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映像ディレクターの中村氏による我々のドキュメンタリー映画「凸凹にふくらんだ風船」無事完成!
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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-1319.htmlの続きとして読んで下さい。
先に光市の事件のことを書いたけれど、同じようにネットの連中に対しても思うところがあります。
ウチのKが傷害で昨年捕まってしまったわけですが(
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-1104.htmlのシリーズ参照)、その時もすごく思ったんです。
「これは我々の責任である」
もちろん、ここは子どもが集まる場所ではなく、大人が集まる場所だ。
だから、社会に対しての責任はおのおのにある。
当然、何かがあれば、その責任は本人がとる。
これが基本の考え方だ。
しかし、現実的には彼らの中身は大人とは言いがたい部分がある。
つまり未成熟な部分が多い。
知的障害と言われるわけだからそりゃそうだということになるんだけれど。
この状況の中で、まず大切したいのは、「だからといって責任を取らせない、という選択はない」、ということだ。
知的障害だから責任がとれない、と決めつけてしまうことは避ける。避けたい。
というか、あってはならない。
つまりは、本人は「責任がとれる大人になる」、そして親も含め周りは「責任がとれる大人にする」ということを常に目指していなければならない。
じゃなければ、先の「死刑にならないから凶悪事件を起こしても大丈夫」という若者を生産することと同じになってしまうのだ。
ここはだから譲れないんです。
そんな前提の上に、「犯罪に荷担しない」「犯罪を犯さない」ということをどうやったら教えられるか、徹底できるか。
被害者を生む以上、犯罪を犯してはならない。
殺人事件を前にすれば、痴漢くらいいいじゃないかなんて、そんなことはないですよね。
痴漢された側にしてみれば、それはもう大変なその後のトラウマになることだってある。
犯罪に大きいも小さいもないんです。
あるとすれば、それは「結果」だといえるかもしれない。
だから犯罪が行われている場面においては、大きいも小さいもない、と考えるべきである。
我々が考えなければならないのは、犯罪が起きていない未然の今の状態において、大きいも小さいも、犯罪を犯させてはならない、ということでしかない。
この程度だったら責任能力なしになるのではないかとか、そういうことは今考えるべき事ではない。
それは「死刑にならなかったら」という馬鹿者と一緒である。
だから、「この程度だったらいい」ということはまず毎日の中で廃していくこと、である。
例えば、パニックを起こして人を殴ってしまう、という場合は、何を置いてもそれは止めるべきモノである。
つねる程度だったらいいのか、知ってる人だったら良いのか、親だったら良いのか…、いや、全部ダメである。
だから、なんとしてでもそれを止める手立てを本人も、そして周りも必死に考えなければならない。
とはいえ、なかなかそれはゼロにすることは難しいわけだが、けれども、だからといって、どっかで「この程度ならば…」と手を止めるべきモノではないのである。
ゼロをきちんと目指さねばならない。
したり顔で「自閉症にはパニックがあるんですからしょうがないんです」などという専門家の意見は、犯罪が起きた場合になんの影響力も持たないことを覚えておくといい。
そんなことで被害者は生き返らない。
専門家の知識は、それをゼロにするために使うべきであって、「この程度なら」を是認するためのモノであってはならないのだ。
少なくとも、我々こっちサイドがそれを是認するモノとして言ってはいけないのである。
こういうことを言うと、親御さんの中には虹の会は厳しいからウチの子は無理、などと言う人がゴマンといます。
その人たちは、自分が何を言ってるかわかってない。
社会に「犯罪を犯しても手加減して下さい」と言っているのと同じだ。
俺が言いたいのは、我々サイドは、ゼロを目指すことだけを考えるべきだ、といっているのだ。
そのために必死になるべきだ、といっているのだ。
こっちサイドが、ゼロにならないいいわけを専門家然として準備することではない。
これは、別に普通にあたりまえの話だと俺は思うのだが。
にじ屋ブログが最近なかなか面白いぞ!みんながんばって書いておるようだ。虹の会本体HP「NIJIROCK.COM」からどうぞ!
(BGM:酒井俊「愛燦燦」from「夢の名前」)
→美空ひばりさんの曲ですね。
「わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして 人は哀しい 哀しいものですね」
人生とは何か、と考えてしまう時、きっと答なんかないんだけれど、考えてしまった時点で、なにかさがしているモノがあるっていうことなんだよな。
そこにこだわっちゃうとまあ、ドツボにはまっちゃうんだけれど、それでも毎日が過ぎていって、イイ日もあったり悪い日もあったり。
そんなことを繰り返して、きっと死んでいくんだな。
だから、オレは考えるまい、ただただ毎日、請われたことを一生懸命こなして生きていこうと思う。
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