。

地下ったって、地下すぎる…


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先日、上尾のショッピングモールで、宍戸一賀さんという方が唄うというので見に行ってきたんだけど。
ずっと気になってて、上尾でライブとかもやる居酒屋やってるらしく。
この日のライブではドンとか言われてた。

ま、モールでやるライブだからと言うことで、カバーとかもやっていたんだと思うけど、オリジナルが素晴らしかったので、今度ちゃんと見に行きたいと思った。
情念の歌というか、歌が突き刺さってきますね。
ネイクドな歌、ってのを久しぶりに聞いた気がする。
こういうのはテレビではもうウケないのか、最近こういう「歌らしい歌」っての、あまり世の中に流れてないよな。


ま、そんなこんなで。

この日は他にもアイドルとか出てて。
フリーマーケットとかもやってましたけど、まあとにかくですね、これが寂しい。
区画がいっぱいあるのに、三割くらいしか埋まってないのではないか?という。
聞けば、まあこの翌日もやってるようなので、翌日は出店するけど、この日は出店しない、って人も多かったのかな。
…と思いたい。

で、アイドルがもうこれ、きつかった。
まず、かわいくないじゃないか…。
いや、かわいいかどうかは主観なのでよしとしよう。
けどなんだ、プロ意識が薄いというか、間合いのMCとかが聞いてらんない…。

ま、ラストの方に出てきた子たちがそこそこよかったので救われましたけど…。


そういえば、ついこのライブの前日くらいに、「TOKYO IDOLS」という地下アイドルとそのファンのみなさんを追ったドキュメントを見てまして。

ま、まず「アイドル」って言葉の定義がもうわかりません。

「がんばってる女の子」なんて、いやいや、そんなのは別に山ほどいる。
表に出ないけど、必死に働いて弟妹食わせてる子もいるでしょうに。
アイドルってのは、やっぱ俺の世代、山口百恵世代としては虚像だから。
「がんばってます」ってのは、やっぱちょっと見ててキツイ。
かといって、まあ正直かわいいわけでもないし、ダンスもかなり未熟に見える。

それに対して、貯蓄もできないほどにつぎ込む中年、中年以上男性。
握手、というフィルター、会って話せて、という「中途半端な接触プレイ」を悦楽にしているように「見える」ファンのみなさん。

「あの子、かわいい」と思ったって、現実の社会ではそうそう話ができるわけではない。
それはイケてたって、そうじゃなくても同じだ。
けれど、相手が「地下アイドル」となると、グッヅを買えばいくらでも話ができるし、握手もできる。
「これは恋愛ではない」とかいくら言ったところで、つまりはまあ、これは恋愛だ。
異性へのナンパであり、異性との出会いである。
本来は、手を握ってもらいたいならその努力をしなければならないが、ここでは金を使えばそれがかなう。
それってよく考えれば、テイのイイ風俗、テイのイイキャバクラなんだけれど、それを「がんばってる女の子」というオブラートで、その後ろめたさをぶっ飛ばしてしまう。

このことに、アイドルの方も「私も異性にこんなコト言われたの初めてで、どうしていいか…」みたいなことだったりして、その「異性に対する出会い」という意味ではそこはイコールだったりする。
けど、まあ違うのは、アイドルって言われる子は中学生だったりすることだ。

そしてこの中には、小学生の子たちのグループも出てくるんだけど、いや、なんかちょっとつらいですね。
こんなに「金で媚びを売る」ことを、小学生のウチから覚えていいんだろうか…。
いいのか…?。
う~ん…?。
いや、まあ、本人は金だとは思ってないのか…。
思ってないとしたら、それはそれでなんか、この将来、そのカラクリが見えたときにどうだろうか?
男性のファンタジーをこういう形で維持してイイのだろうか?

