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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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(BGM:クリスティーナ三田 (トリオ・アモール)「海と空 (Mar Y Cielo)」from「海と空 ラテン・ヴォーカル名曲集」)
→ラテンというより、もう全くもって演歌であります。
「たとえ結ばれていても夢は離ればなれよ~」
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アキとなんとなく喋っていて、「まあ、でも反省しない人はしないわな」という話になったことがあって。
でもまあ、「それでい~じゃんなんだよね」、ってことをアキが言っていて。
ま、「い~じゃん」については最後の方で明らかになります。


ま、反省、というと大げさだけれど、そういうことじゃなくて、例えば仕事で問題が起きた時に、「●●って考えたらいいのにね」とか、もっと気楽に考えたらいいのに、とか、そういうことってあるじゃないですか。
俺としたら、仕事上は長いから、そういう問題も乗り越えてきたところがあります。
だから、まあ「●●したらいいのに」と気づくことが多いわけです。

あと、そうじゃなくても、「まわりがやきもきしている」みたいな。
よくあるのが、恋愛の問題で、「ダメだって、あの相手はないわ…」みたいな。
でもまあ、本人にそれを言っても通じないし、たいがいそういうのはもう恋愛の魔法がかかってますから。
だから何を言ってものれんに腕押し。
時に嫌われます。
でも、たいがいその後別れるんですけど。
あ~もう、だから言わんこっちゃない…、となる。

結局、「もっと●●したらいいのに」というのは、まあ結局あまり届かないんだな、って話なんですけど。
だから、仕事上であれば湾曲にはその辺伝えますけど、なかなかストレートにそれを表現するコトってあまりない。
たいがいは、前にそれで失敗した人がいる、というか、「その人だけに降りかかる問題」ってのは少ないわけです。
だから、まあ「同じ轍を踏まないで欲しい」という思いもあります。
それによって、不幸な関係になった人もいますし。

ま、前日載せた原稿は、実はかなり前に書いたんだけど、同じようなことを言ってるな、と思うわけですが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5455.html)。

つまりは、まあ本人がそう思ってくれないと、同じ轍を踏む、と。
ま、それは別にいいんですけどね。
それで不幸な関係になった人がいたとしても、それはその過去の人の問題で、あなたはそうなんないかもしれないし。

というか、「悩みがたくさんある」とか、「うまくいかない」ことが大事な人もいるんだよな。
ダメンズウォーカーとかいう漫画が流行ったこともあったけど、いわゆる演歌の世界のような。
OLHの世界観というか。
それがまあ、落ち着くんだろうからしょうがないんだろうなあ…。

ま、まわりがやきもきするってのは徒労だな、という結論なんですが。

結局、「そうじゃないじゃん」と言ったところで、「そうじゃない」って上書きされて返ってくるだけですからね。
より強化しちゃう感じもある。
わかりやすく恋愛の例を引くと、「私はダメンズを渡り歩くのだ」という決意を固めさせちゃうと言うか。


ちょっと話はずれるんですけど、ま、それが井上たちに波及しなきゃイイかな、とは思うんです。
彼らはやっぱまわりの「雰囲気」にけっこう流されがちだから。
こっちが一つ一つを前向きに反省して、失敗は失敗として大きな声で認めて次に行くような姿勢は見せたいところで。
失敗を認めてもらわないと始まらないんだけど、そこを有耶無耶にしてる集団の中に井上たちをおいちゃうのはどうかな、と思うところはあって。

でもまあ、しょうがないんだよな。
認められない人は認められない。
「ごめん!」って言っちゃえばいいのに、自己弁護で乗り切ろうとするのを見たりすると、ちょっとちょっと…、と思ってうんざりはします。
そういうのにはまああまり真剣には取り合わないようにしてるんだけど。
そこがメインになってくると、井上たちはやっぱ失敗も成功も隠すようになっちゃうんだよな、ってのが経験則。


で、結論に入っていくんですが、まあ先日、20年ぶりくらいにグレイトリッチーズの「幸せなら別にい~じゃん」という曲をアキと聴いたんですよ。
当時すごく好きだった曲で。
こんな歌詞で始まるんだけど。

幸せなら別にそれだけでもい~じゃん
ささやかでも不自由でもなんでもい~じゃん
金持ちでも貧乏でも嘘つきでも 幸せだったら別にそれだけでい~じゃん
誰かがどっかでよろしくしててもい~じゃん
誰かに言わせりゃ不幸に見えてもい~じゃん
大人しくても何も知らなくてもい~じゃん
幸せだったら別にそれだけでい~じゃん


