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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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ブログ用

(BGM:Giovanni Mirabassi Flavio Boltro Glenn Ferris「Lili Est La」from「(((AIR)))」)
→管楽器だけのハーモニーから、ピアノが入ってくる。
そして、ピアノがだんだん主張してくる。
美しい。
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見るべし ★ 「映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝」


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映画を「初日の一回目に劇場に足を運んで見る」、というのは、かなりこれその映画だったり、出演者のファン、ということになります。
なんならパンフレットも買うし、グッズなんかが出てたら買うのでしょう。

先日、この「初日の一回目に劇場に足を運んで見る」をやってしまったんですが、その映画ってのが「映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝」。
…ぎゃはははっっははははははっっはははは。
まあ、平日の朝だったので、そんなに人はいませんでしたけど、親子連れが一組と大人がオレの他に一人。

いやあ、ちょっと時間が空いたんですよ。
って、イイワケをしたくなるところなんですが、これね、見終わった後の今になって思います。
「初日の一回目に劇場に足を運んで見てよかった!」と。

大感動しました。

そもそも、しんちゃんの映画はけっこう大人が見ても泣く、というのはよく聞く話です。
「とはいえなあ…」というところ、ありますよね。
「親子連れに交じって見ることになる」ということへのなんか居心地の悪さの予感。
「ちょっとなんか、変な人に見られるのではないか」という危機感。
そういうことをですね、やっぱ考えちゃいますよね。

でもね、見に行った方がいいです。
そうした予感、危機感は、見終わった後に全て吹っ飛ぶはずです。
これはなかなかの名作だったと思います。

設定はけっこう難しくて、恐らく子どもは理解できない部分もあるのではないかと思います。
冒頭、しんちゃんと忍者の末裔、珍ちゃんが病院で取り違えられたのだ、ということから始まりまして。
けっこう深刻な話なんですけどね。
でも、これは珍ちゃんの母親が作った嘘話だってことが後になってわかるんですが。

忍者修行をしてもなかなか忍者としてのチカラを習得することができない珍ちゃんを見かねて、「野原家に育てられた方が幸せなんじゃないか」と彼女は考えて一芝居打つんだけど。
出産後に病室で見た野原家を「あまりに普通」みたいなことを言ってて。
でもつまりね、「普通がどれだけ幸せか」ってことなんですよね。
忍術を磨いて地球を守る使命を負わなければならない我が子と比べて、みたいな。
何でもないようなことが幸せだったと思うわけです。

珍ちゃんというのがいい子でね。
親の言うことは聞くし、忍術ができないんだけど、一生懸命練習もする。
でも、自由奔放なシンちゃんを見るウチに、「子どもらしさ」を取り戻していく。
彼が、「やだやだー!」と転げ回るシーン、いや、泣いたよ…。
きっと彼の母親も嬉しかったと思うんだ、この彼の感じ。
これがこの映画のキモだとオレは思いました。

そもそも、なんでシンチャンが人気なのか。
まず下品です(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5853.html)。
子ども向けのアニメはまず下品でなければならない。
これは必須だし、オレはとても大事なことだとも思っています。

というのは、やっぱアニメの中で、子どもは自分が囲まれている「常識」だったり、親や大人が言う「それやっちゃだめ」を解き放つべきだと思うから。
そういうしんちゃんに、子どもは憧れるんだと思う。

そしてもう一つ、とにかくしんちゃんは「自由」なんだ。
これ、大人に投影するとわかりやすいんだけど、サラリーマンで、何かしなければならない、と追い立てられているのが珍ちゃんなんだよね。
でも、しんちゃんは自由に、そこをすり抜けるように、なんの危機感も持たずにのほほ~んと突き進む。
憧れないわけがない。
そもそも、恐怖心というのがしんちゃんにあるのかどうか。
とにかく「なんとかなる」って、しんちゃんは俺たちに教えてくれる。
そりゃ、塾だなんだって追い立てられている子ども達が好きになるはずですよ。

