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9/1は防災の日、ということで。
が、「なんでその日が防災の日?」というのを知らない人も増えているとか。
関東大震災の日なんですね。
今年がちょうど百年目ということらしい。
つまり、関東大震災は1923年だったということになります。
改めて調べてみますと、第一次世界大戦が終わったのが1918年。
満州事変が1931年ですから、その間に起きた、という。
日清日露戦争から第一次世界大戦まで、基本敗戦国とはならない中、日本はイケイケだった時、と言えるかもしれない。
逆を言えば、天皇を中心とした大日本帝国が、反戦を訴えれば非国民、天皇を神とあがめなければ非国民、そんな時代が始まりを告げていたとき、ということも言えようか。
そんな100年前に起きた事件をモチーフとしたフィクション映画「福田村事件」を9/1に見てきました。
わざわざフィクション映画と書いたのは、監督が森達也さんだからですね。
これまでドキュメンタリーを主戦場としていた彼がどんな劇映画を撮るのか、という興味もあり、公開初日に行ってきました。
千葉の福田村で起きた大虐殺を題材にしていて。
いわゆる、大震災を機に起きた朝鮮人大虐殺の中の一つの事件だ。
こういうことが日本各地で起きていた、ということである。
この映画、背景がすごく丁寧に書かれている。
村の若者は兵隊に取られる。
もう「命を御国に捧げます」みたいなことを言わなければ非国民と言われる時代。
「生きて帰ってこい」とすら言えない親。
遺骨を「英霊だ」と持ち上げる軍服をまとった退役軍人。
その監視下に置かれ、どこか村はピリピリした空気に覆われている。
同時に描かれるのが、いわゆる不倫、というか、旦那を兵隊に取られたさみしさから他の男と関係を持ってしまう女達。
それを「兵隊に行って帰ってきたら女房がそんなことしてたらやってらんねえ!」と憤る男。
「兵隊っていっても、他国の兵士と闘ったわけじゃなく、味方の上官に殴られただけ」と言い切る退役軍人もいる。
でも、国のために死ぬ、ということでみんな兵隊に取られたのだ。
そりゃ妻もどうしたらいいのか、身の置き場がないというか、やぶれかぶれにもなる。
他の男と関係を持つのは当たり前、そもそも男もいつ兵隊に取られるかわからない。
つまりは死の宣告でもある。
そうやって兵役がまだの男は荒れ、兵役から帰ってきた男達は荒れ、女達もやさぐれている。
つまりはもう、ものすごい「やけっぱち」感が漂っているのである。
それが国体を破壊するような方向に爆発するならいいのだろうが、「天皇を中心とした国体」にこだわる退役軍人会や軍隊、警察がそれを許さない。
どんどんその鬱屈とした思いは澱のようにそれぞれの登場人物の底に溜まっていく。
毎日の中で、あの男と寝たとかどうだとか、そういったことでいじめたり、イヤなコトを言ってみたり、そんなことで発散するしかない。
そんな時に起きたのが関東大震災である。
この映画では、その被災状態はあまり描かれない。
そういう地域だったのだろうか。
で、まあ、それはそうと、震災後すぐに、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」「火をつけ回っている」という噂が流れてくる。
「それを実際に見たモノはいるのか?」というデモクラシーを信じる進歩的な村長。
彼はそれはデマじゃないのか?と執拗に問うが、まあもうそんなことは関係なくなっていて。
これまでの兵役の恐怖、妻が他の男と寝ていたという嫉妬、他の男と関係を持たざるを得なかった悲しさ、つらさ、そういった鬱屈とした思いの全てが、すでにもう「朝鮮人を殺せ」に向かっていっていたのである。
この虐殺の被害者は、いわゆる被差別部落から来た行商団である。
朝鮮人ではない。
ここがこの虐殺の問題が根が深いことを表している。
虐殺する側の腰抜け感、怖がって虐殺を実行する様子、全てが滑稽でもあり、どれだけこの虐殺に意味がないのか、ということを。
誰も「実際に」手を下したくもないのだ。
群集心理、と言えば簡単だが、そこに至る誰もが窒息しそうな村の空気感がそもそもこの虐殺を引き起こしている。
