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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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意味なんかどこにもない

0810スーパー猛毒ちんどん9
スーパー猛毒ちんどんでは、出演・演奏できるステージ等をさがしています。情報等よろしくお願いします。
昨年の公演のDVDを配布しています。詳しくは虹の会本体のHP内のブログを捜してもらうと、配布方法等書かれています。また、コメント等で返してもらえばお知らせします。
また、参加したいという人、特に管楽器ができる人を募集しています。詳しくはコメント等下さい。

10/9(SAT)夜、さいたま芸術劇場でスーパー猛毒ちんどん単独公演を軸としたイベント「なぐりあい~せめてオレたちもリングに上げろ」がほぼ決定。
詳細・チケット等については近日発表します。





最近になって、電波少年再放送がスカパー!でやってます。
待ち望んでいたので嬉しい限りですが、ちょっと思ったことがあったんです。


猿岩石がヒッチハイクの旅に出て、あれって、ぶっちゃけ正直イジメでしょ。
芸人ですから、それはそれでいいと思うんです。
程度はあるけど、イジメられていじられてなんぼなわけで。

で、それを見て楽しむということだったと思うんだけど、なんか、どっかで感動にすり替わった気がするんですよ。
というか、自分探し、みたいな感じに結びついていってしまったというか。

確かに、度を超えていたのかもしれないし、現場はわからないし、どこまでがガチなのかもよくわからないから、実際どうこうというのはよくわかりません。
けど、やっぱりあれは人気が出てしまって、どこかでテレビ的に「イジメである」ということを隠す必要が出たのではないかと思うんだな。
深夜でひっそりやってればよかったのに、人気が出たために、ちょっとその旅を美化しなきゃならなくなったという感じがするんですね。

その前だったら、松村さんが砂漠でマジでいなくなってしまったり、チーマーに連れ去られたり、というのを単純にやっていたわけですよ。
でも、一般の人の目につくようになって、それが通用しなくなったというか、何か意味づけが必要になったのではないか。


その結果が、なにか「自分探しの旅」みたいなことのスタートになっちゃった気がするんです。
オレは前にも書きましたが、「自分探し」的なことは、気持ちとしてはわかるんだけど、そのいわゆるな「行動」はあまり好きではありません。
実際にオレもそういう思いになったこともあるけど、だからといって、別に旅立ったり、なにかの自分を探すセミナーに金を出したり、参加したり、宗教に走ったり、そういうことはしなかった。
だって、仕事があるんだもん!
で、その結果、別に探さないままで今に至る。
そして、別にそれで不自由はないんだな、あの時には想像もつかなかったけど。


この前、テレビにスマップの香取君が出ていて、仕事から逃げたくなったことはありますか?みたいな質問に、「いつもですよ」と答えていました。
で、「でも、逃げたりしたら、もう仕事がなくなっちゃうでしょ、だから逃げませんけど」と答えていて、その通りだなあ、と思いました。
社会的に成功しているように見える香取君ですら逃げたいことはたくさんあるわけですから、オレらのような凡人が毎日逃げたくないという方がおかしいわけで。

だからって、「自分とは何か」なんてそれを正当化しちゃ、やっぱだめだよ。
悩むのは悩めばいいと思うけど、自分のすべきことはしなきゃ。


朝青龍さんが、あのサッカーやってたときだったと思うけど、ずいぶん世の中に叩かれまして。
ワイドショーなんかでもばんばんやっていましたけど、精神的な病気の疑いがあります、なんていう報道があってからは、それが沈静化したということがありました。
まずは病気を治して、という論調にそれは変わりました。

っていうか、あれだけ毎日世の中中の人に文句的なことを言われてれば、誰だっておかしくなります。
だからといって、その行動の責任をとらなくていい、ということになってしまうのは、なんか変ですよ。
そうなったのはそもそも自分のせいなんだから。
いや、別にオレはサッカーしてもいいと思うんですよ。
だから、それで論議するのは何も悪いとは思いません。
でも、病気かもしれません、ということで結果、この騒動が沈静化されてしまうというのは、なんだかちょっと解せない。
マスコミがそれはおかしいと思う。
だって、結局、ただ騒いだだけじゃん。


オレは、人間ってやっぱり社会的な動物だと思うことがあって。
というのも、人は他人の評価次第なのではないかと思うんですよ、ぶっちゃけ。
人にやいのやいの言われてれば、自分に自信が持てなくなるから、人生イヤになりますよ。
たとえそれが自分の思っていることだったり、逆に的外れで相手にするようなことじゃなかったとしても、どっちにしろ、言われ続けたり、言われようがさっきの朝青龍さんのように巨大なモノになってしまったりした場合、もう、イヤになりますよね。

