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2006年の「熱さ」 その3(おわり)


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2006年5月にその時までの虹の会の歴史的なことを書いている文章があって、俺が前半2000年まで、故藤井がその後を書いていて、まあ今読むと「なんでここまでケンカする?」くらいの感じで「ちょっと冷静になれ」とも思うが、あえてそういう歴史があったなあ、ということで掲載しようと思う。
ファイルが見つからなかったので、グーグルなんチャラで写真に撮ってテキスト化してみた。
あまりに長いのでちょっとちょっと分けて。
今回三回目が最後で、故藤井が書いた部分になります。

この頃の障害者運動の熱さをちょっと思い出して欲しいと思っています。


さて、前項の続きとして、2000年以降の動きについて書いていきます。ただし、今回に関しては資格撤廃のための総会資料であるということから、極力資格というモノに絞って書いていくことをご了承いただきたい。
というのも、虹の会では、資格以外のことに対しても、常に行動し、日々様々な取り組みをしています。それら全てに共通することは「どんなに障害が重くても地域であたりまえに暮らす」ということです。ですから、資格以外のことを書かずに、もしくは知らないまま、この資料を読み進めてしまうと、まるで資格のことだけが問題のように思えてしまうかもしれません。そうではなく、私たちの目標はあくまでも、あたりまえな介助保障を得て、あたりまえな生活をおくるということです。だから、資格は、それらを実現していくうえでの、「ひとつ」の問題なのです。障害者が生きていくうえで、解決していかなければならないことが、まだたくさんあることを忘れないでください。(事務局長・藤井)


【1委託を受けてから】

まず、自薦登録方式(以下、自薦)の理念をまっとうするために、浦和市からの提案を呑み、委託が始まったことを強調しておきたい。
というのも、最近のさいたま市を見ていると、時折、自薦の理念というモノに対しての理解が薄れてきているのではないか、という姿勢を見せることがある。そういう時にはすかさず、違うということを伝え、話を本筋に戻すようにしているが、時間と共に、または人が変わるごとに、少しずつ、理念が失われつつあることを完全には否定できない状態であると思う。
だから、今後、資格撤廃を訴え、話し合っていく中で、その部分、つまり失われつつある部分というのが、悪に出る可能性がある。1から伝え直すことで、解決するならいいが、国の言うような発想に固まってきてしまうのは、とても危険である。
資格そのものの話が、自薦の仕組みや理念と完全に逆のことなのだから、自分たちにとって大事なのは、自薦であると、というより、それしかないと言い切れる。
障害者が、自分で自分のことを決め、生きていくことが出来るのは、今のところそれしかないのだから、極端に言えば、そのことだけを目指せばいいのだと思う。

話を本題に戻す。
1999年に決まった方向通りに、2000年4月からNPOとなり委託を受け、完全無資格での介助派をすることとなった(完全無資格はあたりまえのことであり、決してすごいことではないが、表現として) かといって(今の俺注*完全無資格と書いているが、そうじゃなくて、別に資格があった人もいたし持ってなかった人もいた、資格にこだわらずに、障害者本人が推薦する人のみを介助者として使った、という意味ですねこれは。藤井らしいけど、ちょっと誤解を招くと思う)、何も全く新しい事業を始めるわけではなく、要するに、今まで介助者に出せなかった給料を出せるようになった、介助料を得られるようになっただけなのだから、法人の事務的なこと以外、中身が変わることはなかった。だからいくら委託といっても、今まで自分たちがしてきたことが認められてきただけで、それこそ完全な自薦が認められただけなのだ。
ただし、それでも介助保障の部分では、まだまだ24時間には全く満たないし、 派遣形態に巡回型があることからして、障害者にベタで介助者が必要(24時間必要であるということ)で あることを理解されたわけではなかった。だから介助保障時間増の交渉は引き続き行っていた。

