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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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運動は、自省し、常に違う展開をしなければならない

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映像ディレクターの中村氏による我々のドキュメンタリー映画「凸凹にふくらんだ風船」無事完成!
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ウチも月に一回機関紙を出していて、まあ、それが一つの運動の経緯というか、積み重ねの記録ということになります。
機関紙がなかったら、たぶん、振り返ることもなく毎日を過ごしてしまう感じもあって、それだけ機関紙というのは大切なモノであります。
なので、虹の会の「今」を知りたいのなら、やっぱり機関紙を読んでもらうしかないし、今までの歴史を知りたかったら、バックナンバーを読んで知ってもらうしかない。
自分たち自身でも、一年前の機関紙はなにか今の自分たちとは違和感があったり、すごく過去のように思えたり。

機関紙だけじゃなく、ビラとかもだけれど、印刷物というのはとても大切で、運動をやっていく上では最重要なことと位置づけられるモノだと思います。
まあ、今はインターネット、こういうブログとかもあるだろうけれど、これらはかなり意志を持ってたどり着いてもらう必要があって、ビラなんかとはちょっと性格が違う。

人にはやっぱり「きっかけ」が必要で、きっかけなくしてモノゴトはないわけで、それをどうやって作っていくかというのは、運動を進める側としては考えなければならない点であります。
ちょっとウチに無駄なモノがあるからとどっかに提供してみよう、という感じでにじ屋なんかは品物を提供してもらえているわけだけれど、だからといって、虹の会の本当の思いがわかってもらえているかというのはまた話が違う。
でも、そこで機関紙を渡したら、もしかしたら読んでくれるかもしれないし、イヤ、その前に、ビラをポストに入れた時点で、そのビラに気持ちのどっかが引っかかってくれるか、という、まあ、なんていうか、結局はそういうところがすべての始まりではあるんだと思うんです。

他にも、まあチンドンとか、たまたまどっかで呼ばれたステージなんかを見てくれた人がまた来てくれたりするけれど、それも一つのきっかけ作りにもなっているともいえるかな。
にじ屋自体も、来てくれるお客さんは、別に「安いから来てる」とか「近所だから来てる」ってだけだと思うんだけど、そこで印刷物を渡すことによって、何かのきっかけになるかもしれない。

この「きっかけ」をどう作るかというのが、実はとても重要だと思うのだ。

どうしても、内部のことで忙殺されたり、そういうことが続いたりすると、この「きっかけ作り」がおろそかになるでしょ。
っていうか、例えばですよ、毎年同じ会場で同じようにバザーを繰り返していたんでは意味がないとオレは思うんですよ。
きっかけっていうのはいろいろだから、いろいろな手を尽くす必要がある。
同じことの繰り返しは、運動を拡げない。
大切なことは、運動を拡げるためには、いわゆる「一般の人」「素人のみなさん」にどうやって障害者の問題を考えさせるか、ってことなんだから、そこを殺して現状維持を続けるということの意味は全くないわけです。
逆に、自分たちの願いが広がっていない、と思ったら、方法を変えなければならない。


まあ、なんでこんなことを改めて思ったかというと、ある団体の機関紙にイベント?のお知らせみたいのが載っていて、それがすごく初歩的なモノだったわけです。
その団体も、別に若い団体じゃないのだけれど、内容は初歩の初歩。
その内容は、「介助中の責任は誰がとるのか?」「なぜ同性介助が必要なのか?」みたいなことでした。
どっちも、もう考えるまでもなく当然のことで、この団体でも、これを改めて論議する気はないのはわかる。
啓蒙だな。だって、「責任は障害者自身がとる」「なんで男の人に女性の障害者が風呂介助をされなきゃならないのか?」なんて、もう完全に答えは出ているんだから。
それに、この部分こそが「施設」と、いわゆるこの人たちがいう「自立生活」(オレらのいう「生活」)の決定的な差なんだから、ここは定義であって、論議の予知がない。
1+1が2になるようなもんで、ここを譲ったら数学自体が成り立たないのと同じで、運動そのものが成り立たない。
20年も前から、このことはウチだって言ってるし、他の団体も同じだろう。

つまり、何も変わってないのだ。
20年前に、まだ日本では座敷牢だってあったかもしれないだろう時代に、このことが欧米から輸入されてきた時には確かにこのタイトルのイベントは衝撃だったかもしれないが、今はどうなんだ?今もそうなのか?。
こんなことが障害者自身(このイベント自体が若い障害者を対象にしているようだが)にとってもまだ「衝撃」なのか…。
だとしたら、ここで働く健体者なんかのことを考えたりしたら、これまたたいへんなことであるな。
道のりは遠い、のか?。


何を言いたいかというと、20年以上同じことを繰り返すようだったら、やっぱり何か方法を変える必要があるんじゃないか、ってことなのね。
どんなに内部的なことがシンプルになり、団体をあげて介助ボランティアを必死になって集めていたころとは違って金を払って人を雇ったりして、団体がさも会社のようになっているかもしれないが、それって、世の中はまだ何も認知してない、ってことなんじゃないか。

オレたちがしなければならなかったのは、そんな内部のなんたら、だったんだろうか。
もちろん、だからといって昔はよかったとか、昔に戻れとか、アナクロ的なことを言いたいんじゃないよ。
でも、今の流れの中で、何かを変えなきゃならないんじゃないか。
毎年同じ、じゃやっぱりダメなんだよな。

何をどうすればいいかなんてのは、すぐにはわからないけど、でも、そう思って常に現状に問題意識を持ってなかったら、運動なんて意味がないように思う。




にじ屋ブログが最近なかなか面白いぞ!みんながんばって書いておるようだ。虹の会本体HP「NIJIROCK.COM」からどうぞ!

(BGM:→Pia-no-jaC←「Jack 2011」from「First Best」)
→これはオリジナルなのかな。
スピード感あり、ポップでもあります。
これは彼ららしい一曲といえるのではないでしょうか。
いわゆるコード的にも「1-4-5」を基本としたオーソドックスなモノなんだけど、なんか飽きないで聞けるし、しかも新しい感じすらする。
あとですね、鍵盤をやっていたモノとしては、これは弾きたいパターンなんです。
こういういい方はアレだけど、すごくアドリブも鍵盤でやりやすい進行というか、もちろんこんなにもう弾けませんけど、ぜんぜん弾いてないんで。
でも、あの頃くらい弾けたら、やりたい!って思える感じもまたいいんだよな。
こんな風にやれたら気持ちいいだろうなあ。
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