自分もそうだけど、オレは普段は知らない人とはあまりしゃべらないんで、けっこう気持ちが通じないことが多いというか、文句を影でずいぶん言われたりしたこともありました。
直接言ってくれればそれは違いますよ、と修正もできるけど、実際になかったことをあったかのように言うお馬鹿さんもいたりしたので、なんだかもう、どうにもならないというか、ほっとくしかないんですけど。
まあ、最近はそれでもだんだんと周囲と近くなったというか、そういう風に感じることはとても少なくなって、気持ち穏やかに暮らすことができていると思う。

人間、なんか言われて「関係ないぜ!」って頭では思うけど、なかなか心まではそういう風にならないというか、ずいぶん深いところで落ち込んでしまったりします。
よく真面目な人ほど鬱になりやすい、みたいなことを言うけど、まあそれがどの程度科学的な根拠がある説なのかはわかりませんが、実際に学校の現場とかのいろんな職場の話を聞くと、真面目な人ほど悩みのループにはまってしまうのは事実あるようにも思います。
そういう時に「まあ、いいじゃん、いわせとけば」と心の底から思えればそれでいいんですけど、なんか鬱々とした気分のママ、それでも「関係ないぜ!」って思いこもうとしていると、やっぱりなんか病んでいく気がする。

じゃあどうすればいいか、というと、これがまた難しい。
っていうか、それがわかっていたらオレは医者になれると思う。
すなわちわからん。


でも、はっきりしてることはあります。
というのも、周囲の評価を変えればいいんです。
悪い評価を受けて、いや悪い、というほどじゃなくても、やいのやいの言われるから、いや、言われなくてもそういう風な感じを受けるから、まず悩みが始まるわけで、その評価を上げればいいんですよね。
言葉じゃなくて、みんなに信頼される自分になればいいわけです。

って、じゃあ、それにはどうすればいいか。
まずは行動ですよね。、
思っていても他人には伝わらないから、行動にしなきゃならない。
そうしないと他人には見えませんから。
それには、鬱々と家に閉じこもっていたのでは始まらないんですよ。
しかも、仕事と言うことを考えると、それはだいたいみんなの迷惑になるから、逆効果になってしまう。

とはいえ、もう鬱々とした気分の人にこんなことを言っても始まらないので、今のうち、鬱々していないときからこのことを心がけたらどうかと思うんです。
行動をする、ってことを。
朝早く来ようとか、みんなより早く原稿を上げようとか、そういうことですね、それをなんとか毎日やりきっちゃう。
そうすれば周りの評価は変わっていくと思う。


オレは、なんだかんだ言って、人は他人と比べて生きていると思う。
自分だけで立てないし、自分だけでは生きられないというか、そういうのに似ている。
自分が何をしたいかがわからなければ、他人が自分に何を欲しているかを考えてそれを行動してみたら、きっと何かが変わる気がする。

そう、気がするだけなので、これがいいのかどうかもわからないけど、自分探しにはまりそうな人は、ぜひ、試しに他人を見て欲しいと思うんです。
そして、そういう他人との関係の中で生きている自分、というのがもしかして探している自分なのかもしれないよ、と思うのです。


っていうか、そもそもうまくいかないのが人生ですよ。
それをなんとかしようとセミナーだか宗教だかにはまっても、それって向こうとしては商売ですから。
すっきりすることは彼らの目的にはなり得ないし、そもそも無理なんですよスッキリなんて。
すっきりしないことがあっても、それでも今日を生きていく、その繰り返しだと思う。
そんなもんだよ。
自分がわからなくたって、生きてきた意味すらわからないのに、別に、なんか、きっと意味なんか無いんだと思う。
なんか不思議だけど、人生ってそんな感じだと思う。




(BGM:JOJO広重「神を探しに」from「生きてる価値などあるじゃなし」)
→君が死ねと言ったら死ぬから、生きてる価値なし、などのアルバムを経てのこれはベスト盤というか、アウトテイクとか入ってるというか、そういうヤツですね。
非常階段という伝説のノイズグループの中心人物でもあるJOJO広重さんのソロで、歌モノです。
生きてる価値なし、を初めて聞いたとき、ああ、ついに来てしまった、と思った。
これは絶望のための音楽。
ノイズが意味のない、というか音楽的に意味を持たせない音の羅列だとすると、これは絶望のために編まれた音楽である。
一緒に歌いたいとは思わないけど、生きてる価値なしのジャケットなんかも含めて、その全体を貫く絶望への傾倒はすごく作品として素晴らしいと思っています。
間違ってもチャートに上がってはいけない音楽。
でも、だからすごく魅力があります。
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