市と交渉を続ける中で、資格のことも少しずつ調査に乗り出し、年途中では、ヘルパー研修の中身について機関紙上で疑問を投げかけている。これというのは、虹の会は確かに自薦の理念に乗っ取った介助を得ることが出来ていたが、他民間業者(その頃はまだ、障害者団体に委託することは希であったため、周りは全て株式会社の業者などだった)たちは、有資格でのヘルパー派遣を続けていたためで、いくら自分たちだけが無資格で続けていたとしても、それは単なる誤魔化しであり、世の中全体が、障害者が譲られるものでは なく、自分の意志で決定していくことを理解したわけではなかった。だから、自分たちだけでなく、世の中から資格という考え方自体を無くさなければならなかった。
また、2000年には資格とは直接関係ないかもしれないが、介護保険につい て、市と交渉していた。
これというのは、自己負担の問題で、まんまの負担額で 生活保護を強いられてしまう低所得者に対し、何らかの制度を持って、減額をしろというもの。思えば、これが今の自立支援法に繋 がっているし、そもそも介護保険統合化が進んでいく序章だったのだろうか。ここでは詳しく触れないが、介助はサービスでは無いという理念に沿っていけば、保険で介助保障を賄うというのは間違いであって、介助は保障であるべきで、決して事故ではない。保険になってしまったら、もはや権利も何も無い。
その交渉自体は、翌々年に減免制度として実現し、今も利用されている。

【2.支援費制度というもの】

2001年、2002年というのは、支援費に移行していく中での運動だった。
支援費制度(以下、支援費)は、措置(支援費が無ければ措置などという言葉は使わなかったかもしれない)から自己決定へという文句が使われ、障害者が自分で決められます、という一見、良さそうに見えてしまうが、裏返せば、それは、行政が責任を放棄するということだ。実際、障害者が決められる部分というものは一切無く(事業所を決めることというのは、当事者が決定すべきことでは無いだろう。支給量を24時間に自分で決定することが出来たならば、それはまさしく自己決定だし、更に自分の介助者を自分で決めることが自己決定である。だけどそれはダメだと言いやがるんだから、嘘に決まってるじゃないか)、今まで行政が介助保障(介助料)自体はもちろんのこと、介助者の確保から、マネジメントまで全てを行うことがハッキリとした責任であったのに、そこから介助者の確保という責任を放棄しようと言うのだ。
それを誰かが誤解したのかバカなのかわからないが、障害者団体が委託を受けやすくなるなどと言い始めて、終いには支援費は良い制度だなんて言いはじめてしまって・・・まあそこは今はいい。
2001年はまだ、支援費は噂としてあっただけで市と具体的な話が始められたのは2002年からだった。その頃の焦点は、支 費になることで、委託から指定に変わり、その指定を受ける要件の中にあった、やはり資格である。このこと、まさしく今の状態であり、資格に対する本格戦いの始まりだった。
2003年の施行まで幾度となく、市と交渉を行った。市には自薦から委託へという流れが、ほぼ完全に頭の中にあったので、市としては資格の必要性を感 じていなかっただろう。ただし、国庫補助の対象であるホームヘルプを市町村が実行するには、介助者に資格が必要だということもあり、市が例えば、単独で資格は要らないという宣言を してしまった場合、まず間違いなく、さいたま市に関しては国庫対象から外されることになってしまう。 それではさすがに、今の介助料を守ることはおろか、ゼロになってしまう(市の予算としても国庫対象であることが前提で組むわけで、 国庫対象でないモノには市の予算も付きにくい)。だから、市には打つ手が無かったと言っていい。
しかし、我々としても、いくら市から頼まれても、資格を取るということは、介助保障以前の問題、つまり差別を認めるわけにはいかない。それを市も理解していた。だから、互いの立場を理解しつつ、交渉を続け、着地点を探していった。(今の俺注*これに関しては資格について昨年度に評議委員会は方針を180度転換し、取っていくことを決めた。中身を捨てたわけではないが、このままでは資格の論議が進まないと考えた末の結論だ。虹の会本体ブログ http://www.nijirock.com/blog/?m=202209
また、介助派遣は市が責任を持って行わなければならない点についても、常々言っていた。自薦になるとき、結局、市が我々の望む介助者を確保することが出来ないから、虹の会がそれを代行するという話なのだから、決して我々が介助派遣を望んだわけではなかった。だから、市が資格を強要しようものならば、即座に介助派遣から手を引くつもりだった。その姿勢は今も変わらない。大事にしなければならないのは、今も昔も、介助が必要なことだけで、金や物ではない。