窒息しそうな空気をのものを払うために、全く無関係な朝鮮人虐殺を行うなどというのは、そもそも冷静に考えればおかしい。
が、その窒息しそうな空気は冷静になることも許さない。
さて、今の時代はどうだろうか。
格差がどんどん広がって、毎日を生き抜くことで必死。
遊びにも飲みにも、旅行なんて当然行けない。
その息苦しさを吹っ飛ばすために、生活保護を受けている人をバッシングして溜飲を下げる。
障害者が電車に乗れないと駅の無人化をやめるように声を上げれば「贅沢だ」と反発する。
そうやって「標的」を見つけてはSNSなんかで叩く。
それって「朝鮮人は殺せ」と同じじゃないのか。
この映画では、「朝鮮人が井戸に毒を流した」と触れ回っていたのが警察や軍だったのではないか?ということも示唆されている。
実際にそういう史実もあるともいう。
つまり、彼らが国民を朝鮮人憎しに駆り立てたとも言える。
先日、松野官房長官は、関東大震災当時の朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べた(
https://twitter.com/SMChingDongSATO/status/1697060007022588363)。
まさに同じじゃないか。
彼は犬笛を吹いたのだ。
この映画は、過去の出来事を題材にしているが、まさに今の映画である。
…てなことで、まあ以上で話はキレイに終わってるけど、ちょっと映画そのものについて。
森監督がフィクション、ということでちょっとどうかと思っていたのは全くの杞憂でした。
本もよかったのだろう。
伏線もしっかりしていて、エンタメ映画としてキチンと成り立っている。
そしてなにより、役者がイイ。
「岬の兄妹」(
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4783.html)で兄役を演じた松浦祐也さんの、鬱屈としたモノを抱える男の演技がまずすばらしい。
彼の妻は兵役している間、実の父と関係を持ったのである。
そのことに気づきながらも妻にも父にも否定され相手にされない辛さ。
自分が小さい男だ、と気づいてもいて、そのコンプレックスも抱えている役を怪演。
とにかく彼が象徴的な村人を演じている。
行商団のリーダー役が「ミックス。」(
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5819.html)の永山瑛太さん。
彼は穢多として自分たちが蔑まされていることを朝鮮人に重ね、そしてそれに反発心を覚えているのだけれど、学のなさなのか、うまく表現ができているとは言えない。
でも、そういうリーダーを皆は慕いついていく。
いや、ホント、カッコいいリーダー。
こういう人になりたいとさえ思った。
その行商団の中の若者が勉強をしていて、水平社の結党宣言なんかも読んだり出来る人で、それが次代のこの行商団のリーダーになっていく、という感じなんだけど、彼も殺される。
彼は「俺はなんのために生まれてきたんだ」とつぶやきながら息絶える。
このセリフにも伏線があって、いや、なかなかよくできてるのよ、ほんと。
他にも井浦新さん、東出昌大さん、水道橋博士さん、ピエール瀧さん、柄本明さん、それぞれがフィットした役柄を演じていて、気持ちがいい。
ぜひこの映画、多くの人に見てもらいたい。
前情報とか、この事件をよく知らなくてもきちんと面白い。
いや、面白いと言ってはいけないのかもしれない。
けど、こういうことがあった、ということを知る上で重要な映画だと思うし、このことを今に投影できるのなら、その反省をこれからに活かせた、ということになるだろう。
そのために作られた映画だとも思うし。
(BGM:Universal Sound「Asteroids」from「Concept In Dance 2」)
→こういうのはどうやって演奏?ってのをしてるんでしょうかね。
ターンテーブルとサンプリングなのかな。
こういうの好きな割によくわかんないので誰か教えてもらいたい。
というか、一回一緒にやりたい←無謀。

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