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どう考えても、ハタから見たらAを選択すべきところを、必ずA’を選択してしまう、みたいな。
先日、ずっと子育てに追われていて、しかも旦那さんもバリバリの先端サラリーマンで、それにも付き合い、というもちろん専業主婦の人が、いきなりアキ坊に「飲みに行きたい」と誘いを入れてきたそうで。
その子は小学生なんだけど、お母さんと夜離れるのはもちろん初めて。
お母さんが家を出る時は泣いていたとか。
その人は、飲み屋に行くこと自体が7年ぶりだとか何だとか。
帰ってきてアキ坊に聞いたら、飲みに誘った理由は、「自分の時間も作らなきゃダメだと思って」ということだったらしい。
すばらしいじゃない。
なんか、ステキだな、と思いました。
快く出してくれた旦那さんもステキだよな、とも思いました。
きっと、振り返って、思うところもあったかもしれません。
一歩を踏み出す、というのは中々難しくて、今の生活を変えることってやっぱ難しい。
「やっぱ、子どもが泣くから」というのを理由にして出かけないことにしたくなっちゃうんだよね、人って。
「理由」はなんでもよくて、飼ってる熱帯魚が、というのでもなんでもいい。
その「理由」があるから、私は自分を変えられないのだ、という風に思考は変換されていく。
最初は熱帯魚が好きだから飼っただけなのに、寂しいから熱帯魚を飼ったのに、熱帯魚が思考の中心になる。
そうやって、人は自分の行動を正当化して生きていく。
ま、そのこと自体は悪くないし、それで気持ちの平穏が保てるのなら、それはそれでいいようにも思う。
けれども、もしも、先の人のように「このままじゃダメだな」って心のどっかに引っかかったままそれを続けているのなら、それを見てるのは、正直見ていてつらい。
平穏どころか、自分はいなくてもイイ人間なのだ、などと言われると、余計につらくなる。
でも、やっぱ一歩は踏み出せないモノだとも思う。
だから、しょうがないんだとも思う。
いくら見てる方がつらかろうが、それは関係ないから。
コッチの事情であって、その人の人生の問題ではない。
けれども、つらければ、人は目をそらしてしまう。
出す手もついついおっくうになる。
悪循環だ。
俺自身は、おそらく順風満帆に来た人ではないし、ものすごくディスられたりもしたこともあったし、でもまあ、なにか心のバランスはなんとかとれたままここまで来ることが出来た。
育ててくれた親もいい人だったんだろうし、それにまわりにも恵まれた。
どんなに俺が誰に責められても、俺のそばにいてくれる人たちがいたから。
俺は、人に手を出させる人なんだと思う。
そもそも、何もできないんだよ、俺。
発想はいくらでもあっても、それを表現する術がない。
そういう意味で、このブログは生命線なんだけど、例えばそれを画像にしよう、映像にしよう、音楽にしよう、という場合、その「技術的なこと」が、俺には何も出来ない。
勉強が出来ない。
技術を学べない。
ので、藤井にもいろいろ俺の発想を形にしてもらってきた。
藤井は死んでしまったけど、でもまあ、基本その「他人に頼るしかない」というのは変わってない。
だからまあ、ほんとにまわりの人に恵まれてたんだよな。
それだけで。
だからね、俺はその俺の周りの人たちになりたいと思うけど、お節介もやきたいけど、まあ無理だよ、抜け出せないもんだよ、ってことはなんか心に持っていたい。
じゃないと、やっぱうっせえし。
人なんか変えられない。
変えられるのは自分だけ。
それはずっと最初に思っていたいと思う。
(BGM:David Shire「Night on Disco Mountain」from「SATURDAY NIGHT FEVER」)
→「はげ山の一夜」ですね。
こういうクラシックをディスコにするっての、好きなんだな。
なんだろう、クラシックってこうやって時代と共に作り替えちゃっていいモンだと思うのよ。
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