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てなことで今晩です!出番は1830頃だって。
みんな来てね~。
というわけで。
01年の4月に書いた原稿が出てきた。
ああ、ここからまた15年がたったんだ。
これを改めて読んで、きっとオレ、こっから何かを越えたと思う。
何かはよくわからないけど。
あき江さんが死んで、もう14年が経とうとしている。
長かったようで、短かった気もする。
長男は10歳になった。
当時、5万円だった給料は、30万を越えるようになった。
40万を目指していたバザーも、120万程度の売り上げではもう驚かなくなっている。
2人だった職員も、15人になった。
市との単独交渉でも、緊張することはなくなった。手が震えているのは役所の職員の方だ。
市役所に行けば、1階の福祉課の人はむこうから自分に声をかけてくる。
金じゃなくて、「中身だ」と、自由に使える金だってある。
虹の会は、大きくなった。
強くなった。
今回は、逃げないで、きちんと自分のことを書こうと思う。
「最近、適当に書き飛ばしてるだろ」という暖かいぶ組幹部のお言葉は、きっと当たっている。
俺は、自分のことを見つめていない。
14年前、虹の会が、ここまでくるとは、誰が想像しただろう。
あなたもそうでしょ?。
「虹の会は続かない」というのは、誰もが言葉にして言ってたよね。
俺自身も半信半疑だった。
常に「よくなる」、と信じている佐藤さんを演じてはきたけれど、本当は、そんな自信はなかった。
それは工藤さんや松沢にしても一緒だと思う。
ただ、自信のない自分を見せることは、すべてが崩壊することを意味していると思っていた。
逃げ出したいと思ったことは、一度や二度ではない。
だけど、逃げたところで、行くとこなんかなかった。
その時から、俺には、自分がなかったんだと思う。
昔に「俺が最も流されて生きている」って書いたことがあったけど、それはファイナルアンサーとしては完璧だ。
俺にポリシーなんかないんだ。
障害者のために何かをする、福祉の仕事をする、障害者運動がやりたい…云々。
俺にはそんなもの、ない。
あき江さんが倒れる3日くらい前に、二人で話をした。
これまでの虹の会は、自分がやりたかったものではなかったと、彼女は言っていた。
介助を「人質」に取られていた彼女は、当時の学生の役員に何も言わなかっただけだ。
いや、言うことがないという自分を演じていただけだよ。
いや、もっと正確に言えば、悩む事は演じられても、それを現実に移す事は、彼女にはできなかっただけだ。
今、彼女は、教会の神父さんが言ってたように、雲の上で手足が自由になっているのだろうか。
だとしたら、今の虹の会を喜んでいてくれるだろうか。
そんなことはないだろうな。
今、もう彼女はいないんだから。
喜ぶ場所に、いないんだから。
どっちにしても、天国なんかないけどな。
死んだら終わりだ。
残された人間は、彼女のことを思い出せるけど、彼女はもう、思い出すもなにも、無いんだ。
以前に書いたが、「福嶋あき江とあゆむ会」の伊藤さんにしても、その他の当時のボランティア達にも、俺は馴染むつもりなんか無かった。
俺は、14年前、とりあえず彼らと決別することだけを考えていたんだ。
散々なことも言われたが、俺は耐えていた。
「いつか、見ていろ」、って。
もう、彼らが虹の会やあき江さん以降の人間を責めることも、貶めることもないだろう。
あの時に、「虹の会は続かない」と言ったすべての人間は、ここに来て謝ってくれ。
そして、墓前に行って、額を土に擦りつけて土下座をしてこい。
人を不安にさせ、やる気を削ぎ、辛さを倍加させたことを、恥じてくれ。
弔い合戦だった。
この14年間は。
運動に勝ち負けはないよな。
でも、俺はずっと勝ちに拘ってきた。
そう、「虹の会は強くならなくちゃいけない」。
俺や工藤さんが動かなくても、もうバザーはできる。
俺が印刷をしなくとも機関紙はできる。
工藤さんの体調が悪ければ、工藤さん抜きで交渉だってやれる。
虹の会は強くなった。
この間、バザーの準備の後、飲みに行って、俺は「ものを創り出すということは、そんなに簡単にできるもんじゃない。いや、できない。」と言った。
