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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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十年前にかおるさんとの旅行のことを書いた原稿が出てきた

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2006年の秋に書いた原稿が出てきた。
当時の人の名前も出てくるので、そこは伏せてのっける。


かおるさんとは20年以上の付き合いになる。
「こんなに(付き合いが)長くなるとは思わなかったよね」と、昨日韓国の地で笑いあったところである。
「でも、佐藤くんと旅行に行くのは初めてだよね」という話のあと、ああ、そうだよな、と俺もハタと思い、なぜか来年の6月、という日程まではっきりさせた上でまた韓国に行こうという風に決めた。
まあ、ちょっとまだいくつか韓国に心残りがあるもんで、それは生きているうちに実現させたい。

かおるさんは前会長で、今はもう隠居しているから、普段会わない人も多かろう。
まあ、そもそも、表に出るようなタイプの人ではない。
あき江さんが死んだから、彼女への義理立てもあって会長を引き受けたというのが、彼女の中の真相であろう。

まず今回行こう、という自分の意識の中に、海外旅行マニア(といっても今回2回目)である自分に気づいていること、それと、韓国伝統モノを売っている通りがあって、そこには楽器もあるというようなことがガイドブックに書いてあって、ちんどんの●●さんの太鼓が限界という話もあり、いいのがあったら買おうという腹づもりもあった。
おかげで、衣装になりそうな韓国の死に装束や数珠(もう、日本では考えられないほど安い)、ジャンゴを買って、行きはほぼ手ぶらだったのが、両手に荷物といった具合になって帰ってきた。

そして、かおるさんと向こうで色々話したり、いや、話さなかったり、どっちなんだかよくわかんないけれど、あっちで、交通事情や道路事情、そして全く言葉が分からない状況に一同一緒に困惑しながら、とにかく、もう一つ理由があったことに気づいた。

20年前、かおるさんと出会った頃、俺は貧乏のどん底にいた。
無年金であるけれど、賠償金で生活しているかおるさんは、ある程度のお金をもらっていたから、当時は冗談半分で「戸塚バンク」とも呼ばれていた。
いや、実際、金を借りていた人も多いはずだ。

20年前のある日、「佐藤くんは何を食べたい?」と聞かれ、俺は「ピザと寿司」と言った。
貧乏だった時代、醤油とかをくれた人もいるんだけれど、いや、そうではなく、それは実際ありがたいんだけれど、本当に御馳走してくれるんなら寿司が食いたかった。
寿司とかメロン、そういったモノ。

正直、今だったら、みんなが事務所にいれば、冷静に考えれば一枚2千円もする「高価な」ピザを「何枚か適当に頼んでよ」と気楽に言える身分になったが、あの、2千円が俺には高嶺の花だった。
ピザの食べ放題があると聞けば、極寒の中バイクでわざわざ行って、食いきれないほど食ったこともある。
ま、20年前というのは、ピザが珍し目のモノであったということもある。

で、ある日、当時与野の本町通り沿いに住んでいたかおるさんのうちに呼ばれていったら、両方とも配達してもらっていて、二人で食った。
いや、かおるさんは小食だから、俺がほとんど食った。
いやいや、その時は、いつもよりかおるさんは小食だったかもしれない。

レッドロブスターができたと言えば、かおるさんにおごってもらった。
かおるさんサイドにしてみれば、「連れてってくれ」ということになるのかもしれないが、いつもそれは「行こう行こう」という話でしかなかった。
そこに「介助」は存在しなかったし、あるとすれば、店の入り口の段差や違法駐輪自転車くらいのモノだ。
だから、その「意味のない段差」に俺はストレートに怒るようになった。五体満足な軽薄そうな(偏見)学生が違法駐輪しようとしているとぶっ飛ばすようになった。
それは障害者差別だとか、そういう難しい話ではない。
とにかく腹が立つ。

現会長の工藤さんと一緒に暮らしていたときに(というか24時間介助時代)、一番の思い出は、●●さんがパンクした水産業者のトラックを助けて、そのお礼にともらった大量のウニを持ってきてくれたことだったりする。
食い物というのが、そんなに思い出になるほど、オレ達は苦しかった。

俺は最近になって、あのとき、オレ達は何をしていたんだろう、と思うことがある。

金もなく、市だって今のように虹の意見なんか聞いてくれなかった。
介助だって、今で言う介助なんかじゃなかった。
韓国の道路事情はひどく、タクシーが車線変更するたびにかおるさんは倒れそうになって、「まあ、20年前はよく車の中で倒れたよな。」、と俺が言うと、かおるさんは笑いながら「確かにあん時はひどかったよね。今の介助者は優しいよ。」と、言った。
「昔は、(介助を)頼む方も、どうやって頼んだらいいかわかんないし、佐藤くんたちももちろんわかんなかったしね。」と、かおるさんは一緒に行っていたアキや新田にわかるようにその意味を説明してくれた。
ああ、そういう時代だったよな、と俺も思い出した。
ただ介助が雑だったワケじゃないんだよな。

オレ達は何を目指していたんだろう。
工藤さんとケンカをして、ろくすっぽ口をきかないときもあった。
今だったらクビなのかもしれない。
でも、それしかなかったから、それをオレ達は乗り越えるしかなかった。
そして、今は、ホラー番長’Sとか言って、二人で映画のことで遊んでる。
さっき工藤さんちによったら、車の運転のことでものすごく怒っていて、ああ、その通りだと思う、俺も協力するよ、といったところだった。
たぶん、もうケンカはしない気がする。
工藤さんの気持ちはわからないけれど、工藤さんが、このことについてどう言うか?言わないか?が、俺にはなんかわかるから。

