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スーパーちんどん・さとう

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虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら




虹の会の機関紙をぜひ読んでもらいたいんですが。
専従のページというのがあって、それを先月号で俺が書いたので、それを以下テキストにして掲載します。
機関紙はにじ屋で手に入りますので、店員に声をかけて下さい。


 専従のページと言うことで。
 佐藤が書かせていただきます。
 専従の定義とは何か?というと、基本まあ「いつでも駆けつける」ってことになるでしょうか。
 とはいえ、駆けつけられない時もありますね。
 トイレに入っていたら、旅行に行ってたら…云々、まあ個人的にデートをしています、なんて時も駆けつけたくはない。
 だからこそ、ある程度の人数が必要だな、と思ったりしています。

 先日も、イチマルの家でピンチがあって、ちょうど家に帰ってきたところでしたがまあ近所だし行ってきたりしました。
 俺にしてみたら大したピンチでもなかったんですが、泊まってくれる人にとっては大ピンチと映ることもあります。
 その他、やっぱイチマルたちに付き合ったり、飲みに行きましょう、映画に行きましょう、プロレスに行きましょう、まあ付き合える範囲で付き合います。
 とはいえ、それで給料が余計に出ると言うことでもない。
 だから、一緒に遊びに行けばお互い様、いろいろ無理を言いながら遊び倒して帰ってきます。

 加えて、専従はなんやかんや虹の会に関わる様々な雑務もこなすことになりますから、運営的にも大きな軸にはなってきます。
 つまりは、運営側というか。
 今はそういう思いでやってくれる若い子たちがたくさんいるのでとても嬉しいかぎりです。

 あ、さっきお金は出ない、と書いたけど、専従に限っては勤務年数によって一律に手当が出ています。
 もちろん、彼らの働きにしてみたら小さいモノかもしれないが、基本給だけではやっぱりやれる仕事ではないと俺は思う。

 俺がはじめた頃は、二人しかいませんでしたし、そもそも介助が全く埋まっていない、ヘルパーは来ない、じゃあボランティアがすぐに集まるかというと集まらない。
 かなりの時間、ほぼ24時間介助をやっていたような状況でした。
 それが35年くらい前になります。

 なので、その時に比べたら、今は人もいるし、とてもラクです。
 当時は、俺は大学を出たばかりで、そもそもさっき基本給なんて書いたけど、給料は月に5万円しか出なかった。
 おこづかいだ。
 とはいえ、先に書いたように24時間介助をしていたから、使う時間もなかったんだけど。
 同窓生は先生になる人が多かったのだけれど(教育学部)、初任給で車を買うんだとか、パリッとしたスーツを着て謝恩会に来ているのを見て、とても俺はツラかった。
 彼らが光り輝く未来に旅立とうとしているところ、どっか俺は地獄に落ちていく気分だった。
 もう正直、すべてうんざりだった。
 卒業して数ヶ月して集まろうかとか言われても、俺には行ける時間もなければ金もない。
 金がないというのはとにかく人を卑屈にする。

 けれども、介助をしなければ工藤さん(故人・前会長)は死んじゃうし、ボランティア来いよ!って祈ってた。
 一日でいいから、とにかく休みたかった。
 当時付き合っていた彼女とも結局会えなくなったし、なんかその後同窓生と付き合ったとか聞いた。
 それを聞いた日に、夜中、介助がちょっと空いた時に外に出た。
 今は大きなファミレスになっている土地は当時は空き地で、ちょっとした小山みたいになっていた。
 そこに登って、空を見たら、満天の星で、俺は何をやってるんだろう、と涙が出た。
 人は、希望を見れなくなったら死ぬ。
 身体が死ぬのではなく、心が死ぬ。

 俺が死なずに済んだのは、その時に助けてくれた仲間がいたからだ。
 すでに学校の先生になっていた(そもそも虹の会はウチの大学の教育学部とかのボランティアで構成されていた)三原や竹脇だったり、ヨシヲだったりが、介助ボランティアが見つかった日に飲みに連れて行ってくれて、金も出してくれて、ってことをしてくれたから。
 時に彼らは俺を怒ったし、なぐさめもした。
 彼らはいい距離感で、いつも俺のことを支えてくれた。
 とても感謝している。

 障害者問題史的に言えば、公的介助保障が全くなかった時代である。
 本来、公的な介助保障を求めるべきであったが、当時は市は虹の会を相手にもしなかった。
 そもそも、介助保障制度が大きく動くのはその五年後くらい。
 外出介護人派遣事業とかを市が始めて、介助派遣システムを作った。
 そして、数人のアルバイトの介助の人を雇うようになっていくんだけど。
 よくよく今になって考えれば、「このままじゃ工藤さんが、松沢(現会長)が死ぬ」みたいな話し合いをよくやっていた気がするな。
 だから、最初はそりゃ虹の会を相手にしなかったかもしれないが、話は徐々には進んではいたんだな。