目からうろこが落ちました。
そうなのよ。
「誰かに言わせりゃ不幸に見えてもい~じゃん」なんだよね。
これ、ちょっと心に刺さった。
というか、言いたかったことを言葉にしてくれた感がすごい。

だから、俺が何を言おうと、別に「俺から不幸に見えてもい~じゃん」なんだよね。
「幸せだったら」って前提なんだけど、でもそうだよね。

つまり、幸せならどうでもいいよな。
まあ、「ぜんぜん幸せそうに見えないけど…」ってこともあったりするわけで、その辺がアレなんだけど。

だから、まあ誰がなんて言おうと「幸せな毎日を送ろう」って思っていこうぜ!って話で。
幸せになるためにどうこうしたらいい、とかじゃなくて、「幸せにいこうぜ!」「ボーントゥビーハッピー!」という。
そのやり方はどうでもいいよ、って。
誰に何を言われても、い~じゃん、と。
「ボーントゥビー悩み」とか、「ボーントゥビー不幸」とかじゃなくて、あんたが本気で「ボーントゥビーハッピー」だったらもうどうでもいいわ、っていうか。
ダメンズがハッピーならそれもいいでしょう、と。


だからもうやきもきすんのやめようと思って。
それより、「あなたは今、ハッピー?」ってたずねよう。
ハッピーじゃないって返ってきたら、そしたら、ハッピーになってくれよ、と言おう。


あ、ちなみに、俺はなんやかんやハッピーだな。
けっこう胸張って答える感じで。







(BGM:杉本彩「ガーターベルトの夜」from「私生活」)
→ムード歌謡的パーカッションがサンバ的にリズムを刻む中、二人が果てるその時まで、愛の行為が続くようです。
よくわかんないけど。
もうちょっと歌がうまかったらな…。

例えば、ここから飛び降りなければ外に出れない!となったとします


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例えば、ここから飛び降りなければ外に出れない!となったとします。
しかも外に出なければならない、とします。
怪物が追ってきている!みたいな。

しかし自分は高所恐怖症だった!どうするどうする!と。
先に降りた仲間が、「飛び降りろ!」とか言っている。
大丈夫だ!とか。
いや、俺は高所恐怖症で、そもそもこの際に立っているのだってやっとなんだ!と。
そう簡単に言ってくれるな!という状況。

もちろんまあ、飛び降りるしかないんでしょう。

ただ、そこには実はゴムが垂れ下がっている、となったらどうでしょう。
そのゴムの先っぽは丸く結んであって、そこに体を入れて上手い具合にジャンプすれば、なんのことはない、簡単に下に着く、と。

確かにそれは心強い。
しかし、そもそもが高所恐怖症である。
ゴムがあるとかそういうことではないのだ。

こういう時に、下にいる仲間が「そのゴムは大丈夫だから」とか、そういう声援を送ってきたとしたら、ちょっとそれは違う、となりませんか?って話なんですけど。

ちょっとわかりにくいですか?

つまり、今は「高さの問題である」と。
ゴムの強度やゴムの長さの問題なのではない、というか。
人が窮地に立ってるときに、どうも「ピントがずれてませんか?」というか。
むしろ、「キミが思ってるより高くないから」と言ってもらった方が、ゴムをつかむ勇気が出るような気がするんだよな、というか。
いや、ゴムの強度も気にはなるが、もう飛び降りるしかないんだから。
ゴムがあってラッキー!という話であって、ゴムは主役じゃないよ、というか。

つまりですね、なんか逆に例を出してわかりにくくしちゃった感がありますが、つまりは「そこじゃねえよ!」という。

人って、窮地に立ってると、冷静な判断力ってのは持てなくて。
でもそれって他人にはわからないから、どうしても他人は「冷静に判断しろ」とか言いがち。
「ゴムは大丈夫だから」とか。
それはなんかちょっと違うかな、とか思ったという話なんですが。

これまた例えですけど、「俺も高所恐怖症だけど大丈夫だったから!おまえも平気!」という声援はどうでしょうか?
これもまあ、冷静な判断力さえあれば「そうか、おまえもか、よし!」とゴムをつかむ勇気が出るかもしれませんが、追い詰まっていると「俺の方が重度なんだよ!重度の高所恐怖症!学校で2階の教室になっただけで廊下歩けなかったんだぞ!」とかになりますまいか。