今回、忍者にさらわれたしんちゃんが、お母さんお父さんを思って、ちょっと泣いたりもする。
親は必死で忍びの里に忍び込む。
しんちゃんを取り戻せれば別にあとは忍者のことだから関係ないんだけど、それでも「乗りかかった船」と、お父さんもお母さんも珍ちゃん達のために奮闘する。
この姿ね。
結局、こうやって人を助けることは、「いつか自分も助けてもらえる」って話なんだから。
こういう親に育てられているから、しんちゃんはきっと強い。
人を助けられる人というのは、とにかく強いんだ。
そう、それって「誰かに助けてもらえる」から。

これね、実は昨日見てきたのを書いているんだけど、思い出しながら泣いちゃう。
いや、これ、いろいろな予感や危機感を乗り越えて見てみてください。

ま、とはいえ、平日がいいでしょう。







ブログ用

(BGM:八木たかし「我が人生に悔いは無い」from「そのままで」)
→これ、冒頭が凝っていて、ラジオをチューニングしてる感じでいろいろな曲がちょっとちょっと流れ、最後に「我が人生に悔いはない、どうぞ」という女子アナの声が流れて曲に入る。
「我が人生に悔いなし」とは別曲。

「みんな同じ」の不幸


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まあ、なかなか難しいところがありまして。

というのは、他の作業所から来た連中、学校卒業してすぐにウチに来たんじゃない場合、とにかく、悪く言えば「保育園感覚」というか、「お世話され感覚」というのが抜けない。
抜けないどころか、それを前提にしている向きもある。

例えば、ちょっとみんなで飲みましょうか、となった場合。
久しぶりの人が来るから、とか。
そういう場合に、「みんなにも会いたいと言ってくれているから、もし、会いたいという人がいたら参加してください」ってなりますね。
まあ、実際のところ、「みんな」いうても、本当の意味でみんなではないですからね。

でも、それをもう「行事だ」と勘違いするんですよ。
「お誕生会」ですね。

ウチの場合、こうした「行事」というのはないから、すべてが参加するかどうかを自分で決める。
マラソンしかり、どっかに出掛けるしかり、飲むしかり、それは全て「行事ではない」という前提の上に成り立っている。
やりたい人が、飲みたい人が集まる。

逆を言えば、「今日は遠慮しておく」という人を追い詰めない。
「俺はそれ行かない」という人を、きちんと尊重する、ということが求められます。
どっちかというと、一生懸命そっちに心を砕いてきたのだけれど、他から来た連中はその前段階が通用しない。
逆に「行く」とかなんとか自分の所在を明らかに言わないのに、「行くことになってるはず」という体でくる。
だから、そういう時は帰す。
「行事ではないから」。

意思を持っての参加しない、については尊重したいし、大事にデリケートに、うまいことやっていきたいが、この「参加できるはず」については、もう話にならん。

なんでこういう感じになっちゃってるのか。

自分の予定を自分で決めていない。
自分でわかっていない。
親と作業所の職員がわかっていれば、本人がわからなくても行事として成り立つ、というあたりのことが横行しているのだろうか。
自分が参加したくないもんに、そもそも参加しなくていいだろうに。

オレはけっこう「みんな一緒」が苦手で、というか嫌いなんだよね。
「一緒にレクリエーションの時間です」とか。
そんなことやります?
大の大人が?
いや、まあ職場でバレーボールやりましょう、となって、なんとなく参加しなきゃいけないかな~でも参加したくないなあ~ということはあるでしょう。
だからこそ、その「参加したくないなあ」を言いやすい雰囲気にしようと思ってきたし、それは井上達も同じ。
そこを大事にしたかったけど、外から来たオグラやカブキについては、「参加できるはず」だから、参加の表明もしない、ということになる。
「だって行事でしょ」という。

つまりは、行事以外の何かがこの人達にはなかったんだな、ということなのかもしれない。
友達と連れだってどっかに行く。
それだって、クラス全員でいくわけない。
行きたい人同士で約束するわけでしょ。
そういう「普通の関係」がそこにはあるわけで、それが彼らはなかなか作れない。

