スーパー猛毒ちんどんライブ・ジャパンツアー第4弾
『猛毒天国』
with【RAN-TIN (ランチン)=ランキンタクシー&ノダチン】 日時:7月21日(土) 17:30開場/18:00開演
詳細はこちらをクリック!
スーパー猛毒ちんどんでは、出演依頼を待っています!
映像ディレクターの中村氏による我々のドキュメンタリー映画「凸凹にふくらんだ風船」無事完成!
映画の予告編はこちら 各地で上映会も可能かとも思いますので、詳細は監督の中村さん(オフィスラムカーナ:連絡先090-8726-4722)までたずねてみて下さい。
お知らせ&募集などはこちらをクリック! ツイッターは「@SMChingDongSATO」
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-1579.htmlのつづき。
ウチは、登山やマラソン、けっこうハードなこともやる。
ウチの子はついていけない、やりたくないと言っている、という意見があっても、それをやめようとは思わない。
なぜならそれでほとんどの連中が有意義な体験をしているからである。
これは、少数を切り捨てる、と言っているのではない。
そこに、どうやって持っていくか。
その子のモチベーションをどうコントロールするか、できるか。
自分たちに、それが試されている、と思っている。
「できない子がいる」ことで、全ての有意義な体験を捨てることは愚かなことだ。
自分たちが、そして親御さんに協力して欲しいのは、そこにどうやって持っていけるか、ということなのである。
それができないからと言って、ほとんどが体験できる有意義なコトを捨てる必要はない。
できない子が出ると、その子のことを考えていないのか、と全てを否定されるようなことを言われたりするが、それはこれらの親御さんと言ってることは同じコトだ。
そうではなく、どうやってできるようになるかを全力で模索するしかないのである。
人は、必ず壁に当たる。
人生とは楽ばかりじゃない。
辛いことを仲間と乗り越えるから、一体感が生まれ、達成感が生まれ、自分が成長していると体感できる。
そういうことを繰り返して、自分に自信が持てるようになる。
できないからと最初からそれを放棄したんでは、生きていることの意味ってなんだろうか。
なんとか、みんなとの一体感、達成感を感じて欲しい。
そのために、毎日我々は努力をしているのだ。
この努力をきちんと理解し、親にできることは何か、と協力をしてもらわなければ、うまくはいかない。
だから、目先のどうこうでいちいち文句を言われるのは困る。
というか、困らないが、時間の無駄だ。
それによって、多くの有意義な体験の時間が減るのである。
それは避けたい。
そして、それは、どっか社会の構造を固定化することとつながっていくと思うので、オレは応じたくはない。
建設的に、親の役割としてどうしたらいいのか、というはどんどん話し合っていきたいが、親のエゴや最初から「ウチの子はできないから」というのには、つきあっても無駄だ。
そもそも、何もできない、となにもさせないのなら、産まれた時と同じ。
それを一つ一つ乗り越えさせるのが親の役割かと思うが、まるで、多くの経験をさせることを目の敵にするような親もいる。
そして、得てしてこういう親が先のような発言をする。
オレには意味がわからない。
話を変えて、ウチの専従がかなりハードな仕事をこなしていることもわかっている。
そこからこぼれ、できないからと辞めたヤツもいる。
それは虹の会が悪いと言われても、確かにそれは当たっているのだが、それは虹の会のやりかたではなくて、その個人に対する意欲や、仕事をこなせる形を作れなかったという点で悪いと思うのだ。
全体のやり方を否定されれば、今のがんばっている連中がバカのようじゃないか。
我々は、信念を持たなければならない。
その上で、どうやってみんなでそれを乗り越えられるかを考えなければならない。
「ついていけない人のことを考えろ」というのは、正論で、きちんと考えたい。
しかし、だからといって、最初から全てを否定されるのなら、論議は進まない、というか、する必要はない。
もちろん、話の中で、そもそもの根幹に関わることが出てくる可能性はあるが、最初は少なくとも、個の問題としてスタートしなければならない。
じゃなければ、「できない」「ついていけない」人に対して、「こうしたらできるんじゃないか」「こう考えればいいんじゃないか」という意見が出せない。
だって、最初に書いたように、そもそも、できない人に意見をするのは難しいんだから。
そこをきちんと論議しなければ、単に弱者強者の構造を固定化することになるよ。
ちょっとフワッとした例だが、こういうこともあった。
昔、虹の会で持っている車が少なかった時に、専従が遅くなって家に帰る時に虹の会の車を使うと、朝遅刻したりして次の日の予定の人が使えない、とかいう話になったことがある。
朝戻すというのは、約束事だ。
それができないのだから、簡単に言えば、「虹の会の車を使うな」「終電前には帰れ」というコトを運営側であるオレが命令してしまえば、これは解決する。
でも、同時にそれは、専従と運営者の関係を固定的にしてしまう。
運営者の言うことを専従に一方通行で聞かせることでしかないからだ。
いわゆる民間の施設と同じようなことだ。
それは、ウチの考え方である「専従も運動の主体でもあるべきだ」、という根幹に関わる。
こういうことを一つ一つ積み重ねていってしまうと、専従は自由に運営に口を挟めなくなる。
つまりは、関係の固定化だ。
だから、そういう決定はしなかった。
どうして終電に間に合わないのか、朝遅刻をするのか、ということを、その個人個人に突きつけ、反省を促した。
約束が守れない、できない人のことを考えろ、ということで言えば、彼らに考えさせる、一緒に解決の道を探る、ということがもっとも必要だと思ったわけだ。
これはまあ専従相手だから簡単と言えば簡単だし、時間の問題なので単純だが、構造としてはそういうことだ。
国家も同じだろう。
今の危機的な日本の状況の中で、どうやってこの危機を乗り越えれらるかを、真剣に考える時だ。
こんな時に、人工呼吸器を使ってる人のことを考えて再稼働、なんて言うのは、福島のことを教訓にもしてないし、何の解決にもならないんだよ。
にじ屋ブログが最近なかなか面白いぞ!みんながんばって書いておるようだ。虹の会本体HP「NIJIROCK.COM」からどうぞ!
(BGM:DJ HAZIME feat. DABO, H-MAN「MACKDADDY」from「LE TOUR DE DANCE SOUND TRAXXX」)
→これはどういうコンセプトのアルバムなのか、ちょっと面白そうなアルバムだと思って一枚100円コーナーで買ったわけだけれど、どうもお店みたいだなMackdaddy。
いわゆるレゲ。
これはおしゃれなのか、どうなのか?なかなか楽しくはあるが。
スポンサーサイト
コメントの投稿