つまり「俺も同じだから!」ってのも、まあたぶんだから窮地に陥ってる人にはあまり効果がないような気がする。
「俺のはそんなに甘い窮地ではない」ってなるから。

これね、また例えですけど、「おまえがここでくじけたら、お母さんは泣くぞ!」とかはどうでしょうかね。
情に訴える、みたいな。
これ、まあある程度は効果があるような気がしますね。
ちょっとゴムをつかむ勇気が出るような気がする。
ただまあ、だとしても、重度の高所恐怖症が克服できるとは限らないですかね。
惜しいか、これは。
窮地に置かれてお母さんがどうこう言われてもちょっとアレだわな。

ま、どうなんでしょうね。
つまりはまあ、飛び降りるしかないんですけど。
それはたぶん、まあ「自分のタイミング」ってことにはなっちゃうのかな。

いろいろな声援もなんならうっさくて、「ちょ、黙って!」とか。
「ちょっと考えさせて」というか、「ちょっと踏ん切り付けるから黙ってて」みたいな。

つまりこうなると、声援の意味ないじゃん、とか思っちゃいますね。
でも、これ、たぶん飛び降りて「よかったよかった」ってみんなで抱き合ってるところまでを想像すると、「お前らの応援のおかげだよ」ってなるんだと思うんだよな。

ここがまあなかなか難しいっていうか、飛び降りて生還できちゃえば、まあなんでもいいんだよね。
つまり、窮地に陥っていなければ、人ってまあどうでもいいんだわ。
応援とか、人の言葉とか、そういうのって、あまり関係ない、っていうか、普通に感謝してればいい、というか。
窮地に立つと、感謝すべき言葉も「ちょっと黙って!」みたいなことになるというか。

ま、しかし、高所恐怖症の俺としては、どうなんだろうな。
ま、飛び降りはするだろうけど、その踏ん切りは果たしてどうつけるだろうか。

なんか、そんなことを考えるとちょっと面白いですね。
最初はそれを考えるだけの話だったのに、書いてるウチに、なんだかいろいろ示唆に富んでいる気もしなくもない。








(BGM:野村 宏伸「しまった!!」from「GUILTY」)
→いや、この人は役者だと思いますが、一世を風靡した感じがありますね。
そんでこんなCDも出していたのであった。
うん、ピッチを合わす機械がまだなかったのだな…、歌が上手じゃなくていいです。
ま、「出せば売れるから」みたいな感じで出しちゃったんだろうなあ…。

十年一昔


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ま、もう十年くらい書いてるわけですけど、そもそもなんでこんなことを始めたのか、って話ですよね。
…ですよね、ってか、まあその話を書きます。

ま、スーパー猛毒ちんどんのライブの宣伝のために始めた、みたいなコトを書いたことがある気もしますが、実際はそういうことじゃなくて。

当時、まあ専従の皆さんの顔ぶれもまったく違ってまして。
その時その時、まあベストな面々だな、と思うわけですが、一人抜け、でも一人入り、みたいな、そういうことを繰り返してまあやってきました。

まあ、普段の毎日の中で、実際に専従が話をする、みたいな機会ってのは作らないとなかなか難しい。
やっぱ市丸とかがいますからね目の前に。
なんで、時間作って飲み会やったりそういうこととかもやるわけですが、なかなか追いつかないところもあります。

日々は飛ぶように過ぎていくけれど、改めて「それがどうだったのか」を考える時間ってのがなかなかない、というか。
ま、それ個人では思っていても、やっぱ共有しないと意味がないですから。
そういう機会は作っていかなきゃいけないよな、みたいな。
まあ、そういう毎日なんで、積極的に話すようにしていかないとダメ、ってのがまず基本にあるんですが。

その上、当時の専従、今はいないけど、から、まあ「佐藤さんは何を考えているかわからない」ということを盛んに言われて。
まあ、市丸たちとは楽しく小2をやってるけれど、彼らとはあまり話さないですからね。
話さないわけじゃないんだけど、まあ、そもそもあまり口数は多い方じゃない。
ま、その辺は「消極的話さない」ですけど。

もちろん、大切なことは話していると思うし、そもそも「あまりモノを考えていない」というところもあるんだけど。
そもそも各々が思ったようにやればいいじゃない、と思ってるところもあって。
それは今でも変わらないんだけど。

逆に、自分が言うことでそれにみんなが従ってしまう、みたいな事態が一番イヤで。
しかも俺は一番古株だから、そうなりがちなワケですよね。
もうとにかくそれが一番イヤだから。
だからまあ、いいじゃん、好きにやったら、ということであまり「話さない」という状況もあったんですけど。
「積極的話さない」というか。

ま、そんな理由もあったんだけど、ずいぶん怒られたというか、それじゃダメだ的なことをけっこう言われて。
「他の団体の古株の人は、日記見たいのを付けていて、それをみんなが見れるようにしてる、そういう努力をしたらどうですか?」みたいな。
今考えると、それフェイスブックというヤツなんだけど。
読んでも別にどうってことないんだけどね。