そして、こう付け加えた。
「私怨が無ければできないよ」と。
「でも、私怨なんかで進めちゃ駄目だ。」と。
俺は、俺らがやってきた道を、自分で否定しているのかもしれない。
きっと、心のどこかで、自分は納得していない様な気もする。
「弔い合戦」というのは、本当はきっかけなんであって、本当の理由は違うのかもしれない。
俺が、ここにいる、理由―。
俺は、一人で夜中に事務所にいることが好きだ。
昔からそうだった。
今の職員の冨沢なんかが学生ボラだったころ、そんな風な連中が、時々ふらっと来ては、いろんな話をしていった。
そういうことが、俺を事務所から離さなかった。
そのうち、だんだんわかってきたんだ。
あき江さんの言っていたことが。
「建前」と「現実」。
「理想」と「日々」。
他人の「ハレ」を引き受ける「ケ」の自分―。
十年前の俺に、「佐藤には弱い人の気持ちはわからない」と言った人がいる。
それを言った公務員になった彼女に対して、俺は何も語らなかった。
そもそも、そこには、レトリックがあって、「気持ちが弱い」ということと、「社会的な立場が弱い」ということを不自然に同一化して語っている。
きっと彼女は、自分を正当化するためにそんなことを言っただけだと思ったから、俺は黙っていた。
今は何を言っても無駄だ、と俺は思った。
十年前の俺は、給料も十万程度で、子どももいた。
妊娠して虹の会を辞めざるを得なかった(産休はおろか、もちろん退職金もなかった)パートナーの水上には、収入もなかった。
「弱い人の気持ちが分からない」のは公務員のあなただよ、と俺は思っていた。
労働者の権利だとか、何だとか、嬉々として組合活動を語ってるあんただよ、と俺は思っていた。
少なくとも、給料が十万の相手に言うことじゃない。
国松さんが結婚したとき、何のプレゼントがいいのかと冨沢に聞かれて、俺は「貧乏だからって、醤油とかくれる人がいるけど、本当にほしいのはメロンだよ」と言ったことがある。
それを冨沢が国松さんに伝えたら「そうそう、そうなんだよ」って的を得たりだったと報告してくれたことがある。
俺は貧乏でよかったと思っている。
14年前、虹の会を捨てて公務員になっていたら、俺はきっと醤油をプレゼントしていたかもしれない。
そんな、「したり顔」「わかった顔」のクソ野郎にならなくて、よかったと思っている。
やれ結婚したから車だ、マイホームだと、「ローンがきつくて」なんて会話を飲み屋でするようなクズにならなくて本当によかったと思っている。
「社会的な立場が弱い」というのは、最後はもう、開き直るしかない。
「開き直れない」という人もいるとは思うが、それは、まだ大丈夫、ということだ。
最後は、開き直るしかないんだ。
強さというのは、そこからくる。
「障害者福祉の向上を」なんていう崇高な思いだけで、こんな団体に関わっている健体者のみなさんもいるのかもしれないが、そんな宗教チックなものだけで人や世の中が動くほど、甘くない。
少なくとも俺が魅かれたのは、開き直りの強さを見せてくれた国松さんや鴻沼の西畑さんだった。
宗教チックな連中には、俺は嫌悪感しか感じなかった。
俺は、「気持ちが強い」のではなく、「強くなければ生きてこれなかった」だけだ。
14年前、大学生だった俺は、大学生を嫌悪してた。
当時、オールナイトフジなんかに代表されるフジサンケイグループの軽薄全盛時代。
散々ボランティアなんかやって、ゼミでは「障害児の未来」なんて偉そうなこと言ってたお利口さん達は、卒業して自分が教員になったら、俺やまだ認可もされてなかった障害児学童に勤めていた森さんのことを、「まだあんな仕事してんの?」と嘲笑した。
そして、それが全員だった。
子ども達は学校が終わってどうするのか、卒業してどうするのか、結局、彼らには自分で体現できるものなんか無かったんだろうと思う。
悲しい奴らだ。
俺たちには金も時間もなかったけど、誇りはあった。
それと、少なくとも、金は出ないが有意義な仕事をしている連中を嘲笑するようなことは、俺達は絶対にしない自信があった。
飲み会でそんなこと言われたって、俺達は、心の中で拳を握るしかない。
机をひっくり返して帰るわけにはいかないから。
俺たちには、どんなに怒りが燃えさかってても、へらへらと話を合わせて、飲み屋の便所の鏡を叩き割るしかない。
だから、俺はどんどんつきあいが無くなった。
クズとつきあうのは、自分もクズのフリをしなければならないからね。
そんなことは耐えられない。
だから、そんな連中と会わなくなっただけだ。
俺には友達もいなくなった。
悲しい気持ちを誇りに変えるとき、人は涙する。
たった一人で何かに立ち向かおうとするとき、人は涙する。
「普通」を希求する心の澱を流そうとして、人は涙する。
「本当は、8割の中の一人でいたい。」
「出る杭は打たれるから、出たくなんかない。」
「何も考えず、恋人と二人で、精子も拭かずに抱き合って眠っていたい。」
研修なんかで虹の会の歴史を語る時、「昔は楽しそうだったんですね」という人がいる。
ゼロから始めるというのは、ただがむしゃらに走っていればいい。
日テレの電波少年と同じ。
外から見る分には、楽しそうだよね。
でも、俺はもう戻りたくはない。
あんなに苦しい思いはもうたくさんだ。
俺は、あいつらを嫌悪しながら、もう一人の俺は憧れていた。
普通の恋人達のように、待ち合わせをして、戦争映画を見て、テーマパークで遊びたかった。
緊急の介助が入って、待ち合わせ場所に行けないのは、もうごめんだ。
夜中にぼんやりと空き地に座っているのも、もうごめんだ。
「緊急の介助をしている自分」という誇りは、会いたかった気持ちを越えることができなかった。
そんな14年前の俺を救ってくれたのは、三原だった。
教員だった彼は、俺達を嘲笑しなかった。
それどころか、三原は、毎日毎日、俺たちと一緒に、バザーの品物の整理をしてくれた。
それも、夜中に。
朝になって、やっと眠る俺達をおいて、三原は学校に行った。
良男も毎週、それと危ないときには介助に来てくれて、俺の緊急介助は少しづつ減っていった。
俺達のことを、「とても仲がいい」という人がいる。
週を明けずに加須や吹上から来ては飲んでんだから、そう見えるだろうな。
ただ、俺は、きちんと彼らに「お前らに救われた」とは言っていない。
きっと言う必要がないからだ。
仲がいいんじゃなくて、俺は奴らといると安心なんだ。
「優しさに触れることより振りまくことで、ずっとずっと今までやってきた。
それでも損したなんて思ってないから今夜も、何とか自分で自分を守れ。
流れる景色を必ず毎晩見ている。
家に帰ったらひたすら眠るだけだから。
ほんの一時でも自分がどれだけやったか、窓に映ってる素顔を誉めろ。」
去っていった人もたくさんいる。
でも、いつの間にやら、仲間は増えている。
そして、俺は、そいつらを愛する余裕だってできた。
なあ、みんな。思わないか。
できなくったっていいよな。
子どもが熱を出したら、休むさ。
休む方が辛いって事、俺はよくわかっている。
記憶なんて曖昧でいいんだ。
漢字なんか読めなくてもいいんだ。
一生懸命の気持ちで、いいよな。
できようができまいが、そんなこと、どうでもいいよな。
だって俺達がやってることは、輝く歴史を創り出すことだ。
つまらない事務作業や、徒党を組んで人を貶めるような下らないことじゃない。
そんなこと、どうでもいいんだ。
はっきり言おう。
14年前は、辛かった。
そのことは自分の中ではまだ解決はしていない。
けど、少なくとも、もう涙は出ない。
だって、俺には誇りがあるから。
だって、一人で立ち向かっているんじゃないから。
さあ、気楽にいこうぜ!。
闘う俺達を、闘わない奴らが、笑うだろうけど。
だけど、そんなこと、もうどうでもいい。FIGHT TOGETHER! (了)
(BGM:アーバンギャルド「少女の壊しかた(Side.B)」from「少女は二度死ぬ(特装盤)」)
→ま、なんでしょう。
こういう歌詞、ハマる人はハマるんだろうな。
この人たち、キライじゃないんです。
でも、これらの歌詞に傾倒する女の子とかはちょっと苦手です。
ナゴムギャルもあまり好きじゃなかったけど、ま、そんな感じで。
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