ボランティアさんが来たとして、そのボランティアさんもみんなに「平等」に接してくれる。
その中の誰かを取り出して電話番号を聞いて、後に飲みに行く、なんてことはなかなかなかったりする。
ウチの場合は、お手伝いさんとかイベントに参加してくれた人とか、ノブとかを誘ったりしてくれてるから、まあそういうのとはなんか感覚が違うワケだけれど。

「誘われなかったらかわいそう」ってのはわかる。
わかるけど、だからって、一斉に網をかけて「行事」にしてしまうのは、もっとかわいそうだ。
その先にはなんの「仲間」も産まない。

今日はこの人と飲もう、という関係性を作っていかないと、やっぱ難しいところはあって。
でも、そもそもそういう雰囲気の中に彼らはいなかったんだよね。
だから、彼らが悪いわけじゃないんだと思うけど。

でもなあ、そろそろもう抜け出してほしいとは思いますよ。
けど、抜け出せない。
一度、若い頃にそういう中にどっぷり浸かって、全てをあきらめてしまった後に、「もう一度仲間を作り直そう」っていくら言っても、やっぱもう信じてもらえなくなっちゃうのかもしれない。

なんかなあ。
安心安全とか、そういう目標はもう当たり前じゃん。
じゃなくて、仲間を作ろうとかさ、世の中に広がっていこうとか、なんかそういう社会参加の方向にきっちり舵を切らないと、こういう不幸な感じってずっと続くよ。

まあ、それには人が少ないとか、職員が足らないとかあるでしょう。
ウチも足らない。
だから、一緒に「金よこせ!」って言いましょうよ。

彼らに不幸を作るために福祉をやってるわけじゃないでしょうに。











ブログ用

(BGM:近藤真彦「無頼派 -Album Long Version-」from「無頼派」)
→鼓?の音が印象的な、「ザ歌謡曲」といった仕上がりの一作。
どこか北島三郎さんを彷彿とさせるアレンジが面白い。

被差別者に理由を見いだそうとしてはいないか?


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女性差別の問題というのがありますけど。
実際に管理職に就けない、とかってよく言います。
ウチには管理職とかがないので、世の中ってそういう感じなんだ、と思ったりするワケなんですが。
こうなると、そういう会社のシステムとか、慣習的なこと、慣例的なコトってのが問題なんだと思うんです。
だから、それを解決するには、その辺をいじらなきゃならない。
というか、それしか解決する道はない。

けど、世の中って、「女性の力量ってのがあるじゃない」とか、「力量さえあればいいんじゃない」「ほら、産休とかあるし」みたいな感じで、その差別の問題を差別をされてる側に転化する感じってのがありますよね。

ま、もっと単純な例としては、イジメかな。
イジメがあったとイジメられた側が告発したとして、それはもうイジメた側の問題で、それを拘束するなり、止めるなりしなきゃ解決しない。
でも、いじめられてる子を保健室登校にしてみたり。
いやいやいや、保健室登校にすべきはいじめてる側でしょ?ということなんだけれど、そうはならない。
挙げ句に、いじめられる方にも問題があるんじゃないか?という論議になってしまう、という。

そういうことってあちこちにありまして。
レイプのことでも、女性に非があったんじゃないか、みたいなね。
酔っていたんじゃないか、とか、そういう。
いやいやいや、酔ってたらやっていい、ということ自体が成り立たないとは思うのだけれど、そういうことは不問に付されて、とにかく被害者の方に原因を探す、という。

障害者の問題にもそういうのは山ほどありますね。
他にも単純に、暴言を言われる方に問題があるんじゃないか、とか。
真意が別にあるにもかかわらず、炎上する方に問題があるんじゃないか、とか。
中には炎上目的もありますからこれはちょっと難しいところもあるけれど。

ま、何を言いたいかというと、世の中って、例えば差別的なこととか事件的なことで、どうしたって被差別側、被害者側にその原因を求めようとする傾向があるよな…、って話で。

