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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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とりあえず舞台に上がれ


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よく子育て中のお母さんなんかがツイートしてるのが、子どもに怒ってたら、旦那が「あんまり怒らない方がいいよ」とか言ってきて、なおさら激怒、みたいな。
つまりまあ、普段あまり旦那は育児に参加してくれてない、ということのようで、子どもの面倒もみないのに、よくもまあ、そんなこと言えるな、という。

つまり、子どもを怒るくらい追い詰められて疲れているわけだから、その場面では、「あ、俺がもっと頑張らなきゃ」って思うのが普通でしょ!ということだ。
なのに、それでもまだ傍観者で「怒らない方がいいよ」なんて言われたら、そりゃ激怒もします。


これね、まあお母さんと旦那の考え方の違いというか、立場の違いというか、そういうのがまずありますわね。
日本って、どっか「家事と子育ては嫁がやる」ってなってるし、なんだか「母性」がすごく重んじられるから、どうしてもお母さんに比重がかかります。
その上で、でもお父さんも積極的に参加しよう、となると、まあすごくそれ以上やらないとなんか「真ん中」にはなかなかいかないよな、と思ったり。

でも最近はお父さんもおんぶひも使って買い物とかしてる風景見かけるし、ずいぶん変わってきたよな、とは思うんですけど。
俺らの世代が老人になる頃にはまたずいぶん社会の風景も変わるような気もします。


ま、んで冒頭に戻りますけど、これ、例えばウチなんかでもあるような気がします。

つまり、イチマルとかは特に悪くない、というか、まあ悪いとしても、そこに同じ立場の健体者の職員が傍観者でいられちゃうと、カチンとくる、みたいな。
これ、冒頭の父母の立場の違い、みたいなことで考えると、なんかわかってくることもあるような気がしまして。

イチマルに対するのは、俺も、例えばコンさんも誰も同じなんだけど、まあその問題問題において「役割」ってのはあるわけです。
つまり、何かイチマルが問題を起こしたとしましょう。
その時に、「それを指摘する人」と「間に入ってなだめる人」みたいなことですね。
そういう役割が「パッ」と、なんとなくさっとやれるのがプロだと俺は思うんだけど。

とはいえ、これは固定されてるわけじゃなくて、その場その場で役割が入れ替わったり、その問題の種類や、起き方、なんかによっても変わってくるわけです。
今日は俺が指摘役、でも、次の時にはなだめ役かもしれない。
そうやってまあ、「自然に演じわける」というのが重要なわけで。

これを実現するには、とにかく「その問題が起きている」という「劇場の舞台」に立ってもらわないと始まらない。
客席で見てるんじゃ、そりゃお客さん。
参加してないし、プロじゃない。


ま、ウチの場合、そもそも「怒る」とかいうのも、考え方としてそれは「演じる」わけです。
人を噛んじゃったとして、それを「ダメだ」と指摘しなきゃなりませんが、その際に「このくらい怒る感じでいっても、◯◯さんが間に入ってくれるから大丈夫だろう」みたいな目論見で、その場で路線が決まっていきます。
感情で怒ってるようじゃ素人ですから。

で、その瞬間に頭に描く「舞台のストーリー」に伴う「出演者」が、舞台に登ってこなかった場合、そりゃカチンとくるわけですね。
傍観者かよ、となる。

とにもかくにも、上がってもらわないと始まらない。
上がりさえしてくれれば、あとはまあ、うまいこと「アドリブ」でなんとでもなる。
というか、全部がアドリブ劇なんだから。

それがうまく「スイング」しないと、まあ冒頭のような「なんでお前傍観者なんだよ」という衝突が起きる。


そして、これは、まあ普段の意思疎通というか、ベースにあるモノが一定共有出来てないとなかなかうまくいかない。
その部分が互いによくわからなければ、そもそもその「演劇」を仕掛けられません。
仕掛けられないとすると、何もできない、ということにもなっちゃうわけで、どうにも発展性が見込めません。

よく、「個別指導計画」なんてことをこの業界では言うんだけど、そういうのはつまりその「一定共有出来る部分」でしかなくて、大事なのは、それをどうやって具現化するか?ということなわけです。
それって、まあ言葉ではなかなか伝わらない彼らの場合、やっぱ状況を変えていかなきゃいけないというか、理屈で詰めてもしょうがないですから。
やっぱ、みんなの協力によって彼らに理解を促す方法しかないと思うわけですね。

例えば「すぐに人を殴ってしまう」ということがあるとして、じゃあそれに対してどうするか?ってことなんだけど、理屈で詰めてもそりゃそれが殴るトリガーになってしまうわけで、どうやったら、「殴らない日々を続けられるか?」というのを考えるわけです。

それを我々サイドが当人に対してどう演じるか?というか。
そういう劇場を作っていくイメージですね。
その場に、もし傍観者がいたとしたら、それはやっぱうまくいかないんですよ。
こういうのは、もう総員一致でやっていかないと、彼らに理解を促せない。


ま、そんなこんなで毎日やってるわけですけど、で、冒頭に戻りますとね、やっぱ親子とかってすごく単位が小さいですから。
役割を入れ替える、とかってことができにくい。
だからどうしても、母親は母親として社会から求められる理想像をやらざるを得ない、みたいなことになっちゃう。
でも、それはあくまで社会が求める理想像であって、個人に返せばたいがいの場合、無理があるわけですよ。
そこに、まあ同じ立場としてここで金をもらってる身としては、傍観者はねえだろ、ということにはなるんだわな。


ウチの場合は、それでもチームだから。
なんとかいろいろやっつけられる部分がある。

親御さんに「家にいたままだったら、こんなことできるとは夢にも思わなかった」という話をよく聞きます。
それはまあ、だからチームだからですね。
こっちが各々うまく役割を演じられれば、まあ、うまくいく可能性が高まるよな、という。
ってか、こっちも息切れせずにやれる、というか。

そういうのを大事にして、市丸たちとスイングする舞台をこれからも展開していきたいと思う。





baka.jpg

(BGM:PAN「完全な命」from「CMJ JAPAN REPAINTS vol.8 [Punk After Punk !]」)
→こういう若い爽やかパンクがちょっと苦手なのが、「完全なこの命の偶然に乾杯!」みたいなことを平気で歌えちゃうところですね。
「もっと自由に好きにしたらいいよ!」みたいな。
…できねえんだって。
完璧なんかじゃねえんだって。
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