【3.支援費施行】

2003年、支援費制度が施行された。2002年の年間に渡る交渉の末、出した着地点は、現状通り、そのままの体制で、市が虹の会を基準該当指定することだった。書類上は既に経験がある介助者についてはそのまま認め、新たに入ってくる介助者については、 受けなければならない研修について、受ける意志は持っているとした。あくまでも意志ということ。
もし、研修自体が自薦の理念を持った障害当事者の話を8時間聞けばいいというものであるならば、受けてもいいというのは確かだ (冗談だが)。
やはり市としては、虹の会に介助派遣を代行してもらうこと以外、我々の望む介助を保障することは出来ず、このような提案をしてきた。いつでも事業所を放棄する気持ちはあったし、書類上要件は揃ったとは言え、資格を取らなければならないことに変わりはなく、資格の話は平行線のまま行くということを考えると、妥結するには早すぎたかもしれなかった。しかし、そこは市をたてる、立場を守 るという意味(施行直前3月の段階でも、まだ交渉を続けていたので、もう時間が無かった)で、呑むことにした。支援費移行後も資格のことについて断続的に話し合いを組むことを条件に。
その約束通り断続的に話し合いを行っていくことになるが、2003年は、それ以外にも、入院中の介助 保障についての交渉、他人介護料(生活保護他人介護 加算)撲滅についての交渉などを行った。
入院中の介助保障というのは、まず、入院は決して非日常のことではなく、日常的に可能性が十分あり、入院するに至っても、それぞれの人の生活の延長線上にある。という理念において入院中も介助保障をしろというものだった。これについては、未だに解決の糸口は見えず、誰かが入院する度に交渉を繰り返している。
もうひとつ、他人介護料撲滅というのは、障害者が生活保護を強いられている現実を市に理解させ、就労 や所得保障へと繋げていく目的はもちろんだが、そもそも他人介護料というのは生活保護を受けなければ手に入らないモノであり、それはすなわち介助保障ではない。もし仮に、他人介護料を介助保障としてしまったら、障害者は介助保障を得なければ生きていけないのだから、生活保護を強制 的に受けなければならない。ということに繋がり、やむなく生活保護を強いられている、その「やむなく」が無くなってしまう。少なくとも行政、市には、他人介護料は介助保障では無いこと理解させていく必要があると考え、市と話をしていった。撲滅には至らないものの、生活保護は介助保障ではないことは、十分理解させることが出来たと言っていいだろう。
そして、もうひとつ、埼玉県に対しても資格についての要望書を提出するなどして、話し合いを行った。そこでは県は、資格は必要だと、市とはうってかわっての資格賛成派であることが浮き彫りとなった。県はこちらの言うことに耳を貸さず、資格を取れの一点張りのまま平行線となり、決裂という形で終わった。

【4. 世の中は自立支援法に向かう】

2003年と2004年というのは、資格について市と話し合いを繰り返したり、単発の特集を機関紙で組んだり、前項であったように入院と他人介護料のことについても行動を続けていた。何か具体的に成果があったかというと、何も無かった頃だろう(呼吸器のバッテリーが保障されるなど、気管切開絡みの交渉は進んだ)。つまり全てが平行線のまま年が過ぎていった。ただ、それらを繰り返していく中で、市には嫌という程資格の不必要性を言い続けたわけで、虹の会は絶対に資格を取らない姿勢であることを、存分にたたき込むことが出来たと思う。その前提があるからこそ、今資格撤廃への動きが作れていることだろう。
そして、2005年、厚労省が突然、グランドデザイン、自立支援法(以下、支援法)を提起し始めた。
それにしても、こうして歴史を整理して書いてみると、いかに速いスピードで厚労省が改悪をしたかがわかる。ということはつまり、国は金のかかる障害者をさっさと処理したいということに他ならないわけで、だいぶ焦っているように見える。
全国の障害者団体が騒ぎ始め、どこも問題点を探し、機関紙に掲載するなどしていた。その中で、自立支援法の主な問題点は、資格が1番にくると思いきや、1割負担が前面に出ていた。しかも、あろうことか、資格の話はどこにも載っていない。確かに1割負担は、生きるだけでお金がかかるわけで、それ自体もはや保障ではないのだから、資格もクソも無くなってくるのは、わかる。ただ、1割負も資格も天秤にかけることは出来ない。どちらも同じくらいの問題だと思うの だが、はて?なぜ資格の話が出ない?