確かにね、イジメだって、全員がいじめられるわけじゃないから、いじめられる側に原因がある、という風に思ってしまうのはわからなくはない。
というか、そこに共通する原因を探してイジメを無くそう、というのならまだわからなくはないが、たいがいこういうのはイジメの撲滅じゃなくて、隠匿を目的にしているからタチが悪い。

女性の問題もそうで、どっかの高校の入試だと、男子と女子の合格の点数が違うとか言う県もあるんでしょ?
同一にしちゃうと、女子ばっかりになっちゃう、みたいな。
だから、そもそも「女には能力がない」なんてのはウソなわけですけどね。
男女同数にしたいから、ってことなんでしょうが、そもそも同数にする必要があるのかどうなのか。
これも最近になって明らかになった話で、それまでは普通にやられてたんだよね。
なんだかそういう形で、女性に不利にしておいて隠匿する、みたいなことはずっと行われてきてるんだよね。

だから、まあもう男社会とか、イジメでもいじめる方が優位、クラスの人気者、みたいなこと自体を壊さなきゃならないんだよね。
そうしないと差別的なことやイジメはなくならないと思うわけで。

でね、ま、こうなると、男サイドも、いじめてるサイドは一言言いたくなるんだよね。
「だって、あいつ気持ち悪いから」とか。
「だって、彼女の方から誘ったんだ」とか。
挙げ句に「ハニートラップだ」とか。

確かにハニートラップを仕掛ける人もいるでしょう。
それはそれで問題だと思いますが、それを全ての問題の解決に持ち込んじゃダメだよね。
それとこれとは話が別じゃん、という。

実際にその当事者になっちゃうと、そういう基本的なコトがわからなくなっちゃうんだろうな。
それもわかる。
そこまで追い詰められたんだよね。
ニュースとかになって、後ろ指さされたりしたかもしれない。
でも、された側はそれ以上に追い詰められてるからね。
そして、そういうマスコミの実名報道の問題とかと、被害者が追い詰められたのも、それも別の話。
そういう意味では加害者も被害者かもしれないが、それはマスコミ報道の被害者であって、レイプにおいては加害者というのは変わらないわけで。

確かにどっかに「被害者にも落ち度があるのでは」というのはある。
オレも考えてしまわないこともない。
被害者の共通項を見いだして、自分は被害者にならないと落ち着きたいのかもしれない。
いじめられないと思い込みたいのかもしれない。

でもな、実際、女性差別や障害者差別のことなんかを考えると、男であり健体者であるオレは差別側に属していると思うんだよ。
だから、自分が何もしてない、被害者にも加害者にもならない、なんてのはやっぱ幻想だよな、とも思う。







(BGM:BEGIN「SLIDIN' SLIPPIN' ROAD」from「音楽旅団」)
→ゴキゲンである。
この辺の感じがビギンの真骨頂かなあ、と思ったりするんだよね。
沖縄の音だけじゃなく、こういうデキシー的なというか、街角で楽器並べて歌ってる感じというか。

好きと嫌いの間


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コバと話していると、思うことがありまして。
ま、コバだけじゃないんだけど。
というのは、誰が嫌いだ、好きだ、って話になることがあるんだけど、その時に、好きと嫌いしかないんですよ。

コバなんかは特に家庭環境もあったんだと思うけど、「怒られなきゃイイ」という思想を持っていて。
まあ、それ自体もどうかとは思うんですが。
だって、怒るとか意見してくれるってのは、まあコバのことを考えてしてるわけですからね。
それをしない人が好き、ってのは、まあ向こうはコバのことなんとも思ってない、ってことだから釣り合いが取れない。
その辺がどうも見ていてヤキモキする。

とはいえ、最近はそれでも「やっぱり意見してくれる人は大事」とは思っているようで、ちょっと変わってきたというか、子どもじゃなくなってきたかな、とは思うんですが。

で、まあその好き嫌い、なんだけど、二つしかないと、好きじゃなければ嫌いなんですよ。
嫌いじゃなければ好き。
これね、もう浅いんです。
本当に好きな人が誰だかがわからない。
本当に大事な人が誰なのかがわからない、って事態になる。
逆もまたしかりで、本当に嫌いな人って誰?というのが薄ぼんやりとしてしまう。