「金払ってるんだからいいじゃないか」
「アイドルの女の子もこれを目指しているんだからいいじゃないか」という免罪符は、その異様な世界を徐々に肯定させ、世の中に定着しつつある。

これはまあ、そもそもヲタクって存在が、メインストリームの男子がやるスキーや車、恋愛における消費じゃない部分をどうマーケットに放流させるか?でしかないってことなんだよね。
ヲタクが出す金はもう、日本のマーケットに必要不可欠になっているのである。
だからまあ、もうこの異様な世界を認めざるを得ない。

なんか、まあ要は金、なんだな。
恐ろしいわ。


この日も、この映画に出ていたようなファン、という感じのおじさんたちがたくさん、といっても、数人来てました。
カメラを何台も構えてました。
ま、こうなると、一般の我々とか、ちょっとそのモールに来た親子連れとかは入り込めませんね。

アイドルイベント、というのが、もうアイドルとこのヲタクのみなさん、というセットになっちゃってて、そこの空間には、アイドルかヲタクしかはいれない、というか。





(BGM:谷啓「ヘンチョコリンなヘンテコリンな娘」from「谷啓/谷だァー★ガチョ~ン!!」)
→なんか、「コミックソング風に作ろう」という感じが鼻につく。
こういう曲ばかりなんだよな。
これは飽きる。

どのラインから「目覚め」と呼ぶか? ★ 映画 「ザ・ビガイルド~欲望の目覚め」


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「ザ・ビガイルド~欲望の目覚め」という映画を見てきたわけですけど。
1860年頃の南北戦争まっただ中の女学院を舞台にした映画。
その女学院には、家に帰れなかった数人と先生二人が寝泊まりしている。
そこに、傷ついた敵軍の兵士が迷い込んでくる(というか、その中の一人の女の子が森で発見して連れてくる)ところから始まる物語。

これ、ニコールキッドマンが主役っぽいんだけど。
先生役ですね。
最初のその兵士の治療をするのも、その身体を拭くことで、最初になにかに「目覚める」のも彼女。
だいたい、園長みたいな立場だから、彼女が決めることで彼を追放することも、匿うこともできるというか、つまりはストーリーを動かす重要人物。
だからまあ、主人公、ではあるんだけど。

でも、欲望の目覚め、というタイトルであるにもかかわらず、彼女は最初にその身体を拭くところでちょっと目覚めますが、あとは彼女にはなにも起こらないんだわ。

う~む…。

あ、一回、キスしそうにはなるけど、キスじゃ「欲望の目覚め」とはちょっと言えないよな、うん。
ってか、キスもしてないし。
つまりはこれはセックスの話だから。
その男と寝たいとか、そういうアレね。

というか、おそらく高校生だか大学生くらいの感じの生徒が一人いるんだけど、あとは小さい子たちで。
現実にはその子(ダコタファニングの妹さん)と、ニコールキッドマンともう一人の先生がクリステン・ダンストなんだけど、スパイダーマンの、その3人が、目覚めるというか、そういう話なわけです。
ってか、それ以外の幼女が目覚めてしまうともう話が違うことになってしまう。

というか、まあその小さい子たちも、男の人の登場にちょっと色めき立ちはしますが、ちょっとおしゃれしたり。
でも、「欲望が目覚める」というアレではありません。

で、その三人の女と、それぞれセックスしちゃったりして、それがばれたりしていがみ合ったり、諍いになったり、みたいなことになるのかと思いきや、これですね、この男は最後死んでしまうんですが、その間に、一度しかセックスしない。
つまり、三人いて一人。
ってか、エルファニングには手を出しかけるんですが、途中でクリステンが入ってきて…という。

これね、根本的に、セックス一回じゃ「欲望の目覚め」って映画にはならんよ。

つまり、中途半端なんですね。
欲望を目覚めさせてもセックスは一回しかしないし。
男を匿うことを決めるのはいいんだけど、それが唐突でね。
もっとしっかりそこの経緯を描いて欲しかったんだけど、急に子どもたちがイヤリングしちゃったり。
イイ服着たり。

つまりね、「男が来たから」で、こんな簡単にそうなるでしょうか?
しかも、敵軍の兵士なんだよ。
ケガをしてるとはいえ、戦争の状況にある。
手当をしたら、すぐに味方の軍に引き渡すだろ、ふつう。

