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スーパーちんどん・さとう

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数字からこぼれ落ちたモノ


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ま、毎月評議委員会というのをやっています。
虹の会としては総会に次ぐ議決機関というコトになりますか。
で、普段ここで働いているとかの人じゃない評議委員という人たちも参加してくれていて。
三原もその一人で。
今の虹の会、初代会長の福嶋あき江さんが亡くなって後の虹の会を作った一人といっていいでしょう。

で、彼は教員なんだが、帰りに駅まで送っていったんですよ。
彼の学校の前をたまたま通りかかった。
そしたらまだ電気がついてまして。
21時くらいですかね。
「あーまだやってんのか」と。
って、さっき教員書きましたが詳しく言えば校長ですね。
彼はその後「ま、見なかったことにしよう」と言いました。

やっぱ教員の働き方改革とやらで、やっぱ時間とかはなかなか難しいところがあるらしい。
「でもねえ、やっぱ残って仕事したい若い子はいるんだよ」と。
「その方がまあ得るものも多いんだよなあ」
「残業しろって強制してるわけじゃないからさ」
「でもやりたい、って子たち(若い先生)はいるのよ、やっぱ」
「一緒にそうやってどうしようこうしようって話したりしながら作っていくって、やっぱ子どもたちにも返っていくんだよな」
「でもまあ、働き方改革自体は間違ってはいないんだけどさ」と。
…そんな話をしながら帰ったんです。

確かに、先生の働き方については大いに問題がある。
そもそも小学生30人と相対するってのは難しいよ。
そういう仕事だっていわれたって、やっぱり難しい。
一人の子どもに関わる時間だってそうそう取れない。
ましてや今は校務分掌とかもたくさんあって、いちいち書類を書かなきゃならないって先生は嘆く。
小学校に至っては、そもそも給食の時間が休憩時間になるわけじゃない。
子どもが帰ってから教案を作るったって、雑務に追われてなかなかそんな時間もない。

まあ、俺はとにかく先生の数を増やすしかないと思っているんだけど。
少なくとも今の倍。
最適なのは三倍くらいか。
ま、それを論じるのはまた別にするとしますが。

で、しかし先生は孤独ではない、というのもあって。
一人で30人の子どもを相手にして、という人が隣にいる、と。
そこにはベテランもいて、新人もいる。
得意科目というのもそれぞれある。
教案と言っても、互いにやりとりして人が作ったモノを自分でやってみることも可能。
この部分はいいですよね。

我々なんかもそうなんだけど、なんかやり始めて、そこで出てくる雑談がまた何かを産み出す、みたいな(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6092.html)。
その人にとっては大したことではないのに、自分にとっては大きな気づきになったりすることというか。
一緒の場所で、一緒にモノを作るというのは、なにか相乗的な効果を生み出すことがある、とオレは経験則で思っていて。

なんで、この児童生徒が帰った後に、まあ時間で区切ってウチで一人で教案を作ったりするよりも、隣に誰かいる状態で作る方がいいのではないか、と。
ま、それは誰しも同じだけれど、だけど家に戻らなきゃならない、保育園に迎えに行かなければならない、という事情もあります。
だから、それを「しなければならない」と、誰かに強制するモノじゃない。
でも、本来はそういう時間を昼間のウチに取れることが重要なんだけれど、教員の数が少ないから、それがなかなかできない。

でも、もしもそれをできる環境にあって、できるのなら、そして「したい」のなら、まあやってもいいんじゃねえか?とは思います。
もちろん、それを「他人に強制しないこと」が条件です。

そして、そういう部分ってのは、数字にはなりません。
だけど、働き方改革とかってのは、例えば「19時に帰りましょう」というような「数字」ではかることになる。
それがまあウマくいくはずがないんですね。

というか、そもそも子どもに対する教育だったりというのは、今すぐ効果が出るとは限らない。
そしてそれは、学業だけにとどまらない。
むしろ、学業よりも、「あの先生に怒られたこと、褒めてもらったことが役に立っている」ということもあるかと思う。
なんなら十年後に「あの先生にいってもらったことが役に立った」というようなこともある。
にもかかわらず、教員の質や教育の質を数字で出そうとするのはやっぱりどっか歪んでくる。
歪んでくるが、そうやって制度や世の中の仕組みは我々に「数字」を課してくる。
じゃないと、それはわかりにくいし、成果を検証できないから。

その歪みってのが、実はものすごく「生きづらさ」を我々に強制してくるようにも思えて。
そしてそれは子どもにも伝播しているのでは無かろうか、と。

数字、わかったような何かのハードル、そういったモノを世の中は設定し、それを超えた者を評価しがちである。
でも、それはどうなんだろう。
そこから漏れてしまったモノこそ、実は本当に大事なんじゃなかろうか、なんてことを三原と話しながら帰った、という話でした。





(BGM:山谷争議団「山谷越年越冬わっしょいデモ」from「Japanese Underground Music in the Late 70s and 80s」)
→これはドキュメント音声。
こういうのを音源として残すという姿勢が好き。

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