その疑問は、すぐに解消。支援費が始まった頃から、虹の会のような障害者団体が運営する介助派遣 事業所が増え続け、今では殆どの団体が事業所として介助派遣を行っている。そこまではいいだろう。自薦を貫くには、今のところ自分たちでやるしかないのだから。しかし、そうしていくうちに、何故だか未だに解らないが、障害当事者自らが、介助者に資格を取らせている団体が増えていった。そしていつの間にか、資格を持っている方があたりまえになってきてしまったのである。だから支援法 になると言っても、資格のことは問題にならない(もう取っているから)のであった。
何故、障害者自らが、あんなに反対してきた資格を、いとも簡単に取ってしまうのだろうか。そのことについては、後の項で述べるとして話を進める。
ただ、そういった障害者が全てではなく、青い芝、怒りネットといった陣は、1割負担はもちろん、介助の上限に対しても、そして資格に対しても支援法に対し必死の抗議行動に出ていた。年間を通し、ハンストや厚労省前での座り込み、徹底したビラ配りなどを行っていた。今までも運動を作ってきた人たちだ。障害者団体同士が対立する場面も見られ、厚労省は燃え上 がった。
しかし、こうした抗議行動もむなしく、自立支援法は可決されてしまうのだった。

【5.支援法に向かう中で虹と市は】

2005年、4月になる前の3ヶ月間に市と集中的に交渉を行った。この交渉により、2005年4月からの1年間、必死で抗議行動をしている人たちを横目に虹の会は沈黙を通すことになる。正直、悔しいと思ったし、虹の会もあの抗議行動に参加したかったという思いは強かったが、自分たちは自分たちで出来ること、つまり、さいたま市だけでも例外(資格が要らないでも、1割負担が無いでも)を作ることで、ひとつでも多くの可能性を作ることに決め、目標を絞ったのだった。
まず、虹の会としては、以前から培ってきた資格反対への姿勢を強固に持ち、ここだけは絶対に譲らないということをハッキリと伝えた。資格を取ること=事業者を辞めるという話をした。そもそも資格を取ってまで、事業者を続けるいわれは一切、微塵もなく、あくまでも派遣を含む介助保障の責任は市にあることを、絶対に忘れさせるわけにはいかなかった。しかし、市としては、国の言う通りに 虹の会が資格を取ってくれれば、国庫補助が下り、足りないとは言え、一定の介助料は賄える。だが、国庫補助が無い場合、市単で予算を倍増させることは困難を極め、現実的には不可能である(将来的に可能にさせていかなければならないが)。

互いの姿勢を歩み寄らせるのは、とても難しく、1月2月は平行線のまま過ぎ ていった。3月になり、市 から提案があった。それは、資格の要らない制度を、市単で作っていきたいというものだった。


