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スーパーちんどん・さとう

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あき江さんが死んだ ②

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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2035.htmlのつづき


1996年6月20日発行機関紙掲載分

 あき江さんが死んだ ②

 あき江さんが倒れてすぐ、「福嶋あき江と歩む会」(以降「歩む会」)の代表であったというI氏が千葉からやってきた。

 聞けば、「歩む会」とは、あき江さんが入院中(彼女は筋ジストロフィーで千葉県の病院に小さい頃から入院していた)に、彼女をアメリカに留学させること目的に、その資金集めなどの活動をしていたという。 
 あき江さんは、歩む会の見送りでアメリカに渡り、一年数ヶ月間CIL等の自立運動の勉強をした後に帰国。千葉の病院には戻らず、浦和で一人暮らしを始めた。つまりは、その時に虹の会は始まることになる。
 と言うと、虹の会の母体が歩む会であるという印象があるかと思うが、基本的にはベツ物であると考え方が当たっている。
 虹の会発足当初の会議録などを見ると、議題的に歩む会の名前が出てきたり、歩む会関連の人たち(先のI氏も)顔を出していたようであるが、活動が進むにつれ、歩む会の影は薄れていく。I氏が定年退職後、(彼女が一人暮らしを初めて1~2年後)埼玉に引っ越ししてきて活動に参加する、といった話もあったようだが、それが立ち消えになった時点で、歩む会と虹の会は違うモノになったと考えていいだろうと思う。

 結局、歩む会は、一人の障害者をアメリカにやるということでその役目を終わる形になってしまっていた。つまりは、病院に併設された養護学校や病院といった枠の中で、一人のヒーローを創り出したに過ぎない。寄付をしたり、寄付を集めたりした障害者本人やその親の中には、「あき江さんばっかり」といった不満が燻っていたであろうことは容易に想像できる。
 今でこそ車イスでアメリカに行くなどと言うのは比較的容易に考えられるが、十五年以上も前の話だ。世紀の一大イベントである。
 多くの人が彼女に託した夢は、実に重いものであったろう。

 さて前置きが長くなった。先を急ごう。
 I氏は、彼女が倒れてすぐ、精力的に動き始めた。虹の会は、舵取りをなくした船(前号参照)であったから、付添いの件や彼女の母親との話(そもそも我々は彼女の母親を知らなかった)など、年配のI氏は、私たちにとって頼れる存在であった。
 当時の会役員の殆どはI氏を知らず、突然の登場に驚きはしたもののとにかく誰かが仕切ってくれることを望んでいたのだと思う。
 しかし、あき江さんが倒れて、一週間後、彼女が亡くなると共にI氏の動きは暴走し始める。こと本の出版に関して、彼はすぐにあき江さんの親と話をとりつけ、彼女の代理人的役割を演じるようになる。結果、本に関しては、彼女と最後まで活動を共にした我々役員に何の相談もなく話が進んだ。

 今考えるに、彼の理屈は以下のような事なのだと思う。
 彼女が本を書くというそもそものきっかけは、アメリカ行きであった。つまり、広告の裏に、彼女の手の大きさからするとやけに大きく見えるペンで書き付けていたのは、アメリカ行きに寄付をしてくれた人たちえの報告も含めた本の出版なのだ、と。そしてそれが千葉のみなさんの「期待の重さ」への一つの答えである、と。
 彼の動きは、スピーディーだった。広告の裏のコマ切れの原稿は一年後にはテレビドラマに化けるのである。確かに、彼はあき江さんの筆の遅さにうんざりしていたのであろう。
 その本が上がるまでは、彼の中では「歩む会」は終わっていなかったのだ。急ぎたい気持ちは今は理解できなくもない。

