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スーパーちんどん・さとう

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健体者になることがハッピーエンドなのか?


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目が見えない人がいて、目が見えてハッピーエンド、という演劇を見たんだけど。

いや、やっぱ見えた方がいいのではないか?というご意見はごもっともだし、俺が目が見えなくなったら、と思うと恐ろしいから、それはそれでいいんだと、思う気持ちはアタマではなんかわかるんだけど、どっか気持ちがついていかない。

加納さんにしても、歩けない、というのがあって、まあ名曲「足がない」が生まれたわけですが、だからといって、加納さんにとってのハッピーエンドが「歩けることか?」と問われると、それはちょっとどうか。

というか、いや、歩けるようになるのなら、それはそれでいいんだろうけど、それは無理なのだ。
もちろん、治療のかいあって歩けました、というのはあるだろうけど、それはやっぱ障害ではなく、「怪我」の発想だよな。


イチマルは、やっぱアタマが悪い。
だから、だまされる。
いい意味でも、悪い意味でも、だまされてしまう。

朝、カイと腹筋をやるんだけど、カイは「10」で終わってしまうから、それを50回やらせようとすると、やっぱそこは「だます」技術が必要になる。
数えなければ、カイは「数えろ」と言う。
でも、「2」が5回続いても、まあ、彼にとっては「10」が来ない。
なかなか来ない。
「9」になれば、「次は10だろ!」と、「じゅ!」みたいなことは言って来るが、「8」に戻したりする。
そうやって、なんとか、「10」になるまでの間に、50回くらいはやらせる。

ま、だまされている。

だます方が悪いのか、どうなのか、それはこの腹筋の件を取り出せばわからないけれど、ノブなんかは、詐欺に引っかかって、年金から100万弱をとられた。


だからまあ、頭がよくなるにこしたことはない。

けれども、それは無理なのだ。
無理だから、「ハンコは押すな」とか、「知らない番号の電話には出るな」ということを教えて、実行させる。
それはまあ、防衛策であって、頭がよくなって「これは詐欺だな」と判断できたわけではない。


障害というのは、完全には治らない。
治らないから、障害、という。
もちろん、訓練などで、ある程度は戻すことはできることもあるんだろうけど、そこだけがクローズアップされてしまったら、毎日が訓練漬けになってしまう。

ウチの副会長の松沢が、いわゆる肢体不自由、CP、ということなんだけど、「訓練訓練で疲れた」ということを昔よく言っていた。
「1時間かけて着替えられたからって、それじゃ生活は成り立たない」というのが、彼女の結論であった。
もちろん、それは人によるんだろうとは思う。

「自分でできる」というのは大切なことだし、重要なことだろうけど、それも程度の問題で、人の手を借りて、例えば介助だったり、器具を使ったり、そういうことで、カバーして、着替えを10分で済ませた方が、生活は豊かになる、と考える事もできる。
これもまあ、考え方であって、人によるんだろうけど。


そもそも、この演劇の中で、この主役の妹がなぜ目が見えないのか、がはっきりしいない。
が、生まれたときから見えない、という設定ではあった。
この場合、現実的には大人になって、某かの「機械」を目に当てて見えるようになる、ということは、ちょっと考えにくい。
小さい頃に手術を繰り返して、輪郭くらい見えるようになった、とかいうのなら、まだ現実にある話だと思うけれど、それをこの劇中では「機械を目に当てて見えるようになる」という、あまりに人魚姫っぽすぎるエンディングになっていた。

どんなに高額な機械であろうと、今の科学でできることできないこと、というのはある。
その中で、人は生きていかざるを得ない。
つまり、その機械に現実味がなさ過ぎるのである。
というか、現実にはほぼあり得ない話である。

そう考えると、このエンディングは、目が見えない=不幸、をしっかりと客に印象づけたという意味で、かなりバッドである。


いや、お話なんだから。
フィクションなんだから。
おとぎ話でイイじゃない、という意見もわかる。

けれども、あまりに突飛な設定だったり、あり得ない障害の克服、みたいなモノをエンディングに持ってこられちゃうと、それはきつい。
しかも、その盲目の彼女は、劇中、「私はこれで不幸ではない」と言い切ってもいたし、同情する、という人に対して怒ってもいた。

だから、エンディングはもっともっと現実に引き寄せて欲しかった。

というか、そこまでの流れがよかっただけに、なんかがっかりした。
「障害」に対する認識が、あまりに浅いからだ。

見えない人が見えるようになることだけが大事なことじゃなくて、見えない人が、見える人の中で自由に泳いでいけるような社会を、俺たちは作って行かなければならないし、それがベースになければ、「みんな一緒に幸せになろう」なんて念仏は意味がない。

そうなると、この劇自体が、もう意味がなくなってしまう。






(BGM:The Anti Nowhere League「We Are The League」fromYOUTUBE)
→パンクロックの基本。
この人たちは、シャープに切り刻まれるというより、丸太でぶっ飛ばされる感じ。
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