【6.新たな制度へ】

市として、まず、介助料として確保できる額は僅かしか見込むことが出来ないが、その制度を作ることによって、資格が要らないという可能性を作りたいとのことだった。しかし、逆に言えばそれは、支援費、支援法におけるホームヘルプ中で資格というものを撤廃することは出来ないという表れで、それは意味が無いのだから、ただでは呑めない話だった。
自分たちに必要な介助を得るには、最低ホームヘルプ身体介護並の額(1時間 3000円~4000円、これで介助者の給料、事業所の運営費、社会保険料や雇用保険、障害保険といった全てのモノを賄わなければならないので、もし自分たちで事業所をやらない場合、純粋な介助料はもっと少なくて済むだろう)が無ければ、現実的に不可能であるし、あくまでも資格撤廃が目的であるのだから、ホームヘルプだろうがなんだろうが、撤廃されなければならない。そこから逃げるようなことはしたくなかった。
それでも市は、そうではなく、あくまでも可能性を 広げるという意味で、少し やらせてもらえないかと提案してきた。そこでは返事をせず、次の話し合い (来週とかのレベル)に持ち越すことになった。
そして次の話し合いの時、 虹の会としては、その話は呑めないという返答をした。それは今までの歴史の中で、 虹の会と市は資格のことで、様々な論争を繰り広げ、互いにやっとの思いで、自薦を実現させた経緯があり、今もその流れにいるのだから、ここで、資格が必要だからといって、現状の制度の改革を止め、新たな路線に行くというのは、一度は自薦を否定することになるのだから、自薦の仕組みを理解しているとは思えない。そのような状態で、新しい制度を作らせても、また同じことになるのではないかと話した。
それでも市は、なんとか、これをやらせてもらえないかと、しつこく提案してくるのだった。そこで、そこまでして、何をやりたいんだと尋ねた。すると市は、資格を取るということに意味が無いことはわかっている、ただ国の言うことを聞かないと金が下りてこない。今市独自で予算を作ることは無理だ。そうなったら介助保障出来ない。あなたたちに介助保障が必要なことは理解できるから、なんとしても保障したい気持ちがある。そのために努力をしたい。その努力のひとつがこの制度を作ることだと思っている。だからやらせてもらえないかと。
文章ではとても簡単にし か書けないが、長い時間話し合った。そして、この時、市には熱意があったと思う。そして、その提案を呑むことになった。
(略)

【7.この項の まとめ】

この後編では、主に20001年~2005年の事柄を書いた。前編と比べ、書いてあることはあまり変わらない。自分たちに必要な のは資格ではないし、業者をやることでもないし、金を貰うことでもない。やはり介助が必要なだけである。純粋にそのことだけを求めて25年間、活動を続けている。これからもそれは変わらないだろう。
ものすごく単純なことな のに、資格が必要だ、基準が必要だ、自分たちで派遣 しろだの、正直、ウザイ。資格の無い介助者を使い続 けて、何の問題も起きていない。かえって資格のある業者ヘルパーを使ってた頃が一番問題がある。 どうして今になって、その時代に戻そうとするのだろう。障害者自らが。
総会は、もっと単純に、わかりやすいものにしていきたいと思う。詳しい内容はまだ決めていないが、虹の会のしてきたこと、そして向かう先について、たくさんの人に聞いてもらいたい。このまま資格を取ってしまったら、俺はもう人間じゃない。
(事務局長・藤井)


今の俺注*
まあ、ここまでこだわっていた資格とは、国家資格のことだけれど、これについてはどっちかというとこの時点では論議が浅かったな、と思う。
国家資格よりも、当事者本人が決める資格の方が大事なのだ、ということなんだよね。
だから、国家資格の有無は基本的には関係ない、と。
それは経験上もあって、だからそこよりも「本人の推薦」ということなんだよな。
で、まあ上記にリンク貼ったけど、その論議をしたいので、というか国家資格でヨシとする世の中はちょっとまだダメだと思っていて、ここから一歩進めなきゃ意味がないので、あえて国家資格を取る道を昨年度選んだ、という感じか。

藤井は自身が介助を要する障害者だったので、どうしたってここに敏感だったのだと思う。
「誰かに決められたくない」「誰かに自分の生活に口を出して欲しくない」というのは人一倍強かった。
というか、当たり前だと思うけど。
そんなことに口を出すようなヘルパーは資格があろうがなかろうがウチでは使えないけど、でもそれがデフォルトになる恐怖、というのがあったんだと思うし、事実、そうならないようにしなければならないと思う。
藤井の資格に関する文章としては、http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6339.htmlの方が冷静かな。







(BGM:亜無亜危異「馬鹿とハサミは使いYO!」from「SAVE THE VOICE II [Disc 1]」)
→カッコいいのはもう聞く前から決まってるんですが、「YO!」ってところですよね。
そういうのを捨てない感じがいいじゃんね。
結局、ライブでいいたいんですよ、こっちも。
「YO!」って。
歌詞ももちろんいい。
ストレートな社会批判?って感じだけれど、それを「YO!」でまとめるところがいいんだよな。

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