 当初は彼を頼っていた我々であったが、原稿を巡るトラブルから関係が悪化する。
 彼は、こちらが整理し、渡した原稿は返さないし、コピーもさせないという。(つまり我々は、コピーも取らずに遺品である現物を手渡してしまったわけで、今考えれば、あまりに若かった)
 我々は、これからの虹の会のことを考えるに当たって、これまでの虹の会の歩みをまとめたかった。
 それには、彼女がどう感じていたのか、彼女がどう虹の会の活動を評価し、考えていたのかという記録を手に入れたかったのだ。
 あき江さんは、福祉課との交渉でやっと手に入れた吸引器を押し入れ上段しまい込んでいた。その理由は「こんなものがボランティアの目につくところにあったらみんなが怖がって来なくなっちゃうよ」というものであった。
 介助をボラでやっていた時代である。「障害者問題を一緒に考え解決するために行動しよう」と声をかける前に、そのハードルをう~んと低くして、「介助ボラに来ませんか」と言わねばならなかった時代だ(今も変わっていない気がするが)。その挙句に吸引器が見つからず、痰が詰まった状態で彼女は病院に運ばれたのだ。

 虹の会はいかにあるべきだったのか?当時の虹の会(=介助ボラの会)はあき江さん自立生活にとって何だったのか?彼女の言葉で聞きたかったのだ。そうしなければ一歩も前に進めなかった。なにせその時は「虹の会=あき江」でもあったのだから。
 結局我々は、共同ハウス日誌(あき江さんの家を共同生活ハウスと言っていた)などの彼女の文章とボランティアによる文集を作ることにした。この文集には百人を越える多くのボランティアさんが参加してくれた。しかしI氏はそれにもいい顔をしなかった。
 彼の「千葉」や歩む会における位置を考えれば、今は、それも理解できなくもない。しかし当時、結局の所、彼女の書いた物についてタダタダ独占しようとする態度に、こちらも切れ始めていた。

 本が出版された後、彼はこちらのしつこい要請に根負けした形で原稿のコピーをよこしたが、こちらが渡したほんの一部であった。しかし彼は「それで全てだ」と言い張った。
 それだけならかわいい嘘だ。しかし彼は臆面もなくこう言った。「本の第二段を考えている。虹の会結成後の話にしたい」…我々に戻ってきた原稿に虹の会結成後の活動の記述は見あたらない。ない原稿をどう本にするというのか? 

 そして決定的な出来事が起こった。ある日の朝方、電話で彼から「TVドラマ化の話があるんだがどう思うか」と問われ、「これまでの経緯を考えると、どういう物になるかわからない。賛成できない」と強く答えた。彼も「わかった」と言った。私は電話の対応から、てっきり、この話はテレビ局からの打診の段階で、彼が断ってくれるのだろうと思っていた。

 しかしその晩、障埼連の事務所に行くと、開口一番、「沢口靖子だってねえ」と専従の国松さんに言われた。私は何の事やらわからなかった。「えっ?何のこと」「見たよ、新聞。あれ?知らないの?」
 国松さんは、すぐに近所の新聞集配所から、その日付の報知新聞を貰ってきてくれた。
 我が目を疑った。そこには「24時間テレビのドラマ決定・主演沢口靖子。筋ジスの女性の生き様を感動的に描く」というような文字が踊っていた。
 甘かった。痛烈にそう思った。
 その何日か後に、「なんでTV化を許したのか」と彼女と同じ障害を持ち、彼女と親交のの深かったMさんに怒られた。俺も悔しかった。情けなかった。


続きます




にじ屋ブログが最近なかなか面白いぞ!みんながんばって書いておるようだ。虹の会本体HP「NIJIROCK.COM」からどうぞ!

親から独立した生活をしたいと思っている障害者の方、親の元気なウチになんとか障害を持つ子どもと離れて暮らす方向に持って行きたいという親御さん、親亡き後の不安、などなど、その辺の相談にのっています。お気軽にどうぞ。
まずはコメントください。非公開で対応します。


(BGM:MONOBRIGHT「オードリー・ヘプバーン泥棒」from「淫ビテーションe.p.」)
→有頂天のカバー。
このバンドは、ちょっと注目なんですけど、CDをレンタルするだけでよくは知りません。
それにしても、有頂天というのは、そのメロディラインが独特なんだな。
どの曲を聴いても、有頂天とわかるというか、これもなんかケラさんが歌ってるような感覚すらある。
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