そこがまあ、なんか、「欲望の目覚め」なんだろうけど、いやいや、目覚めてんのか?っていうね、こともあるんだわ。
なにせ、セックスしてないわけでしょ。

いや、時代的に、この程度で欲望の目覚めです、ってのはわからなくはないけど、だとしたら、この設定も中途半端だよね。
だって、こんな小さい子がたくさんいて、欲望のままに行動なんかできないよね。
つまりもう、もっと大人の女が何人もいて、むき出しに欲望を男にぶつけていく、それで、元の女のコミュニティが壊れていく、という感じなのかと思っていたのよ。
正直、元のコミュニティも壊れないし、むしろ男が逆上するあたりから結束が固くなる感じもある。

う~む、である。
ではこの映画はなんなのか?と。

ってか、いや、やっぱニコールキッドマンがこの渦中にいない感じってのがどうにもならんのよね。
ま、いないわけじゃないけど、あくまでこの男とニコールの仲を中心とした物語にしていただきたかった。
じゃないから、主役が誰なのかがよくわからない、という。
こうなると、ちょっともう「見方」がわからないし。




(BGM:坂本冬美「会いたい」from「Love Songs~また君に恋してる~」)
→坂本冬美さんってのは、演歌の中にあってどっかポップさがあって、俺の中では印象いいんだけど。
ま、名曲だな、これは。

異性介助はありかなしかといわれれば、ナシ。


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先日の異性介助について、の勉強会(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4387.html)のことを機関紙に書きました。
俺の原稿と加納さんの原稿を転載したいと思います。

この日は、もうやっぱりその後25時くらいまで飲んでて、今後ですね、時計を見ながら飲みたいと思いました。
でも、すごく楽しかったんだ、俺としては。


【まず俺の】

異性介助はありかなしか、ということでいえば、ないと思います。

現実的に考えて、女性の障害者が、例えば加納さんが男のヘルパーに下の世話をされる、というのは、やっぱりあり得ない。
だから、まあ女性である加納さんの介助職員は、やっぱり女性を募集する必要があります。

けれど今、介助職員を募集するのに、例えばバイト情報誌を使おう、となった場合、「男子介助職員募集」「女子介助職員募集」という風に、書きにくくなっています。
というか、雑誌によっては、載せられない、と言われます。
「男、女」が引っかかるのだそうです。

男女雇用機会均等、というのはわかります。
保母さん、だったのが、保育士、になり、看護婦さんが看護士さん、になりました。
男でもやりたい人はいるじゃないか、というか、まあやっていいじゃないか、という意見は当然だと思うし、それはそれでいいのですが、一方で、じゃあ「下の世話を異性にやらせることになる」という当事者の「男女均等」は、それまた違う話であります。

つまり、「職業」ということと、「生活」、「自分の尊厳」というモノはまったく定規が違います。
違うのに、一方からは「職場」になり、一方からは「生活」になります。
ここがまあ、大きくズレる要因ではあります。

今回の話題にも上がりましたが、老人ホームなんかでは、女性のヘルパーさんがおしりを触られる、みたいなことが日常であるようで、それをいちいち目くじら立てていたんでは業務が進まない、と。
それを訴えると、「おしりを触られるくらいいいじゃない。若い証拠!」などと茶化されるのがオチだそうで。

つまり、男の人にとっては、いや、その一部の「おしりを触る人」にとっては、「女は男の世話をするのがあたりまえ」なんですね。
そこにはひいては「女は男のモノである」という認識があるのかと思います。

これは、日本の男女観というか、性差観というか、そういうのがそこに横たわっているように思いました。
夫婦においても、妻は夫を立てるモノ。
妻はかいがいしく夫の世話を焼くモノ。
そういう慣習というか、ならわしがあるわけです。

当然、妻は夫のモノであり、しかし夫は妻のモノではない。
夫の浮気は大目に見られても、妻の浮気は大目に見てもらえない。
これはまあ、芸能人の不倫の話で、女性側が叩かれる傾向にあることにも通じているかと思います。

この日本の男女の関係をそのまま介助に当てはめてしまえば、それはやっぱり「女が男の下の世話をしたってあたりまえじゃないか」ということになります。
そもそも、親の介護は嫁の仕事であって、夫の仕事ではない、という暗黙の決まりがあります。
だから、異性介助があたりまえ、という風になってしまうわけです。

