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スーパーちんどん・さとう

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あき江さんが死んだ ③ (ラスト)

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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2036.htmlのつづき


1996年おそらく8月発行機関紙掲載分

「あき江さんが死んだ③」

 その新聞記事に愕然とした私と竹脇は、真意を確かめるべく、すぐI氏に連絡を取った。 しかしI氏は言葉を濁すばかりで、はっきりとした状況の説明もしなかった。この一件で、I氏との決裂は決定的となった。

 とはいえ、我々にはテレビ化を止める術がない。そもそもテレビ局側にしてみれれば、本の編者と原作者の「代理人」、いわばエージェントが積極的に話を進めているのだ。
 製作者サイド=TV局側が、あき江さんの原作本のドラマ化に虹の会の意向などは無関係だと思ったわけではあるまい。
 虹の会の意向を無視しようと判断したのは、I氏と編者の側であろう。とは言っても、その時点で我々は編者とは面識がなく、虹の会側の問題の処理については、I氏がイニシアチブを取っていたことは間違いなかろう。

 確かにI氏は、当時の我々の役員ではない、いわゆる「虹の会側」の人間に、テレビ化について相談を持ちかけていたかもしれない。
 虹の会というのは、発足当初とあき江さんが死ぬときでは、その運営する人間は、あき江さん以外、百パーセント入れ代わっている。虹の会を立ち上げたメンバーというのは、運営の場からは退き、単なる一会員として虹の会にかかわっているという形になっていた。
 つまり、当時、運営する側の人間の中にも発足当初の人たちを知らない、という人たちがもちろん存在したということである。

 当時、未来に大きい展望を持つしかなかった虹の会には、彼らを知る必要がなかった。
 あき江さん自身が過去の虹の会から脱却しなければ、と考えていたこともあって(一個人、つまりあき江さんを支えるだけのボランティア団体から、障害者の自立生活を支えられるような会へ)過去を振り返るような雰囲気はなかった。
 とはいえ、あき江さんが死んだとなれば話はベツだ。我々だって、葬式や追悼会では、彼らにマイクを取って貰うことに躊躇はなかったし、そうしてもらいたいと心から思った。

 しかしまずいことに、I氏ぬにとってみれば、彼らこそが、自分が知っている「虹の会側」の人間であったとも言えるのだ。あき江さんが振り切らねばならない、と、もがいていた「過去」が、いつのまにか虹の会の窓口になってしまったとしても、それは仕方のないことだったのかもしれない。
 というより、我々、彼女と最後を共にした人間に、それを凌駕するだけの力がなかったというべきであろう。情けないことだ。
 (とはいえ、そんな私たちに、「あんたたちだけでしっかりやんなきゃダメだ!」とケツを叩いてくれるような人たちもいて、その人達のお陰で今があるんですが、それについては別の機会に)

 さてともかく、テレビ化は我々の反対をものともせず、一切事情がはっきりしないままに決まってしまった。我々は中止させるどころか、どこでどうゴネたらいいかすらわからなかった。羽生名人相手に一手も打てない素人状態。
 とりあえずドラマの内容については事前に知らせて欲しいと強く釘を刺した。すると、テレビ局・製作者サイドとしては虹の会の状況を聞きたかったようで、脚本家やプロデューサーと話し(いわゆる取材、というヤツか)をする機会を幾度か持つことになった。それはそれでよかったということになるのだと思う。
 今考えれば、様々な手の打ちようがあったとも思われるが、当時としては最善の策であった、というところが情けない。

 まあ、こうした過程で、脚本の中に、私の気に入った部分をつくることができた。
 駅前でアメリカ留学のための募金活動をしているあき江さんに対して、陰で憎まれ口を叩くサラリーマンが登場するという場面である。「俺だって外国なんて行ったことないのによ。贅沢じゃねえのか」とかなんとか言う台詞だった。
 彼女は、「自分は特別になりたくない」という思いと、そうならない現実(虹の会の運営も含め)に引き裂かれていた。
 彼女は、アメリカ行きが決まった時点で、「特別」を宿命づけられていたと言える。その彼女の戸惑いの一端でも伝わればと思ったのだ。

 しかし、この部分は放映されなかった。
 つい先日、私自身がテレビ局の番組制作に協力し、取材を受けたこともあって、今となれば、脚本はあってないようなものであることはわかる。素人の我々には考えにくいのだが、脚本は現場でどんどん書き換えられていくものであるのだ。 
 当時は、そんなことはわからない。脚本は絶対だと思っていたから。

 結局、ドラマはアメリカに飛んだ筋ジストロフィー(「障害者」という括り方ではないことが、後に重要な意味を持つことになる)の女性の感動物語で終わった。そこに恋をちりばめただけのものだ。彼女の苦悩は、筋ジスという運命だけだったのか?っていう疑問がフツフツとわいたのは私だけじゃあるまい。残念だ。

 ともかくこうしてドラマは放映された。エンディングロールには「協力/虹の会」「監修/I」というテロップが流れた。
 実は、これにもエピソードがある。我々がテレビ局と話をするという段になって、I 氏はしきりに「虹の会は協力ということでいいよね。私は一応監修ということで出るんですけど」と確認をしていた。まあ我々は、監修でも協力でも意見が反映されればよいのだ。「とにかく私たちの意見を反映させて欲しい」と答えた。
 ある打ち合わせの後、東京から帰る電車の中で、一緒に同席してくれた障埼連の国松さんが、急にこう言った。「ねえ、佐藤君。Iさんさあ、ずいぶん監修・協力にこだわってるけど、あれって、コレからんでんじゃないの」といって右手の親指と人差し指で丸を作って見せた。……「ああそうか」なんだか納得できてしまった。
 まあI氏が故人となってしまった今では、これは確かめようがないことではあるが…。

 さて、こうしてドラマにもなったわけであるから本は売れた。こうした「障害者本」の中では比較的売れたということである。
 実はこのドラマの撮影中、(虹の会の事務所をロケ地として提供した)虹の会はバザーの準備を進めていた。会員さんの中には「本があれだけ売れたんだから、ずいぶん入ってきたんでしょ。バザーやらなくてもいいんじゃないの?」と言う人がけっこういた。
 しかし、当時の虹の会には八十万位の金しかなかった。
 そのとおり。本の印税は我々には入って来ていなかった。それだけじゃない。ドラマ化に関する権利、取材費、ロケ地提供についての費用など、一切虹の会には入っていない。
 それらの金がどこに消えたのかわからない。今考えるに、きちんと追求すべきであった。追求することこそ虹の会の仕事であったのかもしれない。

 といっても、その一部については使途がある程度わかっている。「本の印税で設立する」とI氏が言った「福嶋あき江基金」になったのである。しかし、この基金は様々な不透明感・新たな不信感を産むのである。


(なお、2012年現在、この基金は行方不明です。I氏が亡くなって、追跡する手立てもありません)





にじ屋ブログが最近なかなか面白いぞ!みんながんばって書いておるようだ。虹の会本体HP「NIJIROCK.COM」からどうぞ!

親から独立した生活をしたいと思っている障害者の方、親の元気なウチになんとか障害を持つ子どもと離れて暮らす方向に持って行きたいという親御さん、親亡き後の不安、などなど、その辺の相談にのっています。お気軽にどうぞ。
まずはコメントください。非公開で対応します。


(BGM:Buck-Tick「Jupiter」from「狂った太陽」)
→Buck-Tickといえば、「太陽レコード」である、という認識の俺。
「インディー初CD」というキャッチコピーもあったか。
その後、とんでもない大きなバンドになっていくわけだけれど、その大きくなっていく過程はよく知らない。
たまたま手に取ったこのCDを聞くにつけ、このバンドの魅力はボーカルだな。
このボーカルには色気がある。
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