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スーパーちんどん・さとう

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インプットとアウトプット その2

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というわけで、http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3353.htmlのつづき

例えば、インプットがそもそもうまくいかない人だったら、アウトプットがどうこう、というのはあまり意味がないというか、インプットがなければ、そもそも出す必要がありません。

カイなんかの場合、喋れないし、何を考えているのかわかりませんが、こっちの言葉はよく理解している。
そして、こちらの力関係やこちらの様子はよく見ている。
つまり、そうしたインプットするチカラは十分にあるわけです。

しかし、喋れないので、それをアウトするチカラに欠ける。
つまり、頭の中でそれを言語化して考えたり、論理を積み上げたりということが難しい。
そして、それを他人に伝える言葉がない。

こうなると、どうしても、インプットしたモノの、それを正攻法で出せないので、「暴れる」「噛みつく」というアウトプットになってしまう、と考えると、彼の正攻法ではない行動がなんとなく理解できるような気もするわけです。


これ、インプットもしない、聞こえてるけど、聞いてない、みたいな人の場合は、そんなに逆に暴れたりする必要もない、というか。

オグラなんかは、決まったワードや状況はあるように最近は見えてきましたが、来たばかりの頃は、とにかく楽しいことはいいとして、それ以外については、なにも「聞いてない」という感じだった。
これは、最近来始めているカブキも同じなんだけど、とにかく、外の施設や作業所に行っていた連中は、この傾向が強い。
「自分の食器は自分で片付けな」というコトに対して「わからないふり」「動かない」で終わらせようとするというか。
これ、もちろん、後々付き合っていくと、この「動かない」のは、「片付けたくない」ということではないんです。
ある意味で、「都合の悪いことには答えない」という風にも思えるのですが、その後、状況が飲み込めれば、彼らはそれを嬉々としてやったりするんです。

これ、かなり「人生を無駄にしているな」と思うんです。
そして、他の作業所に行ってる連中や、他の作業所に行っていた連中などに、本当にこの例が多い。
だから、なんでそれを「わからないふり」にしてしまうのか?と思うわけです。

インプットとアウトプットがきちんと連動していれば、結果拒否であろうとなんであろうと、なにかそこから関係が生まれ、何かが始まる気がするわけですが、とにかく「インプットを遮断してしまってる」という状況に陥ってるというか。


これですね、経験上思うのは、とにかく「アウトプットしても無駄」という経験が重なってしまうと、そもそも「インプットを捨ててしまう」のではないか、と。
つまりは、植物のように、ただ、そこで生きている感じ、というか。

施設なんかだと、食事やその他の時間が決められていますから、もちろん、柔軟な部分もあるんでしょうが、基本は変えられないし、そこで例えば「食べない」と強弁することはなんの意味もないんです。
実際に「食べない」で終わることも少ないのかもしれません。
というのは、「食べさせない」という結果には、施設はしたくありませんから。

つまり、何を言いたいかというと、「食べない」というアウトプットは、確かに「本当に食べたくない」ということではないんですが、インプットされた様々な状況から「食べない」と「強情を張る」ということをアウトプットとして選択したわけです。

けれども、最終的には「食べさせられてしまう」。

そうなると、「食べない」とアウトプットしたことが、あまり意味がなくなってしまうんです。
「食べない」とアウトプットすることで起こる周囲との関係の軋轢や、自分の空腹なんかが経験できない。
特に、入所者に対して職員は仕事ですから、昨日何があったからといって、明日の対応が劇的に変わることもないでしょう。

逆に、そうしたことで対応が変わることはどちらかといえば「よくないこと」という認識であることが、また彼らにとって、「自分のアウトプットによって未来が変えられない」ということにもつながってしまっているように思います。
同時に、「わからないふり」というのが、彼ら知的障害者にとっては、その場を切り抜ける一番の方法というか、周りは「わからないのね」と思ってくれるからだろうけど。

自分のアウトプットが周囲との関係の中、自分の数時間先の未来になんの影響も及ぼさない、となると、もうアウトプットすること自体に意味がなくなります。
そうなると、そもそもインプットしたモノをアウトへの回路につなげる、ということをする必要がなくなってしまう。
しかし、インプットされれば、出さなきゃならなくなるから、それをまず「認識に入れない」みたいな行為になっちゃってるんじゃないか?と。

つまり、インプットの遮断。
聞こえてるけど、聞いてない、みたいなことをよく言いますが、そういう感じね。

それが日常になってしまうと、やっぱり人はダメになっちゃうんじゃないか、と。


インプットしたモノを、どうやってアウトプットしたら周囲との良好な関係が作れるか、アウトプットが自分の未来に影響を及ぼすモノである、ということが認識されていけば、必ず、俺は彼らを取り巻く状況はよくなっていくような気がします。
もちろん、これはなにも知的障害者だけのことじゃないんですけど。

知的障害者である彼らは、その回路がつなげないのだ、と切って捨てられることが多いんだけど、そうではなく、それがうまくやれない、時間がかかったりする、だけだと思うんです。
そして、その上に、「つながなくてもいい状況」に陥ってることが更に問題を深刻なモノにしてるんじゃないか、と思うのです。


続きます

今日は、にじ屋一斉ビラ配りだった。今回のゴールデングローブ賞は、井上&こうへいペア!井上リーダー復活か?!いろんなドラマが産まれるからおもしろい!本気で配ったあとは、本気の打ち上げ!たこ焼きをやってみた!栗山さん流のこだわり。たこやきの生地をタレ流すのがポイントらしい。ジュースを飲みたいと号泣するカブキ!子どもかっ! 加納

Posted by 虹魂的障害者自立生活 on 2015年9月19日




(BGM:チャラン・ポ・ランタン「ムスタファ」from「テアトル・テアトル」)
→この人達は、とにかくこの「サーカステント感」がいい。
こういう音楽やれたら楽しいよなあ。
それでいて、物語感があるので、ちょっと泣いたりする。
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