つまりはまあ、なんか言え、ってコトだったんだろうと推測。

で、まあそれでも「積極的話さない」の理由もあったので、その団体の方のような日記はやめよう、と。
その日あったことを書くのはやめる。
けど、まあ書くのは嫌いじゃないし、当時機関紙での連載も飽きてきちゃって、じゃあブログでも書いてみるか、となったというわけです。

でも、これは別にオフィシャルなモノじゃないから、その当時の専従が思っていたモノにはなっていない。
俺なりのちょっとその辺は反発があったんだと思う。
やっぱ、これはこれでオフィシャルになったらダメなんだと思うんだよな。
むしろ、専従とかには、ブログの話題が出ると「読まなくていいよ」と言っている感じで。
そりゃ、興味もない音楽の話を読まされても意味がなかろうし。
ま、そういう話題は出ません。
みんな読んでないんじゃないかと思います。

で、まあ結局俺の捜索活動、もとい、創作活動というか、そんな感じになってる、という。

最初の頃はけっこう強めに書いてるところもあるんだけど、それは当時の感じを表しているんだな。
けっこうイケイケな感じがあって。
それでまあ虹の会は嫌われるんだと思うけど、ま、嫌われてもいいんだけどね。

でも専従も入れ替わって、そういう激しめな感じも薄れてきて、「まあ、どうでもいいんじゃねえか」「しょうがないよもう」「疲れることはやめようぜ」みたいな感じも幅を利かせてきて。
同時に、俺に対するそういう風当たりもなくなってきたわけだけれど、たぶん、こういう方が自分には合ってたんだと思うし、ストレートに多分伝わるようになったのかな、という気がします。
で、まあだんだんこのブログの内容もふ抜けてきた、という。

イケイケVS楽しようぜ、の対決だと、やっぱ「楽しようぜ」はなかなか勝てないんですよね。
それってやっぱ、雰囲気の問題だから、自分もそれに飲まれちゃうし、難しかったな、と思います。
ま、結果として、今の方がよかったな、と思ってるし、そもそも「無理なことは無理」なんですよ。
早くここにたどり着ければよかったな、ってすごく思います。

いや、まあ同じことをたぶんまた十年後に言うでしょう。
今がベストだとは思ってないんで。

それに、今は今のメンバーそれぞれの考えもあるわけで、自分の思いばかりじゃ何も進まないし、進めたくないし。
だから、少なくともなんか変わっていくでしょう。
その中で、恐らく俺も変わるし、言ってることも変わるし、書くことも変わるでしょうし、雰囲気も変わるでしょう。

ま、でもけっこうここで書いていることは一つのことを形を変えて書いているだけで、一つ一つにはあまり意味がないというか。
それにまあ「積極的に書かない」こともたくさんあるんで、それはやっぱお会いして話しましょう。
ネットに載せるべきじゃないこともありますし。
そして、それが大きな意味があったりはしたりします。

このブログは、その招待状みたいな。

…って何それ?。
偉そうに。
←と、自分で突っ込んでおく。







(BGM:ガールズカンパニー「Mo-Zutto」from「Various Facets -Black-」)
→なんだろう。
ジャケを見たときはパイレンジャーレベルのエロ方向かと思ったら、そういうことでもないのかな。
OLが歌っているのか、OLで歌っているのか、まあよくわかんないけど、これもアイドルの売り方の一つなんだろうかな。

我田引水なんですけどね


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俺は「兄弟当て」という特技がありまして。
というのは、初対面とかの人に「男の兄弟がいますね?お姉さんか妹さんがいますね?」みたいなことを当てる、という技。
これはなんでかわからないけど、なんとなくそうピンときて、まあとはいえ全部当たるわけじゃないですが、当たる確率は低くないと思います。

ま、それと、初対面の時に話を始めるにはいい「きっかけ」ではありますね。
そこから家族の話になることもあるし、昔の実家にいたときの話とかになったりする。
だから、いい鳥羽口なんですよ。
なんで、初対面の場合、まあ当たるにしても当たらないにしてもたいがいやることにしてるんだけど。

ま、これね、なんでこんなことに興味というか、するようになったかというと、ずっと俺は、たいがい多くの人から「お姉さんいるでしょう?」と言われてきたんですよ。
だからまあ、よくよく考えたら、この技は「なんとなくみんな会得してる」ってことかと思うんですが。
俺だけじゃなくてね。
とまあ、それはいいんですが、でも俺は一人っ子で当たってはいないわけです。
でも、会う人会う人そういうことを言う人が多いんです。
例えば子どもの頃に会った親父の仕事の関係の人とか、会ったばかりのピアノの先生とか。

