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いじめにどう対処しようか…う~む…


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専従とか内部に出したメールを一部変えてのせてみよう。

よく学校のイジメとかで、「どう考えてもいじめ」なのに、学校や教育委員会が「イジメと認定しない」みたいなことがありますね。
あれはなぜなのか?と考えた時、それは簡単で、「いじめた側の子も生徒」だからです。
つまり、「いじめた側」も、保護しなければならない生徒で、指導しなければならない生徒なわけです。
何かソレで罰したところで、罰した側をきちんと自分の「テリトリー」に入れ込んで指導をしないと、結局別の子が別の子に、となり、同じ事を繰り返してしまうんですね。
だから、その「いじめた側」を教師は「突き放す」ことができない。
一般のワイドショーのように、「いじめたヤツはとんでもない!」「逮捕しろ!」という論調と真逆のことをしなければならないことになるんです。

簡単に言うと、イジメとまではいかなくても、保育園のケンカですら、どうしても、教師サイドは「ケンカ両成敗」にしたいのよね。
そして、それはイジメにも延長され、「いじめられた側にも何か原因があるんじゃないか?」という話になってしまう。
これは最初にイジメを相談された時の学校側の対応として、よくニュースなんかでも出てきますね。
そして、テレビショーでは、「その対応はとんでもない!いじめた側にしか原因は無いんだ!」という話になっていきます。

これですね、まあ立場の違いなんでしょうが無いのかもしれない。
ただ、「いじめられた、その「子」を救う」という点でいうと、ワイドショーの方がやり方としては早いんですよね。
だって、「次に同じように他の子がいじめられるかもしれない」なんてのは、もうその当事者の子にとっては関係ないんだから。
かといって、そのワイドショーのやり方では「根本的な解決にはマッタクならない」と。

これって、つまり「被害者感情」と「根本的解決」の乖離、みたいな話なんですけど。


ウチでも「いじめ」みたいな話はあります。
ま、けっこう「いじめられた側」が、認識してなかったりするから成り立たない?こともありますが、明確になってくる場合もあります。

なんでまあ、それをどうするか?って話になるんだけど、たいがいの場合、彼らのヒエラルキーがそのままその関係性に影響しているので、下手に「ケンカ両成敗」というのはあまり意味がない。
繰り返すばかりになってしまう。

それに、あまり彼らのヒエラルキーに踏み込みたくないところもあって。
つまり、諍いを普段けっこうほっておいてるので、まあ見える形でイジメをやってくれる、というのもある。

しかしまあ、なんにしても、画一的な「方法」では、どうにもならない。
俺としては、先に書いた構造をきちんと理解して、当たらなきゃいけないと思う。

つまり、教師サイドの感じになって、「ワイドショーのように一方的に責めるのはいかがなモノか」となってケンカ両成敗にしてしまうのでは「なく」、かといって、「一方的に責め立てる」ものでも「なく」、どう、対していくか?と。

まあ、それは井上とヨウコが誰かをいじめてるという構造だとすると(というか、たいがいそういうことになるんだけど)、相手が市丸なのかノブなのか(昔ノブが「もう井上の言うことを聞くのはいやだ!」って泣きついてきたこともあった)ということも、それらの配合具合に影響を及ぼすと思うんだけど、まあ「こういうやり方」というコトを言いたいんじゃなくて、「こういう構造があるけど、その中で、この方法で自分は対してみよう」という明確なものが必要になってくるんだろうな、と。

それはどんな方法でもいいんだけど、その方法や彼らに対する「指導」が、どういう意味を持つのか、どういう影響を持つのか、強権的でいいのか?それとも、寄り添う、みたいなことなのか、みたいな。
その方向性をしっかり持ってないとまず始まらんな、と。

例えば、イジメの話ではないけど、ハッキリしない「お願いします」を何度も聞き直すのか?聞き直さないか?それはなぜか?ということをしっかり自分の中に持っていないと、ただ「言い直させてる」だけになってしまう。
ま、言い直させてもイイけど、「こういう理由で言い直させていました」というのがはっきりしていないと、それこそ構造的には上下関係なので、支配のみ関係になってしまう。
いや、はっきりと自分の中に意思があれば、それでいいんですよ。
言い直させるのが悪いと言ってるんじゃない。
意思がない「言い直させる」とかはダメだよな、と。


ま、なんだかんだ「この人に頼れば何とかなる」と思ってくれないと始まらないので、それはきっと俺らの定規で考える「仕事ができる」みたいなことなんかじゃなくて、ふざける人なのかどうか、頼みやすい、やすくないもありますね。
単純に強権的にやってしまえばそれですんでしまうこともたくさんあるかもしれないけど、それも頼ってくれて始めて始まる話で。

つまりまあ、いろいろね。
イジメだ何だと言ったところで、そういう各論で考える部分も確かに必要ではあるんだけど、最終的には総合力が試されているというか、そんな感じなんだな結局は、と思います。





(BGM:Base Ball Bear「歌ってるんだBaby」from「∀」)
→野球熊。
ステキなバンド名だな。
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