まあ、これについてはオレも反省していて、というのは、けっこうね、彼ら知的障害者を相手にしていると、「みんな仲良くしましょう」とか言いがちなんですよ。
でも、それって違うじゃないですか。
大人の社会でそういうのってやっぱ違うなあ、と思ってて。
だから、「嫌いなら嫌いでイイ」「でも一緒の船に乗ってる仲間ではある」というような言い方をしてきちゃってましたね。
だから、好きの反対が嫌い、という意味ではあってるけど、「好きでも嫌いでもない」ということについてうまく表現できてなかったな、と。

そして、その「好きでも嫌いでもない」という人がほとんどなんですよね、世の中。
逆を言えば、その「好きでも嫌いでもない」ってことがあって「あたりまえ」ということをもっと彼らに伝えられるように普段考えておくべきだったな、と。

みなさんもどうですかね。
嫌いな人っています?
ちょっとコバと話している中で考えてみたんですけど、いないんですね。
あまりパッと浮かばない。
というか、嫌いな人は近くにいない、ってことかもしれないんだけど。
と思って、いろいろ思い出してみるけど、実際その時はアタマにきてたとしても、別になんか「なんだかんだ関係ねえな」と思う人ばかりで、つまりはもう「好きでも嫌いでもない」んだな。

まあ、世の中っていろいろだから、姑さんが嫌いだとか、中には旦那さんが嫌いだとか、そういうのもあるかもしれません。
だからまあ、オレなんかは幸せなんだと思います。
思いつかないもん。
好きな人ってなると、これはなかなか難しいけど、ってか、たくさんいるなあ。
…と考えると、やっぱオレは幸せなんだろうかな。

で、でもたいがいは「好きでも嫌いでもない」んだよな。
いい人だと思いますけど、まあ好きでも嫌いでもない。
会話は時に弾むけど、まあ好きでも嫌いでもない、みたいな。

結局それってなんだろう?と自分に翻って考えてみると、「自分のコトを思ってくれてるかどうか」なんだろうか。
つまりそれには「自分」という物差しがなければならないって感じになるのか。
でも同時に、そうやって自分のコトを思ってくれる人がいるから自分が立ってる、という部分もあるわけで。
だから、本当は「誰が好きで誰が嫌いか」なんてのは、どうでもいいことなのかもしれない。

人間関係や、自分の立ち位置を、「自分が誰が好きで誰が嫌いか」みたいなことで考えてしまうのって、やっぱどっか自意識が高いんですか?どうなんでしょう。
オレなんかは自意識が高いんじゃないかな、とか思いますけど。
人に乞われればそれはやるし、そうじゃなきゃやらなかったりもするし、なんだろう、結局は「その相手がオレに何を望んでいて、オレは彼に何を望んでいるか」でしかなくて、それが叶うか、叶わないか、だけの問題のような気がしたり。
つまり、好きだろうが嫌いだろうが、結局はそれが叶うかどうかだけの問題で、オレがどう考えていようがそんなに関係ない、というか。

ま、それが正解かどうかはオレはわからないけど。

で、まあコバに戻って考えて見ますと、つまりは他人が自分と同じ人間である、という部分に欠けてるのかもしれない。
つまり、自分がその人に望むことと、その人が自分に望むこと、ということの区別、というかその両者がある、というのがあまりアタマにないのかもしれない。
自分がいつも主人公で、その他は脇役、としか思えなければ、やっぱりそうはなっちゃうかもしれない。
でも、彼からしたら自分が脇役で、彼主役の時にきちんと脇役がつとめられたか?ってのが結局は「仲間意識」だったり、「友情」だったり、「愛情」だったりするような。

ま、またいろいろコバとは話をしていきたいと思います。









(BGM:田代ユリ「青い影」from「愛のエレクトーン ベスト」)
→オレはビクター版のエレクトーン、ビクトロン、というのを習っていたので、この音色はとても懐かしいモノがある。
しかもこの曲はエレクトーンに向いていると思うのよね。
名曲。

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