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世の中には戦争をしたい人たち、というのがいます。
どうしてかというと、鉄砲の弾にしても爆弾にしても、まあバンバン使いますから。
儲かる。
逆に、その「鉄砲の弾を受けても多少平気になる防弾チョッキ」とかも売れる。
もう、マッチポンプで儲かる、という。

それを作ってる人たち、ま、軍需産業とか言いますか、そういうのは儲かる。
人を殺す道具を使って儲かるも何もないモンだとは思いますが、まあ、そういう人たちは一定数いるわけです。
しかもまあ、政権の中枢だったり、経済界の上の方にいたりするから、始末に負えないんだけど。
というか、こういうのがなかったら、そもそも戦争なんか起きないわけです。
だって殺しあいだぜ?

ま、その批判についてはここではおいておいて。
ここでは「そういう人たちがいる」ということで話を進めますよ。

でも、数行前にも書いたように、戦争なんか誰もやりたくない。
兵隊になって、誰かもわからない外国の人を殺すなんてのは、誰もやりたくない。

さあ、それでも儲けたい連中はどうするかというと、危機を煽るわけです。
「どっかの国が攻めてくるぞ」とか。
「今私たちの国は危機に瀕しています」とか。
で、「愛する人が殺されるかも知れないぞ」などという言葉から愛国心を煽り、愛国心を持たないモノを「愛する人が殺されてもいいのか!」などという間違ったロジックを使って弾圧する。
そうすれば、戦争への道が開かれるというのが歴史の常であります。

日本も今、北のごく近隣の国がミサイルを撃ってくる!ということで、「軍備やむなし」「戦争やむなし」という風に戦争したい人たちは持っていこうとしていますね。
ま、軍備を拡大すれば儲かります。
だから、もっと言うと、北の国には「ミサイルを撃ってもらわないと困る」んですね、戦争で儲ける人たちは。

常識的に考えて、北の国が戦争を仕掛けることは不可能に近い。
挑発を続けてはいるけれど、ここまで戦争を仕掛けてこないというのは、現実的に「戦争を仕掛けたとたんに負ける」からですね。

けど、挑発はする。
それを利用して、まあ軍拡やむなし、という流れを作る。
あれ?北の国と戦争したい人たちがもし組んでいるのでは?という疑惑まで生まれてきます。
組んでいるかどうかはわかりませんが、そうだとしたら、まあとんでもない話ですね。

ま、組んでるかどうかはおいておいて。

何が言いたいかというと、「戦争したい人たちは、ミサイルを撃ってくることを、巧みに利用してる」ってことなんです。


テロ。
テロもとんでもないことです。
許してはならない。

そのテロを防ぐために、という名目で法律ができる。
その法律が実際は「市民生活を脅かすもの」「市民運動を潰すためのもの」だとしたら、それはとんでもない話ですね。

逆に言うと、「市民運動を潰したい人たち」にとってみたら、テロが起きてくれたら、それもとびきりデカイテロが起きてくれたら、「テロ撲滅!」を旗印に「市民運動を潰す法律」を作ることができる。
つまり、「テロが起きたら」、それを最大限利用できる、ってことなんですよね。
市民運動を潰したい人たちは、そんなことないとは思いますが、もしかしたら、テロを待ち望んでいるのかもしれません。

「今テロが起きてくれれば、共謀罪の反対意見なんて吹き飛ばせる」とか…。
まあ、そんな風に思ってないとは思いたいですが、まあ仕組み、構造としては、市民運動を潰したい人たちにしてみたら、「テロがもし起きてくれたら、市民運動を潰すというオレたちの目的を達せる可能性が高まる」ということなんだよね。


さて、長々と説明してきました。
本題です。

日本でも「障害者の地域での生活」というか、一般には「自立生活」なんていいますけど(俺らは自立生活なんて言葉は使わないが)、そういう運動があります。
現実的には、60年代に始まるコロニーに象徴される大量収容施設に対するアンチの運動、実践ですね。

でもまあ、施設はなくならない。
実際に、今だって親御さんたちの運動の核になってるのは「施設建設」だったりします。
親としては「施設」という姥捨て山、いや、子捨て山がほしいのかもしれない、と意地悪く思ってしまったりします。