で、まあそれはそれとして、自分の生い立ちみたいなのを親に聞く、みたいな宿題のようなことが小学校の頃だったかにあって、母親にいろいろ聞いたら、どうも俺の前に死産した子がいた、と。
それを「あんたにはだからお姉さんがいたのよ」とお袋は言った。

なんなら当たってるやん…、と。

で、そのまた数十年後に両親から衝撃?の告白があり、オヤジが実は再婚で(知らなかった)、実は俺には腹違いのお姉さんがいたことが判明。

むしろもう完全に当たってるやんけ…。

…とまあ、そういうことがありまして。
その出来事によって、なんかこの「兄弟姉妹当て」に興味がわいたというか。
そこからまあ、実際に自分でも当てるようになったというか。


で、まあ、これが当たらないことってのがあって、それが一人っ子の場合、あまり当たらないんです。
これはまず考えられるのは、「姉妹がいるか?兄弟がいるか?」の二択なので、そこに照準を合わせて考えているので、一人っ子、と言う選択肢が頭にないので、まあ「どっちか」を言うことになるってことが原因の一つかと思われます。
とはいえ、まあ時に「よくわかんねえな」というときもあって、それが一人っ子だったりもするんだけど。

でも俺に言わせてみると、だいたい一人っ子でもどっちかには寄ってるというか、そういうところがあるんではないか?と思っていまして。
つまり、兄弟がいる、姉妹がいる、一人っ子がいる、という三分類じゃなくて、一人っ子というのは、先の二つのどっちかに分類されるのではないか?ということなんですね。
これがまあ俺の中では一人っ子が見分けられない主要因ではないかと思ってるんですが。

例えば、俺の場合のように死産した子がいた、とか。
それも自分が生まれる前のことだったら親は言わないことも多いと思うんです。
そういうことも考えられるし、俺の場合のように、知らないところで父親、もしくは母親に子どもがいた、というような。
ま、つまり逆を言えば、俺の場合はかなり具体的に「女の兄弟がいた」といってもいいだろう、ということなんですよ。
一人っ子として育てられてはきたけれど、「もう当たりでイイじゃん」という。

ただね、まあこれ、そういう俺の時のような具体的なことで「女の兄弟がいた」という「事実」じゃなくてですね、もっと違う理由があるんじゃないか、と。
というのは、どうしても、「君には女の兄弟がいるはずなんだけどなあ…」という時があるんですよ。
「あんた一人っ子だって言ってるけどさあ」みたいな。
いや、それが俺のような理由ならいいんです。
でも、そうした事実がない、という場合もあるわけです。


ここからちょっとオカルト的なことになっていきますけど、そもそも男女という我々の概念がちょっと肉体的なこととリンクしすぎているのかもしれない、という。

前に、とある男の人と出会ったときに、「男の兄弟いるでしょ?」と言ったら、「いや、姉ちゃんです」と言われたんです。
つまり外れたんですね。
あ、そうか、まあそういうこともあるな、と。
でも、そしたら「今、でも姉ちゃんは男として生きてます」という。
話を聞くと、バイセクシャルみたいなことだったらしいんですが、多分ですが、その「肉体は姉ちゃん」は、たぶん俺が見分けるときには男だったんではないか?と。

で、こっからもう一つオカルトに足を突っ込むとデスね、もしかして、その人と一緒に暮らしている人、例えばそれが霊だったとしても。
守護霊とか、憑依霊とか、まあいろいろあるかと思うんだけど(思うんだけど、の時点でオカルトだけど)、それが男の魂だったら男の兄弟に見えてしまうのではないか?という。
そんなことまでまあたどり着けないわけでもないような気がしなくもない。

だから、実際の肉体を持つ人間が男女であるかどうかは、もしかしたら関係ないのではないか?みたいな。


いや、まあそれもこれも、「俺の見立てが絶対に当たっている」ということに依っているので、まあ我田引水なんですけど。

でもまあ、そんな気がしている今日この頃、…いや、アタマは大丈夫です。







(BGM:宮崎奈穂子「路地裏」from「さよならしなきゃ / がんばれっ! ニッポンの女の子っ!」)
→この人のことよくわかりませんけど、サラリーマンに応援歌を歌ってくれています。
途中、ヘイジュードのラスト的なリフレインがありますが、このままラスト行っちゃえばよかったのになあ…。
ま、んなわけで、普通に応援されます。

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