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先日、まあつくづく思ったんだけど。
知的障害者のガイドヘルプとかのことを、介助者とか、まあ支援者とか、言います。
ウチの場合は、まあなんの名前もつけてないので、例えば森さん、とかTAROさん、とか名前ですね。
職種の名前をつけていません。

で、ですね、知的障害者の場合、そして子どもだった場合、やっぱ「親が出る」ってことが、結局は大きかったりする。
カブキが、以前に使っていたヘルパーの事業所も、カブキが電話を入れて時間の変更を言っても、「親の変更の電話しか受け付けない」みたいな感じでしたから。
つまり、「親が依頼して、本人のところに派遣される」というのが、介助者だったり、介護者だったり、支援者だったり、ということですね。

本人が子どもだった場合は、まあイイというか、そういうもんですよね。
保護者が、保護すべき子ども本人のために介助者を依頼する、という図式だから。
責任があくまで保護者にあるわけだから。

実際、まあ成人後の知的障害者の「保護者」という観点をどう考えるか、の問題はあります。
もう「被保護者」ではなく、むしろ「保護者側になる可能性のある歳」なんですが、でもやっぱりいわゆる作業所や施設なんかでは、「保護者会」とか言ったりするらしい。
成年後見人、とか、まあいろいろあるわけですけれど、実際問題、本人を「大人として扱うか」みたいなことですけど。

法的にどうこう、ってのは、まあまた別の話で。
だって、大体の場合、知的障害者の後見人って、親や親族がなってる場合が多く、それって結局、相続問題なんですぶっちゃけ。
本当に「親から離れる」とか、「自立する」みたいな意味では機能しているとは言いがたい。
それは、まあ、また別の時に。

で、なにがいいたいかというと、つまりですね、「親が出ざるを得ない」というのは、まあわからなくもない、という前提の上で、でも、「親が出た時点で、介助者だとか支援者だとかとの対等な関係」というのは、「絶対的にできない」ということを、理解しなきゃいけない、ということなんです。

親は徹底的に「異物」なんです。

「仲間を作る」「友だちを作る」ということのラインの中で、親はそこに「入ることはできない」のです。
逆に言うと、「いたら仲間はできない」のです。

親や教師というのは、子どもの仲間同士の関係においては「異物」であって、だからこそ、イジメ、は異物である親や教師に発露しにくいのです。
「異物を仲間関係の中に入れる」という行為は、仲間の中では「重罪」で、あってはならない。
それは、仲間を否定することになる。

それをした場合、「チクった」ということになり、その行為自体が「イジメ」の原因になるほど、「親の存在」というのは、仲間作りの中で重要な意味を持つのです。
悪い存在、あってはならない存在、という意味で、重要なのです。

もっと言えば、親や教師の一言は、「仲間のヒエラルキーは変わる可能性がある」くらいの、大きな威力を持ってるんです。
だから、「子どもの仲間関係」を大切にしたいのであれば、下手な介入をしてはいけない、のです。

というのが、基本。

ですが、こと、子どもが知的障害者だと、これがまず壊れてしまうことが多く、「親とセット」という感じになってることが多く、親はそれでも、「この子にも友だちがいるんです」とか言うんだけど、いやいやいや、その友だちサイドにして見たら、「親がいる前だから「付き合ってやってる感じ」を出してるだけ」で、実際友だちなんかじゃありません。

ここ、勘違いしちゃダメなんです。

もっと言えば、親が嫌がることをみんなでやるのが仲間の絆だったりするわけで、親が嫌がる場所にみんなで行ったりするのが青春だったりするわけです。
これは何も子どもを邪悪な存在としたいのではなくですね、「構造として」そういうことなんですよ。

親は異物。
このことを「しっかりと認識していなければならない」のです。


それでも、先に書いたように、「親が出ざるを得ない場面」はあるとは思うんです。
先に書いたカブキの介助の事業所とかも含めて、一般にはそういう社会だから。
それに、子どもだったら、それはそれでしょうがない。

でも、「私は異物なんだ」「この状況は、いつか脱しなければならないんだ」ってことを、介助者・支援者サイドも、そして親もしっかりと認識してコトに当たらなければならない、と思います。

ここのところを、「親が入ってあたりまえ」とか、「親がいて当然」みたいな感じで、介助者と親の関係ができあがってしまっていると、本人は未来に絶望しか持てなくなります。

だって、異物がいる事を肯定されちゃったら、一生、仲間はできない、ってことになっちゃうんだから。
「表向き仲良くしてまーす」みたいな関係しかできない。
それが、本当の仲間ではないことを、子どもはわかってる。

子どもは、大人よりずっと敏感ですからね。


もっと言うと、介助者、支援者という人たちは、仲間にはなりようがないんです。
だって、金もらって仲間になる、なんて、最悪の人間のやることですよ?
介助者、支援者の立場、存在とは何か、もっと冷静に考えた方がイイ。
感情的になって、「俺たち仲間だから」とか言うの、見ててイタイ。
親が言ってたら、なおイタイ。

俺らもそうですね。
そもそもまあ、俺は市丸や井上の「仲間」ではありませんけど。






(BGM:尾咲ロミオ「不良少女のテーマ」fromYOUTUBE)
→うす~いな~薄い。
全体的に薄いんだわ。
曲も演奏も、歌詞も声も、なんだか全部薄口。
おい!もっと醤油ぶっかけてくれ!という感じ。
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