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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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弱者を救う、という言葉に騙されて、振り回されてはいけない・その1

スーパー猛毒ちんどんライブ・ジャパンツアー第4弾
『猛毒天国』
with【RAN-TIN (ランチン)=ランキンタクシー&ノダチン】
 

日時:7月21日(土) 17:30開場/18:00開演   詳細はこちらをクリック!
ジャパンツアー4フライヤー表

スーパー猛毒ちんどんでは、出演依頼を待っています!
スーパー猛毒ちんどんPV「にじ屋の唄」→ここをクリックぅ!!

映像ディレクターの中村氏による我々のドキュメンタリー映画「凸凹にふくらんだ風船」無事完成!
映画の予告編はこちら
各地で上映会も可能かとも思いますので、詳細は監督の中村さん(オフィスラムカーナ:連絡先090-8726-4722)までたずねてみて下さい。

お知らせ&募集などはこちらをクリック  ツイッターは「@SMChingDongSATO」




TAROさん、N3興行について、素敵なコメントありがとうございました。
また二回目が無事あるといいんですが…。


てなことで、今回はこんな話を。

世の中は、社会的に強いモノ、弱いモノ、といて、強いモノが弱いモノを喰いモノにして成り立っていると言えます。
昨今の生活保護の問題や、再稼働の問題も、結局は過疎、貧困によって原発依存から抜け出せないという問題が根底にあります。

再稼働もがれきの広域処理も、誰かが儲けている。
その下請けで働くモノは、被爆するだけして捨てられている。
けれども、それでも彼らは「仕事がない」よりはずっとマシだと、そこにすがるしかない。
構造自体を変えることなく、「設置自治体の決定で再稼働」「被災地が困っているから絆で広域処理」というのは、どっか弱者を救っているようで、実はその構造を固定化しているだけだ。

ミクロに見ると、弱者の名をかたって、実際は強者がその構造を維持しているという風に見ることができる。

被災地の状況を見て、被災者に苦言を呈するのは難しい。
同じく、障害者に対しても、一般の人はそう簡単に意見は言えない。
これは、「恵まれない人に優しくしなければならない」という、道徳的なことに起因する。
そして、これ自体は問題ではないと思う。
だって、優しくしなければならないと思う。

けれど、その人達が、無礼をしたとしたら、科学的に間違った主張をしたとしたら、やっぱり本来は意見すべきである。
そこをも差し置いて、絆だ、優しさだ、愛は地球を救うだとかいうのは間違っている。
なぜなら、そこにつけ込んで、強者がその構造を固定化しようと虎視眈々と狙っているからだ。

大飯の再稼働の問題で、首相は、人工呼吸器を使っている人たちなどもいるから、原発は再稼働させなければならない、と言った。
本来は、それに耐えうるバッテリーの開発に力を入れなければならないことは明白だ。
だって、3時間の停電に耐えられないということは、3時間以上の外出は無理だと言うことになるから。
外出ができる人にとっては、それが今足かせになっていることも事実で、その技術革新を求めなければならない。
それに言及しないで「人工呼吸器を使っている人がいるから」というのは、逆にひっくり返って、「人工呼吸器を使っているのに外出なんてけしからん」という風な世論になったりするのである。
これは、生保でも同じで、「生保を受けているのに、家に花を飾るなんてダメだ!」というのと同じ。
つまり、弱者・強者の固定化だ。

結局は、弱者はその自前の理屈を振り回しているだけだと、強者に足下をすくわれる。
しかも、優しい言葉で。
だから、障害者だから何を言ってもイイ、不義理をしてもイイ(不義理をする輩は多い)、という運動では、そもそも何も成せないのである。


今の時代、色々なモノに病名がつく。
それは、製薬会社の陰謀という気がするが、それによって、またこの社会の構造がややこしくなる。
教育の世界でも、ウチの子はやりたくないと言っている、とか、ウチの子のことを考えてくれていない、などと、「学校についていけない」ことを振りかざして我が物顔の親がいる。
これがまた、子どもの中の構造をややこしくし、教育を崩壊させる方向に進んでいるような気がする。

確かに、学校の諸行事をやりたくない、という子はいるだろう。
昔からいるよ。
運動会がイヤだ、という子はいた。
でも、だからって、「みんな一等賞です」なんてやっていたら、子どもに壁を乗り越えさせることも教えられない。
がんばることも教えられない。

運動ができない子、というのを弱者といっていいかどうかは微妙だが、構造は同じだ。
こうやって、弱者が我が物顔で「運動できない子のことを考えろ!」と言うから、教育は崩壊し、結局、塾が公的に教育の中に入り込み、成績の善し悪しで学校の補助金を変えようなんて言う話が出てくる。
アメリカではすでにそういうことになっていて、逆に学校や子どもを成績の一面でしか見れないようになってしまっている。
つまりは、民間の教育産業が、この「運動ができないことのことを考えろ!」といった言葉を利用した、といえるのである。

その言葉自体には、問題はない。
運動ができない子のことも考えて、特別に放課後に特訓するとか、違う競技を考えるとか、はてまた、運動以外でその子が光ることを考えるとか、そういうことで、すべての子に光が当たるようにしてくれ、というのが本意なのだろうが、それがどっかねじ曲げられていくのである。


この「できない子のことを考えてないのか」という論議は、重要であるが、一歩間違うと、逆に足下をすくわれる結果となる。

前に、ある親御さんにこんなコトを言われたことがある。
「ウチの子は夜寝ない。それは、帰りが遅いからで、会議やちんどんの練習、プールに行くなどを夜にしないで、昼間にやって欲しい。」
それに対し、「会議(飲み会)や、練習は、仕事ではない。みんなで仕事をして、そのあとのお楽しみでもある。いわば趣味であって、それを仕事の時間内には入れられない。」というと、その親は「だったらやめてください」という。
「そんなことはできませんよ、みんな楽しみにしていることだし、みんなそれでちゃんと朝も来ていますから。」というのだが、「ウチの子ができないのだから、みんなやめればいい」の一点張り。
バカバカしいので、もうそれ以上の話は聞くアレもないのだが、聞いてみれば、結局、この親は自分の子を朝起こしもできないし、寝ろ、ということもできない。
「この子の自主性に任せている」と言えば聞こえはいいが、実年齢が幼稚園くらいの子に現実的にはそれはない。

確かに、その子には問題がある。
全ての我々との約束を反故にしているのだから、なんとか手を打たねばならないと思っている。
けれども、この親の意見を受け入れるわけにはいかない。
手を打つことと、その子にあわせて、今自分たちがやっていることをやめてしまうことは意味が違う。


続きます。



にじ屋ブログが最近なかなか面白いぞ!みんながんばって書いておるようだ。虹の会本体HP「NIJIROCK.COM」からどうぞ!

(BGM:ROCK'N'ROLL GYPSIES feat.中村俊介「恋をしようよ」from「ロッカーズ」)
→ロッカーズという映画のサントラ。
映画は未見です。
陣内さんが作った映画だよね。
もちろんこれはルースターズの超名曲であります。
とても忠実にカバーされている印象。
でもやっぱこれはかっこいい。
って、バックが花田さん率いるロックンロールジプシーズですから当然だな。
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