今回の発言の中に、府中療育センター闘争がちょっと出ました。
異性介助を拒否し、「私たちは人形ではない」という訴えが、その頃、1970年代のことですが、いまだに、この訴えを我々はしなければならない状況にあります。
それは、上記のような、日本の頑とした男上位社会の有り様があまりに強固であることを示していると思います。

一方で、冒頭に書きましたが、その逆、女性が男性ヘルパーに下の世話をされる、ということには、まだ、世の中は「それはおかしいんじゃないか?」と思ってくれる人が多いように思います。
それはレイプ、を容易に想起させるからだと思いますが、この「異性介助」と言った場合の「男女差」もまた、この問題をややこしくしているように思います。
また、老人の場合、と若年の障害者の場合、と分けても、「異性介助」に関する拒否感の度合いは違うように思います。

つまり、異性介助、すなわち異性に性器を触らせる、見られる行為、というのは、「セックスで異性に性器を見せる、触らせる」ということと同じことを、恋人以外、自分が望まない人とそうした行為をしなければならない、ということなんですね。
それが、快楽を追求していようがいまいが、そういう「行為」として同じなのだ、と。

もっと言えば、女性ヘルパーにトイレの介助をさせて、勃起してしまう若い障害者もいるわけです。
それはもう、セックスをしたいしたくない、ではなく、そういう反応をしてしまう。
でも、それが「互いの合意に基づいたセックスではない」ことに、大きな問題があるわけです。

逆に言えば、異性介助とは、「セックスの対象じゃない」から、できるわけです。
障害者は、少なくとも、今介助をしている障害者はセックスの対象になり得ない、から、介助者、ヘルパー側は介助ができる。

つまり、異性介助を認める、とは、ヘルパーが、健体者社会が「障害者はセックスの対象になり得ない」と公言しているのと同じようなことになるわけです。
だからこそ、府中療育センターの闘争では「私たちは人形ではない」という言葉になったわけです。
「人形ではない=人間扱い」とは、つまりは、平たく言えば、異性間においては「セックスの対象なり得る」、ということなのかもしれません。

こう考えると、今回の話題にも上がりました、親子だったら異性でもしょうがないんじゃないか?とあきらめる気持ちにもなる、という意見も合点がいきます。
親子はそもそもセックスの対象には、「互いに」ならないからです。

例えば老人と若年障害者の差も似ているかもしれません。
でも、そんなこと言えば、老人の方にしてみれば「わしはセックスの対象にならんのか!」と怒られそうですが、でも、老人になるまでにたくさんのセックスを経験してきた人と、一度も異性と手もつないだことのない若年の障害者が、いきなり性器を見られる、触られる、というのは、確かに現実的に問題の度合いが違うようにも思います。

さて、しかし、異性介助がここまで「あたりまえに」、そしてヘルパーへのセクハラ?痴漢行為?も露見しながらも、社会は黙認するか、と言えば、そもそも「介助を受ける人は人間ではない」という差別感があるからなのかもしれません。
いや、「人間ではない」とまではいわなくても、「しょうがないじゃないか」と。

そもそも、介助や保育、というものは先に書いたように日本の中では「嫁の仕事」であって、「金をかけるモノ」ではなかったわけです。
だからこそ、そこに出てくる金が、つまり税金の配分が、あまりに小さい。
だからどうしても、「男の仕事(皮肉ですよ)」になりにくい。
保育士の給料、ヘルパーの給料が、同年代の平均収入よりもぐんと低い、というのは、そういうことです。

ここを変えなければならない。
つまり、「嫁の仕事」という部分を変える。
これは大きな大きな課題ですが、なぜならそれは、夫婦間の「妻は夫に尽くすモノ」という部分を見直さなければ、始まらないからなのではないか。
男上位社会というモノを見直さなければならないから、今の男上位社会はそれに抵抗している、と。

そんな風に考えると、異性介助の問題は、やはり、日本の性差別的な風土の上に、例えば仕事としてだけ男女教機会均等だとかってのが乗っかったり、という風に、いびつに成り立っているモノだと俺は思います。