 ま、俺はなんとか脱したかった。
 そもそも、俺は三年くらいで辞めようと思ってこの仕事を始めた。
 三年すればなんとかなるかな、って。
 むしろ給料がもらえるところに勤めた後にコッチに戻ることは無理だろう、とも思った。
 だから、最初はいいかな、三年くらいいい経験じゃないか、みたいな。

 実際、介護人派遣事業とかで金が入るようになって、新人も生まれた。
 その一人は今のアキだったりもする。
 だから、そこで席を空けてもよかったんだけど、それにしたって給料が低すぎる。
 このまま若い子を残して出て行くことはやっぱり俺には出来なかった。

 そんなことを繰り返していると、どんどん人は増えていく。
 そして彼らと飲みに行くようにもなる。
 俺が三原たちにしてもらったように、やっぱり俺はそれを下の子に返さなきゃいけない。
 結局、どんどん仲間が増えていく。
 外にも応援してくれる人が増えて。

 どんどんここは俺の場所になっていった。
 だから、今は俺はとても楽しくやらせてもらっている。 

 そして、心が死ぬほどのあのツラかった日々を、やっぱり忘れてしまっているんだよね。
 工藤さんの介助、深夜の寝返りとかもあったんだけど、次は三時間後くらいだから、というような感じで、その間にバザーのビラを配ったりもした。
 当時は自分の給料を稼ぐためにバザーもやっていた。
 そのビラを深夜に配ってるんだから世話ないが、深夜にビラを配っていると犬に吠えられたりして、なんだか泣きたくもなったりしたっけ。

 そう、携帯が出たのがそもそもその後で。
 当時携帯があったら、もうちょっと工藤さんも俺もラクだった気がするな。
 科学の発展てすごい。

 バザーは結局、一日数時間で200万を売り上げるようになっていた。
 ウチがバザーをやると言えば、なんでか知らないがテキヤさんまで登場して大騒ぎになった。
 そのバザーは、先に書いたけど、三原たちもいつも率先してやってくれて、とても嬉しかったな。
 最後にはお手伝いさんだけでも百人を超えていたから、そりゃ凄いイベントになったものである。
 提供者も延べで一万件くらいあるんじゃないかな?今、にじ屋と通算して。

 多くの人に支えられてホント、ここまでやってこれたな、と思います。

 スズやミズエ、今の若い子たちは、そもそも給料が出ているし(あまり前だ)、俺が置かれていた状況とは全く違う。
 同じ五年目でもまったく俺の時の方が全くなにも出来なかったと思う。
 今はなんか俺にしてみるとみんな「飛び級」でやってるみたいで、大変だな、と思うところもある。
 できあがったモノの上に彼らはいるから、どうしたってそうなってしまう。
 大事にゆっくり育てたい、と思っても、なかなか時代は言うことを聞いてくれないのである。

 でも、ザキやリオもがんばってくれていて、俺はとても嬉しく思っている。
 つまりはまあ、俺が「育てよう」なんていうのは関係ないのだ。
 彼らはそもそも凄い力を持っていたのだと思う。
 それを前の職場では発揮出来なかったり、引き籠もっていて発揮出来なかったりで、それを今爆発させてるだけなんだろう。
 ナチュラルな彼らに出会って、俺は憧れもしている。

 さて、そもそも俺はなんで続けてきたのか。
 確かに先に書いたように「捨てられなかった」んだけれど、もう一つはやっぱり単純な怒りなんだろう。
 障害者に生まれたから電車に乗るな、施設に行け、そういったごく単純な「当たり前」が、とても腹立たしいからだ。
 それはきっと、初代会長のあき江さんやかおるさん、工藤さんから教わったのだと思う。
 彼らは物怖じしなかった。
 車いすに乗っていても、グングン外に出た。
 車いすを押していたら駅でラッシュにあって躊躇してた俺に、「佐藤君、待ってたら行けないからツッコんじゃって」とあき江さんに言われた時に目からうろこが落ちたこともあった。
 かおるさんは中途障害で、彼女の生き方は俺の心に刺さった。今、ソロで「イキタカッタ」という歌を歌っているのだけれど、それは彼女のことを歌っている。
 どうしても彼女の生き様は俺は残したい。

 さて、なんでこんなに長々つらつら思うままに、テキトウに書いてるのか?って思った方も多いかと思うんだけど。

 俺、専従辞めようと思ってまして。
 いや、もう辞めた。
 会議でも言いました。

 ま、年というのもあるんだが(今年58)、これまで専従で定年的に辞めた人っていないんだよね。
 途中で消えちゃうヤツとかはいたけど。
 だからまあ、その去り際をやってみたいな、とも思ったりして。
 若い子たちにとって、それを見せるのが俺の役割かもしれない、と思ったり。

 とはいえ、まあ「専従」を辞めるだけなので、多少仕事はしますし、今まで通りこうやって機関紙も編集してますし、デスクもあります。
 だから何が変わるか?といういとわかんないけど、でも専従は辞めた、というご報告でした。(おわり)






(BGM:STIGMA「Free your mind」from「SAVE THE VOICE 3」)
→どっかアメリカの西海岸の風がするって言ったら怒られるのか。
バックのコーラスもカッコいい。
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