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時に飲みに行ったりもしてるんで、この日だけ会ったとかでもないんですけど、まあ子供たちが集まるとなると、なんだかちょっと気が重くなったりしませんか?
俺だけなんだろうか…。
ま、離婚してるというのもあるし、一概に比べるもんでもないと思いますけど、どっかね、なんか俺は気が重くなる…。
いい子たちだし、そんなに気を遣うとかでもないんだけど、どっかこう、なんでしょう、うまく言えないけど、気が重い…。
ま、ちゃんと子育てしてこなかった、というか、まあほって置いたというかそういうのもあるんでしょう。
申し訳ない、みたいな。
あんまり距離感が詰まるときつい感じがしちゃうんだね、これ。
飲みに行くんでも、まあ誰か一緒の方がイイ、となります。
「市丸、飲みに行くけど一緒に行く?」みたいな。
怖いんだろうか…。
子どもの時のあれやこれやを詰められるのが怖い…、いや、確かにそうかもしれん。
特段悪いことをしたこともなかろうけど、特段イイ事もしてないからな…。
金もなかったんで、いろいろ苦労もかけたと思うし。
ふむ…。
ま、でもいい距離感で付き合えているとは思うけど、正月、みんな集まる、みたいなワードの中だとちょっと身構えてしまう。
君らは君らで楽しく仲間と生きたまえよ、という気持ちになる、というか。
結局ですね、自分がやってきたコトとか、いろいろ考えていたことが、子どもに伝わっていないのではないだろうか?みたいなこともあるわけですよね。
大人になって結婚したり、働き始めた彼らに今さら言ってもしょうがないコトだし。
けども、まあ「こういうことを考えていたんだよ」というのは、伝えたかったりもする。
しかし、そんな折りに反撃を受けるかもしれん。
場が凍るかも知れん、みたいな。
とはいえ、三人子どもがいるし、いい子たちだから、例えば一人と俺が険悪になっても他が助けてくれるだろう感もあるので、大丈夫かとは思うけど、今さら彼らに教えることもないし、そもそも、思いあまって子どもの時のことを喋ったりはするかもしれないが、基本は喋るつもりもないんだけど。
となると、もうあまり喋ることもなかったりもする。
とはいえ、正月に会いに来ない、というのもどうかな?とは思う。
だから、まあ都合がいいんだよね、都合がいい考え違いを俺はしてるんだと思いますけど。
親子関係って、いい距離感、というのをまあ考えますよ。
親子関係、まあ結局距離感のような気がします。
「あなたと私は結局違う人間である」ということの線引きができないと、やっぱ子どもは一人で立たないし、親も自分の人生をエンジョイできないような気がする。
しかしまあ、障害をもった子を育てたり、という話になってくるとこれまたちょっと状況は違って、どうしても子どもは子どものママだし、年末に実家に帰れば小学校の時と同じことをする。
してしまう。
それはまあしょうがないんだけど、距離感がいつまでも空かない。
なんで、強制的に「場所の距離感を開ける」ということをしないとどうしようもなかったりする。
これ、まあせっかく距離を開けたのに毎日毎週親がやってくる、となると、もう意味がないわけね。
よくありますね。
なんかの全国大会とかで、「一人暮らしを始めたんです」というレポートなんかが親から出てたりするのが。
聞いてみると、毎週親が行ってるどころか、二三回行ってるし、ヘルパーとの折衝も親がやっていたりして、親が「よくやってる」とかって賞賛されたりしてるんですけど。
まあそれだと結局、親の配下にしかその子の人生はないですからね。
大事なコトは、どうやって親から独立するか?って話のような気がするんだけど。
市丸たちに「親から離れて生活するようになって一番良かったこと」というのを聞くと、たいがい「オナニー」と答えますけどね。
その辺、まあすげえいい話だなあ、と思うけど、NHKではカットされたけど。
なんにしても、子どもってのは、親の庇護の元に成長して、今度は親の側になる、という風に時間が流れていくわけです。
それがまあ、動物のDNAってことでもあるんだけど。
そういうことだから、種は続いていくわけで。
それをどっかで庇護をずっと続けていればやっぱ歪むし、動物としてうまくいかなくなるのは当然で。
話を戻しますと、もう大人になったウチの子たちに、そりゃまあ、「育てた」わけだから、やっぱ苦労もしたし。
だから慕ってほしいし、感謝もして欲しいとは思っちゃうし、来てくれたらありがたいけど、それもなんか親のエゴだよな、とかも思うんですよ。
動物のDNAとして、まあ小さいときは親が保護するのは当たり前でね。
まあ、最近はそうでない事案がいろいろとニュースを賑わせてますけれど、その辺はまた別の機会に譲りますが。
正月って、どっかそういう「家族を大事にする」みたいなコトになりがちというか、いや、悪いことじゃないんですけど。
でも、家族がいない人もいるだろうし、家族と折り合いが悪い人もいるだろうし、帰省して親戚からの「早く結婚しろ攻撃」とかに辟易としてる人もいると思うんだよね。
だからなんか、この「正月に集まろう」がちょっと苦手なのかもしれない。
というかまあ、結婚しろとかそういうことは俺も言わないし、そういう風にも考えてもいないんだけど。
というか、まあ親戚なんかはそれくらいしか話題がないんだよな。
だから仕方ないとは言えるんだけど、だったらもう集まんなきゃいいのに、とか思ったり。
でもまあ、そういう人たちがたくさんいるよな、と思うと、どっかこの「当たり前の正月風景」というのが一気に嘘くさく見えてしまうというか。
いや、悪いことじゃないと思うんだよ。
いい子たちだし、幸せだと思う。
ま、正月、いろいろ辛かった人、早く仕事始まんないかな、とか思っちゃってた人、ご苦労様でした。
(BGM:Mariah Carey「All I want for Christmas is You」from「Merry Christmas」)
→わけあって、もう2019のクリスマス周辺はこの曲ばっかり聞いてました。
歌詞もたいがい覚えてしまいました。
あとで聞けば、なんかただのクリスマスウェ~イ、って曲じゃないんだってね。
なんか確かにね、どこか飽きなかったし、どこかこのメロディは明るいだけじゃない感じもある。
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