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スーパーちんどん・さとう

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スキンシップ育児の奨励というが、誰が奨励してるか?

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というわけで。

「なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか」という藤原智美さんという人が書いた本を読んだ。
平成17年が初版なので、もう十年くらい前の本になります。

これ、子どもの異変を知った著者の方が、どうしてそんなことになったのか?というのを探っていく本。
どんな異変か、というと、タイトルにあるように、「腕がない絵を描く子」だったり、「川を描く」というお題で、四角い「プール」のような絵を描く子、「ちゅうおう」という言葉が聞き取れない子、「五」まで数えられない子、まあそんな感じ。

出てくる子たちは、例えば虐待を受けているとか、そういう子じゃない。
普通の、ごく普通だったり、もっと言えば、早期教育を受けている感じの、どっちかというと「できるはずの子」。

そういえば、学級崩壊とかが言われて久しい。
この本の出版の頃から問題は起きていました。

結論を一言で言うのは難しいんだけど、自分がまとめるとこんな感じだ。
「母親(両親)のスキンシップが重要」とかいう流れが、母親を追い詰め、「子どもだけの時間」を奪っている。
それは「子ども集団」ということだけではなく、「暇な時間」がないのだ、と。

母親は親と一緒にいなければならない、親が声を掛けてやらなきゃいけない、みたいな「暗黙の強制」が、母親を追い詰めている。
そうなると、親はストレスがたまる。
当然、そこから逃げ出したいが、それは「親が優しく声をかけてやらなきゃ」みたいな強制を破ることになってしまう。
虐待だのなんだの、そういうことも同時に言われているから、親は敏感にもなる。

結局、親は自分の時間を作るために「塾」だったり「習い事」に子どもをせき立てることになる。
習い事をさせていれば、その時間は自分の時間になる。
同時に、それは「子育てを放棄してる」ことにもならない。
だから、通わせる。

ただ、そうなると、子どもはスケジュールギッチリになっていく。
暇な時間がなくなるのである。

それを裏付けるように、多くの「習い事」の現場で、「子どもらしさがなくなった」「すぐに疲れたといって座ってしまう」「絵を描けといっているのに、鉛筆を持って眠ってしまう」などという報告がある。

つまり、今の子は暇が潰せない子になっていく、と。
そうなるとどうなるかというと、「じっと座ってられなくなる」という「学級崩壊」が起きる、と。

そもそも、「じっと座ってる」というのは、まあ全部がちゃんと先生の話を聞いてるわけじゃない。
先生の話をスルーして、空想したり、頭の中で違う話を想像したり、そういうことをしてたりするじゃないですか。
その結果、学級は崩壊しない。
もちろん、先生の話を聞かなくてイイ、という話ではないが、でも、学級の秩序はそういう「暇を潰す」という児童側の力が合ってこそ、という気もする。

そりゃずっと空想でも困るけど、聞きたくない話だったり、興味がなかったり、面白くなかったら、子どもはとりあえず空想したり、ということが普通だよな、確かに。

でも、そういう「ヒマが潰せない子」が増えているのではないか、という。
これはなんかちょっと納得できる。

さて、ではこの「暇を潰すチカラ」「空想をすることのできるチカラ」ってのが、どこでつくのか?
それをいろいろ探っていくと、それは「落書き」だったりの、「指先からの感覚」だったりするんじゃないか、と。

つまり、落書きを十分にさせる前に字を教えたり、あまつさえ今は英語なんかを教えたりもする。
そうなると、空想するチカラが育たない、と。

「親が子どもに積極的に関わるべきだ」という論は、確かに一見、正しいように見える。
けれども、その論は、1985年頃に急速に台頭してきた論なのだ。
それは、「子どもが変わった」のではなく、急に出てくるのだ。
米国でも、日本でも。

スキンシップが大事だ、というのは、一見抗えない。
けれども、それを境に子どもが変わってしまったのは確かなのだ。

ここから先、この本では考察がないんだけど、それ、ちょっと考えるとさ、どうも「幼児教育業界の仕掛けじゃないか?」って気がしたんだわ。
つまり、産業界の養成で、「スキンシップ」が言われ始めたんじゃないか?と。
「スキンシップ」で母親を追い詰めれば、習い事は当然、流行るんだよ。

ちょっとさ、恐くない?
もっともっと、我々は冷静にならなきゃいけないよな。

そういえば、「親はなくとも子は育つ」って言うもんな。




(BGM:メスカリン・ドライヴ「アブソルートリー・スウィート・マリー」from「アーリー・メスカリン・ドライヴ 1985-1989」)
→聞いてたなー。
どう聞いてももう洋楽にしか聞こえない。
歌詞とかだけじゃなく、グルーブ感というか、ウッドストック感というか。
スゴイバンドだったよなー。
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