人と人との関係は、良いときもあれば悪いときもある。
かおるさんとだって、死んだ佐竹とだって、いや、三原とだって言い合いになったこともある。
でも、みんな、今でも俺の大切な仲間だ。
大学卒業直後、いくら障害者問題を勉強したところで、結局、公務員至上主義的な考えしかもてない同窓生が多いことに愕然とし、俺は「ゴミ至上主義」で行くと決め、みんなは俺を疎ましがって避けた。
いや、今考えれば、俺がみんなの元から去ったのだ。
友達がいなくなった俺にとって、ケンカもしたけれど、大切な友人が何人かそうやってできた。

最近では、といっても昔になるのかな、正面からやり合って藤井を病院送りにしてしまったこともあったし、今は冨沢と言い合いになることもあるな、というかそれはかなりある。
悪いときもあればいいときもある。

俺は、何をしたかったのだろう。
大学まで出て、給料がもらえるかどうかわからないところに、オヤジのしかめっ面を振り切って、なんで20年もいたんだろう。
いまでこそ面接に来る人がいるが、当時だったら考えられない。

一つは、改めて、オレ達は、介助を金で買えるようにしたかった。
20年前の俺がやっていたときの介助ではない介助ではなく、金で買えるように。
だから、今の介助者を雇った。
だから、俺と彼らを比べたりしても意味がないのだな。
介助者が何も参加しないのは、別に悪いことじゃない。
オレ達はこれを望んできた。

もう一つの理由は、怒りだった。
いつも、一緒に怒っていた。
代弁ではない。
もう、俺も金もない中で24時間介助をしてうんざりだった。
気分転換に買い物、気分転換にコンサートに、そんな普通の生活は、俺には絶対にやって「こない」と思いながら、でも、それを「目指して」きたんだ。
俺も、かおるさんも。

だからね、一緒に行きたいと、思ったんだな。
次の約束も、したかった。
かおるさんにこんなこと言ったら、「いやいや、おじさん(俺のこと)と行くと、まあ、ハプニングが続出するからなあ」と、笑いながら言うだろうな。
そしたら、俺はストレートに思ったことをコトバにしよう。
「実際、異国の地で車いすがパンクするほど大変なことはないと思ったよ。車いすの生活って俺に比べて大変だよな、やっぱ。」

そして、また、パンクしたら、自転車屋さんを探して1時間タクシーを走らせて、極寒の韓国の店先で直してもらう順番を待とう。
うまい店があると聞けば、二階でも三階でもかおるさんを担いでいこう。
雨が降ったら、かおるさんを担いで階段しかない地下道に入って雨宿りしよう。

オレ達はもう旅行をしてもいいんだ。
好きなところに、好きなことをしに行って良いんだ。
「また、そんな大仰な話にして~、おじさんは全く!」とかおるさんに笑いながらつっこまれそうだ。
でも、そうだ。
かおるさんもそういう気持ちでいてくれていることを、俺は確認に行ったんだ。
決して二人の間ではコトバにしないけれど。

今の専従ですらかおるさんとの付き合いは薄くなっている。
でも、だからって、あんた方かおるさんと仲良くしなさいなんてオレは思わない。
そんなの知らない。
俺にとってはどうでもいいんだそんなこと。
そんな橋渡しは俺の「仕事」じゃない。
これからの時代、何をどうするのか、「教える」ことではなく、それはつかみ取るモノだ。
だから、かおるさんが教えることも、俺が教えることも、本当は何もない。
道しるべくらいにはなれるかもしれないけれど。

ま、とにかく、韓国は楽しかった。
片側5車線くらいの道路に横断歩道が一切なし。
全部地下道方式。しかも階段のみ。
横断歩道を探して迷子になった。
あっちの車いすの人はどうしているんだろうか。
アメ横風の路地の食堂で、山のようなタコと豚を食った。
毎日飯をたらふくの2乗くらい食って9時10時という浅い時間に帰って、あとは寝ていた。
5万とか3万円とか細かめにウォンに両替していたら、買い物中に「日本円にしてあと50円くらいしかないぞ。大の大人4人で!」ということも多発した。
漢方的なお茶を飲んで酔った感じになったが、そのあとすぐ昼日中からビールを飲んで元に戻ったりもした。
英語でCAKEと書いてあるものは全部餅だった。

そしてなにより、韓国のオヤジは、全員が小口のおっちゃんだった。
お節介、というと悪く聞こえるが、悪い意味ではないお節介。
「これ食べなきゃだめだよ」とがんがん迫ってくる。
「韓国の食べ物、ここで食うなら、これだから、これを食え」と迫ってくる。
注文を一応は聞くモノの、「いや、これだ」と、決めるのは店のオヤジだったりする。

きっと自慢の一品なんだろう。
確かに外れはなかった。
一度引き受けて自転車屋を探すとなったら、タクシーを車線の中央に堂々と急停止させ、道で自転車乗ってる人を捕まえて(自転車に乗っている人がとってもすくないのだ)、聞く。
その素敵な「オヤジ臭」をたくさん感じて、俺は楽しかった。

心残りは、韓国のお坊さんの衣装が買えなかったこと。
併せて、仏具通りをもっともっと時間をかけて見たかったこと。
それは来年6月に達成される予定であるはむにだ。






(BGM:西郷輝彦「ねがい」from「ちょんまげ天国」)
→「たとえ今日の愛がこわれ去っても、のぞみ明日にかけて人は歩むモノなのか 誰も喜びと悲しみを胸に抱いて 生きていくのか明日も」
…これね、このサビの歌詞とメロディの相性がバッチリなんだよね。
こういう曲、作りたい。
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