FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
1 2 3 4 5 67
8 9 10 11 12 1314
15 16 17 18 19 2021
22 23 24 25 26 2728
29 30 - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

一生懸命の怖さ


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg



ちょっと目にしたテレビが怖くってもう目をそらした、という経験はありますか。
オレにはあります。

ドキュメンタリーですね。
ま、作り物の番組ではそんなに「怖くて」なんてことはないですわな。

どういう内容かというと、障害を持った子、車椅子でなんか体を動かすのも難しい感じの女性とお母さんを撮ったドキュメント。
それ以上のことは見れなかったのでよくわかりません。

けど、この親子、前にも他のドキュメンタリー番組で見たことがありました。
その時もまあ違和感はあったんだけど、今回は決定的になりました。

オレがたまたま見た場面は、介助者に母親が怒ってる場面でありました。
ちょっともう、あ、これはきついわ…、と思って見てらんなくて。
断片断片を言うと、「○○が下がったら、すぐに(私を)呼んでくれなきゃ困る」みたいな感じで。

う~む。
そうか。
まあけっこう厳しい障害なんだろうな、というのはわかるけれど、え?こんなに介助者に怒っちゃう?というのが怖くて。

怖くて、というのは、怒ってるのが怖いということじゃなくて、このお母さんの子どもの「囲い方」なんだ。
ハリネズミのよう、と瞬時に思った。

いや、こういう人、います確かに。
だからこそ、まあ怖かったということでもあるんだけど。

まあ、自分とこの子以外は「敵」という風になっちゃうのはわからなくはない。
そうやって生きざるを得なかったんだと思う。
学校の先生も、クラスメイトも、そして今は介助者も、母親にとっては「敵」になっちゃってるんだろうな…。

そういう社会の状況を変えなきゃならんとは思うけど、でも、こういう風に親の方から壁を作られちゃうと、周りも壁を作らざるを得ないところもあるよな。
敵だと認識すれば、やっぱ敵と認識された人も敵にならなきゃならなくなる。
社会の構造の問題ではあるけれど、現場的には同時にそういう人間関係の問題という面もあるよな、と。
それが社会の構造を固定化してしまうという意味で。

私がいなければこの子はダメ、という気持ちはわかる。
そうしてきてしまった社会の構造は悪い。
けれども、それって、どっか「依存」に見える。
「私がいなければ」といいながら、本質的には「この子がいなければ」「この子が私から離れたら」なんじゃないかな、という風に見えてしまうのだ。

確かに、見えてしまうだけで、そうではないのかもしれない。
けど、経験則で言うと、これ、根が深い問題だと思ってる。

これ、本人に何か変わったことがあったら、それは周りの問題になってしまう。
本人の問題でもなく、親の問題でもなく、周りの問題になってしまうんだよね。
そうなると、問題の本質が見えなくなっちゃうんですよ。

同時にそれは「親の考え」であって、本人の考えでもない。
確かに知的に障害があったりすると、問題が認識できない場合がある。
けれども、だとしても、「親の思いと本人の思い(やりたい!とかが)がズレていく様」を毎日目の当たりにしていると、なかなか安直に「親御さんの思いの通りやればいい」とは思えなかったりする。

ま、その中身の論議はまたするとして。
こうしたことが引き起こす構造の問題という意味で一つ思うことがあって。

簡単に言うと、まあ、これ、一生懸命やってる親御さんになかなか異論を唱えるのは難しい、って話なんです。
論議ができない。
先に書いたような俺の経験を彼女に語り、互いに自分がやってることを見つめ直し、よりよき方向に向かう、という、ごく当たり前のことがしにくいんですよ。

この番組の中で、叱り飛ばされた介助者は、やめる方向に向かっていく感じで終わりました。
つまり、そこに何をか意見があったとして、去るしかない、ということなんだよね。

一生懸命やってる人にはやっぱ「ものが言いにくい」というね、そういう感じがあるように思います。
それが「子のため」だとしたら、なおさら言いにくい。
親子の問題と切って捨てられる部分もある。
つまり、それを普遍化して障害を持った子と親の話にしにくくもなる。

オレも、とある親御さんに、「この子は私が死んだら施設に入れればいいんです。それでどこにも行けなくなるんだから、それまで好きなことをやらせます」と言われたときに、まあ涙出ましたけど。

ま、これ、この親御さんがどうこうってんじゃなくてですね。
構造としてはですね、障害者団体同士だって、まあそういうことってあるよなあ、とか思いまして。
当然、オレも気をつけなきゃいけないと思っているって話なんだけど。

テレビに出たときに、まあちゃんとは見てないが、その番組のHPに、「佐藤さんだからやれる」みたいなコメントをその番組の重鎮みたいな人が言っていて、いやいやいや、何聞いてたの?と思ったけど、そういう見方になるんだな世の中は、と思って。

ま、オレの普段を知ってる人ならわかることだけど、何もオレは「一生懸命」やってるわけでもないんだけど、ま、オレにも言いにくいんだろうな、と思うと、まあ、この親御さんに対して思った感じを、一般の人はオレに思ってるのかもしれない。

うん、だから、まあそういう構造があるということをしっかり認識して、やっぱ互いに自分の実践を語り合い、自分の実践を振り返り、自分のやり方を変えることができるような関係性をたくさんの人と作って行けたらいいな、と思います。







(BGM:PAPA B「Love Is The Key」from「Di VIBES ~Japanese Reggae Selection 2004~ [Disc 1]」)
→まあ、なんかもうレゲっぽくないですけど、いい曲だと思います。
スポンサーサイト



| ホーム |


 BLOG TOP