*)ちょっと簡略化して書きましたが、セクシャリティの問題なんかも考えますと、基本的に、異性介助とは「本人の性ではない人による介助」ですね。


【そして、加納さんの】

異性介助はどこまでアリか、そもそもアリなのか。というちょっと日和った感じのタイトルを付けてみましたが、私は異性介助なんてありえなし絶対にナシだと思っています。
今回開催してみて驚いたのは、積極的にではないですが意外とアリという意見が多かったことです。異性介助なんてするのもされるのもイヤだとみんな思っているモノだと思っていたのですが話を聞くとそうでもなかったのです。あっ、みんなそういうモノなの。と正直拍子抜けしてしまいました。男性ヘルパーが女性の介助をするというのはめったにないと思いますが、女性ヘルパーが男性の介助をするというのはあたりまえに存在している、つまりは日常の出来事なのだなあと再認識しました。「ヘルパー=女性の仕事」だと世間では思われているんだからみんなが違和感を感じないのもそうなのかなと思いました。
今回はあえてどうなのかという討論をしてみましたが、やっぱり私は異性介助はあり得ないと思っています。
それは虹の会にいるからイヤだと思うようになったわけではなく、家族と暮らしていたときから父や祖父にトイレやお風呂をやってもらうのはイヤだと思っていました。でも母だけに負担が行くのも申し訳なくて仕方がないという理由でイヤだという感情に蓋をしていました。イヤだと思っちゃいけないと思っていました。でも虹の会に来てやっぱりそれはおかしい事だったんだと思うようになり、イヤだということ惨めだということを我慢せず声に出してもいいということを知りました。
だからみんなも介助される側になったとき異性にトイレ介助やお風呂介助をされるのは当然イヤなんじゃないかと思っていました。そしたら、体力的に男性の方が安定していそうだからとか、自分が憧れている異性であればイイとか、介助してくれるなら異性でもかまわないとか、家族であればイイとか。あれ、あれ、アレレ・・・と思う意見が多くて、あっ、そうなんだと衝撃でした。みんなの発言の共通の思いとして「人手がいないんだから仕方がないんじゃない」ということがあがっていましたが。介助者が潤沢にいればみなさん本当は同性介助を求めると思うんですけど、どうなんでしょうか。
また、自分が憧れている異性だったら介助されてもかまわないという意見もありましたが、正直私だったら絶対に無理だと感じました。だってどう考えても自分が憧れている人にセックスじゃないことでつまりは異性としてではない場面で裸を見せるなんて想像しただけでイヤです。何なら一番セックス以外で裸を見られたくない相手じゃないかと私は思っています。だって、自分は異性としてみているのに相手は自分を異性として見てくれていないということでしょ。そんな惨めな事があるかと思います。
介助してもらえるなら異性でもかまわないという意見もありましたが、もう自分は車いすになって動けないんだから贅沢は言っていられない人間としての生活はあきらめるということだと思うので、私はそんなあきらめた人生を生きたくないと思っています。
それと、相手に介助を求められたらその相手が異性であってもトイレやお風呂の介助をやるという意見も私は聞いていてとても引っ掛かりました。仕事だからやるというのはわかるのですが、それはもう相手をその時点で異性と思って接していない、つまりは人としてみていないのではないかと思うからです。同性介助ってそんなに大事な事なの?と逆に自分が問われている気がして頭がクラクラしてきてしまいました。
私は同性介助に拘りすぎなのかとも思いましたが、やっぱり私は介助をされる側としてイヤだという思いしかもてません。
世の中では、介護は女性の仕事と思わされ、そういうモノだと誰もが疑わないのかもしれない、それって問題なことなのかと思うことかも知れない、でもちょっと考えてほしい。介助される方も介助する方も性別を持った人間なのだ。どうでもよかったら例えば銭湯も例えば公衆トイレも男女で分ける必要はないと思う。でも分けているということは、性別があるということ。それを介護の現場になったとたん性別をないことにしてしまうのは私はやっぱりおかしいと思うのです。




(BGM:John Lennon & Yoko Ono「John & Yoko」from「Wedding Album」)
→まあ、もうこれは聞くアルバムではないわけで。

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