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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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俺たちに明日はある! 【追記】

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ツイッターは「@SMChingDongSATO」 まとめは→ http://twilog.org/SMChingDongSATO 

次回公演★7/15(月祝) 【猛毒の花道~スーパー猛毒ちんどんのヒット全曲集】
18:30開演 ライブハウスホレホレにて。 まだ料金未定です。でも予定は空けといて~!




http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2279.htmlのつづき


この前、「親が無意識に子どもの「向き合い」のチャンスを捨てさせている」というような話を書きました。
これには、ちょっと追記が必要な気がしてきました。

というのは、「人生には自分に向き合わなければならない時がある」という前提についてです。

まあ、「小さな向き合い」というのは毎日あるし(もっと寝ていたい自分と早起きとの闘いとか)、もっと大きな、人生の転機になるような「向き合い」もあるでしょう。
でも、そのどれも、自分のこれから先の人生を豊かにしていくための「向き合い」です。
「長生きしたいから、身体に気をつけよう」、「ここで新しい仕事に転職しよう」、「結婚しよう」、「子どもを産もう」…まあ、いろいろな「向き合い」というか、「転機」はありますね。(「向き合い」というと、ちょっと宗教チックですね)

こういうことから逃げていても、どっかでは向き合わなければならない。
その転機を迎えるのか、やり過ごすのか、考えるときは来る。
もう3年つきあっている彼女がいるが、そろそろ結婚を考える時期なのか、どうなのか、とか、学生時代から数十キロも太ってしまって、今年の健康診断でも引っかかり、ついに何か食生活を変えていかなければならないな、とか、まあ、必ずそういう時がある。

つまり、人生における変化の時期、まさしく転機というのは必ず、何かしらある。
しかしですね、知的障害者の場合、先が見通せない、というのは前に書きましたが、そもそもそれ以前に「変化しなくてもイイ」という社会的な圧迫があるんです。

人は、死ぬまで成長するもんだ、変わり続けていくモノだ。
…大人になるのだからそれは当然なんだけど、それを「しなくてもいい」という、圧迫、言い換えると「特殊な許容」があります。

後見人のコトで書きましたが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2239.html)、今の世の中は、本人が50を過ぎていても、その本人が知的障害者であれば、「お母さんはどこ?」と聞く。
つまりは、幼児が一人で店に入って、「お母さんは?」と聞かれることが、一生続くのだ。
これは、「知的障害者は幼児のママ、変化しなくてイイ」ということだ。

親の中には、こんなことを言う人もいる。
「この子の未来なんかたかがしれています。結婚もできないだろうし、私が死んだら施設に入って、どこにも行けないかもしれないけど、そこに閉じ込められて一生をおくるだけです。だから、今、仕事なんか一生懸命したって意味ないです」
「私が定年になったら、作業所も辞めさせて、一緒に好きなことをやらせて過ごします。ビデオが見たければ、ビデオを見てればいいでしょう。どっかに行きたいのなら連れて行きますから」
…。
言葉を失うが、しかし、結果として同じ状況で知的に障害を持った子に毎日振り回されている親御さんのなんと多いことか。
逆に言えば、この言葉をオレに言った親御さんは、ある意味で「正直」なのかもしれない。

というのは、この言葉は、知的障害を持った子の親に対しての社会のメッセージでもあるからだ。
社会は、自分の職場に知的障害者が来るよりは、「親が一生面倒見て、好きなコトさせててあげた方が幸せじゃないですか?」と、さも彼の幸せを案ずるような台詞を吐くわけだ。
だって、面倒だから。
仕事できないだろうし、言葉も通じないのに、一緒にいるなんて、業績も上がらないし、仕事が進まないから。

つまり、転機なんか知的障害者にはなくてイイ。
生まれたときと同じように、親がついて回ってればイイじゃないか、ということだ。
それが知的障害者を社会に「流出させない」、「自分のところに回ってこない」ための、社会の「防衛策」である。


オレは、この「本人の幸せを思っているような発言」に反吐が出る。
「だってさあ、オレだって、仕事をしないで好きなコトして暮らせるんならそっちがいいもんなあ。そうしてあげなよ」みたいな。
こういうことを言うヤツはクズです。
こういうこと言う阿呆がやってみればイイ。
仕事しないで好きなコトして楽しいのは最初の3日。
あとの膨大な時間は苦痛でしかありません。

人は、社会的人間だから、社会とつながっていなければならない。
社会の集団、例えば職場だとか、何かの集団とつながっていなければ、人生など、ただの「苦痛な時間」でしかありません。
好きなこと、といっても、知的障害者には「親」しかいないのです。
その中で、幸せであろうハズがないんです。
それは、苦痛なんです。
ちょっと考えればわかりませんか?


引きこもりの青年が家庭内暴力を起こす、なんていうのはよくある話です。
というか、引きこもりの状態自体が親に対する暴力でもあります。
家の中で好きなことをしてればイイ、親がどっかに連れて行ってやればイイ、そんなのは、「生まれてこなきゃよかったのに」でしかないんです。


世の中が、いくら「知的障害者に転機はいらない」と言ったとしても、それは間違っています。
「生まれてこなきゃよかったのに」って言われてるのと同じです。
転機があって、悩んで、それでも生きていく、それが人生。
悩みのない人生なんていうのは、そもそも人生なんかじゃないんです。
違うでしょうか?

だから、我々や親御さんくらいは、まず、「人生に向き合う」ことを真剣に考えて、そして行動することが大切だと思うのです。
逆に、積極的に「向き合うチャンス」を作り出すことが大切なのです。




にじ屋ブログが最近なかなか面白いぞ!みんながんばって書いておるようだ。虹の会本体HP「NIJIROCK.COM」からどうぞ!

親から独立した生活をしたいと思っている障害者の方、親の元気なウチになんとか障害を持つ子どもと離れて暮らす方向に持って行きたいという親御さん、親亡き後の不安、などなど、その辺の相談にのっています。お気軽にどうぞ。
まずはコメントください。非公開で対応します。


(BGM:神聖かまってちゃん「コンクリートの向こう側へ」from「楽しいね」)
→かなり実験的な一曲といっていいか。
歌詞はついぞ三行くらいなんだけど、それを繰り返していたりコーラスアレンジにしたり、まあ、神聖ワールドの範疇か。
聞いてるウチに、なんかどっか精神がやられるというか、不均衡になるというか、アタマがあっちの世界に行ってしまいそうになるところが、この人達の魅力だな。
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