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スーパーちんどん・さとう

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「おめでとうじゃねえよ」という時


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どなたかがツイッターで、「日常生活の中で、心の中ではまったくおめでとうと思っていない相手に、社交辞令でおめでとうって言ってしまう機会が時々あり…」みたいなことを書いていた。

これ、ありますね。
よくよく考えて見ますと、「おめでとう」と言わざるを得ない状況というのは、まず、世の中で言う「いいこと」であって、その「いいこと自体」が、そもそも自分にとって「そんなにおめでとうではない」と判断される場合。
そしてもう一つは、その人自身にそんなに思い入れがない場合。
最後に、自分が「おめでとう」を言える精神状態じゃない場合。

でもまあ、なんとなく人との付き合いの中でどうしたって「おめでとう」と言わざるを得ない。
というか、「結婚します!」に対して、とりあえず「おめでとう」を言えなかったら人間失格ということになりますし、結婚相手がどんなにダメ男確定でも一応その場では「おめでとう」を言うことになっています。

ま、逆に言えばダメ男確定でもおめでとうを言っているということは、おめでとうとは思ってないわけですよ。
つまり、その人のことを思ってない、も同義なのかもしれない。

だいたい、他人が幸せだと思ってるのに、そこに水を差すようなコトって言えないんですよね。
それが客観的にどうであれ、言えない。
「君は騙されてるよ」ということなど、その場でそうそう言えるわけない。
言えるわけないっていうか、たいがい聞いてくれないし、そういう場合。
それに、「騙されててもうまくいく」ってこともありますし。

まあ、幸せの度合いとか色合いってのは人によって違うんで、「いくらなんでも」という場合でも、まあ組み合わせによっては上手くいくということもあるのよね。
それも少なくないという経験則、みなさんも「あるある」的なんじゃないかと思うのですが。
だから、まあ「言わなくてもいいか」ってことになって、「おめでとう」ってことでその場はやり過ごす、ということになる。

あと、相手に思い入れがない場合ですよね。
よくテレビのインタビューとかで「○○さんがメダルを取りました」みたいなことを聞かれてる人がいて、「よかったです」とか言っちゃう感じね。
まあ、よく知らんし、その人の努力も知らんけど、まあ一応、大人の儀礼としてそこは「おめでとうかな?」みたいな。
「そんなヤツは知らないし、なんとも思わない」ということをインタビューで答える勇気はなかなかないでしょ。
皇室関係なんかは特にその傾向になりがちというか、「○○様が結婚なさるそうなんですが、何か一言」とか言われれば、とりあえず「おめでとうございます」と。

つまりは、そういう感じに「言うシステム」なのであって、本気で皇室の人に思い入れがあるわけじゃないし、その実「おめでとう」でもない。
「バンザーイ!」では決してないのだけれど、そういう声を拾うことで、テレビはなんとなく「皇室を温かく見守る世論」を作り出す。
結局、この「本気でおめでとうではないけど言わざるを得ない感じ」が、皇室万歳感を創っているという気がするわけです。

だから、この「おめでとうじゃねえけど、一応おめでとう言いましたけどね」ということを認識しているかどうか、ってのはとても大事かと思っているわけですが。
いや、「おめでとうじゃないからおめでとう言わないわ」という本心を飛び越えたところに「おめでとう」という言葉があるというね、そういう感じというか。
ま、「せっかくだから」とか、「相手に悪いから」っておめでとうを言っているのに、それに逆に自分が騙されちゃうようなことはしたくないものです。

まあ、あとは「おめでとうを言えない精神状態」ってのもありますね。
自分がもう結婚したいのに結婚できなくてすげえ悩んでいるのに、他人が「ついにオレもかみさんの尻に敷かれることになったよアッハッハ」とか言われたら、そりゃちょっとねえ…。
まあ、言う側がその人が悩んでいるかどうかを知ってるか知らないか、ってのも大きな問題になりますが、知ってて「アッハッハ」と言ったのなら悪質というかイヤな人だなあということになるし、そうじゃなければまあどうしましょう。
言った方も悪意はないんだろうし、う~ん、「おめでとう」ということになるか…。

ま、とにもかくにも、この「おめでとう」。
言うだけなら安い祝福だし、言った方がいいんだと思います。
けど、「おめでとうじゃねえよな」「おめでとうどころじゃねえよ」ということもある、ってことをやっぱ認識した方がいいよね。
それをまあ、「おめでとう言ってるけど、コイツホントはおめでとうじゃないんだよな」とかってことじゃなくて、「ま、お互いそういうこともある」みたいな感じで。

ま、こういう「人付き合い」みたいなことをスッとできる人は世の中を上手くやっていけるのだろうし、オレみたいに「おめでとうじゃねえよな」とか思っちゃっていちいち引っかかっちゃう人は上手く世の中を渡っていけないのだろう、と思う。

とはいえ、「いいこと悪いこと」ってのも、人によるんだよねって話だよな。
君にはラッキーでも、オレにはそれバッドだよ、みたいな。
オレのラッキーが全ての人のラッキーじゃない、ってのも覚えておきたい。







ブログ用

(BGM:中島みゆき「十二月」from「グッバイガール」)
→「何万人の女たちが、アタシは違うと思いながら 何万人の女たちと同じと気がついてしまう月」が12月。
なぜならそれは「それぞれに男たち、急に正気に返るシーズン」だからである。
中島みゆきさんの歌詞は、抽象的じゃなく具体的なのがいいんだな。
それが具体的に自分じゃなくても、歌詞のうまさに想像力で泣けてしまう。
文学だね、文学。
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