でも、当事者、つまり施設に入っていた人たちがドンドン地域に出てきて、そして制度ができはじめ、「施設には行かずに、しかも親元で暮らすこともなく」地域で一人で暮らす人も増えてきた。
その実践こそが、つまり施設から出る、施設という選択肢を捨てる、ということ自体が「自立生活運動」といわれるものだ。

そもそも、施設に於ける非人道的な扱い、すべて毎日のスケジュールが決められていた自分の生活がマッタクおくれない、同部屋の人たちがいてプライバシーがない、という問題、外出できない、そういったことって、もう完全に「人権問題」なんですよね。

だけれど、「現実的な問題」によって、施設は重大な人権侵害をしているにもかかわらず、なくならないんですね。
自立運動は、「自分が施設を出る」ということによって、脱施設をはかりたいのかもしれないが、実際は「空き待ち」の状況なんですよ、施設って。

自立運動の目的が、自分が施設を出る、地域に制度を作る、ことが一つだとしたら、もう一つは「施設の解体」ですね。
そこを訴えないと、「障害者に対する人権侵害」ということの解決が成されない。

市民運動、社会運動の基本は、「最底辺の人たちの生活がどのくらい上がったか」がポイントであって、そう考えると、障害者運動の場合、人権侵害の状況に置かれている施設の人たちの生活がどのくらい改善されたか、がカギ。
ま、それには「大量収容」をやめない限り、現実的にはなにも解決されない。


という状況の中、あの事件は起こりました。

でもよくよく考えてみたら、「障害者を殺す」という目的だったら、施設を狙うのは当然ですね。
だって、まず、一つところにたくさんのターゲットがいる。
そして、障害者の数に対して職員が少ない。
というか、そういう「障害者の生活のコスト削減」のために施設はあるんだから。
だから、あの惨劇は起きた、とも言えますね。

「地域は危険、施設は安全」という神話は現実的に崩れた。
というか、親や親戚にとって「施設は安心」というだけで、最初から安全ではなかったんだけど。
そもそも、コスト削減政策の中で、この事件は避けようがなかった。


さて、冒頭の戦争、テロのことをあわせ考えるに、自立運動の一つの目的が「施設解体」なんですから、自立運動サイドは、ここは一気呵成に攻める場面ですね。
「ミサイル撃ってきたぞ!」と大げさに騒ぎ、施設の人権侵害、そして解体を訴えるところでしょう。

が、自立運動の筆頭、その全国組織とやらは、「あの人たちにも暮らしがあった」などという「美辞麗句」を並べ立て、「大量収容」を正当化した。

いや、それはそうだ。
その人たちにも暮らしがあった。
悔しい事件だ。

でも、今こそ、人権侵害を訴える場面なんじゃないでしょうか。
それをしないということは、今そこにいる多くの仲間たちは絶望なんじゃないか?


亡くなった人に気を使う、敬意を払う。
わかるよ。
そうすべきだと思う。

でも、だからこそ、「彼らが言えなかったこと」「彼らが閉じ込められていたこと」をこそ、今訴えるべきじゃないんだろうか。


それをしなかった全国組織、自立運動を語る連中、当事者を含め、に対して、ものすごい憎しみが沸いている。
犯人にはもちろんだ。
極刑でも足らない。

でも、同じ事を、関係者がやっていないと言い切れるか?
そもそも施設がイヤで出てきた当事者たちが、なぜ今になって「施設の生活でも充実していた」「だから殺すなんてヒドイ」という論法しか使えないのか?
おまえ、イヤで出てきたんだろう?!
自分さえよければいいのか?

そんなことで障害者運動が進歩していくとは思えない。






(BGM:ダンボール・バット+イライザ(エコダムド)「♪アポカリプス・ドゥ・オア・ダイ」from YOUTUBE)
→名前は知ってたんですが、実際聞いたことはなかったんだけど。
すげえ、なんかちゃんとしたニューウエーブ。
でも、アタマのネジは完全に吹っ飛んでるし、サウンドは豪華なのに、チープ感もきっちりみせてくれる